みぞれの降る街

みぞれの降る街

人生に行き詰まった2人がふとしたことがきっかけで出会い、見知らぬ扉を開けてしまい、ある老人と行動を共にしながら、深い森にはまりこんで行ってしまう。

咲田は会社を辞めた。仕事は営業で、元々向いていないと思っていたが、続けていれば、何とかやっていけるだろうと思って、やってきた。でも全然目が出ず、あまり社内でも人間関係がうまくいってなかった。上司には散々言われたが、一人同僚で、いつも気にかけてくれて、色々アドバイスを貰ったりしていたが、中々思うように出来なかった。それでも2年勤務したが、そこで我慢の限界が来て、退職願を書いた。上司はその時何も言わず、ただ無表情に受け取っただけだった。
咲田は実家を離れて、一人暮らしをしていたので、荷物を纏めて、部屋を引き払い、とりあえず実家に帰った。両親は会社を辞めることに反対していたので、家に帰ると、あまりいい顔はしなかった。でも覚悟はしていたので、あまり気落ちはしなかった。
姉はもう結婚して、実家にはいない。友達に電話しようと思ったが、気乗りせず、ただ家でゴロゴロしていると、親がねちねち言ってくるようになった。何か言い返したかったが、居候の身なので、あまり言えず、ひねくれて、従順にしていた。親は咲田の、そんな心情を察したのか、しばらくして一人旅はどうかと提案した。最初はそんなの嫌だと思っていたが、段々素晴らしい思いつきに思えてきて、旅行会社に行ってみた。
店員に色々紹介されたが、観光巡りはあまり気乗りせず、なんか都会でしばらくホテル暮らしをしてみたくなり、貯金は結構あったので、いいホテルで、一週間の宿泊を予約することにした。家に帰って、親に報告すると、一人旅は田舎の方の、いい物に触れることで、心を癒すものだと言ったが、咲田も半分はそう思ったが、自分のことだし、もう決めてきたので、ホテル暮らしを決行することにした。
善は急げで、予約は3日後にしたので、荷物を纏め、新幹線の切符を手配していたら、急に野球観戦がしたくなり、ドームのチケットも予約してきた。そして雑誌でスポットを下調べした。
3日後出発した。

都会はやはりいい。会社勤めをしていた所も結構都会だったが、今度ははさらに都会だ。野球観戦だけではなく、グルメやショッピングも思う存分楽しもうと思っている。
そうして駅から歩いて、ホテルに着いた。ホテルも見上げる程高層だ。ボーイさんに案内されて、チェックインを済ませると、部屋に着いた。部屋も豪華で塵ひとつないし、何でも揃っている。
「あの、ドームはここから歩いて行けますか?」
「はい。バスでも行けますが、徒歩の方が早いでしょう」
ボーイさんは頭を下げて、部屋を出ていった。
その晩はレストランで食事を取り、本を読んで寝た。

翌朝早く起きて、食事を済ませると、今日は野球観戦に行こうと思っているので、ショッピングとかは後回しにして、時間とか道順とかを下調べして、部屋で待機していた。
時間になって徒歩でドームに向かった。ドームも外観がすごい。ドームは初めてなので、尚更そう感じた。早めに来たので、まだあまり混んでいなかった。チケットで席を確認すると、ドームの入口でチケットを切ってもらって、中に入った。まだ人はあまりいない。自分の席に向かっている時、自分の席あたりで一人女性が座っていた。もっと近づくと、自分の席の隣に座っているのがわかった。黙って席に座ると、女性はチラッと自分を見たが、すぐに視線を逸らした。
咲田はしばらくじっとしていたが、ある考えが閃いた。話しかけてみようということを。女性は所在なげにじっとしている。
「あの、すいません」
「えっ」
女性は振り向いて、驚いた顔をしている。
「お一人ですか?」
「ええ、まあ」
「実は僕一人旅で、この近くのホテルに滞在しているんです。でもやはり寂しくて、そしたらあなたが一人でいらっしゃるので、思わず話しかけてみました。失礼だったらごめんなさい」
「あ、いえ、そうなんですか。あたしも似たようなものなんですよ。ちょっと嫌なことがあって、なんか一人で野球を見たくなりまして、それであたしも一人でいたんです」
「奇遇ですね。どうですか?話しながら、二人で観戦しませんか?」
「いいですね。あたしも寂しくなっていたところです」
「じゃあ、何か飲み物とおつまみでも買ってきます」
「あ、あたしも行きます」
そうして二人でつまみとビールを買って来て、話を始めた。
「そうですか、県外から。僕もね、県外から来たんですよ。今日は日帰りで来たんですか?」
「ええ、新幹線で。これが終わったら、すぐに帰って、また明日から仕事です」
「仕事は順調ですか?」
「この際だから言いますけど、実はあまりうまくいってなくて。もう辞めようと思って、次の職を探しているところです」
「そうですか。僕はその段階が過ぎて、今は職探しです。辞める前に職を見つけようかなと思ったんですが、もう早く辞めたくて」
「あたしももうすぐに辞めようと思っていたところです」
「一緒ですね。奇遇だなあ。まさか同じような人に会えるなんて。よりによってこういう時に。人生わからないものですね」
「あたしもそう思いました」
そして野球が始まり、周りが騒がしくなった。
「野球は好きですか?」
「実はあまり。ルールもほとんど知らなくて。ただ頑張っている姿が見たくて、ここに来ました」
「僕も同じようなものですね。野球なんてほとんど見たことありません」
選手の誰かがホームランを打ったらしく、どっと歓声が上がった。
「誰か知ってます?今打った人?」
「いえ、全然」
こうして話しながら、気づくと、ゲームはもう7回になっていた。
「よかったら、僕のホテルで酒でも飲みませんか?」
「えっ。それはちょっと…………。明日は仕事もありますし」
「いえ、何かしようという訳ではありません。ただ酒でも飲みながら、話したいだけです。どうですか?会社も明日風邪を引いたとでも言って、休みませんか?人生こういう時もあっていいんじゃないですか?」
「でも………」
「これが終わって、俺達別れたら、もうこれでおしまいですよ。そんなの、もったいないじゃないですか。こんな機会、そうそう滅多にあるものじゃないですよ」
「そうですね。休みます!今日はとことんあなたに付き合います」
「よし。そう来なくっちゃ。善は急げです。もう出ましょう。ホテル行きましょう」
「はい」
そして二人はホテルの部屋へ入ると、帰る途中コンビニで買ってきた酒とつまみをテーブルに広げると、椅子に座って食べ始めた。
「最近会社はどうですか?」
「あまりパッとしなくて、何とかしようとは思ってるんですが、うまくいかなくて」
「そうですよね。俺なんか最近日本のこともわからなくなってきて、自分でもどうしていいのか、わからない状態です」
「私は取り敢えず資格の勉強はどうかと思って、始めたんですけど、ちっともわからなくて」
「にっちもさっちもいかないとは、こういうことを言うんですね」
「友人とは連絡取ってます?」
「いえ、全然。連絡する気力もなくて」
「今日はとことん飲みましょう。二人しかいないので、寂しいものですが、腹を割って話せば、この、もやもやしたものも取れるかもしれません」
と言って、咲田がビールを黒川についでやると、一気に飲み干した。それから二人は話し込みながら、飲んでいた。
しばらくして咲田がふと時計に目をやると、もう夜中の一時を回っていた。
「黒川さん、もうこんな時間ですよ」
「えっ。もうこんなに時間が経ってる」
「もう寝ましょうか」
「はい」
と言ってトイレに行こうとすると、一枚のチラシが目に入った。
「何、これ」
と言って見ると、スナックの広告が書いてあった。咲田に渡すと、咲田は覗き込んだ。
「なんか、これ、怪しくないですか?」
「はい。私もそう思います」
だが咲田はしばらくじっと見ていて、何を思ったのか、
「これ、行ってみましょう」
「えっ。それは…………。なぜ?」
「ふと思ったんですけど、今の状況を変えるには、何か思い切った行動をしてみた方がいいんじゃないかと思って」
「……………。うーん。うん。そうかもしれない」
「行ってみましょう。もうこんな時間ですけど」
二人はゴミを片付けて、急いで身繕いすると、部屋を出た。
チラシを見ながら歩いて行くと、数分で目的のスナックはあった。外観は古ぼけた建物で、どこにでもあるような、寂れたものだった。
ドアを開けて、中へ入ると、意に反して、年は取っているが、意外に綺麗な人で、咲田も黒川も一瞬戸惑ったが、
「いらっしゃい」
という声で、我に帰った。
そのママに案内されて、テーブルの席を勧められたが、断って、カウンターの隅の席に着いた。
客は三組いて、ホステスが接客をして、ママは一人の老人と会話していた。すると会話が途切れ途切れに聞こえてくる。咲田は何か面白そうな感じを受け、話しかけようと思ったが、危ないものを感じ、視線を逸らして、黒川と話していると、老人の方から話しかけてきた。
「若いの、どこから来た?」
「あの、僕は県外から」
「そっちは?」
「あたしも県外から」
「二人とも気をつけるこったな。ここらへんは危ない奴がごまんといるからな。本当にうろちょろしとる」

「おじさんはどうなんですか?危なくないんですか?」
「ワシはこの土地に住み着いて、かれこれ十年近くなる」
「どうでした?」
「踏んだり蹴ったりだが、何とか生きとる。そしてこれからも色々あるだろう」
「もしもですよ。ここで就職活動するとしたら、どうなると思います?」
「それは辞めた方がいい。この土地にろくな奴はいない」
「そうですか。俺はこれからどうすればいいんだろう?」
「今無職かね?」
「はい。にっちもさっちもいかなくて」
「兄ちゃん、ワシの通ってる会合に来てみる気はないかね」
「会合?どういうものですか?」
「それは行ってからのお楽しみだよ」
「そうですね……………」
「明日だぞ」
「えっ。明日」
「こういうことは急いだ方がいいんじゃ。善は急げって言うじゃろ」
「でも明日なんて…………。なあ」
と黒川の方を向くと、
「突然すぎます」
黒川も同意見だったようだ。
「実はなその会合というのが金持ちの集まりでな、道楽で始めたんじゃ。実際始めてみると、これが意外に好評で、かれこれもう五年になる。わしがなぜメンバーの一員かというと、ワシもあんたと同じようにして、誘われて、実際行ってみると、大層気に入られて、常連になってしもた。そしてワシも何人か会合に連れて行ったんだが、あまり上手くいかず、結局続いている者はおらん。そこで聞くが、お二人さん来てみるかね?」
「……………」
「……………」
「ちょっと内容を話すと、長崎の、とある山の中の温泉で湯船にゆっくり浸かり、後はコテージで無礼講のドンチャン騒ぎというものだ」
咲田は色々考えていたが、自分の人生で足りなかったものはここぞという時の冒険だったんじゃないだろうかという考えがグルグル頭の中を回っていた。黒川は黒川で、これは人生のターニングポイントかもしれないという考えが頭の中を回っていた。
二人の視線が合うと、お互い以心伝心したのか、咲田が、
「行きます」
と思わず口走っていた。
「じゃあ、明日この名刺を渡しておくから、朝一番に電話してくれ」
と言うと、老人はママに手を振って、帰っていった。
二人はホテルに戻ると、明日に備えて寝ようと思ったが、黒川が、
「ちょっと飲みませんか?少し余っているし」
「でも明日早いし」
「あたしちょっと不安で。本当に大丈夫なんですか?分かりやすく言うと、あたしの状況って、見ず知らずの男とホテルで飲んで、今度はまた見ず知らずの老人が入っている会合に行こうとしてる。危ないこと、この上ないですよ」
「…………」
「何か段々状況が分かってきた。あたし、なんでこんな危ない橋渡ってるんだろう?もう今から帰ろうかな」
「ちょっと待ってくれよ。帰るなんて言わないでくれよ。今頃そんなこと言われても、困るよ」
「よく考えてみると、あたしにメリット、これっぽっちもないし」
「黒川さんも状況を変えたいと思ったので、来たんでしょ」
「そう思ってたんだけど、怖くなって」
「もうここまで来たんだから、行くしかないよ。今帰ったって、それから何するの?また何もない日常に戻るだけだよ」
「………………」
「もう寝よう。明日早いし」
咲田はそう言うと、さっさとベッドに潜り込み、布団をかぶって寝てしまった。仕方なく黒川もため息を一つつくと、寝た。
翌朝、咲田が目を覚ますと、黒川は起きていて、咲田の顔をずっと見ていたらしく、じっーと咲田の顔を見つめていた。
「何?」
「この人はいい人なのか、悪い人なのか、寝顔をずっと見てたら、分かると思って、一時間ぐらい前からずっと見てた」
「それでどうだったの?」
「普通の人みたい」
「そりゃそうだよ。自分のことは自分が一番分かってるよ」
「そういう意味じゃなくて、普通にしてるんだけど、悪い方へ行っちゃうタイプみたい」
「何だよ、それ?」
「いいの。わかんなくて。あたしが勝手にそう思ってるだけだから。そんなことはいいから、早く電話したら」
「あっ。そう。名刺………」
咲田はポケットから名刺を取り出すと、電話番号を確認して、電話した。すぐにつながった。
「もしもし昨日の者ですけど………」
「ああ、あんたか。そうか、あれは今日か。今どこにいる?」
「ホテルにいます」
「そうか。十時ぐらいに迎えに行くから、支度して待っててくれ。ああ、わしの名前は常だ」
「えっ。常ですか?」
「そうだ。変か?」
「いえ、変じゃないですけど、変わった名前だなと」
「そんなことはいい。じゃあ、後で」
「はい」
