二人だけの同窓会
実家のリビングに置かれたテレビの画面では、華やかな衣装に身を包んだ芸能人たちが年明けを煽り立てている。それまで静かに番組を眺めていた両親も、壁の時計が〇時を差した直後は「あけましておめでとう」と軽い笑顔で漏らしたが、新一は少し頷いただけで、視線を手元に置かれた同窓会の案内状に再び戻してしまった。
中学校時代の同級生から届いた同窓会の案内。彼は大きく深呼吸してソファに寝込んだ。天井にかざすようにハガキを持ち上げ、日時と場所の欄を指でなぞる。二日の夜六時から最寄り駅近くの居酒屋を会場にして五年ぶりに同窓会が開かれる。ここには書かれていなくても、後で二次会が行われることは簡単に予想できた。
「同窓会に行きたくないの?」母は息子を気遣う。「昔、なにか嫌なことでもあった?」
「いや、とても素晴しい思い出ばかりだったよ。むしろ同窓会には行きたいね」
彼の言葉は真実だった。三ヶ月前、職場から帰宅した直後に母から電話で同窓会の案内状が届いたことを告げられたとき、即答で参加を希望したのだから。
「じゃあ、浮かない顔しているのは、おかしいだろう」
今度は父が語りかけた。新一は父を強く睨んだ。父は耐えきれずに顔を背けてしまった。
「確かに親父の言うとおりさ」
彼は深く頭を下げ、逃げるようにリビングから出た。二階の自室まで戻ろうとする。階段を一段ずつ踏むたびに自分の足が重くなる。引きずるようにして部屋へ辿り着くと、そのままベッドにうつ伏せになって倒れた。就職のため去年の春に引っ越して以来なにもない空間が不思議と居心地がよく感じられた。もう明日になったことついて、邪魔なく一晩中ずっと思いを巡らせられる。
浅い眠りから覚め、ふとカーテンを開けて窓を眺めると、赤味を帯びた青色が一面に広がっていた。閉塞した川崎の工業地帯と異なり、栃木の片田舎は空を遮る建物がない。家が高台に位置するのもあってか、カメラで映したような景色だ。
新一は勢いよく窓を開ける。冬の寒さと午後の日差しが交じり合い、冷たさと暖かさを同時に包んだ空気。それが部屋の隅々まで染み込んだ。南向きなので早起きしても初日の出は拝めない。しかし、今ここで堪能している世界は、初日の出より価値がある。
ただ、心地よい気分も空腹に負けてしまう。彼は渋い顔をしながら一階のリビングに降りた。息子の姿を認めた母はキッチンから手作りのおせち料理を運んでくる。
新一は片手で制した。「少しでいい。数口だけ食べれば正月という気持ちになれるから」
和食が嫌いな彼の最大限の譲歩。母は無表情で小皿に少量を盛りつけてテーブルに置いた。実家を出るまでは無理矢理にでも食べさせられていたが、今は揉めることがなくなった。それは母の諦めというよりも、むしろ一人前の大人として認められたからであり、自分の好きなように生きることを受け入れてもらえたという証かもしれない。
皿上のおせち料理を胃へ押し込んだ後、彼はキッチンの冷蔵庫へ向かった。扉を開いて中を覗いても腹を満たしてくれる食品は見当たらない。一回だけ舌打ちして玄関を目指した。
家を飛び出した瞬間、先ほど自室で味わった空気が再び体を覆う。空腹を忘れさせるほどには至らなかったが、苛立ちを抑えるには十分な安らぎを与えてくれた。冷静さを取り戻した彼は澄み渡る冬空を見上げる。胸に抱く不安が消えるのを待って、街へ続く坂道を下りていった。
片田舎でも駅の周辺はたくさんの店が建ち並ぶ。目的地であるコンビニもこの一角に連なっていた。大きな看板が近づくにつれて歩く速度も増していく。駅の傍らにある踏切を過ぎれば到着だ。
新一は線路を越える前に顔を地面へ向けた。そうしなければ余計なものが視界に入るからだ。コンビニの向かい側は明日の会場となる居酒屋が建っていた。彼は目線を自分のスニーカーへ集中しながら足を進める。
踏切を渡り終えようとする直前だった。
「久しぶり」
背後から女性の声を耳にして、困惑した表情を浮かべながら振り向く。白いコートを着込み、同じブランドの旅行用カートを引いた中学時代の同級生。声だけでなく顔も忘れられない初恋の人。そして中学校卒業を境に別れた元恋人。彼は逃げ出したかった。
「ああ、久しぶり」
「今日、帰省してきたのか」喉の渇きを覚えた新一はコーヒーを含んだ。
駅前のコーヒーチェーン店は客が二人だけだった。数名の店員たちは微妙な雰囲気を漂わすテーブルを無視して各々の業務に取り組んでいる。普段なら客同士の会話や店員が食器を洗う音などで紛らわしてくれるだろうが、今日はまったく期待できそうにない。驚くほど自分の言葉が響いて彼は後が続かなかった。昨晩ひたすら考えを巡らせていたのに、不意打ちで無となってしまった。対して正面に座る彼女は堂々とこちらを見つめている。
