菜の花畑

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「菜の花を摘みに行こう」
と、マウスとアライグマが誘いに来た。


玄関のドアをもう少し押し開けて外へ顔を出すと、
以前かぼちゃを乗せて運んできた小さな手押し車が
空っぽの状態で置かれているのが見えた。

「もうじき花も終わりだから、好きなだけ摘んでいいって言われたんだ」
そう言ってアライグマが、小さく折りたたんだ手書きの地図を取り出した。


大家さんの弟の囲碁仲間の幼なじみの奥さんのいとこにあたる人の土地らしい。
私が渡された地図に目を通していると、
マウスも肩の上にするるっとのぼって横から一緒に覗き込んだ。


「ずいぶん遠そうね」
はっきりは分からなかったが、隣り町の外れの山の上の方のようだ。
そのあたりへは、まだ行ったことがなかった。


歩いていくのは無理そうなので、自転車で行くことにする。
ちょうどお昼におにぎりを作ろうと思って炊いたご飯があったので
簡単なお弁当をこしらえる。
おにぎりは、梅干し・たらこ・昆布の佃煮の3種類。
それからソーセージと厚焼き玉子。
お茶を沸かして魔法瓶に移し、カップを3つ、割れないようにタオルでくるんでからバスケットに詰める。


自転車の前かごに手押し車を乗せ、その上にバスケットを押し込む。
後ろかごには座布団を敷いて、アライグマとマウスはそこに乗り込む。
「では、行きますよう」
そう言って、ゆっくりと出発した。


後ろからアライグマが、地図を片手に道を案内する。
右、左、次も左、その先は右、とどんどん町なかを抜けて、
狭い脇道に入ったり、だだっ広い田んぼの真ん中を通ったりして
道を曲がったり進んだりしている間にどのあたりまで来たのか全く把握できなくなった。


そのうちにだんだんと山道に入り、傾斜がだいぶきつくなってきた。
これ以上漕ぐのをあきらめて、私はぜえぜえと息を切らしながら歩いて自転車を押す。
アライグマもかごから降りて自分の手押し車を押し、マウスもその脇をするすると走る。


「もう。少しで。着く。はずなんだけど」
アライグマがひどく息を切らしながらそう言った時、
先に走って様子を見に行っていたマウスが
「おーうい! あったぞーう!」
と、カーブの先で声を上げた。


もうほとんど花が終わってしまった大きな桜の木の根元を右に曲がると、
急に目の前が開けて、一面にまぶしい菜の花の黄色が飛び込んできた。


「うわーあ!」
と、アライグマが横で声を上げる。


こんな山の中に突然だだっ広く土地が広がって、
ずうっと向こうまでびっしりと菜の花のまぶしい黄色で埋め尽くされている。
そうして、少し息苦しくなるほどの甘い花の匂い。


するするっとマウスが走り寄ってきて、
「どうだい! すごいだろう?」
と、まるで自分のもののように得意げに言った。


「すごいすごい!」
と私とアライグマも答えながら、菜の花畑の中へ少しずつ入っていく。


花は、隙間もなく咲き乱れている場所と、腰を下ろせるくらい開けた場所とがばらばらにあって
それぞれ好き勝手に歩きまわっていたら、お互いの姿が見つからないほど奥まで来てしまった。


おーいおーいと呼び合って、なんとか真ん中辺りの開けた場所で落ち合う。
山道をのぼってお腹もぺこぺこなので、そこでお弁当を広げることにした。


一畳ほどの大きさのビニールシートを敷いて、バスケットからいろいろ取り出す。
カップにお茶を注いでそれぞれに配り、さあ食べようという時になって
アライグマが遠くに何かを見つけた。


「何だろう?」
そう言って、後ろ足の爪を立てて精一杯背伸びをして目を凝らす。
「誰かやってくるようだ」
私も腰を下ろしたまま首を伸ばし、マウスは私の腕を伝ってするるっと頭の上へ上った。


菜の花畑のずうっと向こうの方から、
小さな頭がいくつも見え隠れしながらこちらへ近づいてくる。
よおく見ると、それは一列に並んで歩いてくる子供たちの姿であった。


菜の花が不規則に植わっているので、通れるところと通れないところがあって、
子供たちの列も真っ直ぐにではなく、変にジグザグしながら進んでくる。
向こうの方へ見えなくなったと思ったら、またひょっこりと花の間から姿を現したりして
しばらく経ってからやっと私たちが腰を下ろしている場所へ辿り着いた。


ランドセルを背負った、7,8人の子供たちであった。
先頭に立ってみんなを率いてきた男の子は、一番背が高く年も上のようだ。
男の子の半分くらいの背丈しかない小さな女の子もいて、
その子はべそをかいて下を向き、もう少し年上らしい女の子に手を引かれて歩いていた。


みんな、一様に硬い表情をしていた。

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「どうしたの?」
アライグマがおにぎりを持ったまま、泣いている女の子へ近寄った。


「せっかくこんなきれいな場所にいるのに。顔を上げて、よおく見てごらん」
急にアライグマに話しかけられて、女の子はびっくりして一旦泣き止んだ。
それから目を赤くしたまま、黙って辺りを見渡した。


先頭を歩いてきた男の子が、言い訳でもするように
「急に出発することになったものですから」
と言って、他の子供たちに目をやった。
「みんな、まだ少し戸惑っているんです」


「どこから来たんです?」と、マウスが尋ねた。
男の子はぴんと腕を伸ばして来た方を指差し、
「ずうっと向こうの方からです」
と答えた。


私もマウスもアライグマも、彼の指差した方にじっと目を凝らしてみたけれど
菜の花畑の向こうには、緑の山々が重なるようにそびえ立っているだけで、
どこを指しているのかよく分からなかった。


「それで、どこへ行くんです?」
男の子に視線を戻して、今度はアライグマが聞いた。
男の子は今度は少し困った顔をして下を向き、
「分かりません」
と言った。
それからその言葉を振り払うように真っ直ぐ顔を上げ、
「でもきっと、やっぱりずっと向こうの方へ行くんでしょう」
と言って、指差したのと反対の方角をじっと見つめた。


そちら側もやっぱり山々がずっと続いているだけで、
その先に何があるのかよく分からなかった。


みんなが黙ったので不安な気持ちを思い出したのか、小さい女の子がまたぐすぐすと泣き出してしまった。
アライグマがその子の顔を覗き込むようにして、
「どうしたの? お腹が空いているのかな。僕のおにぎりあげようか」
と言って、手にしていたおにぎりを差し出した。


すると、その泣いた子の手を握っていたもう少し大きい女の子が、
「そうだわ。私たちもお弁当を持ってるわ」
と思い出したように言って明るい顔をした。
硬い表情をしていた他の子たちも、
「そうだ、お弁当だ」
「僕も持ってる」
などと口々に言い出した。


「それじゃあ、みんなで一緒に頂きましょうよ」
と私が呼びかけて、菜の花をくるんで持って帰るつもりでバスケットに入れてあった新聞紙を、みんなに配った。


子供たちはそれを地面へ敷いてそれぞれ腰を下ろして
ランドセルや手提げの中から弁当箱を取り出した。


「いただきます」
とみんなで声を合わせて、お弁当を頂く。


お母さんだけでなく、おばあちゃんやお父さんに作ってもらったという子までいて
様々なお弁当が顔を並べた。
お父さんが作ったハンドボールくらいありそうな大きなおにぎりを持っていた男の子は
形が不恰好なのが恥ずかしいのか初めは隠すようにしていたのに、
アライグマがその大きいのを本当にうらやましがるので
しまいには得意顔で口いっぱいに頬張って全部平らげてしまった。


それを見て、みんながけらけらと笑った。
いつの間にか、どの子にも明るい顔が戻っていた。


お弁当が終わると、男の子たちは菜の花の中で追いかけっこを始め、
女の子たちは好きなだけ菜の花を摘んだ。
私は女の子たちの選ぶ菜の花を、持ってきたハサミで一本一本切って
輪ゴムで留めて簡単な花束にした。
それからアライグマとマウスの分と、自分のうちに持って帰る分も、
同じように束にしてバスケットに差し込んだ。


少しだけ日が傾いて、うっすらと風も冷えてきたような気がする。
なんとなく、そろそろおしまいかなという感じで、みんなが自然に元の場所へ集まった。


バスケットへ荷物を詰めたりビニールシートを畳んだりしている間、
子供たちもそれぞれの弁当箱をしまったり、新聞紙を片付けたりした。
みんなの支度が終わり、私たちはそこで別れることになった。


「あの先には、一体何があるんだろう?」
私の肩先に乗っていたマウスが、子供たちの向かう菜の花畑のずっと向こうを見て言った。


少し日差しが弱くなって、遠くに続く山々は初めに見た時よりも緑の色が薄まり、
淡くもやがかかったように見える。


「分からない」
と、先頭に立つ大きい男の子が言った。


「でも僕たち、そこへ行かないと。
 これまでの場所へはもう、戻れないのだから」


自分に、そして後ろをついていく子供たちに言い聞かせるように、そう言った。


みんなまた黙り込んだけれど、もう不安な顔をしている子は一人もいなかった。
泣いていた小さな女の子も、ずいぶんしっかりした顔つきをしていた。


みんなの顔を見渡して、私は言った。
「きっと、良いところでしょう、そこは」


菜の花畑の向こうに何があるのか、私も知らなかったが
そう確信できるようなみんなの顔つきであった。


「うん、そうだ」
と、アライグマも言った。
「そうに違いない」


うん、うん、とみんなが顔を見合わせてうなずいた。
先頭の子より少し年下らしい男の子が
「僕たち、お弁当を食べたんだから。だから大丈夫なんだ」
と、元気よく言った。


本当に、その通りであった。
自分のことを深く深く愛してくれる人が心をこめて作ったものを食べたのだから、
みんなその先を進んでゆくことができるのだった。


「じゃあ、僕たち行ってきます」
と先頭の子が言って、
「じゃあ」
「じゃあね」
と、口々に言って私たちは別れた。


子供たちの列は、来たのとは反対の方向に菜の花畑を進んでいった。
私とマウスとアライグマはしばらくそれを見送った後、山を下る道へと戻った。


下りはもう、坂道が急な分びゅんびゅんと怖いくらいスピードを加速して下っていって、
後ろかごに乗ったマウスとアライグマがお尻が痛いと文句を言うくらい早く進んだ。

摘んできた菜の花は前かごの中でわさわさと揺れて
そのたびに胸に沁み込むような、菜の花の甘い香りがした。

菜の花畑

菜の花畑

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-09

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