感情アスリート(6)

六 泣きのバージョン

「泣きなさーい、泣きなさーい、いつの日か、いつの日か、花は枯れちゃうよー・・・・」
 なんだ、なんだ、どこかで聞いた曲が慣れてきたぞ。それに、まだ、お笑い系の残像が続いているぞ。
「あたしゃね、この年まで生きてきたけれど、そりゃあ、楽しいことも、辛いこともあったよ。最大の哀しみといえば、良人との別れかねえ。五十年よ、五十年。半世紀も、ひとりの人と生活を伴にしてきたんだから。それがあっという間にいなくなっちまうんだから。あたしの五十年が消えて、なくなってしまったような気がしちゃうよ。人生って、儚いね。
 そう、あの人は、確かに、靴をはかずに、裸足でうろうろするのが好きだったみたい。それも、今はこの仏壇の中。これじゃあ、散歩することもできないよね。あんた、好きな人でもいるの」
 おっと、いきなり、俺に話を振ってきたぞ。
「いやー、いるような、いないような」
「何、照れてんだよ、あんた。このおばあさん相手に。もし、あたしが、後十年若かったら、あんたと付き合ってあげてもいいよ。いっひひっひっひっ。あんたも、まだ、若いんだから、パソコンの前ばかりに座っていないで、街に出て、人に会い、本当に好きな人みつけなさいよ。生きて、生きて生き抜かなくちゃあ」
「はい、わかりました」
 素直に返事が出た。なんだか、ちょっと、心に沁みた。思わず椅子から立ち上がり、おばあちゃんの前に正座し、熱いお茶を啜り、せんべいを食べたくなる気分だ。
「そりゃあ、よかった。あたしも、もう年だから、あんまり、長い時間しゃべられないんだよ。それに、入れ歯だから、言いたいことが口の中に籠ってしまい、半分も外に出せないんだよ。だけど、それぐらいが一番いいのかもしれないね。
 長い間、生きてきたけれど、思ったことを全て、口に出してしまうと、とんでもないことになるよ。カメレオンの舌のように、しゃべった言葉を直ぐに引っ込めたり、相手がまずい顔をしたら七色の言い訳ができればいいんだけれどね。それも、人生経験かね。とにかく、体にだけは気をつけなさいよ。まだ、親御さんだって、健在なんでしょう?くれぐれも、両親よりも先立つような、親不幸はしないように。元気が一番。
 野菜食べている?三十を過ぎたんだから、肉食中心から野菜中心の食生活に変えていかなくっちゃね。運動はしているの?散歩ぐらいしなさいよ。それができないのなら、家の中でも、掃除や洗濯など、家事を見つけて、無理やり動き回るのよ。今の一歩が、今日の千歩、明日の一万歩になるのよ。
 あたしゃあ、残念だけど、もう歩くこともできなくなっちまったけれど、正座なら、一日中できるよ。でも、そのまま体が固まっちまって、人から、生きているミイラなんて言われることがあるよ。マスコミまでが、取材に来たりして。ひどい話だね。自分の体を思うように動かすことができなくなってしまったけれど、まだ、「身いら」ずではないからね。ほっほっほっほっほっ」
 田舎の、祖母を思い出した。いつも、座ぶとんの上に正座し、縁側で日向ぼっこしていたばあちゃん。その横で、猫がお付き合いしている。縁側の下では、犬がはあはあと舌を出し、日影で休んでいる。元気かなあ、ばあちゃん。はあはあはあ。
「それじゃあ、さようなら。もう、会えないかもしれないけれどね」
「待ってよ、おばあちゃん」
「悪いけれど、あたしゃ、あんたのおばあちゃんじゃないよ。でも、待ってと言われたら、うれしいね」
「俺のばあちゃんじゃないけれど、人類みんなのおばあちゃんですよ。それに、もう、会えないだなんてことは言わないで、元気をだしてくださいよ。再会するために、「さようなら。また会いましょう」と言いますよ。どうも、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ、どうもありがとうね」
 えっ、俺、画面に向かって、何礼を言っているんだ。ついでに、頭も下げちゃったよ。でも、つい、でちゃったな。俺、年寄りに弱いのかな。本当に、田舎のばあちゃんを思い出したよ。それとも、最初の年齢の設定が三十歳っていうのがまずかったのかなあ。あれっ、ベルが鳴っているぞ。残念だけれど、今日は、おしまい、おしまい。終了の表示をクリック。

感情アスリート(6)

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六 泣きのバージョン

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-18

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