見えない方がいい
テスト作品
去年の新学期が始まって幾らか過ぎたころだ。午前の講義を終えて、仲のいい連中と昼食をとってた。
その中の一人、Kと言う、が俺にサークルの取材をしてくれないかと頼んできたんだ。
俺の所属している新聞サークルでは、四が月に一度、校内新聞を発刊していて、そのほとんどは運動サークルの大会結果や学校の行事の告知、サークルの勧誘などで埋め尽くされるが、新聞の一部は担当になった部員が独自にネタを集め記事を書く事になっている。この記事はめんどくさいことに持ち回りで、この時、俺に担当が回ってきていた。
Kは非公認のオカルトサークルに所属していて、自分の所属しているサークルの名を広めようと、今度行う儀式を新聞に載せてほしいとのことだった。まさか今どきそんなことをしている奴がいるなんているのかと笑いそうになったが、これは本物だとやけに熱弁していた。なんでも部長がわざわざ海外に赴いて、その筋から買ったらしい。
もちろん、そんな胡散臭いもの書くなんて嫌だった。記事には担当の名前も載るから、何を言われるか、下手したら就職にも影響が出てしまう。でも、特にネタもなったのも事実だったし、なによりKの熱意に負けて、俺は取材に行くことにした。オカルトサークルに参加しているような奴だから、少しばかしネジの抜けた性格だったが、この時ばかりは素直に喜んでた。そんなんだから、少しはやる気を出してやるか、って取材の準備をしてたんだが、Kから連絡は来なかった。それどころか、次の日から学校にすら来なくなって、メールも電話も繋がらなくなった。そんな状況が二週間ほどたった。こりゃ、ひょっとして何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかって、心配になって、友人たちとそいつの家に行ってみようってなった。誰もそいつの家を知らなったから、教務に適当なこと言ってアパートを調べるところから始まった。
そして、Kの死体を見つけたんだ。
鍵が開けっ放しで、呼んでも返事がないから、ちょっと入ってみようって、ドアを開けてみたら酷い匂いがした。特に腐敗臭、肉を腐らせた匂い。この時にすでにヤバい気がした。普通の状況じゃないって。
くせぇ、くせぇってみんなでボヤキながら鼻を押えて部屋に入ったんだ。そうそう、そいつのアパートは玄関を開けたら、まず台所があるタイプの所なんだが、そこが妙に濡れてるんだ。明かりがなくてよくは見えなかったが先頭だった奴が冷てぇって言ったから、気が付いて俺は踏まずに済んだ。そして、ドアを開けたら、もう辺り一面血の海だった。血の海のど真ん中でKはうつ伏せで浮かんでた。台所が濡れているのもそいつの血だったんだ。
死んでいるのは明らかだった。素人が見ても致死量の出血をしていた。誰も何もできなかった、ただ茫然とその光景を見ているしかなかった。現実からかけ離れた光景だったんだ。誰も目の前の光景を信じたくなかった。
どのくらいその光景を眺めていたのかは分からないが、何を思ったのか一人がKの死体のそばへと近づいて行った。そして、そいつの顔を持ち上げたんだ。後で聞いたら生きているかもしれないと思ったらしい。そう信じたくなるのも分かる。俺も目の前で友人があんな風に死んでいるなんて考えたくもなかった。
真っ青な顔だったよ。白いんじゃない、青いんだ。ナスみたいな色になってた、そして、口、鼻、耳、目、顔の穴から血が出ていた。人間の死に方じゃなかった。見ただけで、吐き気、目眩、寒気、冷や汗がして、その場に倒れこんでしまいたかったが、それでも、そいつから目を離すことはできなかった。
そして、首を持ち上げた時に、とろんって何かが俺の目の前まで転がって来たんだ。とろん、だぜ? 球状だが妙な柔軟性を持って、血を跳ねることなく転がって来た。それが眼球だとはすぐにはわからなった。赤黒く染まっていて、血と同じ色になっていたから、血の塊かと思ったんだ。それでも、瞳がこちらを向いているのはハッキリとわかった。赤く染まっていても、死後幾日が過ぎていても、瞳だけは光を持っていて、俺をじっと、冷たく見つめているんだ。垂れる血が泣いている様に見えた。
