乙女は春の夜に白く輝く
夢の中で出会った女の子と、ボクの不思議な関係。 掌編ファンタジーです。
乙女は春の夜に白く輝く
夢をみているということはすぐ分かった。
公園のベンチでぼんやりと座っていると、向こうから息を切らせて走ってきた女の子が、ボクの目の前にやってきて叫んだ。
「わたし、これから星になります!」
女の子はキレイな黒髪をゴム紐で結んでいて、顔は柔らかそうな丸めの輪郭。桃色に染まった頬は、色白な肌にとてもよく合っていて、ふわっとした形のよい唇の朱色が、特にボクの目を引きつける魅力を放っていた。
女の子は大きな声で再び叫ぶ。
「わたし、これから星になります!」
ハッキリ言って訳が分からなかったが、この子が星になるんだなというのは直感で分かった。だから、「そうなんだ。いつ星になるの?」と聞いてみた。
「これからすぐだよ」
女の子は、ボクのほうを見てハッキリといった。長いまつげと、大きな潤いのある黒い瞳に、ボクの姿が鮮やかに写っているのが見える。
透きとおるほど深い黒眼から視線をそらすことができない。ああ、だからこの子は星になれるんだなと思った。
「でも君が星になるなんて寂しいよ。ボクはイヤだな」
そういうと、女の子は大きな瞳をくもらせて、困ったような表情をした。そして、今までとは違い、静かに澄んだ声で言った。
「ごめんね。私が星になるのは決まっていることなの。どうしようもないよ」
「そっか。じゃあどうやって君は星になるのか教えて」
女の子は、羽が舞い降りるようにゆっくりとボクの隣に腰を下ろした。身体全体をこちらに向けて、上目遣いで真っ直ぐに見つめてくる。
「ねえ、私の姿が見える?」
透明な声が、胸の奥の深いところに染みこんでくるような感覚だった。ボクは言葉を忘れたかのように何も応えることができず、ただ肯くことだけで気持ちを伝えた。
応えを受けとった女の子は、嬉しそうにほほえむ。そのほほえみは甘くボクを縛りつけるようで心地いい。
「それなら、私に逢いにきて。キミに私が星になる瞬間を見ててほしいの」
「どこに行けばいい?」
ボクはじっと女の子の黒い瞳を見つめながら言った。でも女の子はなにも応えない。
しばらく見つめ合っていると、女の子の白い指先がボクの頬に触れてきた。
触れた指先から手のひらへと頬を包んでいく。女の子の優しく暖かい気持ちが手のひらを通して伝わってくる。
両手でボクを包み込んだ女の子は、ゆっくりと顔を近づけてきた。近づく距離に比例して、ボクたちのまぶたもゆっくりと重みを増していく。
ボクたちが完全にまぶたを閉じると同時に、味わったことのない、幸せな感触がボクの身体を襲う。
頭がとろけそうなほどの甘い感触は、ボクをさらに深い夢の中へと誘っていく。
その幸せな感触を、どれくらいの間味わっていたのか分からない。女の子が不意に離れていく感覚で、ボクはゆっくりと目を開ける。
女の子はじっとボクを見つめていた。なにか言いたそうな表情をしていたが、何も言わない。
ボクは女の子に声をかけようとする。しかし、どんなに努力しても声が出ない。それどころか、強烈な睡魔が逆に意識を刈り取っていく。
ボクは一体どうしてしまったのか、この女の子はボクになにかしたのか?
女の子は先ほどとは打って変わって、寂しそうな表情をしていた。
澄んだ黒眼に鮮やかに浮かんでいたボクの姿は、水面に一滴の水が落ちたときの波紋のように、形が崩れてしまってもう見えない。
段々と意識が遠くなっていく中、ボクは女の子の姿を見つめ続けた。そして訴える。
どこに行けばキミに逢えるの? 早く教えて。意識がなくなってしまう前に。
女の子が口を動かすのが見えた。何か言っている。一体何だ。
必死に耳をすませるが、まったく聞こえない。遠くなっていく意識の反面、焦りばかりが募る。それでも襲いくる睡魔に抗うことができなかった。
そして、ボクが最後に認識できたのは、女の子の寂しそうなほほえみと、桃色の頬に流れる一筋の涙だった。
再び意識を取り戻したときに眼に入ってきたのは、書きかけた白黒のノートだった。
ああ、ボクは勉強中に居眠りをしてしまったらしい。
ゆっくりと周りを見渡してみるが、当然あの女の子はいない。
さっきまで見ていた夢を反芻する。一体あの女の子は誰だったのか。初対面のはずなのに、とてもそうは思えないほどの親近感を感じていた。
もう一度眠ればあの女の子に逢えるだろうか。もう一度逢いたいと思ったが、所詮は夢の話で、きっと二度と会うことはないのだろう。
ボクは窓を開けて空を眺めた。深夜の夜空は雲一つなく、星の光がやわらかく降りそそいでいる。
ふと、庭を眺めると、ウチで飼っている愛犬がぐったりと横たわっていた。
あまり大きくない白いメスの柴犬で、ウチのは頭のてっぺんだけが黒いという特徴を持っている。
ただ、なんだか様子がおかしい。いつもならボクが窓から顔をだすと、夜でも尻尾を振りながら見上げてくるのに、今日はピクリとも動かない。
ボクは全身に鳥肌が立つのを感じた。いてもたってもいられなくなり、夢中で部屋を飛び出し、庭に向かう。
裸足で外に飛び出したボクは、そのまま横たわっている愛犬を抱き起こす。
「大丈夫!? 生きてる!?」
必死で呼びかけると、ゆっくりと目を開けてくれた。大きな黒い瞳がじっとボクを見つめている。
ボクは抱き起こしながら、覚悟する時がきたんだなと感じた。この子は重いガンを患っている。何とかいままでの治療の甲斐もあり、小康状態を保っていたが、もう無理なのだろう。
そう思った途端、この子との思い出が堰を切ったように溢れてくる。楽しいことも、辛いことも一緒だった。一言では語り尽くせないほどの、たくさんの時間をこの子と一緒に過ごしてきた。
その中でも一番強く思い出に残っているのは、散歩中の夜の河原で一緒に星を見たことだった。あのとき、ボクは覚えたての星の名前を聞かせてあげた。でも、一生懸命説明しても、この子は全然星なんか見上げず、ずっとボクの方ばかり見上げていたっけ。
ボクの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。堪えても堪えても、流れ出す涙。
死なないで。居なくならないでと、必死に祈る。それが無理な祈りだと知っていても、今このときは祈らずにいられなかった。
そのとき、頬になにかの感触を感じた。それは、ボクの流した涙をこの子が舐めている感触だった。
泣かないで、と言ってくれているのだろうか。
ボクは涙をぬぐう。そして真正面から見つめて笑顔を作る。
「いままでありがとうね」
この言葉を聞いたこの子は、不意にボクの唇を舐め始めた。弱々しかったが、とても暖かい、幸せな感触だった。
思い残すことのないくらいじゃれ合った後、この子の大きな瞳がゆっくりと閉じていく。こんどこそ二度と目を開けることはないだろう。
満足そうな表情をして横たわるこの子を、しばらくボクは見つめていた。
このときふと、あの夢の女の子が最後に言っていた言葉を思い出す。
「そっか、『ありがとう』って言ってたんだあの子は。ねえスピカ」
ボクは星になった愛犬の名前を呼んだ。
見上げた春の夜空には、この子と同じ名前の星が、笑うように白く輝いていた。
乙女は春の夜に白く輝く
初投稿になります。最上 幸です。
趣味で小説をチョロチョロと書いていますが、読んでくれる人がいないなあ・・・と思って投稿してみることにしました。
これは掌編練習用に書いたものです。
『夢』をテーマに、不思議な雰囲気の物語を書いてみたいと思ったものです。
夢なのに、思った以上に描写が細かくなってしまったかな? まあ、細部まではっきり覚えている夢もあるものですよね。
すいません。そういうことにしておいてください。