由香とトイ

由香とトイ

まだ肌寒い週末の朝。若葉が朝日を浴びてきらきら光っていた。由香は公園を走っていた。由香の周りは気づけば彼氏持ちばかり。彼氏がいない由香はその手の話になるたびに、くやしい思いをしていた。夏が来る前に2キロ痩せる。運動嫌いの当面の目標である。10分後。初日だからとジョギングをさくっと終え、由香は顔見知りの肉屋に向かった。そしてコロッケを2つ買った。由香は早速あげたてのコロッケにかぶりついて1つ食べた。もう一つのコロッケは近所にいるヨボヨボの老犬、リキシにあげようと由香は思っていた。リキシは飼い主が亡くなり、野良になってしまった犬で由香や近所の人が面倒を見てあげていた。由香が帰りがてらリキシの元へ向かうと、リキシは家があった空き地の木陰に力なく寝そべっていた。由香がコロッケを差し出すと、リキシはノソノソ起き上がり一噛みで食べてしまった。そんなある日のこと。平和な街に幼児を狙った通り魔事件がおきた。被害者は小学3年の男子。男の子は下校時、後ろからいきなり刃物のようなもので耳を切りつけられた。びっくりした男の子が大声をあげて泣いたところ、犯人は逃げ出した、ということだった。男の子は逃げ出す犯人の後ろ姿は見たものの、顔は見ていなかった。それとは別に、由香にとってショックな事が起きた。

リキシが誰かに刺されて死んでしまったのであった。

リキシが死んだ次の日の夕方。リキシがよく居た木のそばで、由香がリキシの遺品の首輪にお祈りしていると、「リキシ、残念だったな」と声をかける者がいた。由香が振り向くとそこには夕日の逆光にスクッと立つ小さな犬がいた。トイプードルだった。由香がびっくりしていると、犬はこう続けた。「リキシの仇をとらないか」由香は喋る犬が死ぬほど恐ろしくなって脱兎のごとく家に帰った。母親に喋る犬について話をすると、人面犬かなと言われた。次の日の朝、由香が空き地に行くと犬は居なかった。由香はホッとして学校へ向かった。そのまま週末になり、由香が友達の知子と街でブラブラしていると、犬が喫茶店から箒で追い出される所に出くわした。あのトイプードルだった。知子は乱暴にされた犬がかわいそうになったのか、ついた埃を手で取ってあげていた。そのトイプードルはこちらを見て「わん!」と一声なくと、走り去っていった。それを見て由香は喋る犬などいるはずがないと確信し、あれは夢か幻だったと思うのであった。翌週の週末、隣町に遊びに行っていた由香が駅から帰ろうとすると、誰かが後を付けてくる気配を感じた。小走りで振り切ろうとするとその気配が合わせてついてきた。人が全くおらず、身の危険を感じた由香は急いだが、道を間違えてしまい行き止まりの道に入ってしまった。ひきかえそうとするとフードを深くかぶり、大きなサングラスをかけ、鼻まであるマスクをした男が目の前にいた。由香はヤバいと思った。自然に体が震え、声すら出なかった。その時である。「誰か助けてくれー、女の子が男に襲われている!」と言う大きな叫び声が上がった。その音量でかさにひるみ男は何もせず走り去っていった。腰を抜かして由香が座りこむと、再び後ろから声がした。「危ないところだったな」由香が振り向くとそこにはあの日本語をしゃべるトイプードルがいた。大声を上げたのに結局人は由香達のもとに一人も来なかった。由香は、助けくれたお礼を言うとおそるおそる「あなたは人面犬なの?」と聞いた。トイプードルは馬鹿にした表情をして「そんなわけあるか、ちゃんとした犬だ」と言った。「なんで人の言葉を話せるの?人の言葉を」「俺が天才だからだ。だから話せる」「…」「それよりも、警察に不審者の報告をしたほうがいい、携帯は?」「ある」由香は携帯を取り出すと警察に電話し、時間、場所、人物の特徴を伝えた。由香が話し終わると、神妙な顔をしてトイプードルは言った。「手伝ってほしいことがある。ちょうど今にあんたに貸しが出来たろう?」「確かにそうだけど、何をするの?」「今の男を捕まえたい」「え、やだ、そんなの無理だよ」由香はついさっきの出来事を思い出してしまって身震いした。「奴はこれまで俺たち野良を散々殺してきた」「もしかしてリキシも?」「そうだ。でも僕1人の力ではどうすることもできない、だから手伝ってほしい、それに奴はどんどんエスカレートしつつある。現に人間の子供がやられそうになっただろ?」「でもそんな危ないことは警察に」「無理だろう。警察はナ、野良動物が殺されても何もしないぜ。対象が人でも何か事件でも起きない限り動く事はないからナ」と言ってトイプードルは腕を上げて座った。「誰かがやられるまで待っていていいのか?あんただって僕がいなかったら死んでいたかもしれない」「…」「危ない目には合わせない」トイは真っ直ぐ由香の目を見て言った。「危ないところを助けてもらったし、リキシのこともあるし、わかった。手伝うよ」「よし、では今日はもう遅い。明日リキシのいた空き地に18時ごろ落ち合って話そう」「わかった。私の名前は由香。あなたの名前は」「名前なんてない」「じゃあ何て呼べばいいの?」「トイプードルだから『トイ』とでもよんでくれ」そこまで話すと空腹のあまり由香はおなかを鳴らしてしまった。「おなかがすいた」「そうだな、僕もすいた。解散しよう。じゃあな由香、また明日な」「じゃあね、トイさん」次の日のこと。由香が待ち合わせ場所に行くと、そこにはすでにトイがいた。更に見慣れない物がそこにはあった。それは子犬用のゲージだった。「こんにちは、トイさん」「こんにちは、由香」「それって子犬用のゲージだよね?何に使うの」「奴を追うのに使うのさ」「…」「わからないようだから説明するよ、まずこの布。これは奴からもぎ取った服の切れ端だ」と言ってトイはゲージの上にあった布を口にくわえて、由香に見せた。「奴の匂いは覚えた。この匂いをたどって行くと」「うん」「奴はこの街が地元ではないみたいだ。匂いはいつも駅で途切れてしまう。僕は犬だから電車に乗ることがどうしてもできない。