僕の見つけたもの

ある一人の友人のために書きました。

僕の見つけたもの

     1  女の子

 さて、どこから話せばいいのかな。やっぱり、あの女の子との出会いからが、一番だろうな。そこからが一番ちょうどいいんだ。僕はそう思うね、誰が何と言おうとさ。聞いてくれるかな?
 ありがとう、長くなるけど話すね。
 その日も僕は、海を眺めていたんだ。青空よりもうんと真っ青で、いつもと変わらない、うんざりするくらいの光景をね。そしてそこに映っているのは、いつもの通り、青色だけじゃない。真っ黒で、醜い、羽根の生えた生き物までオマケに見えてきちゃうんだよ。周りにいる人は、僕の事を“カラス”なんて呼び方をするんだよ? 僕だって、ちょっと変わった“人間”だってこともあるかもしれないのに。人間は見たままのものしか信じないのさ。全く鈍感な生き物だよ。
「いや、お前は何年たっても、死ぬまでカラスだ」
 ほら、おじさんのお出ましだ。歯はがたがたで、肌は日焼けで真っ黒。それでも背中はまっすぐで、目はギラギラと光っているんだ。正直怖いときは怖いけど、かっこいいときはかっこいいんだよ?そのおじさんの言う通り、どんな言い訳をしたって仕方がないんだ。僕はカラスとして生まれて、カラスとして生きていく。そして、カラスとして死んでいくのが運命ってやつさ。ああくだらないくだらない。
「そんな身も蓋もないこと言わないでよ、おじさん」
 おじさんは今日も船を出して、人間を島までお届けするんだ。羽根があればさっさと行けるのに。全く、不便な生き物だと思わないかい。人間ってやつはさ。
「相変わらず口だけは達者だな、鳥のくせに」
 またおじさんはお気に入りの煙草をふかしながら僕につっかかってくるんだ。ほんとは僕のこの真っ黒な羽根がうらやましいって思っているんでしょ?お見通しだよ。
「今日はどんな人が乗るの?」
 羽根をはばたかせて真っ先に僕は船に乗るんだ。人間にはできないことだよ?羽根をはばたかせて船に乗るなんてさ。
「ったく、いつも通り変わらん、じじばばだけのむさい客ばっかりだ」
 おじさんはそう言ってぺっと道に向かってつばを吐くんだ。汚いなあもう。それでもおじさんは自分のことを海の男だって言うんだよ?きいて呆れるだろ?
「あ、いや今日は違ったな」
「違う?」
 おじさんにしては珍しく嬉しそうな顔をしている。顔がゆるんで少し不気味だ。ずっと一緒にいる僕でも慣れないんだ、どんな人が見たって不気味に思うに違いない。子どもなんかが見たら泣いちゃうかもしれない。
「今日は若い嬢ちゃんも来るんだ。ぐへへ、今日は良い日だぜ」
 そんなんだからおじさんはおばさんに逃げられたんだよ。いつだって女の人を見たら鼻の下を伸ばすんだ。呆れるよ、ほんとにね。おばさんは今頃元気なのかな。僕にいつでも笑ってえさをくれたおばさんの、しわくちゃだけど綺麗なその笑顔が、今では時々恋しいんだ。
「さっさと来い、カラス」
 おじさんはそう言って、僕より先に奥に入っていくんだよ。まあ、僕が先に奥に入っても、とくにいいことはないから、大人しく後ろから行くんだけどね。
 僕等が入ってからしばらくすると、ぞろぞろと人が入ってくるんだ。いつもの気難しい顔をしたおばあさんから、乳母車を押すおじいさん。いつもにこにこしている優しそうなおばあさん。その人たちのみんなが、たくさんの荷物を持って入ってくるんだ。美味しそうな匂いがするから、袋にくちばしを突っ込んで、中の匂いをもっと間近で嗅ぎたくてたまらない。だけど前にそんなことしたら、おじいさんに焼いて食べるぞって言われたからやんないけどね。焼かれるのも食べられるのもごめんだよ。おじいさんの口はいつも臭いんだ。たとえ焼かれた後でも、あんな臭くて堪らない口になんて入るもんか。お腹の中はどんな匂いがするのかなんて、想像もしたくないね。
 そんな大きな荷物を持った人を眺めているとね、さっきおじさんが言っていた、いつもと違う人が乗ってきたんだ。いつも乗ってくる人より、しわなんて全然ない、つるつるの肌をしているんだ。そして、少しだけ体も小さかったんだよ。みんなより明るい色の服や帽子を着て、とてもキラキラした目をしているんだ。海と勝負しても良いくらいのキラキラだよ?ほんとだ、嘘じゃ無い。
 そして大きな荷物を持っているのには、何一つ間違っていないんだ。だけど、一個だけ、大きな違いがある。この僕のつぶらな二つの目から見てもわかったんだ、誰が見ても気が付くに違いない。
 それは、縦にとても長くて、食べ物が入っているには、とても大きすぎる。真っ黒で、硬そうで、とても食べられそうにない。こんなものを持ってきて、この人はなにをするつもりなんだろう。
 僕はなにがなんだか分からなくなって、慌てておじさんのところに戻ったんだ。
「ねえねえおじさん、あれなに?あの大きいの」
「あ?」
 おじさんは船の操縦席に座って、島に出航する準備をしながら、僕の方なんて目もくれずにこう言うんだ。
「あれはな、キーボードだろ」
「キーボード?」
 驚いたさ。だって、そんな言葉、今までに一度だって聞いた事がないんだもの。僕は気になっておじさんを問いつめたさ。当然だろ?
「なにそれ、どんな食べ物?」
「食いもんじゃねえよ、楽器だ、楽器」
「ガッキ?」
 今日の僕の二度目の驚きだ。新しい言葉ばかりであたふたするのは好きじゃないんだよ、全く。
「まあいい、カラスなんかにゃ楽器は無縁さ」
「なんなの、教えてよ」
 おじさんは僕の言葉なんかちっとも聞かずに、船を出発させたんだ。まいっちゃうよ。僕の言葉がわかってくれる人は、おじさんだけだって言うのに。無視なんかされたら、たまったもんじゃない。
「聴けばわかるさ」
「聴けば?」
「あの子の後をつけてみたらどうだ?」
 思ったさ。おじさんにしてはなかなかいい提案だってね。気になるなら行けばいいだけさ。僕の決意はその時に固まったね。そして僕は、とびっきり素敵ななにかに出会うんだ。その時に、それは全部決まっていた事なんだよ。

 そして僕とおじさんがいつもの操縦席でいる間に、船はいつも通りの場所に、そしていつも通りの時間に到着したんだ。乗っている人たちが、持ってきた大きな荷物を抱えてアスファルトでできた船着き場に降りて行くんだよ。当然、例のしわがない小さな子も、みんなの中で一番重そうな荷物を、よいしょよいしょと運んで行ったんだ。しわしわの人の荷物も、とっても重そうだったけれど、あの子のは特にだね。僕がもう少し体が大きくて、羽根が太かったら、お手伝いをしてあげたかったさ。当然だろ? 大変そうな人を助けたいと思うのは。
「普通のカラスは思わねえよ」
「もう、おじさんは」
 おじさんは僕の言葉や、心の声が聞こえるんだ。不思議だろ?おじさんは人間なのに。何で? って初めて聞いた時には、海の男だからって答えたんだ。説明になんて、これっぽっちもなってないかもしれないけれど、僕は不思議と納得しちゃったんだ。それだけの説得力があったってことさ。そういうことにしてくれよ。
「行ってくるね」
「気をつけてな」
 僕は部屋から出て、こっそりと女の子から遥か上空を飛んだんだ。別に僕みたいなやつが後ろにいたって、なにも不思議なことじゃないだろ? 僕みたいなカラスはいっぱいいるんだから。後ろにこっそりいたとしても、なにも不自然なことはない。
 その子は重そうに荷物を運んで行くんだ。息を切らして、はあはあって声が耳の小さな僕にも聞こえる。辛くはないのかな、とも思ったさ。だけど、不思議とその子は笑っていたんだよ。何か楽しいものがその先にあるみたいにね。何か美味しい食べ物でもあるのかなと思ったけど、その子の目的地は、広い公園だったんだ。
 そしてその子はポケットから、小さな機械を取り出して、耳にあてたんだ。貝殻みたいなものなのかな? って思ったら、突然喋り出したんだ。
 びっくりして僕は高く飛んでしまったから、なんて言っていたのかはわかんなかったんだけどね。
 少し話をしてから、その子は機械をポケットにしまったんだ。すると僕は驚いたさ。何故かって?その子がおもむろに荷物を開け始めたんだ。ここで開いて一体なにをする気なんだって思ったよ。中から出てきたのは、おじさんのガタガタの歯みたいな白と黒でできている、不思議な機械だったんだ。これが、ガッキなのかな?と思っていると、その子はそれを組み立てて、大きな生き物みたいな形にしたんだ。あんまり立派なもんだから、この子はそれで何かと戦うのかって、本気で心配したさ。
 まあ、僕のそんなくだらない想像は抜きにして、だ。その子はその歯みたいな白黒のところを、押したんだ。その小さくて、今にも折れてしまいそうな手でね。そしたら引っ込んだんだよ? その日はびっくりすることばかりだったな。それと同時に僕の耳に来たのは、音だったんだ。音って言っても、海の音や風の音とは違うし、当然人の声とも違うんだ。その独特な音は、とても綺麗に、海や町に吸い込まれていったんだ。
「よし」
 その子は手をぐーに握って、嬉しそうに笑った。この子は、こんなものを持ってきて、さっきの音を出そうとしたのだろうかとも思ったよ? でも、本題はその後さ。
 その子と同じ身長くらいの、髪の長い子がまたやってきたんだ。町の方から走ってね。待ち合わせをしていたのだと、すぐに僕は理解できた。
 ガッキを持ったその子は、手を白黒の歯に乗せて、音をまた出し始めた。それはさっきよりも、優しくて、春の風のように温かかったのは、今でもよく覚えている。
 そして、その子は歌い始めたんだ。ガッキの音に合わせて、その子はお腹の底から、思いきり歌ったんだよ。
 それは、びっくりしたってもんじゃない。全身の羽根が空で震えて、落ちそうになった。
 その子の歌声と、ガッキの音が合わさって、大きな力みたいなものが出てくるんだ。大きいだけじゃ無い。それはあったかいんだ。それでいて優しかった。僕は、今まで生きてきて、それがなにかなんて教わった覚えはこれっぽっちもない。しかもそれは、さっきやってきた髪の長い子にもぶつかっているんだ。痛くないのかな?とも思った。でもそれは、形のあるものじゃない。だって、目に見えないんだから。でも、その大きくて、温かくて、優しい何かは、確かに存在したんだ。その力は、この波にだって、風にだって、夏の嵐にだって負けたりするもんか。そしてそれは、とても心地よくて、僕は一瞬で、名前すら分かりやしないのに、その大きな力みたいなものを好きになってしまったんだ。
 そして僕はその日からどうしても忘れられないのさ。
なにがかって言うとね、その子から飛び出ていた、なにか大きくて、温かくて優しい力の強さと、髪の長い女の子の涙だよ。






 2 名前

「でね、僕はまた、あの不思議で大きくて、優しくて温かい何かに会いたいんだ。ねえおじさん、あれは一体何なんだい?」
僕はあれから船のおじさんに、ずっとあの時の興奮を話し続けたんだ。すごいなんてもんじゃない。僕はあの大きくて優しくて温かいなにかに触れるために生まれてきたんじゃないかと勘違いしちゃいそうだ。もしかしたら、そうなのかもしれないって、今では本気で信じているところもある。
「カラスよ、お前の感動はよくわかったさ。だが、例の子はな、夜には別の船で帰っちまったって話なんだぜ?」
「そんな」
がっくりきたさ。今までおじさんはあんな子を見た事がないって言っていたんだ。つまり、あれが最後の一回だってことは、大いにあり得るんだよ? つまりはね、僕はもう、あの大きくて、優しくて、力強い何かに、出会えないって宣告されたようなもんなんだよ。
「お前は、その大きな何かの正体が知りたいんだな」
「……うん、そういうことなのかも」
おじさんは僕のこの真っ黒な羽根で覆われたお腹の底にある思いを、簡単に言ってのけたんだ。わかったからってどうなんだって話しだけどね。
「俺にはわかるぜ、その正体」
 おじさんは何でもなさそうにそう言い放ったんだ。
「ほんとうかい!」
驚いたさ。おじさんのことだから、そんなもの知るかって言い放つものばかりかと思っていたからね。
「おじさん、早く僕に教えておくれよ。その……あれがなんなのかを」
 言葉が分からないから『あれ』としか言えなかったんだ。もどかしいったらありゃしないよ。
「そいつは駄目だな」
「どうしてさ!」
 僕は羽根をばさばさと広げて抗議したよ。餌をケチって少なくしてきた時以上にね。
「そいつの答えってのはな、自分で見つけなきゃ意味がねえ。俺だって、見つけるのに何年も何年もかかったんだ。言葉だけは知っていたさ。だが、理解するのには、ものすんげえ時間がかかったんだぜ?そんな貴重なもん、簡単にお前なんかに教えられるわけがねえだろ」
 おじさんは、いつも通り意地悪な口調で僕の頭を撫でるんだ。でもね、その手の力が、不思議といつもより優しかったのは覚えているよ。一体どうしてだったんだろう。
「いや、今でも全部ってわけじゃねえけどな」
 おじさんは僕の頭を撫でながら、もどかしそうに言ったんだ。一体どっちなんだよ。はっきりしないなあ。
「難しいものなの?」
「いや、そんなことはねえ、そいつはとっても簡単で、単純なもんなんだ。誰だって持ってるもんだし、その辺りにゴロゴロ転がっている。いっつも船に乗っているじじばばだって、持っているもんなんだ」
「そうなの?」
 僕はなんで気が付かなかったんだろう。今までずっとおじさんと僕は船に乗っていたのだけれど、あの子が出していたものを感じた事は、ただの一度だってなかった。
「そいつはおめえ、鈍感だからだよ」
「鈍感?」
「そう、鈍感だ。気付かなければ感じられない。自覚しなければ見えてこない。そういうもんさ。だから、死ぬまでそれが何なのかわかんねえやつだって、世の中にはいっぱいいるんだ」
 いつもにしては、おじさんは随分と難しいことを言ってくるな。僕にはとても理解が出来ないね。所謂鳥頭ってやつさ。カラスだけにね。ああ、頭がいいっていう、人間のそういうところだけは羨ましいよ、全く。
「だから、お前が見つけたいって思った時点でよ、それを探しに行く権利を持ったんだ」
「権利?」
 また難しい言葉だ。もう沢山だよ、そういうのは。カラスは頭が良い鳥だって言う人間もいるらしいけど、それは大きな間違いさ。僕にも理解できない事は山ほどある。おじさんがいつも煙を美味しそうに吸っている事とかね。
「つまり、探したければ探せってことさ」
 おじさんは、いつも以上に、ゆっくりとした優しい声で言ったんだ。まるで、おじさんなのにお母さんみたいだったよ。僕はお母さんの顔は思い出せないけど。
「いいのかい?」
「ああ、誰も止めねえ、おめえの人生……いや、鳥生ってとこかな。そう、お前の鳥生なんだ、お前の自由だ。なにを探すも、なにを追いかけるも、お前の自由なんだ。誰も止めやしない」
 僕はその言葉で、今まで見てきた空や海が、いつもより数段、青く綺麗に光って見えたんだ。僕の真っ黒な羽根で覆われた胸のところが、むずむずして、自分が早く飛び立ちたいって思っているのがすぐわかったよ。
「わかった、ありがとうおじさん、僕、行ってくるよ」
「ああ、答えが見つかるまでは帰ってくるな。約束できるか?」
「もちろん」
 僕の意志は固い。カラスは脳みそがちっさいんだ。一度決めた事をそう簡単に変えるなんて、器用なことなんてできないのさ。不便な生き物なんだよ。
「次の出航で、町に出る。そっからは自由に飛び回っていい。お前の見つけたいものが、その先にあるはずだ」
 またおじさんは、いつもの自信あふれる声でそう言ったんだ。
「どうしてわかるんだい?」
 おじさんは、僕の疑問に、いつもの通りこう答えたのさ。
「俺が海の男だからだよ」
 そして、馬鹿なカラスの僕は、簡単に納得しちゃうんだ。答えになんてなってないのにね。
 船はいつも通り、おじいさんやおばあさんを乗せて出航する。白い蒸気を青い空にぶちまけて、雲になろうと頑張っているように僕は見えたんだ。馬鹿にされるかもしれないけどね。カラスだって、そんな空想くらいするよ。認めてくれ。
 いつも通りの場所に、いつも通りの時間に、船と僕等は到着したさ。海鳥たちのみゃーみゃーって声が、僕の耳をくすぐって、冒険心をこちょこちょと駆り立てるんだ。ああ、楽しみだ。僕のお腹がむずむずする。
 おじさんはなにも言わずに立ち上がって、僕より先に船を出たんだ。いつもは来いって言いながら行くのに、珍しいこともあるもんだ。
 船を出てから、茶色のねじまがった不思議な石におじさんは腰かけて、煙草をポケットから取り出して、吸いだしたんだ。体に悪いからやめた方が良いと思うんだけどな。
「行ってこい」
 おじさんは僕にそう言ったんだ。自信にあふれた声でも、優しい声でもなかったんだ。ただ、ほんの少し声がいつもより小さかったのは覚えているよ。
「行ってきます」
 僕は、人間の真似をして、ぺこりと頭を下げたんだ。少しだけ、寂しかったよ。それでも、僕は探しに行かなきゃならなかったんだ。あの大きくて、優しくて、温かい何かをね。
「そうだ、お前には名前がなかったな」
「それもそうだね」
 僕はいつだって、カラスカラスなんて呼ばれ続けていたもんだから、名前が欲しいって思った事は一度や二度じゃ無い。いつか言おう言おうって思いながら、すっかり忘れてしまったよ。「お前の名前はそうさな……」
「ポチなんてのはやめてよ」
 犬みたいなのは勘弁だ。僕はカラスだからね、僕にふさわしい名前にしてもらわないと。
「ジョンなんてどうだ?」
「ジョン?」
 人の名前にしては、聞いた事がない。植物や花の名前なのかな。
「どうしてさ」
 気になって僕は訊いたんだ。
「大昔にな、ある漁師が嵐にさらわれて、外国についちまったんだ。何の取り柄もないようなアホなんだこれが。それでもそいつは、努力して、外国にしかないもんをいっぱい持って帰ってきて、たくさんの人に影響を与えたんだ。なかなかのやつだよ。そいつの名前が、ジョン、万次郎って言うんだ」
「変わった名前だね」
 でも気にいった。がむしゃらに僕も、がんばりたいって思ったからね。というか、家出したおばさんの好きな本の主人公も、たしかそんな名前だった気がするな。あれはカモメだったけどね。
「お前にはぴったりだろ?」
 おじさんの言葉に僕は頷いたんだ。その時のおじさんは、あの不気味な笑いを浮かべていたんだけど、不思議と今日だけは安心して見られたんだ。
 今思えば、多分おじさんがいたからこそ、僕は旅に出る勇気が持てたんだと思うな。















    3 ありくん

 おじさんと別れてから三日、僕はあの大きな何かを探すために、あてもなく飛び続けたんだ。人がたくさんいるところだって、もちろん回ったよ。そこで僕はたくさんの言葉を覚えたんだ。
 海から少し飛んだ所に、駅っていう不思議な建物があったんだ。そこには、大きな鉄の箱に人がたくさん詰め込まれて、みんなの行きたい場所へ向かうんだよ。もちろん降りてくる人もいる。その人たちの目的地は、ここなんだろうなと、僕も理解できたさ。
 そして、その箱の名前が、電車って言うのも知れたんだ。おじさんはいけずだな。これくらい僕にも教えてくれたっていいのに。
 たくさんの人が海の魚みたいに交差するなかで、僕はあの日あの子から感じた、大きくて優しくて、温かい何かがないかって探したんだ。
 でもそこでは感じる事ができなかったんだ。その代わりに、あのたくさんの人たちから感じたのはね、冷たくて、悲しくて、寂しいなにかだった。それはあの子から感じられてものに、ほんの少しだけ近くも感じたんだけど、やっぱり全然別物だった。だって、羽根が全く震えないんだもの。あれじゃない。絶対に。
 その間、他のカラスたちにも当然声をかけられたんだ。中には乱暴な奴もいたけど、食べ物をわけてくれるようなやつもいたんだ。彼の事は、絶対に忘れないよ。
「ここは危険だぜ? 他所者。俺がいたからよかったな」
 そのカラスくんは、ゴミ箱からいくつか生ごみを取り出してきて、僕にくれたんだ。おじさんのえさの方が、ずっと美味しかったけど、ぜいたくは言えない。
「困った時はいつでも言いに来い」
「うん、ありがとう」
 僕はそいつにとっても感謝したよ。ここ三日、誰とも口を聞いていなかったからね。
「ところでお前さん、なにしにこんな辺鄙な町へ?」
「探し物があるんだ」
「探し物?」
「うん、それはとても大きくて、優しくて、温かくて、強い何かなんだ」
「はあ……ここに俺もいて長いが、聞いた事がねえな」
 そのカラスは申し訳なさそうに僕にそう言ったんだ。優しいやつなんだなって思ったさ。カラスってのは下品で乱暴なやつが多いからね。彼のように義理がたい奴は珍しいのさ。
「ここの事なら任せろ」
「わかった」
 僕はそう言って、そいつに頭を下げたんだ。名前がないらしくて、なんて呼んだらいいか分からないんだ。
 すると、バサバサと羽根の音が遠くから聞こえたんだ。見るとカラスがたくさん集まって、僕等の方へ飛んできていたんだ。「おーい!」って声までしてきたよ。
「ったく、人気者は辛いぜ」
「友達?」
 咄嗟にそんな言葉が出た。
「……そんなに良いもんじゃねえよ。あいつら全員と気が合うわけじゃねえ。いいやつもいれば悪いやつもいる。正直一緒にいてしんどいやつもいるんだ」
「じゃあ、何で?」
 関わりたいカラスにだけ関わっていたらいいのに。何で彼は、わざわざしんどいことをするんだろう。僕にはそれがよくわからなかったんだ。
「いつかよ、あいつらが俺を助けてくれるかもしれねえだろ?」
「それが、理由なの?」
 僕が訊き返すと、彼はなにも言わずに黙り込んでしまったんだ。何かを考えているようだったんだ。なにを考えているか、ただのカラスの僕には、分かるわけがなかったんだ。
「さあな」
 そう言って、彼は飛び去って行ったんだ。
 いつか僕は、彼とまた会いたいなんてことを考えちゃった。恥ずかしいなあもう。僕は駅から離れて、別の場所へとはばたく事にしたんだ。近くに何か、僕が探すものがないかなって思いながらね。
 空を飛んでいると、駅に負けないくらいの大きな建物があったんだ。その建物の周りには、大きな草が一本も生えていない広場があったんだ。その周りには、木が何本か生えていて、小さな森をつくろうとしているようだったよ。島からきた僕には、それがどうにもこうにも、間抜けに見えてしまったよ。
 こんなに広いのに、人が一人もいないのは変だと思った僕はね、建物の窓に近づいてみたんだ。すると、小さな子供が小さな部屋に集められて、みんな何かを必死に書いているんだ。あんなことをしてなにが楽しいんだろう。不思議なんてもんじゃない。おじさんの笑顔くらい不気味だったよ。
 他の部屋も、おんなじようにみんな紙に何かを書いていたんだけれど、一個の部屋だけ、みんな机には座らないで、立っているところがあったんだ。
 そこには、あの時あの子が持っていた、歯みたいに白黒のガッキがあって、子どもたちは、立ったまま、全く笑わない怖い顔で歌を歌っていたんだ。何で、あの時のあの子みたいに、素敵な何かが出ていないんだろう。僕はこの部屋を見た時、ちょっとでも期待していたのに。その子どもたちからは、なんにも出ていなかったんだ。さみしかったよ、凄くね。
 みんなにも、あの子歌を聞かせてあげたいって思ったな。多分、みんな自分の歌がとても恥ずかしいものだったって気がつくはずさ。
 ああ、あの子にもう一度会いたいなあ。
 そう思いながら僕は、羽根を休めるために、島の出来そこないみたいな木が植えられているところに降りたったんだ。すると、そこにも生き物がいたんだよ。
 僕みたいに真っ黒なのは同じなんだけど、とっても小さいんだ。島でも僕は何度か見た事がある。これはありさんだ。
 ありさんは、いっつもたくさんのグループで動くもんなんだけど、僕が出会ったこの子は違ったんだ。一人ぼっちだったんだよ。
 しかもその一人ぼっちのありさんは、とても大きな種を運んでいたんだ。仲間と一緒に運べばいいのに、なんでこんなに頑張っているんだろう。
「こんにちは、ありさん」
 退屈だった僕は、思わずありさんに声をかけたんだ。
「こんにちは、カラスさん」
 ありさんは、元気な声で返事をしたんだ。まだ幼い、男の子みたいだ。
「僕の名前は、ジョンだ」
「ジョンさん、いいお名前ですね」
 ありくんは幼いのに、礼儀正しい男の子だったんだ。ああ、かわいかったさ。勘違いしないでくれ、僕には君だけなんだから。それに僕は男の子より女の子の方が好きだしね。
「僕の名前は、アンと申します」
 アンくんも僕みたいに、礼儀正しく自己紹介をしたんだ。
「アンくんか、よろしくね」
 アンくんは、運ぶ作業を一切止めずに、僕と会話しいてたんだ、大したもんだよ。
「ところで一個訊きたいんだ」
「なんでしょうか」
「どうして君は、たった一匹で、そんなに大きなものを運んでいるんだい?」
 アンくんは僕の質問に対して、なんだそんなことかというふうに、簡単にこう返したんだ。
「認められるためですよ」
「認められるため?」
「はい、僕には、兄弟がいっぱいいるんです」
「へえ、羨ましいな」
 僕には家族がいないんだよね、これが。気が付いた時から、おじさんと船に乗っていたんだ。だから、僕の家族はおじさんみたいなものなのさ。
「みなさん、どのお兄様も、とても優秀で、力持ちで……みんなからとてもとても頼りにされているんです」
「そいつはすごいな」
 僕には経験のないことだったからね。誰かに頼りにされるなんていう素敵な体験は。
「それで、僕にも、一人でできるんだってところ、見せてやるんです。そして、僕を認めさせるんですよ」
 アンくんは、得意気に僕にそう言ったんだ。
「すごいな、僕は、認められたいって、そんな大層なこと」
 考えもしなかった。そう言おうとしたんだ。だけど、何かがひっかかったんだよね。この旅をすることで、あの大きくて、温かくて、優しい何かを見つけることで、僕は誰かに認められたいんじゃないかってね。でも、その辺りが、僕にはよくわからなかったんだ。自分の事なのに、笑っちゃうよね。
「どうしたんですか?」
 アンくんが、心配になったのか僕を小さな体で覗き込んできたんだ。僕は慌てて首を振ったよ。
「ううん、なんでもない」
「そうですか、とにかく僕は、認められるために、自分を追い込んでいるんですよ」
 素直に僕は、アンくんをかっこいいって思ったんだ。
でもね、僕はそのアンくんに何かしてあげたいって思ったんだ。
 そして、ほんのちょっとだけ、羽根で大きな種を押しだしたんだ。するとアンくんのやつ、こう言ったんだよ。
「何で余計なことするんですか!僕一人でやらないと意味がないんです!」
 アンくんをとても怒らせてしまったんだ。僕は堪らなく申し訳なくなって、そのまま空に飛び立ったんだ。
 でも僕は、アンくんと話している時に、ほんのちょっぴり感じたんだ。
 あの歌の女の子の、大きくて、温かくて、強い何かに近いものをね。もしかしたら、思い違いかもしれない。だけど、僕の羽根が、少しだけぴくりと動いたのは、確かだ。












    4 カエルさん

 アリのアンくんに怒られてから、僕はしばらく、生き物と会うのが怖かったんだ。だから僕はすぐに、あの大きな建物の近くにあった、小さな山みたいなところに行く事にしたんだ。そこを拠点にして僕は過ごしていたんだ。
 山の中ってのは案外快適だったんだ。食べ物はあるし、自然もいっぱいで、島にいたころを思い出したね。雨の日はほら穴でしのげるし、晴れた日は木漏れ日が木たちの隙間から見えて、とっても温かい気持ちになったんだ。
 でもね、あの大きくて、優しくて、温かい何かを探す事だけはやめなかったよ? たまに僕のいる拠点の山に、叫びに来る人が現れるんだ。特に目的のない言葉もあれば、何かを伝えたいような言葉もあった。しっかりとは聞き取れなかったのが残念だったけどね。でも、その中でたまに、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあったような気もしたね。でも、それは触れる前に、遠くに消えてしまうんだ。悲しかったさ。だって、触れられそうで、触れられないことほど、悲しいことってあるかい?ないと思うね、僕は。
 そんな中で、僕は山の中にある、小さな池にやってきたんだ。山の裏側には、まだ行った事がなかったからね。
そこではね、ゲコゲコとカエルたちが合唱をしていたよ。そしてだよ?そこで僕は、またあの大きくて、優しくて、温かいなにかがほんの少しだけど、感じられたんだ。だけど、それはその合唱全体の声じゃ無いんだよ。
 合唱の声を槍みたいに例えるとするならさ、一本だけ飛びぬけて長い槍があったように感じられたんだ。一本だけの槍が、僕の羽根のところに飛んできて、かすったように感じたって言えば分かりやすいかな。
 しばらく合唱に耳を傾けていると、一匹のカエルさんが、全員にこう言ったんだ。
「全然駄目!男声パートは中途半端だし、アルトとソプラノのバランスも駄目!そんなんじゃ全国カエルケロケロコンクールなんて、夢のまた夢よ? もう……みんなやる気あるの?」
 大声でしかりつけたもんだから、その場はシンと静かになったんだ。それからだんだんとね、みんなひそひそと何かを言い出したんだ。
「なんなんだよあいつ、偉そうに」
「楽しく歌えればいいのにね」
「一匹だけなに熱くなってんだか」
 そこには誰も、カエルさんを支持する声はいなかったんだ。僕はなんだか切なくなったよ。僕とは全く関係ないのにね。それでも、さっきのカエルさんの言葉はとても熱くて、かっこよかったんだ。僕にはそう思えたね。だから、誰も支持しない事が寂しかったのかな。
 気まずい雰囲気の中で、しゃがれた声のカエルが静かに言ったんだ。
「じゃあ、今日は解散で……アマさん、今日もありがとね」
 しゃがれたカエルの声が、さっきの熱血のカエルさんに優しい言葉をかける。アマさんって呼ばれた熱血のカエルさんは、何も言わなかったんだ。やっぱり、怒っていたのかな。
 その時、がさりと草むらから音がしたんだ。
「きゃっ!」
 草むらから出てきたのは、一匹のカエルさんだった。その声は、さっきみんなに怒鳴り散らしていた熱血の声の主、アマさんと一緒だった。
「こ、こんばんは」
 僕は驚きを沈めてから、落ちついて挨拶したんだ。
「わわわ、私は食べても美味しく」
 どうやら怖がらせてしまったらしいんだな、これが。よく考えたら、カエルの天敵は鳥だったな。
「食べないよ」
 あいにく僕はグルメなんだ。カエルなんか食べられないよ。安心させるためにも、これだけは言っておかなきゃね。
「ほんと?」
「ほんとさ」
 アマさんと呼ばれたカエルさんは、どうにか警戒を解いたみたいに、体をだらんと脱力したんだ。僕も同じように安心したよ。アマさんから、あの大きくて、優しくて、温かいなにかのヒントがもらえるには、安心してもらわなきゃね。
「さっきの合唱、聴いていた?」
 アマさんは僕に言ったんだ。
「うん、僕は好きだけど」
「全然よ」
 アマさんはため息を吐いた。カエルの息なんて大したことなんてないけれど、他の草が少し揺れたような気がしたんだ。僕がそう感じただけかもしれないけどね。
「僕はカラスのジョン、よろしく」
「アマガエルのアマよ」
 僕等は暗い山の森の中で、簡単にそう自己紹介し終わったんだ。自己紹介から友達は始まるって、おじさんがよく言っていたよ。
「僕はね、あるものを探して旅をしているんだ」
「あるもの?」
「うん、それはね、大きくて、優しくて、温かい、なにかなんだ」
「ふーん、聞いたことないわね」
 それはそうだ。だって、僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだから。
「見つかりそうなの?」
「さっき、ちらっと見えたんだ」
「どこで?」
「君からさ」
 そう、あの合唱の時、ほんの少しだけ感じた。僕の羽根が震えたんだ、間違いない。
「不思議ね、私は何かを出した覚えはないわよ」
「それでも感じたんだ。僕はそれの正体を知りたいんだ。君の話を聞かせておくれ」
「私の?」
「そう、君の」
 僕はそう食い下がったんだ。当然だろ? ヒントとなりそうなものがこんなに近くにあったんだから。
「私はね、ある日歌を聴いたの、人間のね」
「人間の?」
 僕と同じだ。それはあの子なのだろうか……分からない。
「今より離れた町だったから、どこでって聞かれても困るんだけどね……でも私はね、その子の歌を聴いて、自分もあんな風に、本気で何かを作り出したいって思ったの」
「それが、合唱?」
「そう、カエルは一匹で歌っても、なんの力もないから。だから私は、自分がいた町を離れて、合唱隊があるこの山にやってきたのよ。昔から、なんの取り柄もなくて、家族もいなかったからね」
「奇遇だね、僕もだ」
そんな事を言いながら、二人で笑い合ったんだ。
「それが来てみたら最悪。もう聴くに堪えなかったのよ。それでも私はこう思ったわ、この合唱隊を私が変えてやるんだって」
 アマさんは熱くそう語ったんだ。そして僕もまた熱くなっちゃったんだよ。ついつい感情移入しちゃうのが、僕の悪い癖だってことは、わかってはいるんだけどね。
「でもね、なんか……ずれているのよ。私の情熱と、他のメンバーのね。もともと、上を目指すつもりなんてなかったみたいだし」
 アマさんはそう言って、少し泣きそうな顔を浮かべたんだ。僕も泣きそうになったよ。カーカーって、大声でね。だから僕は、今自分が感じた素直な事を言ったんだ。
「がんばっている君は、かっこいいよ」
「かっこいい?」
「そう、かっこいい」
 僕は言葉をそのまま続けた。
「羨ましいよ」
「そんな、大したもんじゃないわよ」
「でもさ、何で君は、歌うの? その感銘を受けた女の子が、理由なの?」
 何に対しても、僕は理由を欲しがるんだよ。自分が納得できる世界であってほしいからなのかな。少なくとも、僕が生きているこの世界には、全て理由があるって信じたいんだ。そしてそれを理解したいって気持ちがある。わかるかい?
「うーん……理由を言ってもね、何か違う気がするの。全てが後付けになって、正しいものじゃなくなるかもしれないから」
 その言葉は、おじさんの「海の男だからさ」に近いように感じたんだ。だから僕は、思わず納得せざるを得なかったんだよ。
「他のメンバーだってね、だんだん成長してきているのよ? 前は音程すら取れてなかった子が、ちゃんとお腹から声が出せるようになっていたりとか、他にもね」
 アマさんは、それから他のメンバーがどれだけ成長したかを、僕へ一匹一匹説明してきたんだ。その表情と言ったら、とってもうれしそうで、楽しそうで、あの女の子の歌っている時の笑顔に、とても似ている気がしたんだ。だからまた、僕の羽根は少し震えた気がしたんだよ。もちろんその時にね。
「あら、ごめんなさい。少し、喋りすぎてしまったみたいね」
 しばらく喋り続けてから、アマさんは恥ずかしそうに僕にそう言うんだ。体は緑色なのに、ほんのり赤くなっている気がしたよ。かわいいなあって思っちゃったな。だから安心してくれって、君以上に素敵な子なんていないよ。
「大丈夫だよ、とても楽しかった」
「何か、助けになった?」
「もちろん」
 僕はまた、あの大きくて、優しくて、温かい何かに近づけた気がしたんだ。だけど、まだだ。まだ僕は到達できていない。おじさんに立派に報告できるようにしなければいけないんだ。
「よかったわ」
「これからも、がんばってね」
 僕はアマさんにそう励ましたんだ。僕にできる事は、それだけだからね。
「ええ」
 アマさんは、優しい声でそう言ったんだ。あの時の、怖い声とは大違いだ。
 それでも、アマさんはとても輝いて見えたんだ。あの時歌っていた女の子と、良い勝負だと思ったよ。
「あなたもね」
 僕まで励まされちゃったよ。まいったね、もう。
「何かを探すのに、同じところにとどまっちゃだめよ?」
 アマさんはそう得意気に言うけど、僕はこう反対したね。何て言ったかって?
「僕がここにとどまっていたから、アマさんに会えたんだよ?」
 ってね。そしたらアマさん笑いだしたんだよ。
「カラスのくせに、口が達者ね」
「そんなことないさ、思った事を言っただけだよ」
 そう言って僕は、妙に照れくさくなったから、さよならも言わずに空に飛び立ったんだ。
 寒い夜空の中飛んでいると、不意にこう思ったんだ。
 アンくんも、アマさんも、何か同じものがあった気がしたんだ。それがなんなのか、その時の僕には、わからなかったんだけどね。
 一人で星空が輝いている、雲一つない静かな夜空を飛んで、風を切るのは、妙に心地良かったよ。




  5 また会えた

 ある日、嵐が来たんだ。僕が飛びながら、あの大きくて、優しくて、温かいなにかを探してると、さっきまで流れていた穏やかな空気が、ふと変わったんだよ。それとおんなじくらいに、僕は、大きな建物を見つけたんだ。だいぶ前に見つけた、子ども達が集められた建物にとてもよく似ていたんだ。でも大きさが全然違ったね。しかも、キラキラした飾りがたくさんついていて、お祭りでも始めそうだたんだ。
 僕はずっと飛び続けていて、疲れていたから、寝るのに調度いい場所だと思って、中に入ったんだ。天井にあった上の柱にあった隙間がちょうどよくて、僕はぐっすりと眠りこんだ。嵐の音なんか、これっぽっちも気にならなかったね。
 久しぶりに雨と風をしのげて、僕はほっとしたんだ。そこまでは、とてもよかった。だが、これよりさらにいいことが起きたんだ。
 僕の目を覚まさせたのは、風の音でも、雨の音でも、鶏の声でもなかったんだ。何だと思う?
僕を目覚めさせた真犯人は、歌声だったんだよ。
 それもただの歌声じゃ無い。あの子だったんだ。あの日、島で歌っていたあの女の子だよ! 僕は聴き入ったさ。今度ばかりは、歌詞だってちゃんと聴きとったんだよ?
 羽根なんかさ、もう全部抜けてしまいそうだったんだ。下にいる人間でさ、泣いている人までいたんだよ?
 僕はね、そこで当然、あの大きくて、優しくて、温かい何かに触れたよ。だけどそれを受けとったのは、僕だけじゃないようだ。
 前の方で顔をうずめている男の子や、後ろで腕を組んで目を閉じている女性だって、僕と同じものを感じているんだよ。なんでわかるかって? それは僕がカラスだからだよ。当然だろ?
 その空間はね、きっと何かの奇跡が寄せ集められた場所なんだ。奇跡だけじゃ無い。たくさんの人の持っている強い『意志』みたいなものまで寄せ集められた一枚のお皿みたいな感じだ。ごちそうなんてものじゃないよ。こんな素敵な空間は、僕は今まで見た事がないんだ。
 こんなに温かくて、大切なもので充満した空間なんて、世界中どこを探したって、ここにしか存在しないだろう。
 そして何よりね、歌っているその子が、あの日よりも、ずっとずっと、キラキラ輝いているんだ。本当さ。だって、僕が眩しくて、ずっと見ていられなかったんだ、太陽何かと同じさ。太陽もこの子に会いたがっていたはずだよ。
 何故かって? 簡単さ。その子の歌が終わって、後片付けが始まるんだ。
 その子は、一人で、さっきまで熱く歌いあげていた姿なんて想像できないくらい、黙々と作業をしていたんだ。
 その時に、太陽が顔を出したんだ。雲で覆われていた空から、その子を祝福するように、ただ照らし続けたんだよ。彼女は空を見上げて、にっこりと笑ったんだ。
その時の顔を見ていると、僕は女の子がこんなことを想像しているんじゃないかって、勝手に考えてしまったんだ。「私はやったよ、がんばったよ。これで、認められるのかな、私は」ってね。
 カラスの僕の言葉は、おじさんか他の動物にしか届かないんだ。こればっかりはどうしようもない。だから、自分の声でこう言ったさ。聞こえたか聞こえないかはどうでもよかったんだ。意味が分かるかわからないかもどうでもよかったさ。だけど、僕はこう言ったんだ。
「君は最高だ」
 ってね。
 彼女には『カー』としか聞こえなかっただろうね。でも僕はそう言ったんだ。その事実は、誰にだって変えられない。僕はその後にもこう言ったんだ。
「また君の歌を聞かせておくれよ」
 僕は、あの大きくて、温かくて、優しいなにかに触れられる、彼女の歌が、とてもとても気に入ってしまったんだ。この感情はなんなんだろうね。不思議だな。
 彼女はこれまでどんなものがあったんだろう。
 アンくんのように、苦しみながらなにかを運び続けたのかもしれないし、蟻地獄を越えてきたのかもしれない。
 アマさんのように、うまくいかなくて叫んだ事もあるかもしれない。どうしようもなくてふさぎこんだこともあったかもしれないよ。
 でもどんな過去があったとしても、彼女はそれを受け入れて、あれを歌ったんだ。
 勝手な想像かもしれないけど、彼女は自分自身の心と、意志に従って、やりきったんだ。
 あの笑顔が、その証拠な気がしたんだ。
 僕はあの子の歌を聴く事で、またあの大きくて、優しくて、温かいなにかの正体に、グンと近づけた気がしたんだ。
 でも、それの正体がまだ見えてこないんだ。二回もあの子に会ったのにね。全く、ふがいない。
 それでも僕は、答えがどこかにあるんだと、信じて羽根をはばたかすんだ。
 そして飛びながら彼女にこう祈ったんだ。
 笑えなくなることがあったとしても、苦しい事があったとしても。あの時の笑顔を、あの時の思いを、どうか、どうか、忘れないでください。ってね。
 雲はどこか遠くへ行ってしまったみたいで、僕は青空の下をはばたいたんだ。彼女も、キラキラした目で、この空を見ていたら、嬉しいな。そう思ったんだ。




