貴方の背中に、I LOVE YOU(中編)

貴方の背中に、I LOVE YOU  (中編)
{作品は、フィクションに付き、内容は架空で、事実とは、異なる処があります}

3~4時間過ぎた。土蔵の表から、スクーターの音が聞こえた。町医者と看護婦が、土蔵の中に入って来た。平は険しい眼で、町医者を見上げた。町医者は事務的に、静の脈と眼球を確認して、一言も告げず、スクーターの後部席に看護婦を乗せ、戻って行った。
翌日、警察官が二人、担架を持って土蔵に入って来た。静の遺体を、担架で自分達の警察車両に載せ、平も同乗させられた。途中、警察車両は、黒川商店の前で停車した。警察官二人が、警察車両から降りて、黒川商店に入った。一人の警察官が戻って来て、平にも店に入る様に促したが、平は強引に拒んだ。業を煮やした警察官は、平らに「警察車両から出ない様に」と、言い、店に戻って行った。店の中で、良枝夫婦と警察官が、口論しているのが聞こえた。平は、店の中の様子を伺い、その場から逃げ、土蔵に戻って来てしまった。黄子が、土蔵の前で、尾を振り待って居た。疲れた。お腹が空いた。食べ残した、僅かな食糧を、黄子と一緒に食べ、平は黄子と、抱き合って寝てしまった。静の残した、僅かな食糧は、二三日分しか、なかった。平は黄子と一緒に、町中のゴミ箱の残飯を、漁る日々が続いていた。
ある日、黄子が手提げ袋を銜えて、土蔵に飛び込んで来た。暫くして、土蔵の前に二人の人影が見えた。二人は、土蔵の中に入って来た。黄子が、唸って威嚇した。一人は170センチ程の背丈の男で、もう一人は平と同じ年齢位の女の子で、二人は、親子の様に見えた。二人の衣服は貧祖だったが、衣服の汚れは殆ど無かった。平が異様に思えたのは、男性の顔が、頭巾で覆われ、顔が全く見えない事と、女の子は、口が利けない事だった。良く見ると、男の胸の上部と、女の子の首に、火傷の跡が有った。頭巾の男は「自分達の手提げ袋を、黄子が盗んだので、返して欲しい」と、言った。平は黄子から、手提げ袋を取り上げ、頭巾の男に返した。頭巾の男は、少し、平を見詰めた。彼は、手提げ袋から中味を全て出し、手提げ袋だけを持ち、二人で帰って行った。中味は、食料品だった。平は、男の頭巾が怖かった。翌日も、二人は、手提げ袋に食料品を詰め現れた。頭巾の男は「一人?親は居ないの?」と、物静かな口調で聞かれたので、平は頷いた。頭巾の男は、暫く考えて「ここに、自分達も住んで良いですか?」と、聞いた。平は頭巾が怖くて、首を縦に振った。夕方、二人は荷車に、荷物を載せ土蔵に現れた。頭巾の男は「私の名前は広沢敏郎(としろう)、娘は広沢和(なごみ)です。宜しく」と、言ったが、平は、恐怖感で、自分の名前を名乗る事が、出来なかった。和(なごみ)と言う名前は、静が教えてくれた、父の手紙に書かれた、女の赤子の名前であった。偶然の一致に、平は驚いた。土蔵の表で黄子が、二人を歓迎するかの様に、尾を振り吠えていた。二人の荷物の中には、七輪(木炭コンロ)も有った。和が、手際よく、うどんを作りだした。黄子も、首を傾げ見ていた。丼ぶりに入れた、うどんには、湯気が立っていた。躊躇って(ためらって)いた平に、和が、食べる様に、手招きで促した。久しぶりの、温かい食事であった。空腹の平は、うどんを平らげるのに、時間は掛らなかった。食べ終った平らに、和が水筒を差出した。平は水を飲んだ。平は少し打ち解け、三人は談笑した。言葉の喋れない和は、小さな白ボードに書いて、談話に加わった。平には、家族は静一人だけだった。義衛門夫婦とサトの記憶は、平が赤子だったので、殆ど無かった。平は、土蔵の中の温もりを感じていたが、温もりが何か、平には、未だ解らなかった。翌朝、和が井戸端で、昨晩の丼ぶり鉢を洗っていたので、平も笑いながら、手伝った。
翌日、平と和は黄子と一緒に、手提げ袋を持ち、商店街に出掛けた。口の利けない和は、首にぶら下げた小さな白ボードに、商品名を書いたり、指で、平らに品物を指示したりして、買物をした。帰り道、幼い二人は、公園のベンチに腰掛けた。和は、手提げ袋の中から、煎餅とビスケットとジュースを、取り出した。愛くるしい目で、平らに食べる様に勧めた。平は煎餅を、和はビスケットを、口にした。食べている途中で、和は食べ掛けの煎餅とビスケットを、お互いに交換する様に、せがんだ。平と和は、煎餅とビスケットを食べ合った。平は、和の横顔を、見詰めていた。澄んだ目、透き通る様な白い肌、丸で天使の様だった。でも、肌には赤みは無く、青白かった。和が白ボードに{私の御父さんは、優しいよ。怖く無いよ。貴方の名前は?}と、書いた。平は、未だ敏郎にも和にも、自分の名前を伝えて無かった。平は和の白ボードに、自分の名前と年齢を書いた。和は驚いて{私の御父さんは、平和が一番好きだから、男が生れたら平、女が生れたら和と決めていた様よ。私は女だから、名前が和になったの。貴方と同じ歳ね}と、書き、笑った。公園の花壇が、輝いて居た。それが、幼い二人の初デートだった。土蔵に帰って、平は意を決した。平は「静が死んで、警察官が来て・・・」と、経緯を、全て敏郎に話した。敏郎は平の話を、聞き終えて頷き、明日、役所に行って来る事を約束した。翌日の朝、敏郎は役所に行って、昼頃には帰って来た。そして明日、役所の人が、静の遺骨を持って来る事を、平に伝えた。あくる日、役所の人間が、遺骨を持って土蔵に現れた。役人は「広沢敏郎さんですか?」と、聞いた。敏郎が「はい、広沢敏郎です」と、答えた。役人は骨壺を敏郎に渡した。折しも、以前、義衛門・朝子・愛犬まつが入った骨壺を届けた、同じ役人だった。当時、平は赤子だったので、その役人の記憶は全く無く、役人から、当時の経緯(いきさつ)を聞いて、初めて知った。今回は、骨壺に正式な形式で、番号と名前が貼られて居て、自筆では無かった。役人は「静さんの死因は、過労と栄養不良に縁る(よる)肺炎の併発と、ヤブ医者の死体検案書に、記載されて居ました。義衛門さんから、静さんが相続した遺産は、全て平君の名義に、移動して有ります。裁判所が決め、後見人は、弁護士に成っています。今は、後見人の弁護士が、平君の遺産を、管理しています」と、言い、弁護士の名前・住所・電話番号を明記して有る紙を、敏郎に手渡した。敏郎は「有難う御座います」と、言った。そして、役人は「では、これで失礼します」と、言って帰って行った。敏郎は弁護士の名前・住所・電話番号を、自分の手帳に、書き記し「大切に、仕舞って置きなさい」と、言って、紙を平に渡した。それから、静の骨壺を土蔵に安置した。翌日、敏郎は、自分の手帳に書留めた弁護士を尋ね、平の遺産の保全具合を、確認した。敏郎は、奇しくも、自分が考え抜いた、男子の名前と、同じで或る平に、愛着を覚え、若干、自分の子供の様な感覚に成っていた。
平が、静から受け継いだ手記を、たどたどしい平仮名で書いて居ると、和が覗いてきた。平が「見たい?」と、言ったら、和は首を縦に振った。傍に居た、敏郎が「本当に見ても良いの?」と、確認した。今度は、平が「良いよ」と、首を縦に振って言った。学校に碌に(ろくに)行って無い平は、静から教わった平仮名しか、書けなかった。手記は、既に百冊以上に達していた。敏郎は、和に解る様に、声を出して読んだ。読み終わるのに、冊数が多いので、日数を要した。読み続ける途中で、敏郎と和は、何度も称賛し続けた。敏郎が、平の手記を読み始めてから、期を同じにして、和も自分達のここ迄の道筋を、白ボードに、書いては消し、書いては消して、書き語り始めた。{自分達は、広島で被爆した。母はその時、爆死、遺体は当時の混乱で、今も行方不明、父と自分も被爆したが、生き延びた。父は顔から胸に、自分は首に、ケロイドが残った。自分は首の障害で、話す事が出来なく成った。二人は、今も白血病だ。それ以後、父に対し、周りが拒絶感を持ち、嫌がらせをする様に成り、父は頭巾を被る様に成った。父は、大学で助教授していた。この町には進駐軍の軍事施設が有ると聞き、父は、英語が堪能だったので、この町に来た。今、翻訳の仕事を、米軍は元より、出版社からも、依頼を受けている}との、内容だった。和は荷物の中から、一冊のアルバムを取り出し、両親と自分の古ぼけた集合写真を、平らに見せた。平は、以前から謎だった、敏郎の頭巾の仲の顔が写真で解り、頭巾を気にしなく成った。でも、実際に頭巾の中の実物顔と遭遇する機会は、一度も無かった。
土蔵は平穏で、敏郎は常日頃、辞書を開き、書き物をしていて、殆ど、表には出なかった。銭湯に行くのは、平と和で、二人は丸で、幼いママゴト夫婦の様だった。平が、以前、静と銭湯に行く時のは、何時も女湯だったので、平は男湯に入った事が無かった。平と和は別々に、男湯と女湯に入った。平にとって、男湯は始めてだった。帰りしな、二人は、銭湯の前で待ち合わせた。それは、幼い神田川の様だった。敏郎は、銭湯には行かず、常に、井戸端で背面行水をして、体を洗ってた。敏郎の荷物には、書物が多かった。平と和は、絶えず一緒に遊び、勉強した。敏郎は、語学に始まり、全ての教科を教え、大学助教授の家庭教師の様だった。敏郎の明快で愉快な授業は、二人学力を、メキメキ伸ばしていった。平は、穏やかで温厚な敏郎を、慕う様に成っていた。週に一度、敏郎が翻訳した書物を、近くの郵便局に行き、小包で送った。そして、窓口で、郵便局止めの、敏郎宛の現金書留を貰って来る事と、日用品の買物が、二人の唯一の仕事で有った。その現金書留が、三人の生活源で有った。
二年程過ぎた、ある夜に平は、和の啜り泣きで目を覚ました。和は敏郎の胸で、泣いていた。それは、被爆と世間の冷たい視線に負けた、敏郎の最後の姿だった。平の目には涙が溢れ、平は大切な人を二人も亡くした。平と和の涙は、一昼夜、止める術(すべ)を、知らなかった。翌々日、平は、近くの交番に敏郎の死を報告した。静の時の同様に、警察車両が来て、平と和を同乗させ、敏郎の遺体を運んだ。平には、分別が付いてからの、火葬場は始めてで有った。火葬場の窯から上がる一筋の煙は、二人には無情あった。
一日おいて、例の役人が、敏郎の遺骨を壺に入れて、持って来た。平は、骨壺を静の骨壺と並べて、土蔵に安置した。
敏郎の死を期に、郵便局への現金書留も途絶えた。当然、二人の生活の糧も消えた。平は、二人の生活の糧を得る為に、大人の使い走りや、幼い自分でも出来る仕事など、何でも遣ったが、碌な金銭には成らなかった。結局、二人は黄子と一緒に、町中のゴミ箱の残飯を、漁る生活に戻る様に成った。和の白血病は体を虫食み、肌は日増しに、生気を失っていった。ある日、土蔵の中で二人は、静の、空の衣装箱を挟んで、左右に座っていた。平は、自分側の衣装箱の下から、床に赤い紐の端が、出ている事に気が付いた。和の側にも、赤い紐の端が出ていた。平は、紐の端を引いた。和は、自分側の紐の端を、押さえた。空の衣装箱が外れた。紐が繋がった。平と和は、一本の紐の両端を持っていた。それは、静の赤い腰紐だった。間を置いて、平は「僕のお嫁さんになる?」と言った。和は笑って、白ボードに{はい。平が大好きです}と書いた。平が自分の首から、静の遺品の蛍のペンダントを外し、和に掛けた。{綺麗ね}和は、白ボードに書いた。何も無い、幼い、細やかな(ささやかな)結婚式であった。
三日が過ぎた。和は、敏郎が残した手動式のプレイヤーで、レコードを掛けた。手招きで、一緒に踊る様に促した。指で、平の胸に、ごめんなさい。二人は踊った。踊り終えた二人は、床に座った。和は、首から蛍のペンダントを外し、平の首に戻した。和は手で平を後ろ向きにさせた。平の背中に、ゆっくりI LOVE YOUと、書いた。和の手が止まった。横に静かに倒れた。和は息を引き取った。天使の死に顔であった。ほんの一瞬の、幼い結婚生活であり、短い、和の一生であった。和の体の傍を見ると、一枚の紙が置いて有った。和の文字で{平と会って、一緒に居て、和は幸せでした。もう直ぐ、お父さんとお母さんの元に行くと思います。ペンダント、平のお嫁さんに掛けて上げて下さい}と、書いて有った。数時間して、平は、和の手甲に、敏郎のペンで、刺青するかの様に、平と1センチ程の文字を、彫り始めた。今度は自分の手甲にも、刺青するかの様に、和と1センチ程の文字を、彫り始めた。それは、幼い二人の絆だった。土蔵に警察官が現れ、平らに色々尋ねて帰って行った。和の遺骨は静、敏郎と共に土蔵に飾った。これで、平と心の通う人が、全て天国に行き、残ったのは黄子だけだった。平は、土蔵の屋根の隙間から、漏れる月明かりを見ていた。
数日後、黄子が激しく威嚇して吠えた。土蔵の前に良枝夫婦が立って居た。良枝夫婦は土蔵には入ろうとはせず、したすら、田村家の大きな敷地を、物色する様に見ていた。再び、黄子が吠えだした。武志は黄子を蹴散らかした。良枝が平らに「警察から頼まれた。仕方がないから、自分達の所に来なさい」と、言った。平は、即座に首を横に振った。良枝夫婦「今日は帰るから。また来るから、良く考えて置くのだよ」と、言って、その日は退散した。次の日、保健所の野犬処理班が、黄子を捕まえに来た。既に、老犬化していた黄子は、抵抗したものの簡単に捕えられ、檻に入れられてしまった。平は、野犬処理班の人間に、必死で食い下がり「人間も動物も同じ命だ!」と、何度も叫んだ。黄子を乗せた車は、無情にも、平の前から走り去って行った。平はその場に、泣き崩れた。平は、宛もなく、野犬の収容施設を探し回った。気が付くと、平は、和と初デートした公園のベンチに居た。疲れ果て、平はベンチで寝てしまった。少しして、平を揺り起こす者がいた。目を覚ますと、紺色の背広を着た、ヤクザ風の男が立って居た。男は「坊主、車に乗れ!」と、言って、道路際に停めてある、黒塗りの車を指差した。怖かった。平は指図通り、車の後部席に乗り、隣に、その男も乗り込んだ。暫く走ると、車は和風で質素な屋敷の前で、停まった。「降りろ」と、男が言った。平は、男の言うが侭に車から降り、次に男が降りた。門で若い男が二三人「兄貴(あにき)、お帰りなさい」と、出迎え頭を下げた。門の表札に、武井安造と書いて有った。座敷に上がった。平は、藁にも縋る気持ちで、男に黄子の捜索を懇願した。男は、平に名前を聞いた。「田村平」と、答えた。男は「田村?・・・母親の名前は?」と、訊ねた。「静」平が答えた。安来早に男は「爺ちゃんは?」と、訊ねた。平が「義衛門」と、言った。それを聴いて、男は、暫く間、天井を仰いでいた。「分かった。明日から犬を探す」と、言って、黄子の捜索を承諾した。翌日の夕方、男は、座敷の奥で若い衆から、何か話を聴いていた。男が、平の傍に来て「犬はもういない。今日、殺処分になった。犬を、野犬処理班に通報したのは、市会議員の黒川武志だ」と、言った。良枝夫婦には、平を引き取るに当って、黄子は、邪魔な存在の犬で有った。男から、黄子の事を聞いて、平は肩を落とした。これで、平から、心の通う全てが消えた。
武井安造。言うまでもなく、武井家族の長男、静の幼い頃の親友、安ちゃんである。安造は、幼い頃から義衛門を尊敬し、慕ってもいたし、感謝もしていた。義衛門を目標し、早く義衛門の様に成りたい意識で、職を転々とした。それが、反って焦り、空回りに繋がり、ヤクザの道に入ってしまった。この町では、未だ新興ヤクザで、構成員も少なく、旧ヤクザとの間で、縄張り争いも抱えていた。安造の収入源は、公営競技を利用したノミ行為や、賭場の開帳が大半であり、武井興業と名乗っていた。ギャンブルに手を染める人間は、心に甘えが有る人間だと、安造は常に思っていた。反面、ゆすり・たかりなど、ヤクザの常習的な行為には、一切、手を出さなかった。義衛門の考えが、影響している様にも見えた。安造は独身を、通していた。それは、静への想いが、未だ残って居たからだった。だが、安造は、自分の正体を、平らに明かさなかった。将来、昔の自分を明かす時が、必ず来ると思っていた。安造は、自分と若い衆とは、年齢的にも余り差が無く、組長とか親分と呼ばれるのも嫌いで、若い衆には、自分を兄貴(あにき)と、呼ばせていた。でも、平には歳の差が親子程あるので、親仁(おやじ)さんと呼ばせる事にし、平は、若い衆から平と呼ばれた。
安造は、若い衆に、土蔵から平の荷物を、全て運ぶ様に命じた。敏郎が残した荷物も、全て安造の屋敷に運び込まれた。安造が、遺骨は床の間に置く様に指示した。平は、一部屋を安造から与えられた。安造は眼光が鋭く、笑顔を見せないので、怖いイメージが有った。故に、平は、隠し事なしに、静から貰った物と敏郎から貰った紙などを、全て安造に見せた。安造は、一晩掛かって、それに目を通し、床の間の静の遺骨に合掌し、じっと見詰めていた。安造は、自分の免許証の中に隠し持っていた、静の中学生時代の写真を見詰めた。安造が、最後に静の姿を見たのは、中学の卒業式であった。それは、安造の心の光が消えた様な、悲しい寂しい目で有った。翌朝、安造は、昨日、平から預かった物を全て、平らに返した。武井興業の食事は、外食・出前が大半で、まれに若い衆が料理を作っていた。こうして、平の、男所帯のヤクザ社会の生活が、始まった。
平は長い間、学校に通って無かった。安造は、平を先ず、小学校に行かせる様にした。折しも学校は、静に連れられて入学式の門を潜った小学校だった。隣のクラスには、良枝の息子の鉄也がいた。学校の教師が「長い間、不登校だったので、学力試験をしてから、どの学年から始めるか、決める」と、言った。平は、学力試験を受けた。学力は、同じ歳の子供より、数倍上だった。土蔵に於ける、敏郎の家庭教師のお陰だった。安造も吃驚した。平は、部屋に閉じ込もって居る間は、常に敏郎から貰った辞書や百科辞典を、開いていた。平は、それらの書物を読むのが、趣味でも有った。若い衆が、何か解らないと、幼い平の所に行って、聴く様になった。
平は、床の間にある、三つの骨壺と、敏郎が撮った黄子の写真を、以前、母と一緒に
行った合祀の墓に入れたいと、安造に頼んでみた。安造は、即、了承した。若い衆の運転で、平と安造は合祀の墓に向かった。寺に着いて安造が、若住職と親しげに話始めた。どうも、若住職とは、初対面では無い様に、平には思えた。