黒川を見ると、意に反して、もう支度は終わり、咲田をじっと見つめている。
「…………。まだ時間はあるよ。座ったら」
「いい。このまま待ってる」
「……………。仕方ないな。今9時半か。じゃあホテルのロビーで待ってるか」
咲田は準備しながら、黒川が思うように動いてくれそうにないことに対しての不安感とこれからのことに対しての不安感で一杯だった。咲田は支度が終わると、黙ったまま、部屋を出ると、黒川も黙ってついてきた。
チェックアウトを済ませると、咲田は柱に寄りかかって、じっとしていた。黒川は離れた所でスマホをいじくりながら、じっとしている。結局二人は常が迎えに来るまでずっとそうしていた。
常は二人を認めると、離れた所にいるので、不審に思ったが、すぐに状況を飲み込み、
「行くぞ」
と言うと、二人の手を引っ張っていって、自分の車に乗せると、黙って車を発車させた。
しばらくしてから咲田は沈黙に耐えきれなくなり、言った。
「これからどうするんですか?」
「取り敢えず現地に集合して、来た者から温泉に入り、コテージで皆が揃うのを待つんじゃ。そしてこれはな早く来て、さっさと温泉に入り、コテージでそれぞれの話を聞いて、情報を掴むのがいいんじゃ。そうしないと状況が分からず、終わるのがオチじゃ」
「あの、俺達はどうするんですか?」
「それは考えてある。実はな一人一人何かしなければならないんだが、わしは今回お前達と何かをすることにしているんだ」
「えっ。何を?」
「面接」
「面接………。何ですか、それ?」
「いや、お前達を皆に紹介して、面接してもらうんじゃ」
「いやですよ、そんなの」
「でも就職口探してるんだろ?いいチャンスじゃないか」
「嫌ですよ。その人達全然知らないし」
ここで黒川が口を挟んできた。いやと言うかと思っていたら、ビックリしたが、
「私やります」
と乗ってきた。
「えっ。やるのか?これがどういうことか、分かってるのか?」
「分かってるわよ」
「よし、決まった。お二人さん、頼んだぞ」
またビックリしたが、黒川が元気よく、
「はい」
と返事した。
咲田は思わずため息をついてしまい、思わず深呼吸を繰り返していた。
現地に着くと、結構皆揃っていて、車が何台も見られた。やはり高級車が多い。
「着いたぞ。さあ、降りた、降りた」
咲田は車を降りて、建物を見上げると、そんなに新しくもなく、古くもない感じだが、雰囲気がただならぬものを感じて、一瞬身構えてしまった。
そして三人は建物に入っていった。常は知った顔を見つけては、挨拶をして回っていた。咲田は常の、談笑している姿を見て、この人も、この人で頑張っているんだなあと感じた。
黒川は女性なので、知っている人はいず、一人湯船に浸かっていたが、咲田は常が湯船で知人と話しているのをじっと聞いていた。
咲田は会話の端々からただならぬ言葉が漏れてくるのを聞いて、身が固くなってしまっていたが、面白い話やホッとする話も出てきたので、気持ちが楽になる時もあって、一回話しかけられたが、上手く答えられず、相手もそんなに入ってこなかった。
咲田と常は更衣室を出ると、黒川が待っていて、三人はフロントに行き、個室に案内された。
「あー、やっと着いた」
常は開口一番そう言う。
「常さん、あの人達皆知り合いなんですか?」
「ああ、もうわしは常連になっているから、ほとんどの人と顔見知りじゃ。そんな、わしを見て、嫌がらせをしてくる奴もおるが、もう慣れた」
「黒川さん、常さん、金持ちの人達と対等に話していたよ」
「あたしはただ一人でボッーとしていた」
「今からあるものにはボッーとしていては困る。輪の中に入って、話に加わるというものじゃなくて、わしがタイミングを見計らって、お前達を紹介するから、その時自己紹介というか、自分をアピールするというか、何か考えて、皆の前でしゃべってくれ」
「それはもう面接みたいなものですか?」
「表向きはそうだが、実際は余興みたいなものだから、ざっくばらんにしゃべってくれればいい。上手く誰かが気に入ってくれれば、儲けものだと思ってくれ」
「……………」
「……………」
「わしはしばらく寝る。時間になったら、ここの人が呼びに来るから、その時起こしてくれ」
常はそう言うと、本当に寝てしまった。残された二人は何をしていいか、分からず、ただ時間だけが過ぎていった。
しばらくして従業員が来て、時間ですとそれだけ言うと、去った。
黒川が常の方を向くと、その瞬間目を開けた。
「行くぞ」
と言うと、ベッドから起き上がり、さっさと歩きだしてしまった。慌てて、咲田と黒川は後を追った。
