WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(2)
二 目玉じいさん
フェリーが左目島の港に着いた。藤島は、まずは、遠い右目島に行き、取材をしようと考えていた。まだ、二十分ある。船旅を楽しむことができる。
旅行者らしき人が何人か降りた。再び、乗ってくるのは、地元の人。この両島では、昔、瀬戸の花嫁ではないけれど、右目島から左目島、左目島から右目島に結婚するために、女性が移動した。
両目島とも親戚だ。理由は、島以外に嫁ぎ先が少ないこと、島の中だけでは近親すぎること、両島が漁業で生計を立てているため、お互いの島民同士の仲が良くないと、生活できないからだ。ある意味、政略結婚の要素もあるのだ。もちろん、こんな話はインターネットには掲載されていない。フェリーの中で聞いた話だ。
藤島を乗せたフェリーは、それから二十分かけて右目島の港に着いた。港には、蝶の羽がそっと休んだような現代芸術の建物があった。船の待合所だ。待合所を作って欲しいという島民の要望を受け、芸術祭の参加作家に依頼し、T市が建てたものらしい。現在、その作家は世界でも有名になっているとのことだ。
だが、藤島には何がいいのかさっぱりわからない。この島には、待合所の作品以外にも、芸術祭に参加して、取り壊されずに、そのまま残っている作品が数点あるらしい。芸術作品兼待合所兼観光案内所の中に置いてあるチラシで確認した。
展覧会などで風景画などを鑑賞することはあるが、現代芸術になると、さっぱりわからないため、展示作品は見ずに通り過ぎてしまうことが多い。同僚の女性編集者からは、わからなくていいのよ、面白いと感じればいいのに、頭でわかろうとするから面白くなくなるのよ、と笑いながら諭されたことを思い出した。
藤島としては、今回の取材は、新しいネタ探しとともに、現代芸術にふれて、かちんこちんに固まった頭が少しでも柔らかくなればと期待している。だが、芸術作品の待合所を見た瞬間、その道は遠いと感じざるを得なかった。
現代芸術の鑑賞は後回しにして、右目島や左目島の両島をくまなく歩き、島の人々に歴史やお祭り、風習など、島の事を尋ね、写真を撮影するなど、取材に努めた。
それなりに資料が集まった時、右目島のある人から、目玉じいさんの話を聞いた。目玉じいさんは、この両島の一番の古老で、島の事なら何でも知っていると聞いた。どうして、目玉じいさんと呼ぶんですか、と尋ねたら、会ってみればわかると言われた。
藤島は、「目玉じいさん」というフレーズに魅かれた。会ってみたい。
目玉じいさんは左目島に住んでいた。それも、島の一番高い場所に洞窟があり、そこに住んでいるとのことだ。原始時代じゃあるまいし、と藤島は思った。
その洞窟は、昔、海賊の住処だったとの伝説があるらしい。だが、眉唾ものだ。本当は、石を採掘した結果、穴が、洞窟ができたのだろう。
藤島は右目島から左目島に渡り、麓から山の頂上にある洞窟目がけて歩いた。道は狭く、軽自動車が一台通れるかどうかぐらいの幅だった。とてもじゃないけれど、車二台は交わせない。だけど道幅は、それで十分だった。この島を車で走る人はほとんどいないからだ。
藤島は今は花びらが散り、葉だけとなった桜並木の坂道を登っていく。最近、運動をしていないせいか、わずかの勾配の坂道でも息が上がる。途中で立ち止り、今来た道を振り返る。
段々畑や道沿いの家、先ほど船から降りた港が見え、その向こう側に海が広がっていた。海の先の対岸には、この島に訪れるために乗船した港や東京からの夜行バスが着いたターミナル、T市のシンボルである高層タワーなどがくっきりと見えた。
その奥には、はっきりとした形はわからないけれど、ぼやけた輪郭の山並みが雲と同様に漂っている。
藤島は、再び、歩を進めた。途中で、舗装道路のカーブから山道に入り、樹木に覆われた石、岩の坂道を登りきると、大きくうねったカーブの舗装道路に出た。そこが、舗装道路のゴール地点だった。車ならば終着点であった。車で乗ってきた人も、ここから先は歩くしかない。
更に、コンクリートの階段を登った。頂上の一歩手前の広場に、茶店があった。喉の渇きを覚えた藤島は、お茶と団子を注文した。団子はこの地が海賊、すなわち鬼の住処で、その鬼を退治した桃太郎の伝説にふさわしく、きびだんごだった。
お茶とだんごで一息付き、店のおばあさんに別れを告げた。その時、目玉じいさんのことを尋ねた。
茶店のおばあさんは、「目玉じいさんなら、この先、ちょっと行ったところの、洞窟にいますよ」
「洞窟に住んでいると噂で聞いたのですが、本当に住んでいるんですか?」
「まさか。原始時代じゃあるまいし。観光客のために、洞窟の受付をしているんですよ。洞窟が閉館したら、麓の家に帰っていますよ」
「目が見えないのにですか?」
「目は見えますよ。ちゃんと歩いていますよ。それでも、もうろくしたから、目は薄くなっていると思いますよ。耳も少し遠いんじゃない。もちろん、あたしも同じだけど。はははは」
「いや。目玉じいさんは、目が見えないと、目玉がないと聞いたんですが・・・」
「ええ。本人は、昔、両方の目玉が飛び出して、日本一周や世界一周したなんてほら話をしていますけどね。でも、あのじいさん、この島から一歩も出たことはありませんよ。あたしは、目玉じいさんの同級生だから、間違いありませんよ。確かに、昔、目を患ったことはあるみたいだけど。でも、それも、本人が言っていることだから、どこまで信用できるのかわからないですけれどね」
藤島は茶店のおばあさんに別れを告げて、目玉じいさんのいる洞窟に向かった。洞窟は茶屋から直ぐ側だった。小さな建物があり、その前方に展望台のテラスがあり、暗く口を開けた洞窟があった。
「こんにちは」
藤島は大きな声をあげた。先ほど、茶店のおばあさんから、耳が遠いかも知れないと聞いていたからだ。
その声を聞いて、一人のじいさんがにこにこしながら小屋から出てきた。
「いらっしゃい。入場券は自動販売機で購入してください」
「いいえ。洞窟に入りに来たんじゃないんです。失礼ですけど、おじさんは目玉じいさんですか?」
「あっはっはっは。目玉じいさんか?確かに、島の人は、わしがのことを目玉じいさんと呼んでいるらしい。直接、目玉じいさんと呼ばれたのは、あんたが初めてじゃ」
「そうですか。大変失礼しました」
藤島はばつが悪そうに、頭を垂れた。
「それで、あんたはわしに何の用じゃ」
「ええ。右目島や左目島のことを聞きたいんです。それに、今、先ほど、茶店の人におじいさんの目玉が日本一周や世界一周をしたこともお聞きしたいんです」
藤島は自分の職業を明かして、目玉じいさんの話を取材したい旨を説明した。目玉じいさんは、それこそ、目玉を白黒させながら驚いていたが、「立ったまま話をするのも何だから、それじゃあ、あちらへ」と、展望台のテラスへ歩いた。
テラスからは島や海が一望できた。そこに立っていると、「進め、左目島!」と、この島(船)を操縦しているかのような気分になる。
「まあ、座りなさい」
後から、目玉じいさんがテラスにある長椅子に腰かけた。藤島はテーブル越しに向かい合って座った。
目玉じいさんは、藤島の方は見ようとせず、目を展望台から遠い海の彼方に向け、おもむろにしゃべり始めた。
藤島は慌てて録音機のスイッチを押し、メモを取り始めた。話は二時間以上にも及んだ。その間、霧島は質問することなく、目玉じいさんの話を聞き続けた。目玉じいさんの話が終わると、礼を言って、島を後にした。
会社に戻ると、目玉じいさんの話を全て文章に書き起こした。話を聞いている最中は、メモを取ることに夢中であったので、質問をすることができなかったが、再度、会話を書き起こすと、一部分、聞き取れない部分やよくわからない部分もあった。また、時代背景が違っているような箇所もあった。
藤島は疑問点をはっきりさせようと、再度、目玉じいさんに会うために島を訪れた。だが、目玉じいさんは、「おい。待て」と、何かを追いかけようとして、谷底に落ち、亡くなったとのことだった。以下の話は、藤島が目玉じいさんの話をまとめたものである。
WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(2)