ある日、平の隣のクラスの哲也から、平の居所を聞いたらしく、武志が、安造の屋敷を尋ねて来た。武志は低姿勢で「親分さん。自分達は平の親戚だから、平の後見人に成りたい」と、平の遺産目当ての、腹黒い発言だった。安造は鋭い眼光で威圧的に、武志を追い払った。以後、武志は恐れを感じ、安造の所に、現れる事は無かった。
月日が流れた。平は高校三年生に成っていた。ある日、安造が「今日は遠出するから、平も一緒に着いて来い」と、指示した。安造が三か月に一度、必ず一週間程、留守になる事を、以前から平は気が付いていた。車に乗って「今日は、親仁さん自身が、運転するのですか?」と、平は聞いたが、安造は無言だった。車は走り出した。暫く行って、車はホームセンターの駐車に入った。当時、日本ではホームセンターは殆ど無かった。偶々、この町では進駐軍の基地が在り、アメリカ人が多かった為に、ホームセンターの必要性が有った。周辺の町にも米軍の基地が点在し、多くのアメリカ人が、ホームセンターに訪れ、商品もアメリカ商品(made in America)が多かった。安造は、ショッピングカートを三台、持って来る様に、平に命じた。安造がショッピングカートに、食料品や衣類や雑貨など、あらゆる商品を、入れ始めた。三台のショッピングカートは、瞬く間に一杯に成った。安造はもう二台、ショッピングカートを持って来る様に、平に命じた。五台のショッピングカートは、商品で満杯に成った。レジに向かった。商数が多いので、会計するのに時間が掛かった。後ろの客が、文句を言った。安造は、例の鋭い眼光で、後ろの客を、じろっと見た。後ろの客、口を噤んで(つぐんで)しまった。二人が、商品を車のトランクや後部席に、積み込んでいると、両手に、商品が、大量に詰ったレジ袋を持った老女が、よろよろ歩きで通り掛かった。それを見て安造は、老女の手に有る、商品がぎっしり詰ったレジ袋を、全て自分の手に持ち、老女の車に運んだ。運連席では、息子らしき男が、口を開けて、居眠りをしていた。老女は安造に、何回も頭を下げていた。平は、安造の意外な一面を見た。昼前に、一軒の古民家の前で車は止まった。古民家の屋根には、蛍の家と書かれていた。家の中から「パパ」と、言って、子供達と犬が飛び出して来た。子供達は、安造に、次々抱き付いた。安造の目が、何時もとは違い、温和な優しい目に変わっていた。古民家から、二人の三十歳前後の女性が、出て来た。子供達は手送りで、車のトランクと後部席に積まれた商品を、手際よく古民家に運び込んだ。子供達が、平らに向かって、一斉に「こんんちわ」と、言った。平は、面食らって「こんにちは」と、返事した。初対面なのに、年上風の女性が「平君、いらっしゃい」と、言った。年下風の女性は、ただ、笑っているだけだった。平は、益々解らなくなった。安造が「腹減った。澄子・桃子、昼飯にしてくれ」と、言い、年下風の女性は「分かった」と、答えた。三人は、静の、幼馴染で親友の、武井兄妹の現在の姿である。ダウン症の桃子は、少ししか口が利けなかった。古民家の大部屋の中で、子供達が、安造の持ち込んだ商品を開け、はしゃぎ合っていた。年少の子供が、玩具の商品の奪い合いを始めたが、年長の子供が仲裁に入っていた。蛍の家は、年上は平の年頃から、年下は三歳位までの、男女の孤児院であった。人数は20名程で、犬五匹と猫三匹も居た。大人は、澄子と桃子の二人だけだった。野鳥は、周囲が農村で、餌が豊富に有ったが、蛍の家には、猫も居たので、寄り付かなかった。年長の子供は、澄子と桃子の手伝いも、熟して(こなして)していた。平は、昼食を子供達と一緒に、古民家の食堂で食べた。食堂の壁には[上を見てください。貴方より頑張っている人は、一杯います。下を見てください。貴方より貧乏な人は、一杯います。両方見る事が出来れば、貴方は人間です]と、義衛門の言葉の書かれた額が、掛かっていた。平は、若しや、この人達は、静の手記に書かれていた武井兄妹では?と、思った。昼食を終え、子供達は各々の部屋か外庭に散って行き、食堂には、安造と澄子と桃子と平の四人だけが、残っていた。小学生の女子が、お茶を出してくれた。安造は平に、自分達の事を、話す時期だと思っていた。安造と澄子と桃子は、各々胸元の衣服に隠れたペンダントを、取り出した。それは、平が掛けている蛍のペンダントと、同じだった。安造が「これが解るか?」と、言った。そして安造は、田村家族の事や、両親の事や、合祀の墓の事など、全てを、ゆっくり語り始めた。平は、じっと話を聞いていた。安造の話は、静が残した手記と、同じ内容だったが、安造の両親を合祀の墓に入れた事と、桃子がダウン症だから、澄子が面倒をみる為に結婚しない話は、始めて知った。安造が語り終えたら、澄子が「私は今幸せよ。沢山の子供に囲まれて居るから。安ちゃんにも、感謝している」と、言った。「蛍の家の名前は、義衛門さんの合祀の墓に、感銘して付けた。蛍の家の子供達で、年長者は、戦後の混乱時に拾った浮浪児(戦災孤児)、他は、親が育てる事が出来ないで、預けた子供だ。子供達から、澄子は大ママ(おおまま)、桃子は小ママ(ちいまま)と、呼ばれ、俺はパパと呼ばれている」と、言った。平は、久しぶりに人の温もりを、感じていた。翌朝、目覚めると、隣に寝ていた安造が、居なかった。窓に目をやると、安造は、表の家庭菜園で子供達と一緒に、野菜作りに励んでいた。蛍の家は元、農家の古民家で、敷地も三反(900坪)有り、家庭菜園には余る程の広さで有った。ヤクザの安造が、野菜作りに従事している姿など、平は、想像した事も無かった。平らに気が付いた安造が「平、起きたか。朝飯にするか?」と、言って、子供達と一緒に、食堂に上がって来た。澄子と桃子が、年長の女子と一緒に、配膳をしていた。子供達は先ず、テーブルの上の食べ物に、合掌をしてから食べ始めた。全員の食事が終わると、子供達は学校に出掛け始めた。年少者を先頭に、年長者を最後尾にした、犬同伴の徒歩での登校行列は、毎日が小さな遠足の様だった。午後の三時頃、澄子はボデーに児童養護施設・蛍の家と書かれた、ワンボックスカーを運転し、家庭菜園に入って来た。次々に子供達が、学校から帰って来た。子供達は手分けして、野菜作りに従事する者、野菜を車に運ぶ者に、散っていった。一日おきに、蛍の家で食べきれない野菜を、近くの住宅街で、売るそうだ。ワンボックスカーに野菜を積み終えたら、澄子の運転で、年長の子供三人と一緒に、住宅街に向かった。住宅街では、子供達が作った野菜が、住民から賛同を得ており、行く度に完売であった。厨房では、桃子と年長の女子が、夕飯の支度を始めた。武井兄妹は幼い頃、貧乏で食事も、碌に摂れなかった。勉強も大事だが、孤児には、自分で稼ぐ経験が、将来、役に立つと安造は考えていた。収益は、子供自身の将来の為にと、子供達各々の通帳に預金された。夜、仕事を終えた子供達は、子供同士で遊びに興じていた。幼い頃から、友達が居なかった平は、その光景が、羨ましかった。安造と平が、武井興業に帰る前日に、小学生の二人の子供が、学校から帰って来た。二人は「下校時に御財布を拾った。皆で分けて言い」と、言った。それを、見ていた安造は、村の交番に財布を、持って行く様に指示した。二人は自転車に乗って、交番に向かった。安造は、人の金を猫糞(ねこばば)するのは、極端に嫌っていたし、それが、教育の基本でも有った。蛍の家の事は、武井興業に帰っても一切口外しない様にと、平らに命じた。帰りしな、子供達が「平、また来てね」と、手を振って、見送った。安造が平と呼ぶので、子供達も、何時の間にか、平と呼ぶ様に成っていた。
平が、蛍の家に行き始めてから、毎年の夏、蛍の家の全員で、マイクロバスを借り切って、合祀の墓に行く様に成った。それは子供達に夏場の、合祀の墓の蛍を、見せてやりたいと、言う安造の配慮と、子供達に、合祀の墓に眠っている義衛門が、自分達の原点だと、認識される為だった。
一週間、子供達と共同生活をした安造と平は、屋敷に帰り、安造の目も、元の鋭い眼光に戻った。
成績抜群な平は、高校の担任教師からも、進学を薦められていたし、自らも大学で、勉強したかった。しかし、平は高校にも進学させてくれた安造に、これ以上の、自分の意志を言えなく、結局、大学進学を断念した。安造が、自分自身で稼ぐ経験の方が、将来、自分の為に成ると考えている事も、平は知っていた。高校を卒業すると同時に、安造は、自分の賭場に来て働く様に、平に命じた。安造は、平を自分の後継者にする、心算でいた。
