お隣さんはバジリスク!? ~終章

お隣さんはバジリスク。終章まで一気に載せます。

第四章 天才バジリスク

 午後最初の授業、五限目。
(よりにもよって…………)
 その科目名に、カケルは思わずため息をついた。昔はともかく現在の彼は笑うことも少ないがあからさまに欝な表情をすることも少ない。だからこれは非常に珍しいと言えた。
 科目名、『物質構成学:理論』。
 その名の通り、物質を一から構成する、魔術の基礎を固めるための授業だ。高校一年の段階では複数の元素を組み合わせた、化合物の生成はまだ難しいので(もちろん、これを簡単に行う人間もいる)、単一元素―――主に金属の構成を行う。
 もっとも、科目名にあるように、これは『理論』であり、平たく言えば座学のはずなのだが……。
「よーし、全員準備できたな? これから全員に物質の構成を行ってもらう!」
 教壇に立ったアマツが全員を見渡しながらそう宣言した。
 その言葉にカケルは再びため息をついた。
 ちゃっかりと隣に座っているレオナはそんなカケルの様子に気づいたのか、「?」と首をかしげている。このレオナ、どうも目を閉じていても聴覚や触覚、空間認識能力によってほとんど支障ないほど周りの状況をつかめるらしい。
 もっとも、直接モノを見るわけではないので具体的な映像を頭に思い浮かべるのは無理だろう。だからため息からカケルの今の様子を推測したのだろう。
「さて、お前らも知っているように、この物質の構成―――特に単一元素による物質の構成は魔術の根幹を支える基礎の基礎、これができなければ話にならないというレベルだ。全員、中等部の卒業試験でこれは行ったな?」
 アマツの言葉に、カケル以外の全員がうなずく。………なぜかレオナもうなずいていた。言葉の意味はよくわからなかったらしいが、雰囲気でうなずいたのだろう。
「今日の授業は理論だが………そんなつまらんもの、私は教える気はさらさらない」
 実戦第一だ! とアマツは教科書をぽい、と投げ捨てた。………と、思ったら次の瞬間には教科書が消え去り、替りにハンディカメラのような機械を取り出した。
(教科書をゼロ原子の段階まで分解………そのあと機械を構成しやがった………)
 その技量に、カケルは目を細め、ほかの生徒は驚嘆の声を上げる。
 それぐらい、アマツが片手間で行ったことは驚くべきことだった。
 化合物の構成は難易度が高い。教科書であればそれも極端な話、紙とインクだけで済むのだが、機械に再構成するとなるとさらに別次元だ。使われている金属も多種多様だし、細かい部品や構造も存在する。つまり、アマツの頭の中には構成した機械の構造が完璧に記憶してあるということだ。
「……………………」
 やはり、アマツは優秀な魔術師だった。いや、教師なので魔導師か。
 しかし、それが面白くないカケルはどうしても不機嫌に黙り込んでしまう。
「へぇえ………今の魔術ってあんなのなんだ………」
 レオナもレオナでほかの生徒と同様、感心しているようだった。
 アマツは生徒の反応に満足したのか、悦に入った顔をする。
「ふふん。そうだろう、そうだろう。私はすごいだろう。ちなみにこれは、クオークやレプトンといったフェルミ粒子の動きを観察することのできる魔導器で、これでお前たちの魔術の実力を測らせてもらう。各分子、粒子の動きに無駄がなく、構成が素早ければ素早いほど高得点だ。液体を構成するものはその分子運動の制御力も見るからな。そう思っておけ」
 クオークにレプトンというのはというのは素粒子の名前であり、それぞれさらに細分化される。
 フェルミ粒子というのは物質を構成している素粒子のことで、力を媒介する素粒子のことをボソン粒子という。このボソン粒子にも種類があり、ゲージ粒子を筆頭に光子や重力子、グルーオン(強い力)、ウィークボソン(弱い力)などがある。
 魔術の力を用いてそれらを観察しやすくしたのが、今アマツがもっている魔導器である。このように、科学と魔術が融合して生み出された機械も少なくない。何しろ魔術は極めることができれば未知の物質を構成することが可能なのだ。理論上は可能でも実現不可能だったテクノロジーも、魔術の力を利用すれば………、というわけだ。
 しかし、カケルはこの二つの勢力に疑問を持っている。
 きっかけは、レオナの言葉だ。
 『現代の魔法と、古代の魔術は違う』………かもしれない、ということ。
(今の魔術はどちらかと言えば科学を突き詰めた形と言ってもいい………物質の構成なども、確かに人の領域を超えてはいるが、科学の原則には従っている。だからこそ、科学との協力がこれほど簡単なわけだ…………)
 カケルの目が、細められる。
 何か、とてつもなく小さな疑念が、しかし強く引っかかってそれがカケルを苛立たせる。
(古代魔術と現代魔法は違う………だとすれば、古代魔術はどこへ行った? 今の科学と魔術が敵対している理由は? …………)
 考えれば考えるほど、カケルは何か人間臭い、薄暗い悪意を感じてならなかった。現代魔法と現代科学は似ている。似ているからこそ、簡単に協力して共同開発品を開発できる。なのになぜ対立している? 今思えばその根本的理由をカケルは知らなかった。
(………科学と魔術の対立………一見協力してもよさそうなのに………その理由は? ……いや、まさか………)
 ある考えに思い当たり、カケルはますます深く思考の海に沈む。
 だが、もう少しで何かを知ろうという時に、声がかけられた。
「―――間宮、お前の番だぞ」
 それは、カケルから見てレオナとは別の、もう一人の隣の席の人物―――椿リウだった。
 どうやら、物質の構成の実技の順番が来ていたようだった。
 見れば、リウの机の上には純金が構成されていた。
(まじか………)
 その事実にもカケルは少し驚いた。クラスメイトもすこし興奮した様子でざわついている。
「賢者の石なしで作れるんだ………」
 レオナも驚いているが、カケルたちが驚いているのはそういうことではなかった(もちろん、彼女につぶやきも大いに気になるものではあったが)。
 金(Au)。金属の中でもかなり安定している単体の元素。金属としてのそれは展性と延性に富んだ遷移金属であり、構造がかなり複雑なので難易度は高い。
 しかもリウが作り出しているのは金イオンではなく金だ。構造の複雑なものはともすればイオンになりがちだ。金イオンは強力な酸化力を持っている。
 授業という一発勝負で安定した金を作り出すことからも、かなり自信があるのだろう。
「ふむ………同位体も一切構成されていない………なかなかだ。よくやった椿」
 機材のモニターを確認しながらアマツも賞賛する。
「ありがとうございます!」
 アマツに褒められるとリウは顔を赤くしながら本当にうれしそうな表情になった。
(………まさかこいつ、姉さ……じゃないアマツが好きなのか? 物好きな奴………)
 白けた目で見ていると、リウが浮かれた顔で促してきた。
「ほら、カケル! お前も早くやれよ!」
「誰が名前で呼んでいいと言った」
 カケルは冷たい一瞥をくれたが、浮かれたリウはまったく気に介することがなかった。
「そら。やってみろ、間宮」
 アマツがカケルの机の前にやってきてどこか小馬鹿にした笑みを浮かべて促す。
「…………はい」
 正直、アマツ相手に敬語を使うなどはらわたが煮えくり返ったが、今、カケルは生徒、アマツは教師。さらに場所は教室。さすがに立場をわきまえなければいけない。
「………わくわく」
 レオナなどは目を開けていないにもかかわらず光が差して見えるほど顔を輝かせて心待ちにしていた。
 どうやら、それはレオナだけではないらしく、ほかのクラスメイトも楽しみにしているようだ。良くも悪くもカケルは特化項目A1レベル。注目されていた。
「よし、やれ」
 やれ―――と言われても、実はカケルにできることはごくごく限られている。カケルはその道に関してはもはや世界トップクラスだが、それ以外に関して最底辺だ。
(仕方ない―――)
 カケルは一つ息をつくと、ゼロ原子を操作、各素粒子を構成し、それらを配置。原子を構成してそれを組み合わせることである物質を形成する。
 そうして出来上がったのは―――。
「…………グラファイト。炭素(C)か。まあ、構成、安定、誤差もない。余分なイオンも存在しない。それ自体の出来栄えはなかなかだが―――」
 アマツがはっきりとしない顔をするのも無理はない。そして、それは他のクラスメイトも同様のようだった。唯一―――いや、唯二―――レオナはパチパチとむしろ恥ずかしくなるような拍手を送り、リウはどういうわけか真剣な顔をしていた。
 がっかりされても仕方ないと思う。普通、単一元素による単体の構成であれば金属を構成するのが常識であり、それ以外では高得点は望めない。しかもCの中でも比較的簡単に構成できるグラファイト(黒鉛)である。
「なんだよ………がっかりだぜ………」
「せめて同じ炭素でもカーボンナノチューブか構成難易度狙いでフラーレンぐらい構成しろよ……」
 あちこちから批判や失望の声が聞こえるが、カケルは気にしなかった。授業は、単位さえとることができればいいのだ。同じ同素体でも無定形炭素でなかっただけ自分では上出来だと思う。
 そう言うわけでカケルは背もたれに思いっきり体重をかけてだらけてみる。
 アマツは納得していないような顔をしていたが、一つ息をついて、口を開いた。
「………まあいい。基準はクリアしているからな。次は………お、婚約者か」
 その言葉にカケルは危うく椅子から転げ落ちるところだった。………いや、確かに婚約者ということにしてはいるのだが、やはり免疫がないのでいちいち反応してしまう。
「まあ、そんなに気にしなくていいぞ。単なる体験だからな。基礎知識はあるのか?」
「はい! 大丈夫です!」
 アマツの言葉に、元気よく答えるレオナ。
(ほんと、目を開けられないのに元気だよな………)
 その姿を眩しそうに見つめるカケル。ちなみに目のことはみんなが暗黙の了解として触れないことにしたらしい。カケルとしては余計なことを言う必要が無くなったので感謝感謝だ。
「いい返事だ。やってみろ」
「はい! ………………」
 と、返事をしたレオナは何を思ったのか席を立ってカケルに近づいた。
「…………どうした?」
 少し心配しながら問いかけたカケルだが、レオナは意外な答えを返した。
「その炭借りていい?」
 そう言って、カケルの机の上にあるグラファイトを指さす。
 その意図が分からず、カケルはとりあえずうなずいた。
「あ、ああ………別にかまわないけど………」
「ありがとっ」
 レオナはそう言ってにっこり笑うと、グラファイトを手にとって自分の机の上に置いた。
 そして、何を思ったのか机の上にグラファイトの破片を使って何やら絵を描き始めた。グラファイトは鉛筆などに使用されるので、文字を書くことはできるが………。
 カケル、そしてアマツも含め、クラス全員が何事かとそれを見守る。
「………ケーキみたいな重層構造をしているから弱いんだから………それをもっと強くするには……あの金属をイメージして………」
 そんな意味の分からない言葉をつぶやきながらレオナは絵を描き続ける。と、その絵を見てカケルは一人戦慄する。
(魔法陣………っ!)
 レオナの描いているものは、魔法陣だった。それも恐ろしく複雑で、おそらく描いている本人にしか意味がわからないだろう。
「よし!」
 描き終わったレオナはグラファイトの残りをその中央に置くと、何かに集中するように真剣な顔になって両手をかざす。
「…………行きます!」
 そしてカケルたちは―――目を見張った・
 カケルの構成したグラファイトが少しずつ分解されていき―――そしてついには、まったく新しい物質が構成されていた。
 それは――――。

「金剛石・アダマントモデルぅー!」

 達成感満点で言い放ったレオナの衝撃的セリフの通り―――構成されたものは、ダイヤモンドだった。
「物質の分解―――そして再構成………!?」
 リウの言った通り、レオナの行ったことは、物質の分解―――そして再構成だった。
 ゼロ原子レベルまで分解しての再構成ではないにしろ、分解と再構成には変わりない。しかも構成したのは炭素の同素体の中でもかなり難しいとされる構造のダイヤモンド。
「…………じゃない」
「え?」
「ダイヤモンドじゃ………ない」
 機材を見ているアマツの茫然としたつぶやきに、カケルはもとより全員が反応する。
 その表情は普段の不敵なものからは考えられないほど動揺しており、そのことにもカケルたちは驚いた。
 その驚愕の理由を、レオナがえっへん、と胸を張って説明した。
「ただ金剛石―――いまはダイヤモンドだっけ? にするのはつまらなかったから、一部を窒素に変換して硬度を強化してみたの」
 その言葉に、カケルは思わず目を見開くほど驚愕した。
 レオナは気づいていないようだが、彼女は今、現代科学をあっさりと飛び越えていた。
 周知のとおり、ダイヤモンドは炭素が正四面体の立体結晶構造をとることで構成される炭素の同素体である。
 その硬度はもっとも硬いとされているが、実はその立体結晶構造の一部を窒素に変換することでさらに強い硬度を得るとされる、立方晶窒化炭素(C3N4)という物質が理論上は存在し得る。
 だが、これはあくまでコンピュータによる理論演算であり、要するに机上の空論と言ってもいい。
 その夢物質を、レオナは今作り出したのだ。
「どう? あたし頑張ったよね? カケル?」
 レオナが褒めてくれと言わんばかりに笑顔を浮かべてカケルに顔を向ける。
(バカ野郎―――)
 と、カケルは言いそうになった。
 そして、遅ればせながら炭素を構成したことを悔やむ。恐らくレオナはカケルの評価を少しでも拭おうとこんなことをしたのだろう。だが、それはカケルが望むことではなかった。
(なるべく目立たせたくなかったのに………!)
 レオナの存在が魔法歴史学的、魔法生物学的に希少な存在なのは、カケルはよくわかっている。ならばこそ、彼女のためにも、正体は隠しておきたい。魔術の使えない単なる人間として認識させるのが手っ取り早かったのだが、レオナがここまで魔術に長けているとはカケルも予想していなかった。バジリスク王族最後の生き残りは伊達じゃない。
「あ………余計なことだった………?」
 レオナはカケルの沈黙に気づくと、悲しそうに顔を伏せた。その途端にクラスメイト全員から投げかけられる、すごく胸が苦しい視線。
(………あー、もういいや)
 ぽん、とカケルはレオナの頭に手を置いた。
「よくやったよ…………ほんと」
「カケル………!」
 見る見るうちに顔がパアッ! と輝く。
「やったぁ! カケルに喜んでもらえたーっ!」
 子供の様に跳ねて喜ぶレオナ。その顔はとてもかわいらしい笑顔を浮かべていて、見るものすべてを微笑ませる。
(……………やっぱ可愛いよな………)
 その笑顔とセリフに、カケルが頬を赤らめながら顔をそむける。
 その姿を見たクラス全員が一瞬にして総員アイコンタクト。結論一致。発言。

「「「「「デレたな」」」」」」

 ぐっ!? とカケルが息をつまらせる。一方、レオナはその言葉の意味が分からずにきょとんとしている。
「な、何だよデレって!? お、俺はデレてもないし元からツンでもない!」
 そう主張するカケルだったが。
「「「「「…………………ふーん」」」」」
 クラス全員、カケルのセリフに対してこれ以上ないほど白けた目で相槌を打つ。
「て、てめえら………!」
 怒りにわなわなとふるえるカケル。と、その手に温かい手が重ねられる。
「だめだよ。友達とは仲良くしなきゃ」
「離せレオナ。こいつら一度殴らなきゃ気が収まらない」
 その手を振りほどこうとするカケルだったが、レオナが上目遣い(目を閉じているので単に顔を上げただけ)で懇願する。
「お願い………」
「ぐ…………」
 その顔がやはりかわいらしくて、しかも間近にあるものだから再び顔を赤くするカケル。ちなみに赤面度は三十パーセントアップだ。
(か、かわいい………)

「「「「「リア充爆発しろ」」」」」

「っ! ――――貴様らぁあああああッ!」
「ああ、だめだよカケル――――」
 
 ―――クラスに、笑いが満ちる。
 その輪の中に、カケルもいる。アマツもいる。レオナもいる。
 だけど、こんな時間がずっと続かないことは、カケルは心のどこかでわかっていたかもしれない。
(でも、今はもう少し――――)
 懐かしい空気に包まれながらカケルは思った。
(もう少しだけ………こんな時間が長く続きますように)
 
 ―――少年の願いは、儚い。





第五章 少女バジリスク

 翌日。紬家。
「ん…………く………ふぁあ~」
 朝日を感じたレオナはベッドの上であくびをしながら身をひねった。もともと蛇であった彼女は目覚まし時計を必要としない。体内時計は完全に二十四時間で合うように調整されている。
 そもそも、なぜレオナが紬家にいるのかというと、それは三年前にさかのぼる。
 人になるべく見つからないように各地を転々としていたレオナは三年前にこの八十神陣柳市に来た。そこで住処を見つけようと思ったのだが、不審なことに空き家が非常に多かったのだ。茂みなどに隠れて道行く人の会話を聞く限りでは、どうも大量殺人事件が発生してかなりの住人が殺されたようだった。
 紬家もその例外ではなく、家族全員が殺されて空き家になっていたところを、レオナが棲みつくことにしたのだ。
 そのことに心を痛めないわけではなかったが、レオナとしても屋外に住むより屋内のほうがよかったので、すっかりレオナは部屋の一つに棲みついているというわけだ。
 ぐでー、ぐでーん、と体をベッドの上でゴロゴロさせる。蛇の体の時はベッドはあまり気持ちの良いものと感じなかった彼女だが、人間となるとなかなかどうして、このベッドの柔らかさというものはなかなか手放せないものとなっていた。
「ふにゅ……………………」
 と、ぐだぐだしていたレオナは何かに気づいたようにガバッ! と体を起こした。
「はっ!? 学校!」
 他人が聞けば何を言っているのか意味の分からない発言だが、実は彼女、先日の授業により魔術の素養が認められたため陣柳市立魔術養成学校高等部へ特別編入することになった。
 それをアマツから聞いたレオナはとても喜んだのが、対照的にカケルは渋い顔をしていた(感じの声だった)のをレオナは覚えている。
(なんで喜んでくれなかったのかな………)
 それを思い出したレオナはかなしげに顔を伏せる。
 だが、そこはレオナ。普通の恋する女子からぬバイタリティで顔を上げた。
「よし! 理由を聞こう!」
 そう言ってガッツポーズをするレオナ。確かに彼女の行動は間違っていないのだが、すこしずれている。
 ベッドから降りた彼女はそのまま部屋を飛び出そうとするが、自分が服を一枚もまとっていないことに気が付いた。
 昨日までの彼女であればそんなこと全く気にしなかっただろうが、今日からは違う。
 レオナはどこかうれしげにクローゼットに向かうと、ドバーン! と盛大に開け放って中にしまってある服を取り出した。
「…………えへへ………」
 それは、陣柳市立魔術養成学校高等部の制服だった。
 特別編入が決まった際に数冊の教科書とともに支給されたもので、普通の高校生の制服とは違って魔女らしい黒いノースリーブのドレスのような造形をしている。この造形、似合っていない人間にはとことん似合わないので生徒の半数から反対されているが、レオナにとってそんなことはどうでもいい。そもそも彼女には似合っているのかどうかという感性も存在しない。
 なのに彼女がこの服を喜んで着る理由は、カケルのほかにない。
 試着してみたレオナを見たカケルは、どこか恥ずかしげに「まあ、………似合ってはいるな……」と言ったのだ。
 カケルが褒めてくれるなら彼女はたとえどんな際どい服でも着るだろう。………別に、カケルにそういう趣味があるわけではないが。
 ドレスをパッ、と女子にしては神速の速度で着ると、レオナは部屋を飛び出した。

 窓から。

「ぽーんっ☆」
 そんな掛け声とともに身を放り出したレオナはスカートが翻るのも一切気にする様子を見せずに重力落下、すた、と猫のような柔らかい身のこなしで地面に着地した。
 もちろん、紬家にも玄関は存在する。二階のレオナの寝室に通じる階段もある。だが、レオナからしてみればそれらはすべて面倒くさいものであり、時間の無駄にしかならない。
 ぽんぽん、と服を軽くはたいたレオナは隣であるカケルの家、その寝室の窓を見る。その窓はいまだに光が灯っておらず、いまだにカケルが起きていないことを意味している。
 もちろん、目を閉じている彼女には見えるはずもない―――と多くの人は思うだろうが、実は違う。わかると思うが、目を閉じていてもわずかながら光を感じることはできる。常に目を閉じているレオナはそれが人並み外れて敏感なのだ。
 その、閉じられていながらも敏感な目でカケルの部屋の電気が灯っていないことを感じ取ったレオナはしょうがないなあ、という顔になる。
「まったく。カケルって結構寝坊さんなのかな。あたしが起こしてあげなきゃ」
 口調こそは困った弟を持った姉を装ってはいるのだが、その顔はにやけてしまっている。
 なにはともあれ、いまだに寝ているカケルを起こすべく、レオナはカケルの寝室の窓へと歩み寄る。
 ―――朝、三時の出来事だった。

「お? お早う、カケル! 今日も朝早いな」
 朝、学校に登校したカケルを出迎えたのは自分の席に座って自習をしていた椿リウだった。
「ああ…………お前も早いな。まだ朝の五時だぞ………」
 カケルはいつもとはまた違う種類の低いテンションでリウに応えた。
 カケルが学校に通うのは今日が三日目だが、いつも朝にはリウが先にいる。勉強熱心といえば勉強熱心だが、多少行き過ぎているような気がする。
「お前に言われたくないな。大体みんなが登校するのは七時くらいだ。試験週間の時には六時頃に来るやつもいるけどな。お前は早起きの性格なのか?」
 リウが体をカケルのほうに向かせながら尋ねる。カケルはため息交じりに答えた。
「ああ………確かにもともと早起きではあるが………最近は特にな」
 そう言って、ちらりと隣にいるレオナのほうを向く。その様子に、リウは「ははーん」と何かにやりとした笑みを浮かべた。
「朝の『運動』が大変だ、と……。そう言いたいんだな?」
「は………?」
 リウの言葉に、カケルは最初どういう意味だと首をかしげていたが…………不意に顔を赤くすると、隣で「?」という顔をしているレオナをよそに、リウに噛みつくように言葉を発する。
「てめえ!」
「まあまあ、怒るなよ………ほら、紬ちゃんも見てるぞ?」
「ぐ………」
 リウに言われて、振り上げたこぶしを渋々下げるカケル。なんだかんだでこの二人、少し仲が良くなったようだった。それは昨日のレオナの努力がモノを言っている。
 主に―――。
『だめだよカケル! せっかく椿君が誘ってくれてるのに!』
『………俺はゲームセンターなんて好きじゃないんだよ………』
『あ、じゃあメシ食いに行こうぜ! 俺のおごりでいいから』
『………いや、俺は………』
『カケル!』
『………………………わかったよ、まったく………』
 ―――というやり取りだった。
 カケルは積極的に発言する人間ではなく、しかも物静かだ。したがってツッコミというキャラクター特性からはもっともかけ離れていたのだが、幸か不幸か、彼の周りにいる椿リウや獅子宮アマツ、そして紬レオナは人を振り回す性格でしかもボケ担当なのでカケルが突っ込むしかない状況となり、こうなっている。
 それをカケルも表向きはあまり喜んでいないのだが、突っ込んでいる時の彼の横顔がわずかに緩んでいることは、レオナは目を開けるまでもなく理解していた。もちろん、思考を読んでもいない。
 そんなわけで、リウの少し卑猥な発言に悪友のようにキレたカケル。それを見ていたリウは面白そうな顔をしていたが、レオナの一言で窮地に追い込まれる。
「朝の運動ってなに?」
「「!」」
 カケルとリウ、二人の顔が一瞬にして凍りつく。
 カケルは十五歳、リウは十六歳(カケルと同年齢の学生はほとんどいない。『煉獄』事件でほとんどが死亡したからだ)。良くも悪くも男女の機微や『その辺の知識』があるので先ほどのような言い合いもできるが、レオナは人間世界で生きてきたわけではない。そのことを知っているカケルはもちろん、リウも、そのことを知らないがレオナのことを『ちょっと世間離れしている不思議ちゃん』ととらえているのでレオナが本当に『その辺』のことを知らないというのはわかっている。
 したがって、このような質問が来た場合、困るのはカケルやリウだということだ。
「おい、どうするんだよ?」
「………知るか。自分のまいた種だ。自分で刈り取れ」
 小声で話しかけてきたリウに、カケルはここぞとばかりに冷たい一瞥をくれる。
 リウはがくりと肩を落とし、レオナにどう説明しようかと首をひねっている。というか、純情純粋無垢という三要素を抱えたレオナに『その辺』のことを教えるというのは、どうも小学生や幼児に教えているような罪悪感があり、リウは胸が苦しかった。
「えっとだね………その………」
 だらだらと額から汗を流すリウ。レオナはじっとリウの言葉を待っている。
 これが朝のHR寸前であればまだタイムアップという可能性もあっただろうが、現在は朝の五時五分。どうあがいてもあと約三時間は時間がある。
 追い込まれたリウの出した答えは。
「あ、アマツ先生に訊けばいいと思うぞ!」
 などというものだった。
 その言葉にレオナはぽん、と手を打った。
「あ、そうだね! アマツ先生ならきれいに説明してくれるよね」
 言ったが早いか、教室を飛び出そうとするレオナ。
 カケルはあわててその肩をつかんで引きとめた。
「待て! あいつにそんなことを訊くな!」
(本当に説明するぞあいつは!)
 嫌な予感に額に汗を浮かべるカケル。獅子宮アマツというのは、良くも悪くも教師気質だ。生徒に尋ねられたからにはそれがどのような内容であろうと一から十まできちんと説明するのは確実だ。しかも理解しやすいように詳しく説明してくる。それは普段であれば歓迎すべきことなのだろうが、今回の場合にはあまりにも危なすぎる。幼稚園児に大人の階段を一気に駆け上らせるのと同じだ。
 カケルはすべての元凶であるリウを睨みつけた。
「う……悪かったって………」
「…………お前の謝罪なんかどうでもいい。これをどうするんだ………」
 レオナを指さしながらカケルは頭を抱えたくなった。
 一方レオナはそんなカケルの様子に不思議そうな顔をしている。
 そんな二人の様子にどうにかしようと思ったのか、リウはこんなことを訊いた。
「そ、そんなことより紬さん! 紬さんの目って、どうしたの?」
「っ!」
 その言葉に、カケルは息をのんだ。リウはおそらく話を変えようとこんなことを切り出したのだろうが、それはカケルとレオナにとって地雷も地雷、クレイモア地雷どころか核地雷と言ってもいいような代物だった。
 はず、なのだが。

「ん? 私はバジリスクだから目を閉じてるんだよ?」

(言いやがったぁあああああああああ!)
 あっさりと言ってしまったレオナにカケルは心中で叫んだ。相変わらずとっさの驚きに声を出すことができないカケルだった。
「は………? バジリスク………?」
 レオナの言葉を聞いたリウはあんぐりと口を開けておうむ返しにつぶやく。
「うん。バジリ―――」
「ちょっとこいレオナ!」
 答えようとしたレオナの言葉はカケルの手によって遮られた。そしてレオナの口に手をやったままカケルはリウから少し離れた場所まで彼女を連れて行く。
 そして、小声で尋問する。
「おまえ、どういうつもりだよ! バジリスクであることをばらすなんて!」
「え? ばらしちゃいけなかった?」
(なんでいいと思ったんだこの野郎………!)
 カケルの隠蔽工作およびそれに費やされた努力は一言で粉砕された。
「だって友達には隠し事しちゃいけないんでしょ?」
 そう言ってレオナが肩にかけていた通学カバンから取り出したのは全校生徒に配られる『学生生活のしおり』だった。
 そのページを何枚かめくり、お目当てのページをカケルに見せる。
「ほら、ここ。『学生たるもの、友を信頼し、すべてを共有すべし』って」
「お前………それを暗記してたのか………」
 あまりのまじめ人間ぶりにもはや驚嘆してしまうカケル。『学生生活のしおり』なんて、カケルはもらった当日にゴミ箱へダンクシュートしている。
「それは確かに正しいが、何でも共有していいわけじゃないだろ? たとえば………今日の下着の色なんて俺に教えたくないだろ?」
 例えが限りなく変態のような気がしたが、これぐらいぶっ飛んだ質問でないとレオナはあっさりと答えそうな気がしたのでカケルはこれを採用とした。当初、思い浮かんだのは体重とか、スリーサイズとかだったが、それはレオナであれば一瞬で答えるだろう。そもそもその辺のことで恥らうという感覚すらないのだから。
 そういうわけでこんな変態のような―――ともすれば通報されかねない例えをカケルは口にした。
 の、だが、レオナの返答はあまりにも衝撃的なものだった。

「え? はいてないよ?」

「ここで衝撃的事実ぅ――――――っ!?」
 あまりのショックにキャラを完全に崩壊させたカケル。その様子に、レオナの『バジリスク発言』に茫然としていたリウや、きょとんとして答えたレオナもびっくりしていた。
「か、カケル………? なんか変な人みたいだよ?」
「お前が変な人だ! 穿いてない!? 『履いてない』だよな! 靴をはいてないとかそういうオチなんだよな!」
 『はいてない』とは漢字で主に二種類ある。『穿いてない』であれば下着などを着用していないことであり、『履いてない』であれば靴などを着用していないことである。カケルはきっと後者のほうだと願ってレオナに詰め寄ったのだが………。
「え? パンツとかのことだけど」
 現実はあまりにも残酷だった。
「あっさりと答えるな! というか『学生生活のしおり』よりお前には『正しい人間生活のしおり』が必要だ!」
(しかも『とか』ってなんだ! まさか上もつけていないとか―――)
「靴下は履いているから!」
「見ればわかるしそれじゃだめだぁああああああ!」
(全裸にニーソックスのその上に制服を着ているだけだと!? しかも制服はノースリーブだし! あまりにも危なすぎるだろ!)
 陣柳市立魔術養成学校高等部の制服のスカートは比較的短い。このままレオナを放っておいては大惨事になるのは確定だった。
「くそ! 行くぞ!」
 レオナの手を取って教室を出ようとするカケル。
「え? 教会? 神社?」
「どっちでもないわぁあああああっ! 職員室!」
 とにかくレオナの下着を何とかしようとカケルは一縷の望みをかけて職員室に行くことにした。朝五時だが、たしかアマツであればこの時間にはすでに登校していたような気がする。
 だが、レオナはカケルの意図とは違ったことに思い当たったようだった。
「あ! 『朝の運動』について訊くんだね!?」
「………もう知らん!」
 ついて行けなくなったカケルは新たに割り振られてしまった『ツッコミ役』という追加キャラ特性を放棄してとにかくレオナを職員室に引っ張って行こうとする。
「あ………カケル………」
 と、教室を出ようというところでリウに呼び止められた。リウはいまだに考えが追い付いていない様子で、どこか不安げな目でカケルを見ていた。
「悪い。あとで話すから!」
「あ、ああ………そうだよな、はいてないほうが重要だよな………」
(………いや。バジリスクが身近にいるのとそのバジリスクが下着を穿いていないのとどちらが重要かと言われれば前者だとは思うが………)
 とはいえ、もはやレオナがバジリスクであることを受け入れているカケルにとっては後者のほうが重要。カケルは全速力で廊下を駆ける。
「わあ! カケル、廊下は走っちゃいけないんだよ!?」
「君は少し黙ってろ! というかどこまで真面目なんだ!?」
 下着を穿いていない超優等生で真面目で純粋純情無垢なバジリスク少女。そのポテンシャルはカケルには少々重い。
 特急間宮カケル号は数分で目的地、職員室にたどり着いて断りを入れることなく、そしてノックをすることなくそのドアを開け放った。
 さすがに人数の少ない閑散とした職員室を見渡し、目的の人物を見つける。
 その人物は、カケルの姿を認めるとどこか面白そうな笑みを浮かべてた。
「間宮。ノックぐらいしてから入れ」
 その言葉を無視して、カケルは言い放った。
「そんなことより下着をよこせ!」
 面白そうな笑みを浮かべたまま凍りつくアマツ。
「…………………いや、おい。何を?」
 数秒して自分を取り戻したアマツはカケルに訊き直した。その声に聴き間違いであって欲しい、という思いが込められていたのは言うまでもない。
「だから女物の下着をよこせって言っているんだろうが!」
「通報だな」
 即殺で携帯を取り出すアマツ。その様子にカケルが声を上げる。
「なんでだよ!」
「セクハラ発言している自分に気づかんのか!?」
 そう言われると、カケルも少し自分があわてていたことに気づいたのか、言い直した。
「そうじゃなくて、レオナが下着を着ていないから予備の下着をよこせって言っているんだ」
 実は学校というのはいろいろあって、緊急用の下着をそろえているところも存在する。おもに小学校などがそうだ。下着まではなくとも高校でも予備の体操服を備えているところは多い。
 カケルの言葉を聞いたアマツはその言葉を噛み砕いて、カケルに問いかけた。
「………紬レオナはお前の隣に一人で住んでいる少女だったな」
「ああ!」
 何を言い出すのか、と言わんばかりにカケルは荒々しくうなずいた。
「で、今はお前の婚約者、と」
「そういうことになっているな!」
 カケルにとって今という緊急事態にはそんなことどうでもいいようだった。
「今日も一緒に登校した、と」
「なんでそれを知っているのかいろいろ思うところはあるが、ああそうだ!」
「で、紬は下着を穿いていない、と」
「だから言っているだろうが!」
「…………………………」
「…………………………」
 しばし、にらみ合うカケルとアマツの間に沈黙が漂う。
 それを破ったのはアマツだった。
「通報だな」
「なんでだよこの馬鹿姉貴―――――――っ!」
「わからんのか変態の弟――――っ!」
 カケルが叫び、アマツも叫び返した。
 もはや戦いが勃発しかねない雰囲気となった職員室の一角で、一連のやり取りを見て(聴いて)いたレオナは、首をかしげながらつぶやいた。
「…………姉弟っていう伏線、こんなことでばらしていいのかな…………?」
 もっともな、言葉だった。

 その後、保健室前。
「……………疲れた…………」
 レオナとアマツが保健室に入ったのを確認したカケルが、心底疲れたという様子で座り込んでいた。
「………なんで俺がこんなに疲れなきゃいけないんだ………」
 そのつぶやきは誰にも聞かれることはない。ただ思うのは、なんと騒がしいことか、という感慨だけだ。
 しかし、それを嫌に思っていないのもカケルだった。
「……………こんな調子で、一年…………」
 身がもたないな、とカケルは苦笑交じりにつぶやいた。
(でもまあ………いいか。どうせ一年だけだ。このぐらい派手なほうがいい)
 そもそも、本来であれば、自分はこうして通学することさえ許されない体なのだから。
「…………………」
 そのことを思い出し、カケルは表情を改めて虚空を見上げた。その左手は無意識に胸にあてられていた。
 その姿は神に懺悔する罪びとのようであり、あるいは天から堕ちた天使のようであり、聖人のようであった。
「…………………………」
「カケルーっ!」
 ドバンッ! と保健室のドアが開け放たれ、カケルはそのドアで頭を痛打した。
「~~~~~~~っ!」
思わず声にならない声をあげてうずくまるカケル。
 ドアから出てきたのはレオナだった。彼女はうずくまっているカケルを見ると首をかしげた。
「あれ? どうしたの?」
「いや、どうしたもなにも………」
 まったく悪気のないレオナの様子に、事実を伝えていいものかとカケルは少し迷った。
 すると、迷っているうちにレオナが顔を輝かせた。
「あ、そんなことよりもカケル!」
「そ、そんなこと………」
 最早突っ込む気力もなく絶句するカケルは、次の瞬間レオナのとった行動に再び絶句した。
「じゃーん! 似合ってる?」
 そんな言葉とともに、レオナはスカートをまくりあげ、その下に着けている下着を見せつけてきたのだった。
「なっ…………!」
 あまりの行動に目を見開かせて言葉を失うカケル。目を閉じているのでその様子を見ること
ができないレオナは何を思ったのか、ワンピースタイプの制服をさらにまくり上げて、上の下
着も見せようとする。
「わああ!? 何やってんだ!?」
 あわてるカケルだが、当のレオナはあっさりとしたものだ。
「え? だってブラジャーも見せなきゃ………」
「だ、大丈夫だ! 君なら何でも似合うから!」
 カケルは必死になって軽薄な男のような言葉を口にした。
「ええ? ほんとかな………」
(………ここが正念場だ)
 カケルは断腸の思いで次々と賞賛の言葉を口にした。
「もちろんだ。君はその辺の女子じゃ比べ物にならないほどかわいいし、何より綺麗だ。似合
う似合わない以前の問題だ。何を着ても美しい。そんなことは見るまでもない。いやむしろ下
手な下着は君の美しさを損ねる結果にしかならない」
 なんとまあ、歯の浮くようなセリフが次から次へと出るものだ。レオナは顔を真っ赤にして
喜ぶが、カケルは内心泣きそうだった。
 しかも、さらに追撃が。
「………………くく」
 聞き覚えのある嘲笑に、カケルはバッ! とその方向を仰ぎ見た。
 そこには、居てほしくない人物―――アマツがいた。
「くくく………なんとまあ、お熱いことだな」
(もっとも聞かれたくない人物に聞かれてしまった………っ)
カケルは思わず歯噛みした。
 だが、アマツは意外なことにカケルをそれ以上からかうことはなく、そのまま職員室へと向かってしまった。
 その様子にカケルは違和感を覚えたが、とりあえずこれ以上羞恥プレイが続くことはなさそうだと胸をなでおろした。
 カケルの褒め言葉に満足したのか、レオナもそれ以上下着などを見せようとはせず、座り込んだカケルの隣に座る。
「ねえ、あなたはどうしてアマツ先生のことを姉さんって呼ばないの?」
「ああ、それはな………」
 レオナに問われ、答えようとしたカケルだったが、良く考えればあまり人に言うべきことではないような気がしたので話をそらすことにした。
「っていうか『あなた』っていうのは止めろよ。なんか固いだろ」
 そう言うと、レオナは少し頬を膨らせた。
「じゃあ、カケルも止めてよ!」
「な、何をだ?」
 なかなかレオナにしては有無を言わせない強さを含んだ語調だったので、カケルは少しびっくりしながら訊いた。
「『君』って言うこと! たまにカケルはそんなときがある!」
 言われてみれば、とカケルは思い出した。カケルは興奮していたり声を荒げているときは語調が激しく、レオナのことも『お前』と呼ぶが、普段の冷静な時は『君』と呼んでいる。
「………悪かった。もう呼ばない」
「ならよし! あたしも呼ばないから」
 お互い、顔を見合って、そして笑う。レオナは目を開けてはいないが、何となく目があったような感覚があった。
「よし。リウのところに戻るか。あいつにも説明―――もとい、誤魔化さなきゃいけないしな」
「………………………ちょっと待って」
 わざとらしいほどに元気よく腰を上げ、教室へと足を向けたカケルの肩を、レオナががっしりと掴んだ。
「まだ答えてもらってない」
「う……………」
 うまく話を逸らしたと思ったカケルだったが、レオナはしっかりと覚えていたようだった。
 てこでも動かない、という様子のレオナに、カケルは一つ息をつくと、うなずいた。
「………わかった。とりあえず、俺の家―――間宮家に関することだけでいいなら………」
「………うん。それで十分だよ。ありがと」
 レオナが笑うと、カケルも笑った。
 だが、それはどこか疲れたような笑みだった。

「お前も知っているように、姉さん―――獅子宮アマツは、もともと間宮アマツ―――俺の姉さんだったんだ」
 カケルは朝六時の誰もいない廊下の一角で、語り始めた。
 レオナはそれを黙って聞く。
「間宮家っていうのは、『四大王家』の一つで、『焔禍』の術式を使用する一族だった」
「エンカ………?」
 レオナは聞き慣れない単語に首をかしげた。彼女の知っている魔術の術式名に、そんなものはない。
 カケルはレオナの言葉に「やっぱりか」とつぶやいた。
「古代魔術と現代魔法はずいぶん違うみたいだな。『焔禍』の術式っていうのは、世界に四つ存在する強力な術式のうちの一つだ。俺たち間宮一族は、生まれたときに『Ξ語』によって『焔禍』術式の基本三式、応用三式をインストールされるんだ」
「クスィ語?」
 またも発せられた訊き慣れない単語にレオナは首をひねった。インストールというのは、確かパソコンなどでアプリケーションやプログラムを入れる際に使われる言葉だったような気がする。
「詳しいことはたぶん今日の授業でやるから大丈夫だ。奇しくも『Ξ語と四大術式』だからな。とりあえず、今は魔術の発動方法の一種として捉えておいてくれ」
「う、うん…………」
 カケルの言葉に、レオナはうなずいた。だが、その顔はどこか不安げだった。
(なんか、カケルの顔が悲しそうな気がする………)
 目が見えないので、彼女は何となくで察するしかない。その方法は主に声色や語調などから察する方法だ。
 そして、説明をするカケルの声は、どこか遠い過去のことを語っているようで、そして尚且つ悲しげだった。
(やっぱり訊いちゃいけなかったのかな………)
 カケルの様子に、レオナはしゅんとなった。
 そんなレオナの様子に気づくことなく、カケルは説明を続ける。
「で、現代魔法界において絶大な影響力を誇っていた間宮家だが、ある事件を境に没落した」
「もしかして………」
「そう。約四百人が犠牲となった、『煉獄』事件。そのせいで、間宮家は没落した」
 カケルはぎゅっ、とこぶしを握りしめた。その音を聴いたレオナはどこか心配そうな顔になる。
「も、もしかしてカケルのお父さんとお母さんは………」
 だが、レオナの予想は大きく裏切られた。
「いや、生きてる」
「え?」
 カケルの言葉に、レオナはしばし言葉を失った。
「父さんと母さんは、生きてる。死んでない」
 だが、その声色がとてもそんな風には聞こえなかったレオナは、カケルの顔を見上げた。もちろん、目を閉じているのでその顔を見ることはできない。この時、初めてレオナはカケルの顔を見たいと強く感じた。
 今までも、カケルの顔を見たいと思わなかったわけではない。やはり好きになってしまった人物の顔は見たいし、何よりその笑った顔が見たい。怒った顔が見たい。
 だが、それらはレオナにとって大したことではなかった。
 レオナにとって、自分の願望は二の次だ。第一にカケルの命。第二にカケルの願い。それら二つがレオナにとってのすべてであり、カケルが自分必要としてくれていることが、レオナの存在意義だった。
 なのに最近、レオナは自分の願望が強くなり始めているのを感じていた。カケルの顔が見たい。
 今回、レオナがカケルの顔を見たいと思ったのは、カケルのことが心配だったからだ。
 『両親は生きている』。だが、そのことを言ったカケルの声はあまりにも固く、悲しげで、どこか自分を責めている雰囲気があった。だからこそ、カケルの顔を見たかった。
 その顔が、笑顔であることを、確認したかった。
(…………でも、だめだよ)
 レオナは悲しげな笑みを浮かべて首を振った。
(顔を見たいだなんて、馬鹿みたい。見たらカケルは死んじゃうのに。あたしが、殺してしまうのに)
 誰よりも、ほかの何よりも、自分の命よりも大事な、大事な、大好きな人を、自分で殺す。ただ自分の望みの為に。自分の願いの為に。自分のわがままの為に、殺してしまう。
 たかが一瞬の映像の為に、殺してしまう。そんなこと。
(耐えられるわけがない…………っ!)
 レオナは唇を血がにじむほど強くかみしめた。思い出すのは十年前、自分が目を閉じているがばかりに捕まってしまった両親のこと。大事な人を自分のせいで殺してしまうのは、もうたくさんだった。
 顔を伏せているレオナに気づかず、虚空を見続けているカケルは言葉を付け足した。
「父さんと母さんは、『煉獄』事件のせいで投獄されているんだ」
「え…………」
 カケルの言葉にレオナは言葉を失った。
「………『煉獄』事件に使用された炎は、『焔禍』術式のものだった。だから犯人は、間宮家に関係のあるものだ。それで………」
「そんな! そんなはずない!」
 気が付けば、レオナは叫んでいた。
 カケルが自分のほうを向いたのが、雰囲気でわかった。
「だってカケルのお父さんとお母さんだよ!? そんな酷いことするわけない!」
「なんで………言い切れる?」
 カケルの声は、なぜか苦しそうだった。
 レオナはそれに気づかずに叫んだ。

「だってカケルは優しいもの!」

「っ!」
 その瞬間。
 カケルが息をのんだ。
「カケルは優しい! なら、そのお父さんとお母さんも優しいはずだよ!」
「……………だが、『煉獄』事件に『焔禍』の術式が使用されたのは確実だ。それだけは事実だ」
「でも!」
「レオナ」
 まだ口を開こうとしたレオナは―――。

 不意に、カケルに抱きしめられてその口を閉じた。

「え………っ?」
「ありがとな、レオナ」
 抱きしめられたレオナの耳に、至近距離からカケルの声が飛び込んでくる。それは息もかかるような距離で、その熱さにレオナは顔を真っ赤にした。
「あ………」
「大丈夫。犯人は処刑される。殺される。これも確実だ。これは絶対に捻じ曲げられない」
(…………カケル…………)
 そして、カケルは少し身を離して、それでも至近距離からレオナを見つめる。
 そのことを感覚で理解したレオナは、真っ赤な顔で「あ、あう……」と声にならない声を上げていた。
 その顔を見たカケルは、
 笑った。
「―――………っぷ。はは、あはは! あはははは!」
「なっ………!? ひ、ひどいよカケル!」
 レオナは赤い顔のまま怒りの声を上げた。
 その声に、カケルは笑みを止めた。その目には涙が浮かんでいる。
「悪い悪い………ああ、やっぱりお前は可愛いなぁ………」
「なああっ!?」
 カケルの不意打ちに、限界突破、レオナは顔を赤を超えた赤にした。
 そのレオナの頭に、とん、と手を置くと、カケルは撫でた。
「そして、優しいな、お前は…………」
「カケル………」
(違うよ、カケル………)
 頭を撫でられながら、カケルの胸に身を預けたレオナはその感覚に、涙を浮かべるほどのうれしさを覚えながら思った。
(カケルのほうが、もっと優しいよ……………っ)
 頭を撫でる、優しい感触に身をゆだねながら、レオナはその閉じた瞳から一粒の涙を流した。
 
 ―――二人の時は、わずかに止まる。
 そして動き出した時間も、どこか緩やかだった。
 その緩やかな時間と、カケルの温かさに身をゆだね、穏やかな、眠りにも似た平穏の中にいるレオナは、やはり目を閉じている。
 だからこそ気付けなかった。
 
 カケルの目から、一粒のしずくが流れていることに―――。


第六章 葛藤バジリスク

「さて、今日は『魔法歴史学』だ。正直座学を教えるのは私は好きではないが………まあ、今回の授業内容は『Ξ語と四大術式と四大王家』だからな。重要だから全員眠らずについてこいよー」
 座学となると途端にやる気がなくなるアマツの姿を見ながら、クラスメイトは教科書を開き、ノートを開き、ペンを持って真面目に授業に臨んでいた。
 その中には、レオナもいる。
 あの後、なんだかんだ過ごしていたら始業の時間が迫っていることに気づいたレオナとカケルは教室に戻った。そしてどうやらリウがカケルにレオナの例の『バジリスク』発言について何かを訊こうとしたようだったが、カケルは「詳しいことはまた昼休みに」とその場をしのいだようだった。その時カケルが本当に焦って困っていたのはよく覚えている。
(そんなにバジリスクだと問題あるのかな………)
 レオナは授業を聴いてノートを取りながらそんなことを考えていた。
 確かに、バジリスクを狙う人間がいることはレオナも知っている。いや、むしろカケルよりも知っていると言ってもいいだろう。何しろ『身を以て』知っているのだから。
 だが、どうしてもリウや、このクラスの仲間たちがそういう類の人間であるようには感じられないのだ。彼女は目を閉じているが故に、むしろ感受性が強い。だからこそ、このクラスにいる人間が悪い人間ではないと思っている。
「あー、まず、『四大術式』だが、これは四大王家が使う独特の術式で『Ξ語』によって代々使い手にインストールされる。そうだな………おい、椿」
「あ、はい」
 アマツが不意にリウを指名し、リウはすこしあわてながらも返事をして席を立った。
「『Ξ語』について説明してみろ」
(………軽い授業放棄?)
 思わずきょとんとしたレオナだったが、クラスのほかの人間の様子を感じる限り、どうやらこれはある程度常識のようだった。だから再確認のつもりで指名したのだろう。
 リウも、特に困る様子はなくよどみなく説明する。
「はい。『Ξ語』―――『Ci(クスィ)語』とは、Compulsory Install―――強制インストール言語のことで、人間の脳に直接術式を記憶させ、『条件反射』を利用して複雑な術式の魔術を短時間で組み立てることを可能にする技術のことです」
「ああ、正解だ。この『Ξ語』については世界魔術運用法にも記載されている通り―――」
 リウの説明にアマツはうなずき、説明を続ける。クラスの皆も特に引っかかることはなかった様子だが………。
 現代魔法の知識がほとんどなく、古代魔術に慣れ親しんでいるバジリスクの少女は違う。
(え!? 脳に直接………? しかも『条件反射』って、え?)
 正直意味が分からずついていけていない。
 レオナは真面目なうえに優秀なので、授業を理解することさえできれば十分現代魔法を使用できる才能はあるのだが………経験があるかもしれないが、たとえば数学で基本的な知識―――たとえば公式や単語など、それらの意味が分からないと、のちの授業にも影響が出る。それと同じことが今、レオナに起きようとしていた。
 と、途方に暮れかけているレオナの机の上に、隣から紙が渡されてきた。
 それは、カケルからのモノだった。
 目を閉じていることを考慮してか、点字だ。どこで学んだのか非常に気になるが、とりあえず触って読んでみることにする。
 『今だけ俺の思考を読め。説明する』
 その文章に驚きつつ、カケルのほうへと顔を向けると、彼が少しだけほほ笑んだのをレオナは感じた。
(あ、ありがとう!)
 と、感謝の念を言ってみたのだが、良く考えればカケルにはレオナの思考を読むことはできない。実際カケルには何の変化も感じられない。
 とりあえず、レオナはカケルの思考を読むことにした。これは古代魔術の一つで、人間はもともと気配などを周囲に発しているきらいがある。嫌な予感とか、殺気などはこのたぐいだ。これは実は人間の思考をわずかながらに宿している。そうでなければ『殺』気などという言葉は生まれなかっただろう。
 レオナの術式はこの気配―――『気』に対する感度を最大限にあげることで、その『気』に含まれている相手の思考を読むものだ。
(………よし、と)
 レオナは準備が完了したという意味を込めてカケルに顔を向けた。
 カケルもそれを見て少しうなずいたようだ。この術式を利用している時のレオナは周りの様子を察知する能力も向上している。
(………強制インストールっていうのは、人間の脳に直接術式を刷り込ませることだ。昔からこういうのは記憶術として存在するだろ。睡眠中にずっととある単語を耳にささやくとか。それらをさらに進化させて、人間の聴覚、視覚、触覚から術式を脳に刷り込むんだよ)
 そこまで頭の中で言ったところで、カケルは「理解しているか?」と言うようにレオナのほうを見てきた。これも空気の流れや気の動きの変化で感じ取った。普段はここまではいかない。
 レオナは「大丈夫」と気配になるべくこめてみたが………やはり伝わらないようなので、うなずくことにした。
(で、その刷り込ませた術式っていうのは、『術式名』――――『Ξ語』を言うだけで発動させることができる。本来の現代魔法は計算式などが必要だがな。この発動のメカニズムが、『条件反射』だ)
 カケルの説明はさすがというか、とても詳しく、わかりやすいものだった。アマツの弟だけはある。血は争えないということか。
(『条件反射』―――これは連想と言ったほうが正しいと思うが。そうだな………たとえば、お前、富士山って言われたら、思い浮かべることは決まってるだろ? ほかにも、『犬』という単語を言われたら。『海』という単語を言われたら。思い浮かべるのは決まっている。それを利用するわけだ。だから、たとえば四大術式の一つ、『焔禍』の術式名を言うことで、術式を一瞬のうちに連想し、それによって魔術を発動させるんだ)
 なるほど、とレオナは納得した。術式名を言うことで条件反射的に脳にインストールされた術式の内容を思い浮かべ、それによって魔術を発動させるというわけだ。この辺は古代魔術にも通じるところはあるかもしれない。
(………なんか、『コキュートス』や『ラグナロク』の術式発動に似てる………)
 レオナはどこか引っかかるものを感じ、少し考え込むようなそぶりを見せた。『コキュートス』に、『ラグナロク』。どれも現代では『失われた魔術』と言われているようだが、実は古代魔術においては、これは『禁忌』に指定されている、強力で危険極まりない術式なのだ。もともとが最強の堕天使を封印する術式や世界を焼き尽くす術式であるが故に、使用するのも困難なのだが、実はそれらの『疑似術式(レプリカ)』は使用されたことがある、とレオナは両親から聞いていた。
(もしかして、『四大術式』っていうのはそれに関係あるんじゃ………)
 レオナは説明を終えたカケルのほうをちらりと見てみた。一応説明の間だけと使用していた思考を読む術式を、もう一度使ってみたいという衝動に襲われる。
 だが、レオナは首を振ってそれを振り払った。
(だめだよそんなの。カケルも嫌に決まってる)
 それでも、やはり気になってしまう。
「………で、『四大術式』だが……これは知っての通り、水系魔術の『水轟』術式、風系魔術の『風蓮』術式、土系魔術の『土龍』術式があり、それぞれ四大王家の楓家、日向家、釧路家が司っている。そしてそれらの家の当主は現在の『三皇』だ」
 アマツの声に、あわてて注意を戻すレオナ。
 アマツは説明を続ける。
「そして、『四大術式』の中でも特に特異とされている術式が、『焔禍』。炎の術式だ。これについては私よりも詳しい人間がいるのでそいつに説明してもらおう」
 その言葉を言い終わると、アマツはどうやらカケルに視線を向けたようだった。
「さあ。説明してもらうぞ。四大王家の一つ、間宮家の………嫡男よ」
 アマツの言葉に、クラスメイト全員がざわめいた。
「え、まさか間宮が………」
「四大王家の………」
「嫡男………?」
 クラスメイトのざわめきとは対照的に、カケルは静かだった。
 だが、その静けさは日本刀のような鋭さを持っていて、目を閉じているレオナにもカケルの今の表情が想像できた。
(カケル…………)
 カケルの心中を察すると同時に、レオナはどうしてアマツがこんなことをするのか分からなかった。
 実の姉であり、間宮家の今の状況を恐らくカケルと同じくらい理解している、アマツが。
 やはりそれは、間宮を名乗らないことと関係があるのだろうか。
「………良いだろう。説明してやるよ」
 カケルは声に多分の怒りを込めながら立ち上がった。
 その声に、雰囲気に、先ほどまでざわついていたクラスが静まり返る。
 レオナは見えなかったが、アマツはその様子に笑みを浮かべていた。
「『四大術式』の、ほかの三つの術式はそこまで恐ろしいものじゃない。ただ術式が複雑かつ難解なものだから、扱えるのは三つの家だけっていうだけだ、『Ξ語』の使用許可が下りれば他の奴でも十分扱える。だけど、『焔禍』の術式だけは違う」
 カケルの説明はよどみなく、平静だ。だが、その声はあまりにも平坦で、まるで機械が言っているような錯覚すら覚える。
「通常、炎というのは、燃焼という、化学反応の結果生まれる『現象』だ。だからその化学反応の元さえ絶てばあっさりと消すことができる。だが、『焔禍』の炎は違う。『焔禍』術式において、炎とは化学反応の際に生まれる『現象』ではない。『炎粒子』という、炎にきわめて近い性質をもった物質なんだ。だから同じ物質である水にもある程度対抗できる」
 それは、驚くべきことだった。
 カケルたち間宮家の祖先は『炎粒子』という,新たな粒子を作り出したのだ。ゼロ原子を使用して物質を構成する現代魔法において、これは不可能ではないが、恐ろしく複雑で困難なことには違いない。
 驚愕するクラスメイトをよそに、カケルは今度こそ、怒りを声にはっきりとあらわして言葉を付け足した。
「そして、現在間宮家は没落して、『四大王家』からも外れている。これで満足か?」
「「「「「っ!」」」」」
 クラス全員が息をのむ音が聞こえた。
 ただ、リウは何か厳しい顔をしていて、レオナはそんなカケルの様子に心を痛めていた。
(カケル………)
 カケルの説明を黙って聞いていたアマツは、カケルが荒々しく席に着いたのを見て、口を開いた。
「ご苦労。そういうわけで、間宮は『四大王家』からはもう外れていて、『三大王家』になりつつある」
 そして、アマツは見たことがないほど厳しい顔をして、そして声もいつもの飄々とした色はなく、聴くものを圧迫するような、凍らせるような声で、こんなことを付け足した。

「さらに、間宮家が復興するようなことはありえない。何があろうとも、だ」

「………………く」
 ギリ、という音が聞こえてレオナはその音がしたカケルの方向を見た。
 レオナには見ることはできないが、カケルは自分の歯を噛み砕かんばかりの勢いでかみしめていた。その表情は、計り知れないほどの怒りと、悔しさと―――そして、悲しさを含んでいる。
「カケ…………」
 る、と、レオナの言葉はしりすぼみになってしまった。
 どのような言葉をかけていいか、わからなかったからだ。レオナにはカケルがどれほどの表情をしているのか、想像するしかすべはない。そして、レオナの想像は完璧ではない。
(…………やっぱり、見たいよ)
 自分の想いをかなえるためではない。ただ、カケルをもう少しだけ、知るために。どうしても見たかった。
 だから、ついこんなことを考えてしまう。
(…………もしも、私がバジリスクじゃなかったら………?)
 レオナは今まで、目を開けたことがない。そして、『死の眼』によって誰か―――もしくは何かを殺したこともない。だから、こんなことを考えてしまったのだ。
 少しだけ夢見て、だがすぐに首を横に振った。
 その顔は、とても悲しげな笑みを浮かべていた。
(バカみたい。ありえないよ…………)
 レオナはバジリスク。両親が実際に―――人を殺す場面を見たことがある。あれを見ておいて、今更何をバカな幻想を抱いているのだろうか。
(………カケルが………竜の血筋だったら、まだわからなかったけど………)
 バジリスクの目は竜の血族―――特に強力な竜王の血筋には通じない。これはもともとバジリスクが最下級の竜であり、それから退化したことに由来すると考えられている。
(………竜王、か…………)
 レオナはいまだに見たことのないカケルの顔を想像して、わずかに頬を赤らめた。
 だが、その顔はすぐに悲しげな色を浮かべる。
(はは。考えれば考えるほどそんな気がするから不思議だよね………リンドヴルムの血も滅びたって噂があるのに………ほんと、馬鹿だあたし………)
 レオナは、カケルが大好きだ。
 それは、命を助けられたから、というわけではない。そんな単純な理由であるはずがない。そうでなければ、腐ってもバジリスクの王族のレオナがあれほどまでに尽くすはずがない。
 そう。初めて―――笑顔というものを、見た。
 目を開けたことがないレオナは、笑顔を見たことがない。両親のそれですら見たことがない。両親が言うには、先祖がえりの『死の眼』は王族のそれですら相殺しきれるものではなく、死ぬまではいかなくても命の危機ぐらいには陥るらしい。
 だから、レオナは誰の笑顔も見たことがなかった。
 だけど、あの時。カケルに助けられたとき、レオナは確かに笑顔を『見た』のだ。
 それは他愛もない勘違いかもしれない。寂しかった自分の作り出した幻想かもしれない。
 だけど、レオナは信じる。
 あれは、笑顔だった、と、確信している。
(…………だからあたしも、笑う)
 レオナは決意している。
 だから自分は、カケルに対して悲しい顔など見せまい、と。
 カケルに見せるのは、笑顔だけだ、と。
 そんなレオナを、リウがカケル越しにどこか不審げな目で、見ていた。

 昼休み。
 カケルはリウを連れて屋上に来ていた。
「……………待たせたな。説明する………『例の件』について」
 カケルの言葉に、リウは黙ってうなずいた。
「…………単刀直入に言おう。あいつはバジリスクだ」
 カケルが言うと、リウはわずかに体を震わせた。
 正直に、事実を言ったことには大して理由はない。いつまでも隠しておけるものではあったが、レオナが言ってしまった以上、隠しきれるのは難しい。レオナは良くも悪くも純粋で、まっすぐだ。だからこそ、嘘を言うことはない。そのことは、リウもわかっているはずだ。
 ならば、下手に否定して怪しまれるよりは先に事実を言って、共犯関係にもちこむのがいいだろうと判断したのだ。
「出会ったいきさつは大したことじゃないが………知っての通り、バジリスクは研究対象として狙われることが多い生き物だ。だが、率直に言って俺はあいつをそんな目に遭わせたくない」
 カケルが自分の心情を吐露することは少ない。それもここまで素直に話すことなど、親兄弟に対してもあり得ない。
 そのカケルがそこまで話したのは、おそらくリウも同意見だという確信を持っていたからだ。
 あの、純粋で、純情で、無垢な少女を研究対象として焼かれ、煮られ、感電させられ、斬られ、潰され、薬品づけにされるような目に遭わせたいと、思う奴ではない。
 そして、おそらくはカケルと同じ―――守りたいと思うだけでなく、実際にそうする人間だからだ。
 カケルは、一年しか生きられない。その間、レオナを守りきる自信はある。腐っても間宮家―――かつては『四大王家』と呼ばれた家の長男。そんじょそこらの魔術師が束になって襲ってきても一蹴するぐらいの自信はあるとカケルは自負している。そして、それが慢心ではないことも知っている。
 だが、一年。それ以上、カケルはレオナを守ることはできない。レオナもバジリスクであり、強力な古代魔術を使うことができるかもしれないが、古代魔術が魔力とやらを消耗する以上、あまり多くは使用できないはずだ。そんなことをレオナも言っていた。
 だとすると、新しい守り手がいる。
 そこでカケルが目をつけていたのがリウだ。
 平均魔術レベルはC2。特化項目はC1。すでに高校卒業レベルに近い魔術の知識がある。彼であれば、もしかするとレオナを守れるかもしれない。
 いざとなれば、アマツにも頼むだろうが………カケルは、なるべく実姉の手を借りたくはなかった。
 間宮アマツは、政府から逃れるため―――没落する家から逃れるため、間宮の名前を捨てた。そして現在は、政府の飼い犬となっている。そんな彼女が、本気でレオナを守るという確証もない。政府は決してバジリスクなど、魔獣を絶滅危惧種などに認定しているわけではなく、むしろそれらが人間に危害を及ぼすと考えられた場合、すぐさま抹殺命令を下すだろう。
 だから、アマツ以外にレオナの楯を作っておかなければならなかった。
 そのためなら、自分の気持ちぐらい、いくらでもしゃべってやる。
 そんな覚悟のもとに話したカケルに対して、リウは考え込むように黙り込んでいる。
 そして、数秒の沈黙ののちに、口を開いた。

「…………なあ、カケル。お前は紬ちゃんのことどう思ってる?」


「はあ………はあ………カケル、屋上に行くなら行くって言ってくれればいいのに」
 そんなことをつぶやきながら階段を上るレオナの手には、二つの弁当がある。
 レオナが作った―――というわけではない。ではまさかカケルが作ったのか―――そういうわけでもない。
 何のことはない、ただのコンビニ弁当だ。
 だが、そのコンビニ弁当ですら、カケルと一緒に食べれば高級料理をはるかに超える味になるとレオナは確信を持って言える。
「たぶん、椿君に事情を説明するために行ったんだよね………ならあたしも行かなきゃ」
 そうして、レオナは階段を上っていく。
 普段、屋上はあまり使用されず、人影は少ない。何しろ屋上に行くまでに階段が百段近くあるのだ。誰もわざわざそんなことで体力を消費したくない。しかも昼食時に。
 だがレオナはカケルと食べるためならなんのその、階段をぽんぽん、まるで目が見えているかのように上っていく。
 そして、ようやく入口にたどり着いた。
 どうやらドアはあいているようだった。風がわずかに流れ込んでいるのをレオナの敏感な肌が感じとっていた。
「カケル――――」
 と、声をかけようとした、その時だった。

「………なあ、カケル。お前は紬ちゃんのことどう思ってる?」

 そんな、リウの声が聞こえた。
「!」
 その言葉に反射的に顔を赤くしたレオナは扉の陰にあわてて飛び込み。
「ぶはっ!?」
 カケルはなぜか息を噴き出していた。
(え!? なに? どういうこと?)
 レオナはなぜか心臓をドキドキさせながらリウとカケルの声に耳を澄ませた。耳の感度はよくなったのだが、興奮しているのか、詳しい感情などは聞き取れない。
「………お前、なんでそんなことを訊くんだ?」
 カケルの声が聞こえた。レオナの心臓の拍動がさらに大きくなる。
「いや、ただ単純に、お前が紬ちゃんのことをどう思っているのかな、って」
 リウの声も聞こえた。正直今のレオナにとってどうでもいい。
「…………そりゃ、守りたい奴だとは思う………だから、お前にも協力を―――」
「そうじゃなくて、一人の男として、どう思っているんだ?」
 リウのさらなる追撃に、カケルは息をのみ、そしてレオナはさらに心臓をドキドキさせた。
「それは………」
 カケルが、言葉に詰まる。
 レオナは恐る恐るドアの陰から覗き込んでみるが、当然何も見えない。たださらに光を感じただけだ。
(………カケルが、あたしをどう思っているか………)
 心臓はまるで破れんばかりにドキドキしている。というか、音が聞こえるのではないか、と思ったくらいだ。
 リウの質問はレオナにとっても聞き逃せないものだった。レオナはカケルのことが大好きだ。命を賭してでも、守ってみせる。どんな命令にでも、従う。それぐらい、大好きだ。
 しかし、カケルのほうはどう思っているのか、というのは今まで考えたことがなかった。もっとも、出会って三日目なのでそれが当然と言えば当然なのだが。しかしそこは恋する乙女。百年の恋も三日の恋も等しく平等。想いの強さは負けないとレオナは確信している。
(カケル…………)
 ドキドキと、胸を高鳴らせ、顔を真っ赤にしているのは、バジリスクの少女というより、ただの恋する少女にしか見えない。
 息をするのも苦しい沈黙の後―――カケルの声が。耳に飛び込んできた。

「…………………面倒な奴、だよ」

「っっっ!」
 レオナは息をのんだ。
 心臓が一瞬止まった。
 体は一瞬にして凍りついた。
 危うく、目を見開いてしまいそうになる。
(…………っ)
 カケルの言葉は、続く。
「…………突然、家に入ってこいなんて言ってさ。入ってみれば命の恩人だの、はては婚約者だの。とてつもなく重たいものを俺に求めてきやがる」
「っ…………!」
 レオナの顔が、歪む。
 だが、レオナがいることに気づいていないカケルには、言葉を止める道理がない。
「俺の為に何でもやるとか言っているくせに、服をねだったり、さらには教室にまで来た。それだけならまだしも、俺がなるべく目立たないようにと思っていたのにあいつはすげえ構成して注目浴びて、しかも転入だぞ。まったく」
(そう、だったんだ…………っ!)
 知らなかった。カケルが、なるべく自分を目立たせまいとしていたなんて。
 それなのに、自分は魔術なんて使って、目立ってしまった。それがカケルを困らせるとは知らずに。
 知らなかった。それ自体が、情けない。
 カケルの為に。そんなことを言っておきながら、結局自分は、カケルの為に頑張る自分をほめてほしくて行動していただけじゃないか。
「………っ……く、ぅう………っ!」
 レオナの閉じられた目から、涙がにじむ。
 自分の心の奥底に秘められた―――本当の、願い。醜さを痛感し、自分の身を切り裂きたいような気持に駆られる。
「さらに朝三時起き。ふざけるなよな。俺がいったいいつまであいつの家を見守っていると思っているんだ。まったく」
「っ!」
 さらに知らなかった事実だった。カケルは、自分の家を夜遅く―――もしかすると、早朝まで―――見守っていたのだ。
 それを知らず、レオナはぐっすりと眠って―――早起きしては、カケルを無理やり起こしていた。それも無理やり理由を作って。
 自分は、何一つカケルの為に行動できていなかった――――。
 その思いに、レオナは打ちひしがれる。
 そんな、そんな自分を………。
(カケルが、好きに思ってくれるはずがない………っ!)
 その目から、涙が零れ落ちた。
「だから、俺は―――」
「っ」
 それ以上、聴くことができなかった。
 レオナはぐ、と腕で涙をぬぐうと、弁当を一つだけおいて、階段を駆け下りて行った。
 目が見えないのに、しかも心が乱れていて、感受性が鈍ってめちゃくちゃなのに、できる限り最大速度で。
 何度も何度もこけながら、肘を打ち、膝を打ち、頭を打ち、皮膚をすりむかせ、血をにじませながら、レオナは駆け下りて行った。

 だから―――カケルの想いを、本当の言葉を、レオナは知らない。
 聴けなかった。

「だから俺は―――あいつを、絶対に守る」
 カケルは恥ずかしげに、頬を掻きながら言い切った。
 リウは、そんなカケルの様子にわずかに目を細めた。
「だから―――あいつは、一生懸命なんだよ。俺の為に何ができるか、まったくわかってないくせに絶対に何かをしようとする。どこまでもまっすぐで、どこまでも俺のこと優先で、どこまでも俺のことを想ってくれて。………そりゃ、あいつの行動に辟易しないわけじゃない。朝三時に起こされるのは勘弁だしな」
 そこまで言って、カケルは肩をすくめた。
 その声はうんざりしているように聞こえるが、表情―――頬を赤らめ、わずかに照れたような表情を見れば、だれでも照れ隠しのセリフだとわかる。
 ―――そう。見れば。
 その前の言葉も同様だった。言葉の上ではこっぴどくこき下ろしてはいるが、その表情はどこか照れていて―――そして、どこかうれしそうだった。
「だからこそ―――まっすぐで、どこまでも俺のことを見ていて、どこまでも俺の隣にいてくれるあいつだからこそ、俺は守りたい。一人の男として。間宮家の長男とか、命の恩人とかだからじゃない」
 カケルはいったん言葉を切って、まっすぐにリウの顔を見て、言った。
 その言葉には、打算も、思惑も、何もない。
 ただまっすぐに、自分の想いを、口にする。

「間宮カケルとして、俺は、あいつの隣にいる」

「………………………………」
 リウは、黙っていた。
 カケルも、黙っている。
 そういう、わずかな、しかし居心地の悪くない沈黙の後。
「………ぷっ。くくく………あははは………!」
 突然、リウが笑い出した。
 あっけにとられていたカケルだったが、すぐに怒りをあらわにして掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。
「おい! 何を笑ってんだ!」
 カケルとしては、一世一代の覚悟を込めたセリフだった。出会ってわずか三日。だが、その三日でレオナはカケルにこれだけの覚悟を決めさせるほどの想いを募らせたのだ。そのセリフを笑わればそれは怒る。
「くくく………いや、ただ純粋に紬ちゃんのことをどう思うか、って訊いたつもりだったんだけどな」
「なっ――――!?」
 リウの言葉に、カケルは顔を真っ赤にして息をのむと、次の瞬間本当に襟を締め上げた。
「てめえ…………っ!」
「あはは! 悪い悪い。言い方が紛らわしかったか。いや、もしかすると………とは思っていたけど、まさか本当に引っかかるとは………―――って、待った待った! ギブ! ヘルプマイライフ! プリ――――――――っっズ!」
 笑っていたリウの顔が、セリフ後半で本当にあわてた表情になったのは、言うまでもない、襟首を締め上げている左手とは別の、カケルの右腕に轟々と燃え盛る長大な炎の剣が現れたからだ。
 『焔禍:基本一式・炎剣』。『焔禍基本三式』の一つで、カケルがよく使用する技だ。カケルは現在、家の事情で両手と首に、手錠・首輪型の魔法の使用を制限するリミッターがつけられているが、それでも人ひとりを焼き殺すくらいはわけない。ちなみに、『焔禍術式』には基本三式、応用三式、奥義三式、秘奥義三式が存在するが、両手と手首のリミッターによって脳の記憶に制限がかけられているため、基本三式しか使用できない。
「本気で殺すぞ………っ!」
 カケルの表情は無表情だが、はっきりと怒っていると感じられる無表情だ。リウは思わず青ざめる。
「わ、悪いって言ってるだろ! 頼む!」
「…………チッ」
 カケルは舌打ちすると、『炎剣』を解除した。炎粒子はゼロ原子レベルまで分解される。
「ほんと、お前怖いって………ただ俺は、お前が紬ちゃんのことをどう思っているかが気になっただけで………」
「なんでお前がそんなこと気にしなきゃならないんだ」
 カケルは恥ずかしさも手伝って少し言葉が荒くなった。
 リウは襟首を直すと、まじめな顔になって、カケルに尋ねた。
「…………だからな」
「………なんだ」
 リウの声色がいつになく、聴いたことがないほど真面目であることに気づき、カケルは少し姿勢を正し、表情を改めた。
 幾分、緊張しているようにも見えるリウの口が、開かれた。

「お前、本当にあの子がバジリスクだと思うか?」

 カケルの表情が、止まった。

第七章 悲嘆バジリスク

「ただいま………って、いないのかあいつ………」
 放課後。家に戻ったカケルは、だれの出迎えもない家でひとり呟いた。
 カケルにぴったりであるレオナは、一緒に帰るのが絶対だった。今日は午後の授業中もそうだったがレオナは急によそよそしくなり、先に帰ったのだ。そのことを疑問に思わなかったわけではないが、たまにはそういうこともあるか、とカケルは大して気にしなかった。
 ならば家にいるのか、と思っていた。レオナは夜、寝るまでカケルの家にいるのが普通だから、そう思ったのだがどうやら違ったようだ。
「………今日は家にいるのか、あいつ………」
 リビングに入り、鞄をその辺に放りながらカケルはつぶやいた。
(ま、ゆっくりできるからいいか………)
 家の中にいてもレオナは良くも悪くもカケルを振り回す。食事を作る、と言い張っては未確認物体を錬成するし、かといって掃除の技能もない。もちろん教えれば何でもできそうな気はする。レオナはとても呑み込みがよく、それは魔術に限った話ではない。一度言ったことはちゃんと守るし、手先も器用だ。二度同じ間違いはしない。
(いいお嫁さんになるな…………)
 そう思ってから、カケルは少し赤くなっている自分に気づき、首を振った。
(何考えてんだ俺は……! バカみたいだ………)
 ソファに寝転び、天井を見上げる。
 だが、やることがないうえに話し相手もいない。つまり振り回してくるレオナがいないととても暇だった。
 人間は暇で死ぬこともできる生き物だとカケルは思っている。カケルは積極的に物事をする人間ではないが、それでもここまでやることなしだと退屈だった。
(………あいつ、何してるかな………飯ちゃんと食ってるかな………)
 しかも、考え事をすれば隣人のことばかり。それに気づいたカケルはソファに顔をうずめてバタバタする。そのしぐさもアマツが見ていれば爆笑どころか茫然としただろう。それぐらい彼のキャラに似合っていないしぐさだ。
「…………………………テレビでも見るか」
 カケルは普段あまりテレビを見る人間ではない。テレビのニュース番組は情報が正確ではないし、バラエティに至っては冷めた目で見ることがほとんどだ。そんなカケルがテレビを見るというのだから、どれぐらい暇なのかよくわかる。
 テレビのリモコンをしばらく探し回り、見つけて電源を入れる。適当にチャンネルを変えていると、とあるニュース番組でカケルの指が止まった。
 画面の中のアナウンサーがニュース原稿を読み上げる。
〈えー。ここ最近、世界各地の魔術学校を襲っている謎の武装魔術集団、『狩人』ですが、先日、中国の釜山魔術養成学校がこれに襲撃され、魔術歴史学教師であり魔術考古学の権威でもあるリン・フーレン教授が殺害されました。これで襲撃された魔術学校は世界で十二校。殺害された人数は十九人、けが人は重軽傷者含め五十九名におよび、インターポール、および世界魔術連合からさらに捜査官が投入されることに…………〉
「………『狩人』、か………」
 ニュースで流れるテロップと内容に、目を細めるカケル。
 『狩人』。一年ほど前から活動を始めた武装魔術集団で、世界各地の魔術養成学校を標的に活動している。相当な手練れの集団で、今まで逮捕された人数はゼロ。さらに本拠地など、拠点すらつかめていない始末だ。
(こんどはリン教授か………やはりあいつらの狙いは魔術養成学校そのものというよりは魔術考古学に造詣のある知識人ばかり………)
 彼らは無差別に人間を攻撃する、というわけではなく主に魔術考古学や歴史学に関しての著名人や、知識人、および研究者を殺害している。
 その目的がなんなのかは不明だが世界魔術連合、そしてインターポールも本腰を入れて捜索をしている。だが、前述したように結果は芳しくない。
 そのことについて、カケルは疑念を抱いている。
(いくら手練れの集まりと言っても足取りすらつかめていないことはおかしい………インターポールはともかく、世界魔術連合だぞ? 本腰をいれるとか言っておきながら『三皇』どころか『十王』すら投入していない………なんか変だな、やはり………)
 世界魔術連合とは、その名の通り世界中の優秀な魔術師が集められ、魔術養成学校の管理や魔術犯罪の摘発、および魔術犯罪の裁判を請け負っている世界組織で、情報関係の魔術を介するその連絡網や情報網はインターポールの比ではない。
 またその戦闘能力も高く、『三皇』や『十王』を有している。
 なのでこの世界魔術連合を相手にすればたいていの組織はつぶされる。恐らく全盛期の間宮家でも立ち向かえばただでは済まない。それほどの組織だ。
 それほどの組織なのに、『狩人』の足取りすらつかめていない。あまりにも、おかしすぎる。
(それぐらい『狩人』が強力なのか、それとも………)
 カケルは頭の中に浮かび上がったもう一つの可能性に、少し表情を厳しいものにした。
 それは、あまりにもあってほしくない、だが、あり得ることだった。
(世界魔術連合と、裏でつながっているのか…………)
 レオナの話を聞いた時に浮かび上がった一つの可能性。
 それと、今回の推測は、あまりにも強く結びつく。
 テレビのニュース画面を見つめるカケルの目は、恐ろしく鋭いものとなっていた。

 朝の目覚まし音が耳に飛び込んできて、カケルは目を覚ました。
(…………目覚まし?)
 そのことに眉をひそめるカケル。ここ二日のことではあるが、カケルは朝三時にたたき起こされる。正確に言えば上にのしかかられて窒息気味に目が覚めるのだが。
「……………………なんだ? あいつ、今日は来てないのか………?」
 そののしかかってくる人物、レオナの姿はなかった。目覚まし時計の時間を見れば五時。いつもカケルが起きている時間だ。
 昨日一緒に帰らなかったことといい、どこか変だった。
「…………ま、いいけどな。朝三時にギャルゲみたいに起こされるのは辟易してたし……」
 そのつぶやきがどこか強がりのように聞こえたのは本人もだった。
 服を着替えてリビングに行ってみたが、やはりレオナの姿はない。もしかすると―――と思ったカケルは少しだけ目を伏せた。
(…………いや、別にさみしいわけじゃないが………)
 カケルはちらりとリビングの窓から隣、レオナの家をのぞいてみた。カーテンが閉め切ってあり、人の気配は全くない。いつも通り、朝三時に起きて―――。
(登校したのか?)
 いくらなんでも朝三時に登校はおかしいだろ。もしかすると………。そう思ったカケルは急いで食パンを一枚食べると顔を洗い、歯を磨いて外に出た。レオナの家に行くためだ。
 数十秒ほど歩いて玄関に行き、インターフォンを鳴らす。
 しばらく待っていると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「カケル…………?」
(いたか…………)
 そのことに、少しホッとするカケル。夜遅くまで見張っているとはいえ、さすがに朝方には寝てしまうため、もしかすると誰かに……と思ったのだが、どうやらそうではないようだった。
 しかし、ドア越しのレナの声はどこか消沈していて、元気がなかった。いつも余分なほど元気なだけに、その落差はカケルをどこか心配させた。
「大丈夫か? 元気もなかったし、昨日一緒に帰らなかったし、今日も朝おこしに来なかったし………」
「うん………大丈夫………。カケルが、迷惑かと思って………」
 やはり元気がなかったが、とりあえず病気とか怪我ではないようなので、カケルは安心した。
「そっか。まあ、朝三時に起こされないのはこちらも大助かりだけどな」
「っ」
 息をのんだような音がしたので、「どうした?」と言いながらカケルはドアを開けようとした。
 カギが、かかっていた。
「………どうした? 大丈夫か?」
「うん………なんでもない………」
 なんでもないことはなさそうな声だった。なんというか……泣いているように聞こえる。
「レオナ? 本当に大丈夫か? どこか変だぞ?」
 カケルは心配性ではない。なのにどうしてレオナに対してだけここまで心配性になるのかは、言うだけ野暮というものだ。
「本当に大丈夫だから……! もう、放っておいて………っ!」
 その言葉に、カケルは思わずむっとした。
「なんだよ、こっちは心配してんだぞ」
「いいの! 放っておいてっ!」
 さすがにカケルはカチーンッ! と来た。散々心配させておいてこの言いぐさはあんまりだった。
 だが、もう少しカケルが冷静であれば気づいただろう。レオナの声は、完全に泣いている声だったと。
「勝手にこっちに迷惑かけておいて今度は放っておいてかよ!? どこまで身勝手なんだお前は!?」
「っ……ぅ…!」
 ここまで言ってもレオナは息をのみ、言葉に詰まるだけで何も言い返してこない。そのレオナらしからぬ行動に、カケルはますますイラついた。昨日やきもきさせられただけにイライラも生まれて初めての大きさだった。だから必要以上に言葉を放ってしまう。
「お望み通り放っておいてやるよ! 勝手にしろ! ただし、今度は俺に迷惑かけんなよ!」
 言い終わると、カケルは踵を返した。自宅へと戻るその足取りは荒々しい。レオナと接するようになって、感情を少しずつあらわにするようになったカケルだったが、ここまではっきりと怒りを表しているのは珍しかった。
「くそ………なんなんだよあいつ………」
 土足のまま家に上がり、リビングに放っておいた鞄を引っ掴むと、そのまま家を出る。ドアを閉めるとバタンッ! とすさまじい音が鳴ったが、そんなことを気にする余裕もない。
 心をかき回す得体のしれないイラつきに戸惑いながらも、カケルは早足で学校に向かった。

 その後。学校、授業中。
(言い過ぎた…………っ!)
 カケルは机に突っ伏すという彼のアイデンティティを突き崩すような行動をしながら頭を抱えて後悔していた。何を後悔しているのかと言えば、今朝のレオナへの言動だ。
(何むきになってんだ俺は……! あいつは一切悪くないだろ! なのに勝手に一人でキレて……小学生以下じゃないか………っ!)
 自責感に心の中で悶えるカケル。今になって思えば、ただ黙りとおしたレオナの行動のほうがはるかに大人だったと思える。
「…………ぅう………」
 ちらりとレオナのほうを見るが、相変わらず目を閉じていて、こちらに顔を向ける気配はない。というか、なんだかしょぼくれているように見える。その姿にまた自分を責めるカケル。
(ああもう………! これじゃあまりにもあいつが可哀そうだろ……!)
 謝ろう、とカケルは決意した。昼休み、さっさと謝っていつものレオナに戻ってもらおう、と。
 カケルはまだ、レオナが傷ついている本当の理由に気づいていない。
 何しろ、カケルはレオナの目を見ていないから。
 もしも、レオナが普通の女の子であり、目を開けても大丈夫であれば、カケルは気づいただろう。

 レオナの目が、真っ赤に泣き腫らしてあることに―――。

 昼休み。
 カケルが謝ろうと声をかける前に、レオナはどこかに行ってしまった。まるでカケルと言葉を交わすのを避けているように。
 その動作に、思わず傷ついてしまうカケル。
(そんなに怒ってるのか………)
 カケルは改めて自分の行為を反省した。そしてちゃんと謝ろうと食事を買うのも止めてレオナを探すことにする。
「よう、カケル。どうしたんだ、そんなにあわてて?」
 と、廊下を走っているとリウに鉢合わせた。その手には食堂のパンがある。
「いや、ちょっと今朝レオナと言い合いになってな。もっとも、こっちが一方的に悪口を言ったんだが……」
 口に出すと改めてどれだけくだらない行為だったかよくわかった。レオナが起こるのも無理はない。第一、レオナがどうしようとレオナの勝手ではないか。夜まで家にいないのも、一緒に帰らないのも、それが普通なのだ。それを逆恨みして責め立てるなど、やはり醜いことこの上ない行為だった。
「珍しいな。それで、どうして走り回っているんだ?」
「ああ。謝ろうと思ったらあいつがどこかに行ってな。ちょっと探してるんだ」
 そう言いつつリウの隣を通り過ぎようとするカケル。だが、リウはそんなカケルを呼び止めた。
「あ、紬ちゃんならたぶん屋上だぞ。さっきすれ違ったから間違いないと思う」 
 その言葉に勢いよく振り向くカケル。
「そうか! サンキュ」
 そして再び走り出すと、なぜかリウがついてきた。
「なんでお前もついてくんだよ!」
「いいじゃんか。面白そうだし。お前と紬ちゃんのケンカなんて想像できないしな。野次馬精神だよ」
(ゲスだなほんとに………っ!)
 とはいえ、こんな状況を作り出したのは自分なのであまり他人のことをとやかく言えない。これくらいの恥は罰だ、とカケルは自分に言い聞かせて屋上へと向かった。

 リウの言うとおり、レオナは屋上で空を見ていた。とはいえ、目を開いているわけではない。もちろん空が落ちるとかそう言う現象が起こるわけではないが、鳥などを見た場合、死ぬかもしれないからだ。
 かもしれない、というのは、レオナは今までこの目で人はおろか、動物すら殺したことがないからだ。心の優しいレオナにとって、自分が生き物を殺す、というのは耐えきれない行為だった。ただ見る、というそんな行為で生き物を殺してしまうレオナは今まで何ともかかわらないことでそれを防いでいた。
 だから、思ってしまう。
(こんなあたしが、誰かの為になんて、生きられるわけがなかったんだ………)
 同じバジリスクである両親ですら自分のせいで殺してしまったのだ。ましてや人間など、人間生活の知識も常識もかけている自分が手助けできるはずがない。
「………あたしはやっぱり、一人じゃないといけないんだ………」
 思い出されるのは、カケルとの会話。
『―――あたしはもう一人じゃない。あなたがいるもの』
 そう。あの時はそう思った。自分に、仕えるべき、一生をかけて、命を懸けて助けるべき支えるべき人が現れたと。
 だけど、良く考えればそれも自分のわがままだったのではないか。
 レオナはそう思った。
 命の恩人。命を懸けて仕える。聞こえのいい言葉だが、これらはすべてとってつけた理由でしかなかった。
 本当は、誰かと一緒にいたかった。
 誰かの隣にいたかった。
 いや―――誰かではない。カケルの、隣に。
「………でも、だめ」
 自分は、カケルの為に何も出来ていない。ただ勝手に行動して、カケルに迷惑をかけているだけ。今朝も、彼自身そう言っていたではないか。
「…………っ………!」
 涙が、こぼれた。昨日、家に走りかえってから、いや、その途中からずっとあふれてあふれて止まらなかった涙。どんなに拭いても、とめどなくあふれてきた。
 そしてようやく枯れたと思っていたのに。見たこともないカケルの顔を想像するだけで。もう、二度と接するべきではないと考えるだけで涙はあふれてくる。
「っ………ぅ………カケル………」
 自分が、情けない。
 もう接するべきではないと思っていたのに、レオナはカケルの隣、紬家から離れることができなかった。学校に来てしまった。カケルの隣で授業を受けてしまった。
 もう、顔向けすることすらできないのに。
「…………カケルぅ………」
(やっぱり嫌だよ………ずっとそばにいたいよ………)
 泣きじゃくりながら、そう思うレオナ。
「あたし、頑張るから………カケルの為に、何でもするから………カケルの為に、為だけに生きるから………料理も、掃除も………魔術も………」
 人間の常識も、知識も、すぐに覚える。掃除の仕方も、料理も。覚えられる限り全部覚える。同じ間違いは二度もしない。絶対に迷惑かけない。
 だから。
 だから、どうか。

「だから………隣にいさせてよ……………っ」

「―――――ダメだ」
「っ!」
 突然聞こえてきたその声自体にまずレオナは息をのんだ。
 そして次に、返事の意味に言葉を詰まらせ、そして涙をこぼす。
「………だよね………っ」
 聞こえてきたカケルの声。そして、その意味。それらに泣きながらうなずくレオナ。
 足音が、近づく。
「…………ああ。だめだ。そんなんじゃだめだ」
 その言葉に、レオナは顔を伏せる。頬から滴る涙が、コンクリートの床に染みをつくるが、やはり見えない。
 そんなのじゃだめ―――やはり、レオナには、カケルの為に行動することなどできないのだ。
「お前、何にもわかってないな」
 そう。わかっていない。レオナには、カケルのことなどわかっていないのだ。
 そのことに、唇をかみしめるレオナ。

「――――俺のためだけに生きるとか。そういうのじゃ、だめだ」

「―――――っ!?」
 信じられない言葉に、レオナは顔を上げた。危うく、目を見開くところだった。
 カケルの言葉が、続いて聞こえてくる。
「俺のために生きちゃだめだ。お前の人生は俺のモノじゃない。お前のものだ。お前はお前のために生きろ。お前の望む通りに生きろ」
 聞こえてくる言葉に、レオナは戸惑ってしまう。
(自分の、為に………?)
 カケルの言葉は、続く。
「お前の望むとおりに。お前の願いの通りに。そのためだけに感じて、考えて、行動して、そして生きろ。そうじゃなきゃダメだ」
 レオナは顔を上げたまま、茫然とする。カケルの言葉の意味に、脳がマヒしている。
 そして、カケルは笑った。
 目を開けていないのに。見ていないのに。思考を読む術式を使っていないのに。はっきりと、レオナはそう感じたのだ。
 カケルは、笑って言う。

「そういうお前の笑顔じゃなきゃ、だめなんだ」

 風が、吹き抜ける。
 その風は頬を流れていた涙、目にたまっていた涙だけじゃなく、心の中にたまっていた涙や悲しみ、そして感情の栓も吹き飛ばしたようだった。
「お前が望むとおりに生きて、望みがかなって、その時に浮かべる笑顔を、俺は見たいんだ。それが俺の望み。そしてもしも、お前の望みが俺の隣にいることなら、別にそれは構わない」
 その言葉に、またレオナは驚いた。
 カケルはまだ笑みを浮かべたまま、言葉をつづける。
 
「俺の隣は、お前だけのものだ。お前が望むなら、俺もそれがいい」

「………ぁ………」
 それは、レオナが聴きたかった言葉。何よりも。世界の何よりも望んでいた言葉。
 頬を、一筋の涙が流れる。
 だけどそれは、悲しみの涙ではなかった。
 喜びの、涙。
「……だけど、カケルは……あたしのこと、迷惑だって………」
 心にわだかまる思いを口にすると、カケルは「あー……」と言葉に困った。
「あれは………俺が悪かった。つい、いらいらしてな。お前が俺を拒絶するもんだから」
「え? でも、昨日、屋上で………」
 昨日、屋上で盗み聞きした言葉を思い出し、レオナは顔を伏せた。
 だが、カケルの様子もおかしかった。
「お、屋上………っ」
 レオナには見るすべはなかったが、顔を真っ赤にして、視線を逸らした。これもレオナは気づいていないが、後ろにいるリウもにやにやしている。
(カケル………?)
 その口調に疑問を感じたレオナは、カケルの真意を知るべく、あの術式を使うことにした。もちろん、その結果次第ではレオナはさらに落ち込むかもしれない。だが、このままカケルに迷惑をかけ続けるのだけは嫌だった。
 そして、カケルの声を聞いた。
(昨日のを聴かれてたのか……)
 ばつの悪そうなその言葉に、レオナは(やっぱり………)と心を落ち込ませかけたが。
(恥ずかしいなこれは………なにしろ…………)
(え? 恥ずかしい?)
 その言葉に引っ掛かり、顔を上げたレオナは続いたカケルの回想に目を見開くところだった。

(ほとんど告白したようなもんだよな………あれって………)

「っっっ!?」
 驚いたレオナは―――術式を、深くし過ぎた。
 この術式は気配などに含まれる意思を読み取る術式だが、実は語弊がある。本来、この術式は気配などと同様に人体から発される『気』―――一種の魔力を読み取り、またその魔力を伝って対象の記憶などに干渉する魔術を祖としている。したがって術式を完全に使用した場合、対象の深層意識まで覗くことができるが、深層意識というのは混沌としており、並みのものでは精神が壊れてしまうほどのものだ。
 レオナは、今回、そこまではいかなくともカケルの記憶の深いところまで見てしまった。経験があると思うが、人間が会話などを思い出す瞬間というのは早い。一瞬にして複数の会話を思い出す。
 今回レオナは、昨日のカケルの屋上でのリウとの会話―――一連のそれを一瞬にして見た。
 そして―――自分のすれ違いを、理解した。
「…………………」
「レオナ?」
 カケルの声に、ハッとして術式を解除した。とはいえその術式の余波で研ぎ澄まされた感覚が、カケルが見つめていることを教えた。
 そのことに顔を真っ赤にし、さらに自分の勘違いに顔を真っ赤にするレオナ。
「………っ」
「大丈夫か? 熱でもあるのか?」
 カケルののばした手が、額に触れた。
 それで、もう限界だった。
「っ―――ぅううううわあああああああああん!」
「レオナ!?」
 カケルの呼び止める声が聞こえたが、レオナは止まることなく屋上から飛び出し、階段を駆け下りた。昨日はこけまくった階段だが、その経験か、まったくこけることなく駆け抜けた。
 恥ずかしさと、恥ずかしさと、恥ずかしさと、そしてやっぱり恥ずかしさで顔が真っ赤だった。
 とりあえず、やっぱり顔向けできないレオナだった。

「ああもうあいつ! 一体どうしたんだ!?」
 レオナが走り去った後、一拍おいてカケルは我に返った。昨日の午後から様子が変だったが、ここにきてますますおかしくなったような気がする。
(俺なんか変なこと言ったか!?)
 カケルは自分のセリフを回想してみるが、変なところは見つけられなかった。………恥ずかしいセリフ、という以外は。
「いやあ、青春だなぁ………」
 リウはなんだか訳知り顔でうなずいている。
(とりあえずこの馬鹿は放っておくか)
 カケルはレオナの後を追って飛び出した。
 のだがすでにレオナの姿は見えず、どこに行ったのかは見当もつかない。何しろ出会って四日、しかもほとんどレオナはカケルのそばにいたため、レオナの気に入っている、あるいは行きそうな場所などレオナの家ぐらいしか思いつかない。
「ええい! 教室だッ!」
 予鈴まではあと二十分。授業開始まではあと三十分ある。探す時間は十分だ。しらみつぶしに探すつもりだった。
「あ、ちょっと待てよカケル!」
 走り出すと、リウがついてきた。
 しかし言葉をかける余裕も、そうする気もなかったカケルは無視して全速力で階段を駆け下り、廊下を全速力で走る。
 『廊下は静かに』。
 そんな標識、カケルには見えなかった。それに『廊下は静かに』。ならば静かに走ってやるだけだ。
「レオナッ!」
 一年三組にたどり着いたカケルは教室のドアを開けながら叫んだ。
 しかし、教室内を見渡しても見えるのは何事かとざわつく生徒と、呆気にとられた顔をしているアマツだけ。レオナの姿は見えない。彼女がバジリスクではなくカメレオンだというなら別だが。
「チッ! ハズレか!」
 そう思って再び駈け出そうとしたカケルは――――。
「―――ん?」
 走り出そうとした矢先に急ブレーキ。
「ぶおっ!?」
 後を追おうとしたリウがまともに背中に顔面を強打するが、カケルは無視した。
 そしてもう一度、クラスを見渡す。
 何か、違和感を覚えたのだ。
 教室内にいるのは、何事かとざわついている生徒とアマツだけ。そう。アマツ―――。
「―――アマツ?」
 教師であるアマツが、教室にいた。授業が始まる三十分前に。
 しかもその姿も異常だった。頭に着けているのは通信用のインカム。そしてその右手に持っているのは黒い、大きな西洋剣。それはまるでさながら十字架のようだ。
 その剣―――魔装武具には見覚えがあった。
 カケルは戦慄とともにその名をつぶやいた。
「―――『黒の十字架(シュヴァルツェア・クロイツ)』だと………!?」
 『黒の十字架』―――シュヴァルツェア・クロイツとは、その名の通り黒い十字架の形をとった西洋剣であり、間宮を名乗っている時からのアマツの魔装武具だ。
 魔装武具とは、魔法で強化された、あるいは魔法の補佐を担当する武具のことで、その性質上、生産数は少なく、その分強力な武器となっている。
「どういうことだアマツ。どうしてそんなものを持っている………っ!」
「別に? 今日は『魔法戦闘術』の日だ。参考として持ってきただけだ」
 まったく表情を変化させずに言い切るアマツだが、それが嘘であることはカケルはもちろんクラス全員が見抜いていた。
 しばらくカケルとにらみ合っていたアマツだったが、インカムの会話に耳を傾け、何度か頷くと、打って変わって鋭い目つきになった。
 それは、カケルが数回しか見たことのない、アマツが戦う時の目だった。
「……………やはり状況は『赤』、か。仕方がないな」
 そのつぶやきに、カケルは眉をひそめた。
 『赤』。それはつまり―――。
「全員その場で聞け! コンディションレッドだ! 『狩人』が学園敷地に侵入してきた! 教師部隊、三年精鋭部隊は戦闘準備に入る! 速やかに中等部生、初等部生を誘導してA-2シェルターに避難しろッ!」
 その声ははっきりと響き渡り、一瞬クラスに水が落ちたような沈黙が漂う。
 だが、それは一瞬のこと。
 その一瞬が過ぎた後、クラスはすぐさま騒ぎに包み込まれる。
 
 ―――しかし、それはパニックによるものではない。

「―――コンディションレッドだ! 各クラスに通達! それぞれ自分の出席番号の一つ上の人間を確認! 発見し次第、速やかに避難指示行動に映れ!」
 クラス委員を任されている芦屋シンがよく通る声で堂々たる指示を出す。
「四組、五組との連絡終了!」
 四組との非常時連絡員、篠原アケミが次の瞬間には報告する。
「現在のクラスメンバー確認! 十九名! そのほか十一名を他クラスにて確認中!」
 風紀委員、月矢ナガレがクラスメイトの確認をする。
 そのほかのクラスメイトも、非常時に割り当てられた己の役割をしっかりと果している。それはさながら、歴戦の兵士たちのようだった。
 カケルも、知ってはいたもののはじめて見る光景に圧倒される。
 陣柳市立魔術養成学校。
 ここに限らず魔術養成学校はその性質上、テロリストに狙われることは多々ある。そのため、緊急時用の避難は常に不意打ちで初等部のころから行われ、緊急時にも迅速に行動できるよう、体にしみこませてある。
 だからこそテロリストによる被害は今まで皆無であり、その魔術学校を襲って被害を出している『狩人』は異常なのだ。
「間宮」
 アマツが、声をかけてきた。
 その目はすでに戦いを前にした戦士の鋭い目となっている。
「…………はい」
 カケルも、その声の意味が分かっていた。
 ほかのクラスメイト一人一人に役割があるように、カケルにもカケルの役割がある。
(………レオナを探すのは、後回しだ)
 そのことに、唇をかむ。
「………状況は?」
 カケルは厳しい目になってアマツに尋ねた。
 アマツは一つ頷くと、状況説明を始める。
「敵はまっすぐにここ、高等部に向かってきている。我々は校舎の一キロ手前、戦闘模擬演習場にてこれを待ち伏せ、迎撃する」
 この魔術学校は非常に広大だ。敷地は東西四キロ、南北二キロに及ぶ。『狩人』は南の裏門付近から侵入し、一番近くにあるここ、高等部に向かってきているらしい。
「すでにターゲットとみられる魔術考古学、魔術歴史学の先生は避難させてある。あとは私たちが守りきるだけだ」
 さすがと言ったところだろうか。アマツたち先生陣も敵の狙いに気づいていたようだ。手際の良さには思わず舌を巻く。
「警報を鳴らさないのは、相手を油断させるためですか?」
 カケルのそばで、リウが問いかける。
 アマツはうなずいた。
「ああ。まあ、気やすめだがな………。だが、どうも相手は地理に詳しすぎる。OBがいるのかもしれない。それに………」
「それに?」
 アマツは、一つ息をついて、気になっていることを口にした。
「相手の数が多すぎるんだ。今までの襲撃では多くてもせいぜい十人。それなのに今回は五十人だ。あまりにも大げさすぎる。こちらの魔術考古学や魔術歴史学の先生方はこう言っては何だがあまり大した実績を持っていない。研究もろくに行っていない。それなのに………」
 確かにそうだった。相手が今まで狙ったのは高名な研究者や知識人ばかり。ここの先生にはそのどれも当てはまらない。
「だとすると敵の狙いは別………?」
 カケルもいぶかしんで顎に手を当てて考える。
(魔術考古学や魔術歴史学に匹敵するもの………魔術………古代………っ、まさか!?)
 一つの考えに思い当たり、カケルは声を上げた。
「月矢! レオナ―――紬レオナはすでに確認されているか!?」
「いいえ! まだよ! こちらでも探しているんだけど………っ!」
 その答えに、カケルは舌打ちした。
「どうしたんだよ、カケル?」
 リウの問いかけに、カケルは答えた。もう、推測だからとためらっていられる場合じゃない。
「奴らの狙いはレオナだ………っ!」
「なっ………ッ!?」
 リウが息をのみ、アマツも目を細めた。
「どういうことだ?」
「奴らの狙いは、古代魔術だ。それを復活させまいとしているんだよ。理由は知らねえ。だけど、そう考えれば魔術歴史学や魔術考古学を研究している人間を襲っているのもわかる」
 そして、彼らは見つけたのだ。もっとも彼らにとって危険度の高い人物を。
「レオナは………古代魔術を使える。あいつの家に代々伝わる魔術がそうだ。魔力を使用して、科学理論を必要とせず魔法を発動させるあの技術………奴らはそれでレオナを狙っているんだ」
 バジリスク、とは口にしなかった。今は下手なことをアマツに知られないほうが良い。それに、これだけでもすべて説明がつく。奴らが妙に地理に詳しい動きをしているのは、おそらく内通者がいるから。その内通者によってレオナの情報が漏れたのだ。
「でも、何で古代魔術を………っ?」
 リウの質問はもっともだ。古代魔術も魔法の一つ。そう教えられている。
 だが、そうではないのだ。
「古代魔術と現代魔法はまったく違う基礎から成り立っている」
「え………?」
 カケルの言葉に、リウは茫然としていたが、アマツは目を細めただけだった。
「古代魔術は俺たちの現代魔法の理論とは全く違う。かけ離れている。魔力という概念、科学理論を無視した現象、人間の演算能力では説明のつかない超大規模破滅級(カタストロフ)魔術。それらはすべて、今の現代魔法とは全く異なる、異質の存在なんだ」
 もちろん、これらはカケルの少ない知識と半端な想像による推測だ。だが、これが正しいと仮定した場合、もう一つ恐ろしい推測が成り立つことになる。
 だが、それを口にはしなかった。
 あまりにもあってほしくない想像だったし、口にすればそれこそ命を奪われかねないものだったから。だから、とってつけた嘘の理由を口にする。
「奴らはその古代魔術の破壊魔法を恐れているんだ。『失われた魔法』を。だからそれらの具体的な方法や理論が表に出ることを恐れている。そのために研究者や知識人といった、それらに至りそうな人物を消してまわっているんだ」
「確かに………そう考えれば辻褄は合う。何より、紬が古代魔術を知っているというのが決め手だ。そうなれば紬を保護しなければ」
 指示を出そうとしたアマツの手を、カケルがとめた。
「だめだ。大人数を出せばそれだけ相手にも見つかりやすくなる。ここは相手を食い止めつつ、少人数………それも通常の捜索人数で探すべきだ」
「そうは言うが………だとすると、一人。しかも出席番号が紬より下の………」
 アマツは、言葉の途中で視線を駆けるからリウへと向けた。
 リウは、その視線をまっすぐに受け止める。
 椿リウ。紬レオナの、次の出席番号。
「そうだったな………よし。頼むぞ椿」
「はい!」
 アマツの言葉に、気合十分の返事を返すリウ。
 その横顔に、カケルも声をかけた。
「リウ………俺からも、頼む」
「カケル………」
 本当は、カケルが行きたい。今すぐにでも、駆け付けたい。だけど、カケルにはやるべきことがある。
 それは、レオナを守る事にもつながるはずだ。
「頼む…………」
 その言葉だけで、十分だった。
「任せろ」
 リウは普段のちゃらけた顔からは想像もできないほど真剣な顔になって、身を翻した。
 人ごみへと消えていくその背中を、カケルは見送った。
 ひどいことをした。初めて会ったとき、他人を否定したくて、他人を信じることができなくて、その手を突っぱねた。
 だけど、その手はカケルの願いの為に今、動いてくれている。
「………お前らは、絶対に守ってやる」
 カケルはつぶやいて、視線をアマツへと戻した。
「……………準備は良いか? 間宮カケル。いや―――」
 視線を受けて、アマツはカケルに冷たい視線を送った。
 その口が、今のカケルの二つ名を、紡ぐ。
 その、忌まわしき名前を。

「―――『焔王』」

今、バジリスクの少女をかけた戦いが、始まる。



第八章 動揺バジリスク

「今回はせいぜい応用三式を開放すれば十分だろう。左手を出せ」
 敵を待ち伏せする地点である戦闘模擬演習場。そこで、カケルはアマツに手錠のはめられた左手を差し出した。
 アマツがポケットからカギを取り出し、手錠のカギ穴に差し込んでそれを開錠する。
 カケルの手錠、および首輪はすべて神経を経由して脳の神経細胞に干渉、記憶領域を制限する魔術をかけられた特殊な拘束具で、これによってカケルは『Ξ語』で発動可能な『焔禍』術式の基本三式以外の応用三式、奥義三式、秘奥義三式を封印されている状態となっている。
 今回、左手の手錠が外されたことにより応用三式までが使用できるようになった。
 自分の記憶領域が解放された感覚に、無表情なその顔を少しだけ厳しくするカケル。
「いいな? お前の任務は敵の殲滅および高等部の絶対防衛だ。失敗すれば………わかるな?」
 アマツの念を押す言葉に、カケルはうなずいた。その目はレオナに見せるものとは全く違う、光を灯していない瞳だ。
 見るものすべてを凍らせるような、そんな瞳。
「…………わかってる」
 そう。わかっている。カケルはよくわかっている。今の自分の立場も、自分がなすべきことも、失敗した場合どうなるかも。
「――――殺していいんだろ?」
 カケルの問いかけに、アマツは『黒の十字架』を研ぎながら答えた。
「だめだ。あいつらの目的を知らなければならない。生け捕りにしろ」
 その言葉に、カケルは眉をひそめた。
「どうしてだ。命令は殺害のはずだぞ。政府の命令に逆らうのか?」
 政府の犬であるはずのアマツの意外な言葉に、カケルはつい尋ねてしまった。
 そして、返ってきた答えに驚く。
「ああそうだ。奴らは殺したことにしておいて、私たちが独自に捜査を進める」
 それはつまり―――政府を、その上にいる世界魔術連合を欺くということ。
「…………捕まることを恐れて生家の名前を捨てた人間の言葉とは思えないな。どういう風の吹き回しだ?」
 臆病者のアマツらしからぬ言葉に、カケルは皮肉げな言葉をかけた。その声にわずかに怒りの色が浮かんでいるのは、やはり間宮を、両親を見捨てたアマツを許せないからだ。
 アマツはそんなカケルを見て………ふっ、と笑った。
 その笑みに、思わずカケルは動揺してしまう。
 それはあまりにも疲れたような、そして悲しい笑みだったからだ。
 アマルがそんな笑みを浮かべたのは見たことがなかった。いつも自信にあふれていて、傲岸不遜で、一歩先の思考をしているような、そんな印象を受けていた。
「…………お前の先ほどの推測で確信した。『狩人』の背後のいるのは―――」
 そしてアマツは口にする。カケルだけではない、周囲にはほかの戦闘担当の教師もいるなか、カケルが口にするのを憚った言葉を。推測を。

「―――世界魔術連合―――つまり、政府だ」

 その言葉に、カケルは眉一つ動かさなかった。
 考えは、同じだった。

 レオナは、戦闘模擬演習場に一番近い体育館である第三体育館にいた。
 どうしてここを選んだのかと言われれば、特に理由はない。
 ただ恥ずかしくて走り回っていたら、いつの間にかここにいたというだけだ。人気のない場所だったので都合がよかったというのもあるかもしれない。
「………………あたしの勘違いだったんだ………」
 先ほどの見てしまったカケルの記憶を思い出して、レオナは頬を赤らめた。だが、次の瞬間どこか悲しい顔になった。
(やっぱり、顔が見れないっていうのはきついよ………)
 そもそも、今回のすれ違いにしたって顔さえ見ることができていれば起こるはずのなかったことなのだ。顔を見るという、当たり前のことさえできれば。
 だが、そんな当たり前のことがレオナにはできない。見れば相手を死に追いやってしまう呪われた目がある限り。
「………………カケル…………」
 レオナはカケルの名前をつぶやきながら天井を見上げた。
 見上げた。
 そう。レオナは目を開いた。
 人生で三回目となる直接の光に、まずレオナは眩しそうに目を細めた。目を開けるのは、五年ぶりだった。
 ゆっくりと、光に慣らしながら瞼を上げていく。
 その、いつもまぶたに隠されていた紫色と金色の織り交ざった独特の色の瞳があらわになる。
 それは一言でいえば美しい瞳だった。
 銀色の髪の毛に絹のような白い肌。見るものすべての視線を釘付けにするような端正な容姿に付け加えられた宝石のような瞳。しかしそれは人を引き付けると同時に拒絶するような、絶対的な何かを感じさせるものであり、その額に刻まれた王冠のような紋章がよりその高潔さを際立たせる。
 目を開けて、天井を見ても何も起こらない。
 両親に教えられたことだが、完全に人工物に囲まれた場所であれば目を開けても何も起こらないそうだ。
 命あるものを見ればその命を奪ってしまう魔の瞳だが、命のない人工物であればその心配はない。
 だが、逆に言えばそういう場所でしか目を開けたことのないレオナは、ほかに何も見たことがなかった。
 花も、鳥も、虫も、木も、森も、人も。
 もちろん、カケルも。
 だから花がどういうものなのか、知識としては知っていても映像としてその頭には入っていない。ある意味、レオナの記憶はすべてまがい物、空っぽと言ってもよかった。
 目に映るのは、命を持たない武骨な鉄骨。
 つまるところ、レオナはこういうものしか見たことがなかった。
「………………………」
 彼女が見たことのある世界は、すべてこういう醜い世界。
 自然の美しさなど、彼女が見ればすべて失われてしまうのだから。
「………………ぅ………っ………」
 見る見るうちにその顔がゆがみ、その頬を涙が伝う。
 まるで世界のすべてから拒絶されているような、そんな感覚。
 彼女は記憶のうちで、命ないものにしか囲まれていない。
 命あるものの映像の記憶など存在しない。
 命あるものの映像が記憶にあるということは、それを殺したということ。
 そんなのは、嫌だった。
 だから、レオナの記憶にはカケルの顔がない。
 その顔がレオナの記憶に存在するということは。
 カケルを殺したということだから。
 逆に言えば。
 カケルを見たいというその願いは。
 カケルを殺したいということと、同義だ。
「………ぅ……ぅぁ………」
 再び目を閉じるレオナ。しかし、閉じられた瞼の下からも、次々と涙は流れ落ちていく。
 鉄筋と鉄骨、そしてコンクリート。
 命ないものに囲まれた世界の中で、バジリスクの少女は泣いていた。
 
 そして突然、荒々しく体育館のドアが開け放たれた。


 アマツの放ったその言葉に、カケルはもとよりそばに待機していた教師陣も沈黙していた。
 ややって、カケルが苦笑気味に口を開いた。
「………まさか、魔術養成学校の先生が推測とはいえそれを口にするとはな」
 その額には、わずかに汗が浮かんでいる。
 対照的に、アマツは涼しい顔をしている。
「確かにこれは推測だ。だが、警察も推測で犯人を捕らえるんだ。まだ口にしているだけの私は大したことないだろう」
 そう言いながら、『黒の十字架』を地面に置いた。
「…………優れた魔術集団とはいえ、『狩人』の足取りがまったくつかめていない理由。それは明らかに世界魔術連合―――そして警察―――つまり政府が協力しているからだ。そうでないと説明がつかない。それに『狩人』の奴らが魔術考古学や魔術歴史学の高名な学者―――しかも、古代魔術について研究していた人間しか狙っていなかったという事実、それら狙いが素人目にもはっきりとしているにもかかわらず対策を取らなかった政府および世界魔術連合。そして―――」
「―――現代魔法と古代魔術が決定的に違うという、事実」
 アマツの言葉を、カケルが引き取った。
 カケルの言葉に、アマツはうなずいた。
「そうだ。私も政府が背後にいるのではないかとうすうす感づいてはいた。だが、それはあくまで科学勢力の魔法勢力に対するけん制のようなものではないかと思っていた。だが、それは違った。むしろ、科学勢力と現代魔法勢力は手を組んでいる」
 アマツの言葉に、カケルは少し感心した。カケルのわずかな言葉だけで、アマツはすぐさまその推測に思い当たったらしい。
 レオナと出会った次の日、アマツの授業中に思い当たったことだが、科学と現代魔法はとてもよく似ている。現代魔法の基礎となる力、人間に備わっているサイコキネシスについても科学的見地から解明されており、実は魔法の運用に関して科学というのは密接に結びついている。
 にもかかわらず、科学が魔術と表面上対立している理由。それは、アマツが最初に考えているように、今回のような事件を科学勢力によるものだと考えさせるためだ。
「少し頭のまわる人間なら『狩人』の後ろに政府のような勢力が存在することはすぐに思い当たる。だが、まさか魔術勢力が同じ魔術勢力を消しているとは考えまい。私もそうだった。だが、紬―――古代魔術を使用できる少女とやらに出会って考えは変わった。正確に言えば、間宮、お前の推測を聴いてだがな」
 そう言いながらアマツはカケルに視線を送った。
 それは、とても鋭い視線で、カケルは知らず知らずのうちに体を緊張させる。
「古代魔術と現代魔法は違う。にもかかわらず、私たちは今の魔法を古代魔術が発展したものととらえていた。なぜか? それは、そう教育させられていたからだ」
 それも恐らく、世界魔術連合の思惑。教育というのは恐ろしいものだ。歴史を紐解けば、教育で国が発展した例もあれば、軍事主義に走って滅びた例もある。
 魔術師を志す子供たちは世界魔術連合が背後にある政府の管轄する魔術養成学校に通い、魔術を習う。そして卒業した後も、政府の管轄下に置かれる。
 それは、一見自由に見えてすでに見えない鎖に縛られている状態。一度刷り込まされた考えというのはなかなか変わらない。しかも、周りも全員それに気づいていないのだ。何か外的刺激がなければ目が覚めることはないだろう。
 その外的刺激となりうるのが、古代魔術に関する知識―――または、古代魔術そのもの。
 そう。今回で言えば―――紬レオナ。古代魔術に関する知識だけでなく、それを使用できる存在。
 そう考えると、レオナが言っていた人間に対して友好的な魔獣や神獣の仲間たちが姿を消しているというのもわかる。政府が裏切って滅ぼしているのだ。『狩人』のような存在を利用して。
 そしてレオナも―――狙われた。
「もっとも、これは推測にすぎない。しかも、紬が古代魔術を使用でき、それが、現代魔法の理論に沿っていないという仮定の上に成り立つ推測だ。しかし、本当だとすればあまりにも恐ろしい事実だ」
 アマツが手袋をはめ、地面に置いてあった『黒の十字架』をその手に握る。
「―――まあ、その事実がなくともとりあえず襲撃者は全員潰すがな。全員、用意は良いな?」
 アマツの言葉に、その場に集合している戦闘系の教師はうなずいた。
 カケルは肩をすくめながら言った。
「いいのかよ? そんなこと言って背中から刺されても知らねえぞ」
 そもそも、レオナが狙われたのも恐らく内通者による密告のせいだ。この学園内に内通者がいるとなると、今の発言でアマツが狙われる可能性は高い。
 だが、アマツはその言葉を一笑に付した。
「ハッ。バカ言えガキが。私は背中を預けられる人間しかここに呼んでいない」
(そう言えばそういう人間だったな、この人は………)
 信じられる人間しかそばにはおかない。絶対に裏切られないという信頼のもとでこそ、全力で戦える。それが獅子宮―――間宮アマツの信条だった。
 そしてカケルは、一つ息をついた。
 尋ねる。
「…………………それには俺も入ってるのか? 姉さん」
「―――――……………」
 その言葉に、沈黙が下りる。
 アマツとカケル、名前を捨てた姉と名前にしがみついている弟の間に張りつめた糸のような緊張が走る。
 周りにいる教師陣は、聞こえていないかのように沈黙を保っている。
 十数秒たって、アマツは『黒の十字架』を肩に担ぎながら言った。

「―――ああそうだ。カケル」

 その言葉にカケルは――――。
「そうか」
 ただ一言、それだけを返した。
 再び、沈黙が漂う。
 だがそれは、先ほどのような緊張を含んだものではなく、むしろ心を落ち着かせるような、そんな心地よい沈黙だった。
 今度は、その沈黙をアマツが破った。
「………お前もいい加減、背中を預けられるくらい、人を信じてみろ。カケル」
 その言葉に対し、カケルは右腕を一振るいした。
 そして、一瞬ののちにはその手に輝くような透明な剣が出現する。
 武骨でありながら、鋭く、そして見るだけで硬いとわかるような、そんな剣。
 元素名C―――炭素―――そのもっとも硬い同素体、ダイヤモンドで作られた剣だ。
 プロ―――政府直属の魔術師ですら、その形成には数分、普通の魔術師であれば一時間はかかるような複雑な演算を、一瞬でこなして見せた。
 周りにいた教師陣が息をのみ、アマツもわずかに目を見張る。
 三年前。昔アマツが間宮を名乗っていた時に見ていた速度よりも、さらに上がっていた。
 カケルはその剣をアマツと同じように肩に担ぎながら口を開いた。
「俺の背中は、だれにも守らせない。誰にも預けない………ま、最近考え直しだしたところだがな」
 それが、カケルの昔からの信条。
 家族以外、だれも信じなかったカケル。そして三年前には家族であったアマツにも裏切られ、両親を奪われ、だれも信じなくなったカケルの、心情であり信条。
 その言葉に、悲しげに眼を細めるアマツだったが、続いたカケルの言葉に、目を見開いた。

「だけど、俺の隣はあいつ―――レオナだけのものだ」

 その言葉が発せられるのと、カケルに向かって銃弾が放たれるのとは、同時だった。

 体育館のドアが荒々しく開け放たれ、レオナはあわてて顔をぬぐい、振り向いた。
 そこには―――。
「…………椿君?」
 膝に手をついて息を荒くしているリウがいた。
「どうしたの? そんなに疲れて」
(あ、授業始まって―――って、予鈴鳴らなかったよね?)
 思い当たった理由に、レオナは次の瞬間首をかしげた。体内時計ではもうすでに授業が始まっている時間だが、予鈴が鳴った記憶はなかった。
 と、疑問に思っているとリウが近づいてきた。
「紬ちゃん、こんなところにいたんだ………早く行こう。カケルが心配してる」
「あ…………」
 その言葉に、レオナは目を伏せた。先ほど見たカケルの記憶を思い出し、顔を赤らめる。
 そして、レオナは見えていないがそんな彼女の様子に首をかしげているリウに尋ねた。
「あの………椿君、ちょっといい? その、昨日のカケルの言葉って………?」
「ああ、あれか。いやあ、まさかカケルがあれほどデレるとはな。言葉の上ではこっぴどくこき下ろしていても、顔はにやにやしてたよ、あいつ」
 リウは思い出して声に笑いを含ませた。
 だが、レオナは対照的にその言葉に顔に悲しみの色を浮かべた。
「そっか…………顔は…………」
「ん? どうした?」
 リウの厚意に、レオナは少し甘えることにした。
 すこし、口にすればこの思いも軽くなるかもしれないと思ったからだ。
「ううん………やっぱり、顔を見ればわかることも多いのにな、って………」
 その言葉に、リウは「ああ………」と思い当たったようだった。
「あたし………カケルの隣にいてもいいのかな? 声だけでカケルのことを判断しちゃって、問題ないのかな? 術式を使用して様子を感じ取るのにも限界はあるし………」
 もしもここにカケルがいれば、そんなレオナの心配など一笑に付しただろう。いや、むしろ怒るかもしれない。そんなこと、心配するようなものじゃない、と。
 だが、レオナはカケルがそう言うとわかっているからこそつらいのだ。カケルはきっと、レオナの為になんでも我慢するだろう。そうしてくれる、優しい人だとレオナは思っている。
 レオナが顔を見れないばかりに起こすかもしれない勘違い。目を開けていないからこその危険や誤解。それらすべてを、カケルは背負うかもしれない。
 それらはいつか―――カケルを傷つけ、殺してしまうかもしれない。
 それがレオナにとって、一番怖い。
 リウは、レオナの質問に対して適当にあしらうことはしなかった。
 真剣に、考えるような顔つきになって、そして思い切ったように口を開き、尋ねた。
 それは、レオナにとって、考えたこともないことだった。
「あのさ、紬ちゃん………」
「なに?」

「紬ちゃんって、本当にバジリスクなの?」

「え………?」
 体育館に、沈黙が下りた。

 銃声が鳴り響き、銃弾がカケルへと向かう。
 だが、カケルは超人的な反応速度で振り向いたかと思うと手にしたダイヤモンドの剣で銃弾をはじいた。
 誰もいない虚空を、銃弾が凪ぐ。
 空気を切り裂く独特の音だけが、その場に響いた。
 カケルは動揺を見せずに、アマツに対して口を開いた。
「おい。そろそろ来たぞ。『狩人』のやつらだ」
 その言葉にアマツ、そして教師陣が臨戦態勢となる。
 戦闘模擬演習場に現れたのは。
「………兵士か」
 その言葉通り、現れたのは最新の武装で身を包んだ戦闘部隊だった。魔術師らしく人物はほとんど見えない。
「やはり科学勢力と手を組んでいるか………!」
 アマツは『黒の十字架』を手に厳しい顔になった。政府に属するという身分上、複雑な気分なのだろう。
「それを悟られても構わないという姿勢を見る限り、俺たち全員をつぶすつもりのようだな」
 カケルは敵が展開していくのを見て、少しも動揺せずに冷静に意見を述べた。
 科学と魔術が実は手を組んでいる。それを示す光景に、カケルは目を細めるだけ。
 もともと他人を信じないカケルだ。いろいろなことを考えて疑ることは何度もあった。今回もその一つに過ぎない。
「さて、どうする? 敵は最新の科学武装に身を包んでいるぞ?」
 銃弾が飛んでくるのも構わず、アマツに顔を向けてカケルは問いかけた。アマツたちが準備していたのは対魔術用魔術。今から通常の攻撃魔術を組み立てるには時間がかかる。
 アマツは即座に攻撃できる遊撃魔術要員だが、それでも多数のプロの戦闘員相手に戦うのは得策ではない。
 しばし、考えるように沈黙したアマツは、口を開いた。
 実は、最初から一つしかない、カケルもよくわかっている考えを。だけど、絶対に口にはしたくなかった考えを。
 痛みをこらえるような、苦渋の表情で、口にする。

「突っ込め、間宮」

 その、無茶と思える、言い換えれば『死ね』とも聞こえるような指示にカケルは―――。
 ただ、笑った。
 悲しそうな、笑みを浮かべただけだった。
「―――そう。それでいい。獅子宮アマツ」
 カケルは視線を敵へと戻しながら言った。その言葉に、アマツは顔を伏せる。
 決して、カケルに顔を見せないように。
 唇をかみしめ、涙をこらえているその表情を見せないように。
「俺は間宮カケルじゃない。間宮家最後の人間でもない。俺は『焔王』。四百人近い人間を虐殺し、政府に身柄を拘束され両親を盾に政府に服従を誓わされたただの犯罪者だ」
 その言葉を口にするカケルの表情は淡々としていて、まるで他人事のようにも聞こえる。
 今のカケルは政府の指示―――魔術養成学校の脅威の排除に従うことを条件に学校に通っている身分だ。そして、その指示、命令に失敗すれば死が待っている。
「だから―――行くさ。行ってやるべきことを終わらせる」
 そう言うとカケルは、扉の陰から飛び出して、敵の待ち受ける戦闘模擬演習場へと飛び込んだ。
 瞬間、銃弾が雨あられのように飛来する。
 空気を切り裂く音が聞こえた矢先、カケルは左手を前へと突き出した。
 一瞬にして形成されたダイヤモンドの楯が、銃弾を弾く。
 だがその楯は決して体全部を覆うようなものではなく、隠しきれていない場所は多々存在する。
 一瞬でも足を止めたり、規則的な動きをすれば足を射抜かれて動きを止められる。
 そんな恐怖を感じながら、カケルは動く。
 そのまま、恐怖をねじ伏せながら敵陣の中央へと駆ける。
 銃撃がさらに激しくなるが、世界一の硬度を誇るダイヤモンドの楯は一切揺るがない。
 銃弾が頬を掠るが、カケルは胸に湧き上がってくる恐怖心をむしろ戦いの興奮に身を任せるようにしてそれを誤魔化す。
 と、カケルの目が、敵の一人が長大なスナイパーライフルを構えるのを見つけた。
「ッ!」
 それを認めたカケルは急停止。地面に手をついてほんの少しだけ時間をかけて演算する。
 それが終わるのと、敵の構えたライフルが火を吹くのとは同時だった。
 すさまじい轟音が鳴り響き、飛来した銃弾がカケルに襲い掛かる。
 バレットM82対物ライフル。かつては対戦車ライフルとも呼ばれ、その名の通り戦車を破壊するほどの威力を誇る化け物のようなライフルだ。
「ッぁ!」
 そのライフルが超音速で放つ、直撃すれば人の体など引きちぎれてしまうような威力の銃弾を、カケルが形成した巨大なダイヤモンドの壁が阻む。
 そのあまりの着弾の衝撃に、壁の陰に身をひそめたカケルの体が震える。
 左手の楯でも防御できないことはなかっただろうが、たとえ防いだとしても左手がちぎれたかもしれない。そのため、カケルは地面にダイヤモンドの壁を形成したのだ。
 だが、おかげで完全に足は止まってしまった。
 敵はさらに二、三人M82ライフルを構え、集中攻撃する。いくら世界一の硬度を誇るダイヤモンドとはいえ、その耐久性には限度がある。その証拠に一発受けるたびに壁は少しずつ削れていく。
 カケルはその透明な壁から、敵の布陣を見て、あるものを探す。
 着弾の衝撃に体がしびれそうになるが、歯をくいしばって耐え、そして見つけた。
 それは、弾薬を置いてある場所。
 さすがに遠く、そして警備の厳重な最奥においてある。
 だが、カケル―――『焔王』にとって、そして『焔禍』の術式を使用するものにとって距離というのは問題にならない。
 一つ息を整え、ダイヤモンドの壁から飛び出す前にその場にO2およびHを大量形成、銃弾がダイヤモンドに接したその火花がそれらに引火して大爆発を起こす。
 それらで半ば吹き飛ばされながらカケルは移動。爆発によって敵が見失い、攻撃がやんだその一瞬をついて術式を使用する。
「『焔禍:基本二式・火走(ホバシリ)』ッ……!」
 『Ξ語』―――『強制インストール語』を口にすることによって脳内で一瞬のうちに膨大な数式が構成、演算がなされ、術式が発動する。
 そして、わずかな時間ののち。

 ドガァァァァァァァァァァァアアアアアアンッッッ! という轟音と共に、敵の弾薬が大爆発を起こした。
 
 何が起こったのか分からない敵はパニックに陥り、いったん散って態勢を整えようとするが。

「―――『焔禍:応用二式・火網(ホアミ)』」

 カケルの言葉とともに、炎がさながら波のように円を描いて広がり、『狩人』たちを囲い込む。
 敵兵は事態について行けず、動揺を隠せないでいる。
 普通ではありえない現象。
 これが魔術。
 これが間宮家。
 これが『焔禍』の術式。
 これが―――『焔王』の力。
 圧倒される侵入者たち。 
 そして、カケルの後ろから、さらに魔術師たちが。
 それは『黒の十字架』をもったアマツを中心とした陣柳市立魔術養成学校の教師たち。
 それらを代表して、カケルが口を開く。
「狩られるのはお前らだ。『狩人』………!」
 
 そして、魔術師たちの攻撃―――狩りが、始まる。


「………あたしが、本当にバジリスクなのか………?」
 体育館。そこでレオナは、リウから発せられた疑問に凍り付いていた。
 今まで、考えたこともなかった疑問。
 ―――自分は、本当にバジリスクなのか。
 レオナはごくりと唾をのみ―――だが、次の瞬間には笑った。
「な、何言ってるの椿君。そんな当たり前のこと―――」
 笑えない冗談だった。
 だが、リウの顔は至極真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
「紬ちゃんは、自分のことをバジリスクだと思い込んでいるだけじゃないのかい?」
 リウの続く言葉に、レオナは息をのむも、すぐに否定する。
「………違うよ。あたしはバジリスク。だってお父さんもお母さんもバジリスクだもの。実際に『見た』ことはないけど、お父さんたちがその目で人を殺すのを感じ取ったことがあるから」
 自分を追ってから逃がすとき、両親が使用した『死の眼』。それによって十数人の死者が出たことを自分は覚えている。
 だが、リウは考えてもみなかったことを言った。
「………紬ちゃんと、紬ちゃんの両親とは、血がつながっているのかい?」
「え………?」
 その言葉に危うく目を見開きそうになる。
(お父さんやお母さんと………血が………っ!?)
 一瞬の驚きが駆け抜けた後、体に湧き上がってきたのは怒りだった。
「そんな冗談、やめてよ!」
 考えたくないことだった。自分と、両親とが血がつながっていないなどと。
「だけど、紬ちゃんのご両親がいない今、それを確かめる手段はない」
 リウの言葉が、耳を通して脳に突き刺さる。
 レオナは耳をふさぎたかった。リウは、いったい何が言いたいのか。それがまったくわからなかった。
「紬ちゃんを、この四日間見てみても、魔獣とか、そう言うものには見えない。バジリスクと言えば凶暴で凶悪、最悪の魔物だ。だけど紬ちゃんにはそう言うものは一切感じない」
 違う、とレオナは心の中で叫んだ。確かにバジリスクは魔獣だ。凶悪、凶暴。そう言われている。 
 だけど本当は、そうでないバジリスクがほとんどなのだ。文献に出てくる凶悪なバジリスクはほとんどが魔術師によって支配された使い魔のものだ。
 そんなレオナに対し、リウはさらに言葉を畳み掛ける。
「この推測は、昨日、カケルにも言った。カケルは何も言わなかったけど………紬ちゃんに、これ以上苦しんでほしくないから、君にも言ってみる」
 そう言うとリウは、一つ息をついて話し始めた。
「まず第一に、紬ちゃんが今まで目を一度も開いたことがないこと。つまり今まで『死の眼』を実際に使用したことがないというのがひっかかる」
「それは、あたしが『先祖がえり』だから………」
 レオナの反論に、リウはすぐさま言葉を返した。
「それはカケルにも言われたよ。だけど、それでますます怪しくなった」
「………?」
 リウの言葉に、眉をひそめるレオナ。『先祖がえり』がどうして、さらに疑る原因となりうるのか。
「もしかすると、ご両親は普通の蛇で生まれたばかりの紬ちゃんを拾っただけかもしれない。だけど、普通に生活していればすぐにバジリスクでないことはばれてしまう。そこで使用されたのが、『先祖がえり』という言葉。これによって紬ちゃんは常に目を閉じていることになり、自分がバジリスクなのか、『死の眼』を発動できるのかという疑問を抱かせないことができる。額の紋様だって、魔術でどうにでもなる」
「!」
 リウの言葉に、レオナは驚いて息をのんだ。
 確かに、そう考えることもできた。
「そして二つ目。紬ちゃんのご両親は、人間につかまったんだよね?」
「うん………」
 リウの質問に、少し戸惑いながらもうなずくレオナ。
「それで、両親は『死の眼』を使用した、と」
「うん………そうだけど………」
 これがどう、自分がバジリスクでないことにつながるのか分からず、レオナはとりあえずうなずいた。
 そして、続くリウの言葉に再び目を見開きかけた。

「どうしてその時ご両親は紬ちゃんの『死の眼』を使用させなかったのかな?」

「ッ!」
 盲点だった。
 自分を守るために、普通のバジリスクであれば膨大な魔力を使用する『死の眼』を使用して足止めしてくれた両親。だが、考えてみればその必要はなかったのだ。
 何しろ、自分は『先祖がえり』。魔力を使用することなく、『死の眼』を常時発動できる王族の中の王族。
 それを利用すれば、襲撃者を殲滅することなど、造作もないはずなのに―――。
「っ………だけど! それはあたしがお父さんとお母さんも殺してしまうかもしれないからじゃ……っ!」
 一瞬胸に湧き上がった疑念と―――そして、希望に浮き立つ心を押さえつけ、レオナは反論した。だが、反論しながらも心のどこかでレオナはどうして自分が反論しているのか分からなくなっていた。
 何しろ、リウの推測が正しければ、自分は目を開けられるのだから―――。
 リウは肩をすくめながら口を開く。
「まあね。あくまでこれは推測にすぎないし、いくらでも穴はある。だから、確かめる方法ひとつ―――」
 リウの言葉も、ほとんど頭に入ってきていなかった。
 頭を占めているのは、もしも、という仮定の話ばかり。
 もし、自分がバジリスクでなければ。
 もし、自分が目を開けてもいいのであれば。
 そんな揺れるレオナの気持ちを感じ取ったかのように、リウはポケットからあるものを取り出して、レオナの手にそっと握らせる。
 レオナはそれを手の中に感じながら、顔をリウのほうへと向けた。
「これは、花だよ。もし紬ちゃんが本当にバジリスクであれば、この花は紬ちゃんが見た瞬間瞬時に枯れるはずだ」
 リウの言葉に、レオナの心が、さらに揺れる。
 甘い、甘い言葉が、レオナの耳に入ってくる。
「だけど枯れなければ―――わかってるね?」
 もしも、この花が枯れなければ―――。

 ―――カケルの顔を、見れるかもしれない。

 その思いに、レオナは抗えなかった。


第九章 過失バジリスク

 炎で囲まれた戦闘模擬演習場の中で、ダイヤモンドの輝きが閃く。
「ッ!」
 近接格闘戦を仕掛けてきた『狩人』の戦闘員とダイヤモンドの剣で切り結ぶカケル。
 と、何かフィィィィィィィインッ! という耳障りな甲高い音が敵の刃から響いてきたかと思うと、カケルの握るダイヤモンドの剣が切断された。
「ッ!?」
 目を見張ったカケルはあわてて身をひねり、なんとかその刃を躱す。
(単分子振動カッターか………! さすがに格闘戦じゃ分が悪い)
 目の性質上、一目でそれを見抜くカケル。
 単分子振動カッターとは、最新科学装備の一つで単分子ブレードを高速振動させることによって飛躍的に切れ味を向上させた武器のことだ。
 その切れ味は先ほどのようにダイヤモンドですら紙きれのようにあっさりと切り裂いてしまう。まして人体などほとんど抵抗なく真っ二つにできる。
 後退したカケルに、一気に突っ込んでくる敵。
 だが、カケルとてたかが一兵士にやられるような魔術師ではない。
 後退して作った一瞬のすきに地面に手をつき演算。そこに形成されたダイヤモンドの剣山が敵の胴体を突く。
 とはいえ、致命傷を与えることなどできない。最新の防弾・防刃ベストは最高硬度の刃もあっさりと防ぐ。
 だが、足が止まればカケルにとっては格好の的だ。
 姿勢を崩した敵の顔をガッ! と右手で掴み、馬乗りの姿勢になる。
 一瞬、敵と視線が交差し、カケルは容赦なく言葉を発する。
「『焔禍:基本一式・炎剣』」
 ドゴパァッ! という音ともに敵の口の中をカケルの右手から発生した業火の剣が焼きつくし、そして脳を貫いて炭と化す。
 敵の悲鳴は、声にならなかった。
 右手にこびりついた炭を払うように手を振るい、その一閃で隣から迫っていた敵二人を吹き飛ばす。
 チュィィ―――ンッ!
 一瞬、頬を銃弾が掠め、カケルは苛立ちのこもった目でその方向を見る。
 見れば、三人ほどの敵兵がカケルに向かって銃を構え、今また一斉射しようとしていた。
(ええい、面倒くさい!)
 舌打ちし、カケルは『焔禍』の術式で焼き尽くそうとするが―――。
「―――『黒の一閃(シュバルツェア・アイン』」
 瞬間、三人の後ろに回っていたアマツが『黒の十字架』を一閃させる。
 スパァァアンッッ! という小気味いい音が鳴り響いたかと思うと、銃を構えていた敵兵三人の体が真っ二つになった。防刃ジャケットなど関係ない、すさまじい一撃だった。
 上半身が崩れ落ち、一拍遅れて立ったままの下半身の切り口から噴水のように血が噴き出す。
 その血で全身を染めながら、アマツは一滴の血もついていない『黒の十字架』を振るう。
 アマツの魔装武具である『黒の十字架』の能力とは、『絶対切断』。
 刀身全体を覆う特殊な空間内は物質がまったく存在していない。特殊な魔術によって作り出された完全な『無の空間』である。完全な無は無を埋めようとあらゆるものを侵食し、崩壊させる。それを使用者が常に演算することによって無に保ち、その絶対的な切れ味を保つ、一歩間違えれば持ち主をも侵食、崩壊させてしまうほど強力な武具だ。
 本来であればその術式は維持するどころか一度演算するのも難しいほどの数式であり、戦闘中に発動させ続けられるような代物ではない。
 もちろん、アマツにも通常状態では使用できない。ではどうしていま発動させ続けているのかというと、アマツの左目である『オーディンの目』が一役買っている。
 アマツの左目、『オーディンの目』は視力を完全に失う代わりに、持ち主に演算能力を与えることができるものだ。つまり、あれは『目』というよりは独立したもう一つの『脳』であり、それによって常人の倍近い演算速度と演算領域を獲得している。
 より知識を得るために北欧神話の主神が犠牲にしたというその瞳が、アマツにさらなる力を与える。
「ッ………!」
 前方から迫ってきた敵をアマツは『黒の十字架』で真っ二つにすると、今度は後ろから迫ってきた敵の斬撃を躱すと同時に『黒の十字架』を持っていない左手で頭をつかむ。
 そして。
「『ニヒト』………!」
「ギャギゥゥゥゥァァァァァァァァァッ………!」
 アマツがつぶやき、アマツの左手に掴まれていた敵の頭が崩壊。表皮、真皮、血管、骨、脳と次々と表面から剥かれていき、ついには完全に頭が消失する。
 『ニヒト』。日本語で『無』という意味のその術式名の通り、自分の手から一定範囲を完全に『無の空間』と化すことで対象物体を崩壊、消滅させる術式だ。『黒の十字架』の刀身全体を覆っている術式の正体がこれだ。
 そのあまりの光景に、敵はおろか味方も息をのみ、全身を凍らせる。
 そして、敵が凍りついたその隙をカケルは逃さない。
「『焔禍:基本二式・火走』………!」
 カケルが術式名をつぶやき、頭の中で一瞬で演算がなされ、戦闘模擬演習場全体をいくつもの炎が走る。
 そして、演習場全体に魔法陣を描く。
 それは比較的簡単な魔法陣で、魔術の構成対象空間をここまで広げるという、なんてことのない術式なのだが………。
 その魔法陣を見たアマツはカケルとアイコンタクト。味方教師陣に指示を出す。
「全員! 息を止めろ!」
「「「「ッ!」」」」
 その言葉が発されるのと同時に、カケルは頭の中で瞬時に演算。術式を発動させた。
 その一瞬前に、味方教師陣は全員息を止めた。

 そして、敵兵全員が、倒れた。

 パタリ、パタリと、声にならない断末魔を挙げながら苦しんで、苦しんで、まるで糸が切られた操り人形のように。屈強な、鍛えられた男たちが次々と。
 全員が死んだことを確認すると、カケルは術式を解除。その場を満たしていた気体―――CO―――一酸化炭素を分解する。
 一酸化炭素は体内に侵入すると血液中の酸素と結合しCO2となる。そのため血液中の酸素ヘモグロビンの数が減少し、酸欠状態に陥って死亡する。よく自殺に使用される気体だ。
 魔術の知識が少ないであろう敵兵はカケルの敷いた魔法陣の意味に気づくことができずにそのまま死んでしまったのだ。
 魔術師を相手にするとき、もっとも注意しなければならないのがこういった毒物、あるいは有毒性の気体を使用した頭脳戦だ。
 最初からこの魔法陣を仕掛けておけばいい、と思う人もいるだろうが、カケルたちは当初、相手が魔術師だと思っていた。相手が魔術師の場合、こちらの仕掛けておいた魔法陣や罠を、逆に利用されかねないのであえて魔法陣を敷いておかなかったのだ。
「…………これで、全部か………っ」
 自身も息を止めていたカケルは、その場に倒れている敵兵を見渡した。
「……………いや、まだだな」
 『黒の十字架』を肩に担いだアマツが前方を見据えながら低くつぶやく。
 その言葉通り、前方からはさらに五十人ほどの敵兵がやってきていた。しかもその中には魔術師が混じっている。
「………まったく。たいそうな数だな………!」
 額に汗を浮かべながらカケルは再び手にダイヤモンドの剣を出現させる。
 その肩は上下しており、息は荒い。
 一見最強のように思える『焔禍』の術式だが。『Ξ語』はその発動のたびに脳に大量の数式や演算を強いるため、脳への負担は非常に大きい。ゆえに連続使用や強力な術式は控えなければならない。
 これは、普通の魔術にも言えることだ。魔術はすべて膨大な量の演算をこなして初めて発動できるもので、莫大な集中力と精神力を必要とする。
 つまり、魔術師は耐久戦に非常に弱い。
 敵はそれをつくように波状攻撃を仕掛けてくるようだった。しかも今回は魔術師が混ざっている。先ほどのカケルのような一網打尽のトラップはうかつに使用できない。
 さすがに苦戦を覚悟してカケルが一歩前に踏み出そうとすると、その行く先をアマツの『黒の十字架』が遮った。
「…………なんのつもりだ?」
 カケルのその問いに、アマツは答えず、替りに周りにいる教師陣に言う。
「………なあ? 侵入者たちは全滅したよな?」
「? …………っ!」
 一瞬、その意味が分からず怪訝な顔をしたカケルだったが、アマツの意図を理解し、顔色を変えた。
「おいっ!」
「ああ、全滅しましたよ。アマツ先生」
 だが、カケルの声を遮って教師の一人が笑顔を浮かべてそう言う。
 そのことに、カケルはさらに顔色を変える。
「お前ら―――」
「あとは後片付けだけです。『焔王』を投入するまでもない」
 さらに一人の教師が言い、カケルは言葉を失う。
「終わった終わった」
「あとは残業かー。手当でるんですか?」
「まいったな。今日は夫に早く帰るって言っておいたのに」
「あ、あんたたちは…………っ」
 言葉に詰まるカケルに、アマツが言う。
「さっさといけ。間宮。お前の任務は終わった」
「姉さん………」
 思わずそう言ってしまい、カケルが見上げると、アマツはにやり、と笑って見せた。

「教師命令だ。紬レオナを必ず守れ」

 その笑みに、その言葉に、カケルはただただ、うなずいた。
「…………ああ」
 そして、身を翻すとそのまま駆けだす。
 途中、何人もの教師とすれ違う。
 誰もが、笑みを向けてくるだけで何も言わない。
 そして、カケルも振り返らない。
 決して、振り返らない。

 遠くなった背後で、銃声と、いくつもの魔術が炸裂する轟音が鳴り響いた。


 もしも、この手に握る花が、見ても枯れなかったら―――。
 レオナは、リウから手渡された花らしきものを、ギュッと握っていた。
 その頭をよぎるのは、先ほどの聴いたリウの言葉。
(あたしと、お父さんとお母さんとは、血がつながっていないかもしれない………!)
 考えたくないことだった。だけど、同時に心のどこかでそれもありうる、と思っていた。
 両親は優しい人だった。ただ甘やかすだけの優しさではない。きちんと道を教えてくれる、導いてくれる、そんな優しさ。
 そんな優しい人たちだ。自分が本当の子供ではないと気づかないように気を遣うぐらい、するだろう。
 そして、そういう思いと同時に、ある願いと感情も浮かんでくる。
(もしも、あたしがバジリスクじゃなかったら………見てもだれも死なないのなら………!)
 カケルの顔を、見ることができる。
 何の気遣いもなくその顔を見て、何のすれ違いもなく、カケルの想いを、感情を、気持ちを理解して、穏やかに隣で生活することができる。
 そう思うと、胸に去来する感情を抑えきることはできなかった。
(大丈夫。これは花。見たとしても、誰かを殺すわけじゃない……っ!)
 もちろんこれは言い訳に過ぎない。花にしても、命には変わりない。
 だけど、そんなきれいごとなどどうでもいいと思えるほど、レオナはカケルの顔を、見て見たかった。
 見てもいいという、許しがほしかった。
「――――ッ」
 まるで怖いもので見るかのように、一瞬レオナは目をぎゅ、とつぶると。

 息をつめて、その目を見開いた。


「どういうことだ………っ!?」
 戦闘模擬演習場。そこで戦いながら、アマツは疑問の声を上げていた。
 それは、敵の圧倒的な強さにではない。むしろ戦いは互角だった。カケルが抜けた今、気合の入った教師陣は魔術師も混ざっている敵部隊と互角以上に戦っている。
 だが、冷静なアマツはそれこそがおかしいと思っていた。
 確かに、カケルが抜けた、というよりはカケルを行かせたことによって教師陣の士気が上がっているのは事実だ。だが、いくら士気が上がったとはいえ一騎当千の実力を持つカケルが抜けた今、互角に戦えているのはおかしすぎる。
 敵は最新科学武装の兵士と魔術師の混合部隊。戦術次第ではこちらが手も足も出せずに敗北することもありうるはずだ。
 それなのに、互角に戦えている理由は、一つしか考えられない。
 
 敵が、手を抜いているということ。

(だが、手を抜く理由がわからない……! 奴らは紬を狙っているんじゃなかったのか……!?)
 だというのに、敵はむしろ時間を稼いでいるようにも見える。
 まるで何かの知らせを待っているかのように―――。
「っ!」
 そこでアマツは、そもそもこの学園に内通者がいることを思い出した。この学園にいるということは、すなわち魔術を使用できるということ。つまり、魔術師。
 だとすれば、やはりカケルが言ったように紬が危ない。一応椿を向かわせたがカケルを向かわせてよかった。うまくいけば相手の思惑を完全につぶすことができる。
 だがそれは、リウが、あるいはカケルが間に合えばという話だ。
 ―――と、そこまで考えたアマツの頭の中で、ある推測が浮かび上がる。
 もともと、学園には内通者がいた。
 だとすると。もしも、この推測が正しいとなると。
 カケルが、もしも、間に合わなければ―――。
 その時はレオナだけではない。カケルの命が、危ない。
「急げよ、カケル………ッ!」
 『黒の十字架』を振るうアマツの頬を、一滴の汗が伝った。

 レオナは、目を開けてその手に握る花を見た。
「………………………っ」
 花は――――。

 枯れて、いなかった。

 初めて見る花は想像していたものよりも美しく、可憐で、綺麗なものだった。
 コンクリートなどの、人工物などとは比較にならない。まるで違う。
 これが、花。
 これが、『綺麗』というものか。
 レオナの心は、一瞬にして脳に焼きついた映像に奪われる。
 思わず見入ってしまうレオナに、言葉がかけられた。
「な? 大丈夫だっただろ?」
「椿君――――」
 そして、顔を上げてしまってから、レオナは青ざめた。
 リウの顔を、見てしまった。
 完全に、目があった。
(いけ、な―――――)
 手遅れと知りながらも思わず目をつむるレオナだったが―――。

「―――大丈夫。紬ちゃん」

 声が、かけられた。
 恐る恐る目を開けると、そこには人懐っこい笑みを浮かべた端正な顔立ちの少年がいた。
(これが、人――――)
 そして、リウは笑っていた。
(これが、笑顔――――)
 初めて見るそれは、思わず心が温かくなってしまうようなもので、レオナはすこし頬を赤らめた。
 そして、考える。
(これが、カケルの笑顔だったら―――)
 目を閉じていても、はっきりとわかる、カケルの笑顔。
 心が温かくなる、笑顔。
 思わずこちらも笑ってしまう、笑顔。
(見たい―――――ッ!)
 その思いは、もはやレオナを体育館にとどめておくのも不可能にした。
「紬ちゃん!?」
 突然身を翻したレオナに、面食らったリウがあわてて声をかけるが、レオナは止まらない。
(カケル、カケル、カケル、カケル………っ!)
 その目ははっきりと開かれ、目の前を映し出す。
 その表情が、喜びでいっぱいになる。
(あたし、バジリスクじゃなかった! あたし、見てもだれも殺さない……!)
 両親と血がつながっていないという事実には胸が痛んだが、それ以上に誰も殺さなくていいということに喜んだ。
 カケルの顔を見てもいいということに、喜んだ。
 駆け出したレオナは、体育館のドアにたどり着く。
 そして、そのドアを開け放って――――。

「―――レオナッ!?」

 ―――その耳に、聴き慣れた、何度も聴いた、愛する少年の声が飛び込んできた。
 そして、目の前に映るのは驚いた顔をしている少年。
 赤い髪の毛に、端正な顔立ち。体つきは少し華奢で、右手の手錠と首についている首輪が武骨に見える。
 そして、その真紅の目とレオナの目が、あった。
「カケル…………!」
 レオナの顔が、喜びに歪み、その目に涙が浮かぶ。
 やっと見れた。
 やっと、カケルの顔を見れた。知ることができた。
 これが、カケル。
 自分の愛する、この世界の何よりも大事で、何よりも見たかったもの。
 それをやっと、見ることができた。
 そして、そんな彼女を前にしたカケルは――――。





死んだ。




第十章 慟哭バジリスク。

 目があった次の瞬間、カケルの目から光が―――何か大事な光が失われたかと思うと、ゆっくりと地面へと倒れて行った。
 トサッ、という軽い音が、体育館入口のホールに響き渡る。
「…………………………………………カケル?」
 レオナは、何が何だかわからずに、倒れたカケルを見下ろしてつぶやいた。
 そのつぶやきに、カケルは何の言葉も返さない。どこも動かさない。
 ただうつ伏せに地面に寝転び、半開きになった口から少しの唾液をこぼすだけ。
 その姿に目を見開き、その体のそばに膝をつくレオナ。
「…………………………………………カケル?」
 もう一度呟いても、カケルは動かない。
 凍りつくレオナの頭の中を、不意に言葉がよぎった。

 ―――死んだ。

「え……………?」
 自分の頭の中に浮かんだ言葉に、声を上げるレオナ。その目は見開かれていて、動かないカケルへと向けられている。
 そして、不意に涙が零れ落ちる。
 それは、先ほどまで喜びに浮かんできた涙だった。
 だが――――これは、何だ?
 レオナは、自分の目から流れ落ちる涙をぬぐい、その手を不思議そうに見る。
「これ………何…………?」
 その言葉に動揺はまったく見られず、まるで機械が発したような、感情がまったくこもっていない声。
 いや、そうではない。感情が、失われた声。
「――――――……………………………」
 見開かれた目から涙をとめどなく流しながら、ゆっくりとレオナは再びカケルを見た。
 ―――そして。

「いやああああああああああああああああああああああああああああああッッっ!?」

 入り口ホールを、少女の絶叫が満たした。
 先ほどまで凍り付いていた感情が一気に噴き出し、あっという間にレオナはパニックに陥る。
「カケル! カケル! カケルッッ………!」
 必死にその体を揺さぶるが、カケルは動かない。
 その体はまるで鉛でも詰まっているかのように、重たい。
「カケル! カケル! ねえ! ねえってば……!」
 何度も何度も名前を呼び、
 何度も何度も呼びかけ、
 何度も何度もその体をゆすった。
 だけど、それでもカケルは、動かない。
 言葉を、返さない。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
 そして、現実に耐え切れなくなったレオナはその目をつむる。
 だが、脳に焼きついたカケルの映像はどんなに頭を振っても、どんなに地面にこぶしを叩きつけても、消えることはない。
 まるで目の前にそれがあるかのように浮かんでは消え、浮かんでは消える。
「いや! いや! いやああッ………!」
 身を切り裂くような痛みに、その胸をかきむしるが、痛みは消えるどころか増すばかり。
 息を詰まらせたような苦しみに、その喉に指を掻き入れるが、苦しみは消えるどころか増すばかり。
「なん……で………なんでッ………!?」
 カケルが死んだ。
 カケルが死んだ。カケルが死んだ。
 カケルが死んだ。カケルが死んだ。カケルが死んだ。
 死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだカケルがカケルがカケルがカケルがカケルがカケルがカケルがカケルが死死死死死死死死死死死死死なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで………………。

「うぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
 頭を抱え、絶叫するレオナ。
 悶え苦しみ彼女の耳に、カツン、という床を踏む靴の音が入ってきた。
 その方向を見ると、そこにはカケルとレオナを見下ろすリウがいた。
「椿………く、ん………っ!」
 泣きじゃくりながら、その名を呼ぶレオナ。
 リウは、そんな彼女を見ろしながら、呟く。
「カケル…………」
 その言葉に、顔を伏せるレオナ。
 カケルは死んだ。
 その事実に、レオナはリウも心がついて行っていないのだと、理解することができた。
 いや、そう理解しようとしていただけだった。
 悄然とし、その場に座り込んでカケルの亡骸を見ていたレオナの耳に、リウのつぶやきが飛び込んでくる。
 その。
 
 醜い笑みを含んだ、嘲笑うような声が。

「やぁぁっっと死にやがったか。間宮カケル」

「っっっっ!?」
 その言葉に、目を見開いたレオナが顔を上げるのと、その胸を青白い閃光が貫くのとは、同時だった。
「かはぁッ……!?」
 一瞬にして全身がけいれんし、地面に倒れ伏したレオナは全身の筋肉がしびれていることを知る。
(な……に………っ!?)
 自由がきかない体を、首だけを動かしてリウを見上げたレオナは、絶句した。

 ―――リウは、笑っていた。

 だがそれは、心が凍るような、そんな醜い、そして恐ろしい笑みだった。
 自由がきかない体がさらに凍りついたレオナを、リウは見下ろした。
 そして、その足を勢いよくレオナの胸へと振り下ろす。
「かあぁっ………!」
 心臓をすさまじい衝撃が襲い、ついでぐりぐりと圧力が増していく。
 必死に身をひねろうとするが、しびれている体は言うことを訊かず、激痛と苦しみにレオナは顔を歪めた。
「く………か、ぁ………!」
「いやあ。まさかここまでうまくいくとはな。思ってなかったぜ、バジリスク」
 リウが、醜く顔を歪めたまま口を開く。
 その口から放たれるのは、苦言。呪言。あらゆるものを腐らしていくような、そんな錯覚すら覚える、嫌悪すべき色の言葉。
「くくく。『焔王』の始末の為に学校に潜入していたら、まさか古代魔術を使用できる魔獣の娘までここにくるとはな。いやあ、助かったぜ。正直、この『焔王』をどうやって消すか、困ってたからな」
(っ!?)
 聞こえてきたその言葉に、リウを睨みつけるレオナ。
 その目を見て、しかしリウはまったく動じない。
 死ぬような様子は見せない。
「なん………っで………!」
「んん? なんで俺は死なないのかって? さあ? どうしてでしょうねえ?」
 腹立つ口調で肩をすくめて見せるリウ。
「一つだけ教えてやるとさ、バジリスクの『死の眼』っていうのは、目を合わせなきゃ効果が現れないんだ。だってそうだろ? 見ただけでなんでも殺せるなら、バジリスクは世界最強の魔物さ。人間どころか、ほとんどの動植物は駆逐されてるさ。最強なんてこの世には存在しねえんだよ」
 花を見ても枯れなかったのは、花には命は在っても目は存在しないから。目を合わすことができないから。
(あたしは………はめられた………!)
 痛みに、苦しみに、そしてなにより悔しさに、涙を流しながらリウを睨みあげるレオナ。
 しかし、その条件である『目があった』というのに、リウはまったく動じない。死ぬような様子を見せない。
 そのことに愕然とする彼女を、リウは冷たい目で見下ろした。
「……………さて、とっとと仕事を終わらすか」
 こんなつまんねえクソ仕事を。
 そう前置きしてリウは、その右手に黄金で出来た剣を形成した。
 その切っ先を、確実にレオナののどへと向ける。
「―――っ!」
「わりいな。これが俺の仕事だ。邪魔者は消す」
 そして何のためらいもなく振り上げると、それを振り下ろした。
 その切っ先を見るレオナの頭の中で、瞬時に言葉が作り上げられる。
(ごめん………カケル………ッ!)
 自分は、何もできなかった。
 それどころか、自分のせいでカケルは、死んでしまった。
(やっぱりあたしは…………)
 
 カケルの隣になんて、いないほうがよかったんだ。

 そう心の中でつぶやいたレオナは、のど元へと迫る切っ先に――――。
 目を、見開いた。
 だが、それは正確には切っ先に対してではなかった。

 リウの背後を見て、見開いた。

 そこには。

「―――『焔禍:基本一式・炎剣』………!」

「ッ!?」
 その言葉にリウが振り向くが、背後に迫っていた少年は一切構うことなくその手に発生させた燃え盛る業火の剣を振るった。
 ドッパァァアアアンッ!
 轟音が鳴り響き、炎剣をさく裂されたリウが十メートル以上体育館内へと吹き飛ばされる。
 対照的に、炎剣を振るった少年はしっかりとその両足で地面をつかんだ。
 その姿を認めたレオナは、喜びの声を上げた。

「カケル………ッ!」

 赤い髪の毛。真紅の瞳。少し華奢な体躯。右手と首にある手錠と首輪。
 紛れもなく、間宮カケルだった。
 喜びに再び涙を浮かべかけたレオナは―――カケルの表情に、息をのんだ。
 それは、見たことがないほど怒っている、まさしく烈火の表情だった。
 そばにいるだけでも、皮膚がピリピリと震えるような、そんな怒り。
 その様子に、レオナは言葉をかけることができなかった。
「…………どういうことだ?」
 体育館のほうから、灰を払いながら出てきたリウがカケルを睨みつけながら言った。炎剣の直撃を受けたにもかかわらず、その体にダメージはほとんどない。
 その事実に、カケルはわずかに目を細めた。
 リウが、右手に黄金の刃を形成しながら再度尋ねる。
「どうして、お前が生きている? 確かにバジリスクの目を見たはずだ。おまえは」
 カケルは、右手にダイヤモンドの剣を形成しながら答えた。
 リウを睨みながら。まるで炎を宿したかのような瞳のまま。
「簡単な話だ。俺はレオナと目を合わせていない」
「なに………?」
 その言葉に、リウはもとよりレオナも疑問に思った。確かに、リウの言うとおり、レオナははっきりとカケルと目を合わせたように感じた。
 だが、続いたカケルの言葉に息をのんだ。

「俺は目が見えないからな」

「「ッ!」」
 レオナと、リウが驚愕する。
(目が………見えない………!?)
 さらにカケルの説明は続く。
「間宮家は『焔禍』の術式だけでなく、代々その使い手に特殊な『眼』を与えることで有名だ。正確に言えば魔術をかけて『眼』を変質させるんだがな。姉さん―――アマツの『オーディンの目』がその例だ。そして俺の目にも魔術がかけられている。俺の場合は両目だがな」
 そして、カケルは一度目を閉じると、ゆっくりとその目を開いた。
「俺の目は『クアデシンの魔眼』。物事のあらゆる情報のみを脳に伝達する、歴代間宮家の中でも二人しか持ち主が存在しない『眼』だ」
 あらゆる情報のみをとらえる――――。
 それはつまり、簡単に言うとこういうことだ。
 たとえば、目の前にリンゴがあるとする。それを常人は映像としてとらえ、それを視神経を通して脳に伝えるが、カケルの場合は違う。『クアデシンの魔眼』が捉えるのはあらゆる物事のあらゆる情報のみ。つまり、リンゴがあったとしても、「質量が何グラム、直径が何センチ、歪曲度が何度、温度が何度、光反射率が何パーセント………」という、その物質がもつ情報のみを脳に伝える。
 これは魔術においては非常なアドバンテージとなる。
 通常、魔術は自分の手や体に接する部分でしか物質を形成したり、術式を発動させたりできない。これを補佐するのが魔装武具や魔法陣だ。何しろ遠隔地に形成、あるいは術式を発動させようとすると、その対象座標などを正確に把握しなければならない。
 それに対してカケルの眼であれば目標空間を視認するだけでその空間の座標を正確に知ることができる。
 また、形成中の物質の正確な情報を知ることもできるので、演算もより正確にできる。
 最後の審判において審判団を形成する、すべての天使が集まったよりも偉大だと言われる双子の天使、クアデシン。その名に恥じぬ、魔術においては最高ともいえる補助器具。だが、それは―――。
「人間にとっては苦痛なものさ。素晴らしい絵画を見てもそれは単なる情報の集まり。美しい景色を見ても情報の集まり。そして―――どんな笑顔を見ても、それは頬の筋肉が何センチ、どの方向に動いて―――という情報に、過ぎない。いや、過ぎなかった」
 カケルの言葉には、苦々しい色しか含まれていない。 
 それもそうだろう。何を見ても頭の中に入ってくるのは情報ばかり。映像は頭の中に入ってこない。
 ある意味、モノが見えないということよりもつらいことだった。
「だから、俺はあらゆるものがどうでもよかった。昔は笑うこともできたけど、父さんと母さんが政府にとらえられ、俺も処刑されることが決まってからは、何もかもがどうでもよかった」
 でも、とカケルは続ける。
「レオナの笑顔を見て―――俺は初めて、笑顔の温かさを知った。情報だけしか与えられなかった俺の心が、初めて温かさを感じた」
「あ…………」
 それは、見ることが許されなかったレオナと同じ。
 たとえ映像として見えなくても。
 たとえ見ることが許されなくても。
(あたしは、カケルの笑顔を感じた―――)

「おれは、レオナの笑顔で温かさを知った。たとえ映像として見えなくても、俺はそれだけで十分だ。その温かさを見ることは出来なくても感じるだけで、十分。そのたった一つを守るためなら、俺はどんな手段でも用いてやる」
 
(カケル……………!)
 レオナの視界が、涙に歪む。
 言葉は、なかった。
 ただただ、そのうれしさに、レオナは涙を流した。
「さて、聴かせてもらうぞ。お前はどうしてレオナと目を合わせても平気なんだ?」
 今度はカケルが尋ねる。
 リウは、先ほどまでの真剣な顔から一転、傲岸不遜な顔になった。
「ああ、それは、俺が特別な――――」
 だが、それ以上の言葉を発することができなかった。
 
 いきなり突っ込んだカケルが、その腹部に痛烈な蹴りを食らわせたからだ。

「ごぁッ……!?」
 何が起こったのか分からず、ただ体育館内へと吹き飛ばされるリウ。レオナも何が起こったのか分からない。ただただ急転する事態に目を丸くする。
 一方。地面を転がるリウを見下ろしたカケルは、冷たい声で一声だけ、呟いた。

「………………ばーか」


 吹き飛ばされたリウに対し、カケルはさらに追撃を加える。
「―――『焔禍:基本三式・爆轟』ッ!」
 ドゴァァァァアアッッ! という轟音と共に莫大な量の炎粒子がカケルの突き出した右手から吐き出され、大爆発を起こす。
「がああああっ!」
 リウがさらに吹き飛ばされ、体育館の壁にたたきつけられる。
 『焔禍:基本三式・爆轟』。基本三式の最後の一式で、右手から大量の炎粒子を放出し、一定の燃焼速度を超えることで衝撃波を伴った爆炎と化す、攻撃力に長けた一撃だ。
 カケルはそれで満足することなく容赦なくさらに追撃する。
「『焔禍:応用一式・飛天業火』!」
 基本二式である『火走』と同じようにまず火が地面を素早く走り、そしていまだに煙の立ち込めるリウが叩きつけられた場所へと至ると、次の瞬間大爆発。耳をふさぐほどの轟音が鳴り響き、体育館全体が揺れる。
 『飛天業火』。基本二式の『火走』と基本三式『爆轟』を混合させた応用技で、遠距離の狙った場所を大爆発させることができる。
 基本二式の『火走』は高濃度酸素の道を作り出すことで炎粒子を誘導させる技で、『狩人』の部隊の弾薬を爆発させたのもこれだ。炎粒子は炎とほとんど同じ性質を持っているため、水素や酸素によって爆発や燃焼を補助することができる。
 怒涛の連続攻撃を受け、煙の中に沈黙するリウ。

 ―――と、煙を切り裂いて青白い閃光がカケルの左足を貫いた。

「―――ッ!」
 足を駆け巡った電流の痛みに、カケルは顔をしかめた。自由を奪われた左足が崩れ、あっという間に片膝をつく。
「―――ったく。てめえ、人がせっかく説明しようとしてるのに………!」
 煙の中からあらわれたリウは、服こそぼろぼろなものの、ほとんどダメージを負っている様子は見えなかった。
 そのことに、カケルは目を細めつつ、嘲笑する。
「アニメやマンガみたいに敵の独白なんかじっとして聴くわけねえだろ、馬鹿が」
 それに、聴かなくてもわかっている。
 学園の内通者。それが、椿リウ。
 『狩人』に所属する、魔術師。
 そして―――。

「―――竜王、リンドヴルムの末裔、だろ?」

 カケルの言葉に、一瞬リウは表情を変えると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、そうさ」
 レオナのバジリスクの『死の眼』が、リウにだけ効かなかったのはそのせいだ。完全な上位種である竜王の血筋にはバジリスクの目は通用しない。
 そして、自らも火を吐く種である竜の鱗は、並みの火を通さない。
 末裔であるリウも、火が通じにくいようだった。
(………椿リウ……リウ………リウ………竜………だっさ)
 実は名前からも連想したカケルは思わず白けた目でリウを見た。
 そうとは気づかずリウはさらに口を開く。
「俺の家は滅ぼされてな。政府の奴らにだ。だけど奴らは自分たちに協力してくれれば家の復興を手伝うというじゃないか。そもそも俺たちは―――ぐはっ!」
 再び独白をしようとするリウに、その隙を逃さずこぶしを叩き込むカケル。
 吹き飛んだのを逃さずに、右手にダイヤモンドの剣を形成、さらに『炎剣』によって炎をまとわせて切りかかる。
 ガキャァッ!
 カケルの振り下ろした炎をまとったダイヤモンドの剣と、リウの形成した黄金の刃が交錯する。
 二人の魔術師が、至近距離でにらみ合う。
「てめえ………!」
 リウは怒りに歪んだ表情で。
「言ったろ。これはアニメやマンガじゃない……!」
 カケルは不敵な表情の中でも、その真紅の瞳を怒りにらんらんと燃やして。
 カケルはリウを蹴飛ばすと、炎の剣を一振り。
「それにお前、勘違いしてないか? 俺はヒーローじゃない。それどころか三年前に四百人近い人間を殺した大犯罪者だ。正々堂々なんて期待するなよ?」
「………上等だ………!」
 そして、お互いに得物を振りかぶって激突する。
 
 バジリスクの少女を巡った戦い。それが今、佳境へと突入する。




第十一章 戦闘バジリスク

「く………っ………ぅ………!」
 カケルとリウが体育館内で死闘を繰り広げている時、レオナはいまだに戻らない体の自由に歯噛みしていた。
 青白い閃光が胸を貫き、次の瞬間襲い掛かってきた全身の痺れと呼吸困難。だいぶ軽くなったほうだが、それでもカケルを助けに行けるほどではない。
 ドゴァッ!
「っ………!」
 再び爆音が鳴り響き、レオナは身をすくめた。恐らくカケルの『焔禍』術式が炸裂したのだろう。
(カケル………!)
 レオナの脳裏に、先ほどのカケルの言葉がよぎる。
『………父さんと母さんが政府にとらえられ、俺も処刑されることが決まってからは』―――。
(いったい、どういうこと………?)
 自由の効かない体を必死に動かし、体育館の扉を見る。
 
 その中では、今もカケルとリウがぶつかり合っている。


「―――ッァ!」
「っく!」
 カケルとリウの戦いは、互角ではなかった。
「ハアアアッ!」
 リウの振るった黄金の刃がカケルの炎をまとったダイヤモンドの刃―――『炎閃刃』へとたたきつけられる。
 カケルはそれを両手で耐えきり、刃が完全に止められたことを悟ったリウは空いている左手にもう一本、黄金の刃を形成する。
「っらあ!」
「ッ!」
 振るわれた金色の一閃に、カケルは息をつめて身をひねる。間一髪のところで切っ先は頬をかすめて行ったが、身をひねったところにリウの突き出した左足が突き込まれる。
「ぐっ………ぁ!」
 カケルの肺から酸素が叩き出され、体がくの字に折れる。
 そこに突き落とされる痛烈なひじ打ち。
「ぎっ……ぁ……」
 後頭部を襲った衝撃に一瞬意識が飛びかけるカケル。幸い気絶は免れたが地面に倒れ伏してしまう。
 ヒュッ! という刃が風を切る音がカケルの耳朶を打ち、間一髪、カケルは地面を転がるようにして振り下ろされた刃を躱した。
 距離を取ったところで立ち上がり、お互いに対峙する。
 わずかな時間の空白。
 だが、両者の様子は明らかに違っていた。
 リウは息こそ少し荒いものの、表情にはまだ余裕があり、体のキレも十分だ。
 一方、ついさきほどまで『狩人』の大部隊と交戦し、『Ξ語』も使用していたカケルは、体力はもちろん、集中力や気力の面でも疲弊していた。
 しかも、虎の子である『焔禍』術式はリウにはほとんど通用しない。基本三式はもちろん、応用三式ですら効果的なダメージを与えられない。せいぜい吹き飛ばして打撃技として使用するぐらいだ。
(くそ…………っ!)
 切られた頬をぬぐい、舌打ちするカケル。
 ただでさえ焦りを覚え始めたカケルに対し、さらにリウは告げる。
「…………なあ、『焔禍』の術式っていうのは、炎にきわめて近い性質をもつ粒子を作り出し、それを操ることで成立する術式だよな?」
「…………それがどうした」
 少しでも時間を稼ぎ、息を整えようと言葉を発したカケルに、リウはにやりと笑った。
「いやあ。似たような術式を俺も一つ持ってるんだよな。威力はいまいちだけど、かなり使える奴」
 そう言うとリウは、左手に持っていた黄金の刃を分解し、何も持っていない手でピストルの形をつくると、それをカケルに向けた。

「―――なあ。『雷粒子』って知ってるか?」

「―――ッ!」
 その言葉にカケルが息をのみ、身をひねるのとその胴体を青白い閃光が貫くのとは、同時だった。
 バジジジィ! と音が走り、全身をしびれが襲う。
(な………っ!)
 自由を失った体はあっさりと地面に倒れ伏した。
 地面を目の前にしたカケルは、自分の体の状態を知る。
(感電………!)
 カケルを襲ったのは、おそらくは電流。スタンガン程度の威力しかないが、人の体の自由を奪うには十分すぎる威力。
 戦いの最初のほうで左足を貫いたのもこれだ。
「くくく。本来雷―――放電っていうのはプラスとマイナスの電子によって発生する、いわば現象だ。炎―――燃焼と同じでな。だからそれを完全に制御することは非常に難しい。だから俺たちリンドヴルム家は考えた。間宮家と同じように、『雷粒子』なるものをつくれば、制御も簡単ではないか、とな」
 わざわざ粒子をつくるのには理由がある。たとえば燃焼というのは酸素が必要であり、極端な話、無酸素条件下では炎を作り出すことはできない。だが、『炎粒子』というのはあくまで燃焼と同じ性質を持つ物質であり、燃焼に必要な条件というものを必要としない。したがって無酸素条件下でも使用することができる。
 雷―――放電も同様だ。本来一定条件がそろわなければ発生させることができない雷も、同じ性質をもった粒子を作り出せばそんなものを気にする必要はなくなる。
 現代魔法はあくまで科学法則に従っているため、雷という現象を起こすのはその条件のための物質を構成しなければならない。そのため膨大な数式が必要となり、しかも複数の術式を同時に発動させ、演算しなければならない。だが、『雷粒子』さえ作り出してしまえばその必要はないのだ。
 もちろん、簡単な話ではない。初代間宮家当主はこの『炎粒子』を編み出すのに一生を費やし、さらに二代目の死に際にようやく完成したとまで言われる。
 リンドヴルム家の『雷粒子』も同じくらいかかっただろう。
「………そう。これは俺の―――俺たちの悲願なんだ。リンドヴルム家を再興する。そのためなら、たとえ人間相手であろうとも魂を売ってやるさ」
 バチィ! と再び閃光が奔り、カケルの体がビクン! と震える。
「が……かぁ……!」
 全身を襲う、痺れと痛みに苦悶するカケル。
 その表情に恍惚とした笑みを浮かべるリウ。
「よけられるもんならよけてみろよ。『雷』だ。さすがに物質となった以上光速そのものを与えることはできなかったがそれでも光速の二分の一だ。人間がよけられるものじゃねえ」
 その言葉の通り、次々と閃光が奔り、それらすべてが確実にカケルの体を貫く。
「があ! がああああッ! ぁあああああああ!」
 間髪入れず連続で体を駆け巡る痺れと痛み。それによって内臓筋や横隔膜がけいれんし、吐き気を催すような違和感と嫌悪感に苛まれるカケル。
 最早地面でのたうちまわるしかないカケルを見て、リウは顔を裂かれたような笑みをうかべながら、黄金の刃を右手に、近づこうとする。
「さあ、そろそろフィナーレと行こうぜ、カケル。お前はもう、死ぬんだ………!」
 そのリウの、壊れたような笑み。
 だが、その頬を、本人も自覚せず透明な液体が伝う。
 それを、情報のみでとらえたカケルはわずかに息をのんだ。
 だが、リウは気づいていない。
「そうさ。お前さえ………お前らさえ殺せば、俺は。俺は………!」
(―――こいつは、俺と一緒だ………!)
 そんなリウを見て、カケルはそう思った。
 家の再興を何よりも願い、両親を奪い、自分の自由を奪った政府に魂を売って必死に抗っている、家の最後の生き残り。
 リウが、近づく。
「俺は………家を………竜王の血筋を………!」
 誇り高き竜。その中でもさらに高貴な家柄である竜王の血筋。恐らく人間との交雑が進んでいるだろうが、その誇りだけは消して薄まることなく胸中に抱き続けた一族。
 その血筋が、人間に滅ぼされ、そして今、人間のしもべとなっている。
 その苦しみは、どれほどのものだろうか。
「家を………再興できるんだ………ッ!」
 だが、リウがさらに一歩近づこうとしたその時。
 その場に、響き渡る声があった。

「―――『黒き熾天の翼肢は裏切りの足、そを討つ為右手に掲げるは天軍の剣』!」

「「ッ!」」
 カケルとリウ、両方が驚きに目を見開いた。
 その声を放ったのは、入り口にすがるようにして立っている、レオナ。
 そして、言葉が放たれると同時に、リウの足元からどこからともなく氷の鎖が出現し、リウの両手と両足を封じる。
「ッ……! くそ! 『コキュートス』か!」
 『コキュートス』。失われた魔術の一つで、教科書ではあらゆる物質を凍らせる永久凍土の魔術だと習っていたが………。
 カケルの『クアデシンの魔眼』が、その魔術の本性を読み取る。
(なんだこれは……!? 時間を凍結させている!?)
 カケルが驚愕したのはリウの両手と両足。外見上はただ氷の鎖によって戒められているだけのように見えるが、実はもっとすさまじいことが起こっている。
 氷の鎖によって戒められた部分は、時間が凍結していた。正確に言えば、その場の空間そのものが独立させられ、凍結していたのだ。
 この世界の科学では時間とは空間のことであり、次元を歪曲させ、空間を跳躍移動するとわずかではあるが未来へとタイムスリップしたことになる。これは紙を思い浮かべてくれればいい。
 一枚の紙に始点と終点があるとする。これは同一紙上に存在するが、ことなる場所―――空間であることは理解できるだろう。この始点と終点はそれぞれ時間軸をもっており、たとえば始点の時間を二時とするなら、終点は三時。本来、この始点から終点へと向かうためにはその間の空間―――二時五分、二時十五分、といった場所を通らなければならないが、紙―――次元を折り曲げ、始点と終点を限りなく近く結んだとする。すると本来通るべきである二時五分、二時三十分と言った時間を飛び越して二時から三時へと向かったことになる。
 『コキュートス』はこれと似た理論で、たとえば、本来次元というのはつながっており、それに伴って時間軸というものも連続しているのだが、もしもこの空間を一部切り取ることができれば、その空間は時間が止まったことになる。二時五分の空間を切り取ったらそれはもう二時五分でしかない。これが、空間の凍結だ。
 理論上は考えられてきたことだが、実際には不可能だった。
 これには対象空間上のあらゆる粒子運動を完全停止させなければならず、その上で次元を切断するという、人知を超えた力が必要なのだから。
 だが、レオナはやってのけた。恐らくは古代魔術の理論―――魔力を用いた術式によって。
 カケルはただ、レオナの古代魔術のメカニズムを現代魔法風に解釈しただけだ。
「…………もっと詠唱が長いと思っていたんだがな………」
 リウの苛烈な視線に、レオナは一切ひるむことなく睨み返す。
「本当ならね。術式の詠唱だけで二日はかかるし、魔力もたかがバジリスクの王族一人じゃ全然足りない。だけど、椿君の存在そのものが魔術の手助けになった………」
 カケルにはレオナの言っている意味がかけらも分からなかったが、リウはわかっているようだった。やはりリンドヴルムの血筋。多少なり古代魔術について知識があるのだろう。
「『コキュートス』。それは地獄の最下層であり神に反逆した最強最悪の堕天使、ルシフェルが封印されている場所。ルシフェルの別名はサタン。そしてサタンというのは時に竜、あるいは竜王として解釈される………」
 サタンは蛇としても有名だが、実は竜として解釈されることも多い。大天使ミカエルがその最強の剣を手に竜を倒す絵画も存在するほどだ。
「あなたは竜王。その血筋。―――その事実こそが、術式構成の手助けとなった。本来の用途のためであれば魔力は地球そのものから借りることができる」
「…………………………………まじか」
 なんとまあ、あまりにも壮大でわけのわからないファンタジーすぎる事態にカケルは付いて行けなかった。その壮大な魔術を『魔眼』で現代魔法風に次元がどうやら、空間の凍結がどうやらなどと解釈していた自分がなんか小さく見える。
 と、思わず事態に飲み込まれていたカケルだったが、チャンスであることは確かだ。ぜひとも起き上がって攻撃したいところなのだが………。
(くそ………っ! 体がしびれていて動かない………!)
 スタンガン以下の雷撃とはいえ、何度も食らったことで筋肉はけいれんを起こしてしまっていてうまく動かない。地面に腕を立てて上半身を浮かすこともできない始末だ。
 しかし、このままレオナがリウの動きを止めてくれていればいつかはカケルが自由になる。この痺れ具合だとおそらく三分もあれば十分だ。
 そう思っていたカケルだったが、リウはピンチが迫っているにもかかわらず、にやり、と不敵な笑みを浮かべた。
「嘘を言うな、紬」
「ッ!?」
 リウの言葉に、カケルは目を見開きレオナはぐ、と唇を噛んだ。
 リウはそんなレオナを見てさらに不敵な笑みを深めた。
「確かに本来の用途の為に使用するのであれば術者の魔力はあまり必要としないが……それはあくまで本来の必要量と比べて、だ。お前が言ったように、本来『嘆きの川(コキュートス)』の魔術は膨大な魔力を持つバジリスクの王族と言えども、たかが一人で賄えるようなものじゃない。人間でいうなら千人は必要な量だ。それがいくら軽減されたといってもお前が数分維持できるような魔術じゃあない」
「………………っ」
 レオナは何も言わなかったが、その表情が何よりも物語っていた。カケルの目には頬の筋肉が何センチ、どの方向に動いたとかそんな情報しか入ってこないが、想像でそれを補っているので十分表情は掴みとれる。
 リウはさらにとどめとばかりに言葉を放つ。
「そして、俺全体を凍結させるのではなく俺の手足を封じただけだったこと………これが何よりお前の魔力量不足を物語っている」
「く…………」
 確かに、空間の大きさで言えば体全体を包み込むよりは手足を封じるだけのほうが体積は少ない。古代魔術の仕組みはよくわからないが、おそらく対象空間が少なければ使用する魔力も少ないはずだ。
「さらに言えば………どうやって俺を攻撃するつもりだ? 古代魔術は重複使用ができない上にその場から動けない。『コキュートス』をかけたままでは俺に攻撃できないぞ?」
「っ!」
 レオナの焦った表情に、リウは冷たい笑みを浮かべる。
「この様子だとあと一分も持つまい………解けたとき、魔力を使い尽くしたお前に何ができる?」
 確かに、リウの言うとおり、レオナの『コキュートス』が解け、リウが自由になった時、まだ現代魔法を完全に理解していないレオナには戦う術がない。いくらなんでも素手で雷撃を扱うリウにはかなわないだろう。
 だが………リウは一つ失念している。

 カケルの存在だ。

 まだカケルは動けないと思っているのだろう。確かにその通りだ。カケルは動けない。
 だが………攻撃できないわけじゃない。

「――――………『焔禍:応用二式・火網』」
 
 カケルが、小さくつぶやく。『Ξ語』による術式発動の弱点は、必ず声に出さなければならない、という点だ。したがって一度出した技は、次から簡単に予測されて対応されてしまう。炎が効かないことを差し引いてカケルが苦戦を強いられたのもこれが大きな理由だ。
 カケルがリウに対して出した技は基本三式すべてと、応用三式のうち一つ。
 残りのうち、一つはすでに『狩人』部隊との戦いで披露したが……リウは知らない。
 そして、あと一つ。
(この二つで………決める!)
 カケルのつぶやきで、リウに向かって『基本一式・火走』のように炎が奔る。小声だったため、リウの反応が遅れる。
「ッ!?」
 反応したところで、レオナの『コキュートス』によって自由は封じられている。
 身動きの取れないリウを囲い込んだ『火走』が、いきなり盛大に燃え上って網を形作り、業火の網となってリウを絡め取る。
「な……にっ……!?」
 『狩人』部隊戦では退路を塞ぐ囲い網として使用したが、本来はこのように相手を捕縛するために使用する。
 捕縛。―――そう。この炎の網は物体に対して干渉力を持つ。
「ぐっ!? ぁぁああああああああああっ!」
 リウが身を焼かれる苦しみに声を上げる。その上『火網』は本物の網のようにリウの体を縛り付けて離さない。
 『焔禍』術式は『炎粒子』という物質で構成された術式だ。物質であるため、物質をとらえることは十分可能だ。だからこそ、『炎剣』で相手を殴り飛ばすという芸当もできるのだ。
 そして、リウをとらえたカケルは何とか上半身を起こして、しびれる右手をリウに向かって伸ばす。
 そして、その手を大きく開き、呼吸を乱しながら口を開く。
「………っ、たく……べらべらしゃべってんじゃ、ねえぞ……相手の弱点やミスに気付いたなら黙ってその隙を突けよ、な………甘すぎなんだよ………おまえは………アニメやマンガじゃない、って言っただろうが………」
 縛られたまま、リウがカケルに視線を向ける。
 その目は、怨嗟の炎に染まっている。
「て、めえ…………っ!」
 その顔に、カケルはふっ、と笑った。
「まあ………最後ぐらいお前に合わせてしゃべってやったってことだ…………んじゃあ、とっと――――死ね」
 カケルは伸ばした右手を振り上げ、レオナに向かって叫ぶ。
「レオナ! 伏せておけ!」
「! うん!」
 レオナが伏せるのを確認して、カケルはリウを見た。その唇が、何かを紡いでるのが見えた。おそらく「くそったれ……」とかそう言う暴言をつぶやいているのだろう。
 カケルは、わずかにそんなリウに対して憐憫の情を抱いた。
 そして、残された最後の術式を―――つぶやく。

「―――『焔禍:応用三式・火槌』」





第十二章 そして終焉へ


「―――『焔禍:応用三式・火槌』」

 カケルが振り上げた右手を握りしめ、そのこぶしを振り下ろすと同時に―――。

 ドッッガァァァァァァアアアアアアアアアンンンッッッ!!!! という、もはや音そのものが衝撃波ではないかと錯覚するぐらいの轟音が鳴り響いた。

 『火網』からつながる術式で、とらえた相手を縛っている火網の『炎粒子』の燃焼速度を数百倍に増加させ、それによって高速爆轟を起こしたのだ。
 低速爆轟である『爆轟』の発展形で、火で相手を焼き尽くすというよりは衝撃波によって相手を粉々に吹き飛ばす物理技だ。
 その衝撃波たるや、五メートル離れていたカケルも十メートル近く吹き飛ばされる始末で、術者でありながら結構なダメージを受けていた。
 痺れも残っている体を何とか起こして、体についた埃を払う。
「………………」
 爆発の中心点を見る。下手な爆薬とは比較にならないほどの威力を誇る、応用三式最強の魔術だ。まともに食らえば体はばらばら。破片も炎によって焼き尽くされる。
 レオナのほうを見たが、吹き飛ばされてドアに頭を打ったのか、気絶している。しかしほかに外傷はなかったようで、命に別状はなさそうだ。
(でも、やっぱり屋内………しかも至近距離で放つ技じゃないな、これ。威力だけなら奥義どころか秘奥義の『素戔嗚(スサノオ)』に並ぶもんな。『天照』ほどじゃあないけど)
 技を使用するためには『火網』から派生しなければならないのが欠点だ。しかも爆轟現象のコントロールをまったくしていないので自分も味方も巻き込んでしまう恐れがある。一言でいえばはた迷惑な技だ。
「……………………」
 カケルはまだ煙の立ち込める爆発の中心点へとゆっくりと歩を進める。別に骨を取ってやろうとか、そういうことではなくただ生死を確認して、けじめをつけるだけだ。
 そして、爆発点のそばに歩み寄ると煙が晴れるのを待つ。
 その間に、言葉を口にする。
 リウの、敗因を。
「………リウ。お前はこういう日本語を知らなかったのか。『沈黙は金。雄弁は―――』」

「―――銀、だろ? それはちがうなあ」

「っ!?」
 煙の中から聞こえてきた声にカケルは体を硬直させた。
 それが、まずかった。
 バチィ!
「ぐあああああっ!」
 煙の中から放たれた青白い電流が、カケルの心臓を的確に貫いた。
(ま、ずい――――!)
 案の定、不整脈を起こし、加えて横隔膜や肺もけいれんしてしまって息が自由にできなくなる。
「がっ……か……ぁ……ぐ……ぅ………!」
 苦しげに胸を押さえ、額に脂汗を浮かべながら喘ぐカケル。
 もうろうとした視界に、煙の中から出てきた人物が映る。
 それは。
「そのぐらいの日本語は知ってるっつーの。バカにすんなよ、人間風情が」
 そこにいるのは、リウだった。
 しかも、無傷の。
(なん、だと………!?)
 カケルは目を疑った。カケルの『クアデシンの魔眼』はあらゆる物事の情報のみをとらえる。つまり幻覚など、実際に存在しない虚偽はあっさりと見ぬき、真実のみをとらえる目だ。だが、カケルはこの目をもって初めて、目を疑った。
(『火槌』を食らって生きてるだと………!? ありえない………!)
 炎によるダメージがないのはわかる。リウは竜王の血筋。人間の血が流れていると言っても竜の皮膚に炎はあまり効果がない。だからこそ、カケルは『火槌』―――つまり、衝撃波による打撃技に頼ったのだ。
 しかし、目の前にリウは立っている。しかも、ほとんど無傷で。
 それこそが最も信じられないことだった。
 そんなカケルの表情を見て、リウは侮蔑の笑みを浮かべた。
「わっかんねえか? ヒントはあれだよ、あれ」
 そう言いながら後方で気絶しているレオナを親指で指し示す。
 カケルは不審げに眉を寄せたが―――不意に、目を見開いた。
「まさか………、自分に『コキュートス』を………!?」
「せいか―い。さすが間宮の嫡男だ。ひゃははは!」
 そう言って愉快そうにゲラゲラ笑うリウ。
 だが、カケルはそんな屈辱に怒りを覚える余裕などなかった。
 『コキュートス』。対象空間を切り取り、あらゆる分子運動を完全停止させ、時間そのものを止める古代魔術。
 それは完全なる封印であると同時に………完全なる防壁でもある。
 何しろ対象空間は完全に止まっているのだ。しかもほかの空間と隔絶されているため、その空間内にある物質に干渉することは不可能だ。
 最強の防御。本来であれば必要な大量の魔力、そして恐ろしく長い詠唱のせいであんな瞬時の防御など不可能なのだろうが………。
「紬が教えてくれたように、おれは『竜王』だからな。術式の短縮、そしてほとんどの魔力を使い果たすとはいえ一人で術式を発動できる」
 おそらく、最後につぶやいていたのはレオナの詠唱した呪文と同じものだろう。『クアデシンの魔眼』は唇が何センチ、どのように動いたとしか教えない。読唇術ができるわけではないのだ。
 そのことを失念していたカケルは唇を噛んだ。
 リウはほとんどの魔力を使い果たしたはずだ。バジリスクよりも格上の竜王とはいえ、『コキュートス』の単独発動は無理があるようだ。リウ自身も言っている。
 つまり、リウもレオナと同じようにもう魔力を必要とする古代魔術は使用できない。
 だが―――リウとレオナには違う点が一つある。
 リウは、現代魔法も使用できる。
「おれの『雷華』は現代魔法だ。魔力は必要じゃねえ。つまり、俺はまだ戦える」
 そして、例の黄金の剣の形成もできる。さすがに息が上がってしまっているが、ろくに動けないカケルにとどめを刺すのは造作もない。
 しばしカケルはリウを睨みつけていたが―――体を引きずって上半身を起こすと、一つため息をついた。
 すべてが終わった………そう言いたげなため息だった。
「………………」
「………………」
 それを見たリウも沈黙し、しばし両者の間に沈黙が漂う。
 リウに先ほどのような嘲笑の表情はなく、笑い声も上げていない。上げる様子もない。
 当たり前だ。それが、素のリウだ。
 そのことを改めて感じ取ったカケルも、ただ荒く息をつくだけで何も言わない。
 静寂。
 それを破ったのは、カケルだった。
 口を開き、静かに話し始める。
 それは、聴いたこともないほど静かで、穏やかで、それでいて悲しげな声だった。
「……………俺は、死ぬのか」
「…………ああそうだ」
 答えるリウも、静かだった。
 答えを聴いたカケルはため息をまたつき、そして再び口を開く。
「まあ、俺はどうせあと一年したら処刑されるし………それが早まったと思えばどうってことないんだがな………あいつも、っていうのがちょっとな………」
 そう言ってカケルはちらりと気絶してしまっているレオナを見る。
 出会ってわずか五日で、ここまで愛してしまった少女。一年後の処刑を、レオナに出会うまで受け入れて―――あきらめてしまっていた処刑を、恐れるようになってしまった。そうさせた、少女。
 自分の隣に―――いてほしいと、生まれて初めて、本気で願った少女。
「…………やっぱり、殺すのか」
 カケルの語尾は、疑問口調ではなかった。
 どちらかと言えば、確認と言った口調だった。
「………ああ。それが俺の役目。そうしなければ俺の家の再興はあり得ない」
 答えるリウの声は、硬かった。
 その声に、やっぱり、とカケルは確信を得た。
(やっぱりこいつも………こんなこと、したくないんだ)
 戦闘中、何度も何度もしゃべっては自分たちにチャンスを与えたリウ。それはつまり戦闘に専念できていない―――戦闘に、集中したくない、ということだった。
 自分たちを嘲笑うのも―――どうにか、こいつらは殺してもいいものだ、と自分に言い聞かせようとしたのだろう。
 あまりにも、あまりにも自分と重なる少年だった。
「………………なあ。どうして、俺たちはこうなったんだろうな?」
「………………」
 カケルの質問に、リウは沈黙を返した。
 それでいい、とカケルは思う。別に答えを期待して放った質問ではない。ただ、すこしでも長く生きながらえるため―――そして、自分の想いを吐き出すために放った、質問だった。
「俺たち二人―――いや、三人は似てる」
「…………」
 今度もリウは沈黙を返したが、うなずいた。
「バジリスクの王女。リンドヴルム―――竜王の血筋。そして、まあ、厳密に王族というわけじゃないが、『四大王家』の一つ、間宮家………その嫡男。三つの王家の、生き残りがここに集まってる」
 リウは黙って聞いている。
 カケルが言葉を切り、沈黙がボロボロになった体育館に落ちる。
 戦闘中は気づかなかったが、どうやら外ではいまだに激しい戦闘が続いているようだった。轟音や爆音がかすかに聞こえてくる。
 そこにはアマツもいるはずだが―――今のカケルには、とても遠く感じるものだった。
 そして、カケルの言葉は続く。
「あいつは眷属もすべて滅び、両親も失った。お前も協力関係にあった人間に家を滅ぼされ、一人になった。そして俺も………両親をとらえられ、姉は縁を切り、一人になった」
 俺たちは似てる、とカケルは再びつぶやいた。
 リウはただただ、黙ってカケルの言葉を聞いている。
 その表情は、どこか苦いものを含んでいる。
「だけどな―――あいつは、違うんだ」
 カケルは、不意にレオナを見ながらそうつぶやいた。その声には先ほどまであった悲しみはなく、強く、そして何かうらやむような、そんな色がある。
 リウの視線は、レオナに行くことはなかったが、同じような色を目に浮かべていた。
「あいつは―――レオナは、違う。お前は人間に家を滅ぼされ、その人間に家の再興をだしにいいようにつかわれ、俺も大犯罪者になって両親を盾にとられて一年後には処刑されることになっておきながらいまだに家を再興させようともがいてやがる」
 だけど、とカケルは言う。
「レオナはそうじゃない。あいつは家の再興なんて、眼中にない。ただ俺の為に、俺という、稀代の大犯罪者なんかのために、命を懸け、それこそ一生懸命、一所懸命に、笑みを浮かべて隣にいてくれる」
 カケルの言葉に、リウはひそかに唇を噛んだ。それは、彼にもわかっている。

「俺には人を傷つけ、殺すことしかできない。お前がどうかは知らないが、多分同じだろう。だけど、レオナは、人を笑顔にできる。人を幸せにできるんだ」
 
 カケルの言葉に、しばしの沈黙が下りる。
 それを破ったのは、リウだった。
「………………それで、俺にどうしろと?」
 リウの問いに、カケルは即答した。
「あいつを、助けてやってくれ」
 その言葉に、リウはわずかに顔を歪めた。
「………それがどれだけ無理なことか、お前ならわかるだろう。俺は家の再興の為に、お前たちを殺さなければならない。それに優先度で言えばお前よりは紬のほうが上だ。俺たちの存在意義はあくまで『政府の脅威の排除』。古代魔術を使用できる紬のほうが危険だ」
「わかってる。でも、それを承知の上で頼む。何とか匿ってくれ。この戦闘痕だ。遺体は確認できなかったとか、どうにでもできるだろ」
 カケルの言葉に、リウは首を振った。
「できるわけない。………それに、お前を殺した俺を、あいつが許すものか」
「許すさ。俺が許す。それならあいつも許す。だから―――」
「もういい」
 カケルの言葉を、リウは遮った。それ以上聞くことなど、これ以上の苦痛など、耐えきれないとでも言うように。
「リウ…………」
「…………お前が、お前ほどの奴が誇りを捨ててまで、紬を守りたい、その気持ちは、伝わってきた。できればそうしてやりたいと思う。だけど、俺には無理だ。俺は弱い。政府の―――『世界魔術連合』の奴らには、手も足も出ないほどに。だから俺には―――紬は守れない」
「……………そうか」
 そう言うと、カケルは起こしている上半身に力を込めた。
 その目に、再び力が灯る。
「………なら、死ぬわけにはいかないな」
 そう言って、最後の力を振り絞るかのようにダイヤモンドの剣を形成し、それをリウに投げつけた。
 あまりにも力のないそれを、リウはあっさりとよけると、再び雷撃―――『雷華』をカケルに命中させた。
 それをカケルはダイヤモンドの楯で防いだが―――それが限界であったかのように、がくりと上半身を揺らした。
 それを見たリウが、哀れそうな視線を送る。
「もう、お前に力はない。これ以上無駄な抵抗は――――」
 一歩、黄金の剣を手にして進んだリウの言葉が、止まる。
 それは、カケルが何か行動を起こしたからではない。カケルは何もアクションを起こしていない。ただ地に這いつくばって荒い息を繰り返しているだけ。
 では、レオナが―――気絶から覚めたレオナが、再び何か魔術を仕掛けたのかというと、そうでもない。そんな魔力はないし、第一今も気絶している。
 では、なぜかというと――――。

 リウが、呼吸困難に陥ったからだ。

「がっ……か、ぁ……!?」
 わけがわからない、とでもいう顔で膝をつくリウ。その顔は見る見るうちに青くなっていく。
 必死にのどに手をやるが、別に誰が首を絞めているわけでもない。
 ただ息ができないという苦しみでもない。尋常ではないほどの胸の苦しみ。頭痛。めまい。
 それにリウが喘いでいると、声が体育館に響く。
 それは、言葉ではない。
 
 笑い声だ。

 くくく………と、愉快な何かをこらえるような、そんな笑い声。
 もちろん、呼吸すらままならないリウと、気絶しているレオナにそんなことはできない。
 では、だれのものかというと。

 カケルの、ものだ。

 カケルは笑い声を漏らしながら言葉を紡ぐ。
「くくく………いやあ、『沈黙は金、雄弁は銀』、ね。確かにこれは間違ってるかもな。雄弁も時には役に立つ」
「っ!?」
 その言葉に、リウは目を見開いた。
 声を出すのがやっとの状態で、言葉を絞り出す。
「て、め……ぇ………っ!」
 その苦しげな表情に、カケルは笑みを浮かべた。
 そして、先ほどまでの苦しげな様子が嘘のようにあっさりと立ち上がる。
「言ったろ? 俺はヒーローじゃねえ。大犯罪者だ。だまし討ちぐらいいくらでもするさ」
「っ………!」
 そう。カケルは決してすべてをあきらめ、レオナの命乞いをするためにあんなことを言ったわけではなかった。
 すべては、最後の大逆転―――罠を仕掛けるための、時間稼ぎだった。
 リウを襲ったのは―――。
「オゾン」
 カケルが、ネタ明かしをする。
「俺は特定元素―――C、O、そしてHに関しては恐ろしいほどの構成速度を誇る。これは『焔禍』術式において重要だから練習したことによるが………まあ、それらの構成ならそれこそ飯を食べながら片手間にできる」
 カケルの魔術レベル。その特化項目は―――物質構成速度。
 自分の得意とする元素に関してカケルは『Ξ語』並みの構成速度と精度を誇る。
「普通なら魔法陣などなしに遠距離空間を対象に魔術は使用できない。座標特定が難しいからな。だが―――生憎俺は普通じゃない」
 そう。カケルは『クアデシンの魔眼』の持ち主。たとえ遠距離だろうと対象空間座標は正確に把握できる。そして、構成状況などもだ。『狩人』部隊迎撃戦の時に魔法陣を使用した理由は、味方の魔術師に声なしで呼びかけるためだ。
 だが、今回は味方を気にする必要はない。相手は一人だ。
 普通にリウのそばにO2などを配置したり、COなどあからさまな毒物を構成したのではリウに気づかれてしまう。そのためカケルはリウの一歩前の空間にO2を大量に配置、リウの『雷華』―――電撃にきわめて近い性質を持つ粒子を使用して電気分解、そして高濃度のO3―――オゾンを作り出し、一歩前に進んだリウに大量に吸い込ませた。
 オゾンは有毒だ。即死性はないがそれでも高濃度を大量に吸い込めばしばらくは体の自由は効かなくなる。
「まあ、お前が前に進むかとか、雷撃を放つかとか、かなりギャンブル性の高いものではあったが―――どうせ負けたら死ぬんだ。なら最後のギャンブルはするしかないだろ」
 まったくもって、ヒーローにはあるまじき行動だった。レオナが見ていればさすがの彼女も呆れたかもしれない。罠を張るためにあんなことを語りだすなど。
 だが、カケルはあくまで目的のためなら何でもする。
 レオナを守る。そのためなら、何でも。
 気が付けば、外も静かになっていた。かすかに響いていた轟音や爆音はもうしない。
 カケルはダイヤモンドの剣を手にリウのそばに歩み寄ると、その剣を突き付けながら言った。
「どうやら外も終わったようだな。アマツがいるからこちらの勝ちだろう」
 単なる推測だったが、リウも同感らしく沈黙している。
 カケルは、リウを見下ろすと、言った。

「それで、お前はどうする?」

 その言葉に、目を見開いたリウがカケルの顔を見る。
「お前が『狩人』の一員であったことは、俺と、レオナしか知らない。しらを切ればこのままお前は学生に戻れる」
「何を………」
 リウが信じられないと言った顔になる。
 だが、カケルは本気だった。
「勘違いするなよ? お前は『コキュートス』を使用できる。一度限り、短時間とはいえ、完全防御が使用できるんだ。レオナのいい盾になる」
 このまま死なせてはもったいない。死ぬならもっと自分の利益になるように死んでもらう。
 カケルはそういう考えでその言葉を口にしていた。
「………………」
 リウは、黙っていた。
 そんなリウに、カケルはさらに畳み掛ける。
「確かに、政府は強力だ。だが、この魔術学校の生徒にはなかなか手出しできない。アマツがいるしな。それになにより、お前、本気で奴らがリンドヴルム家を復興させると思っているのか?」
「………………」
 リウは黙っていたが、その瞳が揺れているのをカケルは正確に把握していた。
「古代魔術を使用できるお前を野放しにするわけない。どうせ使えるだけ使ったら殺すに決まってる。俺と同じようにな。なら、俺と一緒に足掻いてみないか?」
 カケルは不敵な笑みを浮かべた。
「一年だ。お前がレオナを守るなら、その間俺もお前をレオナと同様に守ってやる。いざとなればアマツを脅すなりして奥義三式と秘奥義三式を開放させるさ。それに………」
 そこでカケルはからかうような笑みを浮かべた。
 それは、とても先ほどまで命を懸けて戦っていた敵に向けるような笑みではなく、
 まるで、親友に浮かべるような笑みだった。
「―――お前、アマツに何も言えないでいいのか?」
「っぅ!?」
 リウは、息をのんだかと思うと青かった顔を真っ赤にした。
 その様子にカケルはため息をついた。
「わかりやすいな、お前。でもまあ、そういうことだ。一年間の安全は………まあ、保証してやるよ。そのあとは自分でどうにかしろ。だけどレオナも守れよ」
 むちゃくちゃな要求に、リウは顔をしかめた。
 カケルはそんなリウを見て、笑った。
「そんな顔するな。一年間は保障するんだ。その間、アマツにアタックしろよ。なあに、あいつはクールでつかみどころのない奴に見えるが、実は打たれ弱いところがある。弟が言うんだ。信用しろ」
「お、おまっ………!」 
 真っ赤な顔のリウは言葉を詰まらせた。
 だが、カケルの言葉に、しばしの間リウは思考すると、睨みながらも口を開いた。
「………裏切るかもしれねえぞ」
 だが、カケルは一笑に付した。
 そしてあっさりと答える。
「その時はお前を殺すさ。レオナを殺しても殺すし。俺を殺そうとしても殺す。殺されても殺す。いいな」
 その言葉にリウはぽかん、と口を開けた。
 そして、我に返ると、くくく………と笑った。
「…………むちゃくちゃだな、お前」
「そりゃまあ、稀代の大犯罪者だからな」
 そう言って、カケルはリウに手を差し伸べた。
 少し戸惑いながらも、リウはその手をしっかりと握った。
 カケルに起こされながら、リウは笑みを浮かべながら言った。
「………まあ、俺もお前に並ぶ人間だからな。少しは―――」
「ああ、ダメダメ」
 リウの言葉をカケルが遮り、リウは目を丸くした。
 そんなリウに、カケルは笑みを浮かべたまま言った。

「俺の隣に並んでいいのはレオナだけだ。これは絶対。お前は背中でも守ってろ」

 その言葉にリウは目を瞬かせていたが―――不意に、笑った。
「………ったく」
 お前には敵わねえよ。
 その言葉が、静かな体育館に響き渡った。


終章 隣人バジリスク

「――――………それで、結局見逃したの?」
 『狩人』襲撃の翌日。ことの顛末を聴いたレオナはさすがに少し呆れた顔で隣にいる人物にそうたずねた。
 その人物―――カケルはフェンスに寄り掛かったまましれっと答える。
「見逃したわけじゃない。殺すにはもったいない力だったからな。ただ手を結んだだけさ」
「同じようなものだよ」
 カケルの言葉に、レオナは苦笑した。その笑みにつられて、カケルもわずかに笑みを浮かべる。
 レオナたちがいる場所は陣柳市立魔術養成学校の屋上だった。昨日の今日ということもあり、学校は休校なのだが、家にいても何もやることのないカケルはふと思い立って屋上に来たのだった。
 そして例のごとくレオナはそれについてきただけだ。
 学校を襲撃した『狩人』部隊は全滅。何人かアマツが生け捕りにした人間はすべて自害。結局何の情報もつかめずじまいとなった。
 リウはどうなったかと言えば、駆け付けてきた教員に対しカケルが「内部に侵入してきた敵と戦うために協力しました」としらを切り続けたため、うやむやとなり、おとがめなしとなった。
 鋭いアマツは今回の真相に気づいているようだったが、何も言ってこなかった。
(これで事件はおしまい………ってことだったらよかったんだけどな………)
 屋上から街並みを眺めるカケルの目はわずかに厳しい。
 『世界魔術連合』と『狩人』が手を組んでいるということにはカケルは確信を持っている。そして、その襲撃が今後も続くことも。
 おそらく敵はレオナだけではなく、リウも狙ってくるだろう。裏切り者、ということでもそうだし古代魔術を使用できる、という点でもそうだ。
 そこまでして、『世界魔術連合』が古代魔術を抹消したい理由。そこだけがカケルはいまだにわからない。
 だが、別にそれでもいいとカケルは思っている。
 カケルのするべきことは今、隣にいるレオナや、背中を守ってくれるリウなど、自分にとって大切な仲間を守る事だけだ。
 それができるうちは、それしか考えない。
(しかしまあ、変わるもんだな、人は………)
 すこし前までのカケルであれば、背中どころか誰かを隣に置くことすら許さなかっただろう。それなのに今は隣にはレオナ、背中にはリウ―――そう、リウだ。いくらレオナを守るために役立つからと言って、命のやり取りをした人間を助けるなど、以前のカケルでは考えられない。
(俺らしくない行動だったよな………)
「でもまあ………カケルらしいよ」
「え?」
 そんな風に考えていたカケルは、隣のレオナの言葉に少し驚いた。
 レオナはカケルと同じように視線を街並みへと向けたまま、言葉をつづける。
「そうやって………なんだかんだ言って人を助けちゃうところ。カケルらしいと思う」
「…………そうか」
 そう言ってきたレオナに、カケルはただ一言、そう答えた。
 そのまま、レオナの横顔にカケルは視線を留める。端正な横顔はそれだけで見ていて飽きないほど美しいのだが………カケルに目には、そう映らない。ただ骨格の形がどう、首の角度、筋肉の動きがどう、という情報しか頭に入ってこない。
 そのことに、一抹の寂しさを覚えるのは事実だ。
 だが―――。
「そういえばさ、カケル」
「なんだ?」
 レオナは少し恥ずかしげに、視線をカケルの顔へと向けてきた。カケルの『魔眼』はそれを正確にとらえ、その情報を脳へと送る。
 レオナは、目を開いていた。
 目を合わせなければ『死の眼』は発動しない。やはりレオナの目は魔法陣のような、『映像として見て』初めて効果を発揮するもののようで、その目の色や形、大きさなどによって魔術的意味を発動させるもので、それらを『見る』ことのできないカケルには効果のないものだった。
 レオナは、ちょっと気後れしながらもこんなことを訪ねてきた。
「………あのさ、カケルってやっぱり、『見え』ないんだよね?」
「まあな」
「じゃ、じゃあ………どうして、あたしのこと、『可愛い』って言ってくれたの………?」
 そう言われて、カケルは「ああ……」と思い出した。確かにカケルはことあるごとにそう言ったり、そういう感想を抱いたことがある。確かに映像として見ることのできないのにそれはおかしいかもしれない。
 レオナは少しドキドキしているようだった。たぶん、気を遣わせていたのか……とかそういうことを心配しているのだろう。
(普段あれだけ天然なくせに、こういったことになると神経質というか、心配性だよな……)
 そう考えて、カケルはまだ出会って六日であることを思い出して、驚く。
 すでに十年ぐらい―――生まれてからずっとともにいるような、そんな錯覚を覚えるくらいにレオナとともにいることが当然になっている自分に驚く。
 隣にいないと不安を覚える………そんな感覚を、覚えさせるほどの、存在。
(そっか………やっぱりそうだよな………)
 ずっと気づいていながら、それでも後回しにしていた、気持ち。
 それを改めて感じさせられて、カケルは思わず微笑んだ。
「カケル?」
 そんなカケルに首を傾げるレオナ。そのしぐさは情報としてしか伝わってこないが、それでもカケルにとってはいとおしくてたまらないものだった。
 そう。好きなものはすべて可愛い。だが、このまま単純に教えるのも………。
(………まあ、たまにはいいだろ。こういう悪戯も)
 と、カケルはあることを思いつくと。
「……………レオナ。目を閉じろ。うっかり鳥でも見て死んだら大変だろ」
「え? あ、う、うん………」
 突然そんなことを言われ、あわてて目を閉じるレオナ。
 そして、不意に。
 
 ―――カケルは、その額に軽く唇を当てた。

 時が止まったような、そんな錯覚を覚える一瞬の後、唇を離す。
「…………………」
「…………………」
 レオナが目を開き、驚いたような顔をしてカケルを見る。
 その顔に、カケルはいたずらっぽいほほえみを浮かべ―――。
「ずるいよカケル! 話をそらすためにでこチューするなんて!」
「いいっ!?」
 まさかの本気で怒っているレオナに、自分で行動しておきながら驚くとともにたじろぐカケル。
 カケルの予想としては―――
『か、カケル…………っ!?(赤面)』
『自分で考えろ。(フッ)』
『え、えぇぇえええええ!?(もうゆでだこ状態)』
 ―――とまあ、普段散々自分のペースを乱されている仕返しにレオナのペースを乱させようとしたのだが………まさかまったく動揺しないどころか怒られてしまい、結局ペースを乱されてしまう。
 しかもでこチューをでこピンなどと勘違いするのであればまだわかるがそうではなく、しっかりと認識しておきながらこの怒りであり、それがまたカケルをがくりとさせる。
(なんというか…………これが、レオナか………)
 ぶーぶー言っているレオナを前に、苦笑するカケル。
 でもまあ、これがレオナだし、実際カケルもそんなきざったらしい雰囲気よりはこちらのほうがよっぽど心地いい。
 ―――と、そんな風にじゃれ合っていると。
「なんとまあ、仲のいいことだな」
 そんな、揶揄するような声が聞こえてきた。
 その方向を振り返ると、そこにはアマツとリウがいた。 
 それを見ても、カケルは何も動揺しない。これは、打ち合わせてのことだった。
 レオナとアマツは、今日、レオナの私服を買いに行くのだ。
 アマツがレオナに向かって言う。
「そら。花嫁衣装でも買いに行くぞ、紬」
「あ、はい!」
(いや、それは、違う………)
 カケルが力なく突っ込みを心の中で入れるのも構わず、レオナは嬉々としてアマツへと歩み寄る。すでにアマツの声が聞こえた段階から目は閉じている。今後は目を見ても害のないカケル―――そしてリウだけがそばにいるときのみ、目を開けることになるだろう。
 ひそかにアマツに目配せをするカケル。 
 それを受けたアマツはわずかにうなずくと、レオナとともに屋上から去る。
「それじゃあ、カケル! あとで家に来てね! 絶対見てもらうから!」
 衣装を見せる気満々のレオナに、カケルは苦笑しながらうなずいた。レオナの言う『家』とはどうせカケルの家のことだろう。
(まったく、とんだ蛇がすみついたな………)
 レオナの後姿を見つつ、扉が閉じるのを待ってその場に残っていたリウと向かい合う。
 リウはゆっくりとカケルのそばまで歩み寄ると、カケルは背中を向けて再び街を見下ろす。
「…………カケル」
 リウの声に、カケルは答えない。振り返ることもしない。
 そんなカケルの様子にリウはため息をつくと、すこし目を細めた。
 別にその態度を頑なに思っているわけではない。むしろ今のカケルは、見たことがないほど柔らかい雰囲気を持っている。
 だからリウは、尋ねる。
「………どうして、言わなかったんだ?」
「………何を?」
 とぼけるカケルの答えに、リウはイラつくことはなかった。むしろ、悲しげな表情になった。
 
「お前が、あと一年―――三百五十九日後に、処刑されることを」

 その言葉に、カケルは答えず、
「―――――――――」
 代りに長い息を吐いた。
 間宮カケル。三年前、陣柳市立魔術養成学校中等部編入試験の折に、試験会場にいた受験生百十三人、保護者二百五十人、試験監督官二十九名を『焔禍』術式で殺害した、『焔王』と呼ばれる大犯罪者。
 逮捕されたものの、その裁判は非公式に行われ、現在一年の執行猶予つきの死刑判決が下っている。
 条件付きではあるが、その一年を過ごす場所として、カケルはこの陣柳市立魔術養成学校高等部を選んだのだった。
「…………お前、本当に、あの『焔王』なのか」
 リウが、尋ねてくる。
 カケルは、答えない。
 何のリアクションも返さないカケルに、リウは声を荒げた。
「俺は、お前がやったようには思えない! お前はそんな人間に見えない! どうせ政府の奴らの仕業だろ! それなら―――」
 それ以上の言葉を、リウは言うことができなかった。
 別にカケルが何か特別な術式をかけたわけではない。ましてや手を上げたわけでもない。

 振り返ったカケルは、ただ微笑んでいた。

 それは、狂気に満ちた笑みでも、悲しみに満ちたそれでもなかった。
 ただただ、穏やかに笑っていた。
 その表情に―――一年後、死刑を控えている人間が浮かべるとは思えない表情に―――リウは、息をのんだ。
 カケルが、口を開く。
「…………それについては、またいつか………ちゃんと話すさ。だけど、これだけは言っておく。確かに俺が殺した。俺が『焔王』だ。罪状は何一つ間違っていない」
 カケルの言葉に、リウは目を見開き、そして顔を伏せると唇を噛んだ。
 その表情に、カケルは目を細める。
 確かに、自分があの四百人近い人間を殺したのだ。それについては、何も弁解することはできない。 
 いつかちゃんと―――レオナにも、リウにも、そしてアマツにもすべてを話すことになるだろう。
 どうして、殺したのか。
 どうして、この学校に来たのか。
 どうして、両親までも投獄されているのか。
 だけど、今、話すことはできない。
 自分の気持ちの準備ができていないのもあるが、それ以上に。
「………大丈夫。気にするな」
 カケルは寄り掛かっていたフェンスから身を離すと、すれ違いざま、リウの肩に手を置いた。
「俺の処刑はもうどうしようもないことだ。変わらないことなら、気にしても仕方ないだろ。なら、今まで通り、俺の周りでワイワイやってくれ。それが一番、俺が望んでいることだ」
「カケル………」
 顔を見てきたリウに、カケルは笑う。
「そんな顔するな。人間いつか死ぬんだ。おれは平均より六十年ぐらい早かっただけの話さ」
 そう言うと、カケルはその場に立ち尽くすリウを置いて歩を進める。
 
 そう。気にしても仕方がない。悔やんでも仕方がない。
 過去は、変わらない。
 だけど、たった一年。いや、一年も、自分には未来がある。
 今はそう、思える。
 まさか、こんな気持ちになるとは思ってもみなかった。
 それもすべて―――レオナたちのおかげだ。
 これから一年。
 周りには、クラスメイトがいる。
 少し離れたところには、アマツがいる。
 間近―――背中には、リウがいる。
 そして、隣には―――。

(そう。俺の隣には、バジリスクがいる)

 天然ボケで、良くも悪くも俺を振り回すやつがいる。
 ―――いや、良く考えれば俺の周りにはそんなやつばかりだな。だけど。そのおかげで俺は笑顔を浮かべることができる。
 笑顔を浮かべたまま、残された時間を過ごすことができる。
 周りには俺とレオナを囃し立てるクラスメイト。
 少し離れたところには縁を切った姉。
 背後には、命を懸けて戦った裏切り者のリウ。
 隣には、目を見れば死んでしまうバジリスクの、レオナ。
 未来には、そいつらとの、時間が待っている。

 かけがえのない、三百五十九日が――――。

お隣さんはバジリスク!? ~終章

もしもすべて読んでくれた方がいれば本当に嬉しいです。

お隣さんはバジリスク!? ~終章

一章・二章・三章参照。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-11

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