宇宙一の格闘王

最強を自負する格闘家が、地球を代表するべく奮闘するアクションギャグです

フギャー!

 雄々しく猛々しい鳴き声とともに猫同士の激しい戦いが始まる。大柄な黒猫対中型で精悍なトラ猫、双方傷だらけだ。戦いは一瞬で決着がついた、勝ったのはトラ猫。その毛並みはゴワゴワして目つきは鋭い。飼い猫とは一線を画した獰猛なプレデターの姿がここにある。一部始終を見ていた大柄な男が相好を崩して近づく。
「さすがは俺のみーちゃんだ。強い強い。よし、メシの時間だ。たくさん食ってもっと強くなれ」
 その男はしゃがんで、ササミとプロテインのミルク割りを置いた。みーちゃんは無言で近づき、当たり前のようにがつがつ食べ始める。
「最強の俺に相応しい最強猫だよな、みーちゃんはよ。俺もこれから強敵と戦うんだ。お前に負けないように俺も勝つから待ってな」
 地域最強猫のみーちゃんとの触れ合い、その男が唯一心を開き癒されるのは路地裏での、このひと時だけなのだった。
 ワンワンワン! コケー!
 そこに野良犬の群れが殺到してきた、その後ろには白くて大きい鶏がいる。鶏一羽に追いまくられる野良犬達は、今度はみーちゃんを見て恐慌状態となって四散した。にわかにみーちゃんと鶏が対峙する。
「おいおい、鶏に追い立てられる犬ってなんだよ。お前ら本当、チキン野郎だよな。おお今度はチキングのお出ましか。さすがは鶏の王、チキングだ。弱虫の代名詞のチキンなのにお前も強いよな。お前ら俺の勝利を祈っていてくれよ」
 ぶーん
 さらにオオスズメバチが飛来した。大顎をかちかちと鳴らすオオスズメバチの威嚇に、さすがの猛者達も退散する。家のトタン壁が腐食していて穴があいて、そこにハチの巣ができているのだ。オオスズメバチは当たり前のように、巣に近づく相手に対して攻撃してくる「うわ、ペンキと殺虫剤が必要だ。ラッカー塗料スプレーとスズメバチジェット買って来なきゃいけないな」

 総合格闘家のカズマは戦いに飢えていた。学生時代に、見よう見まねでやっただけのレスリングと柔道とボクシングで金メダルを獲得、総合格闘技に転向するやシュートとパンクラスの絶対王者になり、アメリカに渡ってアルティメットに出場するやヘビー級チャンピオンにまで登りつめてしまった。ブラジリアン柔術の黒帯も、コマンドサンボの達人も、シュートボクセのストライカーも、ことごとくがカズマに一蹴されてしまったのだ。その雄姿に日本中が熱狂する中、一人彼は退屈していた。全力で戦いたい、死力を尽くした本当の戦いを味わいたい、そして彼は知った。日本に恐るべき地下格闘技があることを。そしてそこには絶対王者がいることを。カズマは今までに獲得したベルトを賭けて戦いに挑んだ。表と裏の統一王者決定戦だ。
 薄暗く埃っぽい地下格闘技場にカズマは降り立った。ガウンを脱ぐとグランドキャニオンのように凹凸の激しい筋肉の山脈が現れた。軽くステップを踏み、両拳を振り回す。著しく隆起した筋肉が荒れ狂う波濤の如く躍動する。
――ミオスタチン関連筋肉肥大。筋肉の成長を止めるミオスタチンを遺伝的に生成できないことによって筋肉量が二倍になり、筋肉細胞がミオスタチンを受容しないことでさらに一.五倍の筋肉量となる。まさに生まれついての超人だ。
 地下格闘技チャンピオンの小次郎がリングインする。百八十五センチメートル、百十キログラム、筋肉増強剤ステロイド多用による異様に発達した筋肉を持っているが、副作用によって顔が膨れたムーンフェイスと、胸部の吹き出物が痛々しい。一般人相手だったら体格だけで圧倒できたであろう。しかし並んで立つとカズマの大きさが際立つ。大きいはずの小次郎が小柄な子供にしか見えないのだった。なにしろカズマの身長は二百二十センチメートルもあるのだから。
――下垂体性巨人症。成長ホルモンが過剰に分泌されることで異常な高身長となる。カズマの顎は大きく張り出し、手も足も規格外に大きい。そしてそれらを覆う濃い体毛。獰猛な眼光はこれから始まる戦いへの期待に満ちていた。カズマは常に沸き起こる暴力衝動と性衝動を抑えるために格闘技をしているのだった。
――スーパー男性。Y遺伝子を複数持つことによって男性的特質を強くもつ。攻撃性が高くアメリカでは凶悪犯罪者に多いとされている。
 カズマの強さは体格によるものだけではなかった。ミラーニューロンが発達した彼は一度見た技を瞬時に習得できるのだ。子供のころに観たK-1と極真空手のビデオで打撃をマスターして格闘技に興味を持ち、どのジャンルの格闘技も簡単に身につけてきた。今や世界中の強豪を撃破しつつその技を吸収してきた彼を止められるものはいないと、あらゆる専門家が指摘しているのだ。
 そのカズマを前にした地下格闘技王者小次郎は両手を横に広げ、両掌を大きく開いて笑顔で歩み寄る。そして右手を差し出して握手を求めた。妙にけばだった黒いオープンフィンガーグローブがカズマに近づいてくる。
 カズマは何の気なしに握手に応えようと、右手を開いてそっと差し出す。その手が触れる瞬間、小次郎はカズマの小指をぎゅっと握って捩じり上げ、反射的に伸びたカズマの右肘を左掌で突き上げ、棒立ちになってガラ空きの股間を右背足(足の甲)で蹴り上げ、反射的に前かがみになった顔面に、脱力した指を揃えて目を狙って横にはたく少林寺拳法の目打ちを叩き込んで視力を奪い、掌に空気を溜めるようにして頭を挟むように叩く鼓膜破りで聴力を奪い、そのまま首相撲で頭部を押さえて膝蹴りで鼻に一撃を加え、延髄に体重を載せた肘鉄をぶち込み、頭部を腹に押し当ててつつ右前腕を首に巻き付けて反り返りつつ左手でカズマの口を塞ぐ。気道と動脈を圧迫しつつ頸椎をへし折る小次郎の必殺技「ネックブラスター」完成だ。
「悪いが首を折らせてもらう。お前の事は調べさせてもらった。相手に合わせた戦いをするのが癖だってな。ここは甘ちゃんが勝てる場所じゃないぜ。弱肉強食の世界を満喫しろ!」
 自信溢れる言葉とは裏腹、小次郎は恐怖を感じていた。初手の指取り、折るつもりで捩じったが折れなかった。伸びた肘への二打目、折れるタイミングで打ったのに折れなかった。金的蹴り、睾丸を潰すつもりだったが蹴った足の方が痛かった。目打ちは僅かにそれて眼球への直接ダメージはなかった。鼓膜は破れた音かしなかったし鼻骨も折れた感触はなかった。延髄への打撃からのネックブラスター、本来ならとっくに気絶して頸椎が折れるはずなのに、なんだこの抵抗は。小次郎が焦り始めた瞬間、その両足が凄まじい力で握られた。カズマのグローブのような巨大な手が、みしみしと音を立てて小次郎の両足を捕縛している。
「勉強になったよ。勝つためにはここまでやらなきゃいけないんだね。僕も必殺技で応えるからしっかり受け身とってよ。じゃなきゃ死んじゃうから」
 みしみし……
 万力のような握力で両足首を握りしめるカズマ、その大蛇のような指が脛のツボの三陰交に食い込み、小次郎は激痛で反射的に体を弓なりに反らして後ろに倒れこんでしまう。カズマは足を掴んだまま小次郎を勢いよく持ち上げる。小次郎の体は大きく弧を描き、カズマのを背中側に逆さ吊りになった。規格外のパワーがあって初めて可能な芸当だ。このまま地面に叩きつければ必殺技「ヴォーパルフォール」が完成する。カズマだけにしか使えない力任せの大技だ。もはや勝負はあったかと思われた時、不意にカズマはバランスを崩して膝をついた。立とうとするが足がもつれて立てない、のみならず白目をむいて涎を垂らし始めた。その顔面に小次郎の拳が炸裂する。小次郎はほっとした、どうやら保険が効いてきたようだ。最強のドラッグ「5MEO-DMT」を染み込ませて細かい刺を仕込んだオープンフィンガーグローブによる打撃と接触、麻薬常習者であり高い耐性をもつ小次郎にしかできない暗黒の必殺技「ドラッグ拳」が炸裂だ。
 生まれついての強い肉体とかセンスとか、そんなものに頼っていて勝てるほど世間は甘くないぜ。小次郎はピクピクと痙攣しているカズマを見下ろして哄笑するのだった。
 胡散臭い観客達が大歓声をあげ、札束が宙に舞う。小次郎に勝てる奴なんかいねー! と、誰もが確信した。 試合が終わって着替える小次郎、刃物を通さないステンレスメッシュシャツを着込みさらに防刃ベストを重ね着し、仕上は護身道具を多数携行できるタクティカルベストだ。足元は工業用の安全靴を履き、背負うビッグリュックサックには、複数の特殊警棒など多数の護身道具が入っている。さらに防刃手袋にタクティカルヘルメットを装着。常在戦場といえば聞こえがいいが、彼は負けることを非常に恐れている、すなわち臆病なのだった。ここまでやっているのに負けるなんて我慢できない、その思いで法に触れるかどうかぎりぎりの武装をしているのだった。
 小次郎というリングネームは、最強の剣豪佐々木小次郎からとったものだ。巌流島で宮本武蔵を待つも結局武蔵は現れず、結果的に最強の称号を得た佐々木小次郎の子孫なのだと、彼の親父は常々語っていたものだ。彼自身もそう思う、最強遺伝子は俺が継承しているのだと思いこもうとしているわけだ。
 ファイトマネーを無造作に懐に押し込み、小次郎はホームセンターに立ち寄った。ここで「ネコ缶」を買って帰るのが習慣なのだ。買い物を済ませて店を出ると、店の窓に自分の姿が映っているのが見えた。まさに百戦錬磨の猛者、万夫不当の勇者といった佇まいに自ら見惚れる。
――俺は最強の格闘家だろうな。人類最強……いや、人類史上最強だろうな、呂布に岳飛に項羽、加藤清正に本多忠勝に柴田勝家、アレキサンダーやヘラクレスだって俺には敵わないだろうな。いや、地上最強、いや、地球最強だろうな、いや、きっと宇宙最強だ!