だから由香がこのゲージに僕を入れて電車に乗り、奴が下りるところまで僕を運んでほしい。君に頼むのはこれだけだよ。何も危なくないだろう?」「うん、それくらいならやれそう」「そこからは僕が追跡して奴の家を見つけ出す。そうすれば身元がわかる」「犯人を見つけてどうするの?」「警察に話して奴のことを話す。具体的な話をすれば何かしらのアクションを起こしてくれると思う。それからはまた様子見かな?今できることはこれくらいしかないと思う。」「うん。わかった、それでいつ行動する?」「今すぐにすることはない。奴がまたこの街に来るまでは。僕はこれから駅に張り込んで奴を待つ。奴が来たら僕の友達を由香のところへやって合図するからすぐに駅に向かってくれ」「友達?合図?」「友達はでかくて黒いゴールデン犬だ。そいつに吼えさせるよ。それが合図。僕は由香が駅に向かった報告を受けたら、奴を脅かして帰させる。僕と由香は駅で合流して奴を追う、OK?」「わかった。でも、1つだけいい?」「なんだい?」「このゲージ錆びているしすごく汚いじゃない?これ何とかしたいけどいい?」「ゴミ捨て場で拾ったものだからなあ」と、トイは苦笑した。「由香が用意するというなら任せる、これはここに置いておいて、最悪間に合わなければこれを使えばいい」「当てがあるから、聞いてみるね」次の日、由香は友達に使わなくなった子犬用のゲージを借りた。十数日後。由香が学校でお昼休みに弁当を食べていると、犬が吼える声が外から聞こえた。「何かさっきから犬がずっと吼えてない?ボケ犬?」と由香の友達が言うと察しの悪い由香も、ああ、あの合図かと気が付いた。由香は「調子が悪くなったから帰るね」と友達に言うと、由香は家に戻り身支度をしてすぐに駅へと向かった。駅に着いて間もなく、トイが由香の元に現れ女子トイレに隠れるように言った。トイレの個室に入るとトイは言った。「今奴は着いたぞ、多分トイレにいき、着替えると思う」「うん」「奴が乗るのは12時52分発○○行きの電車だと思う。注意しておくよ。奴に近寄らない。まじまじと見ない。車両は一つ離す。顔を覚えられたら怖い。離れていても僕の鼻で居場所はわかるから距離を取って」「わかった」「じゃあ奴が動くまで待機だ」それから5分ほどじっと待っているとトイが静かに言った。「僕をゲージにいれて。奴が動き出した。切符を買っている。僕らも行こう」由香はトイをゲージにいれた。ゲージを持ってトイレから出ると由香は不安そうに「犯人はどこ?」と言った。「もう改札を出て行ったよ、○○行でいいようだ、今のうちに切符を買っておこう」由香は切符を買い、落ち着かない様子で待合室に座った。人は10数人ほどいた。「49分になったら行こう」トイが小声で言った。時間になり由香が改札を通ってプラットフォームに出るとトイが言った。「一番奥の列の先頭にいるスーツの男が奴だ」由香はなるべく自然に犯人の顔を見た。中肉中背、身なりや顔に特徴はなくなんか普通、とてもリキシを殺した犯人ようには見えなかった。電車が来ると由香は電車に乗り込み席に座った。トイの入っているゲージは由香の足元に置かれた。動きがあったのはそれから2時間後だった。「ワン」と小さくトイが鳴いて、暇つぶしに友達とラインをしていた由香は次で降りる事がわかった。由香は男と距離を取るためゆっくりと降りた。男はすでにおらず、さっさと改札をくぐり外に出てしまっていた。「こんなに遠くから来ていたなんて思わなかった」駅から出て人気のない所でトイをゲージから出すと由香は言った。「由香、ご苦労だった。後は僕がやるから由香は帰ってくれ」「うー、せっかく来たのに…」「奴が何をしでかすかわからない以上、ここでうろつくのは止めたほうがいい」「そうだよね」「じゃあ、僕は奴を追うよ」「気をつけて」それから1か月後。由香が学校から帰宅していると不意にトイが姿を現した。「トイさん。連絡がないから心配したよ」リキシがいた空き地に移動すると由香は言った。「ようやく、うまくいった。ずっと犯人を監視していたよ」トイは何があったかを由香に説明した。あの後トイは男の追跡を続けて、男の住むアパートを突き止めた。駅から10分程のところにあった。すぐに警察に電話し次のことを話した。男が由香達の住む町で去年の夏ごろから、刃物をつかって動物たちを虐待していたこと。ニュースになった幼児通り魔の犯人であること。そして男の名前と住所を。すぐに男の家に警官が来た。男は不在だったため帰って行った。男が帰ってきた。夜にもう一度警官が来たが、男は全然身に覚えがないと白を切った。警官は何もできずに帰って行った。