物足りない世界でした。

卒業式に出席したときに思いついた話です。卒業生がいない卒業式ってーあれ、これちょっと面白いかもみたなかんじで。
面白いと思ったのは私だけですけどね。

 物が足りない世界でした。

町中が常に何かが足りていない状態だった。たとえば、交差点を歩いてみればびっくり。信号には黄色しかついていなくて赤と青はどこかへ消えていた。また、昨日自分は在校生として卒業式に参加したのだがそこには肝心の卒業生がいなかった。そのおかげで卒業証書授与は一瞬にして終わってしまったが相変わらず校長やら来賓やらPTAの話は長かった。だけどやっぱり卒業生の合唱やお別れの言葉はカットされたので卒業式は早く終わってしまった。おかげで余った時間は自習になってしまったのである。
 と、こんなかんじに何かが足りないのだ。足りない足りないと慌てて赤青卒業生を探し回っても決して見つかることも無く諦めて通常通りに毎日を続けるしかないので自分達に求められることは「臨機応変」やら柔軟性やら、とにかくなんでも対応できるようにならないといけないのだ。ちなみに次の日、失踪した卒業生に出会った。卒業証書はどこでもらったのかは知らないが、とりあえず全員何事も無く元気なようだ。いったい何があったかわからない。
 ちなみに信号は赤と青がないのでその日1日は皆黄色信号で気をつけて走っていた。なので事故は1件しかおこらなかった。バイクが転倒したらしいがまあしょうがないだろう。1日1件くらい事故があっても不思議じゃない。ちなみに次の日になると信号はまた元通りになっている。
 足りないのならば補えばいい、と考えることが愚かなことだとは皆、物心つく前からしっていた。信号機がない、と発注してもまた別のどこかで何かが足りなくなるという不思議な現象が必ず起きるのだ。それは自分達が呼吸をするのと同じくらい当然のことなので別に驚きはしない。だがときどき思いもよらない物がなくなるので注意は必要だ。

 物が足りなくなっても、喪失感は感じない。
また明日には手元に戻っているからだ。だから1日我慢すればいい。宿題を忘れたときの言い訳にもできるしこの世界も不便ではない。もとからこういう世の中なので今更不便とは思わないのだけれど。それでもときどき、あるはずのものがないときに違和感を感じることはある。

「野田さんは?」

そう無意識に探してしまうときがある。だけれど誰に聞いても知らないと答える。ノダサンってなあに?と聞き返されることもある。そうすると自分はいつものことか、と納得し、なんでもないよと笑う。それをほぼ毎日繰り返す。虚しい?と聞かれると答えることができない。だけどそれがずっと続く毎日だからしょうがない。
 そして今日も問う。「野田さん知らない?」今日は同級生でも先生でもなく偶然見つけた天使に声をかけた。天使を見るのは初めてだった。人間が驚くからと服は着ていたが白い翼が人外だということを物語っていた。自分より少しだけ背の低い少年だったが自分よりもしっかりしてそうである。さすがは天使。今も仕事の途中だという。だが心優しい天使はお巡りさんのようなことも仕事としているようだった。

「野田さんはまだ来ないよ」
「じゃあ明日には戻ってくるってことですか?」
「明日も戻ってこないよ。まだまだ来ない。」

 そもそも野田さんって誰だっけ。そう聞くと天使は苦笑した。優しい笑顔だった。だけれどどこか悲しいものを見たような顔だった。最初はピンク色だった頬が真っ白の陶器みたいな肌になっていた。こんな石像いつか見たことがあるような気がする。翼の綺麗な天使像、美術館にでも飾ってありそうだった。そんな美しい天使はしゃがんで地面をポンポン、と叩いた。自分も真似して地面を叩いた。ポンポン。砂が手につく。地面の裏側はあんなに綺麗な青なのに裏側へ上ってしまうと案外ただの土である。

「野田さんはね、この下でまだ生きてるの」
「ねえ野田さんって誰なの?知ってるんでしょう?」
「うん。野田さんは明日も明後日も生きてる。だからもう少し辛抱しててね。」

ねえってば。そう言っても天使は苦笑しかしなかった。はやく会いたいな。そう思っても地面は固くて野田さんには会えそうになかった。でももう少し待てば、また会えるのだろうか。毎日毎日、常に何かが足りていないけれど幸せな毎日を送っている。だから待つくらいならどうってことないけれど…
 そこまで考えたとき、ふと違和感を感じた。

自分は毎日毎日幸せに暮らしているはずなんだけど、どうしてか120年より前のことは思い出せないのだ。まだまだ自分は若いのになぜだろうか。忘れっぽいおばあちゃんに似てしまったのだろうか。あれは老化現象ではなく素ってことだったのか。とりあえず野田さんのことが思い出せないということは最後に野田さんと会ったのは120年くらい前だったということ。120年間それだけ自分の毎日は幸せでそれと同時に真っ白だったということか。

「野田さん。」

野田さん。そう呟くと少しだけ胸の中、水の上に水彩絵の具をたらしたみたいに懐かしさがじわりと染みた気がした。


「またいつか会えるよ」

天使は寂しそうに笑った。彼女が人生を終えたらここに来るよ。と天使は遠まわしだけれど本当にことを教えてくれた。じゃあ、はやく会いたいなんて言っちゃ駄目だね、そう言うと天使は泣いた。優しい涙だった。大丈夫、自分も幸せだからゆっくり生きてね。そうどこかの野田さんに呟いた。するとやっぱり懐かしさが染みた。

『私のこと忘れないでね。』

そう棺に向かって泣く誰かを思い出したけれど、やっぱりほとんど忘れてしまった。


またいつか会おうね。空の上で待ってます。

そう、もう一度地面を、本物の世界の天井を撫でた。
けれどもどこか何かが足りなかった。

物が足りない世界でした。



end

物足りない世界でした。

さくっと読んで頂ければ幸いでしたがどうでしょうか。

物足りない世界でした。

前世の記憶って、生まれる瞬間に忘れてしまうんじゃなくて日に日に少しずつ忘れるのかもしれないって思ったんです。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-11

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