勝っても負けだから。
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僕は悩んでいた。あからさまにここで手を挙げれば、嫌な役が回ってくる。だからこそ、他にもここで手を挙げる愚か者なんてのはいないのだ。現に僕以外の生徒もみんな黙って下を向いているか、右横の女子のように、下を向いて眠りこけるかどちらかだった。
「はいはい。まだ決まらないんですかー」
女史は業を煮やした感じでクラス中を見渡す。独身女特有のいかつい目は僕のほうでとまった。だけども、女史は敢えて僕をと指名しない。それはこの学校が自主創造やら、報恩感謝やらを唱えているなんてことじゃなく、ただ単に女史もめんどうくさいからなんだろう。それがやれやれといった目のつぶりようでわかる。出席簿をゆらゆらと手で回転させながら女史は、
「体育祭の実行委員くらい、早く決めてくれな」と呟いた。
先生、まるで僕だけに言うみたいなのはやめてくださいとか、誰かやってくれないかな、なんて思っていた。このまま時が過ぎればいいのに……。しかし過ぎたところで下校が遅くなるか、僕が引き受けるしかない。勇気を出せ、僕。
スーッと、手を挙げる。本当にハエでも止りそうなくらいゆっくりだったと思う。僕は恥ずかしさで顔を下げた。
「お、やってくれるか!」
先生はすし屋の店員みたいな威勢の良い声と一緒に顔をほころばせた。これで一件落着。僕だけが悲しめばいいんだ。
バン。大きな音がして横を向くと、隣で熟睡してた女子が何事もなかったように立ち上がっていた。正直な話、彼女も何かよくわからなかったんじゃないかな。
「あ、あの先生……。わ、私がやります」
もう引くに引けないのか、それとも何かを血迷ったのか、彼女は僕がやると言った体育祭実行委員に立候補した。
「お、そうかそうか。でも悪いな。こいつとじゃんけんでもしてくれ!」
僕と隣の彼女は前に出されて、じゃんけんをすることになったらしい。自分でもよくわらかない。
僕はそそくさと、彼女は観念したかのように黒板の前へ移動する。なんの公開処刑だろう。勝っても負けても損にしかならない。僕も彼女もぬっと嫌な顔になる。もっと言えば隣の彼女のことを好きだったから、僕は譲るべきか、僕がやりますと言うべきか悩んだ。でもここは身を任せるしかない。例え、そう言ったとしても女史が許さないだろう。
女史はもうすぐに決まると思ったのか笑顔だった。
「では張り切って! じゃんけんぽーん」
張り切れないですよ、なんて思いながら出したのがグーで彼女もグーを出していた。
「じゃあもう一回、じゃんけんぽーん」
今度は僕がパーで、彼女もパー。
「あれれ、決まらないぞ? じゃんけんぽん」
またあいこ、そしてまたあいこ。まるで口裏を合わせているかのようにあいこが続く。
「うーん。お前ら気が合うな」
他のところで気が合いたかった。あいこのギネス記録でも更新したか? と言ったくらいにあいこが続く。女史はドラムを叩くみたいに足をとんとんと叩いていらいらを表していた。そして十何度目かのとき、
「もう次で決まらなかったらこのクラスからはなしにしよう」と提案した。
おいおい、それならそうと先に言え。しかし僕も彼女もきっとあいこを狙いに行く。これなら誰も損をしない。僕は振りかぶったようにあいこを狙いにいった。
「じゃんけんぽーん」
僕はチョキを出した。彼女は――グーで。彼女の勝ちだった。
「え、私が委員会行くの?」
泣きそうな声で彼女は言う。僕もどうしようもなくうちひしがれていた。
「恥ずかしいやつだな。勝ったのに情けない!」
女史はそう言うと、はっはっはと言いながら前の扉から去っていった。彼女はまったく顔に覇気がなくなっている。
「お前、本当に空気読めないなあ!」
クラスで人気のある男子はそう僕に言った。この世界、勝つだけじゃだめなんだな、そう思った17の秋。
(了)
勝っても負けだから。