平が賭場に、常駐する様に成ってから、三か月が経った日、若い新しい客が、入って来た。平は直ぐ判った。良枝夫婦の息子、哲也である。哲也も、平だと察知した。哲也が「久しぶり。此処に居るの?」と、声を掛け、平が「やぁあ!」と、答えた。賭場で哲也は、常連客に成っていったが、負ける回数の方が、多かった。一ヶ月過ぎて、また哲也が、声を掛けて来た。「今日は、平に頼みが有る。俺の代りに、大学の授業に出席してくれないか?俺は勉強が苦手だ。親父と御袋が[将来、有名大学を卒業してないと、大企業には就職出来ない]と、うるさく言われ、仕方なく大学に入学した。大学に入ったのも、県会議員の親父の、コネと金の結果だ。教授は、全学生の顔など、認識している訳じゃない。授業の際、学生の返事だけで、出席の有無を確認している。先輩に、教えて貰ったのだが、出席日数が足りないのと、試験の成績が悪いと、卒業出来ない。俺、浪人したら、親に顔向けが出来ない。平は頭が良い。宜しく頼む」と、言った。完全なる裏口入学だ。平が唖然として聞いていたら、哲也が切りだした。「大学の費用は、俺が全て出す。親父は、社長で県会議員だ。一人息子の俺には、幾らでも出して呉れるから、大丈夫だ」少しの間、平は考えた。自分は金も無いし、勉強する機会も無い。賭場の開帳は、何時も夜が決まりだ。大学の授業は、昼間だ。勉強は好きだ。勉強すれば、義衛門爺ちゃんの様に、成れるかも知れないし、堅気の、最、良い仕事に就けるかも知れない。しかも学費は、掛らない。斯くして、平は、哲也のピンチヒッターを、安造に内緒で、引き受ける事にした。
代理学生・平は、都内の総合大学の門を潜った。そこは、若者の活気で満ち溢れた、別世界であった。平は、自分の学部を含め、他の学部の授業までも、貪欲に受講した。しかも、平は時間の許す限り、複数の運動サークルにも積極的に参加した。それは、さながら、水を得た鯉の様で有った。成績も優秀、サークルにも精力的な平は、周りの学生から人望を集めたが、平が代理学生だとは、誰も知らなかった。大学も三年の中間に差掛ると、就職活動の季節になった。成績抜群で親も県会議員の代理学生・平こそ哲也は、大手銀行に内定した。代理学生・平は、大学の卒業式には出席した。卒業式終了後、大学の正門で待ち構えていたのは、哲也と哲也の母親の良枝だった。卒業証書は、代理学生・平の手から、哲也の手に移った。良枝は、我が子の実力で卒業したかの様に、はしゃいでいた。運転手付の、高級車が横付けした。良枝と哲也は、その車に乗り消え去った。運動サークルで鍛えた平の体が、寂しく小さく見えた。
卒業式を終えた数日後、平は職安(ハローワーク)や新聞の求人広告を基に、就職活動を始めていた。平は、堅気の仕事に、拘って(こだわって)いた。自分なりに、大学の成績をアピールしたが、大学の卒業証書も無く、親もいない平は、どの会社でも対手に、され無かった。行詰まった平は、大学の仲間を訪ねようかと、考えた。平の脳裏に、自分が孤児であり、仲間にも代理学生を隠していた事が、明るみに出てしまうと、思った。平の足は武井興業に向かって、力なく歩き始めた。安造が、平の部屋に入って来て「駄目だったろう。明日から、もっと家業に励め」と言った。安造は、平が大学に行っている事を、四年間、静観していたのだ。
哲也が大手銀行に勤め出して、間も無く県会議員の武志の贈収賄が発覚。続いて公金横領も暴露された。武志は、県会議員の当選を期に、社長を退き会長に就任、新社長は良枝が引き継いでいた。贈収賄も横領も、複数回に及んでいた。次に、黒川商店の食料品の原料・産地偽造も露呈した。資金繰りに困った良枝社長は不渡手形を乱発、挙句(あげく)の果てに、自社商品からは、大腸菌の混入も報道された。武志は失脚・投獄、良枝も投獄された。信用を重んじる銀行は、哲也を解雇した。哲也は公営ギャンブルや賭場で、一攫千金の大勝負、サラ金や消費者金融に、多大な借金を作った。黒川家族は、没落の一途を辿った。
街場で商店街の人達が、奉仕清掃活動を行っていた。武井興業の若い衆も、参加していた。商店街の揉め事にも、武井興業は積極的に、仲裁に入る様になり、商店街の人からも、頼りにされる存在に、成っていった。これらの慈善活動は、全て平の発想から、始まっていた。平は「此れからは、ヤクザも堅気の商売に、転じていくべきだ」と、安造に進言した。警察もヤクザに、対しての風当たりが、日増しに厳しく成っていた。安造も、それを感じていた。「平の考えも、一理あると思う」と、安造が言った。
蛍の家に、平が車で訪れた。今日は平一人だった。代理大学時代に、彼は運転免許は取得していた。平は、台所で女性達が料理を作っているのを、見ていた。女の子が、虫食いのキャベツを、千切りにしていた。彼女が「最初から、細断したキャベツが有れば、料理が楽ね」と、何気なく言った。平は、家庭菜園で獲れた野菜の内、形の整っていない物や、虫食いの跡が有る物は、商品価値が無いので、蛍の家で使うか、廃棄処分している事を知っていて、常々、勿体ないと思っていた。土蔵で、黄子と一緒に暮らしている時は、黄子が街場のゴミ箱を漁り、残飯を自分達の食糧にしていた。平は煌めいた。細断した野菜を売れば、売れるのでは?翌日、虫食いのキャベツを千切りにし、袋に小分けして詰めた。平も同行して、千切りした小袋のキャベツを、住宅街で試に売ってみた。小袋キャベツは、瞬く間に売り切れた。次に、大根・人参・ゴボウなども、千切りして販売してみた。即、完売し、反響は凄かった。住宅街の主婦達から「自宅での、細断の手間が省け、料理が楽だ」と、言われ、大好評だった。蛍の家の台所は、千切りの作業場に変わり、作業場は食堂までにも及んだ。家庭菜園の野菜は、極上な物を残し、大半は細断商品にした。生産と細断が、追い着かず、年少の子供まで駆り出した。効率を上げる為、ホームセンターから、耕運機一台と、細断専用の器具を、数個買い揃えた。作付けする野菜は、形状よりも、味と無農薬を優先し、有機栽培にした。蛍の家を卒業した子供達を、呼び戻した。周辺の休耕田を借り、野菜畑を拡張した。安造に頼んでトラックを二台、増車し、他の住宅街にも、売りに行く様になった。平は、卒業した子供達に、経営のノウハウを教えた。大事な事は目標を創る。それを、期限を決めて実行する。失敗したら、何が悪いのか、反省をする。反省こそが、自分達の技術革新だ。人間は諦めた時が、その人の終わり」と、指導した。それは、大学時代に平が学んだ事だった。次第に、周辺のスーパーからも、注文が殺到し、蛍マークの細断野菜の生産は、益々忙しくなった。作業場も増築したが、注文の殺到には、焼け石に水だった。蛍マークの細断商品の経営が、軌道に乗ったのを確認して、澄子と蛍の家の卒業生に任せ、平は武井興業に戻った。安造は、平が、何か義衛門に似た非凡なものを、持っている、と感じ始めていた。
平と安造が、蛍の家に、何回も訪れた内の、ある日の事だった。その日は日曜日で、丁度、安造の誕生日だった。蛍の家の食堂に入ると、テーブルの上に、一メートル程の大きさの、五目寿司が用意されていた。細断した椎茸で[パパ、誕生日、おめでとう]と、寿司の上に描き書かれていた。五目寿司の中味は、蛍の家で作った野菜が、大半だった。今日は、日曜日の休日で、午前中に、蛍の家の全員で、作ったそうだ。安造が「昔、パパが食べた、キャラ弁の、百倍の大きさだ」と、言い、自分と静と澄子が、校庭でキャラ弁を食べている光景を、思い浮かべていた。平も、静が書いた手記のキャラ弁を、想像していた。蛍の家の子供全員が、安造に近付いて「おめでとう」と、ハグし、安造も笑顔で「有難う」と、頬擦りをして返した。安造の満面の笑み姿は、完全にヤクザ失格の姿だった。一人の、女の子が「平にも、ついでにハグして、上げようか?」と、言った。「ついで?」と、平が言った。女の子が「違うよ。平が、カッコイイから」と、言った。女の子が全員、平とハグした。蛍の家が、ほのぼのとした、雰囲気に包まれた。
平が、町の銀行で、融資担当者と話し合っていた。平が成人と成ったのを期に、平の裁判所が定めた、弁護士の後見人は外され、義衛門から静へ引き継がれた、膨大な財産は、全て平の名義に成った。進駐軍も撤退し、義衛門の工場の跡地も、更地で戻ってきた。景気も安定して、相続した株式も、平静さを保っていた。義衛門の自宅の敷地は、市による空爆の片付けも終わり、土蔵だけを残していた。膨大な資産を、受継いだ平は、銀行にとって、資産家のお客様に変貌した。平は、義衛門の工場の跡地に、縫製工場を復活したかった。しかし、韓国や東南アジアの国に押され、日本の繊維産業は、衰退の道を歩み始めていた。価格では無い、独自のデザインや素材で作る、品質重視の縫製工場が必要だと、平は考えていた。日本中の、地場産業の製糸関係や和紙工場を、汲まなく回り勉強した。研究の結果、軽くて、吸湿性が在り、丈夫な、独自な繊維を開発した。美術大学から、デザイナーの卵をスカウトした。銀行から融資を受け、製糸・織物・縫製の一貫工場を設立した。次に、東京・大阪・名古屋の三大都市圏を中心地に、自社ブランドのテナントを展開した。ブランドの必要性は、静の手記から、義衛門が考えたコソ泥スタイルの弁当配達犬より、ヒントを得、ブランド名はGIEMON(義衛門)と、敢えて英字にした。但し、製造元は武井興業㈱にした。平は、安造に恩義を感じていた。組織も、株式会社に変更して、自分は専務で、社長には安造を就任させた。次第に、GIEMONブランドは、老若男女を問わず指示された。平は、大学時代と敏郎に学んだ、流調な外国語で欧米にも出店した。義衛門の屋敷跡には、土蔵だけを残し、海外の留学生の寄宿舎を建て、無料で留学生に提供した。だが、海外の、富裕階級の留学生は、受け入れなかった。寄宿舎の留学生の中には、武井興業㈱に就職して、欧米の店に派遣される者もいた。土蔵は、自分の原点で有り、平にとって郷愁を感じる場所でも有った。土蔵に手洗を設け、小さな厨房も増築した。武井興業㈱の本社は都内に存在した。しかし、会社の中枢業務は、殆ど土蔵で行い、平は、昼間は土蔵で、夜間は安造の屋敷で過ごした。
