吉田先輩
吉田先輩とは、ぼくの事です。小学四年生のぼくが先輩と呼ばれるのにはわけがあって、いつも行っている合気道のお稽古にぼくより後から入ってきた人がいるからです。
三年生や二年生なら当たり前ですが、そうではありません。年下の子たちはぼくのことを吉田君とかあっちゃんとか、そんな風に呼びます。五、六年生でぼくよりあとに入門してきた子もぼくのことを呼ぶ時は、吉田とかあつしとか呼びすてです。だからぼくの事を吉田先輩と呼ぶ人は一人しかいなくて、それは高田さんだけです。
高田さんはおじさんで三十歳くらいです。ある日だぶだぶのズボンの作業着で道場に現れてきて入門しました。合気道の稽古は大人クラスもあるので、そっちに入る人だと思っていたら「自分は武道のことは何も知りませんから」といって子供クラスに入門してきたらしいです。
一番最初は低学年の子たちと一緒に稽古を始めましたが、稽古の前の柔軟体操とか稽古に入っての組手とか、おじさんと同じくらいの体格の子がいるわけもないので、すぐに高学年のクラスに編入してきました。
高田さんはぼくのお父さんより少し背が低いので、大人の中では低い方だと思います。お父さんが自分のことを中くらいと言ってましたから。ぼくは四年生の割には背が高いので高田さんとペアを組むことが多くなりました。それ以来、高田さんはぼくのことを吉田先輩と呼ぶようになりました。
高田さんは高学年クラスに入ってきて皆と一緒に稽古していますが、少しどんくさいところがあるようで、時々師匠に注意されています。その度に五、六年生の子に笑われたりしています。でも、一生懸命やっていて人一倍汗をかいてやっています。年上の子の中には「高田のおっさんウゼえ」なんて言ったりしている子もいるみたいですが、高田さんの耳には入っていないみたいです。
稽古の休憩中は低学年の子が高田さんにちょっかいをだして、高田さんと子供たちの鬼ごっこが始まるというのがいつもの風景で、低学年の子たちには人気があります。でも鬼ごっこが終わった後は高田さんはいつもぜいぜいいっています。
一度学校の帰りに高田さんと会いました。ジャージを着た高田さんはおっさんそのものでしたが、ぼくを見つけると「吉田先輩」といって声を掛けてきました。「パチンコで貰うたから」と言って一緒にいた合気道とは関係ない同級生にもチョコレートをくれました。同級生からは「あつしはおっさんより年上なんか」と言って笑われました。
お母さんはそんな高田さんのことを不思議に思っているようで「あつしの合気道の練習に大人の男の人が混じっている」ということをお父さんに相談していました。お父さんは「変わった人がいるんやなぁ」くらいの返事しかしなかったのでお母さんは不機嫌になったみたいです。
ある日、稽古が終った夜、ぼくは低学年の子を引率して道場から家に帰る途中でした。高田さんはその日は来ていませんでした。大人なのでお仕事の都合で稽古に来ない日は時々ありました。
ぼくたちが歩いていると白いバンが横を通り過ぎて少し前の方で止まって、そこからだぶだぶの作業着を着た高田さんが下りて来ました。高田さんは車から降りて、中の人に何回もお辞儀をしていて、その内扉が閉まって車は走って行きました。
高田さんを見つけた低学年の子たちは駆け寄って「今日さぼってたやん」と言ってはやしたてたり、高田さんの足にしがみついたりしていました。高田さんは大きな工具がいっぱい付いているベルトを持っていて、子供たちはそれを見て「これは何?これは何するもん?」と聞いていたので、腰にベルトを装着してみせて「こんな風に使うんや」と言って見せていました。子供たちからは「かっこええ」という声が漏れていました。でも、ひとりの子が「いっぱいお辞儀しててかっこわるかったやん」とはやしたてると、高田さんは少し寂しそうに笑っていました。
次の稽古の時に低学年クラスの子のお母さんに高田さんは怒られていました。高田さんにしがみついた子の道着に油がべったりついていて、高田さんの作業着が汚れていたせいです。「大体あんた何で大人のくせに子供のクラスに居るのよ」と作業着とは関係ないことまで怒られていました。高田さんはずっと謝っていましたがお母さんの怒りはおさまらず、師匠が中に入ってやっとお母さんは引き上げました。
それから少しして高田さんは道場に来なくなりました。お母さんたちの間で「子供のクラスに大人がわざわざ入ってくるのはおかしいのでは?」という噂が立ち始め、高田さんは嫌われたと思ったみたいです。高田さんが車で降りたところの近くが家なのかと思って、皆で高田という家を見つけようとしたのですが見つかりませんでした。それ以来、町で高田さんを見かけた子はいないみたいです。
吉田先輩