巡る列車のように

 瞼を開く。列車は緩やかに減速しながら駅のホームに入っていく。人が疎らな田舎の駅だ。金網を透して見える田園は、長旅で疲れた私の心を、束の間癒してくれる。正面右手にある扉が開き、数人の乗客が何も持たず手ぶらで降りて行く。ある人々は病み疲れて苦しそうに、またある人々は訳も分からず呆然と。そして少しの人が満足と安らかさを伴って、下車する。そんな中、私は溜息を吐きながら、両手に荷物を沢山抱えて駅に降り立つ。
階段を登るのが辛い。早く隣の線路の列車に乗り換えなければならないのに、足取りは重い。他の客達は軽々と私を追い越し、自分が乗り換えるべき列車の来るホームに向かう。いつまで私はこの重荷に耐えなければならないのだろう。いや、それは考えても詮なきことだ。これまで何度同じ自問自答を、無意味な繰言をしたことか。そうだ。いつもこうだ。私達は駅の改札を抜けることはできず、延々と乗車と乗換えを繰り返す。偶さか駅を出て行く人がいる。それは皆の羨望の的だ。私もいつかこの荷物を投げ捨て、畦道を駆け抜ける日が来るのだろうか。
コンクリートに斑に付いた染みや汚れの模様を眺めながら足を進めているうちに、上りだった階段は下りとなっている。いつからだろう、前を見ずに足元ばかり見て歩くようになったのは。階段を降りきると、ちょうどホームに列車が入ってきたところだった。列車に乗り込むと反対側の扉から夕陽の光が差し込んで、思わず眩しさに目を細める。座席は幾らでも空いていたが、しばらく外の風景を眺めていたかったので、私は扉の前に佇んでいた。扉が閉まり、ゆっくりと列車が動き出す。他の乗客は読書をしたり、おしゃべりをしたり、眠っていたりしている。そういえばこの頃は人と話をしなくなった。最後に他人と言葉を交わしたのはいつだっただろう。友人達とはいつだって一駅限りの関係だ。次の列車に乗る頃には私の事など網棚の上に置き去りにされた雑誌のように忘却してしまっていることだろう。私だけが記憶を後生大事に抱えている。そんな苦しみを少しでも減らすために、いつしか孤独を保つようになった。寂しさはだんだんと感じなくなっていった。
どうも先ほどから私は「いつ」という言葉を多用している気がする。時間など最早大した意味を持たないというのに。それでも「いつ」という言葉ほど、苦い失望を表すと同時に、微かな希望を仄めかせるものはないのだ。
見つめている間にも夕陽は、時折山影に隠れながら、だんだんと地平線に近づいていく。夕焼け空に浮かぶ雲はあるものは山吹色に輝き、あるものは青紫色に陰っている。
そして、最期の朱い光を地平線に撒き散らし、夕陽は消え去る。空は未だ橙色を残しているが、それもしばらくすると紺色に塗りつぶされるだろう。なんども、飽き飽きする程見慣れた光景だが、私が今でも感動をもって心に受け入れられるものは、これだけだ。他の人々が一度しか見ないと思っているものを、私は幾度も経験しているのだ。そのたびに、荷物は増え、鞄は重みを増していく。両手の手提げ鞄、両肩のショルダーバッグ、背中と前面にあるリュックサック。これ以上に何をどう抱え込めというのだろう。靴底は磨り減ってぼろぼろだ。
座席に座ると一気に眠気が襲い掛かってきた。半円状に私を取り囲んでいる荷物の輪郭がぼやけていく。視界が閉ざされ暗闇が現れる。そして……
気が付くと目の前の窓は黒一色に埋め尽くされていた。月も星も見当たらない。まだ次の駅には着きそうにもない。今回は長い旅になりそうな予感がある。この列車に乗ってからまた一つ荷物が増えた。といっても手のひらサイズのラジオだが。ごついデザインと黒い色が相まって、なんだか拳銃を持っているような感じがした。なかなか頼もしそうなやつだ。周波数を弄っていると、ちょうどピアノ曲を流している局があった。知らない曲だが、緩急のメリハリが効いていて、それでいて静かな雰囲気が気に入った。
今回の列車にはいつもと比べて活気がなかった。誰も彼もがうつむき意気消沈していた。向かいのサラリーマンは鞄を抱えて、なにやらブツブツと呟いている。横に座っている小学生まで、自分の指を弄りながら床をじっと眺めている。扉の近くに座っている中年女性などはさっきから溜息ばかりついていた。皆疲れているのだ。この永い列車旅行に。記憶はなくとも、疲労は延々と蓄積されているはずだ。目の前を蝿が輪を描いて飛び回っている。まるで飛び回るために飛んでいるかのように、忙しなく動いている。いや実際は生きるための糧を探しているのだろう。じゃあ何のために蝿は生きているのだろう。ただ、食うため? 生きるため? 子孫を残すため? 死ぬため? 分からない。それらのどれでもあるし、どれでもない気がする。蝿は快楽や幸せを感じるのだろうか。本能に従って生きることは幸せなのだろうか、不幸せなのだろうか。人間はどうなのだろう。自由な意志や理性などといったって、結局は大海の大波に揉まれる小船のように、運命やあるいは環境に翻弄されているのではないか。蝿も人間も確固たる存在意義を持たない悲しい存在なんじゃないか。
そう考えると、ある意味では私のこの重荷は救いの要素さえあるのかもしれない。この重さが、記憶の量が、私に存在価値を与えているのかもしれない。重さを私を世界に繋ぎ止めるのだ。それが良いことなのか悪いことなのかは別にして。
ラジオに注意を戻すと、ピアノ曲は終わり、指揮者が曲についての解説をしているところだった。解説者が作曲家の生涯や曲の構成などについて語っているのを漫然と聞き流しながら、車窓の黒い景色の中に時折現れるぼんやりとした街灯の本数を数えたりした。
時間は泥水のように粘度が高く、緩慢にしか流れなかった。この空間、諸列車に流れる共通の基底音は苦痛と退屈だった。時折ぼうっと垣間見られる、そう、暗闇の電燈のように現れる幸せが薄い膜を上層に張っていたが、それは余りに繊細で、破れやすかった。
 ラジオはまたもや楽曲の演奏になっていた。私は目を瞑る。永い生活の中で、列車では眠っているのが一番なのだと学んでいた。意識は頭の天辺から、雫のように一滴ずつ、爪先に向かって流れていった。そして脳から漏れ出した意識は、つま先からさらに染み出し、夢の超現実へと流入する。
 私は透明な空間の中を降下している。滑らかな絹のような肌触りの液体が、周囲のすべてを充たしている。遠くに見える底のほうには柔らかな光が蠢いている。だが蠢いているのは表面だけだ。あのさらに奥には臥龍の如き威力をもった何かがあるのだろう。あそこには全てが有り、全てが無いのだ。澄んだ金剛石のような堅固さ。自然。不動性。無為。安らぎ。それは私が長い間求め続けてきたものだ。もう随分進んできた気がするのに、まだあんなに遠く離れているのか。いったい、いつになったら……私は……
 アナウンスの音で目を覚ます。もうすぐ次の駅に着くのだそうだ。手に持っていたはずのラジオはいつの間にか鞄の上に落ちていた。私はラジオを拾い上げると、鞄の外ポケットに入れた。窓から差し込んだ光のせいで黒色のラジオはかなり温まっていた。また一つ、連れて行く物が増えてしまった。この抱えきれないほどの物の数々は私の記憶、欲望あるいは願望を表しているのだろう。この全てを捨て去ったとき、私は自由になれるのだろう。そうだ。それは分かっている。今までに何度も考え、想ったことだ。しかし私の中の何かがそれをさせない。どうしようもなく全てが捨て難いのだ。この荷物のせいで、いらぬ苦労までしているというのに。記憶の重さ。懐かしい知己に会って、思わず声をかけたことが何度あったことか。だが彼らは装いも、振る舞いも、性格も、記憶も違う。彼らは何も覚えていない。そのたびに失望と徒労感を覚えるのだ。ただ姿形が同じだけの別人。そのような経験を幾度味わおうとも、それでも私は列車に乗り続けなければならない。ただ惰性に従いながら。それが、私の定めなのだから。なんと馬鹿馬鹿しいことを積み重ねているのだろう。
 列車は速度を緩め、ホームに滑らかに停車する。錆付いた陸橋があるだけの寂れた駅だ。荷物と共に様々なものを落としながら人々は次の列車を待つ。私は両手両肩に荷物を抱え込みながら、彼らの流れに乗る。白んだ東の空には山吹色の朝日が昇り始めている。何度も見た光景だ。あの太陽も、私のようにいつまでも円環から降りられない存在なのだろうか。眩しさに目を細める。ああ、この光が幸福の正体なのだ。駅の外に広がる平安の主の一人なのだ。私は呟く。微かな声で、だが力強く。
「いつか必ず、外に出る。持てる全てを投げ棄てて」
 隣のホームに降り立つと、荷物を足元に置いて、ポケットからライターと煙草を取り出した。火を点けると口の中にラム酒フレーバーの香りが充満した。口から吐き出された煙は、風に吹かれて散っていく。まるで祭火によって遥か天に捧げられた供物のように。
この風に散っていくものが私の魂なのだとしたら、なんと幸福なことなのだろう。私の魂は煙草を吸うたびに神々に捧げられ、いつか魂の全てが底を尽いたとき、魂は此岸から天の彼岸に渡りきるのだ。そんな空想がふと頭に浮かんだ。
次の列車が来るまではまだしばらくある。それまでせいぜい外の空気を吸っておこう。安寧の世界と繋がっているこの空気を。

巡る列車のように

巡る列車のように

ひたすら巡り行く列車に乗る人々。そのひとりである私は、いつの日か駅の外の世界に出られることを願いつつ煙草を吸う。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-19

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