安造には、平に義衛門の魂が、乗り移ってかの様に見えた。安造は、平の行動力に圧倒され、学問の必要性も認識させられた。安造は、ヤクザの武井興業を解散し、堅気の新生、武井興業㈱に移り、若い衆も吸収され堅気に成った。でも、若い衆の社員教育は大変で、歩行から修正した。ヤクザの解散を期に、細身の夕子と、丸ぽちゃのアキと云う、若い女の子が、安造の屋敷に、家事の賄役として務めた。二人は蛍の家の、卒業生だった。男所帯の安造の屋敷に、花が咲いた。卒業生の二人は、相変わらず、安造をパパ、平を平と呼んでいたが、若い衆は、全員、安造を社長、平を専務と呼ぶ様に成った。
平は30歳を超えていた。平は母・静の「大人に成ったらフィリピンに行き、慰霊碑の父・正義に、会って欲しい」と云う、静の遺言を覚えていた。寄宿舎の留学生の中にフィリピン人でライアン・ガルシア(Ryan Garcia)と、言う男子学生が居た。偶々、彼はルソン島北部の貧しい農村の出身で有った。平は彼に父・正義の名前を言うと、彼はビックリしていた。彼は「私達の恩人・田村正義殿(Our Benefactor Mr. Masayoshi Tamura)ですか?」と、言った。平が頷くと、彼は「ルソン島では、有名な人物です。皆が知っています」と、言い「自分も専務と一緒に行きたい」と、平のフィリピン行きの、同行を願い出た。半月後、平とライアンは、マニラ空港に到着した。そして、二人はルソン島北部の町に向かった。静から貰った、ホセ・ゴンザレス(Jose Gonzalez)手紙を頼りに、平とライアンは、ゴンザレスの居場所を探した。ゴンザレスは、町の近郊の一般住宅に、住んでいた。彼は、六十歳前の中肉中背な男性だった。平が、慰霊塔の写真と、ゴンザレスの手紙を見せ、自分の出生を明かすと、彼は平の訪問を、大変喜んでくれた。その日は、正義の思い出話で夜、遅くまで語り合い、二人はゴンザレスの家に泊めて貰った。ゴンザレスは、タガログ語(現地語)混じりの英語で有ったので、タガログ語は同行したライアンが通訳いた。大学で外国語を勉強した平も、タガログ語までは、学んでいなかった。
翌日、ゴンザレスの案内で、慰霊碑に向かった。慰霊碑には、既に大勢の人が、平を待ち侘びていた。平は、熱烈な歓迎を受け、人々の握手攻めに会った。ゴンザレスが静に送ってくれた写真通り、灯台兼の、石造りの八メートル程の大きさの慰霊碑で、北東の方角に向かって、建てられて居た。慰霊碑は、綺麗に清掃され、英字でOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義殿)と刻んで有った。慰霊碑を見た平は、胸に込み上げる物が有り、慰霊碑に涙と一緒に抱き付いた。それは母・静や父・正義の、悲しく無念な思い出が、入り混じった物だった。人々は、貰い泣きをした。彼等の中には、この町の町長や、周辺の町長の姿も有った。人々の、大合唱が始まった。日も傾き、歓迎会も一段落した。この町の町長から「感謝状を贈呈したいので、是非、町庁舎に来て欲しい」と、依頼された。平とゴンザレスとライアンは、町庁舎に向かった。町庁舎の玄関を入ると、そこには、2メートル程の大きさの父・田村正義の肖像画が飾られていた。額の下には、英字でOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義殿)と、書かれていた。平にとっては、この様な大きさの父の顔は、見た事が無かった。町長公室に入った。そこには、先程会った、この町の町長の他に、慰霊碑で見掛けた、周辺の町の町長も、待機していた。町長から感謝状が贈呈され、周辺の町の町長からも贈呈された。感謝状にはMr. Masayoshi Tamura (田村正義殿)と記して有り、平は父・正義を誇らしく思った。その晩、町長は、町民参加の最大なパーティーを企画していたが、恐縮した平は辞退し、有志だけの、小さなパーティーに変えて貰った。パーティーの席で、列席者達に、父・正義の遺骨を、日本に持って行きたい意向を、伝えた。列席者達は、揃って難色を示した。列席者達は、自分達の命の恩人である父・正義の遺骨を、自分達の傍に、埋葬して置きたい気持ちが強かった。平は、正義の遺骨を、母・静が眠る合祀の墓に納骨するのを、断念せざるを得なかった。翌日の朝から夕方まで、持参した手記で、義衛門と静が書いた部分だけを、ライアンに読まして、ゴンザレスに聴かした。「義衛門さん、静さん、優しいね」と、タガログ語で言って、ゴンザレスは、目頭を押さえた。手記を読んだライアンの目にも、涙が光っていた。
ライアンは、是非、平に自分の家にも、来て欲しかった。ライアンの意に沿い翌日、彼の家に向かった。途中は、見渡す限りの田園風景だった。水田には、水牛と人の姿だけで有った。ジムニー(乗合自動車)で、ライアンの家に到着した。ライアンの家族は、両親と彼を含め、五人兄妹の、貧しい農家だった。ライアンは長男で、学校の成績が抜群だったので、国の奨学金が貰え、日本まで留学できた。現在は、日本の某国立大学の農学部に、留学生として、在籍していた。ライアンは「自分の家は小作で、地主から土地を借りて、農業を営んでいる。日本で農業技術を学んで、機械化による、生産能力が高い農業したい。そして、お金を貯めて、自分の土地を持ち、両親を楽にして上げたい」と、彼の抱負を言った。ライアンに連れられ、周りの水田を見に行ったが、農業機械は全く無く、水牛と人だけが、黙々と働いていた。平の企業家精神に、火が付き始めた。
フィリピンから帰り、現地での歓迎の催しや、父・正義の事を安造に報告し、安造も喜んでくれた。でも、安造には素直に喜べない気持ちも、僅かに有った。それは、正義への対抗意識が、心の隅で、今だ、隠れて居たからである。平は、今回、始めてライアンと一緒に、合祀の墓にも赴き、静に、フィリピンでの内容を、報告した。
平は、蛍の家に居た。今回は始めて、留学生ライアンを同行させた。細断野菜は大当たり、蛍の家の三反(900坪)の敷地は、全て細断野菜の工場に変わり、町場からパートやアルバイト従業員を雇うまでに、成長していた。世の中はバブル絶頂期、地上げ・就職は売り手市場・国民の大半がポケットベルを、所持する時代で有った。一方農村では、若者は都市部に流れ、若者の農家離れが加速、田畑は荒れ果て、労働力不足に購入した農業機械は、埃をかぶって居る状態だった。勿体ない。平とライアンは、農協や農家を個別に回り、中古の農業機械を、安価で買い集めた。そして、自動車解体業の会社に委託して、買い集めた農業機械を解体し、部品化し、フィリピンに送った。二人はフィリピンに渡り、買収した現地の農業機械販売店で組立て、再度、農業機械にした。そして農業機械を、安価で貸出した。現地は人件費が安く、組立て費用は、微々たるものだった。農業機械を完成品で送ると、関税が高く、部品化して送ると、関税が安い事も調べた。それに、完成品よりも部品化した方が、輸送に関しての船賃が安い事も調べた。留学生の、ライアン・ガルシア(Ryan Garcia)は大学四年生で、卒業してフィリピンに帰る予定だったが、一時、平の武井興業㈱に勤めた。ライアンは、平を尊敬し慕っていた。平は、正義の慰霊碑が有る町に、農業機械レンタルの武井興業㈱、合弁の子会社フィリピン武井㈱(Philippines TAKEI Co. Ltd.)を創立し、自分は社長に就任した。そして、ライアンを日本の武井興業㈱から、合弁の子会社に配置換えをして、専務(原地総括者)に抜擢した。合弁の子会社は、当初、従業員五名でスタートした。フィリピン人の小作農民は、資力に乏しく、中古の農業機械でも購入は無理だと、平は考え、安価で小作農民に、農業機械レンタルする会社にした。就任したガルシア専務は、従業員五名と、小作農民を回り営業した。田村正義の息子が起した会社だと知り、町の協力も得て、フィリピン武井㈱(Philippines TAKEI Co. Ltd.)の業績は、急激に伸びたが、レンタル料が安価な為、利益は少なかった。農業機械のレンタルに伴い、生産効率も上がり、新田開発も順調に進み、小作農民の生産量も増えた。しかし、過剰労働力を抱えたこの国は、出稼ぎ大国で有り、国家予算も、出稼ぎの仕送りに頼る割合が、相当多かった。それ故、農業機械に、自分達の雇用の場を奪われる、と言う、反対勢力も根強かった。
