舞い上がれ、何処までも(未完)

【1】
「お願い、未来亜(みらいあ)、助けて(/≧◇≦\)」
こんな言葉を息せき切って言いながら、祥子が窓際の席で休憩している未来亜の元へ、右肘を左手で庇うような格好で駆け寄って来た。

ここは都内のY高校2年E組の教室。ある秋の日の、3限目英語の授業が終わった休憩時間のことである。広い校庭を眺めていた未来亜は、声のする方へ振り返った。

「助けて(/≧◇≦\)」
「どうしたの?あわてて」未来亜は苦笑しながら尋ねた。
「昨日の夜、家で家具の移動手伝ってて、へましちゃって、右肘を痛めて。ちょっと酷くてね、お医者にさっき行ったら、痛み取れるのに3週間ほど必要だって言われて」
「それで祥子、今まで教室に居なかったんだ」
「うん。だから2週間後の軽音部の合同コンサートでキーボード弾けなくて」
驚く未来亜。
「すごく辛いわね。この前に見たリハ、上手くいってたのに」
「それでお願いと言うのは、未来亜に私の代わりでキーボード弾いて欲しいの」祥子は両手を合わせて「お願い!します」

祥子は軽音楽部の友達とロックバンドを組んでいる。ボーカル、キーボード、エレキギター、エレキベース、そしてドラムの5人編成のバンドである。バンドの名前は「HIMAWALI」という。軽音楽部は約70名の部員がおり、約20のユニットやバンドが活動している。3週間後の2日間を使って合同のコンサートを開き、全部員の投票により上位3組のバンドが2ヵ月後の東京都高校バンドコンテストに出場するのである。

未来亜は(本名を、響 未来亜~ひびき みらいあ~という)軽音楽部には所属していない。幼少より現在までクラシックピアノを学んでいる。祥子とは親友の間柄で、購入したCDを交換したり、ロックやJ-POPの話を良くしたりする。

「でも、部員でない私が参加して、バンドコンテストに不都合ないかな?」
「大丈夫、顧問には確認済みだから。未来亜、機会があれば、バンドも経験したいって、前に話してたじゃない」
「うん、でもあまり時間が無いし」
「大丈夫だよぉ、未来亜の腕前なら絶対に大丈夫」
「うん、腕試し、しようかな」未来亜はニッコリして決心した。
「よし、決まり!放課後、HIMAWALIのメンバーに紹介するね♪」


【2】
今日の授業が全て終わって、未来亜と祥子は軽音楽部の部室へ向かった。廊下はたくさんの生徒でざわめいている。皆、それぞれの思いや楽しみがあるのだろう、活気さえ感じられる。そんな光景を見ながら、未来亜はこれからの初めての経験のことで、軽い歓びを感じた。

部室に着き、顧問の先生と簡単な挨拶を交わした後、未来亜と祥子はHIMAWARIのところに行った。もうメンバーは全て集まり、それぞれの楽器を手にして、チューニングをしていた。
「みんなー、救世主、連れて来たよ!」祥子が仲間に言った。
「初めまして!」
「ありがとう♪」
「ヤッホー!」
メンバーから様々な歓迎の言葉が響いた。
「初めまして!響未来亜です。よろしくお願いします!」
一人の男子生徒が未来亜に近寄って挨拶した。
「初めまして!新城昇です。よろしく。エレキギター担当でリーダーもしてます。仲間を紹介するね」

メンバーは次の通りである。ドラム担当、2年生の高崎啓一。エレキベース担当、1年生の赤井かな。エレキギター担当、3年生の新城昇。キーボード担当、2年生の結城祥子。そしてボーカル担当、3年生の秋山ゆきな。

以上のメンバーと未来亜が簡単に挨拶を交えた後、昇がバンドの近況(特に2ヵ月後の東京都高校バンドコンテストの件)を説明した。そして未来亜を交えての初めての音合わせが始まった。


【3】
昇はキーボードのパート譜を未来亜に渡した。
「はい、キーボードの楽譜。曲名は『舞い上がれ、何処までも!』って言うんだ。アップテンポの音楽だよ。音の確認する?」
「ありがとう。あそこのキーボード、使える?」
「うん、セッティング済みだから」
未来亜はキーボードの方へ行き、楽譜を捲りながら、音を取り始めた。

今回、HIMAWARIが演奏する曲について。曲名は『舞い上がれ、何処までも!』という。キーはAメジャー、BPMは155。ロック色の強い、それでいて軽快なポップスである。作曲担当は昇、歌詞の担当はゆきな、アレンジは全員で行っている。コード進行は極めてシンプルなものである。リフがメインのバッキングをつけている。サウンドにメリハリを付けるため、効果的にベースとギターのオクターブ違いのリフを使い分けている。ソロに関しては、昇のうねるようなオーバードライブのソロの後、テンポを半分に落として、情感豊かなアコースティックピアノのソロが入る構成である。

約20分程、各パートはそれぞれのリズムやフレーズを鳴らして練習をし、それから所定のポジションに着いた。昇は、未来亜は今回が初めての演奏なので、曲が1コーラスと少し進んだところで、いったん演奏を止める必要があるだろうと思った。

ドラムのカウントで全員の演奏が始まった。これまで何度も繰り返し演奏してきたので、皆の演奏は慣れたものだった。しかし未来亜のキーボードバッキングも他のメンバーに全く負けてはいない。ギターやベースのリフにリズム的変化を与える箇所に入ると、未来亜は決して機械的に音を鳴らすことなく、微妙な揺らぎを持ってコードを刻む。仲間を立派にサポートする。昇のギターソロを継いで、未来亜の順に来ると、前半の8小節は彫りの深い歌うようなソロを奏で、後半の8小節は細やかな音の連なりで劇的なソロを奏でる。

昇は未来亜のために音楽を途中でストップすることを忘れ、曲を最後まで演奏した。その後、メンバーは皆、未来亜の初見力の高さ、音楽性や演奏力の高さに驚いた。

「どうしていきなり凄いプレイ出来るの!」ボーカルのゆきなが喜んで言った。
「実は、みんなの録音を祥子から借りて何回も聴いていたし」と未来亜は少し照れくさそうに答えた。

軽音楽部の合同コンサートまで、残りの日数は僅かである。未来亜のために昇が曲の要点を全て説明した。それから演奏を何度も重ねた。この日、未来亜を交えてのHIMAWARIの練習は無事に終わった。


【4】
未来亜と祥子は一緒に帰宅への道を歩いていた。比較的利用客の多い駅から少し離れた街中のところである。もう午後7時に近いが、まだ様々な人の賑わいがある。途中で、一人のサラリーマン風の若い男性に道を教えて欲しいと話しかけられた。未来亜も祥子も知らない行き先だったので、「ごめんなさい、知らないんです」と謝った。男性は苦笑しながら頷き、二人から去って行った。

「このまま真っ直ぐに帰る?」祥子が尋ねた。
「うん、どうしよう?」
「駅前のハンバーガーショップに寄ってかない?」
「行こう!」

5分程して未来亜と祥子は店に着いた。二人共、アイスティーにハンバーガーを一つオーダーして、2階席へ向かった。深い群青の空の下に広がる街を見渡せた。話は今日のHIMAWARIの練習のことから始まって、やがて祥子は未来亜に尋ねた。

「これから音楽、どんなふうに続けるの?」
「うん、音楽は絶対にずっと続けるよ、本当に大好きだから。でも、どんなふうに続けよう?」未来亜は苦笑しながら言った。
「私もずっと続ける。、、、この前、親にプロになりたいって言ったら、叱られた、もっと学校の勉強しろって。冗談で言ったのにねえ」

未来亜達の通う高校は進学校である。未来亜は学校の授業が好きである。まだ学部などは決めていないが、大学へ進学し、自分の可能性を追求したいと考えている。祥子は続けて言った。

「プロになるには、いくら優れてても、音楽性だけじゃダメなんだろうな。カッコ良さや印象、奇抜さが大事なのかな?」
「うん、そうなんだろうな、きっと。アーティストとその裏方じゃ、また事情は違うと思うけど」
「ところでさ、未来亜、昇君のこと、どう思う?カッコいい?」
「やだ、どうして?」
「昇君、年齢のわりには、話すことがしっかりしてるのよね。メンバーは皆、そう言うし」
「確かにそれは言えるよね」
「昇君のこと、教えてあげようか」


【5】
前にも述べたように、新城昇は高校3年生であり、ロックバンド「HIMAWALI」のエレキギター及びバンドリーダーを担当している。彼の父は都内で数店舗のカフェを経営している。席数はいずれも30席前後の小規模なカフェである。オリジナルのケーキやデザートを主力メニューとしている。昇は中学生の頃から、土曜日や日曜日をメインに週に1日、カフェの仕事を手伝ってきた。

高校卒業後の進路について、昇は大学の栄養学関係の学部へ進学を希望している。その学部の卒業後は、飲食関係の企業か食品関係の企業か、具体的な事はまだ未定だが、一旦はそのような方面の会社に就職して、いずれは父の仕事を継ぎたいと考えている。

音楽について書くと、昇の家族には、音楽に熱心な者はいなかった。ただ、極めて安価なアコースティックギターが一つ家にあった。小学校6年生の時、昇はそのギターの張りのあるキラキラした音色(ねいろ)に魅せられ、全く我流にアコースティックギターを鳴らし始めた。中学校に進み、どのクラブに入部しようかと考えている時、軽音楽部の様子を見て、複数の様々な楽器が一斉に音を奏でる迫力や楽しさを見て、強い憧れを感じた。そして軽音楽部に入部し、最初はアコースティックギターを、途中からはエレキギターも担当し、熱心にバンド活動に取り組んでいった。高校入学後もすぐに軽音楽部に入部し、1年生の半ば頃、昇が発起人となってロックバンド「HIMAWALI」が結成された。3年生の卒業の都合から、何度かメンバーチェンジを行い、現在に至っている。高校を卒業してからも、昇はずっとバンド活動を続けるつもりである。

以上の事柄を、昇に対して好感を持っている祥子は未来亜に話した。明日か明後日にでも、軽音楽部の練習の休憩中に、一度、昇と話してみたいと、未来亜は思った。


【6】
2日後。この日の授業が終わった後、HIMAWALIのメンバーは部室で懸命に曲の練習に取り組んでいた。この時、重点的に練習した箇所は、未来亜のアコースティックピアノのソロの後から、音楽の流れが再び活気を取り戻してくるところである。皆、曲の後半には、より前進的な音楽の流れを作りたいと考えている。

ギターとベースのリフに変化を加えるわけにはいかない。ドラミングも変更するわけにはいかない。曲想そのものが大きく変わってしまうから。とすれば、残る方法は未来亜のキーボードのバッキングに何らかの工夫を施すことである。例えば、右手のトップの音と1オクターブ(もしくは2オクターブ)下の同じ音を加えて、響きに厚みを与えるなどして。他のメンバーのアイデアを参考にしたりしながら、未来亜は様々にバッキングが強靭になるよう、繰り返し演奏した。しばらくして昇が「15分、休憩をとろう」と言った。

啓一、かな、ゆきな、祥子の4人は何かお喋りをしながら、その場を離れて行った。祥子はしばらくキーボードを弾くことは出来ないが、何か手伝うことがあればと、メンバーのそばにいたのである。未来亜はそのまま練習を続けた。昇は彼女に近づき、声を掛けた。

「難しいね」
「うん、とても」
「こんなのは、どう?」
そう言って昇は、高音部で8ビートのリズムを鋭く刻んだ。
「ダメ!ロックンロールじゃないんだから」
「冗談だよぉ」
未来亜は微笑んだ。
「来年、卒業ですね」
「うん、3年間があっという間に過ぎてしまう」
「卒業後も、音楽、続けます?」
「もちろん!」
「私もずっと続けたい。でも、どんなふうにしようかと、、、」
「そうだね。俺の家族、音楽に理解も興味も無いから、ギターばかり触ってると『いったい何になるんだ?』って感じで、小言聞かされたりして」
「部活の他にも、音楽の交友ってあるの?」
「うん。近所にハンドメイドのギター工房があって、いろいろお世話になってるんだ」
「何か本格的ね!」
「そこのチーフ、音楽の文化や教育、その始まりのところで、何かを支えたい、そういうこと話してた。そう言うだけの知識と技術のある人だし」
「うん♪」
「いろいろ話を聞いてて、なるほどって思うよ」
「うん♪」
「あっ、そうだ、そのギター工房のチーフの取り計らいで、Yellow-Toneのライブチケット、メンバー6人分、手に入ったんだ」
「えっ、ホントに♪」未来亜は両手を打って瞳を輝かせた。
「次の日曜、皆でライブに行こう」
「うん、行こう♪」

