やっぱり、ネコが…
室井の娘が小学生の頃、ペットショップの前で泣いてせがまれ、ゼニガメを飼うことになった。
五年の歳月が流れるうち、カメは想像をはるかに超えて大きくなった。小銭のように可愛らしかった面影はすでになく、ガツガツとエサを食べるとき以外は、一日中甲羅干しばかりしている。カメの世話をするのはいつしか室井の役目となり、娘は見向きもしなくなった。
まあ、どこの家庭でも、よくある話である。
中学生になった娘はゲームに夢中で、リアルなペットは卒業したものと思われた。
ところが。
ある日のこと、室井は娘から「これ、読んで」と手紙を渡された。
そこにはネコを飼いたいという思いと、ちゃんと面倒をみるという決意が綿々と綴られていた。
室井自身、ネコは嫌いではないのだが、いざ飼うとなると、その大変さは想像するに余りある。プチごみ屋敷化している家の中を片付け、ネコの生活スペースを確保するだけでも容易ではない。一応、妻に相談してみたが、絶対に反対と言われた。
室井は何度か娘の説得を試みた。
「家の中に閉じ込めたらさ、かえってネコの自由を奪うことになるんじゃないかなあ」
「違うの。そのままだと殺処分されるかもしれないネコの、里親になりたいの」
「うーん」
誰に似たのか、一歩も引かない。
困った室井は一計を案じた。
(とりあえずネコを飼う気分だけ味わえば、満足してくれるだろう)
ネットで調べ、最寄りの『ネコカフェ』なるものに行くことにしたのである。お目付け役として、妻にも同行してもらうよう頼んだ。
カーナビを頼りに、何度も道に迷いながら、ようやくその店を見つけた。エステート風の集合住宅の一階部分がカフェになっている。出迎えた小柄な女性が、店長と名乗った。
中に入るや否や、その店長に「すみません。手を消毒してください」と言われた。
(ちょっと失礼だな。おれたちはバイキン扱いかよ)
入ってすぐに待合室があり、右の壁際にケージに入れられたネコが二匹いた。一瞬、そのネコを出すのかと思ったが、反対側にあるガラスの引き戸の向こうに、数匹のネコがたむろしているのが見えた。
「チャージは御一人様一時間につき二千円。別に各自ワンドリンクをお頼みください。ネコちゃんのオヤツは三百円です」
予想外の大散財であった。
室井は、動揺を悟られないよう、店長に質問してみた。
「ケージに入っているネコたちは病気かい?」
「あ、いえ、この子達はまだ繁殖力があるので、一緒にできないんですよ」
「へえ」
「さあ、こちらにどうぞ」
左のガラス戸を開け、中に案内された。
十畳ほどのフローリングの部屋の中に、十匹程のネコがいた。てんでバラバラに、寝そべったり、歩き回ったり、遊具の上に座ったりしている。全然人間を怖がらないし、ほとんど興味もないようだ。
いや。
しばらくすると、一匹、また、一匹と室井たちのところに寄って来ては、体をこすりつけたり、膝に乗ってきたりするようになった。挨拶なのか、敵情視察なのか、よくわからない。
だが、まだ大部分のネコは我関せずという感じで、知らん顔をしていた。
やがて、一旦部屋の外に出ていた店長が戻って来た。
「さあ、ネコちゃんのオヤツをお持ちしましたよ」
要するにキャットフードである。
娘がネコたちに与え始めた。
すると、部屋中のネコが一斉に娘に寄って来た。
「ケンカしないで。仲良く食べるのよ」
うれしそうである。
だが、エサがなくなった途端、アッという間に元の状態に戻った。現金なこと、この上ない。
(まあ、ネコなんてこんなものさ。娘も少しは世知辛い現実を知っただろう)
散らばったネコたちを目で追っていると、一番人懐こかった一匹が、じっと窓の外を見つめているのに気が付いた。
(ほう、おまえ、外の世界に出てみたいんだな)
その時、室井は何故かしら、胸がキュッとなるのを感じた。
(あれっ、何なんだ、この感情は)
「あなた、そろそろ帰りましょうか」
そう妻に声をかけられて、室井は「ああ」とうなずいた。
帰りの車中、楽しげにネコの話をしている妻と娘に、思わず室井はこう言っていた。
「なあ、やっぱり、ネコ飼おうか」
(おわり)
やっぱり、ネコが…