突き抜けるようなあの青い空の街で王女は黄昏る《第二話》(1)

謎の女性

ミレーユとサダックが会ってから次の休日までのこと。
ミレーユの体の傷は国王には知らされず、傷の痛みを隠し、癒しながら、次の休日を待ちました。
毎週の「芸術にいそしむ」という名目で城からの外出許可が下りるのを待って。
その日、ミレーユはサダックと言う男を恐れながらも、ガーデンと共にその男の根城を見つけ出しました。
それは木で造られた三角屋根の粗末で小さな掘っ建て小屋でした。
街の賑やかな中央通りを通りぬけ、軒並みの家々の閑静な住宅街を越え、
やがて中央の人波が次第に見えなくなるまで進み歩んだ場所。青々とした草花が広がる
大草原が辺りを包む、カーフィの街外れの静然とした風景の中にぽつんとありました。
そこは国の賑わう中心とは違い、心を落ち着かせる自然の音しかしません。
南からの風が、草花をそよがせる風音が耳に心地よく聞こえてきます。
その静かな街の中の辺境で、ガーデンは小屋にノックをしたりサダックの名前を
大声で呼んだりしましたが誰も出てきません。
ミレーユは小屋から一歩引いたところで様子を伺っていました。
しかし、小屋に来て二十分ほどした頃、ガーデンに疲れの色が出てきたのを察して
ミレーユはその日、サダックに会うことをしぶしぶ諦めました。
ガーデンは週に一度の機会ですからと続けようとしましたがミレーユはそれを止めました。


城に帰って来たミレーユはなぜか安堵しながらも、そういえば……と不意に思います。
サダックをこの数日、城の中で見ていないことを。
城の者に聞くと、サダックは最近よく国王に呼び出されていたと言います。
そんな話に幾分かの疑問も持ちながら、ミレーユとガーデンは毎週サダックの根城に出向きました。
しかし、どういう訳だかいつもサダックは留守で会うことはできませんでした。

そんなことが二カ月続きました。
城の中ではサダックの所居についての噂話が人々の間でささやかれるようになりました。
それは、『兵器開発部門の副所長サダックが消えて二カ月だ。あの無慈悲な国王の事、
サダックは何か仕事上の不始末を仕出かして、暗に処刑されたか、
地下牢に閉じ込められたかしているに違いない』との噂でした。
それを聞いたガーデンはその噂を信じこみ、いささかの不安、
というより恐怖心のようなものさえ感じているようでした。
その思いからガーデンは、心の内でミレーユ王女を今回のサダックの一件から
身を退くように説得しようと思い始めていたのです。
ミレーユ王女の心中はその時どうだったのでしょうか。父親の国王の横暴ぶりは耳にしていたし、
サダックには『カラクリ鳥』や『銃』などの兵器になにやら得体のしれないものを感じていたので、
城の噂に根拠がなくともその噂を信じざるをえなかったかもしれません。

ところがです。

ミレーユはサダックに会えない日々が続く中、自分の心の中に膨らんでいる城での人々の噂が
萎んでいくことに気付きました。

それはミレーユの心にこんな信念があったからです。

――『噂をうのみにしてはならない』

それは、ミレーユがその短い人生で培った処世術とも言うべきものでした。

ミレーユの幼い頃、『西のゴロンの森でカーフィの兵士が猫叉と言う化け物に喰い殺された』と言う
数十年前の噂が再燃した時のことです。母親の王妃セリーヌはその噂と同じ時期に故郷の国へ帰ったのです。
そのことが事もあろうか民衆の間で王妃は猫叉に恐怖し、故郷の国へ帰ったのだという噂が立ってしまったのです。
国中の者が当時それを信じ、恐怖したものです。
それ以後、その噂によって国中の人々が不安に声をあげ始めた時、国王のエリックは
『我々は戯言に耳を傾けてはならない、目で見た物を信じよ!』と国民に告げました。
その言葉によって国のざわつきが嘘のように治まりました。
これまで、エリック国王が民衆にお告げを出すなど滅多になかった事なので、その言葉から国民達は、
今のこの国の自分たちの浮ついた事態に危機感を感じたからでしょう。

ミレーユは父親の国王の事は嫌いでしたが、父親が民衆に問いを投げかける姿が当時、
脳裏に焼き付いてしまい、表面的には父親を拒みながらも、自分の心の深くにその父親の言葉が残り、
その言葉がミレーユ王女の中で形を変えながらも、自身の人格の形成の礎になっていったのです。
時が流れ、その記憶が遠くなった今でも。
ミレーユは思います。確かに噂は不安だけど、いくらあのお父様だからといってもそこまでするとは思えない。
それならばお父様との契約でサダックは国を離れているのでは、そう考える方が安心する。
それにまだサダックについても噂ばかりだし、どういう人間なのか……まともに会うまでは決めてはいけない気がする、と。
このようにして、ミレーユは噂に揺さぶられる弱い心を持ちながらも、その反面、
自分の中の信念に基づいて考えられる気丈さがありました。
しかしながらそれもまだ、心に一明の気概として落ち着くほど、揺るがないものではないようです。
ミレーユとガーデンの二人はその次の週の休日も、サダックの根城の前にいました。
「ガーデン、どう思いますか?サダックのことを……」
「もしかしたら……もしかしますな。恐らく城の噂通りか……い、いや、お父上がそんなことをするはずがありませんな!!」
とガーデンが真意をはぐらかすと、ミレーユは黙りこくってしまいました。
「いや……もしかしたらですな……ここは人目につきにくい場所。何かの理由で小屋の中で倒れている可能性も……」
「そんな……!!」
ミレーユは自分の思索を忘れ、気持ちばかりが焦ってきました。
ミレーユはうろたえながらもガーデンに頼み、家のカギの掛かっている扉のノブを強引に開け、家の中に入る事にしました。
家に入ると、中はこつぜんとしていて、クモの巣がいたる所にすくっていました。
そして、その場所にはひとっこ一人いませんでした。
「ほ……どうやら家の中で何か起きていたようではなかったようですな」
「なら……それなら、一体これはどういった事なのかしら……サダックはいったいどこへ……」
かくしてミレーユはそんな弱さを見せました。しかし心根にあった思いは何分にも代えられない、
あのカラクリの子に対する思いだったようです。
「(サダックにはカラクリの子を……)」
「王女?」
「ううん……なんでもないわ…………」
「……」
二人は家の中を見回します。
テーブルの上には何かをかたどった設計図のようなものが置いてありましたが二人にはそれが何なのかわかりませんでした。
そして壁には湖の上を白い鳥の群生が羽ばたいている絵画があります。
「きれいな絵ね……サダックと言う男はこの絵を見てどう思うのかしら?」
ミレーユは落ち着きを取り戻し、絵画を見つめています。
よく見ると絵画のはじにはかすれた文字でサインが描かれています。
そのサインは読み取れないほどかすれていました。
するとガーデンが顎を指で擦りながら言いました。
「この絵は……」
「……この絵は?」ミレーユはガーデンの次の言葉を待ちましたが、ガーデンはそれから暫く絵に見入って
何も語りませんでした。ミレーユの方はというと、絵の事よりもサダックの所在が気にかかっていました。

そしてしばらくして

「不思議な男だ。昔からそうだった。謎の多い男……」ガーデンは眉間にしわを寄せ言いました。
「知り合いなの?」ミレーユはそう言うとひらめいたような顔をしました。
「当然ですよ、あの男は城の中でも異彩を放っている、知らない者などいないでしょう」
ガーデンは苦笑いを見せながら続けました。
「しかし城に仕える者、それも上位の者なら命の危険もありましょう……」
ミレーユの目を見つめながらそう言うと、ガーデンは壊れた扉のノブを手に取り、
ノブをボールのように上に投げ、落ちてきたそれをキャッチして真剣な目つきになりました。
そうしてガーデンはミレーユと共に、サダックの根城をあとにしました。

外に出たところで不意に声をかけられました。
「あなた方はサダックの知り合いですか?いや、その壊れたノブを見るとどうやらそうではないようだけど……」
とっさに身を構えようとしましたが、しかしその心地よくなるような透き通っていて落ち着いた声に安堵感を感じ、
直ぐにその者が敵意のない者だと二人は悟りました。
眼前に現れたのは全身に白い服を身に纏い、金色の猫毛の光沢のある髪色をしている女性です。
歳のころは三十程でしょうか。
その女性の瞳は金色に輝き、見つめられると心が和むような不思議な感覚に襲われます。

「あなた……だれ?」
ミレーユは初対面にもかかわらず不用意にも、とっさに身を乗り出していました。それは疑う心よりも
その心を和ませる瞳を持った女性に心惹かれたためです。
本来ならガーデンも相手が女性であるにせよ王女と同伴の身。得体の知れない人物に疑いを持ち、
王女の前に立ちガードした事でしょう。
しかしガーデンもなぜかいつもより警戒心がおろそかになり、体から力が抜け、その場に立ち尽くしていました。
「サダックはここにはいないのね……ここだと聞いてきたのだけど。まさかまだあの酒場で居候しているのかしら?」
女性は額に手を当て日の光を遮る仕草をしました。
「あなた方がサダックにどのような用件かわかりませんが、サダックに用事があるのなら私も一緒に行きます。
何事も騒動が起きないように……。」そう言った女性は身のこなしも軽やかに二人に背中を向けました。
ミレーユはその女性についていく事にしました。サダックの居場所が気になったし、
この不思議な雰囲気を持つ女性の正体も知りたかったからです。
ガーデンは先程までミレーユ王女を今回の一件から退かせるための言い訳探しに頭を悩ませていましたが、
今はこの目の前の女性と一緒なら何事も不安はないだろうと不思議と根拠のない思いに包まれました。
女性は『街の北東にある荘園の近くの酒場に、サダックの居場所を知る手がかりがあるかもしれないから、
一緒に行きましょう』と言いました。
ガーデンは酒場など野蛮なところへ王女を連れていけるものかと憤慨しましたが、
その女性に見つめられての誘いは安心感を伴い、ガーデンに『(王女、一回きりですぞ……)』と言わせるまででした。
酒場に行く途中でミレーユがその女性の名を聞くと、その女性はローラと名乗りました。
酒場までの道すがら、ローラという女性は二人に対して何も語りませんでした。
ただ女性は木々の近くを通った時、木々に停まっている小鳥たちに『今日も天気が良いわね』と声をかけただけでした。
ミレーユはその女性を変わった人だなと思いました。


それから三人がだだっ広い荘園を越えて目的の酒場の近くまで来ると酒場の外には、人だかりができていました。
ミレーユとガーデンは慌てましたが、ローラという女性は落ち着きを払っていました。
酒場の扉の前に来ると、中からはガラスの割れる音や木材の激しく軋む音が聞こえてきました。
中からは、『やい、やれー!』だの『やめろ!』などの、甲高く響き渡る幾人もの声が聞こえます。
ガーデンを先頭に酒場の扉をくぐると、店の中は割れた酒の瓶や壊れた木のテーブルや椅子が散乱していました。
割れた酒瓶からは、酒がこぼれ、大勢の飲んだくれ達の靴底の裏にさっきまで付着していたはずの、
野外から運んできた砂や土が、床の液体と混じり合い、アルコールと泥臭さの混ざった鼻を突く異臭を放っていました。
酒は茶褐色の泥水に変わって、そこは辺り一面、壁から床まで大嵐か台風に遭った船の甲板部のような異様な光景でした。

その元凶は一目瞭然でした。
二人の大男が店の中央で取っ組み合いのけんかをしているのです。
片や丸坊主で農作業の作業服を着て、片や青と白のボーダーのセーラー、頭部がスカイブルー色のモヒカンに、
右の二の腕には船の碇の刺青が彫ってあります。

周りにいた飲んだくれに聞くと、何のことはない、大男同士の金の貸し借りのけんかでした。
「……ちくしょう、お前借りた金返さないつもりか!」農作業服の丸坊主の男が言いました。
「もうちょっと待てって言ってんのが分んねぇのか、てめぇは!!」セーラーでモヒカンの男が言いました。
二人とも筋骨隆々の体をしていました。
その二人共々、肌が赤くなり腕や首、額の血管が両者の怒りの絶頂を物語っていました。
ガーデンは力ではかなわないのは見るまでもなく分かり切っていた事なので、距離を置いて言葉で
仲裁に入りますが、酒を飲んで正気を失っている二人には通じませんでした。
それどころか二人の癇に障り、危うく被害を被るところでした。
「駄目ですな、私には手に負えませんですな」ガーデンは呆れた顔をしています。
「仕方ないわね……騒動が収まるまで待ちましょう」
ミレーユが困った顔でそう言っていると、二人の大男は怒りに身を任せ、片や片手に床に転がっていた
鋭利に光る割れた酒瓶を持ち、それにつられてもう片方のスカイブルーのモヒカンの大男は壊れた椅子の足をへし折り、
先の尖った凶器に変えました。
ミレーユとガーデンは慌てふためきました。
ところが二人の大男がじりじりと間合いを詰めようとしたところで、
ローラが「もうそろそろけんかは止めませんか?」と平静とした口調で言い、二人の大男に歩み寄っていきました。
大男たちはローラを鬼の形相で睨みつけました。
そんな大男たちをローラは穏やかに見つめ続けました。
するとどうでしょう。十秒ほどしたところで二人の大男達の手から凶器はするりと滑り落ち二人共、放心状態になり、
その場に立ち尽くしました。
ローラは穏やかに微笑みました。
その場にいたミレーユやガーデン、飲んだくれ達はキツネに抓まれたような気分でした。
そこにどもった男の声がしました。
「おー、ローラじゃねえか!!久しぶりだな!!」
男は半身を酒場の奥のカウンターから出しながら言いました。
「オーナー、お久しぶりですね」ローラは静かな微笑みをたたえながらそう言いました。

突き抜けるようなあの青い空の街で王女は黄昏る《第二話》(1)

突き抜けるようなあの青い空の街で王女は黄昏る《第二話》(1)

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted