The desire is not wrong.

ラーメンが食べたくなる話です。

 携帯を開くと、表示された時間は午後10時をまわっていた。私は少し迷ったあと、家に帰るのをやめて、すぐそばにあったラーメン屋の入口へと向かう。
 横に引くタイプの戸を開けると、ビー玉が耳に流れ込んできそうな、ガラガラという独特な音がした。昔ながらのラーメン屋というのは、決まってこういう感じの入口な気がする。店に足を踏み入れると同時に、思わず眉間にしわをよせてしまう臭いが、私の鼻をついた。
 以前、彼氏から「ホントに美味いとんこつラーメン屋ってのは、臭いが違うんだ。なんていうか、ウンコくさいの。ウンコくさければくさいほど、そこのラーメンは美味いって証。これ、マジだって」と言われたことを思い出し、ここはどうやら当たりでよさそうだ、と私は思う。初めて入ってみたにも関わらず、美味いラーメン屋にたどり着くとは流石だ、などとまだ食べてもいないのに私は一人で満足する。

 店内には、小太りな男とスーツを着た中年男性が、カウンターの座席に一つ間隔を空けて座っており、奥にある座敷には大学生くらいの男二人組がいた。らっしゃい、と威勢の良い声をあげる店主は、私の姿を見て少し驚く。それもそうだろう。私はまだ制服を着ている。客もそれぞれが私の方を一瞥したあと、何かを確認するように、もう一度私の姿を見る。何故、女子高生がこんなラーメン屋に一人来ているのか、不思議でならないといった様子だ。
 私は彼らの確認作業を無視し、一番端のカウンター席へと座る。

「何にしやしょう?」と店主が、コップ水を私に届けるついでに声をかけてきたので、私は「とんこつのめんかたこってり」と言ってみた。あいよっと返事をし、店主は慌ただしく調理にとりかかる。私はすんなりと注文が済んだことに、少し安心する。そして、本当にめんかたこってりで通用するんだな、と感心した。牛丼屋でのつゆだくみたいなものなのだろうか。
 手際よく準備を進めていた店主が、作業を続けながら「トッピングは何にしやす?」と聞いてきたので、私は壁に貼ってあるメニューに素早く目を通し、大人気と書かれた「おまかせトッピング」 を選ぶ。するとまた店主があいよっ、と言って調理に戻る。
おまかせってなんだろう。普通、トッピングって「お好み」でしょ、と思ったけれど、人気らしいからまあいいか。
 
 私はラーメンが出来上がるまで、水をちびちびと飲む。ちらりと横を見ると、小太りな男が奇妙なものを見るように私の方を見ている。私と目が合うと、その男はさもバツが悪そうに、それまで読んでいた少年漫画誌へと目を戻す。
 なんだよ、と私は思う。別に女が一人でラーメン屋に来たっていいじゃんか。女子高生だけどラーメン食いたいし金は持ってんだからいいじゃんか、と頭の中でその男に言い放ったつもりになる。現実は特に気にもせず、私はちびちびと水を飲む。
 やはり女が一人でラーメン屋、ってのはおかしいのだろうか。絶対に女一人でなんてラーメン屋と牛丼屋には入れない、なんてお姉ちゃんも言ってたけど、こうやってずかずかと入店してしかもめんかたこってりなんて通な雰囲気で注文しちゃってる私は女じゃないということなのだろうか。逆に言わせてもらえば、女は誰かと一緒じゃなきゃラーメンや牛丼は食べちゃいけないってことなのだろうか。そんなのおかしい。理不尽だ。そんなことを初めに提言した人がもし目の前にいるならば、私はとにかく今、口に含んでいる水をそいつの顔にぶちまけてやりたい。アホ言うな、と。

 アホ言うな、で思い出したけれど、さっきまで私は友達のトモコとファミレスにいて、その場の自分の気持ちをどういった言葉で表現したらいいのか迷っていたのだが、その答えが「アホ言うな」で正しいのだと、ようやく気付いた。
 トモコが大量にとってきたサラダバーを食べ始めた後、私に向かって「ねえ、ユカってヤったことあるの?気持ちいい?」なんていきなり聞いてくるもんだから、とりあえず「うん」と答えた。
「えー、うっそー、マジー?」と、トモコは目を見開き、両手で口を覆った。そして、「初体験はいつ?そん時痛かった?」と聞いてきた。
 私は、一体何が聞きたいのだろうと思いつつ、「中3かな。別に痛くなかった。多分オナニーしすぎてたんだと思う。あ、血は出たけど」と答える。すると、また「マジー?」とトモコはすっとんきょうな声を上げたのだ。

 そうこうしているうちに、「へいお待ち」とラーメンが目の前にくる。早いな、と私は思う。まぁ他の客には全て注文が届いていたみたいだし、私の一食分作るくらい造作もないのだろう。むしろお腹が空いていた私にとっては、都合のいいことだ。
 器からあふれ出そうなほどに盛られたもやしで、全く麺が見えない。トッピングってもやしだけかよ、と私は思わず店主に言いそうになるが、濃厚で芳醇な香りが私の食欲を刺激するので、許してやるとする。
 箸を割ると、私はまず大量のもやしから片付けていく。しゃきしゃきしゃきしゃき。しゃきしゃきしゃきしゃき。一番上にある部分は味がしない。しゃきしゃきしゃきしゃき。しゃきしゃきしゃきしゃき。

 しゃきしゃきしゃきしゃきとサラダバーのキュウリを食べながら、「ユカはやることやってるんだね」とトモコは言った。
「私ももう高2だし。ていうか、みんなもヤってるでしょ。メグとかサチとか」と私は返す。
「や、周りにはまだいないって。ユカだけだよ、アタシが知ってる人の中でヤったことあるって言ったの。ユカってマジすごいね」
「そんな事ないってば。みんな隠してるだけなんじゃないの?」
「でもサチはやり方すら知らないって言ってたよ」
「ええ?保健体育で習うでしょ。トモコはどうなのさ?」
「アタシはキモくて男の体とか絵でも見たくないよ」
 どんだけだよ、と私は思った。

 一体どんだけ、このもやしは盛られているのだろうか。私はなんとかもやしをよけて麺を掘り出そうと試みているのだが、全然麺が見えてこない。早くしないと汁が無くなってしまうというのに。ええい、と私は一気にもやしを食べる。もやしを大量に箸で掴み、口を大きく開けて中へと放りこむ。少し味がしてきた。もう少しかもしれない。がんばれ、私。
 もやしをだいぶ食べ続けていると、その中にひょっこりと煮卵が見えてきた。私はもやしを食べる速度を上げる。そして、ほぼ全てのもやしを食べ終えたあと、まだ汁がきちんと残っていることに安堵した。
 それも束の間だった。そこに現れたのは海苔3枚と煮卵2個と、ウィンナーだった。どうやらこれが「おまかせトッピング」の正体らしい。ウィンナーに煮卵2個に海苔。これはどう見ても、男のアレにしか見えない。女一人で来た私に対しての、店主の嫌がらせか何かだろうか、と思ったけれど、店主を見ると私の様子を見てニヤニヤしているわけでもない。本当にこれがおまかせトッピングらしい。

「男の人のあそこってさ、結構グロテスクなんでしょ?アタシまだ教科書の絵でしか見たことないけど」トモコはサラダバーを食べ終えて、言う。
「いや、最初はそう思うかもしんないけどさ、意外とカワイイもんだよ。凄いの持ってる人もいたりするらしいけど、私の彼氏は普通だったかな」まあ私の初体験は彼氏とは呼べない相手だったが。
「そうなんだ。よくさぁ、ほら。男子が言ってきたりするじゃん。俺のヤシの木とかなんとかって」
「うーん。例えとしては、ウィンナーの方が正しいかもしれないけど」
「ウィンナー?」そう言ってキャッキャと弾んだあと、トモコは顔を赤らめた。
「で、で、そのウィンナーはどうするの?」

 カリュッ、と心地良い音を響かせて、私はウィンナーを噛む。人気の秘密がわかった。これは美味しい。ほどよい肉感と肉汁の量が、私の舌を刺激する。煮卵をひと口ほおばると、とても甘い味が広がる。たぶん隠し味にお酒を使っているのか、またそれが美味しさを引き立てているのがわかった。
 そして私はようやく巡り逢えた麺をすする。これがまた絶妙な固さで、あつあつの汁にもまれてほどよく味がからんでいる。スープもこってりとしているが脂っぽくない。あれだけ多くのもやしを食べていた私だったけれど、その美味しさに箸を進める速度を上げてしまう。肌がじんわりと汗ばむ。
 ちらりと横を見ると、小太りな男とスーツの男が、私の食いっぷりに注目している。でも私は気にしない。髪をかきあげ、勢いよく麺をすすっていく。

「まあ、舐めたりつまんだり、そんな感じ?最終的には入れるんだけど」と私は若干興奮ぎみのトモコに言う。
「うわぁー、なんか聞いてて恥ずかしくなってきた」じゃあ聞くなよ、と私は口を尖らせる。
「トモコ、こんなこと聞いてどうしたの?興味でもあるの?」水の入ったコップに口をつけながら、私はトモコに聞いてみる。
「やっぱりね、将来大好きな人とそういうことする時、色々と知らなかったら困るじゃん?こういうこと、ユカなら知ってるかなって思ったし、ユカにしか言えなかったんだよね」
「え?もしかしてトモコ、結婚するまでセックスしないつもりなの?」
「そうだよ?だってそれが普通でしょ?別に好きでもない人とそんな事、絶対できないよ」
「できないって言ったって、ふいに、誰でもいいから一度くらいヤってみたいな、って思ったりしたことないの?」
「えー、ないよそんなこと。そんな風に考えるのって、男子だけでしょ」
 トモコがそう言うのを聞いて、私はごくん、と水を飲んだ。

 タン、と私は勢いよくドンブリを置く。スープも全て飲み干した。ヤバいヤバい、口元がテカテカになっているはずだ。ちゃんとティッシュで拭いておかないと。
口を拭いている私を見て、店主が嬉しそうに微笑んでいる。私のような女子高生がラーメンをたいらげたことが、そんなに満足だったのだろうか。まあでもすごく美味しかったし、このラーメンはきっと誰でもペロリといけちゃうはず。それくらい、本当に美味しかった。
 ごちそうさま、と言って私は店主に料金を払い、店を出る。いいお店を見つけてしまった。今度は一人で来れないであろうお姉ちゃんも誘って、また来よう。

 それにしても、と私は思う。トモコの言ってる事は間違っていると私は思うのだけれど、私が言っていることも正しいのかどうかわからない。しかし、あの時言うべき答えは、「アホ言うな」だったのだ。
あの後、私はトモコに何も言わなかったが、今になってそれが少し後悔に近い形でフラッシュバックしてきた。
 後悔といえば、こんな夜に私はめんかたこってりのとんこつラーメンをたいらげてしまった。太ってしまうかもしれない。いや、絶対太る。でも、メチャクチャお腹空いてたし、どうしてもラーメンが食べたかったんだし、まあいいか。明日からの部活、頑張らなきゃいけないな。
 若い私は、性欲も食欲も旺盛なのだ。うん、これくらいがちょうどいいんだ。

The desire is not wrong.

ラーメン、食べたくなりましたか?

The desire is not wrong.

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-11

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