俺の彼女は13歳

俺の彼女は13歳

プロローグ




 高1の春。もっと詳しく言えば3月の半ば。放課後の屋上に衝撃音が響く。
「『ゆり』って誰?」
「……何の話?」
 張られた左頬をそのままに、俺はとぼけた。目の前に居るのは俺の現彼女、昔空手をしていて腕に自信があり、その所為か人を見下す癖がある。俺はそこが嫌いだった。
「とぼけないで! ちゃんと聞いたんだから、アンタが『ゆり』ってコと一緒に居たって!」
 何故かばれている。俺は彼女に聞こえないように小さな溜息を吐いた。ちゃんと聞いたと言う事は、誰か友達からの情報だろう。
 刹那、首元が苦しくなった。彼女が胸倉に掴みかかってきたのだ。
「正直に言ってよ! その娘が誰なのか! 一体何考えてるのか! アタシが嫌いになったなら―――。」
「妹!」
 俺を脅しているつもりなのか、殺気の満ちた目で俺を睨む。興奮しきった彼女を落ち着かせようと、俺は彼女の言葉を遮って言った。しかし、この一言で彼女の胸倉を掴む力が強まったのは言うまでも無い。
「嘘! アンタ一人っ子じゃない! もうちょっとマシな嘘吐けないの? いい加減にしてよ! アンタ私の事なめてるでしょ!」
「分かったから落ち着けよ!」
 俺は大声を上げて彼女を言葉を遮った。彼女は俺のその一言で我に帰ったのか、胸倉から手を放す。
「…百合は、昔から仲良い年下の子で、妹みたいな存在なんだよ。言うなれば幼馴染だ。」
「ただの幼馴染とそんなに仲がいいの? どんな関係か正直に言ってよ。」
 また人を見下した口調。俺は少しむっとした。
「どんな関係って何だよ。そんなに俺が信じられないか? 大体、お前だって人の事言えないだろ? 俺に怒鳴る前に『ツヨシ』ってのが誰か、言えるなら言ってみろよ。」
 俺が言い放つと、彼女の怒りが頂点に達したらしく、拳が顔面目掛けて飛んできた。それを回避すると、その透きを狙っていたらしく、巧みに繰り出されたビンタを右頬に食らった。
「もういい! さよなら。」
 踵を返して屋上を出て行った。
 張られた頬が少し痛むが、俺は何事も無かったかのような足取りで家へ帰った。




「ただいま。」
 自転車でまっすぐ帰り、そう言って家に入った。ふと、玄関に並ぶ靴の中に、俺の家族の物ではない靴を発見した。可愛らしいピンク色のスニーカー。
 階段を降りる音がして、百合が姿を現した。きっと俺の部屋にいたんだろう。
「…おかえりなさ――。」
 俺を見るなり百合は硬直した。
「ん? どうかしかた?」
 俺はそう言って百合に笑いかけた。リビングに居た母さんに声を掛けてから階段を上がり、自分の部屋に入る。百合は俺の後を静かに着いて来ていたが、部屋に入った途端、ドアの鍵を閉めた。
「? 何で鍵まで閉めたんだ?」
 俺は入り口付近で立ち止まる。百合は無言で、しかし心配そうな表情のまま俺を後ろから押す。されるがままに歩くと、押すのを止めて前側に回ってきた。そしてゆっくり押されて、俺はベッドに腰掛ける。
「どうしたんだ一体。」
「…………。」
 無言で俺の上着を脱がす。百合はそれをハンガーに掛け、服掛けに掛けると、俺の元に戻ってきた。途端にぎゅっと抱きつかれ、俺は少し驚きながらも抱きしめ返した。その状態で百合が俺をゆっくりと押し、俺は百合を抱きしめたままベッドに寝転んだ。
「…鷲君、何があったの?」
 真剣で、とても心配しているような声。俺は片手で百合の頭を撫でた。
「何でもない。気にするな。」
「…ほっぺ、赤くなってる。…百合だけにはホントの事言ってよ。」
 今にも泣きそうな声。間があって、俺は口を開いた。
「…彼女に振られた。」
「………何があったの?」
 探るような百合の声。俺は天井を見詰めたまま答えずに黙り込んでいた。すると百合は四つん這いになって俺に覆い被さり、俺の顔の高さまで動いた。
「…ちゃんと言ってよ。」
「言えない。」
 横を向いて目を逸らす。
「…何で?」
「秘密。」
「………百合と遊んでたの、ばれちゃった?」
 そう言われて、返す言葉を失った俺は、再び黙り込んだ。百合は次第に目を潤ませて、俺の上から退いた。俺が寝転んでる隣でペタッと座り込む。俺は体を起こして百合と向き合った。
「…百合は悪くない。俺が悪かったんだ。」
 そう言うが、百合はとうとう泣き出した。
「泣くなよ…、百合は悪くないんだって、悪いのは全部俺なんだ。」
 本当は抱きしめてやりたかった。でも、今の俺にそんな事する資格は無い。
「…でも、……鷲君にっ、遊ぶの誘ったの、百合だもん。」
 嗚咽交じりの言葉は、俺の胸に響いた。ズキズキと心が痛む。
「……ヒック…、…ゴメンね。」
「謝るなよ…、百合は何も悪くないだって言ってるだろ?」
 その後は、百合の嗚咽だけが部屋に響いた。
「今日はもう帰るね……。」
 しばらくして落ち着いたのか、百合がそう言って立ち上がった。
「家まで送ろうか?」
「…ううん、…今日はいい、1人で帰る。」
 そう言いつつ部屋のドアを開ける。
「じゃあね…。」
 振り返らずそう言い残して部屋を出て行った。この時に、後を追いかけなかったのが俺の失敗だった。


 それから3週間。百合と一切連絡が取れなくなり、百合が家に来る事も無かった。


 その日、俺は百合の家へ向かっていた。百合の調子が最近良くないと言って、百合の母さんから連絡があったのだ。
 百合の家には既に何度かお邪魔しているが、久し振りという事もあって少し緊張する。
 呼び鈴を押し、しばらく待つ。そして玄関から姿を現したのは百合の母さんだった。
「こんにちは。」
 俺はそう言って頭を下げる。
「ごめんなさいね、休みの日に呼び出しちゃって。」
「いえ、問題無いですよ。……どうですか、百合は。」
「ここ3週間位前から、元気が無くて、学校と食事とトイレ以外は部屋から出て来ないのよ。食事だってろくに食べないし。病院に行くかって聞いたら、行かないって言うし。担任の先生が心配して電話してくれたの。」
 心配そうな声。3週間前と言う言葉が胸に刺さる。俺は百合の母さんに連れられて、百合の部屋の前まで来た。百合の母さんが部屋を軽くノックする。
「百合、鷲君が来てくれたわよ? 開けなさい。」
「………。」
 無言、その後百合の母さんが何を言っても無言が続いた。
「ずっとこうなの、全く、困った娘ね。悪いけど、後頼めるかしら?」
「任せてください。」
「そう? じゃあ悪いけど、よろしくね。私は邪魔しないように消えるから。」
 百合の母さんはそう言って階段を降りて行った。しばらくドアと睨めっこした俺は、小さく溜息を吐いてドアをノックする。
「…百合、俺だ。開けてくれないか?」
「……………帰って…。」
 無視されると思ってヒヤヒヤした。俺は返事が帰ってきた事に安堵の息を漏らす。どうやらドアのすぐ向こう側に居るらしく、声がすこし大きく聞こえた。
「俺は百合が開けてくれるまで帰らない。…あの事、やっぱり気にしてたのか?」
「………帰ってよ…、もう、放っといてよ………、これ以上、鷲君に迷惑、かけれない…。」
 嗚咽混じりの声に、俺は心臓を刺されたような感覚を感じた。
「放っといてって言うぐらいなら泣くなよ! 百合が泣いてたら放っとける訳ねぇだろ!」
 思わず声に力が入る。ドアの向こうの嗚咽はさっきよりも大きくなった。俺は一度深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「…迷惑なんて思って無い。…ここ、開けてくれ。」
 ガチャッっと鍵が開く音がした。ドアがゆっくり開く。やはり百合はドアの目の前に居た。
「鷲君ッ。」
 泣き顔の百合が俺に抱きつく前に、俺が百合を抱きしめた。そして俺は何度も何度も百合に謝った。百合はそのまま大号泣して、俺は百合が落ち着くまでずっと胸を貸してやった。

「…少し落ち着いたな。」
「……うん。」
 俺は百合をベッドに腰掛けさせた。そして俺は椅子を持って来て百合の前に座る。
「百合が思ってた事、全部俺に言え。」
 俺は百合の手に、自分の手を重ねて包み込んだ。
「鷲君が別れたのは、百合の所為で、なのに鷲君は無理して百合に笑ってくれて、その笑顔見てたら…、百合は、最低だなって……、それで…、これ以上…、鷲君、に…、迷惑、かけれ、ないって……、思って、…会えなく、なって………―――。」
「百合、おいで。」
 百合は嗚咽を混ぜながら、それでも必死に話を続けようとして…。俺は腕を広げてもう1回百合を抱きしめた。
「好きなんだよぉ、鷲君の事ぉ。」
 泣きながら、百合ははっきりそう言った。そして嗚咽交えて泣き続ける。
「……一緒に居たいよぉ…っ。」
 百合は俺から少しだけ体を離して、目を合わせて言った。俺はそんな百合の唇を奪う。
「俺さ、気付いたんだ。百合に会えないだけで、どんどん小さくなっていく自分に。…百合を好きだった自分に。」
 俺は百合をぎゅっと抱きしめた。今までで一番強く、そして一番やさしく。
「好きだよ、百合。」




第一章




 季節は4月の半ば。
 チャイムが鳴り、授業が終わる。俺、十文字鷲はいつも通り荷物を鞄に仕舞い、早足で教室を出た。
「鷲! 忘れ物!」
 ふと親友である千歳の声に振り返った。見ると千歳の手には俺の鞄。慌てて踵を返す。
「悪い。」
「慌て過ぎだよ。」
 千歳からそれを受け取る。千歳は呆れたように笑いながらそう言った。俺廊下を急ぎながら振り返らず手を上げる。
 背中に千歳の「また明日。」を聞きながら、俺は階段素早く駆け下り、さっさと靴を履き替える。
 そこから校門までは走った。全力疾走ではないが、それなりの速さで。
 振り返り、学校の大きな時計に目をやる。これならもう急がなくてもよさそうだ。
 自転車置き場の自転車に跨り、学校を後にする。5分自転車を漕いで、到着した場所は図書館。ここで待ち合わせをしている。自転車置き場に自転車を止め、中に入る。
 入ってすぐに机が並べられたスペースがあり、その一番奥の目立たない場所。椎名百合が椅子に腰掛け、何やら黙々とシャーペンを走らせている。
 携帯を取り出し、マナーモードに設定して仕舞う。そしてこっそりと百合の後ろへまわり、ゆっくり腕を伸ばて抱きつく。
「っ、ひゃっ……!」
 百合は小さな驚きの声を漏らす。握っていたシャーペンが机の上を転がって落ちる。
「お待たせ。」
 耳元で囁き、ゆっくり離れた。そのまま百合の隣に座る。
「び、びっくりした……待ってないよ、つい先刻来たばっかりだから。」
 百合は可愛らしく嘘を吐く。多分十分は待っただろう。俺は百合の頭を軽く撫でた。そして落ちたシャーペンを拾う。
「鷲君…。」
「ん?」
 俺は言いつつシャーペンを渡す。百合はそれを受け取りながら、上目遣いに口を開いた。
「……お願いがあるの…。」
 俺は微笑んで百合の頭に手を置く。
「いいよ、何?」
「あのね……、えっと、…久しぶりに、泊まりに行きたいなぁ、って思って…。」
 百合は迷いながら呟くように言った。
「泊まる? 家にか?」
「きゅ、急にごめんね、あの、ダメなら別に、その……。」
「いや、俺は別にいいけど? 母さんもダメとは言わないだろうし。でも百合の方は良いのか? お父さんにちゃんと了承得た?」
「うん、家の方は大丈夫だよ。」
「そっか、で、いつ来る気なんだ?」
「………今日…。」
「今日!?」
 俺は思わず大きな声を出してしまい、少し注目を集めてしまった。気まずい空気の中、俺は咳払いをして小声で続ける。
「何でもっと前もって言ってくれないんだよ。」
「ぅ…ごめんなさい……。ダメだったら、明日でも良いんだよ? …百合、我慢するから…。」
 そう言って百合は俯いた。少し悲しそうな表情を浮べている。
「今日明日の話にならないかもな、ひょっとしたら2,3ヶ月後とか。」
 俺の言葉を聞いて、百合は今にも泣きそうな表情になった。
「冗談だよ。ホントは我慢出来ないんだろ?」
「………出来る訳無いよ…。」
 小声でボソッと呟いた。俺は百合の頭を撫でる。
「よしよし、俺が何とかしてやるから、悲しい顔するな。」
「……でも迷惑でしょ? 突然泊まるなんて言ったら、鷲君が怒られちゃうよ…。」
「母親が怖くて息子ができるかよ。大丈夫だ、そんなに理解の無い奴じゃない。」
 買い被り過ぎかも知れないが、それでも百合を安心させるにはこれくらい言っておかないと、後で厄介なんだ………。
「それじゃすぐ鷲君の家行こう? 早く伝えた方がいいと思うし。」
「ん? ん、なら行こうか。」
 机の上に広げられた教科書などを片付けてから、俺は百合と図書館を出た。いつもなら閉館ギリギリまで残るのだが、まぁ今日は仕方無いだろう。
 自転車の籠に百合の鞄を入れ、俺の鞄を上に重ねた。
「んで? 泊まる用意とかはどうするんだ?」
「家に用意して置いてある、一旦百合の家に寄ってくれると嬉しいな。」
「ん、了解。」
 俺はそう言って自転車に跨った。その後百合が後ろに横を向いて乗った。
「しっかり掴まっとけよ? 危ないから。」
 俺はそう告げて自転車を出発させた。百合の家まではここから、そう遠くない。五分ほど漕げばすぐだ。後ろに百合を乗せているから飛ばしたり出来ないが、そんなにゆっくり漕いでいる訳でもなかった。
「~~~~~。」
「へ? 何て言った?」
 風の影響で百合の声がちゃんと聞こえなかった。
「寒くない?」
「平気、百合がくっついてるから暖かいよ。」
 そんな事を言いながら百合の家に着いた。百合の家は広くて大きい。俺の家も小さくは無いが、百合の家と比べるとやっぱり小さく思えてしまう。自転車から降りた百合に鞄を返す。
「待っててね? すぐに取ってくるから。」
「ん、急がなくてもいいぞ? 俺、待つの得意だから。」
 俺の声を聞いて微笑みながら、百合は自宅へ入って行った。もし家に泊まれなかったらどうするつもりだったのだろう。そんな事が頭を過ぎったが、愚問だと思いすぐに打ち消す。
「お待たせ! ゴメンね? 遅かった?」
 少し経って百合が戻って来た。普段着に着替え、少し大きな(いや、俺に言わせたら小さな)バッグを持って現れた。
「いや、早かったな。んじゃ、行くぞ?」
 普段着の百合は可愛い。いつも可愛いけど、学生服より普段着の方が断然似合う。百合のバッグを籠に入れて、百合が後ろに乗るのを待った。
「しっかり掴まれよ?」
 俺は再びそう言って自転車を漕いだ。ここから家までは少し遠い。二十分は掛かる。百合は移動中一言も喋らなかった。多分寒かったんだと思う。俺は出来るだけ早く家に着くようにスピードを上げて漕いだが、どうやら百合にとっては逆効果だったみたいだ。
「…寒いよぉ。」
「もうちょっと我慢しろ、もうすぐ着くから。」
 移動中の会話はこれだけだった。そんなに寒いとは思わなかったが、百合にとってはこの温度も南極並みなんだろう。やっと家に着いた時、自転車から降りた百合は、体を抱えて小さく震えていた。俺はそんな百合を正面から抱きしめる。
「そんなに寒かったか?」
 身長が頭1つ分違う百合は腕の中で小さくなっている。
「…うん、…早く家に入ろう? ……寒いよぉ。」
「先に入ってろ、俺は自販で暖かい物買って来るから。」
 百合はゆっくり歩いて、おじゃましますと家に入って行った。俺はそのまますぐ近くの自販へ向かい、ココアとブラック珈琲を買って家に帰った。
「ただいま。」
「おかえり、百合ちゃん、鷲の部屋に行かせたからね。」
「おう。あ、それと、今日百合泊まるから。」
「はぁ? そんな話聞いて無いわよ!」
「そりゃそうだろ? 今初めて言ったんだから。」
「もう、ダメとは言わないけど、もっと前もって言ってくれなくちゃ、もし今日の晩御飯カレーじゃなかったらどうする気だったの?」
「別にどうにでもなっただろ。とにかくそのつもりで。寝る時は俺の部屋で一緒に寝るからな。」
「……襲うなよ?」
「誰が襲うか! そこらへんの理性は持ち合わせてるよ! じゃあな。」
 俺は言い放って部屋へ向かった。部屋に入ってみると、百合はベッドに上り、布団を羽織って座っていた。俺の姿を見て微笑む。
「…おかえり。」
「ん、ココア。」
 買ってきたばかりの暖かいココアを渡す。
「…わぁ、…ありがとぉ。」
 俺は鞄を下ろし、椅子に座ってパソコンを起動した。いつも家に帰って俺は、友達のホムペに書き込みをしている。
「…鷲君、…開かないよ? これ。」
 寂しそうな声を出して百合が俺にココアを渡してきた。俺は片手で缶を開けて百合に返す。
「…ありがとぉ。」
 そう言ってコクコクと飲む百合、顔色は悪くないが、微かに震えているのが分かる。
「大丈夫か? さっきから声に生気が無いぞ? 体も震えてるし。」
「…だって、寒いもん……鷲君、暖めてくれる?」
 百合が上目遣いになる。俺は百合の隣に移動して、ココアを受け取りつつ抱きしめた。百合も俺の背中に腕をまわす。小さな体の震えを体で感じる。
「暖かいか? つーか、これじゃココア飲めないだろ。」
「うん、……でもこっちのがいい。…そう言えば、お母さんに言わなくていいの?」
「ん? 嗚呼、もう言ってきた。泊まってもいいって言ってたから気にするな。」
 俺はそう答えて黙った。少しの間そのままの状態を維持していたが、俺はゆっくり百合から離れて、ココアを手渡した。
「そろそろいいだろ? 俺もやる事があるから。」
「……うん、早くしてね?」
 百合は少し寂しそうだったが、受け取ったココアをコクコク飲みだした。俺はパソコン前の椅子に座って、ようやく買って来ていたブラック珈琲を開けた。
「……珈琲苦くないの?」
「ん? まぁ子供には苦いと思うぞ?」
「……百合は子供じゃないもん…。」
 少しふてたような百合の言葉が可愛くて、俺は思わず頬を緩ませた。起動したパソコンをインターネットに繋いで友達のホムペに入る。後は書いてある内容に応じてコメントした。
 全員のホムペに書き込みをした俺は、少し残っていたブラック珈琲を一気飲みして、ふと百合に目をやった。
 百合は何やらふてたように俯いて口を尖らし、自分の世界に入っていた。
「百合、終わったぞ。」
「………………………。」
 無反応。自分の世界に入り込み過ぎて俺の声が届いていないみたいだ。俺はゆっくりと近付き、尖らせた百合の唇を奪った。
「!」
 百合はそれでようやく戻って来たらしく、目を丸く見開いた。
「…おかえり。」
「ぁ…ごめんなさい……。考え事してて、でも気にしないでね? 鷲君の事じゃないからね?」
 少し慌てている百合は可愛らしい。俺は頬にキスして抱きしめた。
「ん? 俺の事で考えないといけない事、あるんだな?」
「…無いもん……。」
「…俺に嘘吐いてもダメな事、分かってるだろ?」
「………パソコンと百合、どっちが大事なの?」
 本音を吐いた百合の声は、今にも泣き出しそうだった。俺はそのまま少し体を離して百合と目を合わせる。
「前にも言ったよな? 一番大切なのは命だけど、それより大切なのは百合だって。」
「…そうだけど、……鷲君、パソコンしてる時の方が楽しそうなんだもん…。」
 半泣き状態の百合は、俯いて言った。俺は百合の唇を奪って再び抱きしめる。
「ハイハイ、悪かったよ。ゴメン。」
「……………本当は、分かってるんだよ? …鷲君が、百合の事、……好き、って事………。」
 ヒックヒックとしゃくりあげながら、百合はそう言った。少し落ち着いたようだ。
「ん。知ってる。急に不安になってそんな事言い出したって事も、ちゃんと分かってる。俺が百合の事分からない訳無いだろ? ……不安になったら何時でも確かめればいいよ、その度にこうやって応えてやるから。」
 俺はそう言ってまた百合の唇を奪った。百合は強く抱きついてきたが、ゆっくりと力が抜けていった。しゃくりあげているのも治まったらしい。
「……ゴメンね…。」
 小声だが確かに謝ってきた百合、俺はゆっくりと百合から離れて目を合わせた。
「俺が百合と居る時楽しそうじゃないのには理由がある。普段、パソコンしてる時とかは楽しむ時、んで、百合と居る時は楽しませる時、だからだ。」
 つまり、楽しませる側が楽しむ訳にはいかない。そう言う意味だ。
 俺は最後にもう一度唇を奪ってからベッドから降りた。
「さてと、今日は泊まるんだよな? だったら床に布団敷こう。」
「ぇ……、うん…。」
 小さな感嘆を漏らした百合は、少し残念そうに俯いて返事した。
「? ……あ、ひょっとして、一緒に寝たいから泊まるって言ったのか?」
「……うん。」
 小さな、しかししっかりとした意思表示だった。
「…まぁ、いいか。よし、それなら今日は一緒に寝よう。」
「やったぁ♪」
「鷲~、百合ちゃ~ん。降りておいで~。」
 1階から声がした。カレーが出来上がったんだろう。俺は百合を連れてリビングへ降りた。ドアを開けると、カレーの香ばしい匂いと共に熱気が顔にかかる。
「この部屋暑くないか? 何かムンムンするぞ?」
 見ればストーブを焚いていた。カレー作って暑くなった部屋でストーブ焚く馬鹿は誰だ? と思ったが、そんな奴家には一人しか居ない。飯が出来たというのに未だパソコンをいじっている父さんだ。口には出さなかったが、俺は無言でストーブは消した。
 ソファに百合を座らせて、俺が母さんと一緒に盛り付ける。と言っても俺が盛り付けたのは自分の分と百合の分だけだが…。
 盛り付けたカレーをテーブルへ運んで、俺は百合の隣に座った。
「さて、頂きます。」
「…いただきます。」
 礼儀は守る俺。俺と百合の声に反応して、父さんがパソコンの前から移動してきた。母さんが盛り付けたカレーを「頂きます。」と言ってから口にする。その後俺達はカレーを食べ終わるまで始終無言だったが、食べてる最中はTVがついていた為、沈黙ではなかった。百合は1杯、俺は2杯程おかわりして、ご馳走様。
「百合ちゃん、先にお風呂入っちゃって。」
「あ、いえ、最後でいいです。」
 遠慮する百合。可愛いな、後で抱きしめよう。なんて冗談も頭を過ぎる。
「いいのよ、遠慮しないで。」
「ぁ……、はい、分かりました。」
「ヤケに口調が丁寧だな。」
 俺は2人に向けて言った。百合の方は少し困ったような視線を送ってきたが、母さんはからは鋭い眼光が飛んできた。…そんな目を向けるな。
 百合は風呂に入る為先にリビングから退出。母さん命令で俺と父さんはリビングからの退出禁止となった。トイレはどうするんだ? と言ったら、我慢すればいいでしょ。と言われて俺と父さんは敢え無く根負けした。
 それから百合が風呂を出たのは四十分程経ってからだった。
「お先に失礼しました。」
 寝巻きに着替えた百合は、TVを見ていた寡黙な親父に小さく頭を下げた。父さんは無言で同じように小さく頭を下げる。そして部屋を出て行く。多分トイレだろう。
「湯加減どうだった?」
「よかったです。」
 百合が母さんに返事をして、俺に目をやった。久しぶりだったが、俺はちゃんと覚えていた。風呂上りに百合が俺にあの甘えたような目を向けるのは、髪を乾かして欲しいからだ。俺は渋々立ち上がる。
「んじゃ、次俺入る。あぁ、それと、明日2人で遊びに行くから。」
 俺は途中から母さんを見て言った。俺は百合の手を取ってリビングを後にした。まず風呂場へ向かう。一応綺麗好きな母さんのお陰で綺麗な脱衣所。洗面台の大きな鏡の前に百合を立たせて、俺は後ろから百合の髪をタオルで乾かす。
「…暖かかったよ? お風呂。」
「ん、知ってる。百合の声に生気が戻ったから。」
 そう言って俺はタオルを洗濯籠へ放り込み、ドライヤーを取り出した。百合の髪は長い為か1人で乾かすと大分時間がかかるのだが、俺は鳴れている所為か早く乾かす事が出来る。
 ブオオオォ。と百合の髪を空中で遊ばせながら、上から下へと乾かしていく。ドライヤーの騒音で、喋っても聞こえ辛い事を知っている百合は黙り込んで髪が乾くのを待って居た。
 十分後、百合の髪を完璧に乾かした俺はドライヤーを止めて仕舞った。
「ありがとね、鷲君。」
「どー致しまして、それじゃ百合、お前俺の部屋かリビングに戻れ、俺今から風呂入るから。」
「うん、それじゃ鷲君の部屋に居るね。」
 そう言って百合は脱衣所を出て行った。俺はさっさと服を脱いで風呂に入ると、体を流してから湯船に浸かった。
「嗚呼ぁ。」
 自然と声が出る。この季節には調度良い温度だ、体に染み渡る。少し体を温めてから湯船からでて、頭を洗う。洗いながら、ふと何故か昔の事を思い出した。百合と知り合った時の事だ。百合と知り合ったのは小学4年の時だった。図書室で露骨にあたふたしていた女の子が百合だった。図書委員である俺は、見知らぬ女の子に声をかけた。
「どうしたの?」
 女の子は俺の声を聞いてビクッと体を震わせたが、俺の名札に付いていた図書委員のバッチを見て安心したのか、持っていた本をその小さな胸に抱いてこう言った。
「……かりたいの、…これ。」
「着いておいで、借り方教えてあげるよ。」
 これが始まりだったのだ。毎日昼休みは図書室へ向かう俺は、その日を境に毎日図書室へ来るようになった百合と親しくなった。お兄さんとして百合が読みやすいような本を紹介したり、時には百合に読み聞かせたり、百合も百合で俺を頼るようになり、俺に名前を聞いてきた時は可愛かった。
「お兄ちゃんは、なんて言う名前なの?」
「俺? 十文字鷲って言うんだよ。」
「へぇ、百合はね、椎名百合って言うんだよ! お兄ちゃんわすれないでね。」
「分かったよ、じゃあ百合ちゃんも俺の名前忘れちゃダメだよ?」
「……なんて名前だったけ?」
 思わず頬が緩む。昔も今も十分過ぎるほど可愛い。俺はシャワーで泡を落としてから今度は体を洗った。ふと、百合が俺の部屋で待っているのを思い出した。俺は素早く体を洗い、十分に体を温めてから風呂を出た。
 体を拭いて頭を乾かし、俺は寝巻きのスウェット着て風呂場を後にした。いくら風呂上りと言っても廊下は寒い。急ぎ足に階段を上がる。
「ただいま?」
 俺はそう一声掛けながら部屋に入った。が、返事は無かった。百合はベッドの上で横になっていたのだ。掛け布団の上に寝転んでいる為寒いのか、体を少し丸めている。
「百合? 布団に入って寝ろよ、風邪引くぞ?」
 俺がそう言って百合の体を揺すると、百合は顔をしかめながら目を覚ました。
「んぅ? …ふぁ、鷲君おかえりぃ…。」
 そう言って体を起こした百合は、俺の胸に抱きついた。
「起きなくていいから布団に入れ、俺はやる事があるから済ませた後寝る。」
「……鷲君一緒に寝よぉ? 百合は鷲君が一緒じゃないと寝ないよぉ。」
 そう言う百合は声がうとうとしていた。このままじゃ、俺の胸の中で寝てしまいそうだ。止むを得ない。俺は百合を支えながら布団の中へ入った。電気を消した為部屋は真っ暗になり、百合は俺の腕枕で静かに目を閉じていた。
 百合が寝てからまた起きればいい、どうせ明日は休みだし、百合と遊ぶ予定だから、朝起きれなくても問題無い。
「…鷲君?」
「ん? 何だ?」
 俺は上を向いて寝転んでいた、右腕は百合の頭の下。俺のベッドはのセミダブル。百合みたいに小さいのが1人増えても狭くはない。
「…こっち向いて寝てよぉ。」
 俺は無言で体を百合の方へ向けた、左腕は自然と百合を体を抱くようになる。すると百合は俺の胸元を軽く握った。
「……暖かいねぇ…、鷲君。」
「いいから早く寝ろ。明日遊びに行くんだろ?」
 それから百合が寝息を立て始めるまで、そんなに時間が掛からなかった。俺は腕と枕をそっと入れ替えてベッドからでると、机の電気だけをつけた。ログオフ状態だったパソコンを再び起動させ、インターネットに入る。
「うぅん……、馬鹿ぁ。」
 百合が声を上げた。俺は少し驚いて百合を見たが、どうやら寝言だったらしく、その後百合はむにゃむにゃ言って寝返りをうった。
「…寝ても覚めても俺をドキドキさせるな、お前は。」


 朝になり、俺は自然と目が覚めた。腕の中には小さく寝息を立てる百合。
 時計を見ると、時刻は7時半。
 昨夜遅くまでパソコンを使っていた所為か、まだ眠い。俺は再び目を閉じる。
 そして気付いた時には9時が来ていた。
「百合、起きろ。」
「んぅぅ? いまなんじぃ?…。」
 目を覚ました百合は眠たそうに呟きながらまた目を閉じた。
「もう9時、起きて遊びに行く支度しろよ。」
「まだ眠いよぉ…。」
 百合はそう言って俺に抱きつき、また眠り始めた。
「起きろよ、遊ぶ時間無くなるぞ?」
 俺が体を起こしてそう言うと、百合は俺に向かって両手を広げた。
「じゃあ起きるぅ…、起こしてぇ。」
 百合の体を抱き起こす。体を起こした百合は背伸びをしながら口元に手をあてて欠伸した。
「ふぁぁぁ…、うぅん、おはよ。」
「ん、おはよ。んで、今日は何処へ行くつもりなんだ?」
 俺はベッドから降り、背伸びをしながら聞いた。
「ショッピングセンターに行きたいの。」
「そうか、それなら支度が出来次第行こう、昼飯もあっちで食べればいいだろ。」
「うん! 待って、すぐ着替えて準備するから。」
 百合はそう言って、徐に寝巻きの上を脱ぎ捨てた。着替えの荷物は俺の部屋にあるから、着替えるのは必然的にここになるけど、でも……。
「百合、お前まだ寝ぼけてるのか?」
 百合に背を向けた俺は呟くように言った。
「ぇ? …ッ! ゴメンなさいぃッ!」
 俺の言葉で、やっと自分が一糸纏わぬ姿だと分かったらしい。百合は恥じらいで顔を真っ赤に紅潮させながら、脱いだ寝巻きで体を隠していた。
「俺、歯磨きとかしてくるから、その間に着替えろよ。」
「………ぅん。」
 よほど恥ずかしかったのか、百合は硬直していた。
 リビングには、既に家事をこなした母さんがソファに座ってテレビを見ていた。どうやら父さんはまだ寝ているらしい。俺は洗面所で歯を磨き、ついでに寝癖も直す。
 歯磨きをし終えた所で百合が入って来た。可愛らしい服を着こなした百合が、頬にほんのり赤みを残して俺の隣に立つ。
「…先刻の、見た……、よね?」
 百合の言葉に、百合の小さな膨らみが脳裏に浮かんだ。
「…見たんじゃない、見せられたんだ。」
 俺は思わず目を逸らしたが、鏡越しにチラチラと百合の胸元を見てしまう。
「…鷲君のえっち。」
「俺が悪いみたいな言い方するなよ、急に服脱いだのは百合だろ?」
「それは…、そうだけど…。」
 言葉に詰まった百合は、歯磨きを始めた。俺はこれ以上この話はしない方がいいと思い、百合を残して部屋に帰った。適当な服に着替える、後は持って行く物の用意だ。俺は外出用の鞄を出してその中に色々入れていく。すると歯磨きを終えた百合が部屋に帰って来た。
「鷲君、その鞄好きだね。」
「ん? ん、まぁな。」
 黒く、たすき掛けにして持つタイプの鞄。俺は少し昔からこれを愛用している。
「これだけ使ってたら愛着も沸く。」
 呟いて振り返った。そして、百合の変化に気付く。
「口紅塗っただろ。」
「ぅ……、鷲君気付くの早い、もうちょっと分からないと思ったのに…。」
 百合は嬉しそうだったが、それと同時に少し不貞ているようにも見えた。
「可愛いけど、キスしたら取れるから今日はしない方がいいな。」
 俺は意地悪に笑って見せた。
「ぅ…、じゃあ落としてくる…。」
 百合は悲しそうに振り返った。百合が歩き出す前に後ろから抱きしめる。
「嘘だって、そんなに悲しい顔するなよ。したい時に言ってくれればキスぐらいいくらでも―――。」
「なら今してよ。」
 百合はまるで吐き捨てるように言った。少し怒ってるようだ。百合が俺と向き合って目を閉じた。俺はそれに応える。
 唇が重なったと同時だったと思う。ドアが開いて父さんが入って来た。
 俺とバッチリ目を合わせた父さん。ドアの開く音と連動して百合が振り返る。
「あ、悪い。」
 父さんは全く驚きもせず、ただ謝ってドアを閉めた。これを真顔でやってのけるから俺は父さんが怖い。
 俺と百合は2人で硬直していた。俺はすぐ硬直を解いたが、百合は恥ずかしさで硬直したままだった。小刻みに震えているようにも見える。
「百合? ……大丈夫…な訳ない、よな?……。」
 俺は百合の肩に手を軽く乗せた。百合は顔を真っ赤に紅潮させて、それでも硬直したまま停止している。俺が正面に移動しても動かない為、唇を奪ってみた。
 唇を奪われてやっと、百合が動いた。俺に全体重を任せて倒れかかってくる。
「百合!? 大丈夫か? おい。」
 百合は俺の腕の中で、くてっと伸びていた。
「………み、見られちゃった…、鷲君のお父さんに…。」
 唸るように呟いている。俺は取り敢えず百合を抱えたままベッドに腰掛け、落ち着くのを待った。肩で息をしていた百合だったが、その呼吸も次第に落ち着き。最後に深呼吸して頭を上げた。
「もう大丈夫か?」
 頷く百合。俺は立ち上がって百合の頭を撫でた。
「よしよし、恥ずかしかったんだよな。」
「……鷲君のお父さんに嫌われてたらどうしよう、こんな淫らな事してるの見られたから、鷲君と別れろとか言われたら、百合…。」
 不安そうに呟く百合。どうやら、ただ恥ずかしがってた訳じゃないらしい。俺はそのまま百合を抱きしめた。そして唇を奪う。
「心配し過ぎだ。父さんはそんな固い人間じゃないぞ? 母さんよりよっぽど理解してくれてると思う。」
「…本当?」
 上目遣いに問い掛けてくる百合。俺は唇を奪う。
「ホントだ、俺が嘘吐く訳無いだろ?」
「…うん、…分かった。」
 もう一度唇を重ねる。そして抱きしめる。
「鷲、百合ちゃん、ご飯よ。」
 リビングから母さんの声が聞こえた。どうやら、朝飯の準備が出来たらしい。
 俺は百合を連れてリビングに降りた。



 家を出て、最寄のバス停からバスに乗り、中央駅へ向かった。中央駅からは電車で都心の駅まで向かう。駅を出た俺と百合は、そこから歩いてすぐのショッピングモールに入った。
 ショッピングモール内はそんなに込み合っていなかったが、それでも人が大勢行き交っていた。
「んで? どうするんだ?」
 俺は百合の手をしっかり握っていた。百合も俺の手を握り返している。
 昔、一度大きな店の中で百合とはぐれた事がある。その時から百合は俺と外出する時は必ず俺と手を繋ぐ。多分かなりのトラウマなんだと思う。実際にあの時は大泣きして中々泣き止まなかった。
「鷲君の服見に行こ、その後ご飯食べて、映画見て、駅前のオシャレな喫茶店にも行きたいし、それと―――。」
「お前の服は買わないのか?」
 言葉を遮ると、百合は少し俯いた。
「……百合はいいの、今日は鷲君の服買う為に来たんだから。」
 そう言って俺を見上げ、微笑んで続けた。
「それに、百合が何着ても、鷲君には釣り合わないから…。」
 最後まで微笑んではいれなかった。
「こら、そうやって自分を否定するな。」
「ぅ……、ごめんなさい。」
 俺の手を繋ぐ百合の手から少し力が抜けた。俺は敢えて手を離した。瞬間百合の表情が曇り、今にも泣きそうな目をする。
「俺と釣り合わないとか言わないか?」
 向き合ってそう言った。百合は俯いて、こくりと頷いた。
 頭を撫でて手を差し出す。だが百合は手を繋がなかった。今度は俺の腕に自分の腕を絡めたのだ。
「んじゃ、まず服見に行くか。」
 そう言って、俺と百合は適当にメンズショップに入った。
 百合は俺に帽子を被らせたり、ジャケットを着せたり、サングラスをかけさせたりと、俺を玩具にして楽しんだ。楽しむだけ楽しんだ結果、ジャケットとそのお揃いのズボンを買ってその店を後にした。
 そして次はレディースショップに百合を引っ張り込んだ。
「お、このワンピース似合うだろ、試着しろよ。あ、こっちの上着もいいな。」
 百合を半分試着室に閉じ込めるようにして次々服を試着させる。
 何を着ても可愛い百合。始めは服を着るたび恥ずかしそうだったが、終いにはポーズを決める程楽しんでいた。結局、白いコートとワンピース、ロングTシャツを買って店を後にした。
 その後フラフラと目に付いた店に立ち寄っては商品を見て楽しんだ。気付くと1時過ぎ。
「そろそろ飯にするか。何が食べたい?」
「…ハンバーガーが食べたい。」
 そんなものでいいのか? とは思ったが口に出さなかった。
 普段から百合はジャンクフードをあまり好んで食べない。だから今日は久しぶりに食べたくなったんだろう。
 ショッピングモール内には食事できる店が幾つもあり、俺と百合はその中に某有名ハンバーガーチェーン店を発見し、店に入った。
 適当に注文してハンバーガーなどがのったお盆を持って、机に座る。
「午前中だけで大分買ったな。」
 俺はコーラを飲みながら言った。百合はポテトを1本1本大切そうに食べながら頷いた。
「……百合は何してても可愛いな。」
 ポテトを食べる百合を見ながら俺はそう呟いた。百合は瞬時に顔を紅潮させて俯く。それでもポテトをはむはむ食べ続ける。俺は百合の頭を撫でてハンバーガーを1つ手に取った。
 包みを上手く広げて持つ。
「ほら、こうやって持てば手が汚れない。」
 説明しつつハンバーガーに齧り付く。俺のも百合のも照り焼きだ。だからこうやって食べないと手にタレがつく。
 百合は俺の食べ方をよく見てからハンバーガーに手を伸ばした。だが包みを開けた時点で失敗して手にタレをつける。
「おいおい、貸してみろ。」
 俺は百合からハンバーガーを受け取って上手く包みを広げた。
 百合はその間指に付いたタレをじっと見詰めていた。
「見てないで早く拭き取れよ。」
 俺は微笑みつつそう言ってナプキンを手渡す。百合はそれでタレを拭き取ったが、指をくっ付けたり離したりして言った。
「…べとべとする。洗ってくるからちょっと待ってて。」
 そう言って席を離れた。俺は百合が見えなくなったのを見計らって携帯を取り出した。
 俺は携帯を持っているが、百合は持って無い。百合はこういう小さい事を気にする、だから百合の前では絶対出さないようにしているのだが、服を選んでいる時から何回か震えていて、少し気になっていた。
 見ると何通ものメール。俺は一番最初に来たメールを調べた。
『今何処?』
 よく知った奴からの絶対に来ないと思っていたメール。俺は正直驚いた。
 メールは俺の元彼女からだった。俺の頬を思い切り張ってその場を後にしたあの女だ。以来顔も合わせて無い。俺は彼女のメアドを削除していたが、見た瞬間分かった。と言うか、あの女が無理矢理俺に覚えさせたのだ。
 チラッと百合の行った方を見てから、他のメールも調べる。
『返事が遅い。』
『返事が遅い。』
『返事が遅い。』
『返事が遅い。』
『返事が遅い。』
 この5通が1分おきに連続してきている。
『久しぶりにメールしてあげてるのに無視しないでよ。』
『おい、無視すんな。』
『早く返信しろ。』
 この3通が5分おきに届いていた。更に着信あり、28件。
「…おいおい。」
 ふと、視界の端に百合の姿を見つけた為、俺は素早く携帯を仕舞った。
「ただいま。今何してたの?」
「ん? 考え事。気にするなよ? どうでもいい内容だから。」
 俺はそう言ってハンバーガーに齧り付く。百合はそんなに気にした様子は無く、ハンバーガーを持って歯をたてた。
「美味いだろ?」
 嬉しそうに頷く百合。百合の嬉しそうな表情を見ていると、俺の頬も緩む。ふと、百合はハンバーガーに歯を立てて、頬にタレを付けた。
「今度は顔に付けてるぞ。」
「へ? 嘘。」
 俺は百合の口元に付いたタレを指で上手く取った。そしてそのタレが付いた指を舐める。
 そんな俺を見て、百合は少し頬を紅潮させていたが、それを俺に感付かれないように少し俯き、ハンバーガーに歯をたてた。
 ハンバーガーを食べている間は始終無言。あまり食べてる時に喋るのはよくないからだ。
 結局百合は4分のⅠ程残して俺に差し出した。俺はそれもペロリと食べる。
 百合が残ったコーラをジュルルルルルと啜った。
 それと同時に俺は腕時計を見る。
「そろそろ行くか?」
 百合が頷いて、俺はゴミを片付けつつ店を後にした。
 映画館はショッピングモールの中にある。先刻買い物していた時もその前を通り過ぎた。
 俺は映画館に入る前にまたポップコーンを二種類買った。キャラメルとうす塩。
 映画館内は始まっていないがやはり少し暗かった。俺は百合の手を取って席まで歩く。
 俺と百合の席は後ろ側の真ん中で、かなりいい場所だった。
「この映画見たかったの。出てくる主人公とヒロイン、何か鷲君と百合みたいなんだって。友達が言ってた。」
 そう楽しそうに呟く。いや、俺に向けて言ったのか? 映画を見る上でのマナーが流れている画面をぼんやり見詰めながら百合が言ったのでよく分からない。俺は答える代わりに百合の手を握ってみた。
 すると百合は驚いていたようだったが、ちゃんと握り返してくれた。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


「おい、何やってんだよ、ったく、ほら、立て。」
「ふにゅぅぅ、和樹が悪いんじゃん。璃亜を放って先に歩いていくからぁ、ヒック。」
「だから何ですぐ泣くんだよお前。」
「お前じゃないもん、璃亜だもん、グスッ。」
「ハイハイ、分かりました。」
 そう言って頭を撫でる男。女の方はそれで泣き止んだ。
「…怪我してねぇか?」
「うぅ、してない。」
「ならいいだろ。行くぞ。」
「はうっ、和樹歩くの速いよぉ。」
「うるせぇな、手ぇ繋がねぇとまた転ぶだろ? お前。」
「お前じゃないもんッ、璃亜だもんッ。」
「取り敢えず俺の言う事だけ聞いとけ、分かったか。」
「うぅぅ、分かってるもん…。」
「だったら俺に合わせて歩けよ、璃亜。」


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 内容的には『和樹』と『璃亜』の恋愛物語らしい。
 この『和樹』と言う男は『璃亜』対してだけ意地悪で、でもたまに優しさを見せている。
 『璃亜』と言う女の方は完璧なドジッ子で、更に年下。『和樹』とは幼馴染。
 この2人の何処をどう見れば俺と百合みたいなのか聞きたくなったが、そんな事言うと、百合に説教されそうだったから止めておいた。俺は百合に見えないように欠伸する。眠たいが、寝ると百合の機嫌が悪くなりそうなので寝れない。更にちゃんとストーリーを頭に入れないと、後で質問された時困りそうだ。仕方無しに画面を見詰める。ふと百合を見ると、まさに真剣そのものといった表情で画面を凝視していた。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


「ちょ、待てよ! 何処行くんだよこんな時間に!」
 夜の浜辺、和樹は先を歩く璃亜を追いかける。
「べ、別にいいじゃん何処に行っても、璃亜の自由だもんッ!」
 璃亜はどんどん先を歩く。
「だから待てって! こんなに暗いのに1人で行ったら危ないだろ!」
「ついて来ないで! 和樹は戻って奈菜達と楽しく遊んでればいいじゃん! 璃亜の事は放っといてよ!」
 璃亜はそう言い放つ。和樹はすぐに近寄って璃亜の腕を掴んで引いた。
「キャァ!」
 そう言って璃亜は和樹の胸にぶつかる。和樹は璃亜に腕を回して抱きしめた。
「…放っとけるかよ。」
「……和、樹…?」
 璃亜は驚いているようだったが、和樹の腕からは抜け出そうともしない。
「…好きな娘が危ねぇ事してるのに、放っとけるか。」
「か、勝手な事言わないでよ、奈菜達とばっか話してたくせに………寂しかったんだからね…ヒック。」
 璃亜の声は弱弱しくなり、腕をゆっくり和樹の背中にまわす。
「璃亜の気持ちも分かってくれないで、グスッ、目の前で奈菜達とイチャイチャして…ヒック、…そんなに璃亜が嫌いなら、はっきりキライって言ってよぉ…。」
「…ゴメン、奈菜達とばっかり話て悪かった…。でも俺の気持ちはいつでも璃亜に向いてたんだぞ?」
 俺の言葉に璃亜は顔を上げた。そして見詰め合う。
「ふぇ……?」
「…愛してる、璃亜。」
 そして和樹は璃亜の唇を………

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 俺は最後まで画面を見続けた。チラッと百合を見ると、百合は顔を背けていた。やはり恥ずかしかったらしい。
 やっと映画終わり、エンドロールが流れている間に、劇場は明るくなった。俺は背伸びをする。
「あぁ、疲れたぁ~。」
「ふぁぁ…。」
 隣で百合が可愛らしい欠伸をする。俺は持ち上げた手を百合の頭に乗せた。
「よし、そろそろ出るか?」
「…うん。」
 そう言って会場を後にした俺達は、のんびり歩いてショッピングモールを出た。駅の近くにある喫茶店を目指す。
 百合は俺の腕に自分の腕を絡ませて歩いている、俺はその状態で手を繋ぐ。
「よかったね、映画。」
「ん? まぁ、少し内容がベタだったけどな。」
「うん、少しね。」
 そう言って微笑む。俺も合わせて頬を緩ませた。
 時刻は既に4時を過ぎていたが、外はまだまだ明るかった。
 喫茶店に到着し、中に入る。適当な席を選んで百合を座らせる。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる。」
 百合にそう言い残してトイレへ。そろそろ限界だったんだ。
 個室に入った俺は、鍵を閉めて携帯を引っ張り出した。映画館から度々鳴っていた。この振動はホントにイラつく。
 調べると着信が有り得ない数字を示していた。
 俺は全ての着信とメールを全部削除して、着信拒否に設定した上で、電話をかけた。
 相手が電話に出たのは、多分俺がかけたのと同時ぐらい早かっただろう。
「さっさとかけ直しなさいよ! アタシを待たせるなんてどーゆー―――。」
「ご用件は?」
 俺は思い切り言葉を遮って、淡々と告げた。
「………そろそろあんたが反省したと思って。今すぐちゃんと謝ったら許してあげてもいいわよ?」
 人を見下した言葉。俺の怒りは頂点に達した。
「頭に乗るな。俺はもうお前なんか好きじゃない、と言うか嫌いだ、人として。二度とかけてくるな。それと、俺に関わるな。」
 返事も聞かずに俺は電話を切った。無論、先刻着信拒否に設定したからもう二度とかかってこない。軽くなった気持ちで百合の元へ戻る。
「ただいま。」
「お帰り。…どうかしたの?」
 百合は小首を傾げた。この動作が堪らなく可愛い。やっぱりあの女とは大違いだ。
「へ? 何が?」
「凄く嬉しそう。」
「ん、まぁな。それより何注文するか決めたか?」
「オレンジジュースと苺のショートケーキ。それと、レモンケーキ。」
「ケーキ二つも食べたら太るぞ?」
「むぅ…、1つも鷲君のだもん。それに百合、そんなにいっぱい食べれないもん。」
 頬を膨らませてそう言った百合は、そのままそっぽを向いてしまった。俺は手を伸ばして百合の頬に添えた。そして俺と目を合わさせる。
「冗談だって。そんなに怒るなよ、な?」
 俺はそう言って微笑んで見せた。百合はまだ少し怒っていたようだったが、すぐに機嫌を直した。俺はボタンを押して店員を呼ぶ。
「オレンジジュース、苺のショートケーキ、レモンケーキ、珈琲。以上で。」
 俺の注文を聞いた店員は笑顔を振り撒いて去って行った。
「珈琲ってホントに美味しいの?」
「ん? 少し飲んでみるか?」
「ぅ……、百合が苦いの嫌いなの知ってる癖に。」
「砂糖とミルク入れれば苦くなくなるぞ?」
「…ホント? じゃあ、少し飲みたいな。」
 当たり障りの無い会話が続く。店員が注文の品を持ってきた。
「珈琲頂戴。」
 ウキウキした声音。俺は砂糖とミルクを混ぜてから百合に珈琲を渡した。百合は一口珈琲を口に含んだ。
「…!」
 表情を歪めた。目にはどんどん涙を溜める。
「どうした。」
 俺は思わず腰を浮かせた。珈琲に変なものが入っていたのかと心配になる。
 口の中の珈琲を飲み干した百合は、泣きそうな顔を俺に向けた。
「ぅ……、苦かったぁ…、鷲君のばか!」
 今にも涙が零れてきそうな目を俺に向ける。俺は珈琲を一口飲んでみた。
「…十分甘いだろ、これ。」
「苦いもん! 鷲君のばか。」
 十人十色と言うか、子供と大人の差と言うか…。
「ごめん、少し苦かったな。」
「フン、べぇーだ。」
 そう言って舌をペロッと出した。ホント子供にしか見えない。俺はそんな百合を見て、微笑んだ。
「もぉ、笑うなぁ~。」
「何か久しぶりだな。」
「へぇ?」
「百合が久しぶりに怒った。付き合いだして今みたいな百合は見た事無かったぞ?」
「ぁ……、そ、それは…。」
「いいよ、俺はどんな百合も好きだから。」
 俺はそう言って、レモンケーキをフォークで切った。それをフォークで刺して手を添えた。
「ほら、あーん。」
 さっきの言葉で頬を紅潮させていた百合は更に耳まで紅潮させる。
「……子ども扱いしないでよ。」
「要らないのか?」
「ぅ……、あ、あーー…。」
 俺はゆっくりケーキを百合の口元へ運んだ。
「…―ん。」
「美味しいか?」
 フォークを抜いて、俺は言った。百合は口の中のケーキをゆっくり咀嚼して、飲み込んだ。
「………ばーか。」
 そっぽを向く。どうやら恥ずかしかったらしい。俺は少し微笑んで、レモンケーキと珈琲をのんびり食べた。百合も俺がレモンケーキに取り掛かると、ショートケーキにフォークをつけた。
 俺はさっさと食べ終わって、珈琲も飲み終わった。ナプキンで口元を拭いていると、鞄の中から音楽が聞こえた。同時に俺は動きを止める。先刻、間違えてマナーモードを解除したのを忘れていた。千ラッと百合を見ると、百合は何とも無いような顔をしながら、目が悲しそうだった。俺は大きな溜息を吐きながら鞄から携帯を取り出す。即行でマナーモードにすると、携帯を再び鞄にしまった。
「…ゴメン。」
「別に、謝らなくても…、携帯、出なくてよかったの?」
「嗚呼、いいんだ。」
 俺は思わず飲み切った珈琲のカップを見詰めてしまった。チラっと見ると、百合が俯いていた。
「どうした?」
 俺は百合の顔を覗き込む。百合は目だけこちらに向けた。今にも泣きそうだった。両手でオレンジジュースの入っていたガラスコップを握っている。その手が震えているように見えたのは俺の目が悪いからだろうか。
「ゴメンね…、百合の所為で、携帯…。気にさせちゃって…。」
 今にも泣きそうな声。今泣いてないのは百合が我慢してるからだろう。
「百合は悪くねぇよ。」
 俺は百合の隣に移動して頭を撫でた。
「悪いのは全部俺だ。…、出よう。」
 俺はそう言って百合の手を握った。握り返してこないのが少し寂しかったが、俺は百合の荷物も全部持ってレジへ向かう。
 会計を済ませて店を出た俺は、百合を引っ張るようにして歩いた。百合は無言で引っ張られる。
 そして辿り着いたのは、漫画喫茶だった。
 個室に百合を連れ込んだ俺は、ソファに座らせた。
「鷲、君…、ごめんね………。」
 座った途端、百合は泣き出した。しかも謝ってきた。俺は荷物を降ろすと、黙って百合を抱きしめた。
「泣くなよ。」
「だって……、だって、百合の………、所為で、……気にしなきゃ…いけないから………。」
 少し激しく泣く百合、ここに来るまでずっと堪えていたのが爆発したんだろう。俺はさっきよりも強く百合を抱きしめた。
「いいから落ち着け。な、それまでずっとこうしててやるから。」
 嗚咽に飲まれて百合はそれ以上喋らなかった。
 百合は、普通の女の子より繊細なんだ。そんな事を改めて思った。
 ようやく嗚咽も小さくなり、俺は百合の体をゆっくり離そうとした。だが離れない。
「…百合?」
 百合の体には、全く力が入ってないのだ。このまま俺が百合から離れれば、百合は倒れてしまうだろう。
 ここでやっと、百合が泣きながら俺の腕の中で寝てしまっている事に気付いた。
 俺はそのままゆっくりと移動して、俺の膝に百合の頭を乗っけた。所謂膝枕だ。
 百合の寝顔を見ながら、俺は考えた。
 百合の事は好きだ。心から愛していると言える。だが、百合は少し繊細過ぎる。今日みたいに突然泣かれては、俺も対応しきれないかも知れない。第一、百合が泣き出す原因が今一掴みきれない。突然不安になったり、俺が気付かぬうちに冷たい態度を取ってしまうと泣くのだが、どちらもはっきりした理由になっていない。
 ふと、百合が俺の服を軽く握った。無論眠ったままだ。俺は百合の寝顔を見ながら、頬や前髪を少し撫でた。
 やはり可愛い。誰にも渡したくない。こんな可愛い子が俺を好きで居てくれるのだから、俺もそれに応えないといけないよな。
 そう思った。そして、俺はゆっくりと眠ってしまった。



 体を少し圧迫されているような感覚に陥った俺は、目を覚ました。
 ふわっといい匂いが漂い、俺はまた眠ってしまいそうだった。
「…鷲君。」
 耳元で声がした。間違い無く百合の声だ。
 あれ? 百合の頭は確か……。
 重い瞼を押し上げた。見ると、百合は俺の組んだ脚を跨いで、上に乗っかっていた。
「…鷲君、……ゴメンね…。」
 百合の声。もう泣いていないらしく、嗚咽は聞こえない。
 俺は百合が驚かないように、ゆっくり抱きしめた。
「何で謝るんだ? 百合は何も悪くないぞ?」
 小さく呟くような声しか出ない。んんッ、と喉を鳴らすが、あまり意味は無かった。
 百合は俺の首に腕を回す。
「いつ起きたの?」
「ん? 今、と言うか、先刻だな。気付いたら百合が腕の中に居た。」
 俺はそう言って体を捻り、百合に覆い被さるようにゆっくり倒れ込んだ。
「…あれ? 百合、何で俺に下に居るんだ?」
 そう言ってニヤついて見せた。
「むぅ…、今鷲君が百合の上に乗ったんだもん。」
 百合は不貞腐れたように頬を膨らませてそっぽを向いた。
「何でもいいけど、先刻まで泣いてたのはもういいのか?」
「へ…? ぁ…、忘れてた…。」
 そう言って悲しい表情を作った。俺は百合の唇を軽く奪った。
「忘れろ。と言うか、もう忘れたよな?」
「……うん…。」
「よし。後、重くないか?」
「ん、重くないよ。」
「あ、今の返事、俺の真似しただろ。」
 俺は微笑みながら百合の頬を右手で優しく摘んだ。すると百合は不意に寂しそうな顔をして、俺の手に自分の手を重ねた。
「鷲君…、百合の事、ホントに好き?」
 視線を外したまま問い掛けてくる。俺は表情を少しだけ硬くして体を起こした。百合は後ろに手をついて上半身だけ起こす。
「…鷲君?」
 いつもならすぐに俺が唇を奪うのだが、今日は少し違う事をしてみたくなった。
「なら百合は俺のどんなトコが好きなんだ?」
 俺は至って真面目な声音で問い掛ける。表情も少し硬くしたまま変えてない。
「……優しいトコ、抱きしめてくれるトコ、恋人繋ぎしてくれるトコ、百合の事ちゃんと考えてくれるトコ、隣に居てくれるトコ、『好き』って言ってくれるトコ、百合が無理してるとすぐ気付いてくれるトコ、頭撫でてくれるトコ、ほっぺプニプニしてくるトコ、それと………ちゅー…してくれるトコ。」
 百合は少し頬を染めながら言い切った。俺は表情を緩める。そしておでこにキスした。
「まだまだ足りないな。百合が好きな俺は、指で数えられる程度なのか?」
 ニヤつきながら言う。百合は少し焦ってあたふたし、俺の好きなトコを再び考え始めた。俺はそんな百合を抱きしめる。頭がちょうど胸の位置にくる。
「なんてな。冗談だ。百合の好きなトコ、俺は言い切れない。言葉にすると忘れてしまいそうなくらいある。でも、強いて言うなら、百合の全部が好きだよ。」
 俺の言葉を聞いて上を向いた百合。俺は頬に手を添えて唇を奪った。ちゅっと音をたてて唇を離すと、百合は頬を少し紅潮させていた。やはり、何回しても恥ずかしいらしい。
 ふと、百合が頬を赤くしたまま、俺の顔をじっと見詰め、そして楽しそうに頬を緩めた。
「…鷲君、ほっぺ赤いよ。」
 言われた途端恥ずかしくなって顔が熱くなった。
「そーゆー百合だって顔赤いぞ。」
「そ、そんな事ないもんっ。」
 百合はそう言いながら、自分の頬に両手を添えた。
「ぅ……、そんなに赤い?」
 少し不安そうな百合の声。やっぱり可愛い。俺は百合の頭を撫でた。
「大丈夫。気にするほどじゃないから。」
 そして立ち上がる。腕時計を見ると、時刻は5時頃。
「さて、そろそろ帰るか。これ以上遅くなると百合のお父さん達に迷惑だから。」
「うん…。」
 漫画喫茶を出て、歩いて都心の駅まで向かい、そこからは朝来た経路を逆に辿る。電車の中でもバスの中でも百合はウトウトと居眠りをしていた。結局バス停から家までは俺が背負って歩いた。
 時刻は7時、それでもあたりは薄暗く、1人で歩くには少々危なかった。
「……ぅぅん? …あれぇ? ここ何処ぉ?」
 ふと、百合が目を覚ました。
「おはよ、ちょうど良かった。もうすぐで到着するぞ。」
「まだ眠いよぉ…。」
 そう言って百合は俺の背中に顔を押し当てた。そして寝息をたてる。
 俺は百合の可愛さに思わず微笑み、そして無言で歩いた。
 歩きなれた道も、ここまで暗いと新鮮に思える。所々灯った街灯が、より一層雰囲気を作り出しているようだった。今日はいつもより大分暖かく、俺は寒さをあまり感じなかった。
 そんな事を考えているうちに家に到着した。
「ただいま。」
 俺は何とか玄関を開けて家に入った。どうした事か、お帰りなさいという声が聞こえず、それどころか玄関以外の電気が全て消えていた。
 俺は百合の靴を脱がせず、そのままリビングへ向かった。真っ暗なリビング。電気を点けると、テーブルの上の置手紙に気が付いた。
『お帰り。母さんと父さんは外食するので、百合ちゃんを家まで送ってから、適当に何か自分で作って食べてね♪』
「ふざけるな。」
 俺の感想はその一言で終了した。冷蔵庫を開けると、いくらか材料になりそうな食材もあるが、本格的に作る気無いので少し悩む。
「ぅぅん。寒いよぉ…。」
 ふと、百合が目を覚ました。冷蔵庫の冷気に敏感に反応したらしい。
「嗚呼、悪い。」
 俺はすぐに冷蔵庫を閉めた。
「…あれぇ、いつの間に帰ってきたのぉ?」
 半分寝ぼけているのか、呂律がうまく回っていない。
「ん? 先刻。そろそろ起きろよ? 今から百合の家に帰るぞ?」
「…降ろしてぇ?」
「まだ靴履いてるからダメだ。」
 そう言って玄関まで連れて行き、そこで降ろす。百合は俺に掴まりながら靴を脱ぎ、また俺の背中に乗ろうと後ろに回った。
「ダメだって、もう起きてなきゃ。」
「うぅん、嫌だぁ~、百合眠いぃ~。」
 目に涙を溜める百合、声まで潤んできた。俺は仕方なく百合を背負った。百合は俺に背負われると、すぐに寝息をたて始めた。
 俺は所々電気を点けたり消したりしながら俺の部屋へ向かった。
 部屋にある百合の寝巻きを百合のバッグに入れて、帰り支度を進める。
「…帰りたくないよぉ~。」
 寝ていると思っていた百合が突然口を開いた。今にも泣き出しそうな声で呟く。
「ダメだ、今日は帰るって予定だろ? 勝手に決めたらお父さん達が心配するし――。」
「じゃあ電話貸してぇ、お父さんに聞くから。」
 俺は百合を降ろした。百合は俺の部屋にある電話で自宅に電話をかけ始めた。
「……………もしもし? 母さん? うん、私。お父さん居る? うん、 代わって。」
 百合は淡々と喋る。やっぱり電話だと人って声変わるよな。
「………あ、もしもし? お父さん? 私、百合。 うん、あのね、…今日も泊まっちゃダメ? ……うん…、…うん、え?」
 ふと、百合が俺を見た。
「代わるの? 鷲君に? ……うん、分かった…。」
 そう言うと受話器の一部を手で抑えて俺に小声で言った。
「……鷲君に代われって。」
 そう言って受話器を差し出す。俺はそれを受け取った。
「もしもし、お電話代わりました、十文字です。」
「鷲君かい? 百合が迷惑をかえけたねぇ。」
 渋く、いかにも男らしい声。俺的には声優とか出来そうだと思う。
「いえいえ、迷惑だなんて思ってませよ。百合さんがいるだけで俺としてはとても楽しいですから。」
「そうかそうか、ハハハ。あ、そうだ。百合が今日もそちらに泊まりたいと言って電話を寄越したんだが、どうだろうか? もう一日そちらに預けてもいいだろうか?」
「あ、ハイ。全然問題ないですよ。」
「そうか。それならとても悪いんだが、もう一日、うちの我儘姫をお願いします。」
「いえいえ、我儘なんて、そんな。では、明日、そちらまでお送りさせていただきます。」
「それじゃ、君の言葉に甘えさせて戴こうかな。」
「ハイ、お任せください。それじゃ、あの、百合さんに代わります。」
 俺はそう告げて百合に受話器を渡した。
「…私我儘言ってないもん。……うん、………はぁい。うん、大丈夫だよ? うん、分かった。それじゃバイバイ。」
 百合はそう言って受話器を置いた。そして振り返りつつ抱きついてきた。
「鷲君大好きッ!」
「復活が早いな。んじゃ、晩飯作るぞ。」
 俺は百合を受け止めてからそう言って立ち上がった。再び下の部屋へ。百合をソファの座らせてテレビをつけ、リモコンを渡す。百合は適当にチャンネルを変え始めたので、俺は冷蔵庫の中身を物色して今日の晩飯を決めた。
「百合も何か手伝おうか?」
「ん? いや、テレビ見てろ。今日は俺の料理を食わせてやるから。」
 そう伝えて料理スタート。と言っても、そんな難しい料理じゃないから、味付けを俺流にアレンジするぐらいしか工夫出来るトコが無かった。
「…材料教えて?」
 ふと、百合がそう言った。どうやら何を作るか当てたいらしい。
「人参、キャベツ、ピーマン、モヤシ、豚肉。俺流なのでそれだけしか入れてません。」
「……野菜炒め?」
「ん、正解。って言っても、タレは俺が作るからあっさり系の野菜炒めになるぞ。」
「…楽しみにしとくね。」
 そんな会話を続けている間に料理はあっと言う間に進み、完成。皿に盛り付けてテーブルに運ぶ。
「俺流野菜炒め。味は保障する。」
「…頂きます。」
 百合が箸を付ける。俺も隣で口に運んだ。
「おいしい♪」
「ん、ありがと。」
 出来栄えは上々。その後はテレビを見つつの食事となった。
「…この人、鷲君似てない?」
 映っているのはイケメン俳優。
「ん? 嗚呼、学校でも似てるって言われたな。目元が似てるらしいけど、俺はここまで格好良くない。」
「鷲君の方が格好良いよ?」
 上目遣いにそう言う百合。俺は微笑んで返した。
「ありがと。」
 その内何とか食べ終わり、二人揃ってごちそうさま。それから少しテレビを見続け、順番に風呂に入った。気付くと時刻は9時半。
「…遅いね。」
 しっとりと濡れた髪をタオルで乾かしながら、百合が呟いた。
「ん? 嗚呼、いつもだったら11過ぎに帰って来る。」
 綿棒で耳掃除をしながら答えた。
「そうなんだ…、鷲君は寂しくないの?」
「ん? 何で?」
「だって…、帰って来たら誰も居ないんだよ? …百合だったら寂しい。」
「ん…。寂しくないって言ったら嘘になるけど、寂しいと思った事は無いな。昔からそうだったから慣れてる。逆にさ、あいつ等が居ない間はこの家の主は俺だから、俺がしっかりしないとダメだろ?」
「……鷲君はホントに大人だね。」
 そう言った百合の目を見て、俺は少し微笑む。
「そりゃ、百合の男だからな。」
 耳掃除を止めて百合の隣に座った。そしてタオルを乗せた百合の頭に手を乗せてグシャグシャする。
「百合は俺のだし、俺は百合のだし、こんなに身近な関係、他に無いだろ?」
 百合がキョトンとして俺を見上げた。同じソファに座っているのに頭の高さが違う。
「だから、そんなに遠いモノを見る目で俺を見詰めるな。」
 微笑むと、百合は観念したように目元を俺の肩にあてた。
「…鷲君は、何でもお見通しだね。」
 返事はしなかった。代わりに百合を優しく抱きしめた。華奢な体、濡れた髪、漂う匂い、これ全てが俺の物だ。そう考えると堪らなく愛しくなる。ずっと抱きしめていたい。
「…大好き。」
 百合が呟く。嗚呼、可愛い。可愛過ぎて食べてしまいたい。
 俺は食べずに唇だけ奪って百合から離れた。そして百合を連れて洗面所へ。ドライヤーを駆使して昨日同様髪を乾かしてやる。
 そして2人で部屋へ向かった。
 部屋に入り、俺はまずパソコンを起動させる。
「早く書き終わってね?」
 百合はそう言ってベッドに乗った。俺は昨日同様の手順で日記を書き、友達のホムペも覗く。やってる事は昨日と同じだ。人間の最大の武器は、信頼と習慣。どっかでそんな名言を聞いた覚えがある。
「よし、終わったぞ。」
 振り返ると、百合は枕元に俺が置いていた本を一生懸命に読んでいた。
「百合? 聞いてるか?」
「………………………。」
 無反応。嗚呼、デジャブだ。俺が隣に移動すると、やっと顔上げた。
「…おかえり。」
「昨日、俺が何て言ったか覚えてるか?」
 試しに聞いてみた。百合は案の定小首を傾げて頭に『?』を浮べた。
「俺の声だけは?」
「……ちゃんと聞き取れ…。」
 百合が思い出して続きを言った。そして泣きそうな顔で俺に抱きつく。
「…ごめんなさい。」
「もう忘れるなよ?」
 そう言ってから、俺は電気を消して百合と共に布団に入った。



朝起きると7時だった。俺は百合を起こさないようにベッドから出て、百合の帰り支度を済ませる。
「うぅん…。しゅうくんどこぉ~。」
 寝ぼけている所為か、今にも泣きそうな声。丁度帰り支度を終わらせた俺はベッドに戻る。寝転ぶと、百合はがばっと抱きついて来た。
「どこいってたのぉ?」
「百合の帰る用意してた。どーする? もう起きるか?」
「まだねむいよぉ。」
 そう呟いて百合は寝息をたてはじめた。俺は起こさないようにそっと腕を頭の下に滑り込ませる。百合を抱きしめて寝れるのはこれでしばらくは無いだろう。そんな事を考えながら目を閉じた。
 気付くと9時。昨日も同じ時間に起きた。
「百合、起きろ。」
「いまなんじぃ?」
「9時。着替えて飯食ったら帰るぞ。」
「……ヤだ。」
 そう言って丸くなった。
「俺は百合の父さんと約束したんだ。それに明日は学校だろ? 宿題終わってないだろ。」
「………ヤだもん。」
 泣きそうな声で言う百合。俺は覆い被さるようにして百合の頬にキスした。
「起きなさい。」
 俺がそう言って体を起こすと、百合もしぶしぶ体を起こした。俺は黙って百合の唇を奪う。
「どうせ明日の朝会うんだろ。」
「…ちょっとでも一緒じゃないと寂しいもん。」
 俯き加減にそう言った百合は、久しぶりに自分から俺と唇を重ねた。俺は百合を少し強く抱きしめる。
「可愛いなぁ、百合は。大丈夫、将来はずっと一緒に暮らすんだから。」
「…約束だよ?」
 そう言ってもう一度唇を合わせた。

俺の彼女は13歳

「まだだ! まだ終わらんよ…。」

と言う事で、
この物語はまだ続きます。

俺の彼女は13歳

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更新日
登録日
2012-03-09

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