いつか見た光景
一.序章
遥か彼方の暗幕に生まれ、いま時空を経てその姿を映し出す。
ここにたどり着くまで幾億光年、闇を照らし続けて来たのだろうか。
人は明日を思い夢を語るが、確かなことは、今も過去も存在しない現実の中で、未来を刻む時計が終演を告げている。
早く気づくべきだった、忘れられない時、叶えたかった夢。
深夜の家路、見上げる冬空に魅了される。
一九六二年五月五日、僕は生まれる。
鹿児島の小さな山村、大隅大河原。藁葺き屋根、土間がある戦前の家。
かすかな記憶は駅の向こうにある丘陵の紫陽花とそこに住む貧しい兄妹。
アルバムには若い頃の父と母がいる。
その後、宮崎県都城市で十四才まで過ごした。
一九六二年五月七日、君が生を授かる。
バンククラーカーの次女。
君の生い立ちは知らない。
父親は転勤を繰り返して来たと聞いた。
君と過ごした時間は長くなかった。
ただ、美しい輝きと果てしない孤独を僕に残した。
過ぎ去りし日に思いを馳せても君はいない。
一九八〇年、東京の大学でひとりの女性と出逢う。
可憐で純粋なひと。
原宿表参道沿いの教会で式を挙げ、ふたりの子を授かる。
僕は、時とともに父親らしきものとなり、ビジネスマンとしても評価を得てきた。
だが、大人と言われるものにはなれなかった。
同じ日々の繰り返しに疲弊したのか。小さな夢を追いかけてみたが、満たされることはなかった。
心こわれ、薬物で眠りに就く。
ときに、酒に溺れ幻想に満たされ、タバコをふかし夜明けを待つ。
二.過去を探しに
二〇一二年五月に、生まれ故郷の大隅大河原を訪ねた。
幼い頃、父に連れて来られた。
見知らぬ人から大きくなったねと声をかけられ、裸電球の和室で夕食を囲む。
蝉が舞い込んで来た。
僕が生まれた時期の写真を探しに役場へ足を運ぶ。
一冊の本を手にする。
「大河原の人々」、戦後まもない写真だろうか。大人も子供も小汚い着物姿、一九六〇年としるされている。
懐かしさが込み上げてくる。
母から聞いた当時の話しと重なり涙が溢れる。
役場を後にし、あろうはずの無い生家を探した。
駅のロータリー、線路沿いに居たという言葉を頼りに。
過去はひとかけらも存在していない。
想像はしていた。
僕が探したものは有形、あるはずも無い。
ホワイトカラーの絵の具で時空(とき)を消して、きみに会いたい。
机に向かう横顔、秘密のメモ、席替えをしてもいつも隣りどおし。
微笑み、怒った顔、そして寂しさに流した涙。
さよならも言えずにきみを残して。
きみの恋のキャンバスは何色だろう。
すてきな出会い ワインの香り、過ぎ去った季節。
僕の絵の具は見つからない 。
きみのキャンバスに想い出を描いて、抱きしめたい。
最初で、そして最後だった二人ですごした時間。
君が流した涙の訳が分からなかった。
別れを知っていたのだろうか。
泣き収まらないきみを前に、その想いさえ気づかなかった。
僕は父の都合で他県へ、翌週、君は宮崎市内へ転校したと聞いた。
最後の週、君の姿はなかった。
誕生日、同じ出席番号、いつも隣りどおし、夏休みが終わり始業式のペアルック。
薄らいでいく君の瞳、一枚の写真もない。
三.交差した時空
何故、君を感じたのだろう。
出張返りの成田エアポート第一ターミナル。
疲れ果てた男の本能か。
君も振り返える。
僕のキャリーケースに何かを探している。
視線を合わせた君の瞳にあの頃が蘇る。
何かを伝えようとしている。
僕はその思いを探している。
名刺を渡し、家路に着いた。
幸せそうな家庭がそこにはあった。
これから、ニューヨークへ旅立つのだろうか。
言葉を交わすことはなかった。
「お土産はなに?」娘が駆け寄る。
「先にお帰りなさいだろう」たわいのない、いつものやり取り。
「お疲れ様、夜はお寿司よ」妻がねぎらうように迎えてくれる。
いつも以上に癒されたい。
しかし、君だったのか。
それが、僕を支配している。
四.過去が流れはじめる。
過去は、君からの電話で繋がる。
「代わりました。矢吹です」
「あの、西田と申します。綾野中学で、ご一緒だった矢吹さんですか」
「ええ、同じクラスでした」
それ以上、言葉にできない。
今、僕らは青山通りにある茶店にいる。
なにから、話せばいいのだろう。
言葉を交わすこともなく見つめ合い、やがてあの頃へ戻って行く。
「若いわね」君がつぶやく。
二人で幼かった頃をいく時間も探した。
店を出て、表参道を原宿駅へ向かう。
初夏の風は心地よく、けや木からこぼれる光が二人を照らす。
交わる腕は恋をしている幸福感を与えてくれる。
「君から腕を組んでくるって、変わらず素直で大胆だね」
「だって、待っているのに我慢出来ないんだもの」
「いつか、ふたりが過ごした場所へ行ってみないか」
「探したいものが沢山あるよ」
「ねぇ、面白いものがあるわ」
彼女が指をさした先には、組みひもがある。
「どれにする?」
赤と紺、黄色で編み込まれ星の形をした水晶がアタッチされている。
交互に左手首にしっかりと結ぶ。
「絶対に外さないでね」
いつしか日が落ちていた。
電話番号とメールアドレスを交換し、表参道駅で別れた。
僕らの今について話すことはなかった。
次に逢う日も。
君の瞳に映し出された街の灯りが涙で消えてしまいそう。
誰のもとへ帰るのだろう。
今、過去が流れはじめた。
まだ、妻を愛しているのだろうか。
長い歳月をともにして来た。
結婚してまもなく、長男が生まれた。ふたりの愛情を注いだ。
彼を見ていると未来を感じる。
好きな子もいるらしい。
彼等の恋は、どのようなものなのだろう。メール、いつでも気持ちを伝え合える。
だが、直ぐに分かり合えない時間が恋をはぐくむこともある。
彼は夢を持ち今を生きている。
僕は過去へ歩き始めた。
僕らは、宮崎県都城市にいる。
時は場所を選ぶことなく、多くの過去を消し去っていた。
「大隅大河原とは違う」
「なに? それ」
ここには、確かな記憶があり、通学した道、遊んだ公園、野球場、そしてなによりも二人が学んだ校舎がある。
「わたし、あそこで泣いたでしょう。覚えてる? あなたが居なくなることを知ったの」
ホテルに戻り、BARで遅くまで語り合った。
明日は、タイムカプセルを探しに行く。
夕食は取らず部屋へ戻った。
初めてベッドを共にし、君の唇に触れる。
それで満たされる。
青山通りで再会して半年ちかく経つが、からだの関係はない。
たわいの無い話しのなかで眠りについた。
夢を見た。妻とのデート。
大学が青山、表参道沿いだった。
その界隈と渋谷へふたりで出かけた。
楽しい夢だったが、翌朝、気分がすぐれない。
「おはよう、何か元気ないよ」
「お腹が空いた」
午後に、ある家を訪ねる。
僕らの同級生の自宅だった。
僕が最後に住んでいた借家から二〇〇メールも離れていない。
家は新築されていたが、充分な記憶がある。
彼女達は幼い頃から仲が良かった。
ふたりの会話を聞いていると、今も交友を深めているようだ。
僕のこともよく覚えてくれていた。
「例の物を開ける日が、奇蹟がおきたの」興奮ぎみに君が話している。
「大丈夫よ。でも、どんな状態か保証できないよ。あとから、奇蹟の出逢い教えてね」
庭に出て、その場所に案内される。
薔薇と芝が綺麗だ。
その一画に星形のレンガがひとつだけ置かれている。
タイムカプセル、二〇センチ四方の小さなブリキの箱。
「慎重にね!そっとあけなくっちゃ」
閉じ込められていた過去が蘇る。
手紙らしきもの、写真、そして僕の消しゴム。
胸に抱かれたブリキの箱。声をかけることも出来ない。
涙がいくすじも君の頰をつたわっている。
いつか見た光景。
あの日の泣き収まらない君。
今日も君の涙の想いを後から知ることになる。
「泣き虫さん、タイムカプセルの中、見せて」少しおちゃらけてお願いしてみる。
「嫌」真顔で睨む君が愛おしい。
色褪せた手紙には、
「いつか、絶対に逢える。迎えに来てくれる。ずっと、待っている」
と綴られていた。
これが君からの初めてのラブレター。
一泊二日で探せたものは限られていたが、ふたりだけの時間を過ごせた。
僕は君の今が知りたくなった。
五.過去と今の融合
「うちに来る?」君からのメール。
「混乱している」と返信する。
「来ればわかるよ」
翌週、吉祥寺駅の東口で待ち合わせた。
井の頭公園が一望できるマンション。
指紋認証のドアが開きエレベーターへと向かう。
君の今を知ることになる。
「ひとつ、聞いていい。誰かいるのかな~」
「さぁ~」
彼女は、お茶の水女子大を卒業し、私立中学のフランス語の教師をしているという。
アイスティを口にしながら、君が過ごして来た時を聞いた。
「お付き合いした人もいないよ」
僕がいうのも妙だが、みなが振り返る程の美しい女性だ。
言葉を探したが、見つけることができない。
察したかのように彼女が続ける。
「ずっと待っていたよ」
抱きしめるこしかできない。
きみが僕に残した受け止め難き輝き。
そうではなかった。
僕がきみのこころに残した消すことの出来ない、果てしない孤独な時間。
僕らはこれからどうなるのだろうか。
目の前に君がいる。時を越えて。
「どこへも行かないで」
僕らは都城市にいる。
「お父さん、どこへ行くの」娘の最後の言葉。
振り返ることも出来ず家を出た。
今はふたりで思い出を散策している。
雨の日は絵を描き雑誌をめくる。
晴れの日はサイクリング。小さな家を買った。
近所付き合いもなく友達もいない。二人きりの生活、埋めるには深すぎる過去。
このまま時がすぎて行くだけでいい。
「小さなパン屋さん、やってみた~い」
庭から君の大きな声。
素直な君を見つめていると笑みがこぼれる。
これまで、聞くことのできなかった安らいだ言の葉。
「なに笑っているの~」
「明日、婚姻届出しにいこう」
「矢吹 美和子、変な感じ」
「幼い頃から、矢吹美和子になりたかったんだろう」
「なってあげても良いと思っていたよ」
たわいの無い会話が新鮮でこころが和む。
「仕事を探さないとね」僕が呟く。
「贅沢しなければ、毎日二人でいられるよ」ひと時も僕と離れたくない君がいる。
突然の別れから、時空を越えて今をふたりで生きている。
ただ、長くは続かないことを予感している。
成立しない方程式。
「過去」―「愛」=「別れ」>「今」
息子は、娘、妻は、、、 眠りにつけない夜もある。
二人で暮らし始めて幾月過ぎたのだろうか。
子供ができたようだ。
だが、宇宙の摂理は壮大だった。
僕らに未来を夢見る時間を十分に与えてはくれない。
オリオン座の恒星ベテルギウスが超新星爆発を起こし人類が滅亡する日が近づいていた。あと数ヶ月後にすべてが消える。
街で人影を見かけることもなくなった。
今、縁側でビールを片手に肩を寄せ合い二人で夜空の星々を眺めている。
静かな夜だ。
浴衣姿の君がいる。
「あと、いくにちなんだろう」
「怖くないかい?」
「熱いのかな~」
「怖くないよ、リョウ君がいるから。そして、お腹の赤ちゃんも一緒だよ」
「逢いたかったね」
「今夜は、ゆっくり過ごそう」
「ありがとう。リョウ君。そして、私の所為で皆に辛い思いをさせて」
僕に眠れぬ夜があるように、君も同じだった。分かっていたよ。
超新星爆発後、 見上げる夜空は刻々と変化している。闇と星々の輝きの調和が失しなわれているのだろうか。
死の光が確実に地球へ向かっている証。
六.全てが過去へ
僕らは最期の時を君が泣いた渡り廊下で静かに迎えている。
星々の美しい冬空の下、肩を抱き唇を重ね。
終焉はスローモーション。
探し求めた君との過去や記憶より長かった時間も存在した。
全てがもうすぐ消える。
死に絶えた恒星が放した光は全ての過去と今を飲み込み、輝き続けながら宇宙の果てに向かう。
過去しか存在しない宇宙。
いや、過去すら存在しない。
時は、過去を過去が消し続ける。
僕はなにを求めたのだろうか。
二人の女性を愛した。
日々を過ごした妻。最期の温もりと死を共にする君。
確かなものはなかった。
「時が来たね」
君がうなづく。
自然の摂理に従えば、いつかこの宇宙は消滅する。
もし、全ての条件が一致したビックバーンが新たな宇宙を創造するならば、同じ過去をたどる。
地球の同じ時刻に同じ場所に生命(いのち)を授かる。
僕が望むことは、二人の願いが叶う宇宙がすでに生まれていること。
何十億光年後に叶えられる未来。
ながい眠りに就こう。
七.交差する時空
僕は深い眠りから覚めた。
長い夢を見ていた。
タバコをふかしながら、夜空に輝く星々を見上げている。
『みなが平和なときを刻み安らかな眠りにつく今日でありたい。
幼子が聖母に抱かれ安らかな眠りにつく夜のように。
疲れた狩人が火を絶やさず、静かな眠りにつくように。』
「ね~、なに考えていたの?」
つづく、、、(続)いつか見た光景
いつか見た光景