ELYSION(旧約)web版

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序章『ハジマリの朝』

「や…やってしまった……」

この日、定期船の上でジーク・リトルヴィレッジは人生最大の後悔をすることになる。
こんなはずではなかった…と言っても今更遅い。

ここは陸地から離れた海の真ん中に浮いた島にある戦士や魔法使いを始めとする戦闘のプロを養成する全寮制の専門学校。

筆記試験の段階で何かおかしいと気付けなかった自分が恥ずかしい。
官僚学校に魔物の倒し方の問題が出るはずがなかったのに……。

くしゃくしゃに握った入学のしおりを睨みつけても表紙の文字は変わる事はない。

戦士になるどころかまともに剣さえも握った事がないジークが間違えて入学してしまったのは『エリュシオン戦闘専門学校』。

そもそも受かったことさえ不思議なのだが、ジークは今それ所ではない。

これから始まる学校生活に不安しかなかった。
……事の始まりは今から少しさかのぼる。

色とりどりの小鳥達がじゃれ合いながら緑が生い茂る森の中を飛び交い、広い空の下に出ると急な勾配のある崖を一気に滑空して降りていき、やがて川の傍にある小さな村へと群れを成して向かって行った。
赤や黄の色とりどりの花で賑わうこの村はもうすぐ春を迎えようとしていた。

今日はそんな春のある日の事。

春の訪れを祝う日と同時に、村の外れにある小さな小屋に両親と暮らす少年が旅立つ日でもあった。

少年は小さなリュックを背負ったまま家を振り返ると、目を閉じてまだ陽も昇っていない薄暗い空と冷たい澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「よし…じゃあ、行ってきます」

そう言って見送りの両親へ微笑みかければ、二人も笑みを浮かべながら手を振り返してくれていた。

予てから村を出る事は考えていたものの、今いち踏ん切りが付かなかった彼の背中を押したのは、この世界で一番大きな大陸にある最大級の学校からの入学願書が受理された事と、両親の応援だった。

全体的に真っ黒な髪と、大きく分けた金の前髪が特徴の少年は、逸る気持ちを押さえながら歩き出す。

昨日の内に村の人に挨拶は済ませておいて正解だったと思った。
ちょうどこの村は、この春から隣の街と合併する事が決まり、畑仕事をしている両親の取引先もあっさりと決まって安泰だった。
そしてこの日、少年…ジークはこの村から出る事を決めていた。

目的はもちろん、このホワイトランドで一番レベルの高い学校へ行く事。
エリュシアン官僚学校を卒業出来れば、小国と言えど、この国の官僚になることが出来、両親に楽をさせてあげられれば、と思ったからだ。

要するに出稼ぎだった。

魔法やら、奇術やらが当たり前にある世界で、ジークは十八歳という年齢にも関わらず、現実的で老けている考え方をしていた。

手には、これから入学する予定のエリュシアン官僚学校のパンフレットを持ち、リュックの中には夢と希望とお金と、入学証が入っていた。

ここから、栄えあるエリートへの道が拓ける第一歩だと思えば胸は躍り、脳内の自分は興奮してリンボーダンスを踊っていた。

平穏と堅実。

これがジークの目指す大人であり、大好きな言葉だったりする。

まだ少し冬が残っているこの時期は、春用の制服を着たジークには肌寒かったけれど、同い年くらいの子達と学び、寝食を共にするなんて初めてで、胸の奥がくすぐったいような気がした。

第一章『Friends of the dragon』

むかしむかし、人魚の姫が人間の男に恋をしました。
しかし相手は人間であり、海の中で暮らすことしかできない人魚の姫の恋は叶うことなく、それでも彼を諦めきれなかった姫は、人魚の世界の掟を破ってまで彼と結ばれようとし、ついには泡となって消えました。

しかしその話には続きがあったのです。

人間への憧れを捨てることが出来なかった人魚の姫は、海の魔物として生まれ変わり、今もこの広い海をさ迷っているのです。
彼女の歌声は美しく、ときに人を惑わせる程の力を持っていました。
海の中で船を待ち伏せ、彼女は歌を歌い、人々を惑わせて次々と船を沈めて行きました。
全てを呪い、愛した男が自分と同じように海で生きればいいというように…。
そうしていつしかその海は、呪われているとの話が広まりました。

そして今も、暗い海の底で次に沈める船を待ち伏せていることでしょう…。

「…なるほど、な」

ぱたん、と読んでいた本を閉じたジークは、徐に青い美空と、太陽の光を反射してキラキラと輝くエメラルドグリーンの海へと視線を移した。

今ジークが居るのは、春から入学する予定のエリュシアン官僚学校への大陸へと渡る定期船の上だった。

この本は入学証明書と一緒に同封されていた。

入学のしおりを全部読み切ってしまって退屈していたジークだが、現実主義者の彼にとっては人魚やら呪いやらは正直、どうでもよかったりする。

海を旅する船乗り達はこの人魚の伝説を信じているのかどうかはわからないが、ちょうど暇だったジークにはいい暇つぶしになった。

本を甲板の床に置いたジークは、リュックの中からもう一度入学のしおりを取り出して目を通し始めた。

世界最大級を誇るエリュシオン戦闘学校は、二年ごとにしか生徒を募集しておらず、募集の度に定員オーバーになるほどの人気であり、入学願書の段階で弾かれてしまう事もある超難関だ。

最初の一年は学費が免除されるが、それから卒業までは学費を払わなければならない。
特待生という例外はあるが、それは本当にごく一部だろう。

そして、エリュシオン戦闘学校に入学できた生徒達は適正に応じて四つの科にわけられる。

『普通科』…普通科という名の通り、一般的に一通りの学問を学ぶ。違いがあるとすれば、超能力者の集まりだと言える。

『体育科』…読んで字のごとく、体育以外の教科をほとんど勉強する事はない。
所属する生徒は武術や軽業を得意とする、

『援護支援特科』…おもに集団戦闘において、隠密・射撃・罠師等後方支援を得意とする生徒達にあたる。こちらも、体育科と同じように戦闘力を重視する為、通常の学問がほとんどなく、人体の構造を理解する保健体育が大体を占めている。

『特進科』…上記の三つの科よりも遥かにハードルの高い学力を必要とする魔法科。
様々な属性の魔法を使える生徒達を集めた、いわばエリート集団である。

それらを一通り読み終えるとジークは、その下にあった特待生制度について、の項目を凝視した。
両親の援助で二年目を過ごすジークにとって、好意で貰ったお金でもあまり使いたくはない。

ちなみに、一般的な教養が学びたく、エリートコースを進みたかったジークだが、事前に行われた筆記試験で普通科に振り分けられている。

出来る事なら特待生になって二年目も免除で行ければいいなぁ…だなんてボンヤリと考えていると、頭上の雲が次第に厚い暗雲で覆われて行く事に気付いた。

「ん?」

嵐が来るにしては風はほとんどなく、ジークが不審に思いながら船内に戻ろうとした時、入れ違いになるようにして船員達が飛び出してきた。

押しのけられるようにして甲板に尻もちをついたジークは、暗雲の中から何かが下りてくるのが見えて、逃げるのも忘れて目を見開いた。

風を切るようにして雲の中から急降下で姿を現したのは、真っ白い蛇のようなものだった。
それでも、申し訳程度に角や翼が生えている事から龍なのかもしれないが…。

龍らしきものは、意識を失っているようで四肢を投げ出したままジーク達の居る甲板の上に落ち、身体を床に叩きつけたと同時に黄色い煙を上げた。

途端に、船員達は甲板の端に備え付けらえていた武器を手に龍を取り囲み、どさくさに紛れてジークもその円の中に加わった。

やがて煙が消えたと同時に、船員達は龍へ向かって刃を構えた。

野生の龍なんて滅多に見られる物じゃないし、いきなり飛び掛かって来るのかもしれない、と緊張が走った。

けれど、煙が消えた後に残ったのは、意外なものだった。

そしてジークは思わず入学のしおりのページをめくりながら歓喜の声を上げてしまった。

緩やかなウエーブがかかったハニーブラウンのショートヘアに、額に何だかわからない模様が入った鉢巻を巻いたやや小柄な少年が着ていたのは、真っ赤な拳法着。

入学のしおりに描かれた体育科の生徒のものだった。

「な…龍が子供に変わった?どういう事だ?」
「とりあえず、地下牢に入れておこう…何をするか分からないしな」

龍が子供に変身した事に驚きを隠せない船員達は、拳法着の少年の腕を掴むと船室に連れて行ってしまった。

昔の経験上、簡単に人を助けるものではないと学んでいたジークは、ただそれを見ているだけしか出来なかった。
ちなみに、その経験とは道で泣いていた子供を助けたにも関わらず、誤解したその子の両親にこっぴどく叱られたという事だったりする。

実にしょうもないトラウマだった。


とっぷりと夜も深まってきた頃、船内の食堂でジークにあてられた食事が運ばれてきた。

乾燥させたパンに、オニオンとベーコンのスープ。それに渋トマトと苦レンコンのバターソテー。

渋トマトと言うのは、そのままの意味で、苦レンコンもそのままの意味で、決して美味しいものではない。

それでも、四日間続く航海で腐らない食べ物と言ったら、保存のきくそういった物しかないのだから我慢するしかないだろう。

ジークは一緒に配られたミネラルウォーターとオレンジジュースを見比べ、ミネラルウォーターを一口含むと渋トマトをフォークで突き刺して口に入れた。

「マズっ!!!」

が、直後に吐き出した。

バターで誤魔化すという問題ではない程、この食材の元の味は強烈なのだ。
ジークは何も言わずフォークを置くと、ミネラルウォーターだけ飲み干してトレイを持ち上げた。

そうしてそのまま席を立ち、食堂を後にした。

「予想外のまずさだったな…これは…」

こんな食事が後三日も続くのかと思えばウンザリしてしまう。
とりあえず、これをどうしようかと廊下を歩き回っていると、地下へ降りる階段がある事に気付いた。

(そう言えば、船員のおっさん達はあの子を地下牢にいれるとかなんとか言ってたな…)

その時、ジークの脳裏にある事がひらめいた。

良く見れば警備はずさんで、見張りの船員もいないようだ。

自分でも、こんな事をしていいとは思っていない。
けれど、この食事を捨てるには農民魂が許さなかった。

敷いて言えば、近所に住みついた捨て犬に餌を上げに行く感覚というか…。
それに、ジークにはあの龍の子が悪いことをするようには見えなかった。

「よし…いいな…!」

とにかく、挙動不審極まりなく前後左右を高速で振り返って確認したジークは、そのマズイ飯が乗ったトレイを持ったまま、階段を降りて行った。

が、早速足を滑らせて階段をお尻でジャンプしながら落ちていった。

「あいだだぁ~……」

あまりの痛さに数秒間息が出来ないという災厄に遭いながらも、ジークの持っていたトレイだけは奇跡的にスープ一滴すら零れておらず、無傷だった。

「なんで零れてないんだよ!ていうか、痛いわ!」

どこにぶつけたらいいのかわからない苛立ちをどうしたらいいのかと考えていると、ふと牢屋の格子を握る二つの手が見えた。

どうやらジークの読みは当たっていたようで、ここが地下牢らしい。
トレイを一旦階段に置くとジークはその牢へと近付いて行った。

「…だれか、いるのかい?」

もし海賊だったらどうしようかと内心びくびく居ていたジークが恐る恐る尋ねると、牢屋の主は嬉々として声を弾ませて応えてくれた。

「よかった、誰か来てくれた!君、もうちょっとこっちに来てくれないかい?」

それは声変わりもまだ終えていない位の、男の子にしては高い声だった。

「えっと…」

突然の申し入れに、一瞬どうしようかと躊躇ったジークは、勇気を出して牢屋の前へと姿を現した。

するとそこには、月明かりに反射して宝石のように瞳を輝かせた先程の拳法着の少年が立って居た。

彼はふわふわの茶色の髪を揺らしながら、にっこりと笑うと格子を握った手を放してジークの前に突きだした。

「初めまして、その制服…君もエリュシオンに行く途中なんでしょ?僕はシャオロンっていうんだ!」

「あ…、えとジークだ。エリュシアンに行く途中で…その……」

しどろもどろになりながらもシャオロンと名乗った少年と握手を交わしたジークに、彼は困ったように苦笑した。

「実は僕、朝この船に乗る予定だったんだけど、ちょっと用事があって乗り遅れちゃってさ…急いで追いかけて飛び入りで乗り込んだら不審者扱いだよ~」

困ったよ~はっはっは!…だなんて言いながら全然困ってなさそうなシャオロンに内心どう反応したらいいかわからなかったジークは、とりあえず質問をぶつけてみる事にした。

「なぁ、君って龍に変身できたりするのか?」

率直すぎるジークの質問にもシャオロンは嫌な顔をしなかった。

「ふぇ?もっちろんだよ。なんたって僕は龍神の民だからね!」

自慢げに胸を張るシャオロンは、どうやらそういう人種らしい。
世の中には、魔法が使える奴らも居ればジークのように農具を自在に操って畑を耕す奴もいて、シャオロンのように人間と何かの混血児もいる。
別段、珍しいことでもない。

「でも龍に変身したら、すごく疲れてお腹減っちゃうんだよね」

そう言って困ったように笑いながら胃の辺りを擦るシャオロン。

「あ、飯ならここに……」

ジークは自分が食事を持って来ていた事を思い出し、階段に置いていたトレイを持ってきた。

「これ、良かったら食べろよ」

嬉しそうに顔をほころばせたシャオロンは、すぐに表情を曇らせた。

「え、いいの?君の分は?」
「俺は食べたからいらない」

というのは嘘で、単にマズイから食べる気がしなかったからだが…。
ジークは心の中でそう付け加えた。
だが、シャオロンは渋トマトも苦レンコンもとても美味しそうに平らげて行った…。
最後のオレンジジュースを飲みほしたシャオロンは、満足げに胃の辺りを軽く叩いて笑った。

「ぷはー、お腹いっぱい。ありがとう、ジーク!」
「あ、ああ…」

一体この素食の何がおいしかったのだろうか…。

龍神の民とやらは普通の人間とは味覚が違うのだろうか…。龍は人間よりも雑食らしいし。

だなんてジークが思っていると、不意に突然船が大きく揺らいだ。

壁にかけていた電気がちかちかと点いたり消えたりとして、揺れに伴って真っ暗になってしまった。

「な…なんだ!?」
「…なんだろう…嫌な予感がする。ただの停電じゃない気がする…嵐でも来たのかな?」

辺りが暗くて様子がわからないけれど、ジークにはシャオロンの雰囲気が少し尖ったように感じた。

間もなく二度目の揺れが船を襲う。

頭上の床を走るいくつもの足音と悲鳴に波の音。

間違いなくただ事ではない。

「ねぇジーク、お願い。少し離れてて」

数秒の沈黙の後、怯えではない色のシャオロンの凛とした声がした。

「あ、ああ……」

ジークは咄嗟に牢屋から離れて壁に背中を預けると間もなく、金属がへし折れるような鈍い音が聞こえた。
次いで誰かに手を引かれた。
ジークの手を引いたのは、牢屋から出たシャオロンだった。

「その服、ジークは普通科でしょ?何が出来るの?」
「農具を使ってちょっと畑を……」

堂々と胸を張ってそう答えたジークに、どうでも良さそうな顔で「そう…」、とだけ呟いたシャオロンが、どうやって牢から抜け出せたのかはもうこの際置いておこう。
停電で真っ暗になっている廊下を走り、ジークも彼に続いて甲板へのドアを勢いよく押し開けた。

そこへ出会い頭に待っていた、とばかりに投げつけられたナイフを拳で軽々と弾いたシャオロンは、目の前に立つ四人の仮面を順に睨み付けた。

船には火が放たれたようで、甲板は炎の海と化していた。
そして、その仮面の襲撃者に果敢に立ち向かっていったらしい船員達は皆、無残なやり方で事切れていた…。

「酷い……」

地を這うような声でそう呟いたシャオロンは怒りを必死に抑え込むように拳を握りしめた。
その視線は、なおも必死に逃げ惑う乗客や船員を襲う仮面の集団へ向けられている。
ジークも護身用に持って来ていた短剣を取り出すと、いつでも戦えるように身構えた。

「行くよ、ジーク」
「あ、ああ!」

飛び出す瞬間、闇の中で金色に光るシャオロンの目を見たジークは射竦められながらも頷き返すと、彼に続いた。

「関係ない人達まで巻き込むな!」

勢いのまま殴り掛かっていったシャオロンは、まずは向かってきたナイフを持った仮面の腹を思いきり殴り飛ばすと、続いて背後から迫って来た鞭を掴んで信じられない程の力で使い手を引き寄せた後、その脇腹に一発くらわせた。

「アイツマジかよ…」

ジークは小柄な体に不釣り合いなシャオロンの実力に驚きながらも、襲ってきた相手へ短剣を振り回したが、素人のジークの攻撃が当たるはずもなく、奴らはそれを軽々と避けると二手に分かれて襲い掛かって来た。

「くっ!うわぁあ!?」

元々、戦う事に対して不慣れ…というよりも、完全に一般人のジークは必死にやり過ごしながら反撃の瞬間を待つ。
だが、斧とナイフ使いの相手に遊ばれているようにも見えるし、反撃をする暇がない。

…というより、逃げるので精一杯だった。

シャオロンの方も鞭と炎の魔法を使う相手に近付いて反撃をする事も出来ず、躱す事が精一杯になっていた。

「うっぐ…!このままじゃ……」

そのまま避けたと同時に右手の掌底を仮面男の顎に入れたシャオロンは、ジークの傍まで一気に走って来るとナイフを持った男を蹴り飛ばして手当たり次第、船に積まれていた荷を投げつけて少しずつ後ろへと下がって行った。

「ごめん、ジーク。僕のせいで」

「え?何でお前のせいなんだよ?」

「…僕、用事があったって言ったよね…アイツらが朝も襲って来たんだ」

そう言ったシャオロンは少しだけ悲しそうに微笑むと船の端に足をかけた。

―!

このまま飛び降りる気だ…!!
ジークは瞬時にそう思った。

「狙われているのは僕なんだよ」
「シャオロン!!」

ごめんね、と小さく呟かれた言葉。

シャオロンの足が船端を蹴るよりも早く、ジークは彼の腕を引いて甲板へと引き戻した。

「そんなのダメだ!!」
「ふぇ…?」

驚いているシャオロンを守るように立ったジークは、ちょうど手頃な場所にあった長剣を拾うと身構えた。

「そうやって一人で解決しようとするなんて、全然カッコよくなんかないんだからな!」

「ジーク……」

「一度知り合っただけでも…友達を…平気で見捨てられるわけないだろ!」

本当は自分の方が怖いはずで、足なんかも震えているのに、ジークは長剣を身構えたまま凛として声を張り上げた。

そうする事で、今すぐ逃げ出したい自分を叱咤しているようにも見えた。

「変なの…君って面白いね」

シャオロンはそんなジークに、また困ったように笑いながらその腕を支えて上げた。

「…見上げた根性だ」

その時、徐に仮面の下の素顔を晒した男が静かに口を開いた。

赤い髪に、赤い瞳。

感情がない人形のような顔をしたその男は、持っていた仮面を投げ捨てると口の端を吊り上げた。

「では、勇敢な君に提案をしてあげよう。今から君に我々の内の一人と戦ってもらい、君が見事勝利すれば、この場は引き下がろう」

赤髪の彼が指さしたのはジークだった。

「なッ!そんなの無理だよ、僕が出る!」

「……」

この提案は罠だ。それはジークにだってわかる。

自分が出ると言うシャオロンを一瞥した男は、目障りだと言いたげに視線を逸らした。

「異論は認めない。どうする?受けるのか?それともここで二人共死ぬか?」
「……」

とはいっても、ジークに剣の経験なんてものはほとんどない。

村で護衛の為に少しかじった程度のものであり、戦闘のプロである目の前の彼らに通用するものではない。

このまま戦っても死ぬことはわかっている。

(でも、それは受けなくても同じ…なら……)

長剣の柄を強く握りしめるとジークは強張っていた表情を緩めた。


「…受けてやる。その代わり、俺が勝てば引き下がるんだな…」

「我が父、バリスの名にかけて嘘は言わない」

精一杯自分を抑えようとしているジークを、愉快だと言うように口元を緩めて笑っていた男は、自身の胸に手をあてて頷いた。

「ジーク……」
「大丈夫。見てなって」

ジークは、不安げに瞳を揺らすシャオロンの頭に軽く手を置いて笑って見せた。
自分でも、なにが大丈夫なのかわからなかったけれど、少しでもシャオロンに心配をかけたくなかったからだ。

赤髪の男がマストの上を見上げると、その上に居たらしいもう一人の仮面が降りて来た。

背はジークよりも少し低いくらいだろうか、不気味な模様をあしらった仮面には沢山の返り血がこびりついていて、全身からは饐えた血の臭いがしていた。

「こいつと戦い、勝てたら君の勝ちだ」

仮面を外した赤髪の男はそう言った。

「ああ……」

ジークは頷くと向かい合うようにして立った相手を睨み付けた。

話を聞いていたらしいその仮面の相手も、左右の腰に挿していた双剣を抜くと、そのままジークを見つめて動かなかった。
まるで何かを考えているかのように……。

「来ないなら行くぞ…!」

不気味な奴だ、と内心吐き捨てながらジークは剣を頭上へ投げた。
それと同時にその辺にあった船の破片を投げつけた。

「ジーク!!」

もちろん、こんな破片如き、避けられる事なんて予想の範疇だ。狙いはその向こうにある。

足元に溜まった水溜まりへと向かって放たれた破片を躱した相手は、足を踏み出し、一歩の跳躍でジークの懐まで入り込むと剣の柄で腹を殴り、その勢いで膝蹴りを喰らわせた。

「ぐぇ…!?」

水浸しの床に仰向けに倒されたジークは、せり上がってくる胃液を我慢しながら、迫って来た双剣が喉元に突き刺さる寸前の所で、相手の両腕を掴んだ。

「ハハッ…これで逃げられないぜ」
「な…」

仮面の奥で信じられないというような目をした青と目が合った。

シャオロンの自分を呼ぶ悲鳴が聞こえる。

ようやくジークの本当の狙いがわかった青の瞳の仮面は、必死に逃れようと身を捩るけれど体格の差は歴然で、しっかりと腕を掴まれて動けなくなっていた。

「へ…へへ…どちらにしても痛いんなら、勝った方が気持ちがいいだろ……」

必死にもがく仮面の身体を掴んで放さないジークは、
こんな状況で不敵に笑って見せた。

そしてその瞬間、ジークが先に投げていた長剣の刃が落ちて来、狙っていたなようなタイミングで仮面の身を貫いた。

「…!!!」

目の前の相手の、痛みによる生理的な涙と、濃い咽るような血の臭いに、痛みに備えて息を止めていたジークは、相手の腕を掴んでいた力を緩めた。

そうして倒れてくる相手の下から這い出てくると、
顔にかかった返り血を服の袖で拭った。

「…決まったな。嘆かわしい」
「ジーク!!!」

抑揚のない声でぼそりと呟いた男の脇を走り抜けたシャオロンは真っ直ぐにジークの傍へとやってきた。

「大丈夫!?よかった…本当に……」
「はは…あぶねー…ホントに」

空から落ちて来た剣は、相手の背中から腹を貫通し、ジークの腹に刺さる数センチ前の所でギリギリ止まっていた。

自分の悪運の良さに心底感謝しながらジークは、赤髪の男を見上げた。

「勝った、ぞ!」

「…約束だ。今回は引き下がるが、どこに逃げようとも我々は必ず現れる」
「……」

そう言った男は、床に倒れている仲間に刺さった剣を一気に抜き、その身体を荷物のように抱えて仲間と共に船の床に描いた魔法陣の中に消えてしまった。

「……」
「終わったのか?」

静まり返った甲板は、また元のように静けさを取り戻していた。

その後、地下へと避難していた乗客や船長、船員達が亡くなった人達の弔いをすませた後、ジークもシャオロンも、その間足りなくなった船員の代わりになれるように仕事を手伝い、またマズイ食事にウンザリしながら(ただしシャオロンは美味しそうに全部食べていた)そうして四日間を過ごしていた。

どうやら、船を襲った仮面の男達を追い払った事でシャオロンの密航疑惑やらを含め、船を襲う気が無いのだとわかってもらえたようだ。

そしてシャオロン自身も、あまり細かいことは気にしないのか、それ以上何も言わずににこにこと笑っていた。

そして船は予定通り、目的のエリート学校のある大陸へと到着した。

「さて、いよいよだな、シャオロン」
「そうだね。これからだよ」

持って来ていた荷物を背負ったジークは緊張したように、ゆっくりと船から一歩踏み出した。

シャオロンもそれに続きながら頷く。

ここから一週間も歩かない内にエリュシアン官僚学校へと辿り着くはずだ。

そうしたら、一足先に寮に入って入学式へと備えるのだ。
遠方から来る生徒が多い為、先に入寮できる制度があるのをジークは知っていた。

「ジーク、僕達学科は違うけれど、これからも仲よくしようね」

「ああ、よろしくな。シャオロン」

「ウン」

いつものようにニッコリと笑ったシャオロンはまた歩き出した。

「あ、そういえばシャオロン、エリュシアンはどっちなんだっけ……」

地図を見ながら気まずそうに切り出したジークに、シャオロンは目を丸くすると首を傾げた。

「…あのさ、ずっと気になってたんだけど、ジーク。『エリュシアン』じゃなくて、僕等が入学するのは『エリュシオン』だよ」

「え?何言ってんだよ…俺は……」

怪訝な顔をしながらジークは改めて入学のしおりを一ページずつゆっくりとめくった。
そして致命的なミスを発見してしまう。

「こ、これは……!!」

何という事だ!という言葉を飲み込むと、ジークは入学のしおりとシャオロンの顔、そして自分の着ている制服を見比べて泣きそうな顔をしていた。

「…ようやくわかったの?君、エリュシオン戦闘学校に入学するんでしょ?」

呆れた、というように肩を竦めて見せたシャオロンにジークは入学のしおりの表紙を見つめたまま動けないでいた。
表紙にはしっかりと大きな文字で書かれていた。

『エリュシオン戦闘学校入学案内』

そしてそのページの隙間からヒラりと落ちて来たのは、入学証明書…もとい学生証だった。

「う、うそだ…なんで気付かなかった……」
「…もしかして、ジーク……」

もはや失笑しているシャオロン。
ジークは、入学案内書を握りしめたままその場に膝をついて項垂れた。

どうりで、入学案内書に、人魚の倒しかたの本やら不自然な科目の案内があったわけだった…。

夢ならばさめてほしい。

「う…う……」

うそだぁああああああああああ!!!!!

穏やかな港町の外れから、そんな雄叫びが聞こえたような気がした。

第一章『Friends of the dragon』

fin.

第二章『Update friend』

そして入学式当日。
ジークは綺麗に洗濯した制服に着替えると指定のベストを羽織り、ネクタイを締めた。
これで準備は万端だ。
あの悪夢から数日たっていた。

『Update friend』

最初こそ、村に帰ろうかどうしようかと悩んでいたジークだったが、今更間違って入学願書を送ったとも言えず、このままエリュシオン戦闘学校へ入学する事を決めたのだった。

実に適当だが、これはジークなりに考えた事だった。

そんなわけで、意気揚々と割り当てられた教室へ向かったはいいが、どいつもこいつも初対面でそわそわと他人を見ている。
普通科といっても、ここは超能力を使う奴らのクラスだ。
見るからに怪しい奴もいれば、ジークのようにボーッとしている奴もいる。

というか、ジークは普通に一般人だが。

そのまま、危ない感じの奴らに絡まれたらどうしよう…と心配していた心とは裏腹に担任の教官がやってきて入学式会場へと誘導されていったのだった。
連れられて行ったのは、超巨大マンモス学校だという話に違わない程に大きな、ひたすら大きいとしか言いようのない体育館だった。
普通科だけでも何百人と居るので普通科の何組の奴らと一緒に並んでいるのかすらわからない。
ちなみにジークはA組だったりする。

ふと、隣を見てみれば赤い拳法着の生徒達が無骨な表情で並んでいた。
きっとあの中にシャオロンも居るのだろう。
そしてその向こうでは黒を基調とした上着に、胸元に黄緑のスカーフをあしらい、上着と同じく黒のマントを翻して歩く特進科の姿があった。
見るからに、お高いプライドの塊であろう、良家のお坊ちゃん、お嬢様な感じがした。

反対側を見てみれば、何やら緑色一色の地味な集団が立って居た。
彼等はきっと残りの援護支援特科の生徒なのだろう。
どれも皆、密林の奥からやってきました、というような出で立ちをしていた。

入学式のこの日までに寮で寛いでいると、寮母さんから教えてもらったのだ。

普通科は、比較的一般人のような人間が多いが、実は一番奇人変人が居る。

体育科は、脳みそまで筋肉のように感じる生徒が多い。

援護支援特科は、その柔軟な特性からか変人が多い。

特進科は、生徒の出身の都合からプライドが高く、他の三つの科よりも優れていると思っている。

というものだ。
実際は、一人一人と話してみれば違うのだと思うのだろうし、ジークはいちいちそんな事を気にするつもりはなかったが…特進科の生徒達のあのこちらを見る目を見てしまえば口を閉ざしてしまう。

そのままゲッソリとしながら学園長の話や、教官達の紹介は終わって行った。
入学式も終わり、ジークは同じ普通科の生徒と一緒に列に倣って教室へ帰って行った。

今日の所はこんな所なのだろう。

だなんて思いながら小さく溜息をついていると、担任の女性教官は手を叩いて注目を促した。

「いいですか?貴方達は入学してからが本当の課題にぶつかるのです。まずは、仲間を集めなさい。人数は決まっていません。この学校では仲間を作り、私達教官から与えられる課題をこなして初めて単位がもらえるのです。戦場では個人の能力だけではどうにもならないこともあり、仲間と協力する必要も出てきます」

「仲間って…そんな…」
「友達を作りに来たわけじゃ無いのに…」

ざわざわと口々に反論をする生徒達の声を黙って聞いていた女性教官は、ひとしきり騒がせた後、凛とした強い口調で言い放った。

「この話は他の科の生徒にも同様にしています。貴方達自身が自らリーダーとなるのか、他の科からスカウトされるのを待つのか、それらは自由です。そして、チームが出来ない限り、卒業は出来ないと思いなさい。以上です」

そう言うと、まるで言い逃げをするように教室を出て行ってしまった。

…と、とんでもないことになった。

ジークは心の底からそう吐き出した。
元々、村には同い年くらいの子供が居なかった。
だから、今年十八歳になるジークは交友関係の云々がよくわからなかったりする。

ようするに、(ほんのちょっとだけの)コミュ障である。

けれど、このままチームも作れずにここでうだうだとしていたら、二年経っても卒業できないという最悪なケースに陥ってしまうだろう。
当然、特待生など夢のまた夢だ。

幸い、今日はこれで授業がないという事もあり、(おそらくチームを作らせる為に意図的に授業を入れていないのだろうが…)教室の中は、チーム制への愚痴を零したり、さっそく友達を作る者達で溢れていた。

(お、俺も友達……)

やはり、同じクラスという事は友達の一人や二人は作っておいたほうが良いに決まっている。
そうと決まればジークは残っているフリーなクラスメイトから、早速話しかけやすそうな生徒を探したが…。

一人でぬいぐるみと話していたり、何やら石に祈っていたり…。
生憎ここは援護支援特科に輪をかけての奇人変人の宝庫、普通科だ。

(無理じゃねぇか………)

とてもじゃないが、気軽に話しかけられるような人物は残っていない。

さっそく、人生はハードモードだと痛感したジークは諦めて教室を後にした。

廊下は、教官の説明を受けただろか、チームメンバーを探す生徒達でごった返していた。
さらには、少し離れた校舎の援護支援特科や、体育科の生徒まで混じっていたりするから、彼等も本気なのだろう。

今更ながら自分の交友能力の低さに悲しくなりながらジークが歩いていると、前から見覚えのある姿が見えてきた。
誰かの事を探しているのだろう、辺りをキョロキョロと見ながら歩いていたシャオロンは、全身から負のオーラを醸し出しながら歩いて来るジークの姿を見つけて表情を明るくした。

「ジークー!」
「わ!シャオロン!!」
「よかった、やっと見つかったよー!Aクラスだったんだね」
「ああ、そうだけど、どうしたんだ?」

一目散にジークに駆け寄って来たシャオロンは、控えめに話しを切り出した。

「えっと…ジークはもうチームって決まってるの?」

不安そうなシャオロンを引きはがしたジークは、なるほど…と心の中で呟いた。

「いや、全然……」
「そっか。なら僕を仲間にしてよ!絶対役に立つからさ!!」

ね!と言ってまたいつものように笑うシャオロンに、ジークは笑いを堪えきれずに吹き出した。

「お前、ちょうど同じ事考えてたなんてバカみたいだよな…」
「ふふ、そうと決まったらカフェで話さない?ケーキが美味しい所があるんだよ」

そう言って歩き出したシャオロンにジークも付いて行きながら、ふと疑問に思った事を聞いてみた。

「そう言えば、あれからなんか追っ手みたいなのは大丈夫なのか?」
「うん、あれから静かだね。ブキミな程に…」

ジークにだけしか聞こえないような声でシャオロンは答えた。
その、あまり話したくなさそうな様子にどうしようかとジークが考えていると、シャオロンが口を開いた。

「まぁ、そんな事よりもチームの構成はどうするの?」
「え。ああ…そうだな……」

うまく会話を躱されたような気がしながらもジークは顎に指をあてて考えた。

「人数に制限はなくても、何十人とかはちょっとなー…そりゃぁ、それだけいたら色々便利なんだろうけど」

「そんなにいたらよっぽどカリスマ性がない限り仲間割れしちゃうよ。僕は五人くらいがいいと思う」

普通科の校舎を抜けてカフェのある特進科の校舎へと入れば、あからさまに不躾な視線が二人に刺さって来た。入学式の時に感じたイヤミなあれだ。
シャオロンはそれらを気にすることなく話を続けている。

「僕とジークで二人でしょ?後は援護支援特科と特進科から一人か二人ずつ引っ張ってきたらバランスも良いと思うんだ」

「なるほどなー…」

確かに、そうする事でバランスが取れて良いような気がする。
そう思いながらジークが階段を降りようとした時、瞳の端に三人の生徒に一人が囲まれているのが見えた。

思わず立ち止まり、ジークが付いて来ていると思って一人で喋りつづけているシャオロンを放置したままジークは、その様子を見ていた。

「お前、調子に乗ってんじゃねぇよ!」
「名門貴族でもない癖に、こんな所に来てるんじゃないわよ!」
「顔上げろよ!根暗野郎!!」

壁際に追いやられてしまったその生徒は、長い水色の髪で顔は見えないが、服装からして男子生徒なのだろう。分厚い本を大事そうに胸に抱えていた。
特進科は、とくにそういった虐めの類が陰湿で、後を絶えないという話も聞いていた。
まさか初日からこれとは…。

他の生徒達は見て見ぬふりをしている。
ジークも口を挟もうかと様子を窺っている内に彼は殴られてしまい、壁に頭を打って転び、かけていた眼鏡が廊下に転がっていった。

「と、とにかく二度と口答えなんかするんじゃねぇよ!」

殴っただけで転んでしまった事にたじろぎながらも、三人は彼を置いて立ち去って行った。
ジークはすかさず彼の眼鏡を拾って来て上げた。

「あ…」
「大丈夫か?アイツ等最低だな」

眼鏡を手渡しながら彼の制服についた埃を掃っていたジークの顔を見た瞬間、彼の瞳が驚いたように見開かれた後、また元のように虚ろな色に戻った気がした。

「ハ、ハ、ハイ、大丈夫です。ありがとうございます」

紫色のフレームの眼鏡をかけた彼は、俯き加減に胃の辺りを押さえた。

「おいおい、腹も殴られたのか?」
「い、いえ…ボク、胃腸が弱いんです…昔から」

そう言って髪で表情を隠し、口元だけで笑った彼にジークは小さく息をついたが、気を取り直して腕を引いて立たせてあげた。

「俺、ジーク。普通科のAクラスなんだ」
「…ジークさん?」
「呼び捨てでいいよ」

さん付けで呼ばれる事はほとんどなかった為、少しむず痒くなったジークがそう言うと、特進科の彼は、嬉しそうに口元を綻ばせた。

「ボボ…ボ、ボクはリズ、です。特進科のU組です。どうぞよろしく…です」
「ああ、よろしくな!ところで君…」

「ああー!もうジーク、何してんの!!」

少し話をしている間に、ジークが居なくなっていた事に気付いたシャオロンが戻ってきたようだ。
シャオロンは怒ったような顔をしながらも、ジークと一緒にいる見慣れない特進科の生徒に気付いて目を丸くした。

「ああ、悪い。シャオロン、彼はリズ。今さっき出会ったんだ」
「よ、よろしくです…」

「わぁ!特進科の中にもこんなに冴えない人がいたんだね…」

さりげなく、黒いセリフを吐いたシャオロンは、リズの事をじーっと睨み付けたまま目を細めた。
リズもリズで、わけもわからずシャオロンに睨み付けられて怯えている。

「あ、あのあの…助けてくれてありがとうございました…!」
「あ、待てよ!」

その痛い視線に耐え切れなくなったのか、リズは一目散に逃げようと踵を返した。
その手をジークは掴んで止めた。

「うーん?あの子…どういうつもりなのかな?」

シャオロンの舌打ちが聞こえたような気がした。
ジークは構わずリズのマントを引っ張って自分の傍に引き寄せるととてもいい笑顔で言い放った。

「新しい仲間のリズだ!仲良くな」
「え…」
「おおー!ちょうど魔法使いの仲間を探してたし、よかったよー!」
「だろ?仲良くやろうな!」

うん!、と元気よく笑ったシャオロンはリズへと手を伸ばした。

「僕はシャオロンっていうんだ、あ・ら・た・め・てヨロシクね!」
「あ、は、はい。ハジメマシテ。シャオロン…さん」

おずおずと手を伸ばしたリズも、その手を取って握手を交わした。

早速、二人目の仲間を見つけたジークは、二人と階段を降りながら思い出したように振り返った。

「そうだ、自己紹介がまだだったよな!」

「ああ、確かに。大まかな事は話したけど、これから仲間になるんだもんね~。お互いの戦闘スタイルとかは知っておくべきだよ」

うんうん、と頷いたシャオロンはリズとジークを順に見遣ると、人懐っこい笑顔を向けて言った。

「僕は、体育科だから武器はもちろんこの体だよ!」

そう言って、自信ありげに拳を握って見せた。
その全身から溢れる得体の知れない迫力が実力を物語っているようだ。

次はジークが口を開いた。

「正直、俺は戦うのは得意じゃないけど、…うん、頑張る……」

シャオロンとは反対にかなり地味な紹介になってしまったジークは、少し気まずくて強引に話を逸らすことにした。

「それより、リズは魔法使いなんだろ?凄いよな」
「え?え…と、あ…と……」

突然話を振られて、戸惑いながらリズは持っていた本で口元を隠しながら答えた。

「ボ…ボクは、えっと………」

……そこから、沈黙の時間が軽く一分はあった。

「ボクは、水を操る水魔法が…と…得意で…です。で、でも、あまりうまくできません、です……」

所々に詰まりながら言い切ったリズは俯き、今にも消え入りそうな声で「すみません…」と零した。

「何で謝るんだよ?」
「え?」

意外な言葉に驚いて顔を上げれば、ジークは不思議そうな顔で首を傾げて言った。

「水の魔法が使えるなんて凄いじゃん!今度見せてくれよ」
「そうだね、僕も一回見てみたいなー」

声を揃えてそう言った二人の顔を見ていたリズは、何故か複雑そうな顔で頷いた。

「…はい」

そんな他愛もない話をしながら廊下を抜けて、校舎を抜けて中庭に出た所でジークは思わずつぶやいてしまった。

「ていうか、広すぎだろ…この学校」
「全校生徒が何千人といる超マンモス校だからね…仕方ないさ」

どうやら、シャオロンも同じことを考えていたようだった。

そしてようやく、元の目的地であるカフェに辿り着いた三人は、思いおもいに注文を済ませて席についていた。
幸いここはシャオロンが言っていた通り、広大なカフェであり、今の時間は座っている者達もまばらだった。

「ここのアイスクリームとかケーキは絶品なんだって!校内新聞に載ってたよ!」

なんて明るく言いながら円卓に座り、チョコレートパフェを頬張るシャオロンの視線は、デザートが並ぶショーケースの中で眠るケーキに注がれてい居た、もとい突き刺さっていた。

「シャオロン…食べるのもいいけど、本来の目的を忘れんじゃないぞ……」

仕方ないなーという風に溜息をついたジークはメモ帳に書いた文字を眺めながらホットココアを飲んだ。
向かい合うように座るリズもコーヒーを飲んでいる。

食事もそこそこ、ジークは本題を切り出すことにした。

「…という事で、あと特進科がもう一人と援護支援特科が居た方がバランスがいいかな?」

「うーん、そうだねぇ」
「は……う…」

唸るシャオロンに、頷いているだけのリズ。

「俺様もそう思うぞ」

「そうかそうか、そうだよな」

何処かから聞こえた声に頷いたジークは、メモ帳にペンを走らせながら唸った。

「と、なると先に援護支援特科の奴を探そうか?」

「そうだね。でも、慎重に選ばないと今後の士気にも関わるしね!」
「そ…うですね」

テーブルに肘を乗せて頬杖をついたシャオロンに、またもや頷いているリズ。

「だから、俺様もそう思うぞ。俺様を加えろ!」

唐突に声を張り上げたのは、いつの間にかジークの隣に座っていたツンツンはねた金髪と左頬のフェイスペイントが特徴的な奴だった。

彼は、ジュースを音を立てて飲み干すと、紙コップを乱暴に握りつぶした。
全員の視線がそいつに集中する。

え、こいつ…誰…。

というように。

「え、えーっと…君は、誰なのかな…?」

やや躊躇いながらも、ジークは目の前の援護支援特科の生徒に向かってペンを突きつけた。

奴は、ジークと同じような顔をしているシャオロン、リズを見渡すと何度か頷き、全てわかっているというような顔をして椅子から立ち上がった。

「俺様の名は、ハーヴェン・ツヴァイ!今日から援護支援特科のO組に入学した。お前達の仲間になってやろうと思う!!ちなみに特技は美女ウォッチングだ!!」

声高々にそう言ったハーヴェンは、ドン引きしているジーク達の顔を見渡すと、何故か誇らしげに胸を張った。

「特別に、ハツと呼んでもいいんさ!!」
「いえ、結構デス……」

ぼそり、とリズが呟いた。即答だった。
ジークとシャオロンは顔が引きつって言葉も出なかった。

正直、この手の奴には係わってはいけないと思った。

だが、ハツはリズの辛辣な言葉など聞えていないように椅子に座ると、強引にジークとシャオロンの肩を掴んで自身に引き寄せた。

「よろしくな、俺様のファン共…!」

もはや、いいも悪いも強引に仲間に加入してしまったハツを追い払う気力は、今のジークにはなかった…。

それから、無理矢理仲間になったハツを交えて改めてお互いの事を話し終える頃には、ジーク達はすっかり打ち解けていた。

「へぇ、じゃあハツはその、ティンパリなんちゃらの森で暮らしてたんだな」

どうりで自由奔放だ…。
と、ジークは心の中で付け加えた。

「ティンパリオンの森さよ。俺様はそこで森を守ってたんさよ」

これで、と言ってテーブルに立て掛けていた角弓を軽く叩けば、ずっしりと重量感のあるそれは所々汚れていて使い込まれているように感じられた。

「ここで実力を付けて、親父のように強い守り人になるのが夢なんさ……」

そう言ったハツは、懐かしむような目で弓を見つめていた。

「…うん。その気持ち僕にもわかるよ。僕だって、強くなって龍神の谷に戻るのが目的だもん」

シャオロンも同じように、掌を見つめながら小さく息を吐き出した。

皆、理由は違えどしっかりとした目的を持っているのだ。

「じゃあ、とりあえずこの四人で組むって事を教官に登録してもらってくるな」

ジークはメモ帳を持ったまま席を立った。
それと同じく、思い出したように声を上げたシャオロンも立ち上がった。

「あ、そうだ。僕、このオムライスのレシピを聞いて来るよ。美味しかったし」

「おうさ!」

そう言って出て行ったジークと席を立ったシャオロンをにこやかに見送った後、ハツは楽しそうな顔を一変させ、唐突に溜息をついた。

「…で、お前はいつまでその猫を被るつもりなんさ?ジークとかシャオロンは騙せても俺様は騙せねぇさよ」

「…?何のことでしょうか…ハーヴェンさん…こそボクに突っかかって、どうしてです?」

「…しらばっくれるのならいいわ。俺様に関係ねぇしな。ただしいて言うなら、お前、すげぇ臭ぇ」

「そんな…酷い……」

冷酷に表情一つ変えないハツに対してリズは今にも泣きそうな顔をして俯いてしまった。

さすがに言い過ぎたかも、だなんて微塵も思っていないハツはそのまま素知らぬ顔をしていた。

それから数分して、突然リズは席を立ち、飲みかけのコーヒーもそのままにカフェを出て行ってしまった。

しばらくして、肩を落としたジークと、オムライスのレシピを聞きだしてきたシャオロンが戻って来た。

「あれ、リズは?」

一人足りなくなっている事に気付いたジークは、聞いた。

「んー?用事を思い出したから教室に帰るとか言ってたわ」

至って暢気に伸びをしたハツはあくびを噛み殺して言った。

「そっか…」

と呟いたジークは、リズの席に本が残されていることに気付いた。

これは確か、リズが大切そうに抱えていたものだ。
忘れた事に気付かなかったのだろうか?

「俺、ちょっと届けてくる」
「え?今度会った時でいいんじゃないの?」

そう言って首を傾げるシャオロンにジークは頭を振るった。

「これ、大事にしてたから探してるかもしれない」

そう言うとジークは、キョトンとした顔のシャオロンとハツを残してカフェを出て行った。

このカフェは特進科の校舎と繋がっているから、真っ直ぐにU組を目指した。

けれど、このまま勝手に教室に入るわけにもいかず、適当に入り口付近に居た生徒にリズを呼んでもらえるよう頼んだのだが、彼らは首を横に振った。

「あの人ならいないけど……」
「そういえば、女の子と男の子二人に付いて森へ行くのを見たわ」
「森?」

ピンク色の髪の彼女が言う森というのは、校舎裏にある禁断の森の事だろうか…。

「あそこには確か演習用の凶暴な魔物がいるから近付いちゃダメだって言ってたのに…」

「…ありがとう!」

そう言った彼女に短く礼を言うと、ジークは走り出した。

もし、リズがまた苛められて森へ連れて行かれたのだとしたら、こんな所でのんびりしてる暇はない。

ジークは、まっすぐ校舎裏の森へと向かった。
やはり、彼女の言った通り、入り口には『立ち入り禁止』と書かれた札が乱暴に倒されている。

ジークは教官を呼ぼうかどうか迷った末に、今は一刻も早くリズを見つけてあげたくて、そのまま森へと足を踏み入れた。

鬱蒼と茂る森の中は一歩先の足場もわからない程に危険だった。

「うあっ!?」

顔の前を遮る木の枝に気を取られていたジークは、足元に生えた苔にまで気が回らず、見事に転んで尻もちをついてしまった。

その拍子に足をくじいてしまったのか、ずきずきと鈍い痛みが右足首に走る。

「っくそ…何やってんだよ俺……」

ここは演習用の凶暴な魔物が放し飼いにされていて、教官達でも滅多に近寄らない危険な森の中だと聞いていた。
こんな時に襲われでもしたらお終いだ。

「はぁ…」

空が見えない程に背の高い木々を見上げれば、ここに来てやっと自分の浅はかさに気付いた。

まずは教官に話をして、シャオロンやハツにも協力してもらうべきだった。

「俺、何で一人で来たんだろう…」

今更になって、頭に昇っていた血が降りて行くような気がした。

「これじゃあ自殺しにきただけじゃないか…って顔をしてるよ」

不意に後ろから声をかけられて振り返れば、そこには呆れたように肩を竦めるシャオロンが居た。

「シャオロン!何でお前…」

「チームの仲間は何があっても見捨てない事。本当、ジークって無茶するよね……」

だなんて言って渋々といった表情を作っていても、本心では心配しているのだろう。

「それに、僕だけじゃないよ」

そう言ったシャオロンは笑いながらすぐ傍の木を指さした。

「あの眼鏡は嫌いでも…一応、俺様も仲間だからな」

木の陰からばつが悪そうにこちらを覗き込んでいるハツの姿があった。

「ジークがあんまり遅いから僕らも特進科に行ったらここの事教えてもらってさ。急いで来たってわけ。教官に話もしてあるから、心配ないよ」

「そうか…悪い」

目に見えて落ち込んだジークにシャオロンは苦笑いを浮かべ、ハツはポケットから小瓶を取り出すと、包帯へ塗りつけてその挫いた足に巻いてあげた。

「応急処置さ。あんまり無理するなよ」

「無理はしないでね。っていっても無理だろうけど」

「ありがとう。早く探してやんないと、この森はマジでやばいらしいからな……」

さて、と立ち上がったジークは、気を取り直すように首元まできっちりと締めていたネクタイを緩めるとまた歩き出した。

「リズー!どこだ~?返事しろー!」
「おーい!」

周囲からはこちらを窺うかのような気配がいくつも集まって来ていた。

魔物がこちらの様子を窺っているのだろう。

その恐ろしい視線に薄々気付いていながらも、ジーク達は進み、やがて大きな木の下に辿り着いた。

「居ないね…」

辺りを見渡したシャオロンは呟いた。

「無事だといいけどな……」

「おい!あれ見ろさ」

ふと、何気なく木の枝を見ていたハツは、ある事に気付いて声を上げた。

「どうした?」

と、ジークも彼の指さす所を見てみれば、そこには細い木の枝に跨っているリズの姿があった。

彼は土埃と泥で服を汚しながらも、枝の先端に引っかかっている細い布を取ろうとしているようで、ジーク達には気付いていない。

「リズ!なにやってんだ…危ないぞ!」

下から見上げながらジークがそう言うと、リズはこちらに気付いたのか、少しだけ視線を落としてまた枝の先に手を伸ばした。

「ああ、もう何やってんだよ!」

見かねたジークもその木に登ろうとした時、何かを感じたシャオロンはその手を掴んで止めた。

「待って、ジーク。この木、何かおかしい」
「え?何がだよ」

そう言ってジークが木の幹に手をあてた途端、突然木の枝が大きく揺れ始め、盛大に葉を散らせた。

「なな、何だよ!危な!!」
「やばいよこの木!!」

ゆっくりと枝を振り回し始めた木から少し離れたシャオロンとは反対に、ジークは自ら木の下に飛び出した。

「う、うわぁああ!」

揺れる枝に掴まっていたリズは、ついに振り落とされた。
ジークはそれを受け止めるものの、衝撃で仰向けに転んで頭を打ってしまった。

「ひっ!」
「いったた…逃げるぞ!」

すっかり怯えてしまい、動けないでいるリズの手を無理矢理引いたジークは、ハツとシャオロンのいる所まで走りだした。

「あれは木の魔物のトレント!あの枝に掴まったら養分として吸いとられてお陀仏さ!!」
「マジかよ!」

一瞬、脳裏に養分を吸いとられてミイラになってしまう自分の姿が浮かび上がり、ジークは一気に血の気が引いた。

幸い、木の魔物はその場からは動けないようで追ってこないようだったが、ジーク達はここで勘違いをしていた。

ジークに腕を引かれながら走っていたリズは足元の土が盛り上がってきている事に気付いて悲鳴を上げた。

「ね、根が追いかけてきています!」
「なるほどね!どうやっても逃がすつもりはないってか!」

あれだけ大きな木なのだから、根も相当張り巡らされているのだろう。

そうこうしている内に、シャオロンの足に一本の根が絡み付いてバランスを崩して転んでしまった。

「やばっ!!」
「シャオロン!」

すかさず放たれた火矢はシャオロンの足に絡みついた根を燃やし、次に迫って来ていた根にも一撃浴びせた。

「早く!今のうちにチャッチャと逃げようさ!」

見れば木の上に登っていたハツが弓に火矢を番えて叫んでいた。

「リズ!お前も魔法で援護をしてくれ!!」
「む、無理です!こ、怖いです…」

完全に腰を抜かしてしまっているリズはあてにできそうにもない。

ジークは根を追い払おうと格闘しているハツとシャオロンをちらりと見遣り、リズの腕を引いて無理矢理立たせた。

「じゃあ、俺達が何とかするから、お前は隠れてろ!」

「…い、いやです!もう動けません…!」

大きく頭を振りながらリズは蹲って頭を抱えてしまった。

「このままじゃ皆死ぬぞ!頼むから!!」
「……っ!」

苛つく気持ちを隠さず、リズの肩を強く引いて立たせようとするも、足に力が入らないようで、すぐに尻もちをついてしまった。

「あー…もうこうなったらやるっきゃないよね!」

襲ってきた根を蹴りで弾いたシャオロンは、覚悟を決めたというように立ち止まり、拳を前へ構えた。

「おうよ。こうなりゃ戦うしかねぇさな」

ハツも同じ意見のようで、弓を肩にかけると木の上から身軽に降りて来た。

「ジーク、これは俺様達の初陣さ!」

「ああ…どの道、逃げられはしないしな」

正直な所、ジークは一般人だ。
この二人と同じように戦えるわけもなく、根を見切って避けるのが精一杯という所だった。

けれど、ここで死んでしまうのも嫌だし、何より仲間を見捨てる事なんか出来るわけがなかった。

「よよよ、よし、いいい行くぞ!!」

護身用にと持っていた短剣を抜くと、かなりどもりながら足を踏み出した。
怖くて怖くて、膝が大爆笑していて、転びそうになる。
それでも、ここから逃げたりしないと心に決めていた。

「本体を倒さないと意味がないよ!僕が行くから援護して!!」
「わかった!」

そう言って暴れる根の間をかい潜っていったシャオロンの道を作るようにジークも飛び出して行った。

後ろからハツが援護し、火矢から引火した根は不気味な唸り声を上げながらのたうち回り、周囲の木々をなぎ倒した。

「見えた!だりゃぁあああ!!!」

風を切るように突っ込んだシャオロンの瞳が金色に輝き、魔物本体へと拳を振りかぶった、その瞬間。

「―ッ!」

鞭のようにしなった根がシャオロンの頬を掠り、木の陰に隠れていたリズへ真っ直ぐに襲い掛かった。

「危ねぇさ!」
「ひぃ…!?」

悲鳴を押し殺したリズは痛みに備えて頭を抱えて蹲った。

「リズッ下がって!!」

夢中でそう叫んだジークは考えるよりも先にリズの前に飛び出していた。


凶暴な根に身を貫かれたジークは痛みで口から血を吐き出しながら前のめりに数回転がった。
目の前には信じられないというような顔をしたリズが居た。

「ジ…ジーク!!」

ハツの呼ぶ声が聞こえても、今のジークには答える力は残っていなかった。
それでも、リズが無事だった事に安堵の溜息をもらすとその場で動かなくなった。

「あ…あ……」

顔についたジークの血を拭う事もせず、倒れた時にジークが落とした自分の本を抱きしめると、リズは呆然として立ち尽くしていた。
その間にも、根は尖った先端についた血を払うと、怯えきったリズを嘲笑うかのように狙いを定めた。

「リズ!ジークを連れて下がって!」

本体を攻撃していたシャオロンが戻ってきてリズを守るように立った。

「や…嫌です…こ、怖くて…動けな…」

見開いた目から、大粒の涙を零しながら首を振るリズ。
その腕を強引に引いて後ろに下がらせたハツは、倒れているジークの肩を担いで草陰に寝かせた。

「お前、マジでいい加減にしろさ…ジークがこうなったのは誰のせいだと思ってるんさよ!!ビビッて泣いてるだけなら邪魔さ!どっかに行け!!」

「…ッ!」

鋭い眼光で睨み付けたハツに、言葉に詰まったリズは黙り込んだ後、しゃくりあげて泣きながら本を開いた。

「う、っく…ひっぐ…い、いやです…行ぎまぜん…!!」

大粒の雫を振りまきながら言い放った彼の持つ本が、魔力を帯びて青く光り出した。
その光は、シャオロンやハツ、ジークの周りを漂い、見る見るうちに傷を癒していった。

「これって癒しの魔法!?」

「ジークの顔色も良くなってきてるさ…!」

驚いて目を丸くしている二人の後ろに立って居るリズは赤く腫らした目元を拭うも、次から次に涙を零しながら言った。

「こ、こんな事しか出来なくてご、ごめ…なさい」

「大丈夫…けど、こうなったら奥の手を使うしかないな」

ゆっくりと体を起こしたジークは、ぐい、とリズの肩を掴んで立ち上がり、不敵な笑みを浮かべていた。
足元は多少ふらついたけれど、立って居られない程ではない。
傷は癒えても、失った血液まではもとには戻らないのは当然だ。

「奥の手?」

こんな状況でのジークの表情に怪訝な表情をしたハツ。
ジークはそんな彼に、小さな箱を渡した。
そして、なんでもないようにサラリととんでもないことを言い放った。

「このマッチで森に火を着けて逃げよう。それしかない」

………。

「…え!?」

数秒遅れてシャオロンだけが反応して何かを言おうとした時、すでにハツはマッチに火を着けてしまっていた。

「よっしゃー!俺様の炎で燃やし尽くしてやるさぁああ!!!」
「やれハツ!」

指先で摘まんだマッチの小さな炎を何故か誇らしげに掲げるハツに、ノリノリのジーク。
とても主人公の顔には見えない。
時、既に遅し。

「何言ってんの!そんな事したら皆してさっそく退学じゃん!!バカなの!?なんなの!?リズも何してんの、止めてよ!!」
「は、はい…!」

つっ込みを入れながら、さりげなくリズにも八つ当たりをやってのけたシャオロンの怒濤の勢いには、敵も怯んでいた……。

「お二人共、やめてください!」

よほど怖かったのか、泣くのも忘れるくらい必死の形相で放火を止めようとしたリズは、ハツを突き飛ばした拍子にマッチが手の甲に落ちてしまい、驚いてもがいた。

「あちちち!」
「なんなの、これ!もうギャグなの!?もうグダグダだな!!!!」

もはや、どこからどう突っ込んだらいいのかわからないシャオロン。
この状況の中、ハツはマッチ箱の中身に全て火を着け、投げ捨てた。
すぐに辺りからは草木の燃える臭いが立ち込め始め、四人を襲っていた木の魔物の枝にも引火した。
枝先に燃え移った火を消そうと魔物が枝を振れば振るほど、火の粉は広がり、あっという間に辺りは火の海になった。

「うわ…本当にやっちゃったよ……」

勝ち誇ったような顔をしているジークとハツを横目に、シャオロンは死んだ魚のような目をしてそう呟いた。

「よっしゃあ!アイツが動けないうちに逃げるぞ!」

もがき苦しみながら、自分達の姿を探している魔物を尻目に、ジークは仲間達にそう言い放つと、走り出した。

「ま、待って…下さい!」
「はっはっは!腹と背中は代えられんさ!」
「背に腹でしょ!ああ、もう知らない!」

ヤケになりながらも、突っ込む所はしっかり突っ込んであげたシャオロンだったが、この数分後…森の出口にて駆けつけた教官達に叱られ、殴られて倒れているジークを見つけるのだった…。



『これはこれで悪くない、かな……』

雲一つない青空を見上げながら、故郷の両親に心の中で語りかけながら、ジークは新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
滅多に体験できない事も体験できた。
そして、かなり個性的ではあるが新しい仲間も出来た。
学校を間違えてしまったと気付いた時はどうなるかと思ったが、なかなか有意義に過ごせそうな気がしていた。

……これで、屋上からロープで吊るされていなければ本当にいう事が無かった。

「……」

校舎の一番上に立つ、校章の旗がそびえるポールに結び付けられたロープで身体をぐるぐる巻きにされて吊るされているジーク達は、時折つついてくる小鳥の恐怖に怯えながら、さらしものになった羞恥心と戦っていた。

あれから、学園長を含む教官たちに勝手に森へ入った事と、森を放火した事をたっぷりと叱られた。
それはもう、トラウマになるくらいに。

「もうさ…うん、かえって清々しいな……」
「空が俺様に微笑んでいる」

完全に現実逃避モードに入っているジークとハツを横目にシャオロンは溜息をついた。

「退学にならなかっただけマシだよ…全く君と居たら飽きないよ……」
「けど、あのまま死ぬよりましだっただろ」

それでも、さすがにやり過ぎたと自覚はあったジークがそう言うと、シャオロンは苦笑していた。

そして、さっきから俯いたまま微動だにしないリズは、同じ高さに吊るされているジーク達から見ても、下から見ている生徒にとっても軽くホラーだった。

「…これ、生きてるんさ?マジで怖いんだけど。つか、アイツ不気味なんだけど」
「…いや、生きてるだろ…微妙に動いてるし」

良く言えば豪快、悪く言えば多少無神経なハツをジークは蹴って振り子と同じ思いを味あわせてあげた。

「そういえば、リズはどうしてあの森に居たんだい?まさかまた苛められたの?」

思い出したように声を掛けたシャオロンに、リズは驚いて顔を上げるとあたふたしながら小さな声で返した。

「え?あ、…はい…母から貰ったリボンだったんですけど、あの三人にこれを木に引っかけられて、置いていかれ…ました……」

そう言って少し顔を傾ければ、左サイドの髪に青いリボンが巻かれていた。

「…そっか、じゃあ大事にしないとな。しかしあの三人は最低だな…。今度会ったら文句のひとつも言わなきゃ気がすまんよな」

隣でハツが助けを求めていたが、聞こえないふりをしたジークが納得した、というように微笑むと、リズは頷き、少し戸惑うように口をもにもにと動かすと、今度ははっきりと聞えるように言った。

「あ、あの…ありがとうございます。来てくれるとは思いませんでした」

今まで、こうしてはっきりと話す事があまりなかったリズからの素直な言葉に、ジーク達は目を丸くした。
ハツまでも驚いて、無言で揺られている。
そのまま、一拍開いた後、ジークは毒気の無い顔で笑った。

「何言ってるんだよ。そんな事、友達なんだから気にすんなよ。な?」

そう言うと、ジークの隣に吊るされているシャオロンも頷いた。

「どうせ、もう教官に目を付けられちゃったんだし、もうここまで来たら一蓮托生だよ」

「俺様について来ればまず、落第はしないさよ。つか、母ちゃんのリボン、見つかってよかったな」

そっぽを向いていて無神経な態度をとるハツも、自分なりに言葉を探したようだった。

「…はい」

そんな三人の顔を順に見たリズは、ほんの少しだけ、口元を綻ばせて微笑んだ。

暖かい風が、エリュシオンの広大な土地を吹き抜け、春の訪れを告げていた。

次の日、さらしものの刑から解放されたジーク達は、早速チーム結成の届けを教官室へと持って行った。
メンバーはもちろん、ジークをリーダーとしてシャオロン、ハーヴェン、リズの四人。
担当となる強面のいかつい顔の教官の前で四人並んで立って待っていると、届けの書類を確認し終えた教官は、書面から顔を上げて四人へと向き直った。

「…いいだろう、お前達を正式にチームとして認めよう。私はお前達の担当をするアリーファ。覚えておくように」
「ありがとうございます!」
「ただし!」

ほっとして肩の力を抜いたジーク達を一瞥した教官は、鈍く銀色に光る錆びた鍵を一つ差し出した。

「お前達は一度違反を起こした罰でチーム名を自由に決める事は許されず、一般生徒と同じ寮に住まわせるわけにはいかない。即刻、この鍵の部屋へ引っ越してもらう」
「え…はい」

有無を言わせないまま鍵を握らせられたジークは、抗議したい衝動を飲み込むと頷いた。
どんな事情であれ、校則違反をした罰を受ける事は仕方がないと思う。
教官の顔が怖いので言えないというのも理由の一つではあるが…。

「ちなみにセンセー、俺様達のチーム名は何さ?」

何の期待をしているのか、ハツは目を輝かせて言った。
するとアリーファ教官は、そのいかつい顔を豪快に崩して笑った。

「お前達のクラスを一文字ずつ取って、AHOUだ!まさにお前達にぴったりだろう」

AHOU…阿呆…あほう…アホ。
ちなみに、ジークが普通科Aクラス、シャオロンが体育科Hクラス、ハツが援護支援特科Oクラス、そしてリズが特進科Uクラスだった。

「………」

そのあまりにも安直かつ、恥ずかしいチーム名にジーク達は反応を返すことが出来なかった。

とりあえず、ジーク達はその鍵と寮の場所が書いてある紙切れを片手に下見をすることにした。
まるで高級屋敷のような他チームの寮の傍を通り抜け、綺麗な花が咲く花壇があるレンガ造りの道を通り抜け、少し陰になった所で先頭を歩いていたシャオロンは立ち止まった。

「さぁ、ここだと思うよ」

案内されたのは、一軒の小屋。
というよりも、木造納屋…しかも屋根はトタン作りで所々はげている…。
外観だけで既にジークは嫌な予感がしていた。

「ボロくね…?」
「…これは……」

それはハツとリズも同じのようで、思わず絶句してしまう程だった。

「ま、まぁ中に入ってみようよ」

シャオロンに促され、ボロ小屋のドアを開けたジークは、そこで驚くべきものを見た。

一つしか部屋がなく、しかも畳の床。
大きめの窓にはこの場に不釣り合いな程に清潔感がする白のカーテン。
小さなちゃぶ台が一つ置いてある位で、後は特に目立つ家具はない。

かろうじて、台所とトイレ風呂はあるようだったが、個室はない。

というか、部屋そのものが家だった……。

「…これは、問題が山積みだな……」

いくら罰だといっても、これほどのものとは思わなかったジークは早くも心が折れそうになった……。

『Update friend』

fin.

第三章『Sun flower』

各専科の授業が始まって、はや一週間。
最初の方は主に基礎知識を多めに学ぶだけあって、普通科のジークは特殊攻撃の授業や、個々の能力の強化。
体育科のシャオロンは体育館で体育(武術)の授業。
特進科のリズは魔法使いならではの魔術発達論の授業。
援護支援特科のハツは看護救命手当学の授業や隠密行動などの実習も始まっているようだった。

四人とも科がバラバラで授業の時間もそれぞれ違う為、揃って顔を合わせるのは朝と夕方位なものなのだか、今日はたまたま昼休みが一緒になった為、食堂で昼食をとっていた。

「しかし、授業にもやっとなれたなー……」

ジークはA定食とかいう肉がメインの料理を食べながら言った。
ちなみに、この日替わりの学食は生徒なら無料で食べられる。

「んー。学校にも慣れて来たよね…いっぱい食べなきゃ体が持たないよー」

シャオロンも同じものを食べているが、明らかに量はジークの倍だ。
さすがは身体が資本の体育科というべきか…。

「そういや、リズは何食べてるんだ?」

ジークは本を読みながら食事をしているリズに聞いた。
相変わらず、同じ部屋に住んでいても彼が積極的に喋る所は見た事がない。
もともと無口なのだろうか。

「え、と…サンドイッチです」

慌てて本を閉じてそう答えたリズは、今にも消えてしまいそうな声で「すみません……」と呟いた。
その隣で、ハツは骨付き肉を豪快に噛み千切りながらテーブルを強く叩いた。

「…暗ッ!お前、マジで暗!!!」
「……す、すみません」

もはやリズは反射的に謝っているようにも見えて、ジークは助け舟を出す事にした。

「まぁ、そう言うなよ。ハツ」

「だいたい勉強って、いつも教室でやってるじゃん。寮…っていうかあのボロ小屋でも!イヤミか、ユートーセー!」

そう言って、あからさまに溜息をつくと、ハツは噛んだままになっていた肉を咀嚼し始めた。
それに言い返す事もなく、リズはまた俯いて黙ったままサンドイッチを食べていた。

「……」

殆ど、毎日この光景が見られる中、どうしたものか、とジークはシャオロンに助けを求める視線を送るけれど、シャオロンもどうしたらいいのかわからないらしく肩を竦められた。

どうにも、ハツとリズはあまり相性が良くないようだ。

その日、ジークは仲間と別れてから午後の授業が始まるまで普通科の校舎の屋上で時間を潰すことにした。
入学してから一週間ともなれば、クラスにも馴染んできていたので居心地が悪いと言うわけではないのだが、普段騒がしい日常から少しだけ解放されたような気になるこの場所が好きだった。
いつものように屋上のフェンスに凭れかかって青い空の海を流れて行く雲を見つめて深い息を吐き出した。

そうしていると、不意に下から何やら騒ぐ声が聞こえて来た。
フェンスに手を掛け、身を乗り出して下を覗き込んでみると校庭では特進科が実技演習を行っている所だった。
あちらこちらから昇る魔法の光を目の当たりにしたジークは目を輝かせた。

「おー…すげぇ」

やはり、魔法使いは凄いと思った。
人はそれぞれ体の中に見えない力を持っていて、それを魔法使い達は炎や癒しの力に変えているのだという。
そしてそれは、限られた人間達が独占する為に、魔法使いの家々に代々伝わる秘儀だと言われている。

だとしたら、リズもどこかの良い所の子なのだろうか。
そんな事を考えていると、視界に本を抱えたリズが入り込んできた。
懸命に走るリズの後を追いかけていたのは、入学初日に廊下で絡んでいた例の三人組だった。
おおかた、また寄ってたかってリズを苛めようとしているのだろう。

三人が杖の先から炎を召喚してリズを取り囲んでいた。
炎に怯んで動けないリズは、突き飛ばされて抱えていた本と眼鏡が校庭の土の上に転がった。

「アイツら…また!」

冷たい土に両手をついて眼鏡を探しているリズを見て楽しんでいる三人をボコボコにしてやりたい衝動を押さえながら、ジークはフェンスの網を強く握った。

その時、頭上に影が差して顔を上げた途端に、大きな何かが羽音を立てて飛び去って行った。
思わず腕で顔を覆ったジークは、飛び去って行く大きな鷲を呆然と見送った。

「何だありゃ…デカいな」

大鷲から抜け落ちた羽を見ていると、足元に一通の手紙が落ちている事に気付いた。
ジークは手紙を拾うと、封を切って中身を取り出した。

「これって……」

封筒の中には、一枚の紙きれが入っていた。
それには、たった一行だけ、大きな文字で用件のみ書かれていた。

その日の夕方。
寮棟の外れにある、ボロ小屋にて夕食を摂っている仲間達の前でジークは昼間受け取った紙を取り出した。

「皆、見てくれ。ついに俺達にも来たんだ」
「キタって、何がさ?不幸なら間に合ってるさよ」

皿いっぱいに盛られたチャーハンを口いっぱいに頬張ったハツに、ジークは苦笑した。

「任務だよ、任務!これが成功したらこんな小屋出られるかもしれないぞ!」

「ねぇ、ジークどんな任務なの?」

そう言って、花柄のエプロンをつけたシャオロンが新しく出来た料理を運んできてくれた。

本日のメニューはチャーハンと中華スープのようだ。
余談だが、家事はほとんどシャオロンがこなしてくれていたりする。
本人いわく、趣味でやっているとの事だった。
どこのお母さんだ。

ジークは、ひたすらチャーハンをかき込んでいるハツ、正座で真剣な顔をしているシャオロン、静かにスープを飲んでいるリズを見渡すと、胸をはって堂々と声を張り上げた。

「中庭の草むしりだ!!」

………。

「おい、黙るなよ…俺だって深く考えないようにしてるんだから!」

こうして、ジーク達チームAHOUの初任務は『中庭の草むしり』となった。


翌日の早朝。
指定された中庭へ行くと、チーム結成時に会った担当教官が待っていた。

「あ…チームAHOU、ただいま到着しました」
そう言って、一列に並んだジーク達を見渡したアリーファ教官は、その瞳をカッ、と見開くと居眠りをこいていたハツの脳天へ右手を振り下ろした。
ゴス、という鈍く痛々しい音がしたと思うと、ハツは地面に顔から突っ込んでいた。

「ハーヴェン・ツヴァイ。次はないと思え」

強面のアリーファ教官は、地に響くような声でそう忠告すると、ハツは無言で右手を上げた。
あまりの痛みで話すことも出来ないのだろう。

その恐ろしい一撃は、ジークの中で『地獄の空手チョップ』と命名された。

「さて、貴様らチームAHOUには草むしりを課題とする」

何事もなかったかのようにそう切り出したアリーファ教官は、人数分の軍手を取り出した。

「正午までに、この中庭にある草を全て抜き終えれば、課題クリアとして単位をやろう。それでは、これより始めなさい」
「は、はい!」

軍手を受け取ったジークは、立ち去って行く教官を横目に、三人に配ると早速作業に取り掛かった。
正午までたいたい五時間。
しかし、中庭と言っても敷地は広大で、無駄な時間を取っている暇はない。

「正午まで時間がない。急ぐぞ」

すぐに手近な草の葉を掴んだジークは、力を込めて一気に引き抜いた。
けれど、その草の先には奇妙な形の根が付いていた。
どこか人の顔のような……。

「危ねぇ!それを捨てろさ!」
「うわ!」

それが何なのかジークが認識する前に、ハツが草を叩き落とした。
奇妙な形の根が付いた草は、地面に落ちたと同時に耳を劈くような悲鳴を上げながらはじけ飛んでしまった。

「ひぃぃいい!」
「おっふぉぉ!!」

あまりにホラーな現象に、ジークとハツは悲鳴を上げながらシャオロンの後ろに逃げ込んだ。

「何やってんの、二人共……」

あきれ顔で次々と草を抜いては捨てるシャオロンにハツは信じられないというように顔を引き攣らせて言った。

「お前、あれが平気なんさ!?あれは奇面草というバケモノさ!」
「平気だよ」

そう言ったハツに、溜息を一つ返したシャオロンは奇面草を抜くとあっさりと捨てて悲鳴を素知らぬ顔をしていた。

「僕達、龍神族にあんな物通じないよ。君達人間と違って丈夫だから、僕に全部任せてくれてもいいよ……」
「シャオロン……」

ぽつりと呟いたシャオロンの横顔が、ジークには少し寂しそうに見えた。
改めて、純粋な人間であるジーク達と自分を比べて何か思う所があるようだ。

それは、鈍いハツにもわかるようで、彼もまた珍しく静かに作業をしていた。
そんな静寂を破ったのは、意外にもリズだった。

「で、でも龍神族は、大地の民とも呼ばれ強く優しい誇り高い民族だと聞きます。シャオロン、を見てるとボクも…そう思います!」

最後の方を少し詰まらせながらもそう言い切ったリズは、長い髪で顔は見えないけれど口元は微笑んでいた。

「リズ……」
「オメー、たまにはイイコト言うさな~」

その言葉に、ジークは微笑み、ハツも満面の笑みを浮かべてそう言った。

「い、いえ…すみません。ボク……」

照れているのか、俯いて大きく頭を振るったリズ。
シャオロンは奇面草をまた一つ抜いて捨てると、伏せていた顔を上げた。

「なんで草抜きでこんな気持ちになんなきゃいけないの……」

口ではそう言いながらも、その顔は嬉しそうに綻んでいた。
シャオロンは普段から愛想が良く笑っている事が多いけれど、こういう風に自然な笑顔を見せたのは初めてだった。

そう思うと、チームを結成して一週間。
なんとなくこのメンバーとなら卒業までやっていけそうな気がしたジークだった。

その後、黙々と作業をしていき、やっと半分だという時にハツが「あ!」と声を上げた。

「これ!見ろさ!」
「どうしたんだよ、大声出して」

抜いた草を袋に詰めていたジークが駆け寄ってくると、ハツは目の前に一輪の黄色い花を突きだした。

「ただの花じゃん…。それが何なんだよ」

捨てろよ、と袋を差し出すジークにハツは花を守るように身を捻った。

「だー、もう!俺様詳しい説明は苦手だから、ほら、インテリズ!説明しろさ!」
「え…ボ、ボク!?」

弾かれたように顔を上げたリズは、挙動不審になりながら駆け寄ってきた。
ハツはいつの間にかリズにあだ名をつけていた。

「何なにー?どうしたのー?」

騒ぎに駆け寄ってきたシャオロンは、ハツの手の中にある黄色い花を見て目を輝かせた。

「うわ、それ太陽花じゃん、よく見つけたね!」

「太陽花?なにそれ……」

意味がわからないのはどうやらジークだけのようで、ハツから花を受け取ったリズが答えてくれた。

「この花は、一握りの奇面草だけが咲いたものなんです。とても貴重で、見つければ願いが叶うと言われているんです」

「願いが?迷信とかじゃなくて本当に叶うのか?」
「は、はい。実例があります……」

どうやら、この花はとても珍しいもののようだ。
四人が太陽花の発見を喜んでいると、どこからか笑い声が聞こえて来た。
ジークが振り向けば、そこには特進科の制服を着た男女が三人立って居た。
太陽花を持ったリズの体が強張るのがわかった。
彼等の視線は、リズに集中して突き刺さっていた。

「おい、見ろよ!アイツ、草むしりやってるぞ!」

一人がそう言って大げさな身振りで驚くと、もう一人の男子生徒がジーク達へ視線を向けて来た。

「うわー、同じチームの奴が可哀相だなー」

まるでわざとらしく口元を手で隠した女子生徒は、クスクスと蔑むように笑った。

「やだ、本当に馬鹿みたい!」

彼等の顔には見覚えがあった。
入学初日からずっとリズに嫌がらせを続けている特進科の生徒だった。

「でも、根暗のあの子にはこれくらいがちょうどいいかもしれないわ。」
「チームの皆さんも大変ですね~。こんな役立たずと一緒に草むしりなんて~。そう言えば、校舎裏の森に入って懲罰受けてましたね~。グズの仲間もやっぱり落ちこぼれなんですかあ~?」

その嘲る笑い方と、酷い言葉にリズは太陽花を握りしめたまま、唇を噛んでじっと耐えていた。

「なんだい、あいつら……」
「うぜー」

シャオロンとハツも、明らかにイラついている。
もちろん、ジークだって飛び掛かりたいくらいだ。
けれど、今ここで喧嘩なんてしようものなら厳罰は逃れられない。
我慢するしかないのか。

何も言わないジーク達を見て気分が高ぶって来たのか、彼等はリズの傍までやって来ると、いきなりその頬を叩いた。
怯えきって、抵抗も出来ないリズはそのまま地面へ尻もちをついた。

「ふ、ふぇ……」
「こんな花がそんなに大切かよ!」

反動で手放してしまった太陽花を拾おうとしたリズの目の前で、少年は花を踏みつけた。
花びらが散り、ぐしゃぐしゃになって二度と咲けないように種子を潰し、何度も何度も踏みつけた。

「!!!」

ぼろぼろにされた花を見て、それでも何も言えないリズに唾を吐きかけた少年は、口の端を吊り上げて嗤った。

「こんなもの、グズでのろまなお前と一緒で何の役にも立たないんだよ!」

ついでとばかりに、集めた草の入った袋が蹴り倒され、中身が散らばってしまった。

寄ってたかってリズを苛める三人を前に、ジークは大きく息を吐き出して制服の袖を捲り上げた。
そして、単位の為に今まで一緒に我慢していた二人に一言謝った。

「…シャオロン、ハツ。ごめんな」

「平気」

そう短く返したシャオロンは、いつもは見せない冷淡な表情をしていた。
その真横を、緑色が猛ダッシュで走り抜けて行ったのが見えた。
それは、見間違えるわけもなくハツだった。

「おのれは、せっかく集めた草に、何さらすんじゃゴラァアァァァアアア!!!」

怒濤の勢いでリズの傍にいた男子生徒を殴り飛ばしたハツは、興奮した猿のように次々に殴り掛かって行った。

「えぇええー!そっちーっ!?」

思わず突っ込まずにはいられないジークだったが、吹っ切れた今ではもうどうでもいいことだ。

「な、何をするんだ!教官に言いつけてやる!」
「うっせぇ、この〇〇〇(自主規制)野郎!」

とても文字にして表せないような汚い言葉を吐きつけたハツは、おまけにもう一発殴った。
ジークも、かかって来たもう一人の男子生徒を蹴り飛ばすと堂々と宣言した。

「教官でも教科書でもなんでも呼べよ!こちとら、厳罰が怖くて仲間を見捨てられるかっつーの!」

「大丈夫?」
「……」

リズはシャオロンに介抱されながら呆然としていた。
何故、こうまでしてくれるのか。わからなかった。

もはや一方的に、ぶちのめしていたジーク達に教官が気付かないわけがなかった。
すぐに集まった教官達に羽交い絞めにされて引きはがされたジークは、半泣きになってボロボロになった二人に寄り添う女子生徒に激昂した。

「いいか!今度うちの仲間に手を出してみろ、お前ら絶対許さねぇからな!覚悟しとけよ!」
「そうだそうだ!この潰れたパイ野郎!げふぇ…!?」

ついでとばかりに叫んだハツは、アリーファ教官にチョップを喰らって気絶した。

「信じらんない!あんた達本当なによ!!」

ヒステリックにそう叫んだ女子生徒に、ジークは羽交い絞めにする教官の腕を振り解きながら声を張り上げた。

「覚えとけ!これが俺達チームAHOUだ!!」

その捨て台詞の後、ジークは強制的に連行されていくのだった。


教官室に呼び出されたチームAHOUの四人は、指導担当であるアリーファ教官の前に立つと顔を上げた。
アリーファ教官は、全く反省の色のないジークの顔を見ると盛大な溜息をついた。

「貴様ら、いい加減にしないか!入学して一体いくつ問題を起こせば気が済む。特に、ジーク・リトルヴィレッジとハーヴェン・ツヴァイ!」
「教官」

理由も聞かないまま叱ろうとする教官に、ジークは凛とした声で言った。

「俺達は、友達の名誉を守っただけです。理由はそれ以上でもそれ以下でもありません。罰なら受けます」

濁りのない強い光を帯びたその瞳は、アリーファの鋭い眼光に怯む事なく、ただ真っ直ぐ前を見据えていた。

「でも、後悔はしていませんし、反省もしていません」

はっきりとそう言い切ったジークの目を射抜くように見つめていたアリーファは、数秒だけ間を開けた後、口元に笑みを浮かべて言った。

「いいだろう。その度胸に免じて全員この右手を一発ずつくれてやる」
「センセー!何に免じてさ!結局変わんねーさよ」

「問答無用!まずは貴様からだ、ハーヴェン・ツヴァイ!」

身構えるジーク達の前に身を乗り出したハツは、最初の地獄のチョップの餌食となったのだった…。

「いてて……」

その後、地獄のチョップを喰らったジーク達は結局、単位も貰えずそのままボロ小屋へ帰るように言われて寮棟を歩いていた。
時刻はすっかり夕方になっており、空はオレンジ色と夕闇の紫色が混じり合った色をしていた。

「……」

それぞれ頭に一発ずつチョップを喰らい、たんこぶが出来ていた。

「痛かったねぇ」

苦笑い交じりにしみじみと呟いたシャオロンに、ハツは表情を曇らせて言った。

「…でもよ、センセー手加減してたさ」
「え?そうなの?」

驚いて目を丸くしたシャオロンに、ハツは唇を尖らせて頷いた。

「前に喰らった時より、全然痛くなかったさよ」
「もしかしたら、全部わかってたのかもな」

先頭を歩いていたジークは、振り返ると複雑そうな顔をして肩を竦めた。

「だったら僕らって殴られ損だよねぇ……」

まるで死んだ魚のような目をしたシャオロンは、小さな声で呟いた。

「でも、さっきのジークはカッコよかったさ!『俺達は、友達の名誉を守っただけです』」
「うわぁああ!やめろ!」

先程のジークを顔マネで再現してみせるハツに、今更恥ずかしくなったジークが頭を抱えて悶えていると、ふと浮かない顔をしたリズと目が合った。

「何だよリズ、元気ないな。そんなに痛かったか?」

そう言いながらリズの顔を覗き込むと、彼は首を横に振った。

「じゃあどうしたんだい?」

シャオロンも不思議そうな顔をしている。

リズは何かを言いたげな顔で口をもにもにと動かした後、怯えるような目をして呟いた。

「…どうしてですか?」

「え?」

意味がわからずにジークは首を傾げた。
立ち止まり、地面を見つめていたリズは何かを決意したように唐突に顔を上げて口を開いた。

「ボクのせいで単位はもらえなかったし、全然関係ない人とも喧嘩をする事になったんですよ?教官にも叱られて、もとはといえばあのボロ小屋に住むことになったのもボクが森へ行ったからで…全部、全部ボクのせいなんですよ!?どうしてそんなに平気な顔をしているんですか!?」

思い詰めたように、泣きそうな顔をしているリズにジークは瞬きを一つすると、その肩を軽く叩いた。

「そんなの、友達だからに決まってるだろ?」

「…!」

ひくり、とリズの口元が引きつるのがわかった。
数秒の間を開けた後、リズは肩におかれたジークの手をやんわりと払うと唇を噛んだ。

「何で…そんなに信じられるんですか……」

喉の奥からしぼり出すような言葉に、ジークはニコリと笑った。

「そんなの、友達だからじゃん。友達を信じるのに理由はいらないだろ。お前も、そのままでいいんだよ」

な?、と振り返ればシャオロンとハツも頷き返した。

「だから、心配ないし、あれは俺達の意志でやったことなんだから」

「………」

そう言って笑ったジークに、リズは曖昧な笑みを浮かべた後、微笑んだ。

「はい…ありがとうございます」

笑っているはずなのに、その頬には涙が伝っていた。

タイヨウノハナ

fin.

第四章『Stardust』

誰も居ない夜の道を歩くと、真夜中の静寂は昼間になかった陰鬱さと無気味さを生み、化け物が顔を覗かせているかのようにも感じられた。
月は歌い、星は存在を主張するかのように輝いている。
静かでどこか神秘的なそんな夜。

広大なエリュシオンの大地が見渡せる時計塔の屋根の上に一つの影があった。
暖かい風が髪を撫でていき、仄かに花の甘い香りがした。
聞えるのは、彼が首から下げたペンダントから流れる、ゆっくりとした物悲しい音色だった。

その、小さな銀のロケットペンダントには、優しげに微笑む女性の写真が入っていた。
まるで闇に溶けるようなその姿からは咽るような生臭い血の香りがしており、傍らに置いていた奇妙な顔をした仮面にも濃く付着していた。

どのくらいそうしていただろうか、ロケットペンダントから流れるくオルゴールが一周した頃、不意に後ろから声を掛けられた。

「お前、一体どういうつもりなんだ?」
「……」

振り返りもせず、何も答えない『彼』に並ぶように、もう一つの影も歩み寄った。
そうして、相手の横顔を見つめると徐に自分の仮面を外した。

明かりもない真っ暗な中、燃えるような赤い瞳に端整な顔立ちをした少年は、ロケットペンダントを握りしめたまま遠くを見ている自分と同じ顔の『彼』に、苛立ちを隠さずに口を開いた。

「早急に李小龍とその仲間を始末しろと言われている。一体いつまで様子を見ているつもりだ?」
「……」

そう言って詰め寄っても尚、口を開こうとしない相手に少年は溜息をつくと彼に背を向けた。

「まさか、迷ってないだろうな…?」

背後でペンダントを閉じる音がし、オルゴールの音色も消えて代わりに抑揚のない声が一言だけ返ってきた。

「大丈夫」

たった一言、それだけ話すと『彼』は立ち上がり、持っていた仮面で顔を覆い赤髪の少年を振り返った後、真下にあったテラスへと飛び降りて行った。
後に一人残された少年は見えなくなったその影を見つめながら一人呟いた。

「…あの馬鹿」



日もとっぷり暮れてしまい、本日の授業を終えたジークは寮であるボロ小屋のちゃぶ台の上に教科書を広げて数式が並ぶページを睨み付けていた。
キッチンではシャオロンが夕食の支度をしていて、パンの焼ける芳ばしい香りが漂って来ていた。
という事は、今夜はシチューなのだろうか。
ジークがそんな事を考えながら赤ペンで要点に丸を付けた時、風呂場の方から真っ赤な顔をしたハツが出て来た。

「あー…俺様今日も一日ツイていたさ」
「お前、顔が真っ赤だぞ。どうしたんだよ?」

まるで、ゆでだこのようになってしまっているハツの顔を覗き込んだジーク。
ハツは何故か勝ち誇ったような顔で鼻で笑った。

「ふふっ俺様は、勝者なんさよ」
「え?何が?」

意味が分からず首を傾げているジークに、ハツは突然真剣な顔をすると声を潜めて言った。

「実は……」
「…実は?」

ジークは、普段からおちゃらけているハツがこんなに真剣な表情をした所を見た事があっただろうか…。
いや、ない。
だとしたら、よほど重要な話なのだろう…。
無意識にゴクリと喉が鳴った。

「…俺様は目を疑ったよ」
「いいから早く言えよ!」

いつまでもったいぶるんだよ!と突っ込めばハツはとびきりいやらしいスケベ顔をして笑った。

「風呂場の窓から花壇で水やりをしていた女の子のオパンティが見えたのさ!!」
「どうでもいいわ!!!」

思わず手に持っていた教科書でハツをぶん殴ったジークは、ハッと我に返ると教科書の皺を伸ばした。

「女の子のその、し、ししし、下着を見るなんて最低だぞ!お前は」
「偶然さよ、偶然!!」
「嘘つくなよ、この女性の敵め!!」

そう言ってハツを散々責めておきながら、ジークはそそくさと風呂場に消えて行った。
そして数秒後、ジークの悲鳴が風呂場から聞こえてきたのだった。

「どうだった?まだ女の子いたさ?」
「……」

風呂に入って来たにも関わらず、余計に疲れた顔をして出て来たジークは、あまり多くを語りたがらなかった。
ただ一言、げっそりと痩せ細った頬を吊り上げてボソリと呟いた。

「女の子かと思ったら、オカマだった…。しかも、こっちも見られた……」

………。

ちーん……。

「…あ、うん、まぁ…うん……」

あまりの落ち込みっぷりにハツはそんな事もあるさ、とは言い出せなかった。

そうしていると、玄関のドアが開く音がして足音が近づいてきた。

「た、だいま戻りました…っ!!!」

足早に入って来たリズは、壁の隅を向いて小さくなっているジークに気付いて声を引き攣らせた。

「あ、おかえりー。今日は随分遅かったんだね?」

だなんて言いながら、ジークとハツの一連の流れを華麗に無視していたシャオロンは、リズが手に持っている封筒に気付いた。

「それ…どうしたの?」
「あ、あ…帰りに、教官によば、よばれて……」

酷くどもりながらも、封筒の中身を出して広げて見せたリズ。

「えーっと、何なに……」

ハツはリズから手紙を奪い取りながら、文面を声に出して読み上げて行く。

「次は、星屑の丘に出没するマンゲツウサギを退治だってよ!」
「退治!?っていう事は、ようやく戦闘学校らしい任務だね!?しかも、明日の朝出発だって!」

途端に、弾かれたように顔を上げたシャオロンは続きを目で追うと嬉しそうに笑った。
そこでようやくショックから立ち直ったジークも同封されていた書類を見ると頷いた。

「よし、そうと決まったら早く飯にして休もう!」

「そうだね!僕、シチューをよそってくるよ」
「て、手伝います」

いそいそと夕食の準備を再開するシャオロンについて行ったリズは、器によそがれたシチューをちゃぶ台に運んだ。
そして、一人一人の前に配ろうとした時、唐突にハツは横から手を出して器を自分の前に置いた。

「お、これ一番人参少ないじゃん、俺様のはこれー!」
「おい、人参さんに謝れよ。人参さんをそこまで育てるのに農家の人がどれだけ……」
「ノーカ出身のジークは煩いさ!いいから、お前はこれ!リズはこれな!!」

そう言いながら一方的に器を配り終えてしまったハツに、リズは口元を綻ばせていた。

「はいはーい、パンが焼けたよ!」

そうこうしていると、籠いっぱいにパンを抱えたシャオロンが戻ってき、ジーク達は温かいシチューと焼きたてのパンで夕食を囲む事にした。

まだ日も昇っていない早朝の時間帯、支度を終えたジーク達は校門で待つ教官の下へ向かっていた。

「さて、と……」

小屋の鍵を閉めたのを確認したジークが振り返ると、地面に顔を突っ伏して眠っているハツがいた。
今回の任務は初めての討伐任務である為、昨晩はあんなに興奮していたから眠れていなかったのだろうか…。
そう思った所でジークは、いやいや…と思い直した。

「僕は昨日はハツのいびきで眠れなかったのに、まだ眠いの?」

そう言って苦笑いを浮かべたシャオロンにジークも頷いた。

「全くだ。呆れるな」
「んもう、仕方ないなぁ、ハツは!」

うふふ、と爽やかに笑いながらシャオロンは両手の指の関節をボキボキと鳴らし、笑みを一層深くして言った。

「龍人式アイサツでもしてあげようかな?」

「…お、おお!ハツ、起きたか、何?そうか、じゃあ俺が引っ張って行ってやるよ!」

何かこう、シャオロンの後ろにどす黒いオーラが見えた気がしたジークは、眠り続けるハツに肩を貸しながらダッシュでシャオロンから離れた。
もとい、ハツを引きずりながら走った。

そしてその向きは逆で、ハツは地面とキスをしながら引きずられて行ったのだった……。

「ふーん、つまんないの」

適当に転がっていた石を拾い、握り砕いたシャオロンは小さく溜息をつくと、寮の角を曲がって見えなくなってしまったジークを追って歩き始めた。
その後ろをリズもついていく。

「よし、チームAHOU、揃ったな!」

「はい!おはようございます、教官」

こんな真っ暗な中でもライトを顎の下にあてて真顔で話を始めるアリーファ教官に姿勢を正して答えたジークは、隣で俯いて寝ているハツの脛に蹴りを入れると、教官に向き直った。

「…今日、お前達に行かせる課題は手紙に書いてあったように、星屑の丘に出たマンゲツウサギの討伐だ。奴らは大人しい見た目に反して獰猛で、たびたび近隣の村の住人を襲っているとの事だ。速やかに討伐を済ませた後、依頼主である村の村長にこの書類にサインをしてもらって来るまでが任務となる」

「はい…!」

アリーファ教官から手渡された封筒をバッグにしまったジークは頷いた。
と、そこでようやく目を覚ましたハツが両手を挙手して口を開いた。

「センセー、その星屑の丘まではどうやっていくんさ?どうみても今日中には帰れない感じじゃね?」

そう言って地図を広げて目的地を指さしたハツに、アリーファ教官は眉一つ動かさずに答えた。

「無論、目的地に行く手段もお前達で考えろ。それらを含め、総合的に評価を下す。以上、他に質問が無ければ出発しろ!」

手に持っていたライトをジークに渡したアリーファ教官は、そう言い放つと校門を開けてくれた。
まるで、さっさと行け、というように…。

「で、では行ってきます!」

これ以上ここでモタモタしていると、また地獄の空手チョップが飛んでくるかも知れないと思ったジークは、そそくさと仲間を引き連れて出発したのだった。


「よし、まずは…どうやって行くか、だよな。今の所は徒歩しかないけど……」

地図を見ながら歩き出したジークは後ろに続く三人に向き直ると、ハツは欠伸をし怠そうに右手で首の後ろを撫でた。

「…えぇー…星屑の丘まで歩いても二日はかかるさよー…まじかよ」
「僕が龍に変身して乗せていければいいんだろうけど…さすがに三人は厳しいかなぁ」

そう言ったシャオロンは、ごめんね、と苦笑した。
と、そこへ今まで一言も話さなかったリズが、おずおずと口を開いた。

「あ、あの…地図見せてもらってもいいですか?」
「ああ、うん」

ジークの手からライトと地図を渡されたリズは、紙面をジッと眺めるとある場所を指さして言った。

「ここ、ここに村があります。ここで馬を借りれば少しは楽に進める、かもです」
「確かに…でも、その前にこの湖を渡らないといけないな。でも結果的に直線経路になるから、ヘタに回り込むよりも早く着くかもしれない」

ふむ、と唸ったジークはシャオロンとハツに視線を流した。

「どうしようか?」
「いいけど、湖はどうやって渡るの?まさか泳いで渡るの?」
「あー……」

もっともなシャオロンの意見にジークは、確かに…と思った。

「あの!僕、少しの間なら…水面を歩く魔法が使えて…その……」

そこでリズは、持っていた杖を取り出して慌てて口を挟んだ。

「なんだってぇえ!お前マジでそんな魔法が使えんのか!?ただの根暗ぼっちゃんじゃなかったさ!?」
「…はい」

水面を歩く魔法に反応したハツは、勢いよくリズに詰め寄るとリズは頷いた。
みるみる内に眠気眼だったハツの目が輝いていく。

「おおー!ジーク、じゃあそのプランで行こうさよ。俺様、一度でいいから水面を歩いてみたかったんさよ!」
「お前…単純な奴だな……」

どうする?とジークが聞けば、シャオロンは頷いた。

「そうだね、問題だった湖を渡る事も出来るし、僕もそれでいいと思うよ」
「はい、ありがとうございます!」

そう言ってペコリと頭を下げたリズは、長い髪と大きな眼鏡で表情は見えないけれど、嬉しそうに口元を緩めていた。

そうして日が昇り始めた空の下、湖へ向かう事にしたジーク達は途中で野生動物に襲われながらも順調に進んでいた。
どこまでも続くように感じる平原の遥か向こうには、いくつもの大きな山が悠然とそびえ立ち、緩やかな風が流れていった。

ジークは相変わらず、武器に関しては扱いが素人で度々ハツに教わり、何とか形になるまでになっていた。

「そういえばジークって初めて会った時に、本気で入学する学校を間違えてたよね」

何度目かの休憩の時、近くにあった岩に腰かけたシャオロンは、ハツにナイフの使い方を教わっているジークを見て呟いた。

「エリュシオンの制服を着ている癖に、ずっとエリュシアン、エリュシアンって言っていて、いつ教えてあげようかと思っていたよ」

困ったように笑うシャオロンにジークが咳払いを一つすると、傍らに居たハツは「ブッ!」と吹き出していた。

「お前、マジで!?ウケる!!」
「うっさい!俺はもともと田舎を出て官僚になる予定だったからな。若気の至りだ!若気の至り!!」

ほんの数日前の事が若気の至りなのだろうか、というツッコミは、誰一人しなかった。

どのくらい歩いただろうか、歩きながら支給されていた携帯食をモソモソと食べながら歩いていたジークは、緩やかな丘を登り切った所で目を丸くした。

太陽の光を反射してキラキラと光る水面は穏やかで、向こう岸の林の奥からは建物の影から白い煙が上がっていた。
間違いなく、ここが最初の目的地であるバナーヌ湖だった。

「ここがバナーヌ湖かー。想像していたよりもずっと大きな湖だな」

この分で行けば、日が落ちる前に村に辿り着いて馬が借りられるかもしれない。
そう思ったジークは、くわえていた固形食を一気に頬張ると持っていた水で流し込んだ。

ようやく辿り着いた湖を渡る前に、ジーク達はもう一度休憩を取る事にした。

「わぁ…水がきれい。泳いでいる魚が見えるよ」
「本当だ。虹色の鱗が綺麗ですね」

水面を覗き込んだシャオロンとリズは、光の具合で虹色に輝く魚を見つけて捕まえようとしていた。
自然が豊かなままなこの地方は空気も美味しく、見た事のない昆虫もいてジークも久々にのんびりと過ごしていた。

「はー、こんな綺麗な所で、ついでに綺麗なお姉ちゃんでもいれば最高さなー」

仰向けに寝転び、流れて行く白い雲を眺めながらハツはそう呟いた。
どこかで鳥のさえずりが聞こえていた。

平和そのものの雰囲気が流れて行く中、湖畔に腰かけて水面に手を浸けていたシャオロンは唐突に立ち上がった。
ハツもまた、何かを感じたらしく起き上がると弓に手を伸ばした。

「ん?おい、どうしたんだよ」

いつになく険しい顔で警戒態勢に入っている二人に気付いたジークも立ち上がった。
険しい顔をしたシャオロンと目が合ったジークは、意味がわからないままその場を離れようとした。
が、草に足を取られ、坂を転がり落ちてしまった。

「うわっ!」

そして次の瞬間、ジークが今まで立って居た所から火柱が上がった。

「な…っ!」

頭を擦りながら起き上がったジークは、すぐさま立ち上がり、ナイフを抜いた。

「水面に寄れ!草に燃え移ってるさ!!」

地面に描かれた魔法陣から召喚された炎は、一カ所だけじゃなく次々と燃え上がり、あっという間に四人は逃げ場をなくしていた。

「熱っ…なんでいきなり自然発火?」
「違うよ。これは自然発火なんかじゃない!」

何が何だかわかっていないジークに答えたシャオロンは、目を伏せて唇を噛んだ。

「ごめんね、皆……」

苦しげに眉を寄せたシャオロンが一歩踏み出すと、燃え盛る炎の中から二つの影が姿を現した。
その姿を見たジークは、そこでようやくシャオロンの言葉の意味がわかったのだった。

一人は腰まである長い髪をうなじで束ね、もう一人は身の丈以上もの大斧を携えていた。
双方とも、以前船を襲った仮面の集団の一員に間違いはなかった。

「また出たな!お前ら一体なんなんだよ!!」

くって掛かろうとしたジークの前に左手を出して止めたハツは、苦い顔で首を振った。

「やめろ。俺様達が簡単に敵う相手じゃねぇ」
「そうだよ。纏う気迫からして尋常じゃない」

シャオロンの声に振り返れば、彼もまた何かを感じたようだったが、生憎ジークには何の事なのかさっぱりわからなかった。
きっと、実戦経験が豊富な二人は本能で相手の実力がわかってしまうのだろう。
ならば道は一つ。逃げ道を探すしかない。
ジークが辺りを見渡していると、シャオロンは足を踏み出し口を開いた。

「貴方達はどうして僕を殺そうと狙っているんだい!?」
「……」

すると、大斧の柄を地面に突き刺した男は仮面の奥の赤い瞳を微かに細めただけで、何も答えなかった。
教える気がない、というように。

理由はどうであれ、このまま大人しく殺されるわけにはいかない。
深呼吸をして背筋を正すと、シャオロンは拳を軽く握って臨戦態勢を取った。

「教えてくれないのなら…実力行使に出るまでだよ!」

矢を番えた弓がギシリ、としなる。
一拍置いて、ハツの手から放たれた矢は真っ直ぐに仮面の一人の首を狙うも、相手は持っていた斧の柄で矢を受けるとそれを皮切りに一気に襲い掛かって来た。

「くっそ!」

すぐに相手との距離を取りながら、次の一発を放とうと腰に装着した矢筒に手を伸ばそうとしたハツは、足元から上がる熱気に気付いて慌てて後ろに飛びのくと、その場から火柱が立ち昇った。
もうもうと立ち込める黒煙を切り裂きながら、斧の重い一撃が振り下ろされる。

「危ないっ!」

ジークは身を乗り出してナイフで受けるも、実力の差は歴然であり、すぐに圧されていく。
重さに耐え切れず、地面に膝をついてしまった所でシャオロンが男の仮面ごしに顔をぶん殴って助けてくれた。

だが、その間ももう一人の仮面の男が放つ魔法によってジーク達の逃げ場は徐々に奪われていく。
初めはまだよかったものの、身体中に回る二酸化炭素と、熱気に意識が遠くなるのは時間の問題だった。

「はぁ…はぁ・・・・・・」

目が霞んで行き、ついには体力の限界を迎えてしまったジークはナイフを取り落して地面に両手をついた。

「皆!大丈夫!?」

シャオロンが後ろを振り返ればハツも倒れていて、水面の傍に立って居たリズも苦しそうに息をしていた。
生命力の高い龍と人とのハーフであるシャオロンと違い、純粋な人間であるジーク達は炎の中では生きて居られない。

「・・・どうして…狙うのは僕だけでしょ!?他の皆は関係ないじゃないっ!」

苦しげに歪んだシャオロンの顔を真っ向から見つめた仮面の男は、斧を振り刃を首に突きつけた。
その表情は仮面で見えない。けれど、淡々と作業をこなすかのような動作に、そこに感情はなかった。

「・・・っ」

最後の一撃が振り下ろされようとしていた。

その時、四人を包み込むように広がっていた炎が一斉に勢いを失って消えた。
炎だけじゃなく、辺りに立ち込めていた熱気と有毒ガスも浄化されていく。

「・・・ん…なんだ?苦しくなくなったぞ?」
「傷も塞がってるさ」

まるで最初から何もなかったかのように、ジークとハツの具合も良くなっていた。

「・・・・・・」

無言でシャオロンの首元から刃を引いた仮面の男は、何かを呟くと一気に踏み込んできた。
ジークとハツを無視したその先には、杖を固く握ったリズが・・・・・・。

「や・・・やめろ!逃げろ、リズ!!」

叫びながら起き上がろうとするも、体はいう事を聞いてくれずジークは地面に突っ伏した。
その間にももう一人が動けないリズの側頭部へと炎を纏わせた拳で殴りつけ、ふらついた所をとどめとばかりに斧の柄で腹を殴りつけた。

「ぐっ!かはっ!!」

殴られた反動で血を吐き出しながら、体勢を崩したリズは湖の中へと落ちて行った。

「な…!リズッ!!」

「ジーク、ハツ!!」

相手が意識を逸らした一瞬の隙に、シャオロンは素早くジークとハツの腕を掴むと湖の中へと投げ込み、自身も飛び込んで行った。
まともに動けない二人と、沈んでしまったリズを連れてのこの逃げ道は、ほとんど賭けだ。
けれど、この他に助かる道はないのだとわかっていた。

「追いますか?兄さん」

再び平静を取り戻した湖の水面を眺めていた長髪の男は、傍らに立つ兄へと声をかけた。

「いや、これ以上騒ぎを起こせば近隣の村の住人に我々の存在が気付かれてしまう。そうなれば、村ごと消さなければならない。きっと父上も望んではおられないだろう」

そう言った男は、ゆっくりとした動作で仮面を外した。
肩の辺りで切りそろえた赤髪、シンプルなフレームの奥で鈍く輝く緋色の瞳には影が宿っていた。


薄れていく意識の中でジークはキラキラと光る水面を見つめていた。
大小さまざまな水泡は水中を上っていき、触れようと伸ばした手足は鉛のように重く、力なく垂れていた。

『やばいかも……』

朦朧としながら三人はどうなったのだろう、と考えていると不意に目の前を巨大な何かが通り過ぎて行った。

もしかしたら、魚類系の魔物かもしれないと思ったが、思った所でジークは逃げる事も出来ず、そのまま意識を手放してしまった。

ふと気が付けば、そこには懐かしい村の景色が広がっていた。
ジークの前には浅い川が一本流れており、向こう岸には両親や村の人々がこちらに向かって手を振っていた。
ジークも手を振り返しながら川を渡ろうとするけれど、何故か進んでも進んでも川はどんどん幅を広げていくばかりだった。

(何だよコレ・・・確か俺は湖に落ちてそのまま・・・・・・)

何となくぽつりと呟いたジークは、ハッと息を飲んで頭を抱えた。
もしや・・・。

もしやこれが・・・・・・。

「三途の川かっ!!!!」
「そんなわけないでしょ!!」

物凄い勢いで飛び起きたジークを迎えたのは、顔面への張り手のツッコミだった。
しかも鼻に会心の一撃を喰らってしまい、息が詰まる痛さの。

「うおおお・・・!鼻が・・・鼻がぁ・・・!」

鼻をおさえて悶絶する事数秒、ようやく痛みが治まったジークが顔をあげるとそこには心配そうに顔を覗き込むシャオロンの姿があった。

「え?シャオロン?ここは・・・・ってかお前俺に張り手・・・・・」
「うわあ、気が付いて良かったよ、あの時はどうなるかと思ったよねー。ここは湖の向こう岸に見えた村で、村長さんに借りた空き家だよ。とりあえずは追っ手は来てないみたいだから心配ないよ!あ、それとね!ハツは今顔を洗いに行っててリズはまだ気が付いてないよ!」

「・・・あ、うん……」

さらりと張り手の事を流そうと怒濤の勢いで状況説明をするシャオロンに、ジークはもはや突っ込む気にもなれなかった。

空き家といっても湖畔にある村である為、漁に使う道具が適当に置かれていて、物置部屋といった所だろうか。
それでも、貸してくれただけありがたい。
これも、エリュシオンの知名度の賜物だろうか。(シャオロンが学校名を出したのかはわからないが)。

「そうだ、リズは大丈夫なのか?結構酷くやられてたような・・・・・・」
「うん、ハツが応急処置をしようとしたんだけどね……」

そこまで言って急に黙り込んだシャオロンは、ゆるく首を振ると「何でもない。気絶してるだけみたいだし、大丈夫だよ」と言って笑った。

「?そうか。ところでシャオロン、以前船の上で襲ってきたアイツらとさっきの奴らは何者なんだ?」
「・・・うん、僕も憶測でしかないんだけど。巻き込んだ以上はちゃんと説明しないとね」

苦しそうに眉を顰めたシャオロンは、膝の上においていた拳を握りしめた。

「う・・・ん・・・・・・」

気が付いたのか、リズはゆっくりと体を起こして顔を上げた。

「あ、気が付いたか。大丈夫か?リズ」
「は、はい・・・・・・」

ジークがそう声をかけると、聞えるかどうか位の小さな声で答えたリズは、顔に手をあてると何かを探し始めた。

「もしかして、眼鏡か?」
「はい。湖で失くしてしまったみたいです……」

眼鏡が無いことに動揺し、落胆したリズは肩を落とした。
いつも使っている眼鏡と長い前髪で見えなかったリズの瞳が髪の隙間からチラリと覗いていた。

「困ったな…眼鏡が無いと困るだろうし」

うーん、とシャオロンは唸ったが、声に感情が篭っておらず、何故か別の事を考えているようだった。

と、そこで小屋の戸が勢いよく開かれ、大量の魚の干物を担いだハツが戻ってきた。

「いよーう!お前らよく聞け!俺様達がマンゲツウサギを退治しに来たエリュシオンの生徒だと名乗れば何故か食いもんをくれたぞ!」

ガハハハ、と豪快に笑ったハツは、ジーク達の前に担いでいた食料を置いた。
魚の干物が数十枚。

「本当!?ありがたくて言葉もでないね!」
「魚の干物オンリーなのがちょっとアレだけど、もはや何でもいいな」

山の様に盛られた魚の干物を前に、目を輝かせるシャオロンとジーク。
ハツは思い出したように懐からある物を引っ張り出すと、リズに投げて寄越した。

「こ、これは・・・?」
「眼鏡だ。ただでさえお荷物の癖に眼鏡がないと見えないとか救えねぇさ」
「・・・・・・」

手に取ってみると、リズは何か言いたそうにしていたが、ハツは胸を張ってお礼を言われたそうな顔をしていた。
実に恩着せがましい。

「ん?ハツお前…これ」

リズの持っている眼鏡が何だかくすんでいるように見えたジークが目を凝らしてみると、それはなんというか…。

「牛乳瓶の底じゃね…?」
「え。コイツの眼鏡っていつもこんなんだったからてっきりこれかと思ってたわ」
「ハツ・・・僕でもそれはないわー・・・・・・」

いくらなんでもそれはないだろう、と思ったジークとシャオロンだった。

ようやく四人そろった所でシャオロンは正座をすると膝の上で両の拳を固く握りしめた。

「皆・・・さっき襲ってきた連中なんだけどね…実は僕を狙って追ってきてるんだ」
「ファッ!?」

素っ頓狂な声を上げたハツは、真面目な顔をしているシャオロンを見て口を閉じた。

「前も話したように僕は龍人族で、一人前になる為に修行している身分。連中もエリュシオンの敷地内には入って来れないみたいでしばらく静かだったんだけど……」

「一歩でも出ればまた襲ってきた、ってわけか」

納得がいった、というように唸るジーク。
シャオロンは三人を見渡すと、床に当たりそうな位に頭を下げた。

「皆・・・今迄このことを黙っていて本当にごめん!せっかく皆と仲良くなれたから言い出しづらくて!!結果巻き込んじゃって・・・本当にごめんなさい・・・・・・」

涙交じりの声でそう言ったシャオロンを見下ろしながら、ジークは二人の顔を順に見渡した。
ジークとしては、言い出せなかったシャオロンの事を考えれば、仕方がないか。という風に楽天的に捉えているものの、他の二人はどうなのだろう。

「・・・で、アイツ等の正体はわかってるんさ?」

いつになく真剣な顔でそう言ったハツに、シャオロンは顔を上げると躊躇いながらも頷いて答えた。

「あの魔法と仮面・・・奴らは間違いなく〈灼熱のルーク〉の一族だと思う」
「しゃ、灼熱?」
「なるほど、どうりでな……」

納得しているハツを横目に、ジークはそもそも〈灼熱のルーク〉が何なのかわからなかった。
どうやら、知っている事が常識のようだが…生憎ジークの住んでいた平和な村にはそんな単語はなかった。

「〈灼熱のルーク〉とは・・・・・・」

そんなジークの心を読んだのか、今迄黙っていたリズはゆっくりとした口調で話し始めた。

「この大陸で名を馳せた、目的の為なら残虐極まりない手段も厭わない闇の犯罪組織です。おもに手を染めるのは暗殺や破壊で奴らの操る灼熱魔法は並みの水魔法では消すことが出来ないといわれています」

淡々とそう説明したリズは、ハツに貰った眼鏡を指で押し上げた。

「・・・そ、そうなのか…ありがとな」

表面では平静を装いながらも、ジークは内心動揺して貧乏ゆすりが止まらなかった。
そんな恐ろしい集団に狙われていたとは、今さらながら事の重大さが身に染みて来たのだった。

「とまあ、そんなに深刻に考えても仕方ねぇさよ。エリュシオンに戻ったらセンセーに相談してなんとかしてもらおうさな」
「そうだな、心配することないぞ。シャオロン、俺達も付いてるんだからな!」

そう言いながらもハツとジークは動揺して貧乏ゆすりが止まらず、ちょっとしたリズムを奏でていた。

シャオロンはそんな二人とリズを見遣ると、恐る恐る口を開いた。

「・・・もしかして皆、許してくれるの?怒ってないの?」

赤くなった目元を擦りながらそう言うシャオロンに、ジークは困ったように笑いかけた。

「許すもなにも、悪いのはアイツらなんだから何も気にすることないぞ!むしろ返り討ちにしてやろうぜ!!」
「まぁ、さっきは俺様も本気を出していなかったからな。次は負けネェさよ!」

激しく貧乏ゆすりをしたままハツも胸を張ってそう言った。

「ジーク・・・ハツ・・・・・・」

「シャオロンは、皆さんはこんな僕に優しくしてくれたんです」

口元を緩めてそう言ったリズは、髪に結んでいた青いリボンを軽く撫でると言葉に詰まりながらも小さな声で言った。

「だから、今度は僕の番・・・絶対、ぜったい、大丈夫です」
「リズ・・・・・・」

いつになく自信ありげな様子のリズにシャオロンは満面の笑みを浮かべた。

「皆、ありがとう!僕、皆と仲間になれて本当によかった…!」
「ははは、そう言うには気が早いぞ!」

なんとなく気恥ずかしくなったジークは、置いてあった魚の干物を取って齧り付いた。

「腹ごしらえしたら、村長に会って星屑の丘に向かおう!」

「おーさ!」
「うん!」
「は・・・はい」

そうして腹ごしらえを済ませたジーク達は、身体中から魚の臭いをさせながら村長に会いに行ったのだった。

そしてやはり、少し嫌な顔をされてしまったのは言うまでもないだろう。

夜、星屑の丘に辿り着いたジーク達は、静かな風の音に耳を傾けて・・・・・・いなかった。

「どわぁあぁぁあああ!!!!」
「うおおおぉぉあああ!!」

全力全開で飛んだジークとシャオロンの頭の上を、3メートルはある巨大な生き物が通過して行った。
暗闇に浮かぶその影の正体は、今回の任務の目的であるマンゲツウサギ。

胸に満月のように一部だけ毛色の違う部分がある事からそう呼ばれているらしい。
性格は大人しく、人を襲う事は滅多にないはずなのだが、どういうわけかこの状態なのだ。

巨体をのっそりと動かしたマンゲツウサギは、唸り声を上げて四人を威嚇しながら咆哮を上げた。

「ぃいいい!これ、無理くね!?」

思わず耳を塞ぎながら目を白黒させるジーク。

「おーい、ジーク!」

少し離れた所でハツの声がし、来い、というように手招きをしているのが見えた。
動物の狩猟を生活としていたハツなら何かいい方法があるのかもしれない。

「おう!」

そう思ったジークはマンゲツウサギに背を向けて一目散にハツの所へと走った。
そしてマンゲツウサギはジークを追って猛スピードでつっ込んできた。

「カモーン!」
「罠か!」

目の前に捕獲用の罠がしかけれている事に気付いたジークは、そこへマンゲツウサギを誘導するように走った。
そして、奴が罠にかかる次の瞬間・・・・・・。

ぐしゃ。

「おふぉおお!?」

もともとは普通サイズの動物に使う罠。
巨大なマンゲツウサギが引っかかるわけもなく、いとも簡単に踏みつぶされてしまった。

「うわぁぁあ!ないわー!こんな死に方ないわー!!」

転んだついでに足蹴にされてしまったジークは逃れようと必死にもがく。

「ジーク!」

走って来たシャオロンがマンゲツウサギの頭に飛び蹴りを入れると、すかさずリズが魔法で召喚した水の槍を叩きつける。

「大丈夫!?」
「あ、ありがとう…死ぬとこだった……」

シャオロンに手を貸してもらいながら立ち上がったジークは、ひっくり返って動かなくなったマンゲツウサギに恐る恐る近付いてみた。

「死んではねぇみたいさけど、どうやったんだ?」
「ちょっと急所を突いてみただけだよ。それよりこれ見て」

不思議そうにしているハツをさらりと流したシャオロンは、マンゲツウサギの腹を指さした。
するとそこからは、三匹の小さなマンゲツウサギの子供が顔を出していた。
その内の一匹は怪我をしていた。

「こ、子供・・・?」
「そう」

素っ頓狂な声をあげたジークにシャオロンは頷いた。

「ふむ・・・もしかしたら、子供を守る為に縄張りに入って来た村人を襲っていたかも知れないさな」

鼻をひくつかせて鳴く好奇心旺盛な子供達を見つめながら、ハツは表情を緩めてそう言った。

「なるほど・・・・・・」

それなら納得がいく、とジークは思った。

「リズ。魔法で傷を治してあげられないか?」
「はい」

そう言ったジークに小さく頷いたリズは、回復の魔法を使ってあげた。
みるみるうちに傷が塞がった子供は、甘えるような鳴き声をあげると、母マンゲツウサギは目を覚ましたようでゆっくりと体を起こした。

一瞬、また攻撃されるのかと身構えようとしたジークをハツは止めた。

「大丈夫。もう何もしてきやしねぇさ」
「殺気はもうないよ。親子っていいねぇ」

しみじみとそう言ったシャオロンは涙を堪えているようだった。

「・・・まぁ、これで任務完了。かな?」

最初の目的とは違ったものの、ジークは安堵の溜息をつくと、村人にどう説明しようかと考えていた。

それでも、例え叱られてしまっても、これでよかったのだと素直に思えた。

そして、お礼と言わんばかりに四人の顔を舐めまわしたマンゲツウサギ達は、煌々と光る満月と沢山の星屑の下、ゆっくりと帰って行った。

マンゲツウサギを逃がしてしまった事をどう説明しようかと考えながら村へ戻ってきたジーク達を迎えたのは、満面の笑みを浮かべた村人と、学校にいるはずのアリーファ教官だった。

「チームAHOU、戻ったか」
「きょ、教官!?どうしてここに・・・・・・」

教官が居るのなら尚更どう説明しようかと思ったジークは、顔面蒼白になりながらもマンゲツウサギの毛を取り出して見せた。
ちなみにこれは毟りとったものではなく、落ちていたものだったりする。

「ほう・・・これは?」
「はっ!マンゲツウサギの討伐を任務として与えられていましたが……」

真っ直ぐに見下ろしてくる教官の目が怖くて、ジークは目を逸らしたくなりながらも真っ向から視線をぶつけて言った。
この瞳の前では言い訳をしたり、取り繕ったりしても無駄だ。

叱られてもいい、地獄のチョップを喰らってもいい。
でも、嘘は・・・嘘だけは。

「俺達チームAHOUは・・・マンゲツウサギは怪我をした我が子を庇う為に神経を逆立てていただけだと判断し、怪我の手当てをしてそのまま見逃してきました!!」

嘘だけはついてはいけない。
それが、ジークの信念だった。

「仲間に命令したのは俺です!殴るなら俺をぶん殴ってください!!」

そう言って固く目を閉じたジーク。
痛みに備えていると隣からシャオロンとハツの声が聞こえた。

「教官、怪我をした子供を発見してジークに情を持たせるよう発言したのは僕です」
「俺様も。弓を引くチャンスがいくらでもあったにも関わらず、あえて見逃しましたさ」

「ぼ、僕も・・・癒しの魔法を使いました・・・・・・」

ぼそぼそとした声だったが、リズも杖を両手で握りしめると、「すみません・・・・・・」と俯いた。

「・・・ふむ」

四人の顔を順に見渡したアリーファ教官は、逡巡するそぶりを見せると、その両手を振り上げた。

ジークが、地獄の空手チョップが来た!と思った刹那、大きな掌が肩におかれていた。

「へ・・・?」

自分でも間抜けな声が出てしまったのは、ジークだけじゃないだろう。
同じく三人も驚いていた。

アリーファ教官は険しい顔を崩すと、そんな四人に笑いかけて言った。

「うむ。お前達は見事、任務をクリアしたようだな!」
「え?どういう事ですか、教官!」

意味が分からず混乱しているジークを宥めるように、繰り返し肩を叩いたアリーファ教官はこう言った。

「絶対服従の任務の中には、時には正義の為に背く事も大切だ。今回のお前達の課題の真の目的は、マンゲツウサギがどうして凶暴化したのかを見極めて、どうするかを見せてもらう事だった」

「え…じゃあ、知らなかったのは僕達だけで、この任務は最初から仕組まれていたって事ですか?」
「そういうことだ。ちなみに、この村には初めから協力してもらっていたわけだ」
「そんなぁ・・・本気で殴られるかと思った・・・・・・」

そう言ったシャオロンは、肩の力が抜けたように、その場にしゃがみこんだ。

「驚かせないでくれさ・・・センセー」
「でもよかった…まじでよかった……」
「ジーク・リトルヴィレッジ」

深い溜息をついたジークを呼んだアリーファ教官は、ジークの持っていたバッグを指さす仕種をして見せた。

「あ!」

そこでようやく理解したジークは、慌ててバッグの中から書類を取り出して村長の前に差し出した。

「エリュシオン戦闘専門学校、チームAHOU。任務完了しましたので、サインをお願いします!」

「はい、ご苦労さんな」

ぽむん、と書類の真ん中に捺された花丸のスタンプ。
人の良い村長は、立派に蓄えた白髭をもしょもしょと動かしながらそう言った。

「これで、任務終了か……」
「何かあれだな。チュートリアルみたいだったさな……」
「でも、皆無事でよかったじゃない」
「はい」

皆して書類を見下ろしていたジーク達にアリーファ教官は、何度か頷くと両手を叩いた。

「さて、お前達。ろくな物を食っていないだろう。特別に飯を用意してもらった。存分に食べろ」

「マジかよ!太っ腹!!」

食べ物、と聞いて一番に目を輝かせたハツ。

「本当ですか?ありがとうございます!」

飛びつくようにして案内された部屋に入ったジーク達は、目の前に山盛りにされた料理にハイテンションになった。

きらきらと黄金色に輝くスープをスプーンで一口掬えば、野菜の甘い匂いが鼻腔をついてお腹が鳴る。
大皿に盛りつけられた鶏肉の香草焼きを頬張りながら、シャオロンはしみじみと鼻を鳴らした。

「やっぱりあれだね。変身するとお腹が減って体がしんどいんだよねー」
「え?いつ変身したんだよ」
「湖の中。僕が皆を引き上げなかったら今頃みんなあの世だよ」

骨付き肉を皿に盛りながらジークがそう言うと、シャオロンはジークの骨付き肉を手元に引き寄せながら、なんでもないことの様にそう言った。

「・・・・・・」

うすうすだけれど、いや、ほぼ確信はあったけれど、初めて船で会った時といい、今といい、シャオロンは食い意地が張っていた。
本人いわく龍に変身すると体力を使うかららしいが…。

いずれにしろ、ジークにはシャオロンから骨付き肉を取り返す度胸がなかった。

肉を争って睨みあうハツとシャオロンを見なかったことにしたジークは、部屋の隅でパンを食べているリズの隣に座った。

「よお。ちゃんと食べてるか?」
「え、は、はい・・・・・・」

数種類の料理が並べられているにも関わらず、リズが手元の皿に置いているのは、こぶし大程のパンと水だった。
ジークは自分の皿に乗っている料理とそれを見比べると肩を竦めた。

「何だよ、遠慮なんかしなくていいんだぞ?早く取らないとあの二人に食べられるしな」
「・・・は、は・・・い」

ジークが手近にあった魚料理の皿を傍に寄せてくると、リズはおずおずと一口だけ皿に乗せて食べていた。

「うまいな、これ」
「はい」

話したのはそれだけだったけれど、ジークはリズと静かに食事を出来ただけで満足だった。

後ろの二人が料理を取り合っているので尚更そう感じたのかもしれないが。

ともあれ、これで一件落着。
チームAHOUの初任務は成功に終わった!

『Stardust』

fin.

第五章『Bloody Яain』

初の任務を終えての翌日の朝。
教官室のドアを閉めたシャオロンは、廊下を抜けていった生温い風を吸い込むと深く溜息をついた。
たったいま、命を狙われている事を教官に話してきたところだった。

「はぁ・・・・・・」
「あ、どうだった?」

声をかけらえて顔をあげれば、そこにはジークとハツ、リズの三人が立って居た。

「ごめん、皆。心配してくれてありがとう。今話して来たよ」

不安げに浮かない顔をしている三人を心配させないようにと、シャオロンは努めて明るく笑いながら答えた。

「ひとまず、当面の間は学校の敷地から出ないようにと言われたよ」
「そうか…。連中は学校の中には入り込んでいないみたいだし、外にでなければとりあえずは安心だな……」

ジークはイマイチふに落ちないといった顔をしていたが、今すぐどうこう出来る事ではないのはわかっている。
そんな沈んだ空気をぶち壊すように、ハツは制服のズボンを食い込みそうな程いっぱい引っ張り上げながら自信満々にこう言い切った。

「まぁ、心配してても仕方ねぇ。ドンと構えてふんどし締めなおせ、さ」
「どういう意味だよ」

すかさずジークは冷静なツッコミを入れた。

「もう・・・ハツは相変わらずアホなんだから・・・・・・」

口ではそう言いながらも、シャオロンも笑っていた。
ハツが計算していたかどうかはわからないけれど、結果的に沈んでいた空気を換える役割をしてくれたようだ。

そのまま寮に戻ろうと足を動かし始めた所で、ジークはさっきから周囲を見渡して落ち着かないリズに気付いた。

「どうかしたのか?」
「あっ・・・あ…え…えと・・・・・・」

いつも持っている本を抱きしめたリズは、何かを言いたそうにしていたけれど、言葉が出てこなかったのか諦めて首を振った。

「?帰ろうよ」
「なにやってるさよ」

そんなリズの様子は、シャオロンとハツも気付いていたが、リズは何でもない、という風に歩き始めた。

「今日の飯はなんだろうなー」
「今日は余り物の野菜でポトフを作るよ」
「俺様野菜きらいなんだけどー」

他愛のない、今夜の夕飯の話をしながら前を歩く三人に後ろからついて来ていたリズは、角を曲がろうとした瞬間、前からやって来た生徒とぶつかってしまった。

「・・・!」

衝撃で廊下に尻もちをついてしまったリズは、咄嗟に本を拾おうとしたが、それよりも早くぶつかった相手の腕が本へと伸びていた。

「あ…っ!」

謝らなければ、と口を開こうとした時、相手の顔を見たリズは息を詰まらせた。
リズの落とした本を拾った相手は丁寧に本に付いた埃を掃うと満面の笑みを浮かべながら手渡し貼りついたような笑みを浮かべて低く囁いた。

「見つけた・・・・・・」
「!」

その人物の顔にリズは動揺したように目を逸らすと何も言わず三人の後を追って走って行った。

ジーク達が通り過ぎて行った後で彼は床に落ちていたロケットペンダントを拾い上げ何か言いたそうな顔で溜息をついた。

この時、ジーク達は連中がすぐそこまで来ている事にまだ気付いていなかった。

一日の授業が終わり、日が暮れて夕飯に出されたのは、人参や玉ねぎジャガイモをふんだんに使ったポトフだった。
野菜が嫌いなハツは嫌な顔をしていたけれどジークの大好物だったりする。

「パンも焼いてみたよー」

テーブルに座ってポトフを食べていると、キッチンからパンが乗ったバスケットを抱えたシャオロンが出て来た。
ふわふわの生地にチョコレートがコーティングされたり、クッキー生地が塗られていたりと菓子パンだらけだ。
ジークは迷わずメロンパンを掴むと齧り付いた。

「しかし、学校の敷地から出ないようにって事は任務もしばらくは校内に限定されるな」
「あ…はは・・・また草むしりとかだったりして」

ジークとシャオロンがそんな話をしている傍で、鼻をつまんで人参を食べようとしていたハツは何かに気付いてスプーンを置いた。

「なぁ、おまいら」

ん?と振り向いた二人にハツは険しい顔をして辺りを見渡して言った。

「何か、臭くねぇか?しかも増えてる」

「え?誰かおならでもふったんじゃないか?」

鼻をひくつかせるハツが何を話しているのかサッパリわからないジーク。
けれどシャオロンも何かに気付いたようで、手を止めると立ち上がった。

「来るよ。皆構えて!」
「え!?来るって何が?」

「連中だよ!凄い殺気と血の臭い・・・どうやって入って来たの・・・?」

この期に及んでも何の事なのかわからないジークと、ポトフの人参を頬張っていたリズの腕を引いて立たせたシャオロンは、悔しげに歯噛みした。

やがて、ゆっくりと閉めてあったカーテンの向こうに浮かんだのは二つの影だった。

「・・・ッ」

カーテンを開けて確認しようという気は一切起きなかった。
それよりも、どう逃げようと考えていた。

そうしていると、玄関と風呂場の窓の方からもノックが聞こえてきた。
それらが示すことは一つ。

「完全包囲されてる……」

逃げ道は全て塞がれてしまった。
ヘタに動けば一斉に攻撃されてしまう。

その時、風呂場の窓を割って何かが投げ入れられた。

「なっ!これ…!!」

次いで、充満した煙に咳き込みながら膝をついた時にはもう遅かった。

「も、苦しい・・・!」
「目が痛いさ…!」

バタバタと倒れていった仲間達を横目に、それが催涙弾だと気付いたジーク。

けれど、どうしようもなくて・・・目の前が電源が切れるように暗転した。



天井から下がる煌びやかなシャンデリア。
権力を誇示するかのような豪華絢爛な数多の宝飾品が飾られたその部屋の奥にあるのは、まるで玉座かと見紛うような装飾品だらけの椅子があった。
そこに座る男こそが、この家の当主であり、絶対的な権力を持つ事を許された存在だった。

燃える炎のような短い紅蓮の髪と、年相応の髭を伸ばした男は、目の前に跪く青年を見下ろして目元の皺を深くした。

「父上・・・たった今、李小龍及びその仲間達を捕えました。これからただちに処刑致します」

「・・・随分、手間取ったようだな・・・もしや駒が躊躇って手を下せなかったのか」

まるで人の心を覗き見るような視線を向けられ、顔を伏せたままの青年は、無表情のまま瞬きを一つすると冷淡な口調で言葉を返した。

「あれには、私の方から制裁を下しておきます。どんな理由にしろ、己の責務を果たせない者は我が家には必要ありませんから」

青年がそう言って一礼をし、立ち去った後。
男は口元に浮かべていた醜悪な笑みを一層深めた・・・。

ひんやりとした空気の中、寒くて目を覚ましたジークが一番に見たのは倒れている仲間と、鋼の格子だった。

「ん…ここは・・・?」

むくり、と起き上がり辺りを見渡してみる。
倒れているのは、シャオロンとハツの二人だけ。

「あれ・・・リズは!?」

格子に手をかけて外を見ようとするが、薄暗い中では通路の先は見えなかった。
パニックになりながらジークが頭を抱えていると、ようやく目を覚ました二人がゆっくりと起き上がった。

「あいたた・・・体が痛いさ・・・・・・」
「うん・・・ここは?」

「お、おお!俺達、あれからどっかに拉致されたみたいでここがどこなのかわからないし、リズはいないし、これ・・・もうどういう事なんだよ!?」
「・・・あー。そっか」

わけがわからずに動揺しているジークとは反対に、シャオロンとハツは冷静だった。
まるで、最初からこうなる事がわかっていたかのように・・・。

「ジーク、落ちつけ。あれか、俺様の武勇伝でも語ってやろうか?」
「いらんわ。ってなんでそんなに落ち着いてられるんだよ!俺達殺されるかもしれないっていうのに……」

ハツの下らないボケにも、ジークはしっかりとつっ込んであげた。

「まぁ、落ち着いてよ。こうなったという事は、相手も何かの事情があったという事さ」

そう言いながら、シャオロンが格子を握った瞬間、火花が散った。

「ッ!!」

咄嗟に手を引っ込めたものの、軽いやけどを負ったシャオロンは苦々しげに笑った。

「・・・なるほど、対策は万全っていうわけだね」
「大丈夫か?さっき俺が触った時には何ともなかったのに……」
「多分、魔力のない人が触ると反応する魔法が掛けられてるんだと思う」

シャオロンはそう言うと、溜息をついて壁に背を凭れた。

もしかしたら、シャオロンの腕力で脱走される事を防ぐためかもしれない・・・と思ったジークは、初めて出会った時の事を思い出していた。
あの時も、多分いや・・・絶対に牢屋を力づくでこじ開けて出て来ていた。
となると、シャオロンの本来の腕力は鋼鉄を軽々と捻じ曲げる程・・・・・・。
そう考えると、ジークは背筋に嫌な汗が流れて行くのを感じた。
龍人族、おそるべし。

「けど・・・このまま大人しくしてるわけにはいかないさ。っと!」

そう言ったハツも、格子に触ろうとすると火花が散って慌てて手を引っ込めた。

「うう・・・クソッ!うおおおお!ここから出せー、馬鹿野郎ー!!」

唯一、格子を握る事が出来るジークは、あらんかぎりの大声を上げて喚き散らした。

すると、通路の奥の方から靴音が聞こえて来た。
それは一つではない。

「・・・っ」

やがて、反射的に身構えた三人の前に現れたのは、まさに、生臭い血の色と呼ぶにふさわしい容姿の四人の青年だった。
それぞれ、手に凶器を持ち、赤い髪に赤い瞳をしていた。

危険だと直感で分かった。

「な、なななな…!」

すっかり怖気づき、物凄い速さで壁際に寄ったジークを見下ろしながら、その内の一人が口を開いた。

「やぁ、君は久しぶりだね」

人の良い笑みを浮かべたその男は、紛れもなくシャオロンと初めて会った日に船を襲った奴らのリーダー各だった。
そして、ジークに無理な決闘をしかけたのもこの男だった。

「おお、お前は・・・っ」
「威勢がいいのは相変わらずのようだ。だが、我々の標的となった事が運の尽きだ」

そう言った男が右手を上げると、傍に控えていた三人が動き出した。

船で襲ってきた奴らと、湖で襲ってきた奴らが同じなら、合点がいった。

大斧を持った眼鏡の男も、鞭を持った男にも見覚えがあった。

今さら気付いてもどうしようもない、と心の中で自分に吐き捨てたジーク。
隣でハツの舌打ちが聞こえた。

そんな中、シャオロンはこんな状況にもかかわらず、不敵に微笑んで言った。

「そういえば、君達が送り込んだネズミはどうしてるんだい?」

ネズミ!?・・・と聞きたいのを飲み込んだジーク。
リーダーの男は少し驚いた後、小さく笑った。

「・・・なるほど、全てわかっていて行動を共にしていた・・・という事か?龍王」

「あれでわからないなんて、バカでしょ?」

ふふ、と嘲笑したシャオロンの目は完全に据わっていた。

「あんなに血の臭いをさせてちゃ、自分から怪しんでくださいって言ってるみたいなもんさ」

隣を見れば、ハツまでも犬歯を剥き出しにして笑っていた。

そして、ジークだけがサッパリ意味がわからずに目が泳いでいた。

「そうか…だが、今更知った所で意味はない。お前達は、ここで死ぬのだから」

リーダーの男が、傍らの三人に視線を送ったと同時に、奴らはジーク達の居る牢屋へと押し入ってきた。

「うわぁあぁああ!!」

この期に及んで、どこか逃げるチャンスはないかと探していたジークは、振り下ろされた斧から頭を庇った。

その時、どこからか声が聞こえた。

「エリオ兄さん達、父上が呼んでいます」

そう言いながら駆け寄ってきたのは、兄達と同じ赤い髪、赤い瞳を持った少年だった。
見た所、ジーク達と同じ位の歳に見えるが、全身から気品が感じられ、知的で従順な大人しい…ようするに育ちの良さを醸し出していた。

「何?父上が?」

ぴくり、と反応したのはあのリーダー各の男だった。
彼の指示で他の三人も動きを止めた。
エリオは、ジーク達三人から視線を外さないまま牢から出ると、鍵をかけた。

「・・・すぐに行こう。レイズウェル、お前はここにいなさい」
「はい、仰せのままに」

レイズウェルと呼ばれた少年は微笑み、肩の辺りで切りそろえた髪を揺らして頷いた。
三人の弟達を連れて立ち去る間際、エリオと呼ばれた男はジークを一瞥して行った。

やがて、奴らの姿が見えなくなり、通路に静けさが戻ってきた。

「・・・・・・」

何だかよくわからないが、危険な状態に変わりはない。
ジークが再び鍵の掛けられた牢屋の格子を握っていると、今まで笑みを浮かべていたレイズウェルは、突然舌打ちをし牢屋の中の三人を不躾に見て鼻で笑った。

「ハッ、アイツの腹に穴を開けた奴がどんな奴かと思いきや、こんな冴えないダッサイ奴だとはなァ」
「・・・んあ!?」

くしゃり、と歪められた整った顔に、ジークは思わず間抜けな声を出してしまった。

知的で従順で大人しい・・・と思ってしまったのはなんだったのだろうか。
正直に言おう。これは酷い。
世が世なら詐欺だろう。

「ぐ・・・だいたい、さっきから何の事を言ってるんだよ!」

さっきとはうって変わって、上品さのかけらもない完全に上から目線のレイズウェルは、壁に寄りかかり両腕を胸の前で組んでニヤリと笑った。

「教えるわけねーだろ。カス」
「くっ・・・うう!」
「まぁ、もっとも俺が思う限り・・・お前らは、一番残酷な手段で殺されると思うぜ」

悔しげに呻いているジークにそう言ったレイズウェルは、身動きの取れない三人を嘲笑う。

「せいぜい今のうちに後悔でもしてるんだな!」
「くそ・・・・・・」

「ジーク、そいつに聞いてもムカツクだけさ」
「そうだよ、無視しておけばいいんだよ」

「ハツ・・・シャオロン・・・・・・」

ジークが肩を落として振り返れば、シャオロンとハツはこんな状況にもかかわらず落ち着きを保っていた。

思えば自分は初めから壊れていたのかもしれない。そう思った。

幼い頃好きだったものは陽の光を浴びて虹色に輝くシャボン玉だった。

それはふわふわと風に揺られ何に縛られるわけでもなく、どこまでも自由に漂い・・・最後には重力に耐え切れず地面に落ちて割れた。

あの時はどうしてシャボン玉が好きだったのか今はもうわからない。

それでも短い時間に味わった自由の味はとても甘く幸せで忘れる事はないだろう。

自分の事を友達だと呼んでくれたあの三人とは所詮は生きている世界が違うと感じる気持ちは日に日に濃くなっていき、自己嫌悪すればするほど頭がおかしくなりそうだった。

いっそ、自分に自我なんてものがなければこんな思いをすることはなかったのだろう。

そんな事を考えていると後ろから名前を呼ばれ床に置いていた仮面と剣を手に取った。

この仮面を付けている時だけは別の自分になれて何だって出来る。

だから今回も平気で事を済ませられる確信があった。

「最後のチャンスをやろう」

自分にとって何よりも絶対な父親のことばに頷いたリズウェルは、前髪に結び付けてい青いリボンを軽く握ると顔を上げ凛とした声で答えた。

「はい、ご当主様」

夜明け前、牢屋から出されたジーク達が連れて行かれたのは、無駄なものが一切ない黒い壁の広間だった。

殺風景なこの部屋は、辺りに漂う異様な空気から、ジークにだってここが何をするところなのか分かった。
それは、部屋全体から漂う生臭いにおいと、床に飛び散った夥しい血の跡が物語っていた。

「跪け。当主様の御前だ」

無機質な声でそう言った大斧を持つ眼鏡の男は、ジークと、いう事を聞かないハツの膝を蹴り飛ばした。
部屋の真ん中に並んで膝を着いた状態で跪かされ、後ろ手に掛けられていた手錠が食い込み、ジークはきつく眉を寄せた。

「生臭い…吐きそうさ」
「本当、最低」

隣でハツとシャオロンが吐き捨てるように呟いた。
まったくもってジークも同感だった。

そうしていると、部屋の奥に張られた黒い幕の向こうから炎のような髪をした中年の男と、エリオが現れた。
一瞬にして、その場の空気が張りつめたのを感じた。

(なんだ…?あのおっさんただものじゃない……)

無意識に唾液を飲み込んだジークがその男を凝視していると、エリオが口を開いた。

「父上、この者達が李 小龍とその仲間達です」
「わかっている」

やんわりとその先の言葉を制した男は、ジーク達を眺めて血のような赤い瞳を細めると用意された椅子へと腰かけて両手の指を組んだ。

「絶対支配の下において存在する我々の邪魔をした罰は、しっかりと償ってもらおう」

そう言った男の傍には、いつの間にかもう一人が立って居た。
黒い衣装に首元にマフラーのように巻いた長い布、顔を隠している仮面には見覚えがあった。

「あ、アイツ…!」

あの仮面の相手は、以前ジークが船の上で倒した相手だった。
刃で体を貫いたあの怪我なら、無事ではすまないはずだった。

ゆっくりとした足取りでジーク達の前まで歩み寄った仮面の相手は、腰に挿した剣の柄に手を添えた。
シャオロンとハツも床を睨み付けてジッとしている。
緊張が走るその時、突然椅子に座っていた男が笑い声を上げた。

「ああ、紹介が遅れて申し訳ない!我らの名はルーク。灼熱の名を継ぐ選ばれた存在だ」
「ルーク…!?」

ジークの頭の中に、以前シャオロンが言っていた事が浮かんだ。
灼熱のルークといえば、最も恐れられる犯罪集団。

「そう、我らは目的の為ならば手段は選ばない。それが例え、子供だろうと!」
「…っ!」
「愚かにも信じたものに裏切られた時の顔が一番たまらなくそそられるのだよ。さぁ、息子よ。改めてご挨拶しなさい!」

その声に応えるように、ジーク達の目の前でゆっくりと仮面を外したその顔は…。

「そんな……」

ジークはそれ以上言葉が出てこなかった。
まるで、喉にへばりついて出て来る事も、飲み込む事もできなかった。

「どうして…お前が…?」

ようやく搾りだした声は震えていて、捨てられた仮面が地面に落ちる音が響いていた。

目の前に立って居たのは、いつもおどおどしていて、人の陰に隠れてばかりで、そのくせ誰よりも人に近付きたがっていたあのリズだった。

「なんで…嘘だろ…?なぁ…リズ……」
「……」

リズは黙ったまま何も答えない。
前髪の隙間から見える青い瞳が一層冷たい印象を与えていた。

「下らない情に惑わされたお前の弱さが、無関係な者も標的に変えてしまったのだ」

まるで幼い子供に語りかけるようなとても優しい声で父親は言った。

「よって、三人ともお前の手で皆殺しにしてしまいなさい」

「!!」

戦慄するジーク達を見下ろしたまま、凍りついたように表情のないリズは、腰に挿していた剣を両手で握ると一気に引き抜いて言った。

「はい、当主様」

二本の双剣が振り下ろされ、ジークは覚悟を決めて目を閉じた。
あのリズが裏切者で、今こうして剣を向けられているのを信じたくなかった。

「さようなら」

無慈悲な一閃の斬撃の後、いつまでもやって来ない痛みに恐る恐る目を開けたジークは、自由になった両手を見て驚いた。

「これ……」
「……」

呆然としている三人を見つめたまま、リズは虚ろな瞳を歪めた。

「リズ…!お前…」
「ジーク、早く立って!!」

言葉を言いかけた所で、シャオロンとハツに引っ張られたジークに背を向けたリズは、剣を床に突き立て父親と兄達に真っ向から対峙した。

「リズ!なぁ!!」
「ジーク、危ないさ!」
「そうだよ、下がって!!」

冷気が空気中を漂い、徐々に部屋が氷に包まれていく中、暴れるジークを押さえつける二人。

「これは魔法!?」

何もかもが氷に変わっていくのを見たシャオロンは、足元に浮かんだ金色の魔法陣に気付いた。

「皆!足元見て!!」
「え!?」
「何さコレ!!」

金の魔法陣は声に反応するかのように光を帯び、三人は光の中に吸い込まれてしまった。

「うわぁあ!」

何もない空間にぽっかりと空いた穴から放り出されたジークは、床に尻もちをついた。

「あいったた…何が起きたんだ?」
「大丈夫?」

頭を打たなかっただけ幸いか…うまく着地していたシャオロンに手を貸してもらいながら立ち上がったジークは、目の前に立って居た人物に驚いて目を見開いた。

「お前…もが!」
「シッ!静かにしろ」

ジークが何かを言う前に、間髪入れずに手で口を塞いだのは、昨夜牢屋の前でさんざん嫌な事を言って来たあのレイズウェルだった。

「僕達を助けてくれた…わけじゃないよね?」
「どういうつもりさ」

真意を探るようにレイズウェルを睨み付けたシャオロン。
ハツも部屋中を見渡すと、足元に転がっていた耳と手足の千切れたウサギのぬいぐるみを拾い上げて眉を顰めた。

三人からのきつい視線を真っ向から受け止めながら、レイズウェルは目を逸らすことなく答えた。

「俺の名はレイズウェル。ここは俺達が昔住んでいた部屋だ。屋敷から離れた所にあって今はもう誰も使っていない」
「そう言う事を聞きたいんじゃねぇさ!」
「…一つ聞きたい」
「だからっ!」

「ハツ」

何か躊躇うようなレイズウェルの遠回しな言い方に苛々したハツを止めたジークは、落ち着いてこう言った。

「話を聞こう」

自分でもどうしてこう思ったのはわからないが、思い詰めたような顔のレイズウェルには何かわけがあるように見えた。
そんなジーク達を見渡したレイズウェルは、躊躇いがちに小さな声で言った。

「お前ら、アイツを見ていてどう思った?」
「アイツ?アイツって誰の事だよ?」

そう言ったジークにレイズウェルは呆れた、というような顔をしたが、気を取り直して話を続けた。

「お前らが仲間だと思っていたリズ…リズウェル・ルークは、俺の双子の兄だ」
「なんだって……」

リズ・ネクラーノじゃ、なかったのか。なんていうアホな質問が一瞬だけジークの頭の中を駆け巡って消えて行った。

「アイツは龍王を殺し損ねて、その上お前にやられた後、同じ学校に潜入し近付き、お前らを残らず始末する事になっていた。なのに……」

下ろしたままの拳を強く握りしめたレイズウェルは、俯くと唇を噛んで声をしぼり出して呟いた。

「なのに…どうしてお前らなんかを助けたりして……」
「……」

そう言ったきり、黙り込んでしまったレイズウェルにジークも何も言えずにいると、シャオロンは落ちていた絵本を拾い上げて口を開いた。

「理由は僕等にもわからないよ。ただ、学校の中でのリズはさすがとしか言いようがなかったよ」
「俺様も。あそこまで殺気を消して近くに居るなんて、ここに連れて来られるまで確信が持てなかったさ」

ハツもウサギを持ったままそう呟いた。
辺りに散らばるぬいぐるみや絵本は、どれも小さな子供が喜んで遊ぶものばかりだった。
ただ一つ異質なのは、それらが全て破れていたり、汚れて手足が無くなっているものばかりだった事だった。

「少なくとも…学校に居る間はリズは本当に楽しそうだった。髪に結んでいたリボンが無くなって皆で必死に探していた時も、怯えた演技だったとしても俺達を放って逃げればよかったのに」

あの時の事を思い出しながらジークが苦笑いを浮かべると、シャオロンもクス、と笑い表情を緩めた。

「…僕のご飯を喜んで食べてくれてたし、お代わりを五杯もしたのは驚いたけど」

少し前の事なのに、何だか遠い昔の事の様に感じる。

「そうそう、結構食い意地が張ってたり、未だに俺様が貰って来てやった眼鏡をかけてたしな」

そう言ったハツは、思い出して吹き出して笑った。

「本当、アイツ…自分の事を敵だって忘れていたんじゃないか、ってくらい馴染んでたよな。あまり喋らなかったけど、毎日が嬉しくてたまらない、っていう感じだった」
「僕もそう思う。最初はどうしてくれようと思ってたけど、いつの間にか忘れちゃってた!」
「マジそれさ!勉強だって出来たしな!今度のテストの時に教えてもらおうと思ってるさ」

楽しそうにそう話す三人を見つめながら、レイズウェルは硬く結んでいた口元を緩めていた。
ひとしきり話したジークは、急に真剣な顔になるとレイズウェルへ向き直った。

「…レイズウェル…俺達を助けたリズはどうなるんだ?まさか、このまま許してもらえるわけじゃないだろ?」
「…そう、だな…俺達にとって当主の命令は絶対だ。制裁は免れないだろう」

「………」

きっと、ジーク達が三人でかかってもリズも一緒に連れて逃げるなんて上手くいくはずがない。
兄弟の内の一人にすら勝てない現状ではどうしようもない…。
そして、この双子の弟のレイズウェルもまだ完全に味方と決まったわけじゃない。
視線を混じ合わせる三人。

その時、レイズウェルが静かに口を開いた。

「俺に案があるんだ」


「…ねぇ、ジーク。僕達アイツを信じていいのかな?」

薄暗い部屋の大量のぬいぐるみの中に紛れ込んだシャオロンは、どこかにいるジークに声をかけた。
「案がある」と言ったレイズウェルはその後に部屋を出て行ってしまった。
未だに敵か味方かはっきりしていない状態でレイズウェルを信用する気にはなれなかった。
その不安をどうしたらいいのかわからない。

「何だ?レイズウェルを疑ってるのか?」

すると、意外と近くからジークの声が返ってきた。

「疑うって、アイツは僕らの敵だよ。完全に味方になったわけじゃないのに、信用して…もし僕らの居場所を告げ口されて、小屋に火をつけられでもしたらどうするの?」

まるで信用しているかのような口ぶりのジークに、シャオロンは苛立ちを隠すことなくそう言った。

「それは……」

正直、レイズウェルは味方だと信じていたジークは言い返す言葉も見つからず、口籠ってしまった。

そんな二人を尻目に、ハツはおならを一つすると恍惚の表情で口を挟んだ。

「まぁ、わかんねぇさな」
「おなら臭いから」
「…でも、アイツからは血の臭いがしなかったさ。もしかしたら、人も殺したことがないような……」
「おなら臭いから」

間髪入れずにつっこんだシャオロンの顔は見えないけれど、声からして今はそういう状況じゃなかったことを、ハツは今更知ったのだった…。

「す、すみません……」

反射的に謝ったハツがしおしおに萎びた大根のようになりかけていた時、小屋の中に光が射しこんだ。

「おい、出て来てもいいぞ。転送魔法が使えるか試してたんだが、やっぱり結界が張ってあって上手くいかなかった」
「随分はやかったな」

辺りを確認しながらドアを閉めたレイズウェルは、ぬいぐるみの間から疑いの眼差しを向けてるジーク達に気付き、気まずそうに頬をかいた。

「俺は、お前らと初対面の時にすっげぇ嫌な奴だったから信用出来ないのは当然だと思う…信用してくれとは言わない。でも、」

その顔はいつしか軽薄な笑みではなく、意志を持った瞳は静かに燃える炎を宿していた。

「俺はリズを助けたい。アイツがお前等の為に裏切ったのなら、俺も家名を捨てる覚悟がある」

「…お前ら兄弟に何があったのかはわからないけど……」

ジークはぬいぐるみの中から這い出てくると、両の拳を固く握ったレイズウェルに笑いかけて言った。

「まぁ、今は信用してやるよ」
「そうだね。嘘は言っていないみたいだし」
「ひとまずは協力さ」

のそのそとシャオロンとハツも這い出てきた。

「じゃあ、よろしくな。改めて俺はジークで、こっちはシャオロン、そんであっちがハツだ」
「ああ、よろしくな」

何だか気恥ずかくなりながらも、ジークが握手をしようと改めて手を差し出した時、どこからか軽快な拍手の音が聞こえて来た。

「いやぁ…とても良いものを見せてもらった。こんな所で何をしているのかと思ってお前を尾行してみれば、こそこそ話かい?」
「レイ。どうも感心しないね」

開け放たれたドアの傍に立って居たのは、エリオと、大斧を持った眼鏡の男だった。

「エリオ兄さん…トール兄さん……」

咄嗟にジーク達の前に出たレイズウェルは、苦虫を噛み潰したような顔をした。
エリオは、懐から二本の錐を取り出すと指で遊ばせながら嘲るように鼻で笑った。

「何も知らなければ、苦しまずに死ねたものを…哀れな」
「やらせはしないっ!」

咄嗟にナイフを抜いて飛び出したレイズウェルは、エリオによって軽くいなされ、もう一度切りつけようとした所で右目に錐を突きつけられてしまった。

「何をしても無駄だ。お前の力では敵わないことはわかっているだろう」
「っく…!」

少しでも動けば右目を貫かれてしまうだろう。
ナイフを手放したレイズウェルに、エリオは満足げに笑んだ。

「レイズウェル!」
「君達も、無駄な抵抗はしない方が賢明だよ」

弓に矢を番えたハツに鋭くそう言ったトールは、斧を三人の前へ突きつけた。
一歩でも動けば、無事ではすまない。

ピンと張った緊張の糸。

それを不意に切ったのは、天井を突き破った轟音だった。

「な…なんだ!?」

小屋中を土煙と埃が充満し、ジークは咳き込んでしまった。
屋根を突き破って落ちて来たのは、鞭を手にした長髪の青年だった。
仰向けになった彼の上には氷の塊が重石のように乗せられていた。

「ファレイ!」

そう叫んだトールが弟に駆け寄ろうとすれば、今度はジーク達の背後にあった天井が破られ、大量のぬいぐるみの上に何かが落ちて行った。
そして天井から飛び降りて来たのは、リボンで長い髪をうなじの辺りで括ったリズだった。

「ファレイとレイクを仕留めたか」
「……」

無表情のまま、じっとエリオを見つめていたリズは両手に持っていた剣の血を掃うと頬についた汚れを腕で擦った。

「リ…リズ……」

何か言わないと…。
ジークはそう思った。
今、言わないともう言えないような気がしたから、掠れた声で名前を呼んだ。

ほんの少しだけ振り返ったリズは、ジーク達の方を見ると、すぐに目を逸らしてしまった。

「…あ、あ…の……」

言わなくちゃ、言わなくちゃ。と思えば思う程声は掠れてしまい、けれど殺意に満ちた表情を目の当たりにすると、言葉は喉につっかえて出て来てくれなかった。

「リズ、一体こんな事をしてどうするつもりだ?」
「レイを放してください」

あくまで退こうとしないリズに言われるまま、エリオはレイズウェルをジーク達の方へ突き飛ばした。

「リズ!お前も逃げるぞ!!」

足を縺れさせて転びそうになりながらも、双子の兄の方へ駆け寄ったレイズウェルは、リズの腕を引っ張った。
けれどリズはその手を乱暴に払うと、ほんの少し眉を寄せて言い返した。

「僕は逃げない。ここで逃げたら…僕はまた失ってしまうから」
「でもお前、今度こそ殺されるぞ!」
「それでも構わない。このまま自分の気持ちを押し殺して生きて居るのなら、死んでいるのと同じ……」

そう言って、濁った瞳を細め自嘲気味に口の端を吊り上げて笑った。

「転移の結界を一部破壊しておいた。だから、皆を連れて逃げて」
「お、おい!」

突き放すようにそう言ったリズは、真っ直ぐにエリオへと向かって行った。

「劣化版として育てられたお前が自分の意志を持ち、ましてや私達に刃を向けるなど許される事ではないぞ」

一つ一つ、的確に急所を狙う刃を弾きながら、エリオはどこまでも余裕の表情で語りかける。
リズは、背後で魔法の詠唱を始めていたトール目がけて氷の矢を召喚して牽制すると同時に、エリオの一撃を躱した。

「な…なぁ、あれ。どうなってるんさよ」
「わかんないよ…僕にだってわかんない」

まるで花火が散るような光景にハツとシャオロンが呟いた。

「……」
「行くぞ」

呆然として動けないでいたジークにレイズウェルはそう言うと、床に魔法陣を召喚した。
ジークは何も言わず、それに従う事にした。
足元に浮かんだ銀色の魔法陣。
周りの景色が泡のように消えて行く中、全てが夢だったら…なんて思ってしまっていた。

転移の魔法で小屋を飛び出したジーク達は、レイズウェルの後を付いて走った。
魔力の結界は魔法使いにしか見えないもののようで、片っ端から何もない所を触っていたレイズウェルはある場所を触った時に立ち止まった。

「ここだ…ここを抜けたら転移の魔法で学校まで送ってやる。とにかく、お前らは逃げろ」
「お、おい…ちょっと待てってば!」

そう言いながら、レイズウェルに背中を押されて結界を抜けたジークは立ち止まった。
振り返れば、内側には立ち尽くしたまま、少しも動こうとしないシャオロンとハツがいた。
俯いたその表情は見えないけれど、シャオロンはジークを呼ぶと顔を上げて言った。

「ジーク…皆、ちょっと待って」

「はぁ?」

困惑顔のレイズウェル。

「このままここで終わりなんて、そんなのおかしいよ!」

きつく唇を噛んだシャオロンは首を振りながら言った。
思っている事をうまくことばに現せないのか、シャオロンは苦しげに呻いた。
その隣で、今迄黙っていたハツはシャオロンを一瞥し、静かに口を開いた。

「こんな時におめぇこそ、命を狙われておきながら悠長なもんさな。今更いい子ちゃんぶって何がしたいんさ」
「ハツ…っ!」
「違うよ!!」

こんな時に…と、止めようとしたジークの声を遮ったのは、崩れてしまいそうなシャオロンの声だった。

「違う…やらなかったんだ…よ…ほとんど一緒に居たんだから、その気になれば僕を殺すことは簡単だったはずなのに…リズは刃を向けることすらやらなかったんだよ…!?疑っていた僕自身が馬鹿だと感じる位に…そんなの僕等が一番知ってるじゃん……」

それなのに…友達なのに、放っておけるの…?
そう言った声が、やけにジークの耳に響いた。

「…そうさな。お前の言う通り…俺様だってわかってたのにな」

呆れたように肩を竦めたハツは、矢筒の中身を覗き込むとジークの方を見て口の端を吊り上げて言った。

「…で、リーダー。どうするさよ?」

「そんなの、考えるまでもなく決まってるだろ…!」
「お、おい…お前ら馬鹿な事考えるなよ!」

レイズウェルの制止を振り切って再び結界を潜って戻ってきたジークの後を、シャオロンとハツも付いて行く。

「お前らの武器を親父が取り上げなかったのは、その必要がなかったからだぞ!?この意味がわかるか!?」

何とかして引き止めようとするレイズウェルの言葉を背中で聞いたジークは、凛とした口調で返した。

「そんなもんどうだっていい!俺達は友達に会いにいくだけだ!」
「リズが…U組が居なくなったらチーム名がタダのAHO(アホ)になって目もあてられん!」

そう言ったジークとハツ。

「アホって…リズが居てもアホのままじゃん。もう…二人共、素直じゃないんだから……」

シャオロンは苦笑い交じりにそう呟いた。

「ま、待てよ!お前ら…本気なのか!?」
「当然!」

後を追いかけるレイズウェルの止める声に足を止めたジークは、肩ごしに振り返り悪戯を企む時のように笑った。

「ああ…あー、もう!もう!!この三バカがっ」

もう何を言っても止められないとわかったレイズウェルは、両手で頭を抱えると覚悟を決めたように顔を上げて三人を追いかけた。



「すげぇなこれ……」

静まり返った館の中に入ったところで、床に不自然な血の跡がある事に気付いたハツは、鼻を引くつかせると言った。
何かを乱雑に引きずった後のように続く血の跡は、意図的にも感じられる。

「まるで辿って来てくれと言わんばかりだな」

吐き捨てるようにそう呟いたジークは、その後を追う事にした。
血痕を辿って長い螺旋階段を上った先には大きな扉があり、その前には胸の前で腕を組んだエリオと、斧を担いだトールが立って居た。

「エリオ兄さん!トール兄さん!!」

レイズウェルは前に出ると、真正面から兄達と対峙して言った。

「そこを退いて下さい」
「レイ。何故だ?」

表情一つ変えず、エリオは問うた。

「お前の遺伝子を使い作られ、挙句に母親まで奪ったアレを庇い、そのゴミ共を助ける?」
「……」

その言葉一つ一つを噛み締めるように聞いていたレイズウェルは、背後に立つジーク達を一瞥すると柔らかく笑んだ。

「…理由ですか。兄さん達は一つ勘違いをしておられます…俺はこう思うんです」

従順に兄達へと頭を下げたレイズウェルは、その微笑みを消さないまま眦を吊り上げ、不敵な笑みに変えて言った。

「自分の意志を持たないテメェらは、人間以下のクソ野郎だと!!!」
「なっ!?」

レイズウェルが床に両手をついたと同時に、エリオとトールは床に倒れ込んだ。

「貴様…っ!こんなもので我らを封じたつもり、かっ!」
「クッ!」

レイズウェルの両手の周りにある床が、何か見えない力で押しつぶされていき、骨の軋む音が聞こえた。

「おい!何やってんだ!さっさと先に行けよ!!」

さすがに自分よりも格上の相手を押さえ込むのは辛いのかレイズウェルは苦しそうに肩で息をしていた。

「ッ行こう!」

そんな彼を置いて行くのは躊躇ったが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
ジークは両手で大きな扉を叩きつけるように開けた。

と、その瞬間なにかがジークの目の前に突っ込んできた。

「うわぁぁ!?」

その勢いのまま後ろに尻もちをついてしまったジークは、両手についた赤い血に悲鳴をあげた。

「凄ぇ臭い…っ」

込み上げる吐き気を抑えたハツは、矢を抜くと弓弦に掛けた。

「ジーク、ハツ!」

ジークは、目の前で倒れている何かに駆け寄ったシャオロンの声で我に返った。

身体中から血を流して倒れていたのは、探していたリズだった。

「お、おい!何でこんなっ……」

うつ伏せになったまま動かないリズの顔を見ようとした所で、どこからか拍手が聞こえた。

「!」

動けないリズを守ろうと即座に前に出たシャオロンとハツ。
ジークは反射的に顔を上げて掻き消えそうな声で呟いた。

「どうして…自分の子供だろ……」

その言葉は男に聞えたのかはわからない。
けれど、リズやレイズウェルの父親である男は見下すような笑みを浮かべて言った。

「せっかく逃がしてもらったというのに、わざわざ戻ってくるなど愚か者の典型的な行為。いい…実に面白い」

嘲笑いと、憐れみが篭ったその瞳は自分よりも弱いものを見る動物のそれだ。

「さて、ゴミ以下のどうしようもない愚か者のお前達にはまずは礼儀を教えてやらんとな」

男は、返り血で衣服が汚れているのも気にすることなく、右手を軽く頭上に掲げると一気に振り下ろした。

「頭が高い。跪け」
「!!」
「はっ!?」

男がそう言った刹那、頭の上から見えない重りが落ちて来、たちまち身体は床に押し付けられていた。

「痛ぇさっ!」
「こ、これ…さっきレイズウェルが使ってた魔法…!?」
「息がっ、苦しいよぉ…!」

重力に逆らおうとすればするほど骨は軋み、内臓は圧迫されて悲鳴を上げる。
苦しそうに床に這いつくばる三人を満足げに見ていた男が指を少し動かしただけで、落ちていた剣が風船のように宙を舞った。

「ふむ…この際だ。無知なお前達に知らしめる事としよう」

ふ、と男の指が銃の引き金を弾くようなしぐさをした瞬間、宙に浮いていた剣は真っ直ぐに飛翔し、リズの身体へと容赦なく突き刺さった。

「!!」

あまりの事に言葉も出ず、全身の鳥肌が立っていくのを感じたジークは、本気でこの男が恐ろしいと思った。
痛みに神経が反応し、壊れたマリオネットのように痙攣を繰り返していたリズの身体から淡い緑色の煙が上り始めた。
それは、徐々に体の傷を塞ぎ、砕けた骨を、内臓を癒していく。

「[アレ]は、どんなに傷つこうが心臓が動いてさえいればどんな傷も癒してしまう、我らルークの飼う化け物だ」

目の前の残酷な行為に怯えつつも、ジークの頭の中は妙に冷静だった。

あの時、星屑の丘の任務で傷ついていたはずなのに、無事だった事…。
それに対して何か隠すような態度。
全ては高い自己治癒能力のものだった。

言葉でどう言われても、実際に目の前で見れば全ての事に納得がいった。

「化け物…?」

思わずそう呟いたジークの言葉に反応するように、ゆっくりと立ち上がったリズは無表情のまま何も言わず吹き出す血を気にする事なく自身に突き刺さった剣を抜いた。

「十七年前、母親の命を奪って生まれて来た忌子、感情のない化け物には陽の光は必要ない」

まるで昔話をするように優しい口調でそう言った男…バリスは、忌々しい、と吐き捨てた。

「自我を持った人形はいらん、という事だ」

「僕の事はなんとでも呼べばいい。お前は自分が作った人形に殺されるんだからね」

リズは顔色一つ変えないまま父親である男を睨みつけてそう言った。

『Bloody Яain』

fin.

第六章『Pray』

幼い頃、病気がちだったレイズウェルがベッドを抜け出して出掛けた屋敷の庭で出会ったのは、自分と全く同じ顔をした男の子だった。
その子は静かな水面のような瞳でレイズウェルを見つめた後、逃げるように走り去って行った。

その翌日、彼はレイズウェルの双子の兄なのだと父から告げられた。
そして、自分と同じ姿をしたその少年とレイズウェルは同じ部屋で暮らし日に日に距離を詰めていった。
驚いた事に双子の兄はまるで生まれたての子供のように無知で無垢だった。
言葉も通じず部屋の隅で膝を抱え、いつも不安そうな顔をしていた。
レイズウェルはそんな兄に言葉を教え、一冊の本を貸してあげた。

その本には世界の歴史や魔法の呪文が記されていたのだが生憎、勉強が嫌いなレイズウェルにはどうでもいいものだった。

とにかく何か話すきっかけが欲しかったのだ。
兄はその本を夢中になって読み、いつしか言葉を話すようになり少しずつ笑うようにもなっていた。

二人は考える事も同じで、食べ物の好みも同じだった。
同じ部屋で一緒に過ごすうちにレイズウェルはこの双子の兄に気を許していた。

身体が弱く家族の中でも孤立していて寂しくてねじ曲がっていた性格も兄と一緒に居れば寂しくなかったし、何よりも毎日が楽しくまるで自分がもう一人いるかのように感じていた。

幼いレイズウェルは、そんな日がずっと続くのだと信じていた。

けれど、ある日を境にその世界は脆く崩れ落ちてしまった。

ある日の朝、父に呼ばれて出掛けて行った兄が戻ってきたのは夜遅くだった。

服を血だらけにして部屋に戻ってきた兄の顔は初めて会ったときのように暗く、何も言わずに部屋の隅に座り込んだ。

「どうかしたのか?」

心配になってそう尋ねてみても、兄は何も言わず首を横に振るだけだった。

「リズ、なんかあったのかよ?言ってみろ」

それでも辛抱強く兄の傍に座っていると、ようやく顔を上げた双子の兄はレイズウェルの顔を一度見、また顔を伏せてしまった。

それから、双子の兄は何かある度に血まみれで戻り、次第にその口から言葉を話すことはなくなっていった。
いつしか、二人は話す事もなくなり、双子の兄の顔をまともに見る事もなくなっていた。

そうして、レイズウェルはある日知ってしまった。
長い事、知らないが為に何が起こっているのか、何故兄は態度を変えてしまったのかを。

自分が思っていたよりもずっと、真実は残酷なのだと…。

「そう…魔力に恵まれなかった我が子レイズウェルの遺伝子を使い、母親の血を濃くして作ったのがアレだ」
「命を…作った!?そんな……」

ばかな事…とジークは呟いた。

「最初からヒトですらないアレに感情は必要なく、自由に使える手ごまであればそれでいいのだ」

そう吐き捨てた男は、リズを正面から見据えると一歩ずつゆっくりと距離を縮めてきた。

「大方、刺し違えても私を殺すと狙っていたのだろうが、とんだ誤算だったな」
「……」

動けないジークとシャオロン、ハツを順に一瞥したリズは落ちていた剣を拾うと静かに瞳を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。

「誤算もなにも…最初から何もかもそうだった。いっそ、皆が僕に敵意を向けていればどんなに楽だったか……」

だから…と言葉を続けたリズは強い光が篭った瞳を向けて父親に言い捨てた。

「だからこそ僕は躊躇いなく貴方を殺せるし友達を生かせる為に戦い、その結果死んでしまっても構わない」

冷たく張りつめた言葉の中には芯があり、どれほど本気なのか伺えた。
両手に剣を握り、足を踏み出したリズは父親であった男へ真っ直ぐに刃を向けた。

「無駄だ!複製のお前が生みの親である私を殺せるはずもなかろう!」
「それでも僕はもう貴方の言いなりにはならない!自由に、自分の意志で生きるっ!!」

次々と振り下ろされる剣撃はいとも簡単に弾かれていき、その間に反撃を喰らいながらもリズは怯まなかったが、一撃すら与えられないまま床に倒れていくその様子は虎が猫をいなすようだった。

「リズ…!くっそ、この変な魔法にさえかかってなけりゃ…!」

こんな状況で動きを封じられているジークは、悔しさに唇を噛みしめた。

「うぅ…指一本でも動かしたら全身が痛いや……」
「あのオヤジ、父親にあるまじきクソ野郎さな!」

立ち上がろうとしたシャオロンはまた力尽き、ハツもまた悪態づくことしか出来ない。
全身が押しつぶされる痛みに耐えながら、ジークは声を張り上げた。

「どうして…あんたはそんなに簡単に命を扱うんだ!?」

床に倒れたリズを足蹴にしながら、バリスは嘲笑を浮かべた。

「我らはこの世界の闇を生きる一族。そうしてずっと存在してきた我らの存在意義は命の所へ辿り着く…当然の事だ」

「だからって…まさかリズにも人殺しをさせてたのかよ…!」

そう言ったジークの顔を正面から睨み付けた男は、ゆっくりと頷いた。

「言っただろう。コレは、道具なのだと。出来そこないのレイズウェルの代わりに造られたモノの使い道としては立派なものだ」
「…っ!」

リズの頭を踏む足に力が入る。

「コイツは何人もの人間を殺した手でお前達の傍にいて、今こうしてお前達を救おうと足掻いている。これほどまで愉快な奇劇はなかろう…壊れれば次を作ればいいだけの事、実に滑稽だ」

当然の事だ、と続けた男の太い眉は微動だにしない。
きっと、彼にしてみればリズが生きた日数は実験の成果を見る為のもの。
ただそれだけだったのだ。
自らの意志を持ち、牙を剥いた実験動物に用はない。

ジークは力なく伸ばしていた拳を固く握りしめ、唇を痛い程噛んだ。

「アイツは…リズは生きているんだ!あんたや俺達と同じように心があって、自分の意志もある!それなのに何で…!!」
「造り物の命に自由など必要ない」
「違う!絶対に違うっ!!リズは、リズにだって願いはあったんだ!!それをあんたは、あんた達は…っ」

激昂したジークの最後の言葉は声にならない程悲痛なものだった。
瞼の奥から込み上げてくる涙を堪えながら、ジークは全力で否定した。
それに対してのバリスの反応は、驚くほど冷たいものだった。

「何故お前はそんなにもコレに関わろうとする?所詮は肉の身体と複製の脳みそでしかないのに」
「そいつが、大事な友達だからだ!!」

堪えた涙も限界で鼻の奥がツンとして痛む。まさかこんな所で泣いてしまうとは自分でも思わなかった。
それでもジークは怯まなかった。
視線は真っ直ぐに男を捉えて言葉を繋ぐ。

「きっと俺は最初からこの事を知っていたとしても…一度だってリズの事を人の複製だなんて思っていない…!」

「……ほぅ」

ジッと真正面から睨んでいるジークを見つめていた男は呆れたように鼻で笑った。

「ちょうどいい。先にお前から殺してやるとしようか」
「なっ!やめろ!!」

「安心しろ、お前も出来そこないのオリジナルと共に後で同じ所へ送ってやろう!!」

必死で止めようとするリズの腕を足で払ったバリスは、短い呪文を唱えて三人の頭上に炎を纏った剣を召喚した。

燃え盛る炎の熱気と、頭上に落ちて来た塵に目を疑いたくなりながらジークは二人に目を向けた。

「ご…ごめ…俺が思った事を言ったばっかりに……」
「なんて顔してるの。間違った事言ってないんだから、気にしないでよ」

こんな状況でも、シャオロンは優しく笑い、ハツは毅然としていた。

「そうさ。どの道、連れてこられた時からこうなる事はわかってたんだ。言いたいこと言えただけすっきりしてるさな」

ついでに言えば、可愛い女の子と付き合ってみたかったさー。
だなんて暢気な事を言ったハツは、覚悟を決めたように目を閉じた。

「死ねッ!!!!」

男の、バリスの恐ろしい声とリズの悲鳴が入り混じった声がし、熱風が近づいてきた。
ジークも二人に倣い、痛みに供えて身を縮める。

その時、

扉が軋む音がし、震えた小さな声が聞こえた。

「父上…?」



扉の前に立っていたのは、身体中擦り傷だらけで信じられないというような顔をしたレイズウェルだった。

「なっ…どうして!」
「聞いていたのか、ちょうどいい。お前もまとめて処分してやろう」
片足を引きずりながら立ち上がったリズとレイズウェルを見比べていたバリスは、そんな歪な笑みを一層深くした。

「しかし、これで終わってしまうのは些かつまらぬもの」

そう言ったバリスは炎の剣をジークの首筋へ当て、空いた右手で自身の顎を擦りながらリズにこう言った。

「レイズウェルを殺せ。そうすれば、このゴミ共は生かしてやろう」
「えっ!?」

驚いて後ずさるレイズウェルの前に両手に剣を握ったリズが立ちふさがった。

「…僕に、レイを殺せと」
「その通りだ。実に面白いだろう」

平然とそう言ってのけたバリスは、ジークの首元に当てた刃を軽く食い込ませた。

「くっ……」

ジークの首から流れた一筋の血を見たリズは、何も言わずレイズウェルへと向き直った。

レイズウェルは一歩後ずさると信じられないというように半笑いの表情を作った。

「お…おい、マジかよ。アイツが約束を守るとは思えないだろ!?それにお前が俺を殺す理由なんて……」

「理由なんてなくても、約束を守る保証が無くても、それでも僕は友達を殺されたくない。だからお前には死んでもらう」

「ちょっ!」

振り払われた一撃を、持っていた杖で防いだレイズウェルは困惑していた。

「何でだよ!なんでそこまでアイツらを助けようとするんだ!?あの時、俺は確かに忠告したぞ!!トール兄さんやファレイ兄さんが行った時も、何でそこまでして……」
「初めてだったんだ!!」

リズの悲痛な言葉と同時にこめかみを狙って打たれた剣の柄をまともに受けてしまったレイズウェルは、衝撃で地面に転がった。

「僕の事を、僕の存在を認めてくれる人に会ったのは…初めてだった。あの時から僕は自分の事をやっと好きになれそうだと思えた!なのに…なのに……!!」
「リズ……」
「僕は君の複製なんかじゃない、僕は…君の代わりじゃなく、一人の人間として生きたい。それはいけない事なの?そう願うのは許されないの!?オリジナルが消えれば僕はひとりの人間だって認めてもらえるのなら、何だってやる!!」

畳みかけるように向けられる強い言葉。

「お前…まさかずっとそう思ってたのか…?」

今にも泣いてしまいそうな程に歪んだレイズウェルの表情とは対照的に、涙一つ零さないリズの表情はどこまでも静かなものだった。

「僕を人形だと、道具だと例えるのならそれでもいい……」

でも、と続けたリズは剣の切っ先をレイズウェルの喉元に突きつけ唇を噛んだ。

「僕はもう自分の気持ちにだけは嘘をつきたくない…もう人殺しもしたくないし君の代わりじゃなくて自分自身の足で生きていきたい……」

リズは自分と同じ顔をしたレイズウェルの目を見たままそう言った。

「落ちつけよ…俺もずっと知りたかった事があった」

伏し目がちにふぅ、と溜息をついたレイズウェルは、おもむろに杖を捨てた。
軽い音を立てて転がって行く杖。
だが戦うつもりのないその瞳には弱々しい炎は宿っていない。

「ガキん時からお前と暮らして、お前が俺の代わりになって俺は悠々と生きてくなんて辛かったし、砕け散ったお前の心を治してあげたいなんてずっと思ってた」

聞き取れるかわからない位の早口でそう言い、突きつけられた刃を左手で握りしめたレイズウェルはもう一度溜息をつくと小さく呟いた。

「それでも、お前の事を認めてくれる奴が現れたら俺は今迄見て見ぬふりをしてきた分を償いたいって思ってたんだ……それを!」

力づくで左手に握った刃を自身の腹側に引き寄せたレイズウェルは、握った右の拳を大きく振り上げて声を荒げた。

「自分だけが不幸面してんじゃねぇぇえ!!!」
「ッ!!」

全体重を乗せたレイズウェルの一発をまともに受けたリズは、剣を取り落し鼻をおさえて呻いた。

「お前に…お前なんかに僕の気持ちがわかるかッ!!生まれた時から自分は人の複製なのだと言われ続け、挙句生きる道も自分で選べない!こんな惨めで不安定な事を味わった事もなく自分だけぬくぬくと幸せに暮らすお前なんかに……」
「わかるわけねぇだろ!!辛いって、嫌だって一言でも言えば…俺だって何か出来たかもしれねぇだろ!」
「言葉だけの同情はいらないッ!」

互いに掴みかかり殴り合う二人を満足そうに眺めていたバリス。
ジークは改めてこの男が恐ろしいと思うと同時に、絶対に許せないと心に刻んだ。

「あんた…本当に人間のクズだな。あんなことさせて何とも思わないなんて……」
「価値のないものを生かしておく意味はあると?」

侮蔑と怒りが混じった眼差しを向けられても、ジークは目を逸らさずにうつ伏せのままバリスを睨み上げていた。

「あっ…!」

掴みかかって殴り合う最中、リズは髪から解けたリボンを拾い上げた。
ただの青いリボンを大事そうに掌で包み込むようにしているリズを見て、レイズウェルはようやく手を下ろした。
肩で息をするのも苦しいくらいで、顔だって腫れあがっている。
なのに、リズは殴られた跡すらない。
これが彼と自分との違いなのだと改めて実感させられる。

「お前…それ……」
「……」

「何をしているかと思えば…未だにそんな薄汚い物を大事にしていたとは…呆れたな」

何も言わずリボンを見つめていたリズは、バリスの声で顔を上げた。

「…これは昔、母さんがくれたんだ…僕が頑張ったら…いつか会いに来てくれるからって…約束した」
「母さんって…お前……」

レイズウェルは、リズの言っている事が理解できなかった。
元々、母親はレイズウェルが生まれてすぐに病死していた。
なのにレイズウェルが少し成長してから目を覚ましたリズが母親に会った事があるわけがない。

「ああ、そんな事か……」

さも下らないことを思い出すようにバリスは嘲笑した。

「子供の時、母さんは僕の頭を撫でてこれをくれたんだ」

今にも泣き出してしまいそうな程に顔を引き攣らせたリズは、リボンに縋るよう頬を寄せて呟いた。

「絶対、絶対…会いに来てくれるんだって…僕にはこれしかないんだ……」

だめだ、これ以上は…。
そう呟いたレイズウェルの言葉は音にならなかった。
代わりにバリスの口から落とされたのは、

「そんなものはお前を従わせる為に脳に刷り込ませた偽りの記憶に過ぎん。ヒト以下のお前に、親も兄弟もいるはずがなかろうに」

氷よりも冷たく、熱い刃よりも研ぎ澄まされた真実の槍だった。

「…そんなの…嘘だ……」

今にも消えてしまいそうな声でそう言ったリズの手は震えていた。
本当にコイツはどこまでバカなんだ…。
心の中で舌打ちをしたレイズウェルは動揺するリズを落ち着かせるように言った。

「リズ、落ちつけ。母さんは、俺が生まれてすぐに死んでいるんだ。だから……」

「だから何だよ!?」

顔を上げたリズは目に涙をいっぱい浮かべて、零れてしまわないように一生懸命こらえているようだった。

「だって…あの時……」

その目の端でこらえきれなくなった一筋が零れ落ちる…。
これまで感情を隠し続け、人格を偽って生きて来たもう一人の自分の、初めて見る姿にレイズウェルはかける言葉が見つからなくて胸が痛んだ。

「ずっと、ずっと愛してるって…戻ってきたら一緒に暮らそうね、って……約束したんだ……」

放心状態のまま、崩れ落ちるように座り込んだリズがこらえきれなかった涙は、雨のように流れて頬を伝い落ちていった。
力なく開かれた掌から、リボンが落ちていった。

「所詮は傀儡の分際が」

魔力で操った風でリボンを切り刻んだバリスは、それを汚い物を見るように顔を歪めた。

その光景を見た瞬間、ジークは目の前が真っ白になってしまった。

ジークの知る限り、家族と言うのは共に生きて支え合い、父親というのは子の為を想ってその幸せを最大に贈ってあげるものなのだと思っていた。
親が子の泣き顔を見て何とも思わないというのは理解できないし、正直な所、色々な事が立て続けに起こっていて頭の中が混乱しかけているという事もあった。

そして何より、今迄見た事もないような顔で泣くリズは、どれほどの物を失い、絶望したのだろう。
瞼の裏に映ったあの顔を思えば思う程、体中に巡る血が煮える感じがした。
信じていた親に裏切られ、自分自身を否定されて傷つけられたリズの顔が脳裏に過った。
ゆっくりと閉じていた瞼を上げれば、思考は妙に落ち着いていて、身体は不思議と軽くなっていた。

「なんで…なんでなんだよ……」

そう尋ねても、答えはとっくに戻ってきている。
命は、そんなに軽いものなのか。人の気持ちはそんなにも簡単に踏みつぶし砕いてもいいものなのか。
そんな事は考えなくてもわかっている。
今ここで動かなければ、一生後悔して死ぬだけだろう。

うつ伏せになったまま放り出していた両手は硬く握られ、痛い程爪を食いこませた。

「…いい加減にしろよ…このクソ野郎」

魔力で圧を掛けられていたにも関わらず首元に突きつけられていた刃を握り、押し退けたジークはふらつく足を叱咤し、立ち上がった。
切れた指から血が流れ落ちている。けれど痛みはない。

「ジーク!」

そう呼ぶシャオロンの困惑した声が後ろから聞こえた。
けれどジークは振り向かず、正面からバリスを睨み付け口を開いた。

「どれだけ人の気持ちを踏みつぶして、どれだけ裏切れば気が済むんだよ…?」
「貴様…確かに動きを封じたはず…!ならばこれで!」

バリスは信じられないというように呟くと、掌に炎を召喚しジークの顔面に向けて放った。
だが、唸りを上げながらジークの身体を包み込んだはずの炎は、まるでジークを避けるかのように二手に分かれ何かに吸い込まれるように消えてしまった。

「…何!?」

二度目の信じられない光景にバリスは動揺を隠せなかった。
それとは対照的に、ジークは冷静に血で滲んだ掌を見つめて呟いた。

「何だろう…良くわからないけど、力が湧いてくる……」

身体中から溢れる得体の知れない力に気分は高揚し、思わず笑みが零れた。
不思議と、身体は何をどうすればいいのか知っているかのようだ。
ジークは掌を足元に翳し、頭の中に浮かんだ言葉を口にした。

「悠久なる王の棺の永遠なる目覚め、今ここに!」

その次の瞬間、ジークの足元から轟音と共に、真っ黒いもやを纏わせた古びた石棺が姿を現した。
そして棺の蓋はゆっくりと開かれ、中からは黒いローブに身を包んだ悍ましい姿の死神が鎌を手にして出て来た。

「こ…これは!?」

漆黒の瘴気を纏う死神の姿を目にし後ずさるバリスの前で、自ら死神の鎌を受け取ったジークは、平静を装いながらも内心は主人公として、これはどうなのかという位、動揺していた。

『ひぃいいい…!何かわからんが、怖!!』

…思い切り顔が引き攣っている。

ともあれ、この状況を切り抜けるにはこの力を使わない手はない。
ジークは表情を引き締めて口を開いた。

「さ、さぁ、皆を解放しろ!さもなくば、この死神が容赦しな……」

ズゴゴゴ……。

これ以上ない位に希望に満ちたドヤ顔をしてそう言ったジークの傍で、用が済んだとばかりにいそいそと棺桶の中に戻った死神は、また元の様に床の下に引っ込んでいってしまった。

………。

しーん、と静まり返る空間。

「うおおおい!戻るんかいっ!!!」

数秒間、何とも言えない変な空気が流れ、ついに我慢できなくなったレイズウェルは、思わずツッコミを入れた。

「ほぅ…その力、随分興味深い……」
「あ…いや、その……」

もはや頼るものが何もなくなった状態で、バリスから距離を取りながら、ジークは頼みの綱である鎌に目を落とした。
確か受け取った時のそれは、黒光りする上等な得物だったはずだ。
が、今現在ジークの手元にあるのは何故か木の棒。
どこからどう見てもただの木の棒なそれは、せめてもの飾りに、と先端にジークの顔がリアルに彫ってある人形がついていた。

「何じゃこれえぇ!怖っ!!いらんわ!!!」

ショックと苛立ちのあまり、鎌(だったもの)を床に思いきり投げつけたジークは、ハッと我に返るといそいそと木の棒(鎌だったもの)を拾ってバリスへと突きつけた。

「と、とにかく、これ以上酷いことをするのなら容赦はしない!!」

威勢がいいのは良いことだが、この変な棒切れで何を容赦しないと言うのだろうか。
この場に居た誰もがそう思った。


「ふ…!そんな棒切れで何をするという!!」
「何も出来なくったって、このままじゃいられないんだ!」

振り上げられたバリスの杖から放たれた炎を避けようとしたジークは、後ろにシャオロンとハツが居る事を思い出して木の棒を固く握った。

「ジーク!」
「もういいから避けろさ!」

こんなものじゃ到底防げるものではない事はわかっている。
後ろに居る二人がそう叫ぶが、ジークは避ける気になれなかった。
このまま焼け死ぬ、と思ったその時、勢いを増した炎を受け止めたのは、咄嗟に前に飛び出したリズとレイズウェルの二人だった。

「くっ……」
「アホかお前、コラァ!下がれ一般庶民!!」

熱気で肺がチリチリと焼けつく中、二人は必死に防御壁を召喚して庇ってくれていた。

「いてっ!」

さっさと退け、と言わんばかりにレイズウェルに蹴飛ばされたジークは、床に尻もちをついてしまった。

「くっ…勢いが強すぎる…!」

「もう…持たない…!離れろ一般庶民!!」

それと同時に炎に耐え切れなくなった防御壁は限界を迎え、二人は衝撃で弾かれてしまった。

「うえぇぇえ!!!?」

今度こそ終わった、とジークが覚悟を決めたその時、迫っていた炎はジークを覆う寸前で、唐突に跡形もなく消えてしまった。
咄嗟に目を閉じていたジークは、いつまでも来ない痛みに恐る恐る目を開けた。

「…は?」
「炎が、消えた?」
「何が起こったんさ!?」

状況がわからず辺りを見渡したジークが後ろを振り返ると、シャオロンとハツは身体を起こしていた。
リズとレイズウェルが何かをしたのかと視線を送ってみるが、レイズウェルは信じられないというような顔で横に首を振った。

「な、何故だ…?何故、力が出ない!!」

狼狽したバリスがいくら魔力を込めようとも、その掌から炎が召喚される事はない。

「かき消したんじゃない…封じたんだ……」

床に座り込んだまま、虚ろな瞳で瞬いたリズは低くく呟いた。

「ん?魔力が使えないって事は…つまりチャンスじゃないの?」

ここに来て一気に形勢逆転だと言うように、両手の拳の関節を鳴らしながらシャオロンは不敵に微笑んだ。

「く…エリオ!エリオはどこにいる!!」
「はい、ここに」

大声で叫びながら逃げ出したバリスの前に、エリオは開け放たれた扉から、ゆっくりとした足取りで現れた。

「エリオ!今すぐにコイツらを全員始末しろ!!」

そう言ったバリスからジーク達五人へ視線を流したエリオは、優美に微笑みながら錐を取り出した。

「…!」

もう一度魔法を撃たれれば今度も奇跡が起きるとは考えられない。
だが、エリオは何を思ったのか、身構えている五人から視線を戻すと父であるバリスへと歩み寄り、笑みを深めてこう言った。

「父上、それは出来ません。何故なら……」

次にエリオの綺麗に弧を描いた唇から発せられた言葉は、主人に忠実に従う僕の物ではなく…。

「私達は意志を持たぬ犬ではないのですから……」

確固たる意思を持った、一人の人間のものだった。

丁寧な言葉と態度とは裏腹に、不気味な笑みを浮かべたまま、錐は狙いを違えず、鋭利な先端は胸を一突きした。

「グッ…!きっ…さ…ま……」

胸から錐を引き抜こうとしたバリスの手を押さえつけたエリオは、顔についた返り血を気にする事なく、始終不気味な笑みを浮かべていた。

やがて、血の泡を吹きながら支えを失っていくバリスの右手から指輪を抜き取ったエリオは、それを自身の指に嵌めた後、ジーク達へと向き直った。

「…っ!」

そのあまりの光景に、ジークは声が出なかった。
父と慕い、共に過ごしていたにも関わらず、あっさりといらないものを捨てるかのように殺してしまう神経が信じられない。
もしくは、彼等の中に最初から家族だとかいう気持ちはなかったのか。

バリスを殺し、家長へとなったエリオの背後には、いつの間に現れたのか斧を担いだトールが控えていた。

血生臭く、張りつめた空気を破ったのはエリオだった。

「…さて。君達には改めて挨拶をしなくてはならないな」
「…今さら何の挨拶さ」

ぶっきらぼうなハツの言葉を軽く流したエリオは、家長の証である指輪を嵌めた右手を胸に当てて言った。

「これより、私がルークの長となった。不覚にも、一番未熟だと言われていた末弟の言葉で目が覚めたというわけだが…これ以上、我々は争う気はない」

そう言って優しく笑ったエリオは、まずシャオロンの前に膝を着くと頭を垂れた。

「本当にすまなかった。君に対する依頼は、責任をもって破棄しよう」
「…やめてください。巻き込まれて沢山の人が亡くなってるのに、そんな簡単にはいかないよ……」

俯いてゆるりと首を振ったシャオロンに、エリオは頷いて言葉を続けた。

「もちろん、我々が犯してきた罪に対するそれ相応の罰は受ける。そして決して許される事ではないのもわかっている。それでも、一族全員で償うつもりだ」
「……」

その真摯な姿に、シャオロンはそれ以上何も言わずに口を噤んだ。

エリオは次に、ジークへ向き直った。

「それから、君はジークと言ったな」
「あ、は、はい」

敵だった相手に咄嗟に敬語を使ってしまったジークが内心舌打ちをしていると、エリオはジークの持つ木の棒を指さして声を潜めた。

「その力は、あまり公に出さない方がいい。特に、厄介な連中が興味を持てば面倒な事になる」
「は、はい。俺もよくわかんなくて…そう、します」

あんたら以上に厄介な連中なんているのかよ。と言いかけて飲み込んだジークは、木の棒を握りしめた。
なんにせよ、自分でもわからない力なので余計に不気味に感じる。

「なぁ、ジーク」

そこで、ハツは未だに事の意味が分かっていなかったのか、口元を手で隠してジークに小声で聞いて来た。

「これって、あれさ?皆で自首しますってやつ?」
「だろうな」

ジークは、こいつ意味わかってなかったのかよ…と呆れた。

一日で色んな事があり過ぎて、ジークは帰って風呂に入って寝たい…と切実に思っていた。

そんな時。

「あ…あの、……」

と、控えめに声を掛けられジークが振り返ると、そこには俯き、胸の下で両手の指を組んだリズが立って居た。
長い髪の間から不安げな青い目が覗いている。

「リズ……」

俯いて落ち着かない様子のリズは、言葉を探すように口を小さく動かしていたが、やがて意を決して少しずつ話始めた。

「…最初、船の上でジークを殺し損ねてからずっと、僕は身分を隠して皆を殺す機会を窺ってた…。殺さなきゃってわかってたのに出来なくて、僕には意志を持つことは許されなかったのに…!」

せきを切ったように話すリズの声は震えていた。

「それなのに…皆を殺したくなくて、仲間でいたいなんてつり合わない夢を見て…結果こんなことに巻き込んだ……」

……本当にごめんなさい。

そう言って黙り込んだリズを見ていたジーク達は、顔を見合わせると困ったように肩を竦めた。

「…そんなの最初から知ってたよ。あ、複製人間だったのは知らなかったケド!」

そう言ったシャオロンは、「あーあー」と深く息を吐いた。

「でもそんなの関係ないと思ってる」
「え?」

驚いたように顔を上げたリズに、頭の後ろで腕を組んだシャオロンは照れくさそうに笑って言った。

「わかってたよ。学校で初めて会った時から。どういうつもりなのかなーって思って見てた。もし、少しでもジークやハツに何かしてくるようだったら、君を即殺すつもりだったから、僕だって君と一緒だよ!」

と、シャオロンは爽やかに物騒な事を言ってのけた。

「俺様も知ってたぞ。俺様の嗅覚をもってすれば、どんなに誤魔化しても血の臭いは消せんからな。まぁ、悪い奴じゃねぇさな。おめぇの事、嫌いだけどよ」

なんて事を言いながら、ハツも笑っていた。

「ありがとう…シャオロン…。僕も嫌いだ。クソ猿」

上手く笑い返せずに、少しだけ声を上ずらせながらリズはそう言った。

だいたいな、と口を挟んだジークはリズとレイズウェルを見比べると首を傾げた。

「複製だとかいっても、お前らそんなに似てないじゃん。俺達はお前が誰かの複製だとかなんとか…そういうの気にしないんだよ!お前はリズで、チームAHOUのリズ・ネクラーノ改め、リズウェル・ルーク。それ以外ない!」
「うん……」

満面の笑みを浮かべたジークに微笑み返したリズは落ちていた剣を拾うと長く伸ばしていた自身の髪を適当に掴んで刃を入れた。

「僕はいつも自分の事が何なのかわからなかった。言われるままに動いて、言われた事だけやって…でも!もう自分の意志を抑えるなんて出来ない!」

乱暴に髪を切る度にリズの声は明るくなっていく。

「お、おい!」

ジークが止めるのも聞かず、次々と豪快に髪を切り捨てていったリズは、ゆっくりと顔を上げると言った。

「これで…僕はやっと自分の事が好きなれた……」

その先は言葉にならなくて…リズは頬を伝う涙を堪える事もせずに照れくさそうに笑った。

「ひどいボサボサ頭だな。まぁ、軽く整えればいいだろ」

そう言ってリズの隣に立つレイズウェル。

ジークは二人は似てない…と言った手前があるが、やはり元が同じなだけあって同じ顔だな。と思った。

そうしているとレイズウェルと目が合った。

彼は気まずそうにに目線を逸らし、気だるげに息を吐いた後、なぜかふんぞりかえって鼻で笑って言った。

「い…一応、感謝してやってもいいぜ。ま、一般庶民のお前らから連絡を寄越すのなら会ってやらんこともないしな!べ、別に俺の為じゃなくてお前らの為なんだからな!」
「……あ、うん」

どこかで流行ったような態度…。
聞いてもいないのにぺらぺらと喋る所…見た目以外、どこまでもリズと正反対だった…。

「では、転移の魔法で送ってあげよう」

そう言ったエリオが手にした錐を音楽の指揮者のように振るうと、ジーク達の周りを金色の光が包み込んだ。
別れの際、リズはゆるく手を振りながら呟いた。

「…また会えるといいな」
「…ッ」

そうなのだ。
リズはこれから罪を償う為に行ってしまう。
もう、会えないだろう。

「…また会えるさ」
「そうだよ。手紙送ってね」
「ついでに食いもん送ってくれさ」

大丈夫。そう言ったジークは、胸に小さな針が刺さるような感じがしながらも頷いた。
半端な慰めはかえって良くないのかもしれないが、それでもこう言わずにはいられなかった。
シャオロンだってきっとそうなのだろう。
ハツだって多分…。

「離れてても、俺達は友達だからな!!」

転移の魔法に包まれて、目の前が金色に染まりきっても尚、ジークは手を振るのを止めなかった。
………。


ジーク達が居なくなった後、エリオは沈黙する弟達に口を開いた。

「さて、お前達に言っておく事がある」

そう言ったエリオはレイズウェルへと歩み寄ると、その右手で末弟の頭を軽く叩いて言葉を続けた。

「勇敢なお前はもう落ちこぼれではない。胸を張りなさい」
「へ…?」

素っ頓狂な声を上げたレイズウェルは弾かれたように顔を上げた。
エリオは次に俯いたままでいるリズの顔を覗き込むと、自身の首から下げたロケットペンダントを開けて見せた。
そこにはめ込まれた写真には綺麗な長い髪をした女性が微笑んでいた。

「母上は、美しく聡明な人だった。きっと、生きていたらその乱雑な髪を整えて下さっただろう」
「……」

何も答えようとしないリズから目を逸らさずに、エリオはどこまでも優しい口調で語りかけた。

「…おかえり、リズ。よく戻ってきたな」
「……」
「お前が私達を許せないのはわかるが、お前はもう自由だ。強制もしないし虐げる事もしない…いつかお前から話をしてくれるのを気長に待つとするよ」

以前の酷い扱いから心を閉ざしたまま視線も合わせないリズに微笑みかけたエリオは、ゆっくりと踵を返して広間を出て行った。

その場に残されたのは固く口を閉ざしたリズと、何を話したらいいのか分からずに落ち着かないレイズウェルだけとなった。

「…あー、その、なんだ。その……うん」

久しぶりにまともに見る兄もとい自分の複製の顔を横目にちらりと見遣ったレイズウェルは戸惑いながらも話を切り出した。

「なんていうか…その、こ、こ、今回の事…その……」
「レイズウェル」

何から話せばいいかと戸惑っているうちにリズは口を開いた。
レイズウェルは驚きつつも平静を装いながら咳払いをした。

「ん、んー。なんだ?」
「あの時、僕は本気で君を殺そうとした。ごめんね」

リズは俯いてそう言った。
レイズウェルは困ったように頭を掻くとリズに気付かれないように溜息をつき、ゆっくりと微笑んだ。

「ああ、そんな事か、いーんだよ。んなモン。俺だってお前と同じ立場だったら同じ事をやってたかもしんねーし」
「え……」
「そんな事でいちいち気にすんなっつーの。なんかの本で読んだぞ。兄弟っつーのはどっかでこういうデカイ喧嘩をするもんだって!」
「怒ってないの?」
「怒るわけねぇだろ。俺もやり返したんだし、あいこだあいこ。それに…俺もアイツらにちょっと興味がわいてきてな」

そう言って屈託なく笑ったレイズウェルを見ていたリズは少しだけ笑って言った。

「うん。僕の大事な友達なんだ」
「おう。俺らも学校とかに行けばもっと広い世界が見れるんだろうなー。ちょっと憧れるぜ」

まぁ、勉強は嫌だけど。と言って笑ったレイズウェルの左手を掴んだリズは深く切った傷口に治癒魔法をかけて言った。

「顔。腫れてるけど放っておいたら治るよね」
「あ?まぁな…俺の美貌が台無しだな」

これはこれでリズなりのお詫びなのだろう。
レイズウェルは真顔でそう言うと、思い出したようにポケットからあるものを取り出した。

「これ……」

小さな銀のペンダントを取り出したレイズウェルは、「あの時、廊下で落としてたぞ」と言った。

「もう見つからないかと思ってた……」

リズは目を丸くするとペンダントを手に取り、大切に握りしめた。
このペンダントの中には母親の写真が入っていたのだ。

「…リズ。母さんはもういない。一生会いにも来れないし、一緒には暮らせない」

レイズウェルはそんなリズに痛みを堪えるように顔を伏せて呟いた。
リズは、何も言わず瞬きをした。
脳に刷り込まれた記憶は今も鮮明で会った事のない母親は変わらずに優しく微笑んでいた。

だが、その顔を知る術はもう写真や絵の中だけとなってしまった。

「でも!それは俺だって一緒なんだからな!!」

レイズウェルは声を荒げると暗い気分を飛ばすように勢いよく顔を上げ、ズボンのポケットに手を突っ込んで漁り始めた。

「あれだ!その、リボン。ダメになっちまっただろ?せっかくだからほら、これ使えよ!」

そう言って勢いに任せて取り出した手には、折れてくしゃくしゃになった青色のハンカチが握られていた。

「……」
「これはあれだ!倉庫で大事に保管されてた正真正銘母さんが使ってたハンカチ!!ばれないように取っておいたんだ」

それを無表情で見つめていたリズにレイズウェルは慌ててハンカチの折り目を正しながら話した。

「俺はハンカチなんか使わないからさ、ほら、お前が持ってろよ!」

そう言いながら強引にハンカチをリズに手渡したレイズウェルは、間が持たなくて急ぎ足で広間を出て行こうとした。

その背中に、声がかけられる。

「レイ」
「んえ!?」

振り返ったレイズウェルに、リズはハンカチを大切そうに握り、口元を綻ばせて言った。
「ありがとう」
「……」

思えば、昔のように名前を呼ばれたのなんて久しぶりだった。
出て行こうとした足を戻し、双子の兄へと歩み寄って行ったレイズウェルは自慢げにもう片方のポケットを漁って見せるとその手には青いハンカチがもう一枚握られていた。
「心配すんな!まだまだいっぱいあるからな!!」
「何枚持ってるの?」
「あと、五枚はあるな!!」
「そんなにたくさん…?」
そう言って笑った顔は、二人共そっくりだった。
――薄暗い廊下にて、燭台に火を灯していたトールは窓越しに、庭園に在る二つ並んだ墓石の前にて祈る、エリオの姿を見ていた。

『Pray』

fin.

第七章『Libera nos』

いつものように一日の授業が終わった後、ジークは真っ直ぐ寮に戻らずにカフェで過ごしていた。
何をするでもなく、行き交う生徒達を眺めては憂鬱な気分を紛らわそうと思ったのだが、生憎何ともならない。

あれから、魔法で学校に戻ってきたジーク達三人は、その足で教官室へ向かった。
そして、拉致されていた事、リズが潜入していたルークの子だった事…その後の事を全て話した。
ジーク達の話を黙って聞いていた担当教官のアリーファは、溜息を一つ零すと、何も言わずに三人の肩を軽く叩いたのだった。

「ちょっとセンセー!この学校の警備、ちょっと甘くないさ!?」

思った事をはっきりという性格のハツはそう食って掛かったが、アリーファ教官は「警備が甘いことは認めよう。だが、この学校に軟弱な生徒はいらん」とばっさり切り捨てたのだった。
それが本心なのか本心でないか…。どちらにしても、ジークはこの先の事を考えると気が重かった。
この学校は、リズに追っ手を差し向けるのかどうなのか知りたかったが、教官はそれきり何も答えてくれなかった。

「はーぁ……」

寮に帰ってもシャオロンはほとんどしゃべる事がなく、何か思いつめたように暗い顔をしているし、ハツは相変わらず一人で煩いわけで…。
すっかり冷めてしまったコーヒーを飲めば、苦味が口全体に広がって更に気分は沈んだ。

「シャオロンはなーんにも言ってくんないし…俺一人でどうしろっていうんだ……」

普段は明るいシャオロンが何かを抱えているのは間違いないのに、本人に聞いてもいいものなのか躊躇ってしまうのだ。
きっと、自分から話したがらないと言うのは、人に触れられたくない部分なのだろうから。

「……」

カフェの窓の向こうに見える隣の校舎には、ロープで縛られた男子生徒が吊るされているのが見えた。
髪型と半端に切り取った制服の袖から、どことなくハツのようにも見えたが、ジークはあえて目を逸らした。
そうして、カップに残ったコーヒーの最後の一口を飲もうとした所で目の前に立ち、何か言いたそうにしている少女に気が付いた。

緑と赤のチェックのスカートを穿き、ジークと同じ色のジャケットを着た少女の両肩にはウサギのぬいぐるみが可愛らしく、ちょこんと座っていた。
一体、どういう原理でぬいぐるみが肩に座っているのか、はたまた縫い付けているのか…ジークにはわからなかったが、とりあえずカップをテーブルに置くと少女と目を合わせて言った。

「あの、何ですか」
「…ハッ!」

そこでようやく我に返った少女は、肩に乗ったウサギのぬいぐるみを両手で抱きかかえて口を開いた。

「こ、コンニチハ」
「…こんにちは」
「私、ラパン。ラパン…ラビットハートっていうの。同じクラスで、その…同じクラスなんだけど」

そう言ったラパンは恥かしそうに顔を背け、彼女の蜂蜜色の髪も一緒に揺れた。

「ああ…ごめん、全然知らなかった。ジーク・リトルヴィレッジだよ」

そう言って握手をしようと彼女に手を差し伸べたジークは、わざと「ヴィ」と強調させた。
けれど、ラパンはジークの手を見つめたままぬいぐるみの腹に手を突っ込んで一通の手紙を差し出した。

「こ…これ、アリーファ教官から預かって来たの。貴方に渡してくれって」
「え?ああ、そうだったのか。わざわざごめんな」

握手を返されなかった事をさして気にも留めず、手紙を受取ろうとしたジークは彼女の指に触ってしまった。

「!」

その時、ラパンの指が強張ったように感じてジークが顔を上げると、彼女は首まで真っ赤になって硬直していた。

「…大丈夫?顔、変だよ」
「え!!!」

ジークよ、気持ちはわかるがもっと言いようがあるだろう…。
けれどラパンもラパンで、慌てふためきながら首を振って答えた。

「ううん…私、もともとこんな顔だから!そ、それじゃあね!!」

そう言って走り去って行く彼女を見送ったジークは、ぽつりと呟いた。

「変わった子だなー……」

それはともかく、彼女のお陰で憂鬱だった気分はほんの少しだけ吹っ飛んでいた。

その日の夜。
ジークはシャオロンとハツとの三人で指定された校舎裏の森に来ていた。
真っ暗な闇に覆われた夜の森は、さながらこの世の者でないものが顔を覗かせているようで、本気で怖かった。

「まさかまたここに来る事になるとは……」

神妙な顔で松明を握るジークは、入学早々起こした問題を思い出して溜息をついた。

「また森を燃やせば今度こそ退学は免れないよね」

さらりとそう言ったシャオロンは、ジークの持つ松明の下で手紙を広げて読み始めた。

「えーっと、明日2時よりチームAHOUに所属する三名の生徒に校舎裏の森の奥にある王の墓掃除を命じる」
「だからって、こんな真夜中に墓掃除する必要は全くないだろ!」

よりによって何故にこの時間なのか…。
ジークは考えるのも嫌でその場に崩れ落ちた。
それを見ていたハツは、馬鹿にしたように吹き出した。

「ぶぷっ!まぁ、俺様。お化けなんて類のもんは全然信じちゃいネェからヨ、全然、…全然」
「じゃあ、その腰から下をどうにかしろよ!!」

余裕の表情で嘲笑するハツの腰から下は、立って居られるのが不思議なくらい震えていた。

「でも、教官…遅いよね」

恐怖から来る苛立ちでどうにも落ち着かないジークの肩を軽く叩いたシャオロンは、手紙を鞄の中にしまうと森の入り口を振り返った。

「どどどど、どうせ寝坊してるんさよ。全く仕方ねぇ。俺様達も帰る…」
「ま、待てよ。まさか…ハッ!」

シャオロンにしがみ付いていたジークは、教官の真意に気付いて声を上げた。

「どうしたの?」
「何言ってんさー」
「これも一種の課題なんだよ!」

そう言ったジークは、二人にもわかるように説明し始めた。

「開始時間になっても教官が来ないっていう事は、俺達の力で課題をクリア出来るかどうかを見られているって事だ。つまり、」
「つまり?」

怪訝な顔で首を傾げたシャオロンの前に、握り拳を突きだしたジークは希望に満ちた目を輝かせて言った。

「つまり、俺達自身でクリア出来れば評価はグーンと上がり、普通の寮に戻れる可能性が出てくる!」
「おお!そう言う意味だったんさな!?さすがジーク!!」

ハツにおだてられて鼻高々に胸を張っているジークだったが、腰から下は震えていた。
色々台無しである。

「そうなのかぁ…じゃあ、行くしかないよね」

そんな二人を何か言いたげな顔で見ていたシャオロンは、さっさと森の入り口へと歩き始めた。

「しかし…前来た時、本気で死ぬかと思ったんだけど…こういう森って夜の方が危険じゃないっけ…?」
「危険さな。コンパスと地図も同封されてたけど、遭難する可能性もあるさ」

梟の鳴く声が聞こえてますます怖くなったジークとハツは、先に森に入ったシャオロンを慌てて追いかけた。
不気味に静かな森の中には三人の足音と、夜鳥の鳴き声だけが響いている。

ジークは松明の火が消えないように時々様子を見ながら、辺りを照らして歩いていた。

「地図によると、この先の道を右みたいだね」

シャオロンは地図が書いてある紙面を指でなぞりながらそう言った。
周囲の警戒はハツが引き受けている。

「トレントや魔物にあったらとにかく逃げるからな」

辺りの木々を見渡しながら、ジークは後ろを歩く二人に言った。
その時、ジークの足元の土が何やら盛り上がって来た。

「ん?」
「何か後ろから走ってくるさ!」

ハツの声にハッとなったジークは、足元で盛り上がった土の中から人の手のようなものが出て来るのが見えて悲鳴を上げた。

「うわぁぁ!逃げろぉおお!!」
「危ない、危ないって!押さないで!!」
「どんどん増えてるさ!」

後ろから容赦なく押してくるハツのせいで、シャオロンとジークは足を縺れさせて転んでしまった。

「わー!こうなったらやるしかない…!!」

すぐに立ち上がったジークは、泥だらけのズボンのポケットからナイフを取り出した。
もはや半泣きでヤケになっている。

「何、こいつら……」

松明を拾って辺りを照らしたシャオロンは、立ち上がると表情を一層険しくした。
灯りに照らされ、草陰から次々と姿を現したのはあちこち傷んでボロボロになった鎧と武器を持った骸骨兵士だった。

「もしかしてこれって、黄泉の国から戻って着ちゃったってヤツさ!?」

すぐさまポケットから手榴弾を取り出したハツは、口で安全装置を引き抜き骸骨に向けてぶん投げたと同時に、ジークとシャオロンの腕を掴んで走り出した。

「さっさと逃げんと、木端微塵になるさよー!!」
「投げる前に言えボケェェ!!!」

必死に逃げるジークは、この時ほどハツをぶん殴りたい時はなかった…。
そうこうしている内に爆風は広がり、骸骨の化け物もろともジーク達もふっ飛ばされてしまった…。


次にジークが目を覚ました時、何故か体が浮いているかのような感覚がした。

「い…ててて…皆、大丈夫か?」

とりあえず起き上がろうと伸ばした手は空を切り、足元を見てみると、下はかすかに滝の音がする真っ暗な谷底だった…。

「ひぃぃいいい!!」

一気にちびりそうになったジークが慌てて辺りを見渡していると、不意にジャケットの襟が引っかかっていた木の枝が軋むのが聞こえて全身の血の気が引いた。
そう、断崖絶壁に健気に伸びた細い木の枝が今、ジークの命を支えていた。

「……」

どうしよう、だの、このまま死んでしまうのだろうか…だの、ネガティブな事ばかりが頭に過り、ジークがこの学校に入学した事から後悔し始めた時、頭上からシャオロンの声が聞こえた。

「ジークー!大丈夫ー!?今助けるからねー!!」
「あ…ああ!ありがとう!!」

そうして、下ろされたロープに掴まって崖上まで戻ってきたジークは、まずはハツの頬に怒りの一撃を喰らわせた。

「…しかし、松明はどっかに飛んで行ったし…今どこに居るのかもわからない状態の上、月明かりだけで進むなんて危ないよな」
「そうだね。この辺りは昔の王様の墓だったっていう意味であんな骸骨兵士がいっぱいいるだろうからね」

地図とコンパスを見比べながら唸ったジークとシャオロン。

「今は、アイツ等の臭いはしねぇし、こういう時は運に任せてみるのも手さな」

ハツは真っ赤になった頬を擦り、鼻をひくつかせて言った。

「運?」
「そうさ」

そう言って自信ありげに頷いたハツは、怪訝な顔をしているジークとシャオロンの前に一本のペンを取り出して見せた。

「このペンには、次に何をするのかが書いてあるさ。こいつを転がして、進む道を決めてもらおう」
「へぇ。暗くてよく見えないけど、いつの間に作ってたの?」
「まぁ、ちょいと学校でさな」

そこはかとなく言葉をにごすハツだったが、ジークはペンを受け取ると意を決して頷いた。

「よし、じゃあこのペンに頼ってみよう。道がわからない以上、どのみち運勝負だ!」
「そうだね。このまま進んでも迷わない保証もないし」

渋々、と肩を竦めたシャオロン。
ジークは試しに、とペンを足元に転がした。

結果、出た目を月明かりに照らして見ると…。

『髭ダンスをしながら後ろにさがる』

「……」
「………」

心なしか、背後の谷底で響く滝の音が大きくなった気がした。

「そっこーアウトだろ……」

ジークは真顔で呟いた。

「つけ髭ねぇしな……」

ハツもまた、死んだ魚のような目で呟いた。
そういう問題じゃないだろう、というツッコミは誰一人入れる気にもならなかった。

とりあえず、三人は一回目を無かったことにした。

「じゃあ次は僕が振ってみるね」

次にシャオロンがペンを転がしてみると…。

『その場で360度回転した後、髭ダンスをしながら後ろにさがる』

ジークはペンを谷底に投げ捨てた。

「どんだけ髭ダンス好きなんだよ!!」
「つけ髭ねぇって言ってるさ!!」
「エェー……!」

そうしてハツと谷底に向かって思いの丈を叫んだのだが、シャオロンにツッコんであげる余力は残っていなかった。

気を取り直して三人は谷底に背を向けて歩き出した。
空に登った月は少し傾いて来ていた。

「とんだ無駄な時間くったな……」
「本当……」
「マジそれ。誰のせいさ」

ジークはシャオロンと結託し、どさくさに紛れて被害者面しているハツの顔面にもう一発くらわせた。

しばらく進んだ所で、先頭を歩くハツが立ち止まった。

「ん?どうかした?」

地図を見ていたジークが顔を上げると、そこには恐ろしく凶悪な目をした骸骨の馬に跨る二人の骸骨騎士が立ちはだかっていた。
その奥には祠があり、地図に書いてある紋章と同じものが描かれている事から、どうやら目的地に辿り着いたようだ。

「あぁー…そういうコト……」

ここが目的地の王の墓なら、さしずめ、この骸骨の騎士は墓守と言った所か…。
納得がいったジークは、ナイフを抜いて構えた。

「相手は僕が引き付けるよ!」

そう言って飛び出して行ったシャオロン。

「コイツらを倒して、墓掃除すれば単位はイタダキさな!」

ハツも素早く木の上に登り、弓に矢を番えた。
ジークがナイフや投石で応戦し、シャオロンが殴って破壊しても尚、骸骨の馬は嘶(いなな)き、騎士達は決して倒れる事無く復活し続けていく。
ハツが放った矢すらも効果がなく、騎士達は一層勢いを増して襲い掛かって来た。

「こんなのキリがないよっ!」

もう何度目かの蹴りで馬の頭を粉砕したシャオロンは、振り返りざまに騎士の頭をも殴り飛ばした。
すでに息は上がっているし、いくら倒しても終わりがない状態に疲れて来ていた。

逃げよう、と話をもちかけようとした時、ジークは何を思ったのか持っていたナイフや石を捨ててその場に膝を着いた。

「ジーク!何やってるの!?死んじゃうよ!!」
「いや、だって…良く考えたらこれから墓掃除するってのに、こんな武器持ってたら俺達まるで墓荒しじゃん……」

至って真面目な顔でそう返したジーク。

「で、でもっ、相手は話が通じる相手じゃ……」

そう言ってシャオロンがハツの方を見てみれば、彼も木から降りて傍に弓矢を下ろして座っていた。

「ハツまで…!」
「まぁ、よ。よくわからんけど、ここはジークを信じてみようさ」

指で頬をかきながらそう言って笑ったハツの傍には、空になった矢筒が落ちていた。
どのみち、手は尽きた…といった所か。

「…わかった」

釈然としないながら、シャオロンも手を下ろすとその場に膝を着いた。

すると、それまで敵意を剥き出しにして襲い掛かって来ていた騎士達は、景色に溶け込むようにして姿を消していった…。

「ふぅー、正直どうなるかと思ったけど…なんとかなったな!」

再び静かになった祠の前で、ジークは立ち上がり服の汚れを掃い落して呟いた。

「ジークには本当、驚かされるよ。…退屈しないよね」

そう言ってシャオロンは困ったように微笑んだ。

「でも、これで墓掃除が出来るさな!」

意気揚々と立ち上がったハツは、そそくさと祠の扉に手を掛けた。

「ではでは、失礼しまーす」

ゆっくりと扉を開けて中に入ると、そこには真ん中に墓碑がぽつんと建ってあるだけだった。

「…王様の墓っていうわりには、なんか、こう…あれだな。謙虚な方だったの…か?」
「オウサマとは思えない程、質素さな」

ハツはジークがあえてオブラートに包んだ事をあっさりと言い切った。
辺りを見渡していたシャオロンは、持っていたマッチで壁に置かれた蝋燭に火を燈し、墓碑に記されていた文字を声に出して読み始めた。

「偉大なるケティル王、ここに眠る。…若くして亡くなったみたい」
「まじかー。俺様、よくわかんねぇけど、オウサマって超豪華な暮らしで美味いもん食い放題なんだろうなァー」

「……」

ぼんやりと墓碑の文字を呼んでいたシャオロンは、ハツの言葉で口を閉ざした。

「…?シャオロン、どうかしたのか?」
「え?」

急に無口になったシャオロンはジークの声で我に返ると、またいつものように、にへっと笑って首を振った。

「ううん、ちょっと読めない文字があったから悩んでたんだ」
「そうなのか?…珍しいな」

どことなく、違和感を感じながらもジークはそれ以上は聞こうと思わなかった。

そのまま本来の目的通り、綺麗に墓を掃除したジーク達は、朝が来るのを待って祠を出る事にした。

「うおお、さすがに眩しいさな……」

くわぁ、と欠伸をしたハツは荷物を抱えて歩き始めた。

「そうだ!ケティル王と言えばさ、俺昨日図書館で歴史の本を読んだんだ!」

その背中に続きながら、ジークは昨日図書館で読んだ内容を思い出して手を合わせた。
あまりに暇だったので、昨日はカフェに行く前に図書館に寄っていたのだ。

振り返ったハツとシャオロンの二人と並んで歩き出したジークは、本の内容を思い出しながら話し始めた。

「度重なる侵略と内乱からこの国を救ったケティル王は、十代の若さで即位するんだけど、叔父や臣下から疎まれて国外へ追放されてしまうんだ。何も知らない王子は国外で苦しい生活を強いられ、やがて大人になる」

けれど、と話を続けていたジークは、目を輝かせて聞いているハツとは反対に、俯いて目を逸らすシャオロンに気付いて眉を顰めた。

「けれど、大人になったケティル王が国へ戻ると、祖国は度重なる権力争いの末に崩壊寸前だった。隣国にも攻め入られ、兵も国民も疲弊して誰一人立ち向う事が出来ない中、若いケティル王は王座へと戻り、城門を開き民を守り、兵を鼓舞して自らも先頭に立ち、勇猛果敢に……」

「やめて!!!!!!!」

唐突に声を荒げたシャオロンは、苛立ちとも悲しみとも取れないような顔をして、ジークを睨み付けていた。

「え…え、と……」
「どうしたんさよ。いきなり」

驚いて言葉を失っているジークを睨み付けたまま、シャオロンはいつもは穏やかな色をした瞳を鈍い金色に染めて口を開いた。

「そんなの…っ力がある奴だから出来たんだ…そんなの…そんな話聞きたくない」
「あ…、ああ…悪い、ごめん」

初めて見るシャオロンの怒った所に、ジークは困惑して謝る事しか出来なかった。
この時ばかりは、さすがのハツもどうしたらいいのかわからないようで、静かにしていた。

そうしてこの重苦しい空気の中、出口に向かって歩いていると前からアリーファ教官がやって来た。

「お前達、無事だったか!」
「あ、教官だ。今頃起きて来たんさなー」

ジークが教官とハツの声で前を向けば、アリーファ教官は驚いたような顔をして言った。

「お前達に渡した通達の時刻を、午後と付け加えるのを忘れていてな。追いかけたものの、一歩遅く…いや、そんな事よりも、李 小龍。今すぐ来るように!」
「え…?はい」

何やら慌ただしくなってきた自体に、ジークとハツは顔を見合わせ、アリーファ教官に付いて行くシャオロンの後を追った。

アリーファ教官に連れられて辿り着いたのは、エリュシオン戦闘専門学校の正門前だった。
既にそこには他の教官達による軽い人だかりが出来ていて、シャオロンは人だかりを押しのけて進んで行った。
もちろん、ジーク達もそうしたかったのだが、先程の事があって気まずくなってやめた。

ただ、教官達の頭の隙間から覗き込んだ先には、長い黒髪にオレンジ色の蝶のピンを止め、ボロボロの騎士装束の少女が蹲っていた。

アリーファ教官はひとまず、他の教官に指示を出して人払いを済ませると、彼女を保健室へ連れて行こうとした。
だが、彼女は断固としてその場を動こうとせず、傍に居るシャロンの服を両手で掴むと、息も絶え絶えに口を開いた。

「シャオ兄様…っ!こちらにいらっしゃいますか?」

よく見れば、少女は傷だらけでその双眼は光を宿していなかった。

「いるよ!何があったの…!?」

震えている彼女の手を握り返したシャオロンは、真っ青な顔をして聞いた。

「お逃げ下さい…お兄様が…国を…貴方を……」

少女は、か細い声でそこまで答えると糸が切れた人形のように動かなくなってしまった。

「ケイナ…!」

静かにそう呟いたシャロンは、少しの間呆然と座っていた後、彼女をアリーファ教官に預けて立ち上がった。
そうして、何かに憑りつかれたかのように独り言を続けた。

「行かなくちゃ…どうして…こんな……」
「シャオロン!」
「全部…せいだ…そうだ…そうじゃなきゃ…こんな事にはならない……」

明らかに動揺しているシャオロンには、ジークの呼ぶ声も聞こえていないようだ。

「全部僕のせいだ…行かなきゃ……」

そう言い残したシャオロンの人の物だった手からは鋭い鉤爪が生え、背中からは大きな翼が現れ、気が狂ったように頭を掻きむしるその相貌は、徐々に龍のものと成り、我を忘れたように咆哮したシャオロンは、力強く大地を蹴ってどこかへ飛んで行ってしまった。

「ちょ、おい!どこにいくんだよ!!」
「何が何だかサッパリわからんさ!」

その姿を見送る事しか出来なかったジークとハツは、アリーファ教官に抱えられて眠る少女へ視線を移した。

『Libera nos』

fin.

第八章『Lord of the Dragons』前編

シャオロンが居なくなってから、丸一日が経とうとしていた。
依然、状況は掴めないまま変わりもしない。
教官は何事もなかったかのようにし、シャオロンの話は一切教えてくれなかった。

事態の鍵を握る少女が目を覚ませば少しは話が聞けそうだと思った二人は、彼女に付き添っている事にした。
幸い、彼女の傷に命の別状はなく疲れて眠っているだけだという。

「ジーク」
「ん?」

静まりかえった保健室の隅にて。
眠る少女に付き添っているジークが背後から呼ばれて振り返れば、目の前に袋に入った菓子パンが飛んで来た。
それを危うく落としそうになり眉をひそめたジークは、歩み寄って来たハツにお礼を言った。

「こんなんしか残って無かったさ」

ハツはそう言いながらジークに投げたパンを指さし、持っていたパンをかじった。

ジークが視線を落としてみればパンの袋には『ペリカンのくちばしバナナパン』と書かれていた。
中にはペリカンのくちばしをモデルにし、バナナを意識した黄色のパンが入っている。

『スパークするウマさ!』とキャッチフレーズが書かれているがバナナのマッタリ甘いこれに何をどうスパークするのかよくわからない。
ようするに、不味そうだった。

それでも昨日の夜から何も食べていないので腹は鳴る。
仕方ない、と思いつつジークがバナナパンに齧りつこうとした時、横たわる少女の睫が揺れた。

「ん…うん……」
「お、おい、起きるぞ!」
「待ったさ」

彼女が目を覚ますのに合わせて顔を覗き込んだジークとハツ。
すると、彼女の瞳がぱっと開いたと思うと彼女は何の躊躇いもなく体を起こしてジークとハツに頭突きを喰らわせた。

「ぐ…ぐぉおお…!女の子とは思えない程硬いっ!!」
「いてぇ、いてぇさ……」

二人して床に転がって悶絶している傍で、少女は慌ててベッドから降りるとそのままハツの顔を踏みつけた。

「ぐふぉぉ…!これ何のご褒美ですか!俺様そういうシュミは……」

「君!ちょっと待って!!」

心底気持ち悪い笑顔で床に転がっているハツを放置して、ジークはベッドやカーテンを伝って外に出ようとしている少女の手を掴んで止めた。

「ね、ねえ君ちょっと!」

だが、彼女は男のジークを片手で軽く投げ飛ばすとまた保健室のドアに手を掛けた。

「わっ!?」
「お放し下さい。私には、行かなければならない所があるのです…!」
「えっと、ちょっと待ってよ!それってシャオロンの事と関係あるんだよね!?」

後頭部を擦りながらジークがそう言うと、ドアを開ける少女の手が止まった。

「やっぱり。そうさな」

起き上がって手を貸してくれたハツが言うように、どうやら図星のようだ。

「あなた達は……」

ジークの方を見つめる瞳が伏せられ、彼女は戸惑いがちに口を開いた。

「…シャオ兄様をご存知なのですか?」
「うん。友達なんだ」

そう言って頷いたジークはなるべく彼女が警戒を解いてくれるように微笑んだ。
けれど彼女の瞳は虚ろで、ジークの事なんか目に入っていないようだった。

「そうですか。兄様にもお友達がいらっしゃったのですね」

小さな声でそう言った彼女は、安堵の溜息をもらすと着ていた服の裾を直して丁寧に頭を下げた。

「申し遅れました。私は龍王直属護衛部隊に所属しています、ケイナと申します」
「どうも、ジーク・リトルヴィレッジです」
「ハーヴェン・ツヴァイさ」

その優雅さと丁寧さに、思わず同じように頭を下げたジークとハツ。

「はい。ジーク様、ハーヴェン様。この度は助けて頂いてありがとうございました」

ケイナと名乗った少女は、ジークとハツに微笑みかけると会釈をして踵を返した。

「では、私はこれで……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

流れるような動作で立ち去ろうとしているケイナを引き留めたジークは、少し躊躇いながらも尋ねた。

「シャオロンは…どこに行ったんだ?」

「…失礼ですが、知ってどうなさいますか?」

躊躇うジークにケイナが返した言葉は、先程までの彼女とは思えないほど冷たいものだった。
それでも、ジークはここで引き下がれない理由があった。

「…知って、何か力になれる事があったら手伝いたい」

シャオロンはエリュシオンに来る途中の船で知り合い、ジークの中で初めて出来た同年代の友達だ。
放ってなんておけない。

「理由を教えて頂けますか?ジーク様」

突き刺すようなケイナの言葉にどう返して言いのかわからず、言いたい言葉は喉から出て来てはくれない。
それでも、このままここで…喧嘩をしたまま、何も知らないままでいられない。

「そ…それは友達だから……」

ようやく出てきた言葉はジーク自身も呆れるほど薄っぺらいものだった。
それでもこれがジークの正直な気持ちだ。

「…これは私達の問題です。そのような理由で部外者の貴方様を巻き込むわけにはまいりません」

そう言ってジークの言葉をばっさりと切り捨てたケイナは、か細い声で「申し訳ありません…」と続けた。
これ以上何を言ったらいいのかわからなくなったジークが黙り込んでいると、ハツは唐突にケイナの前に回り込み至極真面目な顔で言った。

「アイツはな、俺様のお食事係なんさ」
「ちょっと、ハツ!こんな時に何を言いだすんだよ!?」

それを聞いた途端、ケイナの表情が一瞬にして凍りついた。
ジークが止めようとしたのも虚しく、ケイナは険しい表情で言った。

「お、お食事!?シャオ兄様がお料理なんてしていたのですか!?」
「料理だけじゃねぇさ。アイツは俺様の破れた服も縫って、掃除に洗濯ほとんどをやってくれてたんさ」
「な、ななな…!」

呆然とハツを見つめたまま、がくりと膝から崩れ落ちたケイナは今にも泣きそうな顔をして声をしぼり出した。

「貴方とシャオ兄様がそんな仲だったなんて…私…私……」
「ちょ、なんかわからないけど、シャオロンの奴には助けられっぱなしでさ、俺達も何か出来たらなーなんて……」
「ジーク様まで…!よりによって殿方となんて、シャオ兄様は一体何をお考えだったのでしょう……」

なだめようとしたジークの努力も虚しく、ケイナは突然両手で顔を覆って泣き出した。
ジークはもうどうしたらいいのかわからずうろたえるしかなかった。

ケイナはひとしきり泣くと服の袖で涙を拭った。

「ぐすっ、私と交わしたあの約束は一体…ですが私はシャオ兄様の幸せを望み身を引きます…お二人共、どうかシャオ兄様をよろしくお願いします…!」

「え…エェー……」
「お…おうよぉ……」

まるで失恋から素早く立ち直ったかのように清々しい顔をしているケイナには、さすがのジークとハツもどん引きしていた…。

「そうと決まればジーク様、ハーヴェン様!すぐに私と一緒に龍神の谷へいらして下さいませ!」

さっきまでのおしとやかな顔はどこへ行ったのか…急に自分自身を慰めるように明るくなったケイナは、あっさりと二人が付いて行くことを認めたのだった…。

余談だが龍人の間には今でも古い風習が残っており、結婚し夫婦となる者達のうち女性が家事を全て担うというもの。
つまり、龍人族が他人の為に尽くすという事は…そういう事なのだった。

そしてその事をジーク達が知るわけもなかった。

エリュシオンから北に進んで山を五つ越えた先にある霧深き山脈。
そのうちの一つにある龍神の谷…そこに龍人達の暮らす国はあった。
古くから生物界で高位の存在とされる龍と交わるその血統を狙われて来た龍人族は、自らを守る為に気温の変動が激しく食物の実りも悪いここに住んでいる。
他民族からすれば、わざわざ空気の薄い谷に国をつくる事はばかげていると思われるだろうが、悠久の時を自然と共に生きる龍と人との混血である彼らには何も問題なかった。

こうして、彼等はずっと人と距離を置いて生きていた。

「ジーク様、ハーヴェン様!大丈夫ですか?」

厚い霧の中でケイナの気遣う優しげな声が聞こえる。
けれど、今のジークに返事をする元気はなかった。
気圧は皮膚に重くのしかかり、風は容赦なく全身を冷やしていき、息は浅く繰り返すのがやっとな状態だ。

今、ジークとハツは龍に変身したケイナの背に乗って空を飛んでいた。

(しししし、死ぬ!!マジで死ぬ!!)

顔の皮膚も霜だらけになってしまい、表情一つ変えるのにも激痛が走る中、ジークは心の中で絶叫した。
隣に乗っているハツはもはや動かなくなってるが、時々思い出したように瞬きをするのでまぁ心配はないだろう。

あの後、ケイナに連れられて校庭まで出て来たジークとハツは龍に変身した彼女にこう告げられたのだ。

「お二人がシャオ兄様の選んだお相手なのでしたら、お連れしない理由はございません。このケイナがお供致します!」

なんというドヤ顔だっただろう。
一言で言うのなら、ドヤ顔。
ジークは根本的にケイナと自分達の認識が違っているような気がしたものの、シャオロンが心配だった事もあり二つ返事でお願いした。

(今思えば、無断外出・外泊は学則違反で厳罰対象だった気がするな……)

今更そう気付いたのだが、ここまで来てしまえばもう遅い。
ジークは仕方ないと腹をくくる事にし、ハツの様子を見、ジークの方を見て謎のガッツポーズをしたハツと目が合った。
何を思ってこうしたのかは知らないが、瞬きを一切せず半笑いの表情は怖い。

そのまま数秒の時が流れた…。
ジークにとっては永遠にも感じられた膠着状態の中、ゆっくりと…ハツの……。

鼻水が垂れて来た。

「……」
「………」

ジークは何も言わず、鞄の中からティッシュを出してあげた。

そのまましばらく進んだ所で、今まで水平に進んでいたケイナはゆっくりと降下を始めた。

「お二人共、もうすぐ我らが龍神の国が見えて来ます。これ以上進めば奴らに見つかる恐れがありますので、しっかり掴まっていて下さいませ!」
「え、え、え、え。もう着くの?というか、降りて行くスピード早くない、ねぇっ!?」

御心配ございません。と変わらず優しい声色で語りかけたケイナだったが、落下角度はほぼ直角に近い。

「ひぃいいい!!!」
「おほぉおお!?」

顔の肉が風圧で物凄い方向に寄ってしまい、視界も何が何だかわからない。
そうして、厚い雲と霧を抜けた先に待っていたのは山腹から流れ落ちる川の冷たい水だった。

「ボガァァー(死ぬー)!」
「ジーク様!?」
「ジーク!!」

落下速度そのままに水面に突撃したものの、辛うじて岩に掴まって助かったハツとケイナ。
ジークは衝撃で彼女から振り落とされ、二人と離れて下流へ流されてしまった。

「うわぁぁー…!!!」

途中でワニのようなものが居たようにも見えたが、今のジークに構う余裕はない。
激流に飲み込まれながら必死に水面から顔を出す。
なんとか途中に見えた木の枝に手を伸ばしてしがみ付いた。こんな所で事故死なんてシャレではすまない。

「し…死ぬかと思った……」

真っ青な顔でそう呟いたジークだったが、ここの所死にかけてばかりな事に気付いて口を閉じた。
幸い、この木の枝が生えている辺りには大き目の岩が沢山あり、川の流れも緩やかだった。
深く息を繰り返して呼吸を整えたジークは、とりあえず陸に上がろうと手近にあった岩に手を掛けた所でどこからか足音が聞こえて来た。

これがケイナの言っていた「奴ら」だとしたら見つかるわけにはいかない。

「…っ」

ジークは息を飲むと咄嗟に木の葉で身を隠し、隙間から様子を覗き込んだ。

足音と話声からするに、全部で三人。
男達は全員、鎧を身に纏い腰に装飾のついた剣を持ち物々しい雰囲気を醸し出していた。
ジークは兵達の会話に耳を澄ませた。

「…なぁ、聞いたか?国王が戻ってきたっていう話」

一人がそう言って口を開くと、傍らを歩いていたもう一人が鼻でせせら笑った。

「ああ?あんなガキがどうするっていうんだ?肝心な時によそに逃げたくせに今さら従えっていうのか?冗談!」

「そうだなぁ」

と言ったのは最後の一人だ。
男は立派に生やした髭を触りながらジークの方へ近付いてきた。

「(やばい)!!」

驚いて逃げ出したくなる衝動を堪えながら、ジークはじっと自分に念じかけた。

(俺は木、俺は木、俺は木……)

男の手があと少しで木の枝に掛けられる。

「……ッ」

もうダメだ、と思ったその時、どこからか風を切る甲高い音がした。
その音に反応するように男達は足を止め、顔を見合わせた後そのまま何処かへ走り去って行った。
何が何だかわからないけれど、ひとまず助かった、とジークは安堵の溜息をついた。



川から陸へよじ登ったジークは、ジャケットの裾をしぼりながら辺りを見渡してみたが、大きな岩に囲まれたここは人の住んでいる気配はない。
見上げれば、辺りを囲んだ岩がジークを見下ろしていた。
何もない。
それでも、少し先の方からは滝の落ちる水音が微かに聞こえる。
この辺りで木に掴まって助かったのは運がよかったというべきか。

「うーん…結構流されたみたいだな……」

そのまま上流の方へ歩いていると、前から大きな丸太が流れてくるのが見えた。
よく目を凝らしてみれば、誰かがしがみ付いているようにも見える。

「おーい!ジークー!!」

激流に飲まれないように丸太にしがみ付いて流れて来たのは、はぐれていたハツとケイナだった。

「二人共!」
「ワッハッハー!こうして流れて行けば合流できると踏んだ俺様の英知を褒めろ、讃えろ!!」
「御無事でなによりです!ジーク様!!」

流れて行く丸太を追いながら、ジークは安心して深い息をついた。
だが、ハツとケイナの掴まっている丸太は一向に勢いを落とさないままである。

「おいおい…どこまで行くんだよ?そろそろ止まったらどうだ!?」

ジークは何となく嫌な予感がしながらも、一応訊ねた。
だが、二人から返って来た言葉は、予想を遥かに上回っていた。

「ジーク様!この先にある洞窟でお待ちしていますわ!!」
「お前も流れて行った方が楽だぞー!!」

口々にそう言った二人は、ジークの前を素通りして流れて行った……。

「………」

その、あまりにもあほらしい光景に、死んだ魚のような目をしたジークは、ゆっくりと下流へ向かって歩きはじめ、例の洞窟の前にある大きな岩に打ち上げられていた二人を介抱するハメになったのだった…。

「いやー助かったさよー」

全身びしょびしょに濡れたハツは、そう言いながらまるで犬のように体を震わせて水滴をまき散らした。
その飛沫を鬱陶しげに手で防いだジーク。

「だいたい、どうしてわざわざあんな危険なくだりかたしたんだよ。ケイナさんに何かあったらどうするつもりだったんだ?」
「どうにかなるさ!」

そう言って屈託なく笑ったハツのノープラン加減に、ジークは呆れて溜息も出なかった。
そんな男二人の後ろで、申し訳なさそうに俯いていたケイナが口を開いた。

「…ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「え、い、いや!ケイナさんが悪いんじゃなくてコイツがですな!!」
「助けて頂いて、ありがとうございます。ジーク様」

あたふたするジークを見て柔和に笑ったケイナは、濡れた服を全く気にすることなく頭を下げた。
だが、ジークは彼女を直視できないでいた。
それは、今まで村に同い年の女の子がいなかったから免疫がないからなのかどうかはわからないが、俗にいう、世の青少年が歓喜するものだった。

ケイナの、下着が透けていた。

ハツはそれに気付いていないようで、辺りを散策していたが、ジークにはばっちり見えていた。

なんというラッキースケベだろう。
だが、繰り返すがジークは恥かしくて見れないでいる。
実にもったいない。

「ケ、ケイナさん…その……」

正直に話してしまえば変態だと罵られるのが怖く、それ以上は口を閉じてしまったジークは、ケイナの後ろ…洞窟の中から出てくる人物に気付いて声を上げた。

「ケイナさん!後ろっ!!」
「えっ?」

咄嗟に身を翻し、手から逃れたケイナは、ジークを守る様に手を広げると険しい表情で言い捨てた。

「何用ですか!?」
「何用も何も…ここにおられましたか」

低く、咎めるような口調で答えた人物は、溜息交じりにゆっくりと姿を現す。
長く伸ばした髪は年相応に白くとも、背筋はしっかりと伸び、歴戦の傷が付いた甲冑姿の老人は、鋭い眼光でケイナを見据えて口を開いた。

「姫様。兄上様がお待ちですぞ…こちらに戻って来てくだされ」

一目見ただけでも、只者ではないこの老人が一言喋っただけだというのに、ジークは畏縮して視線を落としてしまった。
それ程までに、この老人から発せられる気配は突き刺すように威圧的だった。
けれど、ケイナは臆することなく力いっぱい首を横に振った。

「嫌です!私にはまだ為すべき事があります!!」

即答したケイナから目を逸らさず、老人は深い溜息をつくと言葉を続けた。

「姫様…言う事を聞いて下さい。目の弱いその御身で何が出来ると言うのです?」
「…ッ!それは……」

その言葉を聞いた途端、ケイナの顔が引きつった。
先程から気丈に振舞っていた身体から力が抜けて行くのがわかった。

ジークは初めて会った時から、ケイナの視力が常人よりも弱い事がわかっていた。
それでも、彼女は彼女なりに一所懸命シャオロンの事を想ってエリュシオンまでやって来たのだろう…そして今は彼女は確固たる意志の下に行動している。
そう思うと、ジークは彼女の事を知っているとはいえ、ケイナを無理に老人に引き渡すのは良いことだとは思えなかった。
だが、そんなケイナの想いとは裏腹に、老人は容赦のない言葉を浴びせ続けていく。

「そのお体でこちらに戻って来られたのは認めましょう。ですが、何故に人間を連れて来たのです?我らが龍神の民が過去どれだけ人間に苦しめられたのかご存知でしょう」
「…ジーク様とハーヴェン様は、シャオ兄様が選んだからです。兄様がお選びになったお二人を、私が疑う理由はありません」

今にも消えてしまいそうなか細い声でそう言ったケイナは、長い黒髪を翻し、一度だけ後ろを振り返って微笑んだ。

「―…私は戻りません」

もう一度正面の老人をしっかりと見つめ返したケイナは、凛とした声でそう言った。

「…仕方ありませんな。少々手荒になりますが……」

頑なに拒否するケイナを数秒間見つめていた老人は、強引にケイナの腕を掴んで引いた。

「放しなさい!私は戻るわけにはいかないのです!!」
「姫様、貴女に出来る事はもう何もありません。お戻り下さい」

ケイナがいくら抵抗しようとも、所詮は女の子である彼女が、老人とはいえ男に敵うわけがない。

「姫様!人間等信用してはなりません」
「放しなさい!嫌です!!」

次第にケイナの足がズルズルと引きずられていく様子を見ていたジークは、胸糞悪くなって来た。

「ちょっとお爺さん!?」

そして気が付いたらジークは、奇声のように声を上ずらせながら老人の腕を掴んでいた。
その刹那、殺気まみれの老人と目が合ってしまい、思わず謝って手を放しそうになりながらも、ジークは渾身の笑みを浮かべて言った。

「け、ケイナさんが、嫌がってますでしょう。ですのでから、おやめになられませんか?」

笑みというよりも、半泣きの苦し紛れの笑顔。

(怖ぇぇぇぇぇぇ!!!!!)

実に情けないが、顔からもわかるとおり、今のジークにはこれが精一杯だったりする。
老人はジークを睨み付けたまま、ケイナの手を乱暴に放すと、ジークの手を振り払い、汚い物を触ったというようにズボンで手を拭った。

「邪魔をするな。貴様には関係のない事だ」
「う…でも、嫌がってるじゃないですか」

それに若干傷つきながらも、ジークは引かなかった。
ケイナを守るように老人との間に割って入ると、頭の中で言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。

「昔、人間が龍神の民に何をしたのか、俺は知りません。でも、俺達は友達に会いに来たんです。その為に、彼女が案内すると言ってくれました。だから……」
「……」

瞬きもせず、ジークを見据える老人は何も言わない。

「だから、もう少しだけ。友達に会えるまででいいんです!ケイナさんを連れ戻すのを待っていただけませんか?」
「ジーク様……」

背後でケイナの小さな声がした。
ジークは掌にじんわりと滲んだ汗を握りしめると、老人の言葉を待った。

「…言いたいことはそれだけか?」

地を這うような低い声でそう答えた老人は、腰に挿していた剣に手を掛けた。
すると、洞窟や物陰から老人と同じく武装した龍神族の兵士が姿を現した。
どこに潜んでいたのかと聞きたくなるその人数は、ざっと見ただけで二十人はいるだろうか。

ジークが驚いて声も出せないでいると、その集団の中にどさくさに紛れてハツが混じっている事に気付いた。
身体中をロープでぐるぐる巻きにされてしまっている様子から、散策しにいった時に捕まってしまったのだろう…。
ハツはジークの存在に気付くと、顔を真っ青にして項垂れた。

「アイツ…!く…まずいな……」

まずいもなにも、ジークにはまともに戦う技術はない。
今の所の必殺技は『逃げる』しかない。
だが、どう考えても逃げ道がない。

額から流れ落ちた汗が首を伝い、緊張から喉が鳴る。
じりじり、と川辺まで追い詰められてしまったジークは、ケイナを振り返った。

「…ジーク様、もう…私、これ以上迷惑は……」
「ケイナさん……」

ふるり、と首を振ったケイナは、今にも泣いてしまいそうな顔に笑みを貼りつけていた。

「さぁ、姫様。この者達の命が惜しければこちらへ」

そう言って歩み寄って来た老人の手を取ろうと、ケイナが手を伸ばしたその時、ハツを捕まえていた兵士が唐突にハツを川へ蹴り落とし、自身も川へ飛び込んだ。

「のぎゃぁぁぁ!!!」
「!!?」

その一瞬の混乱に乗じて、もう一人が隊列から飛び出すと、持っていた杖でジークの顔面を殴り飛ばし、ケイナを抱えて川へ飛び込んで行った。
勢いのままに背中から川に落ちたジークは、激流に飲まれてあっという間に見えなくなってしまった。

ほんの一瞬の出来事に、静まり返ったその場から川の流れを見ていた老人は、兵士達へ背を向けると洞窟の中へと入って行った。

「…無謀な」

この呟きは誰に聞えたわけでもなく、洞窟の暗闇に消えて行った…。



「う…うーん……」

太陽の直射日光が顔に当たった暑さで目を覚ましたジークは、鼻をおさえながら起き上がると辺りの景色に驚いて目を見開いた。
白い砂浜、青い海、そして、青い空と照りつける真夏の太陽。
それらが揃った絶景の中、ジークは一人ぽつんと砂浜に座っていた。

「あれ…?ここ…どこだ?」

辺りを見渡しても誰もいないようだ。
このまま立って居ても足が熱いので、ジークが海に入ろうと足を踏み出したその時、背後でハツの声が聞こえた。

「ジーク!行くなさ!!」
「え?」

おもむろに足を止めて振り返れば、そこに居たハツは、何故かフラダンスの衣装を来て小麦色に焼けていた。
必死の表情でハツは言う。

「そこから先は三途の海さ。行ったら戻って来れないさよ!」
「海かよ!川じゃないのかよ!!」

言いたいことは山ほどあるものの、とりあえず、ジークはハツの恰好をスルーする事にした。

「そうさ!だからジークもこの衣装を着て、一緒にフラダンスするさ!!」

そう言ったハツは、ますます意味が分からない事を言いながら、自分が着ていた衣装を脱いで、ジークへ押し付けて来た。

「なんに対しての、だから。なんだよ!!しかも、お前の脱ぎたての服とかいいから…やめろ、やめてくれよ!!!」

そこから逃げ出したジークは、砂に躓いて転んでしまいながらも、這いずって悲鳴を上げた。

「やめろぉぉおお!俺は、フラダンスなんてしたくないんだぁ!!!」
「うるせぇ、ボケェ!!」

怒鳴られて我に返ったジークは、目の前に広がる木々の枝を凝視した。

「ここ…は…海じゃないのか…?」
「アホか。これだから一般庶民は困るぜ」

どうやら、海でフラダンスの事は夢だったようで、木々の隙間からは澄んだ青空と優しい太陽の光が射しこんでいた。

「そうか…よかっ…ん?」

肩で呼吸を整えようと深く息を吸い込んだジークは、ふと怪訝な顔をした。
あちこち痛む身体に鞭を打って起き上がると、そこには見知った顔の少年の姿があった。
彼はジークに背を向けて何かをしていた。

「あ、あれ?君……」
「お前以外の二人はピンピンしてるぜ。手足縛られたまま落ちたあの猿野郎が生きてたのには驚いたがな」

そう言った少年は、作業の手を止めてジークの方へ振り返った。

「それよか、助けてやったのに礼もなしかよ。これだから一般庶民はたかが知れてるぜ」

肩で切りそろえた長く赤い髪はうなじの辺りで括り、顔立ちは整っているのに、口を開けば全てが台無しになる所は相変わらずのようだ。
ジークは驚いて嫌味を言われた事にも気づかないまま、彼の名前を呼んだ。

「名前忘れたけど、…なんとかルーク!」
「てめぇ、ふざけんなよ!このクソ庶民!!」

即座に杖で顔を殴られたジークは、既視感を感じながら鼻をおさえた。

「ごめん、ごめん、ど忘れしてるだけだから!ちゃんと覚えてるから!!マッケンジーさん」
「違うわ!誰だよ!!お前わざとやってんだろ、クソ庶民!!」

もう一発殴られる前に素早く体を丸めたジークに、彼は…レイズウェルは盛大な溜息をついて振り上げた腕を下ろした。

「…俺の名はレイズウェル・ルーク。未来のイケメン大魔法使い、レイズウェル様だ」
「ああ、そうそう。レイズウェルだったね!ありがとう。もしかしてさっき俺達を助けてくれたのは君なのかい?」

なんだか相手にするのが面倒になってきたジークは、どさくさに紛れてお礼を言ってサクッと話を進める事にした。
初めて会った時から、レイズウェルは自分の気持ちに素直になれないのか、一言喋る度にイケメン度が下がって行く…そして本人はそれに気付いているのかは知らないが。

スルーされた事にまだ何か言いたそうにしていたレイズウェルだったが、ふーっと息を吐き出すと首を縦に振った。

「…そうだ。お前ら、俺達が助けに入らなかったらあそこで殺されてたんだぞ」
「俺達?もしかしてハツを川に逃がしたのはリズなのか?」

両手足を縛ったまま川に落としたのが、助けたという事になるのかという疑問は置いておいて…レイズウェルは胸の前で両腕を組むとまた頷いた。

「俺達はある人に頼まれてここに来ていたんだが…けど、聞いてたよりもこの国はやばいぜ」
「…?どういう事だよ」

何の事なのか意味が分からないジークは訝しげな顔をした。

「俺はただ、シャオロンがここに居るってケイナさんに聞いて、会いに来ただけだっていうのに……」

レイズウェルはそんなジークに驚いたように目を丸くして言った。

「なんだよ、お前。もしかして、あの龍人が何者なのかマジで知らなかったわけ?」
「何者…って、シャオロンはシャオロンだろ?それ以外に……」

何がある、と言いかけた時、林の奥から果物を抱えたケイナとハツが戻ってくるのが見えた。
ケイナはジークの姿に気付くと、小走りで駆け寄ってきた。

「ジーク様!御無事で何よりです…私のせいで、申し訳ありませんでした!!」
「いやいや、大丈夫。そんなに深い傷じゃないし、ほら、大丈夫!」

不安げに瞳を揺らすケイナにしっかり見えるように屈伸して見せたジークは、ハツに視線を移すと駆け寄った。

「ハツ!お前も無事だったんだな…何で捕まったりしたんだよ!!バカだな……」
「いやー、すまんさ。食いもんを探してたらうっかり…っていうか、あの野郎…俺様の手足を縛ったまま川に叩き落としやがって…一発殴らせろさ!!」

両手いっぱいに果物を抱えたまま、ハツは大股でレイズウェルに詰め寄った。
レイズウェルは至って冷めた表情のまま、ハツの持っていたリンゴを掴むと持っていたハンカチで拭いて齧りついた。
そして、一口目を飲み込むとゴミを見るかのように見下した表情で口の端を吊り上げて笑った。

「リズには他にやる事があんだよ。つか、助けてやっただけ感謝しろ。アルティメット一般庶民」
「ちょ、究極の一般庶民って…言い過ぎじゃ……」

そのあまりの言い草にジークがハツへ助け舟を出したのだが、当の本人は両腕で自身の身体を抱きしめ、恍惚の表情を浮かべていた。

「ア…アルティメットだ…と!!なんさそれ。超カッコイイ響きだな……」

ジークにとっても、レイズウェルにとっても誤算だったのは…ハツは他人が思っているよりも、もっと上を行くおバカな事だった……。

「さて、おいアンタ。いい加減コイツらに本当の事を教えてやれよ」

そう言ったレイズウェルは、ケイナの方を見もせずに集めた小枝に魔力で火を着けた。
こんな状況で焚火するのは危険だとわかっていたが、濡れた服のままで進むには辛い。
それに、一旦身体を休めたいと思っているのはジークだけじゃないはずだ。

伏し目がちに俯いていたケイナは、きつく引き結んでいた口元を緩めると、諦めたように溜息をつき、ゆっくりと話し始めた。

「…申し訳ありませんでした…ジーク様、ハーヴェン様。これから、本当の事をお話します」
「う、うん……」

その真剣な眼にたじろぎながら姿勢を正したジーク。
ケイナは、そんなジークとハツを順に見つめて焚火の火へ視線を落とした。

「この国…いえ、この龍神の谷は今…王座争いの真っただ中にあります。そして…皆様の友人である、李 小龍は龍神の血を継ぐ、正統なこの国の龍王であらせられます」

「うぇ!?」
「ぶぶえ!?」

いきなり出て来た事に驚いたジークは目を見開き、ハツは鼻水を噴出させてしまった。
龍神とは、龍人達の始祖とされる血族であり、とうの昔に滅びたと言い伝えられていた。それが生きていたというだけでも驚きなのだ。
ましてや、あのシャオロンが龍人族の王であるなんて…驚いて言葉も出なかった。

「…ですが、先王がお亡くなりになってシャオロン様が王位を継いだのはほんの数か月前で、お若いシャオロン様を気遣うふりをした大臣や分家の者達は、シャオロン様を良いように言いくるめて国外へ送り出しました」
「それって……」

それが何を示しているのか、ジークがその先を言うのを躊躇っていると、話を聞いていたレイズウェルは静かに言い捨てた。

「事実上の追放だな」
「はい、見聞を広める機会を与えたように言い回し、事実…政権を奪い取ってしまいました」

ケイナは小さく頷き、悔しげに唇を噛んだ。

「―…そんな……」

誰にあてるわけでもなく呟いたジークは、先日のシャオロンを思い出して眉間に皺を寄せて目を閉じた。
これではまるで、本に出て来たケティル王のようじゃないか…。
きっとシャオロンは自分が追放されたのだとわかっていた。だから、ケティル王と自分の姿を重ねて嫌悪していたのだろう。

「先王の時代まで、私達龍人族は他の種族と共和していくつもりでした…ですが、王位を奪い取った者達はそれを壊そうと動いています」
「それって、谷から出てセンソーでも仕掛けるって事さ?」

珍しく鋭い声色で訊ねたハツに、ケイナは頷いた。

「…民は彼に扇動され、今や国中が戦いを望む方向に向かっています。そして私は、この事を知らせるべく、谷を降りて王の居るエリュシオンを尋ねました」

「…それでシャオロンは、それを止める為にここに戻ってきた…っていうわけなんだ……」
「はい」

「クーデターが起きてるとか…話が大きすぎて、なんか…上手く理解できないや……」

はは…と苦い表情で笑ったジークは、ゆるゆると首を振って呟いた。

「…本当は、お二人をお連れしたのはシャオ兄様のお友達だからという事ではありませんでした」

一言ずつ、小さな声で呟いたケイナは、眦に浮かんだ涙を一粒零して固く目を閉じて言った。

「お二人には、優しいシャオ兄様に代わって…王位を奪った扇動者である、私の兄を殺す手伝いをしていただきたかったのです…!」
「え?ちょ、ちょっと…兄、って…君の兄はシャオロンじゃないの?ほら、姫様って呼ばれてたし……」

もはや何が何の事なのかわからないジーク。

「いいえ!!」

ケイナは強く頭を振ると、喉の奥から声をしぼり出して悲痛な言葉を吐き出した。

「兄は…分家の長であり逆賊である私の兄、朱 飛龍(フェイロン)は、このクーデターの首謀者で…私はその妹の朱 桂奈です……」

王族の分家の姫という事は、つまり彼女はシャオロンの従妹という事になる。
ジークは頭を抱えた。

「兄は間違っています…武力で人を制圧して、そんなの誰も望んでいないのに…私は、兄のフェイロンを手にかけます…!」

涙を拭いながらそう言ったケイナは、すみません、と言葉を続けた。

「……」

少しの沈黙の後、唐突にハツが口を開いた。

「ふむ。そんで、そのグータラーを抑える為にシャオロンはどこにいったさな」
「クーデターな、クーデター。俺達が潜入してる間に、城に向かったって情報が入ってたぜ」

さりげなくレイズウェルは訂正を入れ、空を仰いだ。

「城…か……」

知らなかった事とはいえ、話は大きく手に負えないような気もしたのだが、ジークにはこのまま学校へ戻るという選択肢はない。
立ち上がると、焚火の傍で焼いていた魚にワイルドに齧りつき、咀嚼した。

が、思ったよりも生だったので吐き出した。
色々と台無しだ。

しかし、その事すらもなかったことに出来る程、今のジークはやる気に満ちていた。

「行こう…城へ!」

再び歩き出したジークに、ハツとレイズウェルも続いて歩き出した。



ケイナの後に続いて森の奥にあった長い洞窟を抜け、下水道を歩いていたジークは後ろの二人を振り返った。

「くっさぁー……」
「大丈夫か?ハツ」

長い事整備のされていないこの下水道は、ケイナしか知らない通路なのだという。
通常の人間よりも鼻の利くハツは、途中何度か挫折しそうになりながらも頑張って付いて来ている。
その後ろにはレイズウェルが黙々と付いて来ていた。

「なぁ、レイズウェル。君も俺達に付きあう事ないんだ。他の目的があるのなら……」

本来はレイズウェルには別の目的があったのだろう。
偶然会っただけだというのにこれ以上付き合わせるわけにはいかない。
そう思ったジークが遠慮がちにそう切り出すと、彼は至って真面目に杖で自身の肩を叩いて言い返した。

「何言ってんだお前。お前らを助けちまったせいで俺も国に入れないんだからな。別にお前らの為なんかじゃない。俺の為だ」
「そ、そうか…ごめんな。ありがとう」

そのあまりにもぶっきらぼうな言い方にシュンとなってしまうジーク。
レイズウェルはさすがに言い過ぎたと思ったのか、少し照れくさそうに頬をかきながら「それに…」と続けた。

「お前ら一般庶民には、アイツが世話になったからな」

きっと彼の言う、「アイツ」とはリズの事だろう。
さっきからレイズウェルの話にはリズの事がわりと出て来ている。
この様子だと、二人は仲良くやっているのだろう。ジークは少し安心して頷いた。

そうして下水道を歩くこと数十分。
不意に立ち止まったケイナは壁に掛けてあったボロボロの梯子に上ると、辺りを見渡し素早く外に出た。
ジーク達も彼女に続いて梯子を上り、顔を上げて驚いた。

俯き、無気力に歩く民の姿は幽霊のようで下水道から突然出て来たジーク達の姿など目に入っていないようだった。
戦いの準備が進められていく中、土地は踏み荒らされ兵士ではない民は痩せ細り飢えている。

「ここは……」

ジーク達に背を向けたまま、ケイナは垂らした両の拳を強く握りしめ、静かに呟いた。

「龍神の谷の奥にあるこの国は、かつての栄華と誇りを失い今や亡国となろうとしています」

そう言って歩き出したケイナの後を付いて行きながら、ジークは古民家の窓から小さな子供たちがこちらを覗いている事に気付いた。
皆、一様に瞳に光はない。

ケイナは進みながら言った。

「戦に反対する大半の民は兄の手によって粛清されてしまいました。あの子らの親もそうだったのでしょう……」
「あんな小さな子達を残して……」

子供だけじゃない、残された者の視線が容赦なく突き刺さりジークはそれ以上の言葉が出なかった。
荒れた街中を進んで行くと、一際高い位置にある堅固な城が見えて来た。

「あそこに…シャオロンがいるんだな……」
「はい。あそこに入る為の抜け道があります。皆様、こちらへ……」

逸る気持ちを抑えながら、ジークはケイナに続いて路地裏へと入って行った。

「ここを抜ければ、兵に見つかる事なく城の中に入る事が出来ます」
「なぁ、何でアンタはそう言う事を知ってるんだ?姫にしちゃ、ちょっとお転婆が過ぎるんじゃねぇの?」

淡々と話すケイナにレイズウェルは訊ねた。
ケイナは振り返ると少し悲しそうな顔で薄く笑って言った。

「私と、シャオ兄様…そしてフェイロン兄様は昔、この道を使い三人で城を抜け出してよく遊んでいたのです……」
「…そういうわけね」

在りし日の事を思い出すように微笑んだケイナ。
レイズウェルは納得が言ったというように肩を竦めた。

「子供の頃、私達はいつも一緒でした。フェイロン兄様とシャオ兄様は互いの王位継承権の事など気にする事なく…本当に仲が良かったのに…どうして……」

今にも掻き消えそうな程に小さな声でそう呟いたケイナの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
けれど、ジークは彼女に掛ける言葉が見つからず、ハツも気まずそうに視線を落としていた。

そんな中、どこからか声が聞こえた。

「ならば、俺達はこのまま世界を拒んだまま滅びればいいのか?」
「!!」

ジークが弾かれたように声の方へ顔を上げると、そこには大げさに装飾の施された鎧を身に纏い、ケイナと同じ黒髪を短く切った青年が立って居た。
彼の背後には兵が控えている。

「…に、兄様……」

兄、フェイロンの姿に驚いて後ずさったケイナだったが、背後に迫るもう一つの軍勢に気付いて足を止めた。
対峙するのはこの国の現王であり、ケイナの兄。
完全に挟み撃ちにあってしまい、ジークはケイナを守るように前に出た。

「姫様……」

そう言って姿を現したのは、先程川の畔でケイナを連れ戻そうと襲い掛かって来た老人とその兵士達だった。

「なんさこれ。最初からここで待ち伏せされてたクサいさ」
「まぁ、お互いに知ってる道なんだから、そうだろうよ」

すぐさま、背中の矢筒に手を掛けたハツと杖を肩にかけて不敵に笑うレイズウェル。
ジークはケイナと後ろに控えるハツとレイズウェルを一瞥すると、ゆっくりと口を開いた。

「あなたが、この国の王…ですか?シャオロンはどうしてますか?」

そう訊ねたジークの真っ直ぐな目を見つめ返したフェイロンは、黒曜石のように冷たい瞳で言った。

「…人間がここに何の用だ?」
「俺達はただ……」
「フェイロン兄様!!教えてください…どうして兄様はこんな事を始めたのですか!?私達はこれまでだって、ずっと平穏に暮らしてきたではないですか…?」

拒絶の言葉にジークが言い淀んでいると、それに被せるようにケイナが口を開いた。
フェイロンはジーク達三人を睨み付けると、忌々しげに声をしぼり出した。

「我ら龍人はこの閉鎖的な谷から出、外の世界を見る必要がある。その中で生きて行くには自分自身を守る圧倒的な武力が必要なのだ」
「だ…だからって…こんな…!」
「ケイナ」

穏やかな口調でケイナの言葉を遮ったフェイロンは、彼女に背を向けると小さな呟きを落とした。

「シャオロンは、随分弱くなったんだな……」

と…。

「に…兄様…?」
「王は、二人もいらないだろう」

その言葉を残し、フェイロンは歩き去って行った。

「・・・で、のこのこ捕まるなんて、マジでくっだらねえぇ!」

殆ど光の入らない薄暗い地下室で、周囲の静寂を掻き消すほどの怒声が響き渡った。

「何でこの俺がこんな目にあうんだよ!」

苛立ちをまき散らすように喚いたレイズは、口汚いスラングを吐き捨てると、八つ当たりする物が何もないので素手で壁を殴った。

「お、おい。落ち着けよ」

ジークがそれを宥めようとするが、「うぜえ!」の一言でバッサリ切られてしまった。

「だいたい、何でお前ら平気な顔してるんだよ!お前ら、これから自分がどうなるかなんて考えてねぇだろ!?」
「そ…それは……」

レイズウェルの言う事はもっともだ。

武器も取られてしまい、こんな所に閉じ込められたのだ。

ジークだってこのまま無事に帰れるわけがないとわかっている。
それでも、捕まる時に抵抗しなかったのは、実の兄であるフェイロンへ縋るように手を伸ばしたケイナの姿を見たからだった。

「これ以上…ケイナさんに迷惑はかけられないと思ったから……」
「お前、どこまでもオメデタイ奴だな」

そう答えたジークに、レイズウェルは舌打ちをすると鼻で笑った。

「まぁ、そう怒るなさ。そういう奴なんさよ」

ギスギスとした雰囲気の中、ハツは暢気に寝転がって何かを手の中で転がしていた。

「ハツ、それは…?」

持っていた物を全て取り上げられてしまったにも関わらず、ハツの手の中にあったのは一本の針金だった。

「ふっふっふ。奴ら俺様のパンツの中までは確認しなかったからな。ちょろいさ」
「え。それまさか、ずっとパンツの中に隠し持ってたのか?」
「もちのローン!」

自慢げにパンツの中に隠し持っていた針金をジークの方へ掲げて見せたハツは、ドン引きしている二人を全く気にすることなく起き上がった。

「こんな何もない地下室なんか、援護支援特科の俺様の手にかかればチョチョイのちょーいさ!」

そう言ってドアに針金を差し込もうとしたハツは、あることに気付いて顔を強張らせた。

「どうしたんだ?」

いつになく真剣な顔をしているハツの手元を覗き込んだジークも、表情を強張らせて後ずさった。

「そ…そんな……」
「か…鍵穴が……」

ふらふらとその場に尻もちをついたハツは、手に持っていた針金を握りしめると悔しげに唇を噛んで呟いた。

「鍵穴が…ねぇさ…!」
「んなモン内側にあるわけねぇだろ!この、ボケェ!!」

即座にレイズウェルはハツを殴り、ついでに蹴りつけた。

「た、確かに!鍵穴が内側にあったら何の為の鍵なのかさっぱりわからないよな!」

ジークは今更その事に気付いて苦笑いを浮かべた。

「―ったく!お前ら一般庶民の為に何でこの俺が!!」

ハツの顔を足蹴にしたまま盛大な舌打ちをしたレイズウェルは、親指の先端を噛むとプッと吐き出して床に指を押しあてた。

「何してるんさ?」

足蹴から解放されたハツは、起き上がると目を丸くした。

「な、なぁ…!血出てるって」
「出してんだよ。こうしなきゃ、魔法陣が描けねぇだろ」

心配して止めようとするジークを無視して、レイズウェルは血で床になにやら複雑な魔法陣を描き始めた。
そうして、完成した魔法陣は所々血が掠れて消えかけていたけれど、着ていたローブを破いて止血したレイズウェルは、自慢げに鼻を鳴らした。

「よし、いいか。今から使う転移の魔法は即席で、せいぜいここから出る位なもんだ」
「それでも上等さよ!」
「魔法使いってすごいな!」

尊敬の眼差しを向けるハツとジークに背を向けたレイズウェルは、床に描いた魔法陣に両手をついて目を閉じた。
そうして、ゆっくりと魔力を通わせていく…。
ジークには、レイズウェルの身体から赤い靄のようなものが両手を伝い、魔法陣に注がれていくように見えていた。

「よし、行くぞ…!」

魔法陣から溢れ出る魔力と同じ色の瞳を細めたレイズウェルが、ジークとハツを手招きした瞬間、辺りは光に包まれた…。

目も開けていられない程の光が収まった後、恐る恐る目を開けたジークは、勢いよく壁に激突した。

「べへっ!?」

痛くて悶える事数秒、ジークは鼻をさすりながら辺りを見渡した。
幸い、辺りには誰もいないようだ。
それどころか…。

「ハツ…レイズウェルもどこにいったんだ?」

どうやら、魔法は不安定な力しか出せなかったのか、二人共いなくなっていた。

ジークが飛ばされたのは地下室の更に下にある通路のようだった。
ひんやりとした壁に手をついて通路の奥を見つめたジークは、覚悟を決めたというように息を吐いた。

「ま。行くしかないよな」

そう呟いて歩き始めた。

その頃、ジークとは別の場所に飛ばされてしまったハツとレイズは、城の外…頑丈な造りの城壁…のでっぱりに運よく服が引っかかっていた。

「……」
「………」

そのまま、無言で風に揺られる事、数秒。いつになく無表情でレイズウェルは呟いた。

「これな、杖がないとコントロールが難しい魔法なんだ」

「そ、そうなんさ……うっ!」

それに無表情のまま返したハツは、下を覗き込んで両足をもぞもぞさせた。
この高さから落ちれば、まず助からないだろう。

「こんな所で漏らすなよー汚ねぇシャワーなんぞ降らせたらただの死刑じゃすまねぇぜー」

遥か遠くを見るような目でそう言ったレイズウェルは、辺りを見渡して手がかけられるところがないか探した。
ハツも何とか城壁の小さな隙間に手を入れてよじ登り始めた。

「よいっしょ、と…おお!?」

塔の頂上まで登ったハツは、白く塗られた壁がオレンジ色に染まっている事に気付いて声を上げた。
続いて、「手伝え」と言わんばかりに伸ばされたレイズウェルの右手を掴んで引き上げると、彼もそれに気付いて溜息をついた。

「…もう夕方じゃねぇか」
「すげーキレイさな!」

龍神の谷に降り注ぐ夕焼けは、谷全体を包み込むように壮大で神秘的で、どこまでも暖かいものだった。

「おい、こんな所さっさと降りて、ジークのクソ野郎を探すぞ」
「降りるって、どっかから中に入らないとさな」

だが、レイズウェルは興味がないらしく、感動して夕日を見入っているハツとは反対に、塔の入り口を探していた。

静まり返った廊下の奥にある厳重に警備された部屋の隅に座っていたシャオロンは、物音に気付いて顔を上げた。
手のひら程の大きさしかない部屋の窓に見知った人物の気配がして、その顔が脳裏に浮かんだ。

「何しにきたの?」

金色の月が覗きこむ窓にそう声をかけると、窓に映った人間の影が止まった。

「・・・どういうつもりでここに居るの?」

部屋の外に居る兵士に気付かれないよう、視線を動かさずに訊ねたシャオロンに窓の向こうの相手は小さく息を吐いて答えた。

「…君はこのままでいいの?このまま、国を捨てていいの?」
「…だから何?助けに来たっていうわけ?他人に何がわかるの!?」

返って来たのは、強く叩きつけるように拒む言葉。
窓の外に居たリズウェルはゆっくりと瞬きをし、冷たい城壁に背中を預けた。

この牢は外部からの接触を徹底的に遮断する為に城の中でも一番高い塔の最上階に位置している。

当然、人間が外から簡単に上って来れるようには出来ていないが、もともと身軽でこういった事に慣れていた彼には大した事ではなかった。

ふぅ、と溜息を付けば、谷に吹き付ける冷たい風が髪を揺らした。

「・・・もう知ってると思うけど、僕達に君を殺すように依頼したのはフェイロンだ」
「知ってる。そんなの・・・知ってるよ……」

だから、もう放っといてよ。
そう呟いたシャオロンの声はリズに聞えていたのかはわからない。
窓の外、夜空を見つめていたリズは何の感情も浮かべていない顔を俯かせると窓からシャオロンを覗き込み、ぽつりと呟いた。

「君はそんなに弱かったの?」

「ッ!!!」

静かに胸を抉るその言葉に、シャオロンは弾かれたように顔を上げて激昂した。

「そうだよ!だから何!?僕はもう王なんかじゃない!!もうどうする事も出来ないじゃない!!何が言いたいのさ!?その口で言ってみなよ!!!」
「……」

掴みかかろうと立ち上がったシャオロンを無言で見つめていたリズは、その感情の篭っていない表情を変える事なく、言葉の剣を胸に突き立てた。

「こんな事になるのなら、あの時僕が殺してあげればよかった……」

「何それ!どこまで人を馬鹿にしたら気が済むの!?いい加減にその口を閉じないと、今度は僕がお前を…!!」

「大人しくしろ!何を一人で喋っている!?」
「うぐっ…!」

そう言いかけた所で、騒ぎを聞きつけた兵士に取り押さえられたシャオロンは床に押し付けられて呻いた。
目の前が真っ赤に染まり、暴れ出しそうになる衝動を必死に理性で抑え込んだ。

「もう…もう、僕に出来る事は何もないんだよ…期待なんかしたって…何も出来ない・・・・・・」

何もないんだよ…。
と、今にも消え入りそうな声でそう呟いたシャオロンが窓に視線を移した時には、そこにはもう誰もいなかった。

塔の外壁を伝って降りて行きながら、リズウェルは盛大な溜息をついた。

「…言えって言ったり、口を閉じろって言ったり、よくわからない」

リズにとっては自分の思った事を口にしただけで、あくまで親切のつもりだったのだがどうして相手があんなにも怒ってしまったのか全く理解できないでいた。

と、その時、自分と同じように塔の外壁を上ろうとしている人物の姿が目に入った。
もっとも、あっちはしがみ付いているだけで、一向に進めていないのだが…。

暗闇の中にかすかに浮かぶ人物は、白目をむいて震えているジークだった。

「ジーク。何してるの?」

するするとジークの傍まで降りて来たリズは、不審者を見るような目をして訊ねた。
対してジークは、軽い身のこなしで足場一つない塔を降りて来たリズを見て驚いていたが、すぐに表情を引き締めて「しっ!」と言った。

「静かに!思いっきり見つかって、ここにしがみ付いてやり過ごしてるんだよ…!」
「やり過ごす…って……」

そう言って、何気なく下を見たリズはそのまま口を閉じた。
ここは、地上から数メートルといった所でジークの足元には松明を掲げた兵士達が集まって来ていた。
強引に追ってこないのはこのままジークが落ちてくるのを待っているのだろう。

「…ジーク。皆、下で君の事を待ってるよ。丁重に迎えてくれると思う」

あまりのアホさにリズはジークから目を逸らした。

「だから!静かにしてくれ!!」
「僕は大きな声で話してない」

至って大真面目に城壁にしがみ付いているジークの姿はまるでゴ〇ブリのようだな、とリズは正直に思った。
真顔で辛辣に返すリズは最後に会った時と随分印象が変わったな…と思いつつも、ストレートに聞くのも気が引けたジークは苦笑いを浮かべた。

「あ…あれ?そういう奴だっけ?お前、なんかもうちょっと大人しくてこう…繊細で……」
「そんな事より、この上にシャオロンが居るよ。僕は怒らせたけど」

ジークの気遣いを『そんな事』、と流したリズは服のポケットから大量の鍵束を取り出し、ジークのジャケットのポケットに突っ込んで言った。

「それと、その隣にお姫様もいる」
「え?」

ん!?とジークは耳を疑った。

「え!?もしかして、俺に一人で行けって?」

白目をむいて聞き返したジークは、俺は壁上りなんて出来ない一般人なんですけど!と言いたいのを飲み込んだ。

「二人は明日の朝、処刑台にあげられる事になる。それまでがリミットだよ」

それだけ言うと、リズは下から放たれた矢を避けて城壁から手を放した。

「じゃあ、頑張って」

ずっと変わらない無表情でそう言ったリズはジークに向けて右手の親指を立ててそのまま落ちて行った。

間もなく、ジークの足元で兵達の騒ぐ声が上がり状況に置いてけぼりなジークは足を踏み外しそうになってハッと我に返った。

「え…え?え!!?」

誰に言うでもなく、ひたすらに聞き返しながら塔の城壁をよじ登り始めた。
リズがどうなったか…というか、そもそも下を見る余裕なんてなかった。

ポケットの中の鍵がジャラジャラと擦れ合う音だけが、ジークのやるべき事を教えてくれていた。



(後編へ続く)

第八章『Lord of the Dragons』後編

「何か、急に騒がしくなったさ」

真っ暗な城の中を隠れながら進んでいたハツは、兵士達の足音と気配に気付いて大きな壺に身を隠した。
正面の壺にはレイズウェルが隠れている。

「あ?どういう事だ?」

そう言ったレイズウェルが怪訝な表情で聞き返した時、足音と鎧の擦れる音がして口を閉じた。

「急げ!別塔の下で子供の魔法使いが暴れている!!!」

龍人の兵士達は、そう言いながら、慌ただしく走って行った。

「……魔法使いねぇ」

やり過ごした後、のっそりと壺から顔を出したレイズウェルは、辺りを見渡し壺から出て壁に右手をついた。

「まさか二人いるとは思わんだろう」
「おうおう、何する気さよ!?」

同じく壺から出て来たハツに、レイズウェルは悪戯をする時のような笑みを浮かべて答えた。

「こうするんだよッ!」

そう言った刹那、レイズウェルの触れていた壁が大きな音を立てながら吹っ飛んだ。
次いで窓ガラスが激しい音を立てて飛び散る。
これにはさすがのハツも驚いて顔が引きつった。

「お前、何してるさー!こんな所で見つかったら……!!」
「おい!何をしている!!」

そして音を聞きつけた龍人兵はすぐに集まって来た。

「来たさー!!」

狼狽するハツを尻目に、レイズウェルは余裕の表情で鼻唄を歌いながら、片っ端から魔力で城を破壊しながら走り出した。
龍を模した石造を派手にふっ飛ばし、右手の中指を立てて龍人達を挑発しながら高笑いする姿は悪人そのもの。

「ハッハーッ!ジャストミーット!!」
「こうなったら俺様もヤケクソさー!」

走りながら爆竹を取り出したハツは、走りながら後ろに投げ捨てた。

「よっしゃ、この調子で別塔の下に行くぜ!」
「ちょっと説明しろさ!どういう事なんさよ!?」

後ろで怯む龍人達の姿を一瞥したレイズウェルは、横に並んで走るハツに言った。

「今、騒いでるのは間違いなくリズだ。そんで、慎重なアイツがこういう事に出るっていう事は、他に目的がある。例えば…本来の目的から目をそらせたい、とかな」
「なるほ!陽動さ?」
「そういう事!」

活けてあった花瓶から花を引き抜いたレイズウェルは、ついでとばかりに、音を聞きつけて出て来た女性に手渡した。

「こんな時になにしてるさ……」
「どんな時でも女性は大切にするべきだぜ」

何でもないことのようにそう言ってのけたレイズウェルを、ハツはジト目で見ていた。
何と言うか、キザというかなんというか…。
というか、ハツに呆れられてしまうレイズウェルもよっぽどの変わり者だ。
ハツは半ば呆れつつも、弓を弾いて天井にぶら下がっていた燭台を落とした。

「…でも、本当にリズなんさ?もし違ったら……」
「わかるさ。俺達は双子だ」

そう言ったレイズウェルは、ガラスを突き破って外に出た。

「ぶぇえっきし!!」

その頃、勇気と根性で塔の壁をよじ登っていたジークは、盛大なくしゃみをして顔を上げた。

「うう…何でこんな無茶な事……」

とか言いながら、しっかりと手足を動かして掴める所を探すジーク。
無理だ無理だ、と言いながらもやる時はやるのだ。

心なしか、リズが起こした騒ぎが大きくなったような気がする。
だが、何度も言うがジークに周りを見ている余裕はない。

何としても、シャオロンとケイナを助けなければならないのだ。

「くっそぉ…!よい、っしょ!!」

もう少し、と心の中で自分に言い聞かせながら手を伸ばす。
あと一歩、という所で城と塔を結ぶ橋に辿り着きそうだ。という時、ジークが掴んでいた塔の壁が、ぼろりと崩れてしまった。

「!!!」

支えを失った体は、いとも簡単に反り、声を上げるまでもなく落ちて行く体はふわりと浮いた。
ジークは全身の毛穴が総毛立った。

ここから落ちれば、間違いなく助からない。
第一、命綱などしていないのだから、今迄落ちなかったことの方が奇跡だ。

彷徨う両手は宙を舞い、このまま落ちて行く…。

その刹那、間一髪でジークの腕を掴む手があった。
その相手が誰だろうと、無我夢中でその腕を掴み返したジークは、壁に足をついて気合で上り切った。

時間にすれば、ほんの数秒の間だったにも関わらず、とてつもない恐怖と安堵が入り混じった心を叱咤するように頭を振るったジークが顔を上げると、そこに居たのは、川辺でケイナを連れ戻そうとしたあの老人だった。

「…あ…!」

驚いて言葉が出ないジークを見下ろしていた老人は、眉一つ動かさず、付いて来いとばかりに近くの部屋に招き入れた。

「……」

それを不審に思いながらも、ジークは荒い息を整えるようにゆっくりと歩いていった。

ここは、倉庫のようで雑多な物が転がっている。
どうやら、ここは使用人等が利用する雑務部屋のようだ。

老人は、あちらこちら傷だらけでいるジークを不躾に見ると、静かに口を開いた。

「―…何故、人間である貴様等は…我が国の事柄に首を突っ込む?それにより、何の得があるという?」
「…得とか、そんなのじゃないです……」

顔を上げ、老人を正面から見たジークははっきりとした口調で言葉を返した。

「友達を知りたい…知って、何か力になれたとしたら、その為に力を貸すのは…変なのですか?」
「我らの…あの愚王を友と呼ぶか」
「シャオロンは愚かじゃありません」

そう言ったジークは、一瞬まずいと思い、老人の顔を窺ったが、彼は一層興味深そうにジークを見ていた。
てっきり、この場で叩き斬られてしまうものだと思っていたジークは、少し躊躇いながらも、続きを言った。

「シャオロンは、自分が龍人であり、人間と違う事を知っていました。それでも、俺達と同じように夢があって、一所懸命に悩んで…種族が違っても、何にも変わりません」
「…では、貴様は友に会う為だけに命を危険にさらしたという事か。そうまでする価値があったという事か…!?」

「だからこそ、姫であるケイナさんも、抗ったのだと思います」

問い詰めるような言葉に、ジークは強く頷いた。
老人は、見開いた目を伏せると、「なんと愚かな……」と嘆いた。

「ケイナ様は…反逆者を庇い、貴様等を連れて来た罪により…明日、処刑される事が決まった」
「え…でも、ケイナさんはフェイロンって奴の妹って…!?」
「民衆の中には、今の状態に反対している者も多くいる。だからこそ、みなの前で見せしめを行うと……」
「そんな…だって、ケイナさんは……」
「わしは、姫様が生まれた時からお仕えしていた。優しいあの方をお守りするのが役目であった…小僧よ」

驚いて言葉に詰まるジークを見据えたまま尚、老人は言葉を続けた。

「貴様がここに居る事は、儂以外は知らぬ。我々はこれより、城内を逃げ回る謎の襲撃者への迎撃に向かう」
「え?」
「警備が手薄になるが…くれぐれも、あの愚王を逃がそうなどという考えは起こすものではないぞ」
「あ…え…?」

困惑するジークを一瞥した老人は、唇の端を吊り上げて不敵に笑って言った。

「もうじき、夜が明ける…貴様の仲間が朝まで逃げ切れるかというのはわからんぞ」
「ちょ、ちょっと…それって……」

ようやく老人の意図がわかったジークが声をかけた時には、彼はジークを残したまま部屋を出て行った後だった…。

「……」

その場に立ち尽くしたジークは、何となくポケットに手を突っ込むと、鍵束を握りしめた。
もう、迷っている暇なんてないし、最初からそのつもりは毛頭ない。
千載一遇のチャンスを作ってくれたあの老人の顔が浮かぶ。

「…本当、あの爺さん……」

誰に言うでもなく呟いたジークは、深呼吸を一つすると、勢いよくドアを開けて走り出した。
目的の塔の上までは長い螺旋階段が続いている。
それを一段飛ばしに全力で駆け昇る。
息が持たない、心臓が痛い。
ついでに足が縺れて転びそうになりながらも、ジークは進み続けた。
必死に走りながら、祈ったのは一つ。

「まだ…!間に合ってくれ…!!」

朝が来れば、シャオロンもケイナも処刑されてしまう。
それだけは、それだけは何としても阻止しなければならない。
昨日からずっと動きっぱなしだったジークの身体はとうに限界を迎え、足は重いし頭はボーッとして働かない。
目だって霞んでいるし、なんだかわからないけれど涙だって出て来た。

それでも、諦めるという選択肢はない。

ようやく階段を上り切ったジークが二人が幽閉された塔へと辿り着いた時には、空は白ずんで来ていた。

「ケイナさん…!?シャオロン!?」

息を切らせながら手前にあったドアを叩けば、中から驚いたようなケイナの声が聞こえた。

「ジーク様…!?そんな…ここは厳重に警備されていたはず……どうしてここへ?」
「説明している時間はないんだ。今すぐここから逃げて……」

そう言いながら、ジークはポケットから鍵束を取り出し、手当たり次第に鍵穴に差し込んだ。
だが、どの鍵も合わずに時間ばかりが過ぎていく。

「クソォ!この鍵じゃないのかよ!!」

苛立ちを鍵へとぶつけながら、ジークはケイナの閉じ込められたドアを力任せに叩いた。

「ジーク様……」

ドア越しにケイナの泣きそうな声が聞こえた。

「私の事は良いのです。それよりも、シャオ兄様が近くの部屋に居るはずです。兄様を助けて下さい!」
「で、でも……」
「ジーク様、お早く!」

そう言ったケイナの悲痛な声に弾かれるように鍵束を握ったジークは、隣のドアの錠に手当たり次第に鍵を突っ込んだ。

「シャオロン!シャオロン…!!居るんだろう!?聞いてるんだろう!?」

何個目かの鍵をダメにしながらも、最後の一つを突っ込んだ時、部屋の中から静かな声が返ってきた。

「ジーク…?」
「シャオロン!今開けるから、待って!!」

懇願するように最後の一つを回してみると、引っかかっていた錠が軽い音を立てて開いた。

「開いた!」

さぁ、とドアを開けたジークの目の前には、床に座り込んだまま俯いたシャオロンの姿があった。
その目に光はなく、シャオロンはゆるゆると首を振るとぽつりと零した。

「帰って……」

「え…?なにを……」

ジークはシャオロンの言った言葉の意味が分からず、そう尋ね返すのがやっとだった。
シャオロンはジークの方を見ようともせず、小さな声で言った。

「僕は、ここから出ない」
「出ない…って、ここに居たら処刑されるんだぞ!早く、逃げよう!!」
「出ない」
「出よう!」
「出ない」

何度かそう繰り返した後、ジークはシャオロンの腕を強引に引っ張って立たせた。

「シャオロン!馬鹿な事言ってる場合じゃない!!圧政に苦しむ人達を助けられるのは、お前しかいないんだぞ!?放っておいていいのかよ!!」
「僕はッ!」

その刹那、顔を上げたシャオロンの鋭い眼光がジークに突き刺さった。
今にもジークを引き裂かんばかりに尖らせた威光は、シャオロンの心からの叫びにも見えた。

「僕は、所詮ケティル王のようにはなれないッ…!どうやったって、どうしようとしたって、なにをしたって…!僕には何も出来ない!!何も出来ないのならばせめて大人しく死んで、消えて、何もかもなかったようにしたいよ!!それの何が悪いの!?僕が生きている事で何が変わるの!?教えてよ、教えてよ!教えてよ!?ねぇ、ねぇっ!!」

勢いのままに捲し立てて、ジークの腕すら力ずくで捻じ曲げたシャオロンは、顔を引き攣らせて嗤った。

「…結局、ボクはどこにも溶け込めなかった…!人間の世界にも、龍の世界にも…!!もうどこにも行く所なんてないんだ…居場所がないのなら死ぬしかないじゃない!!」

今迄、心に溜めていたモノが一気に溢れ、揺れて、歪んだ表情を浮かべるシャオロンは、右手でジークの首を掴むと、そのまま持ち上げた。

「ジークだって、ボクが本当はこんなに臆病で、弱くて、情けなくて、どうしようもない奴だって知って幻滅したでしょう!?どうしてこんな事も出来ないのか、って、心の中で笑っているんでしょう!?だったら、どうしたらいいのか教えてよ!?君のその言葉で、本当の事を、教えてよ!!」

「くっ…!苦し…やめてく…れ!」
「あはっ!どう?ジーク、痛いでしょう?苦しいでしょう!?死にたくなかったら、今すぐこの谷から出て行ってよ…!!」

狂った獣の形相でジークを睨みつけたシャオロンの腕が、ジークの首に食い込んだ。
窒息しそうになるのを、何とかシャオロンの指と自分の首の間に両手を挟み込んで防ぎながら、ジークは呻いた。

「そん、な……」

「どうすればいいか、なんて言えないでしょう!?わからないでしょう!?所詮は、君はボクじゃないんだもの。好き勝手言って、そうしてキレイゴトばかりで生きていける程、世界は甘くないんてないんだよォ!!だったら死ぬしかないでしょ……」

頭を下げたシャオロンの表情はわからなかったが、声が震えて今にも泣きそうなのだとわかった。

「…でも……」

でも、と続けたシャオロンは、噛んで血が滲んだ唇をゆっくりと開いた。

「本当は…戦うのが…フェイロンを倒すのが正しいんだってわかってるんだ…でも!これ以上犠牲を出したくない、戦いたくない、怖いんだって言う自分もいるんだ……」

そう言って顔を上げたシャオロンを、正面から見ていたジークは言葉が出なかった。
助けを求めるような声が、顔が、脳裏に焼き付いた。

「ボクは…誰も傷つけたくない……」

そう言って、ゆっくりと顔を上げたシャオロンは、痛みを堪えるように涙を流しながら、けれど、今にも噛みついてきそうな程に険しい表情を浮かべ、混ざり合った二つの感情が剥き出しになっていた。

その姿は驚きや気味の悪さを通り越して、哀れとしかいいようのない姿だった。

―…こんなにも取り乱したシャオロンは見た事がなかった。
剥き出しになったシャオロンの心を目の当たりにしたジークは、床に下ろされた後も、何も言えなかった…。
そこにあったのは、自分の感情に振り回されて、個人と、王としての役目の間で必死になっているシャオロンの姿だった…。

「シャオロン……」
「…もう、行って…もう、来ないで。お願いだよ……」

再び、ジークから目を逸らしたシャオロンは、全てを拒んでドアを閉めた。

「…このまま諦めるなんて出来るかよ……」

固く閉じられたドアを前に項垂れていたジークは唇を噛んだまま、その場から離れて歩き始めた。

日は、完全に昇っていた。



長い夜が明け太陽の光が谷に差し込んだ。
教会の屋根で羽を休めていた鳥達は朝を告げる鐘の音で一斉に飛び立ち、住人達は国の中央にある広場に集まっていた。

今日は長い間、龍神の民を率いた王族ならびに招かれざる侵入者が処刑される日となっている。
中央広場をぐるりと囲むように集まった人ごみを檻の中から見ていたハツは、同じく投獄されている二人の仲間を横目に見た。

「おいよぉ…なんかヤバいことになってるさよ……」

人混みの中央…三人が捕まっている檻のすぐ隣にある壇上にはまるでスポットライトのような太陽の光を一身に浴びた死の断頭台が設置されていた。
ハツは皮肉だな、思った。

「ギロチン台なんて今時マジかよぉ…つか、だいたい、ジークのクソはまだかよ……」
「鍵は渡した。後は彼次第」

苛々と貧乏ゆすりをしながら溜息をついたレイズウェル。
その隣で、リズは断頭台を興味深げに眺めながら真顔で呟いた。

「…あれ、切れ味は大丈夫かな。一発で終わらせてくれないと、僕はひたすら痛いんだけど」
「あーあー心配スンナ。あれでちょんぱされりゃ、俺もお前もあっさりゴー・トゥー・ヘル。天国なんざ招かれねぇよ」

的外れな兄の話を軽く流したレイズウェルは舌打ちをするとまた溜息をついた。

「あの一般庶民野郎…何してやがんだ……」

「やっぱり、たったあれだけの時間じゃどうしようもなかったんさ…?」

ハツは深い溜息をつきながら頭を抱えた。

次第に日が昇って来た頃、一台の荷馬車が断頭台の前で停まった。
それに誰が乗っているのかという疑問を持つ者はほぼいないだろう。
やがて、注目を浴びながら馬車の荷台からゆっくりと降りて来たのは憔悴しきった顔のケイナと、魂が抜けたような目をしたシャオロンだった。

奴隷のように手枷をはめられている二人は、顔に袋を被った処刑人の待つ檀上へ上がるよう誘導され大人しく従っていた。

「シャオロン!ケイナちゃん!!」

驚いて二人の名前を呼んだハツ。
シャオロンはハツを一瞥したが、すぐ視線をそらした。
ケイナは檻の中に居る三人の方を向くと申し訳なさそうに瞳を伏せた。

ここにいる皆が姫である彼女と王であったシャオロンの事を見ている。
言いかえれば、ここにいる誰もが二人が死ぬ事を望んでいるのかも知れない。

「おい、シャオロン!返事しろさ!!」

格子を叩きながら呼びかけるハツの声は集まった民衆の声でかき消されて届かない。
皆の視線の先には壇上にて兵士に囲まれ正装したフェイロンの姿があった。

フェイロンは壇上から辺りを見渡し、誰もに聞こえるような大きな声を出した。

「これより、反逆者を擁護した罪および侵略者を我が国に入れた罪により、李 小龍及び朱 桂奈の処刑を執り行う!」

その声に民衆は明らかにざわつき、シャオロンとケイナの両サイドに処刑人が立つ。
フェイロンは妹であるケイナの顔を見て一つ訊ねた。

「最後に何か言いたいことはあるか?」
「いいえ…何もありません……」

俯いたまま兄の顔を見ようともせずにケイナはそう答えた。

「……」

そんな妹の姿にフェイロンは微かに眉を寄せると次にシャオロンの前で立ち止まった。
だが…何も言わずに通り過ぎていった。

二人が断頭台の前に連れていかれるのを黙って見ている事が出来ないハツは、無駄だとわかっていても格子をへし折ろうと何度も叩き叫んだ。

「やめろさー!しっかりしろさ…シャオロン!!!おめぇ、こんな所でさっさと諦めるような奴じゃねぇだろッ!!!」
「静かにしろ!!」

叫喚するハツを黙らせようと直ぐに罵声が浴びせられた。
だが、ハツは怯む事無く叫び、格子を叩き続ける。
シャオロンはそんなハツを見ると苦しそうに眉間に皺を寄せた。

「何とか言えさ…!シャオロン…ゲフっ!?」
「落ち着け!殴って出られるかよ!?」

格子の隙間から槍の柄で殴られたハツを支えたレイズウェルは、大きく舌打ちをすると喉が裂けんばかりの声で叫んだ。

「あんたら、本当にこれで良いって思ってるのかよ!?こいつが王様なんかになったら現状は悪化するんだぞ!それでもいいのかよ!?」

激しく強く問いかけるその声も虚しく、壇上を見つめる民衆は誰一人として答えてくれなかった。

「だんまりかよ…アンタら…自分の意志ってもんは…ねぇのかよ……」

強張った顔で首を落としたレイズウェルを横目にリズは呟いた。

「恐怖で頭が正常に働かなくなっているんだよ……」

民衆の視線が壇上に注がれる中フェイロンは口を開いた。

「…願わくば、これが最後の粛清であれ……」

静かに発せられたその声と同時に、シャオロンの首が断頭台に固定される。

「もうだめさ…なんなんさ…頭がパンクしそう……」

両手を地面について項垂れたハツは、諦めて目を閉じようとした。

その時。

「ちょっと待ったぁぁああ!!!!!!!」

という声と共に、どこからか現れた一頭の豚が民衆の間を強引にかき分けながら壇上へ駆けあがった。
が、止まり切れずに死刑執行人の脛に突っ込んで盛大に転んだ。

「なっ!?豚だと…!一体何故…!?」
「あ、あの、ちょ、すみませ、痛っ!すみません、ちょっと、通して、ちょっと……」

騒然とする民衆の間を押しつぶされそうになりながらもかき分けて進む一人の姿があった。

「何だありゃ…?」

怪訝な顔をするレイズウェルの隣で項垂れていたハツは目を見開き、顔を上げて誰に言うでもなく呟いた。

「…来た……!」

どんなに登場の仕方が地味だろうと、声が掻き消えそうになろうと、そのニオイが全てを教えてくれた。

「ジーク…!!」
「あ?お前、何言って……うおお!!」

最初はハツが何を言っているのかわからないでいたレイズウェルも人の波をかき分けて出て来たジークの姿に気付いて思わず立ち上がっていた。
ジークは三人が牢に入れられている事に気付いて頷き返すと、フェイロンの元へと走った。

「ジーク…どうして……」

信じられないような目で見つめるシャオロン。
ジークは得意気に口の端を吊り上げて見せたせフェイロンの眼を真っ直ぐに見ると、その場にいる全員の視線が集中する中、はっきりとした口調で言った。

「…あなたは、やり方を間違っている」
「なんだと…?」

ピクリ、とフェイロンのこめかみに筋が浮かんだ。
けれど、ジークは怯む事なく言葉を続ける。

「シャオロンは貴方と違って自分が国を追われたのだとわかっていても、俺達…人間と共存出来るように考えていつかきっと立派に父親の後を継ぐのだと言っていた。あの言葉に嘘なんかないと思うし、俺は必ず出来ると思う」

「何を…戦いに負け、民の心をも失い、女の様に家事をするしか能のない奴に国を率いる事など……」

「出来る!」

言いかけたフェイロンの言葉を遮ってそう言い切ったジークは、足元に寄って来ていた豚の尻を軽く叩いた。

「貴方は、一番大切な事を間違えている」

すると、豚はまた民衆をかき分け、道を作りながら戻ってきた。

その後ろには薄汚れてあちこち擦り切れた服を着た家族の姿があった。

「…なんのつもりだ……」

低く、威圧するフェイロンに畏縮していた一家だったが、やがて覚悟を決めたというように唇を固く引き結びその場で両手足を地面についた。

「…お、俺達は…龍王様に…助けられて…今、ここに居ます……お願いします。その方を殺さないで、下さい…。お、俺が代わりになります…だから、どうか…どうか…!!」

そう言った男は、妻と子供を守る様に両腕に抱えて頭を下げた。

「…あなた達は……」

呆然と事を見ていたシャオロンはあの日この国を出る時の事を思い出していた。
あの家族は谷で妻が産気づき、その時に通りがかったシャオロンが医者の所まで連れて行ってあげた夫婦だった。
その後、子供は無事に生まれ若い夫婦は何度もお礼を言って泣いていた。
その時の夫婦が今、自分の命を懸けて頭を下げてくれている。
全てを失って惨めに死を待つ自分の為に…。

ここへ戻ってきて、フェイロンとの戦いに負けて居場所を失って何もかもを失くしてしまったと思っていた。
そして、友達まで失くしかけていて……。

「僕は……」

虚ろに濁っていたシャオロンの瞳に一筋の光が差し込んだ。

「あ、あと一つだけ貴方に訂正して欲しい事がある!」

勇気を出してくれた家族を守るようにフェイロンの正面に立ったジークは右手の人差し指を突きつけた。

「…言ってみろ…次の瞬間、貴様の首が飛ぶぞ」

表面上は平静を装っていてもここまで恥をかかされたフェイロンの腹の中は穏やかではない。
現に、彼の手は腰に指した剣の柄に添えられており、ジークの周りにはいつの間にか槍が突きつけられていた。

「…何やってんだよ!ジーク……」

牢の格子を握りしめたレイズウェルは焦りと苛立ちが混じった息を吐いた。
少しでも動けば、いや、口を開けば首が飛ぶ…。
そんな状況の中、ジークは深呼吸を一つすると曇りのない笑みを浮かべ、胸を張って言い切った。

「アンタは、シャオロンから何も奪えていない…!人の心も、想いも…!!」

「貴様ッ!人間風情がッ!!」

その刹那、激昂したフェイロンの凶刃がジークへと向かう。

「反逆者共々、殺せ!」
「うわぁ!?」

薙ぎ払われた一撃をギリギリ避けたジークだったが、背後に居た家族を狙う槍兵に気付いて一瞬反応が遅れてしまった。
そこへフェイロンの剣が振り下ろされる。

「ジーク!!」
「マジかよ!?」

ハツとレイズウェルの悲鳴混じりの声が混ざり辺りは騒然とする。

ジークの首が飛ぶ…!

誰もがそう思った。

だが、フェイロンの剣がジークの首を跳ね飛ばすよりも先に、それは金属音を立てて落ちた。

場の空気が一気に静まりかえる。

「…!」

ジークは両手で頭を庇ったまま恐る恐る顔を上げ、顔を綻ばせた。

「…フェイロン」

その場にいる全ての視線を浴びながらシャオロンは自らの蹴りで傷つけたフェイロンを心配するように目を伏せた。

「もう、やめようよ……」
「シャオロン…負け犬が一人で今更何を言う…!俺とお前の道はとうに分かれているのがわからないか!?」

蹴りつけられた右手を庇いながら、フェイロンは両手を繋がれたままのシャオロンを嘲笑った。

「…一人だって…構わない」

苦悶の表情でそんな言葉に応えるように瞼を上げたシャオロンは、黄金色の瞳を細め凛とした声で告げた。

「僕はもう迷わないよ。君がこの国を想ってこうしたように、僕は僕の全てを賭けて君を―……」

必ず止めて見せる…!

それは、はっきりとした決別の言葉。
フェイロンは目を見開いたまま何かを言おうと口を動かしたが、言葉は音にならなかった。
だが、その顔には笑みが浮かんでいる。

勇気を出してくれた家族と協力して兵士を追い払ったジークはナイフをしまい、耳が痛くなりそうな静寂の中拍手をした。
最初は一人。
けれども、それは徐々に広がって行き、その音はいつしか全体へ広がっていった。

「龍王さまー!!」
「よく戻ってきた!」
「この国の姿取り戻してくれ!!」

あちらこちらから聞こえる自分を呼ぶ声にシャオロンは驚きのあまり挙動不審になって辺りを見回し、フェイロンは何も言わず兵を連れてその場を後にした。

今までどれだけシャオロンが慕われていたのか、わざわざ言葉に出さなくても見ればわかることだった。
沢山の歓声の中シャオロンの周りには人々が集まり、たちまち身動きが取れなくなってしまった。

「やっぱ、恐怖で支配されていただけじゃ誰も本当の意味で付いてこねーさな」
「ああ……」

その様子を微笑ましげに見ていたハツに、レイズウェルは頷いた。

「ジーク」

歓声と人ごみに流されるがままになっていたジークの傍にやって来たシャオロンはいつもに増してぼろぼろで、けれどとても幸せそうに微笑んで言った。

「ありがとう……!」

朝の光を映した金色の瞳にはうっすらと涙が盛り上がっており、シャオロンは微笑んだまま涙が零れ落ちるのを堪えて言った。

「僕の居場所…取り戻してくれて……」
「何も。俺は何もしてないさ」

ジークはゆるりと首を振り、両手を上げて声高々に言った。

「お前は最初から何も失ってなかったんだよ。ただ、少し見えなくなっていただけ。それだけなんだ」

そう言って屈託なく笑うジークにつられてシャオロンも太陽のような笑みを返した。

「あ、そうだ!あいつらの事、忘れてた!」

そこでようやく三人の事を思い出したジークは慌てて牢屋に向かっていった。

「………」

その背中を見送りながらシャオロンは両手を左右に引くと、手錠は飴細工のように割れて落ちた。

「…フェイロン……」

シャオロンは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。

ふと後ろを振り向くと、そこには世話役として仕えている老兵に連れられたケイナの姿があった。
ケイナはシャオロンに気付くと老兵に手を引かれてシャオロンの傍まで歩み寄った。

「シャオ兄様…!私、私……」

伝えたい事がうまく言葉にならなくて大きな瞳から涙を零したケイナは、それ以上は何も言わずシャオロンの胸に飛び込んだ。

「…うん…ごめんね…辛い思いをさせて……」

そう言って、彼女のか細い体を抱き締めたシャオロンはケイナに仕えて来た老兵に微笑みかけた。

「アレン…貴方も…苦労をかけた……」

「龍王様…この老いぼれにはもったいなきお言葉……」

幼い頃からケイナと自分達を見守ってくれた祖父のような老人にシャオロンは心から感謝していた。
フェイロンの暴虐がこの程度で収まっていたのも、ケイナが自由に動けたのも、彼がいたからだと言える。
それ程までにフェイロンは争いごとを好み、ケイナはおてんばが過ぎる。

「アレン」

そんな恩人であり祖父の代わりをしてくれた老兵に、シャオロンは城を見上げて言った。

「僕は、フェイロンを殺さずに止めるよ……」

その強い光を宿す横顔に老兵アレンは頷き返した。

「…御武運を……」

龍神の谷に夜の帳が下り、活気を取り戻した街の食堂にて。
ひとまず休養を取る事にしたジークは、目の前に広がる光景に開いた口が塞がらなかった。

一体こんなに沢山の食材をどこに隠していたという程、物凄いボリュームのごちそうが並んでいる。

貸し切り状態の食堂にはジーク達しかおらず、昨日とはうって変って窓の外からは賑やかな人の声が聞こえる。

それだけ国の人がシャオロンが戻ってくるのを待っていたという事だろう。
ジークが料理の種類とテーブルを埋め尽くすほどの量に目が釘付けになっていると、追加で湯気の上がる鍋を持って来た【料理長シャオロン】と目が合った。

「どうしたの?ジーク。遠慮せず食べなよ」
「あ…うん」

気遣うシャオロンの声で我に返ったジークは、目の前に置かれた魚の煮付けに手を付けた。
昨日までの惨状を考えれば、この食糧だって貴重なものだ。
ましてや、部外者である人間の自分達が食べてもいいものなのかと悩んでいると、ジークの心情を察したシャオロンが言った。

「城の食糧庫を開放したんだ。他の国民にも分け与えてこれだけ残ったんだから、遠慮はいらないんだよ」

全く、こんなに貯め込んでー。と続けて頬を膨らませて見せたシャオロンは、「ね?」と続けた。

「そうなのか…じゃあ、改めて頂きます」

国の人達に分けた後に残ったものならば、とジークは安心して料理を食べ始めた。

そこへ、骨付き肉を豪快に噛み切ったハツがテーブルに身を乗り出し、シャオロンへ骨を突きつけて言った。

「しっかし!俺様達、こんなのん気に飯なんか食ってて大丈夫さー?フェイロンの奴が攻めて来たりしたらどうするさよ」

「大丈夫、フェイロンはそんな奴じゃないよ」

苦笑い混じりにそう答えたシャオロンに、ハツは肉を掴んだまま椅子に座りなおし、豪快に笑って言った。

「そっか、じゃあしっかり食うさ!!」

いつも通りのハツを横目に、ジークは手前のシチューをシャオロンに寄せた。

「そうだぞ!ほら、これ食べなよ」

「…うん、そうだね……」

そんな二人の言葉に何度も頷いたシャオロンは、顔を上げるとテーブルの端で部外者面をしている双子に声をかけた。

「リズも、レイズウェル…君?もありがとうね…いっぱい食べてよ」

「!?」

てっきり『帰って★』とか言われるんだろう…と思っていたレイズウェルは、驚いて顔をあげた。

屈託なく笑ったシャオロンは、料理を二人の前へ取り分けて話を続ける。

「でも、また二人に会えるとは思わなかったな~。こんな形っていうのが残念だったケド……」
「…別に」

いつもの明るいシャオロンの顔を見たリズは、表情のない…でもどこか安心したような顔でもくもくと食べ始めた。

それにより、ジーク達の視線はレイズウェルに集中する。

「…は?」

こういう事に慣れていない元貴族は一瞬の硬直後、火が着いたように赤くなった。

「え…と……」

何と答えたらいいかわからず、食べる事に集中するリズに視線で助けを求めるも、目も合わせて貰えなかった。

「…ゴホンっ!」

結果、わざとらしい咳払いで間を誤魔化す。
そして、腕を組み鼻で笑った。

「べ、別に、俺達はある人に頼まれてここにいるだけで、お前らの為なんかじゃないんだからな!っていうか、こんな庶民の飯なんか食えるか!!」

そう言ってしまった後にハッと我に返ったレイズウェルは、シャオロンの顔色を伺った。
いつも、素直じゃない言葉が考えるよりも先に口をついて出てしまっている。

けれど、ジークもハツも、シャオロンも全く気にしていなかった。

「お前、ことごとく貴族のイメージを壊していくよな~……」
「こんなにゴチソーが庶民の飯なら、犬の餌しか食うもんないさよ」
「ちょ、ちょっと、ジークもハツも、そこまで言わなくても……」

「なっ!?」

予想と違う反応に驚きつつも、出て来る言葉は……。

「…まぁ、お前らが、どーしても!っていうのなら、食ってやらん事もないぞ」

これもあの三人ならきっと気にしないでいてくれるだろう。
そう思って、また三人の顔を見た。

だが、間髪入れずにシャオロンの明るい声が飛んできた。

「あはっ!無理しなくていいよぉ。僕らで食べちゃうから!」

「え……」

まさかの展開。

レイズウェルは表情を変えずに青ざめた。
にこにこと笑うシャオロンのこめかみは、ヒクヒクと痙攣して怒っているのは一目瞭然。

「……」

せっかく取り分けてもらえた皿が、次々と戻って行くさまを見ていたレイズウェルは、プライドが邪魔して何も言えない。

ぐぅ~。

「あ、……」

それでも、態度とは裏腹に腹の虫は空腹だと鳴いた。

「本当、アホみたいに素直じゃないなぁ……」
「うるさいっ!」

半ば呆れて、再び料理を取り分けたジーク。
結局素直にはなれなかったが、レイズウェルは無事料理を完食したのだった。

宴が終わり静寂が街を包み込む頃、テーブルに突っ伏して眠っている皆を起こさないように席を立ったシャオロンは、外に出ようとドアに手をかけた所で声をかけられた。

「決着を…つけに行くの?」

それは、シャオロンの心の中を見透かしたような言葉だった。

「起きてたんだ……」
「……」

いつの間にか起きていたリズは、寝ている三人を起こさないように席を立ちシャオロンの方へ歩み寄りながら少しずつ口を開いた。

「…フェイロンは、君を殺すように依頼してきた張本人だよ」
「わかってる」

低く呟いたシャオロンは軽く唇を噛む。

「フェイロンを殺さずにどうやってこの戦いを終わらせるの?」
「何が言いたいの?」

淡々と一番不安な所を突かれ、シャオロンの声に苛立ちが滲む。

「君は…優しすぎて殺せない…だから…君が依頼するなら、今すぐ僕がフェイロンの首を落とす…それで戦いが終わる。…それじゃあ、ダメ?」

その真っ直ぐな視線を背に感じたシャオロンは口元を緩めた。

「…ありがとう。でも、それじゃダメなんだ。これは僕自身が決着を付けなくちゃ……」

瞳を伏せ、振り返ったシャオロンは、ゆっくりと瞼を上げ、にこりと笑って見せた。

「僕は、この国の人の命と希望を背負ってるんだから…!」

晴れやかなシャオロンの顔には、もう迷いはない。

「結果がどうなるのかわからない。それでも……」

無意識にだろう、シャオロンの両の拳は固く握られている。

「だからこそ、全力で僕が止める」

そう告げる顔つきは言葉と裏腹に、どこまでも穏やかなものだった。

「…そう…待ってるよ」

本当は、もう少し言いたいことがあったけれど、リズは言葉を飲み込んだ。
うん、と頷いたシャオロンは、思い出したように付け加えた。

「じゃあ、全部が終わったら、また会おうね。危ないから、付いてきちゃだめだよ」
「……」

何も言わずに出て行くシャオロンを出迎えたのは、武装した兵士の軍勢とそれを率いる老齢の騎士だった。
今は頑強な鎧に身を包んだ彼は昨晩、城壁から落ちそうになったジークを助けて潜入の手引きをしてくれたあの老人だ。

リズは彼らの元へ向かう、さっきよりもたくましくなった背中を見送ると、そっとドアを閉めた。

老齢の騎士は、シャオロンへ軽く一礼をすると静かに話し始めた。

「姫は安全な所に匿っております。それと、やはり城内にはまだフェイロンを支持する者もおります故、これだけの人数しか集められなかった事を、深くお詫び致します……」
「よい」

自分を信じて集まった兵達の顔を見ていたシャオロンは、老騎士の手から受け取った外套を羽織ると、金色に輝く瞳を彼らに向け、凛とした口調で言った。

「勇敢なる龍神の子らよ、よくぞ集まってくれた。そなた達の勝利は、同胞を滅ぼす事ではない…!!」

青黒い夜の色を照らす月の光が降り注ぎ、張り詰めた空気を引き裂くようにシャオロンの声が響いた。

「必ず、生きて、愛する者の元へ戻る事である!!!」

心の底から勇気を奮い立たせる強い言葉。
それは、不思議な事にリズの胸にも響いていた。

シャオロンが行ってしまった後振り返ると、寝ていたと思っていた三人も言葉を聞いていた。

「…生きて…戻る……」
「やっぱアイツ、マジな王様なんだな…普通にカッコよかったくね?」

「なんていうか…王様っていたんだな…ハツ」
「ぐおー…俺様はバクスイ中さーもう食えネェさー」

「どういう寝言だよッ!」

などと、四人がシャオロンの決意の言葉の余韻に浸っていると、外からゆっくりとドアが開かれた。

「―…君は…!」
「ジーク様、至急ここを出る準備をしてください。皆様の武器はここに」

抑揚のない声でそう言って辺りを注意深く見渡しながら入って来たのは、長い黒髪を高く結い上げ銀の甲冑を身にまとったケイナだった。

彼女は抱えていた武器をテーブルの上に置いた。

ハツとレイズウェルは目を丸くした。

「あ!俺様の弓矢!?」

「俺の杖もあるじゃねぇの」

「ケ…ケイナさん…!?どうしてここに……」

驚いて目を見開いているジークにケイナはゆるく首を振ると、持っていた弓矢を掲げて見せた。

「私は、シャオロン様の元へ参ります。例え、どのような結果になったとしてもこの目で見届けたいのです」

ジークはその勇ましいケイナの姿に驚きながらも、気になっていた事を聞こうとした。

「ケイナさん…もし、もしその結果が……」

それとほぼ同時に、ケイナを探している女性の声が聞こえた。

「姫様ーっ!ケイナ姫様、どこにいるのですか!?」

やがてその声はジーク達の居る食堂の前を通り過ぎ、遠ざかっていった。

「…やっぱり、抜け出して来たんだ」
「はい」

少し呆れたようにジークが肩を竦めると、ケイナは満面の笑みを浮かべていた。

「確かに、城に行っても私はなにもできません。この目では足手まといになります」

そう言ったケイナは、自身の右目を撫でた。

「……」
「でも、ここまで来て置いてけぼりだなんて、酷過ぎますよね」

そう言って、彼女は困ったように笑った。

「……うん」

彼女の濁りのないキラキラとした瞳を見ていたジークは頷いた。

「では、行きましょう。もたもたしていると私が見つかってしまいます!」

確かに…、と苦笑いを返したジークにケイナもまた微笑み返した。


明かりを灯していない王の間に、二人の龍王が対峙する。

ー…話は少し前に遡り。

背後から振り下ろされた刃を躱し敵の手から武器を蹴り飛ばしたシャオロンは、次々と襲い掛かってくる龍人兵をいなして深く息を吐いた。

「僕は君達と争いたくない!お願いだから、ここを通して!」

周りを囲む敵龍人兵の一人が槍を向けて叫ぶ。

「国を捨てた愚王の分際で今更きれいごとを言うな!」

フェイロンを崇拝する彼らには、シャオロンの必死な想いは届かない。

「お前を殺せばフェイロン様は王になれる!あの方の作る世界こそが我らの求める最高の未来!!」

強く言い放った龍人兵はシャオロンに向かって斬りかかり、避けなかったその鼻先に刃が掠めた。

「お前さえいなければ…!」
「……ッ」

憎しみに満ちた真っ直ぐな目が、言葉が、容赦なくシャオロンの胸に突き刺さる。

「所詮は腰抜けの王族に期待をした事などないわ!」

容赦なく向けられる侮蔑と嘲笑。

「僕は……ッ」

何か言い返そうにも、彼等が納得してくれそうな言葉が思いつかなかったシャオロンは視線を落とした。

だが、その重い空気をぶち破ったのは、辺りに響き渡る怒号だった。

「己の仕えるべき主を裏切った貴様らが戯言を抜かすなッ!!!」

息も荒く激昂した老騎士アレンは、地面に下ろしていたモーニングスターを担ぎシャオロンの前に出た。

「龍王様、ここは我々にお任せ下さい。貴方は、フェイロンの元へ」
「アレン……」

シャオロンを慕う老騎士アレンと兵士達は、任せてくれというように武器を取った。

「皆……」

一瞬だけシャオロンは躊躇ったがすぐに表情を引き締める。

「ありがとう!」
「突破口は、この私が開きましょうぞ!!」

己の身の丈程もあるモーニングスターを軽々と操り、立ちふさがる敵兵を次々と退けていくアレン。
味方の健闘を横目に、シャオロンは後の事は任せて勢い良く地面を蹴った。

人の気配がしない通路を真っ直ぐ進み、辿り着いたのは固く閉ざされた扉の前。
この先に広がる王の間は、シャオロンとフェイロンにとって思い出深い場所だ。

ほんの数か月前。
先代の王が亡くなってすぐに王座に就いたシャオロンの前に跪いたフェイロンは、一つの約束した。
あの時のフェイロンが、まさか裏切って国を支配するとは夢にも思っていなかった。

「……」

その時の事を思い出し、シャオロンは深い溜息をついた。
今更こんな事を思い出して何になるのだろう。
脳裏に纏わりついた懐かしい記憶を振り払うように首を振ると、目の前の重い扉に両手を掛けた。

ゆっくりと軋んだ音を立てて扉は両側へ開き、シャオロンは実に二か月ぶりにこの部屋へ足を踏み入れた。
窓から差し込む青白い月の光が正面奥にある龍の紋章と、それをかたどる装飾を照らし重い雰囲気をより際立たせる。

いつも肩にのしかかっていた王の肩書と、周りを囲む息苦しさ。
一歩進む度に、ここでの苦い記憶が蘇り心は平常心を擦り減らしていく。

―…それでも…ここで退くわけにはいかない。

「来たよ。フェイロン……」

シャオロンは俯きそうになった顔を上げ、反逆者となった従兄弟の名前を呼んだ。

「…遅かったじゃないか」

腕を胸の前でゆるく組んでいたフェイロンは、待ちくたびれたというように気だるげに溜息をついて玉座から立ち上がった。

「お前の事だから、あの後すぐには追って来ないとは思っていたが…やはり人間の肩を持つのだな」
「違うよ!」

じ、と軽蔑するような視線を向けるフェイロンに、シャオロンは声を荒げて否定した。

「人間の肩を持つとか、そういう事じゃないよ。皆は僕の友達なんだから…それにフェイロン!もう昔の事を言うのはやめようよ。僕は学校で人間達を見て来たけど、僕達が昔から話を聞いていた程人間は野蛮じゃないし、話もわかる。だから、もう昔の事は……ッ!?」

そう言いかけたシャオロンの胸ぐらを激しく掴んだフェイロンは、怒りで顔を歪め激昂した。

「水に流せというのか!?俺達の先祖がこんな過酷な環境に逃げ込む原因を作った人間を許し、理解しろと…こともあろうに王であるお前がそれを口にするのかッ!?」
「フェイロ……」
「では、民は!人間に親を殺された者はどうだ!?どうしたらいい!?このまま死ぬまで悲しみを堪えて生きていけというのか!?俺達王族が…それを耐えろと口にするのか…?そんな……」

視線を逸らさずにそう言ったフェイロンの言葉の最後は掠れていた。
人間に親を殺され、心に傷を負ったまま生きている民が沢山いる事はシャオロンも知っている。
フェイロンの言っている事もわかる。
だからといって、ここで彼に同調して頷くわけにはいかない。

シャオロンは胸ぐらを掴んでいたフェイロンの腕を握り、彼の方へ押し返しながら声をしぼり出した。

「…君の言う事もわかる…。でも、また人間との間に戦争を起こして何が残るっていうの?そんな事をしても亡くなった人は帰って来ない…!」

力を入れているにも関わらず、押し返される右腕にフェイロンは眉を顰めた。
フェイロンの腕を払い退けたシャオロンは、悲しげに目を細めて言葉を続けた。

「もっと沢山の人が大切なものを奪われるだけだよ…そんなの…誰も望んでない……」

そう言って目を伏せたシャオロンの言葉で、フェイロンは激しい剣幕で詰め寄った。

「…お前も先王と同じ事を言う!俺達は一生この狭い谷で隠れて住まなくちゃならないのか?谷を出て自由に暮らす為には人間が邪魔なのだとどうしてわからない!!」
「わからないのは君だよ!!そうやって争いを増やして何になるっていうの!?」
「だが戦わなければ俺達はずっとこのままだ!」

そこまで言いかけたフェイロンは険しく吊り上げた瞳を伏せ深く呼吸をしてまた目を上げた。

「…これ以上、話しても無駄のようだな」
「フェイロン……」

月の光が二人の顔を照らしていく。

「シャオロン」

そう呼んだフェイロンの瞳が、赤く燃えるマグマの色に染まっていく。

「覚えてるか?俺達が初めて龍体になれた時も、こんな綺麗な月夜だった」
「…忘れるわけないよ……」

シャオロンは真っ向から金色の瞳を向ける。
怒りや激しい興奮状態になると瞳の色が変わるのは龍神族特有のものだ。

「もちろん、あの約束の事も……」

シャオロンは自分の胸に手をあてて独り言を零した。

どこまでも続く青い空の下。
鮮やかな緑が生い茂る草原を楽しそうに駆け回っていた三人の子供達は疲れてその場に寝転んだ。

仰向けになった三人の眼には流れていく白い雲と濁りのない真っ直ぐな青空が映っている。

「はー今日もいい天気だなー」

その中でも一番年上の男の子が言った。

「本当だねー」

隣に寝そべっている小柄な男の子がのんびりとした口調で言う。
二人の間に入って寝ていた女の子が、思い出したように声をあげた。

「そうだ!お兄さまたち。私、お菓子を作ってまいりましたの」

そう言って持っていた小さなポシェットから取り出したのは、何かを包んだ大きな葉だった。
女の子はそれを開いて丸いお饅頭を一つずつ、男の子たちに渡した。

「お菓子!ケイナちゃん、ありがとう!」
「うまい」

無邪気にはしゃぎながらお饅頭を頬張る男の子と、黙々と食べる年上の男の子。
女の子はそんな二人にかわいらしく笑いかけると、自分も饅頭を食べ始めた。

「ねぇねぇ、これってどうやって作ったの?ボクも作れるようになりたい!」

饅頭の最後の一口を食べ切った小柄な男の子は訊ねた。
女の子は少し困ったように眉を下げると、代わりに年上の男の子が口を開いた。

「お菓子なんか作ったりしたら、また王様に叱られるぞ!台所は女の仕事なんだ。王子がやることじゃない」
「わかってるよぉ…でもボク…戦う練習じゃなくてごはんの練習の方が楽しいんだ」

ぷくっと頬を膨らませた小柄な男の子は、「嫌なものはいやだもん」と続けた。

「まったく…しかたないな」

年上の男の子は、ふぅ…と子供に似合わない溜息をついた。

「おまえが王様になったら、おれ達が支えてやるから。心配するな」
「そうですわ。わたくしとフェイロンお兄さまがいますわ!」

満面の笑みを浮かべた女の子も話しにかたった。
目を丸くして二人の顔を見ていたシャオロンは、嬉しそうに何度も頷いた。

「えへへ、うん。ぜったい、ぜったいだよ!」

心の底から笑いあえた遠い昔の記憶…。

いつまでもこんな日が続いて行けばいいと思っていた。
そうすれば…そうであれば、こんな悲劇は生まれなかったのに……。

ジーク達が城に辿り着いた時、そこは壮絶な戦場と化していた。
痛みに呻き助けを求める声がそこら中に聞こえ、耳を塞ぎたくなるような喧騒と悲鳴が辺りを支配していた。

ケイナはそんな兵士達を目の当たりにしてもなお気丈に振舞い、ジーク達を連れて城内へと走った。

「酷いな……」

そう呟いたジークは初めて見るおぞましい光景に足が震えて止まらなかった。
それを叱咤しながらケイナの後ろ姿を追う。

「皆様、こちらへ!早く!!」

ケイナに促されるまま階段を駆け上がっている途中、恐ろしい龍の咆哮が響いたと同時に大きな揺れがジーク達を襲った。

「ッ!」
「きゃぁあ!?」

ジークは咄嗟に、転びそうになったケイナを支え後ろに続いていた仲間を振り返った。

「皆、大丈夫か!?」
「おう…なんとかな」

そう答えたレイズウェルだが少し頭を打ったようでこめかみから血が垂れていた。

「血が出てるじゃないか…!」
「問題ねぇ!さっさと行きやがれ!!」

レイズウェルは心配したジークの手を払って血を乱暴に拭った。

「マジで何が起こってるんさ…?」

ハツはレイズウェルに手早く応急手当をすると訊ねた。
ケイナは四人を正面から見つめ返し、涙が盛り上がった瞳を見開いて言った。

「行きましょう…ここを上がれば主塔の上…外に出られます…!」

彼女のその全てを覚悟したような姿にジークは唇を軽く噛んだ。
『こうなる事』をケイナは最初からわかっていたのだ。
自分が兄を手にかけると言った時から…いや、フェイロンが王座を奪い取った時から。

「…行こう」

足早に先に進むケイナに続いて、ジークも仲間を一瞥して歩き始めた。

ようやく階段を上り切り、重い扉を開けた先には月光を受け煌々と輝く鐘楼と薄明かりで照らされた場所が広がっていた。
扉に吹き込む風を押し切って外へ出たジークは、半壊した城のバルコニーから一頭の龍が飛び立つのを見た。
暗くてよく見えなかったけれど、その龍は金色の目をかすかに細めると白い体躯から生えた翼を力強く羽ばたかせて行った。

「…ここで見届けましょう」

消え入りそうな声でケイナはそう言った。
いつしか周りの音も静かになり、風の音だけが聞こえていた。

「…うん」

ジークは彼女の隣に並ぶと空を見上げた。


―昔からそうだった。
従兄弟のフェイロンはいつだって絶対に卑怯な事はせず、自分の進む先に居ていつも追いつくまで待っていた。
暗闇に混じって向かい合う二頭の龍は同程度の大きさで、白龍に変身したシャオロンは懇願するような目でフェイロンを見た。

「フェイロン…目を覚まして。今ならきっと戻れるよ。…昔みたいに三人で国を守ろうよ」
「無駄だ。俺とお前の道は違えた。もう俺はお前の知っている俺ではない」

フェイロンはそう言い捨てると鋭い爪のある腕でシャオロンに掴みかかった。

「嘘だっ!」

その腕を弾き返したシャオロンは言った。

「フェイロンは…今も昔も全然変わっていないよ…今だってこうして、民にこれ以上被害がいかないように離れてる……」
「それは……」
「昼間だって!!!」

違う、と言いかけた言葉を強く遮ったシャオロンは泣きそうな声で言った。

「昼間だって…僕を殺そうと思えば簡単に出来たはず…それをしなかったのはなぜ…?」
「………」
「ほら…君は何も変わってないよ…フェイロン…戻って来てよ……」

伸ばされた白い両手を見つめていたフェイロンは俯き呟いた。

「…だから…甘いというんだ……」
「え?」

聞き返した刹那、フェイロンの爪がシャオロンの腹を切り裂いた。
深く切られた傷口からは赤い血が止めどなく流れ、シャオロンは痛みに呻きながら声をしぼり出す。

「うっ…どうして……」
「お前の言う事も間違ってはいない…だが甘さだけでは民を救う事はできんのだ!王としての絶対的な強さが…非情さが!!結果、民を導き守れる事を何故わからない!!!」
「フェイロン…僕はただ……」
「俺はお前を殺す!お前を殺して俺は一族を守る真の王になる!!!」

大地を震わせる赤龍の咆哮。
フェイロンの口から放たれた炎がシャオロンの白い体を覆った。

「くっ…どうして…僕はただ元の君に戻って欲しいだけなのに……」

翼で風を起こし、自身を包み込む炎を吹き飛ばしたシャオロンは素早く接近するとフェイロンへと爪を立てた。

「このわからずやっ!!」
「躊躇うな!殺す気で来いっ!!」

激昂したフェイロンの腕がシャオロンの首を掴んで払った。
すぐに体勢を立て直したシャオロンはフェイロンの追撃を躱して口から衝撃波を放った。
だがそれは彼の口から放たれた炎でかき消されてしまった。
それでも怯まずに向かって行くが弾かれてしまう。

防御が遅れてフェイロンの攻撃をまともに受けたシャオロンはバランスを崩した。
見下すような視線が突き刺さる。

「お前の力はそんなものだったのか?」
「……」
「これ以上は時間の無駄だ…終わりにしよう……」

そう言ったフェイロンの周りに異様な力が集まり、辺りの空気が痛い程張りつめる。
青い炎を纏った絶対的な覇者の風格を思わせるその姿は、パワーに秀でたフェイロンの本来の姿。

「くっ…!」

最初腹に食らった一撃が深く、流れ落ちて行く血の量は増すばかり。
シャオロンは呼吸を整えると残った力を翼へ集中させ、真っ向からフェイロンへ向かった。
今からやろうとしている事は賭けなのだが、本気を出したフェイロンに勝てるものはこのスピードしかない。

「フェイロン!僕は君を止めて見せるっ!!!」
「正面から来るとは血迷ったか!!」

シャオロンは持てる自分の力を全力で尽くし、吐き出された火炎をかいくぐり反撃の隙を与える間もなくフェイロンの胴体を掴んで急降下した。

「ばかな…お前も死ぬ気か!?」
「死ぬとか、殺すとか…僕はもう沢山だよっ!」

本来、風を操る龍のシャオロンはフェイロンのように力で押し切る事は出来ない。
多少強引に出ない限りは勝てないと判断した結果だった。

「シャオロン」

だが、もう少しで地上に落ちる…という所でフェイロンはシャオロンの翼を掴んで薄く笑った。

「…殺す気で来いといっただろう……」
「なっ…!?」

「いや…やめてっ…お兄様ーっ!!!!!」

両手で顔を覆ったケイナは悲鳴を上げた。
引きちぎられた翼は主と離れ、鮮血をまき散らせながら落ちて行く。

マジでもぎやがった…とレイズウェルは呟いた。

「もうやめて下さい!お兄様っ!!」

涙を流しながら嘆願するケイナは自身も変身しようとしたが、目の前に瓦礫を投げ落とされその場に力なく座り込んだ。

「あ…あぁ…シャオにいさ…ま……」
「…レイズウェル、ちょっとケイナちゃんの傍に居てあげて」
「あ?ああ……」

泣き崩れたケイナをレイズウェルに託し、ジークはフェイロンを狙うハツと並んで小石を握った。
こんなもの投げて当たるわけないとわかっている。
けれど、何もしないでいられない。

「あんな奴、俺様が一撃で射落としてやるさ」
「このっ!」

弓でフェイロンを狙うハツ。
その指が矢を放とうとしたその時、横から伸びた手がハツの腕を掴んで下ろした。
ハツは舌打ちをして手の主を睨む。

「何のマネさ!」
「……」

リズは変わらず表情のない顔をしていたが、二人の目を見て首を振った。

「なんさ!?お前あの赤い奴の味方をするんさな!?」
「どうして止めるんだ!?」

詰め寄るハツとジークを見据えたリズは小さな声で言った。

「シャオロンは生きて戻るって言った」

「あ?だからなんさよ!?今の現状を見るさ!」
「シャオロンは言っていた…これは自分で決着を付けなくちゃいけない…結果がどうなるかわからなくても…と」

自分の意志で話すリズの言葉は途切れ途切れで足りない。
けれど、何が言いたいのかはわかった。
ジークは振り上げていた腕を下ろした。

「…信じて待とうっていう事なんだな?」
「信じるっていうのは僕にはよくわからない…でも、そうするのが一番だと思う」

そう言うとリズは頷いた。

力が入らない体は重く海の底に沈んでいくような感覚がする。

視界が揺らぎ、空が遠くなっていく。
自分を世界はいつも色を変えて廻って行く。
世界の色、世界の流れ、世界の理…。

こんな時に思い出すのはいつも他愛のない記憶。走馬灯ともいう。

先王が亡くなり、戴冠したばかりのシャオロンには全てが分からないことだらけだった。
政治の事、王としての責任と義務。
そして何より、自分に自信がなかった。

肩に重くのしかかる地位に苦しみ、いっそ捨ててしまいたいとさえ思っていた。

戴冠式を終えた日の事。
玉座に座ったシャオロンの前に跪いたフェイロンは、恭しく胸の前に手を添えて言った。

「龍王様。この度の戴冠お祝い申し上げます」

この時、フェイロンは国を守る兵達の総大将となっていた。

「…やめてよフェイロン。これからも僕の事は名前で呼んで。ケイナちゃんもだよ」

仲のいい二人の余所余所しい態度にシャオロンはうんざりしたようにそう言った。

シャオロンの傍に控えていたケイナは可愛らしく笑った。

「そうですわ、お兄様。この場には私達しかいませんもの。かしこまる必要はありませんわ」

そう言った彼女は美しく育ち、龍王直属の護衛隊長になっていた。
ふ、と笑ったフェイロンは頷いた。

「そうだな…ではシャオロン」
「なに?」
「お前の戴冠を期に互いに誓いを交そう」

子供の時と変わらない真面目な顔でフェイロンはそう切り出した。

「これから先、お前が王として従兄弟として間違った事をした時、俺はお前を止めてみせる。そのかわり俺が間違った事をしていたとしたら…殺してでも必ず止めてくれ」
「急にどうしたのフェイロン…?」

その時のシャオロンにはいまいち言葉の意味がわかっていなかった。
フェイロンは立ち上がると曖昧に笑って見せた。

「頼んだぞ……」

ぼんやりとしたあの日の記憶が甦る。

翼をもがれ落ちていく中でシャオロンは思い出していた。
あの日のフェイロンの言葉を、忘れもしないあの約束の事を……。

(そうだ…約束…したんだ……)

薄れていく意識の中、あの言葉だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
あの日のフェイロンはこうなる事がわかっていたのかもしれない。
こうして非情になりきれないシャオロンと戦う事も、全て……。

「フェイロン……」

僕…とシャオロンは呟き引き攣った口元を緩めた。

力なく投げ出された腕を天へ伸ばし目に見えない風を掴んで体勢を戻した。
翼はもがれてしまい、背中は焼けるように痛い。
それでも忘れてはいけない大切な約束が、失くしてはいけないものがあった。

「…ごめんね。僕…約束やぶろうとしてた……」

全てを思い出した今、シャオロンは瞳から零れ落ちそうになった涙を拭い、歯を食いしばった。
違えた道がもう交わらないのなら、せめて…彼にとっての望む結末を見せてあげるのが自分にできる精一杯の事なのだろう。

「フェイロン兄様…もうやめて!もう……」

涙を堪えきれないケイナを見下ろしたフェイロンは彼女の傍に降りた。

「これが本当に兄様の望んだ事なのですか!?こんな事……」
「…ケイナ」

ようやく口を開いたフェイロンは、妹の瞳から零れ落ちる涙を爪の先でそっと拭った。

「国家が進む道は一つではない。俺が進んだ道もまたその一つだ」
「何を……」

「国の中には争いを望むものも居て…その声を受ける器が必要だった。そして暴虐の王である俺が死ぬことで戦乱を望んでいた者達は現実を知り、平和への理想を追い始める…そして理想を現実にする王を一層支持する事になる。そうすれば国はアイツを真の王だと認めるだろう」
「そんな…では…兄様はシャオ兄様の為にこんな事を…?」

弾かれたように顔を上げたケイナ。

「…これは俺の意志だ。だが、臣下の中にはアイツを操り政治をしようとする者がいる事も確かで、俺はそれを利用したにすぎん」

フェイロンはやれやれ、というように肩を竦めると言った。

「憎まれるのは俺でいい」
「…兄様……」
「ケイナ、そしてそこの人間」

両腕を広げたフェイロンはジークを見下ろして言った。

「これからもアイツを支えてやってくれ……」

そう言ったフェイロンの目は、今までに見た事がない程穏やかな色をしていた。

「え…?」

ジークがその言葉の真意を訊ねようとした時、一筋の光がフェイロンの胸を貫いた。

「そんな…フェイロン兄様…いや…いやぁあああ!!」

まるでスローモーションのようにゆっくりと倒れていく巨体。
全力を振り絞って従兄弟を手に掛けたシャオロンは、フェイロンの傍に降りると変身を解いて駆け寄ろうとした。
だが思うように体に力が入らず転んでしまった。
それでも手を貸そうとしたジークに目もくれず這って進み、血にまみれるフェイロンの傍まで行った。

龍体が解かれ、人の姿に戻ったフェイロンに縋りつくケイナの泣き叫ぶ声が辺りに響き、夜通し続いたこの戦いは静かに幕を閉じた。


月と星が沈み、新しい陽が昇る。

青と夜が混じり合う空の下、仰向けになったフェイロンの傍にはシャオロンとケイナが座っていた。
白ずんでいく空を見つながらフェイロンは口を開いた。

「約束…守ってくれたん…だな」
「…うん」
「ありがとう……」
「うん……」
「シャオロン……」
「うん…!」

今にも泣きそうな顔でうん、としか答えないシャオロン。
苦笑したフェイロンはシャオロンを見ると手を伸ばした。
既にその身体に力は入っておらず、虚ろな瞳は見えているのかもわからない。

「手を……」
「フェイロン…僕は……」
「た…のむ」

嫌だ、と言いかけたシャオロンの言葉を遮りフェイロンは微笑んだ。

シャオロンは唇を固く結ぶとフェイロンの手を強く握った。
少しでもこの手の感触を感じて欲しい。
しっかりと握っているのだとわかるように。

「…うん…っ!握ってる、しっかり握ってるよ!!」
「…すまなかった…おれは……」

シャオロンは明るく笑うと首を振った。

「フェイロン…!あのね、僕…谷を出て楽しいことをいっぱいみつけたんだ!友達も紹介したいし、学校の食堂には美味しいものがいっぱいだし皆親切だし!授業だって面白いんだよ。僕は体育科でね、僕の事を変な目で見る人はいないんだ。だからフェイロンも一緒に学校に行こうよ!絶対楽しいからさ!!」

「学校…か…いって…みた…いものだ……」

楽しそうに外の世界を語るシャオロンに、フェイロンは安心したように息を吸い込んだ。
シャオロンはその手を握ったまま強く頷いた。

「行けるよ!僕が案内するよ!…それから、怪我が治ったらまた三人で一緒に暮らそう!!国の事はアレンに任せて一緒に勉強しようよ!それからピクニックにも行こう、天気がいい日に…!」

そう言ってフェイロンに語りかけていたシャオロンは、彼がもう息をしていないのだと気付いても話すことをやめなかった。
まるでこの現実を認めたくなくて目を逸らしているかのように…。

「そうしたら…そうしたらまた三人でお饅頭…たべようよ……」

その寝顔にいつまでも話かけていたシャオロンは、口を閉ざすと最後に一言だけ呟いた。

「…ごめんね……」

本当に言いたいことはもっといっぱいあったはずなのに、言葉は喉の奥で詰まって出て来てはくれなかった。
優しく微笑んだケイナはシャオロンの手に右手を重ねた。

「…フェイロンお兄様…どうか安らかにお眠り下さい……」

空が青く染まり朝を告げる白い鳥が鐘楼を飛びだった時、フェイロンの身体が淡く光り出し、ゆっくりと風に乗って消えて行った。

反逆者として生きて恥を晒す事よりも、最期まで尊厳と誇りを守って消える事こそフェイロン自身が望んだ結末。
どうする事も出来なかった己の非力さにシャオロンは唇に血がにじむくらい強く噛んだ。

フェイロンがいなくなった後、シャオロンの手の中に残されたのは彼の魂の欠片ともいえる赤石だった。

「シャオロン……」

ジークも何か声をかけかったのだが、何を言っていいのかわからなくて黙っていた。
ジークの居る所からシャオロンの顔は見えない。
きっと泣いているのだろうか…。

その場にいた誰もが声を掛けられずにいるとシャオロンは立ち上がり、ゆっくりと振り向いて笑顔で言った。

「皆…巻き込んじゃって…ごめんね」

憔悴しているものの、そう言って屈託なく笑う姿はいつものシャオロンだった。

「シャオロン……」
「なんだか、おなかすいちゃったね!」

あはっと笑うシャオロン。
その肩を乱暴に掴んだレイズウェルは言った。

「…お前、どうして笑えるんだ?大事な奴が死んだんだろ?それなのにどうして笑う!?」

その言葉は家族を目の前で失くしたレイズウェルの率直な気持ちだった。
そしてジークにもそんなシャオロンの気持ちがわからなかった。

「………」

右手にフェイロンの形見を握りしめたシャオロンは作った笑みを消すと俯いて黙りこんだ。
代わりにケイナが答えた。

「…龍神族は亡くなった人の為に泣いちゃいけない決まりがあります…。泣くと、その人が託した思いや願いも全部零れ落ちてしまうから…だから…その人が安心して眠れるように笑っていなくちゃいけないんです……」

そう言ったケイナの目には大粒の涙が盛り上がっていて、彼女も本心ではそう思っていない事が見て取れた。

ジークは何も言わず二人に背を向けた。

「ジーク?」
「俺達人間はさ…その逆なんだよ。亡くなった人の為に泣いて、その人が託した思いを全部受け取って一緒に過ごした時間に感謝してその人の事をいつでも思い出せるように胸にとどめるんだ」
「…思い出せる為に…泣く…?」
「そう!」

やや困惑しているシャオロンに大きく頷いたジーク。

「それって何の解決にもなってねぇぞ」

呆れたようなレイズウェルにも気にしないとばかりに満面の笑みを浮かべるジーク。

「私達とは思想が逆なのですね…私は、そういう考え方も素敵だと思います…お兄様もきっと許して下さいますわ」

指で涙を拭ったケイナはそう言った。

「…フェイロンさんは君の大切な人?」

戸惑っているシャオロンの前に出て来たリズはそう訊ねた。
シャオロンは頷く。

「そうだよ。フェイロンは僕の従兄弟で強くて…勇敢で、僕なんか絶対にかないそうもないくらい頭も良くて……」

懐かしむようにそう答えていたシャオロンは、頬を流れる大粒の涙に気付いて顔を伏せた。

「本当に…いくらお礼を言っても足りなくて……!」

ポタリと落ちた涙は次々と落ちて行く。

「僕は…そんな彼に憧れてた……!」

一言ずつ噛み締めるように話すシャオロンの顔はぐしゃぐしゃで、今まで見た事がないくらい酷い。
零れ落ちる涙は地面に染みを広げ、せき止めていた感情を解放したシャオロンはまるで小さな子供のように声を上げて泣いた。

リズは瞬きをすると魔法でシャオロンの傷を癒してあげた。

「…どうして泣く?傷がまだ痛むの…?」

首を振ったシャオロンの顔を不思議そうにのぞき込むリズ。
ジークはそれを見て優しく笑った。

「人は大切な人ともう二度と会えなくなると胸が締め付けられて泣きたくなるんだよ」
「痛いから?悲しいから?それとも、怖いから?」

不思議そうにそう聞いたリズにジークは少し考え、口の端を上げて答えた。

「全部だよ」
「そうなんだ……」

わかったような、わかっていないような顔をしたリズは髪に結び付けていた青い布に触れた。

「うおおおおーん!!俺様もかなしぃいいぃーっ!!」
「おーおー。泣いちゃまずいんじゃなかったのかよ…つか、なんであのアルティメット庶民が泣いてるんだよ……」

レイズウェルは苦笑い交じりにそう言った。



翌日。
暴虐の王フェイロンが死んだことは谷中に知れ渡り、半壊した城の周りにはシャオロンを慕う国民達が押し寄せていた。
今日でシャオロンは王位に復帰し学校を退学する事となる。

城門の前に集まる人々の視線の先には赤い外套を羽織り、落ち着いた色合いの正装をしたシャオロンと純白のドレスを身に纏い、長い黒髪を結い上げたケイナが微笑んでいた。
撫でつけた茶色の髪に王冠を乗せたシャオロンは、ジークの知っているシャオロンではないような気がした。

これから国の復興で忙しいシャオロンはもう学校には戻ってこないだろう。
なら、余計な気を使わせる前にさっさと学校へ戻った方がいいと思った。
あんな辛い事があった後でも気丈に振舞う二人に気付かれないうちに、ジークと三人はひっそりと街を出る事にした。

ケイナの手を取り、城門前に用意された壇上に上がったシャオロンは国民達の方へ向き直った。
歓喜に満ち溢れた彼等の顔はほんの数日前の物とは比べ物にならないくらい明るい。
集まった国民達を見下ろしていたシャオロンは、静かに口を開いた。

「此度の内戦により疲弊した我が国であるが、私は必ず再興させ以前よりも豊かにするとここに誓う!…だが、その前に罰するべき者が居るのを知ってほしい」

凛とした声でそう言ったシャオロンは、何を思ったのか外套を脱ぎ捨てた。

驚いている国民とどよめく兵士達。

「龍王様っ!?」

慌てたアレンが何かを言おうと壇上に上がったと同時に、シャオロンは王冠を彼の白髪まじりの頭に乗せて声を張り上げた。

「民を見捨てて死を逃げ道とした愚行…真に罰すべきは、絶望に飲まれ皆を残して死のうとしたこの私である。私は…自身を追放処分とし皆を引っ張れるよき王になる為に見聞を広める旅に出たい。そして、よき王になれた時…その時はまた皆と共に生きていく事を認めて欲しい」
「えぇええー!!!!?」
「龍王様、これは何事ですか!?」
「ごめんね、もう少しケイナちゃんとここを頼むよ!」

全く悪びれた様子もないシャオロンは止めようとするアレンを華麗に躱し、手を振っているケイナの頬にキスをすると壇上から飛び降りて王族の正装を脱ぎ捨てて走り出した。
その下はエリュシオンの体育科の制服だ。

「龍王様!何所へ行くのですか?なりませんぞ!!」
「あらアレン。王冠が似合っているわね」

追いかけようとしたアレンの足をわざとひっかけて転ばせたケイナは、悪戯が成功した子供のような顔で笑っていた。

それにより騒ぎ出した周囲に驚いたジークは近くに居たおばさんに訊ねた。

「何か始まったんですか?」
「龍王様が放浪宣言をしたんだよ!」

おばさんは背負っていた籠を下ろしてそう言った。

「えぇえ!放浪!?」
「まじでさ!?」

一斉に顔を見合わせるジークとハツ。

「あたしらはこれから色々と知る必要があるし、龍王様が見聞を広めるいい機会になるなら構わないさ」

そう言ったおばさんは満足そうに笑っていた。

「つか、王様が勝手にどっかに行くってのになんで満足そうなんだよ…!」

レイズウェルは呆れたというように頭を掻いた。

その時、人ごみをかき分けて走ってくるシャオロンの姿が見えた。

「おーい!」
「え?え?」
「ジーク、皆も早く行こう!」

シャオロンはジーク達の元までやって来ると、走ってといわんばかりに四人の背中を叩いた。

王族が自らを追放すると言う前代未聞の放浪宣言に、龍神の民は歓声を上げて見送った。
彼等が見せる笑顔や餞別の数はシャオロンが慕われている何よりの証だった。

「必ず…僕は戻ってくるからねーっ!!!」

いつもと変わらない無邪気な笑顔でそう言ったシャオロンは大歓声の中、大きく両手を振りながら仲間達と龍神の谷を後にした。

「行ってしまわれたわ……」
「姫様…よかったのですか?」

ぽつりと呟いたケイナを気遣うアレン。
本当なら今日は二人の結婚式の日。
そんな日に新郎がどこかへ行ってしまうなど、妻である彼女は傷つかないはずがないだろう。
そう思っていたアレンだったが、すぐに撤回する事になる。

ケイナは悲しむどころか嬉しそうにしていたからだ。

「あの方達と居る時のシャオロン様は本当に楽しそうですもの…私に止める事は出来ませんわ」

ね?お兄様…と言った微笑んだ彼女の首にかけられた赤い石のネックレスが太陽の光を受けて光った。
彼女のそんな顔にアレンはこれからの自分の仕事量を思い、内心溜息をついたのだった。

その頃、元気よく谷を飛び出して行ったジーク達だったのだがさっそく休憩をとっていた。
ジークは近くにあった岩に腰かけた。

「はぁ…はぁ…なんでこんなに道が険しいんだ……」
「なぁ、魔法で俺様達をすいーっと学校へ戻してくれねぇさ?」

もともと龍神の谷に来るときにはケイナに連れて来てもらっていた為、ジークとハツはここまで道が険しいとは知らなかった。
先を歩いていたレイズウェルとリズは立ち止まり振り返って言った。

「あほか。何で俺がお前らみたいな庶民に協力してやらなきゃならねぇんだ…だいたい俺らは別にお前らを助けに来たわけじゃねぇんだからな……」
「許可がないと君達の前には出られない……」

「許可?ああ…お兄さんの許可が居るのか…そっか……」

なら、仕方ないよな。とジークは言った。

「せっかくまた仲良くなれそうだったのに残念だね……」

シャオロンも肩をすくめてそう言った。

仏頂面のハツはハァ…と大きなため息をついた。

「なんさよ…ちょちょーいと送ってくれるだけでいいさのに……」
「散れ。このクソ猿が」

レイズウェルは「知るか」と無情に言い捨てた。
リズは空を飛ぶ弟の背中に乗ったハツを想像していた。
気が済むまでハツを木の棒で殴っていたレイズウェルは、さて、とジークの方を向いた。

「そんじゃま。そーゆーコトで!俺等は帰るわ。縁があったらまた会ってやってもいいぜ!」
「はは…本当、アホみたいに素直じゃないなぁ……」
「うるさいっ!」

呆れているジークに悪態づきながら空間転移の魔法を唱えたレイズウェルは、舌打ちをしながらもしっかりと手を振っていた。
魔法の光を見送った後、ジークは立ち上がった。

「…さ、俺達も先に進もうか」
「そーさな。マジで放置しやがったさ……」

あーあーと欠伸をして歩き始めたハツ。
シャオロンは「ねぇ」と声をかけた。

「ボクの手の中で良かったら乗せてあげられると思うよ!」
「へ?手?」
「そ!ボクはケイナちゃんみたいに人を乗せて飛べるタイプじゃないんだけど、二人を手の中に入れてなら大丈夫だと思う」

そう言ったシャオロンは二人が何かを言う前に龍に変身した。

白く大きな体にエメラルド色の翼と金色の瞳。
やはり昨日の夜飛び立つ所を見たのはシャオロンだった。
そう思うとジークは改めてシャオロンと自分達は違うのだと思った。

けれどそれが何だ。

ジークはにやりと笑うとシャオロンの大きな手に掴まった。

「よーし、じゃあよろしく!」
「いやー助かったさなー」

豪快に笑うハツ。

「よーし、行くよー!」

明るいシャオロンの声と共に、ジークの身体はゆっくりと宙に浮いた。
独特の浮遊感はあまり慣れないものだが、落ちてしまわないようにしっかりとしがみ付いていた。

心地よい風に揺られながらジークはシャオロンに訊いてみた。

「…なぁシャオロン。一昨日の夜牢屋に居た時に言った事…覚えてるか?」
「…うん」

気にしなくていいんだ、とジークは言った。

「ケティル王にはなれなくたって、自分らしく生きていけばいいと思う」
「…え……」

数秒の空いた後、シャオロンは答えた。

「うん…ボクもそう思う…!」

その顔はジークからは見えなかったけれど、声の感じからして迷いは完全に吹っ切れたようだ。
ふふ、と笑ったシャオロンはスピードをさらに上げた。

それによる風圧でジークとハツの顔の肉は物凄い方向に寄ってしまい、哀れとしかいいようがない。

「ちょ!シャオロンさんっ!俺様のかおがっ!かおがっ……」

悲鳴を上げるハツとジーク。
シャオロンは宙返りをして鼻唄を歌いながら、思い出したように言った。

「それより、ケイナちゃんに浮気疑惑を問い詰められて特殊な趣味の人だと疑われたんだけど…二人とも何か言った?」
「っうぇ!?浮気?え??」

なんだかんだあってそのあたりの事がジークにはイマイチわからないままだった。
そんな時、ハツが今にも死にそうな声で呻いた。

「おえぇ…きもち、わるぅ俺様、も…げん…かい…!!」
「え!ちょっと…まさか…やだやめてよ…!!!」

抜けるような青空の下、平和を取り戻した龍神の谷にシャオロンの悲鳴とハツのうめき声が響いていた。

その日、学校へ戻ってきたジーク達を待っていたのは鬼のような顔をしたアリーファ教官だった。
どのくらい怖いか説明すると、半径二メートル以内に誰も近寄れないくらいだ。
アリーファ教官は詳しい話を聞いたりはしなかったのだが無断外泊と無断欠席、ついでに龍に掴まって戻ってくるという目立ちまくりな登場方法まで叱られた。

チョップをお見舞いされただけで事情を一切聞かないアリーファ教官に不思議に思ったジークは訊ねた。

「あの…理由は聞かないんですか?」
「事情は知っている。だが規則は規則だ」

そう言ったアリーファ教官はジーク達へ体育館の掃除を命じた。

事件が起きたのは翌日の事だ。

いつものように授業を終えてカフェでのんびりしようと思い、特進科の前を通りがかった時の事。
ジークは廊下がいつもより騒がしい事に気付いた。

どうしたの?と通りがかった特進科の生徒に聞けば、「こんな時期に転入生が来た」と言われた。
まぁ、貴族や良い所のお坊ちゃんやお嬢様が通う特進科の事だ。
どうせまたアクの強い生徒が入っていたとしても、普通科のジークには関係のない事だ。

ふーんそうなのか。とジークはその場を後にしようとした。
が、その背中に聞き覚えのある声がかけられる。

「おい!シカトこいてんじゃねぇよ、この一般庶民ッ!」
「うわっ!?」

力強く肩を掴まれ、勢い余って転びかけたジークは相手を睨み付けようとして目を丸くした。

「あれ?…君は確か…れ…れ…レイモンドさん!」
「誰だよ!!!」

すぐさま杖で頭を叩かれてしまい、ごめんごめんと謝った。

「ったく…いいか?俺の名前は……」
「レイ」
「けっ!」

人混みの奥から出て来たのは特進科の制服を来たリズだった。
同じく特進科の制服を来たレイズウェルは、舌打ちをするとそっぽを向いた。
リズはそんなレイズウェルをチラリと見ると視線をジークに移した。
先に話し始めたのはジークだ。

「リズ!戻って来れたんだ!」
「…ん」

こくりと頷いたリズはそれきり黙りこくってしまった。
繋がらない話に苛立ったレイズウェルは、
「だーっ!もう!!」と頭を掻きむしると溜息をついた。

「…とにかく、事情を説明する為に朝からてめぇらを探してたんだ。なのに、俺らが名乗った途端にどいつもこいつも逃げやがって……」
「は…はは……」

そりゃそうだろう。魔法使いの家でルークの名前を知らない奴はいないだろう…。
ジークは内心そう思った。

それから二人を連れてカフェへ行くと、シャオロンとハツが先に待っていた。
驚きのあまりハツはシナモンパウダーではなくタバスコをココアにふりかけている。
ジークはリズとレイズウェルを席に促すと自分も座った。

「なっ…お前らまたセンニューってやつさ!?何企んでるさよ!!」

そう言ったハツはタバスコを振りかけ続ける。

「いや…つかクソ猿…味覚どうなってんだ…?」

レイズウェルはドン引きした。

「リズ、ボクの怪我を治してくれてありがとう!もうすっかり元通りだよ!!」

チョコレートパフェを食べていたシャオロンは自分の背中を撫でると言った。

「あくまで細胞を活性化させただけ。何もしてない」

ふるりと首を振ったリズは着ている特進科の制服の裾を摘まんだ。

「…僕達こそ君にお礼を言われるような事はしていない」
「え?どういうコト?」

意味が分からないシャオロンにレイズウェルは運ばれてきた唐辛子ジュースを口に含むと話し始めた。

「実は俺とリズはこの学校に世話になる事になった。ま、言っちゃなんだが観察処分って奴よ」
「それで、君の一件でここに戻って来れるかどうかっていうテストをやったんだ」

だから、お礼を言われる事はしてない。とリズは続けた。
シャオロンはにっこりと笑うと口を開いた。

「そうなんだね…でも、ボクはまた二人に会えて嬉しいよ。助けてもらったのだって本当の事だし、ありがとうね」
「……」
「べ、別にお前らの為にやったんじゃねぇし!俺の為なんだからなっ!!」

何も言わず頷くリズと、相変わらずなレイズウェル。
タバスコ入りココアを飲んでいたハツは、そういや…と言った。

「お前らチームはどうするさ?この学校のルールは知ってるさろ?」
「あ…ああ…その事なんだがな……」

気まずげに頭を掻いたレイズウェル。
ジークは引っ張り寄せた鞄の中から一枚の紙とペンケースを取り出した。

皺ひとつない白い紙には、大きく黒い文字で『チームメンバー申請書』と書いていた。
それをテーブルのど真ん中に音を立てて置き、ジークは四人の仲間達を見渡して言った。

「今さら水臭い事はナシだ。順番に名前を書いて出しに行こう!」
「ジーク…うん、ボク書くよ!」
「俺様も書くさ!」
「書く……」

次々と埋まって行くメンバー欄の名前を見ていたレイズウェルは、自身の番が回って来たにも関わらず手を動かさなかった。

「……」
「どうした?」

と手元を覗き込んだジークにレイズウェルはごく小さな声でこう言った。

「…名前。俺の事はレイズって呼んでいいからな」

赤面しながらそう言ったレイズウェル。
何が言いたいのかわかったジークは明るく笑いながら胸に手をあてた。

「俺はジーク・リトルヴィレッジ!ジークって呼んでな、レイズ」
「知ってると思うけど、ボクは李 小龍だよー」
「俺様はハーヴェン・ツヴァイ。トクベツにハツと呼ぶといいさよ」

三人の顔を見ていたレイズは、はにかんだように笑った。

それから五人で改めて教官室に行き、書類を提出してその日はシャオロンの作った鍋を囲んで色んな話をした。
遅くなってしまったけれど、ようやく仲間が揃った気がしてジークはこれからの事が楽しみになった。

教官室にて、提出されたジーク達のチームメンバー申請書を見ていたアリーファ教官は認め印を押すと羽ペンを取り、サラサラと五人のチーム名を書いた。

チームAHOU。

今の所、全校生徒中最下位を独走する落ちこぼれチームだ。


第八章『Lord of the Dragons』

fin.

第九章『Soul cradle』

一日が終わり陽が傾き始めた頃、いつものように授業を終えたジークは教室の端にある掃除用具入れから箒を取り出した。
今日は日直である為、クラスメイトが帰った後の掃除をしなければならない。
一クラスに四十人が入る教室を一人で掃除するのは大変な事なのだが、ジーク自身は掃除が面倒だと思っていない。
慣れた手つきで黒板を消し机を運び箒でゴミをはく。
モップをかけ机を綺麗に並べた時、ふと背中に視線を感じて振り返えるとそこには一人の少女が立っていた。

オレンジ色に照らされた彼女の豊かな長く茶色の髪は耳の上辺りで結ばれ、なんだか耳が垂れたウサギのように見えた。
そんな彼女に見とれていたジークは我に返ると苦笑いを浮かべて言った。

「…えっと、なにか用?」
「……!」

声を掛けられてハッとした彼女は赤い瞳を潤ませ、数秒溜めたあとに思い切ったように勢いよく両手で白い封筒を差し出してきた。
ジークは驚いて後ずさったが封筒を差し出す彼女の手が震えている事に気付いて手早く受け取る事にした。

「これって…?」
「…ッ!!」

ジークが受け取った手紙を開けようとした時、彼女は慌てて立ち去って行った。

「なんなんだ?」

その場に残されたジークは手紙を鞄にしまうと掃除の続きをした。

その夜、相変わらずのボロ小屋でたった一つのテーブルで勉強をしていたジークは一問だけわからずに溜息をついた。
とそこへ短い棒をくわえたレイズがやってきた。
つい最近編入して来たレイズだがクラスにはうまく馴染めているようだ(本人談)。
レイズ自身はフレンドリーに振舞っているつもりでも、クラスメイトからすれば恐ろしい存在なのは変わらないようだが…。
もっともそれはレイズの実家のせいという事もあるが八割がた本人の性格のせいだろう。
短い付き合いだがジークにもそれはわかった。

「あれ?お前が飴食べるなんて珍しいな」

レイズウェルは兄のリズウェルと違って甘いものが大嫌いだという事も最近知った。
んー、と口をもごもごさせていたレイズは眉間に皺を寄せて首を振った。

まずい、という事なのだろう…。

「美味しくないなら何で食べるんだよ……」

変な奴だな…とジークが言うとレイズは口の中の飴をかみ砕き、持っていたコーヒーで流し込んだ。
レイズはカップをテーブルに置くと高そうなハンカチで口を拭いながら言った。

「カワイコちゃんとデートするには甘いモンが食えネェと盛り上がらねぇだろ…少しずつ慣らしてくんだよ」
「うわーお前って本当、女の子がからむと素直ー……」

改めてレイズの女好きを確信したジークだった。
ふとジークの手元を覗き込んだレイズは、ふーん。と言った。

「なんだよ。その問題だけ飛ばして解いてるのは理由でもあんのか?」

ジークはうらめしげにレイズを見て溜息をついた。

「…わからないんだ。だから後で解こうと思って空欄にしてるんだよ」
「ほー」

興味深げに問題を読んでいたレイズは、置いてあったペンをとると問題集の余白に何やら書き始めた。

「お、おい!何するんだよ…落書きなんてしたら怒るかんな!」

ジークは手元を覗きこもうとしたが、レイズは終わった!と問題集を閉じて乱暴にペンを置いた。

「こんなもんもわかんねーとかマジでアホなんじゃねぇのかよ」
「なんなんだよ!」

ジークは立ち去り際に嘲笑ったレイズを睨みつけた。

「ったく…落書きなんかされてたまるか!」

万が一、落書きなんかされたのを誰かに見られたらクラスの笑いものだ。
だが、消しゴム片手に急いで問題集を開いたジークは驚いて消しゴムを落とした。

ジークがどうしてもわからなくて空欄にしておいたページの余白には、びっしりと問題についての考察やヒントが書かれていた。
上から下まで書かれた文字を目で追った先の最後の行には、『バーカ』と書かれていたがジークはペンをとると考察を見ながら問題を解き始めた。

「素直に教えてあげるって言えばいいのにねぇ……」

一部始終を見ていたのか、キッチンから夜食を持って来たシャオロンはジークの前に暖かいスープを置いた。

「んまぁ、そういう奴だって思ってるよ」
「ふふ、そうだね」

ジークはありがとう、と短くお礼を言うとシャオロンはまたキッチンへ戻って行った。

再び勉強に戻ったジークは放課後に女の子に貰った手紙の事を忘れていた……。
翌朝、いつものように教室で自分の席に鞄を置いたジークは視線を感じて顔を上げた。
教室の隅にある花瓶の横、そこには昨日放課後に手紙を渡された少女が立っていた。
彼女はどこか物憂げな顔でこちらを見つめていて、ジークは咄嗟に顔を背けた。

心なしか顔が熱くて心臓が大きく跳ねている。
これはもしや、彼女が俺の事を―……!!

「…あの…ジーク君」
「は、はひっ!?」

脳内で色々とピンク色の妄想をしていたジークは、彼女の声で我に返った。
思わず声が裏返ってしまったが彼女は気にすることなく微笑みかけ言った。

「さっきから教室の外でアリーファ教官が呼んでるんだけど、早く行った方がいいよ?」

そう言ってふわりと笑った彼女の背後に大きな百合の花が咲いたのをジークは見た。
もちろん、そんなもの幻覚なのだがあまりにも可愛らしい彼女の笑顔に釘づけになったまま壊れたおもちゃのように頷いていたジークだったが、しびれを切らして教室に入って来たアリーファ教官によってチョップの制裁を喰らう事になった。
その後も昼間の授業中には彼女の事が頭の中に浮かんでは消えを繰り返し、気が付けば放課後になっていた。
結局一日中彼女の事が頭から離れなかったジークは、自己嫌悪しながら席を立った。

「…俺は一体何をやってたんだろう……」

大きなため息をこぼし、帰ろうと教室を後にした。
ふと廊下の窓から外を見ると隣の校舎の屋上から何かがロープで吊るされているのが見えた。
あの特徴的な髪型と二の腕まるだしの改造制服から見るにどうみても同じチームの仲間のように見えたが、ジークは見なかったことにした。

「そうか…隣は援護支援特科だったのか……」

屋上から吊るされたハツの首からは、『ヘンタイ!』『のぞき魔』と書かれた垂れ幕が下がっており、奴が何をしたのかだいたい想像がついた。
呆れを通り越してとにかく仲間だと思われたくない、とジークは真面目に思った。

夕方の寮棟はなんだかいつもより賑わっており、男女で歩く生徒の姿も見られる。
ジークはそんな彼らを見ていて、ふと自分と例の彼女の姿を重ねてしまい急に恥ずかしくなって走って帰った。

「…どうしちゃったんだろうねぇ」

物凄く挙動不審なジークを後ろから見ていたシャオロンは、隣を歩いていたリズに肩をすくめて見せた。

「それよりも今日は何を作るの?」
「…そうだねぇ、シチューにしようか」

シャオロンはまったく心配するそぶりのないリズに苦笑いを返すと、両手に抱えていた食材が入った袋を持ち上げた。

「もやしを入れて欲しい」

リズは相変わらず何を考えているのかわからない目をしてそう言った。


ジークの住むボロ小屋に甘いミルクとパンの香りが立ち込める。
今日の献立はシャオロン特製のもやし入りシチューとパン。
五人は一つしかないテーブルで食事を摂りながら一日の他愛のない話をしていた。

食事もそこそこに済ませ、ジークはテーブルの上にアリーファ教官から受け取った手紙を広げた。

「みんな聞いてくれ。実は今日アリーファ教官から新しい任務を貰って来たんだ」

一斉に手紙の文字を目で追う四人。

ジークは一度大きく息を吸うと四人の顔を見渡して言った。

「明日は他のチームと合同で単位をかけた戦いを行う!!」
「はぁ?」
「どーゆー事さ?」

そろって怪訝な顔をするレイズとハツ。

「えーっと、これってもしかして実戦をかねた演習なのかナ?」

みんなあまりピンと来ていないようだったが、シャオロンは食器を片づけながらそう訊ねた。

「そう!」

ジークは頷くと手紙を四人に見えるようにテーブルの中央に寄せた。

「詳しい説明は明日の朝にまた話してもらえるだろうけどそんな感じで、明日に備えて今日は休もう」
「まじか。もしかして単位とやらを貰ったらこんなクソ小屋とオサラバできるのか?」

レイズは訝しげに眉を寄せてそう言った。

「明日の成績次第の可能性もある」

リズはぼそりとそれだけ言うと興味がなくなったというように天井を見た。

「なるほど、実力主義ってことか」

ハン、と鼻を鳴らしたレイズウェル。
ちなみにこのおんぼろ寮に入る事になったきっかけはジーク達が校舎裏の森を燃やしてしまったというもので、一歩間違えれば退学になっていたのだが。

「そんなところかな?まぁ、なんにせよ久しぶりの任務だし頑張ろう!」

ジークもそれに大きく頷いた。
すると今まで黙っていたハツは目を輝かせて言った。

「キタキタキター!!ここんところ地味なもんばっかりやってたからタイクソだったさよー!!」
「それを言うならタイクツじゃないのか……」

半ば呆れつつもジークはやんわりとつっこみをいれた。
翌朝、ジーク達五人はまだ外が暗いうちに起き、準備をして部屋を出た。
集合時間は午前七時だ。

「さて、行こうか。この五人で取り掛かる初めての任務だ。気合いれような!」

そう言ったジークはいつも通り任務用のバッグを背負い、いつも身に着けている黒のマフラーを首に巻いた。

「そうだね。あの小屋は五人で住むには狭いもん。良いトコみせられるように頑張ろう」
「俺様の弓が火を噴くぜ!!」

シャオロンはやたら大きなリュックを背負い、ハツは右手に握った弓を掲げた。
珍しくハツがしっかり起きている。

早朝の寮棟は静かで朝の澄んだ空気が身体中に染みわたり新鮮な気持ちになった。

「ああ、頑張ろう!」

ジークは頷くと後ろを歩く二人を振り返った。
普段からあまりしゃべらないリズはともかく、レイズが静かな事が気になったのだ。

「どうしたんだ二人とも?まだ眠たいのか?」
「ふあぁ…う!?」

すると大あくびをしていたレイズはハッと我に返り、不機嫌な表情を作り鼻を鳴らした。

「ハッ!この俺が眠いわけねぇだろ!どんな奴が相手でも俺の魔法で消し炭にしてやるぜ!!」
「お前、あくまでそのスタイルを崩す気はないんだな……」

ジークはレイズの態度にツッコむ気にもならなかったが、彼の肩の辺りできらきら光るものに気付いた。

「あれ?それって何だ?」
「ん?ああ、これか?これは見てわかるだろ」

レイズは得意げに肩から紐でかけていた杖を下ろして見せた。
先端には大きな鉱石がはめられており、それを支える杖本体は鋼鉄で出来ていた。

一言でいえば杖というか鈍器。

まさか魔法を使うのではなくこれで殴るのでは…と思ったジークはその異質極まりない杖とレイズの顔を交互に見て恐る恐る訊ねた。

「い、一応聞くけど…レイズって魔法使い…だよな?」
「当たり前じゃねぇか。お前らみたいな庶民にはこの杖の高貴さがわからんのも無理ねぇぜ」

一体これのどこか魔法使いの杖だというのだろうか。
どう見ても鈍器だ。

「…ついでに聞くけど、ここの握る所みたいな奴って……」

杖には二ヶ所ほど握り手のようなものがついていた。

「もちろん、ここを持って敵をぶん殴るんだよ。魔法使いが接近戦に弱いなんて古いぜ!」

さも当然だと言わんばかりに杖を振るレイズ。

「そ、そうなんだ…それって、その…凄く素敵だな!」

ジークはどう言っていいのかわからずに目を逸らし、腹の辺りで組んだ両手の親指をくるくる回した。

これ以上聞くと話が長くなりそうで面倒くさい、と本気で思った。

と、そこに目を輝かせたハツが口を挟んだ。

「スッゲー!!なんか教科書で見た東の大陸に伝わるジョーモン石器みたいさよ!!」
「ワハハハハ!もっと褒めてもいいんだぜ!!」

などと朝っぱらから盛り上がっているハツとレイズのテンションについていけそうにもないジークは、げっそりとしながらまた歩き出した。
エリュシオン戦闘学校の広い敷地の中で一番端に立っている体育科の校舎の前で仁王立ちしていたアリーファ教官は、のたのたと歩いて来るジーク達を見て右手に力を込めた。

「何をしているっ!早く来んか!!」
「ハイー!!」

振り上げられたアリーファ教官の平手に嫌な予感がした五人は慌てて走った。

「一分の遅刻だ!全員覚悟しろッ!!!」
「ヒィ!?」

だが走った事も虚しく、全員地獄の空手チョップを喰らう羽目になってしまった……。
その後、アリーファ教官は咳払いをすると今回の課題の説明を始めた。

「今回のお前達の演習相手となるチームは別の場所への集合となっている。この演習の行動範囲は裏の森以外の敷地内でどちらかのチームリーダーが戦闘不能になれば演習は終了とする」

そう言ったアリーファ教官は最後に「質問は?」と言った。
ハツが両手を挙げる。

「ほい、センセー!これってつまりはどこにいるかわからない相手チームのリーダーを倒せばオッケーなのさ?」
「その通りだが、あくまでこれは演習である。相手を死に至らしめる行為は厳罰処分とし即刻退学とする」

表情一つ変えずにそう答えたアリーファ教官。
ジークはこの演習の目的がなんとなくわかってきた。

この演習の目的とはおそらくチームの連携を見るものと、同時に殺してはいけないと言うルールの元、どこまで本気を出せるのかを見るものなのだ。
つまり、教官はどこかで両チームを観察していると言う事。
絶好のアピール機会だ。

「ンジャ、半殺しはオッケーって事ですかー?」
「無論だ」

そう訊ねたレイズにアリーファ教官は短く答えた。

「制限時間は日暮れまでとし、それまでに勝負がつかない場合は私が判定を下す」

日暮れと聞いてジークは慌てて口を挟んだ。

「ちょっと待ってください。それじゃあ俺達が演習を行っている横で他のチームの生徒が普通に授業を受けてたり遊んでたりとかするってことですか?」
「他のチームは巻き込まないよう、それぞれ任務に割り当てられて不在だ。心配する事はない、思いきりやれ」
「そうなのですか……」

だからなんだか今日は静かなのか…とジークは納得した。
「では、これよりチームAHOUとチームカメリアの演習を開始するッ!」

時計を見ていたアリーファ教官は、針がきっかり八時をさしたと同時に空に向かって緑色の魔法弾を放ち、それは弾けるように消えていった。



勝敗を決めるだろう第一歩は、ハツのこんな言葉から始まった。

「どんなに広いフィールドだろうとこんだけ建物と障害物がありゃ、高い所に登った方が有利に決まってるさ!」

エリュシオンの敷地の中で一番高い建物は特進科の校舎だ。
校舎の周りには針葉樹が植えられており、その陰に隠れていけば危険はぐっと下がる。
ジーク達は辺りを警戒しながらまずは特進科の校舎へ向かっていた。

演習が始まってすぐに移動を始めるのは相手も同じだろう。

「逃げ場のない校舎の中を行くのは避けた方がいいね・・・なるべく建物沿いに進もう」

人気のない校内では音も響いて場所を知らせてしまう恐れがある。
そう言ったシャオロンにジークは頷いた。

現在五人が居るのは体育科の校舎の周辺で、目的地である特進科の校舎はここからそう遠くはない。
だがこのまま相手とはち合わせる事なく移動できるのかは疑問な所だが・・・。

校舎の陰から先を覗いたハツは後ろに続く四人に言った。

「よし、俺様が最初に出るからオメェらは後からついて来るさ!」
「わかった」

今までもこういった場面にはハツは先に出て誘導してくれていた。
こんな時ハツは頼りになるなとジークは思った。

「んじゃあ、ちゃーんとついてくるさっ!」

素早く辺りを確認したハツは、大きく息を吸うと走り出した。

「行くぞ!」

そう言って飛び出したジークにシャオロンとリズ、レイズも続く。
先を走っているハツはときどき後ろを振り返りながら走っている。
けしてジークも運動が苦手なわけではないのだが、どうやらハツは本気で走ってはいないようだ。

(普段が普段だから意外だ・・・)。とジークが考えていると、ふと足元に何かが転がってきて躓きそうになった。

「うわっと!?」
「ひぃい!!!!」

反射的に後ろに蹴ったのだが、後からついて来ていたシャオロンの悲鳴があがり思わず立ち止まって振り返った。

「だ、大丈夫か!?」
「全然大丈夫じゃねぇよ!おんどりゃcgfmんc!!!!」

レイズの怒りの叫びは最後のほうは何を言っているのかわからなかったが、ジークは最後を走っていたリズの手に握られた物を見て顎がしゃくれるくらいに顔を引きつらせた。

「おおおおおお!!そそそそ、それ!!!」
「・・・・・・」

リズはソレを大事そうに両手で持ち不思議そうな顔で三人を見た後、何を思ったのかそのまま駆け寄ってきた。

「い、い!?待って、待って待って!!それってアレじゃないの!?えーっとえーっと・・・・・・」
「ちょ!?痛っ!!」

慌てて逃げ出したシャオロンはどさくさに紛れてジークを突き飛ばした。
ジークはもたもたしながら起き上がろうとするが足が縺れてうまくいかない。
その間にもそれを持ったリズは無表情で近付いて来る。

「それ手榴弾!!!!」

ジークは顔面から転んでしまった状態からゴキ〇リのように地面を這って逃げ出した。
驚異の逃走力である。

その間にもリズと並んだレイズは無謀にも説得を試みている。

「馬鹿野郎!!そんなもん捨てろ!!!」

リズはこの手榴弾の処理に困ったように眉を下げた。

「でもこれ安全装置はずれてる。捨てたら爆発して気付かれる」
「捨てなくても爆発するだろそれ!!!」

もう半分ヤケになったレイズは、リズの手から手榴弾を奪い取ると力いっぱい投げ捨てた。

だが手榴弾はきれいな放物線を描きながら宙を舞ったにもかかわらず、思ったよりも飛ばずに1メートル程の所でぽとりと落ちた。

・・・・・・・・・。

数秒の間が空いた後。

「ウワァアアー!!」

全員蜘蛛の子を散らすように逃げ出したが既に遅し。
四人は爆発した手榴弾の爆風に吹き飛ばされ、だだっぴろいグラウンドに死にかけの魚のように倒れた。

「うう・・・死ぬかと思った・・・・・・」

ジークは奇跡的に怪我一つ負っておらず、粉塵の中をのっそりと起き上がった。

「どーしたさよー!?」

そこでようやく驚いて戻ってきたハツに介抱された。
ハツは四人を校舎に凭れされると腰元を漁って首をかしげた。

「あーれ?俺様の手榴弾が一個足りねぇさ。おめぇら知らねぇベヘっ!?」
「おんどりゃ死にかけたわ!!」

ハツが全部を言い終わらない内にレイズの杖が唸りをあげた。

「ファック!ファッキン〇○○(自主規制)野郎!!!」

右手の中指を突き立てたレイズは思いつく限りのスラングを吐き捨てていたが、ジークに止める気はなかった。

「はぁ・・・始まってすぐに自滅なんて笑えないよォ・・・・・・」

シャオロンは死んだ魚のような目でそう言った。
ジークもまったく同感だった。

だがいつまでもこんな所でモタモタしていられない。

「とにかく、今の音でこっちの場所は知られたよな・・・幸いまだ近付かれてないみたいだけど早く移動しよう」

ジークは立ち上がると辺りを見回して言った。

「そうできたらいいんだけどな」

はは、と苦笑いを浮かべたレイズは歩き出そうと足を踏み出した時、自分の陰がゆらりと動いたのを見た。

「あん?」

一瞬何が起こったのかわからず、影が勝手に動くわけないと思ったレイズは目を擦るともう一度影を見下ろした。
だが動いていたと思った影はいつもと変わらず、気のせいのようだ。

「さぁ行こう」

ジークは気を取り直して歩き出そうとしたがどこからか視線を感じて振り返った。
その気配は隠す気などまったくないようで、なんの能力もないジークも気付く程明確だった。

辺りを忙しく見渡していたジークの前でハツは空に向かって弓を向けた。
ピンと張りつめた弦の先には鈍色に輝く矢が番えられている。

「おめーら、俺様がこれを射たら急いでここを離れるさ」
「え?」
「狙われてるさ」
「まじか」

短くそう言ったハツは、ジーク達の傍・・・体育科の校舎の屋上目がけて矢を放った。
それと同時にジークは言われるままに走り出す。

だが相手はこの事も予測していたのか、逃げ出したジークの道を塞ぐように矢の雨が降り注いだ。

「うわっ!?」

その後も立ち止まったジークを狙って火矢が放たれ、かろうじてそれを避けたジークは矢に何か紙が結び付けられている事に気付いた。
こんな時に何をしているのだと自分でも思ったのだが、ジークがおそるおそるその紙を取って開いてみると・・・そこには墨と筆で書かれた達筆の文字が書かれていた。

『はっちゃんらぶ』

「・・・・・・」

ジークは何も言わず手紙を元のように折りたたむと矢に括りつけた。
背後でハツの悲鳴と野太い男の甘えたような声が聞こえたが、ジークはあえて振り向かずに走り出した。
校内でも一番広い体育科のグラウンドを突っ切ってどこか隠れる所はないかと探していた最中、いつのまにか一緒に逃げていたはずの仲間とはぐれてしまっていた。
どうやらここは援護支援特科の管理している森の中を再現した演習場のようだ。
生い茂る木々の間を歩いていたジークは不自然に盛り上がった地面を見つけて大きく避けて進んだ。

こういったところにある不自然な盛り上がりはだいたい罠だと相場が決まっている。
・・・図書館にあった本に書いてあったことだが、ジークは他の四人に比べて特別何か能力があるわけでもないのは自分でもわかっていたので勉強だけはしっかりしたのだ。

ようやく隠れられそうな木を見つけてジークはよじ登った。
これも本に書いてあった事なのだが、こういう場合はむやみに歩き回らずに背の高い木に登って様子を見るのが一番いいのだ。

ようは見つからなければいいのだ。

そのうち誰かがここを通りがかったら合流すればいいし・・・。
ジークはそう思って四人を待つことにした。



遠くで鳥の鳴く声がする。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、ジークはひたすら援護支援特科の演習場で仲間を待っていた。
おそらく半日は経っているだろうといつも着ているオレンジ色の上着のポケットをあさり懐中時計を取り出して時間を見る。
だが時計の針は演習開始から二時間程しか経っておらず、終了までまだまだ時間がある。

木の枝に生い茂る葉に隠れながら地面を見ていたジークはなんだか眠くなってあくびをした。

「あー…誰も通りがからないし眠い……」

あまりに暇なので危うく寝てしまいそうになる。
ふと、このままここに居ていいのかなー?なんて疑問がふとジークの頭に浮かんだ。
自分はここに隠れているうちは安全だとして、他の四人はどうしているだろうか…。

シャオロンやリズは無事だという妙な確信があったものの、レイズは大丈夫だろうか。
もともとレイズは実家の家業で戦闘要員ではなかった。
いくら有名な魔法使いの出身でも実戦ではどうだろうか。

ここ最近、草むしりやらお使いやら誰でもできる簡単な課題しか与えられなかった為レイズの実力はわからない。

「い、いや…大丈夫なわけないだろ…ていうか、リーダーの俺が隠れて助けを待つって…おかしいだろ」

本来チームリーダーというものは仲間を一番に助けてまとめあげるもの、こんな所でビビってたら他の仲間がどうしたらいいのかわからないんじゃないだろうか。
ジークはそう思った。

「そうだよな、そうに決まってる」

行くしかないじゃないか、と独り言を言いながら木を降りたジークは、こちらへ近付いて来る人影に気付いて木の後ろに隠れた。
小走りでジークの隠れている木の傍までやって来た少女は、耳が垂れたウサギのように二つに結った豊かな髪と大きな目が印象的な、ラパン・ラビットハートだった。

ラパンは真っ青な顔で荒い息を整えようとするがうまくいかず、過呼吸を起こして地面に両膝をついた。
このままでは彼女が倒れてしまう、そう思ったジークは演習中であることも忘れて木の陰から飛び出してラパンの身体を抱きとめた。
間近で見るラパンの顔や腕には、うっすらと血が滲んだすり傷や切り傷があった。

「ラパン!!」
「……」

力なく抱えられたラパンはうっすらと目を開けてジークを見るとまた目を閉じた。
彼女の呼吸は尋常ではありえない程速く、空気中の酸素を全て吸おうとするように激しかった。

どうしたらいいのか…と混乱しそうな頭で考えているとラパンはか細い声でジークを呼んだ。

「…ジーク…助けて……」
「大丈夫、ゆっくり息を吸って!」

ジークはこういった場面にあった事があまりなく、どうしたらいいのかわからないながらもラパンの背中をさすった。

苦しんでいる彼女には悪いのだが、汗の匂いに混じって彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐり、なんともいえない気持ちになる。

『お、女の子ってこんなに柔らかいのか……』

などと考えながら思わずにやけてしまう顔を必死に我慢していた。
男としての正直な感想なのだが幸いラパンに気付かれていないようだ。

とにかくラパンの症状が落ち着くことを祈りながら背中をさすっていると、彼女の呼吸が徐々に落ち着いていった。

「………」

何度かの浅い呼吸の後、もう一度深呼吸をしたラパンは顔を上げると微笑んだ。

「ありがとう、ごめんね?」
「い!?い、いやいや、おたがいさまだよ!」

一体何がお互いさまなのかわからないが、間近にある彼女の可愛らしい顔でようやく自分が彼女を抱きしめていた事に気が付いたジークは照れくさそうに笑い、ごく自然を装いながら離れた。

「えっと、…その……」
「………」

ジークはそれ以上何を話していいのかわからずに苦笑いを浮かべた。
それはラパンも同じのようで丸い大きな瞳を細めてゆるく首を振った。

「…今日の演習って、ジークとだったんだね」
「う、うん。そう…みたい……」
「……ねぇ、ジーク」

私ね、と言ったラパンは肩に乗せていたウサギのぬいぐるみを抱きかかえ、そのこで口元を隠しながらもごもごと言った。

「…私、戦いたくないの。演習が終わるまで一緒に隠れていよう?」
「えっ!?」
「ジークだって怖くて痛い思いをしてまで単位なんていらないよね?ねぇ?」

驚いているジークに畳みかけるように言葉をかぶせたラパンはジークの手を両手で握って涙目で訴えかけた。
ジークは勢いで「うん!」と言ってしまいそうになりながらも首を振った。

「いや、それはダメだよ。この学校に入ったからには目的があってそれを達成させる為に単位をとらなくちゃ。それに仲間が痛い思いをしてる中で自分一人だけ隠れてるなんて出来ないって」
「…そう……」
「あ、でも君がここに隠れてるってことは誰にも言わないから心配しないでよ…じゃ!」

そう言ったジークはラパンに手を振って走り出した。
その背中を見送っていたラパンは抱えていたウサギのぬいぐるみで口元を隠しながら肩を震わせた。
泣いているように見える。

その姿はか弱く守ってあげたくなる。

だが、本来の彼女は人形に魂を宿す能力をもって普通科に在籍している。
普段の生活ではあまり役に立たない能力だが、時としてその能力は恐ろしい事を起こす。

「やっぱりそう簡単にはいかないわねぇ……」

ウサギの耳に隠れたラパンのピンク色の唇が歪に孤を描いた。

「待ってよ」
「ん?」

後ろから呼び止められ、ジークが振り向くとそこには長い髪を前に垂らしたラパンが鋭い目で睨みつけていた。
さっきとはうって変わり、まるでか弱く可愛らしい姿が嘘だったかのような彼女にジークは驚きながらも足を止めた。

「ラパン…?」
「忘れたの?私達がリーダーであるあなたを倒せば単位を貰えるのよ」
「えっ…?」

まさかジークがリーダーである事をラパンが知っているなんて…。
そこまで考えた所でジークは重要な事を思い出した。
ラパンは知っている。
「うふ…ウフフフ…知ってるわよぉ…だって、クラスメートじゃなぁい……」

そう言って口元だけで笑ったラパンは、抱えているウサギのぬいぐるみの腹にあるチャックを下ろした。
思えば、ラパンの視線を感じるようになったのは演習の数日前からだ。
もしかしたら彼女はジークに興味があるふりをして探っていたのだろうか。

「ラ、ラパン…!」
「悪く思わないでね。ジーク・リトルビレッジ?」
くす、と小さく笑った彼女の顔を見た後、ジークの周りは暗闇に包まれた。

「あん?そういやジークはどこいったさ?」

額から流れる汗を乱暴に拭ったハツは思い出したようにそう言った。

「さぁな…一人でどっかに逃げてやられてねぇといいな」

あのあと、それぞれ別々に逃げたのちに体育科の校舎から少し離れた給水塔でレイズと合流していた。
そういえば、ハツは体育科の屋上から狙撃していた生徒から逃げ出す途中、ジークが自分達とは正反対の方向に逃げていくのを見ていた。
あの方向は確か、援護支援特科の演習場がある方だった。
そんな事を思いだしながら背負っていた矢筒を下ろし、残りの矢の本数を数える。

「そういやお前、あのオカマちゃんとどういう関係なんだよ?」

その時、柵に腰かけていたレイズが言った。

「まさかそういう趣味なのか?正気を疑うぜ」
「そんなわけねぇさ……」

誰の事を言っているのかわかったハツはゲッソリとした顔で答えた。
レイズの言う、あのオカマちゃんとは先程体育科の校舎の屋上から狙撃をして来た相手の事だ。
彼…彼女?は小柄で俊敏な生徒が多い援護支援特科の中でもひときわ大きな体と立派な筋肉を持ち、輝くスキンヘッドの頂から垂れる太いおさげが特徴の濃い人物だった。
ちょっと特殊な性癖なのがたまにキズなのだが成績は上位の方をキープしている。
名前を、エリザベス・ポワソンという。

「一度女湯と間違えてアイツの風呂を覗いちまったら、それっきり付きまとわられてるだけさ……」
「……ご愁傷様だな」

初めてみるハツの、それ以上聞かないでほしいという横顔に何と言ったらいいのかわからないレイズはポケットから唐辛子キャンディを取り出した。

「く、食えよ……」
「うっ…あの時仕掛けておいた罠が作動しなかったら俺様は今頃……」
「いいんだ、もういいんだぜ」

捕まって髭ジョリジョリ頬ずり攻撃を受けた時の事がフラッシュバックしているハツを宥めるように話を切ったレイズは、頬張った唐辛子キャンディをかみ砕きながら思った。

くだらねぇ……!!と。



男女混合チームカメリアに在籍する特進科A組のハロルド・ハルトマンは名門ハルトマン家に伝わる光魔法の使い手で、その女子と見間違える事のある甘いマスクと雰囲気で年上の女の子から可愛がられていた。
成績は中の上、友達の数こそ少ないがそれなりに満足のいく学生生活を送っていた。
そのハロルド坊ちゃんが今、人生最大のピンチを迎えていた。
いや、正しくはピンチというか厄日という方がいいのかもしれない。

今回の演習で倒すべき相手を探っていた最中、敵チームの二人組にばったり出くわしてしまい全力で逃げ出した。
とにかく今は後ろから追いかけてくる二人を何とかしなくてはならない。

ハロルドはちらりと後ろを振り返ると杖を取り出した。
よりによって体育科と特進科の二人組に追われるなんて運が悪すぎる。

もともとあまり体力のないハロルドとしては早めに決着をつけて休憩をとりたいところだ。
真っ向から戦うと言う選択肢は全くない。
そう思いながら杖の先に魔力を集中させて呪文を唱えた。

「光の壁よ…出て!!」

杖の先から溢れてきた小さな光が弾け、ハロルドの後方に輝く壁を創り出した。
これでしばらくは相手の足止めが出来る。

そう思ったハロルドが余裕の笑みを浮かべた時、頬を何かが掠めた。
それは正面に立っていた木に突き刺さると音を立てて割れた。

飛ばされたのは鋭利な氷の矢だった。
実はハロルドの得意な魔法は広範囲の防御魔法だったりするのだが、これが届いたという事は相手は壁を貫通させるほどに強力な魔法使いで、恐らくわざと外したのだという事がわかる。
きっとまともに戦っても勝てないだろう。

「あ…あぁ~……」

立ち止まり、恐る恐る振り返ったハロルドは自分の運の無さを心底呪った。
よりによってこちらに剣先を向けているのはつい最近U組に転入し、科の個人成績トップにいる双子の片割れリズウェル・ルークだった。

リズは相変わらず何を考えているのかわからない目でハロルドに狙いを定めながら傍らの仲間に訊ねた。

「今度は当てる?」

やはりハロルドの張った防御魔法はリズの魔法で貫通されているようで、その部分だけポッカリと穴が空いている。

「あはっ!大丈夫だよ」

顔を引き攣らせているハロルドに笑いかけたシャオロンは、魔法の防御壁に空いた穴に手を突っ込むと紙を破くような軽い仕種で防御壁を破壊して進んだ。

「ふふふ、ねぇ君!」

ニコニコと笑う顔とは裏腹にシャオロンは動けないハロルドへ一気に踏み込んだ。

「君がリーダーかい!?」
「ち、違いますぅうううううう!!!!」

涙ながらの必死の弁明も虚しく、殴られたハロルドはあわれにも数メートル吹っ飛ばされた。
「違ったね」

ザンネン。と言って苦笑いを浮かべたシャオロンはロープでぐるぐる巻きにしたハロルドを木の枝につるした。

「この演習はお互いチームの人数がわからない以上、単独行動は避けるべき」

リズは剣を鞘に戻すとそう言った。

「そうだね…ジークが倒されちゃったら負けなんだからハツかレイズと居てくれるといいね……」
「…ようはジークが倒される前に奴らを全滅させれば問題ない」

心配するシャオロンをよそに、リズは吊るされたハロルドを見て「アスパラのベーコン巻が食べたい…」とわりと真剣に考えていた。

「さて、行こうか」

そう言って足を踏み出したシャオロンは靴の紐がほどけている事に気付いてしゃがんだ。

「これでよし……」

ふぅ、と息をつき、ほどけた紐を今度はしっかりと結びなおして立ち上がると何故かリズの頭に矢が刺さっていた。

「ってぇええ!?」

おそらく狙われていたのはシャオロンだったのだろう…それがしゃがんだ一瞬の差で運悪く(?)リズに突き刺さっていた。

「でぇえ!?だ、大丈夫!?」
「…どこかから狙われてる」
「いや、そんなのはわかってるから!ねぇ、これ抜いちゃってもいいの!?」

シャオロンが慌ててリズの頭に刺さった矢を抜こうとした時、もう三本ほど追加でリズの頭に矢が突き刺さり、よりシュールな光景になってしまった。
「うわぁああ!?うわぁああ!!」

これって失血死したら自分のせいになるの?などとシャオロンは思ったが、リズは顔色もいいので矢を四本とも一気に引き抜いた。

「だ、大丈夫?」

そう訊ねたシャオロンにリズはとても真面目な顔でこう呟いた。

「刺さるかと思った……」
「いやもう刺さったから!!」

若干の面倒くささを漂わせながらつっこんだシャオロンは、矢を捨てて持っていた布でリズの止血を手伝ってあげた。
そこへ野太い声の男が近づいてきた。

ピンク色のモヒカンヘッドにどうしてそうなったか小一時間ほど問いただしたい位にドきついメイク。
つけまつげはパッチリを通り越して羽を広げたクジャクのようにガッツリ盛っており、真っ青なアイシャドウと異様に赤い唇が不気味さを引き立たせていた。

男は少し乱れた援護支援特科の緑色の制服を直すと持っていた弓にキスをして言った。

「はじめましてぇ。アタシはエリザベスっていうのよ」
「……」
「………」
「アンタ達、はっちゃんを見なかったかしらん?」
「…………」

シャオロンは何も言わず首を振った。このテの相手にはとにかく目を合わせない方がいいと思った。
するとエリザベスと名乗った謎の男は身体をくねらせながら自分自身を抱きしめて膝をついた。
この男にとってはリズを倒せなかった事なんてどうでもいい事のようだ。

そして空を見上げながら瞳を潤ませて一人で語り始めた。

「ああ…はっちゃん…アタシ達、今は敵同士でも来世ではきっと結ばれるって誓い合ったじゃないの…そうよ、苦しいのは今だけ…アタシ待つわ……」

「…今のうちに逃げようか」

どこからあてられているのかわからないスポットライトの下で完全に一人の世界に入っているエリザベスを相手にする気にもなれない二人は立ち去ろうとした。

「ちょっとどこに行くのよぉ!」

だがエリザベスはそれを見逃すわけがなく、地面に散らばる枯葉の中から紐を引っ張り出して引いた。
その瞬間、シャオロンとリズの立っていた場所がまるごと崩れてしまった。

しまった、と思った時はもう遅い。
罠にかかってしまったと気付いた時にはもう穴の底に顔から落ちていた。

「落とし穴…!いたた……」

シャオロンはすぐに立ち上がったのだが穴は狭いうえに深く、変身して出ようにも周りが崩れて生き埋めになってしまう。
すると穴を覗き込んだエリザベスが勝ち誇った顔でシャベルを持っていた。

「まずい…生き埋めにする気!?」
「窒息死」

こんな時でも無表情のリズ。

「オーッホッホッホッホッホ!!あんた達、ハロちゃんを良くもやってくれたわねぇん!!!」

エリザベスはシャベルいっぱいに乗せた物を穴の中に次々と落とした。
助けられたハロルドも手伝っている。

「うわぁああ!?」

必死に降って来たものから頭を守るシャオロンに『吊るされた仲間に気付いてたのかよ』、とつっ込む余裕はない。
べしゃり、とシャオロンの顔に何かが当たった。
それは冷たくツーンとしたニオイが鼻をつく。

「………」

引きはがしてみるとそれは真っ白な湿布だった。
それが何枚も何枚も降って来ていた。

「ホーッホッホッホッホ!!これであんた達は明日はそのツーンとした臭いをさせて過ごすのよ!耐えられるかしらぁん!?」

思わず横っ面を張り手したくなるような顔で笑ったエリザベスは、これでもかというように湿布を投げ落とした。

無言でそれらを全て叩き落としたシャオロンは、エリザベスの顔面目がけて湿布を投げ返した。

「ぎゃぁぁああん!!!アタシの綺麗な顔がぁああ!!!!」

顔にくっついた湿布を引きはがしたエリザベスは怒りで我を忘れている。
ついでにつけまつげが湿布と一緒にいくつか外れてしまい、色々と大変なことになっている。

「ボク達は絶対に負けられないんだ!こんな穴出てやる!!」

シャオロンはいつになく真剣な顔でそう言い放ったのだが、やっている事はただの湿布投げだ。

あまりにも低レベルかつ、きりのないやりとりにハロルドが呆れていると後ろから見覚えのある二人組が近づいてきた。

「エ、エリザベス…ねぇ……」
「んまぁー!!じゃあこれはどうかしら!?」

エリザベスは湿布を投げるのに集中して気付いていない。
ハロルドはオタオタしながらも魔法の呪文を唱えようとしたものの相手の方が速く、杖を根元から折られてしまった。

「はわわっ……」
「どけよ。今度はこいつで腕の骨も折られてぇか?」

怯えたハロルドを鈍器杖で押し退けたレイズは、「ん?」と怪訝な顔をした。
どういう状況なのかはわからないが、エリザベスが汗まみれで落とし穴に向かって湿布を投げている。
その横顔は歴戦の戦士のようで…ようするに暑苦しいおっさんそのものだった。

「うわー…できればもう二度と会いたくなかったさ…とにかく、ジークをはやく探さねぇとさ」

ハツは取り出した爆竹に火を付けながらそう呟き、エリザベスに向けてぽいっと投げた。

「あんっその声は、はっちゃぁーん!!」
「ゲフ!?」

全身に爆竹を浴びたエリザベスは火花をものともせずにハツにタックルを喰らわせた。
一番面倒くさいエリザベスをハツに任せたレイズは、その間に穴に落ちたシャオロンとリズを引っ張り上げた。
穴から這い出てきたシャオロンはレイズの顔をみた途端に深い安堵の溜息をついた。

「よかった!ボクだけじゃツッコミが追い付かなかったんだヨ!!リズが思ったよりもおばかで困ってたなんて言えないよぉ」
「いや、心の声もれてる。隠れてないかくれてない」

レイズは『こいつ結構腹黒いな…』と思った。

「…ジークは?一緒じゃないの?」

そう言ったリズはバカと言われた事を気にしていないようだ。
レイズは細かいことはもう気にしないようにしようと思いながら頷いた。

「ああ、てっきりお前らと一緒に逃げたのかと思ってな…あちこち回ってここに着いたってわけ」
「そう」
「まずいことになったね」

三人はハツを無視している。

とりあえず、とレイズは杖の柄で地面を叩いた。

「あのオカマ野郎とナヨナヨもやしを連れておとりにでもするか」

徐々に太陽は傾き、演習が始まって数時間が経っていた。
エリザベスとハロルドを捕まえた四人は援護支援特科の校庭でチームカメリアの最後の一人を待つことにした。

チームの仲間の姿が見えなくなれば必ず探しに来るだろうと踏んでの人質だったのだが、いつまでたっても来ない。

「おいよぉ、マジで来るんさ?つか、お前らんとこは本当に三人だけなんだろうさ?」
「ほんとよぉー。アタシがはっちゃんに嘘なんかつくわけないじゃなぁい!」

あっはーんと気持ちの悪いウインクをするエリザベス。
ハツは口元をおさえて蹲ってしまった。

「でもまぁ、仮にタイムアップになっても絶対的に優勢なのはこっちなんだからな。負けはしねぇだろ」

そう言ったレイズは唐辛子キャンディを口に放り込んだ。

「本当に君達はリーダーじゃないの?」
「ほ、本当です!!リーダーは女の子で、ラパンという名前で!!」

シャオロンの疑いの眼差しから逃げるように目を逸らしたハロルドは、校庭の真ん中に一人の女の子が立っている事に気付いた。

「ラパン!!」
「ラパンちゅわぁ~ん!!ごめんねぇ~ん!!!」

愛には逆らえなかったのよ!などとほざいているエリザベスを無視したラパンは、抱いていたウサギのぬいぐるみをシャオロン達に見せた。

「完結に言うわ。あなた達のリーダーであるジークはこの中よ!」
「はぁ!?」
「どーゆーことさ!?」

「もう一度言ってあげる。私の名前はラパン・ラビットハート。この演習はあなた達の負けなのよ」

クス、と薄く笑ったラパンは、ウサギのぬいぐるみを引っ張った。


「ど、どういう事…?」
「ジークがそのウサギだって?可愛らしいジョークだぜ」

困惑顔でそう言ったシャオロンとレイズを真っ向から見つめたラパンは、もう一度はっきりとした口調で言った。

「冗談ではないわ。私の能力は人の魂を人形に移す事が出来るのよ」
「そ…そんな……」
「まだ信じられないっていう顔をしてるわね。エリック、見せてあげて」

余裕の笑みを浮かべたラパンがそう呼んだエリック…まぁ、エリザベスは体をくねらせながら走って行った。
そうして戻ってきた時には、彼の肩にはぐったりとした様子のジークが担がれていた。

「ジーク!?え!?はやっ!どこに居たんさ!!」

ハツはジークが倒れていた事に驚きつつもエリザベスがあまりにもはやく戻って来た事に嫌な顔をした。
ジークは四人の前にまるで荷物のように乱暴に下ろされると、ラパンは確認するように手で促すしぐさをとった。

「…ジーク!」
「あっさりやられてるなんて笑えネェさ!!」

シャオロンとハツの呼びかけにも固く目を閉じたままのジークは、まるで糸が切れた人形のように動かない。

「こんなもん見せられても、その人形の中にジークの魂が入ってるなんざ信じられるかっつーの」

面倒くせぇ、と言い捨てたレイズは杖両手で持つと魔法を使おうとした。
レイズの中の魔力が具現化して赤いもやとなる。

「ダメだよ!これ、本物のジークだよ!!」

慌てたシャオロンはそう言い、ハツとレイズ、そしてずっと下を見ているリズの顔を見ると最後にラパンの方へ向き直った。

「…ほ、本当にそのウサギの中にジークの中身が入ってるっていうの…?」
「そうよ」

信じられないという顔をするシャオロンにラパンは即答した。

見て、というように彼女が持っているウサギの腕を無理やり反対方向へ捩じると、それに反応してジークの腕も無理な方向へ曲がっていく。

「やめろさ!」

このままでは腕は折れてしまうだろう…ハツは声を荒げた。

ラパンはウサギの腕を捩じるのをやめるとフッと笑い、こう言った。

「だから、この戦いはあなた達の負け。大人しく投降しなさい。さもなくばジークの腕や足の一、二本は覚悟してもらうわ」

圧倒的有利な状況から見下ろす彼女は、チームAHOUからの勝利を確信している。
到底ここから現状をひっくり返せない状況だと誰もが思っている。

勝敗の判定が下されるのは時間の問題だと思われた。
…当の本人たち以外は。

「…ねぇ、どれくらいでいけるかナ?」

少し強めの風が土埃を巻き上げ一瞬視界が塞がれた時、シャオロンは唐突にそう言った。

「ンー。俺様の実力をもってすればカンタンな事さ。ざっと数分じゃね?」

ハツは弓に矢をつがえながらそう言う。

「作戦もクソもねぇけど、まぁいいんじゃね?」

そう言ったレイズは不敵な笑みを浮かべていた。

「ウサギを奪うのは任せて」

リズはそれだけ言うと魔法で作ったナイフを指で遊ばせ、自分の影を見た。

「こほっ、こほっ…砂が目に入っちゃったわぁん」
「目がかゆいよぉ……」

風で巻き上げられた砂と土埃の向こうからエリザベスとハロルドの声が聞こえる。

「さてと、先制攻撃といくぜ」

レイズは愛用の鈍器にも似た杖の先を相手に向けると魔力を集中させた。
空気中に現れた魔力は杖の先にある宝石に集まり、赤い光は一層強くなる。

「派手に行こうぜー!!」

そう言って物語の悪役のように豪快に笑ったレイズは、杖の先に集まった力を一気に解放させた。

「炎よ猛ろ!ブレイズウインド!!!」

炎は獰猛な動物が獲物を食いちぎるように土埃を抉り、勢いを増して乱暴に突きぬけた。

「!?まずいっ!!」

正面から迫ってくる熱と魔力に気付いたハロルドは咄嗟に得意の防御魔法を張った。
レイズの放った業炎は盾のように固いハロルドの防御魔法で防がれ、消えてしまったが効果としては十分だった。

「ハッハー!!もういっちょ、耐えられるか!?」

立て続けに魔法を放つレイズは必死に耐えるハロルドをいじめているようにも見える。
どこからどうみても悪役だった。

「よっしゃどんどん行くさ!!」

そう言って飛び出して行ったハツは、矢でラパンを狙う。
だが彼女も一筋縄では行かない。

ジークの魂が入ったウサギを盾にするように逃げては石を投げてくる。

「あんまり将来のカワイコちゃんを狙うのもあれさなー……」

さらっと同い年の女の子を『将来の』といった不穏さはさておき、ハツは移動しながらジークやられてしまわないように守りに専念している。

一方のシャオロンは先制攻撃の魔法での混乱に乗じて一気にエリザベスへと攻撃をしかけていた。

「たぁあ!!」
「ブンヌラァ!!!」

お互い掴みかかり、一歩も引かない状態が続いていた。

「くっ…!」
「むほほほ…あなた意外とパワータイプだったのねぇん」

こんな時でもオネェ言葉で話すエリザベス。
それはこっちのセリフだ、とシャオロンは全力で張り倒したい気分になった。

かといって、こんな所で本気を出せばこのオカマの命はないので手加減をしている。
シャオロンは彼にしては珍しく舌打ちをして距離を取った。

「時間もないから一発できめさせてもらうネ」

パワータイプの後方支援なんて本当に厄介だ。
はは、と乾いた笑いを零したシャオロンは拳に力を込め踏み込んだ。

「はぁああ!!!」

渾身の力を込めた拳がエリザベスの頬を殴り飛ばす。

「きゃぁあ!」

これで終わりだ!ともう一発打ち込もうとした所で、なにかに足を取られバランスを崩してしまった。

「なっ…これはっ!?」
「スキありよ!」
「わっ!?」

体勢を崩しながらもエリザベスの振り下ろすハンマーを躱したシャオロンは、両足に絡み付いた影に気付いて目を見開いた。

「こ…これ…!」
同じくして、ハツとレイズ、リズの足にも伸びた影が絡み付いていた。

「んだこれ…っと!?」

動けないところにハロルドの放った光の矢が腕を掠り、レイズは眉をひそめた。

「なんさこれは…!?」

自分の陰から伸びる何かから逃げようとするハツだが、それはまるでゴムのように伸びて離れない。

「…やっぱりなにかいた」

そう言ったリズは納得したというように影から覗くなにかにナイフを突き立てた。

だが何の反応もない。

「ふふ、そうだ。言ってなかったわね。私の力は一定のフィールドにある影を操る事も出来るの」

動けない三人を順に見たラパンはそう言った。

「そうか…あん時、なんかおかしいと思ったのはあんたのせいだったってわけだな……」

苦い顔でそう言ったレイズ。

当たり、と微笑んだラパンは最終勧告をした。

「さぁ、負けを認めなさい!」


何もない真っ暗な空間の中で目を覚ました。

「あれ…ここは?」

ジークは起き上がると辺りを見渡した。
いつの間に夜になったんだろう…そう思いながらあくびをしていると、演習の事を思い出した。

「夜ってやばいじゃん!俺どれくらい寝てたんだ!?皆は?結果はどうなったんだ!?」

慌ててジークは立ち上がった。
今が何時だとか、自分の手元さえ暗くて見えない現状に軽くパニックになっている。

「えっと、そもそも校舎ってどっちだったか…あぁもう…何で寝ちゃったんだよ……」

校舎がどこにあるのかもわからない。
ジークが一人でおたおたしていると、どこからかピンク色のウサギのぬいぐるみがやってきた。
ウサギのぬいぐるみはジークの足元でペコリ、とお辞儀をするとぴょんぴょんと可愛らしく跳ねながらどこかへ行き、ジークを振り返った。

「へ…?」

まるでついてこい、というようなウサギの様子に驚いていたジークは躊躇いながらも歩き出した。

ウサギが先端に人参の模型がついたステッキを振りながら進んだ所は、きらきらとした星の粉が降り注ぎ、何もないそこにぼんやりとした街の灯りが浮き上がって来た。
踊るようにステッキを振るウサギはジークの周りにも星の粉を降らせ、次々と暗闇の中に街を浮かび上がらせていった。
まるでナイトパレードのような光景にジークが微笑ましく思っていた時、ウサギはひとりの女の子を浮かび上がらせた。

ろくに手入れもしていないボサボサの蜂蜜色の髪、フリルのついた真っ黒なドレス。
道の真ん中に立ち、寂しそうに明かりのついた家を眺めている。

するとウサギはジークに向かってまたお辞儀をして少女の手を握った。

「…あれ…?」

ジークはいつの間にか知らない街に連れて来られていた事に今更気付いた。
後ろ姿の少女はどことなくラパンに面影が似ていた。

「もしかして、君はラパン…?」
「……」

少女の肩がピクリと動いた。
彼女はジークが知っているラパンよりは少し幼いくらいだろうか、だがジークはそんな事よりも知った顔に会えた事で頭がいっぱいだった。

「やっぱりラパン!俺、なんだか寝ちゃったみたいでさ。…今何時なんだい?あとここはどこ?」

なんだか照れくさいな、とジークが聞けばようやく振り返った少女…ラパンはとびきりの笑顔を向けて抱きついて来た。

「え、ちょっ…!?」

こんなところで!?と顔を赤くして受け止めようとしたジークだったが、ラパンの身体はジークをすり抜けていった。

「!?」

もはやどういう事になっているのかわからないジーク。
振り返れば、いつの間にかジークの後ろには白髪まじりの女性が立っておりラパンを抱きしめていた。

モノクルの奥の老女の優しい眼差しはラパンに注がれており、言葉はなくともどれほどラパンが愛されているのかわかった。

そんな様子を見ていたジークは、なんとなく故郷の事を思い出していた。

すると今度は目の前が霧がかったように見えなくなり、ようやく霧が晴れた時には場面が変わっていた。

家具は少なく質素な家のベッドで横になっているのは、先程ラパンを優しく抱きしめていた老婆。
彼女の周りには沢山の花とぬいぐるみが置かれており、今と同じくらいの歳のラパンが微笑みかけていた。

老女は何かを話し、ラパンはゆるゆると首を振り言葉を返す。
ジークには何を話しているのか聞こえなかったが、時折苦しそうな顔をする老婆を見ていると何となくわかった。

…その先も。

次に霧が晴れた時、薄暗い部屋で一人ウサギのぬいぐるみを抱きしめるラパンの姿があった。
老婆が寝ていたベッドには枯れた花とぬいぐるみだけが残されていた。

「ラパン……」

そう言ったジークの声は彼女に聞えない。
しばらくそうして泣いていたラパンは何かを思いつき、弾かれたように部屋を出ていった。

そこまで見たあと、ジークの目の前はまた真っ暗になってしまった。

「…そっか…そうなんだな」

その後、ラパンがどうしたのか。
全部わかってしまったジークは先端に人参の模型が付いたステッキを持った老婆に微笑みかけた。

優しく包み込むように笑む彼女がいつ現れたのかわからない。

だが今度は驚かなかった。

ラパンはもともと持っていたこの能力で亡くなったおばあさんの魂をぬいぐるみの中に留めている。

「はは…うん、わかる。すごく気持ちはわかる……」

大切だった人と離れたくなくていつまでもこの世にとどめておきたい気持ちはわかる。
でも、それが故人の気持ちと同じとは限らない。

ジークは老婆に訊ねた。

「あなたは、このままここにいて良いのですか?」

すると老婆は微笑んだまま、ゆっくりと口を開いた。

「遠くから見守るのも愛というけれど、不安定なあの子だからこそ、一番近くで守ってあげたいのよ」

それに、と続けた老婆はステッキでジークの足元を指した。

「あなたもヒトの中に混じり続けている理由があるのでしょう?」
「は?」
「…おや、もう時間のようだね。まったく、好きな相手の名前を間違えるなんて…あの子は本当に相変わらずおっちょこちょいだね……」
「ん?何が好きなんです?」

怪訝な顔をしているジークに微笑みかけたまま、老女はステッキを振って星屑を降らせた。

「!!」

一瞬、心臓の鼓動が大きく聞こえ、息が苦しくなって目を覚ました。

「あ、あれ……ここ……」

「ジーク!起きたさ!?」

ジークはすぐ傍でハツの声がして起き上がり、辺りを見渡せばハツを始めとしてシャオロンやリズ、レイズが自分の影に捕らわれていた。

「…ラパン」

未だに森で会った時から記憶がすっぽり抜けているジークだったが、この状況で何があったのかわからない程アホじゃない。

「なんで…なんで出て来れるの…?影も…私の能力が効かない…!?」

ラパンがいくら念じてもジークの影は言う事を聞かず、彼女は抱いているウサギのぬいぐるみとジークを順に見た。

その顔にさきほどまでの余裕はない。

ジークは上着のポケットに手を入れた。

「落ち着きなさい、ラパン!相手はたった一人よ!」

そう言ったエリザベスは化粧直しに使ったファンデーションをポーチにしまった。

「アタシがひねりつぶしてあげる!!」

そしてとびきりの投げキッスをするとサスペンダーで固定した自慢の大胸筋を揺らしながら走り出した。
だがそれを見逃すほどシャオロンもぼーっとしていない。

「させないよ!」

シャオロンは影にグルグル巻きにされた状態で無理矢理腕一本を抜けさせると、勢いづいているエリザベスのサスペンダーを後ろから掴んだ。

「キャー!あんたシブトイわよっ!!」

もはや何かのギャグマンガのように限界までに伸びたサスペンダーに抗う姿は繋がれた犬のようだ。
シャオロンの握力か、エリザベスの脚力が勝つか!という勝負なのだが、ぶっちゃけサスペンダーを外せば解決する問題である。

「え、エリザベス!」

ハロルドは慌てて魔法を唱えようとしたが、突然足を滑らせて転んでしまった。
足元を見ればいつの間にか一面が凍りついている。
影で覆われて何かの怪物のようになっているリズの仕業だろう。

「ラパン、俺は君を傷つけたくない。投降してくれ!」

ジークは上着のポケットに手をつっこんだ手を出し、取り出した武器を目の前にやった…ところで目が点になった。

取り出したかったのは、いつも使っているサバイバルナイフだ。
だが、今持っているのは双子の家で手に入れた謎の木の棒(ジークの顔の彫刻つき)だった。
なんだか呪われそうで捨てられなかったのだ。

……。

「ウワァアア!!!」

あまりの恥ずかしさに慌ててナイフを探すものの、どこかに落としてしまったようで生憎武器らしいものはこれしかない。
そしてこの奇妙な木の棒は何故か暖かな光を放っており、無駄に神々しい。

「な…なによ…それ!」
「俺は君と話がしたいんだ…うおっ!?」

逃げようとするラパンを追いかけようとしたジークは地面が凍りついている事も忘れて走り、見事に足を滑らせた。

「アァアァアー!!?」

ジークは必死にバランスをとりつつ、なんとか両手を広げて片足立ちで落ち着いたその時、どこからか追い風が吹いた。

「いっけー!そのまま相手のリーダーをぶっ倒せ!!」

その声は、もはや顔が見えないくらいまで影に覆われているレイズのものだった。
おそらくレイズからは外の状況が見えないので、とりあえず魔法やっとけ。的なものだったのだろう。

迷惑以外のなにものでもなかった。

「オオオワァアーッ!!」

さながらフィギュアスケート選手のように片足で華麗に滑っていく様はシュールとしかいいようがない。
途中、ハツに掴まろうとして一回転してしまったが止まれず、そのままラパンへと真っ直ぐ突っ込んでいく。

背後で「俺様の手榴弾ー!」とか聞こえたが、今のジークはそれ所ではない。

「ラパァアアアーン!!!」

ジークはもはや腹を括った。
こんなシュールな体勢でラパンに迫って行きながらも、真顔でいられるのは彼女を傷つけたくない一心だった。

「避けてくれぇえー!!!」
「キャァアアア!!」

ジークとラパンの悲鳴の後、小規模の爆発が巻き起こり氷の粒を降らせた。
ジークは避けてくれ、と言いながらも方向が変えられずにしっかりと彼女を巻き込んでその上、手榴弾まで爆発させて転んでいた。

「ジーク、大丈夫かい!?」

影の魔法が解けた事で自由になったシャオロンは、即行でサスペンダーから手を放した。
後ろでエリザベスのうめき声と「ウィッグが…」という訴えを無視して二人の所へ向かう。

ハツや双子も向かう。

「……」
「ラパン」

きらきらと陽の光を反射して輝く氷の粉塵が降りていくのを見ていたラパンはジークの声で我に返った。
仰向けに転んだ自分を守るように覆いかぶさっているジークは全身傷だらけで血だって出ている。

そんなボロボロのジークに対して、ラパンは膝を少しすりむいただけだ。

「……」

ラパンが何を言おうかと戸惑っているとジークは額から垂れてきた血を服で乱暴に拭い、晴れた空のような顔で笑って言った。

「俺は、ジーク・リトルヴィレッジだよ…!」

そう言ったジークは、わざとらしく「ヴィ」の部分を強調させた。
それを聞いたラパンは強張っていた顔を綻ばせ、声を出して笑った。

「ラ、ラパン!大丈夫かい?もしかして頭が変になったんじゃ……」

オタオタとラパンの様子を見ているジークにラパンは笑いながらこう答えた。

「平気よ。私はもともと変なんですもの!」

夕暮れの体育科の校舎前。

長く伸びた自分の影を見ていたジーク達とラパン、ハロルド、エリザベスの八人の前にアリーファ教官が現れた。

「…今日一日の演習、見せてもらった」
「……」

厳しい目で八人を見るアリーファ教官。
ジークは顔を上げる事が出来ないでいた。
この演習は結局、ラパン達が優勢だったのだ。負け判定を貰っても何も言えない。

「まず一つ目」

アリーファ教官は言った。

「チームカメリア。お前達は人数差が二人分ある中、よく戦った」
「あ、ありがとうございます!」

ハロルドは大げさな程に礼をした。

二つ目、と言ったアリーファ教官はジーク達五人に視線を移した。

「お前達もよく戦ったな。特に、リーダー自らが体を張って戦ったのは正直驚いたぞ」
「は…はは…ありがとうございます……」

ジークはなんだか恥かしくなって苦笑いを浮かべた。
あれを見られていたとは……。

「では総合評価を下す!」

そう言ったアリーファ教官。
ジークは背筋を伸ばして言葉を待つ。

たっぷり数秒の間を開けた後、アリーファ教官が名前を呼んだのは……。

「勝者はチームAHOUとする!」
「!?」

呼ばれたジーク達は驚いて顔を上げた。
ジークの手に小さな書状が渡される。

「ちょっと教官!どう見てもアタシ達の方が有利だったじゃなぁい…どうしてよぉ!」

そこへエリザベスが抗議をした。
アリーファ教官は彼女らに向き直ると抑揚のない声で言った。

「確かに、あの時点ではジーク・リトルヴィレッジは重症を負い、ラパン・ラビットハートは軽傷で済んでいた。だが、あの後どうなるのかは考えていなかったのか?」
「そ、それはアタシ達がー……」

あの後、と言われエリザベスは口籠った。
そこへラパンが口を開いた。

「あの時、確かに私は軽傷でしたが、私にもう一度能力を使う体力は残されておらず、あそこでもう一度戦いになればエリザベスもハロルドも…私も大けがを負わされていたと思います」

アリーファ教官は何も言わず頷いた。

「その通りだ。だが、あの時点でのジークは戦闘不能ではなかった。敗因はそこを突かなかったお前達の甘さにあると思え」
「はい…大丈夫よ。今度は負けないわ」

そう言って頷いたラパンはエリザベスとハロルドに笑いかけた。

「そして、これはチームAHOUのお前達にも言える事だが、何故に軽傷のラパン・ラビットハートを攻撃をしなかった?」
「それは…彼女にもう戦う意志がなかったからです」

ジークはアリーファ教官の目を見てはっきりとした口調で答えた。

「相手を戦闘不能にするのに、殴るだけが方法じゃないと思います。甘いと言われると思いますが、俺はこういう考え方もあると思っています」

「……」
「キョーカン、ジークはこういうセーカクさな。甘ちゃんだけどよ、俺様もこれでいいと思ってるさよ」

ハツは厳しい顔でじっとジークの目を見ているアリーファ教官にそう言った。

ほんの一拍を置き、アリーファ教官は口を開いた。

「…そうか。それがお前の正義なのだな」
「え!?い、いや…正義っていうか…なんというか……」

正義と言えば正義だけど…とはっきりしないジークは、苦笑いでごまかした。
その答えに教官が納得したのかはわからない。
けれど、アリーファ教官は頷いた。
「では、これにて本日の演習を終了とする!」

どこか懐かしむような目でそう言ったアリーファ教官は、「解散だ!」と言い放った。

「いてて…まじで痛かったな……」
「大丈夫さよ…?」

ラパン達と別れ、いつものボロ小屋へと戻る途中ジークはハツに肩を借りて歩いていた。
一応、応急処置をしたが痛いものには変わりがない。
後ろからはハツの弓と荷物を背負ったシャオロンと双子がついてきている。

「しかしよーその単位とかなんとか?もらえてよかったじゃねぇの。これでボロ小屋から脱出に一歩近づいた系じゃね?」

レイズはそう言ってきざったらしく前髪をかきあげた。
その隣を歩くリズは相変わらず無表情でメロンパンを食べている。

「そうだといいケド…ようやく一単位……」
「ま、キボーを捨てちゃ叶わんさ!」

はぁ、と溜息をつくシャオロンと楽天的なハツ。

「…とにかく、部屋に着いたら回復魔法を頼むよ。あと、やっぱり食べ物だよな……」

ジークも今は先の事を考える気にはならなかった。
そんな他愛のない話をしながら、初めての演習で勝利した夜はふけていった。

そうして、春が終わり夏がやってくる。

第九章『Soul cradle』

fin.

第十章『End of Eternity』

「はぁ…はぁ…っ」

薄暗い廊下と淀んだ空気、吐き気のする薬品の臭いが容赦なく体力を奪い、乾いた喉は無意識に鳴った。
走るたびに床につもった砂とホコリが舞い、咳き込みそうになるのをグッと堪えた。

後ろを振り返れば、ひたひたと全身が包帯に包まれた人のような何かが追いかけ来るのが見えた。
それは全力で走っているジークよりも早く進み、捕まってしまうのは時間の問題だった。

ジークは両サイドがガラス張りになっている無機質なこの施設内に舌打ちし、近くにあった部屋に滑り込んだ。
幸い、ここにはあの不気味な包帯男はいないようで部屋一面に散らばった気持ちの悪い血痕と、大量の薬品が目に付いたくらいだった。

ジークは足元に転がっていた薬品の名前を見て咄嗟にその瓶を拾い、近くにあったテーブルの下に隠れるといつも身に着けているジャケットの袖を折った。

「このままじゃ、こっちの身が持たないぞ……」

小さな声でそう呟き、近付いて来る相手の様子をそっと窺った。
ここからだとちょうど死角になって相手からは見えないようになっているはずだ。

ここまで一緒に来た仲間は助けに来ない。
「俺が自分でやるしかないんだ…!」

そう自分に言い聞かせながらマフラーを外して拾った瓶を包み、きつく縛った。

まもなくヒタリ、と足を擦る音がし包帯男が部屋に入って来た。

ジークは自分自身に「大丈夫、きっと大丈夫だ」と心の中で語りかけながらテーブルの影から包帯男の様子を窺う。
汗がぽたり、と床に落ちた。

包帯男はテーブルの下に隠れているジークに気付かず、辺りを探っては唸り声をあげている。

チャンスは一度きりだ、ジークは心の中でそう呟くと静かにテーブルの下から出た。
そうして、背を向けていた包帯男の頭めがけてマフラーで包んだ瓶を思いきり振り下ろした。

「くらえ!」

ゴスっという鈍い音がし、包帯男は前のめりによろめくも倒れずに踏みとどまりジークに襲い掛かってきた。

ジークは間髪いれずにもう一度マフラーを振り回して包帯男の頭を殴りつけた。

その衝撃で瓶が割れ、中に入っていた液体が包帯男の顔面に派手にかかり、男は恐ろしい声で叫びながら顔(だと思われる所)を両手で覆い、手当たり次第に暴れだした。

「濃縮された硫酸をくらえばひとたまりもない!って本に書いてたからな!!」

ジークは硫酸がかかってボロボロになったマフラーを捨てると転がっていた丸椅子を持ち上げ、体力の続く限り包帯男の頭を殴り続けた。

そして、包帯男が動かなくなった事を確認して溜めていた息を吐き出した。

「ふぅ…はぁ…はぁ……」

硫酸の臭いが鼻をつき、この状況に極限までに追い詰められた精神は擦り切れそうで、頭の中はオーバーヒートしそうになっていた。
ジークはこの生体研究所での課題で自分の無力さを痛感していた。

「うぅ…頭が痛い…気持ち悪……」

まるで頭の中で何かが暴れているかのように吐き気が込み上げて来、その場で戻してしまった。
仲間達が居ない中、ここで自分はどこまで生き残れるのか…。
そんな事をボーッとする頭で考えていた。

この課題を受けたのは昨日の事だ。
夏休み前の筆記試験をクリアしたジークは次の実技テストを受ける為に寮で頭を抱えていた。
そもそも何の特殊能力もないまま普通科に入ったジークは、実技テストをクリアできる自信がなかった。

このテストを合格できなければ問答無用で落第。
今だってギリギリの所にいるというのに、さらに成績を落としてしまえば退学もありえるだろう。
入る学校を間違えたとはいえ、両親に楽をさせてあげたい気持ちに変わりはないので、それだけは何としても避けたい。

先に実技テストに合格していた双子とシャオロンに相談してみるものの、三人とは能力の系統が違うので収穫はなかった。

うんうん唸るばかりで進歩しない話にシャオロンはこう切り出した。

「特殊能力と言えば、ジークにはあの顔が付いた棒を取り出す能力があるじゃない?」
「え。あれ!?あんなの顔つきの木の棒なんか取り出してどうするんだよ…びっくり手品じゃないんだから……」

そう言ったジークにシャオロンは苦笑いを返すだけだった。

そこへ珍しくリズが真顔で口を開いた。

「ぷっ、アンコール、アンコール……」
「いや、今のどこに笑う所があったんだよ、ていうか、顔が笑ってないから気味悪いよ」

一応ジークはつっこんであげた。
あまり表現がうまくないながらも、リズは少しずつ感情をあらわせるようになっているようだ。

「つーかよぉ」

と、それまで黙っていたレイズは同じく黙って教科書を見つめているハツを指さして言った。

「このクソ猿、筆記試験落ちやがったんだけど。これもどうにかしねぇとやばくね?」
「俺様、真面目に授業出てたのにサッパリわかんねぇさ」

何故か清々しい顔で笑うハツの前に広げられた赤点の答案用紙を見たジークは、思わず白目をむきそうになった。

「フォッ!?」

百点満点中のひとケタをとってくるなんて想像を超えた現実すぎて変な声が出てしまった。
レイズは溜息をつくと持っていたペンでハツの頭を殴った。

「いたいさっ!」
「この、アホ猿!てめぇが足引っ張ってんじゃねぇか。個人の成績もチームの成績のうちって知らなかったとは言わせネェぜ」
「だからさっきからこうして頼んでるさよ!再試で欠点の40点ギリギリまで取ればなんとかなるさ!」

ちゃっちゃと教えろさ!と続けたハツはまたもレイズに殴られていた。

「そういう問題じゃないだろ……」

はは、と乾いた笑いをもらしたジークは、自分も人の事は言えないな、と溜息をついた。

そんな様子を眺めていたシャオロンは思い出したように言った。

「そういえば、ボクのクラスでも実技試験に落ちた人が居てね。ちょっと聞いた話なんだけど、ある課題をクリアできたら試験が無条件で合格扱いになるんだって!」
「なんだって!?」

前のめりになるジーク。
シャオロンは頷いた。

「ボクはたまたま聞いたんだけど、教官に直接聞いてみたらどうかナ?」

ふぅ、と息を吐いたジークはさとりを開いたように穏やかな顔で立ち上がり、言った。

「そうだな。うん、うん!これはハツの為だからな、断じて俺の為なんかじゃないからな!!俺が実技試験の自信が全くないからとかいうわけじゃないからな」
「………」
「…笑える。お腹痛い」

あまりにもしらじらしい演技と謎の言い訳に誰も何も言わなかった中、リズだけが真顔で呟いた。

ともあれ、教官室にやってきた五人はさっそく机で仕事をしていたアリーファ教官に試験をパスできる課題について聞いてみた。
だが、それに対するアリーファ教官の反応は厳しいものだった。

「本来はこの特例である課題は落第生の最後の救済措置だったのだが…今のお前達に与えるには高難度すぎる」
「…そう、なんですか……」

アリーファ教官は、はっきりと「だめだ」とは言わなかったがその目は冷たかった。
ジークは両手の拳をぎゅっと握った。

「…あ、あの教官!俺達…どうしてもその課題を受けたいんです。自分達がどこまで出来るのか試したいっていうか、その……」

すでに落第生候補ですし。
と言いかけてジークは口を閉じた。

「センセー」

何も言わないアリーファ教官に見かねてハツは言った。

「俺様達、チョー強くなってるから大丈夫さよ!」

どこから出てくる自信なのかわからないが、ハツは胸を張ってそう言った。
それにレイズも口添えする。

「この猿を今から勉強させてもどのみちもう無理だぜ。それに、俺とリズは特進科の首席だ。ついでにシャオロンも実技だけは主席らしいしな」
「…人間の考えた学問は役に立たない気がするし、ややこしいんだヨ」

シャオロンは「フッ…」っと荒んだ笑みを浮かべた。
この分だと筆記試験は欠点ギリギリだったのだろう…。

「教官、お願いします。どうか俺達にその救済措置の課題をやらせてもらえませんか?」

ジークはもう一度アリーファ教官に頼んだ。
アリーファ教官は険しい顔で五人を見ていたが、やがて溜息をつくと話し始めた。

「…今回の試験を合格扱いにするこの特別な課題は、はっきり言って落第生を切り捨てる為のものだ。もし課題を達成できずに戻ってくれば即退学となり、途中で死んでしまっても一切の救援はない」
「…だから、最後の救済措置というわけなんですね」

そう言ったジークにアリーファ教官は深く頷いた。

「この課題を受ければ、見事クリアしてくるしか戻る方法はない」
「…そうですか……」

アリーファ教官の言葉をかみしめるように聞いていたジークは、ゆっくりと後ろに向き直り、仲間達を順に見た。

「いいよな?」

課題を受ければ絶対にクリアしなければ学校に居られない。
けれど、うまくいけば試験は無条件で合格となる。

もう一度、四人の気持ちを確認するように訊ねたジークにリズは真顔のまま頷き、シャオロンは満面の笑みを返した。
レイズは不機嫌そうに胸の前で両腕を組んでいたが、当然だというような顔をした。
ハツにはもちろん拒否権はない。
ジークはアリーファ教官へ向き直り、頷いた。

「その課題、受けます!」
「…わかった。ではさっそく説明に入る」

何かいいたげなアリーファ教官は、机の引き出しから数枚の書類を取り出してジークに渡した。

「これが、お前達に与える高難易度の課題…いや、任務となる」
「え…これって……」
書面を目で追ったジークは、そこに書かれていた文字に驚いて四人にも見せた。

そこには不気味な雰囲気の廃れた建物と人間ではない化け物の写真にまじって何かの肉を両手に持って笑う科学者のような男の写真が入っていた。
男の顔の下には、『バリー博士』と書かれていた。

「これは、十八年前に閉鎖された第一級危険分子、バリー博士の有する生体研究所だ。この任務はバリー博士の殺害及び、生体研究所の破壊となる」
「ちょっと待てよ!」

アリーファ教官の話を遮ったレイズは、書類を食い入るように見つめながら言った。

「こいつ、うちに出入りしてた奴じゃねぇの!?なんか、毎回よくわからん薬を持って来ては親父となんか話してたぜ!!」
「…かつてバリー博士は生体学の権威だったが、ある時狂ってしまい、人体実験を繰り返し人体生成術を生み出し…そして危険な薬を作り広めようとしていた」
「薬?」

怪訝な顔をしたジーク。
アリーファ教官は話を続けた。

「その薬を服用し続けていると痛みを感じなくなり、次第にあらゆる感情や本人の意志などが希薄になる生きた人形になる効果があった。それを知った我が校は十八年前に博士を殺害したはずだったが、この度生きていると報告があったのだ……」
「その薬ってもしかして……」

ジークは嫌な予感がしながらもリズを見た。

「……」

何も言わないリズの代わりにレイズが言った。

「お前、なんか昔から飯代わりにボリボリ食ってたろ!!あれその薬じゃねぇのかよ!!!」
「…痛みを感じなくなる薬だと聞いた」
「ああぁあの、クソジジィイ!!マジ燃やしてぇえええ!」

自分の事なのに淡々と話すリズとは対照的にレイズは今にも書類を燃やしてしまいかねない。
ジークは書類を集めるとアリーファ教官に言った。
「では教官、その薬の症状を治す方法はバリー博士しかわからないのですか?」

アリーファ教官はゆっくりと首を振った。

「…残念だが、リズウェル・ルークのように子供の頃から大量に服用していれば恐らくは解毒剤は効かないだろう」
「……」

黙り込む五人にアリーファ教官はもう一度言った。

「これ以上そんな人間が増えれば戦争が起きる。だからこそ、博士と研究所を亡き者にしなければならないのだ。すぐに出発しろ。そしてやりとげてみせろ!」
「はい…!」

資料を固く握ったジークは教官の言葉の意味を心の中で噛み締めながら資料を鞄にしまった。

「なんか試験をパスするだけの課題だったのに、大変な事に巻き込まれちまったな」

教官室のドアを閉めてすぐにレイズは言った。

「もう課題っていうか任務の域だよね」

はは、とシャオロンは苦笑いしリズに話しかけた。

「そういえばリズ、今も薬の作用って強く残ってるの?」
「痛みは感じないときもあるけど、今は平気」

そう答えたリズは思い出したように指で口の端を引っ張って見せた。
笑顔を表しているつもりのようだ。
ジークはそんな三人を横目にずっと険しい顔で黙っているハツに気付いて声をかけた。

「ま、どんなに大変な任務でも俺達なら大丈夫だよな!な、ハツ!?」

あえてお調子者のハツがのってきそうな話をしたのだが、当の本人はジークの方を見ると曖昧な返事をした。

「あ?あぁ、まぁよ」
「どうしたんだ?何かお前顔色が悪いぞ」
「あぁ?どってことねぇさよ」

そうはいってもハツの顔色は悪く、その様子から何かを隠している事は明白だったがジークは今はそれ以上聞かない事にし、寮に戻って準備を始めた。

バリー博士の研究所へ向かうには、学校から休まず歩けば三日の所にある深い森を抜ける必要があった。

エリュシオンを出て数時間。
草原で襲い掛かって来た三メートル級の大蛇をナイフで切りつけたジークは、体勢を崩しながらも大蛇の尾を避けた。
そこへシャオロンが拳を叩き込み、ハツの矢が蛇の尾を貫いた。

断末魔の叫びをあげる大蛇は勢いよく体液を口から吐き出した。

「危ねぇ!これ毒液さっ!!」

逃げ道を塞ぐように吐きつけられる毒液を避けながらハツが叫ぶ。
ジークもなんとか毒に触るまいと逃げたのだが石に躓いて顔から転び、辺りに漂う悪臭に気分が悪くなってきた。

「ジーク!?」

シャオロンの悲鳴交じり声が聞こえる。

大蛇の吐く毒液が真横に落ちて危うく浴びてしまう所だった。
はやく逃げないと危ないのはわかっている。
だがジークは込み上げる吐き気を抑えきれずに膝をついてしまった。
その隙を敵は逃すはずもなく、ジークに向かって牙をむいた。

「くっそぉ!」

ジークは持っていたナイフを蛇に向け、一か八か向かい打とうと立ち上がった。

その時、ジークの前に巨大な氷の壁が立ち塞がり大蛇の牙を弾いた。

「わっ!?」

ジークは驚いて振り返った。
仲間でこの魔法を扱うのはひとりしかいない。

「リズ!?」
「なにを遊んでるの?」

リズはゆっくりとした足取りでジークの前に出た。
左手に持っているのは先端から裂けてボロボロになった木のステッキ。

「大丈夫?」

そう言ったリズは頷くジークを一瞥してステッキを投げ捨てた。

「お、おい!杖捨ててどうするんだ?」

ジークはハツとシャオロンの手を借りて立ち上がり聞いた。

「いらない。邪魔だから下がって」

リズは腰に挿していた剣を抜き、振り返りもせず短くそう答え、右手に握る剣先で楽曲の指揮をするかのように宙に魔法を描き、自分達の周りに氷の壁を次々と作り出していった。

「おいよぉ!何するつもりさ!?」
「今はもういいだろ」

その言い草に掴みかかろうとしたハツをジークはおさえた。

こんな時はたいていレイズが間に入ってとめてくれるのだが…。

そういえばさっきから姿が見えない。

「そうだ。レイズはどうしたんだ?」

そう聞いたジークにリズは仕上げとばかりに氷の壁で自分達を守るドームを作り、体を伏せながら言った。

「伏せて」
「え?」

何の説明もないまま、意味がわからずジークが戸惑いつつも体を伏せると、氷のドームの外からいつになく真剣なレイズの声が聞こえた。

「古の契約に従い此の名をもって立ちふさがる敵に業火の鉄槌を下せ!!」

次の瞬間、レイズの召喚した炎と爆風の嵐が四人のいる氷のドームを包み込み、大蛇もろとも吹き飛ばした。
外側がどうなっていたのかわからないジーク達にとっては一瞬で周りのものが吹っ飛んでいっただけに感じたが、顔をあげると辺りの草と土が自分達を中心として円を描くようにきれいさっぱりなくなっていた。
かろうじて最後に残った氷の壁一枚で爆風の直撃は免れたものの、ジークは放心して固まっていた。
もしあの時、リズの言う通りに伏せなかったら…と思うと何だか背筋が冷たくなった。
ぴちょ、と残っていた氷から溶けた水が鼻先にかかってもジークは動けないでいた。

「大丈夫?」

のっそりと起き上がったリズは放心しているジーク達の前で手を振った。

「あ…あはは…わかってたけどやっぱり君達ってスッゴイ魔法使いなんだねぇ」

我に返ったシャオロンは引きつった笑みを浮かべて言った。
辺りに小規模で高火力の嵐を巻き起こし、なおかつそれに耐えられる魔法が使えるのはこの二人を除いてそんなにいないだろう。

「ひでーさよ!耳の鼓膜が破れるかと思ったさ!」

ハツはまだ頭がくらくらするのか倒れたままそう言った。

その時、こんがり焼けた大蛇の向こうからレイズの声が聞こえた。

「おーい!大丈夫かー?」

自分なりに満足のいく魔法が使えたのだろう、レイズは自慢げに口の端を吊り上げてみせた。

「大丈夫じゃないっ!!」

だがジークはお礼を言う気は全くなく、間髪入れずレイズに渾身のビンタを喰らわせた。

ひとまず大蛇を倒した所で休憩をとる事にした五人は、シャオロンが作って来た弁当を広げて食べていた。
ちなみに、これらはシャオロンが背負っていた大きなリュックから出て来たものだ。
ジークは朝のリュックの膨らみ具合を思い出すと納得した。

「へぇ…そうなんだ…魔法使いの杖って魔力を変換するのに使う道具なんだな」

ストロベリージャムがたっぷり挟まったサンドイッチを頬張りながらジークは言った。

「そ。人によって細胞組織が違うのと同じように魔力もそれぞれで全く違う。だから木でできた杖にこだわる必要は全くないし逆に自分の魔力に合わない物を使うと壊れる!」

自慢げにそう言って鼻を鳴らしたレイズはマスタードがたっぷりのチキンカツサンドを齧った。

「そんじゃ、コイツが杖をぶっ壊してたのも納得さな」

ハツはそう言ってリズをからかうように見た。

「僕は昔から杖を使うよりも剣を使う事が多かったから、こっちの方が合ってる」

ひたすら食べていたリズだが一応話は聞いていたのか、持っていたサンドイッチを食べ切るとそう言った。

それから五人は遠くまでずっと続く広い草原を歩き、二日と半日で森の前までたどり着いていた。

ジークはこれまでに野宿をした事があまりなかったのだが、さすがにもう慣れてきていた。最近では自分で火を起こすことも出来るようになった。

陽が落ちて辺りが真っ暗になっていく。
ジークは地図を見ながらコンパスで方向を確認すると顔を上げて言った。

「よし、森に入るのは明日にして今日はここで休もう」
「はー…やっと休憩かよ…まじ疲れたわ」

レイズはそう言いながら持っていた荷物から薪を取り出して魔法で火をつけた。
ハツは毛布を取り出してそれぞれに配り、シャオロンは携帯食料を取り出した。
火の周りに集まった五人はもはや食べ飽きた携帯食料をモソモソと食べ始めた。
もうこの、美味しさは二の次で保存性と栄養を重視した何とも言えない味について何も言う気にもなれない。
ジークはこんなにマズイ物は、にがトマト以来だな、とひっそり思っていた。

ともあれ食べ物はこれしか残っていない為、我慢して食べるしかない。
なかば無理やり携帯食料を水で飲み込んだジークは、口の中に残る嫌な味を誤魔化すように話を振った。

「そういえば前話してた魔法の話なんだけど、自分の適性っていつわかるものなんだ?」
「適性…使える魔法の属性を知るのは簡単。魔法は上流階級の家に伝わる秘技だから使える属性は遺伝で続いて行く」

そう答えたリズは何か思い出したように鞄の中から一冊の本を取り出した。
分厚く古いその本は、リズと初めて会った時に彼が大事に持ち歩いていたあの本だった。
おもむろに読み古したページをめくったリズは、あるページを開きジークに見えるように持ち上げた。

「ここ、読んで」
「え?えーっと…よいこの魔法第一項、まず魔法の呪文をとなえてみましょう。最初は…」
「違う、その下」

リズは珍しくきつめの口調でそう言うと、ある一文を指でさした。
よほど重要な事なのだろうか…ジークはそう思いながらもさされた文章を声に出して読んだ。

「先天的に魔力を持っていない人間はおらず、成長を期に覚醒…あ、ちょっとまだ全部読んでないぞ!!」
「この先はまだいいよ。確証がないし」

ジークがそこまで読んだ所で本を閉じたリズはレイズに目配せをした。
おおかた、自分に話が回ってくるとわかっていたのか、今の今までいかがわしい本を読んでいたレイズは視線を上げるとさもめんどくさそうに話し始めた。

「あー、つまりあれだ。リズが言ってんのはよ。俺んちで不思議な力が使えるようになっただろ?」

「ああ、鎌が出せたのはあの一回きりだったけどな……」

あの時は必死でなにも考えていなかったが、今思えばあれは魔法の一種だったのだろうか。
だとしたら、普通科ではなく特進科に行くべきだったかもしれない。
ジークはそう思い、バッグの中から自分の顔がリアルに彫ってある例の棒を取り出した。

「相変わらずよくわからないけど気持ちが悪いよね」

シャオロンはあくびまじりにさらりと毒を吐いた。

「ま、なんにせよ今は様子見するしかねぇって事!戻ったら俺らがなんか教えてやっからよ!」

まかせろよ、と強めに肩を叩かれ、ジークは咽ながらも頷いた。
うまく魔法を習得出来れば二年目から特進科に編入できるかもしれない。そうすれば、エリートへの夢もまだ消えていない。

「ああ、頼むよ!」

そう言って笑うジーク達から少し離れた所で、ハツは焚火の炎をじっと見ていた。

そして夜が明け、森を進むこと数時間。

学校を出てから三日目の昼、五人は森の奥にある木々に覆われ廃れた研究所の前に立っていた。

第十章『End of Eternity』②

草陰に隠れて研究所の様子を窺いながらジークは仲間達に視線を流した。

「…どうする?」

おもむろにそう言ったジークに仲間達の「え?」という目が向けられる。

「い、いや、どういう作戦で中に入るか、っていう事」

それに気付き、慌てて言い直したジークは何とも言えない気分になった。
そうだなぁ、と言ったシャオロンはハツに訊ねた。

「ねぇ、こういう時ってどんな作戦で行くのがいいのかな?」
「さてなぁ…。とりあえずはどんな罠が仕掛けられてるもんかわからねぇさな。ここは普通に正面から入った方がいいと思うさわ」

視線もあわさないままそう言ったハツは弓を左手で持ち、矢を番えて草陰から飛び出した。

「あっ!ちょっとまてよ!!」

慌ててジーク達もその後を追う。

扉の前に立ったハツは、追いついたジーク達を気にする事もなく周囲を調べた。
ジークはこの任務を受けてからハツの様子がおかしい事に気付いてはいたが、その理由を聞きだそうとは思わなかった。
きっと、誰しも人に言いたくないことはあるのだと思うし、本人の口から話してくれるまで待とうと思っている。

そんな事を考えていると、ハツが弄っていた扉の鍵が『カチリ』と音を立てて開いた。
ハツはそのまま扉を開けると足を踏み入れ、ジーク達もそれに続いた。

中に入ってみると辺りには埃とカビの臭いが充満していた。
古びた機械や何かを育てるのに使っていたのだろう、人が入るサイズの空のポットに倒れた棚から散らばった本。
まるで研究の途中でやむおえず皆どこかへ行ってしまったのだと感じる程、人の居た気配が残るここは異様な空間だった。
顔を上げて見れば天井は吹き抜けになっており、何かのまゆのような物がぶら下がっている。それを囲むように部屋が存在しているようだ。

かつてここが研究所として栄えていた跡が残っているだけだった。

「ほ、ほぉおお…怖ぇえ…なんも出てこないよな?実験体のなんか怖い奴とか来ないよな?」

ジークはその事が一番気になっていた。

ハツは辺りを調べ始めた四人を置いて奥に進み始めた。

まるで他の四人の事などお構いなしな様子に、苛立ったレイズは口を挟んだ。

「おい、クソサル。もうちょっと俺らにペース合わせろや」
「はぁ?ここまで来てなんでおめーらなんぞに合わせる必要があるんさよ」

そう言い捨てたハツは、今まで見せた事がないような険しい顔をしていた。

「は?テメェ自分が何を言ってんのかわかってんのかよ…?」
「ちょっとちょっと、ストーップ!こんな所で喧嘩なんかしてる場合じゃないだろ!」

今にも掴みかかりそうなレイズを抑えたジークは、面倒だというような顔をしているハツに言った。

「ハツもどうしたんだよ?ここまでって、以前来た事があるのか?」
「……」

ハツは黙ったまま視線を落とした。
まだ言いたくないのだろう。

「…いいさ。言いたくなったら言ってくれよ。俺達は友達で仲間なんだから」

ジークは小さく溜息をつくと埃かぶった機械に手を置いて言った。
と、そこへリズの悲鳴まじりの声がした。

「ジーク!!!!」
「え!?何なに!!?」

慌てて機械から手を放し声の方へ向き直ると、そこには青い顔をしたレイズと、床にあいた穴を覗き込んでいるリズがいた。

「罠が作動したのか…そういや、シャオロンはどこにいるんだ?」

何の事なのかわかっていないジークがそう言うと、穴を見つめていたリズは動揺した顔でこう言った。


「シャオロンが…落ちた……」


「はい!?」

ジークは思わず顎をしゃくれさせて聞き返した。

「お前があの機械に触ったとたん、急に床が抜けてシャオロンが落ちてったっつんだよ!」
「…真っ暗で底が見えない……」
「そ…そんな…シャオロン!!!おーい、おーい!!!」

ジークは膝から崩れ落ち、穴の淵に手をかけて力の限りシャオロンを呼んだ。

「お…俺が…シャオロンを殺したのか……!?」

あまりにもマヌケな理由に悔やんでも悔やみきれない。
ジークが泣きそうになっていると、穴の底から声が聞こえてきた。

「大丈夫だよー。なんとか変身して助かったんだけど…体が大きくて横幅でひっかかっちゃったヨー」
「え」
「何かロープをおろせないかなぁ?」

こんな状況でもアハハーと笑っていられるのはシャオロンくらいなものだろう…。
ジークは振り返った。

「なぁ、ハツ!ロープ……」

だがそこにはもうハツの姿はなかった。

「……」

おそらく自分達を置いて先に行ってしまったのだろう。
いや、正しくは自分達を見捨てて行ってしまった。

ジークは目を伏せ、穴に向き直るとリズとレイズの二人もゆるく首を振った。

「…ごめん、シャオロン。誰もロープ持ってないみたいでさ……」
「ハツも持ってないの?」
「そうみたいでさ…ごめんな、今ロープを探してくるよ」

いつもと違うジークの声にシャオロンもハツがいない事に気付いたのか、少しの沈黙のあといつもの調子でこう言った。

「ううん、平気だよー。こう見えてもボクは風の龍だから、自力で登って来れるんだ!ただ、ちょっと時間がかかるから三人とも先に行って罠を解除しててよ!」

あはっ!と笑ったシャオロンのいつもの様子にジークは少し安心した。
いつなにがあるかわからない状況の中、こうして場を和ませてくれる存在は大きいものだと実感する。

「―…わかった。じゃあ、先にハツに追い付いてるな」
「ついでに一発ぶんなぐってやるぜ」

立ち上がったジークとレイズがそう言うと、「ウン!」と元気な声が返ってきた。


よし、とジークが鞄の紐をなおして歩き出そうとした時、何かが目の前に落ちて来た。
天井を見上げてみれば、それは先程見た天井にぶらさがっていた『何かのまゆ』が次々と落ちてくるのが見えた。
そして床に落ちた衝撃でやぶれたまゆからは、透明な粘液に包まれたヒトのようでヒトではない化け物が這い出てきた。

顔のないソレは、三人の気配を感じてじりじりと迫って来る。

「なっ…囲まれた!?」

一歩下がり、ナイフを抜いたジークに背を合わせるようにしてリズとレイズも武器を握った。

「一つの罠が作動すると自動的にコッチも作動するワケかよ……」

そう言って鼻で笑ったレイズは、愛用の鈍器杖に魔力を込め呪文の詠唱を始めた。

「くっ…!」

ジークは本で読んだ事を思い出してレイズの前に出た。
確か、強い魔法であればあるほど詠唱は長く術者は無防備になってしまう。
これでリズも魔法の詠唱を始めれば、二人を守れるのは自分だけだ。

そう思っていると、リズは右手に握った剣を敵に向けたまま左手で黄緑色のスカーフを外し、紺色の上着を脱ぎ捨てた。
そして腰に挿していたもう一本の剣を左手で握ると敵から視線を外さないままこう言った。

「相手を倒す…殺すと決めたら迷わないで」
「…ああ!」

ジークは頷くと、飛び掛かって来た化け物を切りつけ、ついでとばかりに落ちていた本で顔面を殴り飛ばした。
戦うのは慣れていないが、幸い向かってくる敵以外はリズが引きつけてくれている。

逃げる相手を追い、躊躇いなく急所を狙うリズの姿を目の前にして、やはり敵に回したくないな。とジークは思った。

ジークが何度目かの攻撃をやりすごしているうち、レイズは杖を床に向けると赤い魔法陣を召喚した。


「来たれ大地の呼び声!グラヴィティプレス!!」


レイズがそう叫び、魔法陣から光が溢れだすと辺りの空間が歪み呼び出された重力場が機械等の形を変え、化け物達を床に叩きつけ、中身が潰れてしまう音が聞こえた。

「ふぅ……」

やがて重力場が消えた所でジークは深呼吸をした。
辺りにはレイズの魔法でベコボコに潰れた機械や人工ポットに、潰れたトマトみたいになった『何か』が散らばっていた。


「ふぃー。やっぱデッケェ魔法は気持ちがいいもんだなー!」

レイズは仕事終わりのおっさんのような顔をして言った。
そこへ頭から血を流したリズが足を引きずりながらやってきて、レイズを睨んで言った。
リズもあの重力の影響を受けていたという事だろう。

「…僕にだけ防御壁をはってくれなかったおかげで死にかけた」
「へ?ああ、マジか。お前、自分で防御しなかったのか?」
「そんなヒマなかった。君がアホみたいにのんびりしていたせいでこっちは大変だった」

ジークは、まずい…と直感で思った。
リズがレイズに対して怒っているのを初めて見るし、レイズはさほど気にかけていない。

「まぁいいじゃねぇか!お前、めったな事じゃ死なねぇじゃん!」

この空気にも関わらずレイズは、ハハっ、と笑った。
なんという命知らずだろうか。
そう言っている間にリズの傷は癒えていく。

この強い治癒力のおかげで死なずにすんだものの、危険だったことに変わりはない。
ジークは兄弟(?)喧嘩が始まるのかと思って二人の顔を順に窺った。

「ま、まぁまぁ……」

「…まぁ。痛くはないからいい」

ジークが二人を宥めようとした所で、リズは剣を収めると制服の袖で血を拭った。

(いいんかい!!!)

ジークは心の中でそうツッコミを入れた。

「さてと。早いとこ先に進んじまおうぜ」

そう言ったレイズは奥へと続く通路を歩き始めた。
リズは目印というように脱いだ上着をへこんだ機械に引っ掛け、ジークもその後を追いかけた。


通常の感覚と少々ずれているこの二人と行動するのは、正直ジークはとても不安だった……。



その頃、重力の影響を受けて穴の底まで落ちてしまったシャオロンは頭を打って目を回していた……。

「うーん…うーん……」

第十章『End of Eternity』③

辺りを警戒しながら先に進んでいたジークは、見れば見る程この研究所の気味の悪さに気分が悪くなっていた。
一体なんに使ったのかわからないメスやら包帯などの医療器具が床には散乱し、手垢がついた割れた窓に開けっ放しのドア。
とてもじゃないが中に入る気にはならない。

本当はこんな不気味な所には一秒だって居たくないのだが、単位の為だと自分に言い聞かせ続けている。
ジークは気を紛らわせようと並んで前を歩く二人に話を振った。

「な、なぁ。ハツの奴…どうしたんだろうな?なんかここに来る時から変だったし……」
「さぁな。それよかさっさとバリー博士をとっ捕まえてシメんぞ」

振り向かずにそう言ったレイズはどうやらまだ入り口での事を怒っているようだ。
リズは相変わらず無口だ。

ジークは内心で溜息をついた。
試験をパスする為にたまたま受けた任務で仲間がこうもばらばらになってしまうとは思っていなかった。
脳裏に入り口で見たハツの冷たい目が浮かんだ。

(いやいや…アイツはああ見えて何か考えたあったんだ。じゃなきゃ…あんな態度とらないだろ)。

ここで自分が信じないでどうする!

ジークはそう自分に言い聞かせ顔をあげた。
そしてふと、立ち止まっている二人に気付いた。

「ん?どうしたんだ?」

ジークがそう尋ねるとレイズは人差し指を唇にあてた。
静かにしろ、という顔に釈然としないながらもジークが口を閉じると、リズが小さな声で言った。

「逃げた方がいい」
「だな」
「え?」

どういう事なのかジークが聞き返していると、奥の通路から足音と瓦礫の崩れるが聞こえてきた。
それは複数のもののように感じられた。

シャオロンのものにしては多い気がするし第一、辺りの物を破壊しながら向かってくるわけがない。

そしてここに自分達以外の人間が居るわけもない。

「…逃げるぞ」

なんだかものすごく嫌な予感がしたジークは真顔で即答し走り出した。
ジークは轟音をあげ追いかけてくる化け物を肩ごしに振り返ると、思わず出て来そうになった悲鳴を飲みこんだ。

その間にもリズが魔法で召喚した氷で足止めをし、レイズが扉を蹴り倒して道を開いて行く。
ジークは追いかけてくる巨大なムカデを前にひたすら逃げるしかなかった。

このまま逃げ切れるのだろうか…そう思い始めた時、ジークはたまたま飛び込んだ研究室の中にあったアルコールランプを手に取った。

「よし、これで燃やせば…!」

火炎瓶みたいになるかも…!
そう思って再び研究室を出、持っていたマッチで火をつけて巨大ムカデへと投げつけた。

だが、ムカデに当たったアルコールランプのガラス容器は割れる事はなく、そのまま軽い音を立てて床に落ちた。

「げっ!!」

ジークは慌てて物陰に隠れようとしたが、生憎そんなに広くない廊下に隠れる所なんてない。
その間にもムカデは迫り、食い殺そうと牙を剥く。

その時、レイズの腕がジークを傍にあった扉の中へと押しやった。

「ちょっ…!」
「こん中入ってろクソが!!」

そのまま有無を言わせず外から閉められてしまい、扉を開けようとするもどうやらムカデの体がつっかえてあかなかった。

「ちょっと…どういう事だよ!!」

なんで俺だけここなんだよ、と言いかけた所でジークは気付いた。

「…そういう事か…そうだよなぁ……」

ぽつりと零せば自分で言った言葉がじんわりと胸に染みて嫌な味がした。

今まで気にしないようにしていた事を一度自覚してしまうとなかなか振り払えないものだ。

扉の外で聞こえる声や音を聞くしか出来ない中、ジークは大きな溜息をついた。

「そうだよなぁ…俺、一人じゃなんもできないもんなぁ……」

もともとは官僚学校に行きたかったのだ。
頭での計算なんかが出来たって肝心の戦闘能力なんて全くないに等しい。
それよりも、もともと傭兵になったりする事なんかに全く興味がないのに数か月もよく我慢したのだと褒めてやりたい。

思い出せば戦う時はいつも仲間が守ってくれたりして、本当に危ない目にあった事はほとんどなかった。
リーダーなんて名前だけで実際は一番足を引っ張っているのは自分だったんだ。
「結局はこうなのかよ……」
ジークは今までの事を思い出しながら自嘲気味に笑った。
やがて辺りが静かになった所でジークは顔を上げた。
扉を開ければ倒したムカデの前でレイズが怠そうに待っていて、リズが何も言わず迎えてくれるだろう。

そう思いながら扉を開けると、そこにはムカデはおろか二人もいなくなっていた。
辺りには激しい戦闘の跡はあるものの建物が壊された様子はなく、二人とムカデだけが消えていた。

「は…?」

ここにきて一人になってしまったジークはその場に立ち尽くしていた。


研究所の一番奥にあるこの部屋では、今この時も悪魔の研究が続けられていた。
広く薄暗い部屋に設置されている培養ポットには、人間と動物を掛け合わせたような生き物が眠っており、いつか来る目覚めを待っている。

その一角にある大きな机の傍にある椅子に腰かけている男は、フラスコに映る侵入者を見て机の引き出しから一枚の写真を取り出し片方だけ異様に大きな瞳で見た。
中央に自身が写るその写真の端では、ふんわりとした毛布に包まれた赤ん坊の狼を抱いた二人の研究者が微笑んでいた。

その子狼の耳にはタグがつけられており、男はそれを懐かしげに見つめていた。

と、その時、後頭部に冷たい金属があたる。
男は何も言わず両手をあげた。

「……」
「…やっと…やっと見つけた…!」

背後で怒りに震える声がし、男はほくそ笑んだ。

「やはり生きていたねぇ…H-826」
「その名前で呼ぶんじゃねぇ!!」
「会いに来ると思ってたぇ……」

ハーヴェンは男の後頭部に矢を突きつけたまま興奮を抑えるように肩で息をしていた。

「一つ教えろ…何で父さんと母さんを殺す必要があった…俺だけを狙えばよかっただろ…!」

「ああ…グレイズとシエナか…邪魔をしたからだぇ」

男は思い出したようにそう呟くと、まるでなんでもない事のように言い捨てた。

「…ッ!!お前が…お前がっ…!!!」

記憶の中で最後に会った両親の顔が浮かんで消えた。
その想いに応える為に重ねた年月と執念が解き放たれる瞬間、ハーヴェンは矢を振り下ろした。

薄暗い廊下と淀んだ空気、吐き気のする薬品の臭いが容赦なく体力を奪い、乾いた喉は無意識に鳴った。
走るたびに床につもった砂とホコリが舞い、咳き込みそうになるのをグッと堪えた。
ここまで一緒に来た仲間は助けに来ない。
「……」

ゆっくりと瞼を上げれば、先程倒した包帯男の腕が見えた。
どうやら気絶していたようだ。

ジークはこめかみを押さえながら起き上がり、マフラーを拾った。
薬品と割れた瓶にまみれたこれはもう使えないな、と思いながら机を支えに立ち上がると深い溜息をついた。

仲間がいないのなら自分でなんとかするしかない。
ここで死ぬつもりもないし、このままずっと足手まといでいるつもりもない。

「そうだよ…俺はあきらめが悪いんだ」

だから学校を間違えても通う事にした。

「ふー、全く。アイツらって誰かがまとめないとバラバラで世話が焼けるなぁ」

だから友達になろうと思った。

ふん、と鼻から息を吐き出したジークは、ぼさぼさになった前髪をかきあげると鞄の中から木剣を取り出した。
手持ちの武器はこれしかなく、笑えるほど頼りない。
おなじみの自分の顔がリアルに彫ってある奇妙な剣を見つめながら、「頼んだぞ…」と言った。
不安しかないというのが本音なのだが、そう言ったジークの顔は明るかった。


ジークが一人で落ち込んで一人で立ち直っていた頃、閉じていた目を開けたレイズは大量の毛布と綿の中から這い出てくると、傍で倒れているリズを足で蹴って起こした。
四方を古く変色した木材で作られたこの場所は、湿気の臭いが強くなんとも陰気くさい部屋のようだ。

「おい、起きろ!」

自分と同じ声に呼ばれ、ついでに足を蹴られて目を覚ましたリズは眠いのかふらふらと頭を揺らしながら起き上がった。

「…ここ…ユーカイ?ヨーカイ?」
「誘拐な、誘拐…つーかここどこだよ。あのムカデ野郎に飲み込まれたと思ったらこんなわけのわからん…マジ汚ぇわー……」
レイズはとりあえずと、服に着いた粘液を毛布で拭きはじめた。
リズは眉をひそめた。

「ジークは大丈夫かな」
「…ほら、お前もその臭ぇの拭いちまえよ」

レイズはばつが悪そうに眉を下げると、その辺にあった毛布をリズに押し付けた。

「レイは言い方が悪いと思う」
「いや、喋らねぇお前よりマシじゃね!?つーか俺は別にアイツが危ないからとかじゃなくて別にアイツが邪魔だからであって、心配してるわけじゃ……」

最後の方は何を言っているのかよく聞えなかったが、レイズのこの性格もいまさらなのでリズは無視していた。

そこへ扉が軽くノックされ、白衣を着た男が入って来た。

痩せて骨ばった顔に髪の毛もなければ眉毛もなく顔の皺もない片目の大きな、人間とは思えない風貌のその男は二人に両腕を広げて話し始めた。

「これはルークの子らが我が研究所に何の用で?お父上は元気かな?」

二人には一目見てこの男が今回のターゲットであるバリー博士なのだとわかった。
どうやら、自分達の事は知っていても兄が家督を継いだことは知らないようだ。
だが、どんな罠があるのかわからない以上、ここでいきなり攻撃をしかけるのは危険だと思える。
リズは片割れに目配せをすると、レイズは頷き口を開いた。

「…何で俺らがルークだとわかったんだ…?あんたは初対面のはず……」

「ふふ、その赤い髪と瞳を持ち炎を操るのはそうそういないからねぇ…それはそうと、そっちの子は七年前に私が君のお父上に頼まれて造った『もう一人の君』かね?」

「訂正しろ」

レイズは即座に言い放った。
リズは何も言わないが、内心では同じ気持ちだろう。

「おや?」

気味の悪い含み笑いをしたバリー博士は、リズに歩み寄ると顔をまじまじと見て納得したというように頷いた。

「だいぶ表情が出て来てしまっているねぇ…そうか薬が欲しいんだね?ついてきなさい」

部屋を出て行ったバリー博士の背中を見ていたレイズは、どうする?とリズを見た。

「危険だと思うけど、情報は欲しいね」

そう言って肩をすくめたリズは腰に巻いたベルトに固定していた空の鞘を指し、武器もないけど。と言った。

部屋を出て広く薄暗い研究室へと案内された二人は培養ポットの液体の中で眠る人や動物を横目にバリー博士の後をついていった。

「ここは私の作った生物が彷徨っていてね、それらを通してここで何が起こっているのか知ることが出来る」
「…悪趣味だぜ」

レイズはそう吐き捨てた。
だが、もし博士の言っている事が本当なら自分達の素性などとっくにばれているだろう。
なのになぜ…。

そう思っていると、シリンジに透明な液体を入れたバリー博士は片側の大きな目を見開き、低い声でこう言った。

「…お前達の目的もわかってわざわざここに連れてきたのは、取引をする為でねぇ…悪い話じゃないぇ」

「取引…?」
「そう…もう一度私の研究に協力すれば君達のお母上を蘇らせてあげよう。どうだねぇ?」
この条件を二人が絶対に飲むだろうという根拠があるというようにバリー博士はそう言った。
「いや、俺らマザコンじゃねぇし。いつまでも死んだ母さんの事引きずってねぇし」
「あと研究に協力した覚えはない」

二人は顔を見合わせると即答した。
考えるまでもない話だった。

「つーわけで、ズラかんぞ!!」

レイズはそう言って部屋を出ようと引きかえした。
だがその前を巨大なムカデが威嚇し道を阻む。

「チッ!」

どうあっても逃がさないという事か…レイズは舌打ちをした。杖がなければうまく魔法が使えない。

「君達は私の計画を果たす為に利用させてもらいたいねぇ」

バリー博士は人体生成術を使って自分の兵士を増やそうとしている。

「そんなもんに利用されてたまるかっつの!!」
「…古い友人の子だからあくまで穏便に済ませたかったのだけどねぇ…仕方ないぇ」

そう言ったバリー博士は二人の前にある人物を連れて来させた。

人の形をした化け物に腕を掴まれ引かれて来たのは見間違えようもなくあのハツだった。

「な、なん!?どういう事だよ!?」
「何をしたの?」

レイズはぐったりとして動かないハツを呼んだが返事はない。
見た所、外傷はないようだ。

バリー博士はそれに答える事なくシリンジをハツの首筋に突き刺し、中の液体を全て注いだ。

「!?」
「てめぇ、なにしやがった!!」

「君の後ろの子がよーく知ってるオクスリだぇ…もっとも、濃度はタブレットの比じゃないけどぇ。まぁ、処分品だし」

くつくつと嗤ったバリー博士は、床に転がって呻いているハツを一瞥すると吐き捨てるように言い、奥へと消えていった。

「ハツ!!」
「ダメ!」

駆け寄ろうとしたレイズをリズが止める。

「あの薬はあらゆる感覚と自我を失くして生きた人形になる作用がある…最後に残るのは、自分以外に対する殺意…!」

「じゃあどうするってんだよ!このままハツを置いて逃げるしかねぇのかよ!?」
「…そうできたらそうすべき」

そう言ったリズは深く息を吐き出すとハツと正面から対峙した。
前には気が狂った仲間、後ろは人食い巨大ムカデ。
どうあっても逃げ道は一つしかない。

「…でも、簡単には逃がしてくれないと思う」
「え?」

レイズがその言葉の意味を聞き返すのと同時に、恐ろしい咆哮が辺りを包んだ。
ゆっくりと首をもたげたハーヴェンは、月夜にぎらつく狼のような目をして言った。

「…おマえが……」

その瞳の焦点は定まっておらず、正気を失っている事は明白だった。

「おまえが…父さんと母さんを…コロシたな……」

ひたり、と近付いて来るハーヴェンを前にリズウェルは服の下から小さなナイフを取り出した。

「レイ、どこでもいいから転移魔法の準備をしておいて」

リズウェルがそう言ったと同時に、ハーヴェンの爪が腕を切り裂いた。
痛々しい鮮血が飛び散り、レイズは思わず目を逸らした。

「ユるせねぇ…絶対にユルセねぇ…!!ブッ殺してやる…ぶっ殺してやる!!!!」
「早くっ!レイ!!」

ハーヴェンの怒号とリズウェルの悲鳴交じりの声を聞きながら、レイズは自分の指を噛み切り必死で魔法陣を描いた。
が、焦りから精神を集中させられずなかなか成功しない。

「くっ…くっそ……」

何度目かの描きなおしの後、魔法陣が淡く光だしたのを確認し、ハーヴェンから引きはがすようにして片割れを魔法陣に引きずり込んだ。
転移先の事なんて考えてもないし、もしこれ以上酷い状況に陥ったとしても為すすべがない。
幸い、転移先は地下にある下水道だったようで、下に流れる水がクッションになってくれた。

「ちくしょう…どうなってんだよ…マジクソかよ……」

レイズは起き上がり、汚水を吐き出すと一緒に倒れているリズの腕を引いて起こそうとした。
が、どんなにひどい傷を負ってもすぐに癒えてしまうはずのその身体は、べったりとした血にまみれて指すら動かなかった。
思い起こせば、おかしくなったハーヴェンから逃げる為に時間を稼いだ時にも傷が治っていく様子もなかった。
ハーヴェンが与えた傷のダメージが治癒力を上回っていたという事だろうか。

「―…お前…マジかよ…!」

レイズは信じられないというように目を見開いた。
魔法使いにとっての魔力とは生命力と同じようなものだ。

目に見えない力であるそれは魔法を使えば必ず消費していくが、しばらくすれば回復する。
だが誰しも許容量というものがあり、それを越えれば死んでしまう。

レイズは慌ててリズを背負うと下水道を走り始めた。

「クソ…クソっ…なんだよコレ、まじでなんだよ…ジーク…シャオロン…誰か…誰かいねぇのかよ…!!」

どの方向に行けば出口なのかもわからず、ましてや明かりは自分が魔力で灯した小さな炎だけだ。
レイズは込み上げてくる不安に飲まれながら、側溝を走るネズミやねばねばした化け物を避けながら走った。

第十章『End of Eternity』④

「は?」

ふと視線を感じてジークは顔を上げた。
辺りを見渡してみるが、人の気配はない。

「変だな?なんか居た気がしたけど……」

そう呟きながら先へ進む。
廃墟といってもいいこの研究施設には本当に理解できない物があちこちに転がっている。
先の通路を塞ぐように伸ばされた壊れたマネキンを退かしながらジークは溜息をついた。
この先はどうやら下水道に直接通じていると思われる人が一人通れる穴があった。

「うわぁ…臭…シャオロンの奴、こんな所に落ちたのかー……」
ジークは別の道を探すことにした。

仲間と完全にはぐれてしまってから何度か化け物に襲われたが何とか逃げ切れている。
このまま誰かと合流できればいいのだが…。
ジークは一瞬だけ脳裏に過ったよくない考えを振り払うように頭を振ると、持っている木剣を強く握りしめた。

「あいつらがそう簡単にくたばったりするか!絶対どっかにいるに決まってる…!」

ジークは半ば自分に言い聞かせるようにそう呟き、足元を邪魔するガラクタを蹴り飛ばした。
と、蹴ったものの中に見覚えのある顔がプリントされた分厚い本が混じってた事に気付いてそれを拾った。

「えーとなになに…?H-826、人外配合計画資料…?」

本の表紙に書かれた文字とプリントされた写真を見たジークは何も言えなくなった。

優しそうな研究員に抱えられ、白い歯を剥き出しにして笑うのは子供のころから変わらないようだ。
そしてその顔を見間違えようもなかった。

「…ハツ……」

ジークは本を開きページをめくりながら頭の中で全ての謎が繋がって行くのを感じて手が震えた。
ハツは時々人間とは思えない程、運動神経がよく嗅覚だって鋭く人の本質を見抜き、肉が好きで野菜は大嫌い。

そしていつだって誰かの気をひこうと無理をして目立とうとしている時がある。
普段から自由奔放に振舞うハツを見ていたジークはそう思っていた。

ジークは全ての資料を読み終えると本を閉じ、丁寧に鞄にしまった。

「…皆いろいろあるもんだなぁ……」

それを鞄の上からポン、と軽く叩くとジークは顔を上げてまた歩き出した。
どうやらここは動物を使った実験をしていた場所のようで、今も培養ポットの中ではたくさんの動物たちが二度と来ない目覚めの日を待っていた。

「…こんなのって…おかしいよな」

ここで犠牲になった命の為にも早く元凶である博士を倒さなければ。
その横を通りながらジークは培養ポットの中の彼等に話しかけ、行き場のない気持ちを溜息にのせて吐き出した。

「…さっきからなんなんだ?」

そうしているとまた後ろに人の気配がしてジークは向き直り、木剣を向けた。
が、すぐに木剣を下ろして眉を下げた。

「なんだお前か…どこにいってたんだよ?心配したんだぞ!」

そう言いながらハツに手を伸ばしかけた所でジークは彼の様子がおかしいことに気付いて手を止めた。

「おマぇが…コろシタ……」
「は?」

ハツは顔を上げると焦点の合わない目でジークを見据え、一本ずつがナイフのようにするどい両手の爪にはべったりと血がついていた。

「…お前、大丈夫か?ってわ!?」

ジークが心配してハツの顔を覗きこもうとした瞬間、鋭い爪が鼻先を掠めた。
間一髪で後ろに下がったものの、あと少し反応が遅れていたら鼻がなくなっていたかもしれないと思うと笑えない。

「……」

ジークは正気を失いふらふらとした足取りで距離を詰めるハツから逃げるように木剣を向けて下がり、背中が壁についたと同時に踏み込んだ。
この木剣ではまともなダメージを与えられるとは思っていない。
狙うのは腹なんかじゃない。

ジークはハツの脇をすり抜け、振り向きざまに左足の脛を狙っておもいっきり木剣を振り抜いた。
少し鈍い音をたてた脛骨、ハツはガクンとバランスを崩して膝をついたもののその目は依然正気を取り戻す様子はなく、むしろ怒りを増幅させてしまったように見える。

「何がなんだかわからんが、正気に戻れよハツ!!」

ジークは懇願するようにハツの名前を呼ぶが、今の彼は自分の名前やジークの顔すらもわからないのか低く唸るばかりだった。
このままじゃ殺される…。
そう思ったジークは何とか逃げ道を探し、すぐに考えるのをやめた。
ハツを相手に走って逃げきれるわけがない、かといって隠れていても臭いで追跡している以上必ず見つかってしまう。
だとしたら下水道に逃げて臭いをわからなくするのが一番いいはずだ。
確か、少し戻ればダストシュートがあった。

でもそこまで行けるのか?
このままここでハツを説得した方が…。
「そんなん、迷う暇なんかないだろォオオ!!!」
ジークは渾身の力を込めて腹から声を張り上げるとハツに背を向けて走り出した。
すぐに後ろから追ってくる足音が聞こえる。

「お、おぉぉぉおおおお!!!!?」

ジークは、『そういや、狼に追いかけられるのなんて初めてだな…』などと冷静に考えながら角を曲がる時、右足で踏ん張り曲がり切った。
もう少しでダストシュートが見えてくる。
後はあそこに飛び込めば…!
足に絡み付いたマネキンの髪で滑りそうになりながらもダストシュートのドアに手をかけた時、ガクリと体が後ろに引かれ衝撃が走った。

鞄の紐を掴まれていた。
ジークは舌打ちをし、やはり無理だったか…。と思いながら振り返り木剣を構えていると、ハツはジークを傷つける事はせず、鞄から見えた本を掴んで引っ張り出した。

そして本の表紙と自身の血だらけの手を見つめ、顔を上げて名前を呼んだ。

「…ジーク……」
「ハツ?正気に戻ったんだな!?お前なんでこんなこと……」
「……」

ハツは何も言わず、切り傷と擦り傷だらけのジークを見て眉を顰め、腰に付けていたポーチを外し投げてよこした。
その目はいつものように穏やかだったが、どこか悲しそうだった。

ジークはハツから目を話さずにポーチを拾った。中身は包帯や消毒液だった。

「俺……」

ハツが口を開き何かを言いかけた時、彼は突然頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

「ハツ!どうしたんだ?大丈夫か!?」
「早く、早く行けっ!!じゃないとまた…今度こそ……!!」

ジークにはハツが苦しんでいる理由はわからない。
でも、何か自分の意志と違う何かが彼の中にあるのだとわかる。

ジークはまだ聞きたいことがあったのだが、それを堪えるとダストシュートのドアを開け穴の淵に足をかけた。
下から吹き上げる風は凄まじい汚臭を乗せてき、この下がどれだけ最低なのか想像は簡単だ。
だいたい、深さがどれくらいなのかわからない。高すぎて死んでしまうかもしれない。
「絶対、絶対助けてやるからな…待ってろ!!」

ふぅ、と深呼吸をしたジークは、苦しんでいるハツに言った。
ハツからの返答はない。
ジークは覚悟を決め、穴の中へ飛び込んでいった。

「うぉおおああぉお!!!?」

すぐに光が届かなくなり、真っ暗な世界に放り込まれ全身の感覚が塞がれたと同時に、ド派手に尻もちをついて反動を抑えきれずに壁に頭をぶつけた。

「え?え!?痛!!ていうか、え!?もう下水道?思ったよりも低!!」

ジークが尻と頭を同時にさすりながら悶絶していると目の前に火の玉がふわふわと漂ってき、その先には驚いた顔をしたレイズが居た。

「レイズ!なんだ、お前もここに落ちたのかー。はー…もうどこに行ったかと思っただろー。リズはどこだ?一緒じゃないの?」

そう言ってジークはレイズの肩をばんばん、と叩いた。
だが、レイズからはいつもの軽口が返ってくる事はなく、何も言わず背負っていたリズを下ろして寝かせた。

「え…と…これって……」

全身にいくつもの深い裂傷を負い、とめどなく血が流れていくリズを前にジークは言葉を失った。

「クソ猿にやられた…詳しい説明は後にして、ああ…まずはリズを休ませねぇと…こいつ死んじまう」
「リズは心臓さえ無事ならたいていの傷は治るんじゃなかったのか?」

レイズは両手で顔を覆うとわからない、とばかりに首を振った。
おそらくもともとこう言った事態に慣れていないレイズの頭の中はパニックなのだろう。
必死に悟られまいとしているのだろうが、見ていてすぐにわかった。

ジークはハツに貰った応急薬のポーチを鞄から取り出すと手当てを始めた。
まず血まみれのシャツを脱がせ、傷口を水筒の水ですすぎポーチに入っていた綿に消毒液をしみこませて傷口にあてる。
次に止血用と書かれた瓶の軟膏を傷に塗っていく。

「お、おい!お前、わかってやってんのかよ!?大丈夫なのかよ!!」
「本で読んだくらいだよ。でも、少なくともこんな大けがの奴を背負ってうろうろしてるお前よりはマシ」

ジークはそう言い捨てて包帯を取り出し解いた。
レイズは何も言えず、俯き唇を噛んだ。
そこにいつもの彼はいない。反省しているのだろう。

「心臓はちゃんと動いてるみたいだから、出血のショックで気絶してるんじゃないのかな?あと、お前ら濡れた服でうろうろするなんて自殺行為だぞ」

ジークは仕上げにリズの傷口を包帯でてきぱきと覆うと自分が着ていたジャケットをかけてあげた。
ついでに鞄から携帯食料を取り出し、それをレイズに分けてあげる。

「……」

レイズはばつが悪そうにそれをぶんどると、魔力で灯している炎を強めた。

「まぁ…ちょっとはお前の事を認めてやってもいい」
「あほか…しかし、こんな汚い所で食う羽目になるなんて、ますますこれ嫌いになりそうだな」

ジークはそう言って笑った。
レイズは少し安心したのか、表情を緩めるとゆっくりと話し始めた。

「俺らはお前を部屋に閉じ込めた後、あのムカデ野郎に捕まっちまってな。バリー博士と会ってたんだ」
「ん?なんでだ?」
「俺の家は親父があの博士と友人でな…もともとアイツの研究でリズは生まれたし俺も面識はあった。それで、親父が死んだ事を知らないアイツは俺達をまた実験に使いたいとかほざいてきやがった」

なるほど、とジークは頷いた。
それなら二人がすぐに殺されなかった理由もわかる。

「それで、なんとか逃げてここまで来たっていうわけなんだな」
「ああ…それともう一つ気になる事があってな…バリー博士に薬を打たれたクソ猿が襲ってきた」
「薬?」

レイズは頷く。

「リズが食ってたものと同じもので、何倍も濃縮された成分が入っていたらしい。…薬が回れば自分以外みんな殺すまで止まれないヤバい奴がよ」
「そうだったのか…だからあいつあんなに苦しんで……」

脳裏にハツの苦しむ顔が浮かんでジークは無意識に拳を固く握った。

「ん……」
「あ、気が付いたか?」

リズは目をさまし、少し咳き込み何度か深い呼吸をすると、むくりと身体を起こした。

「よかった、お前死んだわけじゃなかったんだな!!」
「勝手に殺さないで」

安心して胸をなでおろすレイズから携帯食料を奪い取り、包装をやぶって食べ始めたリズはすこぶる機嫌が悪いようで何か黒いオーラが漂っているような気がした。

「ま、まだあるぞ。ほら、チョココーラ味にもやしパンケーキみそ味!」

ジークは鞄から携帯食料をあるだけ取り出すと、リズはそれも受け取ると抱え込むようにして食べ始めた。

(…こんなんだっけ?コイツ…食い意地はってるのは知ってたけど……)

ジークはそう言いたかったのだが心の中にしまう事にした。
魔力は体力と同じだ。食欲があるというのは良い事だと思おう。

ちらりと視線を送れば、レイズも同じ意見のようで顎をしゃくれさせて会釈された。

と、そこへ下水の水をかき分けながら何かが近付いて来るのが見えた。
ソレはジーク達に気付いて手を振りながらかけよってくる。

「おーい!おーい!!」

「なんだあれ?」

レイズの炎で照らして見ると、それは両手足(しかも腕毛、すね毛のオプション付き)が生えた魚を抱え無邪気に笑うシャオロンだった。

「シャオロン!!無事だったんだな!!なんかごめんな、俺のせいでこんな所に落として約二か月くらい出番なくて!!!」

ジークはさりげなくギリギリな事を謝罪に混ぜた。

「ううん、大丈夫!ねぇ見て、ボクこんな大きな魚捕まえたんダー!なんか食べられるかも!レイズ、焼いて焼いて!!!」
「んなキモイ魚いるかボケ!くせぇ!捨てて来い!!!」

よっぽどお腹が空いているのだろう…。
シャオロンは血走った目で魚をレイズに押し付けている…。

これが龍人の王だと言って誰が信じるというのだろうか…。
ジークは死んだ魚のような目でそう思った。

ともあれ、ハツ以外の仲間と再会できたことに心の底から安心していた。

第十章『End of Eternity』⑤

「…ふーん。そうなんだ。でもボクらの目的はかわらないよネ」

ジークから今まで起こったことを聞いたシャオロンは携帯食料をかじりながらそう言った。
ハツの事、双子の事を聞いても冷静なままなのは彼くらいなものだろう。
実は誰よりも肝が据わっているのかもしれない。

「もちろん。ハツを助けてバリー博士を倒す」

ジークはそう言った。
もちろんそれは皆同じ意見だ。

「まず作戦を立てよう。ハツは臭いで俺達を探して追ってくる。そんで完全に正気を失って本気で襲い掛かって来るぞ。アイツを元に戻すにはどうしたらいいんだ?」
「殺す事以外で?」
「あたりまえだ」

ジークが苦笑いまじりにそう言うとリズは壁に背をつけたまま少し考え、もう一度口を開いた。

「正気に戻るほどの苦痛を与えるか、薬が切れるまで相手をするか…もしくは解毒薬を飲ませる」

そう言ったリズは包帯を外して傷が塞がったのを触って確認し、頭からシャツをかぶって袖に腕を通した。
シャオロンが念のため何枚か着替えを持っていたらしい。
「解毒薬か…バリー博士が作ってるとは限らないよな…アイツ、ハツの野郎を失敗作だの使い捨てだの言いやがったぞ」

レイズは険しい表情でそう言った。

「そうだね…だったら二人がハツの相手をして時間を稼いで、その間に二人がバリー博士を捕まえればいいんじゃないかナ?」

シャオロンは控えめに発言した。

「二人でもあの状態のハツを相手にするのは厳しいと思うけど、そうするしかないか……」

ジークは溜息交じりにゆるりと首を振った。
「じゃあ、誰と誰がクソ猿に喧嘩を売りにいくか決めようぜ」
「ンー…普通に考えたらバランスよく決めた方がいいネ。ボクとジークが分かれて魔法使いの二人がそれぞれにつくとかネ」
「そうするにしても、どう組んだらいいんだ?」

シャオロンとそう話していたレイズは何も言わないジークへ視線を移した。

ジークはゆらゆらと揺れる炎を見つめながら言った。

「ハツは俺が説得する。絶対助けてやるって約束したんだ」

脳裏にあの時のハツの顔が浮かんだ。
体の内を這いずりまわる異物に耐えるあの目は確かに訴えていた。
「…助けて、って言ってたんだ。絶対に約束は守る」

「…じゃあボクは博士を探す方に回るネ」

シャオロンはそう言ってニコリと笑った。
あとは二人がどう分かれるかだ、とジークは言った。

「そっかよ…じゃあ俺がジークに付き合うぜ」

レイズはリズをちらりと一瞥するとゆるく手を挙げて言った。

「いや、僕がいく」

そんなレイズの言葉を遮るようにリズはぼそりと呟いた。
リズは左の前髪に結んでいたリボンを乾かしながら、どこか軽い口調で続ける。

「確かに力では負けるかもしれないけど、的確に急所を狙えば動きは封じられる。そうしたら時間を稼げる」

「お前、あんだけ酷くやられたのに本気かよ!?」

そう言ったレイズはリズの肩を掴んでガクガクと揺らした。
レイズは自分なりにリズの事を心配して決めた事なのだろうが、それに対するリズの反応は結構あっさりしたものだった。

「レイが行っても死ぬだけだし」

表情もなく淡々とそう話す様子は、いつもの無愛想な彼だ。

「……」

レイズは呆れたようにシャオロンに視線で助けを求めたが、シャオロンは苦笑いを返すだけだった。

「…なぁ、ハツもそうなんだけどお前らってなんでお互いを嫌ってるんだ?なんか初めて会った時からずっと険悪だよな」

ジークは戻ってきたジャケットを羽織ると、ずっと気になっていた事を聞いてみた。

「……知らない」

長い沈黙の後リズはそれだけ答えてまた黙りこんだ。
作戦が決まりジークは火を消してシャオロンとレイズに向き直った。
明かりはレイズの傍に浮いている火の玉だけだ。

「…じゃあ、俺達は別の出口から上がるから気を付けて」
「うん、ジーク達も気を付けてね……」
「俺らが博士を捕まえてくるまで頼んだぜ」

そう言ってシャオロンとレイズは下水道の奥へと向かって行った。
次第に遠くなっていく明かりを見送ったジークは「さて…」と呟き、自分に気合を入れる為に自身の頬を両手で叩いた。

「行こう、ハツが待ってる」
「ここから転移の魔法を使う。乗って」

リズは床に両手をつき、淡い青色の魔法陣を召喚するとこう言った。

「座標は計算してないけど、ここの構造は頭に入ってる」
「え、もうそんな事までわかってるのか!?」
「舌噛むよ」

言いながらリズが魔法陣を呼び起こすように叩くと、ジークの視界は金色の光に包まれていった。

次に目を開けた時、ジークは最後にハツの顔を見たあのダストシュートの前に立っていた。

「どう出るの?」

リズは辺りに落ちているメスやら短剣やら使えそうな物を漁りながらそう聞いた。
ジークはおなじみの木剣を軽く握るとにやりと不敵に笑った。

「こうするんだ……」

すぅ、と大きく息を吸い込み、身体中のありったけの力を込めて叫んだ。

「ハーツー!俺はここだー!!かかって来ーい!!!」
「原始的……」

一見、何のひねりもない方法だがジークにとってはこれが今考えられる一番の方法だった。

「ここじゃ狭い。出来るだけ広い所に出よう!ハツ、どこにいるんだ!?」

ジークはもう一度ハツを呼びながら走り出した。
その時、龍の咆哮が反響して聞こえた。向こうも行動に移ったという事だ。

「ハツ!ハツ!!どこだよ!!」

ならばなおさら早くハツを見つけなければならない。
だがジークの気持ちとは裏腹にハツは姿を現さず、焦りばかりが募る。

辛そうなハツの事を思い出す度に自分への苛立ちで頭が埋め尽くされそうになった時、ジークはふとある事を思い出した。

一つだけ思い当たる場所があったのだ。ジークは不意に立ち止まると元来た道を引きかえし始めた。

「どうするの?」

後ろから聞こえたリズの戸惑った声にジークは言った。

「もしかしたら、ここかもしれない…!」

自分でもわからない妙な確信を感じながらジークはある場所で立ち止まった。

「…ハツ…ここにいるんだろ……」

粗い呼吸を整えもせずジークはその名前を呼んだ。
ガラクタに囲まれたそこは、さきほど資料を見つけた場所だ。
よく見れば、かつては研究室だったここは今はもう壁さえも壊れ廊下と合わさり一つのフロアとなっている。
そこに佇んでいたのは、かつてここで生まれ『H-826』と呼ばれたその存在だけだった。

『H-826』はゆっくりと顔を上げ、ジークの方へ目線だけ流すと持っていた分厚い資料を捨て体を引きずるようにして近付いてきた。

「ハツ!大丈夫か?助けに来たぞ!!」
「た…すけ…?」
「そうだよ!ほら、帰るぞ!!」

ジークはそんなハツを支えようと手を差し出した。
躊躇うように彷徨うハツの手をとろうと呼びかけたその時、目の前の光景が一瞬だけブレて見え、気付いた時にはリズに腕を引かれて尻もちをついていた。

「ハ…ハツ…?」

そしてジークがいた場所には剣が突き立てられていた。
あそこでリズに助けられなかったら今頃この剣が頭から突き刺さっていたのだろう。
そう思うとジークは怖くなり、無意識に喉が鳴った。

ハツは剣から離れると様子を窺うように身を低くして唸り始めた。
敵意を剥き出しに威嚇するその姿は狼のそれ。

「…いい加減にしない?」

リズはその剣を左手で握り、剣先をハツに向けて静かに言った。

「リズ、ま…待て…まだ…!」

ジークは止めようと口を開いたがリズの纏う雰囲気が変わった事に気付き、何も言えなくなってしまった。
普段の様子から何を考えているのかわからなかったが、少しずつ人である姿を取り戻しつつあってもリズの本質はジークやシャオロン、レイズとは全く異なる。
根底にあるその本質は人間のそれではないのだろう。

リズにまるで虫けらを見るような目で見られ、ジークはこの時ようやく理解した。
もしかしたらこの二人がお互いを反発し合う理由は、同族嫌悪と言っても過言じゃないのだろうか。

ハツの唸り声が大きくなり、言葉になっていない叫び声を上げながら飛び掛かっていった。
「その首もらうよっ!」

血塗れた強靭な爪を剣で受けたリズは右手をハツの顔の前へ向けると氷の槍を召喚し、自らを切り裂こうとしたもう片方の腕を貫いた。

グジュリ、と嫌な音があたりに響き、うめき声を上げるハツの左腕からは大量の血が流れ、床に血だまりを作っている。
ジークは見ているだけしか出来ない自分が不甲斐なく、歯を食いしばり二人の間に割って入った。

「二人とも…止めろ!!こんな事してなんになるんだよ!!!ハツを助けるはずなのに、なんでここまでするんだよ!!」

これじゃあ殺し合いじゃないか…。ジークはそう訴えた。
「…ハツ、戻ってこいよ。こんなよくわからん薬に負けたりするお前じゃないだろ?」

ジークはそう言ってハツに無理に笑いかけた。
本当はどんな顔をしたらいいのかわからない。けれど、ここで自分が止めないと、と思っていた。
黙り込むハツを見て、ジークは次にリズの振り上げられた剣を下ろして言った。

「リズ、お前はもう人間なんだ。人間はむやみに人を殺したりしない。それが友達なら尚更だ…!」
「…僕が…人間……」

その言葉に驚いたように目を丸くしたリズの強張っていた顔は柔らかくなり、彼の纏う雰囲気も穏やかなものへと変わっていく。
ジークはハツの足元に落ちた厚い資料を拾うと、汚れを叩き落とし差し出した。

「戻ってこいよ。今さらお前が何者だったかなんてそんなの気にしないぞ?なんたってもう龍王様もお貴族様もいるからな!」

な?とジークは屈託なく笑った。

「……」

ハツは俯いたまま何も言わず資料を受け取った。
この隙をついて何か仕掛けてくるかもしれない、とジークは思った。
だが、自分の想いを、ハツを信じると決めたのだ。逃げたりしない。

ハツはそのままパラパラと本のページを開き、その中に挟まれた一枚の写真見つめていつものように顔をくしゃくしゃにして笑った。

「ありがとうなぁ…ジーク…俺様、なんか悪い夢を見てたみたいさ……」

そう言った彼の吊り目の瞳は以前と同じく、凪いだ夕陽のような輝きを取り戻していた。

「ハツ!正気に戻ったんだな…よかった……!」
「おうヨ!俺様ゼッコーチョー!って言いたいトコだけどねぇ……」

安心したように息を吐き出したジークに笑いかけていたハツは、その声色を一変させると少し離れた所で見ていたリズに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。

「てめぇよくも俺様を殺そうとしやがったさな!?あまりの痛さに途中で正気に戻ったさ」
「あれ、意識あったんだ」

リズは平然とした様子でしれっと答えた。

「薬に操られてても意識はあったんさよ!てめぇ遠慮なく顔面狙いやがって!もうちょっとで死ぬところだったさ!!」
「惜しかったね」
「な・ん・で!ヒト事みたいな顔してんさ!!やっぱりおめぇは無理さ!!!」

「ぷ…はは…はははは!」

なんだかすっかりいつもの光景が戻ってきたようで、ジークは堪えきれず吹き出した。
ここの所ハツは何か思いつめてこういったやりとりもなかったので、懐かしかった。

ひとしきり笑ったジークは思い出したように手を叩いた。

「あ!そうだ…シャオロンとレイズにハツが元に戻ったことを伝えなきゃな!」
「そういえば、アイツらどこに行ったんさ?」
「二人は解毒剤を探しに行ったんだ」
「そうさか……」

ジークがそう言うと、ハツは少しばつが悪そうに右手で頭を掻いた。

「呼ぶ?」

どうしようか、と悩む二人を尻目にリズはボーッとどこか遠くを見つめたまま何気なく聞いた。
え、とジークは真顔になった。

「呼ぶって、そんな事も出来るのか?」
「レイの魔力なら感知できるし」

リズはこくん、と頷いた。

「じゃ、じゃあ頼むよ」

ジークは自分の知らない魔法の可能性を考えると頭を抱えたくなりながらも頼む事にした。

じゃあ、とリズは手早く剣を指揮棒のように操り人二人分が入る大きな陣を描くと最後に自分の髪の毛を一本抜いて魔法陣に放り込んだ。
すると魔法陣から淡い紫紺色の光が湧き上がり、まもなくして白い龍の頭が姿を現した。

「シャオロン!」

ジークは魔法陣に駆け寄った。
頭だけ出て来たシャオロンは目を輝かせた。

「ジーク?わぁ、よかった皆無事だったんだネ!」

だが、もともとの魔法陣のサイズがシャオロンの身体より小さかった為、頭しか出て来れずものすごく不思議な光景になってしまっている。

「そ、その…悪かったさな…色々」

ハツは気まずそうにシャオロンの鼻先を撫でた。
「シャオロン!あいつら来てる、来てるから!!んなトコに頭突っ込んでる場合じゃねぇだろクソボケキング!あ、こっち来んじゃネェー!!」

どうやら敵に追われている最中に呼ばれたようだ。
だが誰一人としてレイズの話を聞いていなかった。

「あはっ!そんなの君が無事なら全然いいんだヨォ!その様子じゃもう大丈夫みたいだネ!」
ふふ、と笑うシャオロンの背後では絶えずお貴族様の悲鳴が聞こえていた。


淡い光を放つ魔法の扉が閉じ、仲間が全員そろった所でジークはそれぞれの顔を見ると話を切り出した。

「本当、みんな無事でよかったよ。ハツもこの通り無事に戻って来てくれたし」

「そうだネ……」
「……」

黙り込んでいるハツを心配そうに見るシャオロン。
レイズは胸の前で腕を組んだままハツを睨みつけて口を堅く閉じている。

リズはそれぞれに治癒の魔法をかけてあげながら様子を見ている。
ジークは四人を順に見るとこめかみを指先で搔いた。
どこからどう話をしたらいいのかわからないようで誰も何も話せないのだ。

「エーっとぉ……」

ジークもどうしようかと視線を彷徨わせた時、ハツは唐突に持っていた資料の中からあの写真を取り出すと四人に見せて口を開いた。

「まぁあれだ。俺様、人間じゃねぇんだわ。狼と人とを混ぜて作られた人造人間ってわけよ!」
「は!?」
「そうなの!?」
「おうよ!いわゆるハイボリットってわけさ!!」

驚くあまり動揺しているシャオロンとレイズに向けてハツは豪快に笑った。

「は?え!?」

レイズはそれを言うならハイブリットじゃないのか、というツッコミをする余裕はないようだ。
そのあっけらかんとした様子に一足先に事実を知っていたジークもまた驚いている。

「そんなわけで、俺様はここで生まれ育ち、スクスク育ちましたとさぁ~!メデタシ!!」

ハツはそう言って一方的に話を終わらせ、両手の人差し指を天井へと突き立て、ぶはははと笑った。

あまりにあっさりとした告白に戸惑いつつ、シャオロンは苦笑いを浮かべた。

「え、えっと…笑い事…?なのかな?」
「んなわけねぇだろ!ちゃんと説明しやがれ!薬のせいにしてもこちとら、お前のせいで大けがして死にそうだったんだからな!オトシマエつけさせろや!!」

レイズは興奮のあまりタチの悪いヤンキーのような口調になっている(いまさらだが)。

「いや、大けがして死にそうになったのはリズの方だけどな……」

ジークはそんなレイズにそっとつっこんであげた。

「まぁよぉ…ちょっとここには思い出があってよ…。そんなわけでサクっと博士の所にいくさー!」
「無視ってんじゃネェー!!」

そう言ったハツはレイズを無視してフヒヒ、と曖昧に笑って見せた。
「…ハツ、一つだけ教えてくれ」

その態度にまだ何かを隠しているような違和感がし、ジークは口を挟んだ。

「なんさー?」
「…どうして俺達から離れて一人で行ったりしたんだ?俺達が何かしたのなら言ってくれ」
「別に、なんもねぇさよ。ちょっとタンケンしてみたかったから先に行っただけさー」

ハツは一瞬表情を曇らせたが、すぐに誤魔化すように顔をくしゃくしゃにして笑った。

「え?どういう事…?」
「ちゃんと説明しろクソ猿!」
「お前らだってクソする所は誰にも見られたくねぇさろ?それと同じもんさ」

そう言って問いただそうとしたシャオロンとレイズをかわしたハツは、写真をじーっと見ているリズを一瞥するとスタスタと歩き始めた。

「ハツ!」

ジークはハツを追いかけて呼び止めた。

「シンパイしなくても、終わったらちゃんと全部話してやるさー」
「本当だな?」
「そ、ちゃーんと全部終わったら…まずはバリー博士をケッチョンケッチョンにやっつけてやるさよ!俺様について来いさ!!」

ハツは振り向かずにそう言うと背負っていた弓を握り、走り出した。

この研究所の本来の目的は生き物同士を使って最強の生物を造る事であり、その苛烈な実験に耐えうる為の特別な部屋が存在している。
地下へ降り、重く錆びた鉄の扉が守るここはかつてこの悪魔の研究の中心となっていた部屋であり、薄暗い紫色の照明と培養水槽が並ぶだけの無機質なただ広い空間だった。

ジーク達はハツに案内されてその部屋の前に立っていた。
静かなその場にカツリ、とハツの履いているブーツが鳴った。
扉に手をあてたハツは緊張しているのか、額から流れ落ちた汗をあいた手の甲で拭うと口を開いた。

「ここさ…奴の臭いはここからするさ」
「この奥に、バリー博士が……」
「しのごの言ってねぇで行こうぜ」

ジークはこの時ハツが何故これほどまでに緊張していたのか知らなかった。
レイズにせかされハツは両手で扉を左右に開いた。

「みんな!」

部屋の奥が見えたその瞬間、ジークは反射的に木剣を抜いて構えた。
培養水槽や柱の影から感じる張りつめる殺気は一つや二つではない。
まるで獲物の品定めをするかのような尋常ではない数のおぞましい殺気が五人に向けられていた。

それを一般人であるジークや魔法使いであるレイズよりもより敏感に感じているシャオロンは、小さな声で呟いた。

「こ…怖い…なにコレ……」
「囲まれてるな……」

滅多に弱音を吐いたりしないシャオロンをちらりと見たジークは、前に立つハツに並ぶと一つ訊ねた。

「ハツ、ここに集まっている奴らもバリー博士に造られたのか?」

ハツは頷き、やや大げさに肩をすくめて答えた。

「そうさ、俺様と同じく人間と動物を掛け合わせて造られたバケモン共よ」
「そんな言い方……」

どことなく自嘲気味に笑うその横顔に、ジークは何も言えなかった。
ハツはそんなジークを見ると一瞬視線を落としたが、すぐにいつものように笑ってこう言った。

「俺達バケモンには、どこにも居場所がネェのさよ……」
「ハツ…そんな事ない…俺はお前の事を化け物だなんて……」
「そうさな、お前は優しいわ。ジーク、一個イイコトを教えてやるよ!」

ジークの言葉を遮ってそう言ったハツは、ジークの傍まで来ると他の三人に聞えないような小さな声で話した。

「狼は仲間を何よりも大事にし、人間は心のつながりを一番大事にして生きている」
「え…ッ?」
「では、人でもなければ狼でもない存在は?」

その言葉の意味がわからずに困惑しているジークに背を向けたハツは、肩ごしに振り返り冷たい目をしてこう言った。

「テメェの事しか頭にねぇんだよ」

ハツがそう言って両手を広げたと同時に柱や水槽の陰に隠れていたイキモノの存在があらわになっていく。
猛獣の頭部を持つ人間や、もはや何の動物だったのかもわからない程配合を重ねられ、変わり果てた姿になったイキモノ達がそこにはいた。
ただ彼らの目的は一つ、この研究所の侵入者であるジーク達『四人』の始末をする事。

「…ハツ!どういう事だ!?」

動揺を隠せないジークは素早く木剣を前に構えた。
それにならうように仲間達も一カ所に集まる。

「俺は、俺の手でけじめをつけてぇ…その為ならお前らだって利用して見殺しにする最低クズ野郎って事さ」

ハツは抑揚のない声でそう言った。

「てめぇ見損なったぞクソ猿!俺達を騙しやがったな!!」
「ハツ…ボク達を利用するって本気なの?」

レイズとシャオロンの呼びかけに向き直ったハツは、唸り威嚇するナカマ達を手で制すと顔を傾け気怠そうに答えた。

「はぁ?冗談でこんな事をするわけねぇじゃね?俺様は最初からお前らを利用してやるつもりだったわさ。それこそ、あいつに近付けるのならなんでもする!」
「は!?」
「上級火魔法を操る一族のおぼっちゃんと、かつての世界の覇者である龍神族の王様、そして極めつけはアホみたいに真面目でお人よしな馬鹿な人間…実験サンプルとしては豪華さー」

と、まるで歌うようにそう言ったハツは思い出したようにリズに目を向けた。

「ああ、おめぇはアレだ。今度はもっと強い薬漬けにされて死ぬまで人殺しを続けさせられんじゃね?」
「……」

リズの眼が驚いたように見開かれる。

「ま、所詮は化け物のおめぇの使い道なんてそんなもんしかねぇし。素体さえいればいくらでも作れるもんだろうしな。心がぼろぼろになってぶっ壊れて捨てられるか、体が先にくたばっちまうか楽しみだなぁ!」

そう言ってハツ…ハーヴェンは声を上げて笑った。
リズは何も言わずに瞬きを一つした。

「どんなに人間のマネをして表面を取り繕っても人間にはなれやしねぇ、おめぇの生き方は結局俺と同じなんだよ」
「…同じ?」

リズは小さな声でそう言った。

「ハツ!やめろっ、それ以上言うな!!」
「俺様はお前が大嫌いだ!人間にもなれねぇ壊れた人形みたいな中途半端野郎ッ!!」

ジークが止めるのも無視し、ハーヴェンは投擲用のナイフを取り出すとリズの胸へと思いきり突き立てた。

鈍色のナイフは皮膚と肉を貫き、裂いて抉る。

「…ッ!」
「テメェ!マジでぶっ殺されてぇのか!?見損なったぜ!そんなに炭にされてぇか!!」

シャオロンは思わず目を逸らし、レイズは激昂してハツに掴みかかった。

だがハーヴェンはレイズなど相手にしていないというようにその腕を振り解くと、眉一つ動かさず何も言わないリズを挑発するように言葉を続けた。

「はぁ?反撃もしてこないてか!さっきの勢いはどうした?」
「…違う。同じじゃない」

ようやく喋ったリズは胸に刺さったナイフを詰まりながら力ずくで引き抜くと、顔を上げて真っ直ぐな目をして言った。

「僕は人間だから、お前とは違う。友達を傷つけたりはしない…お前は友達じゃないの?」

いつもと変わらない表情でそう言ったリズは、咳き込みながら口の端から垂れた血を手で拭った。

「は…?」

友達、という言葉は普段の彼から聞くことはないだろう。
リズ本人が持っている感情はとても希薄で、毎日いろいろな影響を受けて真っ白な紙に絵を描いていくのと同じだ。
少しずつ学んでいく姿は無垢な子供のようなもので、それゆえに話す言葉に偽りはなく、時に残酷なまでにまっすぐで正しい。
ましてや、相手が嫌っていたハーヴェン・ツヴァイなら尚更出てくる事はないだろう言葉。
だがリズはそう言った。

確かに『彼』を『友達』だと。

「ハツ…事情があるんだろ…もう本当の事を話してくれてもいいだろ」

ジークはハーヴェンの赤い瞳が動揺の色を浮かべた事に気付いて言葉を繋げた。

「どんな理由にしろ、お前はお前だ。似合わない事するなよ」
「ハツ、ボクの問題で君が本気で心配して怒ってくれた事…本当に嬉しかったよ。それも全部嘘だったなんて思ってないからね」

シャオロンはそう言ってにこりと笑った。

「…ま。俺も一応借りがあるっちゃあるからな…わけくらい聞いてやるわ」

レイズはそんな二人を見て呆れたと溜息をつき、渋々そう言った。

「お前ら……」

ハツは驚いたように目を見開き、俯いて嬉しさと悲しさが入り混じったような顔をしていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

「…俺は…俺の目的は……」
「うん……」

ジークはこんな時どんな顔をしていればいいのかわからないが、その先の言葉を急かさずじっくりと待つことにした。
沈黙は時に優しさだ。

そう思って顔を上げた矢先。
目の前に閃光が走り、ハツはその先を言う事なく後ろから腹を貫かれ、鮮血を噴き出して地面に倒れた。

「え…?」

一瞬なにが起こったのかジークにはわからず、反射的に倒れたハツを受け止めてそのまま床に座り込んだ。
ハツの腹に開いた穴は両手の拳程大きく、かろうじて残りの肉で上半身と下半身が繋がっているような状態だった。
ジークは全身の血のけがサッと引いて行くのを感じた。

「ジーク、退いて」

リズはすぐに傷口を塞ぐ為に治癒の魔法を施し始めたがハツの傷は酷く、またリズも自分の傷を癒す事に魔力を使っている為思うように治療が出来ない。

「ハツ!しっかりしろ…こんな所で死ぬなんて許さないからなッ!!」

ジークはまだ温かいハツの手を強く握り顔を上げた。
視界の端に部屋の奥で大砲のようなものの前に立つバリー博士が見えた。

「親が…あいつに、ころされ…たんだ……」

死ぬまいと気を強く持とうとするハツの声は弱々しい。
だがジークはハツが話すのを止めようと思わなかった。

ハツの背負っている悲しみを、痛みを知り一緒に背負ってあげたかった。

「く、悔しい…あいつを、ゆるさ…な……」

大きく見開かれたハツの瞳から涙が零れ落ち、弱々しい声は必死にそう訴えた。

「…リズ、ハツを頼んだ」

ジークはそれだけ言うとハツをリズに任せ、ふらりと立ち上がった。
こんな状況なのに不思議と心は落ち着いていた。

そして異種生物に守られるように立つバリー博士を見据えると、慈悲のかけらもない表情でこう言った。

「徹底抗戦だ。シャオロンは周りの雑魚を。レイズは俺の援護に回れ。叩きつぶすぞ」

「う、うん……」

シャオロンはジークの持つ雰囲気が変わった事に気付いたが、仲間が傷つけられた事による怒りなのだと思った。

「あの大砲の周りに浮いているのは魔力の結晶だ。おそらく魔力を弾にして撃ち出してるんだ」

レイズはそう言うとジークに魔法の防御壁を施そうと魔法陣を造りだした。

だがジークはそれを軽く手で遮った。

「そんなものは必要ない。お前はありったけの魔力であの腐れ研究者の動きを封じてくれ」

そう言い捨てたジークは持っている木剣を固く握りしめるとバリー博士に向かって走り出した。

「アイツ…なんかおかしくね?」
「うん、でも今は行こう」

レイズもジークの違和感に気付いたようでシャオロンと顔を見合わせたが、今は何も言わずそれぞれ動き始めた。

第十章『End of Eternity』⑥

ジークが小さく息を吐き出し木剣を振るうと、その場に空気を切り裂く衝撃波が作り出され、バリー博士を守る生物を切り裂いた。
その体液のしぶきを真っ向から受けたジークは、顔色一つ変えずに走り抜けていく。
後ろから追い駆けていたシャオロンはその様子に例えようのない不安を感じていた。

レイズは体中に漂う魔力を一点集中させ、頭上に火群(ほむら)を召喚していた。
仲間が殺されそうになった上に、最低な侮辱を受けた。
ましてや、全ての原因を持つこの男を生かしておく気持ちなど毛頭ない。

それが今の危ういジークを作り出しているといっても過言ではない。
レイズも同じ気持ちではあるが、冷静さは残っている。

ここで激情に任せて動いたところで、メリットはなにもない。
ジークはそれがわからない程、頭が悪いわけではないはずだ。
その冷静さを失った時が命取りになる事もよく知っているはずだ。

ならば今自分が出来る事は、同じように怒りに任せて力を解放する事ではない。

次第に大きくなっていく火群を一瞥したレイズは、こちらに魔力の砲弾を放とうとするバリー博士に向かって右手を向けて声を張り上げた。

「やらせるかよ!」

次の瞬間、術者の声が引き金となって火群は弾けるようにして無数の炎の弾丸が襲い掛かった。
それはジークやシャオロンの頭上を弧を描いて飛び、バリー博士が向けていた大砲へと降り注いだ。
着弾を確認するや、すぐさま追撃の魔法を呼び出す。

「炎々の雷に宿りし霊槍よ、我が前に立ち塞がる身に無双の鉄槌を下せ!我が真名を聞き入れ顕現せよ!」

淡々と節を謳い、杖の先を床に叩きつけ、最後の一節を唱えた。

「我が名は灼熱のルークが一族、レイズウェル・ルーク!」

咆えるように炎は猛り、巨大な魔法陣から呼び出された業火の槍は狙いを違うことなく、バリー博士へと突き立てられた。
レイズは魔力の過剰消費による負担から流れ込んで来た鼻血を吐き捨てると、服の袖で荒々しく拭った。
ジークは怯え、命乞いをして逃げようとしている生物には眼もくれず狙いを一点に突き進んでいく。
例えその過程でいくつもの傷を負おうとも狙いを変える事はない。

「ジーク!待って、待って!!」

シャオロンは今の状態のジークが危うい事をわかっていた。
怒りに任せて飛び出していく今の状態では周りを見る事は出来ない。
レイズの放った魔法により大半が焼け落ちたとはいえ、次から次に襲い掛かって来る生物を躱しながらシャオロンはジークを呼んだ。

だがきりがない。

「邪魔…っしないで!」

シャオロンは右手を振り上げると龍の爪へと変化させ、向かう敵の身を引き裂いて道をひらいた。
それでもあと一歩、ジークに追いつく事は出来ない。
バリー博士は炎の槍をまともに食らってしまい、半身が焼けただれた状態でもなお生きていた。
魔力の大砲は使い物にならなくなってしまったが、まだ意識ははっきりと残っていた。

ジークは炎の中でただ一人立っているバリー博士に向かい合うと、息を切らして木剣を両手で握って構えた。

「ヒェヒェ…これはこれは……」
「…のせいだ……」

息を整えるように深く呼吸をしたジークは、怒りに染まった瞳を見開いた。
ここまで全力で走ってきたせいか心臓が痛い。
でも、こうまでされて冷静でいられるわけがない。

「お前のせいで…!ハツも、リズも…!お前のせいで!!」

仲間が傷つけられた。

「お前さえいなければ、二人や二人の家族だって不幸になんてならなかった!なのに…!!」

たくさんの死を見て来た。
たくさんの涙も流れては乾いてしまった。

「お前さえいなければ!ハツもリズも…狂う事はなかったんだ……」

ギリッ、と歯噛みをして木剣を握る手に力を込めた。

許してはいけないと思えば思うほど憎しみは膨れ上がり、ジークの心を支配していった。
辺りが薄暗くなって見えていく中、ジークの持つ木剣がどす黒い光を放った。

それは離れた所で見ていたレイズにもしっかりとわかるように、ジーク自身の影から伸びて来た黒い靄に包まれ、持ち主の心に反応するように形を変えていく。

ジークは驚くでもなく、淡々と木剣が形を作っていくのを見下ろすと、バリー博士に向けて右手を向けた。

「お前だけは許さないッ!」

冷酷にそう言い放ったジークの右手には、漆黒の双刃を持つ大鎌が握られていた。

そのどす黒い鎌を目の前に、バリー博士は残った片目を見開いて声を震わせた。
「おぉ…おぉお…まさか…御身は…!」
裂けた唇からそう零れた言葉に聞き耳を立てる事もなく、ジークは何の躊躇いもなくバリーの身体を切り裂いた。

「ジーク!!」

シャオロンの悲鳴にも似た声が辺りに響いた。

血しぶきが舞い、言葉にならない声を籠らせ崩れ落ちたバリー博士だったものを見下ろしたジークは、何も言わずに服の袖で頬についた返り血を拭い取った。

その様子は、いっそ底冷えがするほど冷静で、いつもは明るく輝いている瞳には光がなかった。

これがどんな時でも真っすぐに明るく、誰よりも誠実に人を殺すことを嫌っていた彼が、

ジーク・リトルヴィレッジが明確な殺意を持って人を殺した瞬間だった。


ジークは何の表情も浮かんでいない顔で、色のない瞳で、まるでそうであるかを知っていたかのように平然と呟いた。

『なんだ、こんなものか』

と。

「案外、簡単なんだな。人を殺すのって」

そう言いながら血だまりに伏すバリー博士の頭を踏みにじった。
誰一人、言葉をかけることができないまま何かが砕ける音と、ジークの低く嘲笑う声だけが響いた。

それまで博士を守ろうとしていた生物達は圧倒的な力量と禍々しい迫力に恐怖しながらも、本能で逃げられないのだと感じ取ると一斉にジークへと襲い掛かった。
次々に向かってくる生物達を一瞥したジークは、両手に持つ大鎌を薙ぎ払うと、地面に映る生物達の影から無数の手が伸び、次々と獲物を捕えて飲み込んでいった。
彼らが必死に逃げまどうも、自身の影に抗えるわけもなく闇へと取り込まれて消えていく。

その様子を、シャオロンとレイズは、リズも黙って見ている事しかできなかった。
ジークはいつだって明るく振る舞って、いつだって正しい方を向いていた。
人として完成されたカタチが間違える事など絶対にないと思っていた。
それなのに、それなのに…。

「嫌だ…君はこっちに来ちゃダメだ……」

ハツの傷を癒したリズはかすれた声でそう言った。
リズのいう『こっち』とは、説明するまでもないだろう。

「テメェ…!」

レイズは舌打ちをするとジークに掴みかかった。

「自分が何をしたのかわかってんのかよ!?」
「何でお前が怒るんだ?どうせ誰かが殺すんだろ?だったら、誰がやろうと関係ないんじゃないのか」
「お前っ…!」

なおも手を放さないレイズにジークは冷ややかな目を向けて言った。

「お前も俺の邪魔をするのか?」
「はぁ!?」

鋭いその眼光に射すくめられたレイズが言葉に詰まったその時、ジークの持つ鎌の刃が大きくなり、意志を持ったようにレイズへと襲い掛かった。
その切っ先がレイズの前髪をかすめた瞬間、一本の剣が刃の軌道を逸らせた。

剣に魔力を通わせて飛ばしたリズは、残りの一本の剣を左手に握るとレイズを突き飛ばしてジークの前に立ち塞がった。
後ろでレイズが「いてぇ」だのなんだの言っていたが、今はそれどころではない。

リズの目には今のジークが、自分の知っているジークではないように映っていた。
おそらく今の自分と『同じ眼』をしているのだとわかった。

シャオロンはハツを部屋の端に連れて行くとその行方をジッと見つめた。
その服の端をぐっと引かれた。

「ハツ!意識が戻ったノ?」

シャオロンが振り返ると、壁に背を預けたハツは意識を取り戻していた。
一応は傷は塞がっているものの、失った血液量と内側の傷の痛みは深刻で、まともにしゃべれる状態ではない。
それでもハツは何かを伝えるようにシャオロンの服の端を引いていた。

それは行かないでくれ、と頼んでいるのではない。
ハツは行かないでくれ、だなんて弱音は吐かない。
弱々しく握られた指は、早く行け、と言うように離れていった。

「…うん、わかった」

シャオロンは頷くと今まさに狂いかけている仲間の元へ向かった。

今のジークの状況は、バリー博士を殺してしまった事への高揚感が支配し、そして自分ではうまくコントロールできない力に飲み込まれかけている。
本来の許容点を越える力を手にすれば、自我を失う事は明白だ。

あの力はジークが本来持っていたものだとしても、コントロールできないのであればジークが振るうモノではない。
ジークはリズへと歩み寄ると大鎌を握る両手に力をこめた。

「なんでだ?俺、強くなっただろ?なのになんでそんな顔するんだ?」

ジークは本当に意味がわからないというように肩をすくめた。

「俺はずっとお前らの足手まといだったじゃん。この力があればお前らに守ってもらうことなんてないんだぞ?それなのに、なんで喜んでくれないんだよ」

そう言うとニタリと口の端を吊り上げた。

「これからはまどろっこしいやり方はやめて、俺が皆を守ってみせるさ」
「そんなの…許されない事を平然と…!」

リズは眉をひそめた。
それにジークは何故?と訊き返した。

「許されない?お前も同じだろ?命令されたっていっても、やったことは俺と一緒じゃないか。邪魔なら消す。簡単だろ?それに身体の奥から力が溢れてくるんだ」
「…!!」

その言葉はリズにとっては一番聞きたくない言葉だった。
暗闇にいた自分に居場所をくれたのはジークだ。ジークがいたから流されて生きていくことをやめられた。

いつだってその真っすぐな性格が眩しかった。

だから自分も同じように生きていければ、と思えた。

それなのに、と変わり果てたジークの言葉は容赦なく胸に突き刺さって跡を残しながら毒を塗り込んでいく。

「野郎テメェ!そのわけわからんモン捨てろや!!」

レイズはジークの足元に火柱を召喚すると素早くジークの後ろに回り込んで鎌を掴んで奪い取ろうとした。
だがレイズの足元にある影から這い伸びた黒い腕が、足や胴体と腕に絡みついた。

「クソっ!俺らに対してもかよ!!」

レイズの脳裏にこの影に飲み込まれて消えていった生物達が浮かんだ。

「俺は強くなったんだよ!お前らが居なくても一人で何だってこなせる!俺の邪魔をする奴は一人残らず殺してやる!!」

「間違ってる!」

影に飲み込まれかけていたレイズの腕を掴んだシャオロンはそう言った。

「そんな力、本当に欲しかったものじゃないでしょ!?そんな自分がわからなくなってしまうくらいの価値しかないもの…!!」
「シャオロン!」
「ジーク!正気に戻って!!」

シャオロンはあらん限りの力を込めてそう叫ぶと、レイズの体にまとわりついていた影を引きはがした。
本来ならばそんな事出来るはずがないのだが、龍神族の腕力だからこそ出来た事だろう。

「なっ…!」

ジークが驚いて腕を止めた隙を見てリズは足を払うと、畳みかけるようにジークの頭上に無数の氷の槍を召喚した。
円状に広がる氷の槍は狙いを定め、静かな殺気を放っている。

これまでの疲労があり、これ以上は魔法を使う事が出来ないという事がわかっていた。

「落ちろ!」

リズは持てる力の全てを収束し、その全てをジークの動きを封じる為に急所を外した部位に降らせた。

天井から降り注ぐ無数の氷槍ならばジークの自由を奪える…そのはずだった。

だが、ジークは体勢を崩した状態のまま片手を突き出すと、刺さる寸前まで迫ってきていた氷の槍はまるで『最初から存在していなかった』かのように消えてしまった。
それは火魔法で蒸発したのではなく、本当にその存在が消えてしまったのだと気付いた時にはもう遅かった。

そして腹に鈍い痛みが走る。

「うぐっ…!」

リズはジークの大鎌に腹を切り裂かれ、なすすべもなく床に四肢を投げ出した。
痛みはない。
けれど、これまでの疲労と大量の出血で体が言う事を聞いてくれなかった。
魔力もない中、自分の傷を癒すことも出来ずに視界だけがかすんでいく。

「クソが…リズ!」

すぐにレイズが駆け寄った。
ジークはその姿すら無表情で見下ろしていた。
自分の邪魔をしたのだから当然だろう、とその目は言っていた。

「ジーク!元に戻って!!」

その背後でシャオロンが拳を振り下ろした。

だが龍神族の重い一撃にもかかわらず、それは何か見えない壁を殴ったかのように鈍い音を立てた。

「痛ッ!」

通常なら壁さえも破壊する拳は阻まれ、シャオロンは拳が砕けた痛みで怯んだ瞬間に影に足を取られてしまった。
このままでは殺されてしまう。
レイズはそう思い、唇を噛んだ。

この状況で一人で何が出来るというのだろうか。
ジークに正気を取り戻してもらうにはどうしたらいいのか…。

「ふっざけんなよ…なんでこんな…急におかしくなるんだよ…お前は、こんなんじゃねぇだろ……」

こちらを睨み付けるレイズを見ていたジークは、唐突に片手で顔を覆って肩を震わせた。

「はは…ははははっ!何を言い出すのかと思えば、お前が俺の何を知ってるんだよ!」

激しく問い詰める声と同調するようにジークの纏う得体の知れない魔力が強くなる。

「俺は…!強くなったんだ!!お前らなんていなくても一人で……」
そう言った時、ジークは自身の手のひらを見つめて動きを止めた。

「あ…?」

そして表情を険しく辺りを見渡し始めた。
いつもは自信に満ちた丸い眼は不安げに揺れ、縋る物を探すように手あたり次第に左手は彷徨った。

まるで何かつきものが落ちたかのように、纏う魔力も消えていくのがわかった。

シャオロンとレイズはその異様な光景に何も言えずにいた。

ジークは血だまりとなっている周囲を見渡したあと、ゆっくりとレイズに視線を送ると信じられないというような顔をして言った。

「おれ…人を…殺したんだ……」

それは自分自身に言い聞かせるような小さな声だった。

「!お前…意識が……」

レイズがそう言いかけた時、ジークの頭上に魔力の圧が降り落された。
魔力によって通常の何倍もの重力を受けたジークの魔力の結界は破れ、ガラスが割れるようにして砕け散った。

うつ伏せに倒れた衝撃で手から離れた大鎌は、何事もなかったかのように木剣に戻りシャオロンも解放された。

「ジーク!」

レイズは風圧からリズを守りながらジークを呼んだ。

その背後に二人の足音が近づいて来た。

「あなた達は……」

シャオロンはその二人の姿に驚きながらも、ジークに駆け寄った。
幸い、頭を打って気絶しているだけのようだ。
五人の前に現れた男…エリオは緋色の瞳を細めて開口一番にこういった。

「なんの遊びだ?」

と。



第十章『End of Eternity』

fin.

第十一章『friends』①

ひんやりと冷たい夜の風がエリュシオン戦闘専門学校の寮棟を抜けていく。
静かで人の気配がしない真夜中の今、レイズウェルはひとり目を覚ました。

目を覚ました瞬間にまだ夜中だという事がわかり、もう一度寝ようと目を閉じるも眠気はやってきそうにない。
仕方がない、と起き上がり隣のベッドを見た。
今は主のいないベッドの上にあるのは、先日の任務であちらこちら擦り切れてしまった白い制服だ。
それを少し離れた所で寝息を立てている仲間が繕い、今は元のように折り目正しく置いてある。
その横には剣身が鞘に収まった対(つい)の剣が置いてあった。

レイズは何も言わず目を伏せると辺りを見渡した。
この部屋には五人が住んでいたのだが、今現在ここに住んでいるのは二人だ。

あの、生体研究所での任務から二日後。戦いの後で動けたのはレイズとシャオロンの二人だけだ。
かなりの深手を負ってしまったリズ、ハツ、そして未だ昏睡状態のジークがいないここは何故だかとても広く感じた。

だが、あの事件を…ジークが力を暴走させてしまったのをこの程度で止められたのは、エリオとトールの二人の兄達のおかげである。
兄たちはバリー博士の命を奪う為にやってきたのだと言ったが、既にジークの手にかけられていた後だという事もあって、あれ以上は何も言わなかった。

エリオはかろうじて立てるレイズと、問題なく動けるシャオロンを見下ろしたまま辺りの惨状を見まわし、何も聞かなかった。
けれどその雰囲気はどこか、いつもの兄とは違い少し暖かかった。
そして満身創痍の弟達を見て、転移の魔法でエリュシオンまで送ってくれた。
その後はエリュシオンの敷地内からシャオロンとレイズの二人で三人を背負って、医務室へと駆けこんだというわけだ。

医務室に居た教官は突然大けがを追って訊ねて来た生徒達を見て一瞬だけ驚いていたが、すぐに処置を始めてくれた。
リズとハツは重症で意識を失ってはいるものの、峠は越えたとの事だ。
それでも当分は動けないだろう。

それよりもさらに深刻なのはジークだった。

身体に問題はないにもかかわらず、その意識は戻っていない。
医務室のベッドで微動だにせず…ただ、眠り続けている。

それが正体不明の力を使った反動なのかどうかはわからないが、ジーク自身が望んでいるのかもしれないと思った。

あの時の爆発的な破壊の力については教官に報告はしていない。

その力の本質がなんであれ、あの生真面目なジークが責任を感じていないわけがなかった。
これ以上、ジークを追い詰める事はしたくないと、シャオロンと話し合って決めた事だ。

「…つっても、これからどうしろっつんだよ……」

例え怪我によりチームの仲間が離脱しても、課せられる課題や任務は変らない。
シャオロンとレイズの二人だけでは、現実的に考えて達成できるものは少ないだろう。

いや、シャオロンがいればある程度は強硬手段でなんとかなるか。

レイズはそう考えた所で自己嫌悪に陥って頭をかきむしった。

「違う、そうじゃねぇ…俺がなんとかしねぇと……」

レイズは自分が仲間達の中で実力で劣っているという事はわかっている。
だからこそ、人よりも何か秀でるものを作らなければならない。

何があってもリズやハツ、ジークの力は借りられないのだ。

自分で考えなければならない。
けれど考えても答えがすぐに出るわけではない。

「くっそ…何でだ……」

レイズは握りしめた髪を放すと、体の力を抜いてベッドに倒れこんだ。
二人しかいない静まり返った部屋に、シャオロンの寝息だけが聞こえていた。
翌日、結局あまり眠れずに朝を迎えたレイズはいつものようにシャオロンの用意した朝食を胃に詰め込むと、特進科の校舎へ向かった。
無駄にギラギラごてごてした宝石や絵画の装飾が多い校舎を、ゆっくりとした足取りで進む。

いつもはリズと一緒に登校するので、一人の今日はやたらと視線を浴びる。
もともと、貴族の中でも有名な家柄であるので注目を浴びる事はおかしくはないのだが、なんだか今日は変な気分だった。
そのままいつものように適当にクラスメイトと話をし授業を受け、放課後に寮へと帰る。

その帰り道だった。

ふらっと校舎が並ぶ区域を出て医務室に行こうとした所で、アリーファ教官が立っていた。

「待っていたぞ、レイズウェル・ルーク」
「…なんスか」

立ち止まったレイズは、アリーファ教官に向き直らずにこう答えた。
アリーファ教官はその態度に眉をひそめたものの、すぐに一通の封筒を差し出して来た。
白く正方形の封筒を受け取ったレイズは、それが何なのかわかり、怪訝な顔をした。

「課題かよ…俺らは二人しかいねぇってのに、なんだよ」
「戦士にはたとえ仲間が死のうとも突き進まねばならん時がある。それが今だという事だ」
「いや、誰も死んでねぇよ…アンタ何言ってんだよ」

そう悪態づいたレイズは封筒の中身を取り出すと、表情をいっそう険しくした。

「レイズウェル・ルーク、以下一名。ただ今の時刻をもって記載された村に対する護衛任務を命ずる」
「護衛…?二人しかいない俺らに村を守れってのかよ…正気かよ!」

紙面には昨日、山賊の襲撃にあった村からの護衛依頼の内容が書かれていた。
今夜、もう一度村へやって来る奴らから護って欲しいと。

レイズは手紙を握りしめると唇を噛んだ。
普通に考えてこれは無理だ。

これこそどう考えても二人じゃ達成できない。
それがわかっていて任をよこして来たのか、アリーファ教官の真意はさだかではない。

「体育科は本日は午前までだ。昼過ぎから医務室にいる者にも知らせは届いているだろう。医務室にて合流後に即刻出発しろ」

アリーファ教官は何も言わないレイズを見下ろしたまま言った。
レイズは握りしめていた手を解くと、ふう…と深く息を吐き出した。

そして顔を上げると、ハッキリとした口調で答えた。

「やってやる…その代わり、成功したらアイツらの成績も評価しろよ」
「いいだろう」

アイツらとは言うまでもない。
アリーファ教官はそう言うと立ち去って行った。

レイズはその足で医務室へと向かった。
校舎の立ち並ぶ石畳の道を進めば、その建物はあった。

「シャオロン、いるか?」

軽くノックをして入って来たレイズが開口一番にそう言うと、手前のベッドの前に立っていたシャオロンが顔を上げた。

「いるヨ。行こう」

そう言ったシャオロンは、いつになく真剣な顔をしていた。
彼もまた他の教官から任務の話を聞いていたのだろう。
彼のすぐ傍にあるベッドでは、ジークが眠っていた。

リズとハツも未だに目を覚ます気配はない。

「…行くぞ!」

レイズは心の中で深いため息を吐くと、気を取り直すようにそう言った。

今や二人となってしまったチームAHOUは、新しい任を受けてエリュシオンの敷地外と足を踏み出した。

第十一章『friends』2

エリュシオンから少し西に行ったところにその村はあった。
深い森の傍に存在するこの村は木でできた囲いで外敵から守る、農業と畜産を産業とする本当に小さな村だった。
空にはうっすらと月が浮かび、数時間後には夜の闇が訪れるであろう事がわかる。

以前は活気に満ちていたはずのその村は、今は灯り一つ付けずに暗闇の中に佇んでいる。
レイズは杖の先に炎を灯すと、村に入る前に一部だけ破壊された囲いを一瞥した。
そして、何も言わずに入り口へ周り、村へと入って行くと入り口の傍に隠れていた一人の男性に気付いて足を止めた。

「あのー、ボク達エリュシオンから来ました!」

シャオロンがそう言うと、男性は怪訝な顔をしつつも二人の服装を見て信用したのか、一か所に集まる村人達の元へ案内してくれた。
村人達が隠れていたのは、村の中の一番奥にある大きな家の地下室だった。
おそらくここが村長の家なのだろう。

備蓄食料や水などが保管されている隙間に隠れるようにして、村人達は息を殺して隠れていた。

「エリュシオンから来ました、チームAHOUです」

レイズはそう言いながらバッグの中から証明書を取り出した。
すると、声に気付いて振り返った村人達は、レイズとシャオロンの姿を見ると眉をひそめた。

「…二人ですかな…?」

その中の一人が戸惑うようにそう訊ねた。
当然だ。とレイズは心の中で鼻で笑った。
誰だって護衛に駆け付けたのがたった二人だけだなんて信じられるわけがないだろう。
その明らかに疑いの視線を真っ向から受けたレイズは、書類をその場にいる全員に見えるように掲げて言った。

「状況をお聞かせ願う」
「ちょ、ちょっとレイズ……」

後ろでシャオロンが声を詰まらせた。
わかっている。
レイズはそう言葉を下した。
ジークならばまず、村人の無事を確かめて様子を窺う。信頼関係を作り上げ、その上で対策を練る。

けれど、それでは時間がかかりすぎる。
そんな事をしている間にまた山賊の襲撃にあうかもしれない。
効率が悪く、こちらは戦えるのは今は二人しかいない。

のんびりとしている時間はないのだ。

レイズは淡々と言葉を並べていく。

「被害状況を教えてもらったうえで、対策を整えます。まず、奪われたものを言ってください。可能な限りは取り戻したいと考えています」

村人達の気持ちなど、わかりきっている事をいちいち確認するまでもない。
それよりも先に身の安全を考える事が先だ。

一通り被害状況を確認すると、レイズはメモしていたノートを閉じて言った。

「では、みなさんはこのまま隠れていてください。下手に動くと邪魔です」
「で、でも……」

村人達の不安げな顔色が変わる事はない。
やはり護衛が二人しかいないというのは不安なのだろう。

当然だろうな、とレイズは踵を返した。

「…行くぞ、シャオロン。俺はこの先で奴らを待ち構える。お前はこの建物を守れよ」

今、ここで何かを言うよりも成果を上げた方が早いし確実だ。もっとも効率的な事を選択した。
その時、シャオロンは何も言わずレイズの腕を掴んで止めた。
いつもは穏やかなブラウンの瞳は少しきつく細められている。

「…レイズ」

シャオロンが何を言いたいのかはわかる。
けれど、それを言った所で何が変わるというのだろう。
無意識に、ジークなら…と思った。

「…わかったわかった……」

その顔を振り払うようにレイズは溜息を一つ吐くと、胸に手をあて口を開いた。

「俺の名は、レイズウェル・ルーク。灼熱の血にかけて、この村を守ると誓いましょう」

ざわっ、と空気が変わったのがわかった。

当たり前だ。
そうなるとわかって、あえて家の名前を出したのだ。
レイズは胸の中でそう呟くと、地上へと上がる階段を上り始めた。

振り向きざまに見た村人の顔には、恐れに混じって微かに希望の色が浮かんでいた。

「わざとでしょ。ルークの名前を出したのって」

小屋を出た所でシャオロンが声をかけてきた。

ルークの名前は世界に知らない人はいないというくらいに悪名高い。

それでも、今はエリュシオンという機関の器に入ったことで人殺し悪名も、『正義の人殺し』というものに変わる。

よって、受け取り方は自由だ。

レイズは腰に装着していた杖を取り、地面を軽く突いた。
すると村の中に仕掛けられていた松明に一斉に火が付いた。
本来ならば赤くも暖かな炎は、今は緊張感と恐怖と不安の色を映しているようだ。

「別に。そんなんじゃねぇわ」

レイズは明るくなった村を見渡してそう言った。
やはり、さっきは暗くてよく見えなかったが荒らされた痕跡から、前回襲われたときには抵抗する間もない一方的な状況だったのだろう。

「どういう作戦でいくノ?」

シャオロンはそう訊ねた。
レイズは右手の人差し指で自身のこめかみを軽く突くと片目を閉じ、口の端を吊り上げた。
「エサにつられてやって来た所に、恐ろしいバケモンがいたら…お前はどう思うよ?」
「…それは…怖いネ。食べられちゃうカモ」

シャオロンは薄く笑いながらウインクをして返した。

間もなく森の方から地鳴りのような男が聞こえる。

ELYSION(旧約)web版

ELYSION(旧約)web版

目指すは平穏、堅実! エリートを夢見て田舎から出て来たはずなのに間違えて場違いな学校へ入ってしまった一般人代表の主人公とその仲間達が織り成すギャグ時々やさしいお話。 戦士や魔法使いを育成するエリート専門学校『ELYSION』で起こるさまざまな事柄を体験して成長する、コメディ色の濃い物語です。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-11

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 序章『ハジマリの朝』
  2. 第一章『Friends of the dragon』
  3. 第二章『Update friend』
  4. 第三章『Sun flower』
  5. 第四章『Stardust』
  6. 第五章『Bloody Яain』
  7. 第六章『Pray』
  8. 第七章『Libera nos』
  9. 第八章『Lord of the Dragons』前編
  10. 第八章『Lord of the Dragons』後編
  11. 第九章『Soul cradle』
  12. 第十章『End of Eternity』
  13. 第十章『End of Eternity』②
  14. 第十章『End of Eternity』③
  15. 第十章『End of Eternity』④
  16. 第十章『End of Eternity』⑤
  17. 第十章『End of Eternity』⑥
  18. 第十一章『friends』①
  19. 第十一章『friends』2