レゼイロ 3部 2話
まえがきっくす
ばりやばい
ニの話
1
世の中に自分しかいなければいったい、ボクはどうなってしまうんだろう。
寂しすぎて死んでしまいたくなるのは、ボクが人に囲まれて生きてきたからだ。父も母も愛情をもってボクに接してくれたし、祖父も祖母も慈しみを惜しみなく浴びせてくれた。
だけど出来上がったのは半端でどこにでもいるこんな体たらくだ。
結局、人生は生まれた瞬間から決まっている。才能とかいう陳腐な言葉が蔓延する理由をまざまざと見せ付けられる。努力も放棄するしかない。頑張れば報われる、というのが通用するのは子供だけだと知っている。
かといって頑張らなければ何にもなれないと確信している。勝利が決定していないからそれすらも億劫になる。結局、何もせぬままボクはここに立っている。
ローリスクハイリターン。座右の銘にそれを掲げた時点で、ボクの不幸は決定した。
「パフェでさ、生クリームぬるいのって殺意覚えるよね」
「知らん。あまり甘いものは好きじゃないんだ。百舌鳥、それ三個目だろ。太るぞ」
「ふん。三日飯食わなきゃ体重なんていかほどにでも変わるわ、不健康児」
そういう意味では百舌鳥は全力だ。筋が通っていないのに、真っ直ぐに見える。
頑張れば頑張るほど、人に迷惑をかける。楽しい事と正しい事が同じじゃない。ズレがある。迎合されない。迫害されない。ただ、無視されて貶される。
「チョコとイチゴ食べたでしょ。んでバニラいってフルーツいって、最後はチョコに戻るわけよ。やっぱ出されてるものは網羅したいじゃん」
あまり来ないから、一度のチャンスに全てを賭けたい。
ただ単にデパートに来る。それだけでも百舌鳥にとって大きなイベントなのだ。彼女にとって日常にできた一つの用事が、まるで世界祭を思わせるくらい大きくウェイトを占める。
純粋で、透明だ。一つのシミが大きく映るだけだ。
「さすがに夕方、こんな人が集まってる時に幽霊なんて出ないだろ。情緒が無い」
「幽霊? あぁ、幽霊ね。あれ、嘘」
「……。あそ」
そもそも噂なんてものを聞かされる立場にこいつは無い事を失念していた。
ならばどうしようか。ここで雑談を交わすも良し、どこかの店で何かを買うのも良し。ボクの方はもう冬用の靴を買った後だから用事は無い。門限ははっきり決まっていないが、見咎められない程度の時間までこいつに付き合い、帰ればいい。
「なんか無難、っていうか。何ともいえない靴選んだね、あんた」
「目立つのも好きじゃないし、気合入れて選んだものだと思われるのも嫌だ」
「ええかっこしい。見栄っ張りは君の根幹を成すね。ダッサダサ。そういうの」
嘆息すら隠さずに百舌鳥はパフェをかき混ぜる。一度、帰宅した時に着替えたのか、彼女は一張羅である龍と鯉が描かれたスカジャンを着ていた。
外したファッションがかっこいい。只者じゃないと思われたい。意外性を重視したい。そういう思惑が見え隠れして、結局こいつの全てが見かけによる。
そのまま、ありのままだ。ファッションは人となりをそのまま表現する。
「でさ、どうする? 靴買ったんなら喜先に用事無いでしょ? だったら屋上のプチ遊園地に行くか、このまま晩御飯までぶらぶらするか」
晩御飯までこいつと一緒に食べるのか。なら家に連絡を入れなければいけない。
モラトリアムの極地がここにある。何も変わらない。ただ当たり前のように時間が過ぎ、三秒で感じ取れる結論が当たり前のように三秒後、訪れる。
それは安心をもたらし、飽きを呼ぶ。
そんな退屈を百舌鳥は見逃さない。自分が誘ったのだから自分が相手を楽しませなければいけないと使命感に駆られ、ボクに次々とこの後のプランを並べ立てる。心惹かれるものはない。ただただ漫然と頷いて先を促す。
面倒臭がりだ。ボクは保守的に生きている。それも考えて考えての、熟考の先での安定じゃない。ただ漫然と、漠然と毎日の時間が無くなるのを見ている。
ボクにだって情熱がある。記憶の中での途方も無い心の躍動や、寂しく鳴り響く情緒も備えている。記憶の中には感情が封じ込められている。それはいつだって新鮮味を携えたまま、何も感じない今のボクを苛み、サボってんじゃねぇよと激を飛ばす。
でも仕方ない。与えられる興味に慣れてしまった自分は、自ら動き出す事をやめた。
「あ、そういう事か。百舌鳥、お前のいいところってそこだな」
「なにがなにが。このわたしに惚れたってーんなら今の内にフっとくけど」
「違う違う。好き、っていうのじゃなくて 尊敬に近いな。お前ってさ、いつも自分発信なくせに自分以外の誰からも興味持たれないってとこがあるから、そこがすごいなって」
「新手の悪口にしか聞こえないけども、礼は言うべきなのか」
当たり前だ。手放しで褒めている。真実だからだ。誰からも見えない真実に、ボクだけが気付いているから、ボクはこいつと共にいる事が楽しくは無いけど、苦痛ではないのだ。
だからといって他の人間と一緒にいても苦痛なわけではない。ただ少し、退屈だ。
「すごいよ、お前は。いつだってお前だもんな。だってお前がお前でいない時間が無いもんな」
「いやいや、わたしだって旧家らしく着物着て帯しめて纏め上げた髪のうなじでも見せつけりゃあ、世界のセレブが黙ってないよ」
世の全てのコンプレックスを詰め込んだキャラクターがいたとするなら、そのキャラクターは全ての人間に愛される存在になるのだろう。畏怖と、畏敬を込めて。
だから欠点が多い人間性は愛される。
「ぶらぶらするなら晩御飯の店決めればいいんじゃないか。目処が立つ」
「さっぱりしたもんがいいねぇ。うどんとかそばとか」
「賛成。まだまだ残暑って言えばそうなるから、冷たいもんでもすすろう」
ボクのは欠点ではない。長所でもない。ゼロだ。
だから嫌われない。愛されない。いや、言い訳はよそう。自分が自分を好きになれない。
結局、自分を最も見ているであろう自分からすら愛されないものが、世間でどう扱われるだなんて関係が無いんだ。興味が無い。どうでもいい。だから肯定的に自分を見れない。客観的に自分を見れない。
百舌鳥が眩しい。
「あ、彼女と仲直りした? 喧嘩してたっしょ、今日」
「また盗み見か。喧嘩ってほどじゃない。ヘソ曲げた程度だろ」
「そういう小さい溝が後に大きな軋轢になるんだよ。小さい内に埋めとくのが長生きの秘訣」
「お前に言われたくはない。生まれた瞬間から外堀が広すぎて本丸が見えない」
だからこいつは普通の人間に嫌われる。見えないから、ではなく、見えたところでそれが素晴らしいものではないと誤認されているから。
ボクは自分のそういうところは評価している。人の評価ではなく自分の評価を優先し、分からないものを決定しない。そういうところだけは。
「劇的な変化でも起こらないかな。スロースターターだから、ボク」
「待てば甘露の日和ありって奴? 駄目駄目、そういうのは実際に甘露落ちてきた奴にしか言えないわけよ。世の中そんなにうまかねぇって」
自分達みたいな奴は。
期待なんてしちゃいけない。
百舌鳥の言葉はひどく冷静で、温度の無いものだった。
「お前らしくないな。そんなマイナス志向」
「わたしらしいなんてもんがあった方が不思議だね、アッコちゃんか」
「……。お前はもっとこう 」
もっとこう、なんだ。
期待してる? 待っている?
そういうものからもっとも遠いのがこいつのはずだ。
「いや、間違えた。やっぱお前らしいよ」
「わけわからん。あんたさ、彼女いるとはいえ高校生で女の子と二人でパフェつつくこの現状にもっとテンション上がらないわけ?」
「おぉ、お前を女の子とカテゴライズするのは心が折れる」
軽口に戻ったけれど、ボクの心は止まらない。いつまでもネガティブに自分と周りの否定を繰り返すだけなのだ。何も生まれない。生産性と真っ向からアゲインストな自分に、ボクは苛立つわけでもなく、甘くしたコーヒーを口に入れた。
2
大方の予想通り、晩御飯はハンバーグと相成った。意地汚くパウンドハンバーグを二枚も注文した百舌鳥が、胃の中でクリームとドッキングされる肉にけたたましい苦情を上げている。
「パウンドってふわっとしてるとかって意味じゃないの? あそこイカれてるわ」
「いや、ケーキの方も重いだろ」
ずっしりとボクの胃を重くするのはきっちりパウンド分の挽肉。根性で一つは平らげた百舌鳥だったが、どうしてもパイナップルの乗ったもう一枚のパテは入らなかったらしい。
「で、腹もいっぱいだしあまり動きたくない、と」
「ご名答。しばらくここでゆっくりしてよーよ。誰も止めないって」
止めてるのはお前。そう言い出すのをこらえるのに多少の労力を要した。
七階から八階に向かう踊り場のベンチにボクらは座っている。騒とした建物の中で、そこだけが切り取られたように静かだ。それもそのはず、八階の婦人服売り場は八時閉店なのでそろそろ店じまいの準備。七階のゲームセンター街はそもそも人が少ない。この時間なら明日の食材を買いに来た主婦が地下で右往左往している事だろう。
喫煙所にも近くないこのベンチが寂しくなるのは必定。
わざわざここまで来て休みたいと言い出した百舌鳥に付き合って、ボクはここにいる。
「もう肉は今年いらねぇ」
「早いな。その決意、守られない事を前提に話してるだろ」
「お前は会話に疎いな。もっとマイって話せよ」
マイる。もっとマイルドにしろ、との意味らしいが、テレビでも流行っていないし、百舌鳥しか使っているのを聞いた事の無い表現だ。安直にも程がある。
「で、どうする。お前の腹ごなしが済んだらもうボクには用が無い。帰るか」
「いやいや、いやいやでしょ。すぐ回復するっしょ。したらばゲーセン行こう」
「やだよ。面白くない。それなら本屋にでも行って立ち読みする方がいい」
人の用意したもんで満足すんなよ、とだけ百舌鳥は吐き散らかして喋らなくなった。よっぽど挽肉が堪えてるらしい。これからは満腹にさせていれば戯言に付き合わなくていいかもしれない。名案だ。学校中に流布しよう。
呆然と、まったりとした贅沢な時間が流れる。
百舌鳥にはボクしかいない。ならばボクには他に誰かいるのか。
恋人が存在はしている。彼女とならデパートに来たって、家で御飯を振舞ってもらうのだって、ベンチで話しこむのだって自然な事だ。何も怪しいことじゃない。
でもそれを選ばずにボクは百舌鳥を選んでいる。楽しいからではない。好きだからではない。
百舌鳥は何もしない。何も影響しようとしない。いや、できない。未熟だから。足りていないから。薄っぺらいから。
馬鹿にするつもりは無い。それどころか尊敬すらしている。
「百舌鳥って、本当に存在してんのかなって時々思う」
「……」
希薄だ。未明だ。薄弱だ。確定していない。もしかしたらボクが幻想で作り出したボクにだけ都合の良い存在かもしれない。
世迷言だ。詭弁だ。馬鹿らしい。
ボクの行動指針にそれは無い。恐らく、大多数がそうであろう。自分が何をしたくて何が欲しいのかをしっかりと見極めている人間なんてそういない。漠然と思っているだけだ。
決めた人間は疎まれる。だけどいずれ決めなくてはいけない。死ぬまでの時間の使い方を。
「あ、百舌鳥って失敗してないからだな」
傍目からすればこいつは失敗の連続なんだろう。けれど、そこは本質じゃない。百舌鳥をとらえてはいない。だって百舌鳥は失敗だなんて思っちゃいないだろうから。
