リドルワンドロ 5/
2015/05/06 テーマ「ゴム」
 「あのさぁ、」
 今夜も彼女は、アタシに話しかけてきた。武器の手入れ中は何も喋るなと幾度となく言ってきたのは記憶に無いのか。
 「伊介様ー」
 ドライバーケースを広げつつ、首を逸らして私の顔を覗き込む。
 きっと今日も、思いついた事を適当に語ろうとしているのだろう。アタシは大事なナイフを鋭利にしているというのに。
 「ねえってば「何よ」
 アタシはそう吐き捨てると、粗目の砥石を思い切り投げた。吹っ飛んだ石は電源の入ったTVの液晶にぶち当たり、けたたましい音とモニタの破片を周囲に撒き散らした。けど、楽園祭が直してくれる事だしどうということはない。
 それを見た彼女─春紀は一瞬目を丸くしてから苦笑いを浮かべ、
 「伊介様は乱暴だなぁ」
 と口にした。「うっさいわね」と私が怒鳴るより先に、春紀はこう続ける。
 「まあ、いいか。それより伊介様、今日はゴムの日らしいな」
 「…それがどうしたのよ」
 「察しが悪いなぁ。ほらコレプレゼント」
 素早い手つきで手元のポーチを探ると、春紀は小さな灰色の袋のようなものを取り出した。パッケージを破ると、彼女の手には伸縮自在なアレが現れた。
 「ち、ちょっと、コレって」
 アタシの引き気味な声に笑顔で応じると、ハイテンションにこう叫んだ。
 「指コ●ドームさせろ!!!!!!!」
 アタシはその時、引くとか呆れるとかそういった感情を通り越して、何やら清々しいものを覚えた。
 「いいわよ」
 手入れ半ばなナイフをケースに仕舞い、ベットに登る。それを見てご機嫌な様子の春紀も乗った
 …とほぼ同時に、テーブルの上の携帯が着信音を発した。
 ちょっとイラつきながら床に降りて通話を押すと、聞き慣れたうざったい声が耳に飛び込んでくる。
 「ハーイこんばんわ!鳰ちゃんっす!ってかウチも早く寝たいので手短に話しますね」
 「…何の用なのよ」
 「いや、ね?おっぱじめるのも目一さんが喜ぶからいいんすけど、隣の部屋の住民から時々うるさいと苦情が来るんすよ」
 「で?」
 「いや、だからやめろとは言わないっす。でもなるべく静かにお願いしまーす♪…以上、走り鳰からの口出しでしたー」
 ブツッという音が鳴り、通話が終了する。
 「…思いっきり萎えたわ」
 「え、何て言った?」
 「何でもないわ」
05/07 テーマ「粉」
 最近、兎角さんがあやしい。
 時々何かの業者みたいな人と商談してるみたいだけど、それがどういう内容なのかは全然分からない。でもこの前、「粉」という言葉は偶然聞こえた。…粉?
 兎角さんが欲しているのはどんな粉なんだろう。
 白粉?兎角さんに失礼だけどそれはないと思う。小麦粉?兎角さんは料理なんかしてくれないし。…いったい何なんだ。
 ……「粉薬」ふと脳内にそんな単語が浮かんできた。もし粉薬だとしたら、それはどんな効用なのかな。
 兎角さんはいつも健康だから、病気を治す為に欲するなんてことは無いだろう。誰かにあげる訳でもないと思う。
 ドーピングなのかな。強さを求めすぎて薬に手を出しちゃうとか、ありえるかもしれない
 はたまた、そういうクスリとか。何度も血を見れば精神を病んでしまうのも ある意味当然かもしれない。そうやって冷静に考えてみるとだんだん心配になってきた。これは急いで止めに行かなきゃ。
 「兎角さん!」
 学校の渡り廊下。何か話していたらしい兎角さんと強面の業者は、私の声に反応し、すぐに振り向いた。
 「ねえ、兎角さん。…悩みがあるなら、頼ってくれても良かったんですよ?」
 私の震える声を耳にした兎角さんは、今にも激怒しそうな、号泣しそうな、なんとも言えない表情を浮かべた。
 「ねえ、兎角さん!!」
 「ハイ、そこまで」
 私が叫ぶと同時に、業者の落ち着き払った声が廊下に響いた。業者は、黒革の鞄を開けると、白い紙に梱包された何かを取り出す。兎角さんは何故かそれを止めようとするが、業者はお構いなしだ。
 「えーーっと実はですね…よいしょ、っと」
 業者は立ち上がると、白い紙を破り棄てた。そこから現れたのは、これまた真っ白いパッケージの袋。緑色の字ででかでかと、『業務用カレー粉』と記されている。
 「…は?」
 私はそう零さずにはいられなかった。兎角さんは目を白黒させ、大量の汗を垂らしている。そしてやがて観念したように口を開いた。
 「カレーって粉状態でも旨いんだよ…でも体に悪いってお前に怒られると思ったんだ。だから隠れて業者から入手しようと…本当ごめん、晴。悪いとは思ってたんだ。本当だ」
 普段の凛々しい振る舞いからは想像もできない腰の低さで謝りまくる兎角さん。…晴は、苦笑しかできなかった。
05/11 テーマ「りんご」
 目の前の樹に林檎がぶら下がっていたら、どうするか。
 「真っ先に摘む」なんて答えを導き出す人は、そうそういないと思う。
 その樹の持ち主に怒られるかもしれない、その林檎の裏に虫が付いているかもしれない、その林檎がまだ熟れていないかもしれない…なんて思考を巡らせてやっと、人は「摘む」「摘まない」「食べる」「誰かに渡す」などの選択肢を脳内に浮かばせるのだ。
 でも私は、そんな面倒臭い考え方をした事がない。無意味なのだ。
 私の持つ選択肢は、「摘む」「食べる」「逃げる」「樹のほうを入手する」なんかだ。我ながら性格の悪い選択肢だ。
 
 今、私の目の前には、真っ赤に熟れたみずみずしく大きくて美味しそうな林檎がぶら下がっている。
 残念ながら、樹ごと手にするのは難しそうだ。根や幹が丈夫すぎる。
 だから私は、「摘む」の選択肢を選ぶ。そして摘んだ後に気づいたが、林檎の裏では青虫が蠢いていたみたいだ。
 害虫駆除を済まし、林檎を握る。ルビーのように紅く煌めく赤い果実。
 齧るまで、あと数秒。
05/18 テーマ「博物館」
 警備員の神長から館長室に連絡をもらったのは、午前零時を既に回った頃だった。
 侵入者がいるというのだ。電撃棒で痺れさせてあるので、警察へ届けようかと言う。
 儂は、それはやらないようにと神長に釘を刺した。
 「しかし…」
 そう訝る神長の言葉を遮り、侵入者の少女を館長室へ運び込ませた。
 電撃棒のショックから、まだ完全には回復していないようだ。普通の人なら、回復するのに三十分から一時間はかかる。まして彼女は華奢だ。もうしばらくは回復できないだろう。
 もう冬も近いというのに、薄手のタートルネックとその上に着たワンピースだけという軽装だった。寒くないのか?奇妙だ。しかも、何処かで見たような、とても懐かしい顔つきだ。
 「正体はわかったのか?何者なのかね」
 儂は神長に尋ねたが、彼女は否定的に首を振っただけだった。
 「わかりません。免許も名刺も、何も持ってないみたいなんです」
 儂には信じられなかった。身分証明証すら持たずに生活する人間がいるとは。ますます謎だ。
 奇妙な少女に不審な目を向ける神長に休憩室へ行くよう促し、渋々出ていく背中を見送ると、儂は安楽椅子から立ち上がり部屋の一角の戸棚へ向かった。
 トクトクと洋酒を注いでいると、倒れていた少女が「うぅぅ」と小さなうめき声を上げつつ起き上がった。
 「気付いたか。さあさあ近う寄れ。気付けのブランデーを遣るぞ」
 少女は少々ふらつきながらも、儂とテーブルを合わせて対面する椅子に腰掛けた。その時初めて、儂は彼女の顔をしっかりと見た。
 陶器のように白い肌。大きな目。桃色がかった頬。
 「…桐ヶ谷?」
 「しゅ、首藤さん!?」  
 儂の問いを耳にした彼女は身体を大きく揺らして驚いた。
 
 「…なるほど、老後の道楽で博物館経営ですか」
 「ああ、そうだ。ちなみに先程の警備員は神長だ」
 「…poison…」
 何やら呟いているが、よくわからないので軽く流しておこう。
 「それで、何故侵入なぞしたんだ」
 一番の疑問を儂が問うと、桐ヶ谷は恥ずかしそうにこう告げた。
 「千足さんへのプレゼントです」
 「は?」
 頓珍漢な返答に、つい聞き返してしまう。それでも、さも当然のように彼女は語る。
 「だから、プレゼントですよ。歴史を感じるアンティークな物が欲しいっていう希望だったので」
 「だ、だからって盗みに入るか普通!?」
 人が苦労して集めた古今東西の品々を盗ろうとする桐ヶ谷。まったく、恐ろしい子だ。
