お隣さんはバジリスク!? 二章・三章
続きです。もしも一章から見てくれている人がいればとても嬉しいです
第二章 隣人バジリスク
*
(…………なぜ、こうなった…………)
紬家のリビングにある、埃はたまっているが座り心地の非常に良いソファ。
そこに座って、目の前にいる少女と向かい合うようにしながらカケルは自分で自分に問いかけていた。
の、だが。
「それは、あなたが私を助けてくれたからでしょ?」
目の前の少女はさも当たり前のようにかわいらしく小首を傾げながらそう言った。
まるで、カケルの考えていることが分かったかのように。
もちろん、カケルは別によくあるコメディのように考えていることを口に出してしまっていたとか、考えが顔に書いてあるとか、そういう失態は犯していない。
純粋に、考えていたことがこの少女に読まれたのだ。
(いったい何者だよ………いや、そもそも)
そう。カケルにはもっと気になる事があった。
それは。
「なんで裸なんだ………っ!?」
できる限り抑揚なしに尋ねたかったカケルだが、つい心とともに声が震えてしまった。それは気まずさと、恥ずかしさと、それらからくる怒りによって生じた震えだった。
だが、少女はまたしてもきょとん、と首をかしげた。
「え? だって服着てなかったから」
(会話が通じてない………! いや、確かに『なぜ裸?』『服を着てないから』というのは文法上は通じているように見えるが………!)
表情にこそ出していないものの、心の中では言いようのない怒りにわなわな震えているカケル。
「通じてない? あれ? 人間の―――日本語って、こういうものだよね? あたし間違ってる?」
(いや、間違ってはないが………!)
そう考えると、少女はうれしそうに両手を合わせた。
「よかったあ。久しぶりだったから、緊張してたんだよ」
もはや口に出さずに会話をしてしまっている。もちろんカケルには少女の考えなど読めないので―――いや、読む気もないので――――少女は声に出して会話を成立させているが。
「…………俺が言いたいのは、どういう意図があって裸なのか、っていうこと」
正直カケルにはここまで言わなきゃいけないのか、とあきれていたが、少女は当然そういうカケルの心も読んでいたにもかかわらず、気にする様子はなかった。
「別に特別な意図はないよ? ただ服を着ないのが普通だから」
(どんな普通だ………一般人に謝れよ)
カケルはもう心の中で声を上げる余裕もなく力なく突っ込んでいた。
「で? 君はいったい何者だ?」
一番訊きたかった、そして訊かなければならないことをカケルは尋ねた。
「あたし?」
(他に誰がいる)
「うーん、あたししかいないね」
「ああ面倒だな! とにかく、君はいったい何者なんだ?」
心だけで会話できるっていうのもあまり便利じゃないとカケルは思った。
(とっさの言葉にも反応されてしまうからな………)
「うん。それはあたしもそう思う」
「それはいいから早く答えろよ!」
近年例を見ないほどカケルは疲れてしまった。彼のペースを乱すことができるのはアマツくらいのもので、そしてここまで乱したのはおそらく目の前の少女が初めてだろう。
何とか気を保ってカケルは声を挙げながら再び問いかけた。
「………で、君は何者?」
少女はにっこりとほほ笑んだ。
「あたしはね…………人間じゃないんだよ」
少女の口から放たれた、衝撃的事実。
だが。
「ふーん」
カケルはまったく驚いていなかった。
(………まあ、別にありえないことじゃない………本や漫画だとありふれたことだよな………人間じゃないなんて…………)
「………………………………………」
そこまで考えてから、カケルはピシッ、と固まってしまった。
そしてたっぷり十秒は経ってから。
(えぇぇええええええええええええええええッ!?)
再び声に出すこともできないほど驚いた。
「おそいよー。あははー」
少女はなにやら楽しそうに笑っている。
だが、カケルはそれどころではなかった。
(人間じゃない!? 意味が分からん! どこからどう見ても人間だろうが!)
カケルは改めて少女の姿を見てみた。
青みがかった銀髪に、額にまるで王冠のようにも見える紋様はあるものの人形のような整った顔立ち。体つきはスレンダーだが出るところはしっかりと出ているちょうどいいスタイルで――――。
と、そこまで考えてからカケルは少女がいまだに布一枚まとっていないことを思い出した。
「……………これ」
カケルは自分の着ていた制服のブレザーを脱ぐと、ソファから腰を上げて向かいに座っている少女の体にかけた。
「ありがとっ」
少女はまたにっこりと笑った。その笑顔に、少し頬を赤らめるカケル。
だが、それは少女が裸であったということに起因するものではなかった。なんというか、この少女の裸を見ても、その、思春期の男子が抱くようなやましい気持ちにはなれなかった。
そう。純粋に『美しい』とだけを感じさせるような、そんな姿だった。
「…………ってそうじゃない! 人間じゃないってどういうこと?」
ここまで混乱しながらも必要以上に声を上げようとしないカケル。元が無口なだけにあまり声を出す事態に慣れていないからかもしれないが。
「そのまんまだよ? あたしは人間じゃない」
何を当たり前のことを―――といった感じに少女は首をかしげて見せた。その顔は笑みを浮かべているが―――先ほどからずっと気になっていたが、この少女は目を決して開けない。
(目を開けないこともそれと関係あるのか………?)
実は、動物が人間化する、ということはないわけではない。前述したようにこの世界の魔法の中には物質の分解、再構成、という魔術項目もある。つまり、犬の体を分解して、人間の体へと再構成するということも不可能ではないのだが。
(成功例は一つしか聞いたことがない………第一、人間化させても大体の動物は知性が追い付かずに拒絶反応で死んでしまう………成功例も、確か神獣の―――)
「あ。あたしも神獣というか、伝説の獣の中に入るからその点は大丈夫」
カケルが思考していると、少女はまたしてもその考えを読んで話しかけてきた。やはり目を開けることはなく、だ。
とりあえず、カケルは少女の言うことが正しい―――つまり少女が本来は人間ではなく、神獣の類である―――と仮定して話を進めてみることにした。
「目が見えないのは、君が目の見えない類の神獣だからか?」
と、カケルは言ってみたものの―――目が見えない神獣というのは、あまり聞かない。カケルがこういうものに詳しくないのもあるかもしれないが、少なくとも彼はまったく知らない。
「………? 目が、見えない………?」
だが、少女はそもそもその質問の意図が分からないとでも言いたげに首をかしげた。
「いや、だから君が目の見えない神獣だから―――」
「あたし、目は見えるよ?」
(…………はあ?)
