オジイとリキの空

オジイとリキの空


猫の平均寿命は、
「家猫10年、野良5年」と言われていた。

それが昨今ではペット医療の発達、飼育環境の向上により家猫で15歳前後(差異はある)とも言われている。


自由気ままで、愛くるしく憎めない動物。
ちょっと上から目線で、でも傷つきやすくて繊細で。
気高くて、どこか不思議な生き物。

私がこれから話すのは、

そんな愛すべき彼のお話…






…1



我が家には、私が幼い頃、一匹の雄猫が暮らしていた。

オバアが言うには飼っているわけではなくて、

毎日残飯をあげていたらいつの間にか居ついてしまったのだと言っていた。

朝から晩まで家の中にいて、

網戸が空いていようと外に出るつもりはないようだった。

名前もあった。

リキ。

真っ黒の毛並みがきれいな猫だった。

眼は金色で、撫でられると気持ちよさそうに細める目が笑っているみたいだった。




「リキにごはんあげておいで。」

オバアに言われると、銀色の食器にドライフードをあげに行く。

私の受持ちの仕事は、えさやりだけだった。

トイレはオジイが掃除するし、

シャワーもオジイが入れる。

オバアはただ座って、リキはただ隣にいた。

いろいろ世話を焼くオジイよりも、オバアのほうが好きみたいだった。

オバアが編み物なんかを始めると、すぐ近くに座って喉をゴロゴロ鳴らす。

手が空くとオバアもリキを撫でてやって、

その姿を見るのが私は好きだった。



私はオバアもオジイも、リキも大好きだった。

みんなの暮らしも、その中に当然のような顔をして存在するリキも。


季節は流れて、私は小学生になった。




「リキがいなくなった。」

青ざめた顔をして、オジイがオバアに告げた。

雨がしとしとと降る、肌寒い朝だった。

濡れるのがいやで、シャワーの度にシャーっとオジイを威嚇してひっかいて、

困らせるリキが、わざわざ雨の日に出掛けるわけがない。

そもそも外に出る姿を見かけたことはなかった。


ランドセルを買ってもらって、初めて背負って遊びに行った日も、

玄関からにゃあ、と鳴いて、出かける私が通りに出るまでそこにいた。

まるでいってらっしゃい、と言っているみたいだった。


家の中で食事をし、家の中で昼寝をしていた。

彼はずっと、オバアのそばを離れなかったのだ。


「探してくる。」

オジイはそう言って、レインコートを着込んだ。

私も行く。と言ったが、嵐が近いから駄目だと言われた。

オジイは軽トラックでリキを探しに行った。

オバアは雨戸を一枚だけ残して閉めて、しばらくそこから外を見ていた。



リキはもう、帰ってこないのかもしれない。

私はふと、そんなことを思った。


古びたエアコンの室外機が立てる音が、雨音に混じって聞こえていた。






オジイが帰ってきたのは、雨が本降りになり始めた真夜中ごろだった。

街灯もないこんな田舎の夜道では、黒いリキを探すのは難しい。


私は眠れずに、オバアが裁縫をしている居間でタオルケットをかぶっていた。


オジイは何も言わずに、家に入ってきた。

「オジイ。」

私はタオルケットを脱ぎ、ずぶぬれのオジイのもとへ近づいた。

オジイはそれでも、何も言わなかった。


見つからなかったんだ、と気付いて、再びオバアの元へ戻る。

そのままシャワーを浴びに風呂場へ向かうオジイの背中を、なんとなく恨めしい気持ちで眺めた。


オバアも何も言わない。

テレビもついていなくて、雨戸を叩く雨の音だけが響いていた。



オバアのそばに、リキがいない。

それがどうしようもなく、不安だった。






明くる日も、

その次の日も、

彼は帰ってこなかった。


私は毎日、彼を待ち続けた。



日増しに濃くなる不安が、私…いや、オジイも、オバアにも。

どんどん濃くなって、まるで沼みたいに私たちを追い詰めていく。




そんな、ある日のことだった。





隣のオジイが、あわてた様子で訪ねてきた。

オジイと2、3言葉を交わし、出ていった。

オジイもそれに倣って、家を出た。

珍しくオバアが玄関まで出てきた。

「行ってくる。」

オジイはそれだけ言うと、私の頭を撫でてから出かけて行った。


リキなのだろうか。

そうなのだとしたら。

彼は無事なのだろうか。


オバアがおやつにしよう、と言うまで、私はオジイの出て行った玄関に立っていた。





その日の夕方のことだった。


オジイが帰ってきた。





「オジイ」



腕には、灰色の毛布を抱いていた。



「オジイ、」



丸めた毛布の間からは、黒いしっぽが垂れ下がっていた。




「オジイ。」




私は、狂ったように泣き叫んだ。



オジイは私を抱きしめて、腐臭を放つその毛布もきつく抱いていた。



オバアは台所から出てきて、何も言わずに私の肩を抱いた。




リキ。



リキが。



つややかだった毛並み。

あまり鳴くことのなかった、鈴みたいな声。

ご飯を食べるときの、水遊びしてるみたいな音。


リキ。



「伊礼のオジイの畑のすみに、いたって。」

オジイはぽつぽつと、語りだした。

伊礼のオジイの畑は、ここから車で40分はかかる。

リキは首輪をしていなかった。

だけど、オジイの友達はみんなリキのことを知っていた。

猫の足で、あんな遠くまで…

オジイはきれいなタオルケットを持ってきて、

リキを毛布の上から包んだ。



リキの顔が見たい。

そう言うと、オジイは首を横に振った。

「ひかれたの」

それにも、首を横に振った。

ただ倒れて、

時間がたちすぎているから。

病気だったのかも、怪我をしていたかもわからない。


3人で、リキを囲んで座った。

オバアはタオルケットの上から、リキを撫でていた。

オジイは煙草をたくさん吸って、お酒も飲んでいた。


「猫はよ、

 死ぬところは見せないんだって。」

オバアが掠れた声で言った。

私は泣きすぎて、うまく返事ができなかった。

どうして。

私は納得できなかった。

さようならも、させてくれないの?

リキは私たちが嫌いだったの?

オバアは何も、言わなかった。






翌朝、オジイがリキをお寺に連れて行った。

焼いて、手厚く葬ってくれるそうだ。

私は学校に行って、

夕方にオジイとお寺に行った。


ほそくほそく、棚引く煙が昇って行った。


「リキ」

鈴の音がした。


「リキ、リキ」


オジイもリキを呼んだ。

にゃあ、と聞こえた。





「いってらっしゃい、リキ」



大好きだよ。



オジイの目から、たくさんの涙が溢れた。















2…





リキがいなくなって、私はひとつ進級した。


そのころ、オジイが亡くなった。


病気だった。


最後は家で、というオジイの願いは叶って、3人で過ごした。



「オジイ」

私はすっかりやせてしまったオジイの手を取って、泣いた。

オジイは力なくほほ笑んだ。

「だいじょうぶ」

痛いのか、苦しいのかもわからない私の頭を撫でて、そう言った。

「オジイは痛くないよ。」

オバアがオジイの体を吹いた。

時折せき込む声が苦しそうで、口元を押さえる手も間に合っていなかった。


ちゃんと。

そう聞こえた。



ちゃんと、ここで行くよ。



さようなら。



「オジイ」




オジイは眠るように、息を引き取った。


ちりん。


にゃあ。


また、あの音が聞こえた。



「リキ、オジイが」

私は泣き叫んだ。

「だいじょうぶ」

オバアが私を抱きしめた。


リキが連れて行ってくれるよ。

なんにも心配いらないよ。


オバアの言葉で、安心したはずの私の涙は、

それでもしばらく止まりそうになかった。







オジイも煙になって、昇って行った。

風が吹いて、煙がふたつに分かれた。



「オバア、リキとオジイが」


オバアは頷いて、おおきな涙を流した。


オバアは私の前で泣いたことはなかったけど、

私は知っている。



リキがいなくなった日。

裁縫をしながら何度も開けた雨戸を気にしていたこと。

リキが帰ってきた日。

私を寝かしつけたあと、オジイと二人で朝まで泣いていたこと。

リキが天に昇った日。

家で私とオジイを待ちながら、リキの食器を抱きしめて泣いていたこと。

リキのお気に入りのクッションと食器を片づけて、台所でこっそり泣いていたこと。



オジイが病気だとわかった日。

洗濯物を畳みながら、大粒の涙を流していたこと。


そして今日。




「リキ、オジイをよろしくねえ。」

初めて声をあげて、オバアが泣いていた。

私はオバアの背中を撫でてあげた。




オジイ、天国でもリキと仲良くね。





------------

オジイとリキの空

猫と暮らし、猫に先立たれ、

それでも私はまた、猫と出会います。

ひとりでも多くの猫を、

1秒でも多く、愛してあげたいと思います。




どうか世の中から、動物虐待・捨てられる動物たちがなくなりますよう。

オジイとリキの空

幼い私、オジイとオバア。 それから黒猫のリキ。 今でもオバアの横には、彼が座っているように感じます。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted