「震災1周年」~花粉症と時差の中で~
3月11日午前5時、ロサンゼルスからの羽田便で早朝の東京に到着。飛行機の外はまだ暗く、東京湾の輪郭を夜景として感じ取るくらいだ。僕にとっては、東日本大震災が起きてから、初めての日本だ。羽田空港の新しくなった国際線は、2年前に日本へ来たときに視察していたものの、国際線で羽田空港に降り立つのは、成田空港がまだない中学生以来のことである。
早朝のせいか、羽田のせいか、入国検査はさほど混んでいなくてスムーズだ。到着ロビーでドルを日本円に両替して、タクシーに乗り込んだ。日曜日の早朝の都心は車もなく、夜が明けてまもない弱い日差しの中をスムーズにホテルまで僕は運ばれた。日本の関係者が前日から予約を入れておいてくれたので、そのままホテルへチェックインした。
最上階の部屋の大きな浴槽にお湯を張って、ゆっくりと目を閉じて身体を休めた。特別に用意された部屋には入浴剤も置いてあって、束の間の温泉気分の満喫だ。バスローブに身を包んで、冷たいシャンパンを飲みながらソファに身を沈めていると僕はいつしか深い眠りに落ちていた。
眠りから覚めてテレビをつけてみると、午後2時40分を過ぎている。ちょうど1年前の2011年3月11日、午後2時46分に東日本大震災は起きた。その時刻を迎える追悼番組だった。僕は、黙祷する多くの人たち、天皇、皇后陛下が映し出される映像を観た後、部屋を出た。
日曜日の皇居周辺は、平日のようなジョギングやウォーキングをする人もなく、僕はゆっくりと散策しながら、パリの真ん中にあるチュイルリー公園をよく歩いていた昔の日々を思い出していた。一人きりの時間がいけないのか、僕は目頭が熱くなり、なぜか涙と鼻水が止まらなくなってしまった。
月曜日からの打ち合わせのため、ニューヨークから敢えてロサンゼルスへ立ち寄り、8時間だけロサンゼルスに滞在した。ロサンゼルスで事前打ち合わせをしてから、羽田便で東京に到着した身体は、どうもニューヨーク時間を認識しているようだ。僕は皇居周辺の散策を切り上げてホテルへ戻った。
ホテルの部屋のテレビでは、引き続き震災1周年の関連番組が流れていた。僕は、被災者の人たちのこの1年間の闘いに胸を打たれながら、また止め処もなく涙と鼻水が流れるのを止められなかった。これは、皇居周辺を歩きながらパリのチュイルリー公園の過去を思い出しながらの反応と同じだ。
僕は、震災1周年の番組を観ながら感動している。久しぶりに日本へ来た僕の心は、すっかりと日本人の心でいっぱいだ。けれども、僕の身体はニューヨーク時間のまま日本の時間には適応せず、日本の花粉に対しては徹底的に抵抗しているようだ。僕の心と身体は、東日本大震災からちょうど1年経った日本で揺れている。
「震災1周年」~花粉症と時差の中で~