考える僕ら

 脳内にある、意識されない思考……それが僕らだ。計測器にはただのむらとして映る僕らは、それでも、考える「個」としてありたかった。
「……もう寝たかな?」ちらりと確認すると、体内時計は深夜を指している。
「応答がないところを見るとそのようだな」
「やっと私たちの時間が始まるのね。みんな、おはよう」
おはよう、と四方八方から思考が送られてくる。僕らには決まった境界線なんて無いけれど、意識が統合することも、そう頻繁にあるわけじゃない。僕らは自分たちのことを「断片的意識」だとか、「無意識下の思考帯」だとか好きに呼んでいる。僕は単に「意識」と表現するのが好きだ。僕らにはそれぞれ好みがある。考えがある。意識によっては、宗教だってある。僕らは完全に分割された思考ではないけれど、互いに慰めあったり、時には「本体」と接触することだってある。先の返答だって、「本体」に最も近い意識が「本体」である意識、大意識とか主意識とか呼ばれるものに連絡を取ろうとした結果だ。「本体」は僕らのことを認識していない、というより、僕らがあまりにあいまいで小さな存在であるから、認識出来ないのだが、大意識の下っぱに連絡を取ることぐらいは出来た。
 僕らは、毎日、大意識が眠りにつくと、こうして互いにやり取りをして交流することで、なんとか自我を保っていた。他を知ることで僕らは自らを規定出来る。あいまいな外枠に、仮の線を引くことが出来る。
 体内時計は早朝を告げて、視神経近くの意識から、情報が入った。今夜もそろそろ終わるだろう。また明日、また明日、きっと会おう、「本体」に取り込まれなければ。

考える僕ら

考える僕ら

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-14

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