重力と雨の下で
お題:喋る○○
ぱらぱらと疎らな音がいつしか強まって、窓や屋根を叩き続けている。
窓の向こうに見える世界は、雨に打たれて色を滲ませていた。
草は潤い、土は淀み、そして彼女は空を憂う。
「私ね、雨が嫌いなのよ。午後から雨が降るなんて知ってたら、今日は意地でも学校なんて行かなかったのに……」
窓を伝う雨粒を細く白い指でなぞり、撫でながら。
そっと、溜め息混じりに呟いた。
「……知ってるよ、君は雨が降った途端に不機嫌になるからね、分かりやすいって」
そもそも彼女は、どんなときでも雨傘を手放さないし、手放せない。
真っ黒なセーラー服に合わせたような黒い雨傘を、今だってしっかりと抱き寄せている。
彼女の恐れを、僕が理解することは出来ないだろう。
「別に私、怖いってわけじゃ……、ないんだから」
あくまでも「嫌い」であることを、彼女は強調する。
その強がりかたは子供のようで、普段は凛々しい彼女のスタイルが、可憐へと綻んでいるように見えた。
「いっそのこと雨なんて降らなければいい、なんて何回も何回も考えてはいるのよ、だけどね、それは私たち人間が言うにはおこがましいことなんだって、そう思う」
雨が教室を閉ざしたなら、ここはもう彼女の世界。
「雨がなければこの星に生命なんてものは無くて、私たちみたいな小さな存在は生まれて来なかった。……総ては、重力のつくりごと」
彼女の深い灰色の瞳は、相対して座る僕を遥かに越えて、億年の過去を見つめている。
「雨は重力に従って降ってくる、私たち生物は降り注ぐ重力に逆らえないから、飛ぶことなんて出来はしない」
そして一瞬の呼吸と沈黙の後、彼女は僕に問いかける。
「言葉は重力だと思わない? 形なんか見えないのに、忘れようとしたって私たちの心はいつまでも言葉を引きずり続けてる」
「……それが、人の重さだって言いたいんだ、君は」
理解出来ない話なんかじゃなかった。
「人間はね、きっと喋る重力なのよ」
彼女の言葉は、鉛のように重く、そして柔らかい。
「人間は自分の意思を鳴き声じゃない、はっきりとした言葉で表現できる、繰り返すだけの鳥とは違うの」
彼女が語りながら頤を下げると、ウェーブのかかった黒い髪が表情を隠す。
「……君はそれを分かっているから、そして怖れているから、語ることを避けるんじゃないかしら? 頑なに、無口な人間のふりをして」
「……僕はただ、誰かの迷惑にならずに、ひっそり生きたいだけだよ」
僕が語る言葉は、誰かにとっての刺になるかもしれない。
その「可能性」を想像するだけで、怖くなる。
「目と耳をふさいで口をつぐんだ人間になろうとしたんだよ……僕は」
そうすれば、恐れる僕も、苛立つ誰かもいない世界だ。
「……でもね、無重力のままじゃ人は生きていけないわ」
「だから、こうやって君といるんだよ」
君が雨に怯えないように。
僕が人に怯えないように。
結局、雨足はどんどん強くなった。
だから、帰れるうちに学校を出た。
傘を重ねて、彼女の手を引いて。
普段と逆だと、自嘲するように言われても。
分かれ道が近づくにつれて、彼女の足取りは強さを取り戻していった。
雨に溶けそうな声でお別れを呟いて、彼女は雨の向こうへと消えていく。
「言葉が重力だっていうならさ……『また明日』って言えよな……」
……それはまぁ、お互い様。
そして僕はまた一人、重力と雨の下を歩き出す。
重力と雨の下で