桜の下

確かに昨日の雨は寒くて、三寒四温を無視していよいよ氷河期が来たんじゃないかと心配したが、案外マイナスだけではない気がする。

私立高校(それも最近出来たばかりの校舎がある)出身の私にとって、大学の初授業を行った教室のヒンヤリした空気は非常に厳しかった。
摂氏10度であるうえに、冷暖房がない。
古い校舎なのは分かっていた。でも、石油ストーブなりボイラー式のエアコンなり、あってもいいだろう。
ああ、くそ、寒い、と思いながらも授業に耳を傾けていた。

「私の出身は、桜が丘って言ってね。桜が本当に綺麗なんだよ」
先生が桜の話をした。
大した話ではなかった(正直この言葉しか覚えていなかった)けれど、その時に目線が窓の外に移った。
桜の木が風に揺れている。昨日の雨のせいで少し勢いが無いようにも見えたが、私の心を奪うには充分に美しい桜だった。
きっとあの桜の下に居たら青い空と桜吹雪と、いっぺんに見れるだろうに。
「ねえ、折角の桜なんだから一緒に抜け出さない?」
隣に座っていた友人に小声で誘う。
だが彼は憮然とした顔で私を一瞥した。
昔からこうだ。生真面目で寄り道しない性格。
「馬鹿野郎、今授業中だろ」
「つれないなあ」
頭の硬い男を置いて、私はまた桜に目を移した。

桜に魅入られた私は、先生の隙を突き、窓の外をもっと近くで覗いてみる。
桜の木を二、三本ほど囲った花壇の土が薄ピンクに染まっていた。
冬の新雪によく似た桜の花のカーペット。
まだ誰も足を踏み入れていないその場所は、私を優しく包み込んでくれるんじゃないか。
考えた時には既に、私は窓を開け放ち三階の教室から外へ飛び出していた。
春のくすぐったい空気が全身に伝わって、冬の名残りの冷たい風を切って落ちる。
この桜の花のカーペットを作ったのは紛れもなく昨日の雨なのだ。
一人微笑んでみたが、案の定桜の木の根に頭を打ち付けて意識を失った。

「おい」
つれない友人の一声でぼんやりと意識を取り戻したのは意外にも後だった。
彼は自分の鞄の他に、私の鞄も担いでいる。
多分、授業終わりで降りてきた時に私を見つけたのだろう。
「何でそんな所で寝てるんだよ」
「うーん」
上半身だけ起こし、顎を掻いて言い訳を探す。
「君の方こそ、私の荷物まで持って、私を捜しに来てくれたんじゃないの?」
悪意のある私の言い訳を聞いた瞬間、彼の顔が歪んだ。顔が確認出来る程、私の意識は回復しているようだ。
「そんな」
彼が言いかけた時、春一番並みの突風が音を立てて吹いた。
思わず私も彼も目を細める。それでもしっかりと見えた。
桜の花のカーペットが舞い上がって、見事な桜吹雪となって風に流されていくのを。
桜吹雪の中、私と彼は呆然と立ち尽くす。
ああ、また更に桜に魅入られてしまった。

「桜吹雪を見に来たの」
桜吹雪の余波も収まり、桜の花のカーペットも散り散りになった花壇の上で彼に言う。
大学の授業中に窓から飛び出す理由にしては、あまりにもしょうもない理由だ。
「全く、大学早々何してやがる」
予想通りの答えが返ってきた。再び仰向けに倒れて、緩く笑う。
「まあ」
しかし、ここから予想外。
彼も花壇の上に座り込んできたのだ。
そして私の顔を覗き込んで、珍しく、不敵に微笑む。
「お前のそういう所、嫌いじゃない」
静かに風が吹く。
「綺麗だな」
「うん」
空の彼方へ消えていく桜を、つれない友人と共にいつまでも眺めていた午後だった。

桜の下

桜の下

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-11

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