Yellow-Toneは、男性3名から成る3ピースバンドである。その演奏はメチャクチャ滅茶苦茶に上手い。祥子達が戻って来て、Yellow-Toneのライブのことを話した。全員、狂喜した。次の日曜、皆でライブに行くことに決定した。


【7】
ライブ鑑賞の機会をつかんだためにHIMAWALIのメンバーが狂喜した3ピースロックバンド、Yellow-Tone。バンドの結成は彼等が高校2年の時、メンバーは全員が男で、軽音楽部の仲間である。結成以来、現在まで16年の間、一度もメンバーチェンジをすることなく、活動を続けている。

スタイルはオルタナティブ系ロックになる。また古典的パンク様式の楽曲や、アコースティックギターのみのバラードを製作したりもする。

詞先の曲作りをする。その内容は日常のありふれた出来事を取り上げたラブソングである。語句は平易なものを選ぶ。

旋律の特徴としては、音の連なりの起伏が極めて少ない。言葉のリズムや抑揚を大切にしたメロディーを作る。そのため曲を聴く者の耳に極めて歌が分かりやすく親しみやすく、その事が非常に高揚感をもたらす。

10年前に一度、メジャーな音楽会社から作品を出さないかと言う話があった。メンバーは皆、非常に喜んだ。しかし彼等の楽曲は決して一般受けするタイプではない。ポップさ、キャッチャーさが足りない。メンバーは皆、親しみ安い一般受けする音楽も好きで、そういう曲も製作するが、ポップな音楽メインのバンド活動は全く望んでいない。そのためメジャーな話を断り、またインディーズというスタンスをとるわけでもなく、ライブとインターネットによる自主製作活動を続けている。尚、メンバーは全員、本職がある。

Yellow-Toneの最大の武器は非常に卓越した演奏技術にある。観客の口コミやライブハウスオーナーの推薦が幾重にも重なって、ライブのチケットは瞬く間に売り切れる。

彼等はライブに、2つのタイプの会場を使い分ける。一つはいわゆるライブハウスである。観客がスタンディングのまま体を揺らしてロックを聴くのも良い。しかし観客の手拍子などの音が、Yellow-Toneの凄まじいまでのリズム感やコンビネーションプレイの妨げになるのも事実である。そこで彼等はライブハウスだけではなく、シート席のある公共施設でのコンサートも行っている。

今回、HIMAWALIのメンバーが行くのは、とある市民文化会館におけるYellow-Toneのライブである。


【8】
Yellow-Toneのライブの日が来た。HIMAWALIのメンバーは午前10時に軽音楽部の部室に集まり、2時間ほど曲の練習をした。音楽の後半により強い流れを表現することなど、かなりいい線まで曲全体が仕上がってきた。

練習の後、約1時間程かけて、ライブ会場最寄りの駅に着いた。そして構内にあるファーストフードの店に入った。ライブの開場は午後2時、開演は午後3時である。HIMAWALIのメンバー全員が揃ってコンサートに行ったり、外の店で食事をするのは、今回が初めてである。皆、思い思いのメニューを注文して、食事と会話を楽しんだ。

午後1時40分頃に店を出て、ライブ会場である市民文化会館に向かった。総客席数1000席のコンサートホールである。2時ちょうどに着いた。昇達がすごく驚いたことには、開場を待つたくさんの人々がすでに長い列を作って並んでいた。『チケット余ってませんか?』という内容の言葉を書いた紙を両手に持って人々に声を掛る若い男女もいた。HIMAWALIのメンバーはライブ前のこの様な光景を見て、ワクワクした。

やがて昇達が会場に入る順番が来た。市民文化会館の職員達が、全ての来客に挨拶をし、Yellow-Toneの今回のライブのパンフレットを無料で配布していた。未来亜達はこの事をとても嬉しく思った。ロビーの会場見取り図で座席位置を確認し、HIMAWALIのメンバーは会場に入って行った。

途中、昇はパンフレットを捲ってみた。セットリストの中に、『ヴァンヘイレン』の名前があった。ライブでカヴァーとして取り上げた『ヴァンヘイレン』の曲名を見て、昇は心の中で声を上げた。
(未完)

舞い上がれ、何処までも(未完)