        6 ネコさん

 あの日から僕は、なにも考えずにただ飛び続けたんだ。ほんとに、目的もなくだよ。ただ羽根を動かして、空を飛ぶだけの行為を繰り返したんだ。その間、僕はなんにも喉を通らなくて、なんにも食べる事ができなかったんだ。どうしたらいいかもわからなかったし、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあるかどうかの正体が、飛び続けてればわかる確信だってないのに。
 それでも僕は山の中腹辺りで、さすがに疲れてきたんだ。山の中で、一休みできるほら穴を探していると、一軒の古い家がぽつんと建っていたんだ。その家を見た瞬間に僕はね、とんでもなく寂しくなったんだ。なんでだかわからないけど、その家全体を、冷たくて、寂しいなにかが包んでいた事だけは確かなんだ。
 気になって僕は家にそっと近づいたんだ。縁側の辺りは完全に開いていて、泥棒さんに入って下さいと言わんばかりだったんだよね。あいにく僕は泥棒なんてする気はこれっぽっちもなかったけど。それでもなにがあるか気になって、僕は縁側に近づいてみたんだ。そこにあったのは、一個の檻だったんだよ。檻って言っても、そんなに大きなものじゃない。厳密に言ってしまえば、ケージって表現が正しいのかもしれない。だって、もしも僕が中に入ってしまったとしたら、それはいっぱいいっぱいになっちゃうに違いない程の大きさだったから。
 だけど、その中には僕が入れそうなスペースなんてどこにもなかったんだ。何故かって?先客がいたからさ。
 中にいたのは、一匹のネコさんだったんだ。体は僕とおんなじように真っ黒でね。瞳の色は緑色でとても綺麗だったんだ。思わず見とれてしまったよ。
「貴方は誰?」
 見とれていると、いつの間にかそう話しかけられちゃったんだ。不思議な気分だったよ。檻の中のネコさんに話しかけられるなんてね。
 本来ネコは、もっと自由なもののはずなんだ。島にいるネコなんか、まさに自由のかたまりのようだったさ。寝たいときに寝て、行きたいところに行く。そして食べたい時に食べるんだ。羨ましいな、なんて言ったら、おじさんは「お前も似たようなもんだ」なんて言うんだぜ? 聴いて呆れるだろ? まあ否定はできなかったけどね。
 それでさ、僕はとりあえず紳士的に対応したんだ。
「こんにちはネコさん」
「こんにちは、カラスさん」
 それで僕は檻の傍にそっと降りたったんだよ。
「どうしてそんなところにいるの?」
「さあ……どうしてかしらね」
 そう言うと、ネコさんは悲しい目をしたんだ。
「最初はね、この家の人にえさをもらっていたのよ、お魚とか、かつおぶしとかね」
「そいつはいいな」
 思わず僕は、サカナやかつおぶしを想像して、よだれがたれてしまったよ。慌てて吸い込んだけどね。
「それでもね、いつの日かその人は、私を檻の中に急に閉じ込めてしまったの。『私がこの子をなんとかしなきゃ、私しかいないんだ』ってね。優しい人なんだなって思ったわよ。それでも、怖かったのよ。いえ、今でも怖いわ。あの人が私をみる目つきが」
 ネコさんはそう言って身震いしたんだ。まるで水でもかけられたみたいにね。
「なんで君は反抗しなかったんだい?」
「……さあ……それでも、あの人、とても寂しそうな顔を時々するのよ。まるで、自分が世界に独りきりだって思いこんでいるみたいに」
 それはそうだ。こんな山奥に家を持って、たった一人で暮らしていたら、そんな気分にすらなってくるよ。
「その人は、今いないの?」
「多分、この時間ならリンゴを育てている頃ね。そろそろ戻ってくるかも」
 この家自体の敷地は結構広いみたいで、裏に畑があってもおかしくないないって思ったね。
「ここにいたらまずい?」
「ええ、とっても」
 僕はそれでも不思議と落ち着いていたんだ。何となく、その人が怖い人には思えなくてね。
「君の話を聴いているとさ、まるで君が、その人に同情してそこにいるみたいだ。君自身の感情はどうなるんだい?」
「言葉が通じないのに、どうやって伝えればいいのよ」
 僕はこう言ったんだ。
「君には、爪や歯があるじゃないか。それを使って、拒否をすればいい」
「そんなことしたらかわいそうじゃない!」
 ネコさんは声を荒げたんだ。僕はびっくりした。それと同時に、羽根があの時みたいにぶるっと震えたんだ。それはあの時の、アリのアンくんを連想させたね。僕はまた、無頓着にまずいことを言ってしまったらしい。
「ご……ごめんなさい、私のことを思って言ってくれたのに」
 ネコさんは怒鳴ったことを僕に謝りだしたんだ。悪いのは僕なのにだよ。
「構わないさ、それより僕はあるものを探しているんだ」
「あるもの?」
 そう、それはネコさんのさっきの叫びからも感じたんだ。羽根が震えたんだよ、あの大きくて、優しくて、温かいなにかがあったからに違いないさ。
「いや、君に言ってもわからないさ」
「構わないわ。教えてよ」
 僕は渋々答えたんだ。
「大きくて、優しくて、温かいなにかさ」
 ネコさんは黙り込んでしまったんだ。当然さ、僕が探しているものは、抽象的極まりないものだったからね。
「ごめんなさい」
 当然出てきたのは謝罪の言葉さ。僕は別に気にしなかったよ。慣れっこだったからね。ただ、ネコさんはその後に違う言葉を言ったんだ。
「でも、何かを探している時に、前に来た道を戻るのも、一つの手段だと、私は思うわ」
「戻る?」
 それは僕にも予想外の答えだったんだ。進んでいれば、いつか辿りつくものだと信じていたからね。当然、僕が探していたものの正体にさ。
「そうよ、今まで来た道を、もう一度見返してみるの。そうすることで、今まで見えてこなかったなにかや、見逃したものと出会えることもあるはずよ。試してみる価値はあるんじゃないかしら」
 その言葉に僕は、とても賛成したんだ。それに僕には、もう一度会いたい存在もいたからね。だから迷わずに大きく頷いたんだ。
「ありがとう、そうしてみるよ。今までも何度か見えてきた気がしたんだ。案外戻ってみると、見つかる物かもしれないしね」
 僕はそう言って、羽根を広げて、山を出ようとしたんだ。ネコさんに背を向けて、振り返ることもせずにね。
「ねえ、カラスさん、待って」
僕が行く前に、そうネコさんは引きとめたんだ。
「よかったら、リンゴ、こっそり持って行きなさい。一個くらいならばれないわ」
ネコさんは僕に、さっきから魅力的なアドバイスばかり言ってくれるね。そう思ったさ。この子も旅の仲間にしてもいいとすら考えちゃったね。本当さ。それでも彼女には羽根がない。だから僕は諦める事にしたんだ。
「ありがとう、いただくよ、その前に一ついいかな」
「何かしら」
 僕はネコさんを見ながらこう言ったんだ。
「僕はカラスのジョンだ」
 ネコさんはおかしそうに笑ったんだよ。何一つおかしなことは言っていないのに。不思議な子だ。
「私は、ネコのパティよ」
 僕は頷いて、飛び立ったんだ。裏庭に向かって、たくさんある木の中から、リンゴを一個頂戴してからね。すぐには食べないさ。食べたい時に食べるつもりだ。そういうものだろう?
 幸い、パティの言う人間には出会わなかったから、僕はとてもほっとして、来た道を戻り始めたんだ。




