波打ち際のノスタルジア

思い出とともに生きる女の子のお話。

今年もまた、夏が来たようです。

今年もまた、夏が来たようです。
やっとの思いで大学へ入ったというのに、これまでの人生と大差ない、凡庸なレールの上をころころと進んでいる。その途中の幾つ目かの、どうでもいいような夏です。

外では頭のいい馬鹿な大学生たちが騒ぐ声が聞こえます。彼らはきっと、今年もまた暑いあついと文句を溢しながら、ろくに行動も起こさず、時間を食いつぶして行くのでしょう。かく言う私も例に漏れず、ろくに運動もしないで惰眠をむさぼる日々です。
ついて行けない講義の予習に勤しむわけでもなく。無慈悲な量のレポートに着手するわけでもなく。ただひたすらに長いだけの夏休みを、ただひたすらに浪費しています。ある意味で贅沢な私です。

こう蒸し暑い日に、ふと思い出されるのはヒマワリの咲く海辺にあった、今は亡き祖父母の家です。

その小さな庭の畑には、可愛らしいトマトや胡瓜の夏野菜。そしてひんやりと肌になじむ、傷だらけの縁側。小学生の頃の私は、あの縁側が大好きでした。正面にこそ何も見えませんが、右手には吸い込まれそうな青色をした海と、それを優しく受け止める白い砂浜がありました。

祖父が作った自慢の西瓜を頬張った日。祖母のかき氷にかかっていたグラナデン。みんなで花火をした記憶も、いじけて不貞寝をした記憶も、みんなあの縁側だったと記憶しています。

しかし少し不安です。思い出はいつか塗り替えられ、楽しかったことも、辛かったことも、曖昧に忘れてしまうのでしょうか。楽しかった縁側も、優しい砂浜も、背丈を競ったヒマワリも。4年前まで、彩溢れる日々は存在していたのに。薄れてしまうのは寂しいことです。

思い出に浸りながら、振り子のような心が私の歩みを遅らせます。どうやら私の方も4年間で変わってしまったようです。なんだか変な話をしてしまいましたね。

面倒なことは忘れましょう、昼寝でもして、また起きたら、楽しい話の続きをしますね。

波打ち際のノスタルジア

彼女は今日も、人生のレールをゆっくり進んでいます。

波打ち際のノスタルジア

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-29

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