色が染まる時計がまわる -春-

次男の恭悟の、ある春のお話。

「色が染まる時計がまわる」から、少し長めのお話です。
よければこちらもよろしくどうぞ。

1

神妙な顔をしている。今年の春に中学に入学した佳紀は、それだけでなんだかすっかり成長したようにみえる。少し前までは迷子になったり怪我をしたりと世話のやける弟だった。
その佳紀が、明穂と自分をみて神妙な顔をしている。
「あのさぁ、佳紀もわかってると思うんだけど」
「うん」
「そんなの嘘に決まってるだろ?」
「わかってるよ」
唇を突き出して、すぐに不貞腐れた顔になる。やっぱり、まだまだ子供なんだな。
佳紀の隣に座る明穂をみれば、こちらも唇を突き出していた。あんたはもう21になるだろうが。それも似合ってるから何も言えなくなる。下手したら中学生に間違えられるのが、明穂なのだ。

「きょうくん、どうしたらいいかなぁ」
「おれの知り合いっていったんだよな?お前知らないやつか?」
「うん。きょうちゃんの友達なら、俺わかるよ」
「ヨシ、何かあったらすぐに兄ちゃんよぶんだぞ」
「あきちゃん、たよりないよ」

神妙な、はどこへいったのやら。兄弟のなかでも特に頭に花の咲いているこの二人の会話は、すぐに和やかになってしまう。

「次言われても、なにも気にするなよ」
「うん。確認したかっただけ」
「うふふ。おれは、だいかんげい」
「あきくんやめてよ」


嘘に決まってるだろう。
それにしても誰がなんのためにそんな噂を流したかわからない。なんの面白味もない。
いやいや、そういう事を否定している訳じゃない。わかっているつもりだ、色んな恋愛があることを。
しかし、だ。

「おれが、あきくんと、デキてるわけないでしょう」

2

だって、きょうくんには可愛い彼女がいるもんね。
部屋に戻るときに、背中から小さい声が聞こえた。後ろにはにこにこ笑う明穂がいる。
うまく笑えているだろうか。前と変わらず。

最近、相手からの誘いがないこと。連絡がすくないこと。ほかにももろもろ、ある。うまくいえないけれど、二人の空気がぼろぼろだったのは、実は気付いていた。
なぜ気付いてて何も言わないか。もちろん、いまの繋がりを切ってしまうのが嫌だから。
けれどこれは人に言うようなことではない。
喧嘩をしたわけでもない。何か後ろめたいことがあるわけでもない。だからって、相手が疑わしいわけでもない。
だから、人に言うようなことではない。伝えたいとは思ってしまうけれど。

「今度の土曜日、出掛けてくるね」
「うん」

ぴょん、と背中にとびかかってくるのを受け止める。
今日はいっしょに、ねようよ
なんて、気持ち悪いだけだ。でも、こういう疑いようのない愛情が嬉しくも思う。素直に受け止めてもいいもので、染み込むようなものだ。
こんな風に、他人と気持ちをわかちあうことが出来るだろうか。

好きだよ、と言ってくれた彼女の言葉をいまでも信じてる。
俺もだよ、とこたえた自分の気持ちはいまでも変わらない。
それだけで、もう大丈夫。

3

「きょう兄おかえり!」
「ただいま。茂人、部活は?」
「今日はもうおわったんだ」

3時過ぎ。
今日はとても良い天気だった。少しだけ汗ばむくらいの陽気で、羽織ったパーカーも脱いだほどだ。
土曜日。
昼の10時に家を出て、11時に彼女の家まで迎えにいった。深い青色の花柄のワンピースに、グレーのカーディガンを羽織っていた。前まではブーツだった足元も、今日はパンプスになっていた。
春らしくて、花柄の似合う彼女にはぴったりだった。

「きょう兄、今日遅くなるとおもった!」
「早く帰ってきたよ」
「俺とあそぼう!ね!」

今日は、前に話していたカフェにいこう。その場で豆を挽いてるからコーヒーが美味しいんだって。ランチだけ焼いてるピザもいいって、きいたよ。
そのあとは、映画館に行って話題の洋画をみる。夕方の涼しい道を散歩して、公園でゆっくりしよう。お腹がすいたら少し良いところでご飯でも食べようか。なんて。
思ってたのにな。

「いま、志織とゲームしてるんだけどね」
「あ、きょう兄だ。おかえり」
「志織スッゴい強いんだよ。きょう兄協力して!」
「きょう兄なら、何人増えても困らないよ」


それじゃあ、帰ろうか。私用事あるからここでいいよ。
またね。
コーヒーは美味しかった。焼きたてのピザだって。
自分は、自然と手を振っていただろうか。なにも気にしてないように。なにも思っていないように。

きっとできていただろう。
だって、もう何度目だろう。休日の、いわゆるデートというやつだ。付き合いはじめてから、たくさんのところに二人でいった。二人で過ごした場所が増えていった。
でも、もう何度目になるだろう。こうしてご飯を二人で食べて、そこでデートが終わってしまうなんて。

「きょうちゃん、今日はなに食べたい?」
「えー、さっき食べてきたばっかりだからなぁ」
「じゃあグラタンでいい?」
「うん」
「わーい!あきちゃんにいってくる!」

もっと一緒にいたい。そう言えばいいのだろうか。
でも用事があるらしいから、引き留めることは出来ない。笑って、気を付けてと言うしかできない。
相手が、一緒にいたいと思っていないならば。一緒にいたいと言うのは、とても難しい。

「きょうくん」
「あ、ただいま。今日はグラタン?」
「おかえり、きょうくん」
「うん」


本当は気付いている。相手の気持ちが、もうずっと前から離れていることに。

4

「グラタン美味しい!」
「おれの、とくいりょうり」
「あき、明日はロールキャベツにして?」
「志織!明日はラーメンだよ!」

五人で囲む食卓は、やはり楽しい。
けれど心の半分くらいがどこかに持っていかれたようにぼんやりしてしまう。悲しい気持ちになってしまう。
そんな自分が嫌なのだ。何が嫌なのか、と問われてもわからない。何が悲しいんだと聞かれても、もうよくわからないのだ。
それでも、気持ちが暗くなることにかわりはない。
どうにかして、この持っていかれた心を気付かれないようにと思っている。

弟達はまだ子供のくせに、心の変化に敏感なのだ。

悲しくなってはいけない。なるのは、今ではない。
手元のグラタンは本当に美味しい。明穂が自分で言うように、このグラタンは絶対に間違いなくいつでも美味しい。
今日もやっぱり、ほくほくのジャガイモと、程よく炒めてある玉ねぎとの相性が素晴らしい。手作りのホワイトソースは、チーズによくからんで口に広がる。
目の前の弟たちの、まるで漫才のような会話だって。聞いてたら自然と笑顔になってしまう。
そんななかで悲しくなるのはいけない。今ではない。


「きょうくん、買い物手伝ってくれる?」
「え、今日?」
「うん。明日朝から使いたいものなの」

そりゃあ勿論いいともさ。
一緒にいきたいと騒ぐ弟達をなんとかなだめて、夜の道を二人で歩いた。
買い物をする気がないのはすぐにわかった。きをつかってくれたらしい。
「きょうくん、て」
「て?」
「かして。つないで」
「えーー。なにが悲しくて兄貴と手を繋がなきゃいけないわけ?」
「ほれほれ」

安心するもん、手を繋ぐと。
お前小さい頃いっつも手を繋いでたじゃんか。
なんて、いつの話だよ。
あったかい手だね、あきくん。

上を向いて見た月が、じんわりと滲んでいった。

5

夜の公園は、実は怖くて好きじゃない。昼と夜でこんなにの表情をかえるのだから、同じように思う人はたくさんいると思う。けれど、明穂はどうやらそうは思わない人らしい。
繋いだ手はいつのまにか離れてしまったけれど、ブランコで二人で揺られていろんなことを話した。
そんなこともないな。
まとまりのない、ここ最近の心のもやもやを溢しただけだ。

おれ、だれかと付き合ったことないからさ。わかんないんだけどさ。
きょうくんが、スキっておもうなら、それがただしいんだろうな。
あいてにもとめるのは、おれはすきじゃないな。でも、きょうくんがしんどいのは、だめだよ。

下手くそな日本語で、それでも優しい声で応えてくれる。
その柔らかい音を聞くだけで、腹の奥にずっしりと残っていた嫌なものが薄れていく。

「いいこなんでしょ?」
「うん。すごく周りに気をつかえて、一緒にいるだけで楽しくなるような子だよ」
「うん」


たまにお弁当をつくってきてくれた。プレゼントには、センスのいい時計をもらった。アルバムを作ってくれたり、風邪をひいたらノートをみせてくれたりもした。
自分は、もらってばかりだ。彼女に、何をしてあげられただろう。
「かえろっか」
「みんな、ねてるかな」
「ゲームしてるよきっと」


夜の公園は、楽しかった昼の気持ちを思い出させるから嫌だった。夜になると寂しくて、昼が来るのをじっと待っている。
明穂の手をとって、揺らしてあるいた。そういえば、たしかに手を繋ぐのが好きだった。
こうしていると、不安が吹き飛んでいくようだ。自分のものではない熱が、指の先や掌から伝わって、自分のものと混ざり合う。

受け取ってくれるだろうか。この熱を。

6

恭悟が、最近元気がないことは皆気付いてた。
でも相談相手が弟の自分達ではないこともわかっていたし、きっと兄の明穂にだって自分から言うこともないんだろう。
そんな中で、部活帰りに知らない男の人達に絡まれた。
「恭悟の弟?」
「お前もホモなの?」

またか、と思う。
4人も兄弟がいると、特に自分は上にも下にも顔が知れわたる。そりゃ仲良くやれるならいいけれども、こういう変な輩に絡まれることもあるのだ。
「お前の兄ちゃん達、どこまで進んでんだよ」
「恭悟は、彼女いるのになー!」
「彼女がかわいそうだよ。彼氏が兄貴を選んだんだから」

ぎゃはは!
ダサいジーンズが色褪せている。似合わないブーツを履いていて、底が擦れてなくなっている。
恭悟はかっこいいし頭もいいから、疎ましく思うやつもいるらしい。それを、弟に言って発散するというのもなんだか悲しいものだ。

と、いうか。
なになに、俺知らなかったんですけどきょうちゃん。
へー、彼女いたんだ。

兄弟の恋愛事情は全くといっていいほどわからない。下の双子達はまだ小学生だけれども、上の兄達はもう成人である。
そりゃ彼女がいたっておかしくはなかった。
安心したような、寂しいような、複雑な気分だ。だって、ホモ疑惑があがるくらいには仲良しなのだから。

どんな彼女だろう。恭悟のことだから、きっと落ち着いた人が好きに違いない。
腕を組んで歩くカップルとすれ違う。男も女もにこにこと笑顔でお互いをみていた。

恭悟もあんなふうに、大切な女の人に笑いかけるのだろうか。

7

茂人が泣いている。隣にいる志織も、目に涙を浮かべて唇をかんでいた。
二人とも色んなところを怪我している。
帰ってきたときにはもう既にこの状態で、明穂が怪我の手当てをしている。

「あきちゃん?どうしたの?」
「んー。ヨシも言われたみたいに、二人もバカにされたみたいなんだわ」
「え、きょうちゃんとあきちゃんの話?」
「うん」

いつもは困ったように眉毛の下がっている明穂だが、今日はその瞳の奥に怒りがみえる。そりゃあそうだ。可愛い可愛い、まだ弱い末の弟達が泣かされたのだから。
自分は友達には言われていないけれど、茂人と志織は学校で嫌味を言われたらしい。
よくはわからないけれど、兄を馬鹿にされたことはわかった。
だから、勢いでその頬をビンタしてやった、らしい。

その、先に手をだしたのが、相手でもなければ短気な茂人でもない。
クールな志織だった。
そこから途端に殴りあいの喧嘩に発展し、ボロボロになって帰ってきたということだった。

「ちと学校に電話してくるな。相手の家とも連絡しなきゃ。」
「うん」


涙をボロボロ流してる茂人と、なんとかそれを堪えてる志織の頭を撫でてやる。
なんにも気にしなくていいんだぞ。偉いんだぞ。俺だって同じように殴ってやったと思うよ。
自分は、この仲の良い兄弟が大好きだ。本音の本音の本音を言えば、友達の100倍好きだ。
だからホモと言われようがなにも気にならない。そんな言葉では傷付かない。


きょうちゃんは、部屋にいるらしかった。
そして、このことがあってからきょうちゃんはあまり家に帰らなくなった。

8

「ねぇねぇ、きょう兄は?」
「がっこう、いそがしいんだよ」

最近では、夕御飯を4人で食べるのが当たり前になってしまった。
とくに恭悟になついている茂人が、恭悟のことを聞くのも毎日のことになっている。それに対して明穂が安心させるようにこたえる。
本当に学校が忙しいのかもしれない。大学生ってのは、そういうもんなのかもしれない。明け方に帰ってきてお風呂にはいり、着替えてまたすぐ出ていくものなのかもしれない。

明穂が、毎日恭悟に作った分をラップして冷蔵庫に入れているのを知っている。そんな明穂を志織が冷めた目でみているのも知っている。茂人は遅くまでリビングで起きているようになった。
なんだかピリピリしている空気が嫌で、自分もなるべく志織のゲームに付き合ったり茂人の勉強をみてやるようにした。
「あきちゃん、寝ないの?」
「うん、まだやることあるんだよ」
「きょうちゃん待ってるの?」

微笑むだけで、明穂は答えなかった。

「きょうちゃんの彼女、あきちゃんは知ってる?」
「ヨシ、なんでしってるの?」
「へへ、聞いちゃった。きょうちゃんはその人のところにいるの?」
「……どうなのかな」

明け方に恭悟が帰ってくるとわかってから、明穂もその恭悟を起きて待つようになった。自分も恭悟に言ってやりたいことがあったから、起きたのだ。そうしたら明穂はもう朝食を作って冷えているリビングに暖房を入れていた。
恭悟と明穂は年の離れている兄で、彼らにしかわからない空気感がある。恭悟のことは明穂が一番わかっている。
なんだか自分の出番は無いように思えて、また部屋に戻ろうとしたのだった。

帰ってきた恭悟は、明穂にあいさつもしなければご飯も食べなかった。

その手のつけられなかった朝食が、明穂のお弁当になったのも、知っている。

「あきちゃん、寝ようよ。最近眠そうだよ」
「だいじょぶ」
「やだ。あきちゃんを無視するきょうちゃんなんか、待ってなくていいだろ」
「でも、きょうくんを、さみしくさせたくないんだよ」

9

うるさいなぁ、と思っていた。耳障りだった。
自分はもう中学生になった。身長はぐんぐんのびて、兄の恭悟にももう少しで追い付きそうなほどだ。
前まではあまり食べられなかった食事も、気付けば兄弟の中で一番食べるようになった。

べつに、勝つとか負けるとか考えたわけではない。
うるさいなぁ、と思っていたのだ。耳障りだったのだ。
いつもは無視できた汚い声に、今日は反応してしまった。相手は二人だったから、最初に攻撃してもあとは散々だ。
蹴られるって、痛いんだなぁ。最初に相手の頬にグーパンチお見舞いしたけど、こっちも痛かったよ。

「お前もばかだなー!兄貴の恭悟と同じでさ」
「喧嘩なんか、したことないくせに」
「ボロボロじゃねーかよ」

ボロボロだよ。ほんとうに。
むかつくむかつく。お前らみたいなのが、きょうちゃんを馬鹿にするな。きょうちゃんは、今のきょうちゃんは嫌だけど、本当はかっこよくて頭もよくて優しくてすごいんだからな。女の子にだって、モテモテなんだからな。きっと。

砂が口の中に入ってジャリジャリする。もう立ち上がるのも億劫で、見下ろす二人の男の靴を見てるしかなかった。

「そこで、なにしてんの」

低い声だった。
聞きなれた声とは随分違って、実は自分もビビってしまった。
買い物帰りの明穂だった。

10

「あ、恭悟の彼氏の明穂さん?」
「うちの弟に何してんの」
「先に手を出したのは、そっちだからな」

あきちゃんが、怒ってる。やばい、超怖い。
「汚い手でうちの弟に触るな。あと、その臭い口で話しかけんな」
「うわ!何この人怖いんですけどー!」

明穂は怒らない。
弟達を叱るのは、恭悟だからだ。それに明穂自身何をされても気にならないし、本気で怒ったところをあまり見せない。
思い出せるのは、小さい頃に明穂と繋いでいた手を離して勝手に道路を渡ったときくらいだ。猫がいたから追いかけてしまった。
そのときは、ほんとうに怖かった。いつもののんびりした声がどこかにいって、厳しい瞳で怒られた。
それしか思い出せない。

あきちゃん、怒らないで。俺から手を出したのは本当だから。あきちゃん、お願い。
あぁ、遅かった。殴っちゃった。



「ヨシ、だいじょぶ?あるける?」
「うん……」

買い物袋を地面に置いてからははやかった。
一発腹に蹴りをいれて、蹲ろうとするところを足掛けで払った。驚くもう一人に低い体制で体当たりして倒す。起き上がろうとする頭を掴んでさらに地面に押し付ける。
何か言おうとしていたが、膝を勢いよく踏まれたところで諦めたようだ。
すぐに明穂が駆け寄ってきてくれたけれど、その顔はもういつも通りだ。

「かえろ。もうだいじょうぶだからな」
「あきちゃん、強いんだねぇ」
「あんなん、あいてにすんなよ」
「………俺、あきちゃんを寂しくさせるきょうちゃんなんか、嫌だよ」

ほら、結局そうやって笑うだけなんだ。

11

明穂から、連絡があった。
電話もあったけれどそれには出ないで、文面で内容を知る。
そこには佳紀が喧嘩をして殴られたと書いてあった。喧嘩は、茂人と志織と同じで明穂との疑惑によるらしい。
全身が心臓になったように脈打つ。怪我はどの程度だろうか。無事だろうか。

帰らなければならないと思う。今ではもう、何が正しいかわからなくなってしまった。
明穂との距離を作らなければ、弟達がまたこうして怪我をしてしまう。時間は必要だろうが、きっといつの間にか噂は消える。仲が良い兄弟でなくなれば、消えるはずなのだ。
それに不安なこともあった。もし、もしもこの噂が彼女にも伝わったら。今ですら危うい関係、少なくとも自分ではそう感じている、なのに明穂との変な噂が伝わってしまっては困る。信じるとは思えないが、信じないとも言い切れないのが現状なのだ。

毎朝、明穂は朝食をつくって置いておいてくれる。冷蔵庫に前日の夕飯が置いてあるのも知っている。
それをみるたびに、悔しくて泣きそうになる。
自分が、何をしただろう。人を好きになるというのは、こんなに難しいことだっただろうか。兄弟だろうが他人だろうが、好きになるのはこんなに否定的なものだっただろうか。

明穂からは、帰ってこいと書いてある。
家のほうがゆっくりできる。弟達が待っている。心配している。
家族ってのは、無条件で受け入れてやるもんなんだから。
短い文から、明穂らしさが出ていてどんどん帰ろうと思わせてくる。意地になっているわけではなくて、なにが正しいかわからなくなっただけだ。

話してしまおう。明穂に。
公園で溢したものよりもたくさんのことを、聞いてもらおう。



「志織に、殴られそうだな」

12

「はいるよー」

結局、日付が越えてから家に帰った。弟は寝ていたけれど、家には明かりがついていた。明穂が起きていたのだ。
久しぶりにみた顔が、少しだけ痩せたようにみえる。痩せてないようにもみえる。
話を聞いてほしい、といえば優しく微笑んで頷いた。明穂とはひとつしか年がかわらないのに、なぜかこういうときに凄く大人びてみえる。

部屋で待っていれば、戸締まりを終えた明穂が部屋にきた。
「ひさしぶり」
「ごめん」
「めし、くってた?」
明穂がいなければ、作られていた朝食は食べていた。ご飯が炊きたてなことも、お味噌汁がまだ熱いこともわかっていた。明穂はわざわざ、部屋に戻って自分と会わないようにしていたのだ。
けれど、それでも心配をしてくれる。
何も言わずに帰らなかった弟を、この人は叱ることをしない。

「きょうくん、げんきだった?」
「あきくん、」
「おれ、きょうくんにげんきないの、やだ」
「うん」
「おれ、おまえのことだいすきだから。おれがぜんぶ、もらってやりたいよ。おまえのつらいの、ぜんぶ」

流れたものは、なかなか止まらなかった。
勝手に流れる涙が、こんなに厄介だとは知らなかった。久しぶりに泣いたから、止め方を忘れたのかもしれない。
明穂と繋いだ手には力がこもっていて、もしかしたら痛かったかもしれない。それでも何も言わずに話を聞いてくれた。

どうしたら、また関係をやり直せるだろう。好きなのに、なにがいけなかったのだろう。
二人でいるときは、楽しく過ごしている。話も盛り上がっている。今でも彼女は可愛いし楽しいし優しい。それでも感じるこの壁はなんだろう。
それを本人と話し合えば、それこそ終わってしまう。終わらせてしまうのは嫌だ。だって好きなんだから。
それなのに、周りでは明穂との噂が流れている。それだけならいいけれど、弟達が傷付いてしまうならば問題だ。

「きょうくん、なんで、そんなにすきなの?」
「わかんない」
「きょうくん、それは友達ではだめなの?」
「んー」
「おれは、そのこが、そんなに魅力的には、おもえない」

この言葉をもし別の日に聞いてたら、明穂に対して苛立ちを覚えたかもしれない。お前に何がわかる、と言っていただろう。
けれど、今はなんだかすんなりと心に落ちていく。

「きょうくんが、きずつくなら、別れればいいとおもってる」
「そんな、それは俺が勝手に傷付いてるだけだから」
「ちがうもん」


いつまで話をしていただろう。日が出てくる前だが、少し影が出来るほどには外は明るくなっていた。
それに気づいて、明穂は部屋を出ていった。そのまま朝食の準備を始めたようで、キッチンから音が聞こえてくる。
このまま、寝てしまおう。久しぶりに自分の布団に身体を預ければ、枕がふかふかになっていた。シーツも綺麗なものに代えてある。
あぁ、まだ涙はまだ出てくるらしい。

13

目が覚めたときには昼を過ぎていた。
階段を下りてリビングにいくと、テーブルにパンがどっさりおいてあった。

きょうくんへ
起きたら食べてね

宿題見てね
カレーパンは食べないでね!
あきほより 茂人&佳紀より

明穂のメッセージのしたに、茂人と佳紀からも追加でメモを書いたらしい。茂人、こんなに下手くそな字書くんだな。
お湯を沸かしてコーヒーをいれる。いくつもあるパンから、チーズベーグルとパンオショコラを選んだ。誰もいない家はとても静かで、テレビをつけた。けれどあまり面白い番組が見つからなかったので、結局消す。

別れよう。
自然とそう思えた。悲しいけれど、気持ちがないならばしょうがない。自分はまだ好きだけれど、それだけでは付き合えているとは言えない。相手もまだ、好きでいてくれればいい。でも、もしそうでないならば。もういいだろう。
それを確認したら別れよう。それだけで悩みの8割は無くなるじゃないか。

人を好きになるというのは、難しいことではない。
自分だけで完結する感情なのだから。


がちゃり、玄関が開く音がした。いつの間にか外は夕方になっており、影が長くのびている。
振り向けば、こちらを睨めつける志織と目が合った。小学生に睨まれて何も言えない大学生って、どうなの。
志織はテーブルのパンからメロンパンを取って、ランドセルを置いた。順番が逆じゃないか、とは言わない。

「久しぶりに見たと思ったら、目が腫れてるし顔が浮腫んでて整形したかと思ったわ」
「え、まじで」

14

「別れた方が、いいのかな」

声が震えていたかもしれない。
別れた方がいいと思ってからは早かった。今度いつ会えるかをきいて、出来るだけすぐに会おうと話をした。
別れようと思っていたわけではない。出来ることなら付き合い続けたいと思っていた。
しかし、自分が我慢すれば、そこまで考えるとやっぱり別れた方がいいと感じる。そんなのは、いつかきっと終わりの来る考え方だ。

「恭悟くん…」
「俺は、別れたくはないんだけど、さ」
俯いたときの瞳でもうわかってしまった。けれどいままでの悲しい気持ちや辛かった気持ちがなくなった。
あぁ、さよならなんだなぁ。

バイトが忙しいこと。学業での悩みが尽きないこと。そうした日々の疲れが重なることで、誰かを好きでいる気持ちが保てなくなってきたこと。いつの間にか家族のように感じていたと言われてしまった。自分からすれば、家族のように感じるということは最上級の愛情表現だが、そうではないらしい。
そして自分も、彼女を家族のように思ったことはなかった。

変な噂がながれるくらいには、うちの兄弟は仲が良い。
自分は彼らを何よりも大切に思っている。


「じゃあ、ここでさよならかな」
「ごめんなさい」
「いいよ。いままで、楽しい時間をありがとう」
「友達として、仲良くしてくれる?」
「うん。是非」

初めて人と付き合った。そして初めて別れを味わった。
別れというのは、別れるまでが辛いらしい。彼女を好きなままでいられてよかった。

15

「あ、きょうちゃんだーー」
「佳紀」
「なになに、どこいってたの?お土産は?」
「そんなのありませーん」

きょうちゃんの浮腫んだ顔を、志織が写真にとっていた。浮腫んで腫れた目で携帯をいじっている。
最近はまた恭悟は家に帰ってくるようになり、明穂のご飯をうまいうまいと食べている。最初こそ志織は冷ややかな目で見ていたけれど、今ではそれもなくなってきた。

ひとつ変わったことがあった。
恭悟が何かに吹っ切れたような顔をしているのだ。
きっと、それは間違いではないだろう。今まで、いつもどこかでなにかを悩んでいた。それに自分でも気付いていないようで、こちらはなにも言えなかったのだ。
それが、無くなった。
美味しいご飯を美味しいと言い、面白いテレビでケラケラ笑い、茂人の宿題を真剣に見てやっている。
そのことに変わりはないのだが、ないはずなのだが、今の恭悟は素直に生きているように感じるのだ。

よかった。
うちは兄弟が仲が良い分、誰かが調子を崩すとそれが兄弟にも波及する。
よかった。


「何見てたの?」
「いや、なんも」
「ふーん」

向こう側には手を繋いで笑い合う男女がいる。
あぁ、きょうちゃんにも彼女いるんだもんな。もしかして、別れたのかな。

16

「別れちゃった」
「ふーん」
夜、少し家からは遠いコンビニからの帰り道。隣の少し自分よりも小さい兄に報告をすると、思ったよりも適当な返事をされてしまった。
けれど、その顔は少し微笑んでるようにも見える。
「きょうくんは、まだやらん」
「なにいってんのー」
眉毛を寄せて口を尖らせて、変な顔だ。ふざけた顔で掠れた低い声で言うもんだから、つい笑ってしまう。くだらないなぁ。くだらないことで、笑ってしまうなんて。

「色んなことがあったみたいでね、もう気持ちがないって言われちゃった」
「うん」
「俺だけだったみたい。でも、別れてよかったよ」
「うん」
「今日さ、彼女見かけたんだ。あ、もう彼女じゃないけどさ」
「……」
「もう新しい恋してるみたい」

月が細い。とても細くて、気が付いたら消えてしまいそうだ。
別れて、結局涙はでなかった。むしろ、その日の夜はいつもよりゆっくり眠れたような気もする。
彼女を好きでいたまま終われてよかった。そう思う。例え彼女の言葉にいくらか嘘が混ざっていても。きっと気遣いの言葉もたくさん考えてくれただろう。だって自分は傷付かなかった。
学校帰りに、知らない男と手を繋ぐ彼女を見つけた。その男は自分とはタイプがだいぶ違うようだった。とても背が高くて、髪を茶色に染めて無造作に流している。彼女のパンプスは、この間履いてきたやつだ。
佳紀に声をかけられて、とてもタイミングよく目をそらすことができた。

「おれいったもん」
「え?」
「そんなにみりょくてきに、みえないって」
「あー」
「いったろ」

春になった。
彼女とは、高校の時に出会った。制服が風を受けて、胸のリボンがパタパタと揺れていたのを覚えている。とても仲がよかった、とはいえないけれど優しくて気のきく子だと思っていた。家に帰って、あきくんにだけは内緒で話をしたんだった。
そうか、次は夏になるのか。
空はどんどん高くなり、夜がどんどん遠くなる。

さいご

好きだったはずだ。
自分より背の低い位置にある、艶のある髪も。切り揃えられた前髪からのぞく大きな瞳も。すこし赤く塗った頬も。小さな、すこしふわふわとした手も。
好きだった。
間違いはないはずなのに、未練もなかった。

むしろ、別れるということになってから世界がとてつもなく広いことに気づいた。大袈裟だろうか。
けれど、それを隣の明穂にいえば頷いてくれるのだ。

好きになったけれど。
嫌いじゃなかっただけなのかもしれないな。


「あぁ、夏の匂いがしてきたなぁ」
「えー、わかんない」
「わかるよ」
「え?」
「いまのきょうくんは、たぶんわかるよ」

明穂と付き合ってる訳もなく。だって男同士で兄貴だもの。そんな感情は持ったこともない。
けれど、好きだと思う。自分の持っている愛情を、すべて惜しみ無く捧げることができる。勿論、弟たちにだって。
真実の愛、なんて知ろうとも思わないけれど。けれど、だけど、しかしながら、だ。

もしかしたら、もう知ってるのかもな。
なんて思うのだ。
だから夏の匂いだって、感じてる気もするのだ。


「ほら、手」
「えーー。だからいいってば」
「ほら、だせって。すきだろ」
「ふふふ」

否定はしないさ。

色が染まる時計がまわる -春-

春が来たら、夏がくるのです。
ぼんやりと恭悟はまた明日を迎えていくのです。

春のぼんやりととしたふわふわ感を書きたかったのでした。



千尋

色が染まる時計がまわる -春-

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-04-22

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

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