警察に電話すると「本人が違うと言っている以上これ以上の介入はできない」という返事だった。トイは犯人が動くのを待つ事にした。それから2週間後。「奴が血の匂いがかすかにする物を持ちだして、出かけようとするのがわかった」トイは一仕事終えさっぱりした顔をしていた。「すぐに僕は奴の後を追った。奴は駅に向かっていた。駅の前の派出所に警官がいたから、奴の手に蹴りを入れて鞄を落とさせた。そして餌を漁るふりをして鞄から刃物をだしてやった。それを警察がみて、銃刀法違反で逮捕。僕の通報もある。これで一安心だろう」「よかったあ」由香はほっとして言った。「ありがとう、由香。うまくいったのは由香のおかげだ」「たいしたことはしてないけどね」「じゃあ、お別れだ、野良に帰るぜ」「またね」といってトイは夜の路地裏の闇に消えて行った。由香は、夢見心地で家に帰った。玄関には友達から借りた子犬用のゲージがあり、やっぱり現実だったということと、今度洗って返さないと、と思った。それから2か月後。由香がこのこととダイエットのことをすっかり忘れた頃、下校中に犬が現れた。トイだった。トイは由香を人のいないところに誘導した。そこには黒いゴールデン犬がいた。トイは緊迫した声で「すぐに警官を呼んでくれ」と言った。「犯人捕まってないの?」「何があったかはわからない。奴はすぐ近くにいる。移動しているから俺は先に行って追跡しておく。由香は警官をここに呼んで友達の後をつけてきてくれ」「わかった」トイは男の追跡を始めた。トイは公園についた。男はそこにいた。帽子を深々とかぶりサングラスをしていた。公園には一人で遊ぶ幼児がいた。男は顔をゆがませて笑うとポケットから刃物を取り出し女の子に近づいて行くところだった。「馬鹿なことはやめろ!警察を呼んだぞ」トイはたまらず飛び出していって怒鳴って言った。「はあ?それがどうした」男は振り返りもせずいった。「今向かっていて、もうすぐここに来る。やめろ」「どうでもいい。どの道俺は終わりだ」男は今にも突き刺そうと迫っていた。女の子は恐怖で固まって動けなくなってしまった。トイは無我夢中で男の足に飛び掛かった。男の蹴り上げをくらってあえなく吹っ飛ばされた。「なんだ!こいつは?犬?」「なぜそんなことをする」トイは立ちあがってそう吼えた。「こいつは屑だから。こいつに生きる資格なんてないから。悪いのは全部こいつだから。邪魔だろう?生きていてもしょうがないだろう?わかるか?こいつは俺の気分しだいでいつでも殺せる。生きる価値のない俺以下の屑だ。なんで死なない?俺がこいつだったら自殺するね。生きているのが惨めだろう?だから殺して救ってやるわ」男は吐き捨てるように言った。「感謝してほしいくらいだぜ」と言って笑うと再び女の子の方に振り向いた。不意に猫の高い威嚇声と犬の低い唸り声が周りから沸き起こった。いつの間にか近所の野良ネコや野良犬が集まっていたのだった。猫や犬たちは冷たい目をしながらじりじりと男に近づいて牽制していた。「なんだ、屑どもが。俺にたてつこうというのか!」焦れた男は刃物を握りしめ「屑が、屑が」と絶叫しながら刃物を振り回し追い払おうとした。「こらー、何している」とそこへ警官が叫びながら走ってきた。錯乱する男の刃物を警棒で叩き落とし、掴みかかろうとする男の手を取り一本背負いで地面に叩きつけて寝技で拘束した。もう一人の警官がやってきて手錠をかけた。野良たちはいつの間かいなくなっていた。由香は警察のパトカーの中にいた。犯人に顔を見られては不味いという判断で隠れているように言われたのだった。もう一台パトカーが来ると銃刀法違反、殺人未遂、及び公務執行妨害の罪で現行犯逮捕された男はそのパトカーに乗せられて警察に連れてかれて行った。手錠をかけた警官が由香に「あなたの通報で、事件を未然に防ぐことができました。ご協力に感謝します」と言った。由香は警官に家まで送りますと言われたが、パトカーに乗るのが恥ずかしかったので断って歩いて家に帰った。後日、由香が友達の知子と街でブラブラしていると、犬が喫茶店から箒で追い出される所に出くわした。トイだった。あの後由香はトイと会ってなかったので無事な姿を見てほっとした。知子は「また追いだされたの?懲りない子だねー」と言って呆れた。トイはこちらを見てにやりと笑うと、走り去っていった。

由香とトイ

由香とトイ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-15

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