その人は父の通夜に訪れた 

30年前の父の通夜に訪れた人

 短編「その人は父の通夜に訪れた」
                                            千里街  健
                                           (せんりまちたけし)

 母が亡くなった、との連絡を聞いて、葬儀の打ち合わせに向かう車を運転しながら、僕は30年前の父の葬儀の時を思い出していた。そして一人の女性を思い出し、気になりかけていた。
その人は、30年前の父の通夜に訪れた。
その時、僕は何年ぶりだろう、この人に会うのは?と思いその人は幾つだったのだろう?と考えていた事を思い出していた。
親父の享年は72歳だったから、多分70歳くらいだったのか?その人は、その時思われる歳よりもずっと、若く見えた。
しかも、とても綺麗な人で優しい言葉で、ゆっくりと話をする人だった。僕は親父が36歳の時の息子だったから、当時、そう、僕が生まれた時の親父の歳と丁度同じ36歳だった。
36歳の僕が、その時、相変わらず綺麗な人だと、感じたくらいだった、その人は僕が子供の頃よく家に来て、両親と親しく世間話などして大笑していた。
僕には本当の子供のように、生まれた時の事や、僕の性格を知っていてくれて、機嫌の悪い子供の頃の僕をあやしてくれたり、欲しがる物を買い与えてくれたりもした。
昔、一時期我が家の近くに住んでいて、今は引っ越しをして、閑な時に遊びに来ているのだと、その頃の僕は漠然と考え、そう思い込んでいた。
今考えると、その人の妹さんの家へ行って、そこの子供と、遊んだ事が何回か有った。その子供とは気が合わなかったのか、喧嘩をした時の事以外には思いださない。
我が家とはどうゆう関係だったのだろう。
小学生の頃、一人で電車に乗って、その人「たっちゃん」と呼んでいた綺麗な人の家に、行った事が有った。
駅は間違いない、京王線の「笹塚」で降りた。間違いは絶対ない「笹塚の」と呼んでいたのだから。
当時の笹塚駅はまだ高架を走っているわけでは無く、新宿からだと、たくさんの小さな踏切を過ぎて、たどり着いた。
短気な僕は、泣きじゃくりながら、その人「笹塚のたっちゃん」の家へ行ったものだ。遅くなって泊った時に、添い寝もしてくれた。
その人と、何を話したのか、思い出しなどしないが、その後、中学生になってからも独りで行った事が有った。
親に叱られて、その「笹塚」の家に行って、文句を聞いてもらった事も有る。
好きな女の子の話も、この人には自然に出来た。
何度かは、そのまま、中学生になっていたのに、帰らず泊った事も有った。たぶん家には電話連絡をしてくれていたのだろう。
その人がどういう人なのか、どのような関係の人なのか、疑問さえ持たなかった。
高校生の時、京王線の新宿駅で、偶然にもすれ違った時に
「あら、健ちゃん?でしょ?」
帰りを急いでいるような態度に見えたのだろう、僕を追いかけるように腕を取って話し掛けてきた
「ちょっと待ってよ、時間、有るでしょ?ケーキでも食べない?」と
僕は学校からの帰り道で帰宅部で、時間も有ったし、閑だし、家へ帰りたくもなかったので
「いいよ」
その返事を聞いて嬉しそうな顔をした。
何の話をしたのか詳しく思い出しもしないが最後に
「またお泊りにいらっしゃいよ」と言った。その言葉は普通の人々が別れ際に話かける言葉に感じたので
「僕、もう17だぜ、子供じゃないよ」と、大人ぶって言った。
それを聞いたその人は、まだまだ子供なのに何を言っているの、と言いたげな顔付で
「あら、ごめんなさい。健ちゃんも大人になったのねぇ、好きな女の子、出来たの?」
うなずく僕に