少女の言葉に思わずカケルは怪訝そうに眉をひそめた。
「あたしの目は見えないわけじゃないよ。ただ見ちゃいけないだけ」
(見ては……いけない………?)
その言葉の意味をしばし考え―――カケルはある神獣―――というよりは魔獣に思い当たった。
(コカトリス…………っ!)
「あ、最近ではそちらのほうが有名なのかな? あたしはバジリスク。コカトリスと対をなすもの、バジリスク」
少女はあっさりと肯定し、目を閉じたまま小首を傾げて笑って見せた。
だが、カケルは内心戦慄を覚えていた。
バジリスク。『王』という意味のギリシャ語、Basileus を由来とする名の蛇の王であり、プリニウスの『博物誌』にも登場する、伝説の生き物だ。
その力には諸説あり、バジリスクの通った後は人を死に至らしめる猛毒が残る、とかバジリスクを槍で殺したものはその槍を伝った毒で殺される、とか口から火を吹いたり、声だけで人を殺したり………と、さまざまだが、もっとも有名で、恐ろしい能力は『見ただけで相手を死に至らしめる能力』だ。
つまり、その目には魔力が込められており、目を合わせた生物は例外なく死に至る、ということだ。
これだけを聞けば荒唐無稽な話だが、事実今の魔法、科学力の見地からは、これは不可能ではないとされている。
つまり、生物の生体機能を操る一種の魔法がその目には込められており、それによって相手を死に至らしめる………というわけだ。
その方法としては魔法陣、という説が有力だ。
魔法陣。これは決して適当に円や楕円、そして文字を書いて魔法を発動する、というたぐいのものではなく、その魔法陣の形に一種の数式や意味を持たせることで、それを見ただけで数式や意味を連想し、演算式や構成式を短縮する手法のことを指す。
バジリスクの目に関してもっとも有力なのはその目に魔法陣を写し、相手がそれを見ることで『自滅』する、ということだ。
つまり、バジリスクの目に映る魔法陣には生物が自殺する計算式………たとえば心臓を分解する演算式や脳を別の物質へと変換する演算式が込められている、というわけだ。
そんなことできるわけない、と思う人間は多い。だが、これは決して不可能ではない。
たとえば文字。それ自体は直線、曲線、点の集まりにもかかわらず一つの形をとることで意味が込められたものになる。『死』という漢字を見せられて、これをただの線の集まりととらえるまともな日本人はいないだろう。
漢字以外でも、例えばアラビア数字。『1』という数字はただの線にもかかわらずそこにはちゃんとした意味が存在する。百人いれば百人とも一瞬にしてその意味を連想するだろう。
このように、人間の頭脳の中には今までの生活の中で潜在的に培ってきた条件反射的連想機構が存在し、これを利用したのが魔法陣だ。
単なる線や点の集まりが、一定の形をとることで意味を取る。それをとことん突き詰めれば難解な数式も記号や図形にその意味を込めることができる。
もちろん、これが人間どころか、並みの魔術師にもできるものではないことは自明の理だ。
『1+1=2』などという数式であればともかく、ほとんど異言語と言ってもいい難解な数式を記号などに含めさせ、なおかつ見ただけで連想できるように完成させるのは至難の業だ。
ましてやバジリスクの目は自分で魔法陣を見るのではない。相手に見せ、そして理解させなければその魔法は発動しない。
このバジリスクの目を巡っては議論が今もなされており………今、最も有力なのは実際に捕まえて研究しよう、という意見だ。
まあ、当たり前の意見ではあるのだが………そう簡単にバジリスクが見つかれば誰も苦労はしないわけで………。
そもそも、見られただけで殺されてしまう魔獣をどうやって捕まえるというのか。それはつまり目撃例すら期待できないということだ。
だから今、カケルが偶然も偶然、バジリスクに出会ったというのはまさしく宝くじに三回連続当選することよりも驚異的なことであり、さらにまだ生きているということは天文学的数字になるわけだ。
しかし、今カケルはそんな幸運を喜ぶ余裕などなかった。
なにしろ少女が本当にバジリスクだとしたら、少女が一瞥するだけでカケルは命を落とすわけだ。
正直、冷や汗ものだ。
「バジリスクね………なんでそんな伝説級の魔獣様が、俺に用があるんだ………?」
体をこわばらせるカケルとは対照的に、少女は輝くような笑顔を浮かべた。
「だって、あたしあなたに助けてもらったから!」
「――――は………?」
少女の言葉に、カケルは先ほどまで感じていた冷や汗や緊張、戦慄を忘れてしまうほど呆気を取られた。
「助けた………?」
カケルは人前ではあまり不必要に言葉を発しない。それはたとえ相手が親兄弟であっても変わらない。そんな彼が思わず口に出してしまったということからも、彼の驚きは察することができるだろう。
「うん! 覚えてない? 昨日、あなたがここに来た時に助けてくれた―――」
そこまで少女が言ってから、カケルはようやく思い当るところがあった。
「―――蛇のこと?」
「そう! それがあたし!」
そう言って少女はうれしそうに笑った。
(ほんと、良く笑う奴だな………)
思わず、つられて笑みを浮かべそうになるカケル。
「…………で、恩返しでもしようと思ったのか?」
「そう! えっとね…………」
うれしそうに髪の毛を揺らした彼女は彼女なりの『恩返し』について語り始めた。
それを無表情で―――しかしどこか笑みを浮かべて見るカケルにとって、この少女が本当にバジリスクかどうかはどうでもよかった。もちろん、本来はどうでもいいことではない。命がかかっている。
だが―――そう。彼にとっては、どうでもいいのだ。自分が死のうが死ぬまいが。
どうせ、あと一年の命なのだから。
「……………………」
そのことを思い出して、わずかに表情を失うカケル。
あの、『煉獄』事件。あれでカケルはすべてを失った。
友人も、親も、兄妹も、そして自分の命も。
「……………………」
「―――カケル?」
少女の声にハッ、と我に返ったカケルは自分の顔を間近で覗き込んでいた少女に思わずたじろいだ。覗き込んでいたと言っても、眼は閉じていたが、こんなに近くで異性の顔を見たことがなかったからだ。
「……………なんでもない」
なぜか、少女に名前を呼ばれるとカケルは心が揺れた。この少女はどこか人を揺さぶる気質があるのかもしれない。………いい意味と悪い意味、両方で。
(………どこか昔の俺に似てるんだよな………いや、境遇も似ているか。目のことといい……)
「…………………」
「カケル? あたしは一人ぼっちじゃないよ?」
思わず考えてしまったことを読まれて、しかも否定されてカケルはすこし戸惑った。
「あ、わるい………。そう、だよな………別にお前が希少種だからって一人ぼっちとは限らないか」
(俺の悪い癖だな)
カケルは少し自嘲気味の笑みを浮かべた。自分の物差しで人を測るのは、昔からの彼の癖だった。
もしも少女がバジリスクだったとしても、少女が一人ぼっちとは限らない。彼女が今まで生きている、あるいは彼女がここにいる、というだけでも今まで彼女以外のバジリスクが存在していた証拠だ。
だが、少女は別に気にする風もなく、それどころか笑顔を浮かべてこう言ってきた。
「そうだよ。あたしはもう一人じゃない。あなたがいるもの」
「…………っ」
思わず、カケルは息をのんで少女の顔に見入ってしまった。
(この………子は………)
おそらく、この少女はカケルと一緒なのだ。
友達も、親も、兄妹もいない。本当の、孤独。
だけどこの少女は笑っている。ただ、カケルがいるから自分は孤独ではなくなった、と。
昔の、親も、友達も、兄妹もいたころのカケルと同じような笑顔を浮かべている。
(いったいどうして………笑えるんだ………)
今のカケルは、昔のように笑えない。笑い方を忘れてしまった。絶望と、悲しみと、怒りと、苦しみの中で生きてきて、本当の笑顔というものを忘れてしまった。
(だから俺は………もう、笑えない)
「―――そんなことないよ」
「っ!」
少女が、先ほどの輝くような笑顔とは別の、温かい、優しい笑顔を浮かべていた。
「あなたも笑える………ううん、笑ってたよ。きっと。」
少女は目が見える。だが、目を開けてはいけない。目を開けて、相手を見てしまえば相手を死に至らしめてしまうからだ。
だから、彼女はカケルの顔を見ていないはずだ。出会った時もどのような顔をしていたか知らないはずだ。
それなのに、彼女は自信を持って言った。「笑える。笑っていた」と。
「………っ………!」
もう、カケルは少女の顔をまっすぐに見ることはできなかった。
その笑顔はあまりにも眩しすぎて。
あまりにも優しすぎて。
もう戻ってこない過去を、見ているようだったから。
―――これが、間宮カケルと、決して目を開けることのできないバジリスクの少女の、出会いであり。
―――一年間の、恋の、そして戦いの幕開けだった。
第三章 転入バジリスク
*
―――そこには、何もなかった。
普段、気に留めることもなかった、あまりにも当然で、ありふれていたもの。
緑。青。白。雲。草。空。花。家。人。
建物。友達。両親。兄妹。
そして、笑顔。
そんな、当たり前で、いつもそばにあるのが当然のモノ。
だけど、そこには、そんなものは何もなかった。
あるのは。
―――見渡す限りの、死。
その視界に映るのは、燃え盛るという表現ですらふさわしくない、まさしく地獄の業火。
その鼻孔を刺激するのは、人が、建物が、草が、花が、紙が。すべてが、焼ける匂い。
その肌に触れるのは、寒さすら感じさせる、火。
その耳に聞こえるのは、苦しみの声。生きながらに焼かれていく、人々の声。親の声。兄妹の声。友達の声。
その心に去来するのは――――虚無。
何も感じられなくなった少年の頬を、一つの透明なしずくが伝う。
だけどそれが、どういうものなのかすら、少年は忘れてしまった――――。
*
「…………………ける…………カケル………!」
誰かが自分を呼んでいるのが聞こえたカケルは、眠り―――ひどく不快な眠りから覚めた。
その途端、うれしそうな声が聞こえる。
「よかったあ。うなされてたから心配したんだよ?」
自分に覆いかぶさるようにして、目を閉じたまま顔を覗き込んでいる少女の顔を見て、カケルはしばし凍りついた。
「………………………………………………………………………惨事か」
「うん。朝の三時だよ」
少女の顔から―――現実から顔をそむけるようにして時計を見たカケルだったが、少女はあっさりと追撃。あまり会話が得意ではないカケルは一瞬にして追い詰められた。
「…………………なんでここにいるんだ?」
ため息をついたカケルは相変わらず目を閉じたままの少女の顔を見て尋ねることにした。
今は朝の三時。そしてここはカケルの自宅、自室、そのベッド。
それなのに今、この一人専用ベッドにはカケルともう一人(一匹?)、少女が横たわっている。
先ほどまで見ていた夢も関係して、カケルは頭痛を覚えながらもう一度尋ねた。
「どうして、君がここにいるんだ?」
「それは、窓から入ってきたからだよ」
(相変わらず会話が通じてねえ………!)
無意識に右こぶしを握り締めるカケル。
「どういう意図をもって? ということなら、あなたがうなされてたからだよ?」
「理解しているんじゃないか…………」
もはや勢いよく突っ込むことすらできない。いや、もともとカケルはそういう性格ではない。ローテンションにしろ、カケルに突っ込みをさせるという点をかんがみれば、それだけでも少女は驚異的なポテンシャルを誇っていると言っていい。
それだけでなく正体は伝説級の魔獣、バジリスクだというのだから、もう手が付けられない。さらに心を読むことができるというおまけつきだ。
「…………なんで俺がうなされていたら君が入ってくるんだ………」
体を起こし、少女をポイ、と床に投げ捨てながらカケルはあくび交じりに愚痴る。
少女が「ふにゅ!」とか言っていたがあまりにもあざとすぎるリアクションだったのでむしろ苛立ちが増すだけだった。
(…………まあ、かわいかったと言えばかわいかったけど)
少女の顔を見ながらカケルはそう思い、顔を赤らめた。
「………えへ」
と、少女がうれしそうに笑い、そこでカケルはこの少女には心を読まれることを思い出して、あまりの恥ずかしさに自分で自分を殴りそうになった。
(この………クソ恥ずかしいセリフを聞かれたっていうのか………!)
「別に恥ずかしい言葉じゃないと思うんだけどな………」
またしても読まれて、カケルはがくりと肩を落とした。なんというか、いろいろ疲れる、というのがカケルの感想だった。
―――まあ、それにもまして何よりも優先すべきことがある。
「…………とりあえず………服を着ようか………」
「え? 着てるよ?」
少女はきょとん、とした顔でそう言うが………少女が着ているのは昨日カケルが貸したブレザーだけであり、その下はおそらく―――カケルは確認するのも恐ろしいが―――裸だろう。
カケルはため息をついた。この少女はおそらく変なところで常識が抜けているのだろう。会話をする限りでは知性がないというわけではないようだ。
(だてに伝説の生き物って言われてるわけじゃないな)
「いいか? 人の格好をするなら人らしくしろ。目を閉じているのは盲目だからとか、そう言う風にごまかすことができるが素っ裸でまともな人間は名乗れない」
カケルが至極まっとうな正論を述べると、少女はカケルが拍子抜けしてしまうほどあっさりとうなずいた。
「うん。わかった、服を着るね」
「……………で? その手はなんだ?」
カケルは白けた目でちょこん、と少女が揃えて差し出した両手を見下ろした。
「服。頂戴?」
「いいか。『?』をつければ何でもかわいらしいと思うなよ」
カケルは少女のおねだりを一蹴した。………心がわずかに揺れたのは内緒だ。
すると少女は何を思ったのか、今度は『キラッ☆』とばかりに笑顔を輝かせて。
「ちょー、だい☆?」
「お前心読んだろ! 味を占めてさらにかわいらしくねだるんじゃねえ!」
思わず声を上げて突っ込むカケル。彼がここまで声を上げるのは生まれて初めてかもしれない、というほどだ。
「えー、でも、あたしは服を持ってない………」
「ぐ…………」
そう言われると返す言葉がない。今まで蛇の姿だったのだから確かに服など必要なかっただろう。持っていないのもうなずける。
(……………ん?)
「………ていうか、蛇の姿に戻ればいい話じゃないか」
あまりにも簡単な答えに思わず灯台下暗しだったカケル。
だが、少女は不満そうだった。
「えー。でも、それだと恩返し………」
「いいか? そもそも恩返しをしようという相手に服をねだっている時点で矛盾しているぞ、君は」
心なしか額に怒りマークを浮かべながら務めて平静に指摘するカケル。
「うう………でも、戻り方を知らないんだけど………」
「は?」
少女の言葉に、カケルは思わず呆気にとられてしまった。
「戻り方を知らない? 蛇の体を分解、人間の体に再構成できるほどの実力の持ち主なのに?」
だが、カケルの言葉に少女は首をかしげた。
「分解………? 再構成………?」
その反応に、思わず怪訝な顔になるカケル。
(まさか、魔法を知らない………? だけど、それだとどうやって人間の姿に………?)
するとまたしても心を読んだ少女が自分の顎に指を当てながら説明する。
「昔からあたしたちバジリスク―――ううん、魔獣や神獣の間に伝えられている魔術を使用したんだけど………」
それはカケルにもわかる。人間と同等の知性を持つ神獣や魔獣の類であれば演算術式を組み立てることも不可能ではないだろう。
だが。
「戻り方は知らない、と?」
「うん。そもそもこの魔術は使用するときの決まった規則があるから」
そう言う少女はどこか恥ずかしげに頬を染めていた。
その表情は少女の美貌と相まって非常にかわいらしく、大して女性に興味のないカケルですらドキドキさせるものだったのだが。
(………なんだか、とてもつもなく嫌な予感がする)
その予感は、的中していた。
「―――これはね、人間と………け、けっきょ―――こほん、結婚する時しか使っちゃいけない術式なの」
「…………………………………………………」
なんというか、実は予想通りの展開にカケルはだらだらと冷や汗を背中や額どころか、全身にかく。
心の中で何かを叫ぶ余裕すらない。少女が舌を噛んだことにもリアクションできない。まさしく凍り付いていた。
一方、少女はそんなことには全く気付くことなく(目を閉じているからかもしれないが)どこか浮かれた調子で言葉をつづける。
「あたしたちバジリスクはね、もともと数が少ないうえに人間でいう近親相姦のせいで遺伝子に異常が起きていたの。だからそれを防ぐために五百年ほど前からは人間の姿になって人間とのハーフやクォーターを生み出すようにしていたんだ。でも、あたしたちってかなり狙われてるでしょ? だから信用に足る『これ!』っていう人以外の前では人間になれないよう、退路を断つために元の姿に戻る手段を開発しなかったんだよ」
少女の語る、もしかすると魔法歴史学的、魔法生物学的にとてつもなく価値があるかもしれない話も、カケルの耳には入ってこない。
異常に乾いたのどから、懸命に声を出す。
「それで………おれが、『これ!』って人だったのか………」
「そう!」
カケルにしてみればできれば否定してほしかった疑問だったのだが、少女はあの反則なまでに輝くような笑みを浮かべて首を勢いよく振った。もちろん縦にだ。
「だってあなたは助けてくれた」
そりゃだれだって助けるだろ………と言おうとしたカケルだったが、良く考えれば確かに助けないかもしれないな、と思って口を閉ざした。
ちらり、と少女の顔を見ると少女はやはりにこにこと笑顔を浮かべている。
(………人の笑顔を見てこんな気持ちになったのは………)
「こんな気持ちって?」
と、少女は意外なことに首をかしげた。どうやら心を読めるといっても思考を読めるだけであり、その感情などを読み取ることはできないようだ。
(不幸中の幸いだな…………)
「不幸…………」
ふとそう思ったカケルだったが、その思考を読み取ったのだろう少女は傍目にもわかるほどしゅん、と顔を伏せた。
なんというか、その様子はさながら雨に打たれてずぶ濡れの子犬がやっと見つけた優しい飼い主にさっそく捨てられました、という表現が似合うほどだったので、カケルは罪悪感に胸がつぶされそうだった。
「い、いや、そういう意味じゃなくてだな………これは………言葉のあやってやつだ………」
必死に弁明するカケルだが、少女はいまだに沈む込んだままだ。
「あたしが来て、あなたは不幸なんだね………」
(ぐう………)
「ち、違うって。君みたいなかわいい子が来てうれしくないわけないだろう?」
(ぐああああ! なんてセリフを言っているんだよ俺は!)
あまりの恥ずかしさに頭を抱え込むカケル。だが、そんなカケルの様子とは裏腹に、その言葉を聞いた少女はパア! と顔を明るくした。
「ほんと!? よかったぁ…………」
そう言ってほにゃり、とほほ笑む少女に再びカケルは赤面する。どうもこの少女は人を魅了する術に長けているようだった。もしもこれを計算尽くで行っていたとしたら恐ろしいことこの上ない。
(―――けど、本当に純粋なだけのようだしな………)
カケルはベッドから腰を上げると、いまだに床に座り込んでいる少女を置いて部屋を出て行こうとする。
「あ、どこに行くの?」
そんな少女のどこか焦った言葉に振り向くと、少女は不安げな顔をしていた。
それはまるで、拾われたばかりの子猫がまた捨てられるのではないかと心配しているような、そんな顔だった。
「…………」
知らず知らずのうちに、安心させるような笑みを浮かべるカケル。
「………朝食、まだだろ? よければ作ってやるよ」
その言葉に、少女は顔を輝かせた。もしも目を開けていれば星マークが多数浮かんでいたに違いない。
「ありがと!」
その表情にほほ笑んだカケルはあまり心配させないように部屋の戸をなるべくゆっくりと閉じた。
(さて………と)
キッチンへと向かいながらカケルは一つ考えていた。
それは今何よりも差し迫って考えるべき懸案であり、選択次第では命に関わる問題かもしれない。
(…………バジリスクって何を食べるんだっけ………?)
もしも人肉だったらどうしよう………。
そんな心配をしながらカケルは冷蔵庫を開けるのだった。
*
結論から言えば、何でも良いようだった。
「あたしたちは別に何を食べなきゃいけない、とかそういうのはないよ。人間の体になるってことは人間の特性も併せ持つってことだから。あ、だけど人間にとって猛毒でもあたしたちには意味ないと思うけどね。大体の毒はあたしたちの毒には勝てないから」
そんなことを言いながら少女はハムエッグトーストにかじりついていた。この少女、目を閉じているにもかかわらず移動したりものを食べたりということに困った様子は見えない。
少女はハムエッグトーストをかじったりコーンスープを飲んだりしては美味しそうに顔を輝かせる。
蛇は基本丸呑みだからか、時折のどに詰まらせてはカケルにあわてて水をもらっていた。
「うーん………やっぱり歯って慣れないな。噛んで食べたりなんてしないからな………」
そう言って口を開け、歯並びのいい歯を自分で触ったりする少女。指が牙に触れたときに出てきた液体は………毒、だろうか。
「君たちバジリスクにはやっぱり毒があるのか?」
「うん。ただ、一般的にあなたたち人間が言う毒とは少し違うかも」
カケルの問いに対する少女の答えに、カケルは怪訝そうに眉をひそめた。
「どういう意味?」
「あたしたちの毒はね、毒性や成分を自在にコントロールできるの。つまり、象を一分で殺す猛毒にもできれば、あらゆる怪我を治す薬にもできる」
「初耳だな」
バジリスクなどの、伝説的生き物についても魔術学校では学ぶ。間宮家は代々魔術師の家系なので幼いころからカケルも学んでいた。だが、バジリスクの毒にそんな一面があることは知らなかった。
「それはそうだよ。あたしたちはどちらかと言えば魔獣だからね。あらゆる怪我を治すっていえばフェニックスの涙とか、ユニコーンの血とかのほうが有名だと思うよ。効力は一緒だけど」
「…………実在してたのか」
フェニックスにユニコーン。どちらも伝説の神獣だ。
「実在しているよ。二百年前までは交流もあったみたいだし」
「伝説の生き物同士のネットワークまであるのか」
この少女の前では隠し事はあまり意味ないのでカケルは思いついたことをすぐに口に出すことにした。そうすればよけないことを考えなくて済む。
「そうだよ。人間だってコミュニティを持ったりするでしょ? あたしたちは人間と同等の知性を持っているから、同じように交流を持ったりするよ」
「…………今の言葉、『至上主義』の人の前では言うなよ」
『至上主義』とは、人間こそが神に愛された種であり、すべての動物とは一線を画す生き物だという魔術思想集団だ。魔法の世界では人間と同等、あるいはそれを上回る知性を持つ神獣などの存在が示唆されているが、それを認めない、あるいは存在の証拠を抹消しようという集団だ。
少女はそれを聞くと苦笑いを浮かべた。
「あー………あなたたちの間でもそういう人たちいるんだね。あたしたちの中でも、麒麟とか、ファフニールの末裔の竜とか誇り高い種族は人間から隠れている今の生活に不満を覚えているんだよ」
ファフニールに麒麟………どちらも神話級の魔獣、神獣だ。
「そうだね………アーヴァンクや、ヴィーヴィルの末裔なんかはかなり人間を敵視してるし……まあ、あの辺はニーズヘッグが抑えてくれるから大丈夫だと思うけど」
衝撃的な単語に水を飲んでいたカケルは思わずむせ返った。
「げほ、げぉほ! ………ニーズヘッグって、あのニーズヘッグ? 北欧神話の?」
「ニーズヘッグってほかにもいるの? あの方はもう数千年も生きているらしいけど………」
「そりゃ、もしも北欧神話が本当でラグナロクを生き抜いているならそれも本当だろうな……」
正直、あんな化け物の中でも化け物と呼ばれるような竜が生きているとは考えたくなかった。
「そんなに驚くことかな? 『竜王』くらいは知ってるでしょ?」
