感情アスリート(5)

五 お笑いバージョン

 はいはい、こちらこそ、ありがとう。でも、ありがとうなんて言われると、つい、心がワクワクしちゃうな。それでまた、性懲りもなく。指名しちゃうんだろうなあ。さっきの極道よりましだけど、癒されたのか、適当にあしらわれたのかわからないな。それに、楽しいのは相手の方で、俺は、惨めな生活を披露しただけだったみたいだ。まあ、それでもいいか。さあ、気を取り直して、次のバージョンへ進もう。今度は、やっぱりお笑いだ。笑って、笑って、笑って、今までの気分を吹き飛ばしてやる。それ、クリック。
 画面に出てきたのは、嫌味な笑いをした男。年の頃は三十。メガネは吊りあがり、その奥からの視線は、人を小馬鹿にした感情が浮かんでいる。これも、失敗したかな?
「あなた、相変わらず、センスの悪い服着ていますね。笑っちゃいますよ」
 やはり、第一印象どおりだ。いきなり、こいつに、笑われちゃった。それに俺のことが見えるのか。
「目で見えることが全てではありませんよ。あなたの考えていることからあなたの服装ぐらいわかりますよ。それに、今までの会話はなんですか。ヤクザやキャバクラ嬢相手に、一体、なんていう会話をしているんですか。そんなことだから、ヤクザにもキャバクラ嬢にも相手にされないんですよ。笑っちゃいますよ」
 おいおい、俺を笑わしてくれるんじゃなくて、俺を笑うのか、このバージョンは?
「笑わしてくれるなんて、十年。いや百年早いですよ。全ての事柄には、下積みが必要ですよ。毎日、五分とか、十分とか、自分の目標に向かって、少しでも前進しなければいけませんよ。三億円の宝くじが当たらないかと、ただ待っているだけでは駄目ですよ。一億人から、笑いをとるためには、日々の精進が大切なんですよ。
 それなのに、最近の若い奴ときたら、お笑いがどういうものなのか知らなすぎますね。まずは、自分が笑われてこそ、初めて、真のお笑いが解るんですよ。笑われた時の、この屈辱感、穴があったら、体全部が入らなくても、せめて、顔だけでも隠したい、この心境を体得しなくちゃなりません。例えば、かくれんぼで、見つかって、人に、お尻が見えているよって言われても、へへへへと、頭をかき、ついでにガスを一発かますぐらいの芸をしなければいけません。
 もし、できるならば、穴に頭じゃなくて、お尻を隠し、見つけられたときに、「お尻隠して、頭隠さず」なんて、反対諺を言い放ち、お尻をかきながら、そっと、ズボンをおろせば、そこには、目、鼻、口が描かれていて、腹芸じゃなく、尻芸まで見せるぐらいのことを考えないといけません。笑いは連鎖反応です。次々とネタを繰り出し、お客様の笑いの火薬を爆発させなければならないんです。とにかく、これぐらいのことをやらなきゃ、本当のお笑い芸人にはなれませんよ」
 おいおい、何がお笑い芸人だ。俺は、そんなものにはなりたくない。このコースは、お笑い芸人育成講座か?それに、相手の言っていることは、単なる変態だ。大学生の飲み会の一発芸の延長じゃないか。さっきから、繰り返し言っているように、俺は笑われたいんじゃなくて、笑いたいんだよ。いいかげんにしろ。
「おやおや。怒っちゃあいけません。ゲーム相手に、感情むき出しなんて、どうもいけませんね。まだまだ修行が足りませんよ。ですから、笑いというものは・・・・」
 もういい、何だ、このゲームは。泣きそうだよ。そうだ、今度は泣いてやる。最近、涙なんか流したことがないからな。さっきから、文句を言いすぎて、口の中や喉がカラカラだ。せめて心ぐらい潤してみるか。クリック、OK。

感情アスリート(5)

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五 お笑いバージョン

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-11

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