平は、首都マニラに、コンドミニアム(マンション)を、借りて住居を移した。コンドミニアムは、質素な造りでも、部屋数は程々在り、メイド付だったので、家事の心配は、なかった。平は、欧米まで進出している、義衛門ブランドを、東南アジアにも、展開したいと、考えていた。フィリピンは、スペインとアメリカの統治下の歴史が有った。国民の大多数がカトリック教で、言語も英語が主体で或るから、東南アジアでは一番、欧米文化が、根付いていると考えた。それに、平は、父・正義の最後の地で、慰霊碑も在る、この国に愛着を感じていた。マニラの中心街に、義衛門ショップの東南アジア一号店を、出店した。アジア一号店は、マニラ市民から好評を博し(はくし)、平の思惑は当った。
ある日、平はマニラ北方のスモーキー・マウンテン(自然発火したゴミが燻り、煙が立ち上る、ゴミの山)に居た。ゴミを漁り、その日の僅かな糧にしている、子供達の姿を見詰めていた。通過して来た道路でも、無数の、ストリートチュルドレン(浮浪児)を目にした。悲惨な光景で在る。平は、走馬灯の様に、黄子とゴミを漁った昔を、想い浮かべていた。
フィリピン武井㈱を創業してから、五年以上過ぎたある日、平のコンドミニアムに、ガルシア専務が、平と同じ年頃の、フィリピン人男性を連れて来た。彼は「私の名前は、ロベルト・ペレス(Roberto Perez)です。私は、ガルシア専務と同郷で、現在、マニラ近隣の農村に住んで居ます」と、自己紹介し、「社長の経営方針に賛同し、フィリピン武井㈱とフランチャイズ契約をしたい」と、言った。ガルシア専務も「フィリピン武井㈱の業績を伸ばす為にも、良い方策だと思う」と、言った。平は、ロベルトの、経営の方向性が同じだと思い、フランチャイズ契約を承諾した。この一号代理店を期に、フィリピン武井㈱のフランチャイズ契約は、拡大していった。平は、ガルシア専務にもロベルトにも、自分が田村正義の息子で或る事を、伏せる様に口止めした。平は、父・正義の功績で、自分の事業が成就出来た様に、思われるのを嫌っていた。昔、哲也が大学に入ったのも、県会議員の親父・武志の、コネと金の産物だった。ロベルトは、帰りしな「社長は、音楽が好きな様ですね。ガルシア専務に聞きました。私の知っているキャバレーで、歌が上手い、女性シンガーがいます。聴きに、行きませんか?」と、平を誘った。平は、日本でもキャバレーには、旧・武井興業の若い衆に誘われ、数回行った事が有ったが、女性には、不器用で奥手だった。勿論、フィリピンでは、キャバレーは初体験であった。昔、土蔵で敏郎が手動式のプレイヤーで、進駐軍下がりのアメリカのレコードを、絶えず聴かせてくれ、平も、それらの曲が好きだった。翌日、音楽が好きな平は、誘いを受け入れ、ロベルトと一緒に、キャバレーに行った。ステージでは、小麦色のスリムな美人シンガーが、ハスキーな声で唄っていた。平とロベルトはソファーに座り、二人のホステスが来た。ホステスが酌をしても、平は、例の如く奥手で無口だった。年増のホステスが平に話し掛けた。「お客さん、この店始めて?何処かで、見た事が或る?テレビとか新聞に、載った事ない?」と、訊ねた。平は黙っていた。年増のホステスは、ロベルトにも「知らない?」訊ねたが、口止めされていたロベルトは、咄嗟に首を横に振った。平は、何事も無かった様に、ハスキーボイスなシンガーの歌に、じっと聴き入っていた。他にも数曲、唄った。一曲目は昔、平が土蔵で聴いた曲でもあり、和(なごみ)と土蔵で踊った唯一の曲だった。ロベルトが気遣いして、シンガーを客席に呼び寄せた。奥手の平が「素晴らしい、上手い」と、拍手して絶賛した。席に着いたシンガーは、ステージで見るより、はるかに美人で、純粋無垢の可愛い女性であった。彼女は、化粧をして無く、仄かに、口紅だけ注していた。シンガーが、平の煙草に火を付けた。シンガーの手の甲が、目に入った。平は、シンガーの手を取り、食入る様に見た。平は、彼女の手の甲を擦った。手の甲には、小さな痣(あざ)が有り、平の形をしていた。シンガーに名前を聞いた。ハーモニー(和Harmony)と、答え、「フルネームは?」と、聞くと「ハーモニー・フェルナンデス(Harmony Fernandez)」と、答え、スペイン系の血も、混じっている事も言った。「誕生日は?」と、聞くと和(なごみ)と、奇しくも、月日は同じであった。更に、シンガーは「昔、私の町で、町の人達の命を救った、日本人が居たの。その人は、田村正義( Mr. Masayoshi Tamura)と、言って、日本軍の軍人さんだった。自分の命を犠牲にして、町の人を助けたの。その人の軍服の中に、二枚の写真が有ったの。一枚は家族の写真で、裏に生まれて来るBabyの名前が有ったの。自分は、平和(Peace)が好きだから、男なら(平Level)女なら(和Harmony)と、名付けて欲しいと書いて有ったの。その話しを、町の長老から、私の父が聞いて、私をハーモニー(Harmony)、弟をリベル (Level)と名付けたの。平は、昔の土蔵の和(なごみ)を、思い返していた。和(なごみ)が、首から蛍のペンダントを外し、平の首に戻したペンダント事や、{平のお嫁さんに、掛けて上げて下さい}と、紙に書いて有った事の意味が、解った様な気がした。それ以降、平は毎日一人で、ハーモニーの居るキャバレーに、足を運ぶ様になった。ハーモニーが歌を唄っている時は、一人、ソファーで歌を聴き、彼女が唄い終えると、席に呼び、彼女の話を聴いた。彼女は、身の上話も話してくれた。「家族は、私と両親と二歳違い弟の四人で、父親は鍛冶職人だったが、私が子供の頃、死んでしまった。収入が無くなった母親は、マニラに行けば仕事が有ると聞き、三人でマニラに来ました。家が無いので、スモーキー・マウンテンのスラムに、住み付きました。母親は、レストランの厨房で働いていたが、私が十五歳の頃、死んでしまったの。それ以来、弟と一緒にスモーキー・マウンテンでゴミを漁ったり、路上で停車している車の、窓ガラスを拭いたりして、生きて来ました。偶々、スモーキー・マウンテンで、キャバレーの広告紙を拾いました。シンガーの唄っている写真が、載っていたの。元々、私は唄うのは好きだった。キャバレーに行って見たら、今、シンガーが辞めて、新しいシンガーを探している処でした。オーディションを受けて採用され、一年半が過ぎました。今も、弟と一緒にスモーキー・マウンテンのスラムに住んでいるの。今も弟には、仕事が無い。私の給料が二人の生活費です」と、言う内容だった。平は、ハーモニーが欲しかった。でも、ハーモニーは美人だから、直ぐに宿敵が現れるのではと、心配になってきた。奥手の平は、焦った。
平が、キャバレーに通い始めてから、一週間が過ぎた或る夜、平は、ハーモニーを、自分のコンドミニアムに誘った。平は、コンドミニアムのメイドに、事前に、一ヶ月の休暇を取らせていた。部屋で少し話をしてから、平は「ハーモニーが欲しい」と、言って、ベッドの上にハーモニーを、強引に押し付けた。ハーモニーは激しく抵抗した。ハーモニーは、平を、単なるシンガーと、お客との関係としか、考えていなかった。それに、二人は年齢差20歳程も有り、ハーモニーにとって平は、小父さんであった。商才に秀でている平は、奥手で、女性を抱くのは、初めて経験であり、ハーモニーも、男性に抱かれるのは、初めてであった。平は、ハーモニーの衣服を剥いだ。ベッドの上には、小麦色で小鹿の様な、しなやかな裸体が現れた。平には、眩しく魅力的だった。初体験の平は、我武者羅にハーモニーを抱いた。交わり終えた平は、椅子で余韻に滴っていた。一方、ハーモニーは布団を被り、泣いていた。平は、部屋に彼女を軟禁状態にして、出て行った。部屋には、女性用の衣服と充分な食糧が、置いて有った。その夜、平は部屋に戻り、再び、ハーモニーを抱いた。平には、ハーモニーとの男女の交わりが、最高の楽しみになった。そんな日々が、続いた。軟禁状態のハーモニーは、次第に、平の、為せるが侭に、成っていった。
二週間が過ぎたある日、部屋の納戸の鍵が、開いているのを、ハーモニーは気付いた。何気なく、納戸を開いた。そこには、蛍のイニシャルが印刷された、大量の紙袋が入っていた。納戸の棚に、古新聞が一部有った。古新聞には、ハーモニーの郷里に在る、慰霊碑を郷里の人が囲んだ集合写真で、中央に平が載って、タイトルにはOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義 殿)の御子息 Mr. Taira Tamura (田村平 殿)が訪れた。と、記されていた。古新聞の横に名刺が二箱あり、片方はフィリピン武井㈱社長(田村平Level Tamura)、片方はGIEMON(義衛門)武井興業㈱専務(田村平Level Tamura)と、印されていた。子供の頃から、スモーキー・マウンテンの自分達の住まいに、何時も、ミスター蛍(Mr. Firefly)の紙袋が置いて有り、中に食糧が入っていた。自分達は、ミスター蛍(Mr. Firefly) の御蔭で、生きて来られた。でも、ミスター蛍(Mr. Firefly) の正体は、誰も知らない。そう言えば、田村平Level Tamuraは、首から蛍のペンダントを掛けている。何時も、彼は、深夜に留守にする。深夜に、ミスター蛍(Mr. Firefly)の紙袋を、配り歩いていたのだ。彼が、ミスター蛍(Mr. Firefly)なのだ。田村平Level Tamuraは郷里の恩人、田村正義の息子であり、有名なブランドGIEMON(義衛門) は、彼だったのだ。ハーモニーは驚いた。彼女は、自分が今、玉の輿(こし)に乗り掛けている事に、気が付いた。同時に、自分の様な底辺の人間は、平とは、不釣り合いだと、不安も感じていた。反面、この様な、人格も有る立派な人物が、自分を求めて来る事に、喜びを感じた。ハーモニーは、自分が平の癒しの対象だけで充分だと、考えた。夕方、平が帰ってきた。彼女の方から、優しい眼差しで「する?」と聞いた。平が、驚き頷いた。平は、ハーモニーと男女の交わりをした。交わり終えると「もう一度、する?」と、今度は笑みを浮かべ、彼女は聞いた。「夕食、食べてから」平が答えた。二人で夕食を食べた。平は急に、ハーモニーの態度が素直になったので、疑問を感じていた。ハーモニーは、平の癒しの欲求には極力、応じて上げたいと、思う様になっていった。素直で優しくなっていくハーモニーを、平も益々好きになり、部屋のドアの鍵も、掛けなくなった。
