あいさつの話

 ちょいちょい見かける、道端であいさつをしている人。太陽が降り注ぐ中、彼らは笑顔であいさつを投げかける。今日も一日いい日でありますように、とでも言いたげな笑顔で。

爽やかな朝の話

 あいさつの話

 仕事がら、時々朝っぱらから道端に突っ立って、通りゆく人達に片っ端からあいさつをする時がある。対象は、ほとんどが十代後半から二十代前半の若者だ。一日二、三十分程度だが、常に笑顔を絶やさず、三秒に一回ペースで「おはようございまぁーす」と言い続けると、終わるころにはなかなか体にこたえる。
 最初は、いい歳こいてあいさつかよとこっ恥ずかしい気持ちもあり、口の端が持ち上がりきらないまま「あ、おはよぅござぃまぁス……」と掠れたあいさつだったのだが、十分もやると「なんで早起きして返ってこないボールを投げ続けなけりゃならんのじゃ。そもそも仕事とはいえ労働時間外じゃねぇか。金寄越せ金」とボランティア精神皆無かつ朝に弱い僕は怒りででかい声が出るようになった。目の血走った笑顔で「おはぉござあま!」と叫ぶ男なんて、道端にいない方がよっぽどマシだと思う。
 好きこそものの上手なれ、というが、嫌いなことでもやっているうちにミリ単位でもマシにはなる。三日もやると、煮えたぎる怒りと強い睡眠欲を押し込めて「おはようございまぁーす」と言えるようになった。傍からどう見えていたかは知らない。姿見を前に練習するほどの情熱もないし、道端に姿見もなかった。
 あいさつする内に、個人的には面白いことを見付けた。一人で歩いている人の方が、複数で歩いている人より反応があるのだ。一人の場合、声をかけると大体軽く会釈をする。ウォークマンを聞いている人や、携帯電話をいじっている人も案外会釈してくれる。あいさつを返してくれる人も中にはいる。大抵が、聞き取れるか聞き取れないかくらいの声で「……ぁよ…ざい……」という感じである。真っ暗闇で後ろから聞こえたら、多分もらすだろう。一人で歩いている人とは、意外と目も合う。相手が数十メートル先からこちらを発見した場合、「あぁ、あそこにあいさつしている人がいるなぁ。あいさつされないといいなぁ。返したくないなぁ」といった憂鬱な視線を投げかけてくる。そういう顔の方が、どうしたわけか僕は目が合いやすい。バッチリ目が合うと、相手は眼球の動きだけで目を逸らす。こちらはその人に向かって「はいっ、おはようございまぁぁぁす」と歩いている野良猫が尻尾を立てて振り向くくらいので声量であいさつをぶち当てる。かわいそうに、相手は口をへの字に曲げて「こいつくたばればいいのに」と呪詛の念を込めて会釈をし、あるいは「……ぁよ…ざい……」と言葉を返す。
もちろん、大いなる偏見のこもったものの見方であることはわかっている。僕が一人で歩いている時に、おおよそ先述のような感じでいるから、世の中全ての一人で歩いている人が皆自分と同じようにみえるのだろう。あいさつされれば「こいつくたばればいいのに」と思い、知り合いに声をかけられれば「なんで俺を見付けるんだ」といらつき、宗教勧誘が声をかけてくれば「こやつらに雷を」と歯をむく。
複数で歩いている人は、でかい声であいさつを返すか、なにも返さないかのどちらかだ。二人で歩いている人は、たまに「ぅはよぉざいぁ……」と微妙なあいさつを返すこともあるが、大抵はでかいかシカトかの二択である。彼らの気持ちは、友達がいないからわからない。
そうして、一人で歩いている辛気臭い顔の人には、同族嫌悪から出る嫌がらせを込めて。そして、このあいさつ攻撃に負けなければお前ら友達くらいつくれるよという想いを込めて。複数で歩いている人に向かっては、その楽しげな会話の邪魔をしてやるという真っ黒な感情をこめて。たまに咳き込みながら「おはようございまぁーす」と声をかける。そんな僕と歩く人達に、爽やかな太陽が等しく降り注ぐ。

あいさつの話

 あくまで個人の話です。きっと爽やかな笑顔の人は爽やかな内面をもっているんでしょう。きっと。多分。Maybe。

あいさつの話

爽やかな朝の話。いい一日の始まりの話。僕もあいさつに明け暮れる。馬鹿みたいなペースで、速射砲みたいに。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-14

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