 いつもの自己暗示、こうやって自信を保っているのだ。すると、不意に謎の声が聞こえた。
『そうか、お前が最強か? 地球を代表するほどにか?』
 テンションが上がっていた小次郎は、反射的に答えてしまう。
「そうだ! 俺こそが最強だ」
『ならば来い。お前も地球代表戦士決定戦への参加資格を得た』
小次郎は唐突にまばゆい光に包まれて意識を失った。

 目を覚ますと周囲から獣の鳴き声が聞こえてきた。見渡せばゾウやらサイやらライオンやら、いかにも獰猛そうな猛獣たちが犇めいている。周囲は海に囲まれていて、そこにはクジラやセイウチの姿が見えた。島の中央には直径十メートルほどの光り輝く球体があるので、皆なんとなく注目しているのだった。
 小次郎が狼狽していると、球体の上方に光に包まれた巨人が出現した。銀色の肌を持ち、鋭利な鶏冠のある頭部には卵型の目がらんらんと輝いている。銀色の巨人は響き渡る声で語りだす。
「地球の戦士達よ。我が問いかけに答えて見事代表戦士決定戦への資格を得た勇者達よ。君達の星は我ら宇宙連邦の侵略対象となった。すなわち我が最強戦士と一対一での格闘を行い、勝った方が全ての支配者となる。まずは君達の中から代表戦士を選ぶがよい。代表戦士こそが君達の星の支配者であり、我が最強戦士と戦う資格を得るのだ」
 突然の発言に対して、動物達は素直に聞いているようだ。小次郎はただ圧倒されて聞き入るのみだ。
「我らの勝者が地球の支配者になると言ったな?」不意にライオンが発言した。
「そうだ、今はそこにいる人間が支配しているが、君が勝てばライオンが支配者となる。そして我らの代表戦士に勝てば宇宙連邦すら支配できる。だが当然負ければそれで終わりだ」銀色の巨人は丁寧に答えた。
――ちょっと待て、ライオンが支配するだと? それもそうだが、宇宙連邦の最強戦士ってどんな奴だ? この銀色の巨人だって相当強そうだぞ。こんなでかい奴に勝てるわけないんじゃないか。
「体格差はなんとかならないのか? 宇宙にはでかい奴とかいるだろうし、小さい奴もいるだろう、そのままで戦うのひどくないか?」小次郎は消極的な声で言ってみた。
「諸君らが望めば体重差ルールを設定するがよいかな?」銀色の巨人の返答に、小型生物たちが一斉に賛同した。
「代表戦士はトーナメント戦にて決める。すなわち君達の優勝者が宇宙連邦代表戦士と戦うのだ。戦闘者は戦場に転送されて、その様子はこのスクリーンにて確認できる。戦場は双方の生活圏に合わせたものとし、体重差が十倍以上の時は小さい方が望めば一戦闘につき一分間同じ体重に増加できる。その場合、大きくなった事による物理的な弊害は発生しないものとする。さらに、勝者は次の試合に支障が出ないように対戦によって負ったダメージは全て回復させる」
 銀色の巨人はここで一呼吸置き、居並ぶ地球の戦士達を穏やかに見渡して話を続けた。
「では、トーナメント戦を行う戦士を紹介しよう。アフリカゾウ、シロサイ、ライオン、イリエワニ、ヒグマ、コモドドラゴン、シャチ、ホホジロザメ、ダイオウイカ、マッコウクジラ、セイウチ、ホッキョクグマ、パラワンオオヒラタクワガタ、ゴライアスバードイーター、モウドクヤドクガエル、ベンガルトラ、ダイオウサソリ、クマムシ、ハエトリソウ、オウギワシ、アンボイナガイ、キングコブラ、キロネックス、カバ、ネペンテス・アッテンボロギ、ヘラクレスオオカブト、鶏、土佐犬、オオスズメバチ、ゴリラ、人間、ネコ。いずれも劣らぬ最強の意思を持った戦士だ。では始めるぞ。一回戦第一試合、アフリカゾウ対シロサイ、開始!」
 島にいたアフリカゾウとシロサイの姿が忽然と消えて、光り輝く球体にその姿が浮かび上がった。どこか別の場所に送られたようであり、そこが決闘場なのだろう。草原にいる二頭の戦士は、既に臨戦態勢だ。
 体重四トンの巨体が時速五十キロメートルもの猛スピードで疾走する。いかなる相手をも自慢の角で突き刺してぶっとばす。それがシロサイの戦い方だ。その皮膚は分厚く牙や爪も通さない。まさに現代に蘇った恐竜といった姿だ。目の前にアフリカゾウが見えてきた。アフリカゾウは鋭い眼光で睨みつけ、耳を広げて威嚇している。しかしシロサイのやることは決まっている。突進あるのみだ。
「ぱおおおおおん!」どっしーん!
 アフリカゾウの巨大な牙がシロサイを空中高く弾き飛ばした。体高四メートル、体重七トンの巨体から繰り出される牙の一撃はいかなる陸上生物をも蹴散らす最強の威力を持っているのだ。
 ぐちゃ
 シロサイは嫌な音をたてて落下した。アフリカゾウは踏み込んで、後足で大きく立ち上がった。そして全体重を載せた前足での踏みつけ!
「ぱおおおおおおん!」ぐちゃ
 その様子を見ていた小次郎は戦慄のあまり小便を漏らしてしまった。震えながら周囲をうかがうが、他の戦士達は誰もが平然と戦いを見ていたのだった。
――こいつら、この状況で平気なのか? あの巨象と戦って勝てるつもりなのか? 小次郎がびびっていると、銀色の巨人の声が響いた。
「勝者、アフリカゾウ。第二試合、ライオン対イリエワニ、開始!」
 アフリカゾウだけが島に戻ってきて、今度はライオンとイリエワニの姿が消えた。そして球体が輝いて、ライオンとイリエワニの姿が浮き上がる。
 両者は生活圏が違うため、公平を期すためにサバンナの水辺のような戦場だ。陸上で戦いたいライオンと、水中に引き込みたいイリエワニ。両者はそれぞれの有利な場所でしばし睨みあう。するとライオンが悠然とイリエワニに近づいていく。イリエワニは当然、自分の有利な場所である水辺で迎撃の態勢だ。もっと近づいてこい、もっとだ、必殺の間合いは今だ!
 ばしゃ!
 体重一トンにも達するイリエワニが稲妻のような俊敏さで襲いかかる。するとライオンは素早く身をひるがえし、後ろに下がった。追撃するイリエワニと下がるライオン、気がつけば陸上にいた。イリエワニの動きが遅くなった瞬間を逃さずにライオンはイリエワニの背中にまたがり、延髄に噛み付いた。ネコ科の猛獣の必殺技、延髄への噛み付き炸裂。暴れまわるイリエワニだが、ライオンの噛み付く力は強く、外せない。激しく動いたことで疲労物質が筋肉に蓄積し、じょじょに動きを止めるイリエワニの延髄に、少しづつだが確実にライオンの牙が突き刺さり、イリエワニはついに動きを止めたのだった。百獣の王の呼び名に偽りなし、堂々たる強さを見せたライオンは、がおおおと、虚空に吠えるのだった。
 小次郎は震えが止まらなかった。
――ライオン、強すぎだろ。あの牙に噛まれたら、即お陀仏じゃねーかよ。それにしてもここにいる連中、あれ見ても平然としているけど、自信あるのかよ。
「勝者、ライオン。第三試合、ヒグマ対コモドドラゴン、開始!」
 そのヒグマは見るからに凶暴であった。本来ならグリズリーの方がヒグマより大きく戦闘力が高いとされているが、ここにいるヒグマは別格だった。北海道で発生した三毛別羆事件、そこで出没したヒグマ同様に異常にでかい頭部はいかにも凶暴であり、その爪は巨大にして鋭利、体毛はまさに鎧の如し、戦うために生まれたクリーチャーとしかいいようのない姿なのだった。一方コモドドラゴンも負けてはいない。体長三メートル、体重百五十キロ、鋭い牙と爪、まさに現代に蘇った恐竜であるコモドドラゴンの必殺技は噛み付きによる毒だ。体内に入れば血液が凝固不能になり、大量出血で確実に死ぬ恐るべき毒なのだ。
 コモドドラゴンは草陰に潜み、じっとヒグマが近づいてくるのを待つ。奇襲攻撃による毒注入が彼の必殺戦法なのだ。ヒグマは三キロ先の肉をも嗅ぎあてる発達した嗅覚で、コモドドラゴンの位置を簡単に捉え、背後に回り込む。いざ襲いかかろうとした瞬間、目にもとまらぬ速度でコモドドラゴンが身をひるがえし、必殺の噛み付きを狙う。
 がぶり!
 噛み付こうとししたコモドドラゴンの鼻に、一瞬早くヒグマの牙が突き刺さった。そのままぐいぐい左右に振り回し、地面に打ち付け、引っ掻き、踏みつけ、放り投げ、さらに首筋に噛み付く。一気呵成怒涛の攻撃にコモドドラゴンは戦意を失い、為されるままだ。
「勝者、ヒグマ。第四試合、シャチ対ホホジロザメ、開始」
 舞台は海洋。ホホジロザメは悠然と泳ぎながら嗅覚に意識を集中する。体長七メートル、体重二.五トンに達する巨体と、何度でも生え換わる七.五センチメートルの三角形の鋭い歯、僅かな血液の匂いでも逃さない嗅覚、そして最大速度時速三十キロメートルの運動能力を持つ魚界最強の捕食者の名に恥じぬ戦士、まさにジョーズだ。しかし今日は相手が悪かった。キラーホエール(クジラ殺し)の異名を持つシャチこそ海のヒエラルキーの頂点に立つ戦士だ。体長十メートル、体重十トンの圧倒的巨体ながら時速七十キロメートルにも達する運動能力を持ち、哺乳類ならではの高い知性を備えていて狩りにおいても多彩な攻撃方法を行使できるのだ。しかしこの戦いに参加しているホホジロザメは己こそ最強だと信じて疑わない生粋の戦士、その鋭い歯を食い込ませるべくひたすら前進あるのみだ。そのホホジロザメがいきなり麻痺した。シャチの超音波攻撃だ。シャチやイルカは超音波を発してその反響で水中の様子を知るエコーロケーション能力を持ち、それは武器としても使えるのだ。 どっしーん!
 ホホジロザメの胴体にシャチが猛然と体当たりをした。軟骨魚類であるサメは内臓を守る強い骨格を持たないのでその衝撃で内臓はぐちゃぐちゃに潰れてしまう。さらにホホジロザメはひっくり返されて擬死状態にされてしまい、完全に動けなくなった。その胴体に容赦なく噛みつくシャチ、海中食物連鎖の頂点たるシャチの圧倒的な戦闘力だけが目立つ戦いだった。
「勝者、シャチ。第五試合、ダイオウイカ対マッコウクジラ、開始!」
 船を襲う巨大なモンスター、クラーケンのモデルとなったダイオウイカ、言わずと知れた最大のイカだ。刺のついた吸盤はいかなる獲物も捕えて離さず、カラストンビなる強力な口は硬い獲物もたやすく噛み砕く。全長十八メートルを超える巨体は、大王の名を冠するに相応しい威容だ。マッコウクジラも負けてはいない。全長二十メートルを超え体重五十トンに達する巨体は、あたかも潜水艦のような重厚さを感じさせる。舞台は当然海洋、見渡す限りの大海だ。マッコウクジラは超音波を発して索敵を開始する。いた、ダイオウイカは深海に潜んで待ちかまえているようだ。一気に潜水していくマッコウクジラ、三千メートルまで潜水可能なマッコウクジラは躊躇うことなく潜水を敢行。大きな口を開けて噛みつこうとした瞬間、ダイオウイカは触腕を広げてマッコウクジラの頭部に被さるように貼りついた。そしてところかまわず刺の付いた吸盤でえぐり、カラストンビを突きたてる。マッコウクジラを身をよじるが、外しようもない。ならばとばかり、マッコウクジラは全速で浮上する。人間ならば急激な水圧の変化で潜水病になってしまう急速浮上、マッコウクジラの強靭な肉体は平気だが、ダイオウイカは耐えきれずにぐったりとしてしまう。
 ばしゃあっ! ざっぱーん!
 そのまま海上に飛び上がり、のけ反って海面にぶちあたるマッコウクジラ。まるでスープレックスをかけるようにダイオウイカを海面に叩きつける。しかしダイオウイカは必死に貼りついている。
 ばしゃあ、ざっぱーん!
 何度も、何度も叩きつけ、ついにダイオウイカが剥がれた瞬間、マッコウクジラの大きな口ががぶりとダイオウイカに噛みつき、そのまま丸飲みする。マッコウクジラの頭部は傷だらけだがはっきりいってかすり傷、捕食者と獲物の戦いに過ぎないのだった。
「勝者、マッコウクジラ。第六試合、セイウチ対ホッキョクグマ、開始!」
 三メートルを超える体長と一トンに達する体重、地上最大の捕食動物たるホッキョクグマ、一見穏やかそうに見える風貌だがその爪と牙は強大にして鋭利、寒冷地で生きるために蓄えた皮下脂肪は柔軟な鎧、そのパワーはアザラシを一撃でぶっとばすほどであり、攻守ともに隙の無い猛獣だ。雪原と流氷漂う寒い海にてホッキョクグマに対峙するはセイウチ。巨大なホッキョクグマより一回り大きい体躯にはどっしりとした皮下脂肪が蓄えられていてあらゆる攻撃をはじき返す鎧となっていて、上顎からのびた長大な牙は恐るべき破壊力を持っているのだ。しかし生物界においては、ホッキョクグマこそが食物連鎖の上位にいる、その猛攻の前にセイウチは恐慌状態になりつつある。逃げようかと思い始めた時、セイウチの目にホッキョクグマの足についた傷が見えた。ここに来る前、彼女は群れの中にいた。突然襲いかかってきたホッキョクグマ、逃げ惑うセイウチの群れ。一匹逃げ遅れたのは、彼女の息子だった。そこに襲いかかるホッキョクグマ、懸命に助けようとするも彼女の牙はホッキョクグマの足にかすり傷を負わせただけだった。大事な息子は首を噛み砕かれ、そのまま持ち去られてしまった。思い出した、あいつだ。その瞬間彼女は怒りを爆発させた。体内にアドレナリンが疾走する、全ての細胞が「目の前の敵を殺せ!」と咆哮する。
 ぶもおおおお!
 激しい咆哮とともに繰り出される乾坤一擲の牙の攻撃が、ぐさりとホッキョクグマの大腿部に突き刺さる。一撃ではおさまらない。何度も何度も牙を突きたてる。体をひねって逃れようとするホッキョクグマの背中に突き刺さる渾身の牙の一撃が、ホッキョクグマに止めを刺したのだった。
「勝者、セイウチ。第七試合、パラワンオオヒラタクワガタ対ゴライアスバードイーター、開始!」
 通称タランチュラ、世界最大の毒蜘蛛であるゴライアスバードイーター、ネズミや鳥をも捕食するハンターだ。褐色の毛に覆われた手足は機敏に動き、いかなる獲物も逃がさない。舞台は熱帯の密林、巨木の枝に潜み、獲物の様子をうかがう。いた、パラワンオオヒラタクワガタは悠然と幹に貼り付き、ぺろぺろと樹液を舐めていた。あまりにも大胆不敵なクワガタの背後から音もなく襲いかかるゴライアスバードイーター、毛むくじゃらの足で抑え込み、必殺の噛み付きを仕掛ける。しかし硬い殻にまったく歯が立たない。
 がぶり
 一見鈍重に見えるクワガタだが、いざ戦闘モードになるとその動きは素早くて力強い。一瞬のうちの反転し、その巨大な大あごを振るう。パラワンオオヒラタクワガタこそは昆虫最強の呼び声も高い恐るべき戦士、世界最強虫王決定戦優勝の実績は伊達ではない。その硬い殻は相手の攻撃を受け流し、大あごによる攻撃は一撃で敵を戦闘不能に追い込む。
 大あごの先端が深々とゴライアスバードイーター腹部に突き刺さり、白濁した体液がじわじわと滲み出てきた。さらに上下にぶんぶん振り回して幹に叩きつける、その都度大あごは深く深く突き刺さり、ついには胴体が真っ二つになった。
「勝者、パラワンオオヒラタクワガタ。第八試合、モウドクヤドクガエル対ベンガルトラ、開始!」
 かつてローマのコロッセオでライオンと戦って勝ち越しているネコ科最強と恐れられるトラ、牙と爪の鋭さと圧倒的な俊敏性、徹底的な獰猛さで肉食獣最強の呼び声も高い。しかし今回の戦いには戸惑いを隠せない、何しろ相手は小さいカエルだ。
 どこだ? どこにいるんだ? 彼はその嗅覚に意識を集中して索敵する。樹木が生い茂った戦場には隠れる場所がたくさんあり、葉っぱの影に敵は潜んでいた。モウドクヤドクガエル、コロンビアの先住民がその毒を矢に塗って狩りをすることからこの名が付いた、世界最高峰の猛毒生物だ。毒々しい黄色の体は僅か五センチメートル程度。彼は思う、大きくなりたい。
――体重差ルール発動。
 突然、モウドクヤドクガエルが巨大化してベンガルトラと同じ体重となった。ここぞとばかりに飛びかかるモウドクヤドクガエル、しかしその体は柔らかく、武器となる爪も牙もない。一瞬怯んだベンガルトラだが、咄嗟に身をひるがえして攻撃をかわし、低く身を沈めて反撃の態勢となる。ぐるるるる~と威嚇すると、カエルは恐怖にかられてつい後ろを向いて逃げようとしてしまう。逃がさじとばかりその背中に飛びかかり引っ掻くベンガルトラ、怯えて逃げ出すカエル。さらに追撃しようとしたベンガルトラが不意に苦しみだし、あっという間に倒れて絶命した。モウドクヤドクガエルの背中からはバトラコトキシン等の神経毒が分泌されていて、これは人間が触れただけでも死んでしまう猛毒なのだ。本来のサイズの一匹のモウドクヤドクガエルだけでゾウ二頭をも殺せる猛毒、それがベンガルトラと同じ体重になれば当然毒の量も増加し、触れたら即死となったのだ。
「勝者、モウドクヤドクガエル。第九試合、ダイオウサソリ対クマムシ、開始!」
 いかなる過酷な環境にも生き残る最強サバイバーたるクマムシ、百五十度の高温、マイナス二百度の低温、さらには放射線に長期の乾燥と、普通の生物なら確実に死滅する状況下でも生き残るタフガイだ。キチン質の鎧で覆われた灰色の芋虫のような胴体に爪のついた四対の脚、頭部には丸い口だけがあり、クマに似ているからクマムシと命名されてはいるがまったく似ているようには見えない異形の生物だ。戦場は砂漠、相対するはダイオウサソリ。二十センチメートルを超える体格を誇る最大のサソリだ。自慢のハサミを振りかざしながらクマムシを探すが、まったく見つけられない。なにしろクマムシの体長はたったの二ミリメートル足らず、ダイオウサソリの足の下に潜み、行き過ぎるのを待っている。ダイオウサソリが通り過ぎた瞬間を狙って発動する。
――体重差ルール発動。
 いきなり巨大化したクマムシに背後から襲われるも、ダイオウサソリは慌てることなく尻尾の毒針を突きたてる。
 ぶすり
 クマムシの口に突き刺さる毒針、そこから毒が注入されるとクマムシは今まで感じたことの無い激痛に呻いた。この体格なら致命的ではない毒の量だが、あまりの痛みに怖気づいて逃げようとしてしまう。逃げて体を乾燥させれば、絶対防御態勢になれば、そのまま潜んでさえいれば、十年、百年耐えれば、誰も私を倒すことはできない、クマムシは速やかに体重を元に戻す。その瞬間、相対的に増加したサソリの毒が全身に広がり、一瞬にして絶命した。
「勝者、ダイオウサソリ。第十試合、ハエトリソウ対オウギワシ、開始!」
 まさかの植物参戦に、居並ぶ戦士達もざわついている。
 戦闘機がその名イーグルを冠する強さの象徴たるワシ、まさしく空の支配者たるワシの中でも最大最強のオウギワシ、巨大にして鋭利な爪は木にしがみつくナマケモノを強引に引き離し易々と空中に連れ去り、鋭いクチバシは獲物を確実に仕留める。大空から大地を見降ろして彼は戸惑っていた。敵は何処だ? そもそもハエトリソウってなんなんだ? 彼は大地にぽつんとある唯一の緑を見付け、ゆっくりと近づいた。あの緑色の草が敵のハエトリソウなのか?
――体重差ルール発動。
 オウギワシが頭上に来た瞬間、ハエトリソウが巨大化する。外側に多数の刺が付いた対をなす扇の様な葉に左右を囲まれて慌てるオウギワシ、咄嗟に葉の内側に生えている刺を触ってしまった。一回、二回……。
 ばさっ
 二回刺に触れた瞬間、驚くべきスピードで葉が閉じてオウギワシを捕縛する。必死にもがくオウギワシ、暴れれば暴れるほどに強く締め付けるハエトリソウ。そして一分が経過し、ハエトリソウが元の大きさに戻ると葉が開いてオウギワシはやっと脱出できた、しかしその羽根は折れ、もはや飛び立つことはできない。一方ハエトリソウは多数ある葉の一つを失ったがまだ食虫葉は多数健在だ。クチバシで突けば勝てそうだが、オウギワシは飛べなくなったショックで戦意を失った。
「勝者ハエトリソウ、第十一試合アンボイナガイ対キングコブラ、開始!」
 体長四メートルにも達する長大な体をうねうねと動かしてキングコブラが草原を進む、彼は初めて見る海に面喰っていた。敵はアンボイナガイ、見たことも聞いたこともない敵だ。草原の外れにはごつごつした岩場が広がり、そこには波しぶきがかかっていた。岩と岩の間の浅瀬に敵はいた。アンボイナガイ、十センチメートル程度の巻貝だ。キングコブラを鎌首を落ち上げ頸部を広げて威嚇する。しかし無反応のアンボイナガイ、ならばとばかり必殺の噛み付き敢行、その猛毒で屠れなかった相手なし! 
 ガツ
 必殺の噛み付きだが、貝殻に阻まれて不発に終わった。一旦鎌首を下げたキングコブラが苦しみ始める、その首にはいつついたのか刺し傷ができていた。
 アンボイナガイの必殺技、電光石火の毒吻攻撃が炸裂していたのだ。一見鈍重に見えるアンボイナガイだが、狩りをする時の素早さは尋常ではない、すばやく銛の様な吻を突き出しで毒を注入する。その毒はキングコブラを遥かにしのぎ、イモガイ一個で人間三十人を殺せる毒を持っているのだ。神経毒はキングコブラの全身に広がり、為すすべもなく絶命した。
「勝者、アンボイナガイ。第十二試合、キロネックス対カバ、開始!」
 ジャングルの水辺最強と恐れられるカバ、その巨大な口による噛み付きはワニをも一撃で粉砕し、二トンを超える巨体でありながら四十キロメートル以上のスピードで走る敏捷性と、アフリカの猛獣の中で最大の殺人数を記録する獰猛性をも兼ね備え、カバ最強説を唱える者も多い。彼は悠然と水辺を行く、敵はキロネックス、どこにいるのか全く見えない。
 キロネックスはゆらゆらと漂いながら、カバの様子を窺っていた。五十センチメートルほどの半透明のドーム状の傘の下の四隅に、四メートルを超す十五本の触手が伸びている。他のクラゲにはない二十四個の目で獲物を捉えて自ら泳いでいけるのが大きな特徴だ。音もなく静かにカバに接近し、静かにその触手を伸ばす。しかしカバの皮膚は分厚く、五十億本もある刺胞針ですら貫通しない。ついにカバはキロネックスを発見、その巨大な口を開けて威嚇する。その口の中に触手が入り、口内の粘膜にキロネックスの必殺の刺胞針が突き刺さり、全生物最高クラスの猛毒が柔らかい口の粘膜からカバの体内に侵入する。
 稲妻の如き激痛がカバの口内に走り、カバは為すすべもなく溺れ始めた。もがき苦しんでいるうちに毒が全身に回り、神経を麻痺させていき、運動能力を奪い去って行く。溺れて沈んでくのも時間の問題だ。
「勝者、キロネックス。第十三試合、ネペンテス・アッテンボロギ対ヘラクレスオオカブト、開始!」
 クワガタと対をなす最強昆虫カブトムシ、その中でも最大最強との呼び声が高いヘラクレスオオカブト、体長と同じ長さの巨大な角が特徴だ。上から伸びた胸角と、下から伸びた頭角、この二本の角で敵を挟んで投げ飛ばす様は英雄ヘラクレスの名に恥じない堂々たる昆虫戦士だ。密林の中、大木の幹に張り付いて敵を探すが、どこにいるのか見当もつかない。なんだ、このいい匂いは? 彼はどこからともなく漂う芳香につられてふらふらと歩き、知らず知らずのうちに漏斗状の葉の淵にいた。ちょうどカブトムシが入れるぐらいの漏斗中央の穴の中からその芳香は漂ってくる。この中になにがあるのだろう? 覗こうとした瞬間、足が滑って中に落ちた。中にあるのは獲物を消化するための溶解液だった。
 ネペンテス・アッテンボロギとは世界最大のウツボカズラであり、ネズミすら捕食する食虫植物だ。落ちたら消化されて骨すら残らない。
「勝者、ネペンテス・アッテンボロギ。第十四試合、鶏対土佐犬、開始!」
 弱虫の代名詞チキンとまで言われた鶏がなぜここにいるのだろうと、小次郎はいぶかしんだ。その白色レグホンは、眩しいほどの白い羽毛と深紅の鶏冠をそなえた普通の鶏だった。草原にて鶏に対峙しているのは見るからに凶暴な土佐犬、戦うために作られた戦闘犬だ。土佐犬とは日本に昔からいる在来種ではなく、マスチフやブルドッグやグレートデンなどを交配させて作ったハイブリッドドッグだ。危険犬種として規制されている国すらあり、度々人を襲う事件を起こす。気性の荒さは折り紙つきだ。百キログラムを超える堂々たる体格は筋肉質で、噛まれても牙を通さないように弛んだ皮膚をもっている。
 ぐるるるるるる
 土佐犬は鶏を見付けると低く唸りだした。相手が弱そうでも一切侮らない、全力で戦うのみだ。この威嚇によって普通の鶏なら恐怖のあまり退散するだろう。しかしこの場にいる鶏は違った。
 こけ~!
 鶏は自ら土佐犬に向かって激しく鳴きながら突進する。土佐犬も負けじと突進し、噛み付こうとした瞬間、鶏が飛翔する。
――体重差ルール発動。
 土佐犬が鶏を探して宙を仰ぐと、その頭に巨大な鉤爪が食い込んだ。そのまま体重百キロになった鶏の重さで地面に押しつけられてしまう。
 こけ~! どすどすどすどすどす。
 鶏の怒涛のクチバシ連撃が土佐犬の目を狙って繰り出される。一突きごとに鍵爪は確実に頭にめり込み、頭蓋骨すら砕いてしまいそうだ。
 ぎゃいん、ぎゃいん
 土佐犬にできることといえば、悲鳴をあげることだけだ。
「勝者、鶏。第十五試合、オオスズメバチ対ゴリラ、開始!」
 体重二百キログラムを超える類人猿最大最強のゴリラ、逞しい腕を地面に突いて四足歩行で周囲をうかがう。その眼差しはどこか哲学者を思わせる涼しさを湛えていた。黒く艶やかな毛並みだが、背中は銀色に輝く。通称シルバーバック、成熟したオスの特徴だ。彼は一族を率いるボスであり、一族を守り慈しむことだけが彼の全てだった。それなのに、群れを守るために強くならねばならないと念じていた内にこの戦いに参加させられてしまい、困惑を隠せない。
 ぶーん
 来た。オオスズメバチだ。ゴリラは立ち上がり、両掌で胸を叩く。
 どんどんどんどんどん!
 ドラミング、これは本来穏やかで戦いを好まないゴリラが、戦いを回避するための威嚇行動だ。さらに落ちていた太い枝をつかんでへし折り、力を誇示する。
 オオスズメバチ一族最強の女戦士である彼女はゴリラの黒い毛並みを見て完全に戦闘モードに突入していた。黒い奴は撃退する、DNAに刻まれた本能が彼女を駆り立てる。昆虫としては大きいとはいえ僅か五センチメートルの体躯には、硬いキチン質の装甲、強力な大顎、そして毒針、さらには飛翔能力と獰猛さがぎっしりと詰まっいる。尻の毒針は産卵管が変化したものであり、毒針を駆使して戦うスズメバチは皆女戦士なのだ。彼女達は女王蜂の下で、巣を守りながら幼い妹達にせっせと餌を運ぶだけの短い生涯を送る。戦闘と狩猟に特化したその体はまさに殺戮マシーンと言っても過言ではない。
 遥かに大きいゴリラを前にし彼女はかちかちとあごを鳴らして威嚇し、さらに毒を霧状にして噴霧する。神経を撹乱しタンパク質を分解する毒の霧にゴリラが怯んだ隙にオオスズメバチはゴリラの眼球目掛けて毒針を突きたてて突撃する。
 ぷす
 顔をかばったゴリラの腕に突き刺さる毒針、そこから注入される毒、速やかに広がる激痛に激しくゴリラが腕を振るうとオオスズメバチはひらりと身をひるがえして回避。逃すまいとゴリラは両腕を振り回して追撃する、叩き落とすか、握りつぶすか、激痛の中でゴリラはやらなければやられると覚悟を決めた。その巨体に似合わぬ俊敏な動きでオオスズメバチを追い込んでいく。するとオオスズメバチは逃げるどころか正面から突撃してきた。
――体重差ルール発動。
 突如巨大化したオオスズメバチの毒針がゴリラの胸を目掛けて迫る。ゴリラは咄嗟に両手で毒針を握るが、刺針の外側に鋸状の二枚の尖針が被さるようにあってこれが交互に動く自動鋸のような構造の毒針に掌の皮膚が引きちぎられていく。
 がぶり
 オオスズメバチの巨大な大顎がゴリラの首に噛み付いた。ゴリラは必死になってオオスズメバチの胴体を殴るが、硬いキチン質の装甲はびくともしない。
 ぶすり
 ついに巨大な毒針がゴリラの胸に突き刺さった。心臓に注入される猛毒のカクテル、神経は撹乱され組織は分解され、凄まじい激痛がゴリラの全身に広がる。
 がち
 オオスズメバチの大顎が、ゴリラの首を噛みきった勢いで閉じた音が響く。
「勝者、オオスズメバチ。第十六試合、人間対猫、開始!」
――ついに来た。俺の番だ。 どいつもこいつも強敵ばかりだが初戦は猫か、助かったな。
 小次郎は、そこかしこに灌木が生えた草原にいた。そして目の前には猫がいる。眼光鋭く毛並みの悪い中型のトラ猫だ。その猫を見て小次郎は驚愕する。
「みーちゃん……みーちゃんじゃないか! お前と戦うなんて、お前を倒すなんていくらなんでも俺にはできないよ」
 小次郎は両手を広げて歩み寄り、しゃがんで手を伸ばした。
「ふにゃー」ばし!
 みーちゃんは鋭い猫パンチを繰り出して小次郎の手を引っ掻き、さらに腕に飛び乗って高速の猫パンチで顔面を叩いた。頬から血を流して尻もちをつく小次郎を睨みつけて、みーちゃんが吠える。
「なめるにゃ! 貴様も人間を代表する戦士なら堂々と戦うのにゃ! ぼやぼやしてるとその首筋を食いちぎってやるにゃ!」 牙をむき出して首筋を狙うみーちゃん!
「う、うわああ」小次郎は悲鳴をあげながら両腕で首をガードする。
 がぶり
 小次郎の手首に痛みが走る。反射的に腕を振り回すと、みーちゃんは軽やかなステップでかわして距離を取った。その眼光は鋭く、微塵も隙がない。
――やらなきゃ、やられる。みーちゃんを傷つけるのは忍びないから軽く痛めつけてやろう。
 小次郎はアップライトに構えて踏み込み、軽くローキックを放った。しかしみーちゃんは平然と飛びのく。小次郎はさらに踏み込んでサイドキックを繰り出すが、まったく届かない。ダッシュで距離を詰め……だめだ、まったく距離が縮まらない。
 時速四十八キロメートルに達する猫の走力、人間なんかまったく相手になりようはずもない。みーちゃんは素早く木に登って枝の上から小次郎目掛けて飛びかかる。
「ふぎゃーー」
 そのスピードと気迫に押された小次郎は顔面をガードすることで精いっぱいだ。
 がぶり
 また腕を噛まれた小次郎が反撃しようとした時には既にみーちゃんは攻撃が届かない距離に逃げている。そしてまた木に登り、小次郎の隙を伺う。今更ながら小次郎は気付いた。猫の強さに、人間相手に身に付けた格闘技術がまったく役に立たないことに、そして人間の弱さに。今まで見てきた戦い、どの生物も強力な武器を持っていた。毒、爪、牙、体格、素早さ、どれもこれも人間にはないじゃないか。
 警戒心が強くてすばしっこいネズミや雀を当たり前のように捕食する圧倒的な敏捷性を持った猫にとって、人間の動きはあまりにも遅いのだった。飼いならされた家猫ではなく、日々過酷な生存競争を戦いぬいて淘汰に淘汰を重ねてしぶとく生き抜いてきた野良猫のボス、自動車がびゅんびゅん走る国道を轢かれることなく横断し、飼い犬の餌を強奪し、他の雄猫を撃退して地域の雌猫を独占して最強DNAを次世代に残す、俺こそ最強の猫、その自信が彼をこの戦いに導いたのだ。
 小次郎が追えば逃げ、隙を見せると攻撃する、繰り返されていくうちに集中力が途切れてきた。反撃はできないが、大したダメージもない、その油断が出た瞬間、小次郎の後方頭上の枝からみーちゃんが飛び降りてきた。
――体重差ルール発動。
 ばし! ざくっ!
 巨大化したみーちゃんの猫パンチが小次郎の頭に炸裂! さらに背中に引っ掻き攻撃。小次郎は前によろめきながらも辛うじて踏みとどまって振り返ると、みーちゃんは元の大きさに戻ってさっさと木に登っていた。
 これ幸いとばかりに小次郎は走り出す。このままではやられる、戦いやすい場所を探さないとだめだ。崖に向かって走ると、ちょうどいい洞穴があったので素早く逃げ込む。ヘルメットは先刻の攻撃で無残に裂けていていて、背中のリュックもずたずたに切れていた。この二つが無かったらと思って身震いした。
――素手じゃ勝てない。肉体のみで戦う動物達には申し訳ないが、人間は武装してやっと互角なんだ。こうなったらここに籠城してカウンター狙いだ。
 小次郎はリュックから特殊警棒を取り出して軽くふる。しゃきんという頼もしい金属音とともに棒が伸びた。正面から襲来するみーちゃんを特殊警棒の一撃で倒すしかない。右手で特殊警棒を構え、洞穴を背にみーちゃんを待つ。それを樹上から見たみーちゃんは、木から降りて小次郎の僅か十メートルほど先の木陰でくつろぎ始めた。四足のまま伸びをして上体を逆反りさせてから後ろ脚で耳の後ろを数回掻いて、前足をぺろぺろ舐めてからうたた寝を始めた。
――舐めやがって!
 小次郎が駆け寄ろうとした瞬間みーちゃんは跳ね起きて低く構えて呻り声をあげる。ふううううう!
 その呻り声に怯んだ小次郎が足を止めて後ずさりすると、またもやみーちゃんはくつろぎ始めた。
――よしわかった。こうなったらとことん持久戦やってやろうじゃないか。
 小次郎は洞窟の入り口にどかっと腰を下ろした。そしてひたすらみーちゃんが隙を作るのを待つ。一見寝ているように見えるが油断はできない。待つこと数分、数十分、いったい何時間たっただろうか? のどが渇いたし腹も減ってきた。小次郎は知らなかった、猫は飲まず食わずで十日間も生き延びられて、飢餓状態でこそ狩猟本能が研ぎ澄まされることを。
 待てば待つほど不利、それほどまでに猫は強靭なのだ。
――くそ、何か食い物もってなかったかな。リュックの中には、猫缶とまたたびか。これみーちゃんにやろうと思って買ったんだよな。……そうだ。
 ぱきっ
 小次郎は猫缶を開けてその上にまたたびを載せると、そうっとみーちゃんの方に数歩歩み寄って地面に置いた。そのまま後ろに下がって様子を見る。
 またたびの芳香がみーちゃんの嗅覚神経を刺激する。その芳醇な香りに抗える猫はこの世にいない。ついふらふらと猫缶に引き寄せられてしまい、食欲に負けて食べ始めてしまう。
 またたび、それは猫の性的興奮を喚起し中枢神経を麻痺させ、時に生命の危機すらもたらす恐るべき猫の麻薬。ばりばりの雄猫であるみーちゃんはもはや前後不覚、めろめろの状態だ。
――ごめんよ、みーちゃん。これが戦いだ。
 ぼこん
 その頭部に特殊警棒がめり込んだ。勝利した小次郎に笑顔はない。
「勝者、人間。一回戦は以上で終了。勝者の諸君、おめでとう。引き続き二回戦を行う」銀色の巨人の声が聞こえた瞬間、小次郎は元の島に戻っていた。
 猫の強さを思い知った小次郎は、ライオンとだけは戦いたくないと思っていた。
――偶然またたびがあったからいいようなものの、まともに戦ったらとてもじゃないが猫には勝てなかった。ライオン……猫科最強だろ、無理だよ。二回戦は、食虫植物とかと当たりたい。あんなの近寄らなきゃ楽勝じゃんか。毒持っている奴もやばそうだしな。とにかく組み合わせがうまくいくのを願うしかないな。今はちょっと休んで他の連中の戦う姿を見て対策考えたいところだ。
「では二回戦を行う。第一試合、人間対ライオン、開始!」
――まじかよ!? 連戦でしかも相手はライオンかよ。……やるしかないか。よし、肚を決めるしかない、今持っている護身道具を全部使ってやってやる。
 小次郎はサバンナに転送された。小高い丘があり、その上空には太陽が輝き、空は青く澄んでいる。小高い丘に向かってそよ風が流れ、どこかからか小川のせせらぎが聞こえる中、小次郎は装備を整えた。こんな時のために、護身道具を買いまくって改造しまくってきたんだ。やられてたまるか。
 対戦相手のライオンが音もなく小高い丘の上に現れた。太陽光線を受けて赤いたてがみが火炎のように美しく輝く。その双眸は知性を感じさせた。
「人間の戦士よ。我が眷属は強かっただろう? 見事打倒した貴殿を戦士と認めよう。この百獣の王たるライオンが猫の無念を晴らすべく全力で貴殿を倒そうぞ。私の事は烈火のアグニと呼んでくれ! 貴殿の名を聞こう」
「ああ、猫のみーちゃんは強かったよ。あいつは俺の友達だったんだ。俺が勝てたのは偶然だよ。俺の名前か、小次郎だよ」
「小次郎殿、貴殿が勝ったのは貴殿が強かったからだ。僅かな時間かも知れぬが、こうして戦うも何かの縁、勝者こそこの地球を代表し、地球の戦士の強さを宇宙に知らしめる宇宙最強戦士となるのだ! ゆくぞ! ぐわおおおおおおん!」
 大地を揺るがし天空を覆い尽くさんばかりのライオンの咆哮がびりびりと小次郎の骨格を揺すり、DNAレベルでの恐怖が全身に広がる。小次郎は恐怖に負けないように必死になりながらも疑問を感じていた。
――ライオンが喋った! つい普通に受け答えしてしまった。って言うか、さっきみーちゃんも喋っていたっけか、いやいやそんな事で悩んでいる暇ない。
 太陽を背にしたライオンが小次郎目掛けて疾走する。褐色の毛皮の下で躍動する高純度の筋肉。鋭い牙を剥きだした巨大な顔面が迫りくる!
 小次郎は左腕にプラズマシールドを構え、右手には催涙スプレーを持って待ちかまえる。催涙スプレーの射程距離は四メートル、ぎりぎりまで引き付けて顔面に噴射するのだ。圧倒的な脅威を前にして、小次郎は神経が研ぎ澄まされるのを感じた。一流武道家にとって必須の、生死ぎりぎりの時の集中力と肉体能力リミット解除によって周囲がスローモーションになっていくのを感じつつライオンの接近を待つ。来た来た、今だ! 小次郎は右手を突き出して催涙スプレーを噴射した。カプサイシンを主成分とするエアロゾルが皮膚に付着すれば痛み、目に入れば視力を奪い、吸引すれば咳が止まらなくなる。ライオンとて怯むはずだ。
 小次郎の前からライオンの姿が消えた。一瞬怯んだ小次郎は不意に暗くなったので上空を見上げる、いた、ライオンは上だ。ライオンは跳躍して飛びかかってきた、巨大な牙が目前にせまる。
 がぶり……ばしっびりびりびりびり
 咄嗟に構えたプラズマシールドに噛み付いたライオン、その唾液を通じて高圧電流が体内を駆け巡る。スタンガンとシールドを融合させた強力な護身道具であるプラズマシールドは理想的な護身道具だ。さらに違法改造によって電圧を強化してある。電気抵抗が大きい皮膚ではなく、電気を通しやすい唾液に濡れた口内への放電、ライオンはそのまま小次郎を押し倒してもんどりうって地面に倒れ伏した。
 ひっくり返された小次郎は左腕を確認する。シールドはライオンの一噛みでぐちゃぐちゃになっている、あと少しで腕が無くなっていたであろうライオンの噛み付く力に今更ながら恐れを抱いた。立ち上がってライオンを見ると、白目をむいてぴくぴくしている、さしものライオンも電撃は初体験だっただろう。このチャンスを逃す手はない。
 一気に走り寄って右足を後ろに振り上げる。筋肉増強剤で異常に発達した筋力、脳のリミッターを解除した潜在能力最大開放、つま先に鉄芯が入った安全靴、かつて何人もの対戦者を内臓破裂多臓器不全で葬ってきた必殺の蹴りをライオンの腹部に向けて蹴り込む。
 ずどむっ
 さらに打ち込んだ足を前に振り上げて、踵でライオンの心臓目掛けて踏み抜く。何人もの対戦者を心臓震盪に追い込んで失神させた禁断の心臓打ちだ。
 どすっ
 蹴り込む、踏み抜く、蹴り込む、踏み抜く……。
 ずどむ、どす、ずどむ、どす
――ここだ! ここで攻めきる。ここで攻めきらなければ、倒さねば……。
 一気呵成、疾風怒濤、気が狂ったように攻める小次郎はライオンが意識を取り戻したことに気が付かない。
「なんだ、それは? 攻撃のつもりなのか? 私を目覚めさせてくれはしたがな。シマウマの後ろ蹴りはもっと痛いぞ。キリンの蹴りはもっと重いぞ。バッファローのぶちかましはもっと響くぞ。ゾウに踏まれたら、この私とて無事では済まないぞ。そんな連中と私は戦ってきたのだよ。この爪と牙でな。ぐわおおおおおん!」
 ライオンは咆哮とともに猫パンチを繰り出してきた。
 ざくっ
 慌ててのけ反った小次郎の頑丈なベストが簡単に引き裂かれた。一瞬でも遅ければ体ごと持って行かれただろう。さらに迫りくるライオンの顔面目掛けて、小次郎は右手に持ったままの催涙スプレーを噴射する。
 むき出しの口内と目に激しい痛みを感じたライオンは身をよじって苦しみだした。小次郎はさらに噴射して追撃し、駆け寄って打撃を与えようかと思ったがライオンの転がり方があまりにも激しくて近寄れないのだった。するとライオンはすくっと立ち、耳を澄ますと走り出した。後を追う小次郎の前に、小川が見えてきた。
 ざっぱーん
 小川に飛び込んで顔を洗い、水を飲むライオン、そして振り返って小次郎を睨め付ける。
「やってくれたな。見事な攻撃だ。面白くなってきた。次はどんな攻撃をするのかね?」
――こいつ、水で洗い流しやがった。畜生、催涙スプレーはもう使えないじゃないか。あと使える護身具は……考えろ、早く考えるんだ。よし、まずはこれだ。
 水しぶきとともに小川から跳躍し、一気に踏みこんでくるライオン。小次郎はベストのポケットからテーザーガンを取り出してライオンに向けて発射した。電極を射出することで離れた相手に電撃を与えられる強力な護身道具であるテーザーガン、日本では発売禁止なのをこっそり輸入しておいたのが役に立ったと小次郎が思った瞬間。
 ぱしっ
 高速で飛来する電極を猫パンチではたき落とし、ライオンは尚も接近してくる。爪への電撃は、もはや慣れてしまったライオンには無効なのだった。
 ぐわおおおおん!
 ライオンは咆哮とともに飛びかかってきた、小次郎は咄嗟に頭を押さえて後ろを向いてしゃがんでしまう。その延髄目掛けてライオンの巨大な口が襲いかかる。
 がぶり
 小次郎の足元に護身道具が散らばった。リュックサックの上部はライオンの噛み付きによってぐちゃぐちゃだ。小次郎は咄嗟に目の前の道具を確かめる余裕もないままに掴み、反転してアグニと向き合う。最後まで諦めないぞ。右手に持っていたのは特殊警棒、みーちゃんを倒した武器だ。咄嗟に振って伸ばした瞬間、アグニの巨大な口が目前に迫る。その口内に警棒を縦に押し付けてつっかえ棒にして、辛うじて噛まれるのを防いだ。
 ぐにゃり
 特殊警棒が曲った。圧倒的な咬合力を持ったライオンには、こんなものは小枝に等しいのだ。さらに猫パンチを小次郎の胴体に打ち込んだ。小次郎は呼吸困難なほどのダメージを受けて仰向けに倒れた。ヘビー級プロボクサーのストレートにも耐えられるように鍛えまくった腹筋が容易く打ち抜かれたのだ。腹部は朱に染まっている、ナイフを通さないはずのステンレスメッシュシャツもずたずたに裂けていた。
「ぐあああ」小次郎は断末魔の悲鳴をあげてしまった。
――畜生、サバイバルナイフを持ってくるんだった。あれ職務質問されると没収だから持ち歩けないんだよな。警察のせいで俺殺られちゃうじゃないか。さっき左手に持ったものは……なんだよペンキのスプレーじゃないか、ええい、当たって砕けろだ!
 ライオンが止めを刺すべく小次郎の首を噛もうとした瞬間、ペンキのスプレーを噴射。
 しゅーーーー
 赤い塗料が目に入って激痛にもがくライオンは、その顔めがけて執拗にスプレーを噴射する小次郎を尻目に小川に向かって走り出した。
 じゃっぽん
 しかし今度は水では落ちない、まさに水と油、溶けることもなく流れることもない。ライオンのたてがみは、不自然な深紅に染まったままだ。
 目を潰されたライオンは気配を頼りに小次郎を目掛けて走り寄る。小次郎は再びスプレーを噴射するが、たてがみがより赤く染まるだけだ。腹部の激痛で逃げる余力もなく、仰向けに倒されてしまった。
 ざく
 小次郎の安全靴にライオンの前足の爪が突き刺さった。そのままさらに踏み込んでこようとする顔面にスプレーを噴射するが、ライオンはもう片方の前足で顔面をガードしたのだった。
――スプレーが無くなるのを待っているのか? やっぱり強いな、ライオンはよ。畜生、最後に一服するか。
 左手でスプレーを噴射しながら、右手でベストからマルボロを一本つまみだして咥え、愛用のジッポーを取り出した。飲み屋のねーちゃんにもてようと思って身に付けた手さばきで、片手で蓋を開けて火を灯す。
 しゃきん、しゅぼっ……ぼあっ!!
 スプレー缶から射出されるプロパンガスに引火して火炎放射機のようにライオンに炎が炸裂し、顔面に大量に付着したラッカー塗料に引火して爆発的に燃え始めた。ラッカー塗料は揮発性が高く、周囲に火があると簡単に引火して激しく燃えるのだ。
 燃え盛る烈火のアグニ、赤く染まったたてがみが炎をあげる、タンパク質が焦げる嫌なにおいが小次郎の鼻に殺到してきた。熱い。ライオンは顔面を掻きむしり、転げまわって火を消そうとするが、炎の勢いはまったく衰えない。それでも尚、川に向かって歩き始めた。しかしその足取りは重く、一歩ごとに力を失っていく。そして立ち止まった。
「見事なり人間の戦士小次郎よ! この私を倒すとは。絶対に優勝するのだぞ……」ライオンの戦士アグニはそう言い残し、倒れて動かなくなった。
「勝者、人間。第二試合、パラワンオオヒラタクワガタ対ダイオウサソリ、開始!」
 島に戻った小次郎は腹部をさすってみた。先ほど痛めた傷が治っている。猫パンチ一発で死ぬかと思った。とにかく対戦相手の情報が必要だなと、眼前の球体に展開される戦いを凝視するのだった。
 草むらを闊歩するパラワンオオヒラタクワガタ、目の前にいるダイオウサソリはハサミを振り上げて迎撃の構えだ。様子を見るも牽制もなく、突進するパラワンオオヒラタクワガタにダイオウサソリの毒針が襲いかかるが、硬い殻に阻まれてまったく刺さらない。ハサミで抑えようにもパラワンオオヒラタクワガタの殻にはまったく歯が立たない。
 ぐさり
 パラワンオオヒラタクワガタの大顎がダイオウサソリの胴体を挟み込んだ。とげとげのある先端部が深々と突き刺さる、そのまま高々と持ち上げて地面に打ち降ろす。持ち上げて、打ち降ろす。何度も何度も繰り返し、その都度腹部から体液が滲み出る。ほどなくしてダイオウサソリは動かなくなった。
「勝者、パラワンオオヒラタクワガタ。第三試合、オオスズメバチ対ヒグマ、開始!」
 ぶーん
 オオスズメバチの女戦士は苛立っていた。代表戦士とかどうでもいいからとっとと帰って帝国を守らねばならないのだ。帝国の周囲をうろつく敵を発見したばかりなのだ。とっとと敵を撃破してその肉をこねて肉団子にして、お腹をすかせた妹達に運びたい。いた、草原を歩くヒグマを発見した。本来なら大顎をかちかちと鳴らして威嚇するのだが、ただでさえ苛立っているところにヒグマの黒い毛を見て激しい殺意が漲ってきた彼女は問答無用で襲い掛かる。お尻の毒針を突きだして目を狙って突撃。
――体重差ルール発動!
 突如目の前に出現した巨大オオスズメバチに対し、ヒグマは怯むことなく爪で打ち払う。
 がちん
 毒針を脇にそらし、オオスズメバチの腹部に噛み付くヒグマ。
 かきん
 しかしキチン質の装甲を貫くことはできなかった。
 がぶり
 ヒグマの頭部を抱きかかえるように覆いかぶさったオオスズメバチの大顎が、ヒグマの背中に噛み付いた。その激痛でのけ反るヒグマの胸に、ついに毒針が突き刺さる。
 ぶすり
 毒針から流れ込む猛毒のカクテル、神経を犯し組織を分解する猛毒が激痛とともにヒグマの全身に広がって行く。さらに大顎はヒグマの脊髄を切断し、ヒグマは為すすべもなく絶命した。
「勝者、オオスズメバチ。第四試合、アンボイナガイ対マッコウクジラ、開始!」
 海洋を泳ぎながらマッコウクジラは途方にくれていた。どこだ? どこにいるんだ俺の敵は? 体長二十メートルを超えるマッコウクジラには、体長十センチメートル程度のアンボイナガイは小石のようなものだ。どこにいるのかまったくわからない。
 アンボイナガイはただひたすら待っていた。電光石火の毒吻攻撃の間合いにマッコウクジラが来るのを岩場の影で待っていた。獲物を待ち伏せするのは毎度の事だ、慌てることも焦ることもない、いつも通りにやるだけだ。
 来た。
――体重差ルール発動。
 マッコウクジラの目の前に、巨大化したアンボイナガイが現れた。その巨大な殻に激突したマッコウクジラの腹部に、必殺の毒吻が突き刺さる。麻痺したマッコウクジラを、さも当然といわんばかりに飲み込み始めるアンボイナガイ。マッコウクジラの巨体が消えて数刻、体重差ルールの一分が経過してアンボイナガイはもとの大きさに戻った。飲み込まれたマッコウクジラは消えたままだ。
「勝者、アンボイナガイ。第五試合、鶏対モウドクヤドクガエル、開始!」
 草原の葉っぱの上で待ちかまえる極彩色のモウドクヤドクガエルに向かって疾走するは、深紅の鶏冠と純白の翼が勇ましい鶏だ。
 こけーっこっこっこ、こけー!
 その姿に恐れを感じたヤドクガエルは後ろを向いた。その背中から分泌される毒は、触れるだけで相手を絶命させるほどの猛毒だ。ほとんどの相手は怯んでしまって攻撃してこない、もし攻撃されたらその時は体重差ルールで大量の毒を浴びせればいい。僅かにモウドクヤドクガエルが油断した時。
 こけー!
 鶏のクチバシが深々とその背中に突き刺さり、一瞬にしてヤドクガエルが絶命した。それとともに猛毒が鶏を襲う。
「勝者、鶏! 第六試合、ネペンテス・アッテンボロギ対シャチ、開始」
 島に転送され戻ってきたた鶏は何食わぬ顔で次の戦いを見ている。ヤドクガエルの猛毒は、ルールによって消失したようだ。相手を恐れない無謀な戦い方が彼をここに立たせているのだ。
 シャチは戸惑っていた。陸上の植物とどうやって戦えばいいのだ? 海中から顔を出して砂浜を見ると、砂浜に漏斗のような形の葉が印象的な植物、ウツボカズラ最大のネペンテス・アッテンボロギの姿が見えた。オタリアを狩る時と同じように海中で速度をあげて一気に飛びかるシャチ。
――体重差ルール発動。
 シャチの眼前に、巨大な漏斗が現れた。シャチはすっぽりとその中に落ちて行く。
 じゃっぱーん
 溶解液に落ちたシャチは、そのまま奥に潜って行く。奥に急所があり、そこを攻めれば倒せるはず、彼はそう思ったのだ。しかしそれは間違いだった。表面の溶解液はさらさらだが、奥の溶解液は粘度が高くどろどろ、そのどろどろの溶解液がシャチの目、鼻、呼吸器を塞いだ。感覚器官が犯されたシャチは上下左右が分からなくなった。得意の超音波によるエコーロケーションも効かず、パニック状態に陥る。暴れるシャチの腹部に鋭利な何かが刺さった。それがヘラクレスオオカブトの角だと知ることもなく、シャチは息絶えたのだった。
「勝者、ネペンテス・アッテンボロギ。第七試合、キロネックス対セイウチ、開始!」
 岸壁から海中を見据えるセイウチ、敵の姿はどこだ? 彼は海に飛び込んで索敵する。最強毒クラゲのキロネックスはゆらゆらと漂いながらセイウチが岸から遠く離れるのを待つ。獲物を見付ける目と、遊泳能力と、凶悪無双の猛毒の触手を備えたキロネックスにとっても巨大なセイウチは手にあまりそうだ。彼の唯一の天敵であるウミガメ、何故か毒が効かず丸飲みにされてしまう恐るべき強敵を思わせるセイウチの巨体にキロネックスも慎重だ。頃合いよしと、キロネックスがじわじわと接近していく。その半透明の身体にセイウチはまったく気が付かない。毒の触手を伸ばし、万全を期して発動する。
――体重差ルール発動。
 セイウチの身体に纏わりつく長大な触手、その表面には毒針が無数に存在し、セイウチに触れるそばから猛毒が撃ち込まれる。突如セイウチを襲う激痛、そして始まる麻痺、セイウチはもがき苦しみながら海中に沈んでいくのだった。
「勝者、キロネックス。第八試合、アフリカゾウ対ハエトリソウ、開始!」
 アフリカゾウの巨体がサバンナをのし歩く。敵は草だと? そんなもの餌だ! 彼は恐れることなく敵を探す。彼の目の草むらにそいつはいた。二枚の葉っぱで餌を挟み込んで捕獲する食虫植物のハエトリソウだ。ゾウはずんずんと歩み寄る。
――体重差ルール発動。
 迫りくるゾウを捕獲しようとハエトリソウが巨大化する。しかしゾウは見ていた、オオギワシとハエトリソウの戦いを。なんのことはない、中に入らなければいいだけのこと。彼は葉を避けて茎に近づき、その茎目掛けて牙を突き刺す。
 ずど、ずど、ずど
 牙で穴だらけの茎に鼻を巻きつけて引っ張る。
 めりめりめり
「ぱおおおおおおん!」
 傾いた茎に体重を載せた踏みつけで止め。ハエトリソウは茎を折られてしまった。
「勝者! アフリカゾウ。これをもって二回戦が終了だ。勝者の諸君、見事な戦いだったぞ」銀色の巨人の声が響き渡る。
 小次郎は思う、ハエトリソウみたいに戦えばウツボカズラも簡単に倒せるんじゃね? 鶏とかクワガタとか、変なやつばっかり残っているけど体重差ルールがちょっとやばいかな。あとやっぱり毒持っている連中は嫌だな、なんとか遠隔攻撃すればいいか。
「では引き続き、三回戦準々決勝を行う。第一試合、パラワンオオヒラタクワガタ対アフリカゾウ、開始!」
 黒光りする大顎を誇らしげに振りかざして前進するパラワンオオヒラタクワガタ、対戦者を軒並み挟んで粉砕してきた自信に溢れている。一方アフリカゾウも負けてはいない、サイを正面から打ち砕き、ハエトリソウは隙を突いて撃破している。
 様子を見るも隙を狙うもない、パラワンオオヒラタクワガタは巨大なアフリカゾウにどんどん踏み込んでいく。怯まず、恐れず、下がらず、死ぬまで戦う生まれついてのバーサーカーだ。
――体重差ルール発動。
 アフリカゾウと同じ七トンの体重になったパラワンオオヒラタクワガタ、その威容はもはや生物を超越していた。例えるなら巨大工作機械、ビルを解体するような、岩山を採掘するような、圧倒的な破壊力を発揮する重機のようだった。
「ぱおおおおおん!」
 しかしアフリカゾウとて負けてはいない。今までいかなる相手も軽く一蹴してきたのだ。同じ体重でやっと互角の条件、負けてたまるか。恐れることなく突進する。
 がぶり
 アフリカゾウの突進が唐突に止まった。パラワンオオヒラタクワガタの巨大な大顎によって正面から胴体を挟まれたのだ。その大顎がずぶずぶと突き刺さっていく。
 ぼきぼきぼき
 肋骨が折れる音を聞いたアフリカゾウが逃れるべく踏ん張ろうとした瞬間、脚の下が空中であることに気付いた。
 パラワンオオヒラタクワガタはアフリカゾウを高々と持ち上げて、地面に叩きつける。
 どっすーん!
 体重七トンの落下による衝撃荷重がアフリカゾウの脚を粉砕し、大顎はさらに深々と突き刺さり肺に風穴をあけた。
 持ち上げて、叩きつける!
 どっすーん!
 持ち上げて、叩きつける!
 どっすーん!
 そして後方に投げ飛ばす。七トンもの巨像が大きく弧を描き、頭から地面に激突する。
 どっしゃーん! 
 同じ体重の昆虫のパワー、そんなものを知る大型生物がいるはずもないのだった。
「勝者、パラワンオオヒラタクワガタ。第二試合、鶏対キロネックス、開始!」
 砂浜にたたずむ鶏と、海中に漂うキロネックス。鶏は初めて見る海に面喰っていた。なんという雄大さ、押し寄せる波しぶき、恐れそうな心を奮い立たせて彼は挑む、最強の称号を得るための戦いから逃げることは許されない。
 キロネックスは浅瀬に来ていた。相手は鶏、恐らくこのトーナメントで最弱の相手、今まで勝ち上がってきたのが不思議な相手だ。今まで通り毒の触手で触れれば勝ちだ。相手が怖がって攻めてこないなら、こちらから行っておびき寄せてやろう。
 海に突き出た岩場に登り海中を睨めつける鶏の目に、キロネックスが見えた。浅瀬をゆらゆらと泳いでくる。彼は大きく羽ばたき、岩場を蹴って飛ぶ、そしてそのままキロネックス目掛けてダイブ。
 じゃっぱーん
 真上から鉤爪で掴まれてずたずたにされるキロネックス、さらにクチバシによる連続攻撃で粉々にされる。
 こけーーー!
 狂ったように鉤爪を振り回す鶏、実は溺れそうになっているだけだ。しかし結果的にキロネックスは木端微塵になったのだった。
「勝者、鶏。第三試合、オオスズメバチ対アンボイナガイ、開始!」
 潮だまりに潜むアンボイナガイ、相手がなんであろうと戦い方は変えない。待ち伏せして必殺の毒吻を突き刺して毒殺するだけだ。
 オオスズメバチの女戦士は相変わらず苛立っていた。帝国の周りをうろつく敵を早く倒してやりたいのに、あと何回戦えばいいのだ? 今回の敵は貝? 海にいるだと? 腹立たしい。とっとと片付けてやろう。アンボイナガイがいるのは水深十センチメートルほど直径三十センチメートルほどの潮だまりだった。
――体重差ルール発動。
 体長では十センチメートルのアンボイナガイに対して五センチメートルのオオスズメバチは半分だが、体重では十倍以上のひらきがある、重い貝殻を持った貝と飛翔するために軽量化された蜂、ゆえにこのルールは問題なく発動した。
 巨大化したオオスズメバチは、潮だまりめがけて毒を噴射した。そして上空で待つ。
 アンボイナガイは苦しくなってきた。生まれて初めての毒による攻撃、ここにいたら死ぬ、そう思って潮だまりから逃げる。
 上陸した瞬間、巨大オオスズメバチが襲い掛かる。しかしこのタイミングこそ彼が待っていた必殺、電光石火の毒吻攻撃の間合いだ。食らえ!
 かちん
 しかし硬いキチン質の鎧にはじかれてしまう。慌ててひっこめるが、そこにオオスズメバチの毒針が突き刺さる。
 ずぶり
 猛毒のカクテルがアンボイナガイの体内に浸透し、激痛とともに麻痺が始まる。
 ずぶり、ずぶり、ずぶり
 何度も何度も刺しては毒注入を繰り返すオオスズメバチ、確実に殺すまで手を抜かない生粋の戦士だ。
「勝者、オオスズメバチ。第四試合、人間対ネペンテス・アッテンボロギ、開始!」
 小次郎は小躍りして喜んだ。相手は食虫植物だ。カブトムシとシャチを飲み込んだとはいえ、ツボに入らなければいいだけのことだ。アフリカゾウのように後ろから茎を狙えばいい。アフリカゾウ、優勝候補の一角だと思ったけど、まさかクワガタにやられるとは……、っていうか互角の体重のクワガタか、どう戦えばいいんだ? 密林の中で小次郎はしばし考えた。この次に対戦するのは、クワガタかスズメバチか鶏か……って一見ちゃちな連中ばっかりじゃないか。こんなのが本当に地球代表戦士を務まるのか。思い悩んだ小次郎がふらふら歩いていると、ネペンテス・アッテンボロギを発見した。直径三十センチメートルの漏斗のような葉に溶解液が入っている。ん? 何か浮かんでいるようだが、何だろう? 気になった小次郎がかがんで覗きこむ。
――体重差ルール発動。
 漏斗のような葉が巨大化して小次郎の視界全体に広がり、縁が腰に当たった。前のめりになった小次郎はそのまま頭から落ちそうになった。葉の表面はすべすべしていて掴みどころがない。まずい、油断した、このままじゃシャチの二の舞だ、植物如きに代表戦士の座を奪われて……っていうか消化されちまうじゃないか。
 じゃっぱーん
 ついに溶解液のプールに落ちてしまった。暴れてもがく小次郎の腕が浮遊していた何かに当たった。必死に掴んでその上に乗る。
――ふう、なんとか助かった。一分生き残れば体重差ルールが終了して食虫植物が元の大きさに戻るはず。そうすれば脱出できるな。それにしてもこの浮いている物体は何なんだ? 黒と白で……。うわ、溶けかけのシャチだ! 俺もいずれこうなってしまうのか? 大きかったはずのシャチが何で小さくなっているんだろう? 食われた時点で食虫植物の餌扱いで同化したとみなされたってことか? このままじゃ俺も食虫植物の餌とみなされてしまうのか?
 恐慌状態になった小次郎は葉の壁を殴りつけるがまったく効かない。サバイバルナイフを持ってこなかったのが悔やまれる。武器が欲しい。
 シャチのお腹に黒い槍のようなものが刺さっているの見えた。溶解液に手をつっこんでそいつを引き抜く。ヘラクレスオオカブトの角だった。シャチが縮小しているのに対し、カブトムシの角は巨大化していて堂々たる槍のようだ。小次郎は沈んでいるカブトムシの大きい殻を見て身震いした。俺がここで死んだら、次の対戦者に合わせた大きさになってしまうんだろうな。カブトムシとシャチ、無念だったろうな。まさか食虫植物に食われるとは思わなかったろう。カブトムシの角、槍みたいだな、そうだ、こいつを使えば。
 小次郎はカブトムシの角を両手で構え、葉の壁を鋭く突く。
 ざくっ
 よし! 刺さるぞ。
 ざくざくざくざくざく!
 ひたすら同じ場所に突き刺して穴を開ける。そこから円を描くように突き刺して脱出行を穿つ。タイムリミットは一分だ。間に合わなければ小さくされてしまうかもしれない。気合いをいれるぞ!
 ざくっ!
 力が入りすぎて角が深く突き刺さり、抜けなくなってしまった。畜生、あと少しなのに! 小次郎は両手で角を握り、身体を反らして引っ張る体勢を取って、今更ながら気が付いた。
――壁、低いじゃないか!
 何のことはない。溶解液の液面から葉の壁の上までの距離は小次郎の身長の半分程度なのだった。今まで下に気を取られていて気が付かなかった。小次郎は刺さって抜けなくなった角に脚を掛けて溶解液の漏斗から脱出した。
 どさ
 小次郎が地面に落ちて振り返ると、ちょうどネペンテス・アッテンボロギが元の大きさに戻った。その葉には小さな穴があって内側からカブトムシの角が刺さっている。小次郎は、足元のネペンテス・アッテンボロギ目掛けて渾身のローキックを放つ。
 ぐしゃ
 溶解液をまき散らしながら砕け散るネペンテス・アッテンボロギ、その中から溶けた小さいシャチと、ヘラクレスオオカブトの残骸が飛び出したのだった。
「勝者、人間。三回戦準々決勝は以上で終了だ。いずれも劣らぬ戦士が揃っておるな。次は準決勝だ」
 島には、小次郎の他には鶏とパラワンオオヒラタクワガタとオオスズメバチだけがいた。どいつが相手でも、ライオンよりは弱いんじゃないか?
「では準決勝第一試合、人間対オオスズメバチ、開始!」
 草原に立つ小次郎、周囲には灌木がちらほらと見える。敵はオオスズメバチ、その大顎はゴリラとヒグマを噛みちぎり、毒針はいかなる敵をも毒殺している。体重差ルールなんてなければ楽勝なのに……。でもそれだと宇宙人の銀色の巨人には勝てそうもないからしょうがないか。
 オオスズメバチの女戦士は灌木の影から小次郎を発見した。
――いた! こやつこそ我が帝国を脅かす敵だ。速やかに殺して肉団子にしてやる。
 オオスズメバチは風上に移動し、お尻の毒針から毒のカクテルを霧状に噴霧した。
 不意に小次郎は目が痒くなってきた。涙が止まらないし、咳も出始めた。呼吸が浅く早くなり、苦しくなってきた。全身に蕁麻疹が出て燃えるように痒くなってきた。ついていないことに小次郎はかつて一度刺されたことがある。すなわちアレルギー反応が起こった、それも強力な、所謂アナフィラキシーショックだ
 ぶーん
 来た! オオスズメバチの女戦士が憤怒の形相で迫り来る。
「私は帝国最強の女戦士カーリー。我が帝国に近寄る者は悉く成敗します、ここで会ったが百年目、いきますよ、覚悟なさい!」
 小次郎はたまらず逃げ出した。目が腫れて戦うどころの騒ぎじゃない。慌てふためいて走り出し、常備しているステロイドを飲み込んで炎症を抑える。いかなる薬にも耐性ができてしまっているので常に強い薬を使う、肝臓も腎臓もぼろぼろだ。
――ここで会ったが百年目って、家の近所にいたあいつか? そうだ、俺はこいつを撃退するために……。
 がつ……どしゃ
 木の根っこに躓いて転んでしまった。背中のリュックサックから僅かに残った道具がこぼれ落ちる。
 ぶーーーーん!
 羽音がいよいよ大きくなってきた。小次郎は目当ての道具を見付けて左手に構え、オオスズメバチに向かって噴射する。
 しゅーーーー
 スズメバチ用殺虫剤噴霧、高圧のプロパンガスで噴射されるスズメバチを確実に殺すために作られた化学薬品がオオスズメバチにふりかかる。
――体重差ルール発動。
 オオスズメバチは怯むことなく巨大化して突っ込んできた。小次郎は右手でジッポーを取り出す。
 かち、しゅぼっ……っぼあ!
 ライオンとの戦いを制したスプレー火炎放射だ。炎はオオスズメバチの翅を焼き焦がした。
 翅を焼かれて地に落ち、毒薬に蝕まれても、オオスズメバチの闘志は衰えない「こしゃくな! その首を噛みちぎってやる!」
 炎を以ってしてもその堅いキチン質の装甲は無傷、オオスズメバチは這いつくばって迫ってきた。その頭部、複眼にはたくさんの小次郎の驚愕した顔が映っている。黄色と黒のボディーは、その危険さを表すサイン。死ぬまで戦うことを放棄しない生まれながらの戦闘マシーン。
 小次郎は右手に特殊警棒を持ち、渾身の力を込めて殴りかかる。
 がちん、
 まったく効かないばかりか、腕が痺れてしまう。
 がぶり、みしみしみし
 痺れた腕がオオスズメバチの大顎に挟まれた。皮膚も筋肉も突きぬけ骨が軋む圧倒的な破壊力。
「ぎゃああああ!」たまらず悲鳴をあげる小次郎。
 オオスズメバチは挟んだまま立ち上がり、小次郎を持ち上げる。そしてお尻の毒針を前に出してきた。「突き刺してやる!」
――刺されたら、死ぬ、死んでしまう。奥の手を使うしかない。いくぞ、バーサーカーモード。
 脳内にアドレナリンとエンドルフィンが大量分泌された小次郎は、気が狂ったように暴れまわった。極限の集中力で戦闘プランを練り直す。脳内麻薬全開によって痛みも恐怖もなく、リミッター解除によって潜在能力を極限まで発揮できる、しかしこれをやると確実に寿命が低下してしまうのが難点だ。
 ぶちっ
 何かが引きちぎれた音がしたが、気にしないで脱兎のごとく逃げ出した。
「三十六計逃げるにしかず!」
 小次郎は逃走する。強ければ之を避ける、兵法の基本中の基本だ。右腕の肘から先が消失しているのが見えたが、冷静に動脈を圧迫して止血する。追撃するオオスズメバチは殺虫剤のダメージで動きが鈍い。そして一分が経過し、元の大きさに戻ったオオスズメバチを安全靴で踏みにじる。
「ごめんなさい、我が妹たち。お許しください、女王様。このカーリーはあと二日の天寿を全うできません。我が帝国に栄えあれ」
 オオスズメバチのか細い悲鳴で我に返った小次郎は激痛が襲ってくるのを感じた。勝利の高揚感はなく、オオスズメバチの女戦士カーリーへの畏怖の念だけが残った。
「勝者、人間。第二試合、鶏対パラワンオオヒラタクワガタ、開始!」
 島に戻った小次郎は右腕が元通りになっているのを見て安堵した。アレルギー症状もなく、いたって健康だ。最後の敵は、すごいテクノロジーを持った宇宙人だと思う。そんな連中の代表と、もうすぐ戦うのだ。あの銀色の巨人、腕からビームとか発射しそうだよな。あんなのと戦って勝てるのか? いや、勝つんだ、勝たなきゃだめだ。勝たなきゃ、カーリーとアグニとみーちゃんに申し訳ない。あれほどの戦士に勝ってきたのだ、自信を持って挑もうじゃないか。その前に決勝か。アフリカゾウを噛みちぎったクワガタはかなり厄介だな。
 輝く球体を見ると、鶏とパラワンオオヒラタクワガタが草原で戦っている様子が映っていた。
 体重差ルールによってパラワンオオヒラタクワガタが巨大化すると鶏は飛び上がって逃げて、元の大きさに戻ると鉤爪で捕まえてクチバシを突きたてる。その軽やかな身のこなしに、今まで猛威を振るっていたパラワンオオヒラタクワガタの大顎も空を切るばかりだ。空しく時間ばかり過ぎて行き、体重差ルールの一分を使い果たしてしまった。
 こけーーーーー!
 鶏のクチバシがついにパラワンオオヒラタクワガタを捉えた。背中に深々と突き刺さるクチバシ。
「勝者、鶏。これで準決勝は終了だ。これより決勝戦を行う、勝った方が我ら宇宙連邦最強戦士と戦うのだ。人間対鶏、開始!」
 舞台は里山、のどかに広がる田園地帯。古民家の庭にて対峙する人間の戦士小次郎と鶏。鶏は小次郎を見据えて咆哮する。
「俺の勇気を見るのだ! チキンの名を至高の頂きに押し上げる俺はチキンの王、チキングだ! 赤い鶏冠のチキングだ! この赤い鶏冠に賭けて俺はいかなる挑戦にも逃げはしない。こけーーーー! こっこっこっこっこ! チキン野郎などと絶対に言わせない!」
 鶏は猛然と小次郎目掛けて突進する。
 小次郎が身構えると、鶏は目の前で天空目掛けて飛翔した。
――体重差ルール発動。
 小次郎と同じ体重百十キロになった鶏が滑空しながら攻撃してきた。小次郎は結局使う機会がなかった体重差ルール、これによって大型動物が意外な相手に倒されてきたわけであり、今回もその可能性は否定できない。
 巨大な鉤爪によって頭を掴まれ、そのまま押し倒されてしまった小次郎の見上げた先に、鶏のでかいクチバシが見えた。
――まずい、チキングは目を狙っている。こいつが野犬の頭を押さえて目玉を突っついていたの何度も見ているぞ。っていうかこいつ近所にいたあのチキングじゃないか。畜生、まさかチキンにやられるとは。いや、まだやられていない、最後の最後まで諦めるもんか。よし、バーサーカーモード発動。迸り出よ脳内麻薬。
 脳を高速回転させて導き出した結論、罵倒すべし。怒らして之を撓だすべし。廉潔は恥ずかしむべし。
「おいチキン野郎! 勇気を見せるとか偉そうなこと言うなら体重差ルールででかくなってんじゃねえよ。元々の体重で戦ってみろってんだよ!」
 それを聞いた鶏は速やかに元の大きさ、体重二キログラムの白色レグホンに戻った。
「いいだろう! 俺の勇気を見せてやる。こけ~!」
 どすどすどす
 クチバシの攻撃が小次郎の脚に突き刺さる。
「痛ーな、この野郎」
 小次郎が蹴ろうとすると、チキングはひらりと上空に退避した。
「逃げてんじゃねーよ、このチキン野郎!」小次郎は罵声で追撃する。
「いいだろう! 俺の勇気を見せてやる。このチキング、赤い鶏冠に賭けていかなる挑戦からも逃げはしない!」
 鶏は舞い降り、敢然と立ち向かってくる。
 小次郎は立ちあがって右脚を後ろに振り上げる。筋肉増強剤で異常に発達した下肢の筋肉が躍動し、かつて何人もの対戦者を内臓破裂多臓器不全に追い込んだ必殺の蹴りをぶち込む。
 どぼっ
 安全靴のつま先がチキングの胴体にめり込み、チキングはぶっ飛んで行った。
「見たか! 俺の勇気を……。こ、け」
 チキングは最後まで勇者だった。
「勝者、人間」銀色の巨人の声が響き渡り、小次郎は元の島に戻された。あれほどいた動物たちも今は誰もいない。
「見事なり人間の戦士よ。ついに我が宇宙連邦最強戦士との宇宙の覇権を賭けた戦いだ。存分に戦うがいい。では開始だ」
 小次郎は古い日本家屋が建ち並ぶ町の辻にいた。なんでこんな場所が戦場なんだろう? 宇宙最強戦士とはいったいどんな奴なんだろう。
 いつの間に現れたか、よく見ると道の向こうに男が立っていた。着物を着て、腰に二本の刀をさしている。やや猫背で眼光鋭く、頭髪はちょっと後退しているようだ。その男は低いがよく通る声で語り始める。
「それがし、宮本武蔵と申す」
 驚いた小次郎はその男を凝視した。たしかに、絵に描かれている宮本武蔵そのものの容貌をしているし、その佇まいは恐るべき強さを感じさせる。所謂オーラというものだろうか、迂闊に踏み込んだら即座に斬り捨てられそうな気がする。とはいえ頭の中は疑問だらけだ。何故、宮本武蔵がここにいるのだ? 
「どうして宮本武蔵がここにいるんだよ? 巌流島の決戦はどうしたんだ?」
 宮本武蔵はふふ、と軽く笑って答えてくれた。
「佐々木小次郎との決戦のため巌流島に向かう最中にここに呼ばれてな、ことごとく相手を倒してついには宇宙連邦の刺客も倒して今ここにおるのだ。敵は皆この刀で斬り捨ててきた」そう言って刀を抜く。
「まじかよ。本物の宮本武蔵なのか?」まさかの対戦相手に狼狽する小次郎「俺の御先祖様の佐々木小次郎との決戦を逃げたんじゃなかったのかよ?」
「おぬしの先祖だかは知らぬが、さすがに待たせ過ぎて気の毒じゃ。そろそろ行ってやろうかと思うが、ここでの修行も面白くてな。銀河連邦とやらの代表戦士となってからは宇宙のあちらこちらで強者と決闘に明け暮れておったというわけなのじゃ」語りながら武蔵は音もなく歩み寄るが、小次郎は気が付かない。
「遅いよ、遅すぎだよ、もうとっくに時代が変わっているよ。っていうか宇宙連邦の戦士を倒したんならなんでまた地球に攻めてくるんだよ」
「なに、そろそろ佐々木小次郎を倒しに巌流島に行こうと戻ってきたまでのこと。宇宙連邦には時間を超える船もあるからな。さて小次郎殿、おぬしの祖先の佐々木小次郎をワシが斬ったら、おぬしは消えてしまうがそれでもよいかな?」
 御先祖様が斬られたら俺は消えてしまう!? あまりの事に衝撃を受けて狼狽する小次郎の目の前に、いつの間にか遠くに立っていたはずの宮本武蔵が、刀を抜いて立っている。
「そりゃ」武蔵は刀を振るった。
 ごつん
 頭頂部に衝撃を受けて倒れ伏す小次郎、言葉で惑わして気をそらして不意打ち、兵法者としての貫録、まさに宮本武蔵ならでは。小次郎は激痛の中、意識が薄れて行くのを感じた。
「安心するがよいぞ小次郎殿。おぬしは、佐々木小次郎の名を騙った男に似ておる。おぬしが地球に戻って目を覚ました頃には、この宮本武蔵が史上最強の剣士となっておるはず。それとな、ワシは地球人だしワシに負けたところで地球はワシのもの、相変わらず人間の支配するままじゃ」
 そこに銀色の巨人が現れて宣言する。
「勝者、宇宙連邦代表戦士宮本武蔵、さすがは宇宙最強」
 宮本武蔵はふふ、と軽く笑っていたが、急にしまったという表情になって小次郎に語りかける。
「言うの忘れとった。安心せい、峰打ちじゃ! ではさらばだ」
――峰打ちだって死ぬほど痛いよ……。死ぬ~。
 小次郎は意識を失った。


 唐突に小次郎は、自分がホームセンターからの帰り道にいることに気が付いた。
 慌てて頭をさするが、どこも痛くない。しかし着ているベストもシャツもずたずただし、リュックは無くなっていた。
――あの戦いは本当だったんだな。宇宙連邦に負けたわけだが、宇宙連邦って俺ら地球人の宮本武蔵が代表だったんだな。しかし卑怯なおっさんだったな。敵わないや。
 家に帰ると、猫と鶏が待っていた。猫と鶏は、小次郎を見るとその足元に寄ってきた。
「お、お前ら、みーちゃんとチキング! よかった。生きていたんだ。お前ら凄く強かったよ。チキング! おまえの勇気しっかりと見たぞ」
 ぶーん
 そこに飛来するオオスズメバチ。
「お前、カーリーだな。お前の帝国、壊さないから安心しな。お前も勇敢で強かったよ」
――そういえば俺って、なんで小次郎って名乗っていたんだっけ。親父はたしかうちの家系は、巌流島で佐々木小次郎に勝った宮本武蔵の末裔だって言っていたような気がするし。そうだ、今日から俺は、武蔵と名乗ろう。

宇宙一の格闘王

宇宙一の格闘王

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-11

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著作権法内での利用のみを許可します。

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