ある日、仕事で疲れた平が、ハーモニーを、求めなかった。ハーモニーは心配になった。平が求めてくる限りは、平の愛に安心感が有った。ベッドの上でハーモニーが、平に「したいの!」と囁き、要求した。平が振り返り、ハーモニーを抱いた。二人で愛の交感を満喫した。
翌日の夜、二人はキャバレーに居た。キャバレーでは、ハーモニーが消息不明で居なくなったので、男性シンガーが唄っていた。年増のホステスが、席に来て「久しぶり、無断欠勤して如何したの?」と、聞いた。「うーん」と、ハーモニーは、言葉を濁した。年増のホステスが「ハーモニー、前より綺麗に成ったね。女は、恋していると綺麗になるのよ!」と、言い、ハーモニーは笑いながら俯いた。男性シンガーが、ハイトーン声で、唄っていた。上手かった。ハーモニーは、平の胸に顔を埋めて踊った。年増のホステスが「田村さん、私も踊ってよ」と、言うと、咄嗟にハーモニーが「平と踊るのは、駄目!」と、俯いて言った。年増のホステスは「解りました」と言い、微笑んでいた。
翌々日、ハーモニーは平に、「ミスター蛍(Mr. Firefly)」と、言った。平が驚いてハーモニーの顔を見た。ハーモニーは、部屋の納戸の中の事を言った。平は、自分の事を絶対、口外しない様に、ハーモニーに口止めした。ハーモニーは、口外しない条件に「自分もミスター蛍(Mr. Firefly)を、手伝いたい」と言い張り、止む無く、ミス蛍(Ms. Firefly)が誕生した。平は「ハーモニーが、消息不明の間、常時、弟のリベル (Level) には、ミスター蛍(Mr. Firefly)の袋を置いていた」と、言い、弟が、自分達のコンドミニアムに、一緒に住む様に、諭した。以後、弟のリベル (Level) も、コンドミニアムに一緒に住んだが、仲睦まじい二人に、当てられ放しだった。好調なGIEMON 義衛門ショップは、ケイソン・シティやダバオ・シティにも、出店していた。平は、仕事が無い弟のリベル (Level)を、マニラの一号店に勤めさせた。弟はハーモニーに似て、イケメン(二枚目)だったので、女性客に人気が有った。ある日、平は、ハーモニーとリベルを、コンドミニアムの部屋の椅子に座らせ、静から貰った手記や、その他、全てを二人に見せた。手記は、日本語で書かれているので、平が、英語に翻訳して、長時間かけて、読み語った。平は、自分の手の甲に彫ってある、和の文字の刺青を見せ、ハーモニーの手の甲に有る、平の形の痣と並べ、幼い頃の和(なごみ)との経緯を話した。ハーモニーとリベルの目から、涙が流れていた。平はリベルにも、自分がミスター蛍(Mr. Firefly)である事を、打ち明けた。リベルは「自分も、是非、ミスター蛍(Mr. Firefly)を手伝いたい」と、言い哀願し、平は仕方なく許諾した。そして蛍(Firefly)は三匹に成った。その夜、ベッドの上で、平は首から外した蛍のペンダントを、ハーモニーの首に掛けた。彼女は、蛍のペンダントの意味を、十二分(じゅうにぶん)に理解していた。ハーモニーは、平から真の愛を貰った。彼女は、涙を流しながら「和ちゃん(なごみちゃん)、有難う」と、言って、平に抱き付いた。そして二人は、永遠の愛を誓い、愛の交歓をした。ハーモニーは、交わり終えた平の横向き背中に、口の利けなかった和(なごみ)と、同様にI LOVE YOUと、指でゆっくり書いた。ハーモニーは、早く和(なごみ)に成りたかった。彼女は、子供の頃に、両親を亡くしたので、頼る者が無く、常時、不安感を抱いていた。平の出現は、嬉しくて堪らなかった。カトリックの信者で或る、ハーモニーは、キリストに感謝した。それ以来、交わり終えた平は、ハーモニーの腕と乳房の二か所に、キスマークを付ける様になった。それは、平が、彼女の所有権を、誇示する気持ちも有ったし、結婚指輪の無い彼女を、周りが既婚者として認識させる、烙印の意味もあり、動物が縄張りを誇示するマーカーに、何処か似ていた。平は結婚指輪より、蛍のペンダントが、最高の愛の価値が有り、一番大事だと思っていたし、ハーモニーも充分、それを認識していた。そして、平のキスのマーキングは、自分が、平の物で有る証しだとは悟り、同時に喜びも感じていた。
二人は、マニラの市役所と、日本の領事館に、婚姻届を提出した。ハーモニー・フェルナンデス(Harmony Fernandez)は、ハーモニー・F・田村(Harmony F Tamura )に名前が変わり、田村平(Taira Tamura)と、ハーモニー・F・田村(Harmony F Tamura )は正式な夫婦と成った。
ハーモニーは、毎日、昼間はコンドミニアムに一人で居た。平とリベル (Level) は、朝出勤して、帰宅は夕方か夜だった。経済的には、平の収入で、充分過ぎる程だったが、彼女には寂しく、暇だった。キャバレーのシンガーの仕事も、無断で休んだ為、解雇された。平が帰宅したら、ハーモニーの姿が見当たらない。ベッドルームのドアを開けた。彼女は、ベッドで布団を被り、少し御機嫌斜めで、寝て居た。ハーモニーが「抱いて!」と、言った。平が布団を剥がした。いつもの、小麦色で胸が御椀型した、均整とれた裸体だった。平は、彼女の胸を、両手で優しく、鷲掴みした。平が愛の交歓を終えると、ハーモニーは、心が安らぐ様に、そのままの姿で、布団を掛け眠ってしまった。それ以来、二人とも裸で寝て、睡眠をするのが慣習になり、彼女は、絶えず、平の胸に抱き付いて眠った。ハーモニーは、平の心が自分から離れ、子供の頃の悲惨な生活に、戻るのが怖かった。平の胸に抱き付いて眠る時が、一番気持ちが休まった。平は、彼女の、美しい裸体を、見るのが好きだった。美術画の裸婦を、見る心境にも似ていた。そして彼女の恥じらう仕草は、大変、刺激的だった。平には、ハーモニーが、心から可愛く、愛しかった。何時も、一人で居る彼女の寂しさを察し、翌日、平はハーモニーに「自分のオフィスで、秘書として働く様に」と、言った。彼女は「大好きな平と、一緒に居られる」と、飛び上がって喜び、平に抱き付いた。台所で、ハーモニーが、三人分のキャラ弁を作っていた。キャラ弁は、平が手記を読んでくれた時から、始まった。三人での初出勤だった。明るくて、美人で気配りの良いハーモニーの評判は、会社でも上々だった。仕事も、テキパキと熟した。キャラ弁は会社でも、リベルのGIEMON(義衛門)ショプでも、噂に成っていった。オフィスで、ハーモニーの胸に、偶々、平の手が触れた。ハーモニーは、自らの、ブラウスのボタンを外し、平の手を、自分の胸に入れた。「する?」と、ハーモニーが聞いた。平が頷いた。ハーモニーは、部屋の鍵を掛け、ソファーに横たわった。彼女は、平の欲求に、即、応じられる様に、生理の時以外、終始、下着は、一切着けていなかった。二人は着服のまま、ソファーで、男女の交わりをした。交わり終えた平に、ハーモニーは「平、気持ち良かった?」と、聞いた。平が「良かった」と、答えると、ハーモニーは「嬉しい。平が気持ち良いと、ハーモニーは一番幸せ!御免ね、服、着たままで」と言って、平の背中に抱き付いた。いつの間にか、ハーモニーは、平を平と呼ぶ様に成っていた。部屋のドアに、ノックの音がした。ハーモニーが鍵を開けた。社員が入って来た。それは以前、平のコンドミニアムに働いていた、メイドだった。二人は、平静な態度を装っていた。会社では、二人は専務と秘書の関係で、結婚している事は伏せていたが、仲睦まじい二人に、会社の誰もが察していた。再度、メイドが掃除を為、部屋に入ってきた。床を掃き始めた。手を休め、メイドがハーモニーを見続けた。腕と胸元のキスマークを、発見した。メイドが「専務が付けたのですか?」と、聞いた。ハーモニーは、人差し指を口に縦に当て「魔除けだって!内緒ね」と、嬉しそうに答えた。メイドは「御馳走様」と、含み笑いで言い、鼻歌を混じらせながら、床を掃き続けた。
