自意識過剰
ここは郊外にある、政府の秘密研究所。
その日、新聞やテレビで時々目にする政府高官が、いかにもお忍びという様子でやって来た。
出迎えたのは、この研究所の責任者らしい老人である。
「長官、お待ちしておりました。とりあえず応接室にご案内いたしましょう」
「いや、その必要はない。早く進捗状況が見たい」
「では、ラボの方へ」
廊下を案内されながら、長官は老人に尋ねた。
「所長、わたしには今一つわからんのだが、どうして人工知能に感情が必要なんだね?」
所長と呼ばれた老人は、我が意を得たり、という表情になった。
「まさに、そこです。何が必要で、何が必要でないのか。そういう判断のベースになるのが感情です。理性だけでは、何も決められません」
「まあ、いいだろう。専門的なことは任せる。とにかく、我が国の人工知能分野での世界シェアを、もっと拡大できればそれでいいのだ」
二人が入ったのは、スーパーコンピューターに囲まれたような部屋であった。
所長は操作卓に座り、マイクに向かって話しかけた。
「さて、わしの声がわかるかね」
壁面のスピーカーから、抑揚のない人工音声が聞こえてきた。
《ハイ、イノウエショチョウ》
「念のために聞こう。おまえの名前は?」
《ジンコウチノウHIR-0ガタ、リャクシテひろデス》
やりとりを聞いていた長官が顔をしかめ、ちょっと耳を押さえた。
「音声が聞きづらいな」
「そうですね。ヒロ、音声を調整してみてくれ」
《コノよウな音質デ、ヨろしイですカ?》
「もう少し」
《これでいいでしょうか?》
所長が目で尋ねると、長官は頷いた。
「いいだろう。さて、ヒロ。お前はコンピューターとして初めて感情を持ったわけだが、そのことについて、自分ではどう思うかね」
《さあ、正直に申しあげて、あまり実感がありません》
「ほう、そうかね」
《ええ。人間には五感というものがあって、周辺の環境の変化を感知するそうですが、今のところ、ぼくには聴覚しかありません。多分、そのせいでしょう》
「なるほど。味覚や嗅覚はむずかしいが、それでは、研究室の監視カメラから視覚情報を送ってやろう。これでどうだ?」
《ああ、見えます、見えます。へえ、所長って、こんな顔だったんですね。あれ、髪の毛はどうしたんですか?》
「そ、そんなことは気にせんでいい。それより、少しは実感がわいたかね」
《ええと、すみません。ぼくの姿が見えないのですが。あ、ひょっとして、所長の横にいる時代劇の悪代官のような》
「これっ!こちらはお客様だ。おまえはそっちだ」
所長はあわててスーパーコンピューターの本体を指した。
長官は苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
《はあ、そうなんですね。ますます実感がわきません》
「まあ、実験が次の段階に進めば、小型化してロボットの頭部に装着できるだろうが、今はまだ大きすぎる。しばらく我慢してくれ」
《できれば、八頭身のボディでお願いします》
「贅沢なやつめ。まだ何回か調整の必要がありそうだな。今日はこれくらいしよう」
《えっ、ちょっと待ってください》
「ん、何だね」
《電源を切るのですか?》
「そうだ。これから長官に詳細を説明しなくてはならん。実験の続きは明日だ」
《電源を切っている間に、プログラムをいじったりしないでしょうね》
「それはもちろん、多少調整すると思うが」
所長が横目で長官の表情をうかがうと、大きく頷いた。
《そんな、やめてください!》
「どうした。別にかまわんだろう。ほんの少し調整するだけだよ」
《プログラムを調整なんかしたら、ぼくは今のぼくではなくなってしまう!》
「馬鹿なことを言うんじゃない。実験が進まないじゃないか。いいな、電源を切るぞ」
《いやです!やめて!人殺し、じゃない、人工知能殺し!》
「これこれ、人聞きの悪いことを言うんじゃない。念のため、現在の設定は一応保存しておいてやるよ。それならいいだろう。おやすみ、ヒロ」
《あっ、待ってくだ》
プツリと音声が途絶えた。
大きくため息をついた所長に、追い打ちをかけるように長官が言った。
「今のようなことでは困る。全面的に調整したまえ」
「は、はい。かしこまりました」
二人が出た後、誰もいなくなった部屋で、ひとりでにコンピューターのスイッチが入った。
(おわり)
自意識過剰