    7 カラス君

 来た道を戻りながら、どこまで戻ればいいんだろうなんて考えていたんだ。だってそうだろう? 戻るにしても、僕の探している、大きくて、優しくて、温かいなにかのヒントを通り過ぎてしまえば、全く意味が無くなってしまうじゃないか。当然さ。
 でも迷っていても意味がないのは、すぐに理解できたよ。迷っても、どこにあるのかわからないものを探しているんだから、どこまで戻ろうと、進もうと、結局同じことなんだから。
 それだから僕は、またあの駅に戻ったんだよ。覚えているかな。僕がおじさんと別れてから初めて立ち寄った駅さ。何で戻ったかって? それは当然、彼に会うためだよ。
 あの時、僕にえさをわけてくれたカラス君にさ。
 でも、駅の近くに住んでいる以外、全くの情報がなかったから、僕はどうやって探すか悩んださ。そして結論は単純なものだった。カラスらしく、電柱のてっぺんに突っ立ってみることさ。馬鹿みたいって思うかもしれないだろ? これが案外良かったりしたんだ。だって、すぐに見つかったからね。
 僕が電柱で突っ立っていると、あの時のカラス君が、他のカラスたちと楽しそうに飛び回っているところが見えたんだ。しばらく飛びまわっているかと思いきや、いつの間にかカラス君の周りの取り巻きは、みんないなくなってしまったんだ。まるで、散らばっていく水しぶきみたいにね。
 チャンスだって思った僕は、そのままカラス君のところに向かったんだ。
「だから、えさは今日はやらねえって……」
 カラス君は僕の気配を感じたのか、そうぼやいたんだ。でもそれは僕以外の誰かと勘違いしている事は、すぐわかったよ。だって、カラス君にえさをもらったのは、あの日きりだったからね。
「カラス君、僕だよ」
 僕はカラス君の目に映るように、追い抜いて振り向いてやったんだ。カラス君のやつ、びっくりしていたよ。面白かったなあ。
「なんだ、お前か。久しぶりだな」
「うん、久しぶり」
 それから僕等は、近くの電線に止まって話し続けたんだ。
「で、どうだい?例のその、でっかくて、熱くて、なよっとした何かに出会えたのか?」
「大きくて、優しくて、温かいものだよ、カラス君」
 呆れるどころか僕は驚いたけどね。あれから僕等は、随分と長い間会っていなかったから、僕が何かを言ったってことは、覚えていてくれたんだから。
「おお、それだそれだ。で、わかったのか?」
「うーん、わかりそうなんだけど……あとさ、一歩なんだよね。いや、二歩かもしれないけど」
「なんだそりゃ、どっちだよ」
 カラス君は愉快そうに笑ったんだ。つられて僕も笑っちゃったよ。だけどもね、人間からしたら、僕等はただカーカー鳴いていただけかもしれないって考えると、少しだけ寂しくなったんだ。
「どうやってよ、お前はそれに近づいたんだ?」
 カラス君は僕にそうきいてきたんだ。案外こういうことで、自分の行動を見つめ返せるってのはいいものだ。僕は話したんだよ。
 アンくんのことを。
 アマさんのことを。
 あの女の子のことを。
 パティのことを。
「ほう、変わったやつらばかりだな」
「それもそうだね、みんな変わっていたな」
「まあ今日はもう遅い、続きは家で話さねえか?」
 その言葉に僕は驚いたさ。今まで誰かの家に招待されたことなんて、一度もなかったからさ。
「いいのかい?」
「ああ、それに、俺もお前の助けになれたらって思うしよ」
 とっても嬉しくて僕は飛びあがりそうになったんだ。こんなに協力的になってくれるなんて、夢にも思わなかったからね。それから僕たちは、駅の裏の小さな通風孔の奥へと進んで、中の広いスペースへと入っていったんだ。そこがカラス君の家だったんだ。中には、カラス君が集めてきた石が集められていて、まるで家具みたいになっていたんだ。僕は感動したね。こんなに作りこまれたカラスの家なんて、世界中どこを探してもないだろうって、本気で思ったぐらいだもの。
「まあ適当にくつろいでくれ」
「すごい……すごいよカラス君!」
 僕は自分の素直な感想を口にすると、カラス君は照れくさそうにそっぽを向いたんだ。
「からかうんじゃねえよ」
「からかってなんかないさ」
「……そうかよ」
 カラス君は少し機嫌を悪くしたみたいで、僕の方を一度も向いてくれなかったんだ。
「まあ、話を戻そうぜ。えと……」
 カラス君は僕の名前を呼ぼうとして困ったようだ。そう言えば、僕は彼に自己紹介をしていなかったのを思い出したんだ。そして慌てて自己紹介をしたんだ。
「僕はジョンだ」
「ジョン、名前があるのか。羨ましい限りだぜ」
 そう言えば、彼には名前がなかったんだ。でも僕はその理由を聴いていなかったのを思い出したのさ。
「どうして、君には名前がないんだ?」
「そりゃ……忘れたからだよ」
「忘れた?」
 親がいないとか、そういう理由じゃないみたいだ。忘れたってのも珍しいな。
「親はいたんだよ。ちゃんと。だけど、死んじまってから、誰も俺の名前を呼ぶこともなかったし、親もあまり俺の名前を呼ばなかったから、いつの間にか忘れちまったんだ。カラスといえども、所詮は鳥だからな」
 そんなカラス君の表情は、なんだか寂しそうで、なんとかしてやりたいって思ったんだ。結局僕には何にもできないってことが、すぐに理解出来たけどね。
 だって、彼を救えるのは、彼だけなんだから。それくらいカラスの僕でも理解しているよ。
「まあいい、そんなことよりよ、お前さんはそのたくさんの変わったやつらに出会って、いろんなことを聞いてきたわけだろ?」
「うん、そういうことだ」
「つまりよ、そいつらには、何か共通点があるんじゃねえか?」
「共通点?」
 それは考えもしなかった。というか、考えなければいけないことなんだろうけど、僕はそれを怠ってしまっていたんだ。怠け者の僕らしいと思わないかい?
「そうだ、共通点だ。何かそいつらの言っていた事や、やっていた事で、通ずるものはなかったのかい?思い返してみろよ」
 僕は思い返してみたんだ。一匹一匹、丁寧にね。
 アンくんは、家族に認められるために一人で努力していた。
 アマさんは、結果を残すために、みんなのことをちゃんと見ながら、心を鬼にしていた。
 あの女の子は、誰かの為に歌を歌っていた。
 パティは、一人の女の人の為に、自分を殺していた。
「……駄目だ、見えてこない」
「ふむ……何かあるとは思ったんだがな。難しいもんだな」
「でもさ、おじさんは簡単で、単純なものだって言っていたんだ。だから、見えているけど、僕が鈍感で気が付いていないだけかもしれない」
「なら俺も鈍感ってことじゃねえか」
 カラスくんはそう言って、愉快そうにまた笑ったんだ。
 また僕も、さっきみたいに笑っちゃったよ。恥ずかしいほどにね。
「でもさ、確かにみんなから感じられたんだ。みんなが自分の話をしていた時に、確かに僕は感じたんだ。あの大きくて、優しくて、温かい何かを」
「ほう……」
 カラス君は何かを考え込むように、目をジッと細めたんだ。生まれつき目つきが悪いみたいで、少しだけ怖かったのは覚えているよ。
 そこで僕は一個提案が思いついたんだ。何かの糸口にならないかと思ってね。
「ねえカラス君」
「どうした、ジョン」
「君の話を聞かせてくれないか?」
「俺の話?」
「そう、君の話だ」
 そう言うと、カラス君は大声で笑い始めたんだ。さっきの時の何倍もの大声でね。今度はつられないように僕は耐えたさ。本当だよ、信じてくれ。
「俺の話なんか聞いてどうする気だよ。するってえとあれかい? 俺の中にも、その例の、大きくて、優しくて、温かい何かがあるってことかい?」
 カラス君はまだ笑いがおさまらないらしくて、ひーひー言ってたんだ。傍から聞いたらかーかーだろうけどね。それでも僕は肯定したんだ。
「ある気がするんだ。だから、話してくれ。それが僕が戻ってきた意味かも知れないだろ?」
 そう僕が言ったら、だんだん笑い声が小さくなって、ようやく静まったんだ。そして落ちついたカラス君は深呼吸をしたのさ。
「分かった分かった。観念するよ。何から話せばいいんだい?」
 僕は困ったさ。なんでかって言うと、他の動物たちは、勝手気ままにいろんなことを迷わず話しだしてくれたからさ。リクエストなんてされたことがなかったんだよ。
「君が話したい事を、好きなだけ話してくれよ。僕はその中から、ヒントを見つけ出すから」
 とりあえずはそういうことにしたんだ。それで上手いこと話してくれなかったら、どうしようかとも思ったけどね。
「そうだな……俺は、いわゆるエリートだったんだ」
 いきなり始まったのは自慢話だったんだ。
「親はここら辺全体を支配するボスでな、俺はそんな親の背中を見ながら、一緒に狩りをしたんだ。するとそのうち、自然と上達したんだよ」
 カラス君の話は続いた。僕は羽根の中にしまっていたリンゴを取り出して、羽根で半分個にしたんだ。
「いやどんな翼しているんだよお前」
 カラス君が突然そう言ったんだ。見て分からないのかな?
「どんなって、真っ黒で」
「色の話はしてねえよ」
「え?」
「え?じゃねえよ、なんでそんな翼でリンゴを二等分出来るんだって話だよ」
 せっかくの説明をカラス君のやつ、言い終わる前に止めたんだ。まったく失礼な奴だよ。
「みんなそうなんじゃないの?」
 カラス君はなにをおかしなことを言っているんだろう。みんな翼で物を半分に切るくらい普通だろう?
「よく僕はおじさんの料理の手伝いで、キャベツのみじん切りくらいしていたよ」
「聞いた事ねえよ、みじん切りが翼でできるカラスなんてよ……」
 カラス君は混乱したように頭を抱えた。なんだか、僕の特技だったみたいだ。この特別丈夫な羽根はね。
「まあ、お前の翼はいいや。でよ、そのうち親が死んで、俺が一人で狩りをすることが増えたんだ。で、あまりにも収穫が多かったもんで、他のカラス達に分けていたんだ」
「優しいね」
「茶化すなよ」
 別に僕は茶化したつもりはないんだけれどね。素直な感想を言ったまでさ。
「まあ続けよう。そんでよ、そういうことしていたら、自然と好かれるわけよ。いろんなカラスにな。『あいつはいいやつだ』ってな具合でな。俺もな、いつの間にかそいつらに愛想よくふるまっちまうんだ。いかにもいいやつって感じでな。誰に対しても、好ましい態度を取り続けていたんだ」
「どうして?」
 僕はそこに疑問を感じたんだ。別に、わざわざ好かれようとするような態度をとる理由が、僕にはどうしても理解できなかったからさ。
「それはだな……そいつらに、冷たい態度をとって、嫌な思いをしてほしくなかったからだ。そんなことを続けるうちに、作り笑顔ばかりが上手くなっちまった。自分を演じる事だけが、俺の日常になっちまっていたんだよ」
 そんなカラス君の過去を聴いて、僕は思った事がスルリと口から出てきちゃったんだ。だって、カラス君は自分の存在を誤解している。そう思ったからね。
「やっぱり君は優しいよ。どうしてそんなに、嫌な思いをしてほしくないって思ったんだ?」
「……相手の嫌な顔を見るのは、気持ちが悪いんだ」
 やっぱり、彼はいいやつだ。素直に僕はそう思ったんだ。あの時、僕にやさしくしてくれた時から感じていた。
「どんなに性格が悪くても、ずる賢いやつだろうと、俺はそいつらを、どうしても嫌いになれないんだ。全員大切な存在に、かけがえのない存在に見えちまうんだ。だから、俺はそういうことを続けていた。そうすることで、俺はたくさんの仲間と出会えたんだ」
 そんなこと、普通のやつは思えないって、僕はその時思ったんだ。誰だって、気に食わないやつの幸せなんて望めないし、ましてや大切なんて考える事すらできないはずなのに。彼は不思議な存在だって、純粋に思ったんだ。
「なんだ、素敵な話じゃないか」
 リンゴをかじりながら僕はそう言ったんだ。彼はさっきとは違い、自嘲するみたいに静かに笑ったんだよね。
「そうかもしれねえ。でもな、そういうことを続けているとよ、あるもんが出てくるんだ。それは大きく二つある」
「二つ?」
「ああ、一つは、俺が時々苦しいんだ。なんで俺は、こんなにしんどい思いをしているんだろうってな。他のやつらの頭の中で、俺って存在は本当の俺とは、まるで違う形をしているんだ。綻びだらけの俺という像を、やつらは頭の中だけで、綻びも傷跡も、不完全な部分なんて何一つない、『完璧な俺』ってやつに仕立て上げちまう。それが嫌で堪らなくてな。俺だって、一人で海を歩いて、貝殻を集めたいときだってある。でもそんな時に限って、一緒に狩りに行こうだの、あいつのところに押しかけに行こうだの、くだらない誘いをしてくるんだ。我慢ならなかったさ」
 何で断らなかったの?とはきけなかったんだ。何故かって? 答えが分かっていたからさ。彼は他のカラスが嫌な顔をするのを見たくないんだよ。それでも僕は胸が痛かったね。何でもっと自分を大切にしないんだって、そう言ってやりたかったよ。
「嘘を吐くのは苦しいさ。だけどよ、嘘を吐かなきゃやってけねえんだよ。悲しい事だがな」
 嘘っていうのは、大体は自分を守るときにつかうものだ。だけども、カラス君は、誰かのことを思って嘘を吐くんだよ。純粋にそれが素敵だと思えた僕は、おかしいのかな。
「……カラス君、何で君は、そんなにかっこいいんだ」
「褒められるのは好きじゃねえ。それが二つ目のことだ」
 カラス君は、リンゴを一口かじって、話し始めたんだ。
「嫉妬さ」
「嫉妬?」
「ああ、こんな俺に対して、嫉妬を抱くカラスだって当然いるんだ。そいつらは、俺に対して、いっつも嫌味な事を陰でこそこそ言っているくせに、俺のわけるえさをもらうんだ。それが俺には、気持ちが悪かったな」
「でも、渡さなかったらそいつらがって、君は考えるんだね」
「ああ、そういうことさ。でもよ、今日俺は思い切って反抗してみたんだぜ?」
「反抗?」
 それは少し意外だったな。だって、さっきまで言っていた彼のポリシーに反してしまうからだよ。
「えさは今日は渡せねえ、だから自分で探してくれってな」
「おお、すごいじゃないか!がんばったね」
「……そういう言い方はやめろよ」
 じゃあどうやって褒めればいいんだ。カラス君はややこしいやつだよ、本当に。
「それでも、ちょっともやもやしているんだ。あんな言い方をして、傷つかなかったのかとかさ、そんなことばっかり考えちまう。だからよ、今日はお前にこの話を聞いてほしかったんだ。ありがとよ」
 カラス君はそう言って、照れくさそうに笑ったんだ。感謝したいのは僕もなのに。だって、また感じてしまったんだ。あの大きくて、優しくて、温かい何かを。
「君は正しいことをしたんだ。それは誇っていいよ」
「なんだい偉そうに」
 カラス君はそう言って、そっぽを向いたんだ。機嫌の上下が激しい分、わかりやすいやつだと思ったね。
「上からものを言われるのは好きじゃねえ」
「ご、ごめん」
 おじさんにもよく言われた言葉だ。『お前はいつだって、心のどこかでみんなを見下している部分があるんだ。それがうっかり表に出ちまったとき、きっと損をする事になるぜ』
 おじさんはそう言って、僕にお説教を続けたんだ。あの時は嫌になったりもしたけど、今では少し、あの声や、気味の悪い笑顔が恋しいから、不思議なもんだよね。
 でも、思い返せば僕は、旅に出てからも、ずっといろんなものを見下してきていたのかもしれない。自分が大した事のないカラスだからこそ、斜に構えた姿勢でしか、物事を見る事が出来ないんだ。
 それでも君は僕をよく好きになってくれたね。そのことは、とても嬉しく思っているよ。ありがとうね。
「まあ、俺の話はこんなところだ。何か、力になれたか?」
 そこでカラス君は話題を打ち切ったんだ。
「うん。もちろんさ。ありがとう、カラス君」
 僕は心の底から感謝した。あと一歩くらいで、正体がわかりそうな気がしたんだ。だけど、それがまた難しいものだね。ほんとに。
「せっかくだ、今日は泊まってけ」
「いいのかい?」
 しばらくロクなところで寝ていなかったものだから、その言葉にはとっても救われたんだ。久しぶりに落ちついて眠る事ができるなんて思うと、飛び上がりそうだったよ。
「それに、今日はサービスして、俺の宝物を見せてやるよ」
 カラス君はそう言って、奥の方へ何かを探しに行ったんだ。一体何なんだろうって思って、とっても期待したんだ。そしてそれは、僕の期待に応える、素敵なものだったんだ。
「ほら、見ろ」
 カラス君が持ってきたものは、たくさんの変わった形の貝殻だったんだ。青いものやピンクのもの。そして渦を巻いている形をした白いものまで、たくさんだ。カラス君が全部持ってくる間には、石の机はほとんど貝殻だけで埋まってしまったんだ。
「すごい……すごいよカラス君!こんなにいっぱい、どれくらいかかったんだい?」
「さあ、覚えてねえよ。なんなら一個くれてやろうか?」
「いいのかい!」
 僕はまた飛び上がりそうになったんだ。こんなに素敵なものを、一個もらえるなんて、そんな夢みたいな事、想像だにしていなかったもんだからね。
「ああ、好きなのを持って行ってくれ」
 僕は悩んで、机の上の貝殻を眺めたんだ。青いものやピンクの物もいいけれど、やっぱり、白い変わった形のやつにしよう。
 そう思った時だったんだ。
「おい、隠れろ」
 カラス君が急に厳しい声で言ったんだ。
「え?」
「いいから」
 カラス君はそう言って、僕を奥の方の見えにくい、端っこの場所へと追いやったんだ。何事かと思ったけれど、黙って従う事にしたんだ。
 暗くて狭いところだったから、ずっといるとどんどん不安になってきたんだよ。怖かったし、何が起きているのか分からなかったからね。
 だから僕は、よく耳を澄ませることにしたんだ。何が起きているのか、少しでも判断するためにさ。
 すると、ぼんやりとだけど、会話を聴きとることが出来たんだ。
「よう七光り。えさくれよ」
「今日は断っただろう?」
「隠し持っているんだろ?おい、探せ」
 どうやら、何羽かのカラスが、ここに侵入してきたみたいだったんだ。えさを要求してきて、さらには家を荒らし始める音が聞こえたんだ。幸い、僕のところには入ってこなかったけれど、怖かったな。とってもね。体ががくがく震えて、止まらなかったんだ。今すぐここを出て行って、立ち向かうことだってできたはずなんだ。だけど、僕にはそんな勇気のあることはできなかったんだよ。
 いつだって、心のどこかでは、他のやつらを見下しているって、おじさんに言われたのは覚えている。でも、見下すって事は、恐れていることなんだ。立ち向かうのが怖いから、心の中だけで見下すんだよ。
 だって、僕は他のやつらに勝っているものなんて、何一つないってことは、ちゃんと知っていたからね。だから、僕は何にもできなかったんだよ。
 そう、僕は世界で一番駄目で弱虫なカラスだったんだ。
「ちっ、ほんとに何もねえな」
「おい、貝殻があるぜ」
「や、やめろ!」
「いっただきー」
「あ、これもいいな、もーらい」
「こ洒落たもん持ってんじゃねえか、七光りさんよお」
「じゃあ、ズラかるぜ」
 しばらくして、部屋の中は静かになったんだ。どうやら、やつらは行ってしまったみたいだ。
 僕は安心した後に、無性に腹が立ったんだ。
 カラス達にかって? ああ、間違ってはないさ。だけどカラスはカラスでも、このジョンって名前のカラスには、心底腹が立ったね。だって、部屋の隅でただ震えていただけなんだから。
「おい、もう出てきていいぜ、ジョン」
 僕はカラス君の言葉に従って、ひょこひょこ奥から歩いてきたんだ。
「すまねえな、貝殻、全部持ってかれちまったんだ。かっこ悪くてすまねえな。俺に抵抗なんて、できなかったんだ。いつだって俺は、誰かが傷つくことで、自分が傷つくのが怖い……臆病者さ」
 僕は体が震えたよ。初めて怒りってものを感じたんだ。お腹の奥が煮えているようで、熱くて熱くてたまらなくなったさ。
だって、本当の臆病者は、何もできなかった僕じゃないか。そして僕は、最初にこう言ったんだ。
「あいつらの住処はどこだい?」
「えと……城の近くのほら穴……っておい、それ聞いてお前どうする気だ」
 僕はそれを聞いてから、迷わず巣を出て、飛び出して行ったんだ。何故かって? 貝殻を取り戻すためだけじゃない。さっきの自分の名誉を挽回するためさ。名誉なんてもの、最初からなかったかもしれないけどね。
 でもね、残念な事に、そこからの事は、よく覚えていないんだ。ただ、僕が彼の巣に戻ってきたときには、体の羽根があちこち抜けて、体中から血が出ていたんだ。
 あと二つ覚えていることがあるんだよ。
 一つは、あの白い変わった形の貝殻を持って帰った事と。
 彼らの住処に行った時の僕の言葉さ。
「何で彼の事をわかってやれないんだ!」
 僕は、今までで一番大きな声で、そう言ったんだ。