平は、ハーモニーと結婚した事を、父・正義や安造や合祀の墓に、報告したかった。ガルシア専務と、代理店のロベルト・ペレスに電話して、父の慰霊碑が有る町に、行く事にした。スモーキー・マウンテンには、一週間程留守にするので、三匹の蛍で、食糧入りの紙袋を多目に置いた。平とハーモニー・リベル・ロベルトは、車に乗り、慰霊碑が有る町へ向かった。町で、ホセ・ゴンザレスとガルシア専務が、出迎えた。皆で、慰霊碑に向かった。平とハーモニーは、慰霊碑の正義に二人の結婚を、報告した。その足で、ハーモニーの両親の墓にも、結婚の報告をした。ホセ・ゴンザレスから、町長が「話が或るから、平に町庁舎に立ち寄って欲しい」と、言う、伝言を聞いた。皆で町庁舎に向かい、町長公室に案内された。町長は、握手で歓迎してくれ「お目出当御座います。この町出身の女性と、結婚して、誠に光栄です。田村平殿 (Mr. Taira Tamura)と、我々は、親戚に成った様です」と、称賛の言葉をくれた。「以前、田村平殿が慰霊碑を訪れた際、Our Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (私達の恩人・田村正義殿)の遺骨を、日本に持ち帰りたい、との申し出が、有りました。あれから、我々は、何度も協議しました。我々の命の恩人象徴である、田村正義殿の遺骨を、我々の傍に、埋葬して置きたい考えは、町民に根強く有りました。日本の静・奥様の墓に、返して上げるべきだ、との考えも有りました。我々は、何日も話し合いました。田村正義殿が、静・奥様に書かれた最後の手紙に、日本に帰りたい、と、書かれていた事も、ホセ・ゴンザレス(Jose Gonzalez)から聞きました。結局、我々は、田村正義殿の意思が一番大事だと、言う考えに至り、遺骨を日本に戻す事を、決めました」と、町長は言い「田村平殿に提案が有ります。遺骨を日本に戻すに当って、遺骨の御別れ会をしたいと思います。これは町民全体の考えです。是非、受けて下さい。それと、御両人の結婚披露式も、兼ねて催したい」と、言った。平は「有難うございます」と、言って、了承した。皆の握手の手が、繋がった。一週間後、慰霊碑の前に、仮設のステージが組まれた。当日は、町中は元より、近隣からも大勢の人が集まった。正義の遺骨は、既に、ステージに置かれていた。町長から平に、遺骨が手渡された。会場は、満場の拍手だった。次に、純白なウエディングドレスに包まれたハーモニーが、ステージに現れた。再び、会場が、満場の拍手と口笛に溢れた。式も終盤になり、会場の人々が唄い始めた。それは、大合唱に拡大していった。遺骨との別れを惜しんで唄う人や、両人の結婚を祝して唄う人などで、悲しみと喜びが、入り混じった式であった。ハーモニーとリベルは、超満員の会場を見て、改めて、田村正義の偉大さに感服していた。
その夜のパーティーで、ハーモニーは自慢のハスキーボイスで数曲、唄った。久しぶりの彼女の歌に平は満足だった。ハーモニーはロベルトに、ほろ酔い調子で「ロベルトは、愛のポーター(運ぶ人)さんね。こんなに素敵なハズバンドを運んでくれて。有難う」と、言った。ロベルトは「どう致しまして」と、謙遜して、笑いながら答えた。ハーモニーが「でもね、最初は強引で怖かったの」と、言った。ロベルトが「今は?」と、聞くと、ハーモニーは「今は、大・大好き!」と、答え、平の唇にキスをした。平が照れて笑っていた。夜遅くまでパーティーは続き、皆が、酔っぱらった。ホテルに帰ったのは、全員、深夜遅くだった。平とハーモニーは、部屋のベッドで、着衣のまま、眠ってしまった。翌朝遅く、平とハーモニーは目覚めた。数分おいて、彼女は昨日、平と愛の交歓を、してない事に気が付いた。毎日、一回以上、愛の交歓するのは、日課で有り、平とハーモニーの、夫婦円満の秘訣だった。昨日は、朝から二人とも忙しく、夜には疲れて、着衣のまま、眠ってしまった。ハーモニーは「昨日、してないよ!」と、少し怒り気味で言い、裸になった。平は「ごめん」と、言い、即、彼女を抱いた。交わり終えたハーモニーは「良かった?」と、聞いた。平が頷くと、平の唇に、軽くキスをした。交わりの後に「良かった?」と、聞くのは、彼女の口癖になっていた。ドアを叩く音が聞こえた。ドアを開くと、リベルが立っていて「朝食、食べにいかない?」と、言った。三人は食堂に向かった。食堂には、既にホテルの客はいなく、ロベルトとガルシア専務だけが、朝食を摂っていた。「お早うございます。昨夜は酔って、朝起きるのが、遅くなって仕舞ました」と、ロベルトとガルシア専務は、苦笑いを、しながら言った。三人は、二人の仲間に入り、朝食をした。朝食を終えて、平はホテルのロビーで、ガルシア専務とロベルトから、フィリピン武井㈱の、現状報告を聞いた。今年は干ばつで、田畑の収穫量が非常に少ない。農家の現金収入が減っているので、農業機械のレンタル料も、滞納する人が多い。収穫量が少ないから、仕事も少なくなり「農業機械に、自分達の仕事を奪われる」と、言う、勢力が台頭して来て、苦戦している。それに、レンタルした農業機械の、盗難も時々ある。でも、代理店の件数は、着実に増えている。との報告だった。平は、「当社でユンボ(小型パワーシャベル)などを手配して、水源から水路を造るなり、地下水を掘るなどの対策を考えたら。単一作物から多種多様な作物に、作付け変換を、農家にアドバイスする。ガルシア専務は、日本の大学の法学部を卒業しているのだから、最(もっと)、考える。行動を起こさない限り、何も産まれない。マスメディアを使って、農業機械の生産性の向上を、アピールして、フィリピン武井㈱の宣伝をする。大事な事は目標を創る。それを実行する。失敗したら、何が悪いのか反省をする。 人間は諦めた時が、その人の終わり」と、進言し、ガルシア専務も「解りました。頑張ります」と、答えた。ガルシア専務は、平を自宅に寄る様に、誘った。ガルシア専務の家族が、平一行を道路まで出迎えた。「今は、自分と妻と子供達で農家を、営んでいる。長男のガルシア専務が、自分の給料の大半を、入れてくれるので生活は、相当、楽になった。御蔭で、耕作している水田の半分は、自分達の物に成った。未だ、半分は地主の物だ。社長の田村平さんには、感謝している」と、ガルシア専務の父親が話した。庭先に、フィリピン武井㈱の農業機械が二台、停めて有った。一行はガルシア専務の自宅で、夕食を御馳走になり、その夜、マニラに向かって、帰路に付いた。
平とハーモニーは、マニラ湾の夕日を見ながら、ベンチに座っていた。沈む太陽と、浜辺の人と椰子の木とのシルエットは、実に美しく、黄昏に優しく輝いていた。ハーモニーが、平の肩に、頭を凭れ掛けて「綺麗ね」と、言い、平の手に、自分の手を重ねた。そして、自分の手の甲に付いた、平の文字の痣を、見ていた。二人は、マニラ湾の夕日が好きで、常日頃、デートをしていた。靴磨きの少年が、近づいて来て「靴を磨いても、良いか?」と、聞いた。平は磨いて貰った。毎度、お馴染みのバイオリンを持った町のシンガーが、バイオリンを弾きながら、唄い始めた。二人は踊った。踊り終えた平は、シンガーに金を払った。平は、リベルにマニラ湾に来る様に、電話した。リベルが来た。三人は、近くの大衆レストランで、夕食を摂った。平は、贅沢な高級レストランは好まず、外食は常に大衆レストラン済ましていた。以前から平は慰霊碑より持ち帰った、父・田村正義の遺骨を、早く合祀の墓に納骨したかった。ハーモニーとリベルも日本に帰り、墓に同行させる心算でいた。今回は、一ヶ月程の旅行になると、考えていた。今の日本は冬で、寒い。本当は、蛍の舞う夏場に行き、合祀の墓を見せたい。でも、静が待っている合祀の墓に、父の遺骨を、一日でも早く入れて上げたい。一ヶ月以上、留守にするから、蛍の紙袋の配布を、代理店のロベルト・ペレスに頼む。と、平は自分の考えを、ハーモニーとリベルに話した。二人は、始めて日本に行けるので、大喜びしたが、反面、蛍の紙袋の配布は、少し心配だった。夜も遅くなり、三人は、スモーキー・マウンテンに到着し、車から蛍の紙袋を、手押し車に積み替えた。そして、三人はアイマスクを着け、蛍の紙袋の配布を始めた。翌日、ロベルトを会社に呼び蛍の紙袋の配布を依頼した。ロベルトは、三人がミスター蛍(Mr. Firefly)とミス蛍(Ms. Firefly)と知り、衝撃を受け、同時に胸を打たれ「是非、協力させて欲しい」と、快く了諾してくれた。平は、自分達がスター蛍(Mr. Firefly)とミス蛍(Ms. Firefly)である事を、ロベルトに内密にさせ、アイマスクと蛍の紙袋と車のキーを渡し、車の中に手押し車が有ると伝えた。ガルシア専務に、日本行きを連絡したら「自分も、同行したい」と、欲したが、フィリピン武井㈱の社長と専務が、同時に二人とも、一ヶ月以上、留守にするのは不味い(まずい)と、平は考え、ガルシア専務には、今回の日本行きを断念させた。

貴方の背中に、I LOVE YOU(中編)

貴方の背中に、I LOVE YOU(中編)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted