部長浩平の苦労

天文部に動く四足を持ち込むな。

部長浩平の苦労
猫柳
パタパタと、忙しなく廊下を走る足音がする。一人部室で机に向かっていた浩平は、その聞きなれた足音に嫌な予感しかせず、今すぐどこかへ逃げ出したい衝動に駆られた。映画や漫画なら、窓から脱出するのが定番であろう。しかし、生憎ここは校舎の4階で、ご丁寧に転落防止の柵まで取り付けられている。部室の立地を浩平が忌々しく思っている間にも、足音はドンドンと近づいて、勢いよく扉が開くとともに人が飛び込んできた。
「浩ちゃん、浩ちゃん、浩ちゃん!聞いてよ、あのね!」
「帰れ!」
浩平を浩ちゃんと呼んだ――もっとも、浩平はちゃん付けで呼ぶには少々無理のある、がっしりとした体育会系の体型ではあるが――女子部員、由美の言葉を断ち切るように、浩平は怒鳴る。
「ひどいよこーちゃん!由美まだ何も言ってないじゃん。そもそもなんで後ろ向いてるの?会話する気ゼロじゃん!」
「うるさい黙れ帰れ!お前が俺の名前を三回呼ぶときは、碌なことが無いんだよ!とにかく今日は帰れ!」
言葉を途中で切られた由美は、口を尖らせて不満をぶつけようとするも、浩平は由美をチラとも振り返ろうとせずに、背中で怒鳴り返し続ける。
「ひどいよぉ……。うぅ~~~~~~。」
「唸るなうるさい!だいたいお前はなぁ……」
 浩平が小言を続けようとした時だった。ニャアという高い鳴き声が、突然部室の中に響いた。あまりにも場違いなその鳴き声に、思わず浩平も口を噤んで由美の方へと振り返った。振り返った先の由美の腕の中には、青い瞳と、耳と尻尾のついた黒い毛玉がいた。
黒い毛玉は、浩平をその透き通った青い瞳で静かに見つめ、まるで挨拶でもするようにもう一度、ニャアと鳴いた。
 無意識に、浩平の右手には力が入り、握られていたシャーペンはプルプルと細かく震える。お前というやつは……。そこまで何とか声を絞り出すと、一度大きく息を吸い、視線を黒猫から由美へ移した。何を勘違いしたのか、由美の表情は得意気で、浩平の血圧はこれ以上ないほどに上がった。
 「メダカだの蛙だの、亀だの!いろいろと拾ってくると思ったら、ついに囲えない動物に手ぇだしやがって!ふざけんな捨ててこい!」「大体、なんでそんなにやたらと動物が寄ってくるんだ、ムツゴロウさんかお前は!一人で生物部でも作って活動してろバカ!」
一気に捲し立てる浩平に、由美は一気に落ち込んで、俯いたまま駄々っ子のように「だってだって」を繰り返す。しかし浩平は態度を変える気はなかった。
 そもそも、ここは天文部なのだ。もし学校の敷地内で様々な理由で困っている小動物がいたとして、それを保護する義理など一切ない。しかしこの天文部の部室には現在、カメ一匹、メダカ十匹、カエル三匹とハムスター二匹が生活している。それらすべては、様々な経緯を経て、由美によってこの天文部にやってきている。
例えば、もっとも新入りのハムスター二匹は、先月事情により飼えなくなり、引き取り手も見つからずに困った男子生徒が、校舎裏に捨てようとしているところを由美が発見。引き取ってきたものである。もちろん事前に浩平への相談があるはずもなく、自分の都合でハムスターを捨てようとした男子生徒とともに、雷を落とされたばかりだ。
普段ならば、毎回何か動物が持ち込まれるたびに、浩平が由美を怒鳴りつけるが、特に効果もなく、結局は根負けし、ほぼ無理矢理飼育スペースを広げられていた。しかし今回は持ち込んだ動物が動物である。猫ともなれば、ずっと柵の中で飼っておくわけにもいかない。かといって、部室で放し飼いにするのは危険すぎる。ここは天文部としての活動もきちんと行っているのだ、研究レポートや天体望遠鏡など、荒らされたらひとたまりもないもので溢れている。
「でも浩ちゃん。この子、武道場の裏で震えてたんだよ?まだ小っちゃいし……きっと、ほっといたら死んじゃうよ?」