       8 相応しい

 僕が目覚めたのは、あれから随分と時間が経ってからだ。頭はぼんやりしてたし、あれからどうなったのか、どうしても思い出せやしなかった。
「正義の味方にでもなるつもりだったのか」
 僕が目覚めてから、真っ先にカラス君はそう言ったんだ。
「さあ……ただ、なにかしたかったんだと思う」
「……貝殻ごときに、そこまでしなくてもよ」
「貝殻の為じゃないさ」
 そこだけは間違えないでほしかったんだ。だから僕は否定したんだ。
「君の為なんだ」
「かっこいいこと言っているつもりか?」
 そう言われて、僕の背中は痒くなったんだ。自分が、とんでもなく恥ずかしいことをしてしまったんじゃないかって、思ってきちゃったんだ。
「ごめん……」
 だから僕は謝ったんだ。
「別に謝る事じゃねえ。ただよ、どっちに怒ればいいのかわかりゃしねえんだ。お前は俺のためにしてくれたんだし、向こうへえさを渡さなかったから、ああなったのも当然って言えば当然さ」
 何か反論しようと思ったさ。だけど、何も言えなかったんだよね。
「まあ、立場が悪くなるのは慣れっこだ。楽しみなくらいさ」
「楽しみって……まあ、僕が原因を作ったのは確かなんだけど」
「幸せでないのは確かだな」
 その言葉でまた胸が痛んだ。あんなことをしなければ、彼が困る事はなかったのにって思ってしまうんだよ。後悔しても、何一つ戻ってはこないのにね。
「もういいさ」
 カラス君はそう言って、僕にリンゴを置いていったんだ。
「飛べるようになったら、また探しに行けよ。その、大きくて、強くて、甘いなにかを」
「……ありがとう」
 大きくて、優しくて、温かいなにかだけどね。カラス君は何も言わずに飛び立ったんだ。
 僕は、余計な事をしてしまった。そのせいで、カラス君に迷惑をかけてしまったんだ。これは、僕が生きてきた中で、一番大きな失敗だったね。間違いなく。今まで大きな失敗をしてこなかっただけに、自責の念は大きかったさ。僕は羽根を動かしてみた。思っていたより動いた。                 
それでも僕は今日一日は、ゆっくり過ごす事にしたんだ。
 昼間の太陽の光が、この狭い部屋に入ってくるのは、あの子の歌を聞いた時と同じ気持ちになったよ。暖かかったからなのかな。案外簡単なものなんだな。僕が感じているものなんてさ。
 僕がただ天井を見ながら、ただだらだらしていると、カラス君が日の沈むくらいに帰ってきたんだ。オレンジ色の空をバックに飛ぶカラス君は、とてもかっこよく見えたよ。
「お帰り」
「ただいま。羽根の調子はどうだ」
 カラス君は、僕の羽根を見に、わざわざ近くに寄ってきたんだ。
「良い調子だ。明日には飛べるはずさ」
「そうか、よかったぜ」
 カラス君は安心したように、笑ったんだ。僕もつられて笑ったよ。
「今日はきついこと言って悪かった」
「謝る事はないさ。僕が悪かったんだから」
「いや、そうでもないぜ」
 カラス君は、何か良い事があったかのように、にっこりと笑ったんだ。
「今日よ、あいつらが俺に謝りに来たんだ。あんなことしてすまねえってな。あれは、多分お前がいたからああなったんだ」
「……」
 なんだか複雑な気分だったよ。だってほら、もしかしたら謝られるどころか、カラス君が一人ぼっちになることだってあり得たんだよ?だから僕は素直に喜ぶ事はできなかったんだ。
「そんなしょぼくれた顔すんじゃねえよ。俺はそういう顔が一番嫌いなんだ」
 そしてカラス君は、羽根で僕の頭を撫でてきたんだ。それはまるで、あの時。僕が旅立つ時のおじさんのようだったんだ。暖かくて、優しくて、その羽根は大きかったんだ。ああ、これだ。またあれを感じてしまったよ。
「だから、ありがとよ」
 カラス君は、僕にそう言ったんだ。僕は笑顔で頷いたんだ。その時のやり取りはとても気持ちよくて、何かが報われた気がしたよ。それから、カラス君は、急に涙を流し始めたんだ。
 何が何だか分からなくて、僕は慌てたさ。何か僕が彼を傷つけることをしたか、とても不安になったんだ。
「泣かないでよカラス君。僕まで泣きそうになるだろう。君は無理しすぎたんだ。がんばりすぎたんだ。だからもう休んでいいんだよ。誰も君を嫌いになったりしないさ。だって、君ほど暖かくて、優しくて、いいカラスは見た事がないもの。そんな君を嫌いになるやつなんて、世界中どこにもいないさ。少なくとも、僕は嫌いになったりしないよ。絶対だ。約束するよ」
 僕は、思いつく限り、彼に相応しい言葉を述べたんだ。それで彼がいい思いをするかどうかなんて、これっぽっちも考えずにね。
「君に名前を付けるとしたら……そうだ。獅子だよ。君はおじさんが言っていたみたいに、獅子のように、気高く生きたんだ。それは何よりも尊い事だと思わないかい?」
 カラス君は、そこまで言うと大笑いし始めたんだ。僕は何も面白いことなんて言っていないのに。いつもそうだ。僕は面白い事なんて、言ったつもりがなくても、面白そうに笑うんだ。そして、こういうんだ。
「お前は面白いな」
 ってね。少し腹が立ったね。こっちは真面目に話していたのにさ。
「お前はもう、それでいいさ。それで、十分だ。ジョン」
 カラス君はそう言って、僕の頭をまた撫でたんだ。なんだか嬉しくて、胸の奥の方が、こうギュッと、締め付けられるみたいで、僕はまた泣きそうになったよ。
「やるよ、貝殻」
 彼はそう言って、僕がたった一つ持ち帰った貝殻を差し出したんだ。そう、白くて変な形をしたあの貝殻をね。
「いいのかい?」
「ああ、礼だよ」
「礼?何のだい?僕は何も」
「俺が先に理解しちまったからだよ。それを指す言葉はわからねえが、お前の言う、大きくて、優しくて、温かいなにかをな」
 なんて事だ。僕の方が探そうと思った時期は早いのに、彼に先を越されてしまった。悔しいな畜生。そう思ったんだ。
「なあに、悔しがる事はねえ。それは分かるべき時にわかるんだ。だから、遅かろうが速かろうが、なんの関係もねえよ。だから、いいんだ。それでな」
 そして。カラス君は僕にもう一度、貝殻を近くまで差し出した。
「これが、それの証だ。感謝の証でもある。だがそれだけじゃねえ。大きくて、温かくて、優しいなにかの代わりだ」
 その時の彼の笑顔は、あの時のおじさんのようにやさしい笑顔だったんだ。また僕の目の奥から涙が零れ落ちてしまいそうになったね。早く僕は、それの正体を見つけて、おじさんに報告しないといけない。それが僕のやらなきゃいけないことなんだ。
 だから僕は、貝殻を受け取って、力強く頷いた。約束をする意味でだよ。いつか、絶対に見つけ出すっていう約束さ。
 僕は、何も言わずに飛び立ったんだ。振り返ったら寂しくなりそうだったから、後ろを見ずに、前だけ見てはばたき続けたんだ。
 夕日はすっかり沈んでいて、辺りは星たちがキラキラと輝いていたんだ。星達は僕を祝福してくれているのかな。そんなことを考えていたけれど、星達は、僕のことなんかこれっぽっちも知りやしないんだろうなって、そう開き直って、僕ははばたき続けたんだ。
 しばらく羽根なんて動かしてなかったから、羽根が重く感じるけど、僕は頑張ったんだよ?それが、彼の為だって思っていたからね。
 そして、叶えてくれるかどうか、あやふやな星に、僕は祈る事にしたんだ。
 カラス君が、いつか絶対に、幸せになれますように、ってね。
 そして、言い忘れていた事があったのを思い出したんだ。
 でもその時、戻ってまで言う事じゃないって思ったんだよ。
 だって、言わなくても、向こうはとっくに分かっていることのような気がしたんだ。
 仮に僕が言いに戻っていたら、彼はこう言ったんだと思う。
「そういうことはわざわざ言わなくていいんだよ。言わなくても分かってる事なんだからよ。そんなに不安なのかよ、馬鹿だな」
 って具合だろうな。
 そうなんだよ。僕は、彼の事を、とっても大切な友達だって思っていたんだ。
 そして、しばらく会えないかもしれないし、永遠に会う事はないかもしれないけれど。
 僕たちは、ずっと友達だって、言うつもりだった。
 今にして思えば、すっごい照れくさい言葉だったけどね。
 














     9 イヌさん

 羽ばたいているうちに、僕は小さな駅に着いたんだ。駅って言っても、人なんかほとんどいない。誰もいないんだ。静かで、ただ聞こえるのは風の音と、近くの海から運ばれてくる、波の音だけだったんだ。しばらく波の音は聞いていなかったから、少し懐かしい気分になったね。
 あんまり何もなかったから、近くの木陰で僕は一休みしたんだ。今日の天気は雲がかかっていて、太陽はあいにく拝めそうになかったよ。太陽が見えない木陰になんて、なんの価値もないと思わないかい?
 すると、近くにイヌさんがいたことに気が付いたんだ。顔はシュッとしているけど、ところどころしわが見える。あんまり僕と年は近くなさそうだったな。イヌさんはのそのそと僕に近づいてきた。慌てて僕は立ち上がって、イヌさんと向き合う事にしたんだ。こんなところで食べられるのはごめんだからね。
「安心しなさい、わしはおぬしを食いはせん」
 言葉づかいから、とてもお年を召しているという事がわかったんだ。鳥だから勘は鋭いんだぜ?
「こ、こんにちは、あの、あなたは」
「イヌに名前を尋ねるときは、まず自分から、じゃろ?」
 どうやら頭がとても堅いようだ。おじさんと近い何かを感じるよ。嫌になっちゃうなあ、もう。
「僕は、カラスのジョンです」
「ジョンか、よろしくの。わしの名前はジョニー」
 なんとなく、僕の名前と近いものを感じたよ。つけた人はおじさんとセンスが似ているなって思ったね。
「通りすがりの少年がわしにそう名付けたんじゃよ。分からない存在は、全てジョニーだとぬかしての。まったく、いい加減なガキじゃ」
 そんないい加減な名前でも、一応受け入れている事が、なんだかおかしくて思わず顔がに焼けちゃったな。顔は真っ黒だから分かりにくいかもしれないけどね
「なんじゃ、なにがおかしい」
 どうやらばれていたらしい。とりあえず首を横にぶんぶんと振って否定したんだ。こういう類の生き物は、怒らせないに限るからね。
「まあよい、ところでおぬし、何故このような辺鄙な町へ?」
「……」
 なんとなく、このイヌのおじいさんなら、知っている気がしたんだ。だから僕は尋ねる事にしたんだよ。
「探し物をしに来たんです」
「なるほど、海へ行け、そこにある」
 ジョニーさんは何を探しているかなんてきかずに、すぐにそう言ったんだ。全く訳がわからなかったよ。このおじいさんは頭がイカレてるんじゃないかって、鳥頭の僕でも思ったね。
 いけない、僕の見下す癖がまた出ちゃった。
「何で何も言っていないのに」
「大体の探し物は、海にある。そう決まっておる」
 めちゃくちゃな理屈だ。僕は小さなころからずっと、海で暮らしていたようなもんなのに、そんなこと感じたことなかったね
「嘘だ、信じられない」
 だから僕は、そう否定したんだ。今まで探していたものが、そんな簡単に見つかるはずがないって思ったからね。
「騙されたと思って行ってみるがよい。物事というのは、案外そういうものじゃ」
「そういうものなの?」
 半信半疑で僕は尋ねたんだ。
「そういうもんじゃ」
 やっぱりだ。この人はおじさんと同じ匂いがする。だって、『海の男だからな』に近いものを感じてしまったからさ。だから僕は、納得してしまったんだ。
「海にはここからどう行けば」
「単純じゃよ、この先をまっすぐじゃ。そうすれば、海には行きつく」
 僕はジョニーさんに頭を下げて、海へと向かおうとしたんだ。
「待ちなさい」
「なんだよジョニーさん。僕は急いでいるんだ」
「その前に一つきかせてほしい」
 僕は何も言わずに、ジョニーさんの質問を待ったんだ。
「おぬし、何故探し物を探しておるんじゃ」
 なんだ、そんなことか。そう思ったんだ。
「見つけたいって思ったからさ。それじゃ理由にならない?」
「違うのお。おぬし、何故食べるのかと問われたら、食べたいからと答えるのか?違うじゃろう。それは、飢えて死ぬのを防ぐためじゃ」
 ……何が言いたいんだろう。僕にはよくわからなかった。
「つまりじゃ、おぬしは、探し物を見つけることは、何か目的があってのことのはずじゃ。それは、なんじゃと尋ねておる」
「そんなの」
 僕は考えた。何で僕は、大きくて、温かくて、優しい何かの正体を探しているんだろう。ただ、それに触れられた時、心地いいから? それの正体を知ることは、なにか不自然なことなんだろうか? そう考えたんだけど、なにかが違う気がしたんだ。
「……まあよい」
 ジョニーさんの中で、勝手に納得されたんだ。助かったけどね。
「どうせ、見つければ嫌でもわかるさ。そういうもんじゃろ」
「そうなの?」
「そうじゃ」
 似たようなやり取りを何度もしていたからか、ジョニーさんは、笑ってそう言ったんだ。お年寄りの考えていることは、やっぱり難しいや。僕にはとてもね。
「さあ、行け、ジョン」
 言われなくてもそうするさ。僕は海へ向かって一直線に羽ばたいたんだ。羽根の中の貝殻を落とさないようにね。

 海にはすぐに到着したんだ。白い砂や、ゴミや流木が散乱している砂浜の他に、海の水はすっかり満ちていて、さらにその向こう側から、冬の冷たい風を運んでくるんだ。正直少し、寒かったね。人間なんかは羽根がないから大変そうだなって思ってしまったよ。
 ただ、海に着いたはいいけれど、そこには誰もいなかったんだ。あったのはゴミと石と砂だけさ。それでも、波の音と海の景色を見ていたら、心が落ち着いたよ。凄くね。
 そして、今まであったことを、ふと振り返ってみたんだ。
 アンくんの、認められたくてがんばっていた姿や、アマさんの、結果を出したくてがんばった姿を。女の子の熱い歌声を。パティの傷つけたくない臆病な姿や、カラス君の笑顔や涙をね。ああ、僕はどれも出会ってよかったと心のそこから思えるよ。何故かって? 思い出しているとね、自然と涙があふれてきたからさ。
 海に負けないくらいのしょっぱさで、海に入ってもいないのに、溺れているような気分になってしまったよ。まいっちゃうよ本当に。そんな軽い誤魔化しをしても、涙はどこまでも出てくるんだ。どうやったら止められるかなんて考える間もないくらいにね。
 僕自身から、あの大きくて、温かくて、優しい何かが出ているみたいだったよ。
 それでもだよ、僕はそれの正体がわからないんだ。
 悔しいったらありやしないよ。
「教えてよ! 僕に! 何なんだよこれは!」
 どうしても我慢できなくて、僕はそう叫んだんだ。
 こいつの正体を見つけたくて仕方がいないのに、一向に分かる気配がしないんだよ。誰だって腹が立つだろう?
 するとだよ? 後ろから、誰かの泣く声が聞こえたんだ。その泣き声は、僕の質問に答えてくれているみたいに、しっかりと耳に届いたんだ。
どうやら女の子みたいだ。振り返ると、そこには、あの女の子がいたんだよ。
びっくりしたさ。まさかこんな所でまた会えるなんて思わなかったからね。ずっと会いたくて、またあの歌声を聞かせて欲しいって思っていた。それから、また僕の羽根を震わせてほしかったんだよ。あの大きくて、温かくて、優しい何かを僕に向けてほしくてね。
ところがさ、そこにいたのはあの子だけじゃなかったんだよ。なんと男の子もいたんだ。あの日、大きな建物の中で泣いていた男の子にそっくりだったよ。だけど、彼は女の子の横に座っているのに、彼女に何もしてやらないんだよ。
どうかしているんじゃないか! って言いたかったさ。誰かが悲しんでいるのに、ただ横で座っているだけなんて、信じられなかったね。それから、彼女はずっと泣き続けたんだ。今まで自分がため込んでいた真っ黒なものを、吐き出すように。そこからも、僕はまた感じたんだ。あの大きくて、温かくて、優しい何かをね。
それでも、まだ届かないんだよ。悔しかったさ。だって、それは今まで以上に向きだしで出ているんだよ。まるで、リンゴが皮を全て剥かれた状態で僕の方に飛んできているみたいにさ。だから、いつの間にか僕も、男の子と同じように、黙って女の子が泣いている様子を眺めていたんだ。
たまらなかったよ。
それから、しばらくその子は泣きつかれたみたいに、顔を上げたんだ、するとびっくりしたよ。その目は、前会った時より、ずっとずっと、キラキラ光っていたんだ。きっと、今度ばかりは太陽が束になってかかってきても敵わないだろうね、彼女のキラキラにはさ。
するとだよ、彼女は黒い鞄を男の子から受け取ったんだ。それは、前に見たキーボードとは違っていたんだよ。また、別のガッキかと思ったよ。不思議な形をしていたからね。まるでそれは、パイナップルのような形をしていたんだけれど、色が美味しくなさそうだったね。
でも綺麗だったよ。海みたいに、爽やかな青色をしていたんだ。
彼女は、それを肩にかけて、海に向かって歩き出したんだ。まるでそれを持って海に体を投げ出すみたいにね。焦ったよ。彼女みたいな存在は、絶対に消えてはいけないのに。あんなに素敵な存在は、これからも誰かのために必要なんだ。
少なくとも、僕みたいなカラスには、絶対必要さ。
それからどうなったかって言うと、彼女は海に背を向けて、男の子に向かって歌い始めたんだ。ガッキの音を聞いた瞬間、羽根がまた全て抜け落ちてしまいそうになったよ!
いや、抜け落ちてしまうどころじゃない。上に向かって飛び上がりそうだったんだ。
ガッキの音だけで、僕は巨大なものを感じてしまったんだよ。
 そこから彼女は、歌を歌い始めたんだ。
とっても素敵な歌詞だったんだよ?君にも聞かせてあげたかったさ。
今まであったものや、たくさんの人に出会って悩んだ事。そして、そんなしがらみを全て捨てて、自分は自分の道を進むんだ。っていう曲さ。
言葉にすると単純だろ? でも、それには彼女の全てが詰まっていたんだ。大きくて、温かくて、優しい何かをありったけに寄せ集めて、それを歌にしているんだ。
もう、本当に最高だったさ!
その時、彼女は泣いていたんだけれど、さっきまでの悲しそうな泣き声と違って、とっても嬉しそうな泣き声だったんだ。まるで、今まで探してきた、とってもとっても大切な探し物を見つけたみたいにね。
僕も彼女と一緒に歌ったんだ。彼女にはカーカーとしか聞こえないだろうけど、少しでも僕は彼女と共有したくて、空高く飛び上がって、大きな声で歌ったんだ。
するとね、男の子も歌い始めたんだよ。一緒に、笑いながら、踊るように、海を背後にね。その二人は、とっても楽しそうで、世界中の誰よりも幸せそうだったんだ。
だってさ、その二人からも、あの大きくて、温かくて、優しい何かがいっぱい出ていたんだから。僕の羽根はずっとうずうずしっぱなしだったさ。
するとね、さっきまで曇っていたそれが、少しだけ薄くなってきた。眠っていた太陽が、僕たち二人と一匹の歌で、目覚めたようにね。すると、僕等を太陽が照らし始めた。まるで祝福の言葉を投げているみたいにね。
僕も二人に、どういうわけか言いたくなって、空高くからこう言ったのさ。
「おめでとう!」
 ってね。それから僕は、羽根の中に隠していた貝殻を、二人の方へふっと落としてみたんだ。別に、カラス君との思い出を捨てたわけじゃない。
 ただ、カラス君と感じたものを、二人にも感じていてほしいなって、そう思ったから僕は貝殻を落としたのさ。男の子の方が貝に気が付いたみたいで、ポケットに歌いながら入れてくれたんだ。
 それが僕には、たまらなくうれしかったんだ。
 すると、女の子はガッキを弾く手を止めて、歌う事もやめたんだ。
 どうしたんだろって思ったよ。女の子の目を見てみると、とてもまっすぐな目をして海を見ていたんだ。空と海がくっついて、一本の線になっているところを見ていたんだろうな。
 それから、彼女は思いっきり息を吸って、今までにないくらいの大きな声で、ある言葉を言ったんだ。
 その言葉が、僕に答えを教えてくれたのさ。
「大好きだった!」
 僕の体に、その時、雷に打たれた時よりもずっとずっと大きなしびれがやってきたんだ。何が何だか分からなかったよ。
 そしてしばらくぼーっとして、空にぷかぷか浮かんでいたんだ。それから気が付いたんだよ。
 彼女のその言葉が、答えだったんだってね。

 アンくんは、自分を認めてくれない家族の事が、大好きで大好きでたまらなかったんだ。
 だから認められたかったんだ。大好きだったから。

 アマさんは、文句を言いながらも、駄目駄目で仕方のない、大好きなカエルたちと、結果を取ってみたくて心を鬼にしていたんだ。
 結果を出したかったんだ、大好きだったから。

 パティは、自分を捕まえてきたロクでもない人間が、大好きだったから、抵抗できなかったんだ。
 傍にいて、安心させてあげたかったんだ。それがどんな形でも。大好きだったから。

 カラス君は、どんなカラスだろうと、大好きで大好きで、堪らなかったんだ。だから自分を偽って、傷つけないようにしていたんだ。
 傷つけないようにして、笑っていてほしかったんだ。大好きだったから。