それを皮切りに、皆、パニックになった。叫び声をあげる奴、吐くやつ、腰を抜かす奴。そんな中でも俺は自分を見つめるその眼球から目を離すことができなかった。俺が覚えてるはそこまで、次に俺の意識がはっきりしたのは警察署の前、横にいた友人に聞くと事情聴取が終わったっと言った。俺は自分が何を言ったのか覚えていない。
Kのアパートに行った奴で、一人は精神を病んで病院送りになった。残った奴でも、その話はタブーだという雰囲気があった。もっとも、その連れたちと話すこと自体あんまりなくなった。みんな早くあの光景を忘れたいと一心だった。
けれども、俺はそういうわけにはいかなかった。記事を書かなくちゃいけなかった。もう適当なネタを見繕ってもよかったんだが、どうしてもあの眼球が忘れられなかった。記事にしてくれって、Kの怨念が残っていたのかもしれない。その視線から逃れるために俺はこの事件について書くことにしたんだ。
とは言っても、記事は始めから頭を抱えた。どこにあるのかも分からない、学校にも申請されていない非公認サークルを見つけるなんてどうしようもなかった。新聞サークルの連中にそのサークルについて知っている奴が何人かいて、部員に連絡が取れないかって頼んでみたが、どうも連絡が取れないらしい。巻き込まれたんだなとはすぐにピンと来た。どうやらKだけで儀式を行ったわけじゃないみたいだ。
始めっから詰まって、これは駄目かもしれないって思った。けど、偶然、俺はKが所属していたオカルトサークルについて知ることができた。本当に偶然だった。そこの部員が校内新聞にサークルの勧誘を載せてくれって頼みに来たんだ。どうも、最近、急に部員がいなくなったので、とにかく補充が必要になったらしい。何故そうなったかは知らない様子だったけど、教えなかった。君の先輩たちは悪魔に呪いをかけられたのさ、なんて言えなかった。今思えば、オカルトサークルに入っている奴だから言ったほうが良かったかもしれない。
とにかく、そいつから部長の場所を聞き出した。なんでも今、入院しているらしい。生きていると聞いてほっとしたが、会いに行きたくはなかった、会いに行ってみたらKと同じような姿に、もしかしたら俺の目の前でそうなるんじゃないかって畏怖した。それでも唯一の情報源だったから腹を括るしかなかった。
予想と違ってそいつは元気そうだった。県立のいい病院に入院しており、しかも、個室を与えられていた。悪趣味な物品を買いに海外へ行くと言うぐらいには金を持っているようだった。ただ、顔の色は青く、ガリガリに痩せていた。そして目を隠すように包帯を巻いていた。Kとよく似たにやけた笑みを受けべてベッドに座っていた。
渋るかと思っていたが、そいつはぺらぺらと事の詳細を話してくれた。
まず、今回行われた儀式というモノは、悪魔の召喚や、蘇生の秘術などではなく、可視の魔法だという。彼、曰く。見えざる者と交渉するための魔法らしい。
それは、ちょっとした心得と道具さえあれば誰にでもできてしまう単純な代物で、本当はもっと念入りに準備をして儀式を行うつもりだったんだが、俺が取材が来るってもんでKが張り切って計画を早めて、リハーサルをしようと言い出したんだ。そしてリハーサルは成功した。成功してしまった。その結果、参加していた部員たちはああなってしまった。
「どうして、その交渉技術とやらであんなことになるんだ?」
「その相手が問題でね。なんで見えないと思う?」
人が死んでいるというのにこいつはどうしてこんなにも楽しそうに話せるのだろうかと、終始、眉間に皺が寄っていたが、目が見えない彼は気に留めもせずに話を続けてくれた。
「もし、もしもだ。とある物質Aがあったとしよう。そしてAが見えるだけで生きる上で不利になるというのなら、Aが見える生物種は淘汰されていく。そうすると地球上にはAが見えない生命しか残らない。そこらじゅうに存在しているのに、僕らはそれを認識できない。いや、したらいけない。アレはそういうモノなんだ。極論を言えば視覚感染ウイルスだよ。アレを視覚するだけで感染する。始めはちょっと鼻血が出るぐらいだけど、アレを視覚するにつれて症状は悪化していく。どんどん出血がひどくなっていき、最後には死に至る。僕は知識があったから咄嗟に目を潰したから何とか助かった」
やつれた指が包帯で隠された目を撫でなでた。その口元は相変わらず嘲笑を浮かべていた。
「見ただけで死んでしまうのに、どうして交渉なんてできるんだ?」
「視覚感染ウイルスなんだよ。ウイルス。稀にね、それを目視しても、なんともない人間が存在する。その人間のみがアレとの交渉が可能となるんだ」
「なら、どうしてそんな儀式を行ったんだ。死ぬかもしれないと分かっていて」
「まさか本当に見えるようになるとは思っていなかった。と言うのが9割かな」
そこで彼は口を閉ざした。俺が聞くのを待っているのだ。聞きたくはなかった。でも、話は進まない。
「…・…あとの1割は?」
そいつの口元が三日月のように湾曲した。黄色く汚れた葉が見える。背筋に冷たいものが走り抜けた。
「好奇心だよ」
「好奇心?」
「もしかしたら、自分なら耐えられるかもしれないと、どうして考えないんだ」
血の気が引く。そんなことを本気で言っているのかと侮蔑した。同時に、己の知らない領域に踏み込んでいることを感じた。これ以上、話を聞きたくなかった。早くこの場を去りたかった。
「それは、一体、どんな形をしているんだ?」
どうして、こんな質問をしたのかは分からない。口は勝手に動いていた。
その質問に、そいつはしばらく沈黙した。包帯の巻かれた目で窓の方を見た。すでに日は暮れていて病室をオレンジ色に染めていた。日がじりじりと頬を焼く。
「君は梶井基次郎を知っているかい、桜の木の下の著者だ」
その名前には心当たりはなかったが、本の方には聞き覚えがあった。高校か中学の時の現文の教科書に載っていた。ひたすらに桜が持つ魅力について、狂気じみて話している作品だ。
「僕は、なぜ彼が桜について、あんなことを書いたのか分からなかったが、アレを見てそれが解けた。きっと彼もアレを見たんだろう。見えてはいけないモノなんだ、それを説明する表現なんてあるわけがない。でもアレが何かと聞かれればそう答えるのが最も適切だろう」
そこまで話して、看護師が面接時間の終了を告げに来た。ちょうど気分が悪くなってきていたので、絶好の渡り船だ。続きはまた後日と言って席を立つと、そいつの手が俺に飛びついて来た。驚愕して悲鳴を上げそうになるのをこらえた。痛い程に力が込められていた。
「まだ話は終わっていないから、また来てくれよ」
包帯がなければ一体そいつはどんな顔をしていたんだろうか。包帯越しに伝わるその気迫に俺はただ、ああ、と返事をするのが精一杯だった。そいつはそれを聞くとベットに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
病院からの帰り道、満開の桜が並んでいた。先ほどの話を思い出す。同時にその下でタコの足のように伸びた根が死体を包み込んでいるのが見えた。
確かに、どうしてあの作者は桜についてあんな書いたのだろうか、花なら何でもよかったはずだ、桜よりもきれいな花を咲かせる植物なんてごまんとある。それでも作者は桜だけを選出して書いてた。思ってみれば、桜には不思議な雰囲気がある。他の花にはない魅力があるのは事実だ。もしかすると俺たちは無意識の底で、桜が、その見えてはいけないモノと似ていることを認識いしているのかもしれない。
そういえば、まだ話はまだ終わっていないと言っていた。例えすべてが彼の妄想だったとしてもことの始まりとその結果まで話したようにも思えた。一体、何の続きがあるのだろうか? 次に会ったときに話を聞かなければ。
そいつと会うことはもうなかった。俺が取材をした夜、肌を青色に染め、ベットを真っ赤に染め上げて絶命した。更に幾日かすると、同じ症状の学生の死体が、更に3つ見つかった。
大学の生徒たちの間では、この話題に持ち切りとなったが、俺はもうこのことを記事にするつもりはなかった。このことは正気の沙汰ではない。誰も真実なんて信じてくれないだろう。このまま学生たちの噂となって消えていくことを願う。このことを記事にはしないと決めても、ここにこのことを書いたのは、もしも将来、同じ状況に陥った人がいるのなら、その人に、最小限度の手助けとして、これを残そうと思ったからだ。
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