新編創世記

あまねく全宇宙を統べる唯一絶対神が、ある時、分裂した。体の一部が分かたれて、新しい神をかたちづくった。
絶対神は生物ではないが、永久機関というわけでもなく、いつか終わりを迎える。そのため、新しい神を産み出してその役割を引き継ぐのだ。
神は人型ではないが、人のような思考をし、会話も出来た。古い方の神が新しい神に言った。
「わしはもうすぐ消える。そのことは別に悲しくはない。しかし、一つだけ心残りがある。」
「全知全能の方が心残りとは……それは一体、何でありましょう?」
新しい神にたずねられ、古い神は悲しげに言った。
「一瞬だけでよいから……全人類が一人残らず幸福であるという状態が見たかった……!」
「何と……そのような願いを持っておられたのですか……それは確かに、至上神にとってもかなえることのできぬ不可能事……。」
「左様。人類とは、皆が幸福になることなどできぬようになっているもの。充分な食糧と安全な暮らしがあっても、ちょっとやそっとのことで不幸になってしまう。家族が冷たいとか、車で事故を起こしたとか、手に入れたい名誉が手に入らないとか、世間の多くの人より自分の生活条件が悪いとか、ウンコもらしたりとか………その程度のことで、決定的に幸せを失う。おまけに、誰かの幸福が他人の不幸になることがとても多い。サディストは人を苦しめて幸福になれるかもしれないが、相手はマゾヒストでなければ不幸だ。金持ちが存在するなら必ずどこかに貧乏人がいる。人気者がいれば不人気者がいる。全人類が人気者などという状態は有り得ない。人気者は他の人々より飛び抜けて支持を集め、他の人々に劣等感を与える。
かような人類というもの、その全てに、同時に、幸福をもたらすこと……わしには、それが出来なかった。」新しい神は深く同情した。万能の身でありながら、自らの成してきたことに満足できずに消え去ることとなろうとは。どうにかならないものだろうか。
「少し邪道なやり方でなら、実現し得るのではありますまいか。」
「なんじゃと?どういう方法なのじゃ?」
「核戦争を起こさせて人類の数を百人程度にまで減らし、しかるのち、生き残った者達、おそらくは生きていくだけでも必死で、苦しみのさなかにあるでしょう、その者達に何らかの救いを与えるのです、例えば……そうですね、大量の保存食を発見させて、しかもそれが美味しいとか。一瞬だけなら、皆幸せにできるでしょう。」
古い神は苦笑した。
「そういうのはダメじゃ。わしは到底納得できん。」
「では、一瞬だけ全ての人間に幸福な幻覚を見せるとか。あなた様の御力なら可能でしょう。」
「いや、わしが求めているのはそういうことではない。あくまで人類の有り様をそのまま、大きくいじることなく、全人類を幸福な状態としたいのじゃ。
む、そうじゃ!」
古い神は何か名案を思い付いたようであった。
「何かいいお考えでも?」
「これを、そなたへの課題としよう。」
「はあ?」
「わしの願いを見事かなえてみせよ。これをクリアしたら絶対神の力を譲ろう。出来るまでは譲らぬ。」
「いや、しかし、とても不可能ですし……それに第一、あなた様は寿命が残り少なく、早く力を譲っていただかないと、宇宙に神が不在となってしまうのでは……」
「あと五年くらいは生きてられるじゃろ。その間にどうにかせよ。」
新しい神は困り果てた。古い神の命は、おそらく持って三日程度だというのに、何か勘違いしてしまっているようである。
至高神の力は、自動的に移るものではなく、元の持ち主がその意思で相手に譲らねば、受け継がれない。古い神が与えてくれなければ、古い神が消えるのと同時に、失われてしまう。
「じっくり考えてきます……」
新しい神は、一人になって思い悩んだ。全知全能の力は、強引に奪い取ったり出来ない。そうなると、やっぱり古い神が満足できる解答を用意しなくてはならない。しかしそんな答えなどあるわけもない。
それでもアイディアを出してみる。世界中に新種の伝染病を大流行させて、人類が残り少なくなったところで、病気を消滅させるとか……。
とても古い神が喜ぶような答えは出せない。カタストロフが禁止されている以上、数十億人の人間一人一人に幸福を用意しなくてはならないわけで、ともかく出来るわけがないのだ。
何故、こんな面倒なことを思いついたのか……古い神の心に思いをいたした時、新しい神はハッとした。
どうして、『全人類』なのか?
生命体は他にもいくらでもいる。幸福や不幸を感じることのできる生物だけでも、人類以外にも無数に存在する。それにも関わらず、人類だけを問題にしているのは何故か?
本当に考えるべきことは、これではあるまいか。古い神は、実行不可能な課題を出すことによって、自分に何かを伝えようとしているのではないか。
対象を人類に絞ったこと。そこに、古い神の真意がかくされている。
新しい神は、必死に考え続ける。何しろ時間が残り少ない。
人類の特異性とは何か?
人類の中には、人間は神が自らに似せてつくった、という意見がある。これにはうなずける部分がある。人類の思考は、神にかなり似ている。ひょっとしたら、人類は宇宙の中で自然発生したのではなく、古い神が宇宙法則に介入して意図的に生み出した存在なのではないか?だからこそ思い入れがあるのではないか?
そう考えると色々つじつまが合う。人類は他の生物とは比べ物にならぬほど賢いが、しかし、しばしば叶わぬ夢を抱いて自らを不幸にしてしまう。古い神が自分に似た精神を持たせたためではないか?
人類の神への信仰は、無欲・無私へと向かう傾向が強いが、それは古い神の願いが反映されているのではないか。全人類が同時に幸福になるには、全人類が無私の心を持っているべきだから。
もう、答えは出たも同然である。古い神の望み、それは、人類世界に敬虔な信仰が広まることだ。他の人々の幸福こそが自分の幸福、そんなことを心から考えることができる、そうした尊い信仰に人々を導ける宗教が全世界にゆきわたれば、古い神の夢が実現できるだろう。
しかしそのために、大々的な革命や宗教戦争などあってはならない。古い神はそれを望んでいない。この信仰は、ゆるやかに、幾歳月もかけて広がってゆくべきである。
新しい神は、一人の人間を選び、寝ている時に夢の中で古い神の願いを告げた。
その人間は気高い心と深い知性、さらにずばぬけたカリスマ性をそなえていた。目を覚ました時、彼は預言者として人々を導こうと決意した。
彼が死ぬまで努力しても、彼に共感する人間は人類のうちの0.01%にもならないだろう。しかし、いつかは全ての人に伝わる。そうした期待を、彼の姿は持たせてくれた。
新しい神は、古い神のもとに戻り、自信を持って言った。
「これが私の答えです。」
古い神はニコリとして、言った。
「不正解じゃ。」
古い神は、預言者に婬夢を見せた。我欲にとりつかれてしまった彼は、預言者をやめた。
「何てことをするんですか!」
驚きあわてふためく新しい神。
「落ち着くのじゃ。至上神の力ならくれてやる。」
古い神が言うと、新しい神にはこれまでにないとてつもない力が宿った。宇宙の全てが見渡せる。その瞬間、人間の特別性がわかった。神は、人間一人一人の心に密接に結びついている。人の喜びや悲しみ、あらゆる感情が、神の心をふるわせる。
「なるほど……人間が幸せなら私はうれしい。人間が不幸だとつらくなる。そうか、確かに全人類が幸福であることが望ましい。」
それを聞いて古い神はニヤッとした。
「ハハハ、何を言うている。全知全能となったのに、まだわしがウソつきじゃということもわからんのか。」
「え……何ですと?」
その時、万物を見通す眼がそなわった新しい神には、古い神の本当の心が全てわかった。
古い神は、悠久の時の中で、数知れぬ人の幸・不幸に触れ続けてきた。幸福感も味わえるが、同時に不幸を味あわせてくれる人間も必ずいて、常に古い神の心は中途半端な気持ち悪さで満たされ、そのストレスからいつしか、物事が上手くいかないニヤを見るのが喜びとなっていった。
人間のくやしがる心こそが望み。幸福など不要。
なのにどうして、全人類を幸福にしろと命じたのか。それも、新しい神にはわかった。自分がだまされて悔しがるところが見たかったのだ。
それに気付いた瞬間、古い神は死んだ。自ら死んだ。新しい神が絶対の力で何かやり返す前に宇宙からいなくなった。
新しい至高神は、その地位について早々、ストレスに苛まれることとなった。

新編創世記

新編創世記

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-08

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