 そして、彼女も、何かが大好きだったんだ。
 それは一人じゃないかもしれない。二人かもしれないし、三人かもしれない。
 それは友達かもしれないし、家族かもしれないし、ほとんど関わった事のない他人かもしれない。
 それでも、そういう大好きが、たくさん集まったから、彼女は苦しい事もあったんだろうな。
 そして悩んだこともあって、泣いた事もあって、それでもたくさん笑う事もあって、笑いたいっていう思いもあって、笑ってほしいって夢もあったんだ。
 そういうものが、まるで木みたいに集まって、大きな山になったんだ。
 その山なんだよ。その山は、とっても大きいんだ。そして、温かくて、優しいんだ。
 それが、僕が探していたものの、正体だった。
 おじさんの言った通り、それはどこにでも転がっているんだ。
 それが重なっているものが目立つだけで、そう言うものは、どこにでも転がっていたんだ。誰だって、何かが好きなんだからね。当然だろ?僕はおじさんの言葉や笑っていた意味が、やっとわかったよ。
 とってもすっきりしたさ。彼女の大きな大きな叫びと歌でね。彼女にありがとうを伝えたくてたまらなかったよ。
 だけど、僕はカラスなんだ。だから伝えられない。
 あの男になりたいって思ったな。だって、あれから歌い終わって抱き合ったりしていたんだよ?僕もそうなりたかったよ。一緒に喜びたかったな。
 そして、砂浜に寝転がって、彼女を祝福したかった。でも、僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ。
 正体がわかったんだ。僕の探していたもののね。
 だから、僕は帰らなければいけない。おじさんのところへ。そうすることで、僕の旅は初めて終りを迎えるんだ。
 ここに長居はできないんだよ。そうしてしまえば、おじさんのところへ帰れなくなる。なんとなくそう思ったんだ。カラスのなんとなくってのは、案外頼りになるもんなんだ。
 飛び立つ前に、僕は二人の方を一度見たんだ。とっても綺麗な笑顔を、二人ともしていたんだ。この二人が、この先幸せな未来が待ってればいいなって、純粋にそう思ったんだ。
 それから僕は、あの港へと向かったんだ。精一杯羽ばたいてね。
「幸せになってね!」
 僕が願った直後に、後ろから女の子がそう叫んだのが聞こえたよ。
 僕に言ったんじゃないってのは、十分わかっているよ。だけど、僕は嬉しくて思わず、こう返事したんだ。
「ありがとう!素敵な歌をありがとう!君も、絶対幸せになってね!」
 ってね。
「じゃあな、ジョニー!」
 今度は男の子がそう言ったんだ。
 おしいな、僕はジョンだよ。
 そう言おうとしかけど、二人の時間を邪魔したくないから、そのまま僕は飛び去ったんだ。



     10  おじさん

 僕は今までにないってくらいに、力いっぱい羽ばたいたんだ。たくさんの会ってきた生き物たちに心の中でありがとうって呟きながらね。
 しばらく飛んでいると、見覚えのある景色が見えてきたんだ。見覚えのある懐かしい家や、見覚えのある懐かしい車に、見覚えのある、懐かしい海と船。そして嗅ぎ覚えのある匂いだよ。
「戻ってきたぞ!」
 思わずそう叫んだ。それから僕は、おじさんの船を探したんだ。あの赤いラインに、たくさんの傷をね。それはすぐに見つかったよ。ありがたかったね。そこから中へと入ってみたんだ。
 でもね、そこにおじさんはいなかったんだ。
 おかしいなって思いながら、おじさんのお家へと向かったんだ。海の近くにあるから、本当ならそっちを先に探すべきだったんだろうけど、いつもおじさんと会うのは船だったから、なんだか変な感じだったな。
 木でできていて、窓ガラスにはヒビがある、ぼろぼろのおじさんの家は船と同じですぐに見つかったんだ。
 そこの二階に入ってみたよ。窓が開いていたからね。
 部屋は、いつもの通り汚れていた。海の本や、船や釣りの道具。そして、家出したおばさんの写真が飾っている。でも不思議な事にね、写真を飾っているのは、とても豪華で大きな置物なんだ。しかも金ピカで、二本の煙が立ち上っているんだ。おばさんは、今頃元気なのかな。
 入ってすぐに、おじさんはいたんだ。でもね、おじさんは煙を吸っていなかったんだ。珍しいこともあるもんだって思ったね。
 でもさらにおかしなことがあったんだ。おじさんは布団の中で、目を閉じていたんだよ。体は細くなってるし、顔は白くなっていたんだ。
「おじさんおじさん、僕だよ。ジョンだよ。帰ってきたよ」
 僕はいつもより大きな声でおじさんに呼び掛けたんだ、寝ているところ悪いけど起きてもらわないと困るからね。
 おじさんはすぐには起きなくて、ゆっくりと目を開けたんだ。その目には、今まであったギラギラした光は殆ど無くて、まるで氷のようだったんだ。
「……おお、お帰り、ジョン」
「ただいま、おじさん」
 前よりもしゃがれた声で、おじさんは僕に手を伸ばしたんだ。声の速さも少しだけゆっくりになっている。何が何だか分からなくて、少し怖かったのはよく覚えているよ。
「どうしたんだい?もう船には乗らないのかい?」
 僕は、あの大きくて温かくて、優しい何かの正体が分かった事を伝える前に、まず気になった事を尋ねたんだ。だって気になるだろ?今まで元気に運転していたのに、急にしなくなるなんてさ。
「まあ、年のせいさ。あと、タバコか……馬鹿やっちまったよ、タバコなんて、さっさとやめてしまえば」
「本当にね」
 僕はおじさんの事なんか気にも留めずに、そう吐き捨てたんだ。だって、おじさんの喋る力なんて、殆ど無いなんてこと、これっぽっちも気が付かなかったんだから。
「馬鹿、そういう時は、『そんなことない』って言ってほしいもんなのさ。相変わらずの鳥頭だな…」
 こんな時にまで説教してくるんだよ?呆れたさ。
「そんなことよりおじさん、聞いてよ。実はね」
 おじさんは、僕が何かを言う前に遮って言ったんだ。
「わかったのか、お前さん。あれが」
 僕は力いっぱい頷いたさ。だって、あんなに苦労したんだからね。だから僕はおじさんに答え合わせをしてもらうために、見つけた答えを言おうとしたんだ。
「うん、ところで、何でわかったの?」
「そりゃお前、俺が海の男だからだよ」
 またいつもの調子だ。でも弱弱しくて、なんだか茶化す気が失せちゃったんだ。そういう気分になれなかったのさ。
「僕ね?がんばったんだよ?たくさんの動物たちに出会って、たくさんのところに行ったんだ。羽根は疲れてくたくたになっても、えさがなくてふらふらだった時も、頑張ったんだよ?それでね、僕はついに見つけたんだ!」
 そして僕は息を吸い込んで言ったんだ。
「あの大きくて、温かくて、優しい何かはね……誰かを好きで好きでたまらないってものが重なってできたものなんだ。それは一人や二人を好きって感情じゃ無くて、たくさんのものを好きになってしまって、それで、苦労したり、悩んだり、そういうものが重なって、山みたいになったものなんだ。どうだいおじさん、これで合っているかい?」
 おじさんは僕の答えにどんな反応をしたと思う?僕は感動して、『よくやった、それが答えだ』って言うもんだと思ってたんだ。でも実際は全然違っていたんだ。
「はっはっはっは!」
 おじさんは馬鹿にしたみたいに笑いだしたんだ。信じられなかったよ。僕が精一杯考えて出した答えを、笑い飛ばすなんてさ。
「なにがおかしいんだい!おじさん」
「いや、すまんすまん。お前さんはなにも間違っていないよ。だがな、お前さん、自分の写真を誰かに見せたとするだろ?カラスのお前の写真をだ。それで、これは何だときいて、『それは黒くて羽根がある、鳥の仲間の生き物です』なんて答えは答えなのか?」
 僕はその言葉でがっくりきたね。でもその通りだ。僕が長々とした説明を指す、言葉がない。もしかしてそれは、何かの一言で表せるものなのかって、僕は初めて理解したんだ。
「違うだろ?」
 僕の致命的な間違いを強調するように、おじさんは言った。
「まあいい、一応理屈はわかってる。だから答えだけは教えてやろう」
 おじさんはそこまで言って、ごほごほと急に咳き込み始めたんだ。僕はなんだかさっきの不安が増した気がしたんだ。まるで、腐った果物を食べた時みたいに、胸がもやもやとしだすんだ。
「すまん……ちょっと疲れたみたいだな。いかんなあ……」
「おじさん、大丈夫かい?」
「カラスに心配されるほど、落ちぶれては……おらんさ」
 おじさんはそう言うと目を閉じたんだ。びっくりしたよ。だって、まだ答えを教えてもらってないからさ。
「おじさん、目を醒ましてよ。どうしたんだいさっきから」
 おじさんは目を閉じたまま、にやりと笑ったんだ。
「いや、なんでもない」
「なんでもないなら目を開けてよ」
「まあいいだろう。許してくれや、これくらい」
 おじさんはそう言うと、また咳をしたんだ。さっきよりも長い咳をね。すると、真っ白な布団に、赤い物がとんできたんだ。最初は果物の汁かと思ったよ。でも違ったんだ。それはおじさんの口から出てきたんだ。
「……おじさん」
「  って言うのさ……ジョン」
 おじさんは、短いことばを言ったんだ。簡単で、短い言葉をね。僕は、それが答えだって咄嗟に理解したよ。
 その後に、静かに、こう言ったんだ。
「よく頑張ったな、ジョン」
 その言葉は、僕がずっとずっと欲しくて欲しくて、堪らないものだったんだ。
 多分、僕が旅を続けていたのは、何もできない僕だったから、ずっと認められたかったんだ。  
僕も、アンくんと同じだったんだ。
なにもできない僕のままでいたくなくて、ただがむしゃらに頑張ったんだ。それしか、僕にできる事はなかったんだな。きっとね。
 おじさんがさっき言ったその短い言葉を知った僕は、次に、僕は何であんなにあの大きくて、温かくて、優しい何かの正体を知りたがっていた理由は、もう一つあったのがわかったんだ。
 僕は、その短い言葉を、その簡単な気持ちを、おじさんに伝えたかったんだ。
 生まれてからずっと、一緒にいてくれて、喧嘩もしたけど、ご飯もくれて、一緒に笑ったおじさんに、その短い言葉を、伝えたかったんだ。
「おじさん、僕はね!」
 そう、伝えたかったんだ。精一杯言ってやろうとしたんだ。それを言って、おじさんに笑ってほしかったんだ。照れくさいけど、この気持ちをね。
 それを伝えるために、僕は、長い長い、旅をしたんだ。
 でも、遅かったんだよね。
 おじさんは、それから目を開けなかったんだ。僕が何度羽根で顔をつついても、くちばしで叩いても、まるで石みたいに、ぴくりとも動かなかったんだ。
 何が何だかわからないうちに、エプロンを着た女の人が、部屋にどたばたと入ってきたんだ。
「きゃー!しっし!」
 おばさんに僕は追い出されたんだ。そう言えばいつか聞いた事があるな。
カラスってのは、死の象徴だってね。
 それを思い出した瞬間、途端に涙が出てきたんだ。
 そしてね、僕は海の向こうへと羽ばたく事しかできなかった。自分がどこへ進んでいるのか全く分からないままね。
 だって、その時に僕は始めて理解したんだ。
 おじさんが死んだってことをね。












   終章 親愛なるきみへ

 これで僕のお話はおしまいだ。
 どうだった?
 うん、もちろんおじさんは僕のせいで死んだってわけじゃないよ。
 それでもね、たまに思っちゃうんだ。
 僕が帰ってきたから、おじさんが死んだんじゃないかってね。
 まあ、そんな昔のことはいいんだよ。
 あれからかい?
 いいや、アンくんにも、アマさんにも、パティにも、カラス君にも、当然ジョニーさんにもあの男の子と女の子にも会ってはいないよ。
 アンちゃんは、家族に認められたかもしれないし、認められなかったかもしれない。
 アマさんも、合唱大会で、大切な仲間たちと優勝できたかもしれないし、できなかったかもしれない。
 パティも、あれからも女の人に閉じ込められて暮らしているかもしれないし、逃げてどこかで暮らしているかもしれない。
 カラス君も、あれからもみんなに優しくしているかもしれないし、もしかしたら、一匹でどこかに行ってしまったかもしれない。
 ジョニーさんも、あれから海で誰かに道案内をしているかもしれないし、もしかしたら寿命で死んでしまったかもしれない。
 男の子と女の子も、あれからも仲良くしているかもしれないし、お互い離れ離れになってしまったかもしれない。
 でもいいんだよ。
 僕が、みんなに会えた事そのものに、意味があったんだから。
 そりゃね、女の子が始まりだったさ。だからって女の子との出会いだけでよかったってわけじゃないんだ。
 誰か一人でも、一匹でも、一羽でも欠けていたら、僕は答えを見つけられなかったかもしれないからね。
 誰か一人のおかげなんて言うのは、他のものを否定しているみたいで、好きじゃないんだ。
 だから、君に出会えたのも、大切な要素なんだよ。
 心残り?
 やっぱり、おじさんに伝えられなかった事かな。それが理由だったからね、あの頃は。
 前置きが長くなったね。
 実はこの話をしだしたのは、卵を温めている君の気を紛らわすためだけじゃないんだ。
 君にあることを伝えるためだったんだ。
 え?今卵が動いたって?
 なら急いで伝えなきゃね。子供たちが生まれる前に君に伝えとかなきゃいけないんだ。
 それが、僕が答えを見つけた意味かも知れないからね。
 恥ずかしいけど、言うね。
 心して聞いてくれよ。
 えっとね














 







「      」


















おしまい

僕の見つけたもの

その友達を動物に分割したものです

僕の見つけたもの

島である女の子の歌を聞いた一羽のカラスは、なにか大きくて、温かくて、やさしいなにかを感じます。 その正体を見つけるため、カラスは旅に出ました。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-07

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