産婦人科病院の帰り

木坂 広

 無事に出産していればいいと念願しながら、病院に向かった。彼は二、三日前、おかしな夢を見た。どこかの路地裏で子供達が遊んでいる。その中に四歳になる彼の娘が一人でバレリーナの真似をしていた。白粉を塗りたくったように色が白く、凛々しい顔立ちにいとおしさを感じた。
 ところが娘の下肢に視線を向けた時、鳥肌が立った。脚は人間のそれではなく、獣のような虎斑(とらふ)をしているのだ。
「これは化物だ……」
 彼は物陰で悲嘆にくれた。が、あれでも我が子なんだなと重荷が肩にのしかかってきた。日頃から夢を馬鹿にしているにもかかわらず、気になってならない。
 生まれてくる子は女児と知らされている。午後六時頃、荻窪の駅を降りると十一月の冷たい雨が降っていた。産婦人科病院の受付で自分の名前を名乗ると、白衣の若い女は確認してから、
「お子さんはお生まれになりました」と告げた。
「健康な子ですか」
「はい。母子共にお元気です」
「ああ、よかったァ」
「ご覧になりますか」
「ええ、是非」
 新生児室に案内された。ガラス越しに赤子が三人、籠の中で静かに眠っていた。皆今日生まれたばかりで、真ん中がうちの子である。何でもない普通の赤ちゃんだった。妻のいる寝室に行くと、カーテンで仕切られたベッドで寛いでいた。
「人間の子だったよ」
「当たり前よ」
「とにかく、男でなくて、女でよかった」
「あなたのお望み通りね」
「今の日本で、人並みの男になるのは苦労するからな」
「女だって、大変よ」
「そうだよな、経済はますます厳しくなっていくし」
「でも、あの子は、すごく丈夫そうよ。将来は運動選手になるんじゃないかしらん」
「そうか、それは楽しみだな」
 彼は不吉な夢のことは黙っていた。同室の患者に遠慮してそこそこに引き上げた。帰りながらいくらか興奮気味だった。中央線の電車に乗り、中野駅で降りた。家はバスで十分くらいだが、熱を冷ますために街を歩くことにした。
(しかし、父親だなんてピンとこないな)
 そんなことを考えながらブロードウエーに来た。商店街は群衆でごった返していた。雨上がりのせいか人々の表情は甦ったように生き生きしている。子供用の赤いハンドバッグが転がっているのを見ながら通り過ぎた。途中、玩具店を見てから中程まで来ると、人が慌ただしげに彼を追い抜いて行った。四、五歳の幼女を連れた意地悪そうな女である。
「ちょっと」
 彼女は目の前の小学生を呼び止めた。男の子は中学生くらいの友達と肩を組んで歩いていた。
「あんた、何をするのよ。そのハンドバッグはうちの子のものよ。返してよ」
 女は食ってかかり、肩にかけているのをもぎ取った。
「人の物を取るなんて泥棒よ」
「違うよ、拾ったんだ。これから警察に届けに行くところだよ」
「嘘よ」
「本当だよ。ね、そうだよね」
 男の子は友達に応援を求めた。が年上の子は大人の権力に圧倒されて、ポカンとしている。
 彼は見るに見かねて口をはさんだ。
「奥さん、この子の言っていることは間違いありません。私も落ちているところを見ました。確かに見ました。盗んだなんて失礼ですよ。泥棒扱いはないでしょう」
 母親は突然の助っ人に驚いた様子で、彼をジッと見つめて何か言いたげである。そのうち、恥じらいとも戸惑いともつかぬ表情が浮かんだ。
「私、勘違いしたの」
 女は細い小さな声で言い訳して、娘の手をグイと引っ張って早足で立ち去った。小学生達もいなくなった。彼も歩き出した。一時的な昂揚感が引くと、今度は急に羞恥の念がこみ上げてきた。俺はどうみても正義派って柄じゃない、せめて笑顔を浮かべて擁護すればよかった――悔やみながら雑踏に紛れた。家に帰る前に食堂に入って、ビールを飲んだらスーッとした。それから飯を食べた。

産婦人科病院の帰り

産婦人科病院の帰り

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-02

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