酒と宇宙と男と女
宇宙は広大である…。
1
その女が俺の経営するバーにやって来たのは、深夜0時を少し過ぎた頃だった。
「この店のおすすめは何かしら?」
一見、俺と同じ地球人の様に見えた女だが、顔をよく見ると眼がかなり離れて付いている。どこかの星の人間らしい。この「惑星ニイガタ」には俺みたいな地球人以外にも、いろんな星の人間がやって来る。数年前に宇宙鉄道の駅が出来たからだ。
「この店のおすすめは、俺の弟が作った『ライス・アルコール』を使ったカクテルさ」
「じゃあ、そのカクテルを頂くわ」
俺は、弟が作った「ライス・アルコール」の「アンドロメダ錦」とイチゴヘビの卵をシェーカーに入れてシェイクする。イチゴヘビはこの星によくいる食用の爬虫類である。
「あなたの弟さんは、この星に住んでいるの?」女が尋ねる。
「俺と弟は、子供の頃地球からこの星に一家で逃げて来たのさ」
「地球から?」
「ああ、俺が子供の頃地球で大きな戦争があってね。この星は地球に似ているから疎開して来たんだが、知り合いもいないし、ずいぶん他の星のヤツらにいじめられてね」子供の頃のつらい思い出が頭の中に湧き上がってくる。
「苦労したのね」他人事の様に女が呟く。
「でも両親が地球でやってた『ライス・アルコール』造りの商売をこの星でも始めようと、俺達兄弟も手伝って田んぼ作りから始めてライスを育て、ついにこの星で『ライス・アルコール』造りに成功した」あの時は嬉しかった。一家で手を取り合って喜んだものだ。
「両親は真面目に『ライス・アルコール』造りをやっていたが、いかんせん地球以外の人間には馴染みが無い飲み物なんで、貧乏のまま二人とも五年程前に死んでしまった。だから、俺と弟は『ライス・アルコール』をいろんな人に知ってもらう為にこのバーを開店したのさ」
俺はシェーカーからカクテルをグラスに注ぎ、女の前に差し出した。
2
「兄貴、店番代わろうか?」
女がストローでカクテルを飲み始めた時、弟が店に入ってきた。俺は弟が手に持っていた「アンドロメダ錦」のビンに眼を向けた。その時、
「ゴホッ、ゲホッ、ゲボゴボ」という声がして俺と弟が振り向くと女がカクテルを吐き出していた。
「なに、コレ?ひどい味ね!こんなモノを地球人は飲んでいるの!!」女の服が汚れてしまった。弟が、
「お客様、申し訳ありません」と謝りながら洗面所へ連れて行った。俺はカクテルグラスを片付けテーブルを拭いた。やっぱり「ライス・アルコール」の味は地球人以外には受け入れられないのだろうか。それとも、イチゴヘビの卵が合わなかったのだろうか。それにしても、あの女カクテルをストローで飲んでいたが、俺はストローなんて提供したっけ…?
ガチャ、と洗面所のドアが開く音がして女が店内に戻ってきた。が、弟は戻ってこない。
「弟はどうしました?」
「弟さんはトイレを掃除してくれているわ」
「そうでしたか…、ところで、お口直しに甘いジュースでもいかがですか?」
「…ジュースは結構、それよりうすい砂糖水を頂戴」変なモノを欲しがる女だ。やはり地球人の常識は通用しない。
「…砂糖水ですか?」「ええ、ジュースは甘すぎるから」
俺はこの女のことがだんだん気になり始めていた。
「…お客さんは、何処の星の方ですか?この星でも、地球でもなさそうですが」
「私は『惑星ポンポニア』からやって来た『シケイダ』」
3
俺が女のテーブルまで砂糖水を運んでいくと、女はそれをストローでひとくちすすり、椅子から立ち上がりいきなり俺に抱きついてきた。
「どっ、どうしたんですかお客さん」
「貴方の思い出話、すごく面白かったわ。私、もっと貴方の事が知りたくなっちゃったの」
「そ、それは嬉しいですね。じゃあ、場所をかえて食事でも…」
「ううん、今すぐココで知りたいの。だから、いいでしょう…?」女の顔が俺の眼前に近づいてきた。俺はちらっ、と弟の事を考えた。弟にこの状況を見られるのは気まずい。しかし、欲望がそれを跳ね返してしまった。もう、ブレーキは利かない!
「お客さん…」俺は女に顔を近づけていく。女の、俺を掴む腕に力が入る。女とは思えない程のパワーで俺の身体を固定する。俺と女の唇が接触しようとした、まさにその時、女の口から一本のストローが伸びてきて俺の鼻の穴に突き刺さった。それは、ストロー状の舌だった。ストローはどんどん俺の鼻の奥まで侵入し、あっという間に脳まで達した。そして、ものすごい勢いで俺の脳味噌をすすり始めた。脳の頭頂葉の体性感覚野を最初に吸われて俺の身体は麻痺して動けない。それから女はゆっくりと俺の古い記憶と共に大脳皮質を吸い込んでゆく。子供の頃に地球で戦争があった事、両親と弟とこの星に満員の宇宙船でやって来た時の事、「ライス・アルコール」を造る為にこの星で田植えをした事…、どうして俺は気付かなかったのだろう…?この女にカクテルを出した時にストローなんて渡さなかった筈なのに…。
父親と母親が働き過ぎて相次いで病気で死んだ時の記憶も吸い込まれてゆき…、ああ…。
「ゲホッ、ゴホッ」女が突然咳込み始めた。「ライス・アルコール」の「アンドロメダ錦」はそんなにお口に合いませんでしたか…?
「ゲホッ、ゲボゴボ」女は一旦飲み込んだ俺の脳と共に胃の内容物を吐き出し始めた。その攪拌された胃の内容物がストローの先端から俺の頭の中に戻ってきた時、眼の前に俺の記憶が映像となって蘇ってきた。母親がイチゴヘビに飲み込まれ田植えしながら卵を産んだ時の事、父親が弟にいじめられアンドロメダ錦と戦争になった時の事、そして、眼の前の女にストロー状の舌を耳の穴に突っ込まれて脳味噌を吸い込まれてゆく弟の記憶までが…。(終)
酒と宇宙と男と女
cicada=セミ、pomponia=セミの学名です。