「……リンドヴルム王のことか? まさか血筋はまだ続いているとか……」
少しびくびくしながらカケルは問いかけたが、少女はあっさりとうなずいた。
「まあね。赤い竜の血筋も続いてるよ。あ、でも安心して。あの人たちは人間側だから」
「あの人たちはって………」
もう苦笑いするしかないカケル。この話を魔法歴史学者や魔法生物学者が聞いていれば泣いて喜んでいただろうが、生憎カケルはそんな感性を持ち合わせていない。目の前にいる少女がバジリスクだということにもいまだに思考が追い付いていない始末だ。
「人間が知らないだけで、結構あたしたちは生き残ってるよ? さすがに竜の末裔はすくないけど」
「……そ、そうなのか」
「あ………でも、最近変なんだよね」
突然、少女が表情を曇らせたのでカケルは眉を寄せた。
「変?」
「うん………。つい三年くらいまえから、各地の知り合いと連絡が取れなくなったの。ヨーロッパのニーズヘッグは仕方ないにしても、ここ、日本の九尾とも連絡が取れないんだよね………なんかリンドヴルムの家が滅びたっていうのも風のうわさで聞いたし………」
(きゅ、九尾………またやばそうな………)
「そ、それにしても………君はずいぶん知り合いがいるんだな。やっぱり長年生きていたからか?」
おそらくこの少女も、人間でいえば数百歳なのだろう。バジリスクの寿命がどれくらいかは知らないが、魔獣の類はたいてい長寿だ。
(まあ、人間を食べているから、という説もあるけどな………)
と、少女はそんなカケルの思考を読み取ったのか、ふくれっ面になった。どうも怒ったようだ。
「むう。あたしはそんなことしないよ。人間なんかよりもイチゴやスイカのほうがおいしいもの」
「そ、そうか………」
聞きようによれば人間を食べたことあるようにも聞こえたのだが、カケルは深く考えないようにした。
「長年生きてるっていうのも違うよ。あたしはまだ生まれて十五年しかたっていないもの」
「あれ? 同い年かよ………」
(こういう話は大体漫画とかでは数百年生きてたりするんだけど………)
そんなカケルの物思いとは裏腹に、少女はフォークでプチトマトを刺そうと悪戦苦闘しながら言葉をつづける。
「あたしたちは………っ、この………。寿命は百年くらいだからね………だから人間と交わっても気づかれなかったわけだし…………せいや!」
ガキャズダン! というすさまじい音とともに少女の振り下ろしたフォークがプチトマトを貫通する。
(………皿も………いや、それどころか机も貫通してないか………?)
たらり、とカケルの額に汗が浮かぶ。
だが、少女は気にすることなくプチトマトを口へと運んで、おいしそうに頬に手を当てる。
「あたしは最後のバジリスクだからね。各地の魔獣も気を遣ってくれるんだよ………ん、美味し」
(…………)
少女の言葉に、カケルは食事の手を止めた。
「最後の………?」
「あれ? 言ってなかったっけ? あたしは正真正銘、最後のバジリスクの血統、その末裔だよ」
少女の顔には悲壮感など微塵もないが、カケルはその顔から目を外せなくなってしまった。
「お父さんとお母さんは純血のバジリスクで、こう言ったらなんか偉そうだけど、あたしはバジリスクの王族の末裔なの」
カケルは茫然としながらもどこか納得していた。少女に感じたどこか冒しがたい雰囲気というのは、その高貴さから来たものだったのだろう。
「だけど、十年前、お父さんとお母さんは人間につかまっちゃった」
その言葉に、カケルは危うくフォークを取り落すところだった。
少女は気づかずに言葉をつづける。
「純血のバジリスクっていうのは力も強力だからね。その目もだけど、毒も値千金だし……人間からすればのどから手が出るほどほしいものだよ」
「だけど………君たちは、その、『死の眼』があるじゃないか。そんじょそこらの魔術師だったら、十分撃退できるだろうに………」
だが、少女はちょっと疲れたような笑みを浮かべた。
「たしかに、あたしたちの目は強力だよ。でもね、あたしたちの目は大量に魔力を消耗するんだよ」
「………魔力………?」
その単語にカケルは首をかしげた。
だが、その反応は少女にとっても意外なようだった。
「え? 魔力だよ、魔力。魔術を使用するのに必要な」
その言葉にますますカケルは首をかしげた。魔術に必要なのは集中力と、演算能力だけだ。ゲームや漫画のように、魔力などというものは必要としない。
「ええ? 今の魔術って、魔力を必要としないの?」
少女は驚いたように声を上げた。
「どうりでバンバン魔術を使ってくると思ったよ。魔力が無尽蔵かとおもった」
でも、その分威力はしょぼかったな………とつぶやいている少女をよそに、カケルは思考の海に沈んでいた。
(………魔力だと………? そう言えば、昔の魔法にはどこか今の理論では説明できないような魔法があったな………)
『ミカエルの剣(デオクシスポス)』、『嘆きの川(コキュートス)』、『神々の黄昏(ラグナロク)』、『極冠の氷華(ニブルヘイム)』など、今に伝わっている魔法の中でも、『失われた魔法(ロスト)』と呼ばれている、名前だけでもまあ恥ずかしいことこの上ない魔術。
それらはあらゆるものを切り裂いたり、世界を凍らせたり、世界を燃やしたりと、人間の演算能力を超えているものがほとんどだ。ゆえにこれらは実現不可能な魔法と呼ばれている。
(もしかして………古代魔術と、現代魔法とでは理論が異なるのか………?)
「―――だから、あたしたちは滅多なことでは『目』を使わないの」
少女の言葉に、ハッ、とカケルは思考の海から浮かび上がった。どうやら心を読まれてはいなかったようだ。
「………君が目を閉じているのはそれと関係あるのか?」
目を開けていると魔力を常時消耗するから、目を閉じているのかとカケルは思った。
だが、少女は首を横に振った。
「ううん。あたしたちバジリスクは普通、『死の眼』という魔術を発動させることで見たものを死に追いやるから、目を開けても問題ないんだけど………」
「じゃあ、なんで?」
目を開けても問題ないなら少女が目を閉じている理由はない。
そう思ったカケルは、悲しそうな少女の表情に息をのんだ。
「あたしは先祖返りだから」
「先祖がえり……?」
「もともと、バジリスクは常に『死の眼』を発動している生き物だったんだけど、それじゃ仲間―――ほかの魔獣も殺してしまうから、一部の血族を除いて常に発動できないように進化してきたの。そんな進化を続けているうちに王族も常には発動できなくなって………でも、何代かに一度、先祖がえりで常に『死の眼』を発動するバジリスクが生まれるの。それは魔力も消耗しないんだけど………」
「それが、君………」
カケルがつぶやくと、少女は「うん」と悲しそうな笑みを浮かべた。
「そもそも、お父さんとお母さんがつかまって殺されたのもあたしが原因なの。あたしたちは大きさもほとんど普通の蛇と変わらないから、目を開けてさえいれば気づかれることは少ない……だけど、あたしは常に目を閉じているから、怪しまれて………そして、これが決定打だった」
そう言って少女は額を指さした。髪の毛に隠されているそこには王冠のような模様がある。
「これは、バジリスク―――それも、王族だけがもつ模様。こんな模様を持つことは他の蛇にはゆるされていない」
一応、蛇の王だからね、と笑った少女の顔は、泣きそうだった。
一方のカケルは………言葉を失っていた。
目の前にいる少女と自分の、またしてもわかった、そしてほかの何よりも似通っている共通点。
自分のせいで、両親を失った。
そのつらさを知っているからこそ、カケルは少女に言葉をかけることができなかった。
「………で、でもね、あたしはもう、大丈夫だから」
少女は笑みを浮かべた。それは、無理して浮かべたものではない。自然と浮かんできた、微笑みだった。
「…………俺がいるから、か?」
(俺の………俺なんかの為に、二度と元の姿に戻れないかもしれない、魔術を………)
「なんかじゃない。あなたの為に、あたしは今、ここにいる」
少女は真剣な顔で―――まあ、目を閉じているから推測にすぎないが―――カケルの顔を見てそう言った。
「あなたのためなら、命を落とす覚悟もできてる。これでも王族なんだから」
そう言う少女の声はとてもまじめで………だからこそ、カケルは、怒った。
「………言うな」
「え?」
カケルの、怒りのこもったつぶやきに少女は表情を凍らせた。
「二度と、言うな。命を捨ててもいいだなんて」
叫んではいない。だけど、静かなその言葉は下手な叫びよりも重たく、厳しく………そして、温かい言葉だった。
「…………はい」
少女も、本当に反省したようにまじめな声で返答した。
カケルはちらりと時計を見た。もう、六時を回っていた。
「……………おれはそろそろ学校に行くから、ここにいたければそうしていろ」
席を立ちながら言うと、少女は顔を輝かせた。
「それって、好きにしていいってこと?」
「ん………ああ、そうとも取れるな………」
あまり考えずにカケルは相槌を打った。
そして、その言葉を後悔することになるとは、この時のカケルには考えることができなかった。
*
その後―――陣柳市立魔術学校高等部一年三組。昼休み。
「すいませーん。間宮カケルくんはここにいますかーっ?」
「ぶほぁッ!?」
突然教室に響いたあまりにも聞き覚えのある声に、炭酸飲料を飲みながら『古代の魔術 ~失われた魔法について~ 』を読んでいたカケルは勢いよく噴き出した。
「あ、いた!」
恐る恐る教室のドアを見たカケルは、その途端、口を半開きにして本を取り落した。
「おまえ………なんでここに………」
ほかには何も言うことができなかった。あまりの事態に頭がついて行かない。不幸中の幸いなのが、少女が裸でないことだけだ。おそらくクローゼットから取り出したのだろう、カケルの私服を着ている。その着こなしもセンスこそ皆無なものの、人間的なものだ。
だが、それだけではこの事態の異常さは緩和できない。
(しまった。油断していた………! 目が見えなくてもあの子は普通に生活できているんだった………!)
教室にいたクラスメイトがざわざわと騒ぎ始める中、カケルは席を立って少女のそばへと歩み―――走り寄る。
「なんでここに!?」
「それはね―――」
「徒歩でここに来たからとかそういうボケは今いらないからな!」
「なんで言おうとしたことが分かったの!?」
「三度目の正直だ!」
驚愕する少女に噛みつくようにカケルは叫んだ。
(いや、確かにどういう方法でここに来たのかも気になるが………!)
この魔術学校はそれなりに警備が充実していて、普通の犯罪者では敷地内に入る事すら難しい。それをこんな平和ボケした少女がどうやって………とカケルは少し疑問に思った。
「あ、それはね、『魅了(チャーム)』の魔法で―――」
「いいからそれは!」
何か聞き捨てならない言葉が言われた気がしたが、カケルは一切無視する。
と、クラスのみんなが近づいてきたのを察し、カケルは教室を出ようとするが―――もう昼休み終了間際。今からどこかへ行こうというものなら、教師に止められるかもしれない。クラスメイト相手にごまかすのであればまだしも、教師相手にもごまかすとなるとかなり厳しいものがある。
そこでカケルは少女が自分の心を読むことができるのを思い出し、思考だけで会話することにする。
(どういう意図でここにいるんだ!?)
「だってあなたのそばにいたかったから」
「「「「「ッ!?」」」」」
何か、クラス内で数人―――いや、数十人が息をのんだ音が聞こえたが、カケルは気にしないことにした。今はそれよりも気にするべきことがある。
(ここは学校だぞ! 関係ない人間が入ってきちゃ―――)
「関係あるよ。あたしはあなたに身も心も捧げ―――」
「「「「「ッッ!?!?」」」」」
少女がとんでもないことを口走りかけ、カケルはあわててその口をふさいだ。
(だからそんな誤解を招くこと言うんじゃない!)
「ふぇー、ふぇも、ふぃふぃふふぁよ(えー、でも、事実だよ)」
どこから突っ込んでいいのか分からないカケルだったが、そんな混乱五十パーセント、焦り五十パーセントの心理状態の彼に、声がかけられた。
「………間宮、何をやってるんだ………?」
「…………」
それは普段でも苦手な人物―――獅子宮アマツだった。
アマツは教室の入り口をふさいでいる少女とその口をふさいでいるカケルを順番に見て―――決断を下した。
「死刑だな」
「「「「「イエス! ユアハイネス!」」」」」
アマツの言葉に、男子全員が一斉に席を立った。その声はもちろん表情も殺気立っている。
「ちょっとまて! この子は―――あれだ、その………俺の―――」
従妹だ、と言おうとして、カケルはアマツの存在に気づいた。こんなウソ、アマツはすぐに見破ってしまう。第一カケルに従妹がいないことは、アマツはカケルと同じくらいよく知っている。
(どうする………どうする………!)
下手な魔術の演算よりもカケルは頭を働かせた。
「この子は、俺の?」
アマツが冷たい視線で見下ろしてきた。そのことにカケルは腹を立てたが、今はそれよりも理由を思いつくのが先だ。
(妹……ってもっとありえねえ! 隣人………事実だが理由としては弱すぎる!)
と、頭を抱えているカケルは知らず知らずのうちに少女の口から手を放してしまっており、そして自由になった少女がここぞとばかりに口を開いた。
「婚約者です!」
「「「「「「なにぃぃぃいいいいいいッ!?」」」」」」
クラス全員が絶叫する。ちなみにその中にはカケルも含まれていたが、あまりの声量にみんな気づかなかった。
(なんっつう理由を思いつくんだよお前は!)
「え? だって事実だもの」
当たり前のことを言ったかのようにきょとんとする少女だが、カケルは頭痛を覚えながら抗議する。
(事実じゃねえだろ! 第一そんなことみんなが納得するわけ―――)
「「「「「やっぱり、そうだったのか…………」」」」」
聞こえてきた声に愕然とするカケル。
「………する……わけ………?」
「みんな納得してるよ?」
クラスを振り返ると、みんな納得したかのように席についていた。どうも先ほどの少女の「身も心も―――」発言が効いてしまったようだ。
「…………ほう。面白いな、間宮」
耳に届いた絶対零度の声に、カケルは舌打ちしながら視線を戻した。
そこには、面白そぉぉぉうな顔をしたアマツがいた。
「お前は学校に婚約者―――もとい、彼女を侍らせる気か、んん?」
悔しいが、アマツの言葉にカケルは反論できなかった。婚約者ということを認めるわけではないが、今悪いのは明らかにカケルだ。
「…………………………」
「「「「「…………………………」」」」」
クラスに、重い沈黙が漂う。カケルを含め全員が、叱責を覚悟していた。
すぅ、とアマツは大きく息を吸って―――。
「よくやった!」
と言った。
「「「「「………………………………………は?」」」」」
カケルだけでなく、クラス全員が唖然とした。
「いやあ、よくやった、間宮! 男ならそれぐらいしなきゃならん!」
そう言って笑うアマツ。どうもこの教師は、これを黙認する気のようだ。いや、黙認というよりは快諾、と言ったところか。
「嬢ちゃんは間宮に会いに来たのか?」
「はい!」
少女はこの状況を見てうれしそうに返事をした。
その表情にアマツも満足そうに笑う。
「そうかそうか。ならついでに一緒に授業を受けると良い。私が許可しよう」
「ほんとですか!? やったぁ!」
(なんかとんでもないことをさらりと言いやがったこの教師………!)
そのやり取りにカケルはため息をついた。何とかこの場を切り抜けた(?)のは良いが、どうも単なる叱責以上に疲れそうな気がする。
「ところで間宮、この子は―――」
「あの、お姉さん? どうして弟のカケルを間宮って呼ぶ―――」
「「ッ!」」
おそらくアマツの思考を読んだのであろう少女の言葉にアマツとカケルは一瞬にして表情を凍らせ、電光石火、カケルが少女の口をふさいだ。幸い、クラスのみんなは頭に「?」マークを浮かべている。よく聴こえなかったようだった。
そして、少女に向かい合って思考で会話をする。
(………いいか。そのことは絶対に秘密だ! それと、俺も含めて人の思考を勝手に読むな!)
「ええー………」
不満そうな顔をする少女に、カケルは念を押した。
(人には誰しも触れられたくない秘密があるんだよ! いいな!)
「う、うん………」
すこししょんぼりした少女の様子にカケルは罪悪感を覚えたが、さすがに言うべきことは言わないとこの先不安すぎる。
「こ、こほん!」
アマツはわざとらしく咳ばらいをした。話を変えようと口を開く。
「そ、それで間宮。この子の名前は?」
「あ、私はバ―――」
(ストオォォォオップ!)
カケルは少女が口を開いたその瞬間に心の中で全力で叫び、少女の口を再びふさぐ。もはやキャラ崩壊この上ないが、今のカケルにはそんな余裕はない。
カケルは不審そうな表情のアマツに対しながらあわてて口を開いた。
「え、えっとだな、この子は………」
(ど、どうする!? 人の名前なんて付けたことないぞ!)
必死に思考を巡らせるカケル。
(名字は………紬だ! 紬家に住んでいるんだからな………そう言えば、どうしてあの家に棲みついて………いや、今はそんなこと考えるな!)
「こ、この子は………つむぎ………」
「紬?」
アマツが先を促す。なぜか少女は顔を輝かせて「わくわく」とか口で抜かしていたが、カケルは無視することにした。
(紬バジリスク………いやいや! それはないだろ! なんかないか……えっと、バジリスクバジリスク……語源はBasileus―――バジレウス―――レウス……紬レウス……いや、どうみても女だから………レオ………)
「つ、紬レオナ! この子の名前は紬レオナだ」
どうにか絞り出したカケル。少女の容貌はすこし日本人離れしていたのでちょうどいい名前だろう。
「………案外カケルってネーミングセンスないんだね………」
何か少女の口からとても腹が立つ言葉が発されたような気がするが、カケルは聞こえていないふりをした。
「そうか。じゃあ、紬。今日は見学していけ。いや、体験授業だ。魔術の素養があれば特別編入も考えてやる。何しろ間宮の―――」
アマツはちらりとカケルを見下ろした。その目はどこか面白そうだ。
「―――婚約者だしな」
(………この野郎………)
その態度に腹は立ったが、とりあえずピンチを切り抜けることができたカケルはほっと胸をなでおろした。
「……………」
「ん? なに? カケル」
カケルが少女―――レオナの顔を見ると、レオナはにっこりとほほ笑んだ。
(う…………)
この笑顔を見るとつい何でも許してしまいそうになり、そのことを改めて自覚したカケルはため息をついた。
かくして、陣柳市魔術学校高等部一年三組に、バジリスクが加わることになった。
お隣さんはバジリスク!? 二章・三章
一章から見れくれた人は初めまして。二章から見てくれた人にはお久しぶりです(逆ですね逆)。
一章は出会い、二章はすこし波乱の予感というか、そういうのを意識して書いています。自分は伏線を張るのが苦手なので、その辺を注意して書いています。
楽しんでくれた人はありがとうございます! 頑張って続きを書いてみようと思います!