眼鏡は用法に気をつけて
オリジナル小説「眼鏡は用法に気をつけて」
第1章 どうせロクなもんじゃないんだろ
「おーい、慎!ちょいと来てくれい!」
もうじき80歳の老体のくせに、まるで少年のように生き生きとした祖父の声が、朝っぱらから家中に響き渡った。
「あいよー、今行くー」
このやり取りも、もはや日常茶飯事。今日も今日とで、またおかしなものを作り上げてしまったのだろう。
俺の祖父、河野賢治は、俗に言う「天才科学者」だ。若い頃から多くの実績を残し、業界では彼の名前を知らない者などいないらしい。孫の俺から見れば、頭のネジが緩みまくってるただのジジイなんだが。
そんな祖父の趣味は発明とのこと。発明は発明でも、趣味で作るものは世に発表する気など一切なく、家族の間だけで共有するヒミツの便利道具のようなものが作りたいらしい。
しかし、その趣味で作られた道具がロクなもんじゃない。
ちょっと前に祖父が作ったのは「殺虫剤拡散エアコン」だった。エアコンに殺虫剤が内蔵されており、空気とともに殺虫成分を室内で循環させることで、隠れている害虫もイチコロなのだと自慢げに語っていたのだが、そのおかげで危うく家で飼っている金魚が全滅しそうになった。
更にその前に作っていた「本棚整理マシーン」はもっと酷いものだった。本棚に並べられている本の内容を解析し、ジャンル別に整理して並べ直すという機械だったのだが、そのせいで俺が漫画本の間に隠していた、いかがわしい本やDVDが発掘され、家族会議にまで発達してしまった。
そして祖父はいつも俺に一番に発明品を見せたがる。カッコイイところを孫に見せたいのだろうが、そのせいで俺がいつも最初の犠牲者になってしまう。正直迷惑だ。
今回の発明も、きっと何かしら騒ぎを起こすに違いない。俺は重い腰を上げて、この世の終わりのようなテンションになりながら、家の玄関で待つ祖父のもとへ向かった。
祖父の研究所は家に隣接している。普通ならあり得ないことだが、祖父はそれを実現させてしまうほどに凄い権力と実績を持った研究者であるようだ。
「遅い!さあ、早く行くぞ!」
俺とは真逆のテンションの祖父に連れられ研究所に入ると、そこには小さなテーブルの上に置かれた箱があった。
「じーさん、今回の発明品ってコレかよ?」
これまでは大きい発明品がほとんどであったため、予想外な展開に少し戸惑ってしまった。
「そうだ。今回のはすごいぞ!ワシが生み出した発明品の中で最高傑作じゃ!」
何かを発明するたびに、これと同じようなセリフを聞いているから、今回もまったく期待などしていないが、とりあえず「へぇー」とだけリアクションしておく。
「さあ、早く見てみるのじゃ!」
自信満々の祖父に促され、俺はため息をつきながら小さな箱を開けた。
「こ…これは…」
箱の中身を目にし、驚きを隠せない俺の表情を見て、祖父はドヤ顔で紹介を始めた。
「うむ。これがワシの最高傑作、その名も…」
「ただの眼鏡じゃねえかああああああああああああああああああああ」
そう。何の変哲もない眼鏡だった。
「まあまあ、落ち着くのじゃ、慎よ」
どう見てもただの眼鏡である発明品を手にして、地面に叩きつけて割ろうとする俺を、祖父は制止した。自分の最高傑作が破壊されようとしているのに、ドヤ顔のまま表情が変わらないのが腹立つ。
「じゃあ何なんだよ、この発明品は!どう見ても普通の眼鏡だろ!」
なんだかんだで、俺は新たな発明品に期待していたかもしれない。解せぬ。
「説明するよりも、実際に使ってみたほうが早い。ほれ、掛けてみな」
俺の怒りを知ってか知らずか、祖父はふんぞり返りながら促す。
「はぁ?」
まさか俺の視力を上げるために眼鏡を発明したとでもいうのだろうか?もしかすると、どんな目が悪い人でもよく見えるようになる眼鏡ってことなのかもしれない。でも俺は視力2.0。使ってみたところで何の効果も現れないはず。
