慶喜の策略 後編
スマホゲーム「モンスターストライク」の二次創作物です。
「ごめんなさい」
声を聞いた途端、しまった、と徳川慶喜は思った。
「私、用事ができたから…帰るわね」
目の前のデッドヒートを放棄しばっと振り返ると、学園の生徒会長は既に踵を返し部屋から出ていった後であった。慌て、どたどたとオリガの後を追いかけるが、今までに見た事のない彼女の後ろ姿から漂う雰囲気に押され、慶喜の口が音を発しようとしない。
額に汗、顔に焦燥を浮かべ、リビングに戻る。残された面々は、一人いつもの不敵な笑みを消したフィリップ金光を除いた三人がそれぞれぽかん、といった顔をして呆けていた。
一体彼女の身に何があったのか、慶喜はそれを確かめる為に先ほどまでオリガがいたキッチンへと足を運ぶ。準備の途中で放置されたティーポットの側に、それはあった。その文面を読んでいくにつれ、自然と眉間に深い皺が寄り、歯に力がこもる。
噂には聞いていたが、まさかここまでとは。
呆れを通り越して怒りすら覚える。
自分に向けるべきその怒りは、矛先を変えた。
ばっ!と、慶喜はその緑髪を翻し、椅子に座っているオリガの想い人に顔を向ける。その何が何だか分からないような間抜け顏を見て、ギリィ、と歯を鳴らした。
「あなた…あなたって人はぁっ…!!」
慶喜はストライクに詰め寄り、未だ困惑顔の青年の胸ぐらを掴み上げた。彼女とて馬鹿ではない。自分の行動が理不尽な事くらい分かっている。
でも、止められない。
徳川慶喜は、その紅い感情の濁流を露わにする。
「慶喜」
と、そこで慶喜とは対照的と言っていいほどに落ち着き払った、凛としたよく響く声が聞こえた。
声の主のフィリップ金光は、険しい表情のまま慶喜の腕を掴み、目で訴えかける。
その吸い込まれるような蒼い双眸に何を見たのか、徳川慶喜はまるで風船の空気が抜けるように、急激にその激情の鳴りを潜めた。一歩引き、ぺこりとストライクに頭を下げ「ごめんなさい」と一言謝る。
「ストライク、悪いけど会長の元に」
「俺、ちょっとオリガのとこ行ってくる」
金光の言葉に被せるようにして、先ほどまでとは一変、真剣な顔つきへと変貌したストライクは端的にそう告げる。驚く金光をよそに、椅子から立ち上がり玄関へと踵を返した。
リビングから駆け出す直前、ストライクは未だ下を向いている徳川慶喜に声をかけようとしたが、その様子を見てそれも憚られた。
前髪に隠れたその表情は窺い知れず、小刻みに震える肩の先の小さな手は拳の形を作っている。
フローリングの床に水滴のようなものが落ちていたのは、果たして気のせいだったのか。
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今頃、紀伊たちは楽しく遊んでいるだろうか。
曇天の空の下、住宅街に佇むティーガーはゆったりと歩きながら、頭の隅でそんな事を考えていた。本来は自分もその輪に入っているハズだったのだが、少し、いやかなり予想外の事が起き中断せざるをえなかったのだ。
そしてその予想外とは。
「なんで来たの」
ティーガーの右にいる、二メートル弱程の塀の上を歩く銀色の長髪をした青年。数年前と同じようにゆったりとした紫紺の衣服の下に、細いが筋骨隆々とした体躯を隠した青年スラッシュは、朗らかな笑顔と共に答える。
「悪いか?」
「悪い、あなたがいたらろくな事起こらないもん」
「そいつぁ心外だな、俺は可愛い弟の顔を見に来ただけだってのによ」
「驚いた。弟なんかいるんだ」
「いるぜ、お前の身近によ」
「でもそれが理由じゃないでしょ」
驚きつつも一拍置き、ティーガーが鋭く研がれた刃のような声音をスラッシュに投げかける。
「それだけであなたが来るはずがない」
「いつからそんな察しよくなったんだか。あの頃の可愛いお前さんはどこに行ったんだっての」
「冗談でもよしてくれないかなあ。まぁどうせあのキノコから何か言われたんだろうけど」
「おいおい、師匠をキノコ呼ばわりするなよ…事実だろうけどよ」
「やっぱりあのキノコがあなたを呼んだんだね」
名目し、眉をわざとらしく八の字にして両の手を挙げ降参の意を示す。そんな動作をしている間にも不安定な足場での歩調は少しも危なげがなく、まるで普通にアスファルトの上を歩いているかのようだった。
「何を企んでるんだか知らないけど」
止まる。それに合わせて塀の上を悠々と歩いていたスラッシュも呼応するかのように止まった。
「紀伊ちゃんに手を出したらブチ殺す」
ぞわわわわっ!と、常人なら失禁するやもしれないほどの膨大な敵意がスラッシュを包み込む。そんな圧倒的重圧の中、青年は表情を崩さずに答えた。
「分かったよ」
「本当に…いや、確認するだけ無駄か」
「よく分かってるじゃないか」
これ以上何を言っても無駄だろう、ティーガーがそう悟ったと同時に、視界の端に揺れる美しい空色の髪が見えた。
ーーーーーオリガ?
それは間違いなく知り合いの生徒会長だった。
一体何があったのかと数瞬思案すると、ぽつ、ぽつと小降りの雨が降りはじめ、それはすぐさま大雨へと形を変える。
スラッシュに別れの声もかけずに、ティーガーは歩み去ってゆく。そして丁度スラッシュの視界から自身が消えるところで、ダッ!と脱兎のごとく駆け出した。
いつものティーガーなら見過ごしていただろう。
だが、感情をそのまま表しているかのように乱雑に揺れる髪の下にちらりと見えた表情は。
どこか昔の自分のようで、淡く脆く。
今にも消えてしまいそうだったから。
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降りしきる豪雨に身を任せてからどれくらい時間が経ったのだろう。何十分だか何時間だかに感じたその時間は、案外数分も経っていないのかもしれない。
だが、短めに切り揃えられた髪から水を滴らせる少女にとっては、そんな時間が永遠に感じられる。とめどなく空から溢れる雨粒はまるで彼女の精神のように冷え切り、皮肉な同調を与えていた。
ーーー思えば自分は、何故ここにいるのだろう。
居ても立ってもいられずに感情の赴くまま走ってきてしまったが、今頃ストライク達は混乱しているのではないか。自分の行動を振り返って見てみれば、なかなかに理不尽かと我ながら思う。
本当に自分勝手。
振り返りが後悔を産み、後悔が自己嫌悪を呼ぶ負のスパイラルに、雨に濡れた少女は囚われていた。
だが、そんな劣情の渦に巻き込まれていながらも、少女の表情は自己嫌悪に顔を歪めるわけでもなく、どこか冷ややかとしていた。曇天の空を仰ぎ見るその目は、雨に濡れることによって艶やかな魅力を醸し出しているその前髪に隠れて見えない。
ふと、そんなオリガの口角が、ほんの少しだけ歪んだかのように見えた。
それも、上に。
明確に訪れ始めている変貌に、それを遠くから視認した人物はギリィ、と奥歯を噛み締める。そしてその人物は今すぐ駆けたい衝動を抑えつけ、偶然居合わせたかのようにオリガの前に躍り出た。
「風邪引くよ」
抑揚の無い声で言い放つは、軍帽を目深に被っている少女、ティーガー。深い群青色の長髪は雨に濡れ、吸い込まれるような蒼さを滲ませていた。
振り返るオリガ。紫紺の瞳が交差し、二者は言葉を介さずとも互いの意図を分かち合う。
「私はあなたみたいに変われない。強くない」
一拍置き、紫の瞳は続ける。
「変われたと思ってるだけだった」
それ以上は何も言うことはないとばかりに、オリガは俯いて言葉を発しようとしない。そんな少女に対し、ティーガーはただ一瞥をくれてやるだけだった。
その瞳に、憐憫の情など欠片も無いが。
「あなたの氷を溶かすのは私じゃない」
オリガが言葉の意味を解しているかどうかすら確認せずに、ティーガーは己の口を進める。
彼女なら分かる、その確かな信頼の元。
「晒け出せ」
表情を変えないまま、口調は厳しく告げるティーガー。その言葉は、どこか不可視の重圧を纏い、そして同時にオリガの身を竦ませる言葉でもあった。
びくりと一瞬震えたきり何も反応を見せないオリガに、少女は群青色の髪を翻した。
「…どっちだよ、強いのは」
今だ俯く少女に、聞こえるか聞こえないかくらいの声の呟きを残し、彼女は去った。
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ティーガーが去ってからもオリガは俯く。
まるで何かから目を逸らすかのように。
それは果たして頭上から降りしきる雨だろうか。
それとも、心の内から出ようともがく感情だろうか。
それは当人しか知り得ない事なのだろう。いや、その当人さえ分かっていないのかもしれない。自らが何に苛まれているかも先程のティーガーの来訪で有耶無耶になってしまった。
意識が、精神が。
悪い方へと向かっていくのが分かる。
そしてそれに抗わない自分も。
何者かが手招きしている混沌へと自らの精神を投じようとした、その時だった。
「………リガ」
水が跳ねる音と共に、一つの声が聞こえた。
たったったっ、と連続する足音はだんだんと大きくなってゆく。
なんで、まさか、そんな。
今の自分は見られたくない、絶対に見せたくない。
「オリガ!!!」
なのに、何故私の胸は、こんなに弾んでいるの?
こんなにも、彼の来訪を喜んでいるの?
「……こ、」
来ないで。そう叫んだ。
普段全くと言っていい程声を張り上げないオリガの大声に、ツンツン頭の少年はたじろぐ。だがその顔はいつもの如く何がなんだか分からないと言った体ではなく、辛そうな。顔に陰りが差す、そんな表情だった。
躊躇いつつも少年はオリガに一歩、また一歩と歩み寄ってゆく。
その度に跳ねる鼓動。震える身体。
今すぐにでも逃げ出したいのに、少年の真っ直ぐな目に見据えられ少女は動けない。
「………いや」
目の焦点が合わなくなり、焦燥と混乱が全身を支配する。依然、身体の震えは止まらない。
見ないで、見ないで、見ないで。
醜い私をあなたの視界に入れたくない。
純粋で光り輝くあなたに、澱んだ私を混ぜたくない。
私の憧憬を。
汚したくない。
「………嫌ぁっ!!!」
身を悶えさせ、首を折り両手で頭を包む。ぱきり、ぱきりと音を立て、湿っていたオリガの濡れ髪に霜が降りてゆく。震えと共に揺らいでいた髪先が白く固まり、水色の髪と相まって美しいグラデーションを描いていた。少年は少女の変化を察したのか、あからさまに焦燥した顔を浮かべる。
季節外れの乾いた冷気が周囲に蔓延し、アスファルトの地面が高い音を立てながら透明な膜を覆ってゆく。もはやオリガに何故自らの心がこんなにも混沌としているのかは分からない。ただどうしようもなく真っ直ぐな、呆れ返る程に一途な、ぐちゃぐちゃにこんがらがった少女がそこに居た。
ひと撫でするだけで根元から崩壊してしまいそうなその少女を、黒髪の少年は。
ストライクは。
発する冷気で自らの掌が凍りつくのも構わず、オリガの両の肩に手を置いた。近まる距離に、少女はびくっと身体を強ばらせる。暴走寸前の冷気は止まったが、俄然少女の身体はまるで小動物のようにカタカタと小刻みに震えていた。
少年の目下、数十センチにある俯かせたままのその後頭部からは、普段の凛とした一面は微塵も見られず、どこか幼げに見えて。
「オリガ」
幼子を宥めるかのような声音で、ストライクは再度、少女の名前を呼びかける。ストライクが見つめる先にある少女の角付きの小さな頭は、何かを拒絶するかのようにふるふると、ゆっくりと横に振れていた。
「…オリガ、あのな」
そう呟くと、肩に当てていた両の手を離し、少年はオリガの頬をその掌で包み込み、くいっと彼女を振り向かせた。慈しむような、だがどこか少しやるせなさの淀んだ光を灯したストライクの優しい双眸が、胡乱な目をした少女をやんわりと射抜く。
当てられた両の手は、冷たかったが、何よりも暖かった。
想い人の急な行動にオリガの思考が一瞬停止した。その瞬間、ストライクの言葉が耳の中に這入ってくる。
「俺たち、友達だろ」
刹那、オリガの目が見開かれた。口が間抜けにも半開きになり、「……ぁ…」という吐息にも似た、極小の呟きがその艶やかな唇から漏れる。
冷えていた身体が、精神が、かっと熱くなる。
漫画やアニメのお約束なら怒るところなのだろう。友達止まり、などと落ち込んだり愕然とするところなのだろう。
だが、他人との関連性を全くと言っていいほど口にしないこの男を好いた蒼髪の少女には、そのたった一言が途轍もなく、途方もなく嬉しかった。
『クラスメート』『同学年』などといった社会的な繋がりではなく、『知り合い』といった広い幅での関連性でもない。『友達』という、彼と自分だけの、個人と個人との確かなつながり。
それが彼の口から発せれた事が、嬉しかった。
虚ろな双眸は限界まで見開かれ、その薄紫の美しい輝きを蘇らせている。元来色白な肌を更に蒼白にしていた数秒前の顔は、影も形も残っていなかった。
「……そう………とも、だち………」
再確認するように、少女は反芻する。夢でないように、幻想でないようにと、願う。
そして、それは現実だ。紛れも無い、彼女自身の。
少女の頬はいつもの羞恥とはまた違う桜色にうっすら染まり、俯いたままの視線は何か大切なものを慈しむように優しげな光を帯びていた。そんな少女の変化を知ってか知らずか、ストライクが話しかける。
「ああ、友達だ…俺は少なくともそう思ってる」
だから、と少年は続けた。
「何かあるなら、言ってくれよ。力になりたい」
真摯な瞳で、ストライクはオリガを見つめる。
頰に当てられた手は肩に戻されており、何も知らない人が見たとすれば、二人の距離も相まって、接吻をする男女にしか見えなかったかもしれない。
少年の双眸は、まるで白状しないとこの手を離さない、とまで言わんばかりの迫力だった。
少し逡巡し、観念したようにオリガは告げた。
「…オルガとあなたが同じベッドの中に居るのが気に食わなかっただけよ」
本心を悟られぬよう、言葉を選んで告げる。
先ほどまでの陰鬱とした空気が綺麗さっぱり消えている自分にオリガは苦笑した。その笑みに自嘲は無く、ただただ目の前の人物への温かな感情が浮かび上がっていた。
目の前の少年は少しばつが悪そうな顔をしてから、「他は…何かないのか?」と遠慮がちに訊いてくる。少し考える素振りを見せたオリガは、目を細め、唇を軽くへの字に結ぶ。だんだんと紅潮していく頬とそのなんとも言えない表情に、ストライクは少しの間、確かに目を奪われた。
「…寒いわ」
「へ?」
その一言でハッとなったストライクは、オリガの呟きに素っ頓狂な返事をする。どうやらオリガは少年の僅かな心の変化を見逃したようで、何かを躊躇うかのように一瞬、目を逸らす。
そして意を決したように、ストライクの腕の中に、自らの身体を躍り込ませた。
「なっ!?おり、が……」
「寒いから、暖めて」
きゅ、とオリガはストライクに寄り添う。
高まる鼓動を抑えるように、少し握らせた手を自らの胸に当て、少年の顔に胸を埋めた。いつものように、真っ赤になっているであろう表情を隠すために。
だが、幸か不幸か、その行動が。
少年の顔も赤く染まっていて、なんとも言えない表情をしていた事に、少女は気付けなかった。
少し躊躇いがちに、オリガの背中に手が回される。
慣れないその感触に少女は驚き、目を見開くが、やがてその表情はうっすらとした微笑みに変わってゆく。
気づけば、雨はもう上がっていた。
天からの涙が鳴りをひそめたのがいつだったのかは、少年にも少女にも分からなかった。
慶喜の策略 後編
どうも管理人です!慶喜の策略、終わりましたね!くぅ〜疲れました!まぁ見てもらえれば分かる通りストライクさんに変化が訪れてますねええ。どう進展するか楽しみですね!ところで裏設定として雨が降ってるじゃないですか、季節は別に上着を着るほど暑くない訳で、後は分かるな?