「そう、デートする歳になったのね?」
と片目をつぶって見せた
僕は
「冷やかすなよ、真面目に付き合っている子がいるんだ」
「そう、今度逢わせてよ。どうゆう女の子が好きなのか気になる」と
僕は言葉に詰まった、僕の今付き合っている子、『由美子』の顔や話し方が目の前にいる人にそっくりなのだ
「本当に会わせてよ、お願いよ、健ちゃん」と、言いながら
「これでデートして来なさい、ね」と、お小遣いをたんまり握らせた。
僕はお礼を言っただけで、何も考えないで当然のように受け取っていた。
「連れて行ったら御馳走してくれる?」そう言い、
顔色をうかがった すると間髪を入れずに大きな目を細くして、にこやかな顔で
「本当?連れてくる?ねぇ?本当?」
「うん、行くよ、僕のママだって紹介するよ」と、
連れて行く気など全く無い僕は、そのまま貰ったおこずかいをポケットに遊びに行った。 内心、平気で口から出まかせを言える自分が、自分自身に大人を感じさせていた。
生意気盛りの17歳はそんなことで欲求不満を解消していたようだ。
でも、心のどこかで、女性の好みのタイプはどこで決まったのだろうと。今会って別れた人の顔かたちを思い浮かべていた
そんな事があってから何年経つのだろう
その人は、親父の通夜に来て、そのまま帰らなかった。
通夜のあわただしさが過ぎ去った時に、家族と、その「たっちゃん」と呼んでいた人の前で僕が
「ねぇ、たっちゃんは、親父とはどうゆう関係なの?」と聞き始めた。
どうゆうわけか、母は慌てた顔でいたが、通夜の疲れがあったためか、言葉はなかなか出てこなかった、が、ひと言
「お友達よ」と、言った
たっちゃんは、母の言葉に続いた。
「そう、いいお友達だった」と言いながら、父が眠る方に目を向けた
「おじさんとはとてもいいお友達だった、亡くなっちゃったけれど、いいお友達だった」
いいお友達と、何回言っただろう。そして『おじさん』と呼んだ。その言葉は僕の耳に今でも残っている。
僕は、今聞かないといけない義務を感じて、質問を続けた
「友達、だけでは無くてさぁ・・・・いやね、叔父叔母だったらわかるけれど、こんなに遅い時間になっても、帰らないで親父の傍
にいてくださるし、申し訳ない気持ちも有って聞くんだ」
母が
「お父様の初恋の人」と、急に言い出して僕の方が慌て気味に
「えっ、恋人?明治生まれで頑固な親父が恋だ?初恋?」
僕が驚きの声を出した後をその人は続けた
「健ちゃん、私ねぇ、お父様と結婚する事になっていたのよ、お母様に取られちゃったの、あははははは」と笑ったがその最後方の笑い声はトーンダウンしていたが、僕は母とその人との会話の連携プレーには、驚いた
「あのねぇ、僕も子供がいる歳なんだ、真剣に話してよ」
「嘘なんて言ってはいないわよ、ねぇ、おしいちゃん?」と
僕の目をみながら母の方へ目を向け同意を求めた。
母の兄弟、僕の伯母は母の事をシズという名前ではなく「おしいちゃん」と呼んでいたのは知っていたのだが、たっちゃんまでもが、そう呼んだ
「何だか二人とも僕の事をまだ子供扱いして、もう聞かないから」と言いつつ、自分の普段の生活に戻った会話を続けたのだろう。
そんな事を、昨年母が亡くなったと聞いた時、思い出していた。
母の葬儀は今、流行りの、いや、歳も96歳と、かなりの高齢で、天寿をまっとうした母だったため、姉と相談の上家族葬にしたのだ。
だから、家族以外親類は誰も来てはいない、だから尚更の事、父の葬儀を思い出していた。
僕が「たっちゃん」と呼んでいた人の消息を知りたい、調べてみようと、思ったのは或るきっかけが有った。
それは、音楽好きの僕が、母の喪が開けるまでとライブ音楽から遠ざかっていて、喪が明けて生音に飢えていた時喪があけて
僕が初めて入った新橋の駅近く、地下の「ライブハウス」での事だ。
お店の中の、タバコ嫌いな僕は紫煙を避けて、出入り口から出て階段付近で外気を吸っていた。
その時に、そのお店に来た女性のお客様の顔を見て、思い出したのだ。
その「たっちゃん」を。綺麗なその女性は、僕が心に描く綺麗な人そのものだったからビックリした。
僕が綺麗な人の基準は「たっちゃん」が基準だったのだ。だからそのお店に入って来たその人を見た時に思いだしたのだ。
ビックリはまだ続いた。話をしていて「笹塚」から来た、と言ったから尚更だった。
僕は綺麗な女性との会話は苦手で、あまりしゃべる事が出来ないのだが、この人とは普段と違って、会話は弾んで、本人の前
で「綺麗な人」と呼んで平気で言っていた。
今、考えると、60も何歳か過ぎたいい歳をして、冷や汗ものの発言だった。
この綺麗な人、『増原眞子』さん『Mちゃん』(後日そう呼ぶようになった)が後日、僕が渡した名刺のアドレスにメールを入れてきた。
まさかとは思いつつ嬉しかった。
それで、昨年母の葬儀の最中に思い出した「たっちゃん」の消息を調べる決心をしたのだ。
メールを貰わなければ調べる気にはならなかっただろう。
そうだ、僕に子供が出来た時に、わざわざ訪ねてきて、僕の子供を抱き上げて
「可愛い、私の孫」と、何度か言いながら、自分の本当の孫のように愛おしいという顔をして、赤ん坊に頬擦りを何回もし、その頬に何度も口付けをして本当に喜んでいた。
当時僕は、同じ京王線の沿線に住んでいたから来たのだ、くらいに簡単に考えていた。
その時に、お祝いをいただいたのだが、今でも高額と思える金額だったので驚いた事も思い出していた。
仕事は詰まっていて、時間が無かったが、とりあえず京王線の「笹塚」へ行ってみる事にした。
僕が子供の頃の笹塚は、今とはかなり違っていて、当時甲州街道が拡張したばかりで、舗装もされていない埃っぽい道路だった。工事は機械化などされていないから、人力工事が主体の頃で、埃っぽいのは当然と言えば当然だ。何度も過去に歩いた事のあるその道は、今では初めて歩く道になっていた。僕はその道を過去を思い出しながら歩を進めた。
うん、そうそう、ここの角には女子高校が有った。校舎は新しいけれど、間違いが無いようだ。それからが解らない、右だったか左だったか、やはり引っ越してしまったのでは、などど、考えを巡らせながら歩いた。
何本目かの細い道筋を進んだ。
そうだ、向かって左側だと思い出しながら歩を緩めていた時、その知っている名前の表札を見つけた。田上・・・そうだ「田上タツ」だった。
その名前は、実家にいた頃、毎年届く年賀状の中の差出人のひとりだったから、覚えていた名前だ。
僕の胸はどきどきだったが、インターフォンを押した。聞こえて来たのは、僕と同い年くらいの女性の声で、警戒心が僕には感じられた。
「はぁ~い、何でしょうか?」
「お忙しいところをすみません」
「はぁ、はい」
「昔、子供の頃、奥様に大変お世話になった、中野に住んでいた『池田 健』と言いますが」
「池田さん?健さん?それで・・・・」
「子供の頃家族が皆『たっちゃん』と呼んでいました」
「母のことですねぇ?」
「あっ、お嬢さんですか?」
「はい」
「確か息子さんとお嬢さんがいたと、記憶していますが」
「母でしたら、寝たり起きたりの生活で、今は寝ていますのよ」
「そうですか、お元気でしたか。突然でしたからすみません。一度お話をお伺いしたくて来ました。
少しお時間をいただけませんか?」
インターフォン越しの会話なのに最後に
「どうぞ、健ちゃんでしょ?」
このお嬢さんは僕を「健ちゃん」と前からの知り合いのように呼んだ。

「健ちゃん?なの?」起きたその人は、奥で言った。
僕は横になっている方へ呼ばれもしないのに行き、ベッド脇に「たっちゃん?」と僕はその目鼻立ちのはっきりしている丸顔の人に言った。
「そう、元気そうで良かった」
ゆっくり話始めたその人は
「健ちゃんなの?よく来てくれたわね。どうしているか、会いたかったのよ。いつも思い出していたのよ。そうなのねぇ、随分とお爺さんになっちゃって」
その言葉使いは、短く切ってしゃべる特徴を今も維持していた。
そう女優の「高峰秀子」がセリフを言うように語尾を少し跳ね上げて話す。
「僕、もう三歳になる孫がいるんだもん」
「へぇ、孫がいるの?孫」
「僕の孫だよ」
「私のひ孫ね」と
ふざけた顔をしないで、自然に言った。
「それなんだ。どうしても今日は、知りたくて訪ねて来たんです」
まだまだ言葉は、はっきりしている
「何を?」
「昨年4月に母を亡くしてね」
「知っていたわよ。亡くなってから、連絡いただいていたから」
「誰が知らせた?」
「あら、知らなかったの?お姉さんから」
「姉が?それはいいのだが・・・・・父が亡くなって30年経つけど、その時、たっちゃんと母は、僕に父との関係はお友達だの、初恋の人だとか言っていたでしょ。」
「何を言い出すのかと思ったら、そんな事?」
「そんな事じゃあ無いよ、僕にとってはね」
「忘れましたよ。もう」
そうゆう言葉を言い出しながら、昔を懐かしむような目をしていた。
「実は・・・はっきり聞くけど、僕の本当の母親じゃあないかと・・・」
僕の目をはっきり見ながら、その大きな丸い目は年寄りの目をしてはいなかった。
「もう歳をとって、昔の事は、ほとんど忘れてしまってね」
「いや、いいんだ。年寄り相手にとんでもない事を言い出してしまって。すみませんでした」
僕はこれ以上思い出させてはいけないと思い、帰ろうとさえ思った。
やはり本当の母だったのだ。そうと確信した。
僕はこの人の表情や、しぐさを見ていて、僕に会いたくて、会いたくて、今まで生きて来たのだと、言っているのがわかった。
実の子供に会えないのは、とても辛く、寂しい、想いをしながら生き続けてきたのだろう。
お祝い事や何かに付けて、子供の歳を数えていたのだろう。
何が有ったか知らないが、実の子供と別れる決心はいつしたのだろう。
いつ自分自身に納得をさせたのだろう。実の孫である僕の子供には、生まれた時お祝いに来た時一回だけだから、会いたかったであろう。
実の子供や孫に逢えないとは、常人には考えが及ばない事だろうが、辛かっただろうに。
「今年で幾つになったの?」と
聞いた僕は幾つかは問いかけながらすぐにわかった
「95歳ですよ」脇で聞いていた娘が言った。
そうだ、辰年生まれだから名前を「タツ」と云ったのだ。
昨年亡くなった育ての親とは二歳違いだったのだ。

 そんな出来事が有って一週間経った頃珍しく家の電話が鳴った。
普段普通の友人は、携帯電話で事が済むのに、また町内会の連絡網かと出ると
「あっ、田上です、先日はどうも、富貴子です」たっちゃんの娘だ
「はい、こちらこそ先日は突然な事で失礼しました。で、なにか?」
後を追って聞く事になった言葉は、少し涙声に聞こえた
「実は・・・今朝、母が、亡くなりまして・・・・・」
「ええっ、何だって、あんなに元気でしたのに、また会う約束をしたのに・・・」
「安心したように穏やかな・・・・」
「安心?何に?安心したの?」
そんなやり取りが続き、お通夜に僕が弔問にお伺いをする側になってしまった。
何か同じ事が過去に有ったような気がしてならなかった。それは父の通夜に再会した「実母」との会話だった。
僕は富貴子と名乗った娘にお悔やみを述べた時に
「後でお時間をいただきたい」と声を掛けられ、尚更強く思い出した。
通夜の慌ただしさが過ぎ去った時に
「健ちゃん・・・・」
富貴子さんは僕の事をそう呼びながら僕の耳に口を近付けて優しい声で話始めた。
「母は年老いてからは毎日のように、あなたの事を話していました。私に子供がいなかった事もそうさせてしまったようです」
僕はわかっていたから
「先日お邪魔した時に、返答に困るような事を言い出してしまって・・・・・こんな事に・・・申し訳ございません」
「いいえ、良かったくらいです。安心したんですよ。きっと」
「安心した?やっと本当の事がわかって、安心をしたのは僕の方ですよ。これから少しは親孝行のまねごとでもしようと思っていた矢先でした」
「そうでしたか」
「長い間ありがとう。何も出来なかった恥ずかしい子供でした。もっと若い時に真剣に考えなければいけない事でしたのに、申し訳ない・・・・・・」」
「実は・・・お話をしておかないと、とおもいましてねぇ。弟が亡くなってから私との二人で今まで過ごしてきました」
「ちょっと待って下さい。ご主人、つまり富貴子さんのお父様は、いつ?」
「父は母と再婚してすぐに亡くなったんです・・・・・・母と結婚して直ぐですよ」
「えっ?じゃあ、たっちゃんがひとりで育てたって事?」
「そうでしたか?ご存知かと」
「いや、何にも知らないんです。小さな事でも何でも教えて下さい。母の事」
「はっきりしておきましょうねぇ。実はちょっと誤解をなさっているようで」
「誤解?僕が?」と、たたみこむように聞き返した。
「ええ、健ちゃんは昨年亡くなったお母様が本当のお母さんですよ」
僕は何が何だか分からなくなってきた
「どうゆう事ですか?何でわかるの?」
「私が長年聞いた話ではね、お兄様の次が生まれたら男の子でも女の子でも独身でいた母が、貰う約束になっていたそうよ」
僕の生れた頃は『養子』は珍しい話では無かったが、僕がその当事者だったのか。
「でもどうしてそうゆう約束になったの?子供とはいえ一つの命をやりとりするわけだから、ね」
「それは・・・・言わなかったし・・・・聞かないで今まで・・・・」
「それならどうしてその約束は守られなかったの?」
「守ったのよ、守られたの」
「順序良く話してよ」
「亡くなった母と健ちゃんのお父様とは、若いころから知り合いで、今で言う恋人同士だったらしいの。結婚の約束は二人の間では有ったそうよ、はっきりは聞きませんでしたがね」
「そうですか、結婚の約束をした恋人同士だったのかぁ、本当ですか?」
「それは間違いは有りませんよ。母は今で言うお手伝いさん、昔は女中さんって言ったでしょ。家柄も違うし、親兄弟は田舎の
貧農でしたから、結婚には不釣り合いだったみたいで、諦めた様ねぇ」
「不釣り合いかぁ、今の時代では考えられないがなぁ」
「でね、母は子供の産めないからだったから・・・・理由はわかりませんがねぇ」
「もしかして、僕の父が原因で・・・・・」
「それは・・・・昔の人だから・・・・・聞けませんし言いませんよ。それでお父様の結婚を聞かされた時に諦めたのよ。だからお父さんと別れる時に、お願をして跡継ぎの男の子ができたら、その次に生まれた子供を貰う・・・・」
「そうなると尚更父が原因としか考えられない」
「ともかく、それで了解したのね・・・」
「了解って?」
「だから、結婚出来は出来ないとはっきりした時よ。男でも女でも次に出来た子供を貰う」
「それで兄の次に生まれた僕が貰われた。やっぱり父がだらしがなかったんだ。産みの母だって納得したのだろうか?」
「そうよ、だから生まれてすぐに引き取ったようね。昨年亡くなったお母様だってそれは辛い思いをされたはずですよ」
「だらしない父親が見えて来た」
「健ちゃんそんな事言ってはいけませんよ。あの時代そうするのが一番だったのよ。普通だったかもねぇ」
「そうかなぁ、どうして好きな人がいてこの人と結婚したいと言えなかったんだろう」
「言えませんよ。あの時代は特にね」
「物ごころも付かない、生まれて直ぐ僕は・・・・・」
「私はねぇ、健ちゃん、今まで結婚もしないで母を看て来たのよ。私にだって母だけれど、産みの親ではないのよ。だけどね、こんなにいい母はいない。本当に良い母だったのよ。一生を捧げても悔いの残らない、ね」
「そうか、富貴子さん、その打ち明け話、僕によくしてくれましたね。嬉しいなぁ」
「それで・・・健ちゃんを引き取って半年も経たない内に、健ちゃんのお兄様が亡くなって」
「そうだったんだ。わかった、わかりましたよ」
僕は心の中で何度も何度も「そうだったんだ、そうだったんだ」と強く納得させていた。
「でも簡単に、直ぐには渡さなかったそうよ。可愛くて、可愛くて、離すのを嫌がったの。生れて直ぐに引き取り、本当の子供のように育てていたのよ。慣れて可愛い盛りですもの」
「だから僕の性格をよく知っていたんだ。子供の頃の僕の」


「返すまで一年くらい掛かったようでね、いつでも逢わせるから、そう約束して泣く泣く・・・・」
「そうだったんだぁ・・・・・そうだったんだぁ・・・・・・」
「渡した時に幼い健ちゃんはわかったみたいで、泣いて、泣いて、母も泣く泣く渡したそうよ。女の子だったらこうにはならなかった、女の子だったらと毎日毎日泣いて過ごしたそうよ」
「納得したのだろうか?」
富貴子さんは言葉強く言った
「納得など出来るわけ無いでしょ。猫の子だって一日で可愛くなるもの」
「そうだよな、納得しないで・・・・悲しかっただろう、淋しかっただろう」
「毎日毎日泣いて過ごしたそうよ。私が子供の産めるからだだったら、健が女の子だったらと、悲しくて、せつなくて」
「そうだろうなぁ」
「そんな頃、近所に住んでいた叔母の口利きで、母は子持ちの父と再婚したの。子供がいても何の抵抗もなくね。子供が好きだったんですよ。父が私達子供を連れて母と再婚したのは、私が5歳の時でした。で直ぐに父は亡くなり翌年に3歳だった弟も・・・・弟を健ちゃんとダブらせていたみたいで・・・・」
「そうか、僕はその母の妹の家へ遊びに行った事が有った。確か女の子・・・・美都子(みとこ)ちゃんだ」
「私、こんな話、健ちゃんにして良かったかしら?」
「今までの疑問が解けた、ありがとう。僕はどっちの母も自慢の出来る母で良かった」
僕は実家では姉達からは常に冷たくされていたのは、この事が原因だったのか
「わたし・・・」
「何?」
「母が息を引き取ってから、そればっかり考えていて・・・・」
「それって?僕が養子だった事?」
「先日健ちゃんが突然現れて、二人でびっくりしていたのよ。だからさっき話した事を三人で楽しく話そう、と言っていたところだったのよ。一人で涙ながらに報告するようになるとはね」
「そうだったの?僕は先日この人は僕の本当の母親だと気が付いたんだ。それで、帰り道は、今までのいろいろな昔を思い出して、つじつまが合って納得したんだ」
「そうだったの」
「今度逢ったら、『おかあさん!』って呼ぼうって、再会を楽しみにしていたんだ」
「再会がこんな事になって・・・・・・しまって」
「僕はやっぱり聞いて良かった、そう思っている。本当の母ではない事がはっきりしても」
「良かった、さっきまで迷っていたのよ」
僕はその場から祭壇の母に向かって
「お母さん!」と声にならない言葉で呼びかけた
「母が、他になにか僕の事を話していた事、知っている事有りましたら、お教え願いますか?何でも知りたいのです」
「いろいろな話をしていましたがねぇ、いつも口癖のように言っていたのはね、健ちゃんを受け取った時、『嬉しくて、嬉しくて、お誕生にはお祝いをしようとか、端午の節句には鯉のぼりを買わなきゃ』とか、天使を抱いていると感じたそうよ『お父さんはいないけれど立派に育てる、育ててみせる』って」
「そうだったんだぁ、天使ねぇ。僕も二人の子持ちだけれど、確かに子供が生まれて初めて抱いた時にエンジェルだと思った。自分が産んだ本当の子供だとの思いが有ったんだぁ・・・・」
「毎日がバラ色で楽しくて、楽しくて、疲れなど感じなかったそうよ。好きな人とは一緒にはなれないけれど、好きな人の子供がいる」
「そうかぁ・・・」
「この子は私を親だと思って生れて来てくれたって。健ちゃん?名前の意味、知っている」
「えっ、ただ家を新しく建てた時に生まれたから建てるに、にんべんを付けたと、そんな名前の付け方って有るのか?といつも疑問だった」
「違うのよ、名前、母が付けたそうよ」
「名前?お母さんが?」
「そうよ、だから忘れないの。物の無い時代だったから、からだの健康を祈るのが普通でしょう。でも、そこがこの母なのよ。からだが弱くてどんなに大きな病気をしても、心だけは健康に生きて欲しいって付けたの。からだが健康でも、他人様にご迷惑をお掛けするような人間にはならないようにって、知っていた?」
「全く知らなかった。そうなの?心の健康かぁ、体の健康じゃぁなくてねぇ・・・・・・」
僕の名前は僕自身がお気に入りの名前だ、みんな親しみを込めて『健ちゃん!』って呼んでくれる。
こんなにいい名前を付けてくれたのはこの母だったのだ。
鼻水をすすり目頭にハンカチーフを当てながら富貴子さんは続けた
「先日、健ちゃんが帰ったあとでね・・・・母が言っていたのよ。名は体を表すって『良い子に育ってくれて良かった。世間様にご迷惑をお掛けしていたら、訪ねてなんて来ないだろうし』って、喜
んでいたのよ。目を見ればわかるって・・・・『優しそうな女の子のような目』をしていたってね・・・・・・」
「そうだったの、そうだったんだ・・・・・・・逢いたかったんだろうなぁ。僕の子供にも」
中学のクラス会で孫は『人生のボーナス』だと、言っている話をに聞いた事がありました。でも、子供のいない人や、孫と出会える事が出来なかった多くの人達には、残酷に聞こえる言葉です。その言葉を言った人は多分人生の半分以上を知らないで、孫を持った喜びをあらわしたのでしょう。
今、実子を持てなかった母の祭壇の前で、同じく結婚もせずに母を看取ってくれて、そのために子供を持てなかった富貴子さんと話をしながら、僕の置かれている立場はなんと幸せな人生であるか、と思った。僕には実の孫までいるのだから。
「満足したんですよ。健ちゃんに逢えて・・・・嬉しくて・・・・嬉しくて・・・・やっと逢えたって、ね」
「ああぁ、僕はどうしてもっと早くに気が付かなかったのだろうか。僕など子供や孫に逢いたいときに会えるのは、それだけで幸
せを感じなければいけないんだな。そんな事は普通だと思っていた」
「健ちゃんの産みのお母様が昨年亡くなったと連絡が来た時に聞いたのよ」
「えっ、何を?」
「健ちゃんの住まいは何処だって」
「それで?」
「教えてはもらえなかったの、私が電話をしたのよ」
「僕は姉とは疎遠だったから・・・・」
「で、少し心配していたのよ」
「兄弟が仲が悪くて・・・・すまない事をしました」
「これで良かったのよ・・・・私は一人になってしまったけれど・・・・この歳まで母の傍にいて世話が出来て良かった・・・・・母は健ちゃんに逢えるまで・・・・逢えるまで・・・・生き続けよう・・・そう想いながら生きて・・・・・来たんですよ・・・・死んだら・・・・逢えないって」

「あぁ、富貴子さん、健です」。大変でしたねぇ」
「はい、健ちゃん。こちらこそ、どうもありがとうございました・・・・・」
僕は疑問に感じていた事があって、数ヵ月後、富貴子さんに電話を入れた
「その後どうですか?元気は戻ってきましたか?ちゃんと食事?してますか?」
「まぁ、元気ですよ。またお会いでもして話がしたいわ、付き合っていただけます?」
「もちろんいいですよ。実は少し時間をいただきたくて電話をしたのですが、丁度良かった。じゃ、明日でも?僕はいつでも・・・・」
「では明日ね、お昼でもご一緒しましょ。美味しく食事が出来そうよ」
「オッケー!楽しみにしてます、では、明日ね」


「会うなり何なの?逆って?」
「だからね、先日のたっちゃんの葬儀の時の話しだけれど、考えたんだ。逆じゃあないかと」
「もう少し私にわかるように話して」
「わかった。いいですか?僕の本当産みの母はやっぱり先日亡くなったたっちゃんだった。違う?」
「私は母から聞いた事を伝えたのよ。少しのアレンジもしていないわよ」
「僕の考え違いかなぁ」
「もう少し具体的に話して、何だかわからないわ、健ちゃん何を考えて、何に気が付いたの?」
「父は笹塚の母たっちゃんと結婚するつもりだった。子供も作った。周りを説得するためにも子供が必要だった。でも結婚は許されなかった」
「それ、少し無理が有るねぇ」

「もっと聞いてよ。その子供は僕じゃあないよ。僕の生まれる10年も前だったんだ。父はたっちゃんと別れて僕の育ての親、富
貴子さんが言うところの昨年亡くなった母と結婚をした。でも男の子は出来なかった。それで僕が貰われて行ったんだ」
「それじゃ結婚前に出来た子供は?」
「それが兄だったんだ。兄が亡くなったのは父が結婚をして半年も経たない頃です」
「何ですって?本当なの?」
「兄の位牌の日付で確認したんだ。父は結婚した後でもたっちゃんと別れないでいたんだ。考えようによっては本当に愛していたんだろう、別れが出来ないくらいに」

「えっ、そんなぁ」

その人は父の通夜に訪れた 

その人は父の通夜に訪れた 

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-04-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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