「…掛けたぞ。これでいいのか?」
言われるがままに発明品の眼鏡をかけてみたが、特に視界に変化はない。いつも通りくっきり見えるし、今まで以上に見えるといったこともない。これじゃあダテ眼鏡ってやつじゃないか。
「何も起こらねえんだけど…」
「それはどうかな?」
祖父は不敵な笑みを浮かべる。嫌な予感しかしない。何を考えているのだ、このジジイは。
「ところで慎、今日は月曜日じゃな。学校はどうした?」
「…………あっ!」
そうだ、今日は平日じゃねえか!朝から変な発明品に付き合わされていたおかげ、時間を忘れてしまっていた。このジジイめ、遅刻したら一生恨んでやる。
「やべえ!!くそっ、朝から余計なことしやがって…行ってくる!!」
大急ぎで家に戻り、登校の支度をして家から飛び出した。発明品の眼鏡を掛けたままだったが、それを外して祖父に返す時間も惜しいので、このまま学校に行くことにした。学校で友達に何か聞かれたら、ファッションだとでも言っておこう。実際のところ、どこにでもありそうなダテ眼鏡なんだし。
「気をつけて行ってこいよ~」
背後から聞こえる声に返事もせず、俺は全速力で学校へ向かった。
「ちくしょう!遅刻しちまうっ!」
腕時計に目をやると、時刻は8時25分だった。
俺の通う学校では、8時30分までに教室にいなければ遅刻扱いされてしまう。つまりタイムリミットは5分だ。しかし、自宅から学校まで、そこまで近いというわけではない。普段は徒歩で20分ほどかけて登校しているのだが、それだと確実に間に合わない。走ったとしても10分はかかる。自転車を使えばギリギリ間に合ったかもしれないが、朝からドタバタしていたせいで、いつも通り自転車に乗らずに家を出てしまった。それに、今から家に戻って自転車を引っ張り出したところで、やはり遅刻してしまうだろう。
「うおおおおお間に合えええええええ!!!!」
物理的に考えて、絶対に遅刻するということは分かっているが、開き直って歩いて登校するほどの心の余裕はなかった。
無我夢中で通学路を駆け抜け、ようやく校門が見えてきた。
「ま…間に合ったのか…?」
俺の学校では、8時30分になると校門が閉じられるのだが、今はまだ開いている。それどころか、俺以外にも登校中の生徒がぞろぞろといるではないか。
「い、いったい何が…」
状況を理解できず、ふと腕時計に目をやると、信じられない時刻が示されていた。
「8時…27分だと…?」
なんと、俺が家を出てから、まだ2分しか経過していなかった。どう考えても普通ではあり得ない。
そこで、朝に祖父から渡された発明品のことを思い出した。
「まさか、コレのせいなのか?」
今日何か特別なことがあったとすれば、この眼鏡のことしか考えられない。
どう見ても普通の眼鏡。しかし、実はとんでもない何かが隠されているのだということを、今ようやく理解することができた。
「あのジジイ、またおかしなモノを作りやがって…帰ったらじっくり話を聞かせてもらうからな」
数分前に見た、あの腹立たしいドヤ顔を思い出しながらボソッとつぶやき、俺は何事もなかったかのように校門を通過した。
結局今日一日、学校であったことは何一つ覚えていない。登校中に起きた不可思議な現象のことで頭がいっぱいになり、授業中も休み時間も、ずっと家に帰りたくて仕方がなかった。
「あのジジイ…いったい何を作ったんだよ」
一刻も早く、祖父に発明品のことについて問い詰めたかったのだ。
ようやく一日の全ての授業が終了。ホームルームの先生のどうでもいい話を適当に聞き流して、足早に教室を出た。
校門を出て、家までの道を駆け抜ける。帰り道ではもう例の眼鏡は掛けていない。朝の一件があった後、このまま掛けていれば、再び何か変なことが起きてしまうだろうと直感して、学校に入る前にポケットにしまいこんだのだ。
家まで道のりは、やけに長く感じた。「早く帰りたい」という心理的要因があったことも否定はできないが、それよりも、登校にかかった時間は2分だったにも関わらず、下校には10分かかったのだ。それによる物理的な要因のほうが強かったのだと思う。
登校時と下校時で、違いがあるとしたら眼鏡の有無だけ。別に時計が突然狂ったわけでもなければ、帰り道だけ少し歩いたということもない。やはり、あの眼鏡には何かあるのだ。
学校を出てから家に着くまでずっと走っていたことによって乱れた呼吸をととのえながら、玄関の扉を開ける。
「じーさーん!じーさんいねえのかー?」
家中に響き渡るほどの声を張り上げて祖父を呼んだが、反応がない。どうやら誰もいないようだ。となれば、考えられることはもうあと一つしかない。
「どうやら、あっちにいるみてえだな…」
玄関にカバンを放り投げ、舌打ちしながら俺は家の隣の研究所へ向かった。
「じーさんいるかー?」
「おー、慎か。おかえりおかえり」
予想通り、祖父は研究所にいた。”科学者といえばコレ!”なアイテム第一位におそらく君臨しているであろう白衣は身にまとっておらず、パジャマ姿で何やら小さなものを組み立てているようだが、何を組み立てているのかは背中で隠れて見えない。
「今朝の眼鏡のことなんだけどさぁ…」
祖父に歩み寄りながら、苛立ちを隠しきれていない声で話の本題を切り出す。
「学校には間に合ったじゃろ?」
「!!」
振り向いたその顔は、まるで「計算通り!」とでも言わんばかりのドヤ顔だった。
「ただの眼鏡だとでも思ったかえ~?でも、実はただの眼鏡ではないのじゃよ」
まだ質問をしてもいないのに、俺が聞きたかったことを初めから知っていたかのように、祖父は話し始めた。質問の手間が省けたのはいいが、人を小馬鹿にするような口調が癪にさわる。
「ワシの発明品の眼鏡を掛けて走ったら、あっという間に学校に着いてしまった。そうじゃろ?」
「う…うん」
わざわざ確認をとらなくていいから、あの眼鏡が何なのかをさっさと説明してほしい。
「ふむ。大成功じゃ」
俺の返事を聞いて、祖父は嬉しそうに頷く。
「その眼鏡はな、使用者の行動速度を飛躍的に高める効果があるのじゃよ」
「行動…速度?」
「そう。簡単に言うと、素早く動けるようになるということじゃ。今朝、慎があっという間に学校に着いたのは、眼鏡によって足が早くなったからなのじゃ」
何を馬鹿なことを…と言おうとしたが、思い返してみたら、確かにそうかもしれない。そうでなければ、走っても普段なら10分かかる道のりを、2分で駆け抜けられるはずがない。仮に短距離走や持久走の練習を重ねたところで、タイムを5分の1にまで短縮することなど不可能だ。
「す、すげえな…」
俺はようやく、今回の祖父の発明品が何なのかを理解することができた。
祖父は持ち前の高度な技術から、今までに様々な便利道具を生み出しては家族に自慢していたが、そのほとんどは観点がズレていたり、用途に困るようなものばかりで、ロクな発明品などなかった。しかし、今回の発明品だけは純粋にすごいと思った。
関心する俺を見て満足そうな祖父は、キメ顔で話を続ける。
「使用者を素早く動けるようにする特殊な眼鏡、その名も…」
「その名も…?」
緊張が走る。俺はごくりと唾を飲んだ。
「”素早い眼鏡”じゃ」
「眼鏡が素早く動くみてえなネーミングになってんじゃねえかよ!!」
まるでコントのように、ズコォォォォォっとコケてしまった。
とんでもない技術を持っているくせに、ときどき日本語がおかしいから残念である。まあ、もともと残念なジジイではあるが。
「おっと失礼。そうじゃな、ならばこう名付けよう!」
ポンッと手を打ち、祖父は言った。
「”瞬足の眼鏡”じゃ!」
「お、おう…」
ま、まあさっきよりはマシかな。名前から効果も想像できるし。そこまでかっこいい名前ではなかったけど、もうこれ以上突っ込む気力はなかった。
眼鏡は用法に気をつけて