サラリーマンの妖精

 その日、島本は仕事中につまらないミスをやらかして、上司にこっぴどく叱られた。誰もがやるようなミスだったし、怒っている上司だって昔やったことがあるミスだった。ムシャクシャするので、一杯飲んで帰ることにした。
 駅前の屋台に行くと、オヤジがヒマそうに新聞を読んでいた。
「まだ営業前かい?」
「いえ、やってますよ。何にしましょう」
「そうだな。とりあえず、ビールと枝豆。それから、おでんを適当に」
「へい」
 ビールを一本空けても、まだ、気分は晴れなかった。
「ビール、もう一本行きますか?」
「うーん、そうだなあ。酎ハイにしようかな」
 オヤジは、困ったな、という顔をした。
「すいません。焼酎を切らしてるのを、忘れてました。ちょっと買ってきますんで」
「ああ、それならいいよ」
「いえいえ、どうせ必要ですから。ほんの五分、待っててください」
「えーっ、他の客が来たら、どう説明したらいいんだよ」
「すぐですから」
 オヤジはそう言い捨てて行ってしまい、島本は一人ぽつんと屋台に残された。
 仕方なく、とりあえずおでんでも食べようと箸をのばした時、それが見えた。
 皿に盛られた大根の向こう側から、小さな小さな人形のような手が現れ、「よいしょっ!」という掛け声と同時に、身長五センチぐらいの人間がよじ登ってきたのだ。小さいのに、妙にリアルな中年サラリーマンの姿をしている。
 そいつはこちらを見て、「よっ!」と言った。
 島本は思わずうめいた。
「うーん、ついにアル中の仲間入りか。幻覚が見えてる」
 すると、その小さなサラリーマンはニヤリと笑った。
「違う違う。幻覚なんかじゃない。おれは妖精だよ」
「妖精?」
「サラリーマンの妖精を知らないのか。見ると幸運が訪れると評判だ」
「うーん、聞いたことがないなあ」
「まあ、知らないなら仕方ない。どちらにしろ、必ず幸運は来るから、お礼にこの大根をくれ」
「ええっ、大根を食うのか。妖精なのに」
「そこが、普通の妖精と違うところさ。いいかな」
「ああ、いいよ。まだ箸はつけてない。良かったら食ってくれ」
「ありがとよ」
 どうするのか見ていると、直接両手で交互に大根をすくい取って、もりもり食べ始めた。「味が滲みてて、チョーうめえ!」などと言いながら、自分の体の何倍もある大根を、アッという間に平らげてしまった。
「ふうっ、食った食った。じゃあな。グッドラック!」
 それだけ言うと、妖精はパッと消えた。
 その直後、屋台のオヤジが戻って来た。どうせ信じてもらえないだろうと思い、島本は妖精の話は一切せず、酎ハイを一杯だけ飲んで帰った。
 翌日、出勤するなり島本は人事課に呼ばれた。廊下を歩きながら、ふと、昨日の妖精のことを思い出した。
(幸運が訪れるというのは、本当かもしれないぞ。昇進だろうか、それとも、栄転だろうか)
 ドキドキしながら人事課の事務所に入ると、給与計算担当の女性事務員しかいなかった。
「あの、呼ばれたんだけど、人事課長いるかな」
「いえいえ、違いますよ。島本さんを呼んだのはわたしです。ごめんなさいね。実は、先月の交通費に計算ミスがあったんです。差額分をきっちり今月分に上乗せしますから。ホント、ごめんなさいねえ」
 差額分は、ピッタリ、おでんの大根の値段と同じだった。
(おわり)

サラリーマンの妖精

サラリーマンの妖精

その日、島本は仕事中につまらないミスをやらかして、上司にこっぴどく叱られた。誰もがやるようなミスだったし、怒っている上司だって昔やったことがあるミスだった。ムシャクシャするので、一杯飲んで帰ることにした。 駅前の屋台に行くと…

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-07

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