2045年
2045年、大統領制になった日本を一人称視点でそれぞれの見方を出して綴っています。
病気の主人公、わけありの敵キャラ。
世界観を表すには足りないところだらけですが、最初の作品なのでご容赦ください。
プロローグ
後世の歴史家、
批評家がどう捉えるかはわからない。
だが流れゆく歴史の中で絶えず、
大国の間に挟まれた小国は
その流れに翻弄される。
『パックス・アメリカーナ』が
崩れつつあった時代から20年、
西暦2030年。
極東に位置する日本という島国で、
回顧主義とも言える
『パックス・アメリカーナ』
を支持する政権から
三権分立をより確固にした
大統領制が誕生した。
当時の政権が、
高等弁務官府を世界五ヶ所設置、
国内の地方政治を無くし、
全て直轄統治にした。
また高度化した人工知能と
情報処理能力によって、
その国家は、
直接民主主義の最終形とも言える、
国民直接投票も実現した。
新三大発明と呼ばれる、
人工知能、
量子コンピューター、
超電導送電を成し遂げ、
GDPが世界8位まで落ちる予想を
5位食い止め、
奇跡の再興を成し遂げたかに見えた。
だが、始まった先進国革命は
日本も含む先進国家を
内部から蝕んでいった。
人の仕事をどんどんと
人工知能が取るようになり、
金融、教育、医療、を先鞭に
あらゆる分野で
人が機械に置き換わった。
人工知能に最初のダメージを
与えられたのは
金融であった。
かつて最も高度な業務の
一つとされた金融から、
人の意思が消えた。
一方、
その人々の不満は地下へと流出し、
一つの国を上回るほどの
軍事力をもつ組織ができ、
世界で暗躍するようになる。
そして、
まだその混沌とした中で
中国、アメリカ、ロシア、
の三大大国に挟まれた
日本の2045年の物語。
決戦-アナザー
2045年1月25日 10時47分
兵庫県西宮浜、海岸
目標も達成した、
勝負も引き分けたのに、
どうしてこうも気分が悪いのか。
それは、きっと
僕がここで死を選ぶことになるからだ。
さっき、自分のロボットは海中に入れて
母船へ帰還させた。
秘密が漏洩することはない。
敵を甘く見て、
セラミックナイフでコクピットハッチを
傷つけられたときに、焦りが出た。
気密性を失えば
乗ったままの
潜水行動出来なくなる。
『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』
孫子の好きな一節を
今まで一番忠実に守ってきたのだが、
単なる思い込みだったようだ。
今まで、勝利を確信して、
最後に負けた者は
こういう気分だったのだろうか?
僕にはやることが
まだたくさんあったのに…、
残念だ。とても残念だ。
時刻は何時だろうか、
死ぬ時間ぐらい知っておきたい。
腕のウェアブル端末で、
時間を表示すると10時47分。
1時間前まで、
まさかこんなことになるとは
全く思っていなかった。
それが、本当にまさかと思う。
そのとき腕の端末に別の事が表示される。
Wait, one min. <一分待て>
この文字を確認した直後、
『Don’t move! <動くな>』
と制止の命令を背後から受ける。
やれやれ、どうにもしつこい性格らしい。
こいつは先ほどから僕の行動を邪魔してくれる。
『Hands up! <手を挙げろ>』
動くのを止めて手を挙げた。
日本語がわからないふりをして、
「Wait! <待ってくれ>」
この厄介な日本人は何者なのか、
ちょっと興味が湧くがどうでもいいことだった。
「Don’t shoot me! <撃たないで>」
『The choice is yours. <お前次第だ>』
1分を稼ぐ必要ができたため、
会話を引きのばした方が有利だが隙がない。
『On your knees! <膝を付け>』
言われたとおりに膝をつく。
少しでも時間を稼ぐために話しかけてみる。
「Please listen. <聞いてくれ>」
『Can it! <黙れ>』
だめだ、敵は聞く気が無い。
『Hold your hands up and put them behind your head.
<手を挙げたまま頭の上で組め>』
大声を聞きながら相手の接近を待つ。
相手は回り込むようにしながら、
至近でこちらの正面へ
回り込もうとしていた。
手を組みながら待つ。
恐れる素振りは見せず
正面へ回り込む相手と目が合う。
身長は180センチ無い程度、
痩せ型だが筋肉の引きしまっているのが
プロテクタースーツから良く見えた。
驚くことに、僕は彼を知っている。
最も向こうは知らないだろうが。
『It’s over. <終わりだ>』
そう言って、こちらの前に手錠を投げる。
そして、細面で清潔感がありながらも
やや長めの髪型をした相手が、
『Take up a handcuff and wear it, slowly.
<手錠を拾って、ゆっくりとつけろ>』
と言ってきた。
確か、こちらの相手が
スカウト候補に挙がったとき、
病気を発見し断念した男だった。
8年前だったか。
そうか、警官か。
また、正反対の職業についたものだ。
コイツは確か孤児の出身だった、
社会に恨みを持っていそうな
人間を探している組織には
打ってつけ立ったのだが。
思考を楽しみかけた自分に言い聞かせ、
考えを切り替えないといけなかった。
タイミングを逃したらここで終わってしまう。
相手の構えた拳銃はグロック19。
32口径だが、当たりどころさえ悪くなければ
プロテクタースーツが防いでくれる。
投げられた手錠を右手にとって、
「Too bad. <最悪だ>」
と最後の英語を吐き出す。
ゆっくりと時間が流れるように感じた。そして、
「神楽さん、お疲れ様っ!!」
相手が驚いて少し目の見開いた瞬間、
スナップを利かせて顔へと手錠を投げつける。
次いで、左手を地面につけると
相手の前に出している左足を狙って、
僕の左足で蹴りを入れて払い、
間髪いれずに右足で蹴り拳銃を飛ばした。
そうしてようやく立ち上がる。
『お前、なぜ…』
『英語しか話せないふりをした?』とは
言いたいわけじゃないよね。
そう思いながら僕は1分を稼ぐため、
死ぬために使うはずの銃を
生きるために使うのに全力になった。
出発-1
2045年1月4日 7:30
兵庫県神戸三ノ宮沖、神戸AI自治区
朝の出発準備も整い、
我が家を離れるまであと少しだ。
新年、初出勤で
ブラックスーツであるのだが、
どうせすぐに過疎地移動するので
意味はほとんどなく、
あまりスーツは気乗りしない。
養母(はは)が作ってくれた
朝食をとるためテーブルに着いた。
養父(ちち)と養母と自分の3人で
テーブルを囲み朝食をとる。
実家にいるときは欠かさない毎朝だ。
『どうぞ、召しあがれ』
と養母。
養父が、
『今日から過疎地移動での勤務か。
何日間で移動するんだ?』
と聞いてくる。
「予定では23日間、
今月の27日に神戸支局に戻ってくる。
明日からは、
味気のないご飯になってしまうよ、
養母(かあ)さん」
『まあまあ、本当に思っているのかしら』
「家が一番落ち着いて食事ができる。
それに何より美味しい」
質素に見えるかもしれないが、
ご飯とみそ汁。
それに出し巻き卵と大根おろし、
納豆があれば十分で、
加えて会話がはずめば何よりだった。
養母は神楽夏美、料理上手で研究者。
『本当さ、我が家の食事は何よりだ。
だが、明日からは少しさびしいな』
そう言ってこちらを向いた養父は
神楽将司、養母と同じ研究者をしている。
同じ研究者でも、
養父は工学系の研究をしていて、
養母の食品とは全く違うものだった。
「ありがとう、養父(とう)さん。
帰ったら6日間の連休予定。
だから養母さん、
今度は俺が朝ご飯を作るから」
『ありがとう、聖。
それじゃあ、帰ってくるのが楽しみだわ』
俺はこの家に養子として
10歳のときに迎えられた。
既に大きくなっていたにも関わらず
ありがたい事だと、今でも心底思う。
ゆっくり朝食をとり、
出発のため荷物を取ると玄関から
「じゃあ、行ってきます。
2人とも気をつけてね」
と先に出ようとする。
そこで、制止の声がかかり
『待ちなさい、お弁当作ったから、
昼食に食べなさい』
と養母。
いつも、申し訳ないと思いながら、
「ありがとう、あけるのを楽しみにしておくね」
『気を付けるのよ』
手を振って
養母の見送ってくれる玄関のドアを閉めた。
エレベーターホールまで移動し、
荷物専用のボックスに
ボストンバッグを入れると
荷物専用のシャフトで先に出す。
ほどなくエレベーターがきて俺も乗り込んだ。
神戸AI自治区は
超巨大高層ビル6棟が立つ
人口30万人が住む自治区。
ビル内で仕事や勉強が済んでしまう人たちも
少なくない。
ちょうど、養母はその例で、
タイミングさえ良ければ
1つのエレベーターで職場まで
移動しきれてしまうと言っていた。
俺も今日は2台のリニアエレベーターと
1台の小型リニアで本土へ移動できる予定だ。
住んでいるキノコ状の巨大ビルは、
いつも地震が起こったらどうなるのか、
と思うほど大きい。
居住スペースは上部に位置しているので、
そこから下層階へ向かって降りて行く。
小型リニアの駅はこのビルの地下2階。
そこでエレベーターから小型リニア、
対面式の乗り物なのだが、
に乗り込んで本土の駅で降り、
降りた所で
さっきシャフトに入れた荷物を取る
という仕組み。
荷物が減ると
エレベーターも
リニアも快適に乗れる
というコンセプトだった。
腕時計型のAI端末を通して、
この自治区のメインAIと繋がっており、
エレベーターの乗り換え場所を
最適化してくれる。
自治区民全員が、
俺と同じようにAI端末を身につけていて、
全員の交通は最適化が図られていた。
本日は15分で三ノ宮駅に
着くことになっている。
三ノ宮からはムービングウォークと
徒歩を入れて10分、
正式名称は大統領府大阪支部神戸支局、
のオフィスに入る。
保険会社のビルを
数フロア間借りしている神戸支局。
その警察庁外務部外務課へは
自分が二番で到着した。
先に入っていたのは
課長の山岡警視正だった。
「あけましておめでとうございます、警視正」
と階級で呼び、挨拶をした。
山岡も挨拶を返してくる。
ほとんどの部署が役職で呼ぶ中、
外務課だけは階級で呼ぶことが多い。
外務課は役職柄、
警部と警視で構成されており、
課長は警視正と決まっていた。
課長以外には
個人デスクの与えられていない
外務課なので、
ブリーフィング前に
ゆっくりとコーヒーを飲もうと
思ってやってきたのだが、
先を越されてしまった。
既に山岡はコーヒーを飲んでいるので、
俺の分のコーヒーを
エスプレッソサーバーで作りながら、
「警視正もお菓子、いかがですか?」
と、朝のコーヒー菓子を勧めた。
同日 9:20
神戸支局外務部
新年の挨拶が終わると
早速外務部の制服に着替えた。
外務での勤務中は全員常にこれで、
スーツも私服も認められていない。
俺の所属する外務課を含む
神戸支局外務部は
過疎地を回る職業で、
俺のような警察官、
それに医師と看護師が1人ずつ。
残りは各省庁の人間が
同行することが多く大体は6名か、
トラック運転手を入れて
7名で構成されていた。
トラックは
医療用設備の専用の
トランスポーターになっており、
医師と看護師で
簡単なオペまで出来る優れモノだった。
外務課で山岡から
今回の遠征先を
ボード型の端末でもらうと、
丹波・但馬地方ルートとなっており、
集合場所の
ブリーフィングルームに来たのだが、
一番乗りになってしまった。
端末を見ると同外務ルートのメンバーは、
チーム責任者、
防衛省、陸上自衛隊
伊丹駐屯地所属、桜木美冬、三佐。
AI自治区市民病院、
神蔵一生、総合科医長。
AI自治区市民病院、
毛利美鈴、看護師。
警察庁 大阪支部
神戸支局 外務課、神楽聖、警視。
外務省 大阪支部、
藤原依子、一等書記官。
経産省、大阪支部、
森脇元康、三等書記官。
この6人となっているのだが、
顔見知りは医師の神蔵と
看護師の毛利だけで、
あとは初対面になる。
勤務経路を見てみると、
最初に丹波篠山方面へ向かい、
1月11日、
福知山で京都市局の
丹波地方班と情報共有
1月16日、
和田山で鳥取支部の
但馬地方班と情報共有
1月22日、
福崎で姫路支局の
播磨地方班と情報共有
1月27日、
神戸支局へ帰還
となっている。
あと、気になる
中間休暇日の場所と日付を
見ようとしたときに後ろから、
『聖(せい)、
今回も一緒だね、よろしく』
と看護師の毛利が声をかけてくる。
なぜか
<ひじり>
ではなく
<せい>
と最初に仕事で
一緒になったときからそう呼んでくる
フレンドリーなキャラクターだった。
俺は最初、彼女を苦手にしていたのだが
意外に努力家と知って
好印象を持ったのだった。
と、毛利が忘れていたように
『そうだ、あけましておめでとう。
今年もよろしくね』
「こちらこそ、
あけましておめでとうございます。
よろしくおねがいします」
『固いよ挨拶。
「よろしく~」でイイんだから』
「いや、
一応年上だし…」
美鈴は大げさにわざと睨んで、
『何?2つだけ年上だと、
もう溝あけちゃうわけ?』
「いや、そうじゃないけれど、
『名前で呼べ』とかって言う割に
たまに怒るし」
『それは「美鈴」って
呼ばれることに怒ってるんじゃなくって
言ってる内容がダメなのよ』
「そうかなぁ?」
『そうよ』
と胸をポンと手のひらで突かれた。
チーム編成も歳の差や相性を見ながら、
AIが編成を決める。
国家公務員や
その外局は
勤務中全員、腕時計型AIを
装着する義務があり
社交性や傾向など統計的に
データを取られる。
相性の良さや
年齢構成での活発な意見交換、
時には葛藤することなども
意識してのチーム編成だった。
そこでいくと多分、
俺は美鈴と相性がいいと
判断されたのだろう。
チームの中では
いつも年齢が近いし、
チームメイトとしていい仲間だ。
思い出したように、
「そうだ、
休みの日を調べようと
思ってたんだった」
『聖、調べてなかったの?』
「美鈴と挨拶してたからね、
忘れてた」
『何よ、私のせいみたいじゃない。
まあ教えてあげるから
調べなくていいわよ。
最初に調べるでしょ、普通』
普通はそんなものなのかなと思う。
俺はいつも誰が一緒で
どんな人なのか、
それと勤務内容が
気になるのだけれど、
人によって様々みたいだとは
前から思っていた。
『1月14日に遠阪峠を越えて
1月15日に山東で
一日ホリデーでございますっ』
と言ったあとで
『といっても、
前と同じく
周りに何も無いんだけれどね~。
でも冬だしスキー出来るかな?』
と休みの事を言い出した。
11日も先のことなのに、
と思いながら
「美鈴、気分早すぎね」
『いいじゃん、
面白いこと考えながらやっていかないと、
務まんないわよ』
と早速休みのことを話しているのだった。
そうこうしているうちに、
メンバーが集まってきた。
そろそろ、ブリーフィングが始まる。
『え~、ブリーフィングを始めます』
今回のチームリーダーである
桜木美冬が全員の前に立って始める。
小型のブリーフィングルームは、
有機ELパネルと電子ペーパーの
ボードがあり、
部屋の椅子は
10名分しか用意されていない
小さなものだ。
外部からの盗聴に備え、
電波暗室になっているのも特徴だった。
『皆さんのボード端末に
詳細データを今送りました、
今回の日程です』
皆が一斉に目を落とす。
大まかな日程は教えられても、
細かなスケジュールは
ブリーフィングにもらうデータにしか
載っていない。
それも、
個人宅を訪問する医師や看護師、警察と、
今回で言うと
防衛省、外務省、経産省の人間だと
もらうデータは違っているのが普通だった。
たとえ外務課にいるときでも、
課長の山岡以外は
個人の巡回ルートを知らないのだ。
他の医師、看護師や関係省庁の人間も
同じだった。
『一応、23日間のルートになります。
細かなルートは
最初の移動中に確認してください。
では、簡単な自己紹介と
差し支えの無い範囲で
職務内容を説明してもらいましょう』
と簡単な業務説明を入れて、
『今回のチームリーダーの
陸上自衛隊伊丹駐屯地の桜木美冬、
22歳、三佐です。
今回は地形調査になります。
若輩者ですが23日間
よろしくお願いします』
と頭を下げた。
22歳で三佐という
高い地位についているのにも驚きだが、
今回のチームリーダーは
最年少というのも、
『AIの組織力強化の訓練』
と思うと
「大変だな桜木、三佐も」
と同情するのだった。
ボードに示された名前順に
自己紹介が始まり
『AI自治区市民病院の神蔵一生、
43歳、総合科医長です。
今回も地域の巡回診療ですね。
どうぞ、よろしく』
もう一人の知り合いである神蔵が
自己紹介をした。
総合科と言うのは、
医療システムが
プロフェッショナルになるにつれて、
『いったいどの科を受診すればいいのだ?』
と総合病院を訪れて
迷う患者のために作られた。
これができた事によって
患者は専門科を適切に
受けることができるのが
全国の総合病院の特徴になっていた。
『え~、神蔵先生と同じく
AI自治区市民病院の毛利美鈴、
27歳、看護師です。
今回も先生の助手と訪問看護です。
どうぞ、よろしくお願いします』
いつもと変わらぬ美鈴の挨拶が終わり、
俺の番になる。
「警察庁大阪支部、
神戸支局外務課の神楽聖、
25歳、警視です。
今回も地域の巡回業務にあたります。
よろしくお願いします」
と無難に挨拶し、
立ったついでに
今回の面々を見ると
皆こちらを向いているので
少し安心する。
顔すら上げてみようともしない
メンバーの時もあるのだから、
好印象を受けたのだった。
続いて、
『外務省大阪支部の藤原依子、
39歳、1等書記官です。
今回は経産省との
合同調査で
私は外国人旅行者が日本の魅力を
知るため資料製作の調査に来ました、
よろしく』
と簡潔に内容のわかる挨拶だった。
そして最後に、
『経産省大阪支部の森脇元康、
29歳、3等書記官です。
藤原さんからあったように、
今回は外務省との合同調査で、
冬季の丹波・但馬地方のアピールを
目的に来ました。
よろしくお願いします』
と、締めくくった。
なぜ、自己紹介に
年齢を言うようになったかというと、
2040年から政府の保険認可薬で
『細胞活性化剤』という薬が
処方され始められたからだった。
通常『若返りの薬』と
呼ばれていて、
実は俺も飲んでいる。
脳にある
『身体中の細胞因子を活性化させる部分』
を刺激し
身体の細胞を若い状態に保つ効果があり、
ホルモン剤注射や栄養剤とは異なるため、
副作用の心配なく飲む患者は多い。
若いと、
脳も身体も健康に動くので
政府も推奨していて、
80歳でも十分元気に働ける人も増えていた。
だけれど、
そのせいで自己紹介には年齢を言うという事が
増えた気がする。
黙っていると何歳かわからず、
年下が年上に向かって
偉そうにしゃべり続けて
トラブルになるニュースが増えてからだった。
自己紹介が終わったところで、
『仲良くやっていきたいですね。
では前のボードを見てください』
と有機ELには行程表、
電子ペーパーに
地図と経路が記されている。
『行程はほぼ皆さん同じですが、
外務省と経産省の企画は
見回り場所が変わりますので、
今回は車2台と、
医療用トランスポーターを1台の
3台編成です』
有機ELに車3台が出て、
ランドクルーザー、セダン、
トラックだった。
『今回は、神楽警視と
私が大型車運転をできますので、
トラック運転手はいません。
場所によって私も移動しますので、
ランドクルーザーを1台用意しています』
確かに、
ランドクルーザーは大阪支部では珍しい。
SUVが多いので新鮮だった。
しかも通常2台のところを3台も車があるので、
ランドクルーザーは
ぜひ俺も運転したいと思っていると、
『チーム内のコミュニケーションを図るため、
今から三田西ICまでは車を自由に乗りましょう。
三田西ICからは、
私がランドクルーザー、
神蔵さんと毛利さん、
それに神楽さんがトランスポーター、
藤原さんと森脇さんがセダンで
第1宿泊地の国道176号線
水素ステーションで落ち合います』
と初日はランドクルーザーの
夢は潰されてしまった。
ブリーフィングも終わろうとしていた。
移動日の休日を除くと、
過疎地を回るので
モーテル付き水素ステーション、
ユースホステル、民宿、
ペンション が多かった。
だからこそブリーフィングも
出来ないわけだが、
このように関係省庁が異なるので
大がかりなことをするわけでもなかった。
『このような、
全体ブリーフィングを次は、
1月11日、
福知山で京都支部の
メンバーと会ったあとに設けます。
質問はありますか?』
質問がなく、駐車場へ皆動きだした。
出発-2
同日 10:00
舞鶴自動車道、三田西IC
『では、みなさん。
所定の車で職務を
よろしくお願いします』
と桜木に言われ
各々の車に乗って
去っていった。
俺は神蔵先生と美鈴が一緒の
トランスポーターだったので、
運転席につく。
「神蔵先生、
先生の行き先どこですか?
多分、僕も一緒だと
思うんですが」
AIで最適化されている以上、
彼らの診療先で
自分の定型巡回業務が
組まれていることは
当然だったが
聞いてみるのが礼儀だ。
『ん~とね、
まずは西からになっているね』
「僕と一緒ですね、
安心しました」
美鈴は当然、
神蔵先生と一緒なわけだから聞くまでもない。
大阪のベッドタウン、
三田までは民間の遠隔医療サービスも
行われているし、総合病院も
整っているのだが、
ここから先はやはり
病院数も少なく
高齢化が深刻で
車を使って病院というわけには
いかない人たちが増えているのだった。
『神楽君、最近持病の方はどうかな、
落ち着いている?』
といつもと同じく聞いてくる。
「ええ、ありがとうございます。
落ち着いていますよ。
正月、食べ過ぎたので
影響しなければいいなと
思っていたのですが、
大丈夫みたいです」
『そうかい、ならいいけれど、
心配なときは遠慮せず言ってくれ。
検査できるんだから』
「ありがとうございます、先生」
すると、美鈴が横やりを入れてきた。
『先生、いつも心配していますけれど、
聖っていつも朝は走ったりしてるし、
夜もトレーニングしていて
とても「不健康」って感じしませんけど』
『毛利君、病気は見た目だけじゃないんだよ。
神楽君のトレーニングは
病気を補うためだと私は思っている。
本人はいつも隠すけれど』
「いえ、そんなことありませんよ。
本当に単なる趣味です」
もう八年前になるか、
自己免疫疾患『潰瘍性大腸炎』と
診断されたのが、この神蔵先生と
会った最初の出会いだった。
俺が17歳の時だ。
神蔵先生の総合科から
消化器科へ回されて
病理検査で病気が確定し、
その後3ヶ月間入院した。
当時、俺の通う大学の
学士研究も論文も作成していたから
良かったものの、
大学院への道は
あきらめざるを得なかったのが
とても辛かった。
同時に、
もっと辛いことがあった。
病気を養両親(りょうしん)に
打ち明けるのを待ってもらった、
怖かったのだ。
慢性疾患とわかったとき
『とんでもない子どもを
養子にしたものだと思われてしまう』
というのが。
そんなときに、
心療内科を受けるように勧めてくれて、
一緒に養両親に言ってくれたのが
神蔵先生だった。
『心配ないよ、
今まで君が育てられた経緯を聞いていると、
とてもその程度で
差別するご養両親じゃないと思う』
と言ってくれた通り、
養両親は心配してくれて
涙まで流してくれた。
自分は恵まれているな、
そう感じた瞬間を今でも覚えている。
自分はただ謝るしか出来なかったけれど…。
思い出を巡らしながら運転をしていると、
言葉が途切れたのをみて
『聖、なに黙ってんのよ』
と言ってくる。
「いや、神蔵先生に
最初に会ったときのことを
思い出して、ちょっとね」
『ほら、毛利君。
懐かしい思い出だ、
彼には彼の事情がある』
『いやぁ、その先生。
別に私は困らせようと
思ったわけじゃ…』
と美鈴が困っているのをみて、
「そんな涙話って
訳じゃないよ。
ごめん、ごめん」
と返す。そして、話を変えようと
「それよりも、
遠征にランドクルーザーが
入れられるのは珍しいから
ぜひ乗ってみたいな」
と振ってみたが、
方向がちょっと良くなかった。
『ん~、理由はそれだけ?』
「なんだよ、何かあるのか」
『本当は桜木さんが目的なんじゃないの?
ランドクルーザーを使うって言っていたし』
「そんなわけないじゃん、
だって俺がランドクルーザーに乗れば当然、
桜木さんがトランスポーターだぜ」
『ホントかなぁ、
さっきも一緒だったじゃない』
「あれはたまたま」
『怪しいなぁ。彼女若いし、魅力的だもんね』
誰か止めてくれないかな、
と思っていると
神蔵先生が助けを出してくれた。
『こらこら、どこからどう見ても、
救命看護資格を持った看護師と
警視の会話じゃないよ』
◆
今から30分間前の神戸支局からの出発時、
チームリーダーの桜木三佐から
『今から、三田までご一緒していいですか?』
と聞かれ、何気なく
「ええ、喜んで」
と答えて一緒に
トランスポーターに乗り込んだ。
今回のチームで大型車両を動かせる人間は
彼女か俺だから、
この2人が乗り込むと自然残りは2人ずつで、
神蔵先生と藤原書記官、
美鈴と藤原書記官という
組み合わせになっていた。
乗り込むとトランスポーターを出し、
VICSシステムとリンクしたら、
目的地も入力してあるため
もう終わりも同然だった。
『VICSシステム』とは正式には
『VICSシステムver.2』であり、
もともと日本道路交通情報センターが
運営していた『VICS』を、
国交省が買い取り『スマートループ』という
別の交通情報システムとを合体させ
進化させたもので、
簡単なAI情報受信システムを
搭載するだけで、
全自動運転と道の最適化を
行ってくれるシステムである。
現在、高速道路、2桁までの国道、
幹線道路に設置されており、
車のスペックに合わせて走ってくれる
夢の自動車システムだった。
時速300キロを無理なく出せる車は、
道にもよるが、
高速道路であれば300キロ以上出しても
簡単に制御してくれるため、
日本の大都市間交通に
航空、高速鉄道に合わせて第3の柱として
成長している。
実際、我々もトランスポーターを含めて
巡航速度は時速200キロで走行しており、
神戸の中心三ノ宮から郊外の三田西まで
かかった時間は減速区間も含めてわずかに
20分だから驚きの交通手段である。
車が走り出すとすぐに、
ボード端末で本日のスケジュールと
今後の要点だけ抑えると
残り時間をどうしようか迷った。
一応、無口な人だったときのために
本は1冊用意してきているのだが、
幸いにもこちらが端末を見終わるタイミングで
話しかけてくれる。
『あの、今いいですか、警視』
「ええ、どうぞ、三佐」
『警視はどうして警察に?』
「別にこれと言って理由はありませんよ。
単にたまたま着いた職種が
警察だったというだけです」
『ウソですね、警視』
心でも見透かしたのかと思うほど
断定で言ってきたので驚くが、
桜木三佐はチームリーダーなので、
個人情報のある程度を
知っているのも当然だった。
言葉を慎重に選んで答える。
「嘘ではありませんよ、三佐」
訝しがっている彼女を見て、
「昔、身体を壊して大学院へ進まず
民間企業に勤めました。
でもどうしても諦められなくて留学し、
そこでも、日本と同じく身体を壊しました。
そして、一年間長く
留学したときに経営学を学んだんです」
『いきなりですね、
確かずっと工学だったと思いますが』
「そうです。でも入院中では
ラボと同じことは出来ないでしょう」
『ええ、確かに』
「それで、たまたま手に取った本が
経営学だったんですよ。
病気の関係で工学を続けるのは
難しいかなと思い始めていた矢先でしたから、
けっこうハマりました」
『ハマるって言っても、
それが論文で大統領府に
取り上げられるほどの出来栄えだった』
今度は完全に不意を突かれてしまった。
なぜ、という顔が隠せなかった。
『ふふふっ、流石に驚かれました?』
「どうして、三佐は知っているんです?」
『実は、私も同じキャンパスにいたんです。
技術士官になる前の話ですけれど』
「ということは、三佐もMITで」
『そういうことです。ところで警視?』
「なんでしょう、三佐」
『とりあえず、三佐はやめてくれませんか。
年も近いですし、何よりも堅苦しくって』
完全に体育会系のノリだと思って、
階級で話しかけていたが
それほど堅苦しい性格ではなかったようだ。
「では、『桜木さん』でいいですか?」
『実はそれもあまり好きではないんですよね、
父の世代に流行ったマンガに
出てくる暑苦しい主人公がその名字なんです』
「では、どうやってよんだらいいですか?」
『普通に「美冬さん」でイイですよ。
警視は何と呼びましょう?』
では、『神楽さん』でお願いします、
と言いたかったが
こっちがファーストネームで呼び、
相手はファミリーネームで呼ぶと
バランスが悪いかな、と思案していると
『じゃあ「聖さん」にしておきますね』
と自動的に決まってしまった。
同じキャンパスにいたことは
話が盛り上がる材料でもあり、
移動中はあっという間に過ぎてしまった。
三田西ICでトランスポーターを降りるとき
改めて彼女を見ると、
身長は170センチに届かないほどで
細く長い切れ目に、整った眉。
それと長めの髪の毛を一つにくくり
顔の右側から肩に垂らしていて、
年齢よりも大人びて見える細面の美人だった。
自分と同じ外務部の制服を着ているが、
まるで同じ組織の人間に見えない気がして、
恥ずかしい気分になる。
◆
最初の目的地に到着する。
道が狭いので
多くは駐車可能な場所を事前に
AIで見つけておき、そこに止める。
先生と美鈴は訪問診療へ、
自分はトランスポーターの
ラゲッジスペースから
降り畳の自転車を出して、
最寄りの交番へと自転車を
走らせる準備をする。
支給される自転車が好きにはなれなくて
ブリジストンの『トランジットスポーツ』と
いう降り畳みできるタイプを自前で乗せていた。
タイヤの小さな降り畳み自転車は
どうしても好きにはなれないのが俺なんだけれど、
なかなか他人はわかってくれない。
待ち合わせの時間を確認するために
「神蔵先生、だいたいどのぐらいですか?」
と訊くと
『全部で3宅回るから大体、
1時間半と言うところかな。
30分ほど前になったら連絡入れるよ』
「わかりました、
こちらも先に終われば
メール入れておきます」
そういうと分かれて、
俺は目的の交番へ回った。
地方公務員と地方自治体が
無くなったといっても、
それぞれの地方支部があって、
交番もキチンと存在している。
地域密着の警察制度は田舎では特に必要だった。
自分のような外回りの外務課があるのは、
過疎化が深刻になり、
孤独死やDVなどに対して、
すぐに裁判所から捜査令状が
取れるところにあった。
だからこそ警部以上で構成されている。
地域のことは交番勤務の警官から聞き取り、
その警官と共にまずは空き家、
問題のある家、荒地や耕作放棄地、
住んでいるはずだが動きの無い家などを
重点的に回る。
空き家や荒れ地、耕作放棄地は
動物や虫の発生で
周りに悪影響を及ぼすため、
再三に渡って所有者に勧告したのち
検察庁を通して裁判所判断で
国が買い取ることができるようになっている。
所有者に連絡のつかない場合も
強制的に没収され、
持ち主が現れたときには
同額の金が支払われるようになっていた。
立ち寄った交番の巡査の案内で、
訪問が始まる。
一件目は老人がひっそりと暮らしていたため、
定期巡回時にわからないだけだと
判明してよかったものの、
二件目では孤独死が見つかり
残念な事になってしまった。
すぐに、現場検証をさせるため、
管轄の警察署の警官と鑑識を呼び、
その到着までの間は交番の巡査を
その邸宅に残した。
この交番で怪しい三軒目は
俺1人でいくことにし、
一緒に回った警官に場所を聞くと
自転車で向かう。
レポートでは
時折騒がしい音が聞こえており、
DVか家庭内での深刻な問題が疑われていた。
前回の外務担当警部は
『要観察』
で済ませていたため、
今回も同様であれば手を打たないといけない。
10分ほどでその邸宅に着いた。
インターホンを押し、
「警察庁の定期巡回です。
ご挨拶のため
どなたか出てきていただけませんか?」
と聞くと、
『警察には要はねぇよ、帰ってくれ』
とぶっきらぼうな男の声が聞こえて
インターホンがすぐに切られた。
続けてインターホンを押すと、
『うるせえって言ってるだろうが』
と今度は怒鳴り気味に答えてくる。
切られる前に、腕のAI端末で
インターホンへの強制介入を行った。
インターホンに電子音で
『警察庁、大阪支部外務部、
神戸支局外務課、警視、
が任意捜査を求めています。
拒絶しても裁判所からの
令状が即時発行され、
強制的に取り調べされることになります』
と流れた。
これは、例えインターホンを切られても
この家のようにある程度、
新しいインターホン機器を設置していると、
内部に聞こえるようになっている。
『悪いことしてもないのに、
逮捕しようって言うのか?』
と住人が言ってくるので、
「前回の定期巡回。
それとその後も今までに近隣住人と巡回警官より
お宅から騒がしい声や音がすると
報告が上がっています。
任意協力でお宅の中を見せていただき、
お話を伺わせていただけませんか?」
『断る、脅しには屈しねぇ』
というと、
元通りインターホンを切られてしまった。
やれやれ、
勤務3件目で早くも捜査令状の申請とは
と思うとどっと疲れるのだった。
世間の情勢を鑑みて、
『安否確認』の捜査令状は
報告書を裁判所AIがチェックして
すぐに出るようになっていた。
ボード端末に手を置いて
全部の指の指紋認証、
端末についているカメラで
網膜をスキャンする網膜認証。
そして、最期に申請するときの
声帯認証で本人かどうか検査され、
「警察庁、大阪支部外務部、
神戸支局外務課、神楽聖警視。
申請しているレポートの住所に対して
安否確認のため家宅捜索令状を申請」
と言うと、5秒ほど時間をおいて、
『申請を受領、許可します』
と音声で聞こえ、
早速端末ボードに令状が表示される。
装備は特に必要なかったが、
家の鍵を開けてもらえないと壊すことになるため、
ピッキング専用のドローンを持ってくればよかった、
と後悔していた。
出発-3
同日 12時30分
兵庫県三田郊外、旧小学校跡地
小学校も子供の減少に伴って
少なくなり、
今は学校教育すら見直され
廃校になった校舎は少なくない。
今日の昼食がなぜこんな
殺風景なところになったかというと
美鈴を除いた2人、
神蔵先生と俺が弁当だったからだ。
美鈴は、
一人でどこかで食べてきたら
と神蔵先生に勧められたが、
結局断ってスターバックスの
テイクアウトを買うことにしたようだ。
俺も神蔵先生の分と一緒に、
ラテとコーヒーをそれぞれ買っていた。
養母の弁当はいつも楽しみだった。
今、幸せに生きているのだと
実感をするのも
こういう『家庭のぬくもり』を
感じる瞬間だ。
普通の家庭なら
そうでもないのだろうけれど、
自分にとっては特別だった。
今日は、
ちりめん山椒のかかったご飯、
鶏のから揚げ、
高野豆腐と里芋の煮物。
それとフルーツミックスだった。
高野豆腐やフルーツミックスは
ラップにくるんであって、
丁寧な作りに感謝する。
手を合わせて、いただきます、と
小声でいって食べようとすると、
『いつもながら、気持ち悪い仕草だねぇ、聖』
と美鈴。
確かに、イイ大人の男が
こういったことをしていたら
気持ち悪いのかもしれないが、
「いいじゃん、別に。
それに先生もしているよ、ほら」
と神蔵先生を見ると同じく、
いただきます、
と手を合わせていた。
『神楽君に同感だ。
感謝するね、やっぱり。
しばらくは外食が続くし、なおさらね』
と奥さんの作った弁当を食べていた。
『先生の場合は私もわかりますけど、
聖は親に作ってもらってるんですよ』
『両親もそれなりに心配するさ。
弁当はないかもしれないが、
君の両親もそうだろ、毛利君』
見事に当たりだったのか
押し黙ってサンドイッチを食べながら、
『そりゃ、そうですけど』
と、小さな声で返していた。
俺は、関係ないって感じで食べている。
良く噛んで食べるので
食事中は会話が極端に少ないし、
それに食べるのも遅いので、
会話は食後に楽しむことにしている。
自分が最後になってしまったが、
食事が全員終わって、
トランスポーターの換気をするため
少しドアを開けることにする。
「僕、少し散歩しようと思います、
先生。ゴミ、一緒に捨ててきますよ」
『ああ、ありがとう、神楽君』
と手渡され、同じく
「美鈴もゴミ捨ててくるから、
ちょうだい」
と声をかけると、
『私も一緒に行っていい?』
と返してきた。
珍しい、
いつもは寒いから
ゴミを渡されることが多いのに。
そう思いながら、
「別にかまわないよ、
それにしても珍しいね」
『いいじゃない、別に。どこまで?』
「近くのコンビニで捨てて、
飲み物を買うかな。
あと、トイレに寄る。
言っておくけれど往復で1キロあるぜ」
と、一人で行けるように
悪い情報を伝えてみたが、
美鈴は構わないようだった。
毛利美鈴、
身長は165センチぐらい。
スラリとした体型とロングヘアが似合っており、
髪を勤務中は一つにバンスで束ねて
後ろにおろしている。
大きな瞳で猫目、愛嬌のある顔が特徴で、
過疎地の訪問先では
いつも人気あるキャラクター。
今回の勤務で、
同じチームになるのは5回目になる。
頼りになる看護師だった。
歩いてコンビニへ向かう途中、
美鈴が今まで言ったことのないことを
尋ねてくる。
『あんまりプライベートな事だから
聞いて嫌だったら、あれなんだけれど?』
と一瞬戸惑い、
『聖がこうやって、食後に散歩へ出るのは、
やっぱ病気のせいなの?』
と言ってきた。
別に隠すことのものでもない。
「ああ、そうだよ。
人によって違うみたいだけれど、
俺はこのほうが調子いいみたい。
腸が動くからかな」
『そう。外務部へは自分で希望したの?
その…、
身体の事を考えると、
決まった場所で勤務している方が安心じゃない』
「ん~、確かにそういうことも考えたよ。
でも、出来れば隠したいし
気を遣われるのは好きじゃない。
外務部は事情もあって、
勤務していることもあるけれど、
希望はしたかな。
単独行動が多いから、
誰にも気兼ねしなくていいところが
気に入っている」
『ふ~ん、そっか』
「それが、どうかしたか?」
『いや、たまに聖と同じ病気の人を
見るんだけれどさ。
もちろん軽い人も見るけれど、
辛そうにしている人は治らないみたいで、さ』
一呼吸おいて、
『そう思うと、聖って強いなって思うんだよ。
移動中、たまに血液検査するじゃない。
いつもいいわけじゃないけれど、
あまり見せないもんね。悪そうなところ』
「悪いのを嘆いて治るなら、
いくらでも嘆くけど、
そうじゃないからさ。
だったら、
明るく振る舞っておくのが一番じゃん。
周りに気を遣わせたくないし、
多分遣ってもらうのも嫌なんだよ、俺が」
『やっぱり強い、聖は』
そう言うと、
見えてきたコンビニへ向かって軽やかに走り出した。
『私、先に行ってデザート見てる』
俺は、走らなかったけれど、
久々に甘い飲み物でも買って帰るか、
と思いながらコンビニへ向かった。
午後は、別の交番へ行き、
午前中と同じく勤務の警官と一緒に
訪問家庭を3件ほど訪ね、
荒れて所有者不明の農地を見回った。
訪問家庭は午前と異なり問題がなかったが、
荒れた農地は検察庁大阪支部とオンラインで
やり取りすることになった。
春までに何とかしたいと思い、
ライブ映像で確認をとりつつ
過去の巡回警官や
外務部の経産省農林局員の過去データと一緒に
検察へ提出し、強制買収手続きを
依頼したのだった。
その後の訪問先でも問題なく業務が終了し、
今日一番厄介だったのは
午前の捜査令状を取った訪問宅だけだった。
結局DVが発覚し、所轄警察に引き継いだが、
DVだけは見ると嫌になるのだった。
同日 21:30
兵庫県三田北部、国道176号線沿い
最初の宿泊地は
水素ステーションのモーテルだった。
外務部が泊まるのは、
大体はこのパターンでホテルなどは少ない。
元々、この外務部という構想が、
郊外や過疎地で行政の建物や人員が常時の必要ない地域、
の予算削減のため作られたこともあり、
低価格で泊まれる場所が多かった。
今回一緒の外務省、藤原一等書記官などは
本来は外務省で別の任務であれば
普通にホテル滞在しているはずだった。
なぜ、好んで外務部の仕事を引き受けたのか
とさえ思うのだが、
それは警視である俺も一緒だから、
人のことは言えない。
夕食は宿舎とは打って変わって
豪勢に三田牛のすき焼きだったのは
嬉しい限りで、
こういったことがあるのも
外務部での仕事の楽しみだった。
まあ、夕食は自腹だから
豪勢にしても誰からも文句は言われないからだが。
夕食を終えて、
モーテルに戻ると
各自翌朝まで自由。
これが23日間続き、
途中に設けられる休日以外はこの調子だった。
俺は戻るなりいつものように散歩し、
モーテルでシャワーを浴びると、
ロビーにノンアルコールビールを買いに自室を出た。
明日も、日の出前には起きてジョギングをするから
これを飲んだら眠る、
そう思って降りてくるとばったり美冬に会った。
モーテル2階が客室、
1階にちょっとした販売機、
ロビーと外に出るとコンビニが併設されている。
2階の廊下で出会い、
相手の姿を見てコンビニではないと悟る。
自分も同じような格好、
パジャマにコートを羽織って隠しただけ、
をしていたからだった。
「飲み物ですか?」
『ええ、眠る前にちょっと。聖さんも?』
「ノンアルコールビールを飲もうかな、と」
『そういえば、夕食の時も
ノンアルコールでしたね』
「ええ、飲めなくはないと思うんですが、
やめてるんですよ」
『やっぱり、病気の関係で?』
と間を開けて、
『あっ、ごめんなさい。
今回チームリーダーなので、
個人データにあったんです』
「いや、隠すことじゃないし大丈夫です。
それに、その通りですしね」
そう言いながら、階段を先にどうぞと促す。
『大変ですか、生活はやっぱり?』
「わかりません、病気になってもう8年。
『何が普通か?』なんて忘れてしまいました」
『慣れ、ですか?』
「そんなところです」
そうこうしているうちに、
自販機前にたどりついた。
それぞれに欲しい物を買う。
俺は、いつもムシャクシャしたときに飲む、
ノンアルコールビールを買った。
DVを見た日はいつもこうだった。
美冬は女の子らしい
甘いカクテルを買っていた。
そういえば自衛官というと、
酒豪というイメージだったが、
美冬は夕食のとき2杯目からはウーロン茶だった。
「夕食のとき、2杯目からウーロン茶でしたよね。
でも今は2本も買ってる」
ちょっと笑いつつ、
「好きなんですか、お酒?」
と聞いてみる。
『その、ビールは苦手ですし、
大勢集まってワイワイ飲むのは苦手なんです。
飲むのも、ちょっとした楽しみって言うか…』
そして、こちらのノンアルコールビールを見て、
『そういう聖さんも、
確か2杯目からウーロン茶でしたよね』
と返してきた。
良く見ているな、
と思うがここは素直に答えておく。
「ああいう場で、
最初から泡の立たないウーロン茶だと
白けるでしょ、
だから1杯目はノンアルコールビールって
決めているんです。
本当は、炭酸飲料もあまりよくないから」
『じゃあ、今は?』
「これは、ちょっとムシャクシャしたときに
飲むんですよ。美冬さんと同じ、
ちょっとした楽しみです」
『何か、嫌な事でもありました?
チームのこととか?』
と心配して聞いてくる。
「チームに不満はないですよ。ご心配なく」
そう答えると、ホッとしたような顔をして、
『良かった。こういうのって初めてなんで、
緊張しているんです』
「十分に頑張っていますし、
今はAIによるチーム編成で、
年下が統率力を高めるために
リーダーになるケースも多い。
きっとみんな理解してくれているでしょう」
思ったままを答えた。
『突っ立ったままもなんですし、
ちょっと座って話しませんか?』
と備え付けの椅子を促される。
本当は寒いのも苦手なのでそろそろと思っていたのだが、
話すことにした。
聞きたいことはいっぱいあるんですが、
と前ふりしたあとで美冬は聞いてきた。
『理系では何を研究されていたんですか?』
「最後にラボにいたときは、
最新の搭乗型ロボット<アームド・スーツ>に関しての
素材研究ですよ」
『聖さんは去られた後でも有名でした。
私、何が良かったのか覗きに行ったんですが、
すでに経営学部に移られたあとで…』
「コミュニケーションをとるのが上手だっただけで、
特にこれといってはありません」
そう言ったあとで、窓の外をぼんやりと眺める。
「懐かしいなぁ、もう6年も前の出来事かぁ」
『でも、その後も功績を残して今があるんでしょう?』
「功績と思ったことはありませんよ、
美冬さん。
俺は単に都市に集中しすぎる資金やサービスに
危機感をもって、
ちょっと論文を仕上げただけです」
俺が外を見ているので不審に思ったのか、
同じように美冬も窓の外を見てくる。
「この外に広がる風景。
もう少し北へ進むと、
今度はイノシシの料理などもあります。
そういった日本らしさ。
そういうものは、
数少ない人たちが支えています。
俺たち都市部の人間は
それらをパッケージ化して
海外に売り込んでいますが、
それはディーラーとしてに過ぎない」
『はあ』
「そんな『日本らしさを作っている人たちのため』に
なるような、論文を書いてみたい、
と入院中に思ったんです。
誰も、病気になりたくないのと同じように、
誰も『作るだけで貧しく生きたい』とは
思わないはずだって」
そして、ちょっと笑ってごまかし
「退屈でしょう、こんな話を聞かされても」
と言って話を締めようとする。
「さて、もうそろそろ眠りませんか?
美容にも夜更かしは良くないし、ここは寒い」
そう提案したのだが、あまり効果はなかったようで
『そんなことを言わずもう少しだけ、
11時ぐらいまでは付き合ってくださいよ』
と食いついてこられ、上手い断り文句を考えていると
『寒いなら、聖さんの部屋でいいですから。
お願いします、陸自じゃこんな話、できませんもん』
と上手い口実を見つけられてしまった。
顔を見ても興味しんしんといった感じなので、
「わかりました、ミルクティーだけ買わせてください」
『どうしたんです、
ミルクティーとノンアルコールビールじゃ合いませんよ』
「いえ、今日はムシャクシャが
無くなりそうなので、いいんです」
そう言って、ロイヤルミルクティーを買った。
◆
「なに、今のは?」
と思う自分を振り返って「嫉妬か」と
思ってしまうのが、またまた嫌だった。
下の自販機で「寝る前に水を飲もう」と
買いに降りようとしたとき、
ロビーから話声が聞こえてきた。
立ち止まり、覗いてから
今まで何だか私の行動が私自身で嫌だった。
聖と同じチームになって5回目。
私だって、聖のことを<セイ>と呼ぶまでに
けっこう恥ずかしさもあったというのに、
桜木はすでに初日から聖のことを
ファーストネームで呼んでいる。
桜木が聖に、気があるのか無いのかも気になるが、
すぐに打ち解けている桜木のキャラクターに
羨ましさを覚えた。
神楽聖は身長が180センチ弱で、
線の細い感じと引き締まった身体つきが
魅力のキャラクターだが、
それより内面に魅力がある。
接すると誰にも優しい性格が雰囲気を和ませる。
外務先で子供とのキャッチボールなども
簡単にしている姿は、
とても警視という階級とは思えなかった。
最近、誰にでも優しいのは
少し気を遣っているからだとわかってきたのだが…。
今は、そんなことどうでも良かった。
飲み物を買いにも行けず
立ち聞き状態になってしまって、
虚しい気分になっていると、
2階に上がってくる2人に気付き
「まずい、上がってくる」
と自室に入る。
やましいこともしていないのに
どうして私は隠れないといけないのかしら。
イライラしながら2人が部屋に入った音を聞いて
自室を出ると、
『あっ、マイケル・サンデルの本だ』
と聖の部屋から桜木の声が聞こえてきた。
「なによ、全く」
何も無く、ただ無性にイライラする。
買う飲み物は、
ミネラルウォーターから
ビールに代わっていた。
暗躍-1
2045年1月9日 13:30
神奈川県横浜大黒埠頭沖 新自由自治区
大きな部屋のソファーで
2人と向かい合い交渉をしていた。
「今日は行動の概要を
詰めに来ただけですよ」
からかうように語尾を少し上げる。
今さら金額の交渉に戻る気はさらさらなく、
「私たちは実行部隊でして、
金額交渉権はありませんし、
あなた方は既に同意したんですよ」
相手をあしらうように続けた。
恐らく、提示金額2億ドルの
再交渉から考えていたのだろう。
まったく、
日本人の『前向きに検討させてください』の
ルーズさには呆れてしまう。
それでも、クライアントの
仲介役である大黒は言葉を紡いできた。
『そうは言っても、
私も金額の事は再交渉するように言われていて
「2億ドルは高すぎる」というのは
クライアントの要望なのだ』
この弁解してくる男は、
A&J銀行幹部の仲介役で大黒正志。
こういったことを仲介する専門家だが、
この大黒は我々に依頼するまでに
確か3回ミスをしていたはずだった。
『アンタの交渉成立の手当ては
200万ドルだったかな、
十分だと思うが成果報酬がまだ欲しいのか?』
隣に座っていた相棒のジョンが横から口を挟む。
『相談役からのゴーサインは出ているハズだ』
40歳そこそこの大黒は20代のこちらを
侮ってかかっていたようだったが、
大黒は『なぜ知っているのか』と勘繰って
早くも『自分の値切りによる成果報酬』の
当てが外れたような顔をしている。
そして、こちらが何を知っているのかと不安気に見ている。
その躊躇を見透かしたように、
唐突にジョンが話し出す。
『2037年、大統領選前に国交省「VICSシステム」の
ハッキング失敗。
2041年、同じく大統領選前に
財務省「予算管理サーバー」のハッキング失敗』
普段なら脂ぎっていて不必要に健康そうに
見えるだろう大黒の顔色が徐々に白くなっていく。
『2043年、衆議院選挙前に
「警察庁AIサーバー」のハッキングも失敗、と』
ジョンはさらに追い打ちをかけた。
『そして、今回は俺たちに依頼ですら失敗すれば、
4回目。仲介者として終わりだな』
渋々ながら、
大黒は少しの嫌味を加えたものの、同意をみせた。
『わかりました、ブラッグさん、
それにファインマンさん。ただし、成功は必ず』
「なら結構」
大黒はこちらの声が勘に触ったのを
隠しきれてはいなかったが、
鬱陶しい守銭奴の金銭交渉が終わり
本題に入ることができる。
「ところで」
と大黒の隣にいる女性、速水に促した。
速水緑は野党政治家の銀行族議員の
私設秘書で年は40歳ぐらいだったと記憶している。
大黒と異なり、不必要に健康ではなく
知的な印象を受ける。
「『神戸AI自治区の対岸でAIの信頼を
揺るがすような事態を起こしてほしい』
とは一体どのような事を
貴方がたはお望みなのでしょうか?」
速水もまた大黒と同じように
こちらの年齢から値踏みしている印象は見て取れた。
「2億ドル出してくれるのであれば、
それ相応の事はさせていただきますが?」
何でもどうぞ、と余裕たっぷりに聞く。
速水は、
『神戸のAI自治区の対岸で
AIシステムに大きな不具合が出れば、
我々は今回の神戸区で行われる衆院補欠選挙と
次回の大統領選で優位に進めることができます。
それを達成するプランを依頼したのですが?』
と質問を質問で返してきた。
コイツも隣の大黒と変わらない。
我々は、僕らが破壊工作をしたあとの
希望的結果を聞いているわけではなく、
望む破壊工作を聞いているのだ。
何を考えて生きているのやら、と思いながらも
「率直に申し上げて、
優位に立つか立たないかはまず保証しかねる、
とお伝えしておきますよ、速水さん。
我々には選挙結果は保証できない」
と、速水の目を見て続けた。
「仮に警察や交通管制を麻痺させたからといって、
結果的にあなた方の要求通りになるとは限りません。
それは、その後のあなた方次第です」
『では、どうしろと言われるのでしょうか?』
速水の問いに対して、横からジョンが付け加える。
『要はその後のアンタ達が
「ロビー活動や、根回し。
そして上手く演説できるか?」
と言うことだ、と言っているんだ』
自分とは異なりガッチリとした体型のジョンが話すと、
僕よりも威圧感があるものだ。
そう思いながら、付け足す。
「そういうことです。ただし、
一番都合のよい行動を起こして差し上げる
準備はありますよ」
何も具体的な事は考えていませんでした、
と言わんばかりの間が開き、
『専門的な事はわかりませんので、
逆にいい案を教えてもらえると助かる。
そういうところでしょうか』
完全にさじを投げている。
『ヨーロッパやアメリカで起きる事件程度か、
東欧や中東で起きるテロレベルか、
人は殺していいのかダメなのか、
建物やインフラは破壊していいのかダメなのか。
そういう質問だ』
とジョンが言うのに付け足して、
「そういうことです。
何も思いつかないと言うのならせめて、
人や建物をどの程度、殺したり、壊しても
構わないのかを言っておかないと、
せっかくの2億ドルは
選挙の相手側に投資したことになりますよ」
しばらく考えて、速水は言った。
『では、民間人への被害はゼロ。
対策要員への被害も軽微で、
建物の破壊は極力止めてください』
これのどこにAIシステムの
無能さを示す力があるのか不明であったが、
「そうですか。では少しだけ時間をもらいます」
と伝えると、
隣の同僚ジョン=ブラッグと
どのパターンにするか撃ち合わせた。
あらかじめ検討してきたうちの、
パターンDとパターンFで悩んだが、
相手の金でこちらの宣伝を出来る
パターンDを取らせてもらうことにした。
「速水さん、それから大黒さん。
あなた方が最初にもくろんだ
国交省『VICSシステム』で運用されている
都市高速道路を少なくとも30分間止めて見せましょう。
それも神戸で」
『アームド・スーツを1機出し、
姿の見える形で30分間活動する。
その間に現れる敵は排除する。
それで成果は十分だと思うんだが…』
ジョンは相変わらず威圧的だった。
どちらも困惑しているようであったが、
先に速水が同意を示す。
『わかりました、それでお願いします。
但し、死者や損壊は出来るだけ避けてください』
大黒は簡単にはいかなかった。
『そんなこと、可能なのか。
第一、「VICSシステム」をハッキングするだけで
十分だと思うんだが』
確かにそうだ、パターンFは
まさにそうだった。
だが我々はパターンDを勧めているのだ。
そこで、当たり前のことでねじ伏せる。
「大黒さん、貴方はわかっていない。
2037年、どうして『VICSシステム』を乗っ取れなかったか」
『それは決まっている。
私の仲介した組織が下手だったからだ』
「確かにそうなんですが、
もっと重要な事が抜けているんですよ」
と肩をすぼめて言った。そして続ける。
「国交省の『VICSシステム』の触れ込みは、
軽快な移動手段としての車社会、
です。子供から老人まで、誰でもオートで乗れる」
『そんなことは言われなくてもわかっている』
「じゃあ、『VICSシステム』が実は
非オープン回線で運用されていることは
ご存じですか?」
『それはどういうことだ』
「あのような一度乗っ取られると厄介なシステムは、
Webのようなオープン回線で
運用すると危険極まりない」
『確かにそうだが…』
「だから、システム自体は閉鎖されているんですよ。
Webで閲覧できるのは国交省が作成した、
別系統で管理されているシステムです」
『だから、何が言いたいんだ』
ここで、我慢の限界がきたのかジョンが割り込んだ。
『つまり、「VICSシステム」を乗っ取るなら、
道路に降りて直接端末でハッキングするか、
国交省の独立AIシステムを
乗っ取るしかねぇんだよ、わかるか?』
頭の上で疑問府を浮かべている大黒に説明する。
「貴方がかつて仲介した方々が、
どのような説明を貴方に説明したのか
知りませんが、ブラッグの言ったように
直接国交省へ乗っ取りに向かうと、
当然死人が出ます。
さらに、道路に設置されている端末から
進入しても交通機動隊がすぐに
駆け付け戦闘になります」
『つまり、速水さんの言う様にならないってこった』
とジョンが付け加えた。
今でもよくわかっていない様子に見えたが、
渋々大黒も同意した。
『わかった…、ではそれで頼もう』
恐らくは、大黒自身が立案した
『VICSシステム』の2037年での乗っ取り計画を
今度こそ成功させたい、
という見栄があったのだろう。
まったく慾深いだけが取り柄だな、と思う。
交渉はこれで終わった、日次だけ伝え
「こちらの予想では1月22日を最大にして
大型の爆弾低気圧で日本列島が2年ぶりの
大雪に見舞われるハズです。
その撤去作業で警察庁が
作業に追われる辺りを狙います。
1月24日から27日を見ておいてください」
席を立って、部屋を離れる前に
大黒に向かって改めて確認のため言っておく。
「大黒さん、前金は当然1億ドルもらう予定ですが、
後金は計画が実行されたら30分の間に
必ず言われた会社の株を1億ドルで買い取ってください。
売買不成立の場合はA&J銀行の
神戸地区の支店がいくつか吹き飛ぶと
クライアントにくれぐれもお伝えを」
『わかっている』
とあくまでも強がって答えてくる。
もっとも、僕にとって金のことなどどちらでも良かった。
所詮は情報部の仕事だ。
◆
同日 15:30
東京 羽田国際空港
ハワイ行きの便を待つために
クライアントが用意してくれたラウンジへと移動し、
相棒のジョンと他愛のない会話を交わす。
テロ計画の全ては支部へ戻ってからでないと
軽々しくに口にできなかった。
しかも作戦は僕たちが作るものでもない。
「日本のAIシステム管理による交通システム
『VICSシステム』は完成された
一つの車社会のあり方だ。
現にこれで僕たちもここまで送り届けられたが、
不満は全くない。
それを壊そうというのだから、
同じ国民とは思えないね」
『俺もそう思うぜ。少なくとも、渋滞なし、
事故なし、ユーザーにも安値。文句はないわな、普通』
「その様子だと文句言いたげだな?」
『車の魅力ってのは自由に乗りまわせることだろ、
それがない社会ってのはどうもな…』
「『VICSシステム』下で自由に乗るには
ライセンスが必要らしいが、それよりもサーキットで、
その需要を日本政府は満たしているようだな」
『起きて、ハイテンションでぶっ飛ばしたい気分の時もある。
人間ってのはそういうものだろ』
この会話で彼、ジョン=ブラッグの性格がよくわかるのだが、
彼はいつも意識的に先のことは
考えないようにしているようだった。
身長5.9フィート、
ちょっと毛を出したスキンヘッドで筋肉質。
少しだけ愛嬌の持てる顔をしていなければ、
誰も近寄らないだろう。
会話を変えたいと思い、
「だけれど、誰もが時速190マイルで
安全に走れるわけじゃないからな、
仕方ないだろう。それよりも」
『何だよ』
「この国のシステムはどこか違和感を覚えるよ、
自由なのだか、管理が徹底しているのやら、
何がしたいのか全く分からないね」
『そりゃ同感だ。AIの管理する交通システムで
俺たちを送ってくれたのは「私設警察」ときている。
完全にイカレてる』
そう、日本には数年住んだことがあるはずだが、
昔はもう少し人を信用できる社会だったような気がする。
近くに住むお年寄りは自分に良くしてくれた。
それが、今は安全も金で買う時代なのだ、
公的警察とは別に警備会社ではない、
私設警察が存在するのだから。
私設警察、彼らは必要に応じて警察権限を
与えられることになっている。
ただ、公的な警察官と異なり
その権限は雇い主しか守らないことが多い。
だから例え、私設警察官の前で
銃殺される人間がいたとしても、
契約した保護対象で無ければ
権限は行使しない。
この国はどこかおかしく思えるのだった。
まだ新自由自治区だけの
特例で助かったと思う。
これ以上思い出の日本と
かけ離れたものにしないでほしいものだ。
物思いにふけっていると、ジョンが
『まあ、新自由自治区内では
警察が自由化されても平和なのだから、
どこか上手くいっているのだろうさ。
それに完全に管理されている
俺たちが皮肉るのもヤボってもんだ』
確かにそうだ。日本人はまだ自由だ、僕たちに比べれば。
「さて、まだまだ時間はあるが、何をしようか」
テロリストがテロリストらしく
身動きせずに過ごすのも性に合わなかったが、
結局はマッサージチェアを利用して
ジョンと話すだけだった。
雑誌を手にとって
ペラペラとめくりながら雑談をする。
「この国が、数々の格付け会社の予想を裏切り、
未だ世界5位のGDPを誇っていられるのは
なぜだろうね」
かつての予想で日本はすでに
8位まで落ち込んでいて当然だった。
『そりゃ、俺たちの行ったような
自治区制度や特別貿易州の導入、
それと労働人口を増やしたのが
成功したからだろうさ』
「やはりそう思うかい」
『良いか、悪いか。
それは別にして成功しているのは事実だろうさ』
「そうだね、
今のところこの制度に追い付いた国はない」
日本は、大統領制の導入と同時に、
色々なシステムを入れていた。
中でもジョンが言ったように、
教育を今までから見直し、
15歳以上で働く人口が急増したことと、
80歳になっても働ける
医療体制を作ったことが大きい。
「でも僕は、田舎を切り捨てたことも
大きいと思ってる」
『切り捨てたってよりも、
田舎の良さを保つための工夫じゃないか?』
「確かに、『壊す公共工事』なんてことを
考えたやつも、
それを実行したやつも
今までの常識にとらわれない点で怖い存在ではある」
過疎地域で、公共サービスの採算に合わない地区は、
現在の日本社会では出張型のサービスで対応している。
そして、一時は維持すら難しくなった
インフラを赤字国債で対応していたのが
大きく変わったのだ。
『壊す公共工事』とは、
維持するだけ無駄な
官庁舎、道路、上下水道、ガス、電線、
通信インフラを全て無くして
そこを農業や林業といった、
一次産業に変換する政策であり、
およそ今までの『作る公共工事』とは
一線を引いていた。
「僕は、何と言うか、
田舎ほど人のつながりが強く、
都会ほどAIに頼った脆い社会だと感じているよ」
『日本の田舎に行ったことがあるのか?』
「ああ、大統領制の前の話だけれど、
しばらく住んでいた」
『で、どう違うわけだ?』
そう聞かれたので、もっている雑誌を振りながら
「今や、雑誌と言えばほとんど電子書籍で、
こういった紙の雑誌は
紙質からして高級感があって、VIP向けの作りだろ」
『そうだな』
「それ以外の本は全て電子書籍だ。
だが、田舎に行けば、まだまだ紙の本が、
僕のときはあったよ」
『それが、ありがたいことなのか?』
「電子書籍は便利だが
本棚に並ばないからその読んだ冊数の実感がわかない。
いずれ、僕たちのようでも無ければ、
読んだものも忘れてしまう」
『それは、電子書籍でも同じことだろう』
「だけど、微妙に違うんだ。
背表紙が見えていると、
その本が何だったか考えることがある。
それが記憶の定着に繋がるのだと思う。
そして、その本にまつわるエピソードも思い出す。
本とはそういったありがたい側面があると思う」
『それが、日本の都会人には抜けている、と』
「そう思うね、少なくとも
すぐWebで調べる、購入し、
知を苦労せずに手に入れるやつは
あまり信用できない」
『まぁ、そりゃ言えるわな』
意見が同意に達した所で、
そろそろチェアも飽きた。
少し早いが夕食へと向かうとしようか、
とジョンを促した。
暗躍-2
同日 22時30分
東京、羽田国際空港
飛行機のビジネスクラスに乗り込むと、
休養を取った。
アルバートは読書をしているようだったが。
アルバートと仕事を一緒にするのは2回目だった。
俺は長らく地中海支部で活動を行っていたので、
アルバートとはグリーンランド本部のラボ以来、
面識がなかったのだ。
アルバート=ファインマン。
身長は約5.6フィート、
どちらかと言うと小柄な方で、
髪の毛はアッシュグレー、
長めで無造作にしていた。
どこか人を見透かしたようで
あまり好きなタイプではないが有能な事に
疑問はなかった。
それに、自分が好きかどうかなんて
大した問題じゃない。
何しろ、作戦さえ立ててしまえば、
一緒にいることはほとんどないのだから。
グリーンランド本部で、
俺もアルバートもiPS細胞のスペアの身体が培養されている、
言ってみれば『交換の利く兵士』だった。
幼少期から青年期に、
なんだかの理由で集められた有能な50人が被検体になり、
iPS細胞を使って様々な実験が水面下で行われた。
強靭な兵士を作るため薬物や機械化で、
肉体や頭脳強化を行われたのが半分の25名。
一方、兵士として有能に育てて、
身体の全ての部分を培養されスペアの利く兵士として
訓練されたのが俺やアルバートのような25名だった。
俺たちは、薬物や機械化を施されなかった代わりに、
毎回ミッションごとに脳の並列化を義務図けられている。
俺たちの組織では21世紀初頭に
f-MRIが大きく進歩したおかげで、
既に脳科学が大きく発達し、研究し尽くされ、
脳のどこの部分でどこが活動して
記憶中枢の海馬に記憶されるか解明されていた。
そしてスペア脳に同じ電気信号を受けさせ
記憶の並列化と、学習を施しているのだ。
だから、ラボで知り合いだった誰かは
既に脳にダメージを受けて、
脳の交換が行われているかもしれなかった。
実際、俺も定かではない。
もし、俺の脳が代わっていたとして、
周りが黙っていたら
どうやって見分けをつけるのだろう。
一応、オリジナルの脳とされているが、
そういう点で、交換されていてもわかるわけもなかった。
既に俺の身体は地中海での任務
『第一次東欧戦争(2038年)』で脳から下は交換している。
その点、隣で読書をしているアルバートは優秀で、
まだオリジナルの身体を保っている。
まるで、実験動物のような扱いにだんだんと嫌気がさす。
地中海支部の任務時で調子に乗って、
殺意のまま動いているときM-16を持ったまま
右腕を吹っ飛ばされたのだった。
身体のバランスが悪くなるとかで、
結局、脳を除く全身換装を余儀なくされ、
リハビリも苦労した。
最も、実験動物のような俺でも
生きているのだとも思ったが。
さて、俺は寝よう。
アルバートはよく本を読んでいるが、
何が楽しくて読んでいるのやらさっぱりわからなかった。
所詮、俺たちは使い捨て、学習して何になる…。
必要な学習は効率よく脳に
組織が叩き込んでくれるのだから。
◆
ジョンは眠ったようだった。
会話をしていて、これは直観だが、
ジョンもあまり使えないと思う。
実戦経験を積んでいる分、
普通の兵士よりは有能かもしれないが、
洞察力と緻密な思考に欠ける。
僕たち兵士は、行き当たりばったりではいずれ死ぬ。
ジョンも、僕も、恐らく
『実験動物のような生活』に
うんざりしているのは一緒だろう。
だが、それを転覆させようとは思わないのだろうか。
この僕たちを虫けらのように
管理しているヤツらをいつか、
スムージーのようにバラバラにしてやりたいとは
思わないのだろうか。
ジョンも、この『実験動物のような生活』に
嫌気は差しても、既に飼い慣らされているのだ。
慣れは恐ろしい。
ほとんどの事にみんな慣れてしまう。
常に新鮮な気分でいるために
本は欠かせないもののひとつだった。
ハワイ支部へ帰って脳波検査を受け、
グリーンランド本部のスペア脳に
同じ記憶を並列化したとしても、
僕自身が何を考えているかまでは
今の技術でf-MRIを利用してもわからない。
だから、安心して反逆心を持つことができる。
こういう反逆心を持った時から、
まず何を考えているのかわからないように
心理学を使ってごまかすすべを学んだ。
隣にいるジョンも
恐らく僕を好きではないだろうが、
これはジョンに限った事ではなかった。
心理学に従って行動すると、
人からあまり好かれないようになった。
普段から自己顕示欲を出すようなしぐさを見せれば
当然だが構わなかった。
特有のからかうような仕草だ。
親切にさえしていれば、
人は表立って好戦的な態度は取ってこない。
例え嫌っていたとしても。
次に、この僕をモルモットのように
使う組織にどのようにすれば復讐できるのかを
考えている。
僕をこの組織に巻き込んだ父親を
バラバラにしても気の済む問題でもない。
組織まるごと、
地球上から跡かたもないようにしてやらねば。
僕たちの組織は、一見すると
普通の会社のように部署ごとに分かれ、
専門分野を持った、緻密な組織に見える。
だが、これは単なるリスク分散だ。
ジョンのように所属部署が変わっても、
組織のトップが誰なのか、
どのように意思決定をしているのか、
まるでわからない。
そもそも、情報部はどうやって相反する国、
例えば中国とアメリカ、
などから依頼を受けるのかも謎だった。
どこにそれだけの人脈があり、
足跡がつかないのか。
テロの需要はあっても先進国の当局にすら
情報がリークされないのは、
何だかの理由があるからに違いなかった。
いけない、復讐を考え出すと、
ついつい深くのめり込んでしまう。
思い直して、読みかけの本を再び読み始めた。
1月9日 13:00
ハワイ島
ここは、ハワイ島の地下200メートルに作られた、
僕たちの所属する
組織<シンフォニー>のハワイ支部。
ホノルルから観光用の潜水艇を乗り継いで、
小型の軍事用潜水艦に海中で乗り換え
この地下基地のドッグまで入港する。
無論だが、この観光用潜水艇自体が
カモフラージュで、
僕たちの基地に向かうときは
貸し切りになっていた。
さらに、アメリカ海軍のソナーですら
探知できない小型の流体電磁推進の潜水艦で入るため、
パールハーバーの近くであっても、問題なかった。
ハワイ島自体が、火山島であるため、
誰も地下基地を建設するとは考えない。
僕らの組織のAIが叩きだした計算で、
火山活動があっても深刻なダメージを受けない地区に
建設している。
僕らの組織のAIはビッグデータを統計的に処理する先進国家の
統計処理型AIではない。
量子コンピュータを利用している点で同じだが、
微積分型AIになっている。
もちろん統計処理も行うが、
物事の因果律がしっかりとわかるシステムなのだ。
10:30にホノルルに到着して、
この基地までまっすぐ帰還すると、
すぐに脳の並列化チェックを行う。
一番嫌な時間だが、
痛みなどは伴わないため、
時間が過ぎるのを待つだけだった。
20分ほどで終了すると、
昼食をとって、コーヒーを飲んでくつろいだ。
そして、今のブリーフィングに入っている。
今回は上陸とその後の撤収まで作戦会議で、
ブリーフィングルームには、
作戦指揮官、ジェファソン大佐、ハワイ支部陸戦部隊指揮官
艦隊士官、ジョンソン中佐、潜水艦<ドヴォルザーク>艦長
陸戦士官、スティール少佐、今作戦の陸戦指揮官
陸戦士官、ファインマン大尉、今作戦の実践部隊員
陸戦士官、ブラッグ中尉、今作戦の実戦部隊員
情報部分析官、ライアン中尉、今作戦の実戦部隊支援員
技術士官、ライト中尉、潜水艦<ドヴォルザーク>技術班長
の7名だった。
組織名は<シンフォニー>で、
各メカにはオーケストラ関係の名前が
つけられているところには、
ある種のユーモアーがあって僕も嫌いではなかった。
もっとも、所詮はテロ組織であり、
私設武装集団なのにも関わらず、
これほどきっちりと部署と階級が
分けられているのも面白かったが。
『さて、まずクライアントとの最終の打ち合わせにいった
ファインマン大尉より結果を伝えてもらう』
とジェファソン大佐が始めた。
「クライアントとの話し合いにより、
今作戦のパターンは事前に決めたD。
<アームド・スーツ>を使い
神戸AI自治区対岸での交通マヒを30分間行います」
『実際に、それだけでいいと
クライアントは言ったのかね?』
と訊き返す、ジェファソン大佐に、
「クライアントは戦闘関係に関して、
全くの素人で計画すら持ち合わせていませんでした」
と答えて、ここで間を開ける。
日本人の危機意識や戦闘意識の低さに皆、失笑している。
「そこで、要求自体は簡単で宣伝にもなるように
<アームド・スーツ>での交通マヒを提案し、了承を得ました」
『具体的に、光学迷彩の使用や、交戦規程は提示されたか?』
とスティール少佐。
「いえ、これに関しても、
こちらがどういう方法でまでは
彼らは検討していなかったようで、
『任せる』とさじを投げられました。
ただ、交戦規程は、民間人の死傷者はゼロ、
軍や警察関係も被害は抑え、
建物への損壊も抑えるように、とのことです」
『そんなことで、2億ドルも出すのかね、彼らは?』
とジェファソン大佐が聞いてきたので、肩をすくめて
「我ながら、いささか笑いをこらえるのに
大変でした。以上です」
と返しておく。ジェファソン大佐が続いて、
『ブラッグ中尉、何か補足があるかね?』
とジョンに聞いた。
『いえ、ありません』
とジョン。
『では続いて、情報部、ライアン中尉。
既にファインマン達の報告には目を通してあるな』
とジェファソン大佐が、ライアン中尉に作戦を促した。
『はい、大佐。
ファインマン大尉の持ち帰った交渉内容を元に、
事前計画に若干の修正を加え最終作戦にしております』
そう言ってライアンは前の有機ELパネルに映像を表示させる。
ジェファソン大佐もパネルを見るため椅子に腰をかけた。
『クライアントの要望は、
日本がAI自治区と称する
このポートアイランド、六甲アイランド。
2つの人工島の対岸で日本政府の
国交省『VICS』を止めることにあります』
ライアンは揚陸ポイントをしめし、
『この人工島の周囲220ヤードは
ソナーでの警戒が厳しいため、
当日の天候に合わせて揚陸ポイントを東と西に分け、
都合のいい方を利用します。
東側を西宮浜という場所に設定しファインマン大尉、
西側を和田岬という場所に設定しブラッグ中尉、
それぞれに担当してもらいます』
『それで、どちらを優先するのだ?』
スティール少佐が聞くと、
『支障がなければ、より障害物の少ない
東側から上陸を考えています』
『それで』
スティール少佐が続きを促した。
『任務時間40分で予定し終了したのち、
西宮浜という場所より海中に潜り水中推進で
六甲アイランドの東2マイルの地点で
<アームド・スーツ>を潜水艦<ドヴォルザーク>で回収します。
回収ポイントは西側揚陸ルートでも基本的に変わりません』
『ファインマン、どうだ』
そう言ってスティール少佐が僕に促してきたので、
「問題ありません、少佐」
『ブラッグは?』
『同じです、少佐』
と実戦部隊の僕たちは問題ない意思を伝えた。
ライアンはさらに続けた。
『内通者からの情報で、
恐らく初期の迎撃部隊は、
警察庁警備部ロボット機動部隊の
大阪支部<アームド・スーツ>部隊になります。
揚陸ポイントがどちらであっても、
出来る限り交戦に有利なである深江浜、魚崎浜で
迎撃してください。
早くて交錯までは20分、
ブラッグ中尉の揚陸ポイントでも十分間に合います』
『予想される迎撃機は、どの程度の規模なんだ?』
とスティール少佐。
『大阪支部には、<アームド・スーツ>が2個小隊、
8機待機されています。
機種は第2世代型、<MAS-3>。
ですが、装備が警察使用なので、
こちらの<アームド・スーツ><アレグロ>1機で
迎撃可能と見ています』
『簡単に言ってくれるぜ』
とジョン。僕は無言を貫く。
スティール少佐が正論を言った。
『相手の指揮官にもよるな。
逐次投入してくれると助かるのだが』
これを聞いて、ライアンが続けた。
『マニュアルに従えば、
陽動を警戒して1個小隊の4機が出撃してくるはずです。
もちろん、指揮官次第ですが。
何しろ、日本政府としては
<アームド・スーツ>がいきなり都会の真ん中に
出てくることはマニュアル化してあっても、
想定はしていないはずです』
「あとは天候が悪くなり、
災害救助で出動していることを
願うのがいいでしょうね」
補足で、僕が足しておいた。
ジェファソン大佐が再び口を開き、
『作戦概要はわかった。では次、技術部ライト中尉』
『はい』
と返事をしてライトが続ける。
『今回は先ほどもライアン中尉からありました、
内骨格第2世代型<アレグロ>2機を準備します。
液化水素は行動予定が40分のため
サブパックは搭載しません。
但し、もしもに備えて、
液化水素は満タンにして最大出力で
80分の起動時間を確保します』
『異常時にはどうする気だ?』
とスティール少佐。
『これを超える任務になったときに備え、
ヘリのV-22ver.2<スーパーオスプレイ>と
UH-60ver.3<改良型ブラックホーク>の2機を
<ドヴォルザーク>搭載し、
液化水素パックを用意します』
『あとは、我々陸戦部1小隊を随時投入か』
とスティール少佐が付け足した。
『よし、わかった。
作戦開始コード、中止コードなどの細かいことは
作戦開始前のブリーフィングで決め、衛星通信で報告。
部隊の出港は15日、2200時』
一区切りおいて、
『ジョンソン艦長、何かありますか?』
『いいえ』
と短いやり取りの後、ジェファソン大佐が最期を締めくくった。
『では、皆の無事の帰還を信じている。解散』
◆
暗躍-3
ブリーフィングルームを出ようとしたとき、
ジェファソン大佐に呼び止められた。
『ファインマン大尉、ちょっといいかね』
「何でしょうか?」
また、今回の日本行きにあったような特命だろうか。
そうであればそれで構わないのだが、
などと思っていると、
『ちょっと待ってくれないか』
と全員が出て行くまで待たされる。
残っているのは、
ジェファソン大佐、ジョンソン中佐、スティール少佐、
と僕だった。
『これから、ハワイ支部長の
コバーン中将に会いに行く。
これは公にはしないでくれ』
と念を押され、部屋を後にする。
コバーン中将の執務室に、列の最後尾で入っていくと、
参謀長、ガーナー少将
コバーン中将副官、レーガン中佐
ハワイ支部海戦部隊指揮官、ウェルチ大佐
ハワイ支部情報部指揮官、ブロンソン大佐
潜水艦<ワーグナー>艦長、ミッチェル中佐
潜水艦<マーラー>艦長、オートレイ中佐
の7人が既におり、ちょっとした密室会議になる。
僕も入室して、従卒がドアを閉めると始まった。
対面式のソファーがあり奥からコバーン中将、
ガーナー少将が腰をかけ、
レーガン中佐が立って後ろに控えている。
僕が位置する側には、
ジェファソン大佐、ブロンソン大佐が腰をかけ、
その後ろに、
ジョンソン中佐ミッチェル中佐、オートレイ中佐、
の艦長三名とさらに後ろで
スティール少佐と僕が並んで立っていた。
唯一、対面していないのが、
テーブルの側面に位置するソファーにかけた
情報部指揮官のブロンソン大佐だった。
密室会議冒頭でコバーン中将がまず口を開き、
『ファインマン大尉、
まずは交渉ご苦労さまだった。
思惑どおりに進めてくれた』
「ありがとうございます」
と言ったあと、コバーン中将はさらに続けた。
『この中で、既に知っている者もいるが、
今回の作戦が上手く言った場合、
最も我々にとって有利な展開は、
日本とアメリカが、
中国かロシアを疑ってくれることだ。
そうすれば、
さらに我々のクライアントが
増える事態が起こるかもしれない』
ここからは、ガーナー参謀長が引き継いだ。
『グリーンランド本部は
一気に極東で火がつくことを狙っているようだ、
最もほどほどにだが。
そこで我々も
潜水艦を<ドヴォルザーク>に加えてもう
一隻<ワーグナー>を出撃させ小笠原諸島付近で待機させる。
<ドヴォルザーク>は任務終了次第、
このハワイ支部へ帰還。
交代で各種装備を搭載し<マーラー>も出撃して
<ワーグナー>と合流。今後の展開に備えて待機する』
ブロンソン大佐はさらに付け足した。
『今回は、今までの紛争地帯とは異なり
先進国に仕掛ける初めてのテロになる。
そのため我々ハワイ支部だけでなく、
ロード島支部、小アンダマン島支部、
ソコトラ島支部、ファイアル島支部、
から潜水艦を1隻出港させることになっている。
3海洋にそれぞれ展開し、混乱を見極める方針だ』
ブロンソン大佐は一端ここで話を切ると、さらに進めた。
『そして、これは別の計画になるが、
今回のスティール少佐の率いる
チームの作戦の先には日本の誇る
AIのデータセンターの位置を
特定することが狙いだ。
この作戦は第1段階に過ぎない。
我々も、日本のAIが収集するビッグデータや
統計解析のデータセンターがどこにあるのか、
未だ掴めていない。
それは日本が上手く隠しているからだが、
AI自治区のテロを依頼してくるクライアントが
今後現れたときに、
その位置がわかる、と我々は期待している』
そして、コバーン中将が最後を締めくくる。
『だから、ファインマン大尉。
まずは上手く進めてくれ。
出来れば、ブラッグ中尉ではなく
上陸作戦遂行も君の方が適任だと思っていることを
覚えていておいてほしい。
それとジョンソン中佐、ミッチェル中佐、オートレイ中佐、
スティール少佐、忙しくなるがよろしく頼む』
そして、一同を見渡しコバーン中将は締めくくった。
『皆の健闘に期待する』
コバーン中将の執務室を出て、
高級将校、高級士官の執務室フロアを出ると、
エレベーターを使って<アームド・スーツ>の格納庫へ向かう。
ここのエレベーターは静粛性を持っているが、
横浜で乗ったものと比べると
ただの上下しか移動できないワイヤー式だった。
こう考えると、コケのように言った
横浜の新自由自治区もリニアエレベーターもあり便利だった。
日本の凄さを改めて感じた。
先ほどの会議にあった狙いの先を僕なりに探ってみる。
恐らく、日本のデータセンターと
AI自治区が関係しているとすると、
大型の量子コンピュータ演算機能を壊すか、
データリンクを切って、
データの流れを大幅低下させたときに生じる
『テータ量の変化』だろう。
電力を細かく測定して、
大体の位置を割り出すのか。
そのとき使用するのは中国政府が
極秘裏に進めている
『ダイナモ理論を使った地震攻撃兵器研究』
に関係する人物から引き出すのかもしれない。
もともと、地震が多かった中国政府が
地震予知にマントル対流の関係を探り、
ダイナモ理論による地球磁場の研究を始めたのが、
地震兵器研究の始まりだった。
もっとも、そのときは地震予知研究だったが。
その後、中国政府はこのデータを細かく収集し、
地球上の磁場変化から
大きな電力の流れの変化を測定できるとされている。
これを、利用すれば確かに
AI自治区の量子コンピュータを止めるだけで、
日本のデータセンターの位置がわかるかもしれない。
先ほどのコバーン中将の野心的な言葉を思い出す。
そうすると噂で聞いたカムチャッカ半島に
もう1つ新しい太平洋基地を作るかもしれない、
というのもまんざらでたらめではないということになる。
物思いにふけりながら歩いていると、
格納庫に着いた。今回の任務で一緒になる
潜水艦<ドヴォルザーク>の技術士官の責任者、
ライト中尉に挨拶すると、
担当の整備兵を紹介してもらった。
<アームド・スーツ>は担当整備士長が決まっており、
担当者との意思疎通は
<アームド・スーツ>の性能を十分に引き出すため
必要不可欠だった。
担当整備士長は技術部下士官が着くことが多いため、
尉官以上しか搭乗できない<アームド・スーツ>では、
その整備長とは上下関係がついてしまうのだが、
僕はその関係があまり好きではなかった。
『はじめまして、ファインマン大尉。
ポプラン伍長であります』
「はじめまして、ポプラン伍長。
仕事中に悪いけれど、時間は構わないかな?」
『構いません、何なりと』
「僕が乗る機体を見せてくれないか、
あとできれば実際に乗って細かな調整を行いたい」
『すいません、大尉。
現在、大尉の乗る予定の<アレグロ>、
<ドヴォルザーク>用1号機は定期オーバーホール中で、
仕上がりは3日後になります』
「そうか、残念だな。
まあ、無理を言って困らせても悪い。
しっかりとメンテナンスを頼むよ」
『はい』
「あと、武器を換装するだろう。
既に決めてあるから、
言っておいて構わないかな?」
『伺います』
「セラミックナイフを2本、
ポジトロン・ハンドガンを2丁。
それと、光学迷彩を第3世代型で
使える装甲にしておいてほしい」
『わかりました』
あくまで、ポプラン伍長は律義に答えてくる。
「そんなに硬くならなくていいよ、伍長。
それだと最後の注文がしにくくなる」
『はあ、すいません』
そして最後の注文をした。
「搭載されるAIとの調整を行いたい、
4日後の12日から3日間。
15日まで毎日くるので、
整備に付き合ってほしい。
ポプラン伍長の勤務で空いている時間を
メールしておいてくれないか?」
そういうと、格納庫を後にした。
この、ハワイ基地は比較的恵まれていて、
都会のホノルルが近いため、
定期便の静粛性潜水艦で外出するものも多い。
元々、アメリカ国籍や、
表向きのペーパーカンパニーに所属して
ビザを取得している者ばかりなので、
ホノルルは遊びに持ってこいだった。
僕のいるハワイ支部を含めて、
ロード島支部、小アンダマン島支部、ソコトラ島支部、
は都会に結構近いため、同じような手段で外出できるが、
ファイアル島支部とグリーンランド本部は
都会が遠いため娯楽施設が限られていた。
グリーンランド本部は、
大きいこともあってそれなりに
娯楽施設も充実しているが、
ファイアル島支部はいつも
『イギリス領ジブラルタルから定期チャーター便を出せ』
と勤務者から声が上がるのだそうだ。
もっとも、そんなことができるはずもなく、
結局は長期勤務、長期休暇で我慢しているという話だった。
ジョンは早くもホノルルに出たようだが、
娯楽は僕にはあまり関係ない、
と思うので必要なかった。
外出するのは、陽の光を直に浴びたいときだけで、
あとはトレーニング、読書、<アームド・スーツ>のシュミレーターで
時間を過ごすのがほとんどだ。
陸戦部隊の部屋もあるが専用デスクはなく、
たまに覗くだけで、
特に予算申請の時以外は入ることもない。
メールも腕時計型のウェアブル端末に届くので
PCもほとんど使わなかった。
◆
そもそも、この規模の組織が
なぜ内通者も出ることなく、
独立して国家並みの軍隊規模を誇れるのかは、
かなり謎だった。
本部や支部に出入りするものは
僕と同じく腕時計型ウェアブルセンサーで
会話までログされているし、
情報漏れは少ないかもしれないが、
それだけが理由なのだろうか。
兵力を消耗するテロ行為は、
情報部が仲介して資金源としている。
そのため、戦闘テロで組織の直接の人間は
死ぬことはまずない。
今回のような特殊任務でもない限り、
直に組織から出撃する人間はいない。
それも、この組織を保っている1つと言えた。
陸戦部隊が出撃するときは
ミサイルのレーザー誘導や施設の破壊など、
アメリカのレンジャーやデルタのような
戦術のしっかりしたものだった。
海戦部隊も同じようなもので、
一定の施設を狙ったミサイルテロや
ミサイルの迎撃に
レールガンを<アームド・スーツ>で撃たせる程度だった。
「あとは僕たちのような飼い犬」の存在が
大きいのかもしれない。
もともと、組織に管理された人間は、
組織外では生きていけない。
それでも単なる、ひとつのテロ組織に
そこまで出来るものなのか?
と疑いたくはなる。
もしかすると、僕のようなiPS細胞を
採取されている人間でない、
普通の人間、でもこの組織を抜けたとして
世界中で生きる場所など無いのかもしれない。
各国の要人クラスと何だかで繋がりがあれば、
それも可能かもしれない。
暗殺される、という事だ。
だが僕は生き続けることなんて
望んでいないのだから構わないが…。
ただ、この組織をバラバラにすることさえできれば
構わなかった。
もっとも、それが難しいのだが。
◆
まだ、夕食には早く、時間があるため
シュミレーターをすることにしたが既に先客がいた。
同じ陸戦部隊のマーガレット=ディラック中尉だ。
『あら、帰ってきてたの?』
「ああ、さっきね」
『で、今度は乗るの、<アームド・スーツ>に?』
「一応、予定されているよ」
『で、「そのための肩慣らしに来た」ってわけね』
マーガレット=ディラックは
身長5.3フィート。
兵士らしい強い目つきをしているが、
それは人前だけであって、
可愛らしい顔つきをすることもあるのを知っている。
大きな猫目と、小さめの鼻と口が特徴の女性だった。
僕と同じく、ラボで育ち今まで
負傷なしで任務をこなしている。
身体の若返りのために換装手術を行っていて
脳以外はiPS細胞の身体だった。
それもあって27歳のはずだが、20歳ぐらいに見える。
<アームド・スーツ>と陸戦の格闘技に長けていて、
陸戦隊のメンバーからは『鉄の女』とか
60歳近い整備士からは『サッチャー』などと呼ばれている。
もっとも、本人は全く気にしていないようだったが。
『どうよ、アル。私と腕試ししない?』
そう言って、マーガレットは返事も効かず
シュミレーターに乗り込む。
「おいおい、メグ。確か俺の26勝2敗だったから…、
って聞いていないね、仕方ない」
お互い、『アル』、『メグ』と呼ぶ程度には
仲が良いと思う。数少ない打ち解けられる人間だった。
僕もシュミレーターに乗りこむ。
<アームド・スーツ>は実際には24フィートほどの
直立式2足歩行のロボットで、
搭乗時のGが少ないように立って乗る姿勢を取る。
コクピットに治まると、
ベッドのマットレスのようなもので
全身を締め付けて安全を保つと同時に、
操作系に直結する。
専用のヘルメットをかぶり、
そのバイザーに映像が映し出される仕組みだった。
これで頭部の目に当たる部分に2カ所カメラがついてあり、
これだけで立体的に映像解析できる。
さらに腰の見えないほど小さな部分に1カ所カメラがついていおり
サブとして機能していた。
バイザーには3次元的に映像が映る。
手にも、手袋を装着して、
5本の指を使うのだった。
今回はシュミレーターなので、
スーツ姿でも可能だが、
本来は専用のプロテクタースーツを着て、
感覚を研ぎ澄まして乗るようになっている。
シュミレーターのフロントハッチが閉まると、
地形設定してシュミレーション開始になるのだった。
◆
結局、2時間は付き合わされた。
本当のGがかかる<アームド・スーツ>に比べれば
大分マシだったが、それでも集中力はかなりのもので、
久々な事もあって流石に疲れた。
お互いに、シュミレーターを降りると、
「結局連敗しただけだったな、メグ」
『アルこそ、女の子には優しくしろ』
と言いながら、
汗でベトベトになったスーツパンツを見やる。
流石にこれはクリーニングが必要だろう。
1回履いたを通しただけだというのに、最悪だった。
ドローンがシュミレーターの使用後の
メンテナンスに取りかかる。
ここに来たもう一つの目的を
メグから聞きださなければならなかった。
僕たちしかわからない悩みに関してだった。
それでも、聞くのに多少の抵抗を覚える。
「なぁ、メグ」
『ん?』
「僕は、今回の任務が終了したら、身体の換装作業だ」
『あぁ、そうか。アルも25歳だからね』
「身体を換えた後の感想を聞いても構わないかな?」
怒るかと思ったが、真剣さが伝わったのか、真面目に考えてくれたようだ。
『正直、人によるとは思うけれど、
私は苦労した。
細かい感覚は今も戻っていないのかもしれないって
ときどき思う。
何かをして、
例えばトレーニングや訓練をして数値を見たら、
正常なんだけれどね。
とにかく、なんて言うか、
自分のベースをゼロにされてしまう気分になるわ』
「そうか、ありがとう。参考になったよ」
『やっぱ、怖い?』
「いや、怖いことはない。
失敗したら処分されるから痛みはないと思うし。
ただ、復帰は早くしたいからね、
そのためのコツを聞いておきたかった」
思っていることの半分は伝えた。
組織に復讐するために
早く身体の感覚を取り戻す必要があるのだ。
今回、支部長の密室会議に顔を出せる程度には
組織の機密情報に触れる機会を得た。
復讐するためには
もっともっと上に行かないといけないのだから…。
そう思いながら去ろうとして、
「シュミレーター、面白かったよ。ありがとう」
と伝えると、メグの方から、
『アル、夕食ぐらい一緒しなよ。基地の食堂だけれど』
と誘われて、夕食を一緒にとることになった。
休日-1
2045年1月14日 18時30分
兵庫県山東町、駐車場
恐らく、俺にとって
今回のルート一番の山場は越えてしまった。
今日の遠阪峠の頂上にある
集落が一番の難所だったからだ。
空気はおいしく、
ノンビリと流れている雰囲気は
とても好きなのだが、
トランスポーターを運転するには
億劫な場所だった。
今は休日直前の
ブリーフィングが行われている。
そうはいっても重苦しいものでもなく、
『えー、とりあえず
今日まで無事に乗り越えられました』
と美冬が話している。
『明日は休日ですので、
今から明後日の16日まで
皆さんゆっくりと過ごしてください。
集合場所はここで、
ちょっと遅めですが9:30にしましょう』
本来は9:00集合が普通だったが、
外務部勤務では残業もあれば、
早出もあるため、
外務チームの班長に
そのあたりは決める権限がある。
『明後日は、鳥取支部の外務部の方たちと
和田山で落ち合い
10:30ブリーフィングがありますから、
遅れないでください。
16日の集合はここでお願いします』
俺は本当のところは
1人で車を使ってドライブの予定をしていたが、
結局、若者グループで
明日は兵庫県香美へスキーをしに
行くことになっていた。
神楽先生と藤原事務官は
城崎温泉で家族と会うらしい。
ちょうど、
15日が日曜日に当たっていたので
2人にとってはいいことだった。
◆
『はい、採血終わり。いいよ、聖』
と美鈴に言われ
左腕の脱脂綿を指で押さえながら
服を着ていく。
2日前の勤務前に採血をして、
昼食前に神蔵先生に診察を受けたのだった。
外務部での外務中は、
トランスポーターで
定期的に採血と診察をしてもらえるのは助かった。
特に神蔵先生は総合科医長だが、
消化器科にも詳しい。
『一応、採血結果が出てから、
食事前に診察しておこう。いいね、神楽君』
と神蔵先生に言われた。
今回の勤務でも今のところ、
病気の悪化はなく順調に来ていたので、
気分も良かった。
いつも悪いわけではないのだが、
悪くなるときは最初に
『熱かな?』
と感じる症状がでて、
次に本当に熱が出る。
だいたい1日ぐらいのラグがあって、
熱が出るときは
血の混じったトイレへ行かないといけなくなる。
美鈴が、
『聖は、次の休日は何して過ごすの?』
と聞いてきたので、
「とりあえず、雪じゃないみたいだから、
レンタカーでドライブしようと思ってる。
あとは温泉かな。
城崎か湯村って有名な温泉があるから」
『1人で温泉って、ジジイか、あんたは?』
『そりゃ、差別発言だよ。毛利君』
と神蔵先生が割って入った。
『私も家族で城崎温泉へ行く予定だよ、
現地集合だ。
子供も来ているし喜ぶと思う。
温泉は何もお年寄りだけのもの
ってワケじゃないよ』
『そうだったんですか、先生。あははっ』
笑ってごまかしたあと、
『でも、聖は別。
先生みたいに家族で、
ってわけでもなく、1人でしょ?
ありえなーい』
と、自己肯定は忘れなかった。
「どう過ごそうと、俺の勝手じゃんか」
『ねえ、スキー行かない。
「ハチ北」へさ。
今年は雪があるらしいんだよねー』
「ふぅうん、
美鈴はスキーに行くのか。
楽しんできてな」
ハチ北、というのは
このあたりでは有名なスキー場だ。
そうはいっても近頃は、
西日本でスキーのできるシーズンは
年々短くなっていた。
地球温暖化の影響らしい。
『なぁに、他人事を決め込んでるのよ。
一緒に行くのよ』
そう言って顔を近づけて睨んでくる。
『それとも、もしかして
滑れないの、聖は?』
「いや、そういうわけじゃないけれど」
『じゃあ、決定ね』
「おいおい、勝手に決めないでくれよな」
ここで神蔵先生が聞いてきた。
『今まで、今回の外務で
手足の冷えが気になることあったかい。
神楽君?』
「いいえ、ありませんけれど」
『神経痛は?
手や足が冷えて
お腹にきたような感じはあったかい?』
「それも、ないですよ」
『じゃあ、身体の事を心配しているなら
大丈夫だと思う。危ないと思ったら、
ゆっくり宿舎で休んでいればいいから、
行ってくればいい。
身体の事を気にしているんだろ?』
『先生、何を聞いているんですか?』
そう言って美鈴が
今の質問が何を意味していたのか聞いてくる。
『人によって症状は違うけれど、
神楽君の飲んでいる薬は毛細血管を
細くする効果があるから
どうしても冷え症になりやすい。
そこから、彼の持病が悪化するケースもある』
『え、そんな』
『それに、これは私の推測だが
「自分がトイレにたくさん行くと
迷惑をかけるから、自分は抜ける」
と思ったんじゃないかな』
「そんなことありませんよ、
それほど気を使うタイプじゃありません」
『だから、私が大丈夫って言ったから
たとえ「トイレが多少多くなっても」
私のせいだ、
だから気にせず行っておいで』
『そうだったんだ、ごめんね。聖』
そう言ってから、ちょっと肩を落として
採血した容器を
トランスポーターの分析機にかけに行った。
その間に神蔵先生が、
『神楽君、君のそういった
「自分のせいでぶち壊しになるから
参加しないでみんなで楽しんでもらおう」
という心遣いは、いいところだ。
だけれど、これから先もずっと
そうやって生きていく気かい?』
「それは、そんなこともありませんが…」
『私や毛利君は、
君と外務するのは初めてじゃない、
もう何回も一緒だ。
少しは気の許せる関係だろう。
時には甘えてもいいんじゃないかな?』
とアドバイスをくれた。
その直後に美鈴が戻ってきた。
『神楽君、ズケズケと言ってしまってごめんね。
まあ、参考程度に心にとめておいてほしい』
「いえ先生、ありがとうございます」
改めて神蔵先生の優しさに感謝した。
その場を離れていた美鈴は、
そのやり取りが知らなかったので
『どうしたの、聖?』
と尋ねてくる。俺は答えて
「俺も行くよ、スキー。
久々だから上手く滑れるかわからないけれどさ」
と答えると、大きな瞳を一段と大きくさせて、
『ホント、聖。じゃあ、
一緒にスキーで決まりだね』
と機嫌良さそうにしていた。
結局、血液検査の結果も診察も問題なかったため、
スキーに行くことになったのだった。
◆
外務で使用する車は、
機材などを載せているため、
私用の休日には使えない。
そのため、神蔵先生と藤原書記官は
レンタカーでそれぞれ城崎に向かった。
これは、別に2人は険悪というわけではなく、
それぞれの家族で使うかもしれないからだった。
それに、再開した家族も隣に同年代の女性、
男性を乗せた姿は見せたくないだろう。
2人と別れるようにこちらも、
レンタカーで目的地に向かおうとしたとき森脇さんが、
『ちょっと悪いんだけれどさ、
ここでラーメン食べてもいいかな。
夕食前って十分わかっているんだけれど』
「俺は別に構いませんけど…、
でもさっきパンをつまんだんで、
SUVで待っててもいいですか?ごめんなさい」
本当はウソだった。
身体の都合上、落ち着いて食べる時以外の間食は控えている。
だが、山東のラーメンが有名なのは知っていたし、
森脇の気持ちも十分わかるのでフォローを入れておく。
「でも、ラーメン食べるってわかっていたら、
僕もパンを食べるんじゃなかったな。
美味しいですもんね、山東ラーメン。森脇さん」
と振ると、
『そうなんだよー、2人はどうかな?』
と森脇さんが、美鈴と美冬に促す。
ここで2人とも『ノー』と言ってしまったら
どうするのかと思ったがタイミング良く美鈴が、
『私もちょっとおなか減ってたし、
少し食べていきます。
それに私も山東のラーメン好きだし』
と言ってくれたので、気まずいムードは避けられた。
森脇元康は身長175センチぐらいで、
自分より少し低い。
間食が多いからか、引き締まったとは言えない
身体つきだった。
それでもガッチリしているのは確かで
太っている印象は受けない。
今回のスキーメンバーでは一番と年上で、
わりとあっさりした性格だった。
俺は「森脇さん」と呼び、
向こうは『神楽君』と呼んでくる。
もっとも、美鈴は『美鈴ちゃん』だし、
美冬は『美冬ちゃん』だから
けっこう女の子との距離の詰め方は
上手いのかもしれない。
美冬にもラーメンを食べるかどうかで聞いていたが、
結局、美冬は夕食を楽しみにしているからと、
SUVに残る方を選んだのだった。
◆
既に私服に着替えている私は
久しぶりに制服とパジャマ以外で気持ち良かった。
技術研究本部から伊丹駐屯地まで、
自衛隊の間はずっとカッターに自衛隊の制服だったし、
外務を始めたころは
新鮮に見えた外務部の制服にも
そろそろ慣れてきてしまって飽きていた。
地方自治体の行政サービスが無くなってからまだ15年。
過疎地以外は国家公務員の担当者が地方行政サービスを行い、
過疎地は外務部が行う。
これら二つの部署は制服が用意されていて、
数年に1度は制服がデザインチェンジされる珍しい部署だ。
あこがれの職業になってほしいとか、
国民にファッション感覚を持ってほしいなどの
意味合いが込められているらしい。
今の制服は5代目で白地にネイビーとブルーを基調としていて、
基調色に赤のラインが入ったシャツ。
それと、ショート丈ラウンドネックの
ネイビー1色のジャケットになっている。
冬季の勤務ではこの上に支給される
黒のセミフライロングトレンチコートを着用する。
襟の大きなコートで前を占めると渋いイメージだが、
始めて着たときはそれなりに良く感じた。
私は聖さんの隣に座って、
森脇さんと美鈴さんを待っている。
冬だからもうこの時間で真っ暗なのだけど、
都会を離れて北へやってきたから星が綺麗だった。
オリオン座ぐらいしか知らないけれど
もう少ししたら東の空に見えてくるはずだ。
聖さんに目を向けると、
「こんな暗い中で読めるのかな」
と思うのだが本を読んでいる。
この人は、なぜかは知らないけれど
紙の本が好きみたいだった。
今どき珍しいなと思う。
ほとんどが電子書籍なのに。
何かしていても、
話しかけて怒らないし、
嫌そうにもしないのでついつい話しかけてしまう。
それが、神楽聖という人のキャラクターなのかもしれない。
「聖さん、今日は何を読んでいるんですか?」
『んっ。ああ、これは「孫子」。知ってる?』
「ええ、陸自ですしね。
と言っても名前だけで
内容まではあまり知らないですけれど」
『まあ、そりゃそうかな。
軍事っていっても古典のレベルだもんね』
読む本の種類もバラバラで、
読書好きだとは思うが、
ジャンルは何が好きなのだろうと思う。
私が話しかけたからか、本を置いてくれた。
「聖さんは、スキーに行かないって
美鈴さんから聞いていましたから、
2日前に行くことになったって聞いてびっくりしました」
『ああ、ちょっとあってね。たまにはいいかなって』
「得意なんですか?」
『それほどでもないけれど、
腕が落ちていなかったらパラレルまでは出来るはず…。
自信ないけれどね』
「へぇ、奇遇です。
私も同じなんですよ。ウェーデルンは出来なくて。
難しいですよね」
『んー、って言うよりも、
小さい時以来あまり来ていないからね。
明日の午前もちょっとだけ
スキースクールに入ろうかと思う。フォーム調整に』
「スクールですか?みんなで行くのに、なんでまた?」
『だって、俺だけ下手かもしんないじゃん』
「聖さんって、そつなく何でもこなすのに心配性ですよね」
『そう?そんなことないと思うよ。
そつなくこなしたことはないし』
「今日も、遠阪峠の上で
男の子とキャチボールしていたじゃないですか。
それも、教えたりして上手なのに、
前に『何かスポーツとかするんですか?』って
私が聞いたら『あまりスポーツは得意じゃないよ』
とか言ってたんですよ」
そうだった。今日は下にトンネルのある峠を越えたので、
そこの集落の子供とキャッチボールを付き合っていたのだった。
それだけでもビックリするが、
教えるのも上手ければ、投げ方も上手だった。
私は素人だけれど、上手いって事だけはわかった。
『きっと、みんな普通にあの程度は出来ると思うよ』
「謙遜もそこまで行ったらただの嫌味ですよ、
気をつけないと」
『そうかなあ』
「そうですよ」
わかった、と同意してきたりなど妙に素直というか、
プライドなさそうというか、そういうところが年上を感じさせない。
『でも、どうやったらこれは上手い方だー、
ってわかるんだろう?』
「それは…」
確かにそうだけれど、もともと自慢する男の方が多いのだから、
逆にどうすればいいって聞かれてしまうとわからない。
「私もよくわかりませんけど、
自慢する人の方が多いのだからもう少しぐらい
『こんなこと出来るぞ』ってしてもいいんじゃないですか?」
『ん~、それは結構苦手かな、
威張っている感を出すのは好きじゃないんだよ』
「その気持ちは結構わかっちゃうんですよね」
実際、私も苦手だから、
この人の言っていることは結構わかる。
「じゃあ、こうしたらどうですか。
『これぐらいまでは出来るようになりました』って。
それだと私もよく使っているし」
『うん、じゃあそうすることにするよ。
アドバイス通りに出来るかな?』
「きっと、大丈夫ですよ」
そうこうしているうちに、
森脇さんと美鈴さんの声が聞こえてきた。
もうすぐ出発で、スキーの宿まで40分だと言っていた。
休日-2
同日 20時00分
兵庫県香美、ハチ北スキー場
兵庫県ではけっこう有名なスキー場で
親と昔は何度となく来た思い出がある。
ホテルもそのときの思い出があって、
私のお願いでここにしてもらった。
土曜日と日曜日だったから、
聖が来てくれることになって、
部屋があるかと心配したけれど、
あってよかったって思う。
私は美冬ちゃんと元から2人部屋で
取っていたから心配なかったけれど、
森脇さんは1人から2人になるので嫌がらないかと
心配していた。
だから、お願いしたとき森脇さんが
快く受けてくれて助かった。
今はお土産を見ている。
さっきちょっと食べた私と森脇さんに気遣ってか、聖が
『先にお土産を見ておきたいんだけれど、いいかな?』
と提案したのでホテルのお土産コーナーにいるのだ。
私は聖と一緒にお土産選びを付き合っている。
美冬ちゃんは森脇さんと見ているみたいだった。
正直、美冬ちゃんは誰からも好かれるタイプだし、
私はちょっと焦ってる。
何に焦っているのかはわからないけれど。
聖よりも年下の人間が外務のメンバーに入ったのも
初めてだったからかもしれない。
いつも、男女比で3対3だから、メンバー構成は
変わらないはずなのに。
それなのにどうして焦るんだろう。
美冬ちゃんは私服も何気に可愛いし。
ブラックのクロプト丈の胸元まで生地のあるサロペット、
ネイビーとホワイトのボーダーニット、
それにグレーのパーカーを合わせていた。
背が私より少し高い分、大人びて見えるし、
いつもは黒の髪ゴム使っているのを今はシュシュに変えている。
いつもの清潔感からチョイお洒落に変身していた。
妙に気になるのはどうしてなのか…。
私のモヤモヤには一切気付かず、聖はお土産を選んでいた。
「聖、また親に手紙付きでお土産を送るの?」
『ん~、そだよ。なんでまた、
そんなこと聞くの?いつもじゃん』
「いや~、いつもだから改めて聞いてんのよ。
みんな見てみたらわかると思うけれど普通しないよ。
特に手紙とかさ」
『そうだね。普通は同僚に、ってぐらいかな。
あとは神蔵先生みたいに家族にとか。
でもまた話すよ、とりあえず理由はあるから、選ぶの手伝って』
「って何を買うの?」
『とりあえず、お菓子を二つぐらいと、お酒。
お菓子はきっと養母が食べてしまうから女性向きね』
「アンタ、マザコンだったの?」
『マザコンじゃないし、ファザコンでもない。
ついでにペアコンでもない』
「いや、ペアコンって何よ?」
『ペアレンツ・コンプレックスって
勝手に造語を作って、更に略してみた』
と言ってヘラヘラしているので、
『何がペアコンだ』とポンと胸を押して、
「ヘラヘラしてんじゃないわよ。
真剣に選んであげるから、そのうちちゃんと教えなさいよね、理由」
と言って、選ぶのを付き合う。
なかなか決まらず、
結局、私が知っているこのあたりでお勧めの洋菓子店『カタシマ』から
米を使ったカステラと、洋菓子の詰め合わせ、
それに『竹泉』という日本酒を勧めた。
どちらもホテルに出入りのある業者であったので、
ホテルから発送してもらうことにする。
聖は、両親にあてた手紙をホテルの従業員に渡して、
支払いを済ませると
「いつも選んでくれてありがとう、美鈴。
病気でお酒は飲めないし、
お菓子も好きだけれどほとんど食べないからさ、
凄く助かる」
と素直にお礼を言われ、
『別にいいわよ。
さてと、さっさとご飯にするわよ』
とぶっきらぼうに返してしまった。
この距離感が落ち着くのだけれど、
この態度が行けないのかなと、
美冬ちゃんが来てから思うようになっている。
だからと言って変えることも上手くできそうにない。
『美冬ちゃんは上手く振る舞えていいな』
と思いながら改めて彼女を見た。
冬の但馬と言ったら、当然カニ鍋だった。
肉も美味しいけれど、
すき焼きは三田で最初にしたこともあって
既にこの外務が始まったときにカニ鍋をお願いしていたのだ。
みんなにもメニューは『カニ鍋(スキ)にしようね』と
言って回った。
聖だけは、突然決まったから知らなかったと思うけれど。
さっきラーメンを食べたばかりな気がしたけれど、
もうお腹がすいていた。
「いっただきまーす」
鍋のふたを開けて、勢いよく食べようとすると、
美冬ちゃんが鍋奉行をしてくれた。
聖は相変わらず、食べるときは無口で
代わりに森脇さんがよく話しを振ってくる。
『美鈴ちゃん、詳しいけれど、
このあたりはよく来るの?』
「いえ、詳しいほどじゃないですよ。
ただ、子供のころ、家族でスキーっていうと、
長期休暇以外は但馬が多かったんですよ」
『へぇ、じゃあスキーも上手いんじゃない?
ばんばん滑れちゃったりして?』
「まあ、滑られないって程じゃないですけれど、
上手いっていうほどは滑れないですよ。
みんなと楽しむ程度でいいかなって感じで」
『ホントかなぁ、
明日メチャ上手かったらマジびびるからね』
『きっと美鈴さんは上手なんじゃないですか?』
森脇さんの追い打ちで美冬ちゃんが続けてきた。
『でしょ、そう思うよなぁ。
そういう美冬ちゃんも上手そうだけれど、どうなの?』
『私は、パラレルまでは出来るようになったのですけれど、
それ以上は出来ないんですよ』
「よかった、二人ともスキーができるし、好きみたいで。
私が無理やり休日潰しちゃったのかと思ったりもしてたから」
最初に誘った二人は滑れるようで助かった。
私はついつい、みんなを引きこんでしまうときがあるから
注意しているのだけれど、
それでもついつい暴走してしまったりする。
あとは、本当に滑れるかどうかは聖だけだった。
まあ、聖は滑られなくてもいいか、と思う。
とりあえず神蔵先生が助け船を出してくれたから、
上手くいかなくても何とか言い訳はできるだろう。
お酒が入るとだんだん会話もヒートアップしてくる。
特に、今回は美冬ちゃんに飲ませて
ちょっと本音の話がしたかったのだけれど、
それは失敗してしまったようで、一番飲んだのは森脇さんだった。
もっとも、私も飲ますためとはいえ、
けっこう飲んでしまった。
美冬ちゃんはウーロン茶こそ頼まなかったけれど、
ほとんど飲んでいないのかもしれない。
『神楽くーん、今回の外務。
本当に俺は、君が羨ましかったよー』
『何、おっさんの振りしてるんですか、森脇さん』
聖に絡んでいて、聖も一通り食べ終わったのか
会話に参加している。
美冬ちゃんが食べているか心配だったけれど、
時々、私と聖が鍋を取り分けていたので多分食べれていると思う。
『だってよー、こんな可愛い二人と
一番長くいたのは君なんだぜー。
羨ましいったらありゃしねえ』
『いや、俺より美鈴と長くいたのは神蔵先生ですし、
美冬さんも単独行動がほとんどでしたから。
それに俺も自転車こいでいたばかりで
一緒にいたわけじゃないんですよ』
『そーかなー、それなら別に何とも思わなかったのか、
こんな可愛い子たちと一緒にいてさー。
第一、美鈴ちゃんも「美鈴」って呼び捨てにしてるしー。
美鈴ちゃんも「聖(せい)」だぞー、呼び方がっ』
さり気なく聖を見るが、動揺した素振りもなく答えていた。
『いやあ、俺は外務が好きだから、
仕事柄チームメイトってこんなものだなって思ってますよ。
もちろん二人ともチャーミングだけど、
それとこれとは別ですって、森脇さんっ』
『俺は、これが終わったら彼女たちとは、
お別れー、なんだぞー』
『いや、それは俺も一緒ですよ』
滅茶苦茶絡まれていたが、
何だか助け船を出す気にはなれなかった。すると、
『神楽さん、本当にこの外務が好きみたいですよ、森脇さん』
と助け船を美冬ちゃんが出していた。
『今日も、美鈴さんと私は峠に行って
神楽さんと一緒だったんですけれど、
休憩の空き時間は神楽さん、
子どもとキャッチボールしていたんですよ。
私と美鈴さんは置いておかれました』
いつも普通の聖の姿だったから
違和感を覚えなかったけれど、
美冬ちゃんはよく見ているな、
と感心する。
新鮮だったのかもしれない。
『それマジー、美冬ちゃん。神楽君って、
女の子に興味ない系なわけかー』
『うふふ、どうなんでしょうね』
本当に美冬ちゃんは22歳で陸自の三佐なのだろうか、
と思いながら、〆の雑炊を頼んだ。
◆
食事中、美鈴さんはどうも私を気にしているみたいだった。
きっと聖さんとの距離が近いからだろうけれど、
どうしようか。
今まで意識をしていない身近な人でも、
奪われそうになって気付くこともあるし、
同じ女の子としてある程度の独占欲はある、
って理解はできるし仕方がない。
私はそういうの凄く薄いと思うのだけれど。
美鈴さんとは残りも仲良くしたいし、
でも聖さんにも色々聞きたいことはたくさんある。
どうしたものかしら。
私は、美鈴さんのようにフランクに話せるキャラクターではないから、
正直、森脇さんみたいなキャラクターって苦手。
聖さんの方が最初から話しやすさを感じた。
何だろう、ラボの時の仲間みたいな、そんな雰囲気を感じている。
陸自には技術士官で入って、任期もこの3月期で終わる。
とんとん拍子で悪くはなかったけれど、
悪くないからって「イコール、イイこと」じゃないんだなって感じた。
もう次も決まった今、
ちょっとした研修のつもりで来たけれど、
特にこの外務に来て聖さんの考えに触れて良かったと思った。
美鈴さんとの仲を考えると、
やっぱり聖さんとは距離を取った方がいいのかもしれないけれど、
ホント誰かこの状況の相談相手になってよ。
1人で考え事をしながら
『ちょっとだけ飲みすぎたから、少しだけ休ませて』と
言っていた美鈴さんを待っていたが、辛そうだった。
「美鈴さん。私、明日の朝風呂、
一緒してもいいですか?
今日は美鈴さん休んだ方がいいと思います」
そう声をかけると、少し考えたみたいだったけれど、
『ごめん、美冬ちゃん。やっぱ、そうする。ありがとね』
そう言って美鈴さんは横になった。
私は1人、大浴場へ向かった。
私服を着て、美味しい物を食べて、
最後に足を伸ばすことのできるお風呂に入れれば
他は何もいらない気がするほど爽快に違いなく、
凄く楽しみだった。
モーテルやユースホステルでは
当然シャワーだけだし、民宿でも似たようなもの。
ペンションの、お風呂が大きいところを除くと、
ほとんどシャワーで過ごしてきたので、今日一番の本当に楽しみ。
そう思いながら地下1階まで降りて
女湯に入ろうとする一歩手前で聖さんが見えて動きを止めた。
いるはずの無い場所、スキー板の乾燥場所にいたからだ。
さっき、美鈴さんと仲良くするには聖さんとの距離感を考えないと、
そう思っていた私はやっぱり好奇心の方が勝ってしまって
自然と話しかけていた。
「なにをしているんですか、聖さん」
『あっ、美冬さん』
そう言って一端作業を止めて答えてきた。
『いや、大浴場の時間を見たら、
まだ余裕があったから先にワックスがけをね』
驚いた。聖さんって、
前から思っていたけれど凝り性だなあと思う。
そして思ったことを口にした。
「最後に、突然スキー行きを決めたのに、
用意するの早くないですか?」
『それは…、確かにそうだね~。
笑ってごまかすしかないや』
そう言って聖さんは微笑んでいた。
お風呂の用意も持ってきているようで、
すぐ向かいのベンチに置いてあった。
もう片方には、メンテナンス道具一式が用意されていた。
『いつも、俺って食後は外を歩いて散歩してるんだけれどさ。
流石に今日は外に出て、
寒くて無理だって思ったから、
こっちで軽く運動しようかなって?』
「運動?どうして運動なんですか」
ここは室内だし、スキー用品の乾燥場所だ。
運動なんて出来るわけがない。
『それは、こういう作業があるからだよ』
そう言って擦り込むように固形ワックスを
スキー板のソールに塗り始めた。
なるほど、それで運動か。
左右のスキー板に塗り込んでいく。
『それにしても、美鈴は遅いね』
そう言ってこられてしばらく言っている意味がわからなかった。
そうか、美鈴さんをここで待っていると勘違いしたのだろう、
と思うまで少しかかった。
「いえ、美鈴さんは、飲みすぎたから、って
部屋で横になっているんです。
明日、一緒に朝風呂に入る約束をしたから、
明日の朝は2人なんですけど、今夜は1人で入るんです」
『そっか、森脇さんと一緒だね』
私は自分でも気付かないうちに、
聖さんのお風呂道具の横に座って話していた。
「森脇さんもそうなんですか?」
『うん、「明日入るから起こしてくれ~」
って言って寝ちゃったよ』
「うふふっ、何だか目に浮かびます」
『そう?その寝床へ連れていく
苦労もわかってくれると更に嬉しいな』
そう笑いながら言ってくると、
また作業をしている。
アイロンをかけ、スクレイパーで
余計なワックスを落としていく。
そんな聖さんの慣れた作業も見ながら、
「本当に久々なんですか。
凄く慣れているように見えますけれど?」
そう言わずにはいられないほど手慣れていた。
少し、答えに迷ったあとで聖さんは、
「なんて言うか、昔やっていたころ、
親に叩き込まれた。そんなところかな」
そう言っているとき、
少し懐かしそうな顔をしたように見えた。
話しながらも、聖さんは手つき良く
エッジシャープナーを使って、
エッジを研ぎ始める。
『美冬さんも、良かったらしてあげるよ。
スキー板、届いているんでしょ?』
そう提案してくれた。
「悪いですよ、そんな」
『そんなことないよ、遠慮なら必要ない。
ただ、自分で管理したいかもしれないからそれなら、
無理強いするのも良くないけれど』
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな?すいません」
そう言って私はスキー板をとってお願いした。
たぶん、スキー板のメンテナンスよりも
会話を続けたかったからだと思うけれど。
私のスキー板を受け取ると、
聖さんは同じようにワックスがけから始めていく。
『あ、そう言えばお風呂だったね。
いいよ入ってきたら。
メンテ終わったら元の場所に立てておくから、スキー板』
「あっ、いえ。そんな悪いですよ。
メンテの方法を見ていてもいいですか?」
『そりゃ、いいけれど。退屈でしょ』
「そんなことないですよ。
じゃあ、話しかけてもいいですか?」
どうぞ、と言いながら聖さんは慣れた手つきで
私の板もメンテナンスしてくれている。
「私、外務の最初の夜に言われた、
コミュニタリアンの話が
その時はピンとこなかったんですけれど、
今は少しだけわかったような気がします」
『そう?そう言ってくれるとありがたいんだけれど。
退屈だったかなって反省していたから』
「いえいえ、そんなことないです。
先祖からの土地を大事にしたり、
息子に自分の職業を継いでほしいと願ったり、
陽の目をみなくても伝統を守って
何十年も仕事を続けている方々がいたり」
私の見てきた田舎の姿を思い出し話す。
「そういった事を大事に続けている人たちを見て、
聖さんの言った
『俺たち、都会の人間には
理解できない部分をたくさん持っている。
彼らは一見、閉鎖的かもしれないけれど
実は芯のある素晴らしい本当の日本人なんだ』
って言ったのが身に染みました」
私もうつむきながら話していたので、
聖さんがなぜ言葉を返してこなかったのかわからなかったが、
反応がないので顔をあげてみると、
照れているのか恥ずかしそうにしていた。
作業を続けながら、顔を赤くして
『改めて聞かされると、
かなり偉そうなことを言ってるね、俺』
と言ってくる。
「そんなことないですよ。
今まで誰も教えてくれなかったですから。
それに考えたことも」
同じ国に住みながら、
気付きもしなかった私は情けない気分がする。
聖さんが、
『俺は、自分の考えを押し付けてしまうのは
好きじゃないんだ。
みんながみんなの考えを持っているって思っているから。
だから、参考程度に思ってくれると嬉しい』
と言って、最後のエッジシャープナーに
持ちかえながら続けてくる。
『誰かの言うことを
『盲目的に信用するのは危険じゃないか』って言うのが、
なんだろ。ポリシーって言うのかな。
そう思っているから』
「はあ」
『だから、俺はもう30年も前に書かれた本、
「これからの正義の話をしよう」を書いたマイケル・サンデルさんを
凄いとは思うけれど、崇拝はしていないよ。
手にとって、読んで、考える。
そのために本ってあるし、人間っているんじゃないかな』
「紙の本を読むのは、その重みを感じるため、ですか?」
『上手いこというね。そこまで大したものじゃないけれど、
なんだろう、こだわりかな』
「素敵ですね、そういうの」
『そう?』
そういうと、髪の毛に少し手をやって、
『どちらかって言うと、
また偉そうなことを言ってしまったって思っているんだけれど』
と恥ずかしそうに言ってくる。そして、
『はい、出来た。美冬さんの分だよ』
「ありがとうございます」
『上手く出来たか、自身は無いけれど』
「もう、聖さん。ダメですよ、自虐発言。
凄く慣れた手つきだったし、上手でした」
『そう?じゃあ、上手くいったと思うから、明日期待して』
そう言い直してきた。
「ええ、たのしみです。この後は聖さんもお風呂に入るんでしょ?」
『うん、そのつもり。美冬さんもでしょ?』
「ええ」
『じゃあ、入りますか』
そう言って、聖さんも私も、大浴場の入り口に向かう。
別れる間際に、おずおずと
「あのう…」
『ん、何?』
「呼び方、『美冬ちゃん』でいいですよ。
皆さん、そう呼んでるし、聖さんもそれで」
『わかったよ、美冬ちゃん』
そういうと聖さんは男湯へ入っていった。
多分、呼び方を変えてほしかった理由は少し違う。
「さん」でよばれるよりも「ちゃん」で呼ばれた方が
親近感を持つからだった。
休日-3
2045年1月15日 12:00
兵庫県香美、ハチ北
山腹の休憩所でお昼をとることにした。
昔、家族で来たときは、スキー板やストックの盗難に
気をつけていたが、今は全てこの腕のAIが見張っているので、
何の心配もなくくつろげる。
といっても、心配は別にあった。
今は、席取りのため私と森脇さんがテーブルに残っている。
森脇さんが何か話しかけてきていたが、
あまり耳に入ってこなかった。
先にご飯を買いに行った、聖と美冬ちゃんが返ってきた。
「聖は何にしたの?」
『俺は味噌ラーメンと、もずく』
「どういう組み合わせよ?」
『私もそう思ったんですけれど、
聖さんは「もずくは外したくないな~」ですって』
「ジジイか、アンタは」
そう言って、美冬ちゃんのメニューをみると
ドリアにサラダだった。
『美鈴ちゃん、俺たちも行こう』
森脇さんに言われて、
私もメニューをまだ決めていなかったけれど一緒に行く。
朝、美冬ちゃんとお風呂に入って、
朝食は4人そろうことができた。
昨日一番飲みつぶれていた森脇さんが
心配だったのだけれど、
聖に絡んでいたことも含めて、
すっかり忘れているらしくケロッとしていた。
食事中に聖がほとんど話さないスタンスは変わらないから、
朝一番には気付かなかったけれど、
聖の美冬ちゃんの呼び方が『美冬さん』から『美冬ちゃん』に変わっていた。
昨夜、何かあったのかと勘繰ったりもするのだけれど、
お互い部屋にはもう1人いるからそれは無いと思う。
美冬ちゃんの態度も変わらないし、聖の態度もいつも通りだから、
余計に私だけが焦っていて変な感じがした。
ゲレンデにやってきて、
午前中はスノードルフィンスキースクールに入るかどうか
悩んでいた聖だったが、私が強引に
1日しかないことを強調して、朝から4人で滑った。
そして、技術だと意外な事に一番上手かったのは聖で
次に美冬ちゃん。私は森脇さんと同じぐらいのレベルだった。
結局、スキーは個人ペースで滑って楽しむので、
ゲレンデをある程度決めたらそれぞれ勝手に滑っていたが、
何度か聖と美冬ちゃんが山頂へのリフトを
一緒に乗っていることを見る羽目になってしまった。
私はそれなりに楽しんでいて、
森脇さんと一緒のゲレンデが多かった気がする。
『こんなことなら、スキースクールに突っ込んでおけば良かった』と、
心の中で葛藤している私自身を感じて、
凄く嫌だった。
昼からは、聖が『美鈴も一緒に上に来ない』とかって言ってくれると
行きやすいんだけれど、私から進んで行ったとしても、滑れそうにない。
ああ、どうしよう。いいな、美冬ちゃん、と思う私に余計に腹立たしい。
けっこうスキーには来ているから、
いいとこ見せれる自信があったのだけれどな。
両親はどうして、私に『冬』の付く名前を
付けてくれなかったのか?きっと付いていたら、
私も美冬ちゃん見たいに上手だったに違いないのに。
森脇さんはラーメンとチャーハンで悩んでいるみたいで、
悩みかねて両方食べることにしたみたい。
私はボロネーゼとサラダにした。
「お待たせー」
『美味しそうですね』
『森脇さん、ガッツリですね』
『だろ。ちょっと迷ってさ』
と各々話しているが、じゃあ食べますか、
と森脇さんが言うと食事し始めた。
昼食も終わって、食後のコーヒーを飲んでいるとき、
『美鈴も上の斜面、一緒に滑らない?
デザート休憩までちょっとトライしてみようぜ』
と聖が声をかけてくれる。
胸がちょっと躍り、それを隠すように、
「ちゃんと助けてよ、
放っていかれたらどうしようも無いんだからねっ」
『わかってるよ、そんな薄情な人間じゃないだろ?』
「どーだか」
と、上で滑ることになって嬉しかった。
聖は森脇さんにも声をかけていて上で滑ろうって
言っているようだったけれど、
私は美冬ちゃんが気になってチラリと見る。
ちょうど目があって、
美冬ちゃんの綺麗なまつ毛をした瞳が
にっこりとほほ笑みながら、
『私も一緒に行こうと思います。楽しみですよね、午後も』
と返してくる。健気だなと思いながら
「うん、美冬ちゃん。困ったら助けてね」
とお願いした。
もうすでに、午前中で気付いていたのだけれど、
私はきっと聖が好きなのだと思う。
この歳になって、まるで学生並みな事に驚くが、
外務で一緒になったのが5回目なのだから、
学生の半ターム位は一緒にいたのに何で気付かなかったのだろう。
美冬ちゃんのような強力すぎるライバルの前で
私に魅力があるとはとても思えなかった。
◆
昔、本当に昔を思い出す。記憶も定かでないが、
昨日したワックスがけも、スキー道具のメンテナンスも、
養両親に育ててもらう前。
8歳で施設に入る前に、本当の父親に教えてもらったものだ。
ちなみに、本当の母親は生まれたとき既にいなかったと思う。
父親とも8歳までしか一緒にいなかったのだから
記憶が無くても仕方がない。5歳から、8歳の冬まで来ていたと思う。
最も、この兵庫県ではなく信州が多かったが。
今回、スキーウェアをエレッセ、
スキー板をサロモンにしたのも記憶に残っていたからだった。
養両親も、俺の過去を見てスキー旅行には
何度か連れて行ってくれた。
本当に優しい養両親だと、いつも感謝していた。
それでも、スキーに来ると、生まれを、幼少期を思い出す。
思い出に浸っている場合じゃない、
と回想から現実に意識を引き戻す。
ビビっている美鈴を上まであげて一緒に降りようと、
横の迂回コースではなく中央の斜面に引っ張ってきたのだから、
それなりに責任がある。
森脇さんは美冬ちゃんが見てくれるので安心だし、
俺は美鈴と一緒に滑り降りれば良かった。
『やっぱり、怖い。行くとは言ったけれど』
美鈴が子どもの時の俺みたいなことを言っている。
「うーんと、じゃあ俺が先に降りるよ。
途中で止まってストックを立てるから、そこまで降りてきて。
大丈夫、コブの谷を抜けるようにしながら、
腰が引けなかったらコケないから」
『え、そんな。コケたときに困るからあとから来てよ』
この台詞も、子どもの俺が言ったものと一緒だった。
「はいはい、よく見て」
と言うと滑り降りていった。
結局、美鈴は何度かコケたけれど、何回か滑るうちに、
急斜面でも滑られるようになって無事に
午後のデザートにありつけたようだった。
まるで俺は父親が訓練してくれたのを
リピートしているようで、変な気分がしたけれど。
同日 18時00分
兵庫県香美、ハチ北
今夜は牛を使った料理、
有名な但馬牛でしゃぶしゃぶになった。聖さんが
『俺、今日鍋奉行でもいいですか』
とみんなに言うと料理は仕切ってくれた。
「私がします」
とは言ったのだけれど、
『ごめん、病気であんまり食べられないからさ、
今回はゆっくりして』
と変わってくれたのだ。
今回はスキーで疲れた事もあり助かったけれど、
もしかしたらそのあたりまで見抜いて変わってくれたのかもしれない。
とりあえず聖さんは疲れた様子はなかった。
美鈴さんは、昼食まで明らかに私を意識していたようで、
一緒の時はちょっと私も動きにくかった。
午前中に聖さんと一緒に滑っているときは気兼ねなく話せて、
「やっぱり、滑れるのに変な謙遜を入れていますよねー」
などと言っていたのだけれど、
昼食から午後のブランチタイムまではなんとなく気を遣っていた。
美鈴さんが聖さんと滑ってヘトヘトになったので、
あまりこちら側を見られなくなると、
もう一度、聖さんと滑ることになり爽快だった。
聖さんは謙遜しているけれど、
本当に上手で私も付いていくのがやっとだった。
私は興味で、山の反対側にも降りてみたかったが、
これは流石に空気も考えて止めておいた。
聖さんと一緒だったら降りたかな、
と思う自分が心の中にいたのは確かにいたのは事実だったけれど
今回は仕方がないと思って諦めた。
『美冬ちゃん、乾杯をしようよ』
しゃぶしゃぶの準備が整って、
テーブルに料理が用意されると、聖さんがそう言ってきた。
「じゃあ、楽しい休日に、かんぱーい」
といって始まった。
『神楽君、かなり滑れるよね』
『いや、たまたまですよ。もうここ何年も滑ってなかったですし』
『そうだよ、「俺、滑れません」
みたいなこと言っておいて、実はメチャ滑ってるし』
「スクールに入ろうとしていましたもんね、朝」
と聖さんは、鍋奉行で立ったせいか、
みんなからイジられていた。
しばらくすると、昨日と同じく森脇さんが飲み過ぎてしまって、
絡み状態になっていたけれど、そういった楽しい時間も一瞬で終わると、
明日から厳しい勤務だね、などと言いながら終わりになり部屋へ戻る。
スリムのデニムをロールアップして、上には白のブラウス、
それに薄いネイビーのショート丈のラウンドネックジャケットを着ている
美鈴さんを見て『似合っているなー』と思いながら、
私もお風呂のために部屋着の浴衣に着替える。
美鈴さんはきっと、今まで聖さんを意識したことがなかったから、
私が近くにいることに戸惑っているのだと思う。
勤務の最初の方は、意識されることもなかったし、
いつも通りだったのだろう。
そうだからといって私の存在が悪いってワケじゃないと思うけれど、
美鈴さんの気持ちに変化を与えてしまったのは確かなようだった。
私は聖さんのことどう思っているのだろう。
もう10日ほどしたら、きっと2度と会うこともないだろう人に
惹かれているのだろうか。
ゆっくりと恋愛する人もいるけれど、私の場合、
これからもそういう出会いとは全くの無縁だと思う。
いやいや、そういう問題じゃない、
今は私の気持ちを考えているのに、
ついつい理屈に走ちゃうのは悪い癖だ。
『美冬ちゃん、美冬ちゃん、聞いてる?』
美鈴さんに呼びかけられていることに気付かなかった。
「ごめんなさい、美鈴さん」
『どうしたの、ボーっとしちゃって。もしかして疲れた?』
「ええ、確かに疲れました。今日はばんばん滑りましたし」
『確かにねー。聖があんなに滑れるとは思ってなかったわよ』
「私もです。ついていくのがやっとって感じで」
『でも、ついていけるだけ凄いなって思ったよ。
私は出来なかったから』
「美鈴さんもお昼、一緒に上までいったじゃないですか」
『あれね、本当はメチャくちゃ怖かったの。
なんか、坂から落ちるように見えるじゃない?』
「確かに慣れるまでは、上から見ると転げ落ちる気分がしますよね」
『そうそう、ホントそうなのよ』
「でも、ストックさしてくれて上手く教えてくれてましたよね、聖さん」
『そう?私はなんだかスパルタ感、半端なかったけれど』
「私と一緒にいた森脇さんと比べたら、全然コケてなかったですよ。
美鈴さんが上手だし、聖さんの教え方が上手かったんじゃないですか?
私は上手くアドバイスすらできなかったから、
森脇さんが可哀そうなぐらいコケてしまって」
『んー、言われて見たら、確かにほとんどコケなかったな』
「でしょう?あまりにコケたら止めたくなるじゃないですか」
『確かに。少なくとも、お昼のチーズケーキを美味しく食べられたのは、
その理由が大きいかも』
そう言いながら美鈴さんが笑って、私も笑う。
話しながらお風呂の準備が整った。
『準備できたみたいね、行こっか、美冬ちゃん』
「ええ」
『昨日はお酒で寝ちゃったし、今朝は酒を抜くためにボーっとしてたから、
今夜はガールズトークに付き合ってもらうわよ』
「楽しみです、昨日は1人でしたから、
ゆっくりでしたけれど大浴場の醍醐味が減ってましたし」
『嬉しいこと言ってくれるよねー』
昨日は美鈴さんがいないから、聖さんに会って話すことができた。
やっぱり、自分でも気になっているのだと思う。
私の心の中ぐらいは気持ちに正直にならないといけないな、
って思いなおす。
『ところで聖のやつ、なんで「美冬さん」
から「美冬ちゃん」に呼び方が変わったんだろ?』
いきなり、答えの難しい事を独り言のように呟いた美鈴さん。
私にとっては修羅場にならなければいいけれど、
と思うお風呂の始まりだった。
活動-1
2045年1月20日 17時15分
兵庫県朝来、播但連絡道路朝来IC
本日の18時までに神戸支局への帰還を予定していたが、
最終日の今日。
子供が突風に煽られて脳挫傷から『硬膜外血種』と診断され、
神蔵先生と美鈴が医療用トランスポーターで
手術をしている。
完全な手術は出来ないらしく、
ここで鳥取支部の管轄する医療用トランスポーターと
医師に引き継ぐ予定で待っている。
地元の子供を神戸までは連れて帰れないし、
一度手術を開始してしまっては、
救急車での搬送は避けるべきで、
医療用トランスポーターを待つしかなかった。
規模の小さな鳥取支部は主に山陰の中国地方を担当している。
しかし、大阪支部の神戸支局よりは
このあたりの病院にコネクトがあり、
さらに、帰還することも
彼らは容易にできる位置にある。
管轄でありながら、
どちらかというと俺たちの方が土地勘をもっていないのだ。
さらに、このあたりで機器が整って小児病棟を持っている総合病院は
なかったため、鳥取支部のトランスポーターに
全てを任せるのだが、まだ来ていない。
風が強く、雪も降っているため
自動車道路も速度が出せなくなっているからだろうことは
簡単に想像できた。
『大丈夫でしょうか?』
隣で美冬ちゃんが言ってくる。
休日の次の日、
鳥取支部でのブリーフィングで
1月22日をピークに爆弾低気圧で
日本が2年ぶりに大雪になることが予想され、
俺たちのルートにも変更点がたくさん出た。
そのうちの1つが今日までの勤務で神戸支局に帰還することだった。
外務部の手の余っている班や、帰還ルートを変更して、
各支部、各支局の外務を行う班で27日までに
俺たちの外務するはずの地域は全てカバーされている。
全国全てが、量子コンピューターのAIによって最適化される現代は、
こういった不測の事態にもすぐに対応できる。
だが、流石に子どもが遊んでいる最中に風で
手を滑らせる事までは予想できなかったようだ。
予想規模は特別警戒警報が出ることになっており、
今夜で近畿圏も含め西日本では交通も止まる。
普段、除雪作業用ドローンで積雪時も走行できるVICS対応道路も、
明日から封鎖される予定だった。
警察庁と国交省、それに防衛省が特別災害派遣の準備を整えてはいるが、
派遣できるのは24日のピークが過ぎてからだろう、そう思っている。
トランスポーターの医療設備の方から神蔵先生が、
『悪い、桜木さん、神楽君、もう少しだけ振動を抑えられないかな』
と伝えてきた。
「わかりました、先生。5分だけ待てますか。
あと車を移動しますが大丈夫ですか?」
『わかった、よろしく頼むよ』
車をシャッター付きの道路公団の
車庫へ一時的に移動させなくてはいけない。
「本来なら、美冬ちゃんが責任者だから行くべきなのかもしれないけれど、
俺は警官だから多分話が通しやすいと思う。ちょっと行ってくるね」
そう言ってトランスポーターから降りると、
公団の詰め所へ行き道路公団の駐車スペースを
一時的に借りることにした。
中の車両をどけてもらい、そこに入庫する。
車に戻ると、
「先生、いったん動かします」
と言ってトランスポーターの位置を動かした。
美冬ちゃんは隣でこちらの位置が見えないところに
移ったことを迎えのトランスポーターに伝えている。
停車させて、
「先生。大丈夫です、終わりました」
『ありがとう』
短く通信を終えるとまた静寂が包む。
17時40分まで待って鳥取支部のトランスポーターへ引継ができなかったら、
俺たちの避難地を探さないといけない。そう思っている。
道路が封鎖されるのも時間の問題で、
ここに置いて行かれると、困ったことになってしまう。
最近の特別警戒警報は夏のスーパー台風、梅雨の豪雨、
そして冬の爆弾低気圧ともども『マジか?』と思うレベルだ。
人類が地球を汚しすぎて怒っているような、そんな気分がしてくる。
あまりの長い沈黙に耐えられなかったのか、
美冬ちゃんが話しかけてきた。
『あの子、大丈夫でしょうかね?』
さっきも同じような事を言っていた気がするが、
多分大丈夫だと思っている。
先生は外科でも優れているし、
硬膜外血種自体は初期の処置が早ければ助かりやすく後遺症も残りにくい。
「大丈夫だよ、先生は名医だしね」
『そうですね、大丈夫ですよね』
子どもの怪我を見るのは、俺も好きじゃなかったが、
美冬ちゃんも何か幼少期に会ったのかもしれない。
何も特別な幼少期を迎えているのは、俺だけとは限らない。
『ここまで予想できませんでしたけど、
藤原さんと森脇さんに先に帰ってもらったのは正解でした』
「確かに」
2人は16日のスケジュール変更で俺たちよりも先行して
必要な場所を回り直接大阪支部へ帰還する予定に変更された。
外務省、経産省、共に今回の視察が
早春用のパッケージ企画のためだったので仕上げを急いでいたのだ。
「俺たちの、親の世代は公務員が、
と言うよりも国が儲けるってあり得ない話だったらしいよ、
今じゃ考えられない事だけど」
『そうらしいですね、私も聞いたことがあります。
そうは言っても、国が儲けているって日本だけじゃないですか?』
「確かに。アメリカはどちらかというと、
規制を緩めて民間開放のイメージだから」
『まあ、いろんなところで、
新しい企画に私たちも参加しているんでしょうか?』
そう言って、少し美冬ちゃんは微笑んだ。
藤原さんと森脇さんが行った調査も、
魅力ある資料として一般公開されると同時に、
旅行企画としては旅行会社向けに国内外に売り込まれるはずだ。
売れればいいけれど、と思う。
あくまで売るのは企画までで、
藤原さんと森脇さんがその先を担当するわけじゃないのだけれど。
ここで、美冬ちゃんの腕のAIからホログラムが映る。
『すいません、聖さん。ちょっと作業をします』
そう言って、美冬ちゃんは作業を始めた。
時刻を見ると17時40分、同じことを考えていたようだ。
もう、神戸支局までは帰られない。
この台風並みの爆弾低気圧による特別警戒警報をどこかで、
やり過ごす羽目になりそうだった。
2045年1月22日 10:30
日本近海
潜水艦<ドヴォルザーク>は深度400フィートでゆっくりと
ハワイ島を出てからここまでやってきた。
紀伊水道を超えると更に艦船に注意しながら北上しないといけないため、
最後にクルーへ休みを与えないといけない。
私は、今から低深度まで浮上させ、
最後にハワイ支部との衛星通信で
揚陸ポイントの状況を知っておく必要があった。
作戦もその後に、決めないといけない。
「ハンフリー大尉、しばらく艦の指揮を頼む。
5分後に深度100フィートまで上昇して
通信ブイを海上に出し、
ハワイ支部とマイクロ波衛星通信でミーティングする」
『わかりました、艦長』
副長のハンフリー大尉に任せると、
腕の端末でスティール少佐とライアン大尉を呼び出し、
ブリーフィングルームへ来てもらうように伝え、
私自身も移動する。
ブリーフィングルームに集まり、
ハワイ支部と連絡をとる。
ハワイ支部情報部指揮官のブロンソン大佐につなげてもらい、
「ブロンソン大佐、ジョンソンです」
『ご苦労、ジョンソン中佐』
「作戦に関しての最終連絡のため、
衛星通信を利用しました。
これから先は超長波通信になりますので」
『了解している』
「いま、スティール少佐とライアン中尉が同席しています」
『結構。まず資料映像を送らせる』
数秒しないうちに、全受信できる。
『ライアン中尉、ジョンソン中佐とスティール少佐に
見えるように映像ファイルを開いてくれ』
そうブロンソン大佐は伝えてきた。
ライアン中尉の開いた映像ファイルには、
突風と雪に見舞われる日本の映像が映っている。
とてもひどく、軍事作戦はこの最中は無理な事は容易に想像できた。
見終わるタイミングで、ブロンソン大佐が続けてくる。
『この間は現海域にとどまり、1月24日に超長波通信を受診次第、
事前の打ち合わせ通りのルートで日本領海へ侵入。
紀伊水道を抜け翌1月25日には予定海域へ到達。
こちらのAIが算出したデータによると1月25日は快晴で
作戦には打ってつけだ』
「わかりました。
それで、上陸ポイントと作戦地区の雪は
除雪されていますでしょうか?」
『こちらでは、問題なし。
つまり路面は乾いていると計算した。
また日本政府内の情報提供者も
都市部から順次復旧されると順番付きで報告してきている』
「わかりました、手はず通りを行います」
『よろしく頼む。何かあるかね?』
そう言ってきたため、
スティール少佐とライアン中尉に何かあるか目で合図する。
2人ともに首を振ったのを確認して
「ありません、大佐」
『健闘を祈る』
そう言うと通信を切った。
ライアン中尉に
「作戦内容に関するものは送られてきているか?」
と確認すると、
『現在の日本政府の復旧計画が来ています、
国交省、防衛省、警察庁、国家安全保障庁。
それと警察庁警備部ロボット機動部隊のみ
今回のデジタル無線の周波数帯と
暗号解読ソフトも添付されています』
「なるほどな。悪いがスティール少佐と一緒に
先に作戦の立案をしてくれ。いいかな少佐」
『了解しました、艦長』
今作戦の陸戦指揮官スティール少佐が答えてくる。
「作戦の揚陸部隊と
支援部隊へのブリーフィングのスケジュールなどは
スティール少佐に一任する。
決定次第、報告だけしてくれ」
『わかりました』
「では君たちだけ悪いが、クルーには少し休憩をとらせる」
『アイ、サー』
と2人ともに返事を返してきたのを確認して、
当直勤務者以外は警戒態勢を解き、
各自自由行動とした。
狭い艦内だが、緊張はほぐしておきたい。
◆
先ほど艦長から、自由行動の通達が出た。
しばらくは静粛にしていなくて済むため、
トレーニングマシン以外で、運動ができる。喜ばしい事だ。
早速、格納庫へ向かう。
その間、多数の整備兵とすれ違った。
この様子だと、バーと食堂は一杯だろう。
仕方なく自分のベッドへ向かい
バーチャルゲームをする者も多いかもしれない。
現代戦になり、潜水艦のような水中船に
陸戦隊員が乗艦するようになってから、
トレーニングは深刻な問題だった。
音がするし、スペースもないため、
電気的な負荷を筋肉に与えてトレーニングし、
陸戦隊員としてのフィジカルに
努めることが普通になったときもあった。
流石にそれではメンタルが持たないので中止になったが…。
この潜水艦<ドヴォルザーク>は揚陸潜水艦。
旧世代の円筒状潜水艦と異なり、
薄い楕円形の作りで、潰れたラグビーボールみたいな形をしている。
対潜水艦戦はあまり得意ではなく、
どちらかというと汎用性に優れた、輸送艦だった。
ただし、電磁流体推進出来るので、
他の国が所有している潜水艦よりも圧倒的に静かで、
外部に音も伝わりにくい。
しかも、スクリューも舵もない未来的な作りをしている。
もう一つの特徴は『鋲』の少なさだった。
僕は専門でないからわからないが、継ぎ目がほとんどない。
全長で約300ヤード近い事に比べるとあり得ないとすら思える。
これが速力を60ノット以上で航行できる秘密とされている。
『鋲』がないということはもともと、
ダメージを受けることも想定されていない。
ダメージを喰らえば大規模交換になるからだ。
さて、トレーニングのための運動場、カタパルトに着いた。
主には僕の乗るような<アームド・スーツ>、ヘリコプター、
そして垂直離着陸機がここから発進する。
今回の任務では使用しないが、
ヘリコプターや垂直離着陸機の発進には
ここの外扉を開けてしか出られない。
かたや、僕の乗る<アームド・スーツ>は
専用の水中発射管から今回は発信する。
今は潜水艦行動に合わせて、
どの兵器も格納スペースへ収納されており、がらりとしている。
僕のようなモノ好きが何人かいたようで、
それぞれにジョギングしたりバトミントンをしたり、している。
僕も身体をほぐすためストレッチをするとパキパキと身体が鳴る。
さて、失敗したらもう終わりかもしれないのだ。
とりえず、無心で走れる時ぐらい楽しもう。そう思いながら走り始めた。
活動-2
2014年1月24日 7時30分
兵庫県、滝野社IC
朝、起きる時間になり多少つらかったが無理やり起床した。
これでも、普段より遅いぐらいなので、
どうということは無いはずだったが、
いつも通りに動けない自分が嫌だった。
一昨昨日から白血球値とCRP炎症反応が少しだけ上がってしまって、
少し身体を休めながらの公務になっている。
我ながら情けないという他なかった。この時ばかりは嫌になる。
20日からイレギュラーでこのインターチェンジ付近に
緊急の宿泊先が取れたので、ビジネスホテルに滞在している。
美冬ちゃんが手配した。ルート変更が上手くいったのだ。
時には学校跡地などで過ごすのもあるのだから本当にありがたかった。
体調悪化は、多分20日に少し無理をしたのが響いたのだろう。
風邪を気味になり、そこから持病も少し悪化させたのだ。
シャワーを浴び、身なりを整えると、
朝の勤務前に栄養点滴を打ってもらうため、
食堂にいるはずの神蔵先生と、美鈴のところへ行く。
「おはようございます、先生」
すでに、朝食のため食堂へ来ている先生に会った。美鈴はまだいない。
『おはよう、調子はどうだい?』
「ええ、まあまあです」
『さてと、女性陣が来る前に診察だけ済ませてしまおう』
端のソファーで診察してもらう。
「いつもすいません、勤務外なのに」
『心配無用だ、それに君のせいじゃない神楽君』
触診、血圧と体温を測定して血液をとる。
『うん、感触では私も良くなっていると思うよ。
絶食はきつくないかい』
「いえ、そちらの方が助かります。
食べないことは慣れました」
タイミングを見計らったように美鈴が点滴を持って入ってくる。
『はい、朝ごはん。聖の分だよ』
そう言うと、左手の点滴用チューブに
生理食塩水を入れて、点滴を繋いだ。
『3時間、ゆっくりと召し上がれー』
「はいはい、美味しくいただきますよ」
そう言うと、美鈴は使った医療道具を片づけに戻る。
「この3年、目に見えるほどに悪化させたことはなかったのですが、残念です」
『仕方ない、ゆっくりいこう。それに明日には神戸へ帰れるだろう、
状況次第だが出来るなら有給をとって早目に休むといい』
「ええ、上司と相談してみます」
みんなの分の朝食が用意された。
もっとも、俺は先にとっているのだが。
点滴に変わった当初は、
毎食みんなが食べるときは食堂を離れようとしたが、
みんなが気遣ってくれて食堂で一緒に話そうと言ってくれたのだった。
俺としては食べにくいんじゃないかと思い、何だか気がとがめたが…。
『聖さん、今日は顔色、良くなったように思います』
美冬ちゃんも励ましの声をかけてくれる。
食べれば、体調面で辛くなる。ここは、多少の我慢をしても、
勤務終了のあと3日間。点滴で済ませるべきだった。
◆
4日前、聖さんが午後ランドクルーザーを使うか聞いてきた。
風が強く寒かったのもあってだったと思うが、
私も必要なのでそのことを伝えたのだった。
それ自体は、別に変な事もなかったのだが、ちょっとした不幸だった。
交番勤務の警官といつもように定期巡回での勤務中に聖さんは、
付近に住む男の子が転落事故を起こしたと連絡を受けた。
巡査と一緒に向かい、その子が硬膜外血種だったのだ。
聖さんは自分の上着を子どもにかけてあげた状態で、
男の子を担架でトランスポーターまで運んだのだった。
さらに上着をとることも出来ず、
交番まで再度歩いて自分の自転車を回収しに行く羽目になったので
3時間近く寒いままで過ごしたのだ。
その寒かったことで体調を崩したようだった。
ナーバスと言えばナーバスなのだが、
改めて自己免疫性の疾患は扱いづらいのだなあ、と思う。
ランドクルーザーを都合してあげられたら
こうはなっていなかったかもしれない。
ちょっと私は、胸が痛んだ。
最初こそ「大丈夫ですか」と声をかけていたけれど、
逆に気を遣わせるようなのでその発言は控えるようして、
代わりに力になれることを探した。
そうは言っても公務中はこの班のリーダーであり、
私情をはさむのは良くないのは良くないのはわかっているのだけれど…。
今は、神蔵先生、美鈴さん、私でご飯を食べている。
それに美鈴さんの言う『ご飯』を食べている神蔵さんも一緒に。
『状況が状況だけに、まともなサービスはできませんよ』とホテルの支配人に
言われたが、毎食もらえるし、寝室も1人1つ用意された。
それだけでも十分だと思う、何しろシャワーが浴びられる。
これが一番嬉しかった。
私は今、伝えられている情報をみんなに伝えた。
「多分ですけれど、午後から少しずつ弱まるようです。
首都の辺りはまだ強いみたいですし、東京や東北、北海道はまだ、
動けないようですが、近畿方面や西日本は除雪作業に入るようで、
多分明日には神戸支局へ帰れます」
『そうかぁ、じゃあ報告書を今日までに仕上げないといけないな』
神蔵先生が笑いながら言った。
それさえ終わらせれば家族サービスができる時間が増えるからだそうだ。
『えー、美冬ちゃんがとってくれたホテル、
居心地良かったし、他のお客さんもいないから、
もう少しノンビリしたかったなー』
美鈴さんは冗談半分に言っている。
『そうか、それは良かった。
帰るまでは気が抜けないが、俺も報告書は作らないと』
聖さんも周りに合わせている。
「もう、仕事はいつでも出来るんですから、
無理しちゃいけませんよ」
私はそれだけを言った。
朝食が終わると、全員が自室でPCに向き合って報告書をまとめている。
医療のスタッフ、神蔵先生と美鈴さんだが、は
医療記録を外務先での提出分を全てまとめなければならない。
忙しい時、中には音声ログで保管したものもあるし、
使用した薬剤や残量のチェックなども含まれる。
警察庁スタッフ、聖さんだが、は
申請した裁判所の捜査令状簡易手続きに至る経緯を報告しないといけないし、
検察への土地の強制徴収や買収の申請も経緯も報告義務に含まれる。
こちらも多分、忙しい時は音声ログだけだろうから、
その掘り起こし作業に追われているはずだ。
そんな中で私は、実のところあまりデスクワークはなかった。
今回の外務は地形調査、特に新型特科部隊の展開できる地域や、
その後方支援が可能かどうかを検証して回る任務だったが、
どちらかというともう防衛省の次に決まっている4月からの勤務先、
国家安全保障庁への移動に向けてガーデニング休暇と言ったところだった。
「あー、退屈だなぁ」
と独り言を漏らす。自室の窓からも見えるのだけれど、
もっと大きな窓から見たくて、廊下へ出て、外を見た。
雪が吹雪から『深々と降る』という表現がピッタリになっていた。
明日になるともう帰還かぁ、みんなともお別れ。
外務の仕事ってこんなものなんだろうか、と疑問に思ったりする。
『あれ、美冬ちゃん。どうしたの?こんなところで』
後ろを通りかかった美鈴さんが声をかけてくれた。
「少し疲れちゃって、それにもう明日でおわりなんだなっておもうと、
ちょっぴり悲しい気分にもなりますし」
『それ、わかるわ。私も最初、そうだったから』
「やっぱり、そうなんですね」
『でも、不思議と慣れていってしまうのよね』
「慣れ、ですか」
『そう、慣れって怖いわよ。もっとも、
この「ごはん」食べていた聖は
最初からさばさばとしているように見えたけれどね』
そう言って、聖さんに使っていた空の点滴を指す。
「そうなんですか?意外です、凄く優しいのに」
『アイツって、意外にこっちが話しかけないと
あまり話さないじゃない。
気を遣っているのか知らないけれど。
しかも、何かって言うと本を持っているから、
こっちも話しにくかったよ、最初は無言の時も結構あったの』
「確かに、本は良く持ってますね。しかもジャンルはバラバラだし」
『だから、1回目に一緒になった外務の終わりぐらいに話しかけてみたら、
意外と面白くて…』
「そうだったんですか」
『それで聖<ひじり>に「聖<セイ>」ってニックネームを付けたのよ』
そう言って、美鈴さんは笑うと勤務に戻っていった。
きっと聖さんは、それなりに気にしているのだろう。
距離をとるのも、人に変に気を使うのも。
再生医療がかなり進んで、
さらに身体にナノマシンを入れるようになった結果、
昔と違って、ガンすら早期発見により死因の順では低下している。
今や死亡する一番の原因は老衰で50%を超えていた。
細胞活性化剤のおかげで、平均寿命は100歳を超え、
病院で見てもらうのも病気の治療から、健康維持まで大きく増えた。
そんな中で、未だに良くわからず治らないのが自己免疫疾患だった。
まず、後発性の自己免疫疾患に関して再生医療は大きく成果を上げた。
3Dプリンターで細胞すら立体的に作ることができ1人1人に合った、
臓器が早く作れるようになった。
続いて、今は自己免疫疾患の遺伝で発病する病気でも
『死亡するもの』が優先的に再生医療の対象になっている。
聖さんのかかっているような
『遺伝で発生し、死に至らない病』
は再生医療分野では最後になることはわかっている。
厚生省の医療ガイドラインはすでにそのように発表しているのだから。
聖さんにこの話をしたら、
『んー、それは自己中を通すと交換してほしいなと思うけれど、
治したところでまた発病する可能性のある人間よりも、
発病しない人を優先するほうが合理的だよ』
と返された。優先順位を付けることに、
「どこかおかしいと思わないんですか?」
と言った私に、
『心配してくれて、ありがとう。
でも、俺は別に構わないと思っているよ。
個人的な感情で特例措置が認められる社会はどうかしている』
とあくまで一般論で返事をされて、何だか鉄の心を持っている気がした。
いや、違うのかもしれない。あの人は、
きっと自分の感情を持ってはいるけれど、
それとは別の自分。
どこか遠くから自分をみている自分を持っている気がする、そう思う。
私はどうだろう、そこまで冷静になれるだろうか。
そう考えるとあまり自信がなかった。
2045年1月25日 8:00
日本領海、大阪湾
第3種戦闘配備のまま、大阪湾を北上しており、
日本の誇る自治区のひとつ鎖国自治区と呼ばれる人工島が迫っている。
タイミング的にもそろそろだ、と期待が半分と、
殺戮はしたくない気分が半分だった。
現在、スティール少佐のもとブリーフィングが行われている。
『予定ではあと30分で作戦開始する。
今作戦では、最初にブラッグ中尉の乗る2号機を30分後に水中発射管より射出。
更に、第2地点へ接近し40分後にファインマン大尉の乗る1号機を射出する。
両名は、<アームド・スーツ>水中発射管へこの後入り
射出後は海岸10ヤードの地点深度20フィートで潜って待機。
尚、気象条件は前に言った通り、
回収ポイントも変わりない。両名質問はあるか?』
『大丈夫ですよ、せいぜい魚群探知機に注意しますよ』
ジョンがいつものように言っている。
「わかりました」
僕は簡単に返事をした。
『今回は水上戦を想定していないが、
<アレグロ>3号機、4号機はそれぞれ、
パーナンキ少尉とグリーンスパン准尉が搭乗して格納庫で待機。
万が一の水上戦に備えて装備には
低気圧砲身レールガンを準備。
V-22ver.2<スーパーオスプレイ>にはサンダース軍曹、
UH-60ver.3<改良型ブラックホーク>にはポートマン軍曹、
がそれぞれ乗り必要に応じて出動する。
陸戦隊、第1小隊は装備を付けて待機し、
いざというときの出動に備えよ。各員質問はあるか?』
無言だった。
『作戦開始コードは、
1号機は「アイン」、2号機は「ツヴァイ」、
中止コードは「レクイエム」だ。
では、11時には無事に皆がそろうことを願っている解散』
格納庫へ向かう。後ろからジョンが
『出来りゃ、「ツヴァイ」ってコードいいが、
どっちが来ても恨みっこなしだぜ』
と言って通り抜けていった。
「ジョンこそ、『アイン』で怒るなよ」
とだけ返す。どうせ余程の事がない限り
出撃は僕だと決まっているのだが、言えるはずもない。
<アレグロ>1号機に乗り込みAIを起動する。
全指の指紋認証、声紋認証、網膜認証を済ませ確認が終わると、
『ファインマン大尉、作戦まであと10分と40秒です。
<アームド・スーツ>発射管へ向かいます』
移動中に、腕のウェアブル端末から
『ワルキューレの騎行』の最初10秒程度が流れる。
ミッション開始10分前の合図にいつも個人的に使っていた。
『発射管の水密ハッチを閉じました。
注水許可が降りていますので注水を開始します』
「待ってくれ、装備の最終確認をしたいから、
画面に表示してくれ」
『了解しました』
セラミックナイフ2本
ポジトロン・ハンドガン2丁
ポジトロン・ハンドガン、エネルギーパック2個(サイドポケット)
ポプラン伍長は言った通りに装備してくれていた。
「わかった、大丈夫だ。注水してくれ」
『了解しました』
注水が開始された。
基地を出る前、何度もAIとのマッチングテストを行った。
ポプラン伍長をはじめとする整備班は良く付き合ってくれ、
3日間で最高の仕上げにしてくれた。
第2世代型内骨格型<アームド・スーツ>、<アレグロ>
身長23.85フィート
最大幅(肩周り)8.05フィート
足幅6.37フィート(直立時、走行時)
重量21.63ポンド(燃料満載時)
動力、水素燃料電池
冷却系ジェネレーターは外気で水素燃料電池に付属
最大出力稼働時間80分(バッテリーパック無し)、節電モード220分
軽量化を図りほとんどでカーボンや有機素材、空洞を使ったハニカム構造を採用
骨格はカーボンと人工関節を利用
人工筋繊維と人工神経を電気で動かし全てをAIで管理
フラーレンに似たタイツ状のもので筋繊維を覆い、その上からCFRPのパネルを装着
背中に武器などの収納パック
反対側の胸元にコクピット
<アレグロ>はこのような設計になっている。
CFRPは防弾使用など色々と変更可能だが、
今回僕は、防弾条件は標準にして、その代わり第3世代の光学迷彩を付けた。
塗料にも工夫があるのだが、周りから絶対見えない電磁迷彩繊維だ。
但し、完全迷彩な分、使用時は自分からも周りが見えない。
試しにジョンの使用をみてみると、
第2世代の光学迷彩装甲を使用していた。
これは、使用時に可視光線を防ぐタイプで外部からは赤外線のみ視認が可能だ。
その代わり、中からも赤外線で外が見える。
モノクロではなく、カラーリングされて赤外線が映るのが特徴となっている。
但し、外骨格型の<アームド・スーツ>でも第2世代の光学迷彩装甲は
もう各国で使用されており、赤外線センサーは当たり前になっている。
僕はそれが嫌いだった。
<アレグロ>は稼働時間が短いのが難点だが、
非常に小回りが利くため、
僕たちテロ屋には向いている機体だと思う。
そもそも、<アームド・スーツ>自体が、
同じ<アームド・スーツ>の兵器や航空機の兵器、
戦車の兵器には当たって大丈夫なように設計されておらず、
かわすことが前提となっている兵器だ。
現代戦で当たっても大丈夫なのは戦車ぐらいではないだろうか。
さて、そろそろジョンが出発する。僕もあと10分後だ。
活動-3
2045年1月25日 10時10分
兵庫県神戸 三ノ宮近郊
今は、クライアントの要求通り、神戸の中心部、
三ノ宮でレーダーを最大にして警戒している。
警察無線も傍受しており、
今回の敵になる警察庁のロボット機動隊の
デジタル無線も傍受の準備済みだ。
VICSシステム道路、都市型高速の阪神高速と国道2号線を使って、
ここまでやってきた。
そろそろ、迎撃ポイントに向かわないと、
民間人の死傷者ゼロが不可能になってしまう。
『こちら、警察庁大阪支部、神戸支局警備部。
出没した機種不明の<アームド・スーツ>は現在動きなし。
交通管制を敷いています。民間人の避難誘導を最優先』
多少、間違っているかもしれないが
このような無線が先ほどから飛んでいる。
「おっと、大阪支部さんだ」
独り言を言いながら、
警察庁大阪支部のロボット機動部隊の無線を聞く。
どうも、僕たちのハワイ支部のAIの予測通り、
相手の<アームド・スーツ>は高速道路を使ってやってくるようだ。
到着まで10分かからない。
出没から10分間での出動決定は早い。
流石、世界に高等弁務官を設けただけあって、
迷う組織では無いようだった。
やってくる日本の、それから僕の<アームド・スーツ>も、
基本的には同じだが、頭部についている
対人用5.56ミリ自動小銃の弾(これはM16と同じ)以外は、
全く戦闘装備は持ち合わせていない。
オプションとして色々な武器を使える汎用ロボットに過ぎないのだ。
さて、彼らはどのような装備で来ているだろうか。
そう思いながら迎撃ポイントの魚崎浜へ移動を始め、AIに指示する。
「大阪支部から出た、敵<アームド・スーツ>舞台の情報を」
『了解』
AIはそう答えると表示してきた。
警察庁警備部ロボット機動部隊、大阪支部所属、第1小隊、出撃台数4機
第2世代型外骨格<アームド・スーツ>、<MAS-3>
身長7.50メートル
最大幅(肩周り)2.50メートル
足幅2.00メートル(直立時、走行時)
重量8.8トン(燃料満載時)
動力、水素燃料電池、エアコンプレッサ、エアシリンダー
冷却系ジェネレーターは自然外気を利用
最大出力稼働時間100分(バッテリーパック無し)、節電モード360分
軽量化でカーボン素材を使用、骨格内に空洞部分を設け軽量化
外骨格CFRPハニカム構造2段式
AI管理システム
背中に武器などの収納パック
機体中央部に直立搭乗式コクピット
第2世代型光学迷彩装甲
セラミックナイフ1本
短砲身式レールガン1丁
ポジトロン・ハンドガン1丁(予備バッテリーパック1)
なるほどね、ほぼハワイ支部のAIの予想通りなわけだ。
この、空力を追求したフォルムは好きになるね。
あと頭部の作りがこちらの<アレグロ>よりカッコイイ気がするよ。
そう思っていると乗っている<アームド・スーツ>のAIが補足してくる。
『敵は乗り物に乗っている様子、移動速度時速220キロ』
アームド・スーツ用に設計されたバイクに似た乗り物で
やってくるようだった。
10分前に水中推進機パックを外し海中に隠すと、
西宮浜から上陸して近くのハイウェイに入った。
一番驚いたのは、VICSシステムで自動車が止まったのはもちろんだったが、
進行方向と逆、
つまりバックまで行った事実だった。
一方通行の道をバックするシステムの凄さに
予想外で『おいおい』と思ったものだが、
それ以外は普通の自動車誘導システムだった。
あとは中央分離帯へ登ると、走って抜けていった。
この<アレグロ>は相手の<MAS-3>よりも時速19マイル速い、
時速93マイルまで出る。走って車の間や障害物をかわすのは、困らなかった。
神戸の中心部、三ノ宮まではハイウェイだったからだ。
しかも、危機管理用に車をどけてくれたVICSシステムのおかげで
三ノ宮に着くころにはすっかり走りやすくなっていた。
日本は電線が存在しないのも、
公共物を壊さずに済んだ理由かもしれない。
既に、4つのインフラ、電気、水道、ガス、通信は全て共同洪になって
地下へ入っているのだ。
しかも、高圧電線もなくなり、日本列島には
地下に3本の超電流超電導ケーブルが走っている。
世界初の超電導直流送電を国家レベルで実現させていた。
さて、もうすぐ、魚崎浜に着く。
もうすでに、道路は空だった。AIに
「敵の位置情報を、あと無線の傍受を開始してくれ」
『了解』
敵の位置情報が表示される。既に敵はハイウェイを降りている。
無線が聞こえてくる。
『全機フォーメーションAで接近。
相手の機体特性がわからない、慎重に行動しろ。
あと、民間人の避難は終えていないと思え。発砲は極力控えろ』
『了解』
ごく無難な指揮官のようだった。
『無難が一番だ。自分の方が数に勝っている場合、
無理に奇策を使う必要はない。会ってみたら僕と気が合うかもしれない』
そう思いながら、魚崎浜に急いだ。
橋から急いで進入してくるが、
恐らく進入路の橋の上は一番警戒しているだろう。
何もしかけていないのだが…。
準天頂衛星で宇宙からの支援がある以上
こちらが不利なのは明白だった。
そして、何より相手は短距離レールガンを装備している。
ほぼ格闘戦を考えたこちらとは違うのだ。
僕の<アレグロ>も相手の<MAS-3>も、
身長でいうとビルの2階と半分程度しかないため、
隠れるのは簡単だが、民間人が騒ぐため位置はすぐにバレてしまう。
相手はフォーメーションA、つまりダイヤ状に展開して
前衛1機、中衛2機、後衛1機の密集隊形で接近してくる。
あと2ブロック100ヤード。
ビルの陰からこちらも相手の衛星を使って、
位置情報を収集し最終確認をした。
AIに指示する。
「パターンC、相手の後衛を狙う。
その直後に中衛の西側の1機もしとめる。
3秒後無線への介入を行う。
光学迷彩スタートの3秒後に無線を同期させろ」
『了解』
<アレグロ>の装備、セラミックナイフを抜いて左腕に、
ポジトロン・ハンドガンを抜いて右腕に装備させる。
「3秒間の空白を埋めろよ。
ではカウント、3、2、1、」
そう言うとビルの陰から転がり出る。
相手は、すぐに迎撃態勢に入ろうとしているが、
レールガンの照準が定まるよりも先に起き上がると、
左から右へと俊足で移動し距離を詰める。
『大尉』
AIが光学迷彩起動可能を告げてくる。
「開始」
短く告げると、画面がモノクロ映像に切り替わる。
AIが予想した仮想画面を元にステップを踏んで
相手の部隊を東周りにかわして後衛機の側面を反転しながら抜ける。
ポジトロン・ハンドガンを構えて相手の後ろから右脚の付け根を狙う。
画面がモノクロからカラーに変わった。
AIの予想映像と実際の3秒間での現実には若干のズレは存在するが、
ほぼAIの予想は当たっていて、
後衛機の右脚にポジトロン・ハンドガンを見舞う。
「敵、9時方向」
叫んで相手の無線に入った。敵は全員そちらの方向を向こうとする。
僕は叫ぶと同時に、こちらから見て右側の敵に
ポジトロン・ハンドガンを左脚へ見舞う。
残りの2機は僕のフェイク無線に騙されて姿勢を右に変えていた。
中衛の残りの1機の右腕の関節部分にセラミックナイフを突き刺す。
同時に前衛の1機には、左脚にポジトロン・ハンドガンを見舞う。
これまで、姿を消してからわずかに5秒強程度しか経っていなかった。
最後にセラミックナイフで、
即時反撃不可能にした中衛1機の左脚を狙い撃った。
全て脚は腰との付け根を狙っており、
吹き飛びこそしなかったが、行動が不可能な事は見て取れた。
一端、4機が倒れた交差点から距離をとり、
ポジトロン・ハンドガンのバッテリーパックを交換する。
ポジトロン・ハンドガンは射程11ヤード程の超近距離銃だが、
陽電子を目標に向かって直撃させるためダメージは溶ける形で現れる。
反動も少ない、<アームド・スーツ>には最適の武器だった。
発砲段数が4発しか撃てないのが難点ではあったが。
また、セラミックナイフは、薄く作れるため軽く、
またCFRP装甲に対して有効なため良く使っている。
距離をとると、そのまま無線で彼らに英語で告げた。
「既に君たちは無力化された。
このまま更に交戦するのなら、
コクピットにポジトロンを見舞うだけだ。
だが別の選択肢もある。コクピットから降りて、
手持ちの武装も放棄するならこれ以上攻撃しない。
約束しよう、君たちの機体は鹵獲しない」
信用してもらえるか不明だったが、
機体を鹵獲されなければ従うのではないかと思えた。
もしこれが戦場で機体を放棄するような事があれば、
その場合、機体は破壊しないといけない。だが、ここは平和な街だ。
『約束を信用できる保証がどこにある』
と無線越しに『フォーメーションA』を告げた男が言ってくる。
だがそれに割り込むように、
『私は、警察庁の大阪支部所属。彼らの上司だ。
約束は必ず守ってくれ、パイロットは要求通りにさせる』
と言ってきた。
「わかりましたよ。元より破るつもりもなかったので、
変な話ですが、改めて誓いますよ」
現場パイロットの先ほどの男が
『警視正…』
とうめくが、
『従うんだ』
と上司に言われ諦めた様だった。
コクピットハッチが開き、パイロットが出てくる。
そして、所持している拳銃を地面に置くと、
少し彼らの<アームド・スーツ>から距離をとって待機した。
「悪いが、パイロット諸君はあと20分間だけ
そのままそこで待機してもらう。あと指揮官殿」
『なんだ』
「彼らの身柄は、20分で開放する。
その間に支援を送っても構わないし、
支援の有無に関わらず20分間彼らが動かなければ殺しはしない。
変に聞こえるかもしれないが、これは守ろう」
『それはありがたい』
「だが、交渉はしない。
勝手に無線に介入して悪かったと思っているが、
指揮官殿と話すのはこれが最後だ。いいかな?」
『……』
答えを待つ必要はなく、
手で無線をカットする捜査を行うと、AIに告げた。
「無線に関して、今後交渉は一切受けるな。
あと、彼らへの指示以外は特に知らせる必要もない」
『了解』
さて、あと20分。既にVICSシステムは止めた。
更に警察庁のロボット機動部隊も壊しはしたが、死傷者ゼロ。
戦闘した交差点でビルも壊れていない。
ガラスが割れている程度だった。
クライアントの要求はしっかりと答えている。
同日 10時10分
兵庫県、滝野社IC
急いで、準備をしている。
腕のAIに情報をリンクさせながら、
端末ボードで各パイロットの状況を、
もう一つの端末で天頂衛星からの映像を映していた。AIから警告音が鳴る。
『これ以上は情報をここだけに保存出来ません、あと一分で限界です』
これだけの規模で<アームド・スーツ>を乗り入れてきた。
しかも見たことの無い機種が時速150キロものスピードで走り、
神戸の中心部に何も無く鎮座しているというのだ。
内通者を疑うのが常識で、報告を受けてから、
俺の今までまとめた内骨格型<アームド・スーツ>のデータを
俺のPCからリンクさせてAIに送りながら、映像と照合させていたのだ。
俺の勘が間違いなければ、
あれは内骨格型<アームド・スーツ>に間違いなかった。
仕方ない、警察庁と別組織の公安庁の友人を頼り
ストレージ先を用意してもらうかな、
そう思いかけたとき部屋のノックもほどほどに
『聖さん、入ります』
と言って美冬ちゃんが入ってきた。
ほとんど何も着ていないが
恥ずかしがっているような精神的余裕もなく、
「なに、今はちょっと時間がない」
『私も手伝います』
「自衛隊の出動要請は出ていない」
『いえ、違います。今、私は自衛官ではなくなりました』
何を言っているのかわからず聞き返した。
「はい?」
『国家安全保障庁、特別技術官、桜木美冬になったんです』
意味がわからなかった、
さっき食堂で人払いをして慌ただしくなったばかりだったのに、
今度は手伝うと言って美冬ちゃんが入ってきて、
自衛官では無くなったと言い始めた。
「AI、とりあえずPCのデータを破棄。
ライブ映像のストレージを確保して」
『了解』
すると美冬ちゃんが、
『ストレージ?データの漏えいを防ぐためですか。
警察庁内に情報提供者がいると考えているのですか。
それなら、こちらで用意します』
そう言って、美冬ちゃんが俺の腕を引っ張ってAIとリンクさせた。
『桜木美冬、国家安全保障庁、特別技術官。
警察庁、神楽聖警視のAIとリンク構築』
『了解、リンクを開始します』
『警察庁へは悟られないで』
『わかりました。ダミーデータを走らせます』
ロングTシャツにボクサーブリーフの俺に向かって、
『準備のため歩きながら話します』
というと、俺のPCをとり、
もう片方の手で俺の手を引いて部屋から出ていこうとする。
俺はコートをとるのがやっとだった。
今から5分前、AIに通信が入った。
警察庁警備部ロボット機動部隊、大阪支部の統括責任者、本多警視正だった。
たまに、研修で行っている部署で、
今まで学んだロボット工学の知識と操縦性の向上のために行っていた。
ホログラムを映し、通信に出た。
「はい、本多警視正。お久しぶりです」
『急いでいる、神楽警視。今は1人か』
滞在先のホテルで、朝の点滴を打っていた。
これが終われば帰れると皆で話していたところだったのだ。
「いえ、外務メンバーと一緒です」
『外してもらえ』
声のトーンが激しく、ホロ映像からも分かったのか、
神蔵先生をはじめとして皆がその緊張感に食堂を外す。
ほとんど待ったとも言えないペースで、
本多警視正は続けてきた。
『5分前、兵庫県西宮浜から<アームド・スーツ>が上陸。
神戸市内へ向けて一直線に向かっている。
見たことの無い機種だ。アーカイブにも無い。
現在待機していた隊員にスクランブルをかけ
あと3分ほどで第1小隊が出動する』
「上陸は単機ですか?」
『そうだ、細かいデータと準天頂衛星の映像データは随時見られるように、
今データ送り、衛星へのアクセス許可を出しておいた。移動中に見ろ』
「移動中…、ですか?」
『そうだ、細かい事は省くが、出現した機体は時速150キロで
高速道路の中央分離帯を見事に走った。
万が一に備えたほうがいいと思い現在、
君の機体をV-22ver.2<スーパーオスプレイ>に輸送させる準備をしている。
5分後にはここを出て、君の所まで8分後到着の予定だ』
「待ってください、私が出るのですか?」
『そうだ、ここの待機隊員より君の腕を見込んでいる。
幸い着陸ポイントもそのホテルで確保できそうだ』
「現在、身体も万全とは言えません。
別の隊員を搭乗させてください」
『すまんが拒否権は無い。
既に、<MAS-3>3機は災害救助に回している。
もし、いまの第1小隊が敗れたら、
君に最後の砦になってもらう。
装備、使用はいつものようになっている。
ヘリに搭乗させる技術巡査長に細かい事は指示してくれ、急げ』
そう言って通信は切られた。
試しに添付フォルダを開くが、状況は本当のようだ。
点滴台を転がして、神蔵先生のところへ行った。
「すいません、神蔵先生。出動命令が出ました。
8分で<アームド・スーツ>に乗ります。
点滴を抜いて、便の出ない薬を打ってもらえませんか。
それと、栄養注射をお願いします」
『無理、だと思うけれど、選択の余地は無いんだね』
神蔵先生が言ってくる。
「すいません、先生。お願いします」
先ほどまでの空気とは全く違う張りつめた雰囲気に
感じ取ってくれたのか、
『毛利君、ブスコパンとアリナミンを、点滴は私が抜いておく』
そういって美鈴に指示を出すと、点滴の針を抜いてくれた。
「先生、美鈴がとりに行っている間に、準備をしてきます」
『ああ、わかった。私もエントランスまで降りよう。
そこで待っている』
「すいません」
そう言って、自室に急いだ。
◆
聖さんに緊急の連絡が入って、
美鈴さんと神蔵先生と私。3人は食堂から出た。
『なんなのかしら?』
と美鈴さん。神蔵先生は覗くという表現は全く相応しくなく、
心配そうにみている。
今回の外務で一番よくわかったのだけれど、
神蔵先生は聖さんの過去について一番よくわかっているように思う。
聖さんも絶対の信頼を置いているし…。
「緊急、といっても聖さんは動ける身体じゃ無いのに…」
私も心配だった。食べなくても大丈夫って言っているような人を、
緊急とはいえどうして呼び出すのかしら。
そう思っていた矢先、私の腕のAIも着信を知らせてきた。
所属する、伊丹駐屯地や陸自関係からではなく、
次の勤務地である国家安全保障庁からだった。
「はい、桜木です」
『すいません、桜木三佐。緊急の話があるの、
人のいないところに移ってもらえるかしら』
「あっ、はい。わかりました」
音声は美鈴さんや神蔵先生にも聞こえていただろうから、
顔で、すいません、と挨拶してその場を離れた。
「大丈夫です」
静かな場所に移った事を話すと、
『では続けるわ、桜木三佐』
と緊張した雰囲気で話が始まる。
『私は国家安全保障庁、山梨本部所属、
主席政務官の皆部綾です』
驚いた、首都から直々の通信だ。
『7分前、神戸に正体不明の<アームド・スーツ>が出現しました。
大統領府安全保障庁としては戦後100年の節目に
テロとはいえ陸自を使った市街戦は避けたいと考えています。
そこで現在、報道管制と国内のネットサーバを強制停止させています』
「はい」
にわかに信じ難いが、聖さんの先ほどの行動を見ていると納得のいく展開だった。
『ですが、この報道管制もこの事態を阻止しないと
全く意味の無いものになってしまいます。
私たちは、最近の調査で警察内部、
警察庁か公安庁のどちらかに諜報活動を行っている者がいると
突きとめました』
「それで、私にどうしろと?」
次の勤務先で、まだ内示と言っても
所属部署も何も決まっていない私にこのような事を
明かして何をしようと言うの。そう思ったが、
『既に警察庁が動いてしまったので
それのあとを引き継いでもらいます。
神楽聖警視にいま出動要請が出ています、
出発は10分かからないでしょう。
大統領補佐官から警察庁へ話が通ることになっていますが、
機密漏洩を防ぐため神楽警視の任務をこちらの
国家安全保障庁で行います。
三佐、申し訳ないですが、
大統領特例で貴方は今をもって
防衛省から国家安全保障庁へ異動になります。
仮の身分で特別技術官という肩書を用意しました』
確かに警察庁も公安庁も、
それに国家安全保障庁も同じ大統領府だが、
そんな強引な手段が通用するのかしら、とさえ思ってしまう。
『警察庁は今のところ、
私たちと同じく自衛隊を頼らず
正体不明の<アームド・スーツ>を捕えようとしていて、
最後の手段として神楽警視を使おうとしています。
それは私たちも変わりません』
「待ってください、神楽警視は体調がすぐれない状態です。
とても<アームド・スーツ>に乗れるとは思えません」
そこまで一気にまくしたてたが、
『これには、拒否権はありません。
神楽警視が外務部での勤務以外に、
警備部のロボット機動部隊に技術協力していた事実と、
持ち合わせる技量を考えると適任者なのです』
「そんな…」
『桜木特別技術官、すぐに準備に取りかかり、
貴方も神楽警視と同行してください。
貴方の防衛省の勤務記録からも、
即時調整に適任だと確信しています』
「無理ですよ、いきなりすぎます」
『桜木特別技術官、急ぎなさい。
貴方の端末ボードには既に異動の特別書が来ています。
認証の上でサインをして、
到着するV-22ver.2<スーパーオスプレイ>に搭乗するのです』
「……」
返事ができなかった、いきなりすぎる。
『全てがかかっています。
今は時間が何よりも貴重です、急ぎなさい』
そう言うと通信ホロが無くなり、途切れた。
自室に急ぐ。装備も何も無いのだから、
署名して、聖さんを連れてヘリに乗り込むしかない。
あまりの展開に、理性的に考えられなくなっているのだから。
◆
真剣な表情で先生に言われたから用意するけれど、
聖が<アームド・スーツ>に乗るってどういうことよ。
あんな体調で乗れるわけないじゃない。
医療用トランスポーターから言われた医薬品と注射針、
それに消毒用のアルコール綿を持っていく。
ホテルに入ると、先生が既にエントランスにいて、
『このソファーで、神楽君に最後の処置を施すよ』
と言ってくる。
当たる先は先生でも、聖でも無いとわかっているが、
「先生は、あの状態で<アームド・スーツ>っていうロボットに
乗せて大丈夫だと思っているんですか?」
と叫び気味に聞いた。
『落ちついて、既に神楽君はかなり動揺しているだろう。
私たちまで感情的になってしまっては、彼に余計な心配をさせるだけだ』
「先生、私が知るずっと前から聖が潰瘍性大腸炎を
たまに悪くしていることを知っていたんでしょう。なのに…」
その勢いのまま、告げた。
「ブスコパンを打つなんて、
『悪化してください』と言っているようなものです」
『そうだよ、でも仕方がない。これまでも色々、彼も悩んできた』
そして優しく私を見ると、
『もしも、心配なら、無事に帰られるように全力を尽くして、
満身創痍で帰ってきたらまた治療してあげる、
それしかない。私はそう思っているよ』
エレベーターで聖が降りてきた。
なぜか美冬ちゃんも一緒で、
聖は下着程度の状態にコートを身にまとっているだけに見えた。
聖は無理に笑いながら
『先生、すいません。無理を言っちゃって』
『さあ、注射をしよう、毛利君』
私は無言で先生にブスコパンを入れた注射を渡した。
私は栄養のアリナミンを打つので先生の処置を待ち、
「打つよ、聖」
そう言って筋肉注射である注射針を指した。
ふつうは結構痛いはずなのだけれど、
聖は、ほとんど痛がっている素振りも見えなかった。
そして消毒用アルコール綿で注射したところを揉んでいると、
背後からヘリコプターの音が聞こえてきた。
決戦-1
2045年1月25日 10時20分
兵庫県、滝野社IC
一端降ろされた、<アームド・スーツ>、<MAS-3>と
次いで着陸したV-22ver.2<スーパーオスプレイ>から
担当の巡査長が降りてきて説明をし、美冬ちゃんが受けている。
この作戦の担当は今や国家安全保障庁に移り、
現在の責任者は美冬ちゃんだった。
俺は、ヘリから降ろして
<アームド・スーツ>の専用プロテクタースーツを着る。
全身カーボン繊維でできていて、
タイツのような服装。ところどころ固めの部分があり、
貴重なセンサー類、ホールド性の高い部分、
緊急で降りたときに使用する武器も拳銃かナイフなら
収納できるところが一ヶ所ある。
降りてすぐに戦えるように、ある程度の防刃性がある。
ボタンを押してスーツを身体に密着させた。
そして、愛用の拳銃グロック19を入れる。
32口径だと、鎮圧にちょうどいいし、扱いやすかった。
神蔵先生と美鈴に出発の挨拶をすると、
美鈴が泣きそうになりながらも
『活躍してきなさいよ』
と言ってきた。もしかすると、
美鈴のしおらしい姿を見たのは初めてかもしれない。
認証を行いハッチが閉まり、
直立のホールドシートに収まると身体が押さえつけられるように締る。
ヘルメットを着用しバイザーをおろすと、視界が360度開けた。
『警視、発信します』
パイロットがそう告げると、機体がヘリにホールドし発信する。
『聖さん、聞こえますか?』
と美冬ちゃんが言ってきた。
「感度良好だよ」
『まずは飛行ルートを示したあと、すぐに既に終了した戦闘のモニターを見せます。
わずかに10秒程度です』
伝えられると、画面が切り替わる。
ルートは六甲山系の裏を抜け東側から敵機に接近する方法をとっている。
日差しを気にするにはいささか、関係ない気もしたが、余計な事を考えている暇もない。
グッとGがかかり飛行モードが切り替わったと思う。
オスプレイの最新型は巡航速度で時速600キロを軽く超える。
こちらの機体も、空気抵抗が少ないように、
背中をオスプレイの底面に張り合わせる形で固定されているので、
速力ダウンにあまり差支えないだろう。
問題なくルート通り飛べば8分から10分と言ったところだった。
画面が切り替わり、戦闘シーンが1度映る。
前に転がり出てきた<アームド・スーツ>が
セラミックナイフとポジトロン・ハンドガンを持っている。
装備はこちらと変わらないのだが、速い。
俊敏に動き、接近してきたと思ったら消えた。
全<アームド・スーツ>から消えており赤外線センサーの反応すらない。
瞬間といえる5秒ほどで全機方向は違うが、倒れる。
全員死角から攻撃されていた。
見終わったタイミングで、美冬ちゃんが話しかけてくる。
『聖さん、見てもらって何かわかりますか?』
「この運動性能は、内骨格型の<アームド・スーツ>だね」
『やはり、聖さんもそう思いますか?』
「ごめん、美冬ちゃん、作戦中だけ、
桜木か美冬のどちらかでいいかな。短い方が呼びやすい」
『じゃあ、美冬で。私も聖(ひじり)で呼びます』
「助かるよ。話を戻すけれど、俺のPCを見てもらうと、
内骨格型<アームド・スーツ>の利点はまとめてある。
但し、作るまでにはいろいろ技術面で無理があるから、
まさか作っている連中がいたとは…」
『まとめてあるPCを見させてもらいました。
凄いですねこのまとめも。
これから考えられるのは接近戦が得意ですよね』
俺の語調も作戦が迫っているため早くなり、雑になっていく。
多分、美冬ちゃんを目の前にしてはこの荒い話し方では言えないだろう。
「恐らく。相手の手にしていた武器は近接戦闘用だし、
運動性能でもレールガンの照準出来ずに
光学迷彩使用前に30メートル近く接近されている」
『勝てますか?』
「いや、このままじゃ確実に負けるね」
そうだ、このままでは単に潰されに行くだけだ。
何か方法は無いのだろうか。完全光学迷彩ということは、向こうもまったく見えない中を、
勘を頼りに動いていることになる。
そこに反撃の糸口がないだろうか。
手持ちの武器が他にたくさんあるように見えないし、
破壊された<アームド・スーツ>のカメラ映像や、
やられたカメラから見える傷口を見ると、
ポジトロン・ハンドガンの性能はほぼ一緒のようだ。
さらに使ったナイフもほぼ性能差はないだろう。
問題は機体、この1点に尽きる。
「美冬、敵の光学迷彩を使用する瞬間と再度、
現れたあとを映したカメラは無いか?」
『少し、待って』
俺の考える通りなら、勝利には、これに賭けるしかなかった。
その間に装備している武器を表示させる。
セラミックナイフ2本
ポジトロン・ハンドガン2丁(予備バッテリーパック2)
不必要なレールガンが装備されていないことにホッとする。
特に今回は全く必要なかった。
自分自身も考えにふけっていると、美冬から
『あります、光学迷彩使用時はビル事務所のカメラで脚の映像のみ。
光学迷彩を切ったときは交差点のカメラ』
「一端スローで見せてくれ」
使用時から映るが、スローで見てもほとんど消える瞬間がわからない。
一方、出現する瞬間は少し陽炎(かげろう)のようなものが見えて、
それから出現している。
『聖、何かわかる』
完全にタメ口になった美冬から質問が飛んでくる。
「迷彩使用時はダメだが、出現時に陽炎みたいなのがみえるだろう」
『ちょっと待って』
そう言ってすぐに見たのだろう。
『確かに』
「それは何秒だ」
『えっと、0.15秒』
「それじゃあ、気付いて反応できる速度を超えている。
時間を同期させて、出現時と衛星映像を見せてくれ」
『了解、いくわ』
思ったより、美冬の機器の操作処理が早い。
映像が映った。一瞬で後衛の<アームド・スーツ>が右脚を撃ち抜かれている。
「今回の映像もスローで見せてくれ」
『何かわかりそう?』
「俺の勘が当たっていれば…」
映像を見て確信する。
「やっぱりだ。スロー映像を見ると、光学迷彩解除直前の陽炎から、
姿が見えて、さらに照準し直すまで少しだけラグがある」
『ホントだわ、これだと…、0.35秒』
「理由はどうだか知らないが、
相手は単に敵に当てればいいとは思っていないようだ。そこが弱点だな」
『勝てそう?』
「勝つのは最初から不可能だと思う。
不可能を可能にしようとして負けるより、鼻から合いうちを狙う」
美冬が不思議そうに聞いてきた。
『どういうこと?』
「悪いが頼みがあるんだ」
そう言うと、考えと秘策を教えた。
同日 10時35分
兵庫県神戸、魚崎浜
AIに、
「無線を捕虜の警官に聞こえるだけのエネルギーで発信」
と伝えると、<アームド・スーツ>パイロットの4人の捕虜に向かって言い放った。
「諸君、私はここを移動する。あと5分、身動きをとらなければあとは自由だ。
衛星で見ているが、20分を超えれば例え動いても殺さないと約束しよう。
市街地にミサイルを打たれたら被害者は君たちだけでは済まないだろう?」
そう言うと魚崎浜から移動する。ハイウェイに乗り時速93マイルで西宮浜まで走る。
既に、上陸から35分経過している、もうあとは帰るだけだ。
所定のポイントまで3分と言ったところか。
そんなとき、AIが警告を告げた。
『衛星で、接近するヘリを発見。低空侵入してきます』
頭部の5.56ミリ弾で迎撃するのは難しそうだった。
『遭遇まであと1分』
5分前、六甲山系東側から出てきて海側に接近し始めてからAIからの警告は聞いていたが、
まさか航空機、しかもヘリで接近を試みるとは考えられなかった。
報道用の民間機と勘違いしたのが仇になってしまった。
現代戦を知る者なら電子兵装の塊であるヘリは
EMP(電磁パルス爆弾)で攻撃されたら電子機器が使えなくなり、ひとたまりもない。
低空で迎撃を避ける、と言ってもEMPだけは避けようがないのは知っているはずだった。
悔しいのは、相手はこちらがEMPを持っていない事を知っているのかと思うほど、
一番嫌なタイミングで、しかも嫌な接近方法をとってきた。
僕は長距離兵器を持っていないのだから。
一端、ミサイル攻撃を直線的に受けないように建物の陰に隠れる。
ハイウェイは既に降り海まであと少しだというのに、ついていなかった。
相手の動きが止まったことに疑問を覚えて、
準天頂衛星で映像を確認するが見えなかった。
『ハイウェイの真下に着陸したのか?』
独り言を言ってしまう。
準天頂衛星で見えない以上、
それしかありえなかった。
まだ、ヘリのローター音はセンサーが捉えているので、
何かを降ろしているために一端、隠れたとしかあり得ない。
そしてそれは、陸戦部隊かと思ったのだが違った。
ハイウェイの下から出てきたもの。
衛星に映ったのは<アームド・スーツ>だった。
僕が4機倒して違う装備でも持ってきたのか、
と思うが来たのは警察のヘリのようで、自衛隊ではない。
それほど大きな攻撃は予想できなかった。
結局、1機<アームド・スーツ>を持ってきただけなのだ。
◆
「済まないができる限り引きつけてくれ」
非可視レーザーで通信する。
「あと、国交省の道路監視カメラで相手の動きを見て教えてほしい」
というと、
『わかったわ』
と美冬が返してきた。
正直、敵が<アームド・スーツ>でヘリを飛ばすことが、
どれだけリスクのある行為か知っていることを考えると、ありがたい限りだった。
さらに遭遇ポイントが良かった、
高速道路の真下で降りることができたし。
ここはヨットハーバーのある場所で、その他も区画整備されている。
走ったところで、相手から姿が見えない。
出来れば、レールガンがあると相手に思ってほしかった。
海中に逃げるつもりだったのだろうが、俺にレールガンがあるとなると、
射程圏から逃げ切る前に撃たれると考えるだろうと予想したのだ。
<アームド・スーツ>に搭載されているAIは万能ではない。
肉弾戦も視野に入れた、<アームド・スーツ>の戦闘行為で
身体の部品各種の動きを計算しながら、
衛星通信でこちらの動きを細かく調べることまでは出来るはずもなかった。
彼らにサポートが1人でもいたなら、
準天頂衛星でミリ単位まで測定できるので、
こちらの装備も知らされているかもしれないが、
これは賭けだ。そう思って割り切る。
『次の交差点9時方向より敵機、距離30メートル』
警告が流れる。速度を落とすこと無く曲がって接近し
両手に持ったセラミックナイフで接近戦に持ち込む。
お互い<アームド・スーツ>での戦闘なので、
大きな一撃が当たると勝負での命取りになる。
だが、距離をとると、
俺はあの完全光学迷彩を使われてほぼ負けになってしまう。
それだけは、時間的にもう少し避けたかった。
相手は出会い頭になってしまい、動きが一端止まる。
やはりずっと衛星で監視していたわけではなかったようだ。
躊躇なく、曲がって相手との距離を詰める。
戦闘に一機に突入すると、
初手は左手のセラミックナイフで相手の右のポジトロン・ハンドガンを狙って突く。
かわされるが、さらに続いて右手のセラミックナイフで相手の懐下向きに突くと、
切っ先が銃口の上に当たり、相手の右手に持つポジトロン・ハンドガンを下向きにする。
続いて、相手がバランスを崩しながらも
左手に持つセラミックナイフが降り降ろされようとする瞬間、
ハンドガンを突いた右手のセラミックナイフで下から払うように振り上げて手首を狙った。
相手がセラミックナイフを放して、腕を引きダメージを追うのを避ける。
相手の左手が早くも空になってしまった。
「美冬っ」
叫んで、準備できる位置に着いたか確認するが、
『あと少し』
と返ってくる。
こちらの不意打ちはまだ聞いているので、
左足で相手の右手に持つポジトロン・ハンドガンを蹴りあげる。
トウで相手の右手首から弾きあげるような軌道をとって狙うと、
ハンドガンも放して、同じく腕を引いてきた。
今回は相手も避けきれず、軽く手首に当てることができた。
もちろん、相手のポジトロン・ハンドガンは蹴飛ばしている。
相手は両手とも手ぶらになり、ますます態勢を立て直しやすくなっているが、
ハンドガンへの攻撃でまだバランスを崩していた。
もし組み手になったら、内骨格型の相手の方が有利なのは間違いなかった。
時間がまだ必要だ。
振り上げた左脚を降ろすと、前に踏み込んだ形で、
左腕で肘打ちを繰り出し、さらに、相手の頭部へ手の甲を当てる。
ナイフを握ったまま落とさないように注意した。
こちらと同じ仕様なら、カメラにある程度のダメージが出ていると助かるのだが、
確信は持てなかった。
さらに右手からナイフで胸元を狙って突く。
流石に相手が胸をそらし装甲を少し削る程度でかわされた。
装甲を削ったことで、光学迷彩に影響が出ているとさらに助かる。
そう思いながら左足で相手の左足へ足払いを入れる。
これは脚をあげて避けられてしまうが、構わず左脚を戻しながら、今度は中段を突くように蹴り込む。
少し胴体部に当たり相手の機体が後ろへよろめきながら3歩ほどバックする。
左脚を戻すと同時に、左手のナイフを小さく突き出し牽制したときだった。
『聖っ』
と通信が入り、合図が送られた。
「一つ手前の交差点へ戻る、胸を削った、チャンス」
とだけ言って、左のナイフを戻して、
右のナイフで大きく下から払って相手に距離を取らせた。
こちらも後方へジャンプして態勢を立て直す。
まるで、機種性能を感じさせないように姿勢を取った。
まだ、肉弾戦をやるのだ、と言わんばかりに。
飛んだ最中に少しだけ計器に目をやるが、異常はなかった。ここが交差点だ。
決戦-2
右手のセラミックナイフを放し、ポジトロン・ハンドガンを素早く抜く。
相手も距離を取って態勢を立て直すと、
背中からポジトロン・ハンドガンを右手に、
セラミックナイフを左手に持って立った。
こちらが静止し構えると、
相手は急接近し30メートルほどの距離が一気に縮まり、姿が消えた。
赤外線センサーにも反応がない、例の完全光学迷彩を使用したのだ。
消えてからがとても長く感じられた。
ヘリでの作戦を考えていたとき、最後の秘策は、
「恐らく、この出現がカギだ。
相手はこのときは1小隊いたから都合のいい3秒の光学迷彩を利用した。
そう考えるとして、使用時間は短くても長くても可能だとしよう」
俺は続けた。
「だが、使うときは、
相手にとってAIで敵の姿や形が予想しやすい態勢を取るまでは、
光学迷彩解除後の映像が予想と違う可能性のリスクが高いから起動しない」
『予想しやすい態勢を狙っている、と?』
「性能に限界があるのだと思う。
もしも、最初から完全に予想できるなら、
姿を出してカメラに捉えた瞬間に完全光学迷彩を利用する」
『なるほど、そうね』
「だから、光学迷彩を起動させない方法は、
近接戦闘を仕掛け続けることだ」
『でもそれじゃ勝てないんでしょ?』
さっき言っていたことと違うと言わんがばかりに美冬が言ってくる。
「ああ、勝てない。だから、まずこちらが、
相手の光学迷彩を利用しても対応できるだけの時間を稼ぐため、
不意打ちで近接戦闘をしかける」
『それで、光学迷彩にはどう対応するの?』
「なぜだか知らないが、
相手が前と同じように照準を再度し直すと出現からは0.35秒かかる」
『だから?』
「人間だと反応できる限界だが、AIなら直接リンクさせて、
1番迎撃時間の短い方法で動く事ができる。
それで、相手が光学迷彩解除後に予想に反した位置にいて、
さらに予想外の行動で戸惑う隙に反撃を試みる」
『相手が出現の0.15秒で撃ってきたら?』
「その時は殉職者が1名出るだけだ」
『そんな?』
「それに、この作戦には美冬にも殉職の可能性がある」
『何が危険なの?』
「悪いが、俺を降ろしたら、相手の位置がわかる所まで上昇してほしい」
『そう』
何もかも言いたいことはわかっている、と言いたそうだった。
『EMP攻撃や対空攻撃の危険を考えても、
なお空から光学迷彩解除の合図が欲しい。そう言うわけね』
「そうだ」
断られたら、リスクが高いが、俺だけで挑むしかない。そう思っていると
『いいわよ、聖も同じリスクを踏むのだから、望むところよ』
「おい、即答だな。良く考えろ。俺より危険だぞ」
『そんな心配はいいから。それよりも、これで少しでも勝つ可能性を高めてね。約束よ』
「すまない」
『それじゃ、ミッション終了後のお礼は期待することにしているわ。
プログラムを組むから切るわね』
これが最後の秘策だったのだ。
俺もAIにこの作戦を教え込むため作業に移った。
機体が6時方向(真後ろ)へ対応する態勢に変化するまで1秒と少しだった気がする。
『6時っ』
美冬の言葉が直後に響くが、
こちらはAIの即時反応で既に左周りに左脚を後ろへやり左腕の下から
ポジトロン・ハンドガンを撃とうとしていた。
そして発射する。何かに当たったような感じを受けるがまだ見えない。
そして、右脚を前に出して180度回転すると
同時に左手のナイフを左から右へなぎ払った。
これも、ちょっと何かに当たったような感触がある。
映像がくっきりと見える。相手の<アームド・スーツ>はセラミックナイフを持った左手が
肘から先吹き飛んでいた。
これは最初のポジトロン・ハンドガンが当たったのだろう。
そして、コクピットハッチをかすめて、切り傷が見える。
これは、ナイフの傷だ。
だが、相手も残った右腕で
再度ポジトロン・ハンドガンの照準をこちらに合わせてきている。
一か八か、そう思いながら飛んで相手にしがみついた。
発射されたポジトロン・ハンドガンの陽電子が頭部の上を越えていく。
上手く脚部にとりついた。
両足を抑えることに成功したのだ。
2発目を相手が撃つ前に、相手の態勢を崩すことに成功したのだ。
『聖っ』
美冬の叫ぶ声が聞こえたが、答える余裕はなかった。
美冬の位置から見ると<アームド・スーツ>が情けなく、
絡んでこけているだけであり、若干こちらが有利なだけで、
勝敗は決していない状況なはずだった。
自分が組みついた脚のせいで相手はバランスを崩し
後ろに尻もちを突く姿勢になっている。
相手が態勢を立て直す前に、不利な体勢ながらも
相手の脚に向けて左手のセラミックナイフを突き立てるようとする。
当たるかと思った瞬間で右に転がってかわされ
ナイフは虚しく地面に弾かれた。
相手はうつ伏せ状態で右肘をついている。
相手も直接こちらを狙えない状況を利用して
右手のポジトロン・ハンドガンを撃とうとしたが、
相手の姿勢が前にべたりと崩れると、
後ろ手にした右手でポジトロン・ハンドガンを
連続3回撃ちこんできた。
狙わずに、勘で撃ってきたのだ。
1発がこちらの右脚後部の外郭に
命中し溶け落ちてしまった。
相手が弾切れになっている以上、
俺はダメージコントロールをして、そして立ちたかった。
AIに話しかける。
「立つことはできるか?」
『AI自動調整にしてもらえば、立つことはできます』
「やってくれ、ポジトロン・ハンドガンを撃つ」
相手はハンドガンを放して、右手を使い、上手く立ちあがった。
ほぼ同時と言っていい。
ハンドガンで狙いを定め、大腿部に当てて動きを封じようとする。
もらった、と思い発射するが、
相手も機体をねじりながら身体の反動だけでハンドガンを下から上に蹴り飛ばした。
狙いが外れ、陽電子は相手のコクピットハッチ前を吹き飛ばした。
こちらも、ハンドガンを蹴られた反動で後ろの建物に背中を突いてしまう。
「AI、バランスを戻せ」
『了解』
すぐに直立姿勢に戻し、俺は左手のナイフで相手を突こうと姿勢を取ったが、
相手は大きく後ろへ跳躍すると、吹き飛ばした手を拾い西側へ走っていく。
相手は脚部系のシステムは生きているため走れるのだ。
『聖っ、大丈夫』
と声がかかってくる。美冬に大丈夫な事を告げると、AIに
「現在の損傷具合で前進できるか?追跡したい」
と尋ねる。
『AIの自動制御であれば。最も早いのは、
手も使用して追跡することです。
二足歩行ではそれよりかなり遅くなります』
「速い方でどの程度だ?」
『時速40キロ程度で可能です』
左手のセラミックナイフを収納すると
「その方法で、あの機体を追跡する」
そして、美冬に連絡する。
「美冬、あいつの位置を教えてくれ。追跡する」
そう言うと、追跡を始めた。
『海の手前、西の端で、
機体から降りたわ。そこから20秒』
と連絡が入り、位置を知らせてくれる。
「美冬、危険だから降下しろ。
撃ち落とされるかもしれない。俺もすぐだから」
『そんな…』
「相手がなりふり構わなくなっている。
スティンガーやEMPを使われたらひとたまりもないぞ、
いいから従ってくれ」
少しだけ間があった。
『ごめん、聖。気をつけて』
どうやら従ってくれたようだった。
そして今度はAIに指示を出す。
「この先だな、美冬が言っていた西の端は」
『肯定です』
「その建物の陰で俺を降ろせ。そして直立姿勢を取って、
さっきと同じ武装で待機しろ」
『了解です。ただ、この姿勢で降ろすと、
落ちるようになってしまいますが』
「構わない」
『わかりました』
うつ伏せで載っていたため3メートル程度から落とされたような状態で
受身を取って降りた。ポケットから銃を手にして接近する。
『この先、10時方向で水しぶきの音がしました』
離れる間際にAIが告げてきた。答えることなく駆け出していく。
『現場に到着するより早く、水の中に逃げられてしまった』
そう思いながら角から向こうを探り、銃を構えて前進すると、
プロテクタースーツを着た相手のパイロットの後姿を確認した。
「手を挙げろ」
そう英語で警告し、接近する。
相手は従順で前に回り込み姿をみると、
女のような細めの体型とセミロングに近い
無造作なグレーアッシュの髪、
細面で整った顔立ちと目立ちをしている。
身長も小さめだったが間違いなく声色から男だった。
銃で狙いながら、手錠を投げて手首につけるように言ったときに
迂闊にも手錠を投げつけられ、
その瞬間両足を巧みに使い足払い、続いて銃を払い、銃を蹴り飛ばされてしまった。
手錠を投げる手前に自分の名前を出されたことに驚いたのはうかつだった。
「なぜ俺の名を知っている?」
『社会に害され、健康を害し、それでも日本につくす虚しい男、でしょ?』
そうからかうように言うと、
男は接近した状態そのままに左から掌底(しょうてい)を繰り出し、
バランスを崩した所を、右の掌底で顎から打ち上げられた。
俺はそのまま、後ろ向きに倒れて顎を引くと勢いそのままに
手を頭の上で逆さについて脚をあげ一回転して受身を取った。
起き上がると右足で蹴りが入るが、
これは少し雑で左腕を使って受ける。
相手が銃を持っている可能性を考えると
近接戦闘をしかけ銃を抜く時間を無くして
安全を確保するしかない。
そう考えると、今度はこちらが
左脚で右脚の付け根を狙って蹴りを放つ。牽制だ。
次いで右の掌底で相手の胸を突き、
左の肘打ちで腹を、左手の甲で顔を狙って続け様に放ったあと、
右脚の蹴りで相手の足元をすくおうと力を入れて放ったが、
かわされてしまい相手は少し後ろへ跳び下がった。少し間合いが開く。
強い、機体の性能だけじゃない。そう思っていると、
『いち早く、内骨格型<アームド・スーツ>に気付きながらも、
見放されたことに悔しさを覚えないのかな?』
「イチイチ、うるさいんだよ。テロ屋が」
『だが、そのテロ屋にもわかるぐらいに君の攻撃はワンパターンだね。
左からの肘打ちと手の甲を使った顔への攻撃は<アームド・スーツ>と一緒だよ』
「そうかい、じゃあ次は攻撃を変えてみるよっ」
そう言って右手で掌底を当てに踏み出した瞬間、
素早く抜いた相手の銃に撃たれてしまった。
プロテクタースーツの右側、
固い部分に当たったが右腕は使いものにならなさそうだった。
俺は素早く後ろに飛んだ。
銃の早撃ちにも優れていたとは…、完敗だった。
『たとえ、プロテクタースーツといえど、17口径を至近で全弾防げるかな?』
本来なら、銃の可能性を考えステップを
踏んで前進していればとも思うが後の祭りだ。
自分の蹴られた銃に届くまでどの程度かチラリと見る。
『むりむり、届かないよ。僕は最後に勝ったものが勝ちだと思うね』
「それは同感だ、負けたよ」
<アームド・スーツ>では俺が勝ったことを指しているのだろうが、俺もコイツと同感だった。
勝てばどんな形でも構わない、そう思う。
『人生の引き際も虚しい男だね。足掻こうとはしないんだね。
でもそういう人間もイイと思うよ』
引き金を引かれるっ。
そう思った瞬間、後ろで銃声が鳴った。
そして俺の右腕と同じように相手の右腕も力なく垂れ、拳銃が落ちた。
相手のプロテクタースーツに当たったのだ。
「聖っ」
そう言って、美冬の声がして近づいてきているのを感じた。刹那…
相手の後ろで大きな水しぶきと共に先ほどと同型の<アームド・スーツ>が現れた。
急いで美冬を左手で引っ張り俺の<アームド・スーツ>の方に向かって走る。
美冬は今の水柱の一つを直撃したのか、足取りがおぼつかないようだった。
今、あの<アームド・スーツ>に襲われてはひとたまりもない。
俺の傷ついた<アームド・スーツ>に美冬を乗せて逃がすしか思いつかなかったが、
逃げる後ろでは、<アームド・スーツ>から声がしていた。
『大尉、急いでください』
その声がしたかと思うと、
もう一度水しぶきをあげて海中へ進んで行った。
<アームド・スーツ>を置いている角からもう一度現場を覗き見るが、
もう跡かたも無かった。
美冬の腕を抱えた左腕を持ち直して、
美冬の腕の下に回して態勢を直した。
俺のAI通信を使ってリンクされているはずの国家安全保障庁へ通信を試みる。
「こちら、神楽聖警視。国家安全保障庁へ、誰か?」
叫ぶように言うと、担当者と思しき人の声がした。
「こちらの位置はわかるな。犯人を取り逃がした、すまない。
なお、桜木美冬特別技術官が負傷、至急手当が必要だ」
傷ついた美冬を<アームド・スーツ>にもたれさせて、
「おい、美冬。大丈夫か?おい」
と声をかけると、うつろな表情で目を開き
『あ、聖さん。良かった…』
といつもの優しい美冬ちゃんになっていた。
警察よりも先に、一般車が2台やってくる。
もう、敵だとは思いたくないし、次に戦う余力も無かった。
車の中から複数のスーツ姿の人間が降りてきて、
国家安全保障庁の電子手帳を見せ身柄を保護することを言ってくる。
警察や公安に対して組織力に劣る彼らでは最初に配備するのは、
せいぜい最初は車2台がせいぜいと言ったところなのだろう。
同じく国家安全保障庁と同系組織JCIA<日本中央情報局>もやってくるかもしれない。
完全に衰弱している美冬を左手と、
ダメになっているはずの右手を動かし抱えあげると、
彼らの車まで運び座席に横たえ、手当てしてやってほしい事を告げた。
男の1人が、
『神楽警視、貴方も一緒に乗ってください。病院へ護送します』
と言ってくる。
最後の仕事である、
起動中の<アームド・スーツ>だけは電源を切っておかないといけない。
「少しだけ、時間をくれ」
そう言うと、俺の<アームド・スーツ>へ近づき、AIに声をかけた。
「ご苦労さま、任務は終了した」
『了解しました、警視』
「メンテナンスを受ける必要がある。
いずれ、警察庁大阪支部の警備部が回収しにやってくるだろう。
機密保持のため一端電源を落とすぞ」
『わかりました、警視も血圧が下がっています、
お気をつけて』
腕のAI端末情報を取ったのだろう。
あるいは既に搭乗時から俺の健康に問題が出ているのは
わかっていたのかもしれない。
認証し、電源を落とした。
外から、相手のポジトロン・ハンドガンのダメージを確認するが、
右脚の人間なら『ふくらはぎ』に当たる部分の後ろが溶け落ちていた。
ここまでは、意識をあまりしていなかったが、
3本脚で歩く犬のように来たのだろう。
<アームド・スーツ>に手を当てて、心の中で感謝した。良く頑張った、と。
声をかけてきた男に
「待たせてすまない、終わった」
そういうと、車の後部座席に乗り込んだ。
美冬ちゃんの衰弱した顔を見ながらいつの間にか俺も気を失っていた。
2045年
最初に投稿する作品で一人称表現にこだわってみました。
矛盾が出ない様に、見直して、それぞれの視点で描き直すのには苦労するなと感じました。
<追記>
続きを考えましたが、どうしても『銀河英雄伝説』のような
集団戦法シーンが登場するため、考えています。
ライトノベルの構想もあるので、そっちを優先した方がいいのかな、などと思ったり…。