三人は広間みたいな所に出て、そこへ入ると、ある程度人は揃っていて、常は知人の顔を見つけたのか、近づいて挨拶した。咲田と黒川も後で畏まった。常は流暢にしゃべって、場を和ませていて、二人は感心して聞いていた。
しばらくして、段々人が集まってきて、広間は人で溢れることになった。顔を見ると、どこにでもいるような印象を受けたが、威圧感みたいなものはびんびん感じた。
そして女の人がマイクの前に立つと、皆席に着いた。
女の人がしばらく話して、宴会が始まった。
最初咲田と黒川は常の後ろに畏まっていたが、一時して、隅で待機するように言われて、隅で座っていると、段々宴がたけなわになってきた頃に、また女の人がマイクの前に立ち、三人の名前を呼ぶと、お願いしますと言って、下がった。
咲田と黒川は常の名前が呼ばれたので、どうすればいいのか、常の顔を伺っていると、常は立ち上がって手招きするので、近づいて、三人は演台に上がった。
「皆様、お久し振りです。常です。前回はハードなものをしてしまって、評判が芳しくなかったので、今回は普通に考えて、街角で見つけた二人を紹介したいと思います」
咲田と黒川は一礼すると、
「はじめまして。咲田と言います」
「はじめまして。黒川と言います」
常は皆の顔を見回すと、無表情で失敗したかなと思ったが、今回はあまりそういうのは期待していなかったので、我に返り、
「実はこの二人、馴染みのスナックで見つけて、話を聞いていると、仕事が上手くいかず、今は無職の状態で、それで思い付いたのが、この場を借りて、皆様に面接をしてもらおうというのはどうかと思った次第です」
「どういう奴だ」
と一人が言うと、
「ほら、自己紹介だ」
「自分は定職についても、長続きせず、あっちこっち渡り歩いていますが、特技がありまして、でも大したものじゃなく、何の役にも立たないんですが、チャーハンを作るのが得意でして、誰に食べさせても、絶賛されます」
「そういうのは要らん」
と誰かが言ったが、一人が、
「それは一度食べてみたいな」
と言った。そして常は黒川に促した。
「あたしもどの会社に行っても、長続きせず、すぐに辞めるんですが、インターネットは得意でして、普通の人が掴めない情報を検索することが出来ます」
「どうやって?」
「それは教えられません」
「こういう二人で、本人は真面目にやってるんですが、中々上手くいっていないのが現状でして、役に立たないかもしれませんが、もしかしたら、何か凄いことをするかもしれません」
一人立ち上がって、口を開いた。
「自分の会社では今は不況で、危ない冒険に賭けるよりも、何とか現状を維持して、少しでもいいから、利益を出すのが、今の経営方針です」
「そうですか」
と常は予想はしていたが、落胆しながら、返事すると、今度は別の一人が、
「雇うという訳ではないんだが…………」
「どうぞ。どんなことでも構いません」
「実は内密に調査してほしい仕事があって、危険が伴うかもしれないが、それなりの報酬は出すつもりだ」
「それは……………。ちょっと待ってください。他にある人は?」
常は周りを見渡したが、誰か手を挙げる気配はなさそうなので、
「じゃあ、あなた、後ほど話を聞きます」
常は咲田と黒川に目配せすると、三人は演台から降りた。
それから後の二組がそれぞれ余興をして、それなりに盛り上がっていたが、咲田はそれにあまり興味がなく、隅の方で、常と先程の人がヒソヒソと話しているのが気になり、そちらにばかり、視線を向けてしまった。
宴会の方は余興はもう終わり、皆無礼講でガヤガヤ騒いでいた。常も話は終わり、皆の輪の中に入り、喋りながら、笑顔を見せていた。咲田と黒川も輪の中に入ろうとしたが、常に止められ、隅に待機していた。
そして女の人がマイクの前に立ち、労いの言葉とこれからのことを話して、閉会となり、皆それぞれの部屋へ帰った。常も部屋へ帰った。
「今日はご苦労さんだったな。宴会も無事終わり、お前達にも、朗報が届いたということで一件落着だ」
「さっきの話ですね、あれはどういう物だったんですか」
「あの人は危険があると言っていたが、なーに、俺の言うことを守っていれば、何の危険もない。そして人物の調査で、俺が手回しをしとくから、それに沿って、調査を進めていけばいいだけだ。何の問題もない。さあ、今日はもう寝ろ。疲れただろ。じゃあ、お休み」
と常はさっさとベッドに潜り込んでしまった。咲田と黒川は何もすることがないので、お互いお休みと言って、ベッドに潜り込み、寝た。
結局翌朝遅くに起きて、朝飯を済ませると、車に乗り込んで出発した。車中常から何らかの言葉を待ったが、何もなく、黙々と運転をこなし、ホテルに着くと、二、三日中に必ず連絡するという言葉を残して、行ってしまった。
そして咲田と黒川は部屋へ戻ると、取り敢えず今までのことを整理するために、席に座り、お互いの経過を話し合った。咲田は色々分からないことや気になることはあったが、無事終わり、面白かったと言ったが、黒川は違い、ずっと不安でヒヤヒヤしていたと言って、そしてこれからのことを考えると、もっと不安になり、今すぐにでも家に帰りたい気分と言った。
「そんなこと言わないでくれよ。後一つ仕事をこなせば、どこかの職にありつけるかもしれないんだ」
「そんなこと言っても、職にありつけるという保証はどこにもないじゃない」
「常さんなら、何とかしてくれるさ」
「でも常さんとも、見方によっては偶然街角で会っただけの仲と言われれば、それまでじゃない」
「じゃあ、何か展望でもあるのか?」
「それはないけど」
「ならそんなにあれこれ言わないでくれよ」
「もう知らない」
と黒川は言うと、ベッドの上に座り、スマホをいじくりだした。
結局その日はそういう状態のまま、時が経ち、そのままその日は終わった。
しかし次の日も昨日と同じ状態で、何もできないまま、その日は終わった。
そして次の日咲田は電話の音で目を覚ました。常からだった。
「おはよう。起きてたか?」
「今起きた所です」
「昨日と一昨日は何をしていた?」
「結局何も出来ないまま、終わりました」
「そうか、それでだ。取り敢えず調査してもらう人物について調べた。住所と仕事についてはこっちで調べたから、後お前達に調べてほしいというのは」
「それは………」
「実はなその人物というのが、知っている人は知っているというもので、その業界では、かなり有名らしい。なぜそこまで有名かというと、その人物はいたって普通なんだが、情報について、かなり通らしくて、巷についての情報や人物についての情報や知らない情報など、どうやって掴んでいるかは謎だが、かなり色々持っているらしい」
「それでなぜその人を?」
「その人はある企業についているんだが、その企業のライバル社がかなり四苦八苦しているらしい。だから一度その企業はその人にコンタクトを取ったらしいんだが、断られたらしい。でも諦めきれず、そこでお前達に白羽の矢が立ったということらしい」
「でも自分達は何をすれば?」
「ちょっと危ないと言えば危ないんだが、何とかして、その人の私生活を監視してほしい」
「そんなこと、どうやって?」
「一応そういうことについてのマニュアルはあるから、それを参考にして、そして道具や機械はこっちで用意して、その人を監視してほしい」
「でもそういうことはヤバくないですか」
「そういうこともマニュアルにあるから、それを参考にして、やってほしい」
「分かりました。何とかやってみます」
「マニュアルや機械などは今からそっちに送るから、昼頃には着くだろう」
「はい。後ちょっと気になることがあるんですが」
「何だ?」
「黒川さんが情緒不安定で、これからのことについて、かなり不安だと言ってるんですが」
「そうか。彼女については、あまり無理をさせない方がいいだろう。ヤバそうだったら、外れてもらえ。その分については、申し訳ないが、こっちで何も出来ないから、考えて、何とかしてくれ」
「はい」
「じゃあそういうことでよろしく頼む」
「はい」
そして黒川が起きたので、電話の件を話して、仕事のことを報告した。やはり黒川は仕事について色々言ってきたので、外すことを言ったら、しばらく黙っていたが、仕方ないと言って、仕事を引き受けることになった。
昼頃、機械とマニュアル本が届いて、二人は目を通した。
結局仕事は明日から開始となり、今日は夜遅くまで、機械の操作方法とマニュアル本に目を通していた。
そして翌日、目当ての住所まで電車とバスを利用して、辿り着いた。そこは高層マンションで、周りを見渡しても、高級な住宅地が建ち並び、自分達が入り込めるような場所はないように思われたが、ちゃんとセッティングがしてあって、メモを見て、目当ての場所まで行った。そこで機械類を設置して、ここで監視を開始することになった。
その人物は名前は坂崎翔と言って、東大卒で、かなりエリートだったらしい。今は表向きは普通のサラリーマンだが、実際はやはりエリート族の仲間と言った所か。そういう人がなぜこんな所にいるのかは気になる所だが、常さんに聞いても、中々教えてくれなかった。食い下がると、しばらくしてから重い口を開いた。
何でもある事件に巻き込まれたらしい。
結果的には新聞の隅の方にちょっと記事が載っただけらしいが、実際当事者達はかなり大変な目にあったらしい。そこから先が聞きたかった所だが、そこからは口を閉ざして教えてくれない。食い下がったが、駄目だった。
結局坂崎は辞任に追い込まれ、会社を退社することになったそうだ。
その後坂崎は何もせず、自宅謹慎のように、家でヒッソリしていると、昔の知り合いから連絡があり、今の会社に渡りをつけて、落ち着いたということだった。
それでそういう人を監視するというのはどうかと思われたが、こっちだって生活が掛かっていると思って、決意を新たにした。
取り敢えず坂崎は昼間は会社へ行き、夜は家にいるというパターンで昼間は会社まで尾行して、それからは会社の付近で見張り、夜は監視場所で見張るという行動にした。驚いたが、坂崎の生活パターンは規則的で休みの日だけ、ちょっと外出するというもので、後はずっと同じで、とても金持ちの生活とは思えなかった。
咲田は思った。
自分のイメージでは、金持ちというのは、会社には重役出勤して、仕事が終わると、夜の街に繰り出して、豪遊するというのが、典型的なパターンぐらいに思っていた。しかし実際は会社には規則的に出勤して、夜は家で過ごすという生活パターンで、咲田は金持ちへの既成概念を改めなければならなかった。
でも咲田は咲田で、金持ちへの嫉妬から来ていると考えなくもなかった。自分は職にもありつけず、女性とは何年もご無沙汰である。惨めなこと、この上ない。
しばらくしてから我に返ると、機械類で電話の盗聴、インターネットの侵入、部屋の盗撮などが出来たが、一向に変わり映えのしない生活で、何にもならないように感じられた。
咲田は黒川がどう思っているか、聞いて見ることにした。
「黒川さんは金持ちの人へ、どんなイメージを持っている?」
「そうねえ、あたしはそっちにはあまり興味を持ってないので、金持ってるなぁ~くらいしか考えない」
「でもお金持ってたら何でも出来るよ」
「あたしはあんまりしたいことないから、それなりに働いて、それなりにお金もらって、それなりに遊べれば充分と思ってるよ」
「そうかなぁ、人生は一回きりなんだから、思う存分生きて、人生を充実させた方がいいと思うけどなぁ」
「それはそうだけど適度な刺激があれば充分」
そう言うと、黒川は退屈しているらしく、欠伸を連発していた。
「ちょっと常さんに電話してみようか」
「そうねえ、このまま同じことしてても、何にもならないからね」
結局咲田が常に連絡することになった。
「状況は何も変わらず、何も出てきません」
「まだ三日しか経ってないだろ。こういうのは我慢との戦いなんだ。辛抱して、何かが出てくるのを待ってくれ」
「はい」
「常さん、ちょっと聞いていいですか?」
「何だ?」
「常さんは金持ちの人についてどう思いますか?」
「どうもこうもないよ。俺は金持ちなんだから」
「やっぱり色々苦労がありましたか?」
「そりゃそうだよ。ここまで来るのにどれだけ苦労したか」
「今考えて後悔はないですか」
「後悔なんてあるもんか。達成感があるよ」
「充実してましたか?」
「充分だよ。しすぎるくらいだよ」
そして翌日咲田はいつも通り仕事をしていると、何かおかしなものを感じた。それが何なのかは分からなかった。あるはずのない物があるような感じである。
またしばらくするとそれは誰かの視線のように感じられた。誰かに見られている。確かにそう感じる。黒川に聞くと、最初はそんなことあるはずないじゃないと言っていたが、黒川もまた誰かの視線を感じると言った。
しかしどう注意を配っても、誰かに尾行されている気配はない。咲田は常にそれを報告すると、否定はせず、細心の注意を払って、調査を続けてくれと言うことだった。
その翌日坂崎に動きが見られた。夜一人高級料亭に入っていくのを見た。しかし相手が誰なのかは掴めず、仕方なく、店の近くで待機していると、一人の男が入っていくのを見た。どこかで見たことのある顔だなと思っていたら、一度雑誌にインタビュー記事と写真が載っていた人物で、確か携帯電話の関連会社の社長だった人である。
黒川は知っているだろうかと思い聞いてみた。
「黒川さん、あの人知っている?」
「えっ。どの人?」
「さっき高そうなスーツを着て、店に入っていった人だよ」
「ああ、どこかで見たことあるような気がする」
「自分の記憶では確か雑誌でインタビューを受けていた人だと思うんだが」
「ああ、思い出した。あたしも雑誌で見た。えらい格好よくて、お金も持っているのかと考えた記憶がある」
「確か携帯電話の関連会社の社長だと思うんだが」
「そうそう。思い出した。関連会社の社長で、今注目されている会社と記事に載っていた」
「やっぱりそうか。やっと動き出したな」
「じゃあ、食事の相手というのは、あの人?」
「多分まだ分からない」
坂崎の会食の相手がこの人かどうかは分からないが、取り敢えず坂崎が出てくるのを待っていると、坂崎はその社長と出てきた。やはり坂崎の会食の相手はこの人だった。
咲田はすぐに常に報告した。常は驚いた風は見せず、また細心の注意を払って、調査を続けてくれということだった。
そしてその二人は高級料亭を出ると、しばらく二人でひそひそと話しながら、歩道を歩いて行った。咲田と黒川は細心の注意を払って、後をつけた。すると二人はとある喫茶店の中へ入っていった。咲田は店内に入るかどうか、かなり迷って、黒川を見たが、聞いても仕方ないので、迷いに迷った末、店内に足を踏み入れることにした。
二人は店内の隅の席で何やらひそひそ話し込んでいる。
咲田は近くの席で会話を少しでも、盗み聞きしたかったが、顔を覚えられるのはまずいので、仕方なくちょっと離れた席で、耳を澄ませていた。しかし二人の会話は聞こえず、三十分程してから、二人は店を出た。慌てて、咲田と黒川は店を出たが、もう二人の姿は見られなかった。
翌日坂崎は度々その社長と電話するようになり、咲田は電話の盗聴で会話をずっと聞いていたが、機密事項がどんどん飛び交うようになった。咲田はどうしていいか、分からず、身の危険も感じたので、常に連絡すると、すぐにそこを引き払ってくれということだった。
黒川にもそのことを告げて、二人で引き払う準備をしていると、咲田はまた誰かの視線をビンビン感じた。黒川に聞くと、黒川も感じると言った。二人は大急ぎで部屋の荷物を纏めて、部屋を出ようとすると、二人同時に携帯電話の着信が鳴った。出ると、切れていた。黒川も同じらしく、無言で咲田の顔を見つめ、結局二人はしばらく玄関で立ち尽くしていた。
黒川がしばらくして我に返り、咲田の腕を引っ張り、
「常さんに電話」
「あっ。そうか」
咲田は急いで携帯を取りだし、電話した。
「常さん、何かおかしいですよ」
「何って、どうおかしいんだ」
「誰かの視線を感じます」
「誰かって誰だよ」
「わかりません。幽霊でもいるような感じです」
「そんな馬鹿なことがあるか」
「自分も冷静になると、そう思うんですが、しばらくするとやはり誰かいるような気がします」
「そんなこと言われてもなぁ」
「…………」
「とにかくそこを出ろ」
「そうですね。黒川さん、出よう」
「うん」
二人は急いで支度して、その部屋を出た。外は快晴で、車の音もしていなくて、平和そのものの風景が広がっていた。黒川を見ると、空を見上げてポカンとしている。
「黒川さん、何か感じる?」
「部屋を出ても、あまり変わらなかったんだけど、ここの空気を吸って、空を見上げていたら、段々平常になってきて、なんかどうでもよくなってきた」
「俺も。段々普通になってる」
「常さんに電話したら」
「あっ。そうだ」
また咲田は携帯を取りだし、電話した。
「常さん」
「もしもし大丈夫か?」
「はい。部屋を出たら、普通になってきました」
「よかった。とんでもないことを言い出したんで、発狂したかと思ったよ」
「自分もどうなることかと思いました」
「これで無事終わった。部屋のことはいいから、もう帰って寝てくれ」
「はい」
「もう疲れただろ」
「はい。もうこんな経験コリゴリです」
「すまなかったな。変なこと頼んじゃって」
「いえ、いい経験じゃなかったけど、笑い話のネタにでもなればと思って」
「そう言ってくれるとありがたい。黒川さんにもお疲れさんとよろしく言っておいてくれ」
「はい」
「今度は普通の会社を紹介出来ると思うから」
「よろしくお願いします。黒川さんにも」
「もちろんだとも。二人まとめて面倒みてやるよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、またな」
「はい。お世話になりました」

みぞれの降る街

みぞれの降る街

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-02

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