WE CAN GO!(目玉の冒険記)(1)

阿門 遊

一 目玉島

「目玉島に行きたいんですけど・・・」
 藤島は港で車を誘導している船員に尋ねた。
「目玉島はあの島だ。手前が左目島。向こう側が右目島だ」
 船員の目の先には、丸い島が二つ浮かんでいた。藤島は目玉島の事は調べていたけれど、あえて、地元の人に尋ねてみた。
「どうして、目玉島と呼ぶんですか?」
「ほら。目玉みたいな丸い島が仲良く並んでいるだろう。だから、目玉島と呼んでいるんだ」
「そうですか・・・」
「あんちゃん。あの島に行きたいんだったら、あそこで切符を買いな」
六十歳に近い白髪交じりの船員が指差した先に、待合所兼切符売り場があった。
「ありがとうございます」
藤島は頭を下げ、ショルダーバッグを肩に掛け直し、切符売り場に向かって歩きだした。

 藤島は東京の旅行専門の出版社の編集者だった。ある日、藤島が何か面白いネタを探して、インターネット上で検索していたら、目玉島の記事がたまたま掲載されていた。目玉という言葉に藤島は魅かれた。
 それから、様々な書物やインターネットを駆使して、目玉島の事を詳細に調べた。瀬戸内海に浮かぶ二つの小島。どちらの島も人口は二百人程度。若い人は少なく、高齢化が進み、島の保育所や小学校、中学校は休校中。若い夫婦や小さな子どもはおらず、再開される見込みがないため、廃校と同じだ。
 日本国中、山村に行けば、この島と全く同じ状況だ。わざわざ、東京から取材に行く必要性はない。だけど、目玉島という名前に魅かれた。正式には、東にあるのが右目島、西にあるのが左目島だ。二つ合わせて、目玉島と呼んでいる。
 藤島は編集長から新しい企画を提案するよう指示されていた。そこで、目玉島旅行記を提案した。

「目玉島か。確かに名前は面白いな。目玉だけに視点がいい。まあ、冗談だけどな。ただ、名前がユニークなだけではなあ」
「この島は、最近、全国各地で開催されている地域限定の芸術祭が開催されています。過疎と芸術祭をテーマにすれば、面白い記事が書けると思います。それに、最近、都会から若い家族が移住して、小学校が再開したと聞いています」編集長に迫る藤島。
「現代芸術で過疎地域が振興できるかどうか、な。まあ、やってみるか。だが、半分は社費で、半分は自腹だ。夏休みも兼ねて行って来い」
「ええ、費用は会社持ちじゃないんですか?」
「当り前だ。今、会社の経営は苦しいからな。ただし、記事が面白ければ、全額負担してもいいぞ」
「わかりました。領収書は忘れずに全部取っておきます」
 藤島が勤めている業界は、一見、派手に見えるが、内実は火の車だ。インターネット等で、本や雑誌が売れなくなってきている。古本や中古本などを全国展開しているリサイクルショップのあおりも受けている。
 また、インターネットが普及したので、全国民が今日から作家となり、二十四時間、三百六十五日、にわか作りの作品が、インターネット上をサーフィンし、読者の下へ、新聞配達ならぬ、小説配達されている。
 ただし、九割、いや九十九、九パーセントが、自己満足を露出させた作品で、他人に読まれ、共感されることなく深い海の底に沈み、二度と浮かび上がってくることはない。人の心に留まり、海から空に登っていく龍のような作品は稀少だ。
「藤島、だけど、大丈夫か?ひとりで行けるのか?」
 編集長が心配してくれる。子どもじゃあるまいし。それに、ここは日本の国だ。言葉が通じれば、どこだって行ける。それよりも心配なのは、本当に、この目玉島が記事になるかどうかである。しかも、旅費の半分は自己負担だ。
 日本中に、島はいくつあるのか。無人島を含めれば約七千だそうだ。その島の中で、目玉島に関心を持った。強く魅かれたのである。よくもまあ、自分は気がついたものだ。編集者としての直感であり、いわゆる鼻が効いたのだ。
 自画自賛じゃないけれど、自分に感心すると同時に、少し誇らしい気持ちになった。
 さあ、早速、目玉島に行って、島の人に話を聞いて、いいネタを見つけだし、いい作品を書こう。編集長の言い通り、記事が面白ければ、雑誌に記事が掲載されるだけでなく、日本全国島巡り紀行という企画で、連載が始まるかもしれない。また、連載がまとまれば、本の出版だって可能だ。
「さあ、やるぞ」
 藤島の編集者魂(そんなものがあるかどうかは知らないけれど)が静かに燃えた。

 藤島は甲板から海を眺めていた。藤島が乗船したのは、車が二十台も乗れば満杯となる小さなフェリーだ。長椅子はあったけれど。折角の船旅だから椅子に座っているのがもったいなかったのと、椅子に座ると眠ってしまいそうだったので、デッキに立ったまま海を眺めた。
島が多く、波は穏やかで、タンカーからフェリー、漁船、ヨットまで、数多くの船が航行している。いや、あまりにも、海が穏やかなので、島々に寄り道小道しながら、海を散歩しているように思える。
 昨日の夜の十時頃、東京を出発した。夜行バスは、今朝の七時過ぎに、T市のJRや電車の駅、港など、公共交通機関の結節点であるターミナルに到着した。
 T市は港から、海から発展した街で、藤島が夜行バスから降りると、風に吹かれてか、潮の匂いが鼻先に漂ってきた。匂いに誘われて、藤島は街を歩いた。普段の生活では、潮の匂いに包まれることはなかった。毎日、満員電車の乗客の汗と香水が破壊的に混合された臭いを強制的にかがされてしていた。
 また、仕事場に行けば、パソコンの前に座ったきり、自分の体臭がしみついたデスクにバリやーを張って一日中過ごした。旅行雑誌の編集者なのに、実際は、朝から晩まで椅子に座ったきりであった。そんな毎日の中で、ようやく手に入れた取材と言う名の骨休みであった。
 港からの左目島や右目島の目玉島は、ぱっと見れば泳いでいけそうな距離だ。ただし、実際は、フェリーが小さく、スピードも出ないせいもあるが、左目島までは二十分、右目島は四十分もかかる。それでも、わずかの時間でも、日常生活を離れ、非日常の海外旅行(?)が楽しめるのならば、値段は安いものだ。
 この二つの島は、昔は千人以上も住んでいたが、今は、二百人程度に減少している。両島には、保育所や小学校があったが、現在は、休園・休校中だ。住民の平均年齢は六十歳を超えている。ただし、最近の情報では、芸術祭の効果なのか、若い夫婦が島に移住し、小学校が再開したらしい。だが、ほとんどの若者や若夫婦たちは、対岸の街や大阪や東京に仕事を求めて島を出た。それに伴って、子どもたちも島を離れた。街まで、わずか二十分、四十分の距離だが、船の便数が少なく、最終便の時間が早いため、島からの通勤は無理であった。残業でもすれば、市内で宿泊しなければならない。自分の家があっても、かえって、お金がかるのだ。
 藤島は島に関する情報をインターネットなどで調べた。だが、実際に、こうして船に乗っていると、情報と現実はなんだか少し違うような気がする。
 出版社に勤め、編集の仕事に携わっている者が言うのも変だけど、ほとんどの人が情報に踊らされているのではないか。情報は生活の一部でしかない。それなのに、過疎という一言で、その島が定義づけされてしまう。目玉島でも、人が生活しているのだ。もちろん、都会の○○町の△△アパートでも人は住んでいる。人が住むと言うことは、一体どういうことなのだろうと考えさせられる

WE CAN GO!(目玉の冒険記)(1)

WE CAN GO!(目玉の冒険記)(1)

一 目玉島

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-02

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