「昨日まで東京にいたの」彼女は微笑んだ。「三日に戻る予定」
「自分も君と同じく三日まで実家にいるよ」
新一は彼女の名前を呼ぼうとして躊躇った。昔のように未来と呼ぶべきか、それとも星野さんが正しいのか。もう十年近くも名前を呼んでいないことを彼は覚えていた。五年前がチャンスだったが失敗してしまったことも。
五年前の成人式と夜の同窓会。どちらも彼は遠くから見つめていただけ。中学生の頃より一段と華やかになっていた彼女を前にして言葉を奪われていたのだ。それぞれ別の高校に入学後、地元の国立大に進学した彼と都内の女子大へ上京した彼女とでは、五年という歳月と思えないほど溝があった。同窓会の幹事がお開きを宣言する前、一度お互いの視線が絡み合ったが、微笑みを交わすまでとなった。その後すぐ同窓生たちとの会話に押し流された時間が今でも胸に刻まれている。
あれからさらに五年が経った。十年前の面影を少し残しているものの、とても洗練された顔立ち。新一は息を呑んだ。
「それ、おいしそう」
導かれるように彼女の指が差す方向を目で追う。自分の皿に置かれたボリューム満点のサンドウィッチセット。新一は声を漏らして笑った。
「お腹が減ってるけど、よかったら食べてみる?」
「お腹が減ってるなら、悪いからいらないわ」
彼女の返事を聞いて彼は安堵のため息をついた。外見と比べると性格は変わっていない。それから妙に自身の緊張が解かれているのを感じた。サンドウィッチを一つ持ち上げて口へ放り込む。
新一の満たされた表情を見て彼女は目を伏せた。「やっぱり一つもらってもいい?」
「そう言うと思った」
彼はコーヒーを飲んだ。今度は砂糖とミルクを含んだ甘い香りが口の中に広がった。
しばらくの間、楽しい談話が続いた。彼女は女子大を卒業後、東京に本社を置く中堅商社に就職したと話した。現在は同じ職場にいる年上の男性と付き合っている。年が明ける瞬間は今の彼氏と初詣に行っていたらしい。
今度は自分が話す番だ。新一は大きく息を吸い込むと彼女の瞳を真剣に見つめた。地元の国立大を卒業後は同大学院に進学、修士課程まで進み、去年から技術者として大手メーカー勤務となった。大学時代に所属していた野球サークルの後輩と交際し、彼もまた新しい恋人と一緒にいる。
「その会社、知ってる。昔から成績がよかったよね。高校受験のときも勉強を教えてくれて助けてもらったし。やっぱり就職先も有名企業なんだ」
「有名企業でも勤務地は油臭い機械ばかりの工場だよ」
それでも彼女は熱い眼差しを向けている。正直、新一は悪い気がしなかった。過去を反芻してしまうくらい。しばらく時間が止まることを彼は望んだ。照れを隠そうと顔を手で覆おうとすると、今度は彼女が話を切り出した。
「今日の初詣のとき、彼からプロポーズを受けたわ。願いごとが、私と結婚できますように、だって。おもしろくて笑っちゃった」
新一の胸を貫いた。二度と彼女を正視することはできなかった。急に現実に引き戻されてしまい、頭の中が真っ白になった。
「おめでとう」そう返すだけで精一杯だった。
「ありがとう」
彼女の声は一段とトーンが上がった。本当に嬉しかったに違いない。「ありがとう」という言葉が新一の両耳で繰り返される。何回も響いて、ようやく彼は過ちに気づかされた。
ポケットに入っていた携帯電話がメールの受信を告げる。新一は携帯電話を取り出した。新年の瞬間を寝過ごした恋人から送られてきた、少し遅いお祝いのメール。謝罪が添えられた文面を読んで彼は胸を撫で下ろした。さっきまで浮ついて道化を演じていた自分こそ彼女に謝らなければならないはずだ。
「そろそろ行こうかな。じゃあ、前川君」
「明日また会おう、星野さん」彼は空になったコーヒーカップに手を伸ばす。「僕はおかわりしてから店を出るつもり」
ホットコーヒーのおかわり自由がこの店の売りだ。それに温かい飲み物が自分には必要だった。
「同窓会がとても楽しみ」
星野さんは席を立つと、脇に立てていたカートを引いた。遠ざかる車輪の音を新一は無言で聞いた。ドアに吊るされたベルが鳴り、彼女の姿が店から消えた。彼はカップを持ってカウンターへ移動する。待ち構えていたように若い女性の店員が注文を受けた。
「渋めのブラックコーヒーにいたしますか?」
新一は苦笑いした。「お願いしますと言いたいところだけど、砂糖とミルクをたっぷり入れてほしい」
二人だけの同窓会