WHICH

吾塚

静かな喧騒が満ちていた。

貪欲に無気力を求める身体が、脳味噌を溶かして(ねむ)りへ(いざな)う。邪魔するもののない、時間。目蓋を閉じて、身を任せる――。



「馬鹿野郎。身ぃ任せてどーすんだ。自分で試験落ちたら単位落とすっつってたろ」


友人の伊刈が後ろから俺を小突く。


「いや…だって…眠くて…」



自分でも、やってしまったと思っている。思っているけれど、生まれてこの方、睡眠欲というものに勝てた記憶がない。


大学入試でさえそれで三校ダメにした。まして大学の期末試験だなんて、寝なかったら赤飯ものだ。


来年がんばろう。前向きな気持ちだけは既に固まっていた。



「来年がんばるよ、うん」



男として恵まれなかった身体を利用し、可愛げな上目遣いを繰り出す。見つめ返す、片や百九十二センチの伊刈。


ダメ押しでもう一度、「うんっ」と言って笑いかけた。俺は、知っている。

「…まあ、がんばれよ」

ふいと目を逸らし、俺を追い越した背中。伊刈は俺が可愛くて仕方がないのだ。


友情なんて生温くはない、最低でも、少なくとも、友愛だと思う。

そんな伊刈を知っていて、こんな風にわざとらしく可愛げを演出しているんだけれど、伊刈は演出と知っていてなお敵わない。

顔の一つや二つ、紅くなっていてもおかしくない。

困ったもんだ、馬鹿はお前だ。



すると不意に、伊刈の背中の向う、見慣れた女子大生が見えた。


「あ、結賀じゃん」

 
先に気づいたのは伊刈、声をかけたのは俺。結賀は伊刈の彼女。


「おはよーっ二人とも教職だっけ?お疲れー」

ゆるく束ねた黒髪をほどきながら、伊刈の隣に並ぶ結賀。


俺と全く同じその目線は、女子にしてはちょっと高い。地味だけれども、笑ったエクボが嫌味なく可愛い。



「結賀はメディア論だっけか、お疲れ」


「ほんと疲れたー。なんかめっちゃ論述多かったんだけどー」



わかりやすくがっくりと肩を落としてるもんだから、横に並んでその肩を叩く。二、三度叩くだけで、凝り固まっているのがよくわかる。

「お疲れお疲れ」

「ありがと、あ、伊刈たちも学食?一緒しようよ」


そもそも、入学してすぐ仲良くなったのは伊刈ではなく結賀だった。伊刈は基本無口でおまけに背が高く、近寄りがたい同じ学科の同級生という感じ。

しかし、互いに教職課程を取っていたこともあってクラスが被り、気づいたらいつも一緒だった。

そこから俺を通して結賀と伊刈の接点が増え、二人が付き合い始めたのが夏休み後。三人で昼食をとることも珍しくない。


だから、ごくごく自然な流れ。


「行こう行こう!俺、カツ煮込みうどん食べる」


伊刈は小さく頷くだけ。たぶん、告白されたときもこうしてただ頷いたんじゃないかと思う。それほど無口なのだ。

一年一緒にいて、何を考えているのか好き嫌いは何かとか、未だにわからないことの方が多い。


学食で席に着くと、例によって伊刈は鞄から「抹茶入り玄米茶」を取り出して、机の上に鎮座させた。

それを見て結賀は俺と同じことを思ったのか、吹き出しながら言った。


「伊刈それ好きだねー、他の飲まないの?」


わかりにくい伊刈の、数少ないわかりやすいことの一つが、この「抹茶入り玄米茶」。これに関しては、好きすぎて家に常に二ダースのストックがある。

俺もたまにもらうけど、あまり好きじゃない。そもそも、「抹茶入り玄米茶」という発想がオカシイ。抹茶は抹茶、玄米茶は玄米茶だ。それだけだ。玄米茶に抹茶のテイストを入れてどうする。

邪道だ、両方味わえてお得なんてのはかなり調子乗り過ぎている。その味にやみつきになっている伊刈はどうかしている。
俺に言わせれば、そんなものが美味いなんて舌が麻痺してる。

とはいえ、伊刈がくれるのを断ったりはしない。
 
けれども、はっきりさせろよ、と思う。


「他の飲まなきゃ駄目かよ」


今日は特別不機嫌そうに、その琥珀色に光るペットボトルをジョッキのようにあおる。

反して結賀は愉しげに朗らかな笑い声を立てた。


「はははっ別にダメなんて言ってないじゃん、ね?」


「うん、それが伊刈だし、つか、そっちが本体じゃん?」


だよねーと結賀と二人、目配せする。結賀とは気が合う。似ている。俺が髪を伸ばせば区別出来なくなるほどに、見た目も、雰囲気も似ている。

三人でいると、伊刈は大分異質な感じなのだ。その異質な伊刈が、脅威のスピードでいつも通り食べ終える。

まだ半分以上残っている俺たちは慣れたもので、声を揃えて謝った。


「ごめんなー遅くて」


「ごめんねー」


そして上目遣い。結賀も伊刈の弱点を知っている。当たり前だけど。


「別に。俺、先行ってっから」


どちらとも目を合わせられずにそう言うと、席を立つ。

普段なら終わるまで待っててくれるんだけど、試験中だし、なんだか機嫌も良くないし、待つ気はないようだ。ちょっとつまらない。


「ゆーちゃんさあ、」


伊刈の背中が見えなくなったところで、結賀がこれまでと少し違う、気怠い調子で話しかけてきた。

俺は目を合わせて応える。


「今日、七時にあたしん家ね。今度はゴム、忘れないこと」


「わかってるって」


結賀のことは好きじゃない。いいや、嫌いになる一方だった。

 「本当はゆーちゃんが好きだった」と言われたのが十月。その場で断った俺を押し倒して、縺れ込んで、関係を持ったのも、もちろん十月。

それから三ヶ月、一方的な一途な求愛を俺は何となく受け容れ、睡魔のように病的にそろそろと息を潜めて息づいた惰性は、終わりも見えずに蔓延っている。


伊刈は知っている。知っていて結賀と付き合っている。
彼女を奪った間男に何の制裁も与えずに。

今までと変わらず隣にいて、俺を可愛がっている。



そばをすする結賀のふっくらした赤い唇を見つめながら思う。

俺は今日も結賀の家に行く。そしてセックスをする。明日の朝には、なんでもない顔で伊刈に「おはよう」と笑いかけるだろう。

そして、伊刈の寂しそうな背中に思うんだ。



 なあ、俺とセックスしよう。




(終)

WHICH

2013年05月01日 他サイトにて公開。

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大学生三人の日常の一コマ、どうしようもない関係。 「抹茶入り玄米茶」をキーワードに戯れ書きました。 小中学生には好ましくない表現があるかもしれません。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-11

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