05/20 テーマ「港」
 平日の昼間。忙しなく動く社会人たちを横目に、私たちはカフェで一服していた。
「兎角、週末は旅行とかしない?」
 晴が私にそう問いかける。…「するよね、ね!?」と訴えかける表情。目は口ほどにっていうのは本当だったのか。
 「…まあ、暇だしな。どこか遠出するのも悪くない」
 と応じておく。実際、行かないと言っても無理矢理連れ出されるのだが。
 「やったぁー!!…ね、どこ行く?どこか行きたい場所とかある?」
 これまた、「イイ感じの旅先選んでね!」と聞こえてきそうな表情だ。私はしばらく考えると、
 「港、かな」
 と答えた。
 「なんでなんで?兎角さん船とか好きだった?」
 「いや…向こうにいた頃は周り山だけだったし、十七でもミョウジョウでも見に行く時間無かったから。一度は行ってみたい」
 これは出任せではない。普通に私が前から思ってた事だ。
 「そっかー…折角だから、幕張行って乙哉ちゃんとしえなちゃんの所寄ってみる?」
 「…えぇー…」
 剣持はともかく、武智は無理だ。私がではなく晴が。武智は晴を斬りたいとか物騒なことをよく言っていた気もする。
 「えっそんなに嫌?だったら晴だけでm」「あーーっと、ごめん、だったら私行く行ける」
 「うん?まあいっか」
 
 そして週末、水平線が見える場所にて。
 「だからどうして銚子に来たんだよ!?」
 私は久々に声を荒らげた。本人は口を膨らませつつ「…だって港って言ったし」と垂れている。
 「いや、何で漁港にしたんだよ、太平洋側にしたんだよ。東京湾沿いでいいのに」
 「…兎角にはお魚の素晴らしさを」
 「…乗る電車間違えたんだったら、素直にそう言っていいんだぞ?」
05/25 テーマ「辞書」
 「…じゃあ、そこを持て」
 「はい」
 「行くぞ、せーのっ…」
 ガタン、と音を立て、ローテーブルが宙に浮かぶ。同時に、私たちの腕に重力がズドンとかかった。流石は大理石製、いくら小さくて細長いローテーブルでもその重さは伊達じゃない。鍛えられた私はまだ良いが、向かい合っている彼女の腕が心配だ。
 「桐ヶ谷、大丈夫か?」
 私は彼女の名前を呼んだ。彼女は疲れを含んだ苦笑いを浮かべつつ
 「大丈夫ですよ、千足さん」
 と答えた。その反応が私を物凄く不安にさせている事を彼女は分かっているのだろうか。
 「…いや、桐ヶ谷は軽いもの運んでてくれ。あの箱の本とか」
 居た堪らなくなり、私は近くに放置されている段ボールを指さした。桐ヶ谷はとてとてとそれに向かう。後ろから抱きしめてそのまま風呂入ってベッドにインしたい。…駄目か。私は欲を払拭するかのように、棚を思いきり持ち上げた。
 「…終わった…」
 「疲れましたね、あっお茶入りました」
 「ありがとう」
 熱い緑茶の満ちた湯呑みを受け取ると、口をつけた。熱い茶が喉を通って腹に落ち、熱を全身に伝えているのを感じる。幸せな気分で部屋を見渡すと、一冊の国語辞典に目がついた。
 「おや、この辞書ってこんなに付箋付いていたっけ」
 手に取り、付箋が付いているところを適当に捲る。
 『【抱く】【愛撫】【接吻】【入浴】【…………』
 「…えっ」
 「ボクが貼りました」
 「なんで私が作りましたみたいな調子で言う?」
 「まあアレですね、千足さんがやりたそうな事を」
 「いや流すなって…えっ、えっ」
 「今から、やってもいいんですよ?」
05/26 テーマ「車」
 「ねえ真夜さん」
 いつものお茶会。オレが本日4個目のカップにヒビを入れたのとほぼ同時に、純恋子が躊躇いがちに話しかけてきた。
 「何だ」
 「少し気になる事があるのだけれど…」
 彼女はそうゆっくり呟いてから、「言いたくなければそれでも良いですわ」と早口に付け加えた。
 「まあ言ってみろ」
 何を言われるのかと内心緊張しながらもオレは堂々(多分できてる)と伝えた。
 「良いんですのね。…じゃあ、言いますけど…………ここに来る前、お二人はどうやって食いつないできたんですの?」
 「ってそれだけかよ!?」
 こればかりは動揺を隠せなかった。あれだけ溜めておいてそんなしょうもない事か。
 「…そんな事だったらかるーく話せるぜ」