由美は、そんなことは耐えられないというように目を潤ませ、浩平を見つめる。女子の涙とは、いつの時代も破壊力抜群の最終兵器だ。幼いころからの仲で、由美の扱いには慣れている浩平に対しても、それは例外ではない。由美から目を逸らすこともできず、バツの悪そうに眉間に皺を寄せる。
「でもな、無理なものは無理だろうが。生き物を飼うってことをもう少し考えろ。」
「でもこのまま見捨てるなん嫌だもん!」
なんとかにわからせようと、怒鳴る声から、諭す声に変えて語りかけるも、すでに由美も意地を張ってしまっていた。
こんな時の由美に、何を言っても仕方がないと浩平は長い付き合いの中で知っていた。しかし、それでも分からせなければいけないときもある。どうしようかと考えを巡らせながら、浩平は天井を仰いだ。
――コンコン。
静まった部室に、乾いたノックの音が転がり込んできた。天文部の部員のなかに、わざわざノックをして入室するものなどいない。それ以前に、今日は浩平と由美以外の部員は何かと理由があって来ていない。嫌な予感が浩平の脳裏を駆け抜けていった。
「失礼します、監査委員の橋本と渡辺です。定例の会計監査に来ました。部長の神崎君はいますか。」
 なぜこうも嫌な予感だけは的中するのか。「どうぞ。俺ならココだ。」と、答えながら、元から猫の件で渋かった浩平の顔は、さらに渋くなった。部活や生徒会の予算の承認と、予算が正しく使われているかを調べるのが、唯一この高校で独立した委員会である監査委員会である。
 そして、年に2回ほど監査委員に提出した決算書類とともに、実際に部室の中で、予算の使い道のなどを説明しなければならないのが、会計監査である。
――よりにもよって、由美が猫なんか拾ってきた日に……。しかも担当が七隈線コンビとか、とことん間の悪りぃ……。
 監査委員と言えども、相手は同じ生徒だ。ほとんどは何の問題もなく監査を終えることが多い。しかし、浩平が七隈線コンビと呼ぶ、橋本と渡辺のコンビは、特に橋本が浩平へなぜか敵対心をむき出しにしているせいで、とことん天文部と相性が悪い。
前回の監査でも、さんざん嫌味を言われて浩平が怒鳴るのを必死にこらえていた。
 「おや、今度は猫ですか?いい加減部名を変更したらいかがです?そうすれば堂々飼育のために予算を使えますしね。」
橋本は部室に入るなり、黒猫を見つけ、ニヤニヤと嫌味を言った。
「まるで天文部が、申請した内容以外で予算を使っているような言い方はやめてもらえるか。そんな事実はないと、前回の監査できちんと説明したはずだぞ。ここのカメやメダカは顧問の了承をとってるし、飼育に必要なものは部員からのカンパだ。」
 この手の人間には毅然と言い返すのが一番手っ取り早い。浩平はまっすぐに橋本を見返す。視界の端では、渡辺がこちらには興味なさそうに、書類と部室の備品の確認を淡々と行っていた。毅然と言い返された橋本は、不機嫌そうに視線を逸らした。そして、逸らした視線が由美と合った瞬間、人間の卑屈な部分をわかりやすく表すように、口角を吊りあげてニタリを笑った。
「確かに、これまではそうかもしれませんね。しかし、その猫はどうなのですか尼崎さん?まさか部室で飼うつもりで、拾ってきたのではないですよね?」「猫ともなればさすがに顧問の許可はとれないのではないですか?取れなかったときはどうするつもりですか、尼崎さん?」
由美と目をしっかり合わせ、さらにあえて名指しで話しかけている。分の悪い浩平ではなく、由美を相手にすることにしたようだ。悪意ある視線にとらえられた由美は、目を逸らせず、黙り込んで質問のも答えられない。
――ほんっとに、胸糞悪りぃ……。
浩平は会話に横から会話に入る間合いがつかめず、横でさらに顔を渋くした。その横で、橋本は由美が黙っているのをいいことに、さらに一方的に続ける。
「大体、ほかの動物も全部尼崎さんが連れてきているらしいじゃないですか。もう少し考えて行動したらどうですか?」「はっきり言って、副部長としての自覚が足りていないと思いますよ?きっと、部員の皆さんも迷惑してるんじゃないですかねぇ。特にほら、部長の神崎君なんて、もう呆れるの通り越して、あなたの事嫌いなんじゃないです?」
「橋本、そこまでだ。」
橋本の顔からニヤニヤした笑みが消え、再び視線が浩平に戻された。
「部員、ましてや俺個人が尼崎をどう思っているかなんて、監査には関係ないだろう。それに副部長の人選もだ。」「尼崎には尼崎なりの、副部長に選出された理由があるし、実際によくやってくれている。それを勝手に監査委員に推し量られる筋合いはない。」「それからその猫の件だが、あくまで引き取り手を探すまでの一時的な保護だ。無論、許可はこれから取りに行かなくてはならないがな。」
そこまで一息に言い終わるまで、橋本は浩平から目を逸らさなかった。逸らせなかった、とも言うべきかもしれない。その顔は、浩平の迫力に気圧され、少し引き攣っていた。しかし、それでも橋本はすぐに言い返してきた。
「きょ、許可が取れなかったらどうする気だ!それに、引き取り手だって何時現れるかわかんないだろう!」
「なら、俺が飼うよ。それでいいだろう。今日からこの猫は俺の猫だ。もういいか?渡辺はもう監査が終わったみたいだが?用が無いならもう帰ってくれ。」
 橋本はとうとう苦虫を噛み潰したような顔になり、渡辺を連れて部室を去って行った。少し手荒に扉が閉まったのが、せめてもの仕返しだろうか。
 再び二人っきりになり、静かにになった部室。由美は、橋本が来てから一言も発していない。
 「ごめん…なさい。私がいつも考えなしだから…浩ちゃんに迷惑かけてばっかで…。」
ポツリポツリと、由美が口を開き始めた、しかし、浩平はそれもすぐに断ち切った。
「もういい。さっき橋本に言った通りだ。たしかに考えなしだが、お前は普段はよくやってくれてる。猫の引き取り手も決まった。もう大丈夫だろ。」
「うん。ありがとう。浩ちゃんやっぱ優しいね。」
「涙が乾く前からそんな幸せそうに笑ってんじゃねぇぞバカ。やっぱもうちょっと萎れとけ。」
「ひっどい!あ、ねぇねぇ、この子の名前!どうする?」
 すっかり普段の調子に戻った由美は、猫の名前を決めるべく、どこからか国語辞典を引っ張りだしてきた。
 ピッタリな名前にしたい。でも安直なのは嫌だと、あれこれ悩んで、しばらくして、「決まった!」と、浩平の傍による。
「この子の名前、『うちなー』にする!」「あのね、この子の眼、すっごく綺麗でしょ?海みたいで。海と言えば沖縄でしょ?それでね、沖縄の方言で、沖縄の人を『うちなんちゅ』っていうの!ね、ピッタリでしょ?」
パッと咲いたような笑顔で由来をうれしそうに語る。
 「一生懸命考えたのはわかったが、こいつ俺の猫だぞ?なんでお前がつけたんだ?」
「え…ダメなの?」
先ほどの笑顔が嘘のように、しょんぼりと萎れる由美。そんな様子に、思わず笑いながら浩平は言う。
「ま、いいけどな。こいつが嫌じゃないなら。どうだ?気に入ったか、この名前。」
浩平に話しかけられた黒猫は、ニャアと返事をした。
「いいみたいだぞ。よかったな。」
「うん!じゃ、決定ね!時間も時間だし、部室の鍵返してくる!一緒帰ろ、待ってて!」
そう言って、由美は鍵を持って部室を出て行った、パタパタと忙しない足音が遠ざかっていく……。
 「どうだ、騒がしくて面倒くさくて、困った幼馴染だろ?でも、そんな奴だけどお前の命の恩人で、俺にとっての大切な幼馴染なんだ。」
独り言のように、浩平に語りかけられた黒猫は、言葉の意味と、浩平自身ですら、まだはっきりと気づいていないかもしれない淡い思いを、知ってか知らずか、太鼓判を押すように、浩平の眼をしっかり見つめて、ニャアと自信気に返事をした。

部長浩平の苦労

文芸部で初めて書いた小説です。

部長浩平の苦労

真面目な天文部部長と、ムツゴロウ系天然副部長のお話。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-15

CC BY-NC-ND
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