その男の正体は

 五月なのに真夏日が続く頃、男が入社した。新入りは如何にも凡庸で軽薄そうに見える。上背はなく、ロン毛が唯一の特徴だろう。仕事は輸入品の保管を請け負っている倉庫業。大して能力はいらない。奴は挨拶一つしないので俺は試してやった。
「お早うございます」
 キョトンとしてわずかに顔を動かした。礼儀になっていない。最小限のマナーすら心得ていないのか。二週間ほどしてその男のことを聞いた。彼の細君は三人の子供を残して、トラックの運転手と駆け落ちしたというのだ。
「ひでえ女房もいるもんだね」俺は呆れた。
「そんな女は、ひとでなしだ」同僚は他人事ながら憤った。
 男がM商事に入ったのは逃げた細君の兄の紹介で、気の毒に思ったのだろう。彼は慣れてくると自分からも打ち明けた。
「三人とも女の子でね」
「男親一人じゃ大変だろう」
「親父が面倒を見てくれているよ」
「感心なお父さんだな」
「ありがたいね」
「がんばれよ」
「子供たちのためだ」
「そのうち運が向いてくるさ」
 同僚達はいたわった。だが男は妙にのんびりして悲劇味がない。苦労している様子も見受けられない。あまり頭や神経を使う性格ではなさそうだ。そのうち、会社をあっさりと辞めてしまった。一ヵ月半しか経っていない。いなくなってから情報が入ってきた。彼に新たに女ができた。そのために家に金を入れず、あげくは別のところで同棲を始めた。さらに前の細君との経緯も聞いた。何と酒とギャンブルにのめり込み、愛想を尽かされたというのが真相のようだ。他の男に救いを見出したくなるのも無理はない。
「俺らは人がよすぎたな」
 女房を悪者に見立て、男を犠牲者に仕立てていたわけだ。救われないのは父母に見捨てられた姉妹と老いた祖父である。今の時代はこういう忌まわしい馬鹿男を生産しつつある。

その男の正体は

その男の正体は

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted