信号


枯れた信号。ただの邪魔な鉄塔に成り下がった信号。僕らはそれを「枯れた」と表現する。
昔々は自動車は今のような自動制御ではなく、運転者というものがいて、免許を取って動かしていたらしい。その時代の名残といえば聞こえはいいが、ただ撤去する費用をけちった国のせいで邪魔な枯れ信号がそこらじゅうに放置されている。錆びついたところから折れてきていて、今僕の目の前にある信号も風が吹くたびにギーギーと騒がしい音をたてて揺れていた。そんなものをかれこれ一時間僕はじっと見つめている。

ギッ、ギギッ、と不穏な音がした。と、思うとギ、グギャッとなんとも形容しがたい音がして、ドン、と落ちた。そう、折れて揺れていた部分が、だ。
「やっと落ちた……」
僕はそう呟くと落ちた部分を回収しに向かった。落ちたところはちょうど道路の真ん中だったようで、白く光る車たちが目の前にある異物や立ち入ろうする僕を感知し、静かに避けていく。中にいる人間も車に任せているのかこの光景に慣れているのか、一向に騒ぐ様子はない。

僕はこの、枯れ信号回収のバイトについてからもうすぐで半年になる。枯れ信号があとどのくらいで錆びついて落ちてくるか計算された表に基づいて僕らアルバイトたちは指定された日に回収に向かう。国から雇われているわけだから、待遇もよく、しばらく辞めるつもりはない。ただそんな費用があるなら全国の信号をさっさと撤去すればいい話ではあると思うのだが、そこはお役所事情とやらでこの形でやっているらしい。僕も深入りするつもりはないのでそれ以上追及する気はない。
「はい、これ今日の分です」
上司に今日の表にチェックを入れたものを差し出す。上司はこちらを一瞥してそれを無言で受け取った。
「それではこれで失礼します」
僕はそんないつも通りの冷たい上司からさっさと離れたくて、しかし丁寧に深々とお辞儀をして去ろうとする、その時だった。
「これ、」
すでにエレベーターの方向に歩き始めていた僕は、慌てて上司の方に向き直る。上司はいつもの無表情で紙をこちらに差し出していた。
「明日の分。今日早く計算室からあがってきたから、渡しておく」
「分かりました」
今度こそ退散だという気持ちでさっと受け取り、ちょうど来たエレベーターに乗り込む。家路につく電車の中で、渡された明日の表を眺めた。そこには僕の家の近くにしぶとく残っていた枯れた信号が載っていた。

「これか……」
閑静な住宅街にその信号はひっそりとたっていた。ぼーっと眺めている僕の横を、車が静かに通り過ぎていく。
僕は自分が子供の頃のことを思い出していた。もう既に信号は使われていなかったが、夜になって家の窓から外を眺めると、住宅街の均一な白色の明かりの中に、ちかちかと灯っては消える赤色がひとつだけ見えた。それを毎日飽きずに眺めていた。整った白色の中に見える信号の赤色が、僕は好きだった。
そこまで考えて、僕はほっと息を吐き出した。今目の前にある、昔ちかちかと赤色を灯していた信号は、少しの光もなく夜の暗さに溶け込んでいる。周りを見渡せば、そこには何台かの白い車と、沢山の白い家と、白い光があった。

これを明日僕は回収するのだ。僕はなんだか胸がぎゅっと痛くなって、もう一度手に持っていた表を眺めると、信号に背を向けて、白い光の灯る家に向かって走り出した。

信号

信号

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-16

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