どうでもいいんじゃない。周囲が全て嫌いなんじゃない。好きだけど、接し方が間違っている。だけどそれを変える気なんてないんだ。だから百舌鳥は失敗しない。
間違ってるけど、失敗じゃない。
それはとても気持ち悪い事だ。人は皆、間違いを犯して正解を学ぶ。幾度も壁を乗り越え、先を進む。それをまったくしていないのは、非常に奇妙だ。
逢魔が刻を過ぎてしばらく。ここに来て十五分が経過してやっと、百舌鳥は身を起こしてしっかりとした言葉を発した。
「うぉ」
「……?」
訝しげに百舌鳥を見た。胃下垂とは名ばかりの膨らんだお腹ではなく、百舌鳥の目線の先をボクも一緒に見た。
だからかもしれない。
「マジか」
淡白は美徳じゃない。けれど、いざという時に人間なんてそんなもんだ。
「おいおい喜先のぼっちゃん。どうしますかい」
「困ったな」
八階へ登る階段のちょうど真ん中に立っている金髪の女の子は、眠そうな眼でこちらを見下ろし、そばかすの浮かんだほっぺを膨らませていた。
「すんげーはっきり見えてんじゃん」
「そうねぇ。これ、いつまで待ち時間あるかな。どうするよ」
恐らく、あれが幽霊だろう。まぁ、万が一にも幽霊じゃなかったとして、ビキニバドガールがいたならそれは異常事態だろう。
不具合。馴染まない。
「何か言えよ、喜先。任した」
このクソ女。土壇場で逃げやがった。
「でもボクらに用があるかどうかなんて分からないし」
「がっつり見てんじゃんか。うわ、目が合った。絶対、幼い頃受けた性的虐待が原因だって。だから男のお前が行けって」
「決め付けんなよ。何にしろ挨拶くらいはしとかないとまずいか」
覚悟を決める。こっちを見ているのは確かなんだし、コミュニケーションに挨拶は肝心だ。
「ハ、ハロー」
しばらく無言が続いた。聞こえもしない相手の心音すら聞こえてきそうな静寂。
「外人にハローしか語彙ねぇのが信じらんねぇ。どけ、喜先」
どっこしょ、と百舌鳥はやっとベンチから立ち上がった。何をするのかと見ていれば、何の事は無い。立ち上がり、階段を上る。
「どもどーも」
手をごめんなすっての形にしたまま金髪少女の前に躍り出て、そのまま通過する。
「うぉ、やっぱすり抜けるんだ」
「どうしてそういう事が出来るんだ」
対して異国の幽霊は変わらず、眠そうにこちらを見ている。
やはりボクに対しての何か言い知れない興味でもあるのだろうか。ボクのコネクションに含まれない人種である事は確かだ。いや、もしかするとボクは帰国子女で、向こうに将来を約束した少女がいて、それが事故か病気かで亡くなり、思いは海を越えてここに来たのかも知れない。なんとロマンチック。
「何か、ボクに用なんですか?」
聞くのも馬鹿らしい。背後から日本には無い発達した乳房をもみしだこうとしている馬鹿は放っておいて、今何をしなければいけないのか。
しょうがなくボクも席を立つ。眼前に立ち、透けた向こうにいる百舌鳥を見ないようにしてあいまみえる。
「……」
何かを呟いた。小さくて聞き取れなかったが、確かに何かを口にした。
初めて見せた意思に注意深く、耳を近づける。
「すげー! 喜先、すげー! 乳が! 乳が暴力的だ!」
「ちょっと黙ってろ」
英語だろうか。耳を欹てても認識をしてくれない。レセプターが機能していない。発信された情報が受け取れない。
最後に、ぽつりと。
「……豆乳メロン」
それだけははっきり聞こえた。
「は?」
聞き返すも時既に遅し。幽霊は跡形も無く消え去り、バランスを崩した百舌鳥が胸に飛び込んできた。しっかりと感じる重みと、自分よりも低い体温の肌。柔らかくも固くも無い肉体の質感。サテン生地の奏でる衣擦れ。
「こういう時は叫ぶべきかい、少年」
「うるさい、離れろ。お前のせいで幽霊が何を言ったのかまったく聞き取れなかった」
とにもかくにも幽霊は存在した。あまり触れ合った感触は無いが、まぁコミュニケーション出来た方だろう。あれがホログラム映像で無ければ、明日から稲川淳二を怖がる事になりそうだ。
デパートの階段で抱き合う少年少女。
その内実はひどく遠い。
レゼイロ 3部 2話
あとがきサンカクまた見てシカク