STORY*

とある中学校の2年6組の1年間物語<実話>

2011年 4月


私たちは2年生になった。

2年6組の教室に続々とメンバーが集まってくる。

この中学校は2つの小学校が組み合わさった中学校である。

そのため2年になった今でもほとんどが始めてみる人ばかりだ。

仲が良い友達と一緒に式が始まるまでおしゃべりをする時間もなく体育館に通された。

そこには新しくきたと思われる先生が10人前後と全員そろうまで

黙想している生徒たちの姿があった。

やっとのことで全員がそろった。

・・・といってもまだ入学式前なのでいるのは3年生と2年生のみである。

長い長い校長先生の話等が終わり全生徒が待っていた発表がいよいよ行われる。

「えーそれでは今から2学年の担当の先生方の発表を行います。」

きたっ・・・開始から20分弱待ち遠しかった時間がやってきた。

「1組・・・2組・・・3組・・・4組・・・5組・・・」

早く・・・早く・・・っ!!次・・・次は・・・。

「6組 平坂 さな先生」

6組は静かになった。

新しく来た先生なのでどういう反応をすればいいのかわからなかったというのが正しい。

それからまた退屈な始業式が終わり自分の上靴を各クラスの自分の位置に移動させて教室に戻った。

みんながざわざわといろいろな話をしている中平坂先生が入ってきた。


「初めまして。平坂 さなと言います。

これから皆さんの担任と理科の担当をすることになりました。

皆さん宜しくお願いしますっ」


「お願いしまーす」


見た目ぽっちゃりした20代後半らしき女の先生。

肩くらいまでの髪の毛で眼鏡をかけていて少し濃い化粧

そして背が高かった。

声も大きいし、チョークで字を書くときの音も大きい。

「全体的に大きな先生」

それが第一印象だった。

それから安定していない時間割がしばらく続いた。

各教科の先生も変わった。

国語は平原先生

5組の担任の若くて元気な女の先生(5組の○○君好き疑惑有り)

数学は銭本先生

1年生の授業と掛け持って教えてくれるうちの中学校にしては若い男の先生(虫が苦手)

社会は坂井先生

去年私たちの学年主任をしてくれていた4組の担任のもうすぐ60歳の男の先生(超野生児!?)

英語は薗田先生

3年生と2年生の授業をかけもっている実はかなり頭がいい女の先生

音楽は稲時先生

我らが女王様、世界一の美女!?で背が高くて少し怖い女の先生

家庭科は守山先生

うちの中学校で一番若い女の先生で服装がいつもゴシックな先生(○○先生と付き合ってる!?)

技術は山羽先生

新しくきた何歳かよくわからないけれど多分40~50歳?の変態疑惑がある不思議な男の先生

美術は大山田先生

去年子供が産まれて子供のことになるとやわらかい笑顔になる平原先生(浮気疑惑・・・有り?)

・・・という感じで個性的な先生方に1年間お世話になることになった。



2011年 5月


やっと一段落したころ体育祭の話が出てきた。

紹介漏れしたが今年の体育の先生は

河原先生 いったい何歳なのかわからないけれどぽにょが大好きな女の先生

浅井先生 新しく来て大学出たばかりの若い男の先生

赤野先生 去年体育の授業をしてくれていて最近は中学校体育連盟のお仕事でなかなか見かけない
     男の先生

さすが体育の先生だけあって全員「熱血」である。

体育委員がクラスの全員がでる種目を決めていく

障害物競走、200mリレー、短距離走、長距離走・・・。

それぞれが感想をいいながらなんだかんだで種目は決まった。

休んでいる人が1人いたが何事もないようにその人の話題には誰一人触れずに終わった。

この中学校の伝統種目「七人八脚」

男女それぞれ3グループにわかれて取り組んだ。

朝練もやったが集合時間までにクラス全員がそろうことはなかった。

女子のみが行うダンスや男子だけが行う組体操・・・等々それぞれが練習に取り組んだ。

体育祭一週間前の時期は6時間体育の日が何日かあった。



2011年 6月


いよいよ体育祭当日

私たちのクラスは去年引っ越してきた大野さんが特に目立ち

ダンスや組体操も無事終了して七人八脚では学年3位という結果だった。

女子同士が戦う「綱引き」では見事に敗退した・・・。

男子同士の戦い「騎馬戦」では今年も審判の先生の判断に生徒から文句がつけられて

ブロックごとのけんかになりかけた。

総合的な結果・・・6組が所属する黄色ブロックが優勝した。

黄色ブロックは生徒会長がブロック長だった。

最初はまとまりがあまりないブロックだったけど優勝が決まったときはみんな黄色いハチマキを

投げて生徒会長を胴上げして喜んだ。

みんなみんな笑顔で喜んでいた。

その後教室に戻って何人かの女子は黒板に落書きをした。

みんな疲れていたが優勝したこともありテンションが高かった。

そして平坂先生は教室に入ると同時に

「はいみんな~っ写真とって帰るよ~っ!!」

・・・ブーイングが響いた。

でも生徒に拒否権はなく結局写真を撮ることになった。

みんな文字を書いてある黒板の前に立って写真を撮る。

ぱしゃっとかいう大きな音と強い光を創造していたクラス全員の体育祭と集合写真会は

さすが最新機器と言うかのごとく無音と小さなフラッシュであっけなく終わった。


その後しばらくしてあった期末テストの6組の平均点は大変悲惨なものだった・・・。


2011年 7月


いよいよ夏である。

全校生徒が夏服に衣替えして校舎はむっとした暑さで息苦しいくらいだった。

そしてプールの授業もはじまった。

今回の授業は「平泳ぎを全員25㍍泳げるようになること」

プールの授業後はいねむりをしている人が教室の3分の1をしめていた。

プール後の睡魔は耐え難いものがあった。

そしてなんとか睡魔と闘っておきている人たちは

いねむりしている生徒をにらんでいる先生を見ていることしかできなかった。


夏休み1週間前

どっさりと配られたのは大量の「夏課題」である。

やっかいなことに今年は家庭科と技術以外はずべて宿題がある。

そして途中の登校日には空欄をなくして先生に見せに行って回答をもらわなければいけなかった。

去年と比べてボリュームupした課題の量にみんなうんざりした顔を向けていた。


そして終業式

この日は通知表が返ってきた。

上がった人、下がった人・・・さまざまな声をあげている生徒たちに向けて

平坂先生がいった一言でドタバタした1学期が終わった。

「はい。じゃあみんな1分いないにでるよ~さようならっ!!」



2011年 9月

始業式

想い重いの足でクラスのメンバーは相変わらずの時間8時20分に教室にぞろぞろとそろった。

長い校長先生の話が終わり、課題を提出して今日は終わった。


それからすぐフクトの行う「夏課題テスト」の時期になった。

「ちゃんと夏の課題をやっとけば大丈夫」

そんな言葉を信じたうちのクラスは今回も悲惨な点数をほとんどが取ったことが各教科でわかった。


2年生が1学期後半から温めていた行事の「職場体験」が行われた。

各ジャンルごとにわかれてそこからまたそれぞれの働く事業所を選び、

そこに体験で働かせてもらいに行くのだ。

前々日には「マナー講座」

お辞儀などの指導を受けて私たち2年生はそれぞれの事業者へと向かったのだった。


2日間の体験を終えてレポートを書くことになった。

自分が行った事業所で学んだこと、思ったこと、お店のことなどを書くのだ。

そしてそれを発表していく。

これは今度の10月に行われるフェスタで展示されるそうだ。


そしてまたプールの授業の後半が始まり

また3分の1は夢の世界へと引きずり込まれていくのだった。


2011年 10月


「合唱コンクール」の練習がいよいよ始まった。

2年6組は

課題曲「生命が羽ばたくとき」 自由曲「空駆ける天馬」を歌うことになった。

「生命が羽ばたくとき」はピアノが三坂さん、指揮者が伊野井くん

「空駆ける天馬」はピアノが椿河さん、指揮者が福山さんに決まった。


昼休みの練習から始まり朝練もするようになった。

8時10分から朝練がはじまるのだが絶対誰か一人が練習に遅刻してくる日が続いた。


合唱コンの代表の鬼嶋くんと光華さんが泣いて先生に相談して

先生がみんなをしかって(渋々?)クラスのみんながそろうようになった。


そしていよいよ当日。

ほかのクラスと比べて出だしが遅れた6組だったけれど

何回も練習して自分たちの納得のいく歌に仕上げることが出来た。

1,2時間目に普通に授業を受けて3.4時間目

6組は7クラスある中で5番目だった。

みんな去年と比べてレベルが高くなっていた。

6組みんなはこのときなんだかんだいいながらも思いはひとつだったと思う。


「「金賞か銀賞はとりたい!!」」


あっという間に時間は過ぎて6組の出番になった。

6組は全員緊張した面持ちでステージに上がる。

指揮者とピアノ奏者が礼をする。

そのときにやっと気がついた。

以外に保護者が沢山いる。

少し深呼吸をして指揮者のほうを見る。

1.2.3.4・・・

「夢見る~ことは~♪」

みんなの声がはもった。

あっという間に課題曲も自由曲も終わった。

指揮者とピアノ奏者が同時に礼をする。


その後の2クラスが終わりいよいよ順位発表になった。

「金賞から今年は発表したいと思います。金賞は・・・。」


一瞬みんなが息を止めて心の中で祈った。

「金賞・・・悪くても銀賞は取れていますように・・・っ!」


「金賞は2組!!銀賞は3組です!!」


残念なことに6組は金賞も銀賞も取れなかった。

あとから聞いた話・・・噂だけど6組は5位だったらしい。


2011年 11月

合唱コンが終わって修学旅行やテストが近づいているにもかかわらず

授業では私語、姿勢・・・と叱られていた。

正直2年生とは思えない内容ばかりでみんなが叱られていた。



修学旅行では大阪や京都や奈良にみんなで行くことになっていた。

普段まじめに取り組むのがあまり得意じゃない6組メンバーだけど

今回はまじめにみんなが取り組んでいた。

このお店にいくとか、お昼はどこで食べるとかそんな話で教室は盛り上がっていた。

もうすぐ修学旅行だ。


2011年 12月

いよいよ修学旅行だ。

早い人では朝の5時ごろから家を出て集合時間30分前には学校についていた。

まだ外は夜のように暗かった。

早い人は早かったのだが集合時間に全員はそろわなかった。

やっと全員が集合して下で待っているバスに移動した。

駅に着くと学校を出たのは予定より遅かったものの新幹線が来る時間に予定より

早く来てしまったためみんなで広場で体操座りをして待っていた。

新幹線に練習したとおりに乗ると先生やカメラマンさんが写真を撮って周った。

それから想像していたよりも早く大阪に着いた。

そこからまたバスに乗りこれからUSJに向かうのだ。

みんなはバスガイドさんの話なんてまったく聞かずそれぞれがおしゃべりして楽しんでいた。

多分バスガイドさんの話を聞いていたのは平坂先生と稲時先生くらいだと思う。

USJにつくとそれぞれがアトラクションに向かっていった。

先生たちも何人かのグループに分かれて楽しんでいたようだ。

自由に周れるとはいえUSJ内を全部周るのは時間的に無理だった。

でも1番大きなジェットコースターにはみんなが乗ったらしかった。

お土産のお店もたくさんあってぎりぎりまでみんな買い物をしていた。

こんな感じで1日目にしてたくさんお金を使ったけれど楽しい1日だった。

2日目は京都内班別自由行動の日

それぞれが事前に計画を立てていた場所に朝から夕方まで行くのだ。

清水寺、金閣寺に銀閣寺、少しマニアックな御金神社、京都映画村など・・・。

それぞれ行くところは自由だが清水寺だけは絶対に行かないといけないと決まっていた。

清水寺に着くと平坂先生が班事に(中にはタクシーの運転手さんと共に)写真を撮って

八橋や扇子、京都限定のストラップ、中には木刀などをそれぞれ買って

修学旅行の中で1番自由な1日が終わった。

3日目は奈良公園にみんなで行く日だった

奈良公園につくと最初にクラスごとに写真撮影をして

ガイドさんと一緒に公園内を回って

沢山の鹿をさわったりして奈良公園は終わった。

帰りがけの新幹線では寝ている人も一部いたけれど殆どの人が起きてしゃべっていた。

新幹線内で配られたお弁当はとても美味しかった・・・と思う。

駅に着くと急いでバスに移動してこれからやっと中学校に帰る。

中学校に帰ると門の所で1、3年の先生たちが手を振って迎えてくれた。

なんだか学校に帰ってくるとあぁ・・・かえってきたなと憂鬱になった人も少なくはないと思う。

その後集会が終わり解散になった。

荷物はとっっっっても重かった。


その後最後の「学年末テスト」が行われたけれど最後の最後まで平均点はワースト1位だった。



2012年 1月


「おは・・・おはようございます!!」

うるさいみんなの雑談に負けじと先生があげたこの挨拶で3学期が始まった。

新しい班や席替え、新しい学級委員、係り決め、掃除決め・・・などやる事が沢山だ。

先生の眉間にもくっきり皺が出来ている。

そして冬。

体育は持久走が始まった。

寒い中走って疲れたのか寝る人もまた増えた。

そして学級日誌にも「うるさい」と書かれ続ける2012年になっても

相変わらず変わらない2年6組だった。


2012年 2月


2月後半にある球技大会

男子はサッカー、女子はバレーを行う。

「6組は平坂先生を怒らせたり困らせたりしてばかりでした!

時には泣かせたこともありました!なのでこの球技大会で優勝して先生に最高の笑顔で

笑ってもらおうと思います!!!」

6組の誓いはこれだった。

球技大会の少し前だらけて先生の話を聞かなかった6組のみんなに先生は泣いて叱ったのだ。

人によって感じ方は違ったかもしれないけれどみんな頭のどこかにそのことは残っていたと思う。

だから体育専門委員の大野さんもこれを先生に誓ったんだと思う。

・・・が。

結果は女子全敗、男子1勝という結果で終わった。

結局先生には何もしない通常運転の6組だった。


2012年 3月

2年6組で過ごす最後の1ヶ月・・・のはずだけどやっぱりいつも通りの6組だ。

3年生が卒業して、修了式3日前

先生にお礼の寄せ書きをしようという動きがやっと始まった。

ぎりぎり2日前には書き終わって修了式の日には先生に渡すことが出来た。

先生からもプレゼントを貰った・・・DVDだ

先生がいろいろな行事やみんなの写真を音楽つきで

3日徹夜でDⅤDにしてくれてみんなにプレゼントしてくれたのだ。

最後の先生のメッセージにはこう書いてあった。

いよいよ最上級生

当たり前のことを馬鹿にせず当たり前に出来る人になってください

3年生では希望の進路の実現に向けて努力を惜しまず進んでいこう


投げたくなること、逃げ出したくなること

たくさんあると思うけれど

諦めないで。自分に限界を作らないで。


目標はあくまで高く!!!

やればできるんです!!!


「どうせ私なんか・・・。」を「私だって!!」にかえて

がんばっていこう


言い訳をするのは簡単。

でもなにも変わらない。


一歩でも挑戦してみよう。

見えないところで努力して、

いろんな事を乗り越えて

来年の今頃

みんなが笑って卒業できますように


やった分だけ必ず成長できます。


心の強い人になってください。

応援しています!


-end-

STORY*

完璧なる実話のこのお話

内容が薄いと感じた方はごめんなさい。

私にとっていろいろな思い入れのあるクラスでした。

担任の先生にも沢山迷惑かけたと思います。

最後の先生のメッセージを観たとき不覚にも親の前で号泣してしまいました。

本当にいろいろな意味で私にとって大切なクラスだったと思います。

本当に先生には沢山迷惑かけました。

ありがとうございました。

今は違うクラスでなんとかやっています。

卒業まで先生のこのメッセージを胸にがんばって生きたいと思います。

STORY*

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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