 「まぁ!それは嬉しいですわ」
 
 深夜の郊外。ここには金がたくさん転がってる(もちろん比喩だが)。しかも灯りが少ないし人気も無いから、ハンマーを引き摺ってても全然目立たない。まさに絶好の狩り場だ。
 空き地に止まっている車、もとい獲物に目を付けると、周囲に人がいないのを確認してから思いきりハンマーを振り下ろす。メキッ、ゴキン、などと思い思いの音を上げて折れ曲がる金属。…当時のオレの仕事というのは、壊れた(壊した)自動車から金になるパーツを抜き取って業者に売る事だった。
 これはそんじょそこらのバイトよりもずっと稼げる。だからオレは、殺しの合間にそれをして生計を立ててた…って訳だ。
 「ま、そんなとこだ」
 オレが言い終わると、純恋子は何故か複雑そうな顔をした。
 「実は、ですね?それの影響で『英』系列の保険企業が大損をしていまして…」
 「あっ…ごめんな、ホント」
 過去のオレ、やらかしてた。
05/27 テーマ「かるた」
 9時頃。ひとつ授業の予習をと机に教科書を置いたはいいが、首藤がなにやらブツブツと呟いている。
「いにしえの、奈良の都の…」
 「首藤、うるさい」
 我慢しきれない私がそう戒めると、首藤は口を尖らせた。
 「いやいや、ワシも期末試験の勉強をと精を出しているんじゃぞ?ホラ、古文の…えーと、誰だったかの」
 「村井」
 「そう、村井。村井が試験に百人一首を出題すると言っていたじゃないか、画面の中で」
 確かに、そんな事を言っていたような気もする。じゃあ首藤も勉強している、という事でいいのか。
 「そういう事じゃ。だから香子ちゃんは普段通り勉強してて大丈夫だ、気にするな」
 「そうか」
 …とは言ったものの、後ろで何か唱えられたらさすがの私も集中できない。…そうだ、ここはひとつ…
 「首藤、私も百人一首不安なんだが」
 「おお香子ちゃん、なんならある程度教えてやろう。ほら、近う寄れ」
 私が話しかけた瞬間、満面の笑みを浮かべて即答してきた。こんなに嬉しそうにして…単純な奴。
 「…それでこっちは『花の色は』で『わがみ』、それから…」
 首藤は、嬉々として私に暗記法を教えてくれている。ここまで憶えてるのであれば、勉強する必要は無かったのでは…。まあ、いいか。
 「それでこれは『きりぎりす 鳴くや霜夜のさ筵に 衣片敷きひとりかも寝ん』。ワシはこの一句が好きじゃ」
 「何故だ?寂しい句じゃないか」
 「…なんだか、共感できるんだ」
 「共感?」
 「何でもない。で、次はだな…」
 私の疑問に答えた彼女の物悲しい顔は、私の頭からずっと消え去らなかった。
05/28 テーマ「花火」
 「ねえ目一さん」
 「何?」
 「…今日ミョウジョウの近くで、花火大会、あるらしいんすけど」
 小さな声で呟いた鳰さんの笑顔は、とてもいじらしい。だから私は、少し意地悪をしてしまった。
 「あら、そうなの。それで?」
 「それと、最近は2人でいることが少ないじゃないっすか。だからえっと、一緒に…」
 その言葉を遮るように、携帯が着信音を発した。電話の主に心の中で感謝をしつつ、緑の受話器マークをタップ。極めて事務的な会話が始まって、それは、唖然とした鳰さんの心を確実に傷つけていったのだと思う。
 「…はい、はい、わかりました。ありがとうございます、失礼します……さて、少し急用ができたので、出かけてくるわ」
 笑顔で部屋を出ようとする私の手が突然、温かいものに包まれた。
 「鳰さん?何…あっ」
 「…めいち、さん…酷いっす、なんで…」
 振り向くと、両の目に涙を溜めた鳰さんが立っていた。貼り付いた普段の笑みは無く、そこにあるのは、恋をして生きる女の子の姿のみ。
 私は彼女に近づくと、何も言わずにただ抱き締めた。彼女の髪を漉き、彼女の涙を指で掬った。
 「ごめんなさい、最近は本当に忙しくて。でも、わざとじゃないのよ。本当に愛してるわ。…さあ、用事が済んだら、二人で花火を観に行きましょうか」
 そんな言い